2009年10月24日

手  渋谷AtomZ 〜 六本木WITH 今日の1曲 <114> マドンナMadonna

P1010057.JPG
イントゥー・ザ・グルーブのシングル盤
左は通常盤:右はプロモ−ション盤
何ヶ所違うところがあるか探してみてください。
(クリックすると画像が大きくなります)

マドンナMadonna / イントゥー・ザ・グルーブ Get Into The Groove 1985年


〜 手 渋谷AtomZ 〜


  先週踊りに行かなかったので、今週は気合が入りました。
  通勤のときも、できる限り走るようにして体力の維持に努めています。
  来月は24年ぶりに海外旅行に行くので、海外での予期せぬダンスバトルに備え、強化月間としてAtomに行くことにしました。


Atom HP
http://clubatom.com/event-report/


  Atomのボディーチェックは相変わらず厳しくて、最近は黒人のセキュリティーさんも駆り出されていますが、事件を未然に防ぐためにも頑張っていただきたいものです。
  老化のせいかロッカーにお金を入れたまま、5階のエントランスに行ってしまいました。また1階に戻ってロッカーを開けてお金を出しました。

  Atomの5階はHouseの面白いものがかかっていたので、まだお客さんもいませんが踊ることにしました。
  以前の5階はMix Tranceでトランスだけだと思いましたが、HPを見ると最近はMix Trance、House、Popsに変わっています。やはり、Houseが今は主流になっているのでしょう。
  
  2週間も間が開いてトレーニングもしていないと体力の衰えがひしひしと感じられます。
  体力の衰えは技と緩急で補うしかありません。Houseの場合、Tranceのようにリズムが単調ではないので、曲が変わるだけで自然にバリエーションをつけられます。
  足を何度かつりそうになりました。肉離れが怖くて消極的になりました。
  それでも若い人が私のダンスを気に入ってくれたらしく、前に来て挨拶してくれました。
  インド人の人も来ました。国際交流です。
 
  6階のサイケデリックトランスは変わっていなくて、こちらは外人さんが多い。  


5階でかかった懐かしいPopsのヒット曲です。
サバイバー Survivor - Eye Of The Tiger
http://www.youtube.com/watch?v=Mu9xx5Ri278


  6階のHiphopのフロアーに行くと、ちょうどミュージックビデオで黒人ダンサーが踊っていたので、それを真似して踊ることにしました。
  Hiphopの基本は、まずダウンビートの体でのリズム取りですが、黒人ダンサーの手の表現も面白い。
  踊っていたらHiphop少年たちがワイワイと応援してくれて楽しかったです。
  「兄貴〜!」とか言われたのは初めてです。「傷だらけの天使」のショーケンと水谷豊みたいです。

「傷だらけの天使」オープニング
http://www.youtube.com/watch?v=rO3HAXyuL9g
前回のテンプターズに続いてショーケンです。

  「兄貴〜、手の動きがいいっすよ〜!」と言われました。
  「そうか、手だ!」 
  足は何十キロの体重を支えていて、常に怪我の危険にさらされていますが、手にはそのような負担はない。
  先日も講演会で耳の聞こえない弁護士のために手話の人がついていました。難解な法律用語さえ手話で伝えられる。昔のダンスは手で神への祈りを表現していました。
  手には、まだまだ可能性がある! 
  Hiphop少年のおかげで気づくことができました。



〜 六本木WITH 〜



  Atomの5階は昔のヒット曲も流れるようになり、MadonnaやMichael JacksonのHouse Mixバージョンが懐かしい。
  やはり、全盛期のMadonnaやMichael Jacksonは楽曲の良さでダンスミュージックの中でも群を抜いています。
  マドンナMadonnaの曲の中でも個人的には最高作のひとつと思うイントゥー・ザ・グルーブがかかりました。



マドンナMadonna - Get into the Groove - Ciao Italia
http://www.youtube.com/watch?v=MmC-58TJqyE&feature=related
マドンナの両親の故郷、イタリアでの全盛期のライブ



  イントゥー・ザ・グルーブが出た1985年ころ、会社の同僚とよく六本木のディスコに行きました。
  私は、一人で踊りに行く主義なのですが、このころだけは皆で踊って一緒に営業の成績が上がらないストレスを発散しました。
  まだ、バブルになる前でしたが、六本木は東京で一番華やかで別世界のようでした。
  
  ディスコWITHは六本木交差点のそばで、アマンドの少し先に入り口がありました。昔からある花屋さんの地下だったようで、ここの息子さんとは中学のとき野球部で少し一緒だったことがありました。
  WITHは'80年代初期から'80年代後半まであったようです。
  フロアーが広めで天井が低かったような記憶があります。Hiphopのラッパー、ジブラの自伝を読んでいたら彼もWITHに行っていたようです。

  1985年ごろは、Pops黄金時代とダンスミュージックがシンクロしていました。テレビのミュージックビデオ、ラジオや街で流れる皆が知っている馴染みのヒット曲がダンスフロアーを盛り上げる良き時代でした。
  一緒にWITHに行ったHo君やHa君はあの後結婚して今頃どうしているのかなあ。





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