2009年04月22日

〜六本木Edge〜幻の歌手・銀巴里T 今日の1曲 <76> ジャクソン・シスターズJackon Sisters <77> 階見ルイジ Luigi Caymmi <78> ルイジ・テンコ Luigi Tenco  <79> オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni <80> ミーナ Mina  <81> ドリイ・カイミ Dori Caymmi

P1010058.JPG
ルイジ・テンコLuigi Tencoの日本で最初のLPレコード



〜 六本木Edge 〜


  3月は雪が降ったと思ったら、いつのまにか初夏の陽気の日もあったりして季節が変わるのは早いです。
  最近、また体調が悪く,頭も体も重くなってきました。
  こういうときこそ途絶えていた踊りに行かねばと毎週渋谷のAtom,Camelotへ行きました。昔から3色ダンゴとか3色アイスクリームが大好きなのですが,この2箇所は3種類の音楽で踊れて本当にありがたいです。汗をかいた翌朝はだいぶ体調がよくなってきました。

  先週末は,半年ぶりに六本木に行きました。初めてのクラブエッジClub Edgeというところです。

Club Edge HP
http://www.edge-tokyo.jp/

  渋谷からわくわくしながらバスに乗りました。しかし,乗るバスを間違えて,六本木の交差点を左折してしまい「おいおい,どこへ行くんだ〜」と焦りました。このクラブも8時までだと1000円ということで,バス停から走ってやっとこさで辿り着きました。

  1周年ということで早い時間からお客さんがいました。常連さんが多いみたいでした。年齢層も急激に高くなります。昔ジュリアナでイケイケだったお姉さんもいるかもしれません。
  かかる音楽は70年代中半から80年代前半のDiscoが中心。先週のCamelotから25年タイムスリップして懐かしの我が青春のメロディーのオンパレードです。

  Disco時代の音楽は,パソコンでなく,バンドで作っていた時代です。ですから,同じ120BPMのリズムでも,曲ごとにベースとかギターのカッティングの表情が違っていたり,バンドの人間関係が垣間見えて面白い。ノっていたら,ヴァン・ヘイレンVan Halen のときに180cmぐらいの2人のお兄さんがワーワー言って来たのでハイタッチしました。

ヴァン・ヘイレンVan Halen / ジャンプ Jump 全米1位 名曲
http://www.youtube.com/watch?v=swzh0ngMNJo&feature=related
日本でもポップチャートでずっと1位でした。




  結局,3時間半ずっと踊っていました。ある曲がかかると皆同じステップを踏むみたいで,自分も見よう見真似でやってみました。クルっと回って手をパっチンと鳴らしたり,昔のキャンプファイアーでのフォークダンスみたいで楽しかったです。
 
  一番印象に残ったのは,ジャクソン・シスターズJackon Sisters のミラクルズ Miraclesで踊れたことです。この曲は,いわゆるレアグルーブRareGrooveの代表曲で,発売当時はほとんど話題にならず,90年代になってDJが発掘して有名になった曲です。5万円ぐらいのプレミアがついたときもあったようです。

<76> ジャクソン・シスターズJackon Sisters / ミラクルズ Miracles 
http://www.youtube.com/watch?v=_tfcaXse46c&feature=related
この曲はヘッドホンで聴いてみてください。
0:48からベースが軽やかに沈み込むところが快感。




 ウェイターさんが奥の席におぼんを持ってたくさんのドリンクを運んでいるので,ぶつからないように通路側を見ながら気をつけて踊りました。私のことを目の前でずっと見ている女の子のスタッフがいたのでダンサーさんかなと思い(僕のダンス面白いでしょ。同じようなディスコの曲でも全部グルーブが違うんですよ)とヘトヘトになりつつ頑張りました。
  ゲストのダンスマンという人が見たかったのですが,終電に間に合わないので帰ることにしました。まだ夜は肌寒いので汗だくのシャツを着替えました。

  帰りがけに,我が青春のスクエアビルがついに無くなっているのを見ました。地下1階から地上10階までディスコが入っていたビルです。心にポカンと穴が開いたような気持ちになりました。親不知を抜いた後のようにしばらく経つと慣れるでしょう。



〜 幻の歌手・銀巴里T 〜

Gin-Paris was a legendary live house in Ginza of Tokyo from 1954 to 1992, where professional singers sang French and Italian popular songs translated into Japanese.


  エッジでウェイターさんがおぼんでドリンクを運んでいるのを何度も見ていたら,26年前,自分もウェイターをしていたときのことを思い出しました。おぼんには,たくさんグラスが載っている方がバランスがとれ,少なくなると却って危ないのでした。
  お客さんにジュースをこぼして怒られたことが2回あったなあと思いました。

  店は,銀巴里という,ライブハウスの元祖のようなところでした。1950年代から1970年代前半にかけて,アメリカの洋楽だけでなく,フランスやイタリアのポップス(シャンソン,カンツォーネ)が日本で流行しました。銀巴里では,プロの歌手による日本語に翻訳されたシャンソン,カンツォーネを聴くことができました。

  ここの一番のスターだったのは美輪明宏Akihiro Miwa。しかし,ちょうどその頃は彼の人気は下火で,今のようにテレビには出ていませんでした。銀巴里も全盛期を過ぎ,有名人がお客さんとして来た記憶も(もしかしたらいたのかもしれませんが)ほとんどありません。

銀巴里を特集したテレビ「驚き桃の木20世紀」
美輪明宏は銀巴里でデビューし,この店を支えてきた人なので,このテレビ(5回分)は,美輪明宏やシャンソンに興味のある人にはお勧めです。
@ http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=BDAOP2h_Yik&feature=related丸山明宏と長崎原爆  
A http://www.youtube.com/watch?v=R35W8jRL7N8&feature=related銀巴里開店
B http://www.youtube.com/watch?v=IFvIg4GQGAY「ヨイトマケの歌」
C http://www.youtube.com/watch?v=sDMEbJa0GjA&feature=related三島由紀夫
D http://www.youtube.com/watch?v=fwuaU62fQts&feature=related銀巴里閉店


  偶然,銀巴里でウェイターをすることになって,多くのことを学べました。それまでは,ロック,特にシンセサイザーなどの楽器にしか興味がなかったのですが,ここで初めて人間の声の魅力を知りました。当然かもしれませんが,人の持って生まれた声は全部違っていて個性があります。そして,その声もどのように使い,訓練するかで変わります。

  そして,声だけでなく,歌手の立ち居振る舞いなどから,その人の背後にある人生のようなものが滲み出てくると言葉で表せないような感動を覚えることがありました。
  プロの歌手とは,決して歌唱力やルックスだけで決まるものではないと思うようになりました。1日のステージに3〜4人が出演し,100人弱の歌手を見られたのは貴重な体験でした。

  銀巴里では1年に1回公開オーディションをしていました。スタッフの中には,何年もここのオーディションを受けている照明係の人やウェイトレスがいました。後になって知っている名前をスケジュール表で見て,あの子受かってよかったなあと思いました。
 
  歌手の中では,やはり美輪明宏の凄さには一番圧倒されました。
  基礎となる努力の量が違うと思いました。
  でも今回は,ある意味で美輪さん以上に感銘を受けた幻の歌手のことを書いておきたいと思いました。


<77> 階見ルイジ Luigi Caymmi (音源なし)

階見ルイジ
http://www.chanson.to/japan-artist/kashu-ka.htm
Luigi Caymmi was a Japanese superior nameless singer. His stage name came from the name of Italian singer Luigi Tenco and Brazilian singer Dori Caymmi.

  階見ルイジを知っている人はほとんどいないと思います。無名の歌手です。
  当時「ぴあ」と並ぶ情報誌だった「シティロード」の銀巴里の出演スケジュールを見直すと,1982年に彼の名前はなく,1983年から見られることから私がウェイターをした頃にデビューしたようだ。年はもう30歳位だったのではないか。

  階見ルイジは,歌は上手くなかった。はっきり言って下手である。素人のカラオケでも彼より上手い人はいくらでもいるだろう。でも何故か感動するのだ。しかもその場だけの感動ではなく,私の心に確実に足跡を残していくのだ。

  感動していたのは私だけではなかった。あるときウェイター,ウェイトレスたちの間で,どの歌手が好きかという話をしていたら皆,階見ルイジの名をあげた。あるウェイターが,「彼の名前は,イタリアで自殺した歌手ルイジ・テンコLuigi Tencoからとったんだと思う」と言った。ルイジ・テンコのレコードは日本では当時入手困難で,どんな歌手かもわからなかったが,そのことは階見ルイジの存在に一層興味を抱かせた。

  階見ルイジの出演の日が待ち遠しかった。ウェイトレスの子も「今日,ルイジさんだね」と目を輝かせている。親分肌の面白い人だったドラムスの行野さんが「今日は誰だ?」と聞くので,「階見ルイジです」と言うと「あいつ下手なんだよなあ」と言った後「でも…いいんだよなあ」としみじみと言った。最古参のベテラン・ミュージシャンから見ても彼には魅力があるのだと思うと嬉しかった。

  しかし,圧倒的な歌唱力とか甘い声のような即戦力になる特徴のない階見ルイジには,一般客のファンはなかなか増えなかった。美輪明宏なら立ち見まで出るのに,客は階見ルイジの友人らしき男性だけということもあった。

  階見ルイジの登場を,ウェイターもウェイトレスもそしておそらくバンドマンも固唾を飲んで待っている。
  ガラガラの観客席の向こう側のステージに立つ階見ルイジを私たちは熱い視線で見ていた。
  階見ルイジの発するたどたどしい言葉,その存在感が私を釘付けにする。
  今思うと,階見ルイジにとって歌うという行為が彼の人生の足跡そのものであって,彼は私たちの知らない何かを伝えようとしていた。そして彼とその時間を共有できることに私は喜びを感じていたのではないかと思うのだ。

  銀巴里を辞めたあとも階見ルイジの名前だけは,いつも気になっていた。美輪さんの名前はいつのまにかテレビ欄や書店などで見られるようになったが,ルイジさんの名前は,情報誌で小さなライブハウスを気をつけて見なければ探すことはできなかった。

  数年前,パソコンでネットを検索できるようになったとき,階見ルイジの名前をあるブログで見かけた。

  そのブログから,「階見ルイジ」の名前は,やはりルイジ・テンコと,もう一人,ブラジルのミュージシャンであるドリイ・カイミDori Caymmi(あるいは,その父のドリヴァル・カイミ)から取ったものだとわかった。そのとき,私はルイジ・テンコについては4枚のCDを持っており,ブラジル音楽の中でもドリイ・カイミの作品に感銘を受けていた。
  25年前と言う情報の少ない時代に,ルイジ・テンコやドリイ・カイミの名まで使用していた階見ルイジの音楽への造詣の深さに驚いた。

  なにより,ショックだったのは,彼が歌を止めたという事実だった。そのブログの女性は,ある日,階見ルイジから音楽を止めるという理由で彼の持っているレコードを全部譲られたという。
  私も音楽好きだから,レコードは命のようなところもある。だから,1枚も残さずレコードを処分することが重大な決意に基づくものであることは想像がつく。

  階見ルイジがその後どうなったのかはわからない。そのブログも見れなくなった。
  わかっているのは,もう階見ルイジの歌を聴くことはできないということだ。誰でもいずれ人生が終わる日に歌うこともできなくなるのだが,その前に自分の意思で彼はそれを止めてしまった。

  階見ルイジは無口でウェイターと話すこともなかった。
  あの頃,彼がルイジ・テンコのどんな曲を歌っていたかも今となってはわからない。

  ルイジさんは知っていたのだろうか? 
  あのガラガラの銀巴里で我々がどんなに「階見ルイジ」の登場を待ちわびていたかを。
  そのことだけを伝えられたらと思うのだ。


ルイジ・テンコ Luigi Tenco 経歴
http://musica.itreni.net/artisti/tenco.html
イタリアはカトリックで自殺は禁じられているはずだが,ルイジ・テンコの行為は英雄的であると言われていると聞いた。フランスでもイタリアでサンレモ音楽祭がいまだに継続しているのはルイジ・テンコによるものだと評価されている。


<78> ルイジ・テンコ Luigi Tenco / 君に恋してMi sono innamorata di te
http://www.youtube.com/watch?v=DAhtAf2NMrE&feature=related
1962年の名曲 Gianpiero Reverberi編曲




<79> オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni / 君に恋してMi sono innamorata di te
http://www.youtube.com/watch?v=fzFAiMFWm24
ミーナ,ミルバと並ぶイタリア3大女性歌手。特にこのルイジ・テンコの曲は名唱と言われる。ソルボンヌ大学,ローマ大学で演劇を学んでおり,ドラマティックなパフォーマンスを見せる。

http://www.youtube.com/watch?v=CEZCg45HCDg
同じ曲のオルネラ・ヴァノーニの昨年のライブ。74歳にして現役。





<80> ミーナ Mina / 君に恋してMi sono innamorata di te
http://www.youtube.com/watch?v=_rLBaYuNPzI&feature=related
世界白人女性歌手史上最強の歌手とも言われる。1961年のサンレモ音楽祭でミルバより順位が下だったことが不服で審査員に抗議し,以後サンレモへの出場を拒否。やはりサンレモでの落選に抗議して自殺したルイジ・テンコの歌を好んで歌うようになる。ミーナの1971年の最初の自選ベスト盤(イタリアLPチャートで10週間1位)にはルイジ・テンコの曲が2曲(A面の1曲目ともう1曲)取り上げられていた。


<81> ドリイ・カイミ Dori Caymmi / アマゾン川 Amazon River
ブラジルのサンバの狂騒や,お洒落なボサノバとは,別のブラジルの側面(貧困や犯罪)を見据えたという深くて哀しいが美しい音楽。


ドリイ・カイミ ブラジリアン・セレナータ



ドリイ・カイミDori Caymmi - My Favorite Things
http://www.youtube.com/watch?v=kt3jz969qvM&feature=related

この記事へのコメント
階見ルイジのこと、よく覚えています。というよりずっと心の隅に大事にしまっていました。
当時、大阪に住んでてお盆休み、正月休みにしか東京へ来ることが出来ませんでした。ですから食い入るように銀巴里のステージを見ていました。好のみの歌手は何人かいましたが、階見ルイジの歌った『アルフォンシーナと海』は深くボクの心に響きました。歌というより階見ルイジの叫びのようでした。 あれから数十年、今の彼の歌を聴いてみたいです。
Posted by 武智善一 at 2009年11月02日 13:43
ご訪問いただきありがとうございます。
銀巴里のころの階見ルイジの歌で覚えているのは、ぺピーノ・ガリアルディの「ガラスの部屋」1曲だけだったのですが、『アルフォンシーナと海』を知ることができて嬉しいです。私も今の階見ルイジの歌を聴いてみたいです。
Posted by カンカン at 2009年11月03日 00:09
追伸

 実は、してはいけないことでしたがポケットに録音可の「ウォークマンもどき」を忍ばせていたことがありました。当時の「ウォークマン」は再生だけで録音は出来ませんでした。銀巴里に行く時だけ兄のAIWAの超小型機器を借りました。録音できても音質は最悪にちかかったし、尻切れトンボだったりでした。ただ、わざわざ東京までいくんだから何かに残したかった、そんなケチ気持ちだったみたいです。

そんなことはとっくに忘れてましたし、あれから何回も引越ししたりしたのでアノ時のテープが見つかるとは思えませんがとりあえず捜してみました。

 “ありました” それもルイジが・・・・
『♪アルフォンシーナと海(日本語)』 『ナタリー』 懐かしい想いと、失礼ですが思ったより歌は上手でした。 胸がキュンとなりました。 テープが生きているうちにその2曲はデジタル化するつもりです。 テープには残っていませんが『♪ガラスの部屋』も聴いた記憶があります。   
Posted by 武智善一 at 2009年11月11日 14:32
あのころウォークマンは再生だけだったんですね。「アルフォンシーナと海」をYoutubeで見ましたが、すばらしい曲でした。ルイジさんの日本語ヴァージョンは貴重ですね。
「ナタリー」ですが、イタリアのUmberto Balsamoでしょうか? この曲です。1975年
http://www.youtube.com/watch?v=K18rh65p6CQ&feature=related
ルイジさんの歌で聴けたら感涙ものです。
Posted by カンカン at 2009年11月11日 21:37
報告

 『ガラスの部屋?』、もしかして・・・・
25年も前のことなので記憶がさだかではありませんが、ひょっとしてそれも録音したかも・・・。

意地とでもいうか整理できていないテープ(ラベルを書いてないので何がなんだかワカンナイ)を一本一本調べました。 テープってほんと不便です(涙)

ありました。 『ガラスの部屋(原語)』
『NO NO THAN's NO(日本語)』ゲインズブール

『ナタリー』はおっしゃる通り、Umberto Balsamoでした。
『アルフォンシーナと海』、あわせて4曲、近所の方から機器をお借りしてデジタルにしました。 録音した機器が簡易なものなので音質は悪いですが、階見ルイジの世界が見えます。


管理人さんがお望みなら私のアドに・・・・・

もし宜しければ方法を考えてお聞かせ出来るとおもいます。
Posted by 武智善一 at 2009年12月16日 12:44
数十年前に『NO NO THAN's NO(日本語)』ゲインズブールに『ナタリー』Umberto Balsamoとは…!
鳥肌が立ちました。
本当に階見ルイジの音楽への研究心に裏打ちされた世界観が見えてきました。
ありがとうございました。
Posted by カンカン at 2009年12月17日 01:12
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