2013年10月02日

追悼 山口冨士夫Y・49日・フジオさんとの出会い・タイガーマスクありがとう

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山口冨士夫との最初の出会いは、この1983年のチラシから


今日の1曲
 山口冨士夫 FUJIO YAMAGUCHI / ROCK ME 1983年
 山口冨士夫 FUJIO YAMAGUCHI / 酔いどれ天使 1983年
 山口冨士夫 FUJIO YAMAGUCHI / ブンブン 1983年
 山口冨士夫 FUJIO YAMAGUCHI / からかわないで 1974年




 昨日は、山口冨士夫の49日でした。山口冨士夫に最初に出会ったのは丁度30年前、1983年の4月。30年目の夏にお別れすることになりました。1983年は、銀巴里で美輪明宏に出会い、続けて山口冨士夫にも出会えた年でした。

人生の目標を見失っていたときに二人から大きなものを受け取りました。銀巴里でヨーロッパのポップスに関心を持ち、山口冨士夫から黒人音楽、ブルースを学びました。それまで、プログレかハードロックしか聴かなかった自分に音楽の幅が広がりました。
 
山口冨士夫 FUJIO YAMAGUCHI - ROCK ME〜誰かおいらに
http://www.youtube.com/watch?v=K0Hm9GmhBYY&feature=youtu.be
このときのライブはAOさんと一緒に見に行った

 山口冨士夫を初めて知ったのは月刊情報誌「シティーロード」。1983年1月号の元旦のクロコダイルで「新春おめでたデビュー」として山口冨士夫がKIZU(キズ)というバンドで出演するという告知でした。

 そして、1983年の4月26日に旧渋谷屋根裏で初めて山口冨士夫のライブを見ました。「シティーロード」4月号では「あの山口冨士夫が本格的に始動」とあり、私は「あの」という表現を使われる人やバンドを初めてみたので興味を持ちました。

「シティーロード」ライブ告知 左:1983年1月号クロコダイル 元旦山口冨士夫KIZU(キズ) 右:1983年4月号屋根裏 4月26日山口冨士夫 
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 旧屋根裏は、センター街に入って一つ目の四つ角を右折してすぐの所にあったパチンコ店の4階にありました。細い階段を登って上がっていった所。200人も入れば満員の規模だったと記憶しています。ここでは裸のラリーズも見ました。



 開演は定時より遅れていたと思います。場内は、昔からの山口冨士夫の内輪の集まりのような雰囲気で50人ぐらいしかいませんでした。フジオさんは会場を見渡して「まあ、これが俺の実力だから…。ふさわしくやろうぜ!」と軽く一言。

 そして、フジオさんは「あのー、1960年代後半から1970年代の雰囲気で」「だって、ほら、みんな、表面ばっかり舐めてきただろ?もっと深くいこうぜ!」と諭すように言った。それを聞いて自分は「やっと探していたものに出会った」と感動しました。

 1曲目はROCK ME。ドラムスとベースの骨太のリズム隊も強力です。前年1982年に武道館でタイガースの再結成ライブを見ましたが、タンブリングスで初めてライブハウスの魅力を知りました。

 そのときの山口冨士夫のタンブリングスは、ドラムがあのトゥーマッチのマサ、ベースが元外道のヒデでした。山口冨士夫が、あるとき福生のUZUからドラムとベースのいい音が聞こえてきたのに惹かれたのが二人に出会ったきっかけだそうです。

タンブリングス当時のインタビュー
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 山口冨士夫は、Ride onという4曲入りのレコードをリリースしたところでした。「買っても買わなくてもいいよ」と暢気そうに言っているところが良かったです。
 さっそく買いましたが4曲とも良い曲でした。

このジャケは寂しい。オリジナルジャケで復刻して欲しい。


 ライブが終わる頃には、自分はすっかりフジオさんのファンになっていました。
 「シティーロード」の告知の「や」行と「は」行で、山口冨士夫と裸のラリーズを探すことだけが、唯一の生きがいでした。その頃の2年間の思い出はそれしかありません。

 フジオさんは、あるときライブ(クロコダイル)で、突然、真剣にこう言いました。

(曲が終わって)
「イエー!」
『 お前ら、イエーしか言えないのか?』
「 …  」
『 イエーしか言えないのかよ?』
「 …  」
『本当は何かやりたいんだけど、それがみつからないから俺の所に来てるんだろ?』
「 …  」
『だったら聞かせてやるぜ。世紀のあいのこ、山口冨士夫!』



 昨日、ちびっこハウスに5000円寄付しました。山口冨士夫も孤児院の出身でした。
数年前、養護施設に「タイガーマスク」の名前で寄付をするタイガーマスクブームがありました。孤児院出身のフジオさんはどう思っているのか気になっていました。

 もしかしたら、フジオさんは「俺は、こういう偽善者は嫌いだ」とか思っているのではないかと。フジオさんは、自伝So whatで、子どもの頃に、寄付に対して感謝状を書かされたのが屈辱だったと書かれていたからです。
 
 しかし、フジオさんが自分のブログで「タイガーマスクうれしい。ありがとう」と書かれているのを見て、私は安心しました。自分も堂々と胸を張って、これからもちびっこハウスに寄付をしたいと思います。

タイガーマスクうれしい ありがとう
http://blog.fujio-yamaguchi.com/?eid=45

タイガーマスク第1話
http://www.youtube.com/watch?v=AlE2EAv6ojg
13:00 ちびっこハウスが借金のために解散する日、伊達直人は上野動物園のトラの檻の前で「僕はトラになって、悪い大人、ずるい大人をやっつけるんだ」と言ってルリ子たちと別れ、消息不明になる。

平成虎の穴
http://heitora.com/tiger/index/anime.html




 フジオさんが亡くなったときはショックでした。しかし、若い頃、方向を見失っていたときに、フジオさんが自分の道標になり灯台になってもらえたことは、今思い起こせば本当に大きかったと思います。フジオさんに、いまさらながらに感謝しています。

 以後もフジオさんのライブに行きました。最後は2年前の6月9日。20年ぶりでした。
 フジオさんのリズムカットが鋭いことに感動しました。もう一度ライブを見たかった。
 フジオさんの魂よ、どうか安らかに。






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