2018年05月11日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」H 1976年と1977年の「ぴあ」など

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「ぴあ」1977年12月号 1975年にできたロックライブハウスの福生Electric UZU
山口冨士夫の出演可能性があるElectric Specialなどのセッションの告知


今日の1曲
 リゾート(山口冨士夫&加部正義)
                 / One more time (Them cover)1976年
 シュガーベイブ(村八分2代目ドラマー上原裕)
                      / ダウンタウン1976年3月31日 
 サンハウス(鮎川誠) / LP有頂天 1975年
 近田春夫とハルヲフォン(村八分初代ドラマー恒田義見)
                      / ファンキーダッコNo.1  1975年
 The Sex Pistols - Anarchy In The U.K 1977年


左から「ぴあ」1977年12月号、10月号、8月号
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 山口冨士夫と情報誌「シティロード」は、前回の1980年からさらに遡って、1977年8月号から1980年12月21日号まで断続的に購読した情報誌「ぴあ」を見てみました。
 このころの「ぴあ」には、山口冨士夫の名前はみつかりませんでした。

 そこで、山口冨士夫著「So what」等をてがかりに、山口冨士夫や村八分に関連するミュージシャンについて振り返ってみたいと思います。今回の第9回目は、山口冨士夫が加部正義とリゾートを組んだ1976年から1977年までです。


★1976年 (「ぴあ」「シティロード」)

・1976年8月27日 渋谷エピキュラス リゾート(山口冨士夫、加部正義)
・1976年8月30日 渋谷パレス座 リゾート(山口冨士夫、加部正義)
・1976年12月11日 新宿ロフト 
     「リゾートFuturingフューチャリング山口冨士夫・ルイズルイス加部」

 山口冨士夫は、1974年に発売した「ひまつぶし」とZOONというバンド活動のあと、1976年に元ゴールデンカップス、フードブレイン、スピード・グルー&シンキのルイズルイス加部とリゾートという伝説のバンドを作ります。

リゾート(山口冨士夫&加部正義) / One more time (Them cover)
https://www.youtube.com/watch?v=LhzznWdoQRw
from live 1976。 ゴールデンカップスのドキュメンタリー映画のタイトル曲でもあった
 
 白夜書房「日本ロック史」の山口冨士夫インタビューによると、リゾートは「ひまつぶし」にも入っていないオリジナル曲を演奏し、ライブをした渋谷パレス座は屋根裏の近くの映画館だったそうです(西武百貨店B館並び。現在閉館)。

 リゾートは8月27日に渋谷エピキュラスでライブをしています。エピキュラスには1度だけシンセサイザーのライブに行きました。坂を上った所にあり、クラブチッタやOn Airのような雰囲気もある近代的なライブハウスだったと記憶しています。


伝説のリゾートの1976年ライブCD 



 1977年8月まで、私はまだ「ぴあ」も「シティロード」も買っていませんでしたが、渋谷エピキュラス、ロフト、屋根裏のリゾートのスケジュールについては、1976年の「ぴあ」「シティロード」のいずれにも掲載されていたと思われます。

 平野悠著「ライブハウス ロフト青春記」が非常に貴重な資料になります。「ロフト青春記」では、1944年生で学生運動出身のジャズファンだった著者が1970年代前半からロックに関心を持ち、いかにライブハウスを作りあげたかが語られています。

 「新宿ロフト」では、1976年12月11日の「リゾートフューチャリング山口冨士夫・ルイズルイス加部」の告知があり、当時のスケジュール表も「ロフト青春記」掲載されています。屋根裏の常連だったリゾートを著者の強い決断でロフトに招聘したとのこと。

現在の「新宿ロフト」のスケジュール
http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/index.html
1976年のリゾートが出た12月は、たった11組しか出演していないが、Char、オフコース、サディスティックスなど後にビッグネームになる人ばかり。

1976年12月の「リゾート」掲載のスケジュール表あり



・1976年3月31日 荻窪ロフト シュガーベイブ ラストライブ
         (ドラム : 村八分の2代目ドラマー上原ユカリ裕)

 1976年3月31日に「荻窪ロフト」でシュガーベイブのラストライブが行われています。
このときのドラムが村八分のCD「くたびれて」「ぶっつぶせ」のときの2代目ドラマーだった上原ユカリ裕でした。シュガーベイブでも2代目のドラマーでした。

 1977年7月31日にも「下北沢ロフト」で、Special Jamとして上原裕は、山岸潤史(G)、山下達郎(G)とライブをしています。上原裕はその後、沢田研二のエキゾチックスなど、日本人で彼のドラムを聞いたことがない人はいないと言われるほど活躍します。

左から、山下達郎、大貫妙子、上原ユカリ裕(元村八分)
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 山下達郎はシュガーベイブ時代に、硬派なロックファンから野音で石を投げられたそうです。しかし、山下達郎は、自分の歌を批判した雑誌編集部に抗議に行ったり、大貫妙子にも村八分のチャー坊のような佇まいの写真があり、強い意志を感じます。    

シュガーベイブ / ダウンタウン 
https://www.youtube.com/watch?v=a9fRcNeMMAo&index=3&list=RDCHZSXMZneMs
1976年3月31日 ラストライブ 荻窪ロフト


シュガーベイブ 大瀧詠一(福生在住)のナイアガラレーベルから発売
 


・1976年8月13日「荻窪ロフト」サンハウス

 1976年8月13日には、山口冨士夫のファンで1986年に共演する鮎川誠のサンハウスが上京し「荻窪ロフト」でライブ。鮎川誠は、村八分、ひまつぶしも聴いていたそうです。この時点では、山口冨士夫と加部正義のリゾートを知らなかったようです。

サンハウス - ロックンロールの真最中・レモンティー
https://www.youtube.com/watch?v=LY6jXuBAlDI
全盛期の貴重ライブ映像 1975年8月22日 兵庫県・阪神競馬場


サンハウスの1stアルバム有頂天



 「ロフト青春記」によると、「ぴあ」は1971年に創刊され、「いつどこで何が行われるか」を重視していたのに対し、「シティロード」は1972年に創刊され、批評性を重視していたと書かれています。しかし、「ぴあ」においても映画に対しては強い批評性がありました。

 私は1982年8月号から「ぴあ」は月刊でなく隔週刊になっていたため、1か月先の予定がわかる「シティロード」に変えました。1983年から山口冨士夫を推していた「シティロード」を読んでいなかったら、山口冨士夫のことは一生わからなかったかもしれません。

 ロフトが発行していた月刊誌「ルーフトップ」の1983年5月号は、5月1日と2日に連日ライブ「酔いどれ天使たちへ。大物ゲスト多数」を行う山口冨士夫を表紙にしています。1983年4月の山口冨士夫の「Ride On」発売時のフライヤーと同じ顔のデザインです。

 「ロフト青春記」を読むと「シティロード」「屋根裏」だけでなく、「ロフト」が、特別な思いで1976年のリゾートのときから1983年まで、山口冨士夫を注目、支援していたことがわかります。


☆「ぴあ」1977年8月号

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福生のElectric UZUで8月27日と28日「スペシャルデイ」
山口冨士夫出演の可能性がある

・1977年8月27日28日 福生Electric UZU スペシャルデイ

・1977年8月13日14日 夕焼け祭りVol.4 裸のラリーズ
・1977年8月20日21日 ロックグライド富士野外音楽堂 裸のラリーズ
・1977年8月20日 渋谷エピキュラス 「ロックンロールパーティ」
             近田春夫とハルヲフォン(ドラム : 村八分初代ドラマー恒田義見)

 私は「ぴあ」を1977年8月号から買いました。8月号を探すと、8月27日と28日に福生のElectric UZUで「スペシャルデイ」とあります。出演者の名前は出ていませんが、山口冨士夫の出演の可能性があると思います。

福生UZUのHistory
http://uzu69.com/history/

山口冨士夫は「So What」で、リゾートを解散した後に、以下のように言っています。

 「福生のライブハウス『エレクトリックウズ』に3-4回出た」
 「アマチュアにもすごいシンガーやギタリストがたくさんがいたから、そういった人たちとちゃんと練習して出ていたんだ。はたから見ればセッションに見えたかもしれないけれど、人前でやるからには、ある程度ちゃんとしたことをやりたかったからね」

 また、1986年に山口冨士夫の「プライベートカセット」に参加し、Teardropsのレコーディングやライブにも関わったチコ・ヒゲも「So what」で、1977年にウズで山口冨士夫と3曲だけセッションをしたと言っています。白夜書房の山口冨士夫のインタビューによると、そのときは夜中の12時に始めたため3曲で警官が来て止められたそうです。


1986年山口冨士夫の「プライベートカセット」
 


 あの頃、「ぴあ」の中でも福生のElectric UZUは私には特殊な世界に思えました。1976年の芥川賞受賞作の村上龍の「限りなく透明に近いブルー」や、1976年頃にテレビで見たマジカルパワーマコの不思議なイメージがあったからだと思います。

 1970年の村八分の母体で、1980年に山口冨士夫が参加した裸のラリーズは、1977年8月13日14日の「夕焼け祭りVol.4」と1977年8月20日21日の「ロックグライド富士野外音楽堂」に2週続けてオールナイトライブに参加しています。

1977年8月13日14日「夕焼け祭りVol.4」  泉谷しげるも裸のラリーズを見たとのこと
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 8月20日には、前年にリゾートがライブを行った渋谷エピキュラスで、「ロックンロールパーティ」のイベントに、村八分の初代ドラマーの恒田義見がいた近田春夫とハルヲフォンが出演しています。

 恒田義見は、1970年に富士急ハイランドに出演し、村八分がまだ裸のラリーズを名乗っていた頃のドラマーで、1971年まで1年半在籍しました。1975年のハルヲフォン最初期のファンク時代のLIVE映像では素晴らしいグルーブ感を出しています。

ハルヲフォン / ファンキーダッコNo.1 ドラムス恒田義見 1975年貴重映像
https://www.youtube.com/watch?v=VvEP6OQyRbM
和製リン・コリンズ&JBsとも言える素晴らしいグルーブ感


1970年8月「裸のラリーズ」(水谷孝、チャー坊、山口冨士夫、恒田義見)の写真が掲載



 恒田義見は、現在和太鼓の名手として活躍しています。
 ブログでは、山口冨士夫追悼イベントへの出演や村八分2代目ドラマー上原ユカリ、
4代目村瀬シゲトとの出会いについて語っています。

恒田義見ブログ 「俺達は、....ドラマー達は元気にしているよ」
https://blog.goo.ne.jp/cohan2005/e/ef08ce5ec53a914420987fc7110de8a7


ハルヲフォン1975年-1977年ライブ ドラム恒田義見



 1977年8月号のころは、ニューミュージックが台頭し、チャー、矢沢永吉などロックが商業的に成功。77・8・8Rock Dayでは紫が登場して、8月13日にもコンディショングリーンが中野サンプラザでライブを行い、沖縄ロックのインパクトは最強でした。

 「ぴあ」でも、当時はアングラ(アンダーグラウンド)系がまだ根強く、映画ではルイ・マルの「鬼火」の大きな広告がインパクトがあり見に行きました。暗黒舞踏、小劇場(状況劇場、天井桟敷、黒テント)、自主制作映画が盛んでした。


☆「ぴあ」1977年10月号

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・1977年10月22日 下北沢ロフト「ダイナマイトセッション」
                       ゲスト:ルイズルイス加部

 山口冨士夫とのリゾートの解散後、ルイズルイス加部もピンククラウド(JL&C)加入前には、いろいろな人たちとセッションを組んでいたようです。
 おそらく横浜ではもっと活動していたのでしょう。

 このころの「ぴあ」のMusic Spotのスケジュールのコーナーを見るとロックのライブハウスの少なさに驚かされます。100軒位のライブスポットで、大音量で演奏をするロックライブ専門は、屋根裏、ロフトぐらい。あとロックが出ているのは、UZUなど10軒程度。

 このころは、フォーク弾き語り、歌謡ポップス、ジャズ、シャンソン、カントリーなどが主流で、当時ロックがいかにマイナーだったかがわかります。屋根裏、ロフトのスケジュールを見ると、サザンなど今でも活躍する人たちが500円〜800円で見れた。

 サザンなども店でバイトをしながら、ライブではお客さんがほとんど入らなかったといいます。当時ロックをやっていたのは本当に音楽が好きな少数の人たちだったようです。1960年代後半のグループサウンズブームがいかに大きかったかがわかります。 


☆「ぴあ」1977年12月号

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「ぴあ」1977年12月号「屋根裏」「ロフト」(荻窪→サザン出演、新宿、下北沢)
「ジャンジャン」など。40年前はロックがまだマイナーなジャンルだったことがわかる。

 ・1977年12月27日〜30日 福生Electric UZU Electric Special
 ・1977年12月31日 Electric UZU Special all night

 ・1977年12月2日 屋根裏 サンハウス(鮎川誠)→翌1978年3月25日解散
 ・1977年12月21日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・1977年12月26日 労音会館 「アルファルファ・ロックフェスティバルvol.4」
            出演:染谷青&ジョイ (染谷青は、村八分の初代ギタリスト)


 12月27日〜30日にも福生Electric UZUで出演者の記載のない「Electric Special」という匿名性の高いライブがあり、山口冨士夫の出演の可能性があります。
 31日にも「Special all night」が企画されています。

 白夜書房「日本ロック史」のインタビューで山口冨士夫は、こう語っています。

 「バンド活動がメインじゃなくて、いろんな奴といろんな付き合いをしながらって状態でしたね」 「福生とかで。」
 「本当はね、いいミュージシャンとか本当のシンガーとかって隠れてるんですよ」
 「ヒッピーにもすっごいポリシー持ってやってる人たちとか、本当多いんですよね。
 で、そういう人たちとやってました」

 12月26日に労音会館のライブで、「染谷青&ジョイ」が出演。染谷青は1970年の村八分結成時の初代ギタリスト。山口冨士夫が「So what」でも高く評価していたブルースギタリストで、山口冨士夫「プライベートカセット」でも20分の「ストーン」で共演。

「ぴあ」12月号 (イギリスの村八分?)セックスピストルズ「勝手にしやがれ」の広告
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  「ぴあ」12月号にセックスピストルズ「勝手にしやがれ」全世界同時発売の広告が出ています。セックスピストルズを初めて聞いたとき、チャー坊が「あっ、村八分だ」、Charが「これって村八分じゃん」と言った話があります。

 時系列でみると、Sex Pistols が村八分再結成の大きな要因の一つに思えます。
 「So What」でも、1979年に村八分を再結成したときに、山口冨士夫はチャー坊と「面白い奴らが出てきたなあ」と話していたとあります。

The Sex Pistols - Anarchy In The U.K
https://www.youtube.com/watch?v=cBojbjoMttI





 1977年には異端だったロックのライブハウスが、パンクブームと1980年代後半のバンドブームで活気づいたことがわかります。この波の中で山口冨士夫が、村八分、裸のラリーズ、タンブリングス、Teardropsと変遷したのはとても深いことだと思います。


 次回の山口冨士夫と情報誌「シティロード」10回目は、1978年と1979年の「ぴあ」を見てみます。

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