2018年06月04日

ブログ10周年「あしあと」「あしあとU」〜 山口冨士夫と情報誌「シティロード」K 1981年4月号〜12月号


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山口冨士夫の残した作品、楽曲、演奏は世界レベルでみても素晴らしい。


 今年の3月からスタートした特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」は、時系列の順序が入り組んでしまいました。
 当初「山口冨士夫を偲んでU」として1983年のライブの思い出だけ書く予定でした。

 しかし、「シティロード」を振り返るうちに、山口冨士夫が若い頃の自分に与えた影響の大きさや、2013年の山口冨士夫の死で受けたダメージが深かった理由もわかりました。そこでブログの10周年に向け、山口冨士夫をテーマに書いていこうと思いました。

 書いていて山口冨士夫という稀有のミュージシャン、ロックヒーローに出会えたこと、「シティロード」や「ぴあ」への感謝を感じました。過去の心の古傷に触る作業でもありましたが、何かを残したいという意味での前向きな遺書と思うと幸せな気がしました。

 「天国のひまつぶし」でCharが、山口冨士夫のことを生前に認められなかった天才ミュージシャンの一人と語っていますが、日本では山口冨士夫こそ世界レベルでみても最高のロックのミュージシャン、作曲家ではないかという思いを強くしています。


= 山口冨士夫と情報誌「シティロード」K1981年4月号〜12月号 =


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「シティロード」1981年4月号〜12月号


今日の1曲
 Speed, Glue & Shinki(ルイズルイス加部) Run And Hide 1972年
 村上進(元スパイダース)/「カルーソ」Caruso (Lucio Dalla)
 ペグモ(恒田義見ex村八分)/ リトルラブ 1981年
 マイルス・デイビス / ライブ @新宿西口広場 1981年10月4日
 Miles Davis - So What 1959年
 Kraftwerk / Kling Klang 1971年
John Foxx / Systems of Romance 1981年
 沢田研二 / ス・ト・リ・ッ・パ・ー 1981年
             (ドラム:上原裕 ex村八分)
 瀬川洋 & Travelin' Ocean Bluebirds 武蔵野はらっぱ祭り   
           瀬川洋(元ダイナマイツ)上原裕(ドラム)2016年 
 Il Volo / Come una zanzara in Africa 1974年

 山口冨士夫著「So What」によれば、1981年3月23日の屋根裏でのライブを最後に裸のラリーズを脱退した山口冨士夫は、ギターなどを燃やし、一切の音楽活動を停止してしまいます。「オレは、・・・ダメ、だった」と言っています。

 したがって、「シティロード」の1981年4月号から音楽活動を再開する1982年の11月号まで、山口冨士夫の名前は一切みつかりません。今回は1981年4月号から12月号の山口冨士夫周辺の情報や思い出などを振り返りたいと思います。

 山口冨士夫は、裸のラリーズは命がけのアプローチだったと語っています。今回初めて1980年の裸のラリーズの「造花の原野」のライブを聞いたのですが、これほどの集中力で音楽を作ったら一度は燃え尽きてしまうのではないかと思いました。

 山口冨士夫はダイナマイツ時代から海が好きだったと言っており、このころは海によく行っていたようです。1983年8月に江の島で行われたというジョー山中レゲエバイブレーションとの共演ライブは見たかったです。

 

☆1981年4月号

 ・4月8日  新宿ロフト Fool’s day  出演 :Fool’s
 ・4月24日〜26日 Electric Uzuバースデイパーティ 出演:外道
 ・4月3日  平塚レイン チーボー&ベーサイドストリートバンド
 ・4月15日 平塚レイン 陳シンキバンド

 青木真一(元村八分)が、Speedの後にFool’sを結成し、新宿ロフトに出演。
 青木正行も加納秀人と再結成した外道でElectric Uzuに出演。
 青木真一、青木正行は1983年に山口冨士夫バンドを結成。

 60年代から活動する横浜の元パワーハウス(柳ジョージがB.)のVo.チーボーとG.陳信輝が平塚レインで定期的にライブをしています。チーボーはパワーハウスの前に、ルイズルイス加部と「ミッドナイトエクスプレス」を結成していました。

 陳信輝は山口冨士夫とセッションをしたり、スピード・グルー&シンキでは野音で村八分とも共演。1993年の寿町ライブでは、チーボー、陳信輝、ルイズルイス加部、ジョニー吉長が、山口冨士夫の出演の前にMojosとして演奏しました。

Speed, Glue & Shinki - Run And Hide
https://www.youtube.com/watch?v=kwOXVTn7mJc
陳信輝G、ルイズルイス加部B、ジョーイ・スミスVo D

 4月号では、山口冨士夫が1983年4月のライブで「もう死んじゃった奴だけど俺が大好きだった…」と言って「マリアンヌ」をカバーした「フィルモア」のマイク・ブルームフィールドが2月15日に37歳で亡くなったという訃報を掲載しています。

 マイク・ブルームフィールドは、死ぬ直前ほとんど観客のない状態で一人で歌い、大木トオルに「君はイエローで俺はJewだ。俺たちはソウルブラザーだよ」と語り、一緒にレコードを作る予定だったとのこと。(大木トオル「伝説のイエローブルース」より)


☆1981年5月号

 ・5月13日 新宿ロフト フールズvs保坂夏子  
 ・5月14日 新宿ロフト フールズvsブルース

 青木真一のフールズが、新宿ロフトで当時銀巴里専属のシャンソン歌手だった保坂夏子やブルースと共演。シャンソン・カンツォーネとパンクの対バンの告知は見たことがありません。このような企画もロフトの村八分への関心の表れとも思えます。

 私が1982年に銀巴里でウェイターをしたときは保坂夏子は若手で、しますえよしおや村上進などの実力者と共演した普通の印象の歌手でした。ジャニスジョプリンのファンとのことで、どこかで青木真一とつながりがあったのかもしれません。

村上進 /「カルーソ」Caruso (Lucio Dalla)
https://www.youtube.com/watch?v=U40CsMVAtLg
村上進は40代で亡くなったイタリアンポップス(カンツォーネ)の第一人者。
山口冨士夫が中学時代に憧れたスパイダースの初期のボーカルでもあった。
人格者でお兄さんが亡くなった日も力強く歌っていたのを思い出す。

 沢田研二がバックバンドとしてエキゾチックスを結成。
 元村八分、シュガーベイブの上原裕がドラムで参加。
 5月1日に「渚のラブレター」をリリースし、オリコン8位。

☆1981年8月号

 ・8月2日  屋根裏 カルメンマキ&5X
 ・8月13日 屋根裏 ペグモ(恒田義見ex村八分)
 ・8月16日 鹿鳴館 「ロックスペシャル・ザ・ヨコハマ」ルイズルイス加部、Char
        エディ藩(ゴールデンカップス)、野木信一(元パワーハウスd.)
 ・8月18日 屋根裏 裸のラリーズ

 シーナ&ロケットの記事が印象的。
 鮎川誠は、「頭」でビートを作るYMOとの作業で方向性を明確にできなかったために、体の「ビート」の充電のためにブルースセッションなどの単独行動に出ていたそうです。

 レポートによれば、鮎川誠の行動が6月27日の久保講堂での「九州ビート集結コンサート」で充実した結果になってあらわれていたとのことでした。雌伏期にアマチュアなどともセッションをした山口冨士夫に通じるものがあります。

 「ライブハウスニュース」では、8月16日鹿鳴館での「ロックスペシャル・ザ・ヨコハマ」を紹介。山口冨士夫とのリゾートの解散後、ルイズルイス加部はCharとJL&Cで成功していましたが、やはりセッション活動を大事にしていたことがわかります。

 屋根裏では、山口冨士夫が3月に脱退した裸のラリーズがライブを再開。恒田義見(元村八分)の新バンド「ペグモ」は、岡井大二・坂下秀美というニューロックを代表した四人囃子のメンバーも加わり、シンセポップへの時代の変化を感じさせます。

 OZを解散した後のカルメンマキも、この5Xのころが一番方向性が苦しかったとのことです。屋根裏の昼の部では、ELPの影響を受けた小室哲哉&STAYが定期的にライブを開始しています。

ペグモ(恒田義見ex村八分、岡井大二・坂下秀美ex四人囃子)/ リトルラブ
https://www.youtube.com/watch?v=x_alQWvdOUc
実力者たちによる深い味わいの美しいシンセポップ。和的要素もある。
この後、恒田義見は和太鼓の世界へ


☆1981年9月号

 クラフトワークのインタビューを掲載。彼らが10年前トマトをぶつけられて演奏したシンセサイザーを今は中学生が演奏。「YMOのようなバンドが人気を得るということは僕たちのしてきたことが認められたということでもあり、自信がついた」と語っています。
 
Kraftwerk / Kling Klang 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=MXnjC3w6v60
村八分が「くたびれて」の後、カントにドラムが変わったころの録音。Kraftwerkは「我々は音響上のバーダー・マインホフ・グループ(過激政治組織)だ」と言っていた。

 山口冨士夫もブライアン・イーノに関心をもっていました。特に東芝からメジャーデビュー後のTeardropsが、時代のサウンドに対応して若い世代に受け入れられたのも山口冨士夫のシンセポップ等に対する理解があったからではないかと思います。

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元村八分出身では最もテレビに出演した上原裕が在籍したEXOTICS

 9月21日に沢田研二が、「JULIE & EXOTICS」として自ら作曲した「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」をリリースします。レコードジャケットにも元村八分の上原裕などのメンバーを出しロックバンド指向を打ち出しました。

沢田研二 ス・ト・リ・ッ・パ・ー 1981年ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=0LEXckET_fQ
日本テレビ「歌のベストテン」6位。上原裕のドラムとともに圧倒的なパフォーマンス。
元ライバル堺正章(exスパイダース)もバンドサウンドに敬服しているように見える。


☆1981年10月号

 ・10月2日〜4日 新宿西口広場 マイルス・デイビス
 ・10月14日 屋根裏 ペグモ(恒田義見)

 山口冨士夫が著書「So What」のタイトルにも使った復活マイルス・デイビスの来日公演が行われました。伝説的なパフォーマンスは賛否両論の的に。
 山口冨士夫の1982年の復活にも大きな影響を与えたと思われます。

Miles Davis - So What
https://www.youtube.com/watch?v=zqNTltOGh5c
1991年11月号のニューミュージックマガジンで、裸のラリーズの水谷孝もマイルス・デイビスやジョンコルトレーンから影響を受けたと語っている。

マイルス・デイビス 新宿西口広場 1981年10月4日
Miles Davis - Live in Tokyo, October 4, 1981 
https://www.youtube.com/watch?v=q5pTORxHcr8
レーザー光線も使った伝説のライブ

 1981年には、1974年のイタリアのIL VOLOの1stがキングから再発。これも1974年の山口冨士夫「ひまつぶし」のように捨て曲のない名盤。村八分がイギリス進出を目指したようにIl Voloも世界進出を目指して結成された。

IL VOLO / Come una zanzara in Africa 1974
https://www.youtube.com/watch?v=5CtFlLsSqsI&list=PLC6447C3BDA2D4CA7
1974年当時世界最高レベルのバンドの一つ


☆1981年11月号

 ・11月17日 屋根裏 ペグモ(恒田義見)

 11月号ではジョンフォックスの1面インタビュー。ジョンフォックスの作ったUltravoxは時代に早すぎたため、皮肉にも彼が脱退した後にブレイクする。ソロアルバムThe Gardenは、山口冨士夫「ひまつぶし」のように捨て曲がなくバラエティーに富む名盤。

John Foxx - Europe After The Rain
https://www.youtube.com/watch?v=DFjkOWigb-M

John Foxx / Systems of Romance 
https://www.youtube.com/watch?v=I7e2tsabigs
1972年村八分「ライブ三田祭」のあやつり人形をElectricにしたような印象を受ける

 
☆1981年12月号

 ・12月16日 クロコダイル Fen-Child(瀬川洋 元ダイナマイツリーダー)
 ・12月17日 クロコダイル Chibo(元パワーハウス) 
 ・12月21日 クロコダイル スマイラー(大木啓三 元ダイナマイツ)
 ・12月23日 クロコダイル Rockers vsバトルズ(ルースターズ)
 ・12月21日 クロコダイル Joe山中 One nite stand
 ・12月19日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・12月30日 屋根裏 外道(青木正行 → 山口冨士夫タンブリングス)
 ・12月31日 渋谷ハチ公前 10時
         「大道芸人渋谷街頭興行 ストリート・ライブ・イン渋谷」
          出演:ヒカシュー、裸のラリーズ、山海塾他

 1978年のSex Pistols以降、パンクによってライブハウスが増えます。中でも、山口冨士夫が1983年以後に拠点とするクロコダイルのブッキングの充実が目立ちます。山口冨士夫が在籍したダイナマイツからは瀬川洋、大木啓三が出演。

 大木啓三は、1983年元日にクロコダイルで山口冨士夫とKIZUを結成。
 鮎川誠のシーナ&ロケッツが先達となった「九州めんたいビート」の「ロッカーズ対ルースターズ」のライブ企画も行われています。

瀬川洋 & Travelin' Ocean Bluebirds 武蔵野はらっぱ祭り 2016-11-05
https://www.youtube.com/watch?v=ETtkNUh5Dzo&t=530s
山口冨士夫が、彼ほど歌が上手い人はいないと言った瀬川洋、上原裕の演奏はいまだに衰えない。安心して聴けて元気が出てくる。


 次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」13回目。
 山口冨士夫が活動を再開する1982年の「シティロード」を見たいと思います。


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〜 ブログ10周年「あしあと」「あしあとU」 〜

 ご覧いただきありがとうございます。
 おかげさまで、6月4日をもちまして、ブログ「あしあと」「あしあとU」は10周年を迎えました。 記事の数は665件なります。 

 2008年6月4日は雨。祖母が死んだ2006年5月ごろから初めて体調が悪化し、遺書代わりとも思いブログをスタート。その後体調回復。5周年の2013年8月の山口冨士夫の死の頃から再び体調悪化。苦しさに耐え切れず2014年1月に本当の遺書を書く。

 2014年8月ごろから徐々に体調回復。祖母、父、親友、キース・エマーソンの死など2015年、2016年と下降線をたどりつつもなんとか体調を維持。
 ブログは、前半の5年に比べ、後半の5年はあっという間だった気がします。

 体調を回復できたのはダンスの力が大きかったです。しかし、もうあの地獄のような状態に戻りたくありません。今までの経験から、体調の維持のために一番大事だと気づいたのは、プラス思考、深呼吸と体幹・柔軟性をつくる運動です。

 過大なストレスやショックがあると精神的に落ち込み、体を動かさなくなります。
 すると、呼吸が浅く、体も硬くなり、酸素や血液の循環が停滞し、猫背になると特に首に集中している神経が長時間圧迫されます。

 それらの結果、体の各所に澱んだ部分ができ、体調が崩れ病気になるのだと思います。精神的に苦しい時こそプラス思考をとり深呼吸や柔軟運動ができるようにすることが大事だと思います。あたりまえのようで、平常時から意識しないと難しいと思います。

 先日も、スキージャンプのレジェンド葛西選手が、ジャンプ前の深呼吸や、日頃から体幹を作り疲れない体を作ることを紹介していて、なるほどと思いました。特にブログを書いているときは意識しようと思っています。

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