2010年05月22日

ダンスとは? 渋谷Camelot 9 今日の1曲 <181> シャノン <182> スタイリスティックス

P1010014.JPG
スタイリスティックスThe Stylistics / 愛がすべて I Can't Give You Anything But My Love
シングル盤 7”single 2different jackets made in Japan on Japanese tatami mat



<181> シャノンShannon / Let The Music Play 
<182> スタイリスティックスThe Stylistics / 愛がすべて I Can't Give You Anything But My Love 1975年




〜 ダンスとは? 渋谷Camelot 9 〜
What is the dance?



  先週は、渋谷のCamelotに行きました。

Club Camelot Shibuya Tokyo
http://www.clubcamelot.jp/

Club Camelot inside 店内映像
http://www.youtube.com/watch?v=318gA6IS7ps


  よく会う元プロのダンサーの人と話をしました。

  彼はブレイクダンスでもヘッドスピンでもどんなダンスもマスターしています。私は、もう年なのでブレイクダンスは怖くてできないんですよと言いました。無理して肉離れをすると半年以上は直らないからです。駅などで練習している若い人はいいなあとよく思っていました。

  しかし、彼が言うには、複雑で難しいように見えるダンスほど実は簡単で、2〜3年あればマスターできますよとのことでした。10年以上のキャリアのある彼が言うのだから確かでしょう。

  意外だったので、じゃあどういうダンスが難しいんですかと聞きました。
  すると、一番難しいのはリズム取りで、これには何十年もかかるのだそうです。
  そして、音楽に合わせて踊れることこそがダンスだそうです。

  うーんそうか! 
  能の間合いとか、剣道の素振りのように単純なものほど実は奥が深いのかもしれません。
  リズム取りなら、これからも上達する可能性がある。

  しかし、現実に肉体は老いていくわけで、先日も階段を登っていてアキレス腱が痛くなって、もう踊れなくなるのかなあと思いました。
  ダンスとは何なのか、踊れなくなる日までにはみつけたいと思います。

I went last week to dance in Club Camelot of Shibuya Tokyo.
I met a professional dancer.
He said. “In fact, the dance to look difficult is simple. It takes two or three years. The most difficult is to dance to rhythm. It takes dozens of years.”
I want to find what is the dance till the day when I cannot dance.


  
  リズム取りと聞いたとき真っ先に浮かんだのがシャノンShannon

I think Shannon to be the master who can dance to rhythm.


シャノンShannonの詳しい履歴
http://angeleyes.dee.cc/shannon/shannon.html

イタリアでレコーディングしたり、高く評価されていたというのは、本ブログとしてはうれしい発見。Let The Music Playのリズムだけが革新的なのではなく、メロディーも美しいことの証拠でしょう。


シャノンShannon / Let The Music Play  Original 
http://www.youtube.com/watch#!v=btTFMnpPuk0&feature=related
1:54からのShannonに注目。肩、首、指先から髪の毛まで音楽と一体化している。
★曲もかっこいい。
機械のようなドラムスに対して、Shannonのボーカルが微妙にリズムから遅れたり、追いついたりするのが魅力。彼女が体だけでなく心でもリズムを捉えているということでしょう。


シャノン Music Instructor feat. Shannon & Flying Steps / Let The Music Play REMIX
http://www.youtube.com/watch#!v=LTS4sulwfuU&feature=related
こちらもブレイクダンス、白人のモダンダンスと、Shannonの0:40 1:40の肩 3:10の動きを比べてみてください。





  シャノンは2回目なので、今回はもう1曲。
  スタイリスティックス / 愛がすべてです。
  黒人ソウルと白人クラシックの美しい混血アート「フィリー・ソウル」の傑作です。
  もうこういう時代は来ないのかなあ…


スタイリスティックスThe Stylistics / 愛がすべて I Can't Give You Anything But My Love 1975年
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&feature=related&hl=ja&v=EqTyatrPxjU
1975年ビルボード・チャート51位とアメリカでは振るいませんでしたが、日本では大ヒット。
キムタクのCMのオリジナルです。


スタイリスティックスThe Stylistics / 愛がすべて I Can't Give You Anything But My Love Promotion Video
http://www.youtube.com/watch#!v=Ca9HI66ROHY&feature=related
当時としては珍しいプロモーションビデオ
自然にリズムをとっているメンバーの足元に着目


スタイリスティックスThe Stylistics / 愛がすべて I Can't Give You Anything But My Love LIVE in Japan TV
http://www.youtube.com/watch#!v=vhnwVdOgCXc&feature=related
日本での人気を証明する貴重な映像が残っていました。


The Stylistics / I Can't Give You Anything But My Love was not good enough in the 51st place billboard chart U.S.A. in 1975. However, it made a big hit in Japan.






2010年05月08日

GW ALL MIX 元気な渋谷 ATOM XT 今日の1曲 <171> シェリル・リン <172> マイケル・ジャクソン <173> マドンナ <174> マイケル・フォーチュナティ

P1010073.JPG
7“singles made in Japan
Cheryl Lynn / Got To Be Real、MICHAEL FORTUNATI / Give Me Up、Madonna / Holiday
クリックすると画像が大きくなります(Please click the photograph, then it grows big.)


<171> シェリル・リンCheryl Lynn / ガット・トゥー・ビー・リールGot To Be Real 1978年
<172> マイケル・ジャクソンMichael Jackson / P.Y.T 1982年
<173> マドンナMadonna / ホリデイHoliday 1983年
<174> マイケル・フォーチュナティMICHAEL FORTUNATI /ギブ・ミー・アップGive Me Up 1986年



〜 GW ALL MIX 元気な渋谷 ATOM XT 〜


ゴールデン・ウィークを利用して、日頃行けない平日のクラブのイベントに行ってみました。

Club ATOM HP Shibuya Tokyo
http://clubatom.com/index.php



  今回はALL MIXの日に挑戦。
  ALL MIXというのは、ジャンルを問わずにダンスミュージックがかかる日です。
  5階のフロアーに入ると、いきなり1980年頃のディスコの雰囲気で大喜びです。
  元気に踊っている人も一人います。



  それでは、いくつか今回フロアーでかかった曲を紹介します。


This time I went to club and tried to dance on the day of ALL MIX.
Then I introduce some dance music which succeeded in Japan.
   



1978年


  まず、TOTOのキーボードで有名なデヴィッド・ペイチ David Paichが作曲した名曲Cheryl Lynn / Got To Be Real
  前回紹介したジェームス・ブラウンJames Brownの作ったFunkは1960年代、1970年代の音楽シーンに多大な影響を及ぼしました。白人の中には、黒人音楽に憧れる人もたくさん出てきました。
  Cheryl Lynn / Got To Be Realは、白人がどれだけ黒くなれるかというひとつの挑戦といえます。強力な重いビートに白人ならではの美しいメロディーが重なるGot To Be Real。これが1970年代のダンスミュージックの最高傑作の一つであることは疑いのないところでしょう。
  今日は2回もかかりました。


Cheryl Lynn / Got To Be Real will be the one of the best masterpieces of dance music of 1970's.
Funk which James Brown made had a great influence. In the white man, a lot of people who longed for black music came out.
It may be said that Cheryl Lynn / Got To Be Real which David Paich composed is a challenge how deeply a white man can be black.
It took two times today on the floor.

デヴィッド・ペイチ David Paich  wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%81


シェリル・リンCheryl Lynn / ガット・トゥー・ビー・リールGot To Be Real 1978年
http://www.youtube.com/watch?v=EoXvDleWJ5U
この曲の魅力はなんといっても弾けるベース! 踊るときは、ベースに腰を乗せ、思い切り全身を地に向けて脱力させます。

Cheryl Lynn - Got To Be Real (12 inch mix) ロングヴァージョン
http://www.youtube.com/watch?v=oWfTyEK-N_Y&feature=related






1982年


  白人によるFunkに対して、ご本家の黒人も負けていません。
  1982年ついにJames Brownの直弟子で最強の切り札マイケル・ジャクソンMichael Jacksonのスリラーが登場。
  アレンジャーのクインシー・ジョーンズQuincy Jonesは、フランスのクラシックの女性作曲家の所に弟子入りしてまで白人の音楽を学びました。
  ジェームス・ブラウンが作った黒人のビート革命を白人の技術で洗練させたスリラーは1億枚の売り上げに達しました。

For the White Funk, the original Black Funk does not lose, too.
Thriller of Michael Jackson appeared at last in 1982.
The arranger, Quincy Jones learned composition from a French classic woman composer. He let Black Funk sublimate by white technology. Thriller was sold over 100,000,000 universally.


マイケル・ジャクソン Michael Jackson-P.Y.T
http://www.youtube.com/watch?v=PdV7Kb1RG8Y
この曲の魅力もやはりベース。こちらは、ベースの音で頭からつるされた操り人形になったつもりで踊ります。


How to spin like Michael Jackson スピン講座
http://www.youtube.com/watch?v=pvK_R3dh54M&feature=fvw
これをできるようになりたいのですが…。
どないすんの。何度見てもわからへんわ。






1983年


  白人による黒人に対するダンスミュージックの最終兵器は、男性ではなく女性でした。
  マドンナはマーサ・グラハムなどのダンサーに憧れて1977年にNew Yorkに。
  ヌードダンサーなど長い下積み時代を経てMadonnaは、ついにホリデイHolidayをダンスチャート1位に送り込みました。

The ultimate weapon of the white dance music was a woman not a man.
Madonna had a crush on dancers such as Martha Graham and came for New York in 1977. Madonna succeeded in 1983 at last after long bottom of the pile times.


マドンナMadonna / ホリデイHoliday
http://www.youtube.com/watch?v=K89AtVD4NGs
Like a virginの前は、日本でもディスコで受けていました。


大ブレイク前の初々しい1st



  今日は、スクリーンにMadonnaのLIVEの映像がずっと映っていました。
  さすがにマドンナのワールドツアーのメンバーだけあって、世界最高峰の素晴らしいダンサーばかり。
  ダンサーたちの振りを真似しながら、曲に合わせて楽しく踊れました。フラメンコのような手の動きが特に面白かった。
  それにしても、あれだけ動きながら2時間も歌い続けるマドンナの体力はすごいです。

I was able to dance to music happily while imitating Madonna who appeared in the video.
The physical strength of Madonna who continues singing for two hours while moving is wonderful.


ホリデイHolidayをラストに収録した両親の故郷イタリアでのLIVE




1986年


  最後に日本でも大ヒットしたマイケル・フォーチュナティ/ギブ・ミー・アップです。
  黒人の作り出したダンスミュージックは、世界中に波及しました。
  ヨーロッパではユーロビートという後ろ乗りの重いビートについていけない白人向けのダンスミュージックが生まれました。
  このユーロビートは日本でも大うけで、AVEXがこれを売り出して一斉を風靡しました。

By influence of black Funk, dance music for white men called Eurobeat was born in the Europe.
Eurobeat such as MICHAEL FORTUNATI/Give Me Up made big hits also in Japan.


マイケル・フォーチュナティMICHAEL FORTUNATI /ギブ・ミー・アップGive Me Up
http://www.youtube.com/watch?v=kr-AbQUfsYI&feature=related
これを聞くと一気にバブル時代に戻る。
メロディー重視はイタリアのクラシックからの伝統。
歌メロもカウンターメロディーもおいしいところがテンコ盛り。実に贅沢な音楽だ。


マイケル・フォーチュナティMICHAEL FORTUNATI /ギブ・ミー・アップGive Me Up LIVE in Japan
http://www.youtube.com/watch?v=x6TV1KkueCU&feature=related
来日時のライブです。はじめて見ました。


  マイケル・フォーチュナティもイタリア人です。
  彼がもう5年早く生まれていたら、オザンナOsanna やIL BALLETTO DI BRONZOイル・バレット・ディ・ブロンゾのようなItarian Proressive Rockに名を連ねていたかもしれません。 

Michael is an Italian, too.
If he was born early for five years, he may have played Itarian Proressive Rock such as Osanna or IL BALLETTO DI BRONZO.







2010年05月01日

GW 号外! ミスター・ダイナマイト 今日の1曲 <170>  James Brown

P1010065.JPG
LP & 7”single JAMES BROWN / Out Of Sight
20年前のVHSビデオ


<170> ジェームス・ブラウンJAMES BROWN /
アウト・オブ・サイトOut Of Sight & ナイト・トレイン Night Train 1964年



〜 GW 号外! ミスター・ダイナマイト 〜
        MR.Dynamite!


  すごいビデオが高画質、高音質でみつかりました!!

  JAMES BROWNがFunk革命を起こしたと評価されるアウト・オブ・サイトOut Of SightのTAMIショーでの歴史的映像です。
  メロディーではなく、強烈なリズムの”間”を主体にした音楽です。

  JBが作り出した音楽が、今、巷で流れているダンス・ミュージック、JPOP、HIPHOP、R&B、トランス、SOUL、ROCK、果てはIl Balletto di Bronzo、Can、Golden Cups、村八分、山下達郎など世界に与えた影響は計り知れない。

  すべての音楽ファン必見!

  ぜひ、ヘッドホンでこの迫力を堪能してください。

  おかげさまで私は、胃もたれが直りました。

I found a wonderful high-resolution video!
It is a historic picture of Out Of Sight that JAMES BROWN caused a Funk revolution.This is the music that made strong rhythm the subject not a melody.
JB had a great influence on the world, such as, all Dance music, Japanese POP, HIPHOP, R & B, Trans, Techno, SOUL, ROCK, the end Il Balletto di Bronzo, Can, Golden Cups…



ジェームス・ブラウンJAMES BROWN /
アウト・オブ・サイトOut Of Sight & ナイト・トレイン Night Train 1964年
http://www.youtube.com/watch?v=BVnGTLtUNgo&feature=related

20年前、初めてこのビデオを見たときの衝撃は忘れられない。

0:15 出だしからカッコイイ!
1:35 スピンを世界で初めて取り入れたのがJB。凄いキレである。
2:05 これだけ動いて音程が全くぶれない。
2:30 この足の動きは誰も真似できない!!
3:25 Night Trainで最後の気力を振り絞る。
   この曲の前に、ダウンしたボクサーが何度も立ち上がることをイメージした“マントショー”が繰り広げられ、JBはすでにボロボロの状態なのです。

5:20 6:20 Rolling Stonesを見に来たはずの「白人」の女の子たちを「黒人」が初めて虜にしてしまった歴史的瞬間。公民権運動全盛の1964年の出来事である。Michael JacksonがいかにJBを崇拝していたかが理解できる。
7:40 精根尽き果てたJBが座り込む。これは演出ではない。
この後、トリのRolling Stonesは、観衆の興奮が収まらず、しばらくステージに出れなかった。

For enthusiasm to JB of audience, Rolling Stones which was going to appear after this was not able to appear in the stage for a while.

ロックの王様Elvis Presleyもこのテレビに釘づけになり、繰り返しビデオを研究した。
この後、Rolling Stones もElvis PresleyもJBの親友になった。
Elvis Presleyが死んだとき、JBは棺のElvisにキスしたといいます。

Both Rolling Stones and Elvis Presley became the close friend of JB after this.
When Elvis Presley was wasted, it is said that JB kissed Elvis of the coffin.

Out Of Sightオリジナル・ジャケット






2010年04月29日

立ち上がれ六本木 〜 母 〜 六本木Gaspanic 今日の1曲 <167> James Brown <168>  John Lennon  <169> Rihanna

P1010063.JPG
7”Single James Brown / Mother Popcorn
John Lennon Museum
マザーポップコーンは2回目だったと後になって気づいた…

<167> ジェームス・ブラウンJames Brown / マザーポップコーンMother Popcorn 1969年 
<168> ジョンレノンJohn Lennon / マザーMother 1970年
<169> リアーナ Rihanna / ドント・ストップ・ザ・ミュージック 2008年



〜 立ち上がれ六本木 〜 母 〜 
Stand Up Roppongi! 〜 Mother 


映画 バブルへGO! HP
http://www.go-bubble.com/index.html

バブル時代の元気な頃の六本木、懐かしのスクエアビルも出てくる映画

800兆円の借金をかかえ破綻の危機に瀕した日本を救うため、財務省大臣官房経済政策課の下川路(阿部寛)は、ある計画を進めていた。
それは1990年にタイムスリップし、"バブル破壊"を止め、歴史を作り変えるという仰天プラン! バブル破壊は食い止められるのか!?


毎週のように踊りに行っています。

立ち上がれ日本。

まず、日本の元気は六本木から。

経済が衰えても、気は充実。

今日もぶっ飛んだるでえ〜っ!!

I go to dance almost every week.
Stand up Japanese spirit, at first from Roppongi!!
Even if Japanese economy declines, my mind is filled up.

先週の新沼謙治と同様、ジェームス・ブラウンJames Brownは私にとって永遠の師である。

ダンスはテクニックではなく、ソウルであり気であるということを教えてくれた。

James Brown is a teacher for me eternally.
He taught me that dancing needs not only Technique, but Soul.


ジェームス・ブラウンJames Brown  wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3


James Brown - Mother Popcorn (You got to have a mother for me)1969年
http://www.youtube.com/watch?v=j2OrJWCoonM&feature=related
気力で突っ走る。ラストがカッコいい映像。
幼少の頃に母親と別れたJBが叫ぶ、母のいない子供には母親の愛情が必要だとのメッセージソング。
ジョンレノンJohn Lennon / マザーMotherの先駆けともいえる。
ラップの元祖とも言えるのではないでしょうか。

JB who parted from mother in his childhood cries. I can say it is the pioneer of John Lennon / Mother.

James Brown - Mashed Potato Popcorn (Parts 1 & 2)
http://www.youtube.com/watch?v=7e1b2OIj3-w&feature=related
リズムを強調した別ヴァージョン

Mother Popcornのライブを収録した全盛期の作品



ジョンレノンJohn Lennon / マザーMother 1970年
http://www.youtube.com/watch?v=vTkc1aKAVYY
最後の悲痛な叫びはJBのようだ。

ジョンレノン Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3

ジョンレノン John Lennon Museum
http://www.taisei.co.jp/museum/







〜 六本木Gaspanic 〜



  というわけで先週は六本木に行きました。
  毎回のようで恐縮ですが、六本木は寂れてしまったなあ。

  FLOWERに行ったのですが、今日は貸切。そこで、急遽、Gaspanicに変更です。
  Gaspanic99は、実は前回、ラテン・クラブCafé Latinoの後に寄ったことがある。

I went to Club Gaspanic Roppongi Tokyo last week.
I was disappointed that Roppongi has been deserted.


Inside of club Gaspanic99 店内 
http://www.youtube.com/watch?v=Mhvk5ol4r60&NR=1&feature=fvwp

Gaspanic99 Information
http://www.sunnypages.jp/travel_guide/tokyo_nightlife/dance_clubs/Gaspanic++Roppongi/1181


  今回は、表通りのGaspanicに初チャレンジ。

Inside 表通りのGaspanic 店内
http://www.youtube.com/watch?v=elb3UKDR4e4

Gaspanic 地図 Information
http://www.roppongi.info/S12417.html



  トイレに入ると

「プロのスリが店内にいます。責任持ちません」の大きな張り紙がデンジャラス。

  背広からTシャツに着替えます。ズボンも履き替えてヨッコラショ。

  われながらアホなおっさんだ。

  でもいいんです。

  私にはこれしかないんです。

I enter the restroom. There is a dangerous poster.
“Professional pickpocket in club! We do not have responsibility!”
I change a suit into a T-shirt. I am a foolish old bird. But I’m so happy.

  今日も時間無制限1本勝負である。
  挨拶は抜きだ。ガンガン踊るぞ。

  曲はHIPHOPが中心です。
  リアーナRihanna / Dont stop the music で一番乗れました。
  いいなあこの曲。
  たまに速い曲がくると水を得た魚状態で踊れます。
  キャンペーンギャルの2人組も近くに見にきてくれた。

I danced hard. I was able to get in Rihanna / Dont stop the music most.
Campaign gal came to look at me near.

Rihanna / Dont stop the music live 2008年
http://www.youtube.com/watch?v=-Oi2FifNOTg&feature=related
今回はライブ映像です。
Dont stop the music はMichael Jackson をサンプリングしています。そしてMichael Jacksonの師匠こそJames Brown!

Rihanna / Don't Stop The Music Live in Japan
http://www.youtube.com/watch?v=btXizH7hHTU&feature=related
日本にも来てたんですね。






  Gaspanicは、外人が多いと聞いていたのですが、

  たしかにワンサカと来る。



  しかしですよ



  野郎ばっかじゃ、しょうがねえべ〜〜!!

  とほほ。

  オーストラリアの金髪ギャルに囲まれた夜が懐かしいなあ。

I heard that there were many foreigners in Gaspanic.
However.
Almost only guy…
I remembered night among Australian blond gals.






2010年04月24日

チューリップ 〜 渋谷ATOM10 〜 師・渋谷ものがたり 今日の1曲 <165> クインシー・ジョーンズ <166> 新沼謙治

P1010057.JPG
チューリップ、シングル盤 新沼謙治 / おもいで岬、Atomのフライヤー
Single Kenji Niinuma / Omoidemisaki、A tulip, a fryer of Club Atom
クリックすると画像が大きくなります(Please click the photograph, then it grows big.)

<165> クインシー・ジョーンズQuincy Jones / 愛のコリーダ Ai No Corrida 1981年
<166>  新沼謙治 Kenji Niinuma / おもいで岬 Omoide Misaki (Cape of memory)1976年
     新沼謙治 / 嫁に来ないか 1976年
     新沼謙治 / 渋谷ものがたり 1990年



〜 チューリップ Tulip 渋谷ATOM 10 〜



  暖かくなってきました。
  しかし、41年ぶりの雪には、チューリップもたまげたでしょう。

It became warm. However, in Tokyo of April for the first time in 41 years, it snowed. Tulip would be surprised at the snow.

  先週の土曜日は、同業の弁護士の講演会を聞きにいきました。その弁護士は業界の「切れ者」という感じがして、あまり良いイメージを持っていなかったのですが、実際に話を聞いてみるといい人でした。
  閉塞状況にある日本だけでなく、世界を見渡したポジティブで前向きな思考で、悲観的になりがちな自分にはよい刺激になりました。

  講演会が長引き、終演後、例のごとく私は走って渋谷に向かった。
  そうです。Club Atomです。
  イギー・ポップを目指し、皮下脂肪を燃焼させるのだ!
  悲壮な使命感に燃え、私は道玄坂を駆け上った。

After the lecture of the lawyer, I went in Club Atom on the run.
To be Iggy Pop, I burn subcutaneous fat!


Club Atom HP  Shibuya, Tokyo
http://clubatom.com/event-report/


Club Atom 店内映像 Inside of Club Atom, Shibuya, Tokyo 
http://www.youtube.com/watch?v=nb9czNFEouc&NR=1


Club Atomへの道 Road to Atom
http://www.youtube.com/watch?v=qWH0dfepEnM&feature=related


  はじめ、いきなり乗りのいいラテンハウスがかかっていたので、準備運動なしに最初から飛ばしました。

  懐かしいクインシー・ジョーンズの愛のコリーダがかかりました。

クインシー・ジョーンズ wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA


クインシー・ジョーンズQuincy Jones / 愛のコリーダ Ai No Corrida
http://www.youtube.com/watch?v=EYVId9zziD8&feature=PlayList&p=51CC78676B9C17CC&playnext_from=PL&playnext=1&index=18
ドラムやベースなどのリズム楽器だけでなくて、歌やホーンセクションのカウンターメロディーも打楽器のように使われている。これにより複雑なリズムが構築され、ダンスも万華鏡のように変化させることができるのです。





  3人組の元気なお兄ちゃんたちが笑いながら「アンタいいよ!イエーイ!」と言って寄ってきてハイタッチしました。
  これだからATOMは面白い。

  一人のお兄ちゃんがメチャクチャに飛び跳ねるダンスで挑発してくるので、こっちも応戦して暴れた。
  もう2時間もやってるのでへとへとやで。前屈みで息をゼーゼーです。もうかんべんしてくれ〜の状態。
  「オレさ〜、来年○×歳なんだよね」と言ったら、急に真面目な顔になって「どうも!」と挨拶され、3人と握手をされて帰りました。

  ギャルが一人近寄ってきて、私のお腹をさわっていきました。
  私のダンスも復活の兆しがでてきたぞと希望が見えてきた!
  最近は、階段は一段飛ばしで走って鍛えています。

Three cheerful boys came laughing and shouting to me. This is why ATOM is so interesting.
Because one boys provoked it by a dance, I fought back and acted violently.
Because I had already done it for two hours, I was tired. I shook hands with three boys and returned.
One girl approached me and touched my body. My dance was able to see hope! I strengthen my foot on the run recently in stairs.


クインシー・ジョーンズ自伝  貧困、人種差別、発狂した母親といった生い立ちから、ジャズの巨人たちとの交流、前人未到のマイケル・ジャクソン「スリラー」制作に至るまで一気に読ませる。憧れのチャーリー・パーカーとの出会いと裏切り、ダニー・ハサウェイDonny Hathawayの苦悩と自殺など、興味深かった。去年、DTMの作曲の学校に通っていた頃、大きな刺激を受けた本です。
Quincy Jones autobiography.  Including, poverty, racial discrimination, mad mother, interchange with Charlie Parker and Jazz giants, Michael Jackson, suicide of Donny Hathaway …








〜 師・渋谷ものがたり 〜
The Teacher ・ Story of Shibuya



  新沼謙治は、私が人生の師と仰ぎ、最も敬愛する歌手の一人です。
1976年に「おもいで岬」でデビュー。幸運にも彼は、デビュー曲で成功し、いわゆる「苦節何年」という下積みはない。しかし、彼は、決して成功に驕ることはなかった。

Kenji Niinuma is one of the singers whom I love and respect most. I look up to him as the teacher of the life.
He succeeded in debut song in 1976. However, he was always modest. He has a gentle heart to love doves.

新沼謙治 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B2%BC%E8%AC%99%E6%B2%BB


新沼謙治 Kenji Niinuma  / おもいで岬 Omoide Misaki (Cape of memory)
http://www.youtube.com/watch?v=5uOEy-1wGGk&feature=related
チロ・ダミコ、イギーポップの次に新沼謙治という展開にも無理があるかもしれない。
それでも私は新沼謙治を強く押していく。

新沼謙治 / おもいで岬 Omoide Misaki  LIVE
http://www.youtube.com/watch?v=-9ZLOOKfBr8&feature=related
おばあちゃん、おじいちゃんたちと握手する姿にも純朴な人柄が表れている。
30年前のデビュー曲のカラオケを使って、同じキーで歌っている。
日ごろの努力の現れであろう。
He is a hard worker, and he has pure personality.





  私は、新沼謙治を人生の師と仰いでいます。

  忘れられない事件があります。

  おもいで岬で新沼謙治は、1976年レコード大賞新人賞を受賞した。
  この年末のレコード大賞新人賞の本番ステージで、司会者が、こともあろうに新沼謙治を「角川博さん」と紹介してしまったのである。
  司会者にとっては一世一代の大失態。
  新沼にとっては大迷惑である。

  誰もが固唾を呑んだ瞬間、新沼はどうしたか? 
  なんと、新沼謙治は、田舎者もろだしのイントネーションで

  「おら〜、にぃ〜ぬまダァッ!」

 と言い返し、爆笑を誘ってその場をフォローしてしまったのである。
  もし、新沼が「いいえ、違います!」「私は新沼です!」などと言っていたら、司会者は恥をかくとともに、クレームがついたり処分されたのではないか。

  新沼は、自分を笑い者にしてまで司会者を救った。
  私は新沼謙治に自己犠牲の精神を見ました。

There was an unforgettable case.
An emcee failed on the stage of the record grand prix rookie of the year title in 1976.
Niinuma saved the emcee at once by making Niinuma himself a laughingstock. I watched mind of the self-sacrifice in Kenji Niinuma.

新沼謙治 / 嫁に来ないか Do not you come for my bride? 1976年   
http://www.youtube.com/watch?v=w8vEvwH5QPQ
1976年紅白歌合戦より。イケメンでありながらこの親しみやすさ。




  そして、再び、ある本の中で、私は新沼謙治に出会いました。

  それは、私が会社をやめようと悩んでいたときに出会った早瀬圭一「転職 男が迷うとき飛ぶとき」という本でした。
  その本のなかに、生方恵一という元NHKのチーフアナウンサーで民放に転職した人のエピソードがありました。




  生方アナは、1984年の紅白歌合戦の総合司会を務めました。視聴率が80%を超えたその年のハイライトは引退する都はるみの場面でした。  そこで、生方アナは、都はるみを美空ひばりと取り違えて「み・そ・ら…」と言ってしまったのです。
  この有名な「みそら事件」で、生方アナは大阪に左遷された。

  生方アナは、生きがいだった人気番組「歌謡ホール」も降ろされることになりました。
  最後の「歌謡ホール」の収録先で、出演する歌手たちもショックを受けていました。
  そこで、新沼謙治は、このような言葉を生方アナにかけたのです。



「…どうやら生方アナの移動が本当らしいとわかると、石川さゆりは声を殺して泣きはじめた。

  『人生いろんなことがある。こけら落としの使い初めのステージが生方さんの最後の舞台というのは縁起がいい。生方さん大阪へ行かれてもきっといいことがありますよ』

  新沼謙治がわざとおどけるように応じた。しめっぽくなったその場の雰囲気を変えなんとか明るく盛り上げようとしている。いい奴だなあ、生方は目頭が熱くなった。…」



  17人の転職者の話を集めたこの本の中で、生方アナの章は最後のトリでした。そして、その章の中で著者自身も実は毎日新聞で大任を降ろされ左遷されたショックを告白している。
  そのような重要な最終章の中で、新沼謙治の言葉は、希望の光のように当時転職で悩んでいた私の心を射抜いた。
  こんな場面で私は、このような言葉をとっさにかけられるだろうか。おそらく、下を向いて黙っているだけだろう。

  それ以来、新沼謙治は私にとって人生の師となった。

  私は新沼謙治の出演するテレビ番組で、彼の発言を食い入るように追い続けました。
  彼が言葉を発するだけで私の心は癒されるようになりました。

And I met Kenji Niinuma in a book again. There was the famous case that the most famous announcer failed in the biggest singing TV program in Japan 1984. The announcer was demoted. Therefore Kenji Niinuma gave warm humorous words to the announcer. The announcer was impressed and shed tears.
Thereafter Kenji Niinuma became the teacher of the life for me.
I continued chasing him by the TV program which Kenji Niinuma appeared.
My heart came to be healed only by his issuing words.



  そして、1990年、新沼謙治は「渋谷ものがたり」を発表した。
  表向きは明るく見えても、実は孤独な渋谷の若者たちの心象風景を描いたものでした。
  「ついにやったな、新沼さん」と私は思いました。

  それはまた、左官を止め、岩手県から一人上京した新沼さんの若き日々と重なるものでもありました。

  彼こそ、宮沢賢治の後継者と呼ぶにふさわしいと私は思うのです。

  新沼さんの心の中にはいつも「渋谷ものがたり」と渋谷の若者に対する想いがある。

  新沼さんの想いを胸に、また、私は独り渋谷に踊りに向かうでしょう。

In 1990, Kenji Niinuma released Story of Shibuya. He sings a lonely heart of youths in Shibuya.
There is always thought for the youth of Shibuya in the heart of Niinuma.
Therefore I will go to Shibuya to dance alone again.





渋谷ものがたり 歌詞
http://j-lyric.net/cd/zB00077DAGC/t36633.html
「渋谷ものがたり」は、彼の最後の紅白歌合戦出場曲(13回目)となりました。


「渋谷ものがたり」の試聴はこちらで可能です。



2010年03月13日

ミカドMikado  今日の1曲 <152> チャイコフスキー Tchaikovsky / 花のワルツ

P1010023.JPG
伊藤道郎総指揮歌劇「ミカド」の大阪公演のパンフレット 昭和24年
Pamphlet of “Mikado” (Sir Arthur Seymour Sullivan & Sir William Schwenck Gilbert) total conducted by Michio Ito ,1949
サンスターがスポンサー


<152> チャイコフスキー Tchaikovsky / 花のワルツWalz of flower



  私の憧れのダンサー、伊藤道郎が総指揮を担当した「ミカド」の昭和24年と思われるパンフレットが手に入りました。

Michio Ito is the dancer whom I have a crush on. I bought the pamphlet of Opera"Mikado" which he conducted.


歌劇ミカド Opera Mikado Finale
http://www.youtube.com/watch?v=ahfRrWhI2d4


伊藤道郎 Michio Ito wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E9%81%93%E9%83%8E

Michio Itō  wikipedia in English
http://en.wikipedia.org/wiki/Michio_It%C5%8D


  10年ぐらい前、テレビ番組「アメリカに夢を売った男 伊藤道郎」を見ました。戦前にアメリカでこれだけ評価された日本人芸術家がいたことを初めて知って感動しました。
  私の祖父も戦前にアメリカに留学したのですが、祖父がやっとアパートをみつけたら、他の住人は「黄色い日本人が来た」と言って全員出て行ってしまったそうです。
  1920年代はアメリカで一番人種差別の強かったとも言われる時代でした。ですから、伊藤道郎のダンスそのものよりも彼の目的を実現する意志の強さに驚きました。

When I knew that there was a successful Japanese artist in U.S.A. before World War II by a TV program for the first time, I was impressed. My grandfather went to U.S.A. to study before World War II , too and had a hard time. Because it was 1920's when the racial discrimination was strong in U.S.A., I was surprised at strength of the will of Michio Ito.


  ちょうどyoutubeで、テレビ番組「アメリカに夢を売った男 伊藤道郎」が挙がっていました。


アメリカに夢を売った男 伊藤道郎 1 幻のアーニーパイル劇場
http://www.youtube.com/watch?v=KAiq2rsjgcs&feature=related
You tube“Michio Ito ,The man who sold a dream to U.S.A.”

アメリカに夢を売った男 伊藤道郎 3 ニューヨーク「ミカド」公演
http://www.youtube.com/watch?v=rof2L5AquHw&feature=related
伊藤道郎のダンスが再現されています。Michio Ito in New York

アメリカに夢を売った男 伊藤道郎 6 ハリウッド・ボウル公演〜日米開戦
http://www.youtube.com/watch?v=XfJKWZO8qTk&feature=related
開戦後、道郎は日系人収容所に1年9ヶ月囚われてしまいます。
Michio Ito in Hollywood Bowl & WWU



伊藤道郎総指揮「ミカド」のパンフレットより
「喜歌劇の古典としてのミカド 伊藤道郎」
『これが今度始めて大阪で上演される運びになつたことは何よりも嬉しいことである。
 二年前、私はこの作品をアーニーパイル劇場で演出した。けれどもそれは進駐軍将兵を対象としたものであった。今度こそ全部日本人の手によつて日本人に見せる作品として演出できることに私は新たな情熱を感じる。』

From the pamphlet of "the mikado"
- A mikado as the classic of the comic opera. - By Michio Ito.
"I feel new passion this time that I can direct MIKADO as a work to show Japanese by Japanese "


  去年、ベトナム戦争に行ったことがあり、その後メロトロンを使用した世界中のマニアが探している幻のLPを作った音楽スクールの先生から「27年前にニューヨークへ行ってダンサーになればよかったのになあ」と言われました。
  若い頃だったらアメリカ人が腰を抜かすようなことができたかもしれないと後悔しました。しかし、年をとってしまいましたが、これからも即興ダンスによる表現を自分なりに追究したいと思います。

Last year, the teacher of the music school who went for Vietnam War said to me,” You should have gone to New York 27 years ago and should have become a dancer.”
I regret that I may surprise American in my youth. I got old, but want to investigate expression by the impromptu dance from now on.

  ダンスにちなんで、今日の1曲は、再び、チャイコフスキー Tchaikovsky / 花のワルツ。
  私がバレエ音楽で美しいと思えるのは、花のワルツと白鳥の湖。何度聴いても癒されます。
In connection with a dance, today's one piece, is Waltz of flower by Tchaikovsky again.

チャイコフスキー Tchaikovsky / 花のワルツWaltz of flower
http://www.youtube.com/watch?v=Jg9LLL0eCHA&feature=fvw



2010年03月06日

青春のロック Rock of youth 新大久保Club Voice 今日の1曲 <150> オザンナ Osanna <151> ビヨルンとベニー(アバ)ABBA 

P1010024.JPG
Right: 7'single of ABBA / 恋のウォータールー Waterloo
Left: オザンナ来日公演チラシOsanna handbill of the visit to Japan  

<150> オザンナ Osanna / L’uomo(男)1971年
<151> ビヨルンとベニー(アバ)ABBA / 恋のウォータールー Waterloo 1974年


新大久保Club Voice, Tokyo HP
http://clubvoice.jp/main.html


  先週、同僚の弁護士がボーカルのバンドのライブに行って来ました。彼らは1番手。音楽は「社会人の心情を歌った歌です」と大人のロックを志向しているようでした。バンドのメンバーはベテランで演奏は安定していました。ボーカルは他のバンドもそうですが、大音量の中では聞き取りにくかったものの、生き生きと歌っていました。

  2番目の高校生バンドがとんがっていてよかったので、私が調子よく最前列で踊っていたら、高校生などが嬉しそうに私の周りに集まってきました。彼らは、私の踊るとおりに真似をして踊りだしました。

  「お名前は?」と聞かれたので、私が「△△です」というと、彼らは「俺たちは△△軍団だ!」と叫んで20人ぐらいで暴れだしました。
  もー、めちゃくちゃ。サイコーっす。
  「何なんだ!この一体感は危険だ!」と彼らも興奮している。

I went to watch the band of the lawyer of the fellow worker last week at Club Voice, Tokyo.
When I danced because the second band was good, high school students gathered around me. They imitated me and have begun to dance. We cried and have begun to act violently with around 20.

  疲れ果てて座っていたら、最後の5番目のパンクバンドのリーダーと名乗る人が声を掛けてきました。「なんとか最後まで残って、僕たちのときもこんな感じで盛り上げてもらえないでしょうか?」と頼まれたのです。

  「わかりました。やりましょう。」私は約束しました。

  女の子から「何歳ですか?」と聞かれたので
  「すいません…歳ですうー」と答えると、彼女のお父さんより年上だった。
  トホホ。

When I was tired and sat down, I was engaged by the leader of the fifth punk band.
He said,“Please stay till the last, and please heap up our band.”

  3番目のバンドのときも「△△軍団だ!」と叫びながら、踊り狂いました。ぶっとんでいる。
  私は、手旗信号、ロッキング、阿波踊り、ぱらぱら、ヒップホップ、ラジオ体操など、ありとあらゆる技を駆使して彼らを煽動しました。そして、バンドを挑発し続ける。
  そうだ! もっと狂え! ロックは燃える青春だぜい!

  3番目のバンドの演奏が終わると、リーダーから「こんなに盛り上がったのは初めてです!」と感謝されて彼らのCDをもらいました。
  「いつもどのあたりのライブハウスに行かれるのでしょうか?」と聞かれたので
  「いやあ、いつもはAtomとか…」
  「Atom…?」
  「ヒップホップとかのとこですよ」
  うーん、ロックバンドの人たちになるとAtomも知らないんですね。

We cried at the the third band and danced. It vanishes. When the performance of the third band is over、the reader said,”It is the first time that swelled so much". He thanked and gave me their CD.


  またステージの端に座ってへばっていたら、
  振り向くと4番目のヘビメタはオザンナOsannaみたいにどぎつい衣装。
  「おー、かっこいいじゃん!」と思わず、言ってしまった。

  さっそく演奏が始まったので、ガンガン踊り始めた。私はあえてヘビメタでKrumpやヒップホップに挑戦しました。ぶっとんだるでえー!
  横の女の子2人が必死に私の踊りを真似している。
  バンドからどうもノリがあわないと苦情が出たので、ヘビメタ・ダンスに切り替えました。頭を縦に振るやつですね。

  2番目のバンドのドラムスで「チリでは地震でたくさん人が死んでいるのに、自分はこれから受験。これでよいのか?…」とMCで言っていた若者が踊っていました。
  私は、かつて、あの伝説のタコ八郎が、ストリップ劇場のステージで「ベトナムで人が死んでいるのに、私はこれでいいのだろうか?」と語ったというエピソードを思い出しました。

  その若者は、私を越えようと過激なダンスに挑み、フロアーに力尽きて倒れてしまいました。
  私は、こんな若者がいる限り、まだまだ日本は捨てたものではないと感動しました。

  4番目のバンドが終わった後、ボーカルの女の子がアンケートをとっていたので、「あなたたち、個性があっていいから、このバンドを聞いてごらん」と言って、オザンナOsannaの今日もらった来日公演のチラシをあげました。

At the fourth band, I challenged Krump and hip-hop in heavy metal daringly.
A youth said “Though a lot of people are dead by an earthquake in Chile, is myself good in this?” He danced and has fallen down to the floor at the end of the tether. I was impressed by being still such a youth in Japan.
Because the girl of the vocal took the questionnaire, I put up the handbill of the visit to Japan performance of Italian rock band Osanna.

オザンナ Osanna / L’uomo(男)1971年
http://www.youtube.com/watch?v=cAWQVkLyv3A
ナポリが生んだ稀有のロックバンド。百聞は一見にしかず。映像をご覧ください。世界で初めて化粧したバンド?
この時代のイタリアでは奇跡的なカラー映像。
ヘッドホンで特に哀愁あるベースに集中して聞いてみてください。
詞はサルトルの実存主義の影響を受けているとか。

オザンナ Osanna 紹介サイト
http://www4.plala.or.jp/ganqtan/Kagyu/doa2b.html





  続いていよいよ最後の5番目のパンクです。
  X-Japanのような高速パンクだ。
  私に応援を依頼したドラマーは、初めはリズムが他と合わず心配しました。
  しかし、会場の声援の一体感が、彼にグルーブ感を与えました。
  いつのまにか4番目のヘビメタ軍団も私の隣で踊り狂っている。
  最後になるほど、テンションは上がり、はじめとは雲泥の差。
  無事終了しました。
  
  ドラマーのお母さんらしき70歳くらいの女性が、カメラを持って応援している姿が微笑ましかったです。
  精根尽き果てたドラマーに「すごいよかったよ!!」と声をかけて会場を去りました。
  高校生軍団が「今日は一日ありがとうございました」と挨拶に来てくれました。試験を頑張るように言いました。



  おかげで翌週は全身筋肉痛です。


Rhythm did not fit the drummer of the fifth band at the start.
However, encouragement gave him a feeling of groove. Finally the tension went up indeed. It was finished safely.
The figure which the mother of the drummer supported was heartwarming.
 I called out to the drummer who lost all his energy and left the club.

Next week, I are muscular pains from head to foot.

  いくつかのバンドのメンバーと話していて、あまり音楽を聞き込んでいないなあという印象を受けました。日本のロックも村八分とかフラワー・トラベリン・バンドなども全然知らないようでした。
  パンクばかりでなく、クラシックとかアバなど多様な音楽を聞き込めば、音に広がりが出るのになあと思いました。

I talked with the members of the bands and thought that they did not to hear much music. They did not know Japanese great rock bands like Murahatibu or Flower travellin’band.
If they heard various music not only Punk, but also classical music or ABBA, I thought that an expanse came out for a sound.


  そこで、今日の1曲は、ビヨルンとベニー(アバ) の「恋のウォータールー」。中学時代の懐かしのヒット曲です。この日、偶然立ち寄った古本屋で、幸運にも300円でみつけました。今、プレミアで5000円ぐらいします。

ビヨルンとベニー(アバ)ABBA / 恋のウォータールー Waterloo 1974年  
http://www.youtube.com/watch?v=wGs7dTjUsXw&feature=related
1974年のユ−ロヴィジョン・コンテスト(年に1回、ヨーロッパ各国代表による歌のコンテスト)優勝曲。
アバの出世作であり、Dancing Queenと並ぶ最高傑作。
私は、これこそEarth&Fireやルネッサンスをも凌駕する女性ボーカルをフィーチャーしたプログレッシブ・ロックだと思います。




2010年02月27日

目標1.5キロ 渋谷Atom\ 六本木クレオパラツィ 今日の1曲 <148> リアーナRihanna    <149> マイケル・ジャクソンMichael Jackson

<148> リアーナRihanna / ドント・ストップ・ザ・ミュージックDon't Stop The Music   
<149> マイケル・ジャクソンMichael Jackson / スタート・サムシング Wanna Be Startin' Somethin'



〜 目標1.5キロ 渋谷Atom\ 〜


渋谷Atom Tokyo, Shibuya HP
http://clubatom.com/event-report/


  1月に少年鑑別所で○○ちゃんが「腹筋を100回やっています」と言ったのに刺激を受けて、その後少年院を訪問したとき、○○ちゃんに「自分ももう一度史上最強のダンサーを目指す」と誓いました。
  しかし、現実は駄目駄目で、いつのまにか体重が今年に入って6キロも太っている。
  おやじ街道まっしぐらだ。

  そこで、先週土曜日に、体重1.5キロ減量を目標にAtomに踊りに行きました。
  この前、事務所でヒップホップのダンスインストラクターをしていた女性にどんなクラブに行くのかと聞かれたので、「Atomとか・・・」と言ったら「若っ・・」と言われました。20代前半までしか行かないらしい。
  しかし、減量のためには行かねばならない。

  今回は、減量という目標があるので、ハウス・トランスのフロアーで2時間ノルマを守って踊りました。1曲ごとにステップも振りも変えるのですが、今回は、アフリカンビートなどもかかって面白かった。
  やっぱりAtomはいいなあ。
  Krumpにハワイアンを混ぜる反則とか楽しませてもらいました。
  パラパラから→阿波踊り→ロッキング→ポッピングと変化させるのも気持ちよかった。

  100人位いるお客さんは誰も踊っていなくて一人で踊らせてもらいました。
  シャドーボクシングのダンスをしたらギャル男君が近くに寄って見にきた。
  えーよ、面白かったらどんどん見てって。
  腰にガンガン来るファンクが最後のほうでかかったので大喜び。
  脛がつりそうになったので止めることにしました。
  おっさんがフロアーで倒れたらさすがに恥ずかしいです。

  6階と4階でも踊って、帰るときに5階でリアーナRihannaがかかっていました。
  マイケル・ジャクソンMichael Jacksonのスタート・サムシングWanna Be Startin' Somethin'を大胆に使用した新しさと懐かしさが同居した曲です。


  1時に帰宅して、体重計に乗ると、目標どおり「1.5キロ」落ちていました。おもわず万歳をしました。

My weight increased by 6 kilos from last September.
Therefore I went to Club Atom in Shibuya Tokyo to dance to reduce 1.5 kilos weight.
For 2 hours 30 minutes, I danced desperately. According to the aim, I was able to reduce the weight 1.5 kilos.
Rihanna / Don't Stop The Music uses Michael Jackson / Wanna Be Startin' Somethin'. So I feel newness and nostalgia.

リアーナRihanna / ドント・ストップ・ザ・ミュージックDon't Stop The Music
http://www.youtube.com/watch?v=yd8jh9QYfEs&feature=related
1億回の再生というのは凄いですね。昔からのマイケル・ジャクソンMichael Jacksonのファンも聴いているのでしょう。






〜 六本木クレオパラッツィCleo Parazzi 〜



  マイケル・ジャクソンMichael Jacksonの話題がでたところで、今回は時は1982年、六本木のクレオパラッツィCleo Parazziの昔話です。

  クレオパラッツィは中箱のクラブの元祖と言われています。クレオとも呼ばれました。それまでのディスコは大きな通りに面した目立つビルにありました。クレオパラッツィはドンキホーテのそばの裏道にありました。今だとWombのような隠れ家的なクラブの元祖ともいえます。
  
  1982年に開店した直後に、大学のクラスメートで六本木の有名な遊び人だったE君の誕生パーティーに呼ばれて11月ころ行きました。
  「ディスコとは全然違うなあ。」というのが第一印象。そのころ「クラブ」という言葉はまだなかったのですが、まさに「クラブ」のはしりだったと思います。
  今とは違い六本木は輝いていて、六本木に行くのはステータスと言う時代でした。

  E君は変わり者で、大阪大学で学生運動をやっていたら大学のブラックリストに載ってしまい、就職できないので私のいた大学に再入学したという経歴の持ち主。大学の教室に、まだ新しかったスケートボードに乗ってきたり話題に事欠かきませんでした。
  彼とは1年生の入学時のとき、なぜか「Tangerine Dreamの1stはいい」というようなことで話が合いました。それから2年経ってクレオパラッツィでE君と再会しました。

  E君は、浴衣を着てテーブルの上で踊り、相変わらずだなあと思いました。
  私は端っこの方でそんな様子を立って見ていたのですが、何人かの見知らぬ人から「もう踊らないんですか?」と声をかけられました。
  その頃、奇妙なことが続いていました。大学や渋谷で女の子が体を触りに来たり、大学で知らない人に声をかけられたり、街でお兄ちゃんたちに冷やかされたり因縁をつけられました。私が「なんだろう?」と思って近づくとお兄ちゃんたちは逃げてしまいました。
  見知らぬ人から「もう踊らないんですか?」と言われて、ああやっぱり六本木で踊っていたことが原因だったのかとわかりました。知らないうちに私は六本木の有名人になっていたのでした。

  1982年の7月〜8月頃、私は生まれて初めて六本木のディスコに一人で踊りに行きました。
  人生の目標を失って破れかぶれになっていたころでした。

  踊りの振りなど何も知らないので、私はいかに自分の体を速く動かすかだけに集中しました。4ビートや8ビートでも、32ビートや64ビートだと思って切り刻んで踊りました。
  私が踊っていると、外国人の女の子たちが「ウオー!」と興奮して騒ぎ出し、殺人事件でも起きたように「ギャー!」と叫び声をあげました。
  そのとき、私は自分が地球上で一番速いスピードで踊っているのだと思っていました。その半年後に、マイケル・ジャクソンを初めて見たときも自分の方が2倍速く踊れると思いました。

  9月に入り涼しくなったある日、踊っていて「もうこれ以上速く体を動かせない。限界だ。」と思ったとき、急に踊る情熱を失くしました。2〜3日に1回ぐらい一人で通っていたディスコに、それから全く行かなくなりました。

  11月にクレオパラッツィに行ったときも、踊る情熱は全くなく、人生の目的もみつからない私は、ただぼんやりと店内に流れる音楽を聴いていました。私に「もう踊らないんですか?」と尋ねた人は私が踊るのをスクエアビルかどこかで見たのでしょう。私は、彼の質問に対して夢遊病者のように黙ってうなずいただけでした。

  そこで、マイケル・ジャクソンMichael Jackson / スタート・サムシングWanna Be Startin' Somethin'を初めて聞きました。それまでに聞いたことのないダンスビートであり鮮烈なサウンドでした。

  それは機械的・無機的であり、それまでの人間的・有機的な黒人ソウルのイメージとはかけ離れたものでした。こんな斬新な曲がLPスリラーのA面の1曲に入れられているという事実も新しい時代の到来を感じさせるものでした。
  
  その晩、クレオパラッツィに居た客たちは、マイケル・ジャクソンのスタート・サムシングのビートについていくことができませんでした。


Cleo Parazzi is called one of the ancestor of “Club” in Japan. There were “Discoteque”s in the outstanding place in those days. However, there was Cleo Parazzi in the back street. I went right after Cleo Parazzi opened in autumn 1982. It was status in those days to go to Roppongi. 
At the time of summer 1982, I thought that perhaps I danced at the fastest speed on the earth. When I danced, girls of foreigner began to often make noise in excitement and cried shrilly as a murder case happened. I was called a famous dancer in Roppongi before I knew it.
At Cleo Parazzi、I heard Michael Jackson / Wanna Be Startin' Somethin' for the first time. It was a new dance beat, and it was vivid sound. 


マイケル・ジャクソンMichael Jackson / スタート・サムシング Wanna Be Startin' Somethin'
http://www.youtube.com/watch?v=dPTsmswQVwg
1億枚のセールスを記録した「スリラー」の1曲目。






2010年02月11日

ラテンに挑戦 六本木Café Latino 今日の1曲 <146> バリー・マニロウ Barry Manilow

 <146> バリー・マニロウBarry Manilow / コパカバーナCopacabana 1978年


六本木Café Latino HP Tokyo, Roppongi
http://www.elcafelatino.com/jpn/frame.html

  六本木のCafé Latinoというラテンのクラブに行ってきました。
  六本木で綺麗な外人女性がいる場所との情報を得て、オーストラリアの栄光よ再び、と意気込んで乗り込んだのですが・・・

  行くなら土曜と言われたので、9時ごろ入るともう満員。綺麗な金髪のおねえさんも端の方にいました。
  で、普段なら「よ〜し、あのおねえさんが目標だ。見ておれ。」と思って踊るのですが、どうも様子が違う。
  カップルで踊る人が多いなあ、と思ったのですが、というか、カップルでしか踊ってないじゃん。

  10時になると下のフロアーも開いたので、踊るスペースがあるので「よーし、ラテンのメレンゲとかサルサでヒップホップやハウスに挑戦だ!」と一人で踊り始めました。
  で、相変わらず、周りで踊ってるのはカップルばかり。しかも常連さんのようだ。
  声をかけてくるのは、「ドリンクを注文しないか」と言うラテンの陽気なウェイターさんばかり。
  遠慮して端の方で踊ってるのに、やたらとぶつかってくるカップルがいて、「踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損損」をモットーとする私もさすがにこの状況には降参だ。
  一汗かいたところで、店を出ました。


  でも、ラテン・クラブは最近のクラブにはない良さがある。
  昔のディスコはチークタイムというのがありまして、スローな曲が2曲ぐらいかかる間に女の子に声をかけて一緒に踊るのです。私のような引っ込み思案でも、1回やってみましたが、断られなかったです。
  次に行くときはラテンの基本ステップを覚えてからの方がよさそうです。そうすれば、うーん、綺麗な金髪のおねえさんとも踊れるかもしれません。

  ラテン・クラブは女性に出会いたいという方には、チャンスかもしれません。
  でもラテンのリズムに乗れないという方は社交ダンスのほうがよいでしょう。

I went to a club of Latin called Cafe Latino Tokyo,Roppongi.
I got information that there were beautiful women and I was determined and got in it.
At about 9:00 of Saturday, the club is already full. There were some beautiful women.
However, they dance only by a couple.
I challenged to dance hip-hop and house in merengue or salsa of Latin alone.
I sweated and left the shop.
I learn basic step of the Latin if I go again. I may dance with the beautiful latin girl if I do so it.
The Latin club may be a chance for a person to want to meet a woman.


そこで、今回はバリー・マニロウのラテンの名曲です。

バリー・マニロウBarry Manilow  wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%AD%E3%82%A6
ずっとラテン系の人かと思っていたら、先祖はユダヤ系のロシア人だったんですね。



バリー・マニロウBarry Manilow / コパカバーナCopacabana -
http://www.youtube.com/watch?v=hgnHEyeMECc
古きよき時代の映画をフル活用したすばらしい映像。
Youtubeで最近発見した中でも出色の出来。


バリー・マニロウBarry Manilow / コパカバーナCopacabana Slow version
http://www.youtube.com/watch?v=4XJvAXnEw-4&feature=related
年老いたダンサーが過去を回想するというストーリー(私のことってか?)。
明るいリズムだが実はマイナーで哀しみを帯びている。そんなラテンの魅力がつまった名曲。
A story that an aged dancer recollects a past.
It is bright rhythm, but, in fact, is sad. There is the charm of the Latin music.





2009年11月23日

THIS IS IT 今日の1曲 <124> マイケル・ジャクソンMichael Jackson

 <124> マイケル・ジャクソンMichael Jackson / マン・イン・ザ・ミラーMan In The Mirror


  『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(Michael Jackson's This Is It)は、2009年公開のドキュメンタリー映画です。
  映画興行成績1位で、27日までなので行かねばまずいと思って昨日見てきました。

  一昨日の夜は、都心じゃないから大丈夫と思っていた立川の夜の回に駆け込んだものの満員。慌てて橋本まで行って、こんな田舎ならと思ったら夜の回はすでに満員。「翌日の昼の回も前の方しか空いてません」と言われ、予約しました。
  こんな状態ですので、見に行く人は十分気をつけてください。以下、ネタばれありです。



THIS IS IT HP
http://www.sonypictures.jp/movies/michaeljacksonthisisit/



  Rolling Stonesの映画「Shine a light」のとき(今日の1曲 <51>)のように最前列の真ん中に座って、踊りながら見るつもりで期待していたが、Rolling Stonesのときのような興奮は得られなかった。映画館を出ても、寂しさのようなものしか残らなかった。
  理由として、@MJの死によって急遽作られたものであり、初めからMartin Scorseseが映画化するために準備した「Shine a light」とは事情が異なること、A私の場合、普段からMJの過去の若いころの映像を見ているので年齢的な衰えがすぐにわかったこと、BMJの年齢的な衰えを舞台装置や衣装、そして大観衆からの歓声の反響で補う予定だったと思われるが、リハーサル段階であること、Cダンスの内容もMJによる過去のMJのコピーのようで、Rolling Stones特にMick Jaggerに感じられた宿命や創造性に対する執念がそれほど感じられなかったこと、Dコンサートで予定されていた、Martin Luther Kingの演説を流すシーンが見られなかったこと、などが挙げられる。

  よかったと思えたのは、クラブでMJの高速スピンをどうしても真似できなかったのだが、MJ自身も年齢的にできなくなっていることがわかり(若いころの高速スピンの映像が一瞬出てくる)、あきらめがついたことぐらいだった。

  それでも、この映画を見ておいてよかったと、1日たって心底から感じている。

  この映画が伝えたかったことは、オーディションを受けに来た若者が目に涙を浮かべて言う「何かを探しているんだ。これがそれなんだ(This Is It)」という言葉に集約されている。
  これは「MJ」の「This Is It」コンサートに生涯の夢を実現しようとしたダンサー、ミュージシャン、舞台スタッフ、映画スタッフたちのための映画である。
  そして、一度でも「MJ」に夢を見ようとしたことのあるファンならば、必ず共感できる映画である。

To see this movie, I felt only loneliness yesterday.
But, now I feel that it was good to watch this movie from the bottom of heart.
The youth who came to take an audition had tears in eyes and said, “I'm looking for something in my life. This is it". What this movie wanted to convey is gathered by the words of him.
The dancers, the musicians, the stage staff, and the movie staff entrusted "MJ" with the dreams of their life. This movie is the record of their dreams.
And the fan with having had a dream with "MJ",will be able to be impressed by the movie.



マイケル・ジャクソンMichael Jackson / Man In The Mirror
http://www.youtube.com/watch?v=SgtWIx2zLtk&feature=related
with Mahatma Gandhi、JFK、Martin Luther King, Jr.、Mother Teresa、John Lennon…





2009年11月08日

もうすぐ忘年会〜渋谷The Room今日の1曲<119> 沢田研二Kenji Sawada <120> グロリア・エステファンGloria Estefan



<119> 沢田研二 / 勝手にしやがれ
<120> グロリア・エステファンGloria Estefan / リズムでゲット・ユーRhythm's gonna get you 1987年


〜もうすぐ忘年会


  昨日は、忘年会で歌とダンスの芸を二人でやるという業務命令が出たので、カラオケ館に行って選曲の打ち合わせをしました。やはり20歳も年が離れていると好きな音楽の傾向も違うなあとあらためて知りました。
  なんとか曲は、沢田研二の「勝手にしやがれ」に決まりました。バンドを組んでライブ活動もやっている同僚の弁護士が歌って、私がかぶりものをつけて踊ることになりました。


沢田研二 / 勝手にしやがれ
http://www.youtube.com/watch?v=4WK-Mw7MPw0


〜渋谷The Room〜


  カラオケのあと、渋谷のThe Roomに行きました。

The Room HP
http://www.theroom.jp/


  ここは、小箱といわれる80人ぐらいで満員になるようなクラブ。
  1年前も一度来ました。
  20年ぐらい前から、アシッドジャズに興味があったのですが、東京では今アシッドジャズをやっているのはここだけらしい。土曜日がそうらしいので初めて行ってみました。

  終電までに帰るので10時ごろ入ると、まだ空いていて踊るスペースもある。
  アシッドジャズの曲は予想していたものとは少し違う。
  まだ早い時間なので軽めのラテンや軽いファンクが多い。
  いろいろ癖のある曲がかかって面白い。
  20曲ぐらいだったら、20種類のリズムと30種類のフリを掛け合わせて600種類ぐらいのダンスが作れる。ラテン×舞踏とか、フラメンコ×Hiphopとか、意外な取り合わせも挑戦。しばらくワンマンショーでやらせてもらいました。

  今日の仕事も、滝のように涙を流すお客さんが2人続いてハードでした。最後は落ち着いて、一人は大笑いしてもらえたのでほっとしました。
  ガンガン踊ってトイレに行って鏡をみたらプールに行ったみたいに汗をかいていた。
  風邪をひかないようにシャツを着替えて帰りました。

  そこで、今日はラテンアメリカのスーパースター、グロリア・エステファンのラテンとポップスとファンクのフレーバーの混ざった名曲です。

グロリア・エステファンGloria Estefan / リズムでゲット・ユーRhythm's gonna get you
http://www.youtube.com/watch?v=3A7CVrBFC7M&feature=related
この曲もベースとバスドラムのリズム隊がいいので、ヘッドホンでお聞きください。
日本でもヒットしました。
クラブでもかからないかなあ。

同曲のライブ
http://www.youtube.com/watch?v=tdqNkWg0Dr8



2009年10月31日

〜銀座うた〜ハロウィン 渋谷NUTSU 今日の1曲 <114> プロコル・ハルムProcol Harum <115> アバ Abba <116> キーシャ・コールKeyshia Cole

P1010060.JPG
今年で閉店してしまうのが残念な渋谷NUTSのフライヤー


プロコル・ハルムProcol Harum / 青い影 A whiter shade of pale 1967年
アバ Abba / 恋のウォータールー Waterloo 1974年
キーシャ・コールKeyshia Cole / ラブLove 2008年



〜銀座うた〜


  かつての受験生の勉強会の仲間が飲み会を開いてくれました。
  16年前、八丁堀にあった勤労福祉会館で毎週ゼミをやった後、銀座の「うた」という安い汚い飲み屋に移動して慰労会のようなことをしていました。
  その「うた」がいまだに残っていて、懐かしいからそこで飲もうということになりました。
 
  「うた」で定番だった「ニンニク芽」「焼き鳥」をつまみながら昔話に花が咲きました。
  3人で話していたらなぜか音楽の話で盛り上がって、実は皆King CrimsonやPink Floydが好きだということがわかりました。やはり古い世代です。
  Aさんの髪の毛もすっかり薄くなってしまった。

 「あのオルガンの曲もいいよね。」
 「なんだっけ?」
 「え〜っと、プロコル・ハルムの 青い影でしょ?」


プロコル・ハルムProcol Harum / 青い影 A whiter shade of pale 1967年
http://www.youtube.com/watch?v=Mb3iPP-tHdA&feature=fvw
カラー・プロモーション
http://www.youtube.com/watch?v=PbWULu5_nXI&feature=related
白黒・演奏シーン
バッハを原曲にしたという超名曲。
以前、イギリスで「1960年代のベストソング」にビートルズを抜いて選ばれていました。
ユーミンが最も影響を受けたグループでもあります。





  「うた」の後、Aさんが銀座のクラブに連れて行ってくれました。15年も前に合格しているので羽振りがいい。ずっと貧乏人生だった私にはうらやましい限りです。
  クラブにいくと定番のカラオケを歌ったり、ママさんの武勇伝を聞かされたりして面白かった。
  カラオケは「銀座の恋の物語」をホステスさんと歌うことになってしまいました。どうしても前川清になってしまい、石原裕次郎には程遠い。


  お店の中では、ずっとアバAbbaがBGMで流れていました。
  アバの良さを再認識しました。


アバ Abba / 恋のウォータールー Waterloo
http://www.youtube.com/watch?v=wGs7dTjUsXw
1974年のユーロヴィジョン・コンテスト(ヨーロッパ各国代表が威信をかけて競った歌合戦)の優勝曲。
ポップでかつ奥が深い名曲。これもクラシック音楽がベースでしょう。
日本ではまだあまりブレークしてなかったころなので、シングル盤は5000円ぐらいします。




〜ハロウィン 渋谷NUTSU



  銀座のクラブで飲んでいたらいつの間にか終電に間に合わなくなってしまいました。
  毎度のパターンで、朝までクラブに行って踊ることにしました。今度は踊るほうのクラブです。
  こういうときに備えて着替えのTシャツとズボンは用意してきた。
  「ダンスが趣味です」というと「社交ダンスですか?」ときかれます。「いえ、あの〜Hiphopとかなんです」と答えると「え〜??」と言われるのがいつものパターン。おやじなので仕方ないですが。

  渋谷までタクシーで行きました。
  Camelotに行くと、今日もハロウィンで大混雑という感じです。踊れそうもないので今回もあきらめ。
  そこでAxxcisに行くと、今日はHiphopです。
  Hiphopだったら、しばらくNUTSに行ってなかったので、Hiphop箱のNUTSに行ってみることにしました。

  去年NUTSに行ったとき東西ダンスバトルがあって面白かったので、期待していきました。
  まあそんなに混んでないだろうと思ってドアを開けると、こちらもハロウィンで人がびっしり。
  (ひえ〜踊れんぞ。どうすりゃよかんべ?)と思いましたが、入ってしまったので仕方ない。

  中では、Hiphopのライブをやっていました。
  よ〜し、3000円払ったんだから前の方で見ていくぞ!と見ていたら、これがとてもよかった。
  Hiphopのライブを見るのは18年ぶりぐらいだが、昔と違って音がよく練れていて迫力がある。
  ラップも詩が前向きのものや、風刺ものがあったりよく考えられている。
  MCも以前吉本興業のライブを見たときより面白くて元気になる。

  E.D.Oというグループがメインだったらしい。
  彼らが出てきたら、おしくら饅頭の状態になりました。
  あっちに押したりこっちに押したりで実にリズミカル。
  隣から、お酒が回ってきたりで最高に盛り上がりました。

E.D.O HP
http://www.edo37.com/index.html
どこか昔のブルーハーツに通じるものを感じます。


  ライブが終わると、人が空いてきたのでガンガン踊ることにしました。
  Michael Jacksonの3連発とか出てきたので徹底的にやらざるをえない。
  「蛍」というイベントでしたが、なんとNUTSは今年で閉まってしまうらしい。
  とても音のいいクラブなので残念です。
  最後は、スローな曲が続いて終わりました。
  外は朝6時、夜明けがすがすがしかったです。


キーシャ・コールKeyshia Cole / ラブLove
http://www.youtube.com/watch?v=X8QEMFKQ4WM
最後にメローな1曲を


 


2009年10月24日

手  渋谷AtomZ 〜 六本木WITH 今日の1曲 <114> マドンナMadonna

P1010057.JPG
イントゥー・ザ・グルーブのシングル盤
左は通常盤:右はプロモ−ション盤
何ヶ所違うところがあるか探してみてください。
(クリックすると画像が大きくなります)

マドンナMadonna / イントゥー・ザ・グルーブ Get Into The Groove 1985年


〜 手 渋谷AtomZ 〜


  先週踊りに行かなかったので、今週は気合が入りました。
  通勤のときも、できる限り走るようにして体力の維持に努めています。
  来月は24年ぶりに海外旅行に行くので、海外での予期せぬダンスバトルに備え、強化月間としてAtomに行くことにしました。


Atom HP
http://clubatom.com/event-report/


  Atomのボディーチェックは相変わらず厳しくて、最近は黒人のセキュリティーさんも駆り出されていますが、事件を未然に防ぐためにも頑張っていただきたいものです。
  老化のせいかロッカーにお金を入れたまま、5階のエントランスに行ってしまいました。また1階に戻ってロッカーを開けてお金を出しました。

  Atomの5階はHouseの面白いものがかかっていたので、まだお客さんもいませんが踊ることにしました。
  以前の5階はMix Tranceでトランスだけだと思いましたが、HPを見ると最近はMix Trance、House、Popsに変わっています。やはり、Houseが今は主流になっているのでしょう。
  
  2週間も間が開いてトレーニングもしていないと体力の衰えがひしひしと感じられます。
  体力の衰えは技と緩急で補うしかありません。Houseの場合、Tranceのようにリズムが単調ではないので、曲が変わるだけで自然にバリエーションをつけられます。
  足を何度かつりそうになりました。肉離れが怖くて消極的になりました。
  それでも若い人が私のダンスを気に入ってくれたらしく、前に来て挨拶してくれました。
  インド人の人も来ました。国際交流です。
 
  6階のサイケデリックトランスは変わっていなくて、こちらは外人さんが多い。  


5階でかかった懐かしいPopsのヒット曲です。
サバイバー Survivor - Eye Of The Tiger
http://www.youtube.com/watch?v=Mu9xx5Ri278


  6階のHiphopのフロアーに行くと、ちょうどミュージックビデオで黒人ダンサーが踊っていたので、それを真似して踊ることにしました。
  Hiphopの基本は、まずダウンビートの体でのリズム取りですが、黒人ダンサーの手の表現も面白い。
  踊っていたらHiphop少年たちがワイワイと応援してくれて楽しかったです。
  「兄貴〜!」とか言われたのは初めてです。「傷だらけの天使」のショーケンと水谷豊みたいです。

「傷だらけの天使」オープニング
http://www.youtube.com/watch?v=rO3HAXyuL9g
前回のテンプターズに続いてショーケンです。

  「兄貴〜、手の動きがいいっすよ〜!」と言われました。
  「そうか、手だ!」 
  足は何十キロの体重を支えていて、常に怪我の危険にさらされていますが、手にはそのような負担はない。
  先日も講演会で耳の聞こえない弁護士のために手話の人がついていました。難解な法律用語さえ手話で伝えられる。昔のダンスは手で神への祈りを表現していました。
  手には、まだまだ可能性がある! 
  Hiphop少年のおかげで気づくことができました。



〜 六本木WITH 〜



  Atomの5階は昔のヒット曲も流れるようになり、MadonnaやMichael JacksonのHouse Mixバージョンが懐かしい。
  やはり、全盛期のMadonnaやMichael Jacksonは楽曲の良さでダンスミュージックの中でも群を抜いています。
  マドンナMadonnaの曲の中でも個人的には最高作のひとつと思うイントゥー・ザ・グルーブがかかりました。



マドンナMadonna - Get into the Groove - Ciao Italia
http://www.youtube.com/watch?v=MmC-58TJqyE&feature=related
マドンナの両親の故郷、イタリアでの全盛期のライブ



  イントゥー・ザ・グルーブが出た1985年ころ、会社の同僚とよく六本木のディスコに行きました。
  私は、一人で踊りに行く主義なのですが、このころだけは皆で踊って一緒に営業の成績が上がらないストレスを発散しました。
  まだ、バブルになる前でしたが、六本木は東京で一番華やかで別世界のようでした。
  
  ディスコWITHは六本木交差点のそばで、アマンドの少し先に入り口がありました。昔からある花屋さんの地下だったようで、ここの息子さんとは中学のとき野球部で少し一緒だったことがありました。
  WITHは'80年代初期から'80年代後半まであったようです。
  フロアーが広めで天井が低かったような記憶があります。Hiphopのラッパー、ジブラの自伝を読んでいたら彼もWITHに行っていたようです。

  1985年ごろは、Pops黄金時代とダンスミュージックがシンクロしていました。テレビのミュージックビデオ、ラジオや街で流れる皆が知っている馴染みのヒット曲がダンスフロアーを盛り上げる良き時代でした。
  一緒にWITHに行ったHo君やHa君はあの後結婚して今頃どうしているのかなあ。





2009年10月10日

六本木FlowerV 渋谷WombY 今日の1曲 <109> ブラック・サバスBlack Sabbath <110> ウェザー・リポートWeather Report

<109> ブラック・サバスBlack Sabbath/ パラノイドParanoid 1970年 全英1位
<110> ウェザー・リポートWeather Report / お前のしるし A Remark You Made 1977年



〜 六本木FlowerV 〜


Flower HP
http://www.roppongi-flower.jp/

  先週末は六本木Flowerに行きました。
  仕事をしているとしんどそうなお客さんに何人も会ったり、相手との駆け引きがあってストレスが溜まります。仕事が終わると着替えて踊りに行きます。
  前回Flowerは、せっかく近寄ってきた金髪モデルギャルに阿波踊りを披露したら笑って逃げられてしまったので、雪辱を果たすと戦いに臨んだわけです。

  10:00近くでまだ人はほとんどいませんが、ガンガンやることにしました。
  ここのスピーカーの音は大好きです。
  この時間帯はレゲエとHiphop。日本人にはダンススクールでも行かないとこれらのリズムで踊るのはまだきついようで、ほとんど誰も踊ろうとしません。ワンマンショーのようになってしまいました。
  黒人音楽のリズムと白人のモダンダンスに日本の能のようなものを混ぜようと試みました。

  今回は、特に「静止」をテーマにしてみました。
  黒人音楽のリズムが連続している「動態」からあえて突然「静止」してみるのです。
  能の間合いのようなもの。
  デタラメといえばデタラメなのですが、すべてのダンスの創造の根源はデタラメ、言い換えれば偶然の産物ともいえる。

  終電間際になって帰ろうとしたら、選曲がハードロックになりました。もっと踊りたいなあと未練を感じつつ最後のあだ花に高速過激ステップを踏んで、家路を急ぎました。



そこでハードロックの超名曲を。演奏は2:00から。

ブラック・サバスBlack Sabbath/ Paranoid
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=b89KG9zDpNU&feature=related
重いビートはFunkからの影響、Hiphopにも通じるものを感じる。
オジー・オズボーンの「ダンス」も単なる「振り付け」ではない根源的なもので素晴らしい。
ハードロックの映像の中でも優れものだと思います。ヘッドホンでどうぞ。






〜 渋谷WombX 〜


Womb HP
http://www.womb.co.jp/


  昨日は、事務所の事務員さん3人の送別会があり、二次会の後、終電で家へ帰れなくなりました。
  この際、ビジネスホテルで寝るより朝までダンスに行くべえと電車とタクシーを乗り継いで渋谷に行きました。運転手さんと江夏とか野球の話で盛り上がったら料金をまけてくれました。

  はじめはCamelotが目的でした。ここのDJさんの評判がいいので夜中のHouseを体験できるいい機会と思ったのですが、4周年のイベントで踊るには混んでそうだったので残念ながらパス。
  円山町に移動して、VuenosとAsia、ハーレムが前から気になっていたのですが、今日はサラリーマンスーツだったこともあり、パス。
  残る選択肢はAtomとWomb。 Wombで朝まで踊ったことがなかったのでこっちにしてみました。
  今日はHouseのイベントとのこと。会員になっていたので、3500円が2500円になりホクホクです。
 
  2階のメインフロアー、4階以外に1階のラウンジも開いていていい感じ。
  昼の空いている時は2階のメインフロアーで踊るのですが、今回は混んでいるのと照明が暗いので人の足を踏んでしまいそうでした。
  そこで今回は4階と1階で踊ることにしました。
  4階はラテンやジャズっぽいHouseでいい感じ。他の人たちは話しているだけですが、もったいないなあと一人でガンガン踊りました。
  
(追記 帰ってから気づいたのですが、2階のフロアーは有名なEMMAというDJが一人で廻していたようです。15年以上前から気になっていたDJでした。さすがにフロアーを盛り上げていましたが、昔聴いたCDの時代と比べるとメロディアスなHouseが減って個人的には少し淋しい気がしました。)

  1階は、わかりやすい選曲でフロアーごとに色があって面白い。
  おばかさんがビールをかけている。おかげでフロアーが滑って回転スピンや高速ステップが楽にできて面白いことになりました。陽気な外人さんが寄ってきたので一緒に踊りました。
  
  渋谷では5時になるとどこのクラブも終わってしまうようでした。
  Atom帰りのギャルなどがたむろしていました。


ダンス明けの後は頭が軽くなります。
夜明けのイメージにこの1曲を。

ウェザー・リポートWeather Report - A Remark You Made
http://www.youtube.com/watch?v=InZq9TR6SKQ&feature=fvw
ベースを脇役から主役にした革命児Jaco Pastorius が別の叙情的な側面を見せた0:40、5:55の美しい名演を是非聴いてみてください。

Jaco Pastorius wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%82%B9



2009年09月26日

晩夏の海Y おもいでの夏 渋谷ATOMY 今日の1曲 <106>  Shaniceシャニース  <107>  Marvin Gaye マーヴィン・ゲイ <108> Michel Legrand ミシェル・ルグラン

<106> Shaniceシャニース / I Love Your Smileアイ・ラヴ・ユア・スマイル 1991年
<107> Marvin Gaye マーヴィン・ゲイ / Sexual Healing セクシュアル・ヒーリング
<108> Michel Legrand ミシェル・ルグラン / おもいでの夏

〜 渋谷ATOMY 〜
http://clubatom.com/guide/


  連休中に前から気になっていたATOMのSUNDAY TRANCEに行ってみました。
  日曜出勤が終わり、マックのトイレで着替えをして直行です。
  ATOMに行くと元気になります。

  5階に行くとTranceかと思ったらHouseでした。
  気持ちのよい曲がつながっていい感じです。曲名がわからないのが残念。1時間半ステップを変えて踊りました。体力が落ちてきたのを実感。工藤投手もついに戦力外通告。自分もがんばらないといけません。

  6階に行くと古い曲がかかっていました。
  シャニースとか昔のR&Bは超明るい。
  ATOMだと必ず若い人が寄ってくるので楽しい。
  できればもっと食いついてきて欲しいのですが。ダンスバトルがしたいです。

Shaniceシャニース / I Love Your Smileアイ・ラヴ・ユア・スマイル 1991年
http://www.youtube.com/watch?v=QGXxcSdsXJ4
途中でさりげなくドビュッシーが入るところなど小技が憎い。





〜 渋谷Camelot 〜
http://www.clubcamelot.jp/modules/tinyd10/index.php?id=1


  久しぶりにCamelotに行きました。
  スーツだと傷むので、着替えのズボンを持っていきました。
  いつも土曜に行っていたのですが、金曜日はメインフロアーがHouseでなくて予想外。いつも会うダンサーの人にきいたらAll Mixだそうです。
  はじめはR&Bでしたが、12時ころにはTranceみたいな音になっていました。R&BのときにあえてHouseで踊るとバリエーションが増えます。

  Technoのフロアーもタップやフラメンコのイメージで踊るとリズム取りの訓練になってとても楽しい。

  土曜にHipHopがかかるフロアーは、古いアメリカンポップスがかかっていてこれも予想外。
  どんな音楽でも踊るのがモットーなので踊ってみるとなかなか面白い。
  だんだん黒っぽい音に変わっていって、12時ころにはHiphopになっていました。

Marvin Gaye マーヴィン・ゲイ / Sexual Healing セクシュアル・ヒーリング
http://www.youtube.com/watch?v=GVTN5o9Kgu8
マーヴィン・ゲイは本当に歌が上手い。まったりしていい感じです。





〜 晩夏の海6 おもいでの夏 〜


 27度ぐらいの晩夏が続いています。
 いよいよ夏も終わりですね。
 今回は古いサントラを。

Michel Legrand ミシェル・ルグラン / おもいでの夏Summer of '42
http://www.youtube.com/watch?v=mEzH0FuL8qo
高校生のころ名画座(300円〜600円ぐらいで2本〜3本見れた映画館)で見ました。
年上の女性に憧れる胸キュン映画。
昔10歳上の美しいダンサーに憧れたことがありました。





2009年09月19日

渋谷道玄坂GASPANIC〜ウキウキワクワク・エンターテイメントショー 今日の1曲 <104> Beyonce ビヨンセ <105> Missy Elliot ミッシー・エリオット

P1010055.JPG
姪っ子2人と甥からFAXがきました。


<104> Beyonce ビヨンセ / Ring the Alarm
<105> Missy Elliot ミッシー・エリオット/ Lose control


渋谷道玄坂GASPANIC HP
http://www.gaspanic.co.jp/


  今月から弁護士になりました。  
  やっと山の頂上にたどり着いたと思ったら、落とし穴にはまって谷底に墜落というとんでもない目にも遭いました。20年かかりました。
先月ATOMで会った元気な若者が20歳だったので、彼が生まれる前から続けていたことになります。
  果たしてこれが人生の選択として正しかったのか疑問に思うこの頃ですが、なんとかひとつ目標を越えられました。
  祖母や応援してくれた周りの人たちが喜んでくれたのが嬉しかったです。

  仕事は新しく覚えなければならないことが多く、疲れの溜まる毎日です。
  仕事中「クラブにいくぞ」と思うと元気になります。
  先週お台場で歓迎会があり、若い人と話をしていたら、ATOMには十代のころには行ったが今は行かないという人が何人かいました。私は、そんなことには構わず、その後無性にATOMに行きたくなったので渋谷に向かいました。

  もう11時半になっていたので、ATOMの外は大行列。
  予定を変更して道玄坂GASPANICに初めて行ってみました。
  ここは入場料無料ですが、ドリンクをすぐに買う必要があります。

  道玄坂GASPANICはセンター街GASPANICと同様、HIPHOPとレゲエがかかるようです。
  帽子を被ったHIPHOP少年が何人かガンガン踊っていていい感じです。
  600円でウーロン茶を買って、早速終電まで短時間集中して踊ることにしました。
  いつもの調子でHIPHOPのリズムでも、ハウスやロッキングなどなんでもいろいろ混ぜていきます。
  踊るちらし寿司というところでしょうか。
  HIPHOP少年たちも踊るのを止めて私を見物しています。
  いい汗をかいて終電で帰りました。

  この一年は踊りのおかげで回復しました。
  これからもガンガン踊るつもりです。


Beyonceビヨンセ  しりもち
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=XGy15cWe1Z4&NR=1
元気一杯のビヨンセ、気合いが入るあまり転んでしまいました。

Beyonce / Ring the Alarm
http://www.youtube.com/watch?v=l2xY9h4vOKY&feature=related
上の映像の長尺版。ビヨンセのパワーは素晴らしい。






〜ウキウキワクワク・エンターテイメントショー〜


  今日、図書館の帰りにロビーに出たら、高校生らしき3人が踊っていました。
  いいところに出くわしました。
  「ウキウキワクワク・エンターテイメントショー」の垂れ幕が。
  ポッピングが流行っていると聞いていたのですが、ポッピングを中心にいろいろやっていました。
  James Brownのようなスプリット(股割り)もやったりしてやるなあと思いました。
  見ているのは小学校低学年ぐらいの子供たちです。
  やはりいつの時代もブレイキングが受けます。
  これだけは怪我が怖くて真似ができない。若さには勝てません。
  あん馬のような技を決めると歓声が上がりました。

  3人の出番が終わると、今度は見ていた子供たちが20人ぐらい前に出てきました。
  今流行のキッズ・ヒップホップの発表会のようです。
  子供の習い事で一番人気があるのがキッズ・ヒップホップだそうです。
  子供は吸収が早くて、いろんな振りを見せてくれます。
  ちびっ子にも勝てないなあと思いました。

  よく見ていると、子供たちの中にも本当にダンスが好きな子と、ママにやらされて仕方なくやっている子がいることがわかる。
  本当にダンスが好きな子は自分の番でなくても、体が動いて仕方がないという感じです。自分の番になると嬉しそうに飛び出してきます。
  イチローや藍ちゃんもそうですが、本当に好きなことに子供のころにめぐり合えるのが一番の幸せではないかと思いました。

  キッズ・ヒップホップでもかかる曲は大人と同じものです。
  ミッシー・エリオットの知っている曲がかかりました。


Missy Elliot ミッシー・エリオット/ Lose control
http://www.youtube.com/watch?v=khgIVMUvihg
  3年前ダンススクールの先生に、女性のヒップホップでダンスの練習に良いCDをたずねたら、ミッシー・エリオットのCOOKBOOKを薦められました。
  全編通してビヨンセよりもずっと黒っぽくて、かつ曲のクオリティーが高く、ダンス用のみならず素晴らしい作品だと思います。



2009年08月23日

明日へのターン 渋谷AxxcisU 今日の1曲 <101> ジャクソン5 Jackson 5

<101> ジャクソン5 Jackson 5 / I Want You Back 


  渋谷のAxxcisに半年振りに行きました。
  クラブに行くのは4週間ぶりなので、最近はジョギングで備えていました。クラブ通いも再開してから丁度1年になります。


Axxcis HP
http://www.axxcis.net/index.html

  Axxcisの週末も1000円のハッピータイムができ、Camelot, Atomのように3フロアーで楽しめるのでとても楽しかったです。

  2階はHIPHOPでした。前回の2月はHouseでした。
  ここの床はつるつるして靴が滑りやすいので、James BrownのPopcornのようなステップやターンが気持ちよくできます。靴も1年間のクラブ通いでボロボロなのですがなんとか持ちこたえました。

  4階はHouseでした。みんな踊っています。前回はR&B系でまったりして誰も踊っていませんでした。以前教わったダンススクールの先生が演出しているポールダンスやバレエなどのショーがありました。ショーは12時半以後ということなので3階に行ってみました。

  3階は前回はelectroだったのですが、予想に反して1970年代前半の濃いFunkがかかっていてびっくり仰天。しかも女の子がDJ。
  このFunkの時代にはダンスの決まりみたいなものはないので、独創的に勝手にガンガン踊ることにしました。珍しそうに私を見ている人たちがいました。その後も3階ではRockやグランジなどいろいろかかっていました。

  今回の3つのフロアーは、3つとも主催者が違うようでした。
  ということは、昔で言えば六本木のスクエアビルの8階と9階と10階のディスコを自由に行き来できる感じです。昔なら男4000円の入場料で×3=12000円だったのが、1000円で楽しめるのだから天国です。

  フロアーを行ったり来たりしながら、「これだ!」という曲がかかっていたら突撃隊でガンガン踊り、空いている椅子があれば休み、ショーがあれば見物と、姪っ子たちと回ったディズニーランドのようでした。4階で口を開けてソファーで寝ていたら、スクールでいつもおこられていたダンスの先生にまたおこられました。

  昔はDJとの間に敷居があったので、今までDJと話すという慣習がどうもわからなかったのですが、今日はじめてDJの人と「パソコンの作曲は難しいですねえ」などと話してみました。レコードでなくパソコンでスクラッチも操作していて、随分時代は変わったものだと思いました。針が飛ぶ心配もないわけですね。


− 再び Michael Jackson −


  4階で4時ころMichael Jacksonが連発でかかったときが強力でした。定番のビリー・ジーンが一番盛り上がりましたが、私としては腰にガンガンくるP.Y.Tが来たときは「やってくれるじゃないの」と思いました。さすがはベテランのDJさんです。

  スリラーが出た当時、日本の評論家の中には「黒人の魂を忘れた」といったような酷評をする人もありました。しかし、元ジャズミュージシャンのクインシー・ジョーンズが、Jazzのかっこよさ、フランスまで行って学んだクラシックの美しさをSoulに織り交ぜたところに名作スリラーの生命力の源があるように思いました。

  3階と2階でJackson5の同じ曲がかかったのがとても印象に残りました。
  James Brownの伝記では、初めてJackson5に会ったとき、彼らが礼儀などを厳しく躾けられていて感心したと書かれていました。しかし、実際には父親から暴力を振るわれていてMichael Jacksonが父親には遺産を渡さないという遺言を残していたという事実を先日知りました。
  そのような現実があったとしても、残されたMichaelのボーカルは子供なのに力強くて、クラブで大音量で聴いたとき勇気を与えてくれる生命力のようなものを感じました。2階でも歓声が上がっていました。

  あっという間に朝の5時が過ぎて終わりの時間になりました。
  久々に夜明けを見ました。


Jackson 5 - I Want You Back 1960年代
http://www.youtube.com/watch?v=WC-rkHXRPX4
MichaelはJames Brownのターンを既に身につけています。
James Brownの伝記でも、初めて会ったときからMichaelのダンスはとび抜けていたとあります。

Jackson 5 - I Want You Back 1972年のSoul Trainより
http://www.youtube.com/watch?v=N8Qko5m8oAw&feature=fvw
素人の中から選抜した「Soul Train dancer」も当時はレベルはあまり高くなかったことがわかる。
やはりビデオなどの教材ができてからダンサーの力がアップしたのでしょう。
そんな時代でもMichaelのダンスが傑出しているのは驚き。





2009年08月01日

走らないといかん 渋谷WOMB5 今日の1曲 <97> Michael Jackson 

P1010048.JPG
あの山超えて 谷越えて
夜のランニングコースは、昼見るときつく見えます。


<97> Michael Jackson / P.Y.T. 1982年


  久しぶりに渋谷のWOMBに行きました。
  もう半年もご無沙汰でした。
  WOMBは昨年の夏,久々のクラブ通いの発端になった場所です。

WOMB  HP
http://www.womb.co.jp/

WOMBは世界のDJが選ぶクラブの4位に選ばれています。
http://www.djmag.com/index.php?op=top100club&top100club_op=display&club_top_100_id=104&status=live&limit_num=100&page=1

メンバー登録しているので1000円で入れました。
午後の早い時間に行ったので,踊っている人は2〜3人しかいません。
貸切状態で万々歳です。

世界4位のスピーカーの前でストレッチします。
耳栓をして高音はシャットアウトしています。
低音のベースとバスドラムの津波が押し寄せてきます。

自分はダンスは波乗りと一緒だと思っています。
曲と曲のインターバルで汗を拭きながら,
次にどんな波が来るのか待っているときが一番わくわくします。

ハウスの日だったのですが,
エレクトロ,ラテン,アフリカン
いろんな形の波がやってくる。

基本は足のステップと腰で対応するのですが,
ボーカルや,スネアの小波が入ったりすると
手や指まで総動員して波に乗ります。

去年の夏にWOMBに行ったときは1時間半でバテテ
体力の衰えを実感しました。
あれから1年,ジョギングやジムで大分体力が戻りました。

もう一度,昔の飛んでいたときのようなステップを復活したいと思いつつ
また走らねばいけないと思う今日この頃です。
ジョギングやランニングマシーンで走るときにカセットを聴いています。

1月からジムで聞いていたのが,
バッハのマタイ受難曲の第1曲のリピートのテープ
これは,しんどいときに力が湧いてくる音楽です。

バッハ / マタイ受難曲 第1曲  カール・リヒター
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=b4Jecl_J1WQ&feature=related
マタイ受難曲は8種類聴きましたが,カール・リヒターとカラヤンがベストだと思いました。






それから,マイケル・ジャクソンの「スリラー」
これは捨て曲がなくて素晴らしい。走っていて楽しくなります。
クインシー・ジョーンズによると600曲の中から選んだ9曲だそうです。

「スリラー」の中で一番好きな曲がP.Y.T.です。
あの中ではあまり知られていないB面の4曲目。
WOMBの4階に行ったら,P.Y.T.をサンプリングした曲が流れて嬉しくなりました。

B面の4曲目といえば普通は捨て曲を使うところです。
人生も山あり谷ありで投げやりな気分になることもあります。
B面の4曲目あたりなら少しは休ませてくれと言いたくなるところです。

しかし「スリラー」では,Beat it(喧嘩)のあと
Human Natureでほっとしたところで
もう一度P.Y.T.で煽ってきます。

ランニングしていて苦しいときに
P.Y.T.が流れてくると
俄然やるきが出てきます。

今日もMichael Jacksonの特集テレビを見ました。
動きの切れとか独創性とか改めて驚きました。
どうしたらできるのかわからないスピンがあります。

Michael Jacksonの泊まったホテルの客室は
彼が練習で流した汗でビショビショだったそうです。
やはり基本は汗を流すことと教えられました。

今日はクラブに行かずに走ることにしました。
P.Y.T.を聴きながら。


Michael Jackson / P.Y.T.
http://www.youtube.com/watch?v=PdV7Kb1RG8Y




2009年06月28日

追悼 マイケル・ジャクソン 今日の1曲 <93> キング・クリムゾンKing Crimson

  一昨日はマイケル・ジャクソンMichael Jacksonのニュースで飛び起きました。
  ロンドンで50回もコンサートをやるときいて期待していたところだったのですが…
  試合を見たばかりだった“2代目タイガーマスク”三沢光晴選手に続いて、当ブログでも重要人物の訃報にショックです。James Brownと並んで一番私の好きなダンサーでした。

  先日読み終えたQuincy Jonesの自伝の中で、「スリラー」を作っていた頃、マイケル・ジャクソンがJames Brown、Sammy Davis Jr.  Fred Astaire、Gene Kellyを崇拝し、研究していたとありました。チーターやピューマのような動物の動きまでとりいれていたそうです。
  彼は、マルセル・マルソー(Marcel Marceau)のようなパントマイマーとも会っていました。彼には無限の引き出しがあったのだと思います。
  マイケル・ジャクソンがこれから年齢を重ねて激しい動きができなくなったときに、どのような引き出しを開けてくるのか楽しみでした。  それだけに残念です。

  「スリラー」が出たのは1982年でした。
  当時、今とは別の場所でワンフロアー位の大きさだった渋谷Tower Recordで「スリラー」の映像が流されました。
  ビデオ自体がまだ珍しい時代。そこにいきなり、今日でさえミュージックビデオの最高傑作と言われる「スリラー」に度肝を抜かれました。
  「これはいったいなんなんだ!?」と皆が見ていたのが昨日のようです。
  ボクシングなどのスポーツ以外で「黒人のダンスがかっこいい」という認識を日本で初めて一般に広めたのが彼でした。1981年の夏、私がディスコに狂っていたころは黒人のダンスのお手本のようなものはありませんでした。黒人兵が集まる小さなクラブは六本木にあったようです。James Brownも一部のマニアのものでした。

  今あらためて「スリラー」を見るとFred Astaire、Gene Kellyのような白人のダンスの動きからの影響がとても大きいと思います。
  マイケル・ジャクソンは1960年代のJames Brownのレビューから経歴をスタートしました。子供の頃から、白人が支配するショービジネスの世界に接してしまった彼は白人に対するコンプレックスが人一倍大きい最後の世代だったのだと思います。それ以前の世代はもっと大きな犠牲を払ってしまいましたが。
  しかし、彼が黒人のリズムの躍動感と白人のダンスの華麗さを融合させたことで、世界中で、それまでの「音楽は聴くもの」という認識が「音楽は見て聴くもの」に変わりました。

  昨日は渋谷のAtomに行き、追悼ダンスをしました。
  マイケル・ジャクソンのムーン・ウォークをしながら死者を弔う阿波踊りを捧げようと思いました。
  今日はガンガンいくぞとマイケル・ジャクソンのお師匠さんのJames Brownのステップなどで踊っていたら、ギャルの2人組が肩を叩いてきました。私の踊りの真似をしているというのです。過激な足のステップを真似して怪我でもされたらたいへんなので「それならマイケル・ジャクソンのために阿波踊りをおどりましょう」と一緒にハウスのリズムで阿波踊りをやりました。

  6階のHipHopのフロアーに行くとミュージックビデオが流れています。今の時代はいくらでも黒人のダンスのお手本があります。マイケル・ジャクソンの「スリラー」が出た当時、黒人のミュージックビデオ
はまだタブーとされていました。「スリラー」によってそれが初めて破られ、未来の黒人たちに道が開かれたのでした。
  Atomから帰るときエレベーターで親切な黒人のセキュリティーさんが送ってくれました。


今日の1曲 <93> キング・クリムゾンKing Crimson / ポセイドンのめざめIn The Wake Of Poseidon 1970年

  マイケル・ジャクソンへの追悼として、この曲の冒頭からのメロトロンの響きを捧げたいと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=ZbG751-7W0Q
  彼が亡くなる直前までリハーサルを行い、コンサートを予定していたイギリスのグループです。


  R.I.P. Michael Jackson





2009年06月02日

〜1周年〜音楽の夢〜六本木Flower2 今日の1曲 <88> <89> 

P1010019.JPG
戦後最大のアイドル天地真理のデビューシングル“水色の恋”
私の初めてのパソコンによる作曲,CDタイトル未定


今日の1曲

<88> 天地真理 /  水色の恋 1972年
<89> 自作 / タイトル未定 2009年
  Gouryella / Ligaya 2002年
Beyonce / Deja vu




〜 1周年 〜


  おかげさまでブログを始めて1年になりました。ご訪問いただきありがとうございます。
  世界一の会社が破産してしまったり大変な世の中ですが、なんとか今日1日を無事に生きられることに感謝したいと思います。
  最も初心者向けということで始めたSeeSaaブログ。たしかに他のブログの方が機能は充実しているのですが、写真付きで自分の日記ができるのは楽しいです。

  「今日の1曲」は太田裕美で始めたので、今回は戦後最大のアイドルで、白雪姫といわれた天地真理の哀愁漂う美しいデビュー曲です。彼女は私にとって初めての女神でした。小学校の頃、憧れたものです。

天地真理 / 水色の恋
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=cdqFXoVcYb8&feature=related
  一世を風靡した後、天地真理は悲劇に襲われ引退、変貌してコメディアンとして復活します。人生とはいかに困難なものか。私は天地真理から再び学ぶことになるのでした。






〜 音楽の夢 〜


  やっと30年来の作曲の夢を実現することが出来ました。
  4月から始めたパソコンによる作曲です。
  一度はあきらめた夢を実現できて幸せです。

  30年ぐらい前から作っていたメロディーにPCで編曲します。
  メロディーが裸の赤ん坊だとすると、どんどん洋服を着せて成長していく感じです。
  キーボードの和音がシャツで、ベースがズボンです。
  サンプリングされているかっこいいドラムのリズムを乗せると、スポーツカーに乗ったように走り出します。

  3年前、ダンススクールに行った目的も今流行しているリズムを体感したかったからでした。
  第1回の作品もトランスっぽいハウスのようなダンストラックにしました。2ヶ月間集中して、昨日CD作成にたどり着くことができたときは「やった〜」と叫びました。

  第1回の作品 / タイトル未定

  目標にしているGouryellaのLigayaにはかないませんが、自分としてもかなり良い出来で、先生からも素晴らしいと言われました。  
  2曲目は30年ぐらい前に作ったクリスマスソングです。昔書いた楽譜を見たら泣けてきました。何とか歌まで入れて形にしたいと思っています。

Gouryella / Ligaya
http://www.youtube.com/watch?v=oHesznHDEJg
この曲を挙げるのは3回目になります。



〜 六本木Flower2 〜


  先週は、再開した六本木のクラブFlowerに行きました。

六本木Flower HP
http://www.roppongi-flower.jp/

  音楽スクールの先生、生徒さんたちから「骨折しないように」と激励され、一人六本木にでかけました。
  27年前の六本木の夜は地下鉄の改札から通勤時間のような人だかりで、地上に出ると光がミラーボールのように眩しくてそこは「別世界」のように見えました。
  今の六本木に行くと、冷静に「ここも結局、街のひとつだったんだなあ」という印象です。
  六本木のシンボルのひとつだったアマンドのビルも壊されていました。

  六本木のFlowerに入ると、早い時間のせいか人が少ない。というか私だけ。
  メインフロアーに行くと、クラブで聞いたことのないようなアフリカンのトライバルなリズムがかかっていた。
  「なんじゃこれは? めちゃくちゃ面白い! これは踊らにゃソンソン」
  R&Bだったらしばらく雰囲気を味わおうかと思っていたのですが、準備運動もせずに踊ることにしました。
  ラテンぽいハウスが続いたり「こりゃ〜たまらん」 複雑なリズムほど体をひっかけられるのです。

  女の子のお客さんたちが入ってきたので選曲も普通のR&Bになりました。
  ここのスピーカーはいい音で1時間ぐらい踊ってるといい気分になりました。

  突然、私の前に外人の女性が「ワオー」と言って現れました。
  それも旅行客さんではなくモデルさんレベルの美女。
  感激した私は、(これは伝統芸による文化的サービスをしなくてはならない)と思い、一礼の後に「阿波踊り」と「どじょうすくい」を披露しました。
  しかし、それが裏目に出たのか、モデルさんはゲラゲラ笑って去って行きました。
  (あ〜あ、行っちゃったよ〜トホホ)私は頂から谷底に突き落とされました。
  でもあんな美女ににらまれたら緊張して踊れないからいいやと、悲しみを忘れて踊りました。
  いつのまにか、外人さんも多くて店も混んでいました。

  終電近くになったので帰ろうとするとBeyonceのDeja vuがかかったのでギリギリまでいました。
  ロッカーで着替えていたら、質素な格好をした若者が一人で入店するところでした。
  なんだか27年前の自分を思い出して、(がんばれ〜)と声をかけたい気分になりました。


Beyonce / Deja vu
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=v8Lhy2CXr3o&feature=related
これも好きなので、また挙げます。







2009年05月24日

六本木Nirvana 今日の1曲 <86> <87>

P1010012.JPG
Patti Austin とMadonna の7“シングル盤


今日の1曲 

<86> パティー・オースティン Patti Austin / Do You Love Me? 1981年
<87> マドンナ Madonna / イントゥー・ザ・グルーブGet Into The Groove 1985年



  前回から、「裸のラリーズ」について書こうと思ったのですが止めました。
  「裸のラリーズ」というと、知らない方は、小島よしおと江頭2:50のコンビみたいに思われそうですが、非常に重たいんですね。日本一重たいバンドだったといえるかもしれません。
  「裸のラリーズ」の想い出というと自分の心の古傷にも触れそうなので今回は止めにしました。考えていたらブログのスランプに陥りそうでした。



  4月から音楽スクールに通っています。
  先生からは「今日は踊りをせず家に帰って練習!」と言われるのですが、「いや〜、治療なんですよ」と言って、その後にダンスに行きます。

  渋谷のAtomとCamelotは相変わらず3つのフロアーがあって楽しいです。
  はじめにトランス、ハウスの平均的な「四つ打ち」ビートのフロアーでいろんなことを試してみます。
  2つめはヒップホップで、ここは黒人の「後乗り」の重いゆっくりしたビートです。スクリーンに映るバックダンサーが良い先生です。
  3つめはサイケ,テクノのフロアーで,ここは速くて予期しないビートが面白いです。
  あっと言う間に2時間が経ってしまいます。
  Atomでは帰ろうとしたら親切なギャルが「こっちのエレベーターが開いてますよー」と声をかけてくれました。



〜 六本木ナバーナNirvana 〜



  今回は,昔と同じ場所に復活したDisco,六本木ナバーナNirvanaに27年ぶりに行きました。


六本木Nirvana HP
http://www.nirvana08.net/index.html


  昔は,ここが日本のファッションや音楽の流行の最先端だった時期がありました。
  懐かしいなあと思いつつ行ってみました。

  もともとダンスに熱中したのは,踊っているといろいろなつらいことを忘れることができるからだったと思います。結局,自分の心の古傷に触れる旅になったような気がしましたが,それもよかったのかもしれません。

  ここもホームページから印刷していくと,曜日によって違うのですが,早い時間は1000円で入れます。

  音楽スクールの若い人と「昔は六本木がここみたいな感じだった」と渋谷を歩きながら,六本木に地下鉄大江戸線で直行しました。
 
  ナバーナの入り口は昔と同じ雰囲気でした。
  入場してロッカーで着替えているとパティー・オースティンの大好きな曲が聞こえてきました。
  「わ〜,これで踊らせてくれ〜」と思ったのですが,間に合いませんでした。


  Michael Jacksonをスーパースターにした全盛期のQuincy Jonesプロデュース
  めちゃかっこいいオリジナル音源はこんな感じです。
http://www.youtube.com/watch?v=Eao8mHTPJXA&feature=related

Patti Austin / Do You Love Me? ダンスチャート1位 1981年
http://www.youtube.com/watch?v=5q3OzxY7PNw
  ライブ映像。曲は2:37から。




  ナバーナのフロアーは昔と比べるとダンスフロアーが狭くなって話すスペースが広くなり,落ち着いた印象でした。
  お客さんも30代から50代ぐらい。日本でDiscoができたのが1970年前後です。1970年代中ごろまでは歌舞伎町が中心で,1970年代後半から六本木も盛んになり全盛期を迎えました。そのころの時代のステップを踏んでいる人を多く見ました。
  面白そうなおじさんたちが盛り上がっていました。
 
  かかる曲も昔の懐かしいリズムばかりなのですが,ダンススクールで習った1990年代以降のハウス,ヒップホップ,ロッキングなど時代を逆行させていろいろ試していたら楽しかったです。
  腰の強いFunkでは一挙に体力を使います。

  チークタイムで休んでいたら,その後マドンナの強力なダンスナンバーがかかりました。

マドンナMadonna / イントゥー・ザ・グルーブGet Into The Groove 1985年 Live in Italia
http://www.youtube.com/watch?v=uy-WDWxZhzc
マドンナの先祖の国イタリアでのライブ

Live in Japan 東京ドーム 1987年
http://www.youtube.com/watch?v=r6KDxgE0aEk&feature=related





  ナバーナも昔いろいろな思い出がありました。女の子によく逆ナンされました。コワいので逃げていたら「声もかけられないの?!」とおこられて反省しましたが,トークが苦手なので「すみません」と言って頭を下げてあやまるようにしました。
  懐かしさと,昔はもっと飛ぶようにステップが踏めたのになあという一抹の寂しさを抱えながら,夜の六本木を帰りました。

  今,六本木は黒人の呼び込みさんだらけです。
  「おにいさん,いいとこあるよ〜」と声を掛けられました。「終電で帰るからごめんなさ〜い」と言ったら「オーケー」と笑っていました。


2009年05月07日

〜目黒食堂 女王様降臨〜 今日の1曲 <82><83><84><85> 

P1010067.JPG
Gino SoccioのLP Face to faceとJames Brown、Earth Wind & Fire、Mary Jane Girlsの7“single
写真をクリックすると画像が大きくなるみたいです。


−今日の1曲−

<82> ジェームス・ブラウンJames Brown / ゲット・アップ・オファ・ザット・シング Get Up Offa That Thing 1976年
<83> ジノ・ソッチョGino Soccio / It's Alright 1982年 
<84> アース・ウィンド&ファイアーEarth Wind & Fire / ゲッタウェイ Getaway 1976年 
<85> メリー・ジェーン・ガールズMary Jane Girls / In My House 1985年



  連日インフルエンザの話題ですが、こうやってニュースで世界を見ていると地球は狭いなあという気がします。2年前、予防注射をしていたのにインフルエンザにかかったときは、体温計が40度を超えてびっくりしました。かかるときはもうどうしようもありませんが、手洗いとうがいだけは励行しようと思います。


〜 目黒食堂 女王様降臨 〜


  先日,前から気になっていた「目黒食堂」というカレーライスがおいしそうな名前のクラブに行きました。
  場所は,目黒のJRの駅から歩いて1分でとても便利です。

目黒食堂のHP
http://meguroshokudo.com/


  渋谷のNUTSに行って以来,半年ぶりの徹夜のクラブ体験です。
  NUTSではダンスバトルやショーがあり朝まで楽しかったです。
  Flowerの店員さんと話したとき,週末のクラブは夜中の1時〜2時頃は激込みで,がんがん踊れないし,ナンパが多いと聞きました。踊れずに一人で朝まで立っていても居づらいので,ダンスショーがあるイベントを探していました。

  今回のイベントはいろいろなタイプのダンサーが出演するので行くことにしました。
  前から一番見たかったのはポールダンスでした。「いってきま〜す」と家を出ると「わーい,ポールだ,ポールだ(ポール・マッカートニーってか)」と心が躍りました。

  目黒に行くのは26年前に鹿鳴館で「裸のラリーズ」のライブを見て以来。
  東急もいつのまにか地下鉄になっていました。

  入ったら始発まで帰れないぞと覚悟を決めて入店すると,地下からいきなりJames BrownのGet Up Offa That Thingが聞こえてきて,わーいと大喜びです。

ジェームス・ブラウンJames Brown / ゲットアップ・オファ・ザット・シング Get Up Offa That Thing
http://www.youtube.com/watch?v=pq1w0syylZI
  1976年のヒット曲。この頃からDisco Musicが全盛となり、黒人音楽がどんどん白人に近づいていき、JBのFunkは低迷期に入り忘れ去られていく。
  この曲は、3年前通っていたダンススクールのロッキングのクラスでいつも使われていた。学園祭でも何度かこの曲を演奏していているバンドを見たことがある。若い人に人気があるみたいです。




  中に入ると混んでいて席は満席だったので,フロアーの角に座って聴いていました。
  六本木Edgeのときは若いDJさんで,後になってからDiscoの曲を知ったタイプのようでしたが,今回のDJさんはリアルタイムで1970年代のおいしいFunk系を知っているようで,いろいろレコードも持っていました。

  以前ダンススクールに行っていたときの先生が出演していました。「わ〜,今日の先生は衣装もダンスもかっこいい。後光が差しているなあ」と思いました。スクールでは私がボ〜っとして話を聞いていないのでおこられてばかりいました。
  いろんなダンサーがいてサンバとかラテン系も出てきて,近くで見るとステップに特徴があって勉強になりました。

  いきなり手をつかまれたので見るとSMショーの女王様です。「ギクッ」としたのですが,意外にもS女王様は陽気。「その持ってる袋に何が入ってるんですかあ?」と聞かれたので,「着替え用のシャツが入ってるんですう〜」と答えると受けたようでゲラゲラ笑っておられました。
  S女王様から「そろそろ着替えて踊らないんですかあ?」と聞かれたので,「前半から飛ばすとバテるので,3時頃から頑張りますう〜」と言うとまたS女王様は笑っていました。

  大好きだったジノ・ソッチョGino Soccioがかかって嬉しくなりました。
  3時頃から頑張りますとは言ったものの(これは我慢できん)と思わずストレッチもせずに踊りだしてしまいました。

ジノ・ソッチョGino Soccio / It's Alright 1982年 ダンスチャート3位
http://www.youtube.com/watch?v=w65YFECBOLE
  この曲もヘッドホンで聴いてみてください。シンセ・ベースの重低音が実にGroovy! 
  イタリア系カナダ人のダンス名曲。時代を先取りしていた音。
1982年当時感動して聞いていました。15年後にLPをみつけたときは嬉しかった。




  ショーは盛りだくさんで,ファイヤーダンスという火のついたヌンチャクを使ったり,バーレスクダンスでは,1mぐらいの輪に2人の女性ダンサーがぶら下がって交互に交差したりしてすごいなあと見ていました。
  憧れのポールダンスも見ることができて大喜びでした。
  今日は,お客さんにもプロのダンサーがかなりいたようでした。特にハウス系のダンサーとポッピングの上手い人が多くてとても参考になりました。

  ダンス上級者が多いのに合わせてか、Earth Wind & Fire の Getawayがかかりました。
  Earth Wind & FireはやはりDiscoの王様という感じです。
  ダンス初級者やパラパラ向けにはSeptember、中級者やDiscoマニアにはLet’s Grooveと、幅広く人気があります。
  JBが衰退していった1970年代後半に、Earth Wind & Fireは、JBとは逆に黒人音楽をどんどん薄めてわかりやすいダンス音楽にして世界的なヒット曲をたくさん産み出しました。

アース・ウィンド・アンドファイアーEarth Wind & Fire / ゲッタウェイ Getaway
http://www.youtube.com/watch?v=vE2zx4lr-h8
1976年 ソウルチャート1位 Earth Wind & Fireの最初の大ヒット。ちょっと難しいポリリズムがかっこいい。のるとはまる。




  フロアーに誰もいなくなるとおもむろにS女王様が出てきました。
  (うっ,いかん)S女王様と目が合ってしまいました。S女王様はニヤニヤして近づいてくると,強引に私の手を引っ張り,フロアーの真ん中で踊ることを強要しました。
  私は(フッフッフッ,それならば古今東西の反則技でお応えしよう)と意を固め,チャップリン→阿波踊り→KRUMP→レゲエ・エロダンスの反則攻撃で応酬しました。S女王様はゲラゲラ笑っておられました。

  奥のほうで男の人がずっと口を開けて寝ていました。こんな大きな音の所でよく寝れるなあと思いました。
  よっぽど疲れているんでしょう。なんだか草なぎ君を思いだしました。私も酒で失敗したことがあります。夜中に酔った勢いで前の寮にもぐりこみ,カーペットを布団代わりにして寝てしまいました。後日,寮のおじさんに菓子折りを持って謝りにいきましたが、1年間「いってらっしゃい」と言ってくれた人が怒って一言も話してくれませんでした。あのときのおじさんの目を思い出すと,それ以後,酒は飲まなくなりました。
  草なぎ君もめげずに頑張ってほしいなあと思います。

  3時を回ったのでそろそろ踊ることにしました。耳栓をしてスピーカーの前でベースの音を体感しながら踊るようにします。
  踊っていたら女の子がレースを私に巻きつけてきたので,とっさに幻のコメディアン・せんだみつおの「せんだエラい」の30年以上前のギャグをやったら受けました。もっと見つめあうような大人のダンスができないものかと後で後悔しました。

  その後にも現代舞踊などのショーがありました。バレエ・ベースのセクシーダンスは最高です。
  ヌードダンサーさんも出てきました。そこにある衣装をとってと言われたので取ってあげました。
  現代舞踊の女の子たちとかを見ていたら,昔「裸のラリーズ」のコンサートのお客さんにこんな感じの子が多かったなあと思いました。
  ゲストの人のいろいろなポッピングも見れました。ブレーキングは怪我をしたりたいへんなので,個性を伸ばすにはポッピングがいいなと思いました。

  汗をかいて踊るのが今の私の治療法なので,朝までガンガン踊ることにしました。ラテンの人のステップが珍しいのでずっと見ていたのですが,こんどはその人が私を見ていました。
  後半はfunk系が多くてノっていたのですが,突然難解なリズムが来たので(おもしろい。がんがん難しいのやって〜)と食いついて踊りました。

  懐かしのメリー・ジェーン・ガールズが流れていたら,突然DJさんが「それではまた明日!」
  振り返ると踊っているのは,あらま〜私だけ。さっきの難解なリズムはそろそろお開きの合図だったのか。
  時計を見るともう5時になっていました。
  このまま終了の合図も無視して電気が点けられても踊っていたら「裸のラリーズ」みたいだなあと思いつつ、今日は止めにしました。

  汗だくになったEric Dolphyのシャツを着替えて外に出ると,外は朝日が気持ちいい。
  ああ楽しかったと思いながら帰りました。

メリー・ジェーン・ガールズMary Jane Girls / In My House ダンスチャート1位 1985年
http://www.youtube.com/watch?v=RGeuX-W0XrY
PrinceのライバルRick JamesがProduceしたヒット曲。




2009年03月16日

〜映画俳優デビュー〜 渋谷Atom Camelot Cisco 〜 今日の1曲 <71> ジェームス・ブラウンJames Brown  <72> クラフトワークKraftwerk

P1011085.JPG
James Brownの日本で2枚目のシングル「泣かずにベビー1964年」と 
KraftwerkのLP Ralf & Frolian付録の大型ポスター


<71> ジェームス・ブラウンJames Brown / マザー・ポップコーン Mother popcorn 1969年 
<72> クラフトワークKraftwerk / ダンスミュージックTanzmusik 1973年


  世界的に未曾有の不景気に陥っています。でもやはり歴史を振り返ると、本当に平和な時代の日本に生まれてよかったと思います。昔だったら、どの国も「保護主義万歳」で戦争に突入です。60年前にあれだけの犠牲があったために無言の抑止力が働いています。国民がインターネットで世界情勢を知ることができるので、一部の支配層が戦争を煽ることもありません。でもそれは先進国だけの話なんですが…


〜 映画俳優デビュー 〜


  ついに念願の映画俳優デビューを飾ることができました。
  とはいえ、ようするにエキストラなんですね。でも、映画に出られて単純馬鹿な私は非常に満足してます。
  
  高校生のとき,俳優養成所を目指すという30分のテレビドキュメンタリーに出たことがあります。受験会場の廊下で,研究生だった役所広司と隆大介を目撃しました。まだブレイク前だった彼らはギラギラしていて実にかっこよかった。(ひえー,上杉謙信と武田信玄がジーパン履いて立ち話してるよ…こんなとこ自分が受かるわけないじゃん!)と思いました。ジャン・ルイ・バローJean-Louis Barraultに憧れた映画少年の夢は無残にも潰えました。当時は,高校生がテレビ・雑誌などに出たら退学・停学という時代でした。私もイチカバチカで停学は覚悟していたのですが,放送が卒業式の前日だったので難を逃れました。

  エキストラの場面は、職を失った自動車工場の派遣工の集会が中止になり、不満が爆発して暴れるというシーン。私も自動車工場のバイトを寮に泊まり込みで通算6ヶ月したことがあります。「工場で一番きつい仕事」をやらされた上,バイトいびりにあい,挙句の果てに10万円給料を盗まれました。切られる派遣工の気持ちはわかります。  彼らの気持ちを代弁するぞと乗り込んだわけです。

  午前8時集合。場所は代々木オリンピック競技場外。4時ぐらいまで,同じシーンを10回以上撮りました。

  2〜3回やったころでしょうか。監督が出てきてこう言いました。「皆さんはエキストラでなく一人一人が俳優だと思ってください! 映画は大きな画面で映します。画面に一人でもやる気のない人が映るとその映像は死にます!」
  さすが監督。煽動しますね。その一言で「そんなら、やったろうじゃないの〜」と役者魂に火が付きました。
  500人もいるのですが,やるからには目立ちたい。皆考えていることは同じで,我先にとカメラに向かって突進していく。

  興奮していたら,尻から転んでしまいました。(げっ!痛え…骨折したかも。シャレにならんぞこれは)。映画「駅馬車」の落馬シーンを思い出しました。俳優って命がけなんですね。
  渋谷の空に向かって思いのままに叫ぶのは実に気持ちが良い。
  初めは「ざけんじゃねえ〜!おら〜!」と叫んでいたのですが,どうも同じようなセリフの人が多い。
  (う〜む。いかん。これでは埋没してしまうぞ)と思った私に子供の頃の関西魂が蘇りました。
  そこで、「あほんだら〜! ぼけ〜!」と叫ぶことにしました。他に関西弁はいなかったので,これなら目立てたかもしれません。
  撮影の合間には「宮本武蔵」の伝記を読んでテンションを高めました。これがまた面白い。
  
  なんとか撮影が終わり,拍手で終わって充実した一日でした。
  ジェームス・ブラウンJames Brownのように叫び続けたため、喉も枯れ,燃え尽きました。
  もう二度とエキストラをやることはないでしょう。


ジェームス・ブラウンJames Brown / マザー・ポップコーン Mother popcorn  
http://www.youtube.com/watch?v=zUU87ICh3XU
  曲ごとに新しいリズムパターンを創造した全盛期のヒット曲。
  James Brown がNHKに出演したとき,「自分の祖父は日本人です」と明言していた。アフリカン・アメリカンのリズム感にアジアの感性を折衷させたところにJBの独自性がある。JBを慕い続けたあのMichael Jacksonでさえ,“JB風”に踊れてはいても,JBのダンスの完全なコピーはできていない。






〜 渋谷Atom Camelot Cisco 〜


  また,渋谷AtomとCamelotに行きました。
  Atomに行くと,4階のサイケデリックトランスのフロアーが24時でなく「23時開場」になって大喜びです。これで5階トランス,6階ヒップホップ,4階サイケの順で終電までガンガン踊れます。4階は天井が低くて音に集中でき,サウンド的には東京では一番気に入っています。

  Atomでパラパラの鬼がタオルをぶら下げて踊っていたのを見たとき「負けた」と思ったので,今回はタオルを持参して踊りました。6階では元気なおにいちゃんがお尻からぶつかってきたので挨拶しました。
  黒人のセキュリティーさん何人かに声をかけられました。へんなおじさんではなく、James Brownみたいなダンスだと思われるように頑張ろうと思いました。帰りがけに超美人の白人モデルさん3人組が入ってきましたが,終電なので帰らなければならず残念。

  Camelotでは,踊っていたら元気な白人の背の高い若いおにいちゃんが私の前に来て暴れだしたので,やれMick Jaggerだ,Elvisだ,Michael Jacksonだと物まねをして一緒に暴れました。故郷に帰ったら「オカーサン、トーキョーデ,ヘンナオジサント オドッタヨ」と報告してもらいたいものです。でも本当は,連れの女の子たちに来てほしかったなあ。
  
  Camelotにもテクノのフロアーがあるのですが,テクノといえば元祖はクラフトワークKraftwerk。
  Kraftwerkの初期の3枚はドイツのオリジナル盤でもっていました。あの頃はテクノのRolling Stonesなどと呼ばれるようになるとは思いませんでした。HipHopでもAfrika BambaataaがKraftwerkをサンプリングしていますね。Afrika BambaataaはJames Brownとも仕事をしています。

  34年前,今はなき渋谷のCiscoでKraftwerkのRalf & Frolianを買いました。当時の店名はBe-inです。時代を感じさせますね。

  さて,ローカルなクイズです。
  渋谷初の輸入盤専門店Ciscoは当初,どの場所にあったでしょうか?(答えは最後に)。
  1 南口渋谷警察の隣のビル
  2 渋谷西武百貨店の地下1階
  3 円山町のホテル街にあった民家のガレージ
  4 東急百貨店の屋上での出張セールス


クラフトワークKraftwerk / ダンスミュージックTanzmusik
  一度解散して分裂したNeu!が誕生した後の再結成時。
 TanzmusikにHeimatklangeのフルートを被せたレアな貴重映像。http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=lCg7hPeUdvE
  今はパソコンだが1973年当時はこれが世界最先端の機材。彼らは「我々は音響上のバーダー・マインホフグループ(当時世界でもっとも過激と言われた左翼グループ)だ」と語っていた。また,「自分たちの音楽はクラシックの延長線上にある」とも言っていた。
  Kraftwerkの1st,2nd,Ralf & Frolianは、未完成のものとして何故か封印されてしまっている。しかし,Ralf & Frolianは捨て曲のない傑作。Autobahnより好きだった。ぜひ世に出して欲しいものだ。






(ローカルクイズの答え 2 どういうコネで西武に入ったのか今思うと不思議です)

2009年02月13日

きけ わだつみのこえ 渋谷Camelot 4 今日の1曲 <59> 千の風になって <60> ふるさと <61> ラッテ・エ・ミエーレLatte e Miele  <62> シックChic

P1510001シック.JPG
(左)シックの大ヒットGood Times ベース,リズムギター,ドラム,コーラスが幾重にリズムの渦を作る
(右)キリスト教文化の底力を見せつけるLatte e Mieleの新作Live


<59> 千の風になって(新井満 詞・曲) 
<60> ふるさと(唱歌) 
<61> シック Chic / Good Times 1979年全米ヒットチャート1位
<62> ラッテ・エ・ミエーレLatte e Miele / ゲッセマネ(1972年)2008年ライブ




−  CD天国  −


1月31日
 
  朝10時にふらっと立ち寄った「CD半額セール」にはまってしまいました。結局、夜11時までその店を4往復しました。踊りに行く予定だった渋谷Camelotは中止。

  気づいたら買ったCD総数60枚。この15年間で買ったのとほぼ同じ枚数を1日で買ってしまいましたあ〜。
  しばらくは、CDを買わないですみそうです。
  ダンス・コンピレーションの1枚100円とかたくさん買い込みました。ダンス・コンピは当たりはずれが大きいのですが100円ならリスクが少ない。
  ロック、ヒップホップ、Jpop、ハウス、ヨーロピアンポップスなど、しばらく楽しい音楽ライフが送れそう。



−  千の風になって  −


2月5日
 
  「声楽療法」という無料講演会に出ました。ひきこもりなどの精神障害をもった人が、クラシックの「ベルカント唱法」で練習すると回復するという治療法です。
  講師と一緒に聴講生も4曲ぐらい合唱したのですが、大声で歌う楽しさを知り,と〜っても楽しかった。合唱しても自分の声だけなぜか目立ってて、別の自分を発見しました。

  「千の風になって」は、最近の日本の曲では、Perfumeの「ポリリズム」と並んで唯一好きな歌なのですが、自分で歌っても気持ちいい。昨年,作者の新井満さんの「石川啄木と作詞」という講演会でも新井満さん自身の歌を聴けました。

千の風になって コーラス
http://www.youtube.com/watch?v=qGNE_oofQL4&feature=related

千の風になって 秋川雅史
http://www.youtube.com/watch?v=fCY5SQXQByQ&feature=related


  最後に質問コーナーで声楽家の講師にバッハの「マタイ受難曲」(11月29日 今日の1曲 <46>)について質問したら,後で「マタイ受難曲」のコンサートのチラシを持った言葉に障害をもたれた方から突然声をかけられました。「マタイ受難曲」は是非,生で聴きたかったのでよかったです。その方は,お子さんを病気で亡くされたとのことでした。「私もお子さんと同じ病気で昨年の今頃はほとんど起きあがれない状態でした。」と答えました。お子さんを亡くされたショックで言語障害になられたのだと思います。

  質問の時にも話したのですが「マタイ受難曲」は世界が生んだ最大の癒しの音楽だと思います。バッハも10歳で両親が亡くなっています。
  「マタイ受難曲」は最近一番はまっており,リヒター,カラヤン,アーノンクールの3人の演奏を聴き比べています。



−  ふるさと  −


2月6日

  まず,5時から近くの音大の音楽コンクールのグランプリの人たちの無料演奏会に行きました。 
  バイオリン,声楽,サクソフォン,打楽器,ピアノの5名ですが,演奏というより曲芸大会という感じでびっくり。クラシックのいわゆる「現代音楽」と言われる分野は感動のない音楽がほとんどですが,なるほど,こういう技術のコンテストにはいい課題なのだなと納得しました。

  最前列の真ん中で,鑑賞(観戦?)させてもらいました。声楽の女の子など歌い終わると足元がふらついていました。女の子は,肩がはだけていてかなりセクシー。
  打楽器の女の子は相撲取りみたいに貫禄があって,マリンバを鬼神のように叩きまくり,最後はドシンドシンとジャンプしながらエンディング。「是非,君のような子はクラブに来て暴れまくって欲しい」と声をかけたくなりました。

  次に,大急ぎで8時からの合唱発表会第2部へ。父が所属していた合唱団からチケットをもらいました。
  フォーレの「レクイエム」が聴きたかったのですが間に合いました。
  こちらの合唱団は還暦を過ぎた「昔の女学生さん」ばかり。目の前の席に,歌い終わった肩のはだけた貴婦人が座られたときは恐れ多くて思わず下を向いてしまいました。
  最後に観客が帰るときにロビーで合唱団の人たちが「ふるさと」を歌って送ってくれました。「ふるさと」がこんなに感動的な歌だとは…初めてわかりました。
 
唱歌「ふるさと」
http://www.youtube.com/watch?v=fyooHu9x3Nc



−  きけ わだつみのこえ 渋谷Camelot W  −



2月7日 

 まず,都内CDショップで,ラッテ・エ・ミエーレLatte e Miele(08年10月12日 今日の1曲 <24> 参照)の新譜を購入。期待通りのすごい内容。実に36年ぶりの名盤「受難劇」の再演ライブ。ほとんどのバンドの名盤再録音というのは期待はずれのものと相場が決まっているがこれは違った。キリスト教という宗教に正面から取り組むとこうも違うものなのか。10代の頃と寸分違わない情熱。

  特に「ゲッセマネ」の無音からコーラスへの導入は,近代クラシック音楽でもなしえなかった偉業。1972年オリジナル,1974年ライブ,そして本2004年ライブ,どれも何百回と聞き込むことになるであろう人生最愛聴曲のひとつだ。

ラッテ・エ・ミエーレLatte e Miele 「受難劇」2曲目から5曲目まで
http://www.youtube.com/watch?v=VNcLdryChZs&feature=related
「ゲッセマネ」のハイライトは7:00頃から。

  ラッテ・エ・ミエーレを買った後,古本屋に入ったらまたはまってしまった。
  出てくるぞ掘り出し物が。今,週に15冊のペースで本が増えている。天国である。1日1冊読んでも追いつかない。地獄である。
  これ以上,ここにとどまっていると,先週のようにクラブに行けなくなる。そもそも,体調が回復し本が読めるようになったのは,クラブでダンスを再開したからである。去年の今頃は,4ヶ月で読めた本はラーメンガイド1冊だけだったのだ。ダンスが優先だ。慌てて店を飛び出した。

  渋谷に行くまでの山手線内で,さっそく買ったばかりの「きけ わだつみのこえ」を読む。第2次大戦で,学徒出陣で死んでいった学生の遺書や手記が集められたものである。
  いきなり一人目の人が私の大学の同じ学部の先輩であった。特攻隊員として22歳で沖縄で戦死。この人の手記はほかにもあった。ショックだった。以前,「特攻隊員は『天皇陛下万歳』と言って死んでいったのではない。『おかあさん』と叫んで死んでいったのである。」という記事を読んだことがあった。
  この先輩の手記には、「…自由主義者といわれるかも知れませんが自由の勝利は明白なことだと思います。・・・権力主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後に敗れることは明白な事実です。・・・明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが,心中満足で一杯です。出撃の前夜記す。」とある。
  彼らは,すでに負けることがわかっていたのだ。わかっていて死んでいったのである。
  私の祖父は同学部の英語の教授で当時本科と予科に分かれていた大学の予科の主任だった。この手記を書いた人も祖父の教え子かもしれない。祖父は,戦前アメリカに留学し,その近代産業を目の当たりにした。
  ある卒業生の手記によれば,祖父は,授業中に「日本はアメリカには勝てない」と 言ったことがあったらしい。学生たちは「先生はアメリカに留学したから贔屓するのだ」と反論したが,戦争が終わった後に「先生の言ったことは本当だったとわかった」とその卒業生は書いていた。
  祖父は戦後すぐに大学を辞めてしまった。生前の祖父はいつも何かに怒っていた。勝てないとわかっている戦争で教え子の10%にあたる1500人近い学生が戦死したことに対する空虚さ,無念さのようなものは一生離れることはなかったのではないだろうかと思うのだ。

  渋谷に着くとハチ公の前の電話ボックスでチュウハイを飲んで踊りに行く準備をした。
  山手線で「きけ わだつみのこえ」を読んで,無駄とわかって死んでいった学徒の無念さが頭を渦巻いている。思えば、今,世界中でおきている自爆テロも模範は日本の特攻隊なのだ。

  渋谷のCamelotは最高だ。いつものパターンで,ハウス,ヒップホップ,エレクトロの順番で踊りました。
  ヒップホップのフロアーでビヨンセのDejavu(08年11月9日)の映像が出たので大喜びで真似しました。ジムで下半身の筋肉もついてきたので,前より楽にコピーできるようになりました。
  1970年代の曲が3〜4曲続けてかかったので,今のステップで試したらとても楽しい。
  特に好きなシックのグッドタイムスがかかったので嬉しかったです。このころのブラコンは,リズムが複雑で様々な仕掛けがあって,ミュージシャンからダンサーに挑戦をしかけてくるようなスリルを感じます。僕の横に着て見ている男の人がいたのですが,12時には帰らないといけないので,「すんまへん」と思いつつノンストップで踊りました。

  汗拭き用のタオルと着替えの半そでシャツの入ったCamelotで貰った3週年記念の袋をロッカーの上に隠しておいたら紛失してしまってちょっと残念でした。
  でもたった1000円なのでそれぐらいで落ち込んではいけない。
  ダンスは楽しい。

 

Chic / Good Times オリジナル
http://www.youtube.com/watch?v=eKl6EZShaaw&feature=related
 
Chic / Good Times ライブ
http://www.youtube.com/watch?v=SBJ5FsklZXQ&feature=related



  「俺の子供はもう軍人にはしない、軍人にだけは…平和だ、平和の世界が一番だ。」(昭和20年2月 29歳で戦死した人の手記)

  「きけ わだつみのこえ」から 


2009年01月29日

渋谷ATOM V 新春シネマW 今日の1曲 <58> マドンナMadonna

P8010002マドンナ.JPG
マドンナ全盛期の隠れた名曲「スポットライト」のシングル
左:プロモーション盤 右:通常盤



58 マドンナMadonna / ジャスティファイ マイ ラブJustify My Love


金融危機、日本人が最も悲観的=政治不信が色濃く−17カ国調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090129-00000085-jij-int

− 「金融危機の影響は相対的に小さいはずなのに、日本人が先行きに最も悲観的」−。日本リサーチセンター(東京)など17カ国の民間機関が各国で一斉に行った調査で、こんな結果が明らかになった。政府の対応への不満が色濃く出ており、同社は「国民性に加え、政治不信が背景にあるようだ」と分析している。 −

  昨年,ビートたけしが東條英機を演じた「太平洋戦争とは何だったのか」というドラマを見た。こんな感じで,日本人の悲観的な考え方が太平洋戦争に突入させてしまったのだろうか。



−  渋谷ATOM V  −


 
  先週末に渋谷のATOMに行きました。
http://clubatom.com/index.php
 
  もうATOMには何度も行ったような気がしていたのですが,前回(3周年イベント)から3ヶ月。時がたつのは早いものです。10月に私に食いついてきた元気な若者はどうしているかなあなどと思いつつ,予備校の休憩室でチュウハイをあおってから出撃しました。

  6階のヒップホップのフロアーでストレッチダンスを30分してから5階のトランスフロアーへ。今迄で聞いた中で一番選曲もつなぎもよく,「心地良い音楽をすごく研究しているではないか!」と感心しながら気持ちよく踊れました。良い意味で音楽に対して心からマニアックなDJでした。

  一人で1時間半ほど踊って5階に戻りました。ヒップホップやR&Bのまったりした音でもハウスのステップで踊ります。ロッキングもクランプも舞踏もやり放題。反則しまくりです。

  後ろから誰かが「ワーオ!」と叫んできたので振り返ると,金髪のヤンキーおにいちゃんがハイタッチしてきたので,こちらも「ワーオ!」とハイタッチで返しました。まさか黒人歌手ベッシー・スミスBessie SmithのTシャツを着た自分より20歳以上のおじさんとは思わなかったようで驚いていましたが。

  12時少し前になると4階のサイケデリックトランスのフロアーが開くので駆け込みました。
  黒人の女の子もいたので大張り切りです。君たちが見たことのないものを見せてあげようのサービス精神で一番速いステップで踊りました。見物客が何人か見にきてくれました。1月からのジム通いの成果でこの時間でも速く踊れました。

  そんなことをしていたら,やばいことに! 終電に間に合わない! トイレでおじさん下着に着替え,そのかっこうで大慌てで1階に降り上着を着込んで,終電に駆け込みセーフ。



−  新春シネマW  −



  今週,3本映画を見ました。


@「旭山動物園物語」
   http://www.asahiyama-movie.jp/

  「パン君」のような癒し系の動物映画かと予想していたのですが,いい意味で期待を裏切る「人間」の映画。「動物」との対比で「人間」とは何かを浮き彫りにする佳作でした。なぜ「元いじめられっこ」が主人公なのかという答えが最後に用意されています。
  新劇出身の一家の主をなすような役者たちが集結し,最後まで息を抜かせません。秀作でした。

A「禅」
   http://www.zen.sh/

  インターネットで調べたら評判が良いので,昨日,急遽見に行きました。
  禅宗の開祖である道元和尚の一生を描いたもので,吸い込まれるような中国での留学の場面から,自分が一緒に修行するような錯覚におそわれます。
  「禅」とは何か,「仏」とは何か,「答えをみつけようとする」過程を根源から非常にわかりやすく体験することができます。日中関係についても再考させられました。
  評判どおりの傑作です。
  
B「ワンダーラスト」
   http://wonder-lust.jp/top.html
  
  「禅」に続いて,連ちゃんで同じ所で見ました。
  マドンナの初監督の自伝的映画であり,マドンナについて少しだけ予習していないとよくわからない映画だと思います。たとえば、マドンナの両親が敬虔なイタリア系のカトリックであること,マドンナが幼少時に実母と死別していること(母の墓の前で寝ている写真を見たことがある),父や継母との生活がうまくいかなかったこと,一人でニューヨークに出た下積み時代にヌード写真のモデルのバイトをしてそれがマスコミに流出していること,などです。
  
  映画では,終始,マドンナの若き日の想いを3人の主人公に代弁させています。
  マドンナの長年にわたるスキャンダラスな行動や表現は,無名時代にヌードのバイトに手をつけたことに対する罪の意識が根底にあること,そして,若い日にそのような罪を犯さなければ自己表現を実現できなかったことを告白しているようです。
  かつての自分のような状況にある若い世代に対する応援歌でもあります。

  最後のライブで,観客の老詩人や,マイノリティーであるインド人,ストリッパーの先輩などが生き生きとした表情を見せるシーンで,「善悪はコインの表裏」という言葉の意味が見えてきます。
  ほっとした気持ちで映画館を出れたのは「禅」と一緒でした。

  家に帰って「禅」のパンフレットを読んでいたら,道元も2歳で父を亡くし,8歳で母を亡くしています。道元もマドンナも根底にあるものは近いものなのかもしれません。


マドンナMadonna / ジャスティファイ マイ ラブJustify My Love
http://jp.youtube.com/watch?v=wmvHuH3r7ok&feature=PlayList&p=A0DD91EFDA39F2EB&playnext=1&index=22
  レニー・クラビッツの作品。映像とは裏腹に雅楽に近い潔癖の美しさを感じる。これもマドンナ流「善悪はコインの表裏」の真骨頂。
  昨年,この曲をリクエストした六本木のFLOWERが営業停止になって残念。あのときの親切な店員さんは,今頃どうしてるだろうか。


2008年12月04日

渋谷NUTS ダンサーへの道 ライバル偵察・頂上編 NEW YORK FIVE SPOT 今日の1曲 <48> エリック・ドルフィー Eric Dolphy

P1010084.JPG
エリック・ドルフィーのTシャツ
初めて行くクラブや気合いを入れたいときにはこれを着て踊りに行く。


48 Eric Dolphy エリック・ドルフィー / Agression アグレッション(攻撃) 1961年
  Eric Dolphy at the five spot vol.2より


− 渋谷NUTS ダンサーへの道 ライバル偵察・頂上編 −


  NUTSは渋谷にあるクラブです。
  昨晩、初めて行きました。
  12年ぶりにクラブから朝帰りをしました。

  渋谷NUTS HP
  http://www.clubnuts.net/flash.html


  昨日はBlowというイベントで,たくさんのダンサーのショーがありました。秘かにダンサーを目指す私は,プロのダンサーのレベルをこの目で偵察しようと目論んだわけです。

  11月13日のブログ「ダンサーへの道 ライバル偵察編」では,近所のストリートダンサーの練習を偵察しに行ったのですが,今回は本番の発表だったので熱気が桁違いに凄かったです。
  今回の「ダンサーへの道 ライバル偵察・頂上編」は,日本のトップレベルのダンサーの実力に、予想をはるかに超えて圧倒されてしまうという結果に終わりました。


  ショーの第1部が0時30分ごろ始まり,10チームぐらい出ました。フロアーに座って2番目の列で見たのでワクワクしました。女の子のチームも男みたいに迫力がありました。
  ほとんど初出場なのに,どのチームもフォーメーションが上手で,12年前よりダンサーのレベルが遥かにUPしていることが実感できました。
  最後は,サンタクロースと5匹のトナカイが出てきて笑わせてくれて,とてもハッピーな気分でした。

  ショーケースのあと,しばらく自由に踊る時間があったのですが,他のクラブよりも上手く踊る人が多く,1時間ぐらい立って見ていました。


  ショーの第2部が3時ごろ始まりました。

  まず5チームのショーがあり,1部よりもベテランとのことでフォーメーションもより正確でした。ソロのダンスも高いスキルがあり,本人のやる気も満々で素晴らしかったです。
  2年半ほど前には邪道視する人もいた過激なダンスのKrumpも今はあたりまえに取り入れられていました。

  その後,今回の目玉の8種類の分野ごとのストリートダンスの東西対抗ダンスバトルがありました。(ブレークダンス、ロッキング、ポッピング、ヒップホップ、カポエイラ、クランプ、女性、ハウス)
  ダンスバトルは,ダンサーが振り付けもなしに,その場で音楽に合わせてアドリブで行うダンスの格闘技です。

  ダンスバトルのイメージ KrumpのYoutube
  http://dancernorimitsu.blog94.fc2.com/blog-entry-10.html

  出場者は、各分野でインストラクターだったり,教則DVDに出演しているような日本でトップレベルの人たちでした。
  どのバトルも,直接の対戦相手に負けたくないという意地と,自分たちの分野がストリートダンスの中で一番だというプライドが現れていて素晴らしかったです。

  特に最後のHouseのバトルは,今年のJapan Dance Delightという世界でも最大級のストリートダンス・コンテストの優勝チームのメンバー同士の対決だったので息を呑む凄さでした。
  Dance Delight  HP 
  http://www.dancedelight.net/index1.html

  NUTSでの東西対抗ダンスバトルは1年に1回とのことで運がよかったです。教則DVDで見たダンサーを目の前で見られて夢のような体験でした。
  今回、16人のダンサーが一同に勢ぞろいしたのを見て、改めてダンサーは本質的に内向的な人が多いなと思いました。内向的なエネルギーが爆発してダンスという表現になっているという感じがしました。

  その後、4時30分頃から6時前ぐらいまで、さっきのダンスバトルを思い出したり、上手い人の真似をしたりして自由に踊りまくりました。
  汗を相当かいたようでズボンがずぶ濡れになって,おしっこを漏らしたような模様になってしまいました。
  きれいな女の子が結構多かったので,明るいところで見られなくてよかったです。

  店を出ると渋谷の夜明けの空気がすがすがしかったです。
  「ああ楽しかった〜」と何度もつぶやきました。

  私は,11月の戦いのときに本田美奈子さんの碑に,ダンサーに挑戦することをも誓いました。

  今回,プロのトップダンサーのダンスバトルを見て,その実力に圧倒されてしまいました。頂上への道は果てしなく遠い。

  しかし,どんなタイプのダンスでも速さ,強さ,正確さという表現の源は筋力であることがわかりました。 
  筋肉のトレーニングの重要性を再認識しました。
  最近は買い物でレジで並んでいるときも片足で屈伸運動しています。あやしい客です。




− ファイブスポット NEW YORK FIVE SPOT −


  ファイブスポット FIVE SPOTは、ニューヨークに1956年から数年存在したジャズ・クラブです。

  そこで1961年7月16日に、伝説のエリック・ドルフィー、ブッカー・リトルの双頭クインテットのファイブスポット・セッションが録音されました。
  その3ヶ月後ブッカー・リトルは23歳で、3年後にエリック・ドルフィーは36歳の若さでこの世を去りました。

  エリック・ドルフィー Eric Dolphy wikipedia       
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC


  エリック・ドルフィーは天才的なミュージシャンで、やろうと思えばクラシック・ファンも納得するような美しい音楽を作ることもできました。
  しかし、当時アメリカは黒人の公民権運動の全盛期であり、ドルフィーは黒人差別に対する抗議を音楽で表現するために、人間の感情を逆なでするような音を出すことにあえて挑んだのでした。

  ファイブスポット・セッションは、エリック・ドルフィーの絶頂期の記録といえます。
  セッションの当日、静かで厳かなGod bless the childの後に続いてAgressionが演奏されました。
  そのアグレッション(攻撃)というタイトルの通り、1961年当時では世界で最も過激な音楽とも言えるリトルとドルフィーのアドリブのバトルが繰り広げられます。
  レコード(ファイブスポットVol.2)では、4:45あたりからの“Fight!”というかけ声に続くリトルのトランペットの高速フレーズと、6:40あたりからのドルフィーの超絶的なバスクラリネットが最大の聞き所となっています。10年以上前、この部分だけカセットで何百回も繰り返し聞きました。

  私は、エリック・ドルフィーが,フルート,アルトサックス,バスクラリネットで表現しようとした美しさ、力強さ、怒りをダンスで表現することを目標にしたいと思い、12年前からクラブやダンススクールに行くときにドルフィーのTシャツを着るようにしています。
  昨日もドルフィーのTシャツを着て行きました。だいぶヨレヨレになってきました。


  John Coltrane Quintet with Eric Dolphy – Impressions 1961年 ドイツTV放送
       ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=kUzFbT5JT1M&feature=related
  エリック・ドルフィーのファイブスポット・セッションの後,同年にジョン・コルトレーン(ジャズ史上最も偉大なミュージシャンの一人)が盟友ドルフィーを連れて行ったヨーロッパツアーの際の貴重な映像。
  2:54からのドルフィーのアドリブ・ソロの独創性はコルトレーンをも超えている。
  この音源を使った有名な海賊盤レコードのジャケットには,John Coltrane Quintet ではなく,“Eric Dolphy Quintet”と記載されていた。




2008年11月27日

津軽HIPHOP 今日の1曲 <44> 高橋 竹山(1910 – 1998)

44 高橋 竹山 Chikuzan Takahashi / 津軽三下り

Chikuzan Takahashi is the best master of "Tsugaru" Japanese banjo. 

  昨日、やっと5日間の戦いが終わりました。
  プレッシャーから解放されて久々に本屋に入り、少し立ち読みしました。
  最近気になっている中田ヤスタカ(10月15日 今日の1曲<30> 鈴木亜美)と、マドンナのツアーに参加した日本人のダンサーのインタビューを読みました。

  駅前で、津軽三味線のストリートミュージシャンがいました。
  横で座って聴いていたら、無性に津軽三味線で踊ってみたくなりました。
  挨拶代わりにお賽銭をいれて、まる1曲、HIPHOPやHouseなどの早いステップで即興で踊りました。
  津軽三味線も黒人ソウルも根本の部分は似ているなあと、踊っていて感じました。

  私の野外でのストリートダンスのデビューになりました。
  背広を着た男が突然津軽三味線で踊るのも変ですが、
  気持ちよかったです。心が解放されました。
  ストリートミュージシャンの気分が理解できました。
  「これは津軽三味線ですよね?」と尋ねたら、「そうです」と喜んでいました。

  ダンスは11月8日のCamelot以来だったので、しばらく息が切れて心臓がバクバクしました。
  また明日からジョギングで鍛え直しです。



  高橋 竹山は日本で津軽三味線を広めた第一人者です。
  私は、30年ぐらい前に渋谷にあったジャンジャンという当時有名だった小劇場で見ました。
  竹山は全盲でしたが、その演奏のソウル(魂)は心に重く響きました。
  伝説のブルースマン、スリーピー・ジョン・エスティスにも通じるものがあります。

  高橋 竹山 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%AB%B9%E5%B1%B1

  高橋 竹山 Chikuzan Takahashi / 津軽三下り
http://jp.youtube.com/watch?v=bTVZvVFK-Rs&feature=related



2008年11月15日

ダンス・スクール 今日の1曲 <37> クリス・ブラウンChris brown  (+ <38> サム・クックSam Cooke)

<37> クリス・ブラウン Chris brown / ヤング・ラブ Young Love 2005年
<38> サム・クック Sam Cooke / ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム A Change Is Gonna Come 1964年


−  「十代」のためのクラブは何処に?  −


  最近,大学生の麻薬の事件が多くなりました。しかももっとも薬物と無縁と思える体育会系で,かつ大学1,2年生に。昔も麻薬の事件はありましたが,こんなに頻繁にはなかった。
  
  中学のときに私にあだなをつけてくれた某君が,日本で私の一番好きなミュージシャンと一緒に逮捕されて,写真付きで新聞に載ったことがあった。某君は時代の先端を行ってるような人で芸能界ともつながっていた。
  しかし,芸能界とも関係のない一般の学生が、学内で麻薬を売買するなどということは今まで聞いたことがない。薬物は,他人に売る目的で所持すると,自己使用目的よりはるかに量刑が重いのです。

  今の20歳以上しかクラブに入れない(大学生でさえ入れない)状況はどうかとつくづく思う。クラブは薬物など悪の温床のような部分もたしかにあった(薬物関連の刑事事件が多いので、裁判官はクラブの名前を結構知っていたりする)。

  ディスコ、クラブは昔から若い人にとって,鬱屈したエネルギーの発散の場所だった。10代でも遊べる場所が今でも必要ではないのだろうか。

  今はどうかわからないが,昔,大学の体育会は,「1年奴隷,2年平民,3年天皇,4年神様」などと言われていた。18〜19歳の「1年奴隷」は結構ディスコで発散していた。卒業までレギュラーになれない人も不満がたまるだろう。

  高校でも,タバコをふかすような連中は,ディスコで欲求不満を爆発させていた。
  私も26年前、2ヶ月間、3日に1回ぐらいのペースでディスコに通って、それまでに溜まった鬱屈した感情やエネルギーを解放できた。あのときディスコに出会わなかったら自分はどうなっていたかと思う。
 
  東京では暴走族はほぼ壊滅。全国的にもそんな感じだろう。
  そしてクラブにも入れない。
  今の鬱屈した十代の若者は何をしてるのだろう。

  今週も千葉で「19歳」の少年が、「父親に仕事のことで怒られた」ことの腹いせに「誰でもいいから殺す」つもりで、24歳の前途のある明るい銀行員をひき殺した事件があった。こんなことをするぐらいだったら暴走族で暴れている方がまだましだろう。
  ディスコ全盛期だったら千葉にもディスコはあったから、そこで発散できたはずだ。
 
  昔のように10代でも入れて,午後8時位から盛り上がり,終電で帰れるようなクラブはできないのだろうか。
  六本木のVelfarreがなくなったのは本当に残念だ。

  先日私に声をかけてきた人も、踊り始めたのは20歳になってからだと言っていた。これからはそういう人ばかりになるのだろうか。
  10代で踊ることの楽しさを知ることができればいいと思うのだが。

  10代で自分のダンスの才能に気づくことができることも大事だと思う。   
  「EXILE」なども皆そうしてプロのダンサーになったのだ。
  10月15日のブログ「今日の1曲 <30> ABBA」の「ダンシング・クイーン」の歌詞に登場する「ダンシング・クイーン」の女の子も「17歳」である。


 
−  ダンススクール隆盛  −


  ただ、10代でも踊れるところがある。
  それはダンススクール。

  私も、2年前、Zeal Studioというところで1ヶ月半,ダンスを習いました。
  その後も9ヶ月、U-Prideというところで習いました。
  今、子供のお稽古ごとで、一番人気があるのがHIPHOPのダンスらしい。
  時代は変わったものです。


  Zeal Studioのホームページ  
http://www.zeal-studios.com/z_st_shinjyuku/index.html
  今は「ダンス・スクール」で検索すれば世の中ダンス・スクールだらけです。
  きっと貴方のご近所にも「ダンス・スクール」がありますので,興味のある方は探してみてください。

  「ストリート・ダンスは勘弁してくれ」という方には、社交ダンスやエアロビクスなどもあります。
  名作映画「Shall we ダンス」も夢があっていいですね。

 Shall we ダンス wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Shall_we_%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%3F




 

  HIP HOPのベテラン・インストラクター(といっても私より全然若い)にダンス練習用によいCDはないかと質問したら、クリス・ブラウンを勧められました。
  私が初めて買ったHIP HOPのCDです。

  クリス・ブラウン Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3_(%E6%AD%8C%E6%89%8B)


  クリス・ブラウンのCDは、何か作業するときのBGMに使ってます。メロディーと乗りがいいです。
  イタリアのRenzo Zenobi(6月5日 今日の1曲 C)のCD もよくBGMに使っていました。こちらは穏やかです。

  クリス・ブラウンのCDは、マイケル・ジャクソンMichael Jacksonの「スリラー」のように作家陣が充実。16曲ほとんど捨て曲なし。   HIP HOPで聴きやすいCDといえばこれでしょう。全編にわたってメロディアス。真っ黒な音ではなく、「スリラー」のようにかなり白人寄りなんです。


  クリス・ブラウンは弱冠16歳だが、サム・クックSam Cookeのファンでもあり本格派です。

  サム・クック Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%83%E3%82%AF
 
  クリス・ブラウンの「先生」であるサム・クックの素晴らしい名唱を1曲。

<38> Sam Cooke サム・クック/ A Change Is Gonna Come ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム
  http://jp.youtube.com/watch?v=wUT1WgHat6I
  人種平等社会が訪れることへの期待を込めた感動的なバラード。
  美しいストリングスは,1960年代Sanremo全盛時代のイタリアのカンツォーネにも通じる。
  ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カムの入っているCDは入手が難しそうです。こんなとき、Youtubeはありがたいです。


  
  では最後に、クリス・ブラウンのCDの中から最もメロディアスな1曲を。

<37> クリス・ブラウンChris brown / ヤングラブ Young Love
  http://jp.youtube.com/watch?v=jN4e0IP_SR0 
  曲想からはマイケル・ジャクソンの影響を見て取れる。黒人にとってマイケル・ジャクソンの存在がいかに大きいかを感じさせる。





2008年11月13日

ダンサーへの道 ライバル偵察編

  さきほど、いつもの夜のジョギングコースを変え、12年ぶりに区民館の方に寄ってみました。

  12年前、本気になって踊ろうとしていた時期があって、その頃は毎日このジョギングコースでした。
  ここは、昔、週に3~4回はヒップホップのダンス・スクールを野外でやっていました。
  区民館の外側のガラスを鏡代わりに利用して練習しているのです。
  私は、ダンサーたちの横で彼らの音を聴きながら腹筋や腕立て伏せをしていました。
  以前は、10~15人ぐらい踊っていた。

  今はどんな感じかなと、覗いてみたわけです。
  最近、夜ここをバイクで通ってもダンサーが見あたらないので気になっていました。
  今夜は、ブレーカーが2人、楽しそうに練習していました。
  昔よりもレベルは確実に高い。
  これは、渋谷でちょっと若い人にチヤホヤされていい気になっている場合ではないな、と気を引き締めました。

  家に帰り、ビヨンセを見ながら筋トレをしました。

  汗をかいたら風邪をひきそうになりました。

  皆様も風邪にはお気を付け下さい。

2008年11月09日

CISCO CAMELOTV  今日の1曲 <33>に追加  Beyonce ビヨンセ

P1010072.JPG
5年前から部屋に飾ってある Gouryella / Ligaya(6月9日 今日の1曲 E) の12インチ・アナログ。
CISCOで買った最後のレコードになった。
トランステクノの最高楽曲 Gouryella / Ligayaを、9月23日の日記で試聴してみてください。



33に追加 Beyonce ビヨンセ / Déjá Vu


  「今日の1曲 新企画」の前に1曲追加させて頂きます。


−  渋谷のレコード店 CISCO −


  残念なことがありました。
  渋谷で30年以上続いていた輸入レコード店CISCOが廃業しました。
  私は、33年前CISCOの前身のShopから通っていたので、また何か青春の一部が失われた気がします。

  渋谷のYAMAHAも輸入盤を扱っていたようですが(Vertigoの激レアなオリジナル盤などもあったらしい…マニアックな話ですみません)、輸入盤専門店としてはCISCOが渋谷で最初でした。
  初めはROCK、Soulが中心でしたが、時流に乗ってクラブミュージックに移行し、頑張っているなあと思っていました。
  一時は、店内の通路も通れないほど若者が溢れていました

  「廃業」という言葉をみると、「山一証券廃業」のときの驚きを思い出します。
  山一証券の元社員も頑張っているようなので、CISCOもまた別の形で再生して欲しいと思います。
 
  今後もCISCOの想い出について書くことがあるかと思います。


− 渋谷CAMELOTV −

 
  昨日は、また渋谷CAMELOTに行きました。
  House Nationの1周年で、加賀美セイラというきれいなモデルさんがゲストでライブをやったらしいのですが、私は終電で帰るので見れずに残念。
  Houseで1時間、HIPHOPで1時間、Electroで20分と3つのフロアーで踊りました。Houseでよく会う男の人と挨拶しました。
 
  HIPHOPで踊っていたら外人の女の子が何度も笑って近づいてきて、声をかけられました。「Do you enjoy ?」と聞かれたので、「Yes、I enjoy」と答えました。
  「おお、今日はラッキーかな? 一緒に踊っちゃたりしようかなあ〜」などと期待したのですが、女の子には190センチぐらいのかっこいい黒人の友達がいて、「あ〜あ、こりゃ〜あかんわ〜」とあきらめました。
  「はいはい、いいですよ〜。私は一人で踊りますよ〜だ。」
  一人ダンサーは、いかなる孤独にも耐えねばなりません。
  
  2年前、赤ん坊のように介護していた祖母が死んだことがきっかけで、精神的にも肉体的にも体調を崩しました。
  これからは、人の死や悲しいことがあっても、気持ちを切り替えろという祖母のメッセージだったと思います。8月からDanceを再開して、体調がどんどん回復しました。
  今日は、CAMELOTの近くにあったCISCOへの弔いだと思って、悲しみを忘れてがんがん踊りました。


  帰る間際に、大好きなBeyonce ビヨンセの一番すごいと思う曲Déjá Vuがかかりました。大喜びでKRUMPとレゲエの一番過激なダンスをしました。
  別のときに紹介する予定でしたが、急遽、前回の「今日の1曲 <33>」に追加します。

  Electroのフロアーで限界まで速いステップを試した後、帰りました。ヒンズースクワットの効果があって、だいぶ足も動くようになってきました。
  
  今回は、腰痛も起きなかったのでほっとしました。


  Beyonce ビヨンセ / Déjá Vu
http://jp.youtube.com/watch?v=v8Lhy2CXr3o&feature=related
  1970年代前半のFunkのもっとも強烈な部分を現代に凝縮させている。憂愁をも湛えるメロディーは、James Masonの唯一の大傑作を思い出させる。
  ビヨンセの歌もすごいが、2:45からのダンスが驚異的。
  ビヨンセで一番好きな曲。CISCOで12インチを買いに行きたかった。


2008年11月05日

ダンシング・クイーンU CAMELOTU   今日の1曲 <33>  Beyonce ビヨンセ  (+ <34> 坂本龍一 Ryuichi Sakamoto)

P1010065.JPG
ワイルドでかっこいいダンシング・クイーンDancing Queen,ビヨンセBeyonceのDVD、
筋トレ用の鉄アレイ(4kg)とハンドグリップ


33 Beyonce ビヨンセ / Work it out  2002年

34 坂本龍一 Ryuichi Sakamoto / 戦場のメリークリスマス Merry Christmas Mr.Lawrence 1983年


  しばらくダンス系が続きますが,いずれイタリアンポップス等も紹介していきたいと思います。
  
  次回の「今日の1曲」では、新企画を打ち出す予定でおります。


  小室哲哉氏逮捕には驚きました。

  「アムロ×小室」のときの化学反応は本当にすごかったと思います。
  個人的には、私が体験した日本の音楽史の中では、1967〜1968年の「グループサウンズ・ブーム」と1995年〜1996年の「アムロ×小室・ブーム」が一番大きな変革期だったと思っています。

  小室氏は、前回のブログで紹介した寺山修司のラジオドラマ「中村一郎」を思わせます。
  全盛期の小室氏は、空を歩いているような人でした。
  でも彼は、そのまま空から降りることができなくなってしまった。
  「中村一郎」の言う「幸福は平凡な毎日の中にしかないんだよ」ということに気づくのが遅かったのでしょう。


  海外では、バラク・オバマBarack Hussein Obama, Jr.大統領が誕生。
 
  黒人初のアメリカ大統領をJames Brownにも見せてあげたかったです。
  James Brownは40年前、“Black America become America” と言いました。
  時代は変わり、バラク・オバマは「人種闘争」ではなく「人種融和」が信条。
  同じように人権派弁護士だったマハトマ・ガンジーにも通じるものがあります。
  
  人種問題だけでなく、アメリカ発の金融問題も是非解決していただきたいものです。

  
  今回の主役は、黒人のダンシング・クイーン、ビヨンセです。



−  再び渋谷CAMELOT  ダンシング・クイーンU −


  また、先週末,渋谷のクラブCAMELOTに行きました。
  CAMELOTのホームページ
  http://www.clubcamelot.jp/modules/tinyd10/

 
  週末のCAMELOTは、メインフロアーの地下3階以外に、地下2階にHIPHOPと,小さなHOUSE・Electroの2フロアーがあります。
  ATOMもそうですが,3種類の音で踊れるので楽しんでます。
http://www.clubcamelot.jp/modules/tinyd10/index.php?id=3


  今日は地下3階のHOUSEでスピンの練習をした後,地下2階のHIPHOPフロアーで2時間踊りました。

  HOUSEのフロアーでは,「戦場のメリークリスマス」のHOUSE・Mixがかかりました。

  戦場のメリークリスマス Wikipedia
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9

  坂本龍一 Ryuichi Sakamoto / 戦場のメリークリスマス Merry Christmas Mr.Lawrence
http://jp.youtube.com/watch?v=SWuptY2C9Xg&feature=related
  名曲。 0:13,0:37 で,西洋のクラシック音階から,和風音階に一瞬変わるところがメロディーのツボになってます。
  さすが芸大出身。見事な和洋折衷です。
  映画は,このテーマ曲と,ビートたけしの最後のセリフが深い余韻を残しました。





  地下2階のHIPHOPのフロアーへ

  HIPHOPのフロアーには大きなスクリーンがあり,音楽のビデオが流れています。
  Beyonce,MARY J BLIGE,Rihannaなどのかっこいい映像を見ながら,黒人ダンサーたちの振りの真似をして,フロアーで流れている曲に合わせて踊りました。
  同時通訳の乗りです。
  プロのダンスを見ながら勉強できるので最高の環境です。
  
  バク転やブレーキング以外は何とかついていくことができました。
  HIPHOPのリズムの重さを実感しました。
  踊っていたら,また男の人が近づいてきてお酒を渡してくれました。
  女の子が私の真横に立って,珍しいものでも見るように私を眺めていました。


  最近,家では、Beyonceビヨンセ,デスティニーズ・チャイルドのDVDを見ながら,筋トレをしています。
  鉄アレイ,ハンドグリップも必需品です。

  前はアムロのDVDを見ながらの筋トレでした。
  「打倒アムロ」を目標にしていた時期もありました。
  でも,アムロとかMichael Jacksonのような8頭身,9頭身の人間を目指しても,絶対勝てっこない。むなしくなることもありました。


  そんなときBeyonceのDVDを発見。

  Beyonceはスタイルがものすごく良いわけではない。
  しかし,可愛い顔をして,なりふり構わないワイルドなHIPHOPダンスは実に魅力的でSEXY。
  彼女の真似をしてみると,実はすごい筋力が必要だ。
  太もももアスリートみたい。
  相当努力しているはず。


  そこでBeyonceが私の新たな目標,大好きな先生になりました。

  クラブでスクリーンにBeyonceが出てきたので大喜びです。
  天国の気分で踊れました。
  HIPHOPのリズムで,HOUSEやフラメンコ,タップなどのステップも試しました。

  
  突然「ダンサーですか?」と声をかけられたので,「いいえ,素人です」と答えました。
  プロのダンサーには勝てません。でもいつか挑戦してみたい。
  
  話を聞いたら,彼は私の半分の年齢。
  今の時代は,音楽やダンスで食べていける道が多くあってうらやましい。
  今,自分が若かったら,絶対プロのダンサーを目指したのに。
  ダンス修行にNewYorkに行ったかもしれない。
  
  「お互い70歳まで踊りましょう!」と握手されて別れました。

  帰りがけにElectroのフロアーをのぞいてみました。女の子たちがまったりしている。
  床が滑らかなので,今日一番速いステップに挑戦して,本日はお終いです。


  HIPHOPで腰を思い切り使ったせいか,すじを痛めました。
  腰痛が…。階段を上がるのが苦しい。
  腰をさすりながら,足をひきずって渋谷の街を帰りました。

  翌日は腰痛もほとんどよくなりました。
  BeyonceビヨンセのDVDに刺激されて筋トレを強化していたおかげだと思います。
  腹筋は40回から200回に,背筋は20回から50回に,ヒンズースクワットは20回から100回に増やしていました。
  ビヨンセ様々です。


  ビヨンセのDVDを見ていると、白人のファンもたくさんいます。
  ビヨンセも、バラク・オバマと同様に「人種融和」を促進していくと思います。


  
  ビヨンセが,今の私の「ダンシング・クイーン」であり、憧れの先生です。


  Beyonce ビヨンセ / Work it out ワーク・イット・アウト    ビヨンセのソロ・デビューシングル
http://jp.youtube.com/watch?v=ugbQHWxsP64&feature=related
  今,私が一番筋トレで使っているビデオです。
  これを見ると元気バリバリ。
  1970年代のファンクや,レゲエの雰囲気もあります。

Beyoncé / Check On It
http://jp.youtube.com/watch?v=tKTCNnTULBk&feature=related
  これもかっこいい。手や腰の動きが参考になる。ビヨンセはいい映像が多数有る。

  「笑っていいとも」にビヨンセ登場。僕も会いたかったなあ。
http://jp.youtube.com/watch?v=jl8TgqBqCVs
  3:30 和製ビヨンセも乱入。





2008年10月31日

渋谷Womb 天井桟敷T 反則T 今日の1曲 <32>  Nu Yorican Soul  (+ 寺山修司、カルメン・マキ)

32  Nu Yorican Soul / The Nervous Track  1993年
         さらに
カルメン・マキ / 時には母のない子のように (詞 寺山修司 / 曲 田中未知) 1969年
 
寺山修司(作) / 空を歩こう(ラジオドラマ「中村一郎」より) 1959年


P1010058.JPG
The Nervous Track 12“ シングルと 「15歳天井桟敷物語」の内表紙,1970年ころの劇団「天井桟敷」


  すみません。今回も予定を大幅に超過して,1万字になってしまいました。
  お時間のあるときにお読みください。

  
  まずはこの曲から。
  アンダーグラウンドな魅力を保ちつつ、ダンスチャートのNo.1ヒットになったHOUSEの名曲です。踊れます。
  Nu Yorican Soul / The Nervous Track
       ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=zRoIuEe6Bbs




−  渋谷Womb  −


  Wombも渋谷のクラブです。

Wombのホームページ
http://www.womb.co.jp/

  8月27日、30日の日記でも紹介しましたが、8月24日Wombが私の渋谷のクラブデビューの場所になりました。
  場所がわかりづらい。ホテルに包囲されている。看板も何もなく、ベニヤ板のような入り口。初めて行ったとき、前を2〜3回往復しました。

 このクラブが集中するホテル街に行くのは、Ash Ra Tempel(8月30日 今日の1曲 <18> )の公演以来11年ぶり。
  駅から離れてるし,一般の人は行きにくい。バブル以前の六本木のディスコブームのようにはなりにくいでしょうね。あの頃は、平日でも午後8時には、どこのディスコも若者で大盛況でした。



−  寺山修司と幻の劇団「天井桟敷」 −



  Wombには、かつて演劇実験室「天井桟敷」のアトリエがあったらしい。

  「天井桟敷」は,渋谷で約40年前に結成された伝説の演劇集団です。
 主催者は寺山修司。その業績は、私のブログなどではとても語り尽くせない。
 

 寺山修司 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E5%8F%B8

 なお、8月18日のブログ「今日の1曲 <14> あしたのジョー」の日本版主題曲の作詞も寺山修司。


  天井桟敷 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BA%95%E6%A1%9F%E6%95%B7_(%E5%8A%87%E5%9B%A3)

  「天井桟敷」と言っても,若い人には「?」でしょうね。
  みなさんが産まれる前に解散している存在ですから。


  若い人向けに「天井桟敷」の特徴@Aを簡単に説明すると,

@ ファッション的に言うと,「天井桟敷」の団員は、今の渋谷のロンゲ、スキンヘッド,ヤマンバギャル(日焼けはしてないが)、家出少年などの元祖。かと思うとモデル級の美女もいた。
  今は若い人にもブレイクしている美輪明宏も初期の公演で出演したことがある。

  ここで「天井桟敷」の団員から生まれた最大のヒット曲を。
  紅白歌合戦にも出場しました。
  
  カルメン・マキ / 時には母のない子のように (詞 寺山修司 / 曲 田中未知) 1969年
         ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=A182itafpNg&feature=related
  ちなみに、この曲は、当時イタリアでも発売されています。




A 「天井桟敷」の演劇の特徴は,それ以前の演劇に対する挑戦。
  いうなれば既成のルールに対する「反則」攻撃。ベトナム戦争反対運動など当時の世相を反映していた。海外でより高い評価を受け、多くの賞を受けた。
  「反則」攻撃は,やはり同時代のプロレスや,タイガーマスクにも通じるものがある。
  私は「天井桟敷」の公演を渋谷にあった小劇場「ジャンジャン」で1回だけ見た。
  やはり「客いじり」という「反則」技を使っていた。
  「天井桟敷」の公演の中でも1971年渋谷公会堂の「邪宗門」は,タイガーマスクの最終回と並ぶ「大反則」の金字塔です。 
 


  高橋咲 「15歳天井桟敷物語」
 
  元団員による実録?青春小説。
  自分が当時の「天井桟敷」の団員であるかのような体験ができる。1971年渋谷公会堂の「邪宗門」の経過も詳述。特に、若くて演劇に興味のある人にお勧め。
  ただ,あまりに特異な十代の体験のため,一般的な青春時代を送った人には共感できる部分は少ないかもしれない。
  「さようなら寺山さん さようなら天井桟敷」という最後の一節が胸を打つ。
  寺山修司が一番喜んでいるのではないか。
  読書家モデルの押切もえあたりに読んでみてもらいたい。
 


  寺山修司については,個人的には,天井桟敷を旗上げするまでの初期の時代が好きです。初期のラジオ放送用の戯曲、詩集には彼の理想がわかりやすく描かれていた。
  「天井桟敷」の演劇については難解だし,親子の問題とかドロドロし過ぎて正直のところ私は苦手だ。1970年前後という時代が「天井桟敷」を要請していたのだろう。
  
  話は変わりますが,学生時代,頭の悪い私には,マルクスの「資本論」も難解で全然意味がわからなかった。結局,共産主義が崩壊したことで,時代は「資本論」が不要であることを証明してしまった。  しかし,初期のマルクス・エンゲルスが描いた貧しい人を助けたいという理想のようなものは現代でも通じると思うのです。 

  劇団「天井桟敷」の時代で好きなのは、寺山修司によって触発されたJA・シーザーの作曲した音楽と演劇とのからみ。好きなメロディーのところだけ聴いている。
  「邪宗門」も最後の5分間のクライマックスのパートだけ何百回と聴いた。
  「邪宗門」やJA・シーザーについては別の機会に。
  




−  Womb  10月19日 お恥ずかしいクラブ日記  −


  Wombは「子宮」という意味。
  そう言われると,いかにもアングラな天井桟敷らしいネーミング。

  
  8月24日の日記 House「Pangea」の日
  
  閉店した六本木Velfarre以来,1年8ヶ月ぶりのクラブだった。
  直前,2,3回ジョギングで調整した。
  
  午後3時頃入る。ほとんど人がいない。一人で2時間踊る。
  「2時間ノルマ。曲ごとにステップを変更」が目標だったが,体力が続かない。これほど体力が落ちているとは…ショック。 6時退場。へとへとになりながら,雨の中を帰る。

  
  8月31日の日記 「House Nation」の日
  
  午後5時頃入場。初め誰も踊ってなかった。
  そこに、フロアーで堂々とストレッチをするHouseの偉大なるダンサーが突如出現。踊る阿呆の私も俄然やる気が出て2時間踊る。
  疲れたので3階で座って休む。首だけ動かして、1時間半、首のダンスをしていたら女の子がずっと見ていた。首のアイソレーションは、9ヶ月間ダンススクールで大先生に鍛えられたのだ。
  また,ダンスフロアーに出た。フロアーは満員だ。
  ギャング風ファッションのおにいさん,元チーマーらしき軍団,ギャル,本当にただのおばさん,秋葉系オタク,70歳位のリズミカルなおじいさん,女性のDJさん,長谷川潤という一番人気のモデルさんなど,人間観察には最高の楽しい日だった。
  タイガーマスクの目をした若者を一人発見したのが最も印象に残った。



  そして,10月19日
 
  2ヶ月ぶりにHouseイベント「Pangea」

  8月24日に体力切れになった雪辱を果たすべく,2ヶ月のトレーニングの成果を試す日が来た。

  渋谷に到着。「渋谷109」で音楽を聴いてウォーミングアップ。

  まず,フライヤー(クラブのチラシ)を取りにレコード店へ。
  クラブ「Harlem」は,フライヤーがあれば,なにしろ3000円が1000円になるらしい。宇田川町へ。30年以上前からあったCISCOが無くなっていた。
  DMRもManhattan Recordも 客が少ない。どうしたんだろう。
  10年前みたいに吉野家近辺にB−Boy君たちがたむろしていないぞ。
  クラブミュージックは大丈夫なのか? 心配になる。
  Wombの場合,事前にフライヤーをPCで印刷していくと500円引きになるのです。
  
  
  コンビニで買った缶チューハイをあおって戦闘準備。

  8月に行ったときは,午後6時でも客15人くらいだったので,今回もガラガラのフロアーを想定していました。 
  Wombが,「反則」芸術の殿堂「天井桟敷」の跡地と聞いて,やる気も充分。
  
  モダンダンスやストリートダンスは,過去の伝統的なダンスの禁じ手を使ったもの。
  言ってみれば「反則」芸術の歴史なのです。
  
  芸術の秋だ。前日までイメージトレーニングした様々な「反則」ダンスを,広いフロアーで試すときがきたと決意を固める。

  
  4時入店。トイレで,ベルトを派手なものに着替える。昔から,この着替えの時間が一番わくわくするとき。
  フロアーに行くと,予想に反して客が結構いる。
  これはマズイ。予定の「反則」ダンスはできない。
  普通のHouse等のステップに変更。

  
  2時間踊って疲れた。そこにノイズの嵐が… 
  「裸のラリーズか!」 思わず耳をふさぐ。

  若い方すいません。
  「裸のラリーズ」とは,京都で「天井桟敷」と同じく1967年に結成され,一部から熱狂的なリスペクトを受けていた伝説のロックバンドです。
  ジェット機のエンジンの中にいるような轟音ギターは,ロックのひとつの極限。
  凄いステージで,私もファンだった。
  4回以上コンサートに行ったのは「裸のラリーズ」と山口冨士夫だけ。
  「裸の」とはいっても男性ストリップではありません。そういえば,昔六本木に,外人日本人混成男性ストリップ「Jメンズクラブ」があったと聞いたが,もうなくなったのだろうか。 
 
  裸のラリーズ Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%B8%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA

  ノイズの嵐に耳をふさいで踊る。周りは楽しそうに叫んでいる。私が年をとったということか。裸のラリーズの水谷孝が10年前に活動を停止した理由は謎だが,単純に自分自身がもうノイズという音楽に楽しめなくなったからではないか。そんな気がした。
  裸のラリーズの思い出は別の機会に。

  
  6時半,4Fの奥のソファで休む。隣の女の子たちが,UFOの話をしているようだ。
  やっぱり天井桟敷っぽい。
  7時,「もう帰ろうかなあ…でも2000円も払ったし。」考えがせこい。
  ATOMなどのHappyTime入場料1000円に慣れると高く感じる。


  「もう少し,踊ろう〜〜」と決めてフロアーへ。
  ここには,ギャル、ギャル男くんは見たところ一人もいない。
  同じ渋谷なのに、店やイベントで全然客層が違うのだ。
  昔の六本木は,どこへ行ってもだいたい同じ客層だったのに。

  だいぶ混んできた。人の足を踏んでしまうので,ステップが思うようにできない。 
  そこで手を使う比重を増やす。こういうときに備えて腕立て伏せをしてきたのだ。
  手も絵を描くように使うとダンスは楽しい。
  スピードもターボエンジンに切り替えて速く動かす。


  突然背中にタックルを受ける。

  振り返ると、ひげの男が「ワオー」と嬌声をあげて,抱きついてきた。
  「オイオイどうしたんだ?! 俺はゲイじゃないが何だか嬉しいぞ。」
  思わず握手しました。
  Camelotでは初めて握手されたが,26年踊っていて今度は初めて男に抱きつかれた。大昔,チークタイムで見知らぬ女の子と踊ったことはあったけど。

  ひげの男は,最前列でワーワー騒いで踊り狂っている集団の団長さんらしい。 
  「そうか。俺のダンスを気に入ってくれたのか! ほんなら、ガンガンやったるでえ〜」とやるきが出る。正直のところ,女の子が抱きついてくれたらもっと嬉しいのだが。

  グループやカップルは,男女で抱き合っていたりする。
  「いいなあ〜」と横目で見つつ,粛々とミッションをこなす。
  一人ダンサーに哀しい宿命は多くついてまわる。
  しかし,哀しみをプラスのエネルギーに換えてこそストリートダンスだ。

  また,ひげの団長さんが抱きついてきた。
  「そうか,そんなに俺のことが好きか!? ヨ〜シ、とことん愛し合おうじゃないか。
  といってもダンスでだゾ。」何度も繰り返すが女の子ならもっと嬉しいのだが。


  一休み。ダンスウォッチング。
  今日、200~300人ぐらいいるが,気になるダンサーは一人いた。
  ポッピングPoppingで体をくねらせるのがうまい人。彼はどこかで習っているな。
  ひげの団長さんも、軽快ないいステップで頑張っている。
  今日見た中では2番手。さすがは団長さんだ。

  26年前の自分と同じグッズ(恥ずかしくて言えません)を手につけた女の子を発見。
  なんだか胸がキュンとなり感無量。私は普段は度胸がなくて自分から女の子には声をかけませんが,思わずその子に近づいてハイタッチ。


  ここで「反則」
  
  Wombには前の方に柵がある。柵につかまって遠心力を使ってHouseのリズムでHiphopを踊る。
  さらにレゲエダンス。柵につかまるとレゲエのエロいダンスがやりやすい。
  これも「反則」。
  レゲエダンスはジャマイカの女の子の求愛のダンスなのだ。

  すると,私に近寄ってきて尻をこすり合わせてくるエッチなおねえさんが来た。
  私ごときに逆ナンありがとうございます。誠に申し訳ありませんが,お気持ちだけ嬉しく頂戴いたします。
  ここは,世界で2番目に音がいいと言われたクラブ。
  そのスピーカーの前にいるのだから,おねえさんより音のほうがいいのだ。希望としては,クラブの外で逆ナンしてくれたらいいのだが,それは無理なんでしょうね。


  今度は、みんながやり始めたので,自分も柵によじのぼる。
  
  ここなら鳥より高く飛べるかもしれない。
  店員さんが着て,柵からみんな降ろされる。
  昔,日本のディスコで最初にできたお立ち台に登って、店員さんに降ろされた。
  このときは店員さんに抵抗した。
  しかし、私もまるくなった。今回は私もおとなしく降伏。



  
  寺山修司の言葉で私が一番好きな言葉がある。

  「どんな鳥だって想像力よりは高く飛ぶことはできない」


  
  図書館で読んだが,わかりやすい寺山修司の入門書。



  しばらくすると,みんながやりはじめたので自分もまた柵によじのぼる。

  「反則」
  しかし,「赤信号みんなで渡れば怖くない。」
  
  柵の上で,Houseに合せてロッキング。手旗信号ではなく,ちゃんと裏のリズムをとってやるのです。以前,ダンススクールで親切な若いロッキングの先生が,私の好きなJames Brownの曲でロッキングの基本を教えてくれたおかげで身に付いた。
 
  柵に乗って,世界で2番目に音がいいスピーカーの前で音を独り占め。
  ダンスは私にとって波乗りと一緒です。スピーカーから出てくる,ドラム,ベース,メロディーなどいろいろな波に体を委ねるのが楽しい。 

  しかし,手のダンスも1時間もやるとデスマッチだ。
  肩が苦しい。中学時代の野球部の地獄の夏合宿を思い出す。もう臨界点だ。
  「なんで踊らなきゃならないんだろう?」そんな気がしてくる。

  スピーカーの前で踊る私をスタッフはクールに無視して通り過ぎていく。
  

  そんなときだった。

  一人の超イケメン君が手拍子で私を下から応援してくれるではないか。
  「そうか、君はわかってくれたか! 俺が音楽が好きでしょうがないのだということを。」 
  顔をよく見ると,私が高校時代に子分のようについてまわった亡くなったKさんとほとんど同じ顔だ! 思わず、柵を降りてお辞儀をした。
  Kさんは死ぬまで音楽家として頑張ったのだ。

  
  Kさん似のイケメン君の応援のおかげで,私には「タイガーマスク」のある光景がよみがえった。(またタイガーマスクかよと,どうか思わないでください)

  「平成虎の穴」ホームページ
  「エピソードガイド」の「第6話」を読んでいただきたい。
http://www4.airnet.ne.jp/pancra/tiger/index/anime.html
  私は「俺を応援してくれる声……初めてだ!」のシーンを思い出して,勇気百倍を得た。

  You tube「タイガーマスク」イタリア語版「第6話」
  あっ、格闘技が苦手な方は見ないでくださいね。
http://www.youtube.com/watch?v=nfZiCo1Kf48
  5:34「負けるなタイガー!」のシーン。  6:53 健太登場〜ルリ子によるタイガー説得の場面。「タイガーマスク」で一番有名なシーンのひとつだ。

  「タイガーマスク」日本語版「第6話」
http://dl.rakuten.co.jp/prod/800269288.html




  
  さっきハイタッチをした女の子が例のグッズを持って近づいてきた。また,ハイタッチ。
  私は咄嗟に女の子にグッズを「貸して!」と言った。
  しかし,スピーカーの前なので聞こえないらしい。女の子は笑ってるだけだ。
  あ〜,あのグッズがあれば,あの日一番面白いショーができたのに! 
  今,これを書いていても悔しい。

  
  もう終わりの10時が近づいてきたのでやめることにした。

  柵から降りると,女の子が2人手を振ってくれた。
  長い格闘が報われた気がする。

  でも本当のところ私は,「タイガーマスク」における「赤き死の仮面」のようなダンサーになりたいのだ。

  小学校の頃,「赤き死の仮面」は超悪役でも人気があった。タイガーマスクのビニール人形を集めていた友達の家に行くと,「赤き死の仮面」は必ずあった。
  悪役なのに「赤き」なんて正義っぽいネーミングがまたよい。梶原一騎はエドガー・アラン・ポーの小説からこの名前を考えたらしい。さすが小説家志望。
  
  あまりの凄さに女の子が手を振るどころか、近寄ることもできないようなダンサー。
  「おそるべきダンサーが渋谷,六本木に出現…」な〜んて風にならないかなあと思って私は日夜、筋トレに励んでいるのだ。

  でも,心の中では、どこかで愛されるキャラになりたがっている自分がいる。
  女の子が手を振ってくれて嬉しくなってしまう自分が哀しい。
  昔はもっと、とがっていたのに。
  私は「赤き死の仮面」を目指すには,もう若くないのかもしれない。

  休憩。
  外人さん御一行が横に座っていた。英会話の先生か,旅行の人たちか? 
  なんだか退屈そうだ。
  
  少し休んだ後,最後にサービス。
  今日このクラブで一番速いステップを見せてあげよう。
  しかし26年前のようには速く動かない。
  あのころは,黒人の女の子も白人のモデルさんも,私が腰を速く動かすだけで発狂して絶叫したのだ。つくづく,体力が落ちたものだと思う。

  
  5時間超踊ったが,これで今日はおしまいにしました。



  外へ出ると,ポカリスエットをがぶ飲み。とにかくうまいのです。
  これが楽しくて踊っているようなもの。
  8月24日はホテル街をヨレヨレになって帰ったが,2ヶ月でだいぶ体力が回復したのを実感できて満足。

  しかし,悲惨なことに,ベルトが汗でぼろぼろで,ワイシャツが真っ黒に汚れている。
  
  これで電車に乗るのはつらい姿だ。




− 帰宅 〜 寺山修司作ラジオドラマ「中村一郎」 −

 

  帰ると母が,開口一番,聞いてきた。
  
  「今日のおダンスは,どうでござんしたか?」
  
  「今日? 男に抱きつかれちゃったよ。」 
  女の子じゃなければ自慢にもならない。
  女の子だったら,おばあちゃんや姪っ子たちにも自慢できるのだが。

  母は70歳を過ぎてフラダンスに熱中している。
  父の60年以上のハワイアン病がうつってしまった。

  先週,町内会のお祭りがあって,老人会の6人組で母がフラダンスで出演した。
  もうみんな振りがバラバラだが,楽しそうだ。
  一段高い即席の舞台の上に立って,空を歩くような気持ちなんだろう。
  母から「どうだった?」と聞かれたので「前よりよくなったじゃん」と答えた。



  私の好きな寺山修司の初期のラジオドラマに「中村一郎」という作品がある。
  図書館で読んだ。


  「中村一郎」は,36歳の平凡な保険外交員「中村一郎」が,ひょんなことから空を歩けるようになるというストーリー。彼は一躍英雄となり,マスコミの寵児となる。
  
  しかし,中村一郎は突然,空を歩くことを止めてしまう。
  最後に,彼は子供に向かって,「おじさんは英雄になんかならなくてもいいんだよ。幸福は平凡な毎日の中にしかないんだよ。」という。
  「そうじゃねえな」という子供と一緒に,中村一郎は,英雄の歌「空を歩こう」を歌う。はじめは元気に。だんだん哀しく。

  それだけの話なのだが,「中村一郎は,じつはあなたの中にもいるし,わたしでもあるのです」という言葉を,フラダンスを踊っている母を見ていて思い出した。
  
  初期の寺山作品からは,「ジオノ・飛ばなかった男」「飛びたい」「とびうおの歌」など,必死に飛び立とうとするひとりの才能に溢れた青年の内的な感動を得られるのです。


  寺山修司 / 中村一郎「空を歩こう」





− Wombの翌日 10月20日の日記 −

  Wombで踊った翌日,祖父と祖母の墓の掃除に行きました。
  
  半年前に,祖父の33回忌と祖母の3回忌をしていただいた副住職が,先日突然亡くなった。まだ若い。ショックだった。お寺は祖父と祖母の墓の近くにある。
  副住職は,私の中学の先輩だった。20年ぐらい前から盆になると家に来て,祖母と一緒にお経を聞いた。
  祖母が亡くなったとき,私の家の複雑な事情を話したら,副住職は,家の実情に合うように必死に講話を考えてくださった。祖父の33回忌のときも,祖父の書いた本がどこの図書館に所蔵されているかまで調べていた。
  副住職の死因は,過労による突然死とのことだった。副住職は,私の家だけでなく,どの家についても必死に勉強されていたに違いない。副住職の過労死の一因に我が家のこともあるのだと思うと心からご冥福を祈らざるをえない。



  盆踊りの原形は踊り念仏だといわれます。
  鎮魂、鎮送を目的とする盆踊りにも今後は力を入れていこうと思いました。


  墓掃除のあと,ダンスで汚れたワイシャツをクリーニングに出しました。

  クリーニング屋のおばさんから,「あ〜この汚れは落ちないです〜」と言われた。
  おばあちゃんに買ってもらったいいワイシャツがお釈迦だ。
  100円単位で節約してるのに。ベルトと合わせて数千円の損失だ。トホホ。
  
  昨日,ダンスでお尻をすり寄せてきたおねえさんの服も汚れたかもしれないなあ。
  今頃,おねえさんも「なんで汚れてるのよ」と、ぼやいているかもしれない。
  どうもすいません。
  そんなことを思いつつ帰宅しました。


  
  今回も、お読みいただいてありがとうございました。



 再び Houseの名曲を。
  当時,ラジオのDJもMarvelous(驚異的)な曲と絶賛していました。

  Nu Yorican Soul - The Nervous Track
http://jp.youtube.com/watch?v=zRoIuEe6Bbs  
  トライバルで躍動するポリリズム。House版の踊り念仏ともいえましょう。








2008年10月15日

CAMELOT ダンシング・クイーンT 今日の1曲 <30> Abba アバ  (+鈴木亜美)

30 ABBA アバ / ダンシング・クイーン Dancing Queen  1976年

 株価が一転急上昇。過去最大の上げ幅とのことで、ニュースでも今日は沢山の笑顔が見られてよかったです。良いことがずっと続くといいですね。

CAMELOTは渋谷にあるクラブです。
CAMELOTのホームページ
http://www.clubcamelot.jp/modules/tinyd10/
 
  8月からのクラブ通いが止まりません。踊っているときが一番幸せです。家でメダカを飼っているのですが、楽しそうに水槽で泳いでいるメダカを見ているとクラブで踊っている自分と同じだなあ、と思います。2年前から苦しんできた持病も踊り始めたら徐々によくなってきました。もっと早く行けるクラブがあることに気づけば良かったです。

  毎週末は某予備校の自習室で学習。夜8時ころになるとどのクラブに行くかワクワクしてきます。先週はCAMELOTか、ATOMかで迷いました。先々週行ったATOMは、元気なお兄さんの呼び込みが往年の六本木交差点の賑やかさを思わせていいんですよね。昔は、六本木交差点は、今の渋谷センター街のように人が溢れかえっていたのです。今回はCAMELOT がHouseだったので、ATOMはパス。
  
  ATOMのホームページ
  http://clubatom.com/index.php

  CAMELOTの方は、3周年イベントで鈴木亜美がゲストDJで来るらしい。混んでいるクラブは満足に踊れないので嫌いです。鈴木亜美のファンが殺到していたら困るなあと心配しつつ、9時開店直後のCAMELOTに思い切って飛び込んだら、まだ客は10名程度。ダンスフロアーはガラガラの貸し切り状態で思わず「バンザイ」。  
  
  今日はまず課題にしていたJames Brownのスピン、左スピンと右スピンの連続と、3回転スピンの練習をしました。3回転スピン自体はなんとかできたのですが、マイケル・ジャクソンのような高速のスピンがどうしてもできない。新たな課題ができました。映像をコマ送りにしてフットワークを研究します。

  私は終電で帰るので、残念ながら遅くに出演したらしい鈴木亜美のDJは見れませんでした。

  鈴木亜美 / Can't stop the DISCO 2008年 
  今Perfumeなどで注目されている中田ヤスタカの作品。この人の音はクラフトワークKraftwerk直系。電子的かつクラシカルなプログレッシブ・ロック。
          ↓
  http://www.youtube.com/watch?v=KLPWmRt-h6k  1:12からのサビが水流のように美しくて気持ちいい。ベースラインも重くて速いクラブサウンド。がっつり踊れます。フロアーで聴けず誠に残念。



  
  踊りに行きはじめたのは26年前なのですが、入れ込むのは12年ぶり。
  ダンサーが主人公の朝のNHK連続テレビ小説「瞳」の番組の終わりに毎回いろいろなストリートダンスの映像が出て刺激を受けたのと、その他諸々の理由で久々に本気になりました。
 
  ストリートダンスの場合、評価するのは女の子。女の子の眼がこわいところです。
  最近、踊っていると周りの人たちが踊るのを止めて私を見ていることが多かったので、自分のダンスはどう思われているのかなあと内心気になっていました。前回、CAMELOTで踊っていたとき、「先週Flowerで踊ってましたよね」と男の人に声をかけられ、「一人で周りを盛り上げてましたよ」と言われたので大丈夫かなあと思っていました。

  今回、CAMELOTで踊っていたら、初めて女の子の2人組から声をかけられてお酒を渡され、握手を求められました。踊っていて握手されたことは26年間なかったので嬉しかったです。思わず頭を下げてお礼をしました。
  
  しばらく踊っていたら、突然若い男の人から「先輩! すばらしいです」と言われ、またお酒を渡され、握手を求められました。すると、何人も若い男の人たちが集まってきて「一番表現ができていると思います」、「踊りの参考にさせてもらいます」、「どうしたら踊れるようになるか教えてください」等と握手を求められて驚きました。踊っていてバテてきたら、また男の人が寄って来て「これを飲んでください」とお酒を渡されました。

  最近、いくら筋トレやジョギングをしても太股の筋肉のバネが弱く、26年前の空を飛んでいるようなステップの感覚がどうしても戻りませんでした。
  
  清原でさえ引退する日が来たのだから、やっぱり自分はもうだめなのかなあと自信を失いかけていたところだったので、今回多くの若い人に声をかけられて元気づけられました。

  26年前、12年前と違って、今はダンスについてたくさんの情報が得られます。私の家の近所の駅のそばにさえストリートダンスのスクールがあります。

  今、自分の中にあるダンス、あるいはダンスのインスピレーションの引き出しを整理すると以下のようになります。


− 黒人系 −
ハウスHouse
ヒップホップHiphop
R&B
ビヨンセBeyonce
ニュー・ジャック・スウィングNew jack swing
ロッキングLocking
ブレークダンスBreakin
ポッピングPopping
マイケル・ジャクソンMichael Jackson
ソウルSoul
ファンクFunk
ジェームス・ブラウンJames Brown
ビバップBebop
ジャズダンスJazz
エリック・ドルフィー Eric Dolphy
エルヴィン・ジョーンズElvin Jones
クランプKrump

− 白人系 −
バレエ
アンナ・パブロワ
ニジンスキーNijinsky
モダンダンス イサドラ・ダンカン Isadora Duncan
マーサ・グラハム Martha Graham
マドンナ Madonna
パティー・プラボー Patty Pravo
ダリダ Dalida
ミュージカル
タップダンス
フレッド・アステア Fred Astaire
ジャン・ルイ・バロー Jean-Louis Barrault
パントマイム(マルセル・マルソー Marcel Marceau)
ポールダンス
ロックンロール(エルビス・プレスリー Elvis Presley、アドリアーノ・チェレンターノAdriano celentano…)
ミック・ジャガー Mick Jagger
ピーター・ガブリエルとジェネシスPeter Gabriel with Genesis
ブラック・サバスBlack Sabbath
レッド・ツェッペリン Led Zeppelin
マヌエル・ゲッチングManuel Göttsching
クラウス・シュルツ Klaus Schulze
イル・バレット・ディ・ブロンゾIL BALLETTO DI BRONZO

− アジア系 −

歌舞伎
日舞
伊藤 道郎
舞踏 土方巽 大野一雄
チャー坊(村八分)
アムロ
パラパラ
ゴーゴーダンス
盆踊り
阿波踊り
どじょうすくい

− その他ダンス −
レゲエreggae
フラメンコ Flamenco アントニオ・ガデスAntonio Gades、ホアキン・コルテスJoaquin Cortes
サルサ Salsa
タンゴ Tango
サンバsamba
インド舞踊
ハワイアン Hawaian

− スポーツ系 −
水泳
フィギュアスケート
ボクシング(モハメッド・アリMuhammad Ali、シュガー・レイ・レナードSugar Ray Leonard、ロベルト・デュランRoberto Duran, マービン・ハグラー Marvin Hagler etc)
タイガーマスク Uomo tigre
空手
相撲
野球
ヨガ
太極拳


  このような様々なダンスあるいはダンスのインスピレーションの要素を常に20種類以上用意して、絵の具のように混ぜ合わせれば、ダンスは無限に生まれます。
  
  たとえば、前々回の「クラシカル・プログレッシブ・ロック」の考え方を応用すれば、黒人のヒップホップHiphopのリズムで踊りながら、白人のイサドラ・ダンカン Isadora Duncanのポーズを混ぜることも可能です。
  また、前回の「井上陽水 / 氷の世界」の考え方を応用して、黒人のファンクfunkにアジアの能の動きを入れればイエロー・ファンクになります。

  私は踊るとき、棒などつかまるものが有ったら利用したり、柱のようなところに足や体をぶつけてリズムをとることがあり、よくぶつけたところが内出血していたりします。
  
  今回、CAMELOTで2時間半踊っていて足が疲れたのと、混んできて端の方に来てスペースもなくなったので、壁を利用することにしました。まず、壁を相撲の張り手のように押してリズムをとってみました。次に指をリストの超絶技巧練習曲をピアノで弾くようなつもりで、Houseのリズムに合わせてできる限り速く壁にはうように動かしてみました。突然の思いつきでしたが、やってみると非常に楽しく集中できました。

  一人の女の子が近づいてきて、「何をやっているんですか?」と聞かれたので、私はとっさに「パントマイムだよ」とこたえると「一番目立ってますよ」と言われて握手をしてくれました。偶然ですが、パントマイムとHouseを混ぜた新しいものができたと思いました。
  今度は、3人組のギャル男くんたちが「面白いですね」と言って寄ってきて「一緒にやりましょう」と言われ、壁を指で突くダンスをワイワイ騒ぎながらやりました。終電で帰る時間になったので、最後に3人とハイタッチと握手をしてフロアーを出ました。
 


− 「ダンシング・クイーン」は何処に? −
  
  
  さて、前々回1975年を境にクラシカル・プログレッシブ・ロックは衰退してしまったと書きましたが、クラシカル・プログレッシブ・ロックの美しさは、その後、多くのダンス・チューンに取り入れられていきました。
  
  その代表格のひとつがABBAアバ。ABBAアバの曲だけでミュージカルができるほど素晴らしい曲をたくさん残しています。
  
  クラブ、ディスコの華はなんといってもダンシング・クイーン。
  リズム感のある女の子がお立ち台に上がってくれると、クラブは一挙に盛り上がります。
  

  そこで、ダンシング・クイーンを探す特集「ダンシング・クイーン」の第1回は、まずこの曲から。
 
  ABBAアバ / ダンシング・クイーン Dancing Queen
         ↓
  http://jp.youtube.com/watch?v=REElUors1pQ 
  1970年代を代表するというか、全時代を通して最高のポップス、ダンス・チューンのひとつ。すべてにおいてパーフェクト! 100年後にはビートルズと並び評されることでしょう。

  


2008年10月07日

FLOWER 今日の1曲 <23>  Shannon (+ミルバ)

23 Shannon / Let the Music Play   1983年

 ATOMに続いて紹介するFLOWERは六本木にあるクラブです。
ここは時間帯が合えばリクエストにも応えてくれます。先日、James BrownのSoul Powerをリクエストしたらかけてくれて嬉しかったです。オールジャンルのかかるALL MIXの日は、早い時間はR&B,ヒップホップ、夜中の1時ぐらいになるとトランスがかかるそうです。
早い時間に行くと料金も安いのでお勧めです。
   六本木FLOWERのHP
   http://www.roppongi-flower.jp/

  今日の1曲は、前回の90年代Snapに続いて80年代、1983年の Shannonの強力ダンスチューン、Let the Music Play。
とにかく理屈抜きにかっこいい。Youtubeではまっています。
ヘッドフォンで聴くと重低音のバスドラムとシンセサイザーに思わず体が揺れます。
  今度どこかのクラブでリクエストするつもりです。

Shannon / Let the Music Play 
http://jp.youtube.com/watch?v=47oZF15omxk&feature=related 重低音が魅力
http://jp.youtube.com/watch?v=cpEGDXhu5oM ロボットのようなダンス

P1210030.JPG
shannonの12inchとミルバのサイン

  先日、ミルバのコンサートに行かなかったので、Youtubeでライブをチェックしました。今回の来日でもフィナーレを飾ったのはフランスのエディット・ピアフのメドレーです。70歳を超えても、Milvaにとって偉大なエディット・ピアフと20代に出会い、賞賛されたことは人生で最大の出来事だったのでしょう。

ミルバ / エディット・ピアフ・メドレー(愛の賛歌、私の神様、ミロール)
http://jp.youtube.com/watch?v=ISZw6JaAoFU 70歳で4:00あたりの声は驚異

2008年10月04日

ATOM 今日の1曲 <22>  Snap 

P1010028.JPG


22  Snap / Rhythm is a dancer  1991年 ドイツ

 タイガーマスクの次は鉄腕アトム、ではなくATOMは渋谷にあるクラブの名前です。
 昨日は渋谷オーチャードホールでMILVAのコンサートがあり、イタリア人の友人から頼まれた公演パンフレットをゲット。ミルバの来日は今回が最後になりそうだというミルバのコメントもあったのですが、すでに2回見ているので今回は観演はパスしました。

  ミルバMILVA来日
  http://www.ints.co.jp/milva/index.htm


 そしてすぐ近くのATOMへ直行。2年前六本木のVelfarreが閉店してトランスが聞けるクラブがないと思っていたのですが、先々週六本木のFlowerのウェイターさんからATOMなら早い時間からトランスがかかるという情報をキャッチ。
 怪しいホテル街の中にあるATOMに行ってみると、元気のいいお兄さんが路上で「いらっしゃいませ」と大声で呼び込みをしていた。ディスコやクラブでこんな歌舞伎町のキャバレーみたいな呼び込み見たことないぞ。なんだか面白そう。エントランスでは、ボディーチェックが厳しい。これも初体験。早い時間なので入場料はたった1000円。

ATOMのホームページ
  http://clubatom.com/index.php

 5階のダンスフロアーが思ったより狭い。早い時間なので店内ガラガラで先客は1人。腰からタオルをぶら下げたサラリーマンがパラパラを一人で必死に踊っている。こういう踊り馬鹿がいてくれると踊りやすいのでありがたい。こちらも踊る阿呆。2時間半汗をかいて終電で帰りました。帰るころは店内は満員。ギャルが沢山いて、昔の良き頃の六本木を思い出しました。
 8月24日から毎週末クラブに行くようになり、筋トレ、ジョギングでメタボなお腹もだいぶ凹んできました。

 フジ子・へミングが長くベルリンに留学していたのでドイツつながりということと、フジ子・へミングもアムロがすきだということなので、前回に続いて今回はドイツのダンスユニットSnapのRhythm is a dancer。厳密には「トランス」ではないと思いますが、テクノの匂いが漂う90年代の名曲。メロディーもグルーブも素晴らしいです。

snap-rhythm is a dancer (本当はイントロの長い別のRemixを出したかったのですがみつからず)
http://www.youtube.com/watch?v=WMPM1q_Uyxc&feature=related

2008年08月27日

晩夏の海V 今日の1曲 <17>  Leroy Burgess ルロイ・バージェス

 <17>  Leroy Burgess ルロイ・バージェス
  / Heartbreaker  (Salsoul Records 1983) 
 
  前回、前々回のKeith Jarrett、ALUNNI DEL SOLEに続き、海の旅で、今回は浜辺を歩くときに聴く曲です。照りつける太陽の下で浜辺を歩くときは、ダンスミュージックが効きます。

 
  一番暑くてきついときは、James Brown の「Love Power Peace Live At Olympia,Paris,1971」(今日の1曲F)や、同じくJames Brown 「Live at the Apollo, Vol. II」のLet Yourself Goからのアップテンポのところを聴いています。

 そして欠かせないのが、Salsoul Recordsのコンピレーションです。Salsoul Recordsは最初に12インチシングルを出したレーベルだけあって、良質なダンスミュージックの宝庫です。聴いているだけで元気になります。
 
 先日、世界で2番目に音がいいと評価されたというwombというclubにハウスの日に行ってみました。昔あった芝浦Goldに雰囲気が似ていて、評判の通りとてもいい音でした。
以前、ダンスを習ったとき、日本のハウスダンサーの第一人者と言われているダンスの先生がSalsoulのTシャツを着ていたので、Salsoulのヒット曲がかかるのを期待していたのですが、かからなかったのが残念でした。

 Leroy Burgessの Heartbreakerは、Salsoul Recordsのコンピレーションの中でも一番好きな曲で、この12インチシングルを探すことだけが目的で、レコード店廻りをしていたこともありました。 
ダンスミュージックもリズムだけでなく、良質のメロディーが備わってこそ、ダンスクラシックになりうるという好例だと思います。

Leroy Burgess / Heartbreaker
   1:35、2:48でリズムが切り替わって、ベースにふわりともっていかれるところが気に入っています。
   イタリアだとNew TrollsがDiscoに最も接近したころのAnche noiもこんな感じで気持ちよいです。
                ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=NlwfuSIf4FI&feature=related



2008年08月21日

今日の1曲 追記 EGouryella CRenzo Zenobi

今日の1曲 E Gouryella/ Ligaya
 クラブでの良い映像がありました。本当に素晴らしいダンスミュージックです。
  http://jp.youtube.com/watch?v=rjSpl0h2DKc&feature=related

今日の1曲 C Renzo Zenobi / E ancora le dirai ti voglio bene
 試聴できるところがみつかりました。
  http://www.7digital.com/artists/renzo-zenobi/amore-e-battiti/

2008年08月20日

オリンピックU James Brown & Michael Jackson Dance!

前回の「あしたのジョー」に続いて、
今回は元プロボクサーのジェームス・ブラウンと
その愛弟子ともいえるマイケル・ジャクソンの
新旧ダンスフットワーク「金メダリスト」の映像です。

James Brown  BEST DANCE MOVES
http://jp.youtube.com/watch?v=prq-M0WdOSM

Michael Jackson dancing to James Brown
http://jp.youtube.com/watch?v=AbPCjYNzrQM&feature=related

Michael Jackson & James Brown, Same Stage
http://jp.youtube.com/watch?v=CUEd3VCO7y0&feature=related



2008年06月12日

今日の1曲 F JAMES BROWN

F JAMES BROWN/ Soul Power 1971年
  ジェームス・ブラウン/ソウル・パワー
  CD「James Brown / Love Power Peace - Live At Olympia,Paris,1971」より


P1010003.JPG 
初版は赤文字
 
 Gouryella/ Ligayaがヨーロッパのクラシック音楽とマシーンによるダンスビートの融合とすれば、ジェームス・ブラウンが1960年代から1970年代にかけて作り出したダンスビートは、人間が作り出しうる究極のリズムを目指すプログレッシブな発展の歴史だったといえるでしょう。

 共演したローリング・ストーンズを圧倒しミックとキースを信奉者にした伝説の1964年の「The T.A.M.I. Show」から始まり、アフリカ系アメリカ人への差別撤廃を求めた市民権運動を背景に、ジェームス・ブラウンのリズムは曲ごとに激しさを増し、大ヒットこそ少ないもののそのリズム革新は全世界に波及していきます。
 
 レッド・ツェッペリンが聴くものを虜にする根底にあるビート感覚には、ジェームス・ブラウンからの多大な影響があると言われています。
 また、イタリアでは、当時全盛期にあったカンツォーネ、イタリアンポップスの女王ミーナが自身のTVショー「Teatro 10」にCD「Love Power Peace」と同一メンバーによるジェームス・ブラウンとJB'Sをゲストとして招聘し、“Soul Power”が演奏されています。イタリアンプログレッシブにおいては、MUSEO ROSENBACHがジェームス・ブラウンをコピーした音源を残しています。
 さらに、ドイツではCANなどのクラウト・ロックに影響を及ぼし、日本ではゴールデンカップスや伝説のバンド村八分などに影響を与えています。

  「Love Power Peace」は、「Space Bass」と評された10代のブーツィー・コリンズを擁するオリジナルJB'S全盛期の唯一のCDです。“Ain’t It Funky Now”の序盤からメーターは振り切れ、起伏を重ねながら”Get Up, Get Into It, Get Involved”、それに続く“Soul Power”に至るフィナーレでクライマックスを迎え、フランスはパリ・オランピア劇場のヨーロッパの観衆を怒濤の渦に巻き込んでいく様子が映像にも残されています。
 
  1992年のCD「Love Power Peace」の発掘は、それまでのジェームス・ブラウンの最高傑作は「Revolution Of The Mind」であるとの定説を覆しつつあります。ここには黒人音楽のエッセンスがすべて詰まっているといえるでしょう。私的にも病院に手術で2週間ほど入院したとき、看護師さんから「痛み止めを飲まない方が傷が早く治りますからね」と言われ、“Soul Power”を何度も聞いて元気づけられました。
  
  惜しくもジェームス・ブラウンは2006年12月に亡くなりましたが、「旋律」による感動がイタリアなどヨーロッパを起源とするのに対して、「リズムの反復」がもたらす感動はアフリカを起源とし、その進化にジェームス・ブラウンは多大な足跡を残したといえます。今日もHIPHOPのアーティストたちはジェームス・ブラウンをサンプリングしリスぺクトしています。


James Brown-get up get into it get involved-a O'lympia 1971
http://www.youtube.com/watch?v=ZTVOrfwgMi4



2008年06月09日

今日の1曲 E Gouryella

E Gouryella/ Ligaya  2002年 オランダ
(Ferry Corstenプロジェクト)

 オランダのトランス・テクノのクリエイターFerry Corstenのプロジェクト、Gouryellaのビックヒット・シングル"Ligaya"は、当時世界のトップDJがPlayしたドラマティック・ダッチトランスの最高水準といえる感動的な楽曲。     
 ダンスミュージックであっても、その根本にあるのは、ヨーロッパのクラシック音楽であり、その旋律、コード進行は、SlavaのAve Maria(G.Caccini曲)と同様に魂を揺さぶるものといえます。オランダでは、1970年代前半にFOCUS,TRACE,EKSEPTION,EARTH&FIREなどが素晴らしいシンフォニックロックを残しましたが、あの美しい旋律の伝統を"Ligaya"は継承していると思いました。近年のダンスミュージックでは傑出した作品であり、私的にも祖母が危篤状態に陥ったとき何度もヘッドフォンで繰り返し聴いて心が救われた思いがしました。オリジナルの12“シングルTsunami盤アナログのジャケットには日本の浮世絵の津波が書かれていることにも親近感を感じます。 
 "Ligaya"はCDでは『Euphoria Infinite mixed by Ferry Corsten』、国内ではAVEXの『ヴェルファーレ・サイバートランス07 〜ベスト・ヒット・トランス〜 (velfarre Cyber TRANCE 07)』に収録されています。


   
Angels- Ligaya live
http://www.youtube.com/watch?v=rjSpl0h2DKc&feature=related


Gouryella - Ligaya (Original Instrumental Mix)
http://www.youtube.com/watch?v=oHesznHDEJg&feature=related