2009年08月15日

夜明けのうた A song of daybreak 今日の1曲 <99> 岸洋子 <100> 本田美奈子

<99> 岸洋子 Yoko Kishi / 夜明けのうた Yoake no uta(A song of daybreak) 
<100> 本田美奈子 Minako Honda / 夜明けのうた Yoake no uta
 (岩谷時子作詞 いずみたく作曲)

Yoake no uta(A song of daybreak)is one of the hits of Japanese 1960's.
It was also recorded by Italian great singer, Claudio Villa.
Minako Honda was a superior singer, but died in 2005 (38 years old). Brian May of Queen described condolence.

  また,本田美奈子さんの碑のある街に5泊しました。
  ファンからの手紙や花が添えられていました。

  そこで,「今日の1曲」の100曲目は,本田美奈子の「夜明けのうた」にしました。

  夜明けのうたは,1963年に岩谷時子が作詞し,いずみたくが作曲しました。 
  日本の高度経済成長時代には勤労者の心の支えになるような名曲が多く生まれました。
  シンプルで美しくて力強い名曲だと思います。
  夜明けのうたは,岸洋子によってヒットしました。

  イタリアのクラウディオ・ビルラClaudio Villaが1963年に来日したとき,夜明けのうたを日本語で録音し,キングレコードからシングル盤として発売しています。
  イタリアでカンツォーネの王様といわれた彼にもこの歌には心を打つものがあったのでしょう。


岸洋子 Yoko Kishi / 夜明けのうた Yoake no uta
http://www.youtube.com/watch?v=n2p03Tx9EPs&feature=related
1969年の紅白歌合戦より。
岸洋子は,歌唱力のある歌手がひしめいていた当時でも実力派として有名でした。

本田美奈子 Minako Honda / 夜明けのうた Yoake no uta 
Last private recording in 2005
http://www.youtube.com/watch?v=sHE9crDqhsk
本田美奈子が生前、ボイスレコーダーに残した最後の録音。
恩師の岩谷時子におくったものです。
この曲はCDには残されていません。







2009年06月09日

〜 GonF(XonW)〜 渋谷Gaspanic 今日の1曲<90><91><92>

P1010033.JPG
小学生のときに買ったローリング・ストーンズのLet it bleedのLPの内ジャケ。


<90> ビートルズThe Beatles / ロング・アンド・ワインディング・ロードThe Long And Winding Road
1970年
<91> 荒井由実 / 卒業写真 1975年
<92> ローリング・ストーンズRolling Stones / 無情の世界You Can't Always Get What You want
1969年


〜 GonF 〜


  音楽スクールで音大出の作曲家の先生にコード進行などについて教わりました。
  今回は,ビートルズのロング・アンド・ワインディング・ロードのスコアを持っていってアレンジの分析をしてもらいました。
  ビートルズの曲は,あらゆるポピュラーミュージックのお手本になっています。
  先生がピアノを弾きながら「ここでGonF(XonW)を使っている」と言われ,はっとしました。
  GonF(XonW)というと、ユーミン荒井由実の名曲「卒業写真」のサビのところでも使われています。
  GonF(XonW)というのは,ソシレという和音を弾くときに,左手の低音でソではなくファを弾くもの。胸がせつなくなるような独特の響きがあります。
  ビートルズ(ポール)もユーミンも才能があったんだなあと改めて感心しました。


ビートルズThe Beatles / ロング・アンド・ワインディング・ロードThe Long And Winding Road
http://www.youtube.com/watch?v=z6ZegjrEIGQ
ビートルズの最後の作品Let it beの中の名曲。もともとピアノ弾き語りだったものにフィル・スペクターがオーケストラアレンジをつけてポールはおこったらしいのですが,ホルンの音など素晴らしいと思います。フィル・スペクターは最近有罪判決で収監されてしまいました。




荒井由実 / 卒業写真
http://www.youtube.com/watch?v=QHX7AAA6KJc
教科書にも載っているという名曲。
「人ごみに流されて」のところでのGonF(XonW)のピアノの響きが印象的。






〜 渋谷Gaspanic 〜


  音楽スクールの後、渋谷のクラブGaspanicに行ってみました。

渋谷Gaspanic
http://www.gaspanic.co.jp/

  センター街の入り口にあるので、前から気になっていたのですが、なんとなく敷居が高いような気がしていました。
  初めて行く店というのは洞窟探検みたいでわくわくする。
  地下に降りると入り口に外人のお兄さんが立っていて異国情緒十分。
  ここは入場料不要で、中でドリンクを買うシステム。
  中に入ると平日の早い時間なので予想通り客は私一人。
  日本人のHiphopの曲をクラブで初めて聞きました。

  いつもは一人でもすぐに踊るのですが,意外に狭いのでそばにいた外人のstuffさんに声をかけてみた。
  アメリカではなくイギリスから来た英会話の教師とのこと。
  私が「子供の頃からBeatlesとRolling Stonesがヒーローだ」と言ったら,「Rolling Stonesが一番好きだ」というので「オオ!」と話が合ってRockなどの音楽と映画の話を1時間しました。

  いざ英語を話してみると,中学校1年レベルのことしか話せず情けない。
  曲名などはわかるのでなんとか話についていきました。
  彼は20歳なのに,最近の音楽より昔の音楽のほうが良いとのこと。
  「昔の音楽にはPassionとMessageがあった」と言われ,同感だと答えました。
  「Rolling Stonesで一番好きな曲はYou Can't Always Get What You want。特に詞がいい」と言われ,私も好きだったので嬉しくなりました。
  Rolling Stonesは白人音楽と黒人音楽を融合したから偉大だと思うと言いました。
  30分ほどHiphopで踊って頭が軽くなったところで帰りました。


ローリング・ストーンズRolling Stones / 無情の世界You Can't Always Get What You want
http://www.youtube.com/watch?v=tGfJ0_KMiro
ローリング・ストーンズの最高傑作Let it bleedのラストを飾る大作。聖歌隊のようなクラシック音楽と黒人のブルース音楽を融合していることがよくわかる。同時期のビートルズLet it beと比較しても彼らの音は「黒い」





2009年02月21日

布施明〜楽しい音楽会〜魂の帰郷 今日の1曲 <63> イル・ポスティーノIL Postino  <64> 尾崎豊 <65> ピノキオPinocchio <66> モーツァルトMozart

P1010038布施.JPG
布施明コンサート、楽しい音楽会、バレンタインコンサート、講演会、魂の帰郷のチラシ


<63> イル・ポスティーノIL Postino  メインテーマ
<64> 尾崎豊 / I Love you
<65> ピノキオPinocchio 星に願いを
<66> モーツァルトMozart ソナタ K545



−  布施明コンサート −


2月12日

  布施明のコンサートに行きました。

  布施明は、1965年、ボビー・ソロBobby Solo作のSanremo音楽祭優勝曲「君に涙とほほえみをSe piangi se ridi」でデビュー。イタリアン・ポップス、カンツォーネとの関連が深いので本ブログとしても非常に期待していた。
  布施明の「君に涙とほほえみを」は、ルイ・アームストロングをして「白人で最も偉大な女性シンガー」と言わしめたイタリアの女王ミーナMinaが日本語で歌った歌詞と同じヴァージョンである。布施明はミーナの動向を常に意識しているであろう。ミーナは70歳になっても新譜を出せばいまだにチャート1位であり、昨年実に30年ぶりとなるツアーを行ってイタリア国民を熱狂させた。

  以前、私はカンツォーネ・スクールで「君に涙とほほえみを」を練習していた頃、布施明の十代のときの「君に涙とほほえみを」を試聴機で聴いてその万華鏡のような声に衝撃を受け、立ちつくした。まさに神が降りてきたような歌だった。自分が歌うのがいやになってしまった。
  かなり前に,布施明がNHKでイタリアンポップスの歴史を紹介する番組を見た。年譜を辿るなかで,ルイジ・テンコLuigi Tencoが1967年に当時世界的な人気だったサンレモ音楽祭で審査に抗議して自殺したこと触れ,「自殺者が出るほどイタリアの音楽は凄かったのだ」と強調していた。

  コンサート会場は横浜。会場に向かう途中に、矢沢永吉がキャロルでデビューする前の下積み時代に2階を練習場として借りていた大正時代からの洋食店がある。矢沢を援助した名物のおばあちゃんはもう亡くなったのだろうか。10年以上前にカレーを食べたときはご健在だったが。ここは矢沢ファンの聖地のひとつである。
  会場のそばの山下公園に来るのも久しぶりだ。ここは横浜で一番景色がいいところだ。コンサートを聞く前に身を清めるといったところか。

  コンサートの1曲目は、アカデミー賞を受賞したバカロフ作曲の「イル・ポスティーノIL Postino」。やはり布施明はイタリアにこだわっている。嬉しくなった。

イル・ポスティーノ IL Postino メインテーマ
http://www.youtube.com/watch?v=OmKJ7i2rZ84&feature=related
イル・ポスティーノ wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8E

  イル・ポスティーノのメロディーはNew Trollsのコンチェルト・グロッソ・Adagioを長音階に変えたものだと思う。バカロフのキャリアの中でもコンチェルト・グロッソの成功(最高位2位)は大きかったであろう。布施明はかつてプログレッシブロックも演っていたので,New Trolls,Le Ormeあたりも聞いていると思う。
  画期的な外国人による初めての1970年代の日本のロック(プログレッシブがメイン)の研究書であるジュリアン・コープ著のJap Rock samplerでも布施明は高く評価されている。



  前半戦は一人芝居なども交えた構成なのだが,いまひとつ。布施明の実力はこんなものかなあと肩すかしを食らうが、これも作戦の内だった。MCで笑わせてくれる。

  中盤、レコード大賞の「シクラメンのかおり」もさらっと流す。「尾崎の歌です」と紹介した「I Love You」あたりからそれまでの演出過剰なステージから一転、照明も暗くなり布施が本気モードになってくる。
  尾崎豊は、布施の中の「ルイジ・テンコLuigi Tenco」を目覚めさせたのかもしれない。

I Love you 尾崎豊
http://www.youtube.com/watch?v=2dshEKfRPfM




  終盤に布施は勝負をかけてきた。ヴェロニク・サンソン作のドラマティックな選曲は、布施のフレンチ・ポップスへの造詣の深さが伺える。そして、サラ・ブライトマンによって世界的にヒットしたイタリアのTime to say goodbyで本領を発揮する。Time to say goodbyの作曲者Sartoliは本ブログのタイトルにしているイタリアのバンドLe Ormeのメンバーであった。

  ラストの人生をテーマにした歌で布施は3回ほど「ドス」をきかせた。かつてのミーナのようだ。鳥肌が立った。

  最後に「さよなら」と言い残して、2時間のステージは幕を下ろした。

  「6800円の入場料をとって歌を聴かせる」という真のプロフェッショナルの仕事を見た気がした。私は幸運にも無料チケットがもらえたが…。
  青山テルマやExileが40年後にも紅白に出場できるだろうか? そう思うと布施明の存在の大きさが改めて感じられる。布施明は今回のコンサートで沢田研二の「時の過ぎゆくままに」を歌った。布施明はJpopの、沢田研二はJrockの先導者なのだ。


 
  会場を出ると横浜の海の夜景は最高に美しかった。関内の駅まで走ってみた。ダンスのためにジムで大腿筋を鍛えたおかげで、2年半前に同じコースを苦しんで歩いたときより全然楽に飛ぶように走れた。嬉しい収穫だった。


−  楽しい音楽会  −


2月14日

  まず、午前11時、歩いて1分の子供センターで、幼児向けの音楽会がありました。私の家の前の電柱を見ると「スティール・ドラム」も演奏するとのこと。一度聴きたかったので、覗いてみました。
出演者は、れっきとした音楽大学のOB。非常にラッキーでした。
曲も知っているクラシックばかりで癒されました。
 
  あるラテンの曲で、司会者の人が「踊っても構いません」と言ったので、調子に乗って一人でHiphopなどで踊ってみました。こどもたちは一瞬「なんだー?」という顔をしたのですが、すぐに食いついてきてワーワー言って踊り出す子がいて渋谷のAtomみたいに面白かったです。
  ディズニーの音楽の良さも改めて感じました。

星に願いを 「ピノキオ」より
 http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=qyXnv3-7qSs


午後2時からは、音楽大学の講演会へ。

  もともと音大志望で挫折した私としては興味津々。
  ところが、同じ時間帯に「バレンタインデー」コンサートを演っていて、そっちの方が面白そうなので予定変更。若くて綺麗な女子大生のピアノと歌を目の前で見られて実にハッピーな時を過ごすことができました。
  ここでも、11時の音楽会でも演奏した「星に願いを」とモーツァルトのK545番を演奏しました。MisiaのEverythingも良かったです。

モーツァルトMozart  Sonata k545 - allegro
http://www.youtube.com/watch?v=haSDFSel6p4


4時から、講演会に改めて潜入。

  音大の卒業生が如何にして音楽家としてのキャリアを実現すべきかということがテーマでした。音大を卒業しても全員がオーケストラなどに入団できるわけではないという厳しい現実を知りました。
  海外で成功した指揮者は、外国の音楽学校で「自分にとって音楽とは何か?」「音楽とはどういうものか」といったことを哲学的に英語で語れるように訓練されたことが、その後のキャリアを決定づけたとのことでした。なるほどと首肯できる面もあるのですが、私は、音楽は言葉で表現できないことを表現することに本質があると思うので、あまり言葉に比重を置くことには強く賛成できませんでした。


− 魂の帰郷 −


2月18日に渋谷で、「魂の帰郷」という映画を見ました。

ユッスー・ンドゥールYoussou N'Dour「魂の帰郷」
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD13659/index.html

  黒人の奴隷売買が300年も続き、2000万人が強制的に送られ、600万人がその途上で死んだという恐ろしい事実を知りました。

  ユッスー・ンドゥールは、かつて奴隷売買の拠点だった母国のゴレ島から世界に伝播し、ジャズやゴスペルへと形を変えていったアフリカ音楽のルーツを追う旅に出る。
  アトランタ、New York、ヨーロッパ、そしてゴレ島への帰郷の旅。
  最近「マタイ受難曲」などヨーロッパのクラシックばかり聴いているが、それとの対比で、もはやBGMとなっているJazzのような音楽も、実は黒人の悲しい苦難の歴史によって西洋の音階を変容し搾り録られたものであることを改めて認識した。
  New Yorkで、かつてマルコムXの助言で名前をアフリカのものに変えた詩人は、最近のHiphopを聞いたら、昔の奴隷の音楽と変わらないと悲しげに笑っていた。

  New Yorkで活動している女性黒人シンガーは、アメリカにいるときはまさに西洋の論理で自分の音楽を言葉で説明しようとした。
  しかし、ユッスー・ンドゥールと一緒にゴレ島へわたると、その女性黒人シンガーは奴隷であった自分のルーツを目の当たりにして言葉や論理を失っていく。
  音楽の本質とは言葉で表せない悲しみや怒りなのだ。
  ダンスもそうではないかと思うのだ。


2008年12月07日

聖母 今日の1曲 <49> 太田裕美U

P1010073.JPG
昨日の太田裕美コンサートのポスター。
その美しさは34年前のデビューシングル「雨だれ」の写真(下のCD Singles1974~1978の写真)と変わらない。


49 太田裕美 Hiromi Ota / 最後の一葉 1976年 オリコン最高位第5位。
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄


  先行きの見えない日本経済が混迷をたどっております。

  HONDAのF1撤退など象徴的ですが,鈴木亜久里は「今のF1の(あまりにも経費がかかる)環境からすれば英断だ」と言っていました。何事もマイナス面からばかり見ないことが大事かもしれません。

  ブログ「あしあと」も日本経済のように混迷をたどっております。
  当初は、イタリアを中心に手持ちのPopsのレコード、CDの紹介を地道にやっていくつもりでした。

  しかし,最近を振り返れば,「めだかの学校」、「吉幾三」などへの脈絡のない展開,果ては「フジ子ヘミング」あたりから「タイガーマスク」に心酔し,そこから「赤き死の仮面のようなダンサーを目指す」とか、「ミスターXがかっこよかった」などと、到底音楽のブログとはいえない無法地帯と化している。

  思い起こせば,ブログを始めた6月2日は雨でした。
  もう半年になるんですね。
  あのとき,梅雨に入り,気分は落ち込んでいました。イタリアのRenzo ZenobiのCDを聴きながら,ブログでもやってみようかと思ったのがことの始まりでした。
  「今日の1曲 @」は当初Renzo Zenobiの予定でした。しかし,1曲目にしてはマニアックすぎると思い直しました。

  外の梅雨を見ながら,「雨だれ」といえば「太田裕美」…
  太田裕美の美声が雨の哀しみを忘れさせてくれる。
  「今日の1曲 @」は、太田裕美の「9月の雨」にしようと決めたのでした。

  そして、昨日、そのブログの原点に帰る日が訪れました。

  あの太田裕美のコンサートに行くことができたのです。



−  聖母 太田裕美との出会い  −



  ついに34年来の憧れの人,太田裕美のコンサートの日がきました。

  若い方はご存じないかもしれないが,「太田裕美」といえば,紅白歌合戦5年連続出場の1970年代のスーパーアイドル。しかも「実力派」


  太田裕美 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%A3%95%E7%BE%8E


  「ついに憧れの裕美さんと会えるのだ! 裕美さ〜ん」
  …足早に会場に向かう私の心は沸きだった。


  コンサートは,『障害者週間記念 市民のつどい』の一環として行われました。
  第1部:式典・障害関係者表彰 
  第2部:太田裕美コンサート  というプログラムでした。

  第1部は,市長,市議会議長・副議長による,パラリンピック出場者,障害を克服した「自立更生者」,更生を支える「援護功労者」,祖父が車椅子生活者になった小学生の「体験作文」の入賞作品等への表彰がありました。障害者の方の頑張っている姿を見て,表彰に拍手を送るなかで会場のムードは高まっていきました。


  そしてついに第2部の太田裕美コンサートが始まりました。

  私は,なんとか2列目の中央席を確保。
  最前列は,裕美さんのマニアらしき平均年齢50歳以上のオヤジの軍団に完全占拠された。

  3日前のNUTSのダンスショーのとき,20代前半の女の子に囲まれ(しかも満員詰め)ハッピーだったのと全く対照的な光景である。
  特に私の前は坊主頭のオヤジ(しかも背が高い)だった。そのため,光の反射するオヤジの頭の右横に裕美さんの姿を見なければならなかったのが,当日唯一の痛い誤算といえば誤算だった(明るくなって良かったとも言える)。
  私自身もオヤジなんで文句は言えないんですが。

  中央に裕美さんとグランドピアノ,左にシンセサイザーの女性,右にアコースティックギターというシンプルな編成。

  中央に走って出てきてお辞儀した裕美さんのシルエットは,まるで少女だった。
  この時点でもうノックダウン。

  静かな1曲目に続いて,デビュー曲の名曲「雨だれ」
  裕美さんの弾くピアノのイントロで思わず体に電流が走る。


  太田裕美 / 雨だれ (シングル盤ヴァージョン)1974年
         ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=xqBTjgEzBtQ&feature=related
  9月23日のブログにライブヴァージョンのYoutubeも挙げているので,そちらもご覧ください。


  そして,「赤いハイヒール」「しあわせ未満」と,作詞:松本隆,作曲:筒美京平,編曲:萩田光雄の黄金トリオ作品の3連発。
  「赤いハイヒール」では,オヤジ達が少年に帰って大きな手拍子を送る。もちろん私もだ。気分はハイテンションである。


  裕美さんはピアノを離れ,スポットライトのあたる中央マイクに進んだ。
  5メートルの至近距離から見るあの「太田裕美」


  まさに出会いの瞬間。

  若い。

  「30歳,いやそれ以上に若くしか見えない…」
  本当に19歳の子を持つ53歳の母親なのか。
  私は,驚き,そして至福のときを味わった。






−  太田裕美の「まごころ」 −


  裕美さんのMCは,手話と大きな同時字幕モニター画面でも伝えられた。


  裕美さんの4回の長いMCは,すべて障害者へのやさしい気遣いに行き着くものばかりでした。

  今日は好天に恵まれ,雪などで障害者の方がたいへんな思いをしなくてよかったと言う話。

  裕美さんが子育てで学んだこと,ベビーカーを押していたとき道の段差などで車椅子の方がいかに大変かがわかったという話。

  全盲,全ろうの障害を持ちながら東大教授になった福島 智さんの出演したNHK「課外授業ようこそ先輩 〜みんな生きていればいい」に裕美さんがナレーションで参加した話。
http://blog.goo.ne.jp/kagayaki_001/e/3952757e2b81d7cb22a2647781cbe558

  表彰での,小学生の女の子が祖父を通じて障害者を助けることの大事さがわかったという作文について。自分は遅くなってからだったけれど、小学生のときに気づけたことは偉い、皆いつかそのことがわかる日から助け合えるといいですねという感想。
  裕美さん、私も昨日2人車椅子の人を助けましたよ。昔、おばあちゃんの車椅子を押して公園とか廻りましたから。

  裕美さんのMCは,裕美さんの34年前以上に美しさを増した歌声と共に,私の心に響き渡る。

  そして,太田裕美の1976年のヒット曲「最後の一葉」が,筋ジストロフィー症候群の患者へのチャリティーとして作られたものだったことが告げられた。
  今日,「最後の一葉」に一番,裕美さんの魂がこめられていたと感じた。


  太田裕美 / 最後の一葉 夜のヒットスタジオより 1976年
http://jp.youtube.com/watch?v=xZ3Rre8rngI


  こうして太田裕美との幸福な1時間20分は過ぎていきました。

 
  太田裕美 公式サイト 水彩画の日々
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/hiromiohta/


  会場を出ると,2年前,たくさんの辛い経験をした同じ街の同じ道を,私は心から充たされた幸福な気持ちで歩いた。

  私は,ブログ「あしあと」の「今日の1曲」の1番目に裕美さんを選んだことは間違いではなかったと確信した。

  そして私は,裕美さんに一生ついていくのだという決意を新たにした。


  太田裕美は聖母なのです。






2008年11月29日

聖地・至上の天使 ダンシング・クイーンV ある愛の詩T 今日の1曲 <45> 本田美奈子 Minako Honda  + <46> バッハ J.S.Bach

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「美奈子さん,どうか私を見守ってください」
私は毎日,彼女の記念碑にすがり続けた。


45 本田美奈子 Minako Honda (1967−2005) /  アメイジング・グレイスAmazingGrace

46 バッハ Johann Sebastian Bach (1685 − 1750) / マタイ受難曲 Passion unseres herrn Jesu Christi nach dem Evangelisten Matthäus




−  聖地・至上の天使  −



  11月18日から26日まで、私は5日間の戦いのために、ある駅のそばのホテルに8泊の宿をとりました。
  その駅の広場には、平成17年に38歳の若さで白血病で亡くなった歌手本田美奈子の記念碑が、平成19年の7月に建てられていました。
  本田美奈子は、3歳のときにこの町に移り、以後この町を生涯愛し続け、ここから仕事に通っていたそうです。


  本田美奈子は、亡くなって至上の天使になりました。
  この町は、天使の眠る聖地なのです。
  私は、幸運にもその聖地で9日間をすごすことができました。


  本田美奈子 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E7%94%B0%E7%BE%8E%E5%A5%88%E5%AD%90


  かつてのアイドルシンガー,本田美奈子は、ミュージカル、クラシックなど本格的な実力派シンガーとしての評価を不動のものにしていきました。
  世界を代表するロックバンドのひとつであるクイーンQueenのギタリスト,ブライアン・メイBrian Mayも彼女を絶賛し,そのブログでも彼女への追悼の意を表していました。

  その彼女の代表曲の一つをまず紹介いたします。


45 本田美奈子 Minako Honda / アメイジング・グレイス AmazingGrace
             ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=bult7uH88Ck&feature=related
  このか細い美しい体の「どこから」このような美しい高音のビブラート・ボイスが出てくるのか。
  彼女の「心から」としか言いようがありません。
  訳詞は、加山雄三などの数々の胸をうつ作詞を手がけた女流詩人岩谷時子。

.






− ダンシング・クイーンV −



  本田美奈子は、十代の頃は「実力派アイドル」といわれたアイドルシンガーでした。

  「実力派アイドル」という言葉は、若い人にはピンとこないかもしれません。
  昔、女の子の十代の歌手は顔さえ可愛ければ、あとは楽曲に恵まれればスターになれると言う時代がありました。
  歌は下手でもよかったのです。むしろ下手な方が、男子学生のファンには親近感を感じさせたのです。

  その中に、例外的に歌が上手なアイドルがいました。
  彼女たちを、人は「実力派アイドル」と呼びました。
  「今日の1曲」の第1回で紹介した太田裕美などが代表的です。

  しかし「実力派アイドル」という言葉は、安室奈美恵の登場以後使われなくなりました。

  安室奈美恵は日本で初めて、男性だけでなく、女性という同性からも熱狂的な支持を受ける十代のアイドルでした。安室奈美恵以後、女の子の十代の若い歌手は、いくら顔が可愛くても「実力」がなければ認められなくなりました。     
  女の子でも「実力があるのが当然」の時代に変わって、「実力派アイドル」という言葉は死語になったのです。

  本田美奈子は、その「実力派アイドル」のなかでも際だった存在感を示していました。

  特に、当時2位までヒットした「1986年のマリリン」は、センセーショナルでした。史上最大のヒットメーカー筒美京平の楽曲に加え、彼女のおへそを出した大胆な衣装が度肝を抜きました。後に、この「へそ出しルック」は、彼女自身の強い提案によることが明らかにされました。
  浜崎あゆみのように自分の意志で自分をプロデュースする女性アーティストの元祖といえるかもしれません。

  本田美奈子は、まさに時代の寵児、ダンシング・クイーンの一人だったのです。


  本田美奈子−1986年のマリリン(ザ・ベストテンより)
          ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=QRWwnmY57Rc
  当時、衝撃的だった本田美奈子の最大のヒット曲。






−  ある愛の詩T −



  数年前,「冬のソナタ」のブームがありましたが,それ以上ともいえる映画のブームが1970年にありました。

  その映画「ある愛の詩」は,富豪の息子と庶民の娘との悲恋物語でした。
  裕福な家柄に育ったオリバーは、家柄違いのジェニファーと恋に落ち、父親の反対を押し切り結婚します。
  しかし24歳のある日、ジェニファーの命が白血病で残り少ないことが判明し,彼女は亡くなってしまいます。

  映画「ある愛の詩」は,アカデミー主題歌賞を受賞したテーマ曲とともに世界中で空前の大ヒットとなりました。

  
  そして,不治の病「白血病」の名は,愛の悲劇の代名詞のようになりました。
  「白血病」を治すために将来は医者になりたいという子供も多くいました。

  本田美奈子は,その「白血病」に侵されてしまったのです。


  天は,本田美奈子に美貌と美声という二物を与えました。
  そして,本田美奈子は,38歳で天に召されてしまいました。


  しかし,彼女はその美しさのまま,永遠に人の心に記憶されることになりました。
  ジェームス・ディーンJames Deanのように。

  そして彼女は最後まで独身でした。
  彼女は音楽だけを心から愛していたのでしょうか。

  彼女の「ある愛の詩」は,特定の男性に捧げられたものではありません。
  すべての人に向けられているのです。


  本田美奈子 / I'd Give My Life for You 命をあげよう
               ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=dDWo-NN_BTI&feature=related



  本田美奈子の入院中に恩師の作詞家岩谷時子が路上で転倒して骨折し、同じ病院に運び込まれました。
  無菌室から出れなかった本田美奈子は,祖母のように慕っていた岩谷を励ますため、病室でア・カペラで歌を歌い、ボイスレコーダーに録音して岩谷の病室に届けていました。
  この録音は,フジテレビの追悼特別番組『天使になった歌姫・本田美奈子』や,2008年2月にはこの二人の対話に焦点を当てたNHKの特集『本田美奈子. 最期のボイスレター 〜歌がつないだ“いのち”の対話〜』で紹介されました。


  本田美奈子 / アメイジング・グレイス Amazing Grace 最期のボイスレター
             ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=VOWY92Zk_5c&feature=related
  



  彼女が、白血病で入院した後,病床で書いた「笑顔」という詩が、駅前の記念碑に残されています。
  ここに紹介させて頂きます。



〜 「笑顔」 〜


 子供も、大人も、おじいちゃんも、おばあちゃんも、みんな、みんな 笑っている顔が素敵。怒っている顔よりも、泣いている顔よりも、困っている顔よりも 笑顔が一番!!きっと笑顔が幸せを呼ぶと、頭では分かっていても、心では、なかなか分からない人が、多いんじゃないのかナ!?

 心が開いて、心の目で、周りを見渡してごらん、きっと、小さな幸せの芽が、見つかるよ。そして、そこから少しずつ、笑顔が生まれてくる。笑顔が生まれ始めたら、喜びに変わるのも、もうすぐ。

 でも人は生きていて、辛い時、悲しい時、涙が止まらず心が開けない時、勿論、沢山あると思う。そんな時は、あせらないでね。自分だけが不幸ではない。もっと、心が暗闇に閉じこめられている人達も、沢山いることを、少しだけ思い出してみて。

 自分の力で、心を開く人もいれば、誰かの愛で、心を開いてもらう人もいる。気が付かないうちに心が開いている人もいれば、歌や音楽で、心が開く人もいる。それは、人それぞれだと思うの。

 人は心が閉じたり、開いたり、いろいろな経験、そして、沢山心で感じることによって豊かな心を持ち、豊かな笑顔を育てて行けるのではないのかナ!?と私は思います。自分自身、豊かな笑顔が増えたら、きっと周りにいる人達にも、幸せ届ける事が出来るでしょう。

 笑顔がいちばん!!
                   
                  ありがとう  美奈子








  最後に(これはお恥ずかしいので読んでいただかなくても結構です)、
11月18日から26日まで、私の日々の本田美奈子さんへの気持ちを綴った日記を記させていただきます。

  

− 11月18日から26日まで 本田美奈子さんと歩んだ記録 −


11月18日 午後5時35分
美奈子さん、貴方のもとに今着きました。嬉しいです。
私は、今、世界で貴方のことを最も必要としている人間です。
美奈子さん、私を助けてください。力を与えてください。
美奈子さんの詩「笑顔」を読ませて頂きました。
貴方は「笑顔が一番」とおっしゃいます。
そういたします。私は、どんなときも笑顔を忘れません。
今日は美奈子さんに3回触らせていただきました。
「笑顔」の詩、何度も復唱しました。
美奈子さんの目の前で食べた牛めし、生涯で一番おいしかったです。
美奈子さんが隣に座って一緒に食べた気がしました。
西友で買い物をしました。美奈子さんの名を繰り返しながら買い物を楽しみました。
美奈子さんの愛したこの町で9日間、頑張ります。
美奈子さん、私を見守ってください。

11月19日 18:50 
美奈子さん 今日から戦いが始まりました。
結果は上々です。これもみんな美奈子さんのおかげです。
朝から幸せです。美奈子さんが見守ってくださる町にいるのですから。
戦いが終わり、これから美奈子さんに会えると思うと一日の疲れも飛びます。
今日は美奈子さんのそばで、豚めしを食べました。
こんなに豚めしがおいしいと思ったのは生まれて初めてです。
西友で買い物をしました。
買い物袋を使いませんでした。
美奈子さんの遺志を継いで、地球環境を守るために私も微力ながら努力いたします。
今日も美奈子さんに3回さわらせて頂きました。
明日も頑張ります。見守って下さい。

11月20日 18:15 
美奈子さん 2日目の戦いも快調です。
20分早く終わって,悠々と切り上げました。
みんな美奈子さんのおかげです。
朝から美奈子さんの名を呼び続けます。
美奈子さんの町にいる幸せを噛みしめます。
今日は,美奈子さんを正面で見える席で、豚めし「つゆだく」を食べました。
2日続けて豚めしを食べてもおいしいです。
美奈子さんがそばにいるのですから。
西友で買い物をしていたら,赤ちゃんの「笑顔」に会えました。
私も笑ったら微笑を返してくれました。
今日は美奈子さんに4回さわらせて頂きました。
明日も頑張ります。見守って下さい。

11月21日 18:55〜19:25
美奈子さん。
今日は胃が痛くなるほど苦しかったです。
でも最後まで頑張りました。
美奈子さんの病気との戦いに比べたら,まだまだです。
もっと前向きに頑張らなければ。
美奈子さんを一番見える席でカレーを食べました。
食後の休みに,今日は,美奈子さんのそばに30分座らせていただきました。
この4日間,私以外に美奈子さんに近づく人を1回も見かけなかったのですが,
今日は4人組の女子高生が,美奈子さんの左側にある「Music Start」のボタンを押して,
美奈子さんの歌が聞こえてきました。
やっと「Music Start」の押し方がわかりました。
私も,2回歌を聞かせていただきました。
最後の美奈子さんの「永久に続く幸せを」という言葉が,
私の今日一日の苦しみを忘れさせてくれました。
また明日から気持ちを入れ替えて頑張ります。
西友のレジさんにもホテルの受付さんにも「笑顔」で応えました。
美奈子さん,今日,貴方のことを「至上の天使」と呼ばせていただきました。
また,私を見守ってください。

11月22日 9:25 18:15 
美奈子さん 今日は、朝から美奈子さんにご挨拶し,
写真も撮らせていただきました。
そして,美奈子さんの市の図書館で学習しました。
素晴らしい環境と施設でした。
こんなに幸せな気持ちで学習できたのも美奈子さんのおかげです。 
今日も,美奈子さんを一番見える席で、豚めし「つゆだく」を食べました。
なんど食べてもおいしいです。
今日は西友で不二家のお菓子を二つ買いました。
不二家は今、苦しんでいます。
少しでもぺこちゃんを助けたいと思ったからです。
今日も美奈子さんに4回さわらせて頂きました。
明日も頑張ります。

11月22日 9:15 18:45 
美奈子さん
今日も朝から美奈子さんにご挨拶できて幸せです。
また、美奈子さんの市の図書館で学習しました。
こんなに一日集中して学習できたのは何年ぶりでしょうか。
流れるように本が、文字が読めます。
丁度一年前、隣の市の図書館での地獄のような日々の記憶が嘘のようです。
これもみんな美奈子さんのおかげです。 
今日も,美奈子さんと一緒に豚めし「つゆだく」を食べました。
同じものを食べ続けること,それが美奈子さんへの誓いの証,そんな気がいたします。
今,私にとって大事なのは「何を食べるか」ではなく,「美奈子さん」と食べることです。
帰りに美奈子さんの歌を録音させていただきました。
一緒に私も歌いました。
今日は,西友で二人のあかちゃんの笑顔に会いました。
今日も美奈子さんに4回さわらせて頂きました。
明日も頑張ります。

11月24日 9:15 18:15 
美奈子さん
今日も朝から美奈子さんにご挨拶できて幸せです。
今日も美奈子さんの市の図書館で学習しました。
本当にこんなに集中して学習できたのは平成17年の7月以来です。
気持ちが充実しています。
これもみんな美奈子さんのおかげです。
今日は、午後から久々の雨でした。 
美奈子さんは,雨の日も,台風の日も,雪の日も,猛暑の日も
いつもこうして「笑顔」で見守ってくださるのですね。
美奈子さんを思うと、傘をさして歩きながら涙が出てきました。
私も15秒ほどでしたが、傘をささずに一緒に美奈子さんと濡れました。
今日も,美奈子さんと食べた豚めし「つゆだく」おいしかったです。
今日は,西友で牛乳パックを回収箱に入れました。
今日も美奈子さんに5回さわらせて頂きました。
明日からまた戦いが始まります。
頑張ります。見守ってください。

11月25日 8:45 18:45 
美奈子さん
今日も朝から美奈子さんにご挨拶できて幸せです。
無事に4戦も終わりました。
これもみんな美奈子さんのおかげです。
美奈子さんが教えてくれた「笑顔」のおかげです。
今日も、午後から雨でした。   
今日も15秒ほどでしたが、傘をささずに一緒に美奈子さんと濡れました。
美奈子さんと「笑顔」のにらめっこをしました。
今日も,美奈子さんと食べた豚めし「つゆだく」おいしかったです。
西友で最後の買い物をしました。買い物袋はつかいません。
今日も美奈子さんに5回さわらせて頂きました。
明日、最終日も頑張ります。
見守ってください。

11月26日
8:40 19:30 美奈子さん
今日、無事に最終戦も終わりました。
これもみんな美奈子さんのおかげです。
そのまま帰ろうかと思いましたが、
最後に美奈子さんにご挨拶をしたくて、夜もこの町へ参りました。
町では、幸せそうなカップルや子連れの夫婦が
楽しそうに歩いています。
美奈子さんは、いつもここでたった一人で
私のような者を暖かく見守ってくださるのですね。
昨日も今日も涙が出てきました。
今日も美奈子さんに5回さわらせて頂きました。
一緒に歌わせて頂きました。
9日間、本当にありがとうございました。
美奈子さんの町に来られて幸せです。
また苦しくなったらこの聖地に戻ってまいります。


11月29日
美奈子さん、今、バッハのマタイ受難曲を聴きながらこれを書いています。
貴方は私の至上の天使でした。
ありがとうございました。
これからも天から私を見守ってください。


  バッハ / マタイ受難曲 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%8F%97%E9%9B%A3%E6%9B%B2


46 バッハ J.S.Bach / マタイ受難曲
          ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=b4Jecl_J1WQ&feature=related






2008年11月21日

至上の天使 予告編

戦闘3日目。

一昨日、昨日と順調にいきました。
そのせいか、今日は前半で気の緩みが出て,
ラストは胃が痛くなるほど苦しかった。

でも,その苦しみも今は和らいでいます。
この戦闘期間中,
ある「至上の天使」がずっと私のそばにいてくれるのです。
今も会っていただきました。

あと1週間が過ぎた頃,「今日の1曲」で紹介させていただきます。

2008年11月16日

押切もえ 美輪明宏

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押切もえの驚異的な体の柔らかさ
 

  昨日は、3ヶ月ぶりに週末のクラブ通いを休みました。
  今週からたいへんなことがあるので風邪をひくのが怖かったからです。
  夜、軽くジョギングをして、ビヨンセを見ながらリズミカルにヒンズー・スクワットをしました。

  今朝は、押切もえのテレビがあって大喜び。
  11月10日のブログで書きましたように、私はもえちゃんの11年来のファン。
  もえちゃんもヒップホップのダンススクールに8年通っているらしい。
  彼女の体の柔らかさを見て、またダンスへのファイトが湧きました。

  もえちゃんが美輪明宏を尊敬していることを知った。
  「本物は本物を知る」ですね。
  「目に見えないものの積み重ねが美を作る」という美輪さんの言葉を挙げていました。

  美輪明宏から番組を通して、もえちゃんに「風情」と書かれた色紙をプレゼントしていました。
  私は、26年前、美輪明宏に月に3回ぐらい会っていました。(私はゲイではありませんし、全然深いおつきあいではありません。)
  以来、美輪さんの人柄を知って信者となった者としては、この番組でもえちゃんへの信頼を益々深めました。

  美輪明宏の想い出については、また別の機会に。

  番組の最後にもえちゃんからのプレゼントがあるとのことで楽しみにしていたのですが、「パンスト」だったのでガッカリ。
  もちろん、もえちゃんの使用済みであれば命がけで応募しましたが。やはり変態なのか、私は。

  さあ〜もえちゃんパワーで今日も頑張るぞ〜




2008年11月10日

人間失格・津軽 反則U 今日の1曲 <番外編 其の1> 吉幾三 (+ 押切もえ、<35> マイケル・ジャクソン Michael Jackson、宇多田ヒカルHikaru Utada、<36> キング・クリムゾン King Crimson)

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1997年,当時高校2年生のカリスマ・モデル押切もえ(雑誌「EGG」)と,
当時からの彼女の愛読書・太宰治「人間失格」「津軽」


<番外編 其の1> (今回の主役) 吉幾三 / 俺ら東京さ行ぐだ 1985年
(吉幾三 作詞・作曲)

     さらに,今回は

   押切もえ / 幻のデビュー曲 (記録なし)

<35> マイケル・ジャクソンMichael Jackson / ビリージーン Billie Jean 1982年
<36> キング・クリムゾン KING CRIMSON / クリムゾンキングの宮殿In the Court of the Crimson King 1969年

  寒くなってまいりました。どうかお気をつけください。
  今日は、12月の寒さとのことで、私もあやうく風邪をひきそうになりました。

  今回、お送りする「番外編 其の1」は、心を暖める1曲です。

  「ダンシング・クイーン」特集のV以降は、不定期になりますが、イタリア、アメリカ、フランス、日本の素敵なクイーンを予定しております。

  いつもお読みいただきありがとうございます。
  今回も7000字近くになってしまいました。
  お時間のあるときにお読みいただければ幸いです。




− 「反則」および 「今日の1曲 <番外編> 」について  −


  最近、タイガーマスク(10月1日 今日の1曲 <21>)にすっかり勇気づけられました。また、「反則」の意味、その奥の深さ、原則には例外があることを改めて教えられました。
  
  タイガーマスクは、かつて自分が暮らしていた孤児院「ちびっこハウス」のこどもたちに正しく生きる道を教えるため「反則」を封印し、正統派レスラーになりました。

  しかし,@地上最大の悪役であり2000種類の反則技を持つ「赤き死の仮面」,そして、Aトラの穴の総帥「タイガー・ザ・グレート」の「反則」攻撃という最大の巨悪を倒すために,タイガーマスクは、2回だけ自らの意思で「反則」の封印を解きました。
  タイガーマスクは、あくまでも正統派レスラーとしての原則を貫こうとし、「正義」という絶対的な目的のために、例外的に「反則」を用いたのです。このタイガーマスクの「反則」は実質的違法性阻却事由に該当すると言えるのではないでしょうか。
  
  最終回の最後に、タイガーマスク=伊達直人は、「俺はグレートを倒すために反則で立ち向かった。だが、子供たちには分かってもらえると思う。俺の命懸けのファイトを! 悪に立ち向かう人間の勇気を、きっと分かってくれたと思う!」 そう言って飛行機で日本を去っていきます。

  またタイガーマスクの話になって恐縮です。
  いったいこれは何のブログなのか? Italian Popsは? Renzo Zenobiは何処へ行ったのか? そう思われるかもしれません。

  正直,ブログを書いていて行き詰まること、もう止めたいと思うことも多かったのです。

  そんなとき,固定観念を捨てること,「反則」で乗り切るというヒントをタイガーマスクから得ました。

  たしかに,相手のあるスポーツの場合,原則としてルールに従わなければ面白くありません。「反則」ばかりでは試合にならないからです。
  
  しかし,自分を表現するためのストリートダンスや,ブログ・日記のようなものは,本質的に自分に向かって行うものですので,自由に「反則」をしたほうが自分を解放できます。ブログでもいろいろな「反則」を試すようになってから、自由な心で向かえるようになりました。


  今日の1曲 <番外編> もそんな反則技の一つです。


  <番外編>では、本ブログの「美しいメロディーとリズムのある音楽」という趣旨から若干離れるため、本編から外れるものの、私が心底から愛して止まない音楽、熱い音楽を紹介して行きます。

  <番外編>では…

  豊饒なる精神,ユーモアによって生きる力と勇気を与えてくれるもの、
  
  ときには、「おまえの人生はそれでよいのか!」と我々に落第通知をたたきつけ叱咤激励してくれるもの、
  
  果ては、タイガーマスクに出てくる怪人レスラーのように悪役でありながらも魅力的なキャラクター

  …等々が登場いたします。

  
  今後も、ゲリラ的にお届けする「今日の1曲 <番外編>」にどうぞご期待下さい。








− 「人間失格」 太宰治の遺志を継いだ男「吉幾三」 −


  さて,<番外編> 第1回にご紹介する吉幾三は、作家・太宰 治と同じく青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身の演歌シンガーソングライターです。

  吉幾三 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B9%BE%E4%B8%89


  吉幾三は,1977年の「俺はぜったい!プレスリー」の後の長い低迷期を経て,1984年「俺ら東京さ行ぐだ」において決死の勝負に出ました。


  百聞は一見にしかず。

  まずは、「吉幾三 / 俺ら東京さ行ぐだ」ライブのYoutubeをご覧ください。

  私が太宰 治の後継者と信じ,リスぺクトする天才吉幾三のこの曲を見て、聴いて、そして感じてください。
  今,J-RAPの先駆者として再評価の機運高まる曲です。
  
  
  吉幾三 / 俺ら東京さ行ぐだ  TV「ベストテン」より,今週の第8位 1985年
         ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=c6YexwJU_wk&NR=1
  以下、熱くなりすぎて,冗長な解説になりましたことをお許し下さい。
  私の駄文を読む前に映像をぜひ先にご覧ください。

  0:00 吉幾三は本質的にシャイな人だ。だから吉は「俺ら東京さ行ぐだ」ではサングラスをかけていた。アナウンサーはこの点について「サングラスをしないと眩しいような銀座…」と吉をさりげなくフォローしている。戦士の心を見抜いた優しい気遣い。さすがTBSのアナ! 私はTBSの入社試験を1次で落とされたのです。 
  0:04 東京は銀座のど真ん中、6丁目交差点。カメラが鳩居堂、銀座和光を映していく。ここは日本で最も地価が高い超一等地だ。
  0:18 老舗銀座三越の正面玄関である。そこで脚立を使用し、百獣の王ライオンにまたがる吉幾三。吉からの宣戦布告だ! 私は、1982年と1986年に短い期間だが銀座に勤めていた。それゆえ、銀座における吉のこの行為が尋常ならざる決意に基づくことが容易に理解できる。 
  0:52(注)「ベコ」とは方言で牛のこと。なぜ銀座に牛がいるのか?! この曲に賭ける吉、徳間ジャパンの意気込みを感じ取りたい。
  1:00 牛にやさしく触れる吉。力強い同士を得た。 
  1:04 店員にも会釈を忘れない腰の低さが自然に現れている。芸能界で生きていくうえでの必須条件だ。
  1:07 百貨店に生きた牛が入店する歴史的瞬間である。 
  1:20 おもむろにセーターを品定めする余裕。吉は着々と銀座を手中に収めていく。 
  1:32 笑いをこらえていた店員の吉への目が尊敬のまなざしに変わっていく瞬間をとらえている。
  1:40〜1:53 サインを求める女性、それに応え、絶妙のタイミングで握手する演出。計算が行き届いている。 
  1:57 カメラが再び銀座和光、鳩居堂を映す(さきほどとは順番が逆だ。ここも細かい演出である)。 
  2:34 右腕を高らかに上げ、勝利宣言。ついに吉は東京を制覇した・・・。
  しかし,2:38のサングラスを通して見える吉の覚めた瞳と口元をよくみていただきたい。
    ・・・吉は勝利を「演じて」いるだけにすぎない! 
    これは,翌1986年,吉が真の勝利を得るための布石なのだ。
  つくづく恐るべき才能と断言したい。

  若い皆さんいかがでしょうか? 
  「ミュージック・ステーション」のようなTVでは聴けない深い味わいとユーモア、そしてエネルギーがあるでしょう? 
  今の時代に,テレビでここまでやれる人が果たしているでしょうか? 
  誰のために? 
  何のために? 
  たった3分弱の時間に、一人の男の生き様が凝縮されているのです。
 

  太宰 治の絶筆となった小説「人間失格」。
  その「第一の手記」は、「恥の多い生涯を送ってきました」との一文から始まります。
  その中に「自分の、人間に対する最後の求愛」として「必死のお道化のサービスをした」という一節があります。

  吉幾三 が「俺ら東京さ行ぐだ」で見せたパフォーマンス。
  道化師。
  そこから私は,プライドも何もかもを捨てて,太宰 治の後継者になるべく「人間失格」を体現せんとする彼の強い決意が感じられるのです。
  
  東京は、津軽金木町の同郷の先輩太宰が自ら最後に死を選んだ場所。
  吉は、「俺ら東京さ行ぐだ」で道化師の仮面をつけて、まず「正統派演歌歌手・吉幾三」の死に様を衆目にさらした。
  太宰は、死に場所として玉川上水を、吉は、銀座を選んだのです。 





− 太宰治に魅せられたカリスマモデル・押切もえ −
 

  少し横道にそれますが,カリスマモデル・押切もえチャンを私は無名の女子高生時代から応援していました。

  当時彼女は歌手志望であり,その挑戦する姿が,カリスマ女子高生としてテレビで放送されました。彼女は当時から光るものがあった。私は偶然そのテレビを見て彼女のファンになりました。

  幻のDisco専門誌「ヘブンズドア」を購読していた私は、「ヘブンズドア」廃刊の続きとして予告,創刊されたギャル雑誌Eggの創刊号からいくつかを持っています。
  ちなみに「ヘブンズドア」の前身は、暴走族専門ファッション雑誌。今は、もう都内では暴走族は壊滅状態のようですが。 

  Eggでの押切もえはすでにスターでした。
  その彼女の当時からの愛読書が太宰の「人間失格」であり「津軽」であることを知り,以来ずっと彼女についていこうと決めました。
  身障者の人と42キロマラソンを敢行したり,彼女は偉い! 

  押切もえの歌手デビューは,結局,幻に終わったようでした。

  
    押切もえ / 幻のデビュー曲  (音源なし)


  あまりにも早く走りすぎてきた押切もえの肌は、もうすでに老化が始まっている。恋人宣言もした。
  さらに最近は、ヤンキー女子高生時代のYoutube映像流出が物議を醸し、現在の彼女とのイメージの違いの大きさに,ファン離れが起きている。
  しかし、そのギャップがいいのだ。
  私が高校時代、前の席にコワ〜イ留年生がいて1年で2、3回しか会話できなかった。その人の指はタバコの吸い過ぎでいつも震えていた。その同じ人物が今、国会議員として涙を誘うような仕事に取り組んでいる。

  私は押切もえを応援することを止めない。
  皆が君を見捨てても、俺がついている! …そのときは俺の所へ来い… 
な〜んて絶対無理ってか? はい、そうですか…別にいいんですよ、もう。

  押切もえは、最近、太宰治の世界をたどるDVDを発表しました。






− そして吉幾三に魅せられたDJ,出現する −


  さらに、無謀にもその偉大なる吉幾三に対して,「反則」の大技を連発する業師DJが出現しました。是非,お聴きください。
  彼もまた吉幾三という才能に魅せられたからこそできる所業でしょう。
 
  まずは,「俺ら東京さ行ぐだ」とダンス・クラシックとの共作をどうぞ。

  吉幾三 IKUZO × マイケル・ジャクソンMichael Jackson / BILLY JEAN
http://jp.youtube.com/watch?v=fQ7vUNlPF4s&feature=related
  世界で1億枚売れたメガヒット「スリラー」1982年からの大ヒットシングルをアレンジ。

<35>(原曲)マイケル・ジャクソンMichael Jackson / ビリージーン Billie Jean
http://jp.youtube.com/watch?v=Dzp0JETG0Pw
  説明不要のダンスクラシック。1982年当時,それまで「黒人のSoulは熱いもの」というイメージがあったが,歩くような淡々としたリズムが本当に斬新だった。
  そのリズムの上に,マイケル・ジャクソンは奇跡のようなステップで自在に絵を描いていく。驚きの連続であった。


  ほとんどの曲がシングルカットされた驚異の大傑作、マイケル・ジャクソン「スリラー」 
  黒人音楽に興味のある人はマスト!


  では次。 宇多田ヒカルとの共演。

  クラブに行っていると最近のダンスチューンは同じような曲ばかりだ。
  DJさん、こんなのかけてはどうですか。
吉幾三  × 宇多田ヒカル   おらTravelingさ行ぐだ IKZO
http://jp.youtube.com/watch?v=qe1nm8djs2g&feature=related
  これは踊れる。3:17が衝撃的ですね。


  さらに,「俺ら東京さ行ぐだ」とクラシックとの出会い。
 
  吉幾三+フィルハーモニー交響楽団です。
http://jp.youtube.com/watch?v=H0LT6ilt5I8&feature=related





− 「津軽」 道化師の仮面を剥いだ吉幾三 名曲「雪国」−


  しかし、「俺ら東京さ行ぐだ」の翌1986年、間髪を入れずに吉幾三は道化師の仮面をとる。
  
  そして仮面の下に隠されていた素顔が、「正統派演歌歌手・吉幾三」であることを告白するのである。
  極悪レスラー「イエローデビル」のマスクの下に、母と妹を思う純朴な青年・高岡拳太郎の素顔が隠されていたように。(毎度すみません。またタイガーマスクの話です。http://www4.airnet.ne.jp/pancra/tiger/index/anime.html 「エピソードガイド」 第73話・第74話ご参照)

  吉は、東京から一転、故郷「津軽」に目を向ける。
  そこは「雪国」であった。
  
  道化師の仮面を剥ぎ、名曲「雪国」で、吉は1986年大晦日の紅白歌合戦に出場。
  吉はついに「正統派演歌歌手」として日本を制覇した。
  ここにおいて吉は,初めて真の勝利を得たのです。

  吉幾三 / 「雪国」 1986年紅白 吉幾三ついに日本を制す。
http://jp.youtube.com/watch?v=CvSKajhoSLA&feature=related


  ここで、吉幾三の「雪国」と、キング・クリムゾンKING CRIMSONとの華麗なる競演をお届けします。

  キング・クリムゾンは,5大プログレッシブ・ロックのバンドに数えられるグループ。
  その1stアルバムのラストを飾る「クリムゾンキングの宮殿」は,クラシカル・プログレッシブ・ロック(10月12日 今日の1曲 <24> ご参照)の5本の指に入る名曲です。

YOSHI IKUZO + キング・クリムゾン KING CRIMSON
http://jp.youtube.com/watch?v=OiBAU7-Rwz8
  クラシカル・プログレッシブ・ロックの歴史的名曲にもひけをとらない「雪国」。吉幾三がいかに情感豊かな作曲家であるかを証明していると思います。


<36>(原曲)キング・クリムゾン KING CRIMSON / クリムゾンキングの宮殿In the Court of the Crimson King
http://jp.youtube.com/watch?v=p4c5lY_5NNU 
  ビートルズのLP「アビーロード」を1位から叩き落した歴史的名盤「クリムゾンキングの宮殿」のタイトル曲。



  マイケル・ジャクソン「スリラー」と同様、全曲、捨て曲なし。偉大なる芸術。
  プログレッシブ・ロックに関心のある人はマスト。


  ただ、私は思う。
  もし吉幾三 が仮に初めから「雪国」で勝負したとしたら、このような成功を得られたであろうか?

  たしかに「雪国」は良い曲だ。
  
  しかし,私は「雪国」だけでは,吉は成功を得られなかったと思う。知る人ぞ知る「演歌の名曲」で終わっていたのではないか。

  @吉が,太宰治の残した遺作「人間失格」の精神を継承し,「俺ら東京さ行ぐだ」において道化の仮面を演じたこと。
  A吉の決意に共鳴した徳間ジャパンのスタッフの献身的な協力(吉は今日まで一貫して徳間ジャパンに所属している)。
  B吉の「俺ら東京さ行ぐだ」における不退転の行為によって感銘を受け,耕された芸能界という土壌。

  これらの布石と努力があって初めて,吉は「雪国」で成功を遂げたと思うのです。

  私は、「俺ら東京さ行ぐだ」において「人格」の死=「人間失格」を演じた男が、故郷「津軽」=「雪国」で不死鳥のように「人格」を蘇生させるのを見たのです。



−  俺らも「東京さ行ぐだ!」 − 


  渋谷、銀座、池袋、新宿、六本木、浅草,高田馬場,霞ヶ関、新橋…私の人生の中で、東京には、幾多の喜びも有れば、数え切れないほどの絶望もありました。
  そしていつしか、年月とともに感動は薄れていきました。

  そんな私を「俺ら東京さ行ぐだ」は叱咤し、力と勇気を与えてくれる。
  「君は、本気で死ぬ覚悟で東京と戦ったことがあるのか?」
  「もう一度,東京で生きてみよ!」と。 

  「東京」、それは人によっては、大阪であり、山形であり、大船渡であり、博多であるのかもしれません。


  私にも、今月、大きな戦いが待っています。

  「俺ら東京さ行ぐだ」の気概をもって戦いに立ち向かいたい、そう思うのです。


  最後に、「吉幾三 / 俺ら東京さ行ぐだ」の強力な別Remix Versionをお届けして、
<番外編其の1> の締めとさせていただきます。
http://jp.youtube.com/watch?v=wQ2zeulYjnI&feature=related
  ベース・ドラムスの低音のグルーブが唸りを上げて炸裂するファンク・ヴァージョンです。


  今回も最後までお読みいただきありがとうございました。






2008年10月13日

ノーベル賞 今日の1曲 <29> 井上陽水  (+ スティーヴィー・ワンダーStevie Wonder、 ベック、ボガート&アピスBeck, Bogert & Appice)

29 井上陽水 / 氷の世界 (作詞作曲 井上陽水/編曲 星勝・ニック・ハリソン)  1973年

  株価8000円とか暗い世相ですが、ノーベル賞受賞のニュースは明るい話題でした。

ところが、日本人3人が独占受賞した今年のノーベル物理学賞に対し、イタリア国内で疑問の声が起こっているらしい。10月8日付のイタリア主要各紙は、「ノーベル賞、引ったくり」「カビボ氏への賞をはく奪、彼が称賛されるにふさわしい」と今回の受賞をヒステリックに1面で報じたそうです。
 
  今回受賞の対象となった「小林・益川理論」が発表されたのが1973年。しかし、その10年前の1963年に、イタリア人物理学者のニコラ・カビボ・ローマ大教授は同理論の基礎となる考えを提唱し、物理学会では「カビボ・小林・益川理論」と3人の名を同時に冠して呼ばれることもあるとのこと。

  ノーベル賞の決定には重大な審査があるのでしょうから、門外漢の私には何ともいえませんが、ブログにもLE ORMEというイタリア語を使用し、イタリア音楽大好きの私としては、イタリア人が日本を悪く言っているのは淋しい限り。スウェーデンの人たちも気を利かせてカビボさんにも賞をあげてくれれば、4人揃ってニッコリ円満、日伊友好の益々の進展となったのになあと思うのです。


− 日本初のミリオンセラー LP「氷の世界」−

  さて、今回の井上陽水の「氷の世界」は、日本初のミリオンセラーを記録した同名LPのタイトル曲。同LP は1974年〜1975年度に2年連続してオリコン年間LPチャート第1位を記録。当時のミリオンセラーを1995年の音楽市場規模に換算すると800万枚〜1000万枚に相当するというメガヒット。

  国内アルバム売り上げ史上歴代1位(850万枚)の宇多田ヒカルの1stCD「First Love」以上のインパクトがあったのです。

昔、バイト仲間と「氷の世界」の話題になったとき、「でも、あのLPの中で、いい曲って『氷の世界』と『心もよう』だけなんだよねえ〜」と言われ、僕も同感みたいな話をしたことがある。
しかし、その2曲で十分。特に、LPでしか聴けなかった『氷の世界』を聴くだけでこのLPを買う価値はあったと思う。それぐらいこの曲はインパクトがあったのだ。


−「氷の世界」そのサウンドの魅力 −

  この曲の魅力はなんと言っても、井上陽水がフォーク・シンガーでありながら、アレンジャーがバリバリにロックの星勝であること。  
  星勝は、1970年代前半の日本のロック界で、相撲に例えれば、東の横綱フラワー・トラベリン・バンドFlower Travellin' Bandと並ぶ西の横綱モップスMOPSのギタリストだった人です。(村八分という重要なバンドもありましたが、正統派の相撲とは土俵が違うところで別格の存在だと思います。)
  若い方にはなんだかピンと来ないかもしれませんが、今のミスチルやグレイとはおもむきが違って、昔のロックは反体制的であったり相撲のように重いものだったのです。

星勝のアレンジによる「氷の世界」の冒頭を印象づけるエレクトリックピアノによるリフは、日本のロックの歴史上一番かっこいいリフのひとつだと思う。

  かつてディープ・パープルDeep Purple(世界最高のハード・ロックバンドのひとつだが、中心メンバーがクラシック、特にバッハに傾倒していたため、クラシカル・プログレッシブ・ロック−10月12日参照−の最高峰のひとつともいえる)のベーシスト、ロジャー・グローバーは、インタビューでこう語った。
  「楽器のテクニックも重要だが、音楽で一番難しいことは、スモーク・オン・ザ・ウォーターSmoke on the Waterのような単純だが印象に残るリフを作曲することだ。」
 
   いつまでも印象に残るかっこいいリフというのは、ビートルズやローリング・ストーンズクラスを除けば、一流と言われるバンドでも生涯で2個とか3個作れれば大成功といえるだろう。日本のロックの歴史で印象に残るほどのリフは、果たしていくつあっただろうか。

当時としては珍しく、ロンドンにまで赴いてレコーディングされた本作が、当時の世界の最先端のサウンドを追求していたことは明らかだ。

  星勝が、「氷の世界」のリフのインスピレーションを得たのは、前年のスティーヴィー・ワンダーStevie Wonderの1972年の全米No1ヒット曲、迷信Superstitionのリフからだと想像している。日本でも当時大ヒットした。氷の世界のあの硬質のエレクトリックピアノの音は「迷信」とそっくりだ。「氷の世界」は、ロックというよりも私の中では黒人ファンクに近い。

  スティーヴィー・ワンダーStevie Wonder / 迷信Superstition
http://jp.youtube.com/watch?v=2OJsYwLs7yE&feature=related レイ・チャールズと並ぶ盲目の黒人天才シンガー。名曲をたくさん生んだ人。一瞬聴いただけで彼独自の世界に連れていかれる。名作「トーキングブック」から。



迷信Superstitionのリフからインスピレーションを得たのは星勝だけではない。ロックの3大ギタリストの一人と言われるジェフ・ベックJeff Beckは、ベック、ボガート&アピスBeck, Bogert & Appiceを結成し、「迷信」そのものをロックにアレンジしている。
私が小学生のとき、ビートルズ、ローリング・ストーンズ以外で初めて買ったロックのLPが2枚組LP「Beck, Bogert & Appice / Live」だった。当時の私には「買って損した」としか思えなかったが、その中で唯一かっこいいと思った曲が「迷信」だった。

  Beck, Bogert & Appice – Superstition 
白人ロッカーによる黒人ソウルの解釈の最高の一例。
http://jp.youtube.com/watch?v=aBpSeyk1z4o 
当時ロック界では世界最強とも言われたTim Bogertのべース、Carmine Appiceのドラムスのリズム隊のグルーブ感にビシビシッと酔える。




 話がそれましたが、実にかっこいい「氷の世界」のサウンド。ホーンセクションにハーモニカ、黒人ファンクとフォークの融合した、まさにイエロー・ファンク。


−「氷の世界」その歌詞の深淵 −

 しかし、「氷の世界」の奇蹟の長期ミリオンセラーを生んだ要因は、そのサウンドではなく、歌詞だ。

  冒頭のリフの繰り返しによる魔力で聞き手に「何がくるのか?」と思わせたところに、いきなり1番の歌詞では「窓の外ではリンゴ売り…」というシュールで意味不明の歌詞で聞き手に疑問符「…?」を投げかける。そして歌詞の2番、3番と進むにつれて徐々に人間の深層心理の核心に迫っていく手法は、かまやつひろしの名曲「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」にも似ている。

 以前どこかの大学教授が、テレビで「この(学者の)世界ではすごい業績を上げる人ってみんなどこか暗い影がある人なんですよね」と言っていた。学者の世界では、常に新しい学説を提起しなければ、オリジナリティーのない陳腐な学者とみなされて冷笑されるらしい。やっと長年の研究の成果として新しい学説を発表しても、学会で認められるまでは、異説、少数説としてさらに何十年も冷遇されることもある。あの世界の野口英世でさえ、学歴のために日本の学会では認められなかったのだ。

  最後に学者への殺し文句「ノーベル賞」まで飛び出す「氷の世界」は、そんな先の見えない鬱屈した研究者の感情をも代弁し、当時40歳を超えていた学者がこれを聴いて狂喜していた。当時は私の周りでも「えっこんな人が」という大人が「氷の世界」を絶賛していたのを思い出す。

こうして「氷の世界」は、「よしだたくろう」や「かぐや姫」が若者だけの代弁者だったのとは異なり、思いもかけない層にまで広く深く浸透し、日本初のミリオンセラーを記録したのでした。
 
それにしてもこの曲で一度踊ってみたい。どこかのクラブでこんなのかける若いDJあらわれないかなあ。

井上陽水 / 氷の世界
http://jp.youtube.com/watch?v=HOOMO1jwTO4 
ファンキーなイントロに心が躍る。1番の詞はシュールな世界、外は吹雪らしい。 1:05 いよいよ2番から歌詞が自己の内面の世界へ突入。歌を強調するために、リフのミキシングバランスが下げられ、サウンドのテンションが落ちてちょっと残念。1:45 井上陽水の出自がフォークであることを示すハーモニカが核心の3番に向けて効果的。 2:09 問題の3番。他人に向かう攻撃の力を自分に向ける優しさが共感を呼ぶ。同世代のバンド村八分のチャー坊の歌詞にも通じるものがある。「氷の世界」では、その攻撃の力をプラスの力に変えているが、チャー坊の場合はマイナスの力のまま自分を滅ぼしてしまった。



2008年06月02日

今日の1曲 @ 太田裕美

ジャンルを問わず,メロディー等の美しいと思える作品をピックアップしていきます。まず,記念すべき1曲目は

@ 太田裕美/9月の雨  
  松本隆・筒美京平の黄金コンビによる名曲です。
http://www.youtube.com/watch?v=RiKwZf8TWQo