2010年06月26日

〜 伊豆U 〜 沖縄T・ウルトラセブン 〜 今日の1曲 <203> 冬木透 <204> ロベルト・シューマン 

P1010030.JPG
沖縄の人による本土への弾劾の書(左)
本土で沖縄のために戦って獄中にいる星野闘争のビラ(右)
クリックすると画像が大きくなります。


<203> 冬木 透(作曲) / ウルトラセブンの歌 Song of Ultra Seven 1967年
<204> ロベルト・シューマンSchumann / ピアノ協奏曲 Piano concerto op.54 a minor  



〜 伊豆U 〜 



  伊豆の研修旅行の2日目の夜食の後、カラオケの宴会があったので、ハゲ頭やオモシロめがね、ウサギの耳などの被り物をつけて乗り込み、ダンスで暴れまわる予定でした。私の恐怖のダンスを満天下に知らしめる絶好のチャンスだった。もし私が歌わされるならば、西城秀樹の情熱の嵐、藤山一郎の青い山脈、沢田研二のストリッパーなどを歌う覚悟でした。


西城秀樹 / 情熱の嵐
http://www.youtube.com/watch?v=a0nP9lPuh7s&NR=1
ロックかつソウルフル!




  ところが、夜食の席でフミちゃんと名乗る(初日はいなかった)コンパニオンが突然隣に現れ、私に飲めないビールを何度も注いだ。私は嬉しくなって、ついそれに応じてしまった。そのため、私は眠気と頭痛で部屋に帰ってしまいました。
  
  部屋で一人で、のんびりとテレビを見ていました。
  NHKの駅弁を作る人の苦労話には感動しました。
  隣の局では、サッカーの日本・オランダ戦。思った以上の接戦です。
  
  そしてNHKで沖縄のドキュメンタリー番組が始まりました・・・




〜 沖縄T・ウルトラセブン 〜 



  ちょうど、1週間前、東京地裁の路上でビラ配りの人に呼び止められた。ここは、いろんな人がビラを配って運動しています。
  1971年の沖縄返還闘争で機動隊員への殺人罪で無期懲役となり、35年間服役している星野という人の再審請求運動だった。
  話を聞くと、6人の目撃証言だけで有罪とされたが、裁判になって、6人の証人は、証言は作られた嘘だったと証言したとのこと。これで有罪はひどいと思い、今回、初めて東京地裁の路上でカンパしました。

  そんなことがあったので、沖縄に関心が高まっていました。


  番組は「NHKスペシャル若泉 敬・沖縄返還の代償」でした。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100619.html


若泉 敬 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E6%B3%89%E6%95%AC

  若泉は、1972年の沖縄返還の際の、佐藤首相の密使でした。佐藤首相は、ノーベル平和賞を受賞し、翌年に死亡。
  しかし、その後、若泉は、沖縄返還と密約の代償が、アメリカ軍基地の沖縄への固定化だったことに気づく。若泉は沖縄の新聞を毎日購読し、沖縄に赴いては苦悩し、沖縄県民に対する自責の念に若泉は押しつぶされていった。
  若泉は1994年に著作『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(他に方策がなかったものと信じたい)でその国家機密を暴露しました。その目的は、沖縄の問題が国会などで取り上げられることでした。しかし、期待は裏切られ、国会・政治からはまったく無視された。
  若泉は、沖縄の大田知事に「結果責任をとる」との遺書を渡し、沖縄の戦没者記念碑の前で自殺を図ろうとしたが思いとどまる。そして2年後にがんに侵された若泉は、自宅で青酸カリで服毒自殺しました。

  今、普天間基地の問題が論議されていますが、過去に若泉のように真剣に沖縄について考え、自殺までした人物がいたという事実に驚きました。

  


若泉さんのことを知って、広島、長崎の連作を出したタンジェリン・ドリームのエドガー・フローゼの人生の最終作は、ドイツ人の総括として、アウシュビッツになるのではないかとふと想像した。


  今週、偶然、沖縄物産展で、沖縄出身の人と話しました。
  話していたら、ウルトラマン、ウルトラセブンの脚本を書いた金城哲夫の妹さんの同級生ということだった。


ウルトラセブンの歌
http://www.youtube.com/watch?v=iCuz2D7br78&feature=related
冬木透作曲。
ウルトラセブンの劇中歌、サントラは、日本の「クラシック音楽」の最高傑作のひとつだと思う。







  沖縄が生んだ人の中で、歴史上、本土に最も影響を与えた人物は誰だろうか?
  私は、金城哲夫が真っ先に思い浮かぶ。
  ウルトラマン、ウルトラセブンのあの最終回の脚本が、いずれも沖縄出身(当時はまだアメリカ領)の金城哲夫によるものと聞いたら、驚く人は多いのではないか。



ウルトラセブン 最終回
http://www.youtube.com/watch?v=WxwZbiWDNhs&feature=related
ダンがアンヌに自分がウルトラセブンであり、宇宙に帰らねばならないことを告白するシーンからラストまで







ウルトラセブン 最終回「史上最大の侵略」より
シューマン / ピアノ協奏曲Op.54 
http://www.youtube.com/watch?v=0TnYnNteHWM&feature=related






  金城哲夫は、ウルトラセブンやウルトラ警備隊がベトナムを爆撃するアメリカ軍であり、殺される怪獣たちこそがベトナムやかつての沖縄の民衆ではないのかというジレンマに陥る。
  そのような難解な哲学は番組にも反映し、子供にとって単純明快だったウルトラマンと異なり、ウルトラセブンの視聴率はどんどん低下していく。しかし、現在ではウルトラセブンこそが、ウルトラシリーズの最高傑作であるとの評価が固まっている。


金城哲夫 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%9F%8E%E5%93%B2%E5%A4%AB


  金城哲夫は、その後沖縄に戻り、沖縄海洋博のプロデューサーになった。金城哲夫は、沖縄と本土との架け橋になることを夢見ていた。
  しかし、沖縄物産展の人によれば、沖縄海洋博によって自然が破壊され、金城哲夫は、本土の使いのようにみなされて、沖縄で厳しく批判されたようである。
  苦悩する金城哲夫は、失意のうちに37歳で酔って2階から落ちて死亡してしまった。






  1937年生まれの金城哲夫は、沖縄で4人に1人が死んだという第2次大戦の目撃者だった。金城哲夫のお母さんも、足を切断し義足をつけていたという。
  ウルトラセブンのあの奥深さは、本当に地獄を見た金城哲夫にしか作れないものだったのではないかと思った。
  戦争の悲劇と矛盾は世界中にある。アジアや南米でもウルトラセブンの人気が高いのは、金城哲夫が提示した問題意識の普遍性の高さを示している。


ウルトラセブンで脚本家として同僚だった市川森一が金城哲夫に捧げて作ったという「私が愛したウルトラセブン」。ウルトラセブン制作の背景にある沖縄問題、ベトナム反戦運動をからめ、放送後大きな反響を呼び、戦後ドラマの傑作のひとつと評価されている。


posted by カンカン at 00:21| 神奈川 | Comment(0) | TrackBack(0) | クラシック Classic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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