2010年04月03日

オザンナ来日Osanna Live in Japan 川崎 Club Citta 世界のナポリ Naples in the World 今日の1曲 <157> Osanna  <158> IL BALLETTO DI BRONZO <159>  Van Der Graaf Generator <160> Jimi Hendrix <161> Robertino Loretti

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オザンナのサインとTシャツ、カード(クリックすると拡大します)  1stLPにサインをするときのLinoは、目が綺麗だがステージのときとは変わって淋しそうだった。彼が兄と慕うDanilo Rusticiの容態がよくないことも頭を離れないのだろうか。
Autographs on Lp Osanna L’uomo  T-shirt& card
 
<157>  Osanna オザンナ/ L’uomo ルオモ 1971年
    Osannaオザンナ/Non sei Vissuto Mai 我はどこに 1971年
    Osannaオザンナ/ Canzona(There will be time)カンツォーネ1972年
<158> IL BALLETTO DI BRONZOイル・バレット・ディ・ブロンゾ / Introduzione イントロダクション 1972年
    Il Balletto di Bronzo イル・バレット・ディ・ブロンゾ/ La tua casa comoda安息の家 1973年
<159> ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター Van Der Graaf Generator テーマ・ワンTheme one 1971年
<160> ジミ・ヘンドリックスJimi Hendrix / パープル・ヘイズPurple Haze 1967年
<161> ロベルティーノRobertino Loretti / オー・ソレ・ミオO sole mio-



〜 オザンナ来日Osanna Live in Japan 〜


  2010年3月6日に紹介したオザンナOsannaのライブに行ってきました。

OSANNA & IL BALLETTO DI BRONZO which appeared in 1970's Italy when Vietnam War was bogged, expressed the end of the world in “Palepoli”and “Ys”. Once there were the pathetic sound of the mellotron. Then 40 years passed from that. The sound of Osanna was positive, and had changed into powerfull and bright.


  場所は、川崎のクラブチッタ。
  今までここで見たのは、@山口冨士夫with加部正義(ゴールデン・カップス)、大口広司(テンプターズ)の”Atmosphere“、A再結成村八分(山口冨士夫は不在)のチャー坊の死の直前のコンサート、Bニュー・トロルスNew Trollsの”Concerto Grosso“と、私にとって実に思い出深い会場です。
  また、ここはストリートダンスのコンテストの聖地とも言われています。

At Club Citta Kawasaki, many concerts are performed such as PFM, Banco, New Trolls”Concerto Grosso“. And it is also said the Bible of the contest of the street dance.

川崎 Club Citta Kawasaki Japan HP
http://clubcitta.co.jp/

  Osannaは3rdアルバム「パレポリ」Palepoliの強烈なメロトロンの印象から「イタリアのキング・クリムゾン」などと呼ばれることもあります。しかし、ナポリ出身の彼らの音楽性は世界でも無二のものです。
  今回の初来日は、ゲストにヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターVan Der Graaf Generator(2009年12月20日 今日の1曲 <132> )のDavid Jackson、およびイル・バレット・ディ・ブロンゾIL BALLETTO DI BRONZO(2008年6月15日 今日の1曲 G)のリーダー、ジャンニ・レオーネGianni Leoneという超豪華ラインアップ。

Osanna can be called "Italian King Crimson" from the impression of the strong mellotron in 3rd album " Palepoli". However, their musicality from Naples is the only thing in the world.David Jackson of Van Der Graaf Generator, Gianni Leone of IL BALLETTO DI BRONZO are guests this time.


オザンナOsanna Japan Live HP 演奏予定曲
http://clubcitta.co.jp/001/osanna/

オザンナ Osanna 紹介サイト
http://www4.plala.or.jp/ganqtan/Kagyu/doa2b.html

  New Trollsのとき、サイン会に行かずにLatte e Miele(今日の一曲 <24>)のAlfioのサインをもらえなかったことで死ぬほど後悔しました。そこで今回は休暇をとり「絶対にサインをゲット」と固く心に誓って赴きました。
  ところが、おっとどっこいで、川崎に着く2つ前の駅でチケットを忘れたことに気がつく。大馬鹿野郎である。大慌てで家にとんぼ返り。会場まで走ってたどり着きました。

  ついに登場。唯一のオリジナルメンバー、リノ・ヴァイレッティLino Vairettiの「ニホンニ コレテ ウレシイデス カワサキ!」で会場が沸いた。
  イントロは、太鼓の音から始まる。パレポリの冒頭そのまま! 体に電流が走る。ウーン、奴等は本気だ。伝説のパレポリツアーを思わせるバックのダンサーの映像が実にいい。
  Lino の声は60歳になっても張りがあって素晴らしい。





  演奏予定曲のとおり1stからの曲が一番多かった。1stの根底には黒人ファンクがある。椅子の上で踊りながら聞けた。
  イタリアでは1stの評価が高いが日本では低い。自分は1stも好きなので楽しめたが、3rdパレポリのメロトロン、2ndミラノのオーケストラを期待した人はつらかったのではないかと思う。
  でも、Linoの歌は力強いし、David Jacksonも最初から最後まで熱演。バックの全盛期のOsannaのビデオをコラージュした映像が見る側の集中力を切らさない。

Spectators were excited by greetings of Lino Vairetti“Nihonni korete uresiidesu(I am glad to be able to come to Japan).”

The introduction begins with a drumbeat. The beginning of Palepoli just!  An electric current runs through my body. Guys are serious! The pictures of the dancers like angels are harking back to legendary ”Palepoli tour”
The song of Lino is powerful, and David Jackson performs brilliantly from beginning to end, too.
A video of Osanna of the heyday does not run out of my concentration.

  2010年3月6日のブログでも紹介した私の好きなL’uomoが始まった。この4年間で1番多く聞いた曲かもしれない。
  途中でジミヘンを挟む。違和感がない。そうか彼らのルーツもジミヘンだったのかと嬉しくなってしまった。
  サイン会のときに、LinoにL’uomoの詩の中の「戦争」という言葉はベトナム戦争と関連するのか質問するつもりだったが、当然のことで愚問のように思えてやめてしまった。

My favorite L 'uomo began. It may be the music to which I listened most in these four years.
They sandwich Jimi Hendrix Purple Haze on the way. There is not sense of incongruity.


Osanna オザンナ/ L’uomo ルオモ 1971年
http://www.youtube.com/watch?v=d5P6SNoV06w&feature=related
詩情と激情が交叉するオザンナのテーマ曲。しかし、なんでこんな屋根の上で撮影せなあかんの。

Osanna オザンナ/ L’uomo ルオモ 1971年 カラー
http://www.youtube.com/watch?v=cAWQVkLyv3A&NR=1
斬新なカラー映像を再び。

Osanna オザンナ/ L’uomo ルオモ
http://www.youtube.com/watch?v=gldEHf0dEQ0
2000年再結成時の映像。音がハードになってジミヘンとうまく融合していた。


V.D.G.G.のDavid Jackson、元KING CRIMSONのDavid Cross(vln)、IL BALLETTO DI BRONZOのGianni Leone(key)等々豪華ゲストを迎えた2009年のリメイク盤



ジミ・ヘンドリックスJimi Hendrix / パープル・ヘイズPurple Haze 1967年
http://www.youtube.com/watch?v=aLeIdH2gTSc&feature=related
この音で世界が変わった。

The Jimi Hendrix Experience - Purple Haze LIVE 1967年
http://www.youtube.com/watch?v=z0dmPKYJiB8
イギリスをパニックに陥れたという伝説のテレビ映像




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ジャンニ・レオーネのサイン
「1977年からあなたは私のヒーローだ」と言いました
Autograph of Gianni Leone on Single IL BALLETTO DI BRONZO / La tua casa comoda
I said to him,"You are my hero since 1977"

〜 オザンナとイル・バレット・ディ・ブロンゾ 〜
OSANNA & IL BALLETTO DI BRONZO


  中盤で、Linoの紹介で今回私にとって最大の目玉ゲストIL BALLETTO DI BRONZOのGianni Leoneが登場。
  YSは以前よりリズムが変わったが初めてGianni Leoneを見れてよかった。パレポリのメロトロンのサンプリングでもやってくれたら最高だったが。
  Gianni LeoneはEverybody Gonna See You Dieなど数曲で退場。
Gianni Leoneが退場するとき会場に撒いたメッセージに日本語が書いてあるのが一瞬見えた。音楽のことではなく、人生観のようなことが書いてあった。

  IL BALLETTO DI BRONZOのリーダーGianni Leoneは、1971年までOsannaの前身バンドであるCitta Flontaleのメンバーでした。下のHPでもOsannaのLino Vairettiと一緒に現在とCitta Flontaleの頃の写真が出ています。

In the middle stage, my greatest guest Gianni Leone appeared by an introduction of Lino and played YS. As for YS, rhythm changed than before, but I was very impressed to see Gianni Leone for the first time.
Gianni Leone was a member of Citta Flontale which was a forerunner band of Osanna until 1971.
I saw that Japanese was written in the message which he sprinkled when he left. It was written about not music, but view of life.

IL BALLETTO DI BRONZO HP
http://www.ballettodibronzo.too.it/

イル・バレット・ディ・ブロンゾの日本語紹介サイト
http://enjoy.pial.jp/~chipmunk/ILBallettoDiBronzo.html

IL BALLETTO DI BRONZOイル・バレット・ディ・ブロンゾ/ Introduzione イントロダクション 1972年
http://www.youtube.com/watch?v=oz86bw70Beg
これも世界で無二のサウンド。7拍子、11拍子、12音階、チェンバロ、メロトロンなど、バロックから現代音楽まで複雑な要素を美的感覚で統合している奇跡の名盤。ナポリには米軍基地があり、根底には黒人ファンクのビートが流れている。
逆立ちしても無理だが、TRYSのIntroduzioneがクラブでかからないかなあ。7拍子で踊ってみたいものだ。

IL BALLETTO DI BRONZO / Introduzione
http://www.youtube.com/watch?v=ao5WYLkfNDs&feature=related
オルガンのソロ。今回のライブに近い音。

Il Balletto di Bronzo - La tua casa comoda安息の家 1973年
http://www.youtube.com/watch?v=8ZRG9Fxcodk&feature=related
今回サインをもらったシングルの曲。Gianniとドラマーの2人だけで作られたもの。





〜 オザンナ物語 Osanna Story 〜


  Linoが“Osanna Story”と言うと、1stのイントロのギターが聞こえてきた。
  Youtubeでも見れるようになったNon sei vissuto maiの映像が出てきた。Linoが映像を指で指しながら、“Elio Danna, Danilo Rustici,…e mio(私)!”とオリジナルメンバーを紹介する。そして、1972年の映像をバックにNon sei vissuto maiの演奏が始まった。

I heard a guitar of the introduction of 1st. A picture of Non sei vissuto mai 1972 came out.
Lino points at a picture with a finger, original members of Osanna,“ Elio Danna, Danilo Rustici,…e mio (me) "
It is a picture demonstrating that Osanna was a level of the world top.

Osanna オザンナ / Non sei vissuto mai我はどこに 1971年
http://www.youtube.com/watch?v=st5bEcrKpgM&feature=related
オザンナが世界のトップのレベルにあったことを実証する映像。
日本では3rdのPalepoliと2ndのミラノ・カリブロ9だけ好まれ私もそうだったが、この映像があまりにカッコイイので、それ以来1stにはまった。3:45〜のところは何度見てもゾクゾクする。
1st L’uomoはイタリアでは年間最優秀レコードに選ばれている。




美しいピアノのメロディーが流れてきた。
2nd Milano Caribro 9の2曲目テーマTemaだ。会場が沸いた。今日プログレのファンに一番アピールしたのはこの瞬間だろう。

オザンナOsanna & David Jackson /テーマTema & ヴァリエーションVariazione 2009年
http://www.youtube.com/watch?v=LBxANnpLkd8&feature=related

  そして、IL Postinoでアカデミー作曲賞を受賞したルイス・エンリケス・バカロフの畢生の名曲と評価されている2ndのラストを飾るCanzona(There will be time)が歌われた。オーケストラはないがLinoの年齢を重ねた上での味わいのある歌だ。

Next song was famous tune Canzona (There will be time) which was composed by Luis Enriouez Bacalov who won academy Music - Original Score Award in IL Postino.

オザンナOsanna / カンツォーネCanzona(There will be time)1972年
http://www.youtube.com/watch?v=CiDrYcjWtPY&feature=related
イタリアが生んだ最も美しい音楽のひとつ。消えゆくオーケストラの余韻にひたってしまう。

オザンナOsanna / カンツォーネCanzona Live2009年
http://www.youtube.com/watch?v=wWEBD3XCDdU&feature=related
イタリアの国営放送RAIでのライブ



  4thLP「人生の風景」からは「人生の風景」と、アンコールで「城」を演奏した。




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デビッド・ジャクソンのサイン。デビッド・ジャクソンは驚いて、このジャケットの絵は僕が決めて選んだんだと言っていました。
Autograph of David Jackson on LP Van Der Graaf Generator / Still Life 
David Jackson was surprised and said that he decided to choose this picture for the jacket. 


〜 オザンナとブリティッシュロックの関連 〜
  OSANNA & British Rock


  1971年のオザンナのデビューは、ブリティッシュロックからの影響によるものでした。
  ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターが一番評価されたのは、イギリス本国よりもイタリアで、Pawn Heartsは信じがたいことにLPチャートで1位になっています。
  オザンナのサックスのElio Dannaはインタビューで、King Crimson,Van Der Graaf Generatorなどに影響を受け、ポップグループだったShowmenをやめてOsannaの結成に参加したと述べています。

The debut of Osanna of 1971 depended on the influence from British Rock.
Elio Danna of the sax of Osanna was affected by King Crimson,Van Der Graaf Generator. And he stopped Showmen which was a pop group and participated in organization of Osanna.  In Italy, Pawn Hearts of Van Der Graaf Generator becomes the first place in an LP chart

  他方で、オザンナの強烈な独自性は、逆にブリティッシュロックに影響を与えています。
  かつてイタリアでOsannaと一緒にコンサートに出たGenesisのPeter Gabrielが1年後にOsannaの衣装をそっくり真似て現れたという有名な逸話もあります。
  ELPのカール・パーマー、King Crimsonのジョン・ウエットン、Deep Purpleのリッチー・ブラックモアなど、イギリスの有名ミュージシャンの中にはOsannaのファンが多い。それだけ、イギリスのバンドが持っていないオリジナリティーを持っているということでしょう。
  最近入手したOsannaの本には、なんとヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーターのリーダー、Peter Hammillの序文がついています。今回のコンサートでDavid Jacksonが参加したのも必然だったのかもしれません。

On the other hand, the strong originality of Osanna affects British Rock adversely.
Peter Gabriel of Genesis which appeared with Osanna in Italy, imitated clothes of Osanna one year later. There are many fans of Osanna in the British famous musicians such as ELP, King Crimson, Deep Purple. In a book of recent Osanna, leader of Van Der Graaf Generator, Peter Hammill wrote preface. It may have been necessity that David Jackson participated in this concert.

ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター Van Der Graaf Generator/ テーマ・ワンTheme one  LIVE 
http://www.youtube.com/watch?v=WWcJ7WeAK78
イタリアではシングル盤でも発売されたTheme oneのライブ。David Jacksonのダブルサックス奏法はElio Dannaもやっていた。リーダーのPeter Hammill抜き、かつベースレスでもこの迫力。VDGGのエネルギーを感じさせる。
 今回は、アンコールを含めて2回演奏。会場を沸かせた。





〜 世界のナポリ Naples in the World 〜


  Osanna Storyの最後で、Linoがフニクリ・フニクラを楽しそうに歌いだした。
  なんでまた、イタリアの暗黒とも形容されたオザンナがナポリ民謡かと思ったのだが、彼もナポリっ子であることを再認識した。
  ついに「オー・ソレ・ミオO sole mio」もやりだした。私の祖父もナポリ民謡が好きだったと母から聞いた。

By the last of “Osanna Story”, Lino has begun to sing Funiculì funiculà happily.
I thought why Osanna called "Italian darkness" sings Naples folk song. However, I realized that he was also a Naples kid. He had begun to sing O sole mio at last. I heard from mother that my grandfather liked Naples folk song.

ロベルティーノRobertino Loretti / オー・ソレ・ミオO sole mio-
http://www.youtube.com/watch?v=Fyi4Ylxmq3M
天才少年と謳われたロベルティーノの名唱です。


  ベトナム戦争が泥沼化していった1970年代初頭に現れたオザンナOsanna、イル・バレット・ディ・ブロンゾIL BALLETTO DI BRONZOはPalepoliやYsで世界の終末を描きました。そこにはメロトロンの悲愴な響きがありました。
  あれから40年たちました。
  オザンナOsannaの音は、ポジティブで明るく、力強いものに変わっていました。

  サイン会から出るとクラブチッタの中にバーがあって、ヒップホップ少年たちがたむろしていました。
  OsannaのメンバーやGianni Leoneも、40年以上前、こんな風に集まっては、James Brownなどのソウルの話をしていたのかなあと、思いを馳せました。

There was a bar in Clubcitta when I came out of the autograph session. Boys of the hip-hop gathered there.
I imagined that 40 years ago member of Osanna and Gianni Leone might had gathered at club and talked about soul such as James Brown or rock such as Jimi Hendrix , too.


イタリアで1stと同じく1978年の最優秀アルバムに選ばれたSuddance。日本では評価が低いが、捨て曲のないクロスオーバー・フュージョンの隠れた傑作。私は大好きだ。Naples in the Worldを収録。



2010年02月06日

雪Snow 今日の1曲 <145> ボッテガ・デラルテLa Bottega Dell'arte

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La Bottega Dell'arte / Bella saraiのシングル盤と雪snow


 <145> ボッテガ・デラルテLa Bottega Dell'arte / Bella sarai 1978年



  東京で雪が降ったのは2年ぶりということで、記念に残雪の写真を撮っておくことにしました。
  今日は天気が良くて気持ちよいので、一緒にボッテガ・デラルテLa Bottega Dell'arteのBella saraiを並べてみました。

It was two years since it having snowed in Tokyo last. Therefore I took a photograph of snow in memory.

ボッテガ・デラルテLa Bottega Dell'arte  wikipedia
http://it.wikipedia.org/wiki/La_Bottega_dell'Arte

  1974年から1983年までイタリアで活躍したボッテガ・デラルテは、日本では少数のファンにしか知られていないのですが、もっと多くの人に知られてもいいと思われる素晴らしいグループです。
  たとえば、カーペンターズやビートルズ、J−POPの中でも美しいメロディーに惹かれるという方であれば、何かしら感じるものがあるのではないかと思います。

La Bottega Dell'arte in Italy is known to only few fans in Japan and other countries. However, it is the splendid group which may be known to more people. I think that the fans of beautiful melody like the Carpenters or the Beatles, may like them.

  La Bottega Dell'arteが「芸術工房」を意味するように、当たりの良いポップスのようでいて実は奥が深く、聴くほどに味が出て、飽きることがありません。実力者であったことを証明するように、その後、メンバーの多くはイタリアの音楽界で成功しています。
  特に最高作の1977年のDentroは全曲美しくて捨て曲がなく、最後は彼岸にでも連れて行かれそうになります。今は入手が難しそうですが、こういう名作はいずれ再発されると思います。Youtubeでも何曲かを聞けます。
  Bella saraiは、Dentroの翌年の1978年に発売されたシングル。前半は内省的、サビもポップでありながら
Dentroを引き継いだ丁寧な仕上がりになっていて素晴らしい。

La Bottega Dell'arte means "The Art studio". Most of members succeed afterwards in Italian music circles to prove that they were influential musicians. The single Bella sarai was released in 1978 of the next year of most their excellent work LP Dentro. While it is a pop, it is also introverted and is splendid.


ボッテガ・デラルテLa Bottega Dell'arte / Bella sarai 1978年 白黒 B/W
http://www.youtube.com/watch?v=hwy0IkrKvGs&feature=related
  今は、Youtubeで映像が気軽に探せるようになったが、6年前イタリア人の友人から送られてきたビデオの中にこの映像を発見したときは思わず正座してしまった。
  ダブル・キーボードの右側に白いメロトロンM400が置かれているのも感動した。メロトロン使用のライブ音源は残ってないのだろうか。


ボッテガ・デラルテLa Bottega Dell'arte / Bella sarai 1978年 カラー color
http://www.youtube.com/watch?v=cRnjRbTaLOk&NR=1
  最近発見した驚きのカラー映像。テレビ先進国といわれるイタリアでは1960年代からの素晴らしい音楽番組の映像が多く残っているが、カラーテレビ化は遅く、この頃からやっと普及してきたようだ。


ボッテガ・デラルテLa Bottega Dell'arte / Bella sarai 1978年
http://www.youtube.com/watch?v=GgzHiEODkC8&feature=related
  同曲の一番音質のいいYoutubeはこれです。


Bottega Dell'arte / Restà co' l'occhi chiusi 1978年
http://www.youtube.com/watch?v=0Lj57S_CMII&feature=related
  シングルBella saraiのB面だが、穏やかな曲調でありながらオーケストラも配し手抜きなし。AB面通してひとつの作品になっているのがすごい。


La Bottega Dell'arte / Dentro 1977年 from LP Dentro
http://www.youtube.com/watch?v=VFkDkjqpKi8&feature=related
  いきなりギターの泣きメロで始まる名作Dentroのタイトル曲。タイトル(「内部」「内的」)の通り内省的な世界が拡がる。






2009年01月08日

新春・イタリア名曲・第2弾 + 新春シネマ 今日の1曲 <53> イ・プー I Pooh (+<54> セックス・ピストルズ Sex Pistols)

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イ・プー / 君をこの胸に 日本盤シングル。
イタリアでは1位だが,当時日本では全然話題にならず。後になって評価。



− 新春・イタリア名曲・第2弾 −



53 イ・プー I Pooh / 君をこの胸に Tanta voglia di lei 1971年

  イ・プーは、「クマのプーさん」から名前をとったイタリア人気No.1の国民的なグループです。
  1966年デビューですから、もう42年、3世代に渡ってイタリアで愛されています。アルバムはなんと45枚も出しています。

  イ・プー I Poohの歴史の長さを物語るイタリア語wikipedia
http://it.wikipedia.org/wiki/Pooh

  君をこの胸に Tanta voglia di leiは、彼らの人気を決定づけた名曲で、1971年9月22日から11月3日まで7週間1位、年間総合5位になっています(1位はLucio BattistiのPensieri e parole、2位はMinaのAmor mio(これもBattistiの曲)。

  1970年代前半のイタリアでは、イタリアの伝統のクラシックと、Beatlesやポップスなどが融合したクラシカルポップというジャンルが一世を風靡しました。Tanta voglia di leiはまさにその中の大傑作です。
  Le Ormeのようなプログレッシブロック(10月12日 今日の1曲参照)とも通じるものであり,最近のI Poohの作品では,Le Ormeの1972年のヒット曲も取り上げています。

  I Poohはルックスも良く,イタリアでは貴公子と呼ばれました。1970年代に,ヨーロッパで,彼らは北のAbba,南のI Poohと言われるほどの成功を収めました。

イ・プー I Pooh / 君をこの胸に Tanta voglia di lei  (Clip)
http://jp.youtube.com/watch?v=PP0TPOSSSoc&feature=related
 2:53からの吸い込まれるようなストリングスは,まさにイタリアの歴史。



− 新春シネマ −



  イ・プーI Poohのあとに何故かセックス・ピストルズSex Pistols
  でもイ・プーもピストルズもいいものはいいのです。

  昨日,渋谷で2本音楽の映画を見ました。

  1本目は「40歳問題」という日本の映画。3人の40代のミュージシャンが突然集められ新曲を作るという過程で,彼らの人生の背景などが浮き彫りにされるというストーリー。
  私は,クラブWombなどでDJをしている大沢伸一に興味があったので見に行きました。
  結果は,平凡な2人の「ロック」ミュージシャンに対して,私が期待していた(3人のなかで一番音楽的に非凡,言い換えれば不幸な)大沢伸一が化学反応を起こし,最後に自爆するというもの。なかなか良かったです。

  そこで続けて,2本目のセックス・ピストルズの「勝手にやったぜ」を見るかで迷いました。
  いまさら、お腹の出っ張ったジョニー・ロットンを見てどうするのかとも悩んだのですが,最高との評もあったので見ることにしました。

  先月のRolling Stonesで味をしめたので,最前列で踊りながら見ることにしました。
  結果は,予想を大きく裏切ってRolling Stones以上の興奮。
  アドレナリン全開でした。

  とにかくセックス・ピストルズは楽曲がいい。

  彼らが否定しようと(それは表向きの態度であって,本当は子供の頃から好きだったに違いない)Rolling Stones, Beatles直結のDNAを彼らは受け継いでいる。また、ジョニー・ロットンはCANなどドイツのプログレッシブロックのファンだったのであり,ドイツのクラシックの影響も間接的には受けている。私は、セックス・ピストルズの音楽的衝動は,ベートーベンと同格だと思っています。

 世紀のピエロ,ジョニー・ロットンは,「デブ野郎」という野次に対して,余裕でシャツをまくり,醜い腹をさらけだす。

 ミック・ジャガーが苛め抜いた肉体を映像として残すためにスコセッシに自ら映画化を申し出たのに対し,ジョニー・ロットンは研ぎ澄まされた精神で対抗する。ジュリアン・テンプルも観客の熱狂という5人目のメンバーを最大限に駆使したカメラワークをもって全霊でピストルズをサポートする。

  後半にすすむほど,ジョニー・ロットンは真剣になっていく。ドラム,ギター,ベースは初めから全開だ。パンクだ,反抗だという以前に彼らはバンドマンとして凄い連中だったのだ。
  ジョニー・ロットンの額から汗が滴るのを見たとき,この映画を見てよかったと思いました。

 
54 セックス・ピストルズ Sex Pistols / さらばベルリンの陽 Holidays in the sun 1977年

http://jp.youtube.com/watch?v=R_YX7hsaJz0
特に若い人に見ていただきたいです。皆さんが生まれる前にあった本物のロックを。

http://jp.youtube.com/watch?v=iB-eetwPPJA&feature=related
カラー映像です。

2008年10月12日

美しき十代 クラシカル・ロック  今日の1曲 <24> Latte e miele ラッテ・エ・ミエーレ  (+ <25> <26><27> Beatles & George Martin ビートルズとジョージ・マーティン, <28>  Emerson, Lake & Palmer エマーソン・レイク・アンド・パーマー)

24(今回の主役) Latte e miele ラッテ・エ・ミエーレ / Tanto amore 胸いっぱいの愛 1974年

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  ・・・さらに今回はテンコ盛り・・・

25  Beatles ビートルズ / Please please me プリーズ・プリーズ・ミー 1964年
26  Beatles ビートルズ / Yesterdayイエスタデイ 1965年
27  Beatles ビートルズ / In my lifeインマイライフ 1965年
28  Emerson, Lake & Palmer エマーソン・レイク・アンド・パーマー /  Knife Edge ナイフ・エッジ 1970年
  「イエスタデイ」1曲で1冊の本になるビートルズは別格。
  1曲でもちょっと書けば1歩に数えるので,今回は合計5歩前進です。


  さて「美しき十代」といえば,元祖アイドル三田明「アーアー,じゅ〜だい〜〜♪」,迷走するブログ「あしあと」,ダンス・クラシックの次は昭和30年代レトロ歌謡路線に突入か!? 
  …ではなくて,今回の主役は、ラッテ・エ・ミエーレLatte e miele。「今日の1曲 G IL BALLETTO DI BRONZOイル・バレット・ディ・ブロンゾ」に続いてイタリアのクラシカル・プログレッシブ・ロックです。
 ラッテ・エ・ミエーレは1972年にデビュー。そのとき,ドラムのAlfio Vitanzaアルフィオ・ヴィタンツァは弱冠16歳,「美しき十代」だったのです。

 「Tanto amore 胸いっぱいの愛」は、1974年にラッテ・エ・ミエーレの3枚目のシングル盤として発表された叙情的な美しい癒し系のクラシカル・プログレッシブ・ロックです。
              ↓
Youtube http://jp.youtube.com/watch?v=dW-Nt0mW_DM&feature=related

ボーナストラックTanto amore収録のCD 


 
  若い方には、「ところでプログレッシブ・ロックProgressive Rockってなんじゃいねん?」

という方もいると思うので解説しますと、1960年代後半から1975年ぐらいまでに大流行したロックのジャンル。おおまかに言うと、ロックに、@クラシック、あるいはA現代音楽・電子音楽の要素を取り入れたものなのです。          
 
  今回は,@のクラシックを取り入れた方の「クラシカル・プログレッシブ・ロック」の話をします。
 
 すみません。 今回は,4回分位の量になってしまったので,Part 1〜4の4部構成にしました。
 前回は500字だったのに、今回は6500字。お時間のあるときに読んでやってください。
  文は読まなくても,Youtubeで紹介する音楽は聴いてみて下さいね。

- クラシカル・プログレッシブ・ロック 目次 −
   Part 1 1964年 ビートルズとジョージ・マーティン
   Part 2  1967年 キース・エマーソン登場
   Part 3  1970年 1970年代のイタリアン・ロック
   Part 4 1972年 ラッテ・エ・ミエーレ デビュー

- クラシカル・プログレッシブ・ロック Part 1 ビートルズとジョージ・マーティン -
      Beatles & George Martin

  クラシックを取り入れたプログレッシブ・ロックの魅力は,VivaldiヴィヴァルディやBachバッハなどの先人の作った伝統の美を尊敬しつつ,ビートルズなどの新しく生まれたロックのエネルギーでさらにそれを超える美を創造しようとした情熱だ。1975年を境にその情熱は失われていってしまったけれども・・・。かつて文通していたフランス人も「1970年から1975年は音楽にとって奇跡の時代だ」と言っていた。

  とにかくプログレッシブ・ロックは美しい音楽の宝庫,メロディーの渋谷109なのですよ。ここは。

  ロックは、1950年代にアメリカの黒人のR&Bをルーツに生まれた。黒人の「地下」のクラブに必死に通った貧しい少年エルビス・プレスリーが黒人のリズムを身につけて「地上」に登場,それは「地上」では誰も見たことのなかった衝撃的な歌と動きだった。本来黒人の音楽だったものが,世の中に不満を持つ白人の若者の間にも共感を呼び,ロックンロールが爆発した。
  無名時代のビートルズやローリング・ストーンズRolling Stones(特に後者)も徹底的に黒人音楽に憧れ、コピーしたのだ。

  では,このようにして生まれた黒人をルーツとするロックにクラシックの要素を持ち込んでクラシカル・プログレッシブ・ロックを始めたのは誰か? 
  一般的ではないが私はビートルズと決めつけている。しかもビートルズの4人のメンバーではなく、むしろアレンジャーのジョージ・マーティンGeorge Martinだ。ジョン・レノンJohn Lennonもポール・マッカートニーPaul McCartneyも超天才的なソングライターだったけれど、労働者階級出身の彼らは正規の音楽教育を受けていない。John とPaulが作ったメロディー,すなわちダイヤモンドの原石を磨いて世に出した人こそ、クラシック音楽の知識を持ったジョージ・マーティンだった。




  1964年のBeatlesの出世作Please please meプリーズ・プリーズ・ミーは、もともとは全く違うテンポの遅いものだった。ジョージ・マーティンはこれを大胆に加工。レコーディングが終わったとき、ジョージ・マーティンは4人のメンバーに言った。「OK,これで君たちは1位になれるよ」。そして、その言葉通りになった。

   The Beatles - Please Please Me ビートルズの出世作。
   ヘッドホンで聴いて頂きたい。リンゴの疾走するドラム,ジョンと高音を維持するポールの痛快なハモリ。まさに黒人のリズムと白人の和声の合体だ。 
    http://jp.youtube.com/watch?v=W9cbMZZTRQQ
 
  1965年、Beatlesは,Yesterdayイエスタデイでクラシックの弦楽4重奏をバックにポールが歌い、LP「ラバーソウル」収録のIn my lifeインマイライフでは曲の中間でクラシック風のピアノソロをとりいれた。もちろん両方ともジョージ・マーティンの戦略だった。

      
    The Beatles – Yesterday 世界で最も多くカバーされた楽曲としてギネスブックに認定。「ビートルズのあの美しい曲」も,実はポールが14歳の時に亡くなった母親を想って作った歌。そんな事実を後で知ると,詞を含め実に重い2分間だ。
    http://jp.youtube.com/watch?v=COLbULs08EQ&feature=related

   The Beatles - In My Life こちらはジョンによる人生の回想。1:40からのジョージ・マーティンのクラシカルなピアノが郷愁をさそう。ジョージ・マーティン自身のソロアルバムのタイトルにもなった曲。
    http://jp.youtube.com/watch?v=Ym0x3vTw6yc 

 
  Beatlesのクラシカル・プログレッシブ・ロックは1970年に解散するまでとどまることはなかった。
  

ビートルズの音楽性が大きく変化したトータルアルバム。「インマイライフ」収録。




− クラシカル・プログレッシブ・ロックPart 2 キース・エマーソン登場 −
         Keith Emerson

  こうしてアフリカをルーツとする黒人が作ったロックに対して、ヨーロッパをルーツとする白人からのクラシック音楽による巻き返しが始まった。そして両者は美しく融合していく。その担い手はビートルズだけではなかった。
 
  1967年、同じくイギリスのピアニスト,キース・エマーソンKeith EmersonがナイスNICEを結成し、驚異的なテクニックでクラシックの楽曲そのものをロックにアレンジし,融合した。
  30年後の1997年にドイツのユニットSweet Boxが「Everything’s Gonna Be Alright」でバッハの「G線上のアリア」と黒人のラップを融合させたように。
 
  キース・エマーソンは、1970年に、キングクリムゾンKING CRIMSONとアトミックルースターATOMIC ROOSTERから凄腕かつイケメンの2人のメンバー、グレッグレイクGreg LakeとカールパーマーCarl Palmerを引き込んでスーパーグループELPこと,エマーソン・レイク・アンド・パーマー Emerson, Lake & Palmerを結成。


ナイフエッジ収録の1st


  
  ELPの3人は日本でも雑誌の人気投票の各部門で1位を独占。1972年7月には外国アーティストとしては2組目の後楽園球場での伝説のライブを行った。ELP はX−Japanのような人気だったのだ。ちなみに小室哲哉のヒーローはキース・エマーソンであり,アムロ・ブームのルーツも遡るとプログレッシブ・ロックなのだ。
  こうしてキース・エマーソンの影響は全世界に及んだ。

  さらに,彼を核にして,Moogなどのシンセサイザー,電子キーボードの開発も進んだ。日本のYAMAHA,Roland,Korgなどのメーカーの世界への躍進もキース・エマーソン抜きには語れない。
 キース・エマーソン以外にも素晴らしいキーボーディストはたくさんいますが,きりがないので別の機会に。

   Emerson, Lake & Palmer / Knife Edge ナイフ・エッジ(スタジオ)1970年 1stLPより
 http://jp.youtube.com/watch?v=DmMCaKrMQ70 ポイントは3:20。Beatles の In My Lifeの手法を応用。それほど有名とはいえないチェコの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」の導入が衝撃的。キース・エマーソンのクラシックへの造詣の深さがうかがえる。

   Emerson, Lake & Palmer / Knife Edge ナイフ・エッジ(ライブ)1970年 これは面白い! 必見! クラシックとプロレスの異種格闘技。ロックの映像では5本の指に入れたい。ドイツの歴史上に残る名TV番組「BEAT CLUB」でのライブ。
http://jp.youtube.com/watch?v=D-kT4hTJTdc&feature=related
4:00バイク狂エマーソンが暴走、シンセサイザーの首を締め上げる。5:00転じて優等生に、ヤナーチェクを弾くときは譜面とにらめっこ。6:30最後はオルガン相手に投げ技で一本。

Emerson, Lake & Palmer / 1970年 1stLP 試聴
   http://www.amazon.de/Emerson-Lake-Palmer/dp/B0002HSECC/ref=sr_1_5?ie=UTF8&s=music&qid=1223778731&sr=1-5

   Emerson, Lake & Palmer / 展覧会の絵(ムソルグスキー作曲)1971年 ライブ 
   http://jp.youtube.com/watch?v=_Y1x04hAUT4&feature=related こちらは,ロシアを代表する作曲家モデスト・ムソルグスキーの1874年のピアノ組曲をまるごとロックにした作品。日本での人気を不動にした。
        



− クラシカル・プログレッシブ・ロックPart 3 1970年代のイタリアン・ロック −
     ROCK PROGRESSIVO ITALIANO


  ここでやっとイタリアの話にたどりつく。
  イタリアでは、イタリアのエルビス・プレスリーことAdriano Celentano(今日の1曲 H)によってロックの洗礼を受けた子供たちが、さらにビートルズ・ショックを受け、キース・エマーソンELPに追い打ちをかけられた。
  そこで彼らの多くは気づいた。「おい、ちょっと待て。あいつらイギリス人の音楽はクラシックを使ってるけど、クラシックの御本家は俺たちイタリアだ。クラシックだったら子供のころからやってるし,負けないぞ」
 

イタリアン・ロックを世界に知らしめたPFM



  本ブログのタイトル名に使っているLE ORME(レ・オルメ)とはイタリア語で「あしあと」を意味する1967年にデビューしたイタリアのバンドなのです。レ・オルメは、早速イギリスに渡って状況を偵察し、ELPを真似て1970年からクラシックを大胆に取り入れた3人組のクラシカル・プログレッシブ・ロックに変貌して大成功を収めた。  彼らには,ビートルズにおけるジョージ・マーティンのように,マエストロGian Piero Reverberiというクラシックを知り尽くした巨匠が味方についた。

  レ・オルメに続いてイタリアでは,PFM、Banco,New Trollsなど,世界でも類を見ないほど多くの,クラシックを取り入れたプログレッシブ・ロックが花盛りになった。PFM、Bancoは,ELPが設立したマンティコア・レーベルと契約して世界に進出した。ELPは,同じレーベルでありながら,PFM、Bancoの実力をおそれて彼らと同じステージに出ることを避けた。それだけイタリアでは,クラシック音楽に精通した男子が多かったのだ。
  転じて,日本では,ピアノを習っている男子なんて周りに全然いなかった。ピアノは女の子のお稽古だと思われていた。坂本龍一とか子供のころは周りから浮いて苦労したようだし,小室哲哉などもそんな感じがする。私はバイトで学費を稼いで音大の作曲科に行きたかったのですが,150万円貯金が溜まりいざ入試の要項を見て,子供のころからピアノをやってなかったら無理だと挫折しました。


- クラシカル・プログレッシブ・ロック Part 4 ラッテ・エ・ミエーレ −
      Latte e miele

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Latte e miele 2ndLP「Papillon」リーフレットと2nd、1stシングル


  そして,やっと今回の主役ラッテ・エ・ミエーレ。
  彼らも数あるイタリアのバンドのひとつで,ELP,LE ORMEと同様,キーボード,べース,ドラムの3人組。彼らを知ったのは私が16歳の頃だった。クラシカル・プログレッシブ・ロックをやるにはそれだけ円熟した力量がいる。ほとんどのバンドが傑作を残したのは25歳前後だ。ところが,このバンドはドラムが16歳にもかかわらず,1stLPでいきなりキリスト受難劇をテーマにした大傑作「PASSIO SECUNDUM MATTHEUM受難劇」を発表。ローマ教皇の前で演奏したなどという噂も飛んだ。

  まだ幻のレコードだった「受難劇」を夜中にFM東京で聴いたときは,混声合唱団まで使ったその内容の凄さにブッたまげた。ドラムが16歳でこんなことができるのも,子供の頃からのクラシックの知識で譜面が読めるからなのだ。イタリアはそれだけミュージシャンの層が厚かったのだ。
 
  ラッテ・エ・ミエーレは,私自身の人生の十代の大きな挫折とも重なって,永遠のヒーローのひとつとなった。IL BALLETTO DI BRONZOと同様,LPについては1982年にポリドールが,ジャケット、リーフレットもイタリアのオリジナルと同様の奇跡のLP復刻盤を出して夢が叶った。
  
  10年前,イタリア人の友人と知り合った。彼は「10歳のころからミルバの熱烈なファンだ」という。そこで,私も「十代のころからラッテ・エ・ミエーレのファンだ。彼らのシングル盤3枚と私の持っているミルバのレコードと交換しよう」と持ちかけた。彼は「Latte e mieleなんてイタリア人の自分でも知らなかった」と言いつつラッテ・エ・ミエーレのレコードを探してイタリア中のレコード店に電話をかけまくってくれた。イタリアから「奇跡だ!ラッテ・エ・ミエーレがみつかった」という彼の手紙が3回届いて3枚のシングル盤が揃った。

  そして昨年,ラッテ・エ・ミエーレのドラマーAlfio Vitanzaは, LE ORME と並ぶイタリア・プログレッシブ・ロックのベテラン、ニュートロルスNew TrollsのConcerto Grossoツアーのメンバーとして来日した。
  
  私は,Alfio Vitanzaのサインがもらえるかもしれないと思って,ラッテ・エ・ミエーレのTanto amoreとニュートロルスのシングル盤を持参してコンサート会場に行った。サイン会に参加するには7000円のグッズを買わないとだめで,サインはどのメンバーに当たるかわからないと言われた。Alfio ,Nico,Vittorio以外の興味のないメンバーのサインは欲しくないので,サイン会は行かなかった。後になって,行かなかったことを1年間後悔した。

  New Trollsの演奏は素晴らしかった。奇跡のクラシカル・ロックだ。New TrollsのConcerto Grossoはいずれ紹介します。私が生涯見たコンサートの中でも1,2を争うほど感動した。
  ただ,日本ではイタリア・プログレッシブ・ロックの5本の指に評価されるラッテ・エ・ミエーレの「受難劇」は,イタリア本国では思ったより評価が低いようだ。ラッテ・エ・ミエーレの曲はNew Trollsの来日では演奏してもらえそうもない。




  16歳の長髪の眼鏡のイケメンAlfio Vitanzaがラッテ・エ・ミエーレで一番人気のアイドルだった。
  ラッテ・エ・ミエーレが30年以上前に残した作品は,どれもイタリア・プログレッシブ・ロックの中でも飛び抜けて美しい。そのメロディーはローマで食べたジェラート(アイスクリーム)のように甘い。キリスト教に真っ向から取り組んだり,ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」を正面からロックにしたり,その青臭さからイタリア本国では評論家筋にはあまり高い評価を得られないのかもしれない。しかし,それは彼らの若さ,純粋さだけがなせるわざなのだ。

  ラッテ・エ・ミエーレの音楽は,私の心の中では永遠に「美しき十代」として輝いているのです。

  
  ふたたび Latte e Miele - Tanto amore胸いっぱいの愛 1974年 Alfio Vitanza「十代」最後の作品
   http://jp.youtube.com/watch?v=dW-Nt0mW_DM&feature=related 1:20からのサビはクラシック王道の癒しのコード進行。1:55オーボエに似たシンセサイザーに無常の響き。

  そして Latte E Miele - Il Pianto ~ Il Re Dei Giudei  1972年 1stLP「受難劇」からのハイライト
   http://jp.youtube.com/watch?v=45I61w-iwRo&feature=related 美の極致の「悲嘆」(静)から一転1:40「ユダ」(動),そして2:34「ユダヤの丘」,とどめに3:11からの泣きのメロディー。





2008年08月22日

晩夏の海T 今日の1曲 <15>  ALUNNI DEL SOLE アルンニ・デル・ソーレ

<15>  ALUNNI DEL SOLE / E mi manchi tanto  1973年 イタリア
   (Paolo Morelli 詞曲) 

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  15年ぐらい前から、年に1回、晩夏になるとある海岸沿いの浜辺を6〜7kmほど歩く日帰りの旅をしていました。その間、ずっと、ポップス、ソウル、ボサノバなどのカセットを聴いていました。歩くときはダンス系、座ったときはバラード系・・・そんな去りゆく夏の定番の曲をいくつか紹介していきたいと思います。

  ALUNNI DEL SOLEは、1969年にParadeという小さなレコード会社からConcerto(最高位10位)というヒットを出し、1972年からは、Umberto Balsamo (今日の1曲B)と同じく名匠Gian Piero Reverberiのオーケストラアレンジで成功を収めます。その発端となったE mi manchi tantoは、シングルとして1973年に最高位7位まで上がり、31週間の長期に渡ってチャートインします。
  イタリアのグループとしては、1970年代の10年間で、I POOH、LE ORMEに次ぐ売り上げがあったものと思われます。1982年の作品以外は聴くことができましたが、10年間一貫して地味ながらも心に深く染みる美しい作品を継続して発表し続けた他に例のない素晴らしいグループだと思います。
 
 ALUNNI DEL SOLEについては、10年前から文通しているイタリア人の友人に詩などについて質問しました。グループ名は英訳すると「Students of the sun」で、ALUNNIとは6歳から15歳ぐらいまでの学生を意味し、このような奇妙な名前になったのは、リーダーのPaolo Morelliが当時「GLI ALUNNI DEL SOLE」という小説を大変気に入っていたからだとのことでした。
 そして、「ALUNNI DEL SOLEの詩は非常に美しく、彼らの音楽を聴くとき本当の喜びを感じる、その詩は多くのラブソングのように失恋の哀しみをテーマにしたものだが、かれらの詩は特別だ、本物の詩人の詩のように同時に力強いものだ」とのことでした。E mi manchi tantoは、「And I miss you so much」を意味し,イタリア人でも理解できない難解なところが2箇所あるとのことでした。

  イタリア語の分からない私には,イタリア人が感じるような感動を受けることはできませんが,それでもPaolo Morelliの作り出すメロディーと素朴な歌声,Gian Piero Reverberiの編曲に心を揺さぶられます。
  Gian Piero Reverberiのオーケストラアレンジは、主にボーカルをメインに支えるための控えめなものですが、E mi manchi tantoでは、1971年のNew TrollsのConcerto Grosso(LP最高位2位)、1972年のI PoohのAlessandra(LP最高位2位)など当時イタリアで全盛だったクラシックとポップスを融合したクラシカルポップの影響を受けたと思われるかなりドラマチックなアレンジがなされています。(Patty PravoがレコーディングしたConcerto GrossoのAdagioはGian Piero Reverberiが編曲)

  海で聴くALUNNI DEL SOLEの曲はFiori,Taranteなど他にもたくさんあるのですが,海岸を歩く旅が終わりに近づき,海に夕焼けが反射するころ,E mi manchi tantoの「sei tutto cio che io di vero ho(You are everything true that I have)」という最後の一節と,消え入るように終わるReverberiのストリングスを聴きたくなるのでした。

ALUNNI DEL SOLE / E mi manchi tanto
         ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=5mVOlBKGaFo&feature=related



2008年06月15日

今日の1曲 G IL BALLETTO DI BRONZO

G IL BALLETTO DI BRONZO/ Introduzione  イタリア
  イル・バレット・ディ・ブロンゾ/イントロダクション
     (Gianni Leone詞・曲) CD「Trys」1999年より

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  JAMES BROWNなどソウル・ファンク系の音に惹かれていたころ、イタリアの伝説のグループ、IL BALLETTO DI BRONZOの再結成とCD発売に驚きました。そのCD「Trys」では、イル・バレット・ディ・ブロンゾの1972年の傑作「YS」が再現されています。
 
  傑作「YS」が初めて日本に紹介されたのは、1975年12月のあるレコード店の広告ではないかと思います。「YS」にはその神秘的なジャケットも相まって大いなる幻想を抱きました。

  クラシックの伝統、キング・クリムゾンやELPからの影響を消化しながら独自のオリジナリティーを打ち立てた音楽性の高さもさることながら、イル・バレット・ディ・ブロンゾには、ビートルズやレッドツェッペリンあるいはそれ以上に4人のメンバーが佇んでいるだけで絵になるロックヒーローの要素を感じました。
  夢は叶い、1982年に日本でオリジナル盤のリーフレットをも完全に再現した「YS」が発売されました。
  
  イタリア本国でもレコードコレクター誌の創刊号で、イタリアンポップスの女王ミーナとともにIL BALLETTO DI BRONZOの特集が組まれていたことから、彼らが1970年代イタリアンロックの象徴の一つと捉えられていることがわかります。
 
  CD「Trys」では、残念ながら1972年の「YS」のような神秘的な女性スキャット、氷のように研ぎ澄まされたメロトロン、高貴な香りの漂うチェンバロ、奔流のようにノイジーなギターを聴くことはできません。
  しかし、その分「Trys」では「YS」の骨格となるダイナミックなリズムが浮き彫りとなり、際だっています。ヘッドフォンで聴いていると、Introduzioneでの6分あたりから始まるハイライトで、7拍子の高速リフレインによる強靱なリズムの反復、グルーブ感に引きずり込まれます。  
  
  解説によれば、リーダーのGianni Leoneは8歳からピアノを学び、その後Otis ReddingやJAMES BROWNなどのR&Bを演奏したとあります。同じナポリのグループOsannaのElio Dannaにも前身バンドのI Showmen時代にJAMES BROWNのPapa's got a brand new bagを演奏した映像が残っています。
 
  「YS」やOsannaは、音楽によって当時のベトナム戦争などで荒廃した現代社会に挑戦する異世界を創造しましたが、その魅惑的な音群の求心力となる根底には黒人音楽のリズムの反復による陶酔、グルーブ感が流れているように思えます。

  2004年のライブ映像 Introduzione 
             ↓
  http://jp.youtube.com/watch?v=i2uu7guEMUg


Il Balletto di Bronzo - Ys (extract)
http://www.youtube.com/watch?v=RZyjkdqGPB4