1967年来日パンフレット
今日の1曲
遅くなりましたが2020年令和2年になりました。拙いブログですが本年もよろしくお願いいたします。ブログも今年で12年目になるのですが、やはり体力、気力、書くスピード等が衰えているのがわかります。謹賀新年のブログも1月18日になってしまいました。
太川・蛭子コンビの「ローカルバスの旅」のテレビが、72歳になった蛭子さんの体力的な理由で12年目に最終回になったのも共感しました。
ブログはのんびりですが頑張ろうと思います。
令和2年は、令和元年の最後がミルバだったので、ミルバからスタートしようと思います。ミルバは1964年の初来日以後、20回以上来日しており、ベンチャーズと並ぶ最も親日のアーティストと言えます。「日本で最後のコンサート」からもう10年以上経ちます。
1曲目は1972年にエンニオ・モリコーネEnnio Morriconeが「ミルバに捧ぐ」というタイトルで制作したLPの1曲目“La Califfa"です。1971年の「エディット・ピアフを歌う」のころからミルバはシングルよりもクルト・ワイル、タンゴなどLPに力を入れます。
ピアフ、モリコーネの2枚がミルバのLPの最高作ではないでしょうか。ミルバはVangelisとも2枚制作しており、BeatlesやProgressive Rockの影響も受けていると思われます。“La Califfa"は1972年当時の空気が漂うシンフォニックな名曲です。
MILVA – “La Califfa" Morricone (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=0EuGTgm5ulA
E. Morricone: La Califfa
https://www.youtube.com/watch?v=EnJsHSF6zgg
オーケストラによる原曲
Hayley Westenra / La Califfa ・Roma Sinfonietta
https://www.youtube.com/watch?v=6bnyX1aYNIY
別の女性歌手によるもの
Milva - Metti una sera a cena LP「Morricone」より
https://www.youtube.com/watch?v=Of84p0PbpP0
1964年初来日パンフレット
1964年のミルバの初来日は伝説的。「ウナ・セラ・ディ東京」のレコーディングでは、作曲者の宮川泰をはじめ、オーケストラなどそこにいた人々は「これはたいへんなことになる」と思ったそうで、シングルは大ヒットしました。翌年も外国歌手では異例の再来日。
ミルバMilva / ウナ・セラ・ディ東京(日本語)1964 / Una Sera di Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=Fk_bx3f-9lo
0:56から異様な盛り上がり。同じ曲をカバーしたピーナッツ、カテリーナ・ヴァレンテのような世界最高レベルの人たちでもかなわない。
1967年来日パンフレット
1967年のカンツォーネの王様、クラウディオ・ビルラとの来日共演“決闘ライブ”も伝説です。1968年のサンレモ音楽祭で3位になった「カンツォーネCanzone」がミルバの音楽人生の頂点と言えるでしょう。サンレモ音楽祭自体も1968年が頂点とされています。
1967年、1968年のミルバについてはよろしければ、12年前の古いブログをご覧ください。ブログを開始して10回目の投稿です。
★ブログあしあと2008年06月21日 今日の1曲 I Milva ミルバ★
↓
http://soleluna.seesaa.net/article/101194185.html
ミルバ / カンツォーネ (詞Don Backy 曲Detto Mariano)
https://www.youtube.com/watch?v=DvXdLbkrIO8
1968年サンレモ音楽祭ライブ。指揮は1967年にサンレモでの落選を抗議して自殺したLuigi Tencoのアレンジを行ったLe OrmeのプロデューサーGiampiero Reverbelli。1967年の来日時に、ミルバ自身が来年の1968年サンレモではすごい曲で参加すると語っていた。このころのMilvaはJanis Joplinとも競えるのでは。
本年もよい年でありますように。

渋谷で見たミルバのラストライブのパンフレット