2008年06月21日

今日の1曲 I Milva ミルバ

I Milva / Canzone 1968年 イタリア
  ミルバ / カンツォーネ (詞Don Backy 曲Detto Mariano)
  
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  「カンツォーネ」は1968年2月のサンレモSanremo音楽祭で3位に入賞した曲です。当時のサンレモ音楽祭は世界中からの一流歌手の申込が殺到し、年に一度の歌のオリンピックとして熱狂と興奮が渦巻く一大コンテストになっていました。特に1968年は、前年の1967年に予選で落選したルイジ・テンコLuigi Tencoが審査に抗議してピストル自殺するという大事件があったため、一層注目を集めることになり、1968年がサンレモ音楽祭の最盛期とする意見も多く聞かれます。
 
  「カンツォーネ」は当初から優勝候補に挙げられていた曲で、歌のコンテストにそのまま「歌(カンツォーネ)」というタイトルでエントリーするところなど、作者の並はずれた自信と野心が感じられます。はじめ、この歌はミルバと作者のDon Backyドン・バッキーがコンビを組んで出場する予定でしたが、ドン・バッキーの所属するClanレコードの社長のAdriano Celentanoが歌うことになり、怒ったドン・バッキーが裁判を起こす事件に発展しました。
  結局「カンツォーネ」は、アドリアーノ・チェレンターノの過剰な演技が不評を買ったこともあり、優勝を逃しました。レコードについてはドン・バッキーのものが一番売れ、2月23日から4月12日の間にイタリアで6週間1位になっています。

  ミルバは1961年以来サンレモ音楽祭に8回連続出場し、何度も優勝候補に挙がりながら優勝を逃していたため、「カンツォーネ」に賭ける意気込みは凄まじいものがあり、スケールの大きなミルバの歌唱は絶品といえます。
  前年の1967年にミルバは3度目の来日をして「カンツォーネの王様」Claudio Villaクラウディオ・ビルラとのジョイント公演を厚生年金会館で行い、ミルバとビルラの一歩も譲らない熱演は格闘技のような様相を呈し、圧倒された聴衆がコンサート終了後もしばらく立ち上がることができなかったという伝説も残っています。歌唱力という点においてまさにミルバは絶頂期にあったといえるでしょう。

  その後ミルバは1970年代に入ってから、エディット・ピアフの作品集や、エンニオ・モリコーネ、Vangelis、アストル・ピアソラ、Franco Battiato等とのコラボレーションにより、シングルヒットではなく、LP制作を中心とする活動に移行し、傑作を生み出していきます。
  私は近年ミルバとJames Brownのコンサートには2回ずつ行ったことがあり、一流のエンターティナーの作り出す空間に心底から感動しましたが、映像に残る1968年のSanremoでのミルバや、Apollo劇場でのJames Brownは別次元のものに見えます。ミルバの熱唱からはさながらJanis Joplinのように鬼気迫るものを感じます。

 「この歌は空を飛んでいる その音符は私の心の中に 私の苦しみをしるしている 一つの愛の終わりに」
                                                       (カンツォーネ)

  ミルバ Canzone 1968年 Sanremo ライブ
        ↓
  http://jp.youtube.com/watch?v=9iEQ9rE_85A


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