山口冨士夫出演の情報誌「シティロード」1984年4月号〜12月号
今日の1曲
特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第4回目は、前回の1984年前半(1月〜6月号)に続いて1984年後半です。9月号以後に大きな重たい変化があるので、まず7月号と8月号まで山口冨士夫の出演を辿ってみます。
★「シティロード」1984年7月号
7月号index「た」行。バンド名は「タンブリングダウン」から2か月で「タンブリングダイス」に変更。
・7月6日 クロコダイル「タンブリングダイス(山口冨士夫グループ)」
このころは、毎月「シティロード」を25日に買い、Indexで「は」行の裸のラリーズと「や」行の山口冨士夫を探すのが最大の生きがいになっていました。ところが「シティロード」1984年7月号には、「山口冨士夫」も「タンブリングダウン」もない。
「タンブリングダイス」は誤植かとも思いましたが、バンド名が変わったようでした。バンド名がズバリだったので、やはり彼らもRolling Stonesが原点だったのかと感慨深いものがありました。
Rolling Stones / Monkey Man
https://www.youtube.com/watch?v=i3CIhGXnntM
7月6日のクロコダイルはいい雰囲気のライブでした。
途中で「マリンバンド」という山口冨士夫+2名によるアコースティックバンドに変わりました。「よっちゃんFrom京都」「昔からのブルース仲間」と聞こえたので、元村八分の人かと思いました。
メンバーは、加藤義明Vo.Ag、浅田哲Harp、山口冨士夫がG.Vo。マリンバンドは、黒人ブルース、白人系フォーク、日本語のオリジナルを演奏しました。加藤義明がフォークに造詣が深く、浅田哲もはしだのりひこの従弟でしたのでリラックスしたよい演奏でした。
赤い雲 from『山口冨士夫 Jump So High 1983~1986(2CD)』
https://www.youtube.com/watch?v=LlXBwsEWSJc
「ひまつぶし」の中のアコギ+ハーモニカによる名曲
マリンバンドの最後の曲にドラムが入り、間髪を入れずに始まった「タンブリングダイス」の「ルート66」はバンドが一体となり素晴らしかった。ストーンズの1stアルバムのヴァージョンを思い出させます。
Charは山口冨士夫に「ギターはサイドだ」と言われ、目の前で弾かれて圧倒されたとのことですが、ダイナマイツ時代から山口冨士夫がダブルサイドギターになったときのスピード感は素晴らしい。
Route 66 - The Rolling Stones
https://www.youtube.com/watch?v=Jc8_Qs_y-xs
「酔いどれ天使」は途中からのリフが、1983年12月はゆっくりでしたが、今回は1.5倍位速いスピードのジャングルビートでした。
「水たまり」は「ライブ村八分」と同じ感じのイントロでした。
その後、新曲が3つ続き、「Jump So High」はアイズレ―ブラザースのような切れのいいファンク、続く「死ぬまでドライブ」は「どうせいつかは、くたばってしまうんだろう」という詞が印象的で、「いきなりサンシャイン」のリフは山口冨士夫の定番になりました。
クロコダイルに行ったのはこの日が最初でした。
この後、年内にもう一度クロコダイルに山口冨士夫のライブに行き、ジョー山中のライブ(レゲエ期)、ジョー山中の喉頭がん支援ライブにも行きました。
山口冨士夫 "Jump So High" from DVD'Tumblings Live'
https://www.youtube.com/watch?v=rXxHsvTfSs8
凄いファンク
★「シティロード」1984年8月号
1984年8月号「渋谷エリア」のページ。
クロコダイルと屋根裏に「タンブリングダイス」出演の告知。懐かしいバンドも。
渋谷ジャンジャンは、寺山修司特集「蘭妖子コンサート(JAシーザー演奏)」2日間+
天井桟敷幻想映画2日間
8月4日 クロコダイル 「タンブリングダイス(山口冨士夫グループ)」
8月11日 屋根裏 「タンブリングダイス(山口冨士夫バンド)」
8月13日 鹿鳴館 裸のラリーズ
「シティロード」8月号では、プリンスの「パープルレイン」、最初期のHiphop映画「ビートストリート」のサントラ盤の広告に、Michael Jacksonに続く黒人のスターの登場を予感させます。山口冨士夫がHiphopをどう思っていたのかも気になります。
Prince - Let's Go Crazy
https://www.youtube.com/watch?v=aXJhDltzYVQ
ジミヘンをヒーローとするプリンス。山口冨士夫もジミヘンをコピーしていたというが、ライブでは聞いたことがない。
また、8月号のロングインタビューはピーター・バラカン。彼はイギリスのレコード店でアルバイトをしてブリティッシュロック、ブルース、ソウルに知識がある人です。「どこかに日本的なものがないと、日本のロックが海外に出るのは難しい」とも言っています。
ピーターバラカンが、村八分の「ひらがなロック」や山口冨士夫から英米にインスパイアされた以上の日本的なものを感じるかも知りたいところです。イギリスの若いミュージシャンがダイナマイツの「トンネル天国」に興奮したと雑誌で読んだことがありました。
貸しビデオ、DVD、Youtubeなどがない時代は「シティロード」や「ぴあ」を頼りに。「京橋フィルムセンター」など小さな映画館やホールを探して名画やロックフィルムを見ました。ジミヘン、ドアーズ、ジャニス、ストーンズの動く映像は衝撃でした。
Jimi Hendrix Wild Thing モンタレー
https://www.youtube.com/watch?v=_-7toYWFEyk
ギターに火をつけるシーンは本当に驚いた。1:57の女性の目が物語っている。
1984年の新譜は、プリンスが世界初の映画と音楽の同時戦略でインパクトがありました。旧譜は、再発された1973年のAlphataurusがベトナム戦争のジャケと深い内容で、翌年1月に再発された1973年の「ライブ村八分」同様に印象に残っています。
Alphataurus / Croma
https://www.youtube.com/watch?v=Wj6Mos_K_uU
次回は、特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第5回目です。
1984年後半の9月号以後の山口冨士夫の出演を辿ってみます。
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