2008年10月12日

美しき十代 クラシカル・ロック  今日の1曲 <24> Latte e miele ラッテ・エ・ミエーレ  (+ <25> <26><27> Beatles & George Martin ビートルズとジョージ・マーティン, <28>  Emerson, Lake & Palmer エマーソン・レイク・アンド・パーマー)

24(今回の主役) Latte e miele ラッテ・エ・ミエーレ / Tanto amore 胸いっぱいの愛 1974年

P1010039.JPG  

  ・・・さらに今回はテンコ盛り・・・

25  Beatles ビートルズ / Please please me プリーズ・プリーズ・ミー 1964年
26  Beatles ビートルズ / Yesterdayイエスタデイ 1965年
27  Beatles ビートルズ / In my lifeインマイライフ 1965年
28  Emerson, Lake & Palmer エマーソン・レイク・アンド・パーマー /  Knife Edge ナイフ・エッジ 1970年
  「イエスタデイ」1曲で1冊の本になるビートルズは別格。
  1曲でもちょっと書けば1歩に数えるので,今回は合計5歩前進です。


  さて「美しき十代」といえば,元祖アイドル三田明「アーアー,じゅ〜だい〜〜♪」,迷走するブログ「あしあと」,ダンス・クラシックの次は昭和30年代レトロ歌謡路線に突入か!? 
  …ではなくて,今回の主役は、ラッテ・エ・ミエーレLatte e miele。「今日の1曲 G IL BALLETTO DI BRONZOイル・バレット・ディ・ブロンゾ」に続いてイタリアのクラシカル・プログレッシブ・ロックです。
 ラッテ・エ・ミエーレは1972年にデビュー。そのとき,ドラムのAlfio Vitanzaアルフィオ・ヴィタンツァは弱冠16歳,「美しき十代」だったのです。

 「Tanto amore 胸いっぱいの愛」は、1974年にラッテ・エ・ミエーレの3枚目のシングル盤として発表された叙情的な美しい癒し系のクラシカル・プログレッシブ・ロックです。
              ↓
Youtube http://jp.youtube.com/watch?v=dW-Nt0mW_DM&feature=related

ボーナストラックTanto amore収録のCD 


 
  若い方には、「ところでプログレッシブ・ロックProgressive Rockってなんじゃいねん?」

という方もいると思うので解説しますと、1960年代後半から1975年ぐらいまでに大流行したロックのジャンル。おおまかに言うと、ロックに、@クラシック、あるいはA現代音楽・電子音楽の要素を取り入れたものなのです。          
 
  今回は,@のクラシックを取り入れた方の「クラシカル・プログレッシブ・ロック」の話をします。
 
 すみません。 今回は,4回分位の量になってしまったので,Part 1〜4の4部構成にしました。
 前回は500字だったのに、今回は6500字。お時間のあるときに読んでやってください。
  文は読まなくても,Youtubeで紹介する音楽は聴いてみて下さいね。

- クラシカル・プログレッシブ・ロック 目次 −
   Part 1 1964年 ビートルズとジョージ・マーティン
   Part 2  1967年 キース・エマーソン登場
   Part 3  1970年 1970年代のイタリアン・ロック
   Part 4 1972年 ラッテ・エ・ミエーレ デビュー

- クラシカル・プログレッシブ・ロック Part 1 ビートルズとジョージ・マーティン -
      Beatles & George Martin

  クラシックを取り入れたプログレッシブ・ロックの魅力は,VivaldiヴィヴァルディやBachバッハなどの先人の作った伝統の美を尊敬しつつ,ビートルズなどの新しく生まれたロックのエネルギーでさらにそれを超える美を創造しようとした情熱だ。1975年を境にその情熱は失われていってしまったけれども・・・。かつて文通していたフランス人も「1970年から1975年は音楽にとって奇跡の時代だ」と言っていた。

  とにかくプログレッシブ・ロックは美しい音楽の宝庫,メロディーの渋谷109なのですよ。ここは。

  ロックは、1950年代にアメリカの黒人のR&Bをルーツに生まれた。黒人の「地下」のクラブに必死に通った貧しい少年エルビス・プレスリーが黒人のリズムを身につけて「地上」に登場,それは「地上」では誰も見たことのなかった衝撃的な歌と動きだった。本来黒人の音楽だったものが,世の中に不満を持つ白人の若者の間にも共感を呼び,ロックンロールが爆発した。
  無名時代のビートルズやローリング・ストーンズRolling Stones(特に後者)も徹底的に黒人音楽に憧れ、コピーしたのだ。

  では,このようにして生まれた黒人をルーツとするロックにクラシックの要素を持ち込んでクラシカル・プログレッシブ・ロックを始めたのは誰か? 
  一般的ではないが私はビートルズと決めつけている。しかもビートルズの4人のメンバーではなく、むしろアレンジャーのジョージ・マーティンGeorge Martinだ。ジョン・レノンJohn Lennonもポール・マッカートニーPaul McCartneyも超天才的なソングライターだったけれど、労働者階級出身の彼らは正規の音楽教育を受けていない。John とPaulが作ったメロディー,すなわちダイヤモンドの原石を磨いて世に出した人こそ、クラシック音楽の知識を持ったジョージ・マーティンだった。




  1964年のBeatlesの出世作Please please meプリーズ・プリーズ・ミーは、もともとは全く違うテンポの遅いものだった。ジョージ・マーティンはこれを大胆に加工。レコーディングが終わったとき、ジョージ・マーティンは4人のメンバーに言った。「OK,これで君たちは1位になれるよ」。そして、その言葉通りになった。

   The Beatles - Please Please Me ビートルズの出世作。
   ヘッドホンで聴いて頂きたい。リンゴの疾走するドラム,ジョンと高音を維持するポールの痛快なハモリ。まさに黒人のリズムと白人の和声の合体だ。 
    http://jp.youtube.com/watch?v=W9cbMZZTRQQ
 
  1965年、Beatlesは,Yesterdayイエスタデイでクラシックの弦楽4重奏をバックにポールが歌い、LP「ラバーソウル」収録のIn my lifeインマイライフでは曲の中間でクラシック風のピアノソロをとりいれた。もちろん両方ともジョージ・マーティンの戦略だった。

      
    The Beatles – Yesterday 世界で最も多くカバーされた楽曲としてギネスブックに認定。「ビートルズのあの美しい曲」も,実はポールが14歳の時に亡くなった母親を想って作った歌。そんな事実を後で知ると,詞を含め実に重い2分間だ。
    http://jp.youtube.com/watch?v=COLbULs08EQ&feature=related

   The Beatles - In My Life こちらはジョンによる人生の回想。1:40からのジョージ・マーティンのクラシカルなピアノが郷愁をさそう。ジョージ・マーティン自身のソロアルバムのタイトルにもなった曲。
    http://jp.youtube.com/watch?v=Ym0x3vTw6yc 

 
  Beatlesのクラシカル・プログレッシブ・ロックは1970年に解散するまでとどまることはなかった。
  

ビートルズの音楽性が大きく変化したトータルアルバム。「インマイライフ」収録。




− クラシカル・プログレッシブ・ロックPart 2 キース・エマーソン登場 −
         Keith Emerson

  こうしてアフリカをルーツとする黒人が作ったロックに対して、ヨーロッパをルーツとする白人からのクラシック音楽による巻き返しが始まった。そして両者は美しく融合していく。その担い手はビートルズだけではなかった。
 
  1967年、同じくイギリスのピアニスト,キース・エマーソンKeith EmersonがナイスNICEを結成し、驚異的なテクニックでクラシックの楽曲そのものをロックにアレンジし,融合した。
  30年後の1997年にドイツのユニットSweet Boxが「Everything’s Gonna Be Alright」でバッハの「G線上のアリア」と黒人のラップを融合させたように。
 
  キース・エマーソンは、1970年に、キングクリムゾンKING CRIMSONとアトミックルースターATOMIC ROOSTERから凄腕かつイケメンの2人のメンバー、グレッグレイクGreg LakeとカールパーマーCarl Palmerを引き込んでスーパーグループELPこと,エマーソン・レイク・アンド・パーマー Emerson, Lake & Palmerを結成。


ナイフエッジ収録の1st


  
  ELPの3人は日本でも雑誌の人気投票の各部門で1位を独占。1972年7月には外国アーティストとしては2組目の後楽園球場での伝説のライブを行った。ELP はX−Japanのような人気だったのだ。ちなみに小室哲哉のヒーローはキース・エマーソンであり,アムロ・ブームのルーツも遡るとプログレッシブ・ロックなのだ。
  こうしてキース・エマーソンの影響は全世界に及んだ。

  さらに,彼を核にして,Moogなどのシンセサイザー,電子キーボードの開発も進んだ。日本のYAMAHA,Roland,Korgなどのメーカーの世界への躍進もキース・エマーソン抜きには語れない。
 キース・エマーソン以外にも素晴らしいキーボーディストはたくさんいますが,きりがないので別の機会に。

   Emerson, Lake & Palmer / Knife Edge ナイフ・エッジ(スタジオ)1970年 1stLPより
 http://jp.youtube.com/watch?v=DmMCaKrMQ70 ポイントは3:20。Beatles の In My Lifeの手法を応用。それほど有名とはいえないチェコの作曲家レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」の導入が衝撃的。キース・エマーソンのクラシックへの造詣の深さがうかがえる。

   Emerson, Lake & Palmer / Knife Edge ナイフ・エッジ(ライブ)1970年 これは面白い! 必見! クラシックとプロレスの異種格闘技。ロックの映像では5本の指に入れたい。ドイツの歴史上に残る名TV番組「BEAT CLUB」でのライブ。
http://jp.youtube.com/watch?v=D-kT4hTJTdc&feature=related
4:00バイク狂エマーソンが暴走、シンセサイザーの首を締め上げる。5:00転じて優等生に、ヤナーチェクを弾くときは譜面とにらめっこ。6:30最後はオルガン相手に投げ技で一本。

Emerson, Lake & Palmer / 1970年 1stLP 試聴
   http://www.amazon.de/Emerson-Lake-Palmer/dp/B0002HSECC/ref=sr_1_5?ie=UTF8&s=music&qid=1223778731&sr=1-5

   Emerson, Lake & Palmer / 展覧会の絵(ムソルグスキー作曲)1971年 ライブ 
   http://jp.youtube.com/watch?v=_Y1x04hAUT4&feature=related こちらは,ロシアを代表する作曲家モデスト・ムソルグスキーの1874年のピアノ組曲をまるごとロックにした作品。日本での人気を不動にした。
        



− クラシカル・プログレッシブ・ロックPart 3 1970年代のイタリアン・ロック −
     ROCK PROGRESSIVO ITALIANO


  ここでやっとイタリアの話にたどりつく。
  イタリアでは、イタリアのエルビス・プレスリーことAdriano Celentano(今日の1曲 H)によってロックの洗礼を受けた子供たちが、さらにビートルズ・ショックを受け、キース・エマーソンELPに追い打ちをかけられた。
  そこで彼らの多くは気づいた。「おい、ちょっと待て。あいつらイギリス人の音楽はクラシックを使ってるけど、クラシックの御本家は俺たちイタリアだ。クラシックだったら子供のころからやってるし,負けないぞ」
 

イタリアン・ロックを世界に知らしめたPFM



  本ブログのタイトル名に使っているLE ORME(レ・オルメ)とはイタリア語で「あしあと」を意味する1967年にデビューしたイタリアのバンドなのです。レ・オルメは、早速イギリスに渡って状況を偵察し、ELPを真似て1970年からクラシックを大胆に取り入れた3人組のクラシカル・プログレッシブ・ロックに変貌して大成功を収めた。  彼らには,ビートルズにおけるジョージ・マーティンのように,マエストロGian Piero Reverberiというクラシックを知り尽くした巨匠が味方についた。

  レ・オルメに続いてイタリアでは,PFM、Banco,New Trollsなど,世界でも類を見ないほど多くの,クラシックを取り入れたプログレッシブ・ロックが花盛りになった。PFM、Bancoは,ELPが設立したマンティコア・レーベルと契約して世界に進出した。ELPは,同じレーベルでありながら,PFM、Bancoの実力をおそれて彼らと同じステージに出ることを避けた。それだけイタリアでは,クラシック音楽に精通した男子が多かったのだ。
  転じて,日本では,ピアノを習っている男子なんて周りに全然いなかった。ピアノは女の子のお稽古だと思われていた。坂本龍一とか子供のころは周りから浮いて苦労したようだし,小室哲哉などもそんな感じがする。私はバイトで学費を稼いで音大の作曲科に行きたかったのですが,150万円貯金が溜まりいざ入試の要項を見て,子供のころからピアノをやってなかったら無理だと挫折しました。


- クラシカル・プログレッシブ・ロック Part 4 ラッテ・エ・ミエーレ −
      Latte e miele

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Latte e miele 2ndLP「Papillon」リーフレットと2nd、1stシングル


  そして,やっと今回の主役ラッテ・エ・ミエーレ。
  彼らも数あるイタリアのバンドのひとつで,ELP,LE ORMEと同様,キーボード,べース,ドラムの3人組。彼らを知ったのは私が16歳の頃だった。クラシカル・プログレッシブ・ロックをやるにはそれだけ円熟した力量がいる。ほとんどのバンドが傑作を残したのは25歳前後だ。ところが,このバンドはドラムが16歳にもかかわらず,1stLPでいきなりキリスト受難劇をテーマにした大傑作「PASSIO SECUNDUM MATTHEUM受難劇」を発表。ローマ教皇の前で演奏したなどという噂も飛んだ。

  まだ幻のレコードだった「受難劇」を夜中にFM東京で聴いたときは,混声合唱団まで使ったその内容の凄さにブッたまげた。ドラムが16歳でこんなことができるのも,子供の頃からのクラシックの知識で譜面が読めるからなのだ。イタリアはそれだけミュージシャンの層が厚かったのだ。
 
  ラッテ・エ・ミエーレは,私自身の人生の十代の大きな挫折とも重なって,永遠のヒーローのひとつとなった。IL BALLETTO DI BRONZOと同様,LPについては1982年にポリドールが,ジャケット、リーフレットもイタリアのオリジナルと同様の奇跡のLP復刻盤を出して夢が叶った。
  
  10年前,イタリア人の友人と知り合った。彼は「10歳のころからミルバの熱烈なファンだ」という。そこで,私も「十代のころからラッテ・エ・ミエーレのファンだ。彼らのシングル盤3枚と私の持っているミルバのレコードと交換しよう」と持ちかけた。彼は「Latte e mieleなんてイタリア人の自分でも知らなかった」と言いつつラッテ・エ・ミエーレのレコードを探してイタリア中のレコード店に電話をかけまくってくれた。イタリアから「奇跡だ!ラッテ・エ・ミエーレがみつかった」という彼の手紙が3回届いて3枚のシングル盤が揃った。

  そして昨年,ラッテ・エ・ミエーレのドラマーAlfio Vitanzaは, LE ORME と並ぶイタリア・プログレッシブ・ロックのベテラン、ニュートロルスNew TrollsのConcerto Grossoツアーのメンバーとして来日した。
  
  私は,Alfio Vitanzaのサインがもらえるかもしれないと思って,ラッテ・エ・ミエーレのTanto amoreとニュートロルスのシングル盤を持参してコンサート会場に行った。サイン会に参加するには7000円のグッズを買わないとだめで,サインはどのメンバーに当たるかわからないと言われた。Alfio ,Nico,Vittorio以外の興味のないメンバーのサインは欲しくないので,サイン会は行かなかった。後になって,行かなかったことを1年間後悔した。

  New Trollsの演奏は素晴らしかった。奇跡のクラシカル・ロックだ。New TrollsのConcerto Grossoはいずれ紹介します。私が生涯見たコンサートの中でも1,2を争うほど感動した。
  ただ,日本ではイタリア・プログレッシブ・ロックの5本の指に評価されるラッテ・エ・ミエーレの「受難劇」は,イタリア本国では思ったより評価が低いようだ。ラッテ・エ・ミエーレの曲はNew Trollsの来日では演奏してもらえそうもない。




  16歳の長髪の眼鏡のイケメンAlfio Vitanzaがラッテ・エ・ミエーレで一番人気のアイドルだった。
  ラッテ・エ・ミエーレが30年以上前に残した作品は,どれもイタリア・プログレッシブ・ロックの中でも飛び抜けて美しい。そのメロディーはローマで食べたジェラート(アイスクリーム)のように甘い。キリスト教に真っ向から取り組んだり,ベートーベンのピアノソナタ「悲愴」を正面からロックにしたり,その青臭さからイタリア本国では評論家筋にはあまり高い評価を得られないのかもしれない。しかし,それは彼らの若さ,純粋さだけがなせるわざなのだ。

  ラッテ・エ・ミエーレの音楽は,私の心の中では永遠に「美しき十代」として輝いているのです。

  
  ふたたび Latte e Miele - Tanto amore胸いっぱいの愛 1974年 Alfio Vitanza「十代」最後の作品
   http://jp.youtube.com/watch?v=dW-Nt0mW_DM&feature=related 1:20からのサビはクラシック王道の癒しのコード進行。1:55オーボエに似たシンセサイザーに無常の響き。

  そして Latte E Miele - Il Pianto ~ Il Re Dei Giudei  1972年 1stLP「受難劇」からのハイライト
   http://jp.youtube.com/watch?v=45I61w-iwRo&feature=related 美の極致の「悲嘆」(静)から一転1:40「ユダ」(動),そして2:34「ユダヤの丘」,とどめに3:11からの泣きのメロディー。





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