今日の1曲
「ザ・ゴールデン・カップス」ルイズルイス加部さん死去 71歳、圧倒的なベースプレー武器に活躍
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cc4435aa03c6e5d19a2c607a5fb82f63130a4ad
また悲しいニュースが入りました。マモルマヌーさんに続いてゴールデンカップスのルイズルイス加部さんが亡くなりました。伝説のスーパーベーシストでした。今までたいへんな影響を受けてきました。思い出を振り返ってみました。
1979年ごろ
ラジオで「グループサウンズベスト100」という人気投票がありました。子供のころ好きだったのが、タイガースとテンプターズとオックスでした。このラジオを録音して、初めてゴールデンカップスを知りました。驚いたのは「銀色のグラス」の速いスピードのベースです。ベスト100にカップスは4曲入っていてこのカセットは宝物になりました。2位がテンプターズの「エメラルドの伝説」で、これも初めて聞いて感動しました。
ネットのない時代は情報が少なく、雑誌POPEYEの「1960年代特集号」で「銀色のグラスのベースにみんなびっくり仰天した」、また1981年の「グループサウンズ最高!」という本にも「銀色のグラスのベースにはハッとするようなカッコよさがあり、ゴールデンカップスが伝説となっているのもわかる」という記述がありました。また鈴木いずみの小説にも書かれていました。
ルイズルイス加部の自伝「気ままに生きる」より「銀色のグラス」の記述
https://www.berrys-cafe.jp/pc/book/n730755/30/
「気ままに生きる」によると、村八分のチャー坊が山口冨士夫とバンドをやろうとルイズルイス加部を誘ったが、ジョニー・ルイス&チャーが決まっていたので実現しなかった。
ザ・ゴールデン・カップス The Golden Cups/銀色のグラス Love Is My Life
https://www.youtube.com/watch?v=cyZRRMr85s4
エメラルドの伝説/ザ・ゴールデン・カップス(カバー)
https://www.youtube.com/watch?v=55tLTdUcw5s
1969年4月10日発売のオムニバスアルバム「なかにし礼作品集・四つの明星」より。ルイズルイス加部のチャンネルに登録されている。加橋かつみも1971年のライブでこの曲を歌っていた。
1982年か1983年ごろ
ルイズルイス加部のいるピンククラウド(ジョニー、ルイス&チャー)のライブを本多劇場に見に行きました。当時ジョニー、ルイス&チャーは「かっこいい」日本のロックバンドの王道でした。
PINK CLOUD / WASTED 1983
https://www.youtube.com/watch?v=HYElwr4V_MI
ピンククラウドといえば自分はこの曲。2年前の下北沢ガーデンでのジョニー吉長追悼ライブで、ルイズルイス加部が飛び入りで参加しこの曲を演奏したとのこと。
1983年
4月から山口冨士夫のライブに行く。1976年にルイズルイス加部とリゾートというバンドを作ったという情報を知る。6月ごろ加部正義名義のソロアルバム「MOON LIKE A MOON」が出て、ベースでなくギターを弾いていたが、ピンクフロイド的な音もある素晴らしいアルバムだった。
加部正義MASAYOSHI KABE - ONLY THE YOUNG
https://www.youtube.com/watch?v=cCIOYpRN0DA
アルバム最後の曲。ジャケットのイラストも本人によるもの。
1984年
夏、「ゴールデンカップ」など本牧を訪ねる。本牧の住宅街にあったクーラーのない小さな図書館で休んだのが懐かしい。
1984年の終わりごろ、カップスの「スーパーライブセッション」を入手し、LPの1曲目「モージョワーキン」のジャズのようなランニングベースに驚く。
The Golden Cups / Got my mojo working -
https://www.youtube.com/watch?v=UuDrdz86bVQ
浅草リバーサイドフェスティバルのパンフレットより
1986年
野外フリーの浅草リバーサイドフェスティバルで、再びピンククラウドのライブを見る。小雨だったと記憶しています。
このころ、ミッキー吉野さんからサインをもらい、六本木「ゴールデンカップ」でデイブ平尾さんと握手してもらう。
1992年
ルイズルイス加部は、テンプターズの大口広司、フラワートラベリンバンド篠原信彦とともに山口冨士夫の「Atmosphere」に参加し、4月12日に川崎クラブチッタでライブを見ることができました。
1993年
8月14日横浜寿町のフリーコンサートで、パワーハウスのチーボー、陳信輝、ピンククラウドのルイズルイス加部、ジョニー吉長によるバンドのライブを見ました。最後の曲はクリームのクロスロードでした。その後に、山口冨士夫がアコーティックギターだけで出演。
1998年
日本のニューロックのCD再発が始まり、伝説のフードブレインやスピードグルー&シンキを聴けるようになりました。
Liver Juice Vending Machine - Food Brain
https://www.youtube.com/watch?v=xWVzVXW3P9s
1970年
1999年
ゴールデンカップスが取り上げられた「天使はブルースを歌う」を読む。
2003年
ゴールデンカップスのコンサートを初めて横浜パシフィコで見る。ゴールデンカップスは31年ぶりの再結成で話題になっていた。
映画「ワンモアタイム」の半券とチラシ
2004年
ゴールデンカップスの記録映画「ワンモアタイム」を見る。初めて「愛する君に」「I'm So Glad」の全盛期の映像を見て驚く。映画館でマモルさんからサインをもらう。
The Golden Cups-I'm So Glad (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=IrXJ3vpvKww
2006年
夏、本牧ジャズ祭の帰りにバスを降りて、初めて「ゴールデンカップ」に入る。ピザを頼んでジャズを聴いた。
2014年
横浜高島屋に「ゴールデンカップスの時代展」を見に行く。エディ藩さんにサインをもらう。
2017年
幻だったリゾートの音源が発売される。
リゾート(山口冨士夫&加部正義) / One more time (Them cover) live 1976
https://www.youtube.com/watch?v=LhzznWdoQRw
加部正義Masayoshi Kabe – Hatsunecho 初音町
https://www.youtube.com/watch?v=1RdJ2ygIZ3g
2015年.加部正義作曲
今回振り返って、ルイズルイス加部のライブには40年間で5回も行っていたことがわかりました。これは山口冨士夫の9回に次ぐ回数でした。加部さんが武相高校3年生のとき2年生で1人だけマモルさんが加部さんたちのグループに入ったそうです。
今までありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
エディーさんのサイン