左:神奈川大学1980年11月7日裸のラリーズ 右:学園祭出演時の山口冨士夫
今日の1曲
特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第8回目は、前回の1980年8〜9月号に続いて、10月〜12月号、そして1981年1月〜3月号の山口冨士夫が裸のラリーズに参加した時期を振り返ってみます。
1981年3月で、山口冨士夫は約1年参加した裸のラリーズを脱退する
★「シティロード」1980年10月号
・1980年10月29日 屋根裏 裸のラリーズ 山口冨士夫参加
・1980年10月3日 シーナ&ロケッツ 海老名文化会館
渋谷屋根裏において、8月、9月に続いて10月29日に山口冨士夫が参加した裸のラリーズ 3回目のライブがありました。月1回ですので早いペースです。このころは、私は山口冨士夫を知りませんでした。
裸のラリーズLes Rallizes Denudes "White Waking"
https://www.youtube.com/watch?v=JavSBbVpwok
1980年8月14日
このころの裸のラリーズの2人のギターサウンドは、やはりダブルギターだった1970年頃のドイツのAmon DuulUや、一人でダブルギターを多重録音していた1976年頃のPopol Vuhを思い起こさせます。
Popol Vuh - Letzte Tage, Letzte Nachte 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=i2JnTD4rooc
10月3日には、シーナ&ロケッツの海老名文化会館でのライブがありました。おそらく、私がシーナ&ロケッツを見たのはこの日です。1982年のタイガースや1983年4月の山口冨士夫の前に見ていたことに今回気づきました。
非常に思い出の深いライブでした。
2階席の隅で聞いていたときに、鮎川さんが「もっと前においで」と手招きされたことに感動しました。
シーナ&ロケッツ レモンティー
https://www.youtube.com/watch?v=bzWOPaFX1so
https://www.youtube.com/watch?v=fhuGM5MuYY0
10月号は、シーナ&ロケットのインタビュー。鮎川誠は「バディーホリーを聞いたら驚くことばかり。ロックンロールは古くならん、ほんとにいいもんならね」「新しいもんはゾクゾクするね。でも3日経ったら古くなる。その中から残る。」と熱く語っています。
1980年は「ユーメイドリーム」がヒット
★「シティロード」1980年11月号
11月23日法政大学オールナイトライブの告知
・1980年11月7-8日 神奈川大学「100時間劇場」オールナイト
裸のラリーズ(山口冨士夫参加) シーナ&ロケット
・1980年11月23-24日 法政大学ホール オールナイト
「Imaginative Garage for ストリート シンジケート」
裸のラリーズ(山口冨士夫参加)
11月は2つの学園祭のオールナイトのライブに裸のラリーズは出演しています。「So what」によると、「屋根裏のライブは満員で、特に法政大学での動員数はすごかった」とあります。
神奈川大学では、裸のラリーズの出演した翌日にシーナ&ロケットやパンタ&HALが出演しています。このときは、鮎川誠も山口冨士夫の裸のラリーズへの参加を知って意識していたでしょう。
11月30日には九段会館でもシーナ&ロケットはライブをしています。
さらに11月15日にも神奈川大学でオールナイトのライブがあり、青木真一(元村八分、後にタンブリングス)のフールズが出演しています。
神奈川大学での裸のラリーズのライブ
★「シティロード」1980年12月号
・1980年12月23日 屋根裏 裸のラリーズ(山口冨士夫参加)
1980年12月23日に再び屋根裏で、4回目の山口冨士夫が参加した裸のラリーズのライブが行われています。
このあと、しばらくライブが途絶えます。
★「シティロード」1981年1月号
※1980年12月31日 裸のラリーズ(予)との告知
・1980年12月31日 新宿ニューヨークシアター 「Last of Tokyo’80」
「裸のラリーズ(予)」と告知
→ 出演せず
1980年12月31日に新宿ACB会館のニューヨークシアターで「Last of Tokyo’80」というオールナイトイベントがありました。出演する12バンドのうち、裸のラリーズだけ「(予)」という告知でしたが、結局出演はなかったようです。
☆「シティロード」1981年2月号
→ 裸のラリーズ(山口冨士夫参加)告知なし
★「シティロード」1981年3月号
1981年3月23日 屋根裏「未定」と記載 裸のラリーズ(山口冨士夫)の最後のライブ
・1981年3月23日 屋根裏 裸のラリーズ(山口冨士夫参加)
「シティロード」3月号では、「未定」と記載
・1981年3月5日〜6日 屋根裏 シーナ&ロケット
1981年3月23日の屋根裏を最後に山口富士夫は裸のラリーズを脱退します。
「シティロード」でも1982年の11月号に「フールズ ゲスト山口冨士夫」が出るまで告知がなくなります。
※RCサクセションが1位 1980年「シティロード」読者選出ベストテンアルバム部門
1988年に山口冨士夫は、RCサクセションの「カバーズ」に参加。
忌野清志郎もダイナマイツ時代からの山口冨士夫のファンだったのだろう。
次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」9回目。
1980年からさらに遡って、当時購読していた1977年から1979年の「ぴあ」の頃を見てみたいと思います。
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- 山口冨士夫と情報誌「シティロード」F 1980年8月〜9月号
- 山口冨士夫と情報誌「シティロード」E 1984年後半(11月号〜12月号)