2018年07月30日

暑さを熱さで吹き飛ばす2 TRIANA2

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ちびっ子たちのお祭り太鼓



今日の1曲
  TRIANA - YA ESTÁ BIEN  1977年


 前々回のブログでトリアナの2ndはまあまあ、と書いたのですが、1曲いいのがあったなと思って探してみました。みつけたと思って久々に聞いたところ凄いインパクト。「まあまあ」などと書いて本当に失礼しました。

TRIANA - YA ESTÁ BIEN (Hijos del agobio - 1977)
https://www.youtube.com/watch?v=dnVRL7LNM54
暑さ吹き飛ぶ旧B面の1曲目。2曲目にそのままつながる憎い構成。

 トリアナはフラメンコの情念とプログレが化合して爆発。1977年の2ndまで凄い。
 長年ため込んだプログレを3分に凝縮して爆発させたようなSex Pistolsの1977年の1stに近い感じがします。

TRIANA / SR. TRONCOSO
https://www.youtube.com/watch?v=7FwBRkE7BWk
この曲も2ndLPから。味わいのある曲。





posted by カンカン at 22:11| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月28日

フジロック生中継

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今日の1曲
 フジロック生中継


 37度の猛暑の次は台風がこれから来襲します。もう年なのでフジロックなど遠くに行くのははしんどいなと思っていたら、Youtubeで生中継。
 ラッキーです。1972年の村八分のチャー坊のダンス・歌と山口冨士夫のギターが掛け合うような華のあるバンドが出てこないかなあ。


FUJI ROCK FESTIVAL '18 LIVE Saturday Channel 2 
https://www.youtube.com/watch?v=38tnaY8BKUw

 晴れ舞台なのでどのバンドも気合が入っています。 
 Carla Thomasが楽しみですが、そのころは、台風がきついかも。。。
 過去では、Iggy Pop, Magma, ゴールデンカップス、加山雄三などを見たかった。


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posted by カンカン at 11:57| 神奈川 ☔| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月25日

暑さを熱さで吹き飛ばす Triana

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スペインで買ったトリアナのカセット(上はセミの抜け殻とミニトマト)


今日の1曲
  Triana Abre la puerta 1975年
  Triana Recuerdos de una noche 1975年


 酷暑が続いております。慣れというのは不思議なもので、37度を体験すると35度の日は楽に感じます。とはいえ、夜の10時になっても32度で、夜中も暑くて起きてしまいます。暑さを吹き飛ばすための音楽を探してみました。

 今回は、歌あり、フラメンコギターあり、メロトロンあり、ムーグあり、の情熱のスパニッシュロック! 1975年のTrianaの1stアルバムは、1974年の山口冨士夫「ひまつぶし」と同格の良曲占有率の高い名盤です。

Triana "Abre la puerta" LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=pUcjaGfgdPM
4:37のボーカルが終わった後のギターの切れがいい。6:10のコーラスはMellotron400?

Triana "Abre la puerta" Live
https://www.youtube.com/watch?v=qcwbsedgkx0
1:37、1:41 のコードがレコードと違うのが新鮮
Vo・Keyboardの人が夭折して解散

 1975年までのフランコ政権独裁への反動か1975年にスペインから良いバンドが出ました。Trianaは1stで長年貯めた良曲を出してしまったので、2ndはまあまあ、3rdは特徴のない普通のバンドになりましたが、スペインでは成功してスターでした。 

Triana  Recuerdos de una noche
https://www.youtube.com/watch?v=FOPgpsTrdVw
ギターソロが最高。



posted by カンカン at 12:35| 神奈川 ☁| Comment(0) | ユーロピアンロック&ポップス European Rock & Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月23日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」P 1976年から1984年を振り返って

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一番見に行った1983年〜1984年ごろの山口冨士夫バンド(タンブリングス)


今日の1曲
 山口冨士夫バンド(タンブリングス) / Dear Prudence
                     1984年3月3日 
 Sex Pistols - Holidays In The Sun 1977年
 村八分 / Money  1979年
 裸のラリーズ / 造花の原野 1980年8月14日
 Michael Jackson - Wanna Be Startin' Somethin'1983年





 猛暑が続いており、ゆで卵の前の半熟卵のような気分です。夜になっても32.7度! 経済的節約もありますが、クーラーはなるべく使わず、体に水をかけて扇風機であおる(かなり気持ちいい)など、さらなる温暖化が進まないように少しばかりでも助力したいと思います。

 1983年の山口冨士夫のライブの思い出を振り返るだけの予定だった「山口冨士夫とシティロード」は、4カ月15回の長期になりました。1976年から1984年までの雑誌を読み返す中で、日本でロックを継続することが困難であり、山口冨士夫が偉大なミュージシャンであることを改めて知りました。そこで、もういちど1976年から1984年のころのことをまとめて振り返ってみました。


◆1976年

 1976年を思い出すと、レコード店で買いたいレコードが消えてゆき、1977年になると天国だったレコード店が砂漠のように思えました。ベトナム終戦後、世界的にみてもロックは存在意義を失って停滞し、魅力を失っていました。

 1976年はまだ歌謡曲、演歌が主流。沢田研二(とPYG)が歌謡曲をロックにより近づけていきました。そこへ、吉田拓郎、井上陽水などフォーク、ユーミンなどのニューミュージックが台頭、キャロル出身の矢沢永吉が初めてロックで商業的に成功しました。

 このような1976年に山口冨士夫はリゾートを結成。桃源郷、ロックの理想は、ルイズルイス加部との音楽性の違いから短命に終わります。東京のライブハウスも、屋根裏とロフトしかなく、ロックが非常に困難だったことがわかります。

リゾート 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=RQFcGvd9Quc
ルイズルイス加部もギターのWギター編成




◆1977年

 1977年12月にセックスピストルズが日本で発売。パンクの衝動で多くの新しいバンドが生まれましたが、プログレに影響を受けていたセックスピストルズの音楽性は旧世代のやる気も呼び起こしました。

Sex Pistols - Holidays In The Sun
https://www.youtube.com/watch?v=2Ah1JM9mf60


◆1978年

 山口冨士夫は福生などでヒッピーなどアマチュアとセッション活動、曲づくり。ブライアンイーノにも関心を持っていたようです。このころに元トゥーマッチ、外道の青木正行に出会いセッションをしています。 

 このころライブハウスでロックを続けている人は、グループサウンズ世代では実力派と言われたダイナマイツ、ゴールデンカップス、ビーバーズ、パワーハウスなど米軍のクラブで鍛えられた人が多いのがわかります。

 パンクロックにすぐに呼応したのは村八分脱退以後、活動歴がなかった青木真一で、スピードを結成しライブでも「Punk」と明言。ジョー山中の人間の証明の主題歌がヒットし武道館でライブ。ジョニー・ルイス&チャーで、ルイズルイス加部も本格的に再始動。

人間の証明
https://www.youtube.com/watch?v=-wQ0ik_wZG4

   
◆1979年 

 セックスピストルズに触発されたと思われるチャー坊が村八分を再結成。その際に山口冨士夫はパンク活動をする青木真一に会って刺激を受けたと言っています。村八分ではビートルズの曲が多数演奏され、ビートルズの影響の大きさを感じました。

村八分 / Money  1979年
https://www.youtube.com/watch?v=HtvO9Zsreec
歌:山口冨士夫 Beatlesへの回帰

 このころ、クロコダイル、ライブインなど渋谷を中心にロックのライブハウスが新たに出店。元村八分の恒田義見は四人囃子2名、安全ばんどというニューロック世代のメンバーとテクノポップバンド「ペグモ」を結成。時代はニューウェイブに移行していました。





◆1980年 

 再結成した村八分が解散した後、山口冨士夫は裸のラリーズに参加し、ラリーズのサウンドに大きな変化を与えます。命懸けだったというラリーズの活動がその後の山口冨士夫に影響を与えます。RCサクセション、サザンオールスターズ、シーナ&ロケットなど屋根裏、ロフトなどで活動していたバンドがブレイク。
  
裸のラリーズ / 造花の原野 1980年8月14日
https://www.youtube.com/watch?v=HOUqOAL-utM 
今年聞いた曲の中では一番感銘を受けた。


◆1981年
 
 山口冨士夫は、3月の裸のラリーズのライブを最後に脱退し、ギターを燃やして音楽活動を停止。元村八分の上原裕はロックへ移行した沢田研二のエキゾチックスのドラマーになりテレビに頻出。山口冨士夫が影響を受け、自伝のタイトルにもしたマイルスデイビスが9月に新宿で復活ライブを行います。

沢田研二&エキゾチックス / ストリッパー
https://www.youtube.com/watch?v=0LEXckET_fQ


◆1982年 

 11月22日のフールズのライブのゲストとして山口冨士夫の名が本人の承諾なく「シティロード」に記載。これをきっかけに山口冨士夫が音楽活動に復帰。このライブから「シティロード」が山口冨士夫の活動をほとんどフォローし支援するようになります。
 11月にはマイケルジャクソンがポールマッカートニーとGirl is mineを発表し、黒人初のスーパースターとなります。


◆1983年
 
 1月1日にダイナマイツ解散後も内田裕也のバンドなどで活動していた大木啓三とKIZUでクロコダイルに出演。3月に山口冨士夫がフロントに立ち、1978年からパンクムーブメントにいた青木真一と1971年からトゥーマッチ、外道というニューロック世代の青木正行、小林秀弥が参加。日本のロックシーンで10年以上続けてきた人たちのライブを見れたのは非常に幸運だったと思います。ビートルズのラブ・ミー・ドゥをレゲエにしたり、ソウル、ブルースなどあらゆる要素が詰め込まれていました。  
 1971年ころのトゥーマッチという深大寺のイベントでチャー坊が観客として映っていたとのこと。

 Michael Jackson - Beat Itはソウルの曲の中でエディー・ヴァン・ヘイレンがギターソロをとるという画期的な曲。この頃から「ソウル」という呼称がなくなっていきました。 

Michael Jackson - Wanna Be Startin' Somethin'
https://www.youtube.com/watch?v=3ibDF4MLIqo

 
◆1984年

 このころの山口冨士夫バンド(タンブリングス)の映像がみつかりました。今までの人生でライブで一番感動した一つのビートルズのDear Prudenceなど古い曲や新曲など、当時のベストといえるパフォーマンスだと思います。

 
1984年3月3日 新丸子リンディスファーン
https://www.youtube.com/watch?v=xkIDT7adu54&t=603s
 前期タンブリングスの活動が完成されるとともに停滞。





 山口冨士夫がライブで欠席し、1984年12月のライブでも会場に現れず、再び活動を停止。1983年から1984年にかけて、私は山口冨士夫のライブに5〜6回、裸のラリーズは3〜4回行きました。他のライブはほとんど行っていませんでした。

 1983年のころ、アルバイトで「自分も昔ブルースバンドでギターを弾いていた」という人に会いました。その人に山口冨士夫のライブのテープを聞いてもらったところ、「よかったよ」と言った後に「執念だな・・」とぽつりとつぶやいたのが今でも印象に残っています。

 山口冨士夫は「ロックは生き方なんだ」と言っていますが、1976年から1984年の山口冨士夫の活動もまさにその言葉どおりだと思いました。そして、山口冨士夫という才能のある人に多くの人たちが集まっていったことがわかりました。

 1985年以降の「情報誌シティロードと山口冨士夫」については、しばらくお休みします。
 いつ再開するか未定ですが、右列「1960年代後半、1970年代前半の日本のロック、山口冨士夫」のカテゴリーをご覧ください。


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2018年07月16日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」O INDEX 第1回〜第15回の分(1976年〜1984年)




 猛暑が続いております。水害の日にカメラを落として壊してしまい、頭が真っ白になりました。カメラ一つでもこれだけのショックだと思うと、被災地の水害を受けられた方に心よりお見舞い申し上げます。

 3月から始めた「山口冨士夫と情報誌シティロード」も4か月になります。今までを振り返ろうと思ったのですが、時系列の順番が入り組んでしまいましたので、今回はまずINDEXを作ってみようと思いました。



第1回(3月17日) 1983年1月号〜6月号  
   → 山口冨士夫バンド復活  
                                
第2回(3月21日) 1983年7月号〜12月号 
   → 山口冨士夫バンド好調

第3回(3月28日) 1984年1月号〜6月号 
   → タンブリングダウンに改名(5月)

第4回(4月5日) 1984年7月・8月号 
   → タンブリングダイスに改名

第5回(4月11日) 1984年9月・10月号 
   → タンブリングスに改名

第6回(4月17日) 1984年11月・12月号 
   → 活動停止

第7回(4月25日) 1980年8月・9月号  
   → 裸のラリーズでライブを再開

第8回(5月2日) 1980年10月号〜1981年3月号 
   → 裸のラリーズを脱退

第9回(5月11日) 1976年と1977年の「ぴあ」 
   → リゾート(ルイズルイス加部)

第10回(5月16日) 1978年の「ぴあ」
   → セッション活動(福生)
       +1974年の「Music Life」 

第11回(5月25日) 1979年の「ぴあ」 
   → 村八分再結成(京都)
       +1971年・1973年の「ニューミュージックマガジン」

第12回(6月4日) 1981年4月号〜12月号
   → 活動停止期(裸のラリーズ脱退後)

第13回(6月13日) 1982年1月号〜6月号
   → 活動停止期

第14回(6月20日) 1982年7月号〜12月号
   → 活動再開(11月から)

第15回(6月28日)「ぴあ」1980年1月号〜7月号
   → 裸のラリーズでセッション



 【時系列で並べ直すと以下のようになります】



第9回 (5月11日)  → 1976年 リゾート
第10回(5月16日)  →   セッション活動(福生)
第11回(5月25日)  → 1979年 村八分再結成(京都)
第15回(6月28日)  → 1980年 裸のラリーズ加入
第7回 (4月25日)  →   裸のラリーズでライブ
第8回 (5月2日)   → 1981年 裸のラリーズ脱退
第12回(6月4日)  →   活動停止期
第13回(6月13日)  →   活動停止期
第14回(6月20日)  → 1982年11月から活動再開
第1回 (3月17日)  → 1983年山口冨士夫バンド復活
第2回 (3月21日)  →   山口冨士夫バンド好調
第3回 (3月28日)  →   タンブリングダウンに改名
第4回 (4月5日)   →   タンブリングダイスに改名
第5回 (4月11日)  →   タンブリングスに改名
第6回 (4月17日)  → 1984年12月から活動停止


 
 次回は、4か月間「シティロード」「ぴあ」「ニューミュージックマガジン」「Music Life」などの資料を読み返し、1976年から1984年までの山口冨士夫の活動について感じたことを書こうと思います。


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