2020年04月23日

追悼ジャッキー吉川・GSフェスティバル2003 〜 台湾のコロナ対策 〜 マスクの再利用 

P1360638.JPG
GSフェスティバル2003の新聞広告  


今日の1曲
 美空ひばり(演奏ジャッキー吉川とブルーコメッツ)/ 真赤な太陽1967年


日本初のロックバンドブルーコメッツ




 〜 台湾のコロナ対策 〜

 まずコロナについて。コロナのために音楽関係、イベントなどが中止になっています。関係者の為にもファンのためにも早く音楽が復活してほしいです。
 そのために、今回はコロナ対策が成功している台湾の動画を探しました。

【感染予防対策】なぜ台湾はコロナ感染拡大を抑えられているのか 4月1日の動画
https://www.youtube.com/watch?v=3ntOnwM3eqw

【ポイント】
1.台湾政府は12月の武漢の情報を重く見て1月からマスクなどコロナ対策を始めた。
   1月末に国内のマスクをすべて政府が買い取り、国民すべてに渡るように配分。
   マスクなしでの受診はできなくした。
2.1月〜2月から、民間での危機意識が高まった。
   入店や駅の改札で検温し、微熱があると入店拒否、出社拒否。
   一般の食堂などでもアルコール消毒液が置いてあった。
   感染者の指定ホテルを用意していた
  
台湾が1月〜2月から始めたコロナ対策
P1360636.JPG

台湾の3か月のコロナ対策で有効と思われたもの
P1360635.JPG


〜 マスクの再利用 〜
 
 台湾ではSARSのときにたいへんだったため、日本よりも危機感が強かったのかと思います。そして、現在の台湾の人出が復活してきた街の状況を見ると、やはりマスクの配布が重要だったことがわかります。

 以前から、マスクの再利用について考えていたのですが、マスクの洗い方の動画がみつかりました。

【コロナ予防】使い捨てマスクの洗い方
https://www.youtube.com/watch?v=PV_3xtaqR-Q&feature=emb_title

P1360641.JPG

P1360642.JPG


 マスクについては、ウイルスが小さいため、医師用のマスクでないと、使い捨てマスクや布マスクのレベルでは、ウイルスの侵入を完全に防ぎきれないと言われています。

 他方で、マスクをしていれば、咳や大声で出る飛沫の拡散をかなり止められます。コロナウイルスは、飛沫感染で拡大します。飛沫を直接吸い込むか、飛沫を触った手から口などに接触感染します。マスクが足りなくても、再利用によって、台湾のように全員がマスクをしていれば、コロナウイルスは、どんどん絶えると思います。

 コロナウイルスは潜伏期間が1週間もあるのが(インフルエンザは2日ぐらい)、怖いところです。沖縄でも、誰も咳をしていなかったのに30名の会議(マスク着用は10名だけ)で感染し、「これで感染するのか」と報道された事例がありました。大声でも飛沫は飛びます。

 コロナが収束し、ライブハウスや野外イベントなどが復活することを心から祈ります。



P1360331.JPG



〜 追悼ジャッキー吉川・GSフェスティバル2003 〜


 ブルーコメッツのジャッキー吉川さんの訃報が入りました(享年81歳)。
 ブルーコメッツは、スパイダースと共に、日本の最初のロックバンドと言われています。ビートルズ公演の前座をつとめ、レコード大賞をとり、アメリカのエド・サリバンショーにも出演しています。解散後もメンバーの2人が紅白歌合戦のオーケストラの指揮者になっています。

 私は2003年に1度だけ、ブルーコメッツのライブを見ました。
 その年、31年ぶりにゴールデンカップスが再結成し、グループサウンズフェスティバルにも出るとのことで、8月10日にパシフィコ横浜に行きました。ブルーコメッツ、オックスなどを見るのも初めてで、ブルーコメッツがトリでした。

映画「ゴールデンカップスワンモアタイム」DVDにもなったクラブでの復活ライブ
P1360639.JPG




 GSフェスの初めはカーナビーツです。今でも鮮明なのはアイ高野のドラムです。
 コンサートでドラムがすごいと思ったのは、それが初めてでした。時計の秒針のように正確で、真っすぐに振り落とされるスティックは鞭のようにしなやかで、聴いていて頭の中が爽やかになりました。再結成サンハウスの鬼平、ダイナマイツ再演の上原裕のドラムにも同様のものを感じました。やはり、1960年代ビートの人は違うと思いました。アイ高野は後期のゴールデンカップスのドラマーに選ばれています。




 オックスの野口(真木)ヒデトは、初めてライブで見る「スワンの涙」(2019年7月7日のブログで紹介)に感動しました。
 しかし、素晴らしかったのは、Rolling Stonesなどの外国カバー曲でした。野口ヒデトのアクションはリズムに乗ってうねっていて、VHSビデオで見ていた1960年代のMick Jaggerと比べて全く遜色がない表現者でした。ジャガーズの岡本信も同様で、外国カバー曲で見せる身のこなしは鮮やかでかっこいいものでした。席は前から16列目でよく見えました。
 当時James Brownのビデオを必死に見ては、たまにVelfarreなどに行って踊って真似していました。野口ヒデトと岡本信は、初めてステージを見て衝撃を受けた日本人ダンサーともいえます。




 タイガースは全シングル盤を集めるほど好きでした。1982年の武道館再結成、1983年の加橋かつみソロコンサート以来、20年ぶりに見るタイガースからは加橋かつみだけ出演し、花の首飾り、廃墟の鳩に加えて、沢田研二がリードボーカルの歌も歌いました。


ゴールデンカップスの31年ぶりのライブや60年代映像を収めたDVD

 
 ずっと憧れていたゴールデンカップスは横浜のバンドなので準主役でした。31年ぶりということで、デイブ平尾を中心に再会できてよかったというメンバーの喜びが感じられるライブでした。銀色のグラスのルイズルイス加部のベースを注目しましたが、このライブではオーソドックスなベースラインでした。初めて生で見られて感動しました。
 残念ながら、この後、アイ高野、岡本信、デイブ平尾が続けて亡くなりました。



ジャッキー吉川とブルーコメッツ ブルーシャトー


 そしてトリにジャッキー吉川とブルーコメッツが登場しました。ブルーコメッツはNHKの紅白歌合戦にも唯一出場を許されたGSの優等生とも言われていますが、私はこのライブで、ロックバンドとしての音の迫力に圧倒されました。
 ジャッキー吉川はこの時64歳でしたが、ゴールデンカップスよりも大音量でビートを叩き出していました。日本で最初のロックバンドを見ることができてよかったと思います。

 以前音楽スクールの先生から、プロのバンドで一番評価されるのは、どんな歌手にもどんな状況でも歌の伴奏ができる人たちだと言われたことがあります。ブルーコメッツも初めはロカビリー歌手などのバックバンドであり、ブルーコメッツの全活動中、最も緊張したのが美空ひばりとのレコーディングだったと言われています。ブルーコメッツは美空ひばりのバックを務めた唯一のロックバンドです。

 1990年ごろに「20年後のGSたち」というテレビドキュメンタリーで、ジャッキー吉川が早朝の大手町のビジネス街をジョギングしている姿が放映されたことがありました。
 数年前に脳梗塞で倒れて半身不随になった後も、リハビリで回復してブルーコメッツのライブでドラムを叩く姿が「徹子の部屋」で放送されました。
 ジャッキー吉川さんのご冥福をお祈りします。

美空ひばり(演奏ジャッキー吉川とブルーコメッツ)/ 真赤な太陽 1967年
https://www.youtube.com/watch?v=XRDYL9ZcnyI
ジャズも歌いこなしフランクシナトラも共演を望んだという美空ひばりとブルーコメッツの躍動感あるリズム。





P1360423.JPG

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。