2008年12月07日

聖母 今日の1曲 <49> 太田裕美U

P1010073.JPG
昨日の太田裕美コンサートのポスター。
その美しさは34年前のデビューシングル「雨だれ」の写真(下のCD Singles1974~1978の写真)と変わらない。


49 太田裕美 Hiromi Ota / 最後の一葉 1976年 オリコン最高位第5位。
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:萩田光雄


  先行きの見えない日本経済が混迷をたどっております。

  HONDAのF1撤退など象徴的ですが,鈴木亜久里は「今のF1の(あまりにも経費がかかる)環境からすれば英断だ」と言っていました。何事もマイナス面からばかり見ないことが大事かもしれません。

  ブログ「あしあと」も日本経済のように混迷をたどっております。
  当初は、イタリアを中心に手持ちのPopsのレコード、CDの紹介を地道にやっていくつもりでした。

  しかし,最近を振り返れば,「めだかの学校」、「吉幾三」などへの脈絡のない展開,果ては「フジ子ヘミング」あたりから「タイガーマスク」に心酔し,そこから「赤き死の仮面のようなダンサーを目指す」とか、「ミスターXがかっこよかった」などと、到底音楽のブログとはいえない無法地帯と化している。

  思い起こせば,ブログを始めた6月2日は雨でした。
  もう半年になるんですね。
  あのとき,梅雨に入り,気分は落ち込んでいました。イタリアのRenzo ZenobiのCDを聴きながら,ブログでもやってみようかと思ったのがことの始まりでした。
  「今日の1曲 @」は当初Renzo Zenobiの予定でした。しかし,1曲目にしてはマニアックすぎると思い直しました。

  外の梅雨を見ながら,「雨だれ」といえば「太田裕美」…
  太田裕美の美声が雨の哀しみを忘れさせてくれる。
  「今日の1曲 @」は、太田裕美の「9月の雨」にしようと決めたのでした。

  そして、昨日、そのブログの原点に帰る日が訪れました。

  あの太田裕美のコンサートに行くことができたのです。



−  聖母 太田裕美との出会い  −



  ついに34年来の憧れの人,太田裕美のコンサートの日がきました。

  若い方はご存じないかもしれないが,「太田裕美」といえば,紅白歌合戦5年連続出場の1970年代のスーパーアイドル。しかも「実力派」


  太田裕美 wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%A3%95%E7%BE%8E


  「ついに憧れの裕美さんと会えるのだ! 裕美さ〜ん」
  …足早に会場に向かう私の心は沸きだった。


  コンサートは,『障害者週間記念 市民のつどい』の一環として行われました。
  第1部:式典・障害関係者表彰 
  第2部:太田裕美コンサート  というプログラムでした。

  第1部は,市長,市議会議長・副議長による,パラリンピック出場者,障害を克服した「自立更生者」,更生を支える「援護功労者」,祖父が車椅子生活者になった小学生の「体験作文」の入賞作品等への表彰がありました。障害者の方の頑張っている姿を見て,表彰に拍手を送るなかで会場のムードは高まっていきました。


  そしてついに第2部の太田裕美コンサートが始まりました。

  私は,なんとか2列目の中央席を確保。
  最前列は,裕美さんのマニアらしき平均年齢50歳以上のオヤジの軍団に完全占拠された。

  3日前のNUTSのダンスショーのとき,20代前半の女の子に囲まれ(しかも満員詰め)ハッピーだったのと全く対照的な光景である。
  特に私の前は坊主頭のオヤジ(しかも背が高い)だった。そのため,光の反射するオヤジの頭の右横に裕美さんの姿を見なければならなかったのが,当日唯一の痛い誤算といえば誤算だった(明るくなって良かったとも言える)。
  私自身もオヤジなんで文句は言えないんですが。

  中央に裕美さんとグランドピアノ,左にシンセサイザーの女性,右にアコースティックギターというシンプルな編成。

  中央に走って出てきてお辞儀した裕美さんのシルエットは,まるで少女だった。
  この時点でもうノックダウン。

  静かな1曲目に続いて,デビュー曲の名曲「雨だれ」
  裕美さんの弾くピアノのイントロで思わず体に電流が走る。


  太田裕美 / 雨だれ (シングル盤ヴァージョン)1974年
         ↓
http://jp.youtube.com/watch?v=xqBTjgEzBtQ&feature=related
  9月23日のブログにライブヴァージョンのYoutubeも挙げているので,そちらもご覧ください。


  そして,「赤いハイヒール」「しあわせ未満」と,作詞:松本隆,作曲:筒美京平,編曲:萩田光雄の黄金トリオ作品の3連発。
  「赤いハイヒール」では,オヤジ達が少年に帰って大きな手拍子を送る。もちろん私もだ。気分はハイテンションである。


  裕美さんはピアノを離れ,スポットライトのあたる中央マイクに進んだ。
  5メートルの至近距離から見るあの「太田裕美」


  まさに出会いの瞬間。

  若い。

  「30歳,いやそれ以上に若くしか見えない…」
  本当に19歳の子を持つ53歳の母親なのか。
  私は,驚き,そして至福のときを味わった。






−  太田裕美の「まごころ」 −


  裕美さんのMCは,手話と大きな同時字幕モニター画面でも伝えられた。


  裕美さんの4回の長いMCは,すべて障害者へのやさしい気遣いに行き着くものばかりでした。

  今日は好天に恵まれ,雪などで障害者の方がたいへんな思いをしなくてよかったと言う話。

  裕美さんが子育てで学んだこと,ベビーカーを押していたとき道の段差などで車椅子の方がいかに大変かがわかったという話。

  全盲,全ろうの障害を持ちながら東大教授になった福島 智さんの出演したNHK「課外授業ようこそ先輩 〜みんな生きていればいい」に裕美さんがナレーションで参加した話。
http://blog.goo.ne.jp/kagayaki_001/e/3952757e2b81d7cb22a2647781cbe558

  表彰での,小学生の女の子が祖父を通じて障害者を助けることの大事さがわかったという作文について。自分は遅くなってからだったけれど、小学生のときに気づけたことは偉い、皆いつかそのことがわかる日から助け合えるといいですねという感想。
  裕美さん、私も昨日2人車椅子の人を助けましたよ。昔、おばあちゃんの車椅子を押して公園とか廻りましたから。

  裕美さんのMCは,裕美さんの34年前以上に美しさを増した歌声と共に,私の心に響き渡る。

  そして,太田裕美の1976年のヒット曲「最後の一葉」が,筋ジストロフィー症候群の患者へのチャリティーとして作られたものだったことが告げられた。
  今日,「最後の一葉」に一番,裕美さんの魂がこめられていたと感じた。


  太田裕美 / 最後の一葉 夜のヒットスタジオより 1976年
http://jp.youtube.com/watch?v=xZ3Rre8rngI


  こうして太田裕美との幸福な1時間20分は過ぎていきました。

 
  太田裕美 公式サイト 水彩画の日々
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/hiromiohta/


  会場を出ると,2年前,たくさんの辛い経験をした同じ街の同じ道を,私は心から充たされた幸福な気持ちで歩いた。

  私は,ブログ「あしあと」の「今日の1曲」の1番目に裕美さんを選んだことは間違いではなかったと確信した。

  そして私は,裕美さんに一生ついていくのだという決意を新たにした。


  太田裕美は聖母なのです。






この記事へのコメント
応援、ポチ、ポチ。頑張って下さい!!!また来ますね!!!遊びに来てください!!!
Posted by 元塾講師による悩みスッキリ塾!の中里 at 2008年12月07日 22:52
ご訪問ありがとうございます。スッキリ塾のブログ拝見いたしました。応援、ポチ,ポチさせていただきました。
Posted by カンカン at 2008年12月07日 23:53
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