2016年05月12日

追悼 戸川昌子

P1150212.JPG
私がアルバイトをしていたころの懐かしい看板


 Edith Piaf - Non, je ne regrette rien
 ニーノ・ロータ / 道 La strada


 私が34年前にシャンソン喫茶「銀巴里」でウェイターをしていたときに見た戸川昌子さんが、父が死んだ後に4月に亡くなりました。私の父より一つ年上でした。偶然、絶版になっている戸川さんの本が図書館にありました。

 父も戦争のときにたくさん死んだ人を見たようでした。
 以前、「太陽にほえろ」のジーパンの伝説の殉職シーンを弟と見ていたとき、「君たち、よくこんなテレビが見れるな」と言っていたのを覚えています。

 戸川さんの家族の話はもっと悲惨で壮絶なものでした。
 母に話すと、母は戸川昌子のことは昔テレビでよく知っているようでしたが、「もうあの戦争のころのことは話したくない」と言っています。

Edith Piaf - Non, je ne regrette rien
https://www.youtube.com/watch?v=rzy2wZSg5ZM





 私の年代だと戸川昌子の有名だったころの印象は薄いですが、1982年の当時、銀巴里で一番お客さんが入ったのが美輪明宏、2番目が山口百恵がファンだと言ったことで話題になった金子由香利、3番目が戸川昌子でした。

 戸川昌子がまだまったく無名の歌手でお客さんも入らない頃、歌い終わったときにもの凄い拍手をした人がいたそうです。顔を見ると三島由紀夫で、彼は「君はまだまだだが、光るものがあるから頑張れ」と言われたそうです。





青い部屋・シャンソン歌手戸川昌子編:銀巴里時代(1)
https://www.youtube.com/watch?v=cDMykYNolC8
戸川さんはコーヒー1杯で全ステージを見てバンドマンが帰るまで店にいたという。それは可能だったが、実際に実行した人は見なかった。あるとき3人しかいないお客さんの中に三島さんがいたとのこと。

「道」ジェルソミーナ
https://www.youtube.com/watch?v=Mc3y7hLuKpc
戸川さんが最初に覚えた歌がジェルソミーナのアカペラだった。

 歌手や作家などチャレンジしても不遇でお金もなかったころ、戸川さんは三島さんの言葉を思い出して頑張っていたそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。






posted by カンカン at 21:44| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | シャンソン〜70年代フレンチポップス French Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック