2019年06月14日

海外から見た日本の60年代GS・70年代ニューロック 〜 ロンドンCamden Palaceの思い出 

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ロンドンのライブハウス・ディスコクラブ Camden Palaceの1985年2月のフライヤーと、その水曜Twist & Shoutの日にかかったゴールデンカップスの「銀色のグラス」
ジャケット右下は、エディ藩のサイン


今日の1曲
 「内田裕也とフラワーズ」with麻生レミ
タイガース / 廃墟の鳩
アラン・メリルAlan Merrill /あなたがほしい Anata Ga Hoshi 1970
ハプニングスフォー /あなたがほしい
 Rolling Stones / Let's Spend the Night Together
 Golden Cups / 銀色のグラス
 ダイナマイツ / トンネル天国
 マドンナ / ホリデイ



〜 海外ニューヨークから見た日本の60年代GS・70年代ニューロック 
   アランメリルの日本のGS体験レポート 〜


 タイガース、フラワーズ、フラワートラベリンバンドを世に出した内田裕也、テンプターズ、PYGのショーケンと日本の60年代GS、70年代の日本のロック史における重要な人たちの死が続きました。

 先日、Youtubeで、元テンプターズの大口広司とウォッカコリンズを作ったアランメリルが、「内田裕也とフラワーズ」の麻生レミの歌にRemi was so cuteとコメントしていました。彼は日本にいたころフラワーズを直接見たのでしょう。

REMI ASO with FLOWERS - Psychedelic Flower
https://www.youtube.com/watch?v=GOx4jBdw1hM

 今まで読んだ、外国人によるリアルタイムでの日本のGSやロックの唯一のレポートは、2002年8月の「ロック画報 (09) - 特集 ディスカヴァー・GS」におけるアランメリルのインタビューだけです。それを読んだときは感動しました。





 彼は、その中で、「タイガースやテンプターズなどは自分がニューヨークで見たバンドにひけをとらなかった。ショーケンのアクションはよかった。タイガースのトッポの歌で涙したことがあるよ。」と語っていました。また、ゴールデンカップス、山口冨士夫のダイナマイツなど、日本でも実力派と評価されていたバンドを彼も特に評価していました。

タイガース/廃墟の鳩
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 Alan Merrill は後にArrowsとして,イギリスでI Love Rock N Rollを1位にし、また、Clifford Brownとの共演盤で有名なHelen Merrillの子息でもあり、この人によるGS評はたいへん信ぴょう性が高いと言えます。

 アラン・メリルの1stアルバム「ひとりぼっちの東京」は、すべてが安井かずみ作詞のオリジナル曲で、1曲だけハプニングスフォーの「あなたがほしい」 Anata Ga Hoshiがカバーされています。「あなたがほしい」 はオリコン70位ぐらいで、GS通しか聞かなかったハプニングスフォーを彼が評価しているのも興味深いところです。

アラン・メリルAlan Merrill /あなたがほしい Anata Ga Hoshi1970
https://www.youtube.com/watch?v=be7MQujlgvk

あなたがほしい/ザ・ハプニングスフォー
https://www.youtube.com/watch?v=DfdmXiBKxTs





 アランメリルのレポート以前で、海外からのGSへの反応や評価について読んだのは、1994年10月の故黒沢進著「日本ロック紀(GS編)」で書かれた「GS海外コンピレーションの現状」が初めてです。そこでも、GS海外コンピの存在は、今までの「日本のGSは世界に通用しない」という常識を覆す事実だ、と熱く語られています。

今までで一番読んだ本の一つ 黒沢進著「日本ロック紀(GS編)」初版
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 その中で「1987年、アメリカでとんでもないレコードが出た」と紹介。A面1曲目のGolden Cups / 銀色のグラスは「驚かない」としつつ、日本でもめったに見ないアウトキャストのLPの音源に驚き、アメリカ人が求めているのはFuzzの音だとしています。

ザ゙・ダイナマイツThe Dynamites/トンネル天国Tunnel Tengoku (album Version)1968年
https://www.youtube.com/watch?v=8FGJMUxnr78
アメリカ盤コンピ「Sixties Japanese garage psych sampler」A面2曲目に収録。





 さらに続けて、「1990年、まったく思いがけない国イタリアから突如GSのコンピ2枚(Monster a GoGo)が発売されたのだ」「日本のコレクターでもほとんど持っていないボルテージをどうやって入手したのか」等と紹介しています。

 また、1990年代前半ころだったと記憶していますが、雑誌「宝島」で、来日したイギリスのロックバンドにダイナマイツの「トンネル天国」を聞かせたところ熱狂して、これはなんだと言っていたという記事を読んだことがあります。





 2008年にすごい本が出ました。ジュリアン・コープの「JAP ROCK SAMPLER ジャップ・ロック・サンプラー -戦後、日本人がどのようにして独自の音楽を模索してきたか」です。トップ50アルバムで、FTB、シーザー、裸のラリーズ等が上位に挙げられています。

 これは、GS以降の1970年代前半のニューロックに焦点を当てた本です。レコードが非常に入手が困難で、情報もほとんどない時代について、誤解もありますが日本人でさえ手をつけていなかった分野をよくここまで調べたものだと称賛されています。

 この本で、「内田裕也とフラワーズ」がフラワートラベリンバンドに変化していった過程が詳述されています。ジュリアン・コープは、ドイツのTangerine Dream、Ash Ra TempelなどCosmic系のバンドについての本が最初に話題になりました。





〜 1985年 ロンドンCamden Palaceの思い出 〜


 実はこれらより以前、1985年2月13日に私はロンドンで日本のGSが評価されているのを体験していました。老舗のライブハウスで、夜はClubDiscoの営業をしていたCamden Palaceで、Golden Cupsの銀色のグラスがかかったのです。

 初めての海外旅行で、ロンドンに着いた私は翌日、さっそくアビーロードなどの名所を廻りました。夜はパブで、「我々は船員で日本に行ったことがある」と言って近づいてきた男たちに詐欺にあう洗礼を受けました。
 その後、ロンドンのDiscoで有名だったCamden Palaceに踊りに行きました。

Camden Palace wiki
https://en.wikipedia.org/wiki/KOKO_(music_venue)

地図
https://www.residentadvisor.net/club.aspx?id=729

Camden Palaceの歴史 history-koko
http://www.koko.uk.com/history-koko
1964年にRolling StonesのレコーディングやSex Pistols、1983年にMadonnaの最初のUKツアーが行われた。

Madonna Holliday (1983)
https://www.youtube.com/watch?v=lTpA0_uNSGI


Camden Palaceの内部
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 1982年の夏に私はDiscoに2か月ほど通い、これ以上速いステップで踊れないと思ったときにダンスへの意欲を失い、2年以上全くDiscoに行かなくなりました。その後、私のダンスは伝説になっていたらしく、知らない人から声をかけられたりしました。

 1985年2月初旬に知人から「おまえ昔、六本木で一世を風靡したんだって」と強く誘われて、久々に赤坂の日本初のDisco Mugenに隣接していたビブロスに行きました。しかし、そのときもしぼんだ風船のようであまり踊れませんでした。

 しかし、このCamden Palaceの日は徹底的に踊りました。
 冬用の靴が汗でびしょびしょになったのを憶えています。
 日記によると、そこで21:30から23:40まで、終電に間に合うまで踊りました。

 その日は水曜日で、「London’s Most Popular Night of Nostalgia. All the hits of the 60’s」というオールディーズのイベントでした。
 最新の音で踊りたかった私は少しがっかりしました。

 なぜ徹底的にやるスイッチが入ったかというと、知っている曲がかかったからです。
 特に、Rolling Stonesの「夜をぶっとばせ」Let's Spend the Night Together を大音量で聴いたのは初めてだったので感動しました。

Rolling Stones Let's Spend the Night Together COLOR エドサリバンショー
https://www.youtube.com/watch?v=ks9gCpVsdgY
1964年のTAMIショーで、トリだったRolling StonesはJames Brownに打ちのめされ、以後、Mick Jaggerはアクションを積極的に取り入れた。


The Golden Cups (1968)
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 さらに驚いたのは、ゴールデンカップスの「銀色のグラス」がかかったことです。
 Discoに行かなくなった私は、1983年、1984年頃は山口冨士夫のライブをきっかけに日本の昔のGSなど古いロックに希望を見出していました。

 「銀色のグラス」は、そのころ、雑誌や本などでもルイズルイス加部のベースがGS最大の伝説の一つとして紹介されていました。「日本のGS人気投票ベスト100」というFMラジオを偶然録音でき、「銀色のグラス」に驚愕しました。

 これは世界レベルだ、
 こんなバンドができたのはどういう所だったのかと思い、
 1984年に横浜の本牧を探訪したこともありました。

ザ・ゴールデン・カップスThe Golden Cups/銀色のグラスLove Is My Life 1967
https://www.youtube.com/watch?v=cyZRRMr85s4
ベトナム戦争で明日死ぬかもしれないアメリカ兵のために、ゴールデン・カップスは本牧Golden Cupで演奏していた。「甘い音を出したらぶっ飛ばされるよ」(デイブ平尾)


 DJが日本人が踊っていると気が付いてかけてくれたのかもしれません。
 「銀色のグラス」で完全に踊る気になった私は、1982年に掴んだThird World、Gino Soccio、EWF、John FoxxなどDiscoやFunkのグルーブで、初めて1960年代の曲ばかり2時間踊りました。Camden Palaceは観客席もあり歓声も上がりました。

 地下鉄の終電に近づいてきたため、切り上げて帰ることにしました。帰るときに男たちが花道のように並んで、私に大声をかけてきました。直前にパブで詐欺に遭い、人間不信になっていた私は、罵声を浴びせられていると思い、逃げるように出ていきました。
 
 しかし、10年前オーストラリアのゴールドコーストのClubで踊った時、ゴリラのような白人の大男たちが応援してくれました。Camden Palaceでも、私の踊りに何かを感じた60年代のロッカーズモッズファンなどが声をかけてくれたのかもしれません。


1987年 世界初の海外制作のアメリカ盤GSコンピレーションLP。
ゴールデンカップス「銀色のグラス」、ダイナマイツ「トンネル天国」等を収録。
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 どちらにしても、1987年のアメリカ盤コンピが出る前に、1985年にロンドンのDJがGolden Cupsの「銀色のグラス」の日本盤レコードを所有し、それがロンドン最盛期1960年代のRolling Stones等と同格に、Clubでかけられたことは事実です。


The Golden Cups-I'm So Glad (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=IrXJ3vpvKww
Creamのカバー。テレビ出演の貴重映像





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