2018年03月28日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」B 1984年前半(1月号〜6月号)

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「山口冨士夫のタンブリング・ダウン全開!!」 「シティロード」1984年5月号より
1982年末にウェイターをした美輪明宏の本拠地だった「銀巴里」に高野圭吾など懐かしい歌手が並んでいる


今日の1曲
  山口冨士夫 / 水たまり
 山口冨士夫 / No song
 山口冨士夫 / ひとつ
 村八分 / 水たまり
 アンドレ・ナヴァラ / バッハ無伴奏チェロ 第1曲
 レオ・フェレ / 時の流れに


 特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第3回目は、前回の1983年後半に続いて、1984年前半です。1月号から6月号まで山口冨士夫の出演を当時を振り返りながら辿ってみます。


★「シティロード」1984年1月号

第10回1983-1984ニューイヤーロックフェスに出演した山口冨士夫
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なお、山口冨士夫の漢字表記について、「シティロード」1983年11月号までは、昔のMusic Life、1973年のLP「ライブ村八分」、1983年4月のフライヤーなども「富士夫」となっていた。しかし、この1984年1月号以降は「冨士夫」の表記になっている。


 ・1984年1月1日 「山口冨士夫」 西武PARCO劇場 
       第10回 1983-1984 ニューイヤーロックフェスティバル 
     「山口冨士夫」としてPart5(1984年元日のam3:20~6:35)に出演。
     
 この年は、ニューイヤーロックフェスの最盛期の一つと思います。12月31日のpm0:30から1月1日のpm1:40まで、7つのpartに約50バンドが出演。日本の各ジャンルのトップクラスのバンドが出演しており、内田裕也の力を感じさせます。

 まだ、山口冨士夫がRide Onだけで、メジャーでレコードを出していない時期でした。
 しかし、テレビでは内田裕也もロックレジェンドの復活を祝し、尊敬を込めて「山口冨士夫!」と紹介したのを覚えています。

山口冨士夫 NOSONG ニューイヤーロックフェス
https://www.youtube.com/watch?v=pd8xMpDI_XU
貴重なテレビ出演映像。

「ライドオン!」は4曲全部いい曲で違うリズムでした。NoSongのギターカッティングからサビの歌に入るところもかっこよかった。「なにかひとつ」という詞は「ひまつぶし」の名曲「ひとつ」の「だけどひとつだけ言える」に繋がっているように思えました。

「レコードを作るにも曲がないから”No Song”にした」、「十分な録音時間がない。だったらこんなのは”ひまつぶし”だ」と言って作った曲やLPレコードが名盤になっているのだから凄い才能の人です。


「ライド・オン!」 内田裕也も聞いたのだろうか



 ・1984年1月21日 クロコダイル「山口冨士夫」共演NAM


 「シティロード」1984年1月号では、マルコム・マクラレン初来日のインタビューが素晴らしい。今までSex Pistolsなどのファッションやイメージ戦略の達人のように思っていたが、真面目な人間で、熱狂的なR&R通だった。

 マルコム・マクラレンの一言、一言が鋭い。「ビートは万国共通のものだ」という信念を持つマルコム・マクラレンに村八分や山口冨士夫の「ひまつぶし」を聞かせたらどんな感想を持っただろうか。


マルコム・マクラレンにも聴いてほしい「からかわないで」



 
★「シティロード」1984年2月号

 ・1984年2月17日 クロコダイル 「山口冨士夫」


 「シティロード」1984年2月号では、長谷川和彦監督のインタビューがトップ記事で強烈な印象です。沢田研二主演の「太陽を盗んだ男」で反核団体に抗議されたとき、自分の被爆手帖を見せて説得したと別の記事で読みました。

 バブル崩壊前の1984年の日本では、映画、音楽とも興行的に成功し「シティロード」も活況を呈していました。しかし、「みんなほら、表面ばかり舐めてきただろ。もっと深くいこうぜ!」とライブで言っていた「山口冨士夫」だけが真実を語っている気がしました。


☆「シティロード」1984年3月号
               → 山口冨士夫出演告知なし

 「シティロード」1984年3月号では、ライブ告知はなし。しかし、年に1回行っていた「読者選出ベストテン」が発表され、なんと山口冨士夫が、ユーミン、サザン、松田聖子など歌手、バンドが居並ぶ中で「いきいきミュージシャン」部門で23位に選出されました。


山口冨士夫「いきいきミュージシャン」で23位選出(2回クリックすると写真拡大します)
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 また、「ベストアルバム(国内盤)」部門では、山口冨士夫の4曲入り20cmLP「ライド・オン!」が25位に選出。これも「シティロード」の山口冨士夫プロジェクトの成功であり、ファンとしても非常に嬉しい結果です。

 なお2月号の「シティロード」に「読者選出ベストテン」投票専用のはがきが付いていました。各部門ごとに合計10点を最低3位まで自由に割り振って投票できたので、パンタ、サンハウスなど熱いファンがいるバンドは「シティロード」では上位可能でした。

 このころ、村八分の曲では、「んっ」と「水たまり」だけを演奏していたようです。JamesBrownファンク系の「んっ」と、チャー坊の詞が純粋で美しい「水たまり」は、山口冨士夫のお気に入りだったのでしょう。「水たまり」は、チャー坊が亡き子供のために作った詞と最近知りました。





山口冨士夫 水たまり @京都大学西部講堂
https://www.youtube.com/watch?v=xKgl4cCAv9c
2010年頃? ライブ映像。語るようなギターソロが素晴らしい。


1983年~1986年の山口冨士夫のライブ「水たまり」収録



「ベストアルバム(国内盤)」部門では、山口冨士夫「ライド・オン!」が25位
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☆「シティロード」1984年4月号
          → 山口冨士夫出演告知なし


 4月3日に東京文化会館小ホールのアンドレ・ナヴァラのチェロの独奏会に行きました。バッハの無伴奏チェロの第1曲が名曲です。最前列で見ましたが、山口冨士夫のように職人肌の孤高の演奏家という印象を受けました。

アンドレ・ナヴァラAndré Navarra "Suite No 1 BWV 1007" J.S.Bach
https://www.youtube.com/watch?v=KXEPv-jMya8


★「シティロード」1984年5月号

   
 ・5月11日 屋根裏「タンブリングダウン」(山口冨士夫G 青木真一G 青木正行B 小林秀弥Dr)
 ・5月26日 クロコダイル「タンブリングダウン」(山口冨士夫グループ)」


 1984年5月号では、Indexの「や」行に山口冨士夫がみつかりませんでした。
 しかし、125ページの欄外に大きく写真入りで特集記事が! 
 山下洋輔と並んで。

 「タンブリング・ダウン全開!! 山口冨士夫グループのバンド名が決定した。その名もタンブリングダウン。ダイナマイツ時代からの生き残りは現役バリバリ全開中!!」
 ここでも「シティロード」の山口冨士夫への支援が熱い!

 「タンブリング・ダウン全開!!」の記事の下に1982年末に3か月ほどバイトをした「銀巴里」の告知があります。私の好きだったシャンソン歌手の歌には心があり、チャー坊の「水たまり」や山口冨士夫の「おさらば」に通じるものがありました。

 山口冨士夫のライブを1983年4月に初めて見て感動して追っかけになったのも、シャンソンからの影響があったのかもしれません。シャンソンは、エディット・ピアフ、バルバラ、美輪明宏など、重い境遇の人が多いです。

レオ・フェレ Léo ferré - 時の流れに Avec le temps
https://www.youtube.com/watch?v=aiXcUTTLud4

バルバラ Barbara - 黒い鷲 L'Aigle Noir
https://www.youtube.com/watch?v=2s-JYoGh6Mg

 「タンブリングダウン」のとき、残念ながら私はライブを見ませんでしたが、2回ほどギターの青木真一が欠席したライブがあったとのこと。このときはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのようなサウンドだったそうです。

山口冨士夫 "酔いどれ天使" from Tumbling Down "Vintage Vault vol.4"
https://www.youtube.com/watch?v=D-4JpZwhIG4


「タンブリングダウン」青木真一を欠いた 3人編成のときのレアなライブ



☆「シティロード」1984年6月号
             → 山口冨士夫出演告知なし


 次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第4回目。
 今回の1984年前半に続いて、1984年後半、7月号から12月号までです。


村八分「水たまり」収録 チャー坊の歌も山口冨士夫の咽ぶようなギターも最高だ。




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