2010年02月27日

目標1.5キロ 渋谷Atom\ 六本木クレオパラツィ 今日の1曲 <148> リアーナRihanna    <149> マイケル・ジャクソンMichael Jackson

<148> リアーナRihanna / ドント・ストップ・ザ・ミュージックDon't Stop The Music   
<149> マイケル・ジャクソンMichael Jackson / スタート・サムシング Wanna Be Startin' Somethin'



〜 目標1.5キロ 渋谷Atom\ 〜


渋谷Atom Tokyo, Shibuya HP
http://clubatom.com/event-report/


  1月に少年鑑別所で○○ちゃんが「腹筋を100回やっています」と言ったのに刺激を受けて、その後少年院を訪問したとき、○○ちゃんに「自分ももう一度史上最強のダンサーを目指す」と誓いました。
  しかし、現実は駄目駄目で、いつのまにか体重が今年に入って6キロも太っている。
  おやじ街道まっしぐらだ。

  そこで、先週土曜日に、体重1.5キロ減量を目標にAtomに踊りに行きました。
  この前、事務所でヒップホップのダンスインストラクターをしていた女性にどんなクラブに行くのかと聞かれたので、「Atomとか・・・」と言ったら「若っ・・」と言われました。20代前半までしか行かないらしい。
  しかし、減量のためには行かねばならない。

  今回は、減量という目標があるので、ハウス・トランスのフロアーで2時間ノルマを守って踊りました。1曲ごとにステップも振りも変えるのですが、今回は、アフリカンビートなどもかかって面白かった。
  やっぱりAtomはいいなあ。
  Krumpにハワイアンを混ぜる反則とか楽しませてもらいました。
  パラパラから→阿波踊り→ロッキング→ポッピングと変化させるのも気持ちよかった。

  100人位いるお客さんは誰も踊っていなくて一人で踊らせてもらいました。
  シャドーボクシングのダンスをしたらギャル男君が近くに寄って見にきた。
  えーよ、面白かったらどんどん見てって。
  腰にガンガン来るファンクが最後のほうでかかったので大喜び。
  脛がつりそうになったので止めることにしました。
  おっさんがフロアーで倒れたらさすがに恥ずかしいです。

  6階と4階でも踊って、帰るときに5階でリアーナRihannaがかかっていました。
  マイケル・ジャクソンMichael Jacksonのスタート・サムシングWanna Be Startin' Somethin'を大胆に使用した新しさと懐かしさが同居した曲です。


  1時に帰宅して、体重計に乗ると、目標どおり「1.5キロ」落ちていました。おもわず万歳をしました。

My weight increased by 6 kilos from last September.
Therefore I went to Club Atom in Shibuya Tokyo to dance to reduce 1.5 kilos weight.
For 2 hours 30 minutes, I danced desperately. According to the aim, I was able to reduce the weight 1.5 kilos.
Rihanna / Don't Stop The Music uses Michael Jackson / Wanna Be Startin' Somethin'. So I feel newness and nostalgia.

リアーナRihanna / ドント・ストップ・ザ・ミュージックDon't Stop The Music
http://www.youtube.com/watch?v=yd8jh9QYfEs&feature=related
1億回の再生というのは凄いですね。昔からのマイケル・ジャクソンMichael Jacksonのファンも聴いているのでしょう。






〜 六本木クレオパラッツィCleo Parazzi 〜



  マイケル・ジャクソンMichael Jacksonの話題がでたところで、今回は時は1982年、六本木のクレオパラッツィCleo Parazziの昔話です。

  クレオパラッツィは中箱のクラブの元祖と言われています。クレオとも呼ばれました。それまでのディスコは大きな通りに面した目立つビルにありました。クレオパラッツィはドンキホーテのそばの裏道にありました。今だとWombのような隠れ家的なクラブの元祖ともいえます。
  
  1982年に開店した直後に、大学のクラスメートで六本木の有名な遊び人だったE君の誕生パーティーに呼ばれて11月ころ行きました。
  「ディスコとは全然違うなあ。」というのが第一印象。そのころ「クラブ」という言葉はまだなかったのですが、まさに「クラブ」のはしりだったと思います。
  今とは違い六本木は輝いていて、六本木に行くのはステータスと言う時代でした。

  E君は変わり者で、大阪大学で学生運動をやっていたら大学のブラックリストに載ってしまい、就職できないので私のいた大学に再入学したという経歴の持ち主。大学の教室に、まだ新しかったスケートボードに乗ってきたり話題に事欠かきませんでした。
  彼とは1年生の入学時のとき、なぜか「Tangerine Dreamの1stはいい」というようなことで話が合いました。それから2年経ってクレオパラッツィでE君と再会しました。

  E君は、浴衣を着てテーブルの上で踊り、相変わらずだなあと思いました。
  私は端っこの方でそんな様子を立って見ていたのですが、何人かの見知らぬ人から「もう踊らないんですか?」と声をかけられました。
  その頃、奇妙なことが続いていました。大学や渋谷で女の子が体を触りに来たり、大学で知らない人に声をかけられたり、街でお兄ちゃんたちに冷やかされたり因縁をつけられました。私が「なんだろう?」と思って近づくとお兄ちゃんたちは逃げてしまいました。
  見知らぬ人から「もう踊らないんですか?」と言われて、ああやっぱり六本木で踊っていたことが原因だったのかとわかりました。知らないうちに私は六本木の有名人になっていたのでした。

  1982年の7月〜8月頃、私は生まれて初めて六本木のディスコに一人で踊りに行きました。
  人生の目標を失って破れかぶれになっていたころでした。

  踊りの振りなど何も知らないので、私はいかに自分の体を速く動かすかだけに集中しました。4ビートや8ビートでも、32ビートや64ビートだと思って切り刻んで踊りました。
  私が踊っていると、外国人の女の子たちが「ウオー!」と興奮して騒ぎ出し、殺人事件でも起きたように「ギャー!」と叫び声をあげました。
  そのとき、私は自分が地球上で一番速いスピードで踊っているのだと思っていました。その半年後に、マイケル・ジャクソンを初めて見たときも自分の方が2倍速く踊れると思いました。

  9月に入り涼しくなったある日、踊っていて「もうこれ以上速く体を動かせない。限界だ。」と思ったとき、急に踊る情熱を失くしました。2〜3日に1回ぐらい一人で通っていたディスコに、それから全く行かなくなりました。

  11月にクレオパラッツィに行ったときも、踊る情熱は全くなく、人生の目的もみつからない私は、ただぼんやりと店内に流れる音楽を聴いていました。私に「もう踊らないんですか?」と尋ねた人は私が踊るのをスクエアビルかどこかで見たのでしょう。私は、彼の質問に対して夢遊病者のように黙ってうなずいただけでした。

  そこで、マイケル・ジャクソンMichael Jackson / スタート・サムシングWanna Be Startin' Somethin'を初めて聞きました。それまでに聞いたことのないダンスビートであり鮮烈なサウンドでした。

  それは機械的・無機的であり、それまでの人間的・有機的な黒人ソウルのイメージとはかけ離れたものでした。こんな斬新な曲がLPスリラーのA面の1曲に入れられているという事実も新しい時代の到来を感じさせるものでした。
  
  その晩、クレオパラッツィに居た客たちは、マイケル・ジャクソンのスタート・サムシングのビートについていくことができませんでした。


Cleo Parazzi is called one of the ancestor of “Club” in Japan. There were “Discoteque”s in the outstanding place in those days. However, there was Cleo Parazzi in the back street. I went right after Cleo Parazzi opened in autumn 1982. It was status in those days to go to Roppongi. 
At the time of summer 1982, I thought that perhaps I danced at the fastest speed on the earth. When I danced, girls of foreigner began to often make noise in excitement and cried shrilly as a murder case happened. I was called a famous dancer in Roppongi before I knew it.
At Cleo Parazzi、I heard Michael Jackson / Wanna Be Startin' Somethin' for the first time. It was a new dance beat, and it was vivid sound. 


マイケル・ジャクソンMichael Jackson / スタート・サムシング Wanna Be Startin' Somethin'
http://www.youtube.com/watch?v=dPTsmswQVwg
1億枚のセールスを記録した「スリラー」の1曲目。






この記事へのコメント
たいへん懐かしいですね!
あれ以上のお店は、あとにも先にもないかもしれませんね…!
Posted by のぐらみつかず at 2012年06月17日 11:01
ご訪問ありがとうございます。
私は一度しか行けなかったのですが、クレオパラッツィは音が良くて、内装も落ち着いたお洒落な印象がありました。たまに六本木を懐かしくて散歩します。クレオパラッツィは、今思うとドンキの裏ではなく、旧ハンバーガーインより飯倉寄りだった気がしました。
Posted by カンカン at 2012年06月17日 17:56
クレオパラッツィの事を書いてくれてありがとうございます。懐かしくて嬉しくて、本当に涙が出そうな想いで読ませていただきました。
私は昭和43年生まれなのですが、クレオには高校時代から何十回行ったかわからないくらい行きました。
そして私もクレオであの日マイケルジャクソンと一緒に居たんです!ボディーガードが二人付いていました。

奥にスクリーンがあってそれが上がるとそこに乗って立ち上がって私も踊ってました。(炭酸水が噴出するノズルで水をかけられるんですw)
疲れたら地上に出て道路に座っていろんな人と話をしたりして、本当に良い思い出です。
あれから30年前後経つのですね。あの頃の曲(特にクレオで流れた曲)は今でも一番好きな曲の数々です。
Posted by 大貧民 at 2016年06月18日 23:00
ご来訪ありがとうございます。クレオでマイケルジャクソンと同じ場所、同じ時間にいられたというのはすごいですね。マイケルが日本のディスコやクラブに来店したという話は初めて聞きました。1987年の初来日か1988年のときでしょうか。今「Michael Jackson in Japan 1987 」という来日ドキュメントのYoutubeの動画をみつけました。初め心を閉ざしていたマイケルが、日本のファンは大丈夫ということがわかり心を開いていく映像で、見ていてほっこりしました。30年たってもマイケルのパフォーマンスは斬新で元気になります。
Posted by カンカン at 2016年06月19日 12:30
たぶん87年だと思います。記憶が確かではないのですが、ジャネットジャクソンと一緒に来日してた時だと思います。
意外と小さくて、180センチとかそんなに無かった感じでした。クレオのDJはマイケルジャクソンの曲を掛けなかったのを覚えています。
狭い店ですし、今思うと凄い場所に居たんですけど、当時はどれだけ凄いか認識出来なかったのかも知れません。半分くらいが外人の店ですし、六本木の端の小さな店は外人だらけでしたので黒人など珍しくもなんともないのですが、店のカウンターにちょこんとお尻をひっかけてるマイケルジャクソンは小柄なのにオーラがありました。ボディーガードのせいかも知れませんが。
ちなみにマイケルジャクソンは踊りを見てるだけで、全く踊らなかったんですよ。w
Posted by at 2016年06月20日 02:08
そうだったんですか。。。六本木で大音量の中でマイケルがずっと座っていたというのは、なんだか神秘的な光景ですね。踊らなかったのはプロとして徹底していたのかもしれませんし、単に楽しんでいたのかもしれません。他方で、宿泊していたホテルの部屋は練習の汗で床がびしょびしょだったとも聞いています。スターは背が高く見えますが、マイケルもそれほど大きくないんですね。昨日マイケルのヒーローだったJames Brownの映画を見たのですが身長は170センチ以下、Mick Jaggerも170センチぐらいだそうです。貴重な情報をありがとうございます。
Posted by カンカン at 2016年06月20日 22:18
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