2018年06月28日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」N「ぴあ」1980年1月18日号〜7月18日号

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「ぴあ」1980年1月18日号〜7月18日号にも山口冨士夫の名前はみつからない。
「シティロード」8月号(「ぴあ」8月15日号)の8月14日屋根裏の裸のラリーズで復活。


今日の1曲

 Paul McCartney & Wings - My Love 1973年
 Maxophone - I heard a butterfly 1975年
 The Ramones - Blitzkrieg Bop  1976年 

 いよいよ暑くなってきました。PCが壊れる寸前です。山口冨士夫と情報誌「シティロード」の15回目は、ないと思った「ぴあ」の1980年1月号から7月号を発見しました。「1971年〜1984年の振り返り」の予定でしたが、変更します。

 1979年7月の京都での村八分の再結成ライブの後、秋に解散し山口冨士夫は東京に戻ります。そして1980年に裸のラリーズに加入し、その最初のライブは8月14日に屋根裏で行われていますが、「シティロード」に山口冨士夫の名前は出ていません。

 したがって今回も山口冨士夫は出てきませんので、山口冨士夫や村八分に関わったミュージシャンについて振り返ってみます。このころはバイトに明け暮れていたので個人的な思い出もほとんどありません。「ぴあ」はこの頃隔週刊になっています。

 
☆1月18日号

 ・1月7日  新宿ロフト 自殺
 ・1月14日 新宿ロフト シーナ&ロケット
 ・1月16日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・1月18日〜24日 日劇 沢田研二
 ・1月19日〜22日 RCサクセション

 元村八分青木真一のスピードと活動した自殺やサイズがロフトや屋根裏でライブ。青木真一と元自殺、サイズの佐瀬浩平と中島一徳が1981年にフールズを作り、1982年11月22日ライブの山口冨士夫ゲスト出演を機に1987年にTeardropsを結成。


☆2月1日号

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ロックのライブハウスが東京にはロフトと屋根裏しかなかった時代の出演者はユニーク。

 ・1月19日〜22日 屋根裏 RCサクセション
 ・1月21日〜2月2日 ポールマッカートニー&ウイングス 武道館(中止)
 ・1月22日 新宿ロフト サイズ
 ・1月26日 屋根裏 自殺
 ・1月27日 屋根裏 シーナ&ロケット
 ・1月31日 屋根裏 春日博文とThe Uppers(メンバー:忌野清志郎、三上寛)
 ・2月1日  屋根裏 SYZE

 2月1日号の屋根裏の出演者は、2週間のうち8日間が、後に山口冨士夫と共演するメンバーがいるバンド。1966年のビートルズ以来のポールマッカートニー公演は、1973年のローリングストーンズのように中止。

Paul McCartney & Wings - My Love
https://www.youtube.com/watch?v=vx5QxoWCG-I





☆2月15日号
 ・2月9日  屋根裏 シーナ&ロケット
 ・2月11日 新宿ロフト シーナ&ロケット
 ・2月13日 新宿ロフト スマイラー


☆2月29日号
 ・2月18日 屋根裏 連続射殺魔(from京都)
 ・2月28日 新宿ロフト 自殺
 ・2月22日 屋根裏 内田裕也&スマイラー
 ・2月25日 屋根裏 スピード

 1983年に山口冨士夫(後のタンブリングス)のミニアルバム「Ride On」リリースに関わる和田哲郎の連続射殺魔がライブ。元ダイナマイツで1983年元旦に山口冨士夫とKIZUでライブを行う大木啓三のスマイラーは内田裕也とライブ。

☆3月14日号  
 ・3月6日 屋根裏 だててんりゅう

 1979年7月に村八分と共演した京都のだててんりゅうが東京でライブ。
 人気投票「ぴあテン」のコンサート部門でRCサクセションが48位。
 レコード部門の1位は久保田早紀の夢語り(投票者の平均年齢18歳)。

☆3月28日号
 ・3月19日 新宿ロフト フリクション
 ・3月23日 屋根裏 サイズ
 ・3月24日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・3月28日 屋根裏 内田裕也 スマイラー

「So What」によると山口冨士夫は裸のラリーズに加入してから3か月ぐらいはスタジオにこもっていたとあります。3月24日以降、裸のラリーズの次のライブは山口冨士夫が加入した8月14日の屋根裏のライブになります。

☆4月11日号
 ・4月1日〜3日 屋根裏 シーナ&ロケット
 ・4月12日 クロコダイル ジョー山中(予定)800円

 この号から、渋谷に屋根裏に続くロックのライブハウスとしてクロコダイルが登場。
このころは、まだ、東京にはロフト、屋根裏ぐらいしかロックのライブハウスはありませんでした。

☆4月25日号
 ・4月26日 クロコダイル ジョー山中スペシャル 4800円

☆5月9日号 
 ・4月30日 新宿ロフト 自殺

☆5月23日号
 ・5月24日 横浜スタジアム 沢田研二
 ・5月16日 新宿ロフト 自殺
 ・5月14日 屋根裏 内田裕也スマイラー

☆6月6日号
 ・6月5日 新宿ロフト 自殺
 ・6月8日 クロコダイル スマイラー
         屋根裏 自殺

☆7月4日号
 ・6月27日〜29日 西武劇場 ラモーンズVSシーナ&ロケット
 ・7月5日 日比谷野音 単独RCサクセション

 ラモーンズの初来日は初演からシーナ&ロケットとの共演。
 ラッテエミエーレの「受難劇」も放送したFM東京の「スペースフュージョン」は6月28日が最終回。先日逝去したSergio Lattuadaのマクソフォンがラスト。合掌。

The Ramones - Blitzkrieg Bop
https://www.youtube.com/watch?v=TYh1lRR1m6Y
ラモーンズも村八分のようにオリジナルメンバーの4人が亡くなった。

Maxophone - I heard a butterfly 1975
https://www.youtube.com/watch?v=ZmXt1_N2-dk  





☆7月18日号
 ・7月4日 福生Electric Uzu 外道レコード発売記念ライブ
 ・7月22日 渋谷公会堂 萩原健一

 1978年頃にElectric Uzuで山口冨士夫とセッションした元トゥーマッチの青木正行が加納秀人と再結成した外道のニューアルバム。1982年に再び解散。1983年に青木正行は山口冨士夫バンドを結成。加納秀人は2011年に山口冨士夫と「香り」を演奏。


★「シティロード」8月号(※ 山口冨士夫と情報誌「シティロード」の7回目参照)
 ・8月14日 屋根裏 裸のラリーズ [山口冨士夫参加]


 次回、山口冨士夫と情報誌「シティロード」の16回目は、第1回から15回の「1976年(1971年)〜1984年まで」を順番を整理して、まとめて振り返る予定です。


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2018年06月20日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」M1982年7月号〜12月号

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「シティロード」1982年11月号 山口冨士夫が知らずにされたという告知
これをきっかけに18か月ぶりに山口冨士夫が音楽活動を再開


今日の1曲
 Jimi Hendrix / Foxy Lady Jimi Hndrix Concerts 1968年 
 ジャックス / マリアンヌ 1968年
 タイガース(Vo加橋かつみ) / 花の首飾り1968年
 Can / Mother Sky / Deadlock 1970年
 Il Balletto Di Bronzo / Secondo Incontro 1972年
 村八分 / あやつり人形 1972年
 Latte e Miele / Getzemani 1972年
 Iggy & The Stooges / Search And Destroy 1973年
 後藤啓子 / Il tempo di impazzire 1980年
 ABC / ルックオブラブ1982年
 裸のラリーズ / 造花の原野 1982年10月
 Michael Jackson (Ft. Paul McCartney) The Girl Is Mine 1982
 大貫妙子 / 風の道 1982年
 Joe Yamanaka and The Wailers / Reggae Vibrations 1982年
 前野曜子/ コブラCOBRA 1982年


 今回、山口冨士夫と情報誌「シティロード」第14回は、前回L1982年1月号〜6月号に続いて、7月号〜12月号を振り返ってみます。11月号で山口冨士夫が音楽活動をついに再開し、タンブリングス、Teardropsに繋がっていきます。



☆1982年7月号

 ・7月19日 新宿ロフト 外道(青木正行 → 山口冨士夫バンド)
 ・7月27日 渋谷ライブイン’82 ジョー山中&レゲエバイブレーション
                     LP発売記念ライブ

 インタビューは6月25日にLPを発売したスターリンの遠藤みちろう。チャー坊と同じ1950年生まれ。「客からの嫌悪感や憎悪の方が、ヨカッタ、ヨカッタという日常的な弱い部分で結びつくより確かだった」と語っています。

 「ライブ村八分」の「うるさい!」「文句あるんだったら、ここへ来たら」からの影響も感じられます。渋谷陽一のラジオ「サウンドストリート」で、遠藤ミチロウが当時幻だったジャックスのマリアンヌをかけ、録音できたのは衝撃的で貴重でした。 

ジャックス / マリアンヌ
https://www.youtube.com/watch?v=7-fO14G4Rg0
山口冨士夫「So What」でも裸のラリーズのところで「そういえば、ジャックスっていうのもいたな」と語っている。

 7月16日に加橋かつみ「ファーストコンサート」を厚生年金会館で見る。ダイナマイツの「ゆめがほしい」を作曲したすぎやまこういちがゲストで登場。山口冨士夫は、加橋かつみ、陳信輝とセッションをして加橋かつみから「フジオちゃーん」と言われたとのこと。

 加橋かつみ著「日盛りの街に出て」によると、高校の体育の教師の黒人のハーフの同級生への侮辱的な言葉に怒り、教師を殴って退学になる。定時制高校ではオートバイに凝り、オートバイが故障した瞳みのるに声をかけたのが、タイガースの始まりだった。

 このころ目標を失いディスコに通いました。六本木に行くきっかけになったLP「パリ1969」の加橋かつみと道で遭遇。「あっ」と緊張して固まり「頑張ってください」と言ったら笑っていました。ダンスはこれ以上速いステップを踏めないと思い行かなくなりました。

タイガース / 花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=4ZjUNRTXUnI
加橋かつみがリードボーカルのGS最大のヒット。オリコン8週間1位





☆1982年8月号

 インタビューは1990年に山口冨士夫が参加するRCサクセション。屋根裏からスタートし、8月7日にはヨコハマスタジアムでライブ。山口冨士夫はRCサクセションについて、「村八分からあくを抜いて広めてくれたのが清志郎だ」と語っていました。

 Canのホルガーシューカイのインタビューも掲載。村八分も1972年後半ごろからCanのような曲も演奏していた。1969年にヨーロッパに渡ったヒッピーのダモ鈴木と、アメリカに渡ったチャー坊には共通するものが感じられます。

Can - Mother Sky / Deadlock - Live in Soest, Winter 1970
https://www.youtube.com/watch?v=6w0UnQ2mMQw
村八分が結成された1970年

 8月31日に渋谷TAKE OFF7で久保田早紀のライブを見る。異邦人と1stアルバムの後、会社の方針で明るいポップス路線に変更したが、ヒットが出ず本人もかなり悩んでいた。渋谷「ラ・ママ」も開店し、シャンソン、コント、フュージョンなど幅広いジャンル。

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 レコードレビューでは、元村八分の恒田義見のペグモを「日本の10t」として紹介。ジョー山中+ウェイラーズをボクサー時代のジョー山中がモデルになった「矢吹丈」風のイラスト付きで紹介。パンタのポップ路線には違和感があると評価。


☆1982年9月号

・9月12日 田島ヶ原フリーコンサート ペグモ(ex村八分、四人囃子、安全バンド)  
・9月27日 渋谷Eggman ジョー山中

 ABC / ルックオブラブの一面広告を掲載。ドイツのCan、Kraftwerk、Neu! からの影響はイギリスのSex Pistols、Ultravox、JohnFoxxへと受け継がれ、米国ソウル、Beatlesの伝統と結びついてダンスミュージックへ進化して大きな潮流になる。

ABCルックオブラブ
https://www.youtube.com/watch?v=sW4ytGQiaUc

 もう出尽くしたと言われていたJimi Hndrix のライブ音源2枚組LP Concertsが発売。ものすごい音圧でMixされ、初めてジミヘンに大衝撃を受ける。山口冨士夫は「日本のギタリスト」などでジミヘンは弾けると語っているが音源を聞いたことがない。

Jimi Hendrix – Foxy Lady Jimi Hndrix Concerts live 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=M5RieWR63_k

Fire/Jimi Hendrix
https://www.youtube.com/watch?v=DHB5PnUGBDs


☆1982年10月号

・10月2日 慶應大学日吉 裸のラリーズ
 
 慶應大学日吉で裸のラリーズのライブ。
 聴き比べると、1980年の山口冨士夫の参加によって、同じ曲の「造花の原野」のサウンドが変化していったことがわかります。

裸のラリーズ 造花の原野 1973年 OZ Days liveより
https://www.youtube.com/watch?v=uQFV_2dXpVk&t=309s

裸のラリーズ 造花の原野 1980年8月14日
https://www.youtube.com/watch?v=HOUqOAL-utM
山口冨士夫参加

裸のラリーズ 造花の原野 1982年10月2日
https://www.youtube.com/watch?v=aQ51XRWDnQY&t=140s





 10月25日〜30日にクロコダイルで、1992年に山口冨士夫と京大西部講堂でライブを行う山内テツが、ジャズの近藤等則らとフリージャズのセッション。ライブハウスニュースで、「聴くというよりは「体験」といったほうがよさそう」と紹介。

 10月にPolydorから4月のFaust、Velvet Undergroundに続いてイタリアンプログレッシブコレクションを再発。前例のないリーフレット付きの完全復刻は1985年の「ライブ村八分」の復刻にも影響を与えたと思われます。

Il Balletto Di Bronzo - Secondo Incontro 1972
https://www.youtube.com/watch?v=l_PcallDgdI
2:00〜 1972年の村八分「ライブ三田祭」あやつり人形に通じる緊張感

Latte e Miele Getzemani 1972
https://www.youtube.com/watch?v=7mXLh-fjkv8&index=4&list=PL94gOvpr5yt1o55J1HRIcTYgkGtdSihfW
1972年のヒッピーの聖地京都のような空気を感じさせる映像





 10月に『Thriller』の先行シングルとして、マイケルジャクソンがポール・マッカートニーとのデュエット「The Girl Is Mine」を発表。黒人初のスーパースターと昔からのヒーローBeatlesのポールの共演は、山口冨士夫に刺激を与えたと思います。

The Girl Is Mine - Michael Jackson (Ft. Paul McCartney)
マイケル・ジャクソン&ポール・マッカートニー
https://www.youtube.com/watch?v=Ol-8OaLFME8
ミュージックTVの登場とともにMJの人気が爆発した。


★1982年11月号

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山口冨士夫が復活する11月号の表紙はStevie Wonder。
黒人スターが躍進しフロントに出る時代が始まる。

 ・10月31日 上智大学 外道
 ・11月3日  復活神大ロックフェス Pinkcloud
 ・11月20日 法政大学特設ステージ 前夜祭 シーナ&ロケッツ
 ・11月22日 法政大学ホール 人呼んでオールナイト1300円
         出演:The FOOLS+山口冨士夫
 ・11月28日 屋根裏 Tokyo Raw Power フールズ 

 山口冨士夫「So What」や「天国のひまつぶし」でも書かれている11月22日の法政大学ホールのオールナイトライブ。山口冨士夫が「The FOOLS+山口冨士夫」として「シティロード」に告知され、1年8か月ぶりに音楽活動を再開します。

 これは山口冨士夫が知らないところで「シティロード」に掲載されたとのことですが、フールズも当日まで知らなかったという情報もあります。元村八分の青木真一が、山口冨士夫と一緒に活動したいと思って計画したのではないかとも想像しています。

 村八分は1970年に山口冨士夫と青木真一の東京での出会いから始まり、1971年に青木真一が村八分を脱退して京都から東京に帰る。
 2人が共演するのは実に11年ぶりということになります。

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 11月号の「コンサートピックアップ」欄には「元裸のラリーズのギタリスト、山口冨士夫を迎えたフールズ」と記載。ポピュラークラシック合わせて2ページのindex「や」行にも山口冨士夫が登場。1983年からの「シティロード」の山口冨士夫支援の発端に。
 
 1976年の新宿ロフトに「リゾート・フューチャリング山口冨士夫・ルイズルイス加部」の告知後、私が断続的に持っている「ぴあ」の1977年8月号から1979年12月21日号まで見た範囲では、「山口冨士夫」の名はみつかりませんでした。
 
 また、1980年から裸のラリーズに参加した際も「山口冨士夫」の記載はなし。NMM1973年1月号の小さな「村八分公演決定」の告知から「シティロード」1982年11月号まで、1976年のリゾート以外は「山口冨士夫」の名前は見当たりません。

 したがって約10年間、東京の情報誌に山口冨士夫の情報はほとんどなかったといえます。1983年1月号以降の「シティロード」が、熱い表現で「あの」村八分の「山口冨士夫」と何度も紹介したのは、そのような長い空白期間があったからと思います。

 青木真一のフールズもまた、16か月ぶりの「シティロード」への登場。
 屋根裏で、続けて28日にもIggy & The StoogesのLPタイトルの「Raw Power」というライブをしています。

Iggy & The Stooges - Search And Destroy 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=0vnwSVTOnqQ

Iggy & The Stooges - Search And Destroy (Bowie Mix)
https://www.youtube.com/watch?v=LC9km8qnbOY





 1982年秋の学園祭特集で最も出演したバンドは、ピンククラウド6回、カシオペア5回、 シーナ&ロケッツ5回になっています。シーナ&ロケッツは1984年12月21日の法政大学ホールで山口冨士夫(欠席)と共演。

 再結成外道の最後と思われる上智大学でのライブ。ベースの青木正行は、1978年ごろに福生で山口冨士夫とセッションしPyramidで活動。1979年に福生でもライブをした青木真一と結びついて、翌1983年に3者が山口冨士夫グループを結成します。

 この月に、村八分の2代目ドラマー上原裕のいたシュガーベイブ出身の大貫妙子がLP「クリシェ」を発表し、CMで話題になりヒットします。このLPも半分ぐらいの曲が良曲で、山口冨士夫「ひまつぶし」のような傑作でした。

大貫妙子 / 風の道
https://www.youtube.com/watch?v=5dMVRtz2TcU

 銀巴里では、前年の5月に新宿ロフトで青木真一のフールズと共演した保坂夏子が、共演者を厳選する美輪明宏と11月22日に共演。11月16日は、故村上進、故後藤啓子、階見ルイジが共演。後藤啓子が亡くなっていたことを先日知りました。合掌。

後藤啓子 / Il tempo di impazzire
https://www.youtube.com/watch?v=Xc6EXHUyjX8
ライブハウスに霧がかかるような幻想的な声だった。

 1982年に加橋かつみや銀巴里でたくさんの歌手を見れたこと、1983年から1984年に山口冨士夫とタンブリングスを見れたことは、自分にとって一生の心の財産になりました。感謝しかありません。過去を振り返った時、その思いはますます強くなりました。


☆1982年12月号

・12月25日 クロコダイル  Xmasレゲエナイト
         ジョー山中&レゲエバイブレーション

Joe Yamanaka and The Wailers - Reggae Vibrations 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=cT3Hahsw4GI

ジョー山中&鮎川誠 / Hiroshima
https://www.youtube.com/watch?v=skD8ZRgiE8o
石間秀機が被爆者の著書に感銘を受けて作ったというフラワートラベリンバンドがアンコールで演奏していた曲。

 12月14日に後に裸のラリーズが出演する鹿鳴館で、ペドロ&カプリシャスの初代ボーカル前野曜子のライブ。チャー坊と同様に40代で夭折した伝説のシンガー。この年、名曲アニメソング「コブラ」をリリースしていた。合掌。

前野曜子 コブラCOBRA 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=ryAsyyZfAc8





 次回の15回目の山口冨士夫と情報誌「シティロード」は、時系列が混乱してしまった今までの14回(1970年〜1984年)を整理して振り返りたいと思います。
 1985年以降については、しばらくこの特集はお休みにしようと思っています。


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2018年06月13日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」L1982年1月号〜6月号

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村八分の唯一のシングルレコード「Recorded live」@TVリブヤング1973年2月4日
A面:鼻からちょうちん B面:にげろ


今日の1曲
 ザ・ダイナマイツ / ユメがほしい1968年
 ザ・タイガース / シー・シー・シー 1968年
 Faust / Krautrock 1973年
 村八分 / 鼻からちょうちん 1973年
 Rufus & Chaka Khan - Once You Get Started 1974年
 THIRD WORLD - Try Jah Love 1982年
 ボーイズ・タウン・ギャング/君の瞳に恋してる 1982年
 大瀧詠一 / カナリア諸島  1982年
 Tatsuro Yamashita / Sparkle 1982年



 山口冨士夫と情報誌「シティロード」の13回目は、1982年の1月号から6月号です。

 山口冨士夫「So What」によれば、山口冨士夫は1981年春にギターを燃やして1982年秋までは音楽活動を停止しています。そこで「シティロード」を見ながら山口冨士夫、村八分に関連する人の1982年の動向や思い出について書こうと思います。

 このブログも11年目に入ります。一昨日も明け方が涼しくて風邪をひきそうになったのでお気を付けください。慌てて厚着をして体調を整えました。これからも無理をせず頑張ろうと思います。お時間がありましたらお立ち寄りください。


☆1982年1月号

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 ・1981年12月31日〜1982年1月1日 
      ニューイヤーロックフェスティバル
      出演:沢田研二とExisotics(上原裕Dr元村八分)、ジョー山中など
 
 ・1月23日 クロコダイル ジョー山中&ザ・ジェイ・カンパニー
 ・1月27日 屋根裏 ペグモ(恒田義見ex村八分)

 1979年に京大西部講堂で村八分と共演したジョー山中は、ザ・ジェイ・カンパニーというバンドでクロコダイルに出演。
 ボブ・マーレーの影響でレゲエに移行する直前と思われます。

 1月号は毒舌で人気絶頂のビートたけしのインタビュー。
 後にジョー山中の2006年の自伝本「証」の帯に、ビートたけしは「本物は哀しみを知っている」と献辞を書いていました。

 新宿ロフトではこのころから「暴威」が定期的に出演し、クロコダイルにも登場。5月からBOφWYと改名し、1980年代後半からの第2次バンドブームの先駆け的存在になります。山口冨士夫のTeardropsもその波の中で1989年にメジャーデビューします。


☆1982年2月号

 ・2月14日 屋根裏 外道 (B.青木正行→1983年山口冨士夫バンド)
 ・2月22日 新宿ロフト 外道
 
 1979年に再結成した外道がライブ。翌年ベースの青木正行は山口冨士夫バンド結成に参加。2月号インタビューは、1984年元日のニューイヤーロックフェスティバルに山口冨士夫を招いた内田裕也。ヒット曲がなくてもロックはできると語っています。 

 2月号には、ポリドールがFaustやVelvet Undergroundなどを再発する情報を掲載。1979年からのキングのNew Trollsなどのユーロピアンロックコレクションのシリーズが予想以上のセールスだったため各社が動き出したとのこと。

 これらの動きが1960年代後半から70年代前半のアーカイブの発掘の運動になり、1985年の「ライブ村八分」1973年、山口冨士夫「ひまつぶし」1974年の再発に至ったといえます。2000年には村八分の「鼻からちょうちん」のアナログシングルも出ました。

村八分 / はなからちょうちん  CD「ぶっつぶせ」1971年より
https://www.youtube.com/watch?v=ZGp6GkYkZvk

 1980年代も音楽の商業主義が続く中で、1960、70年代への機運が生まれたと思います。山口冨士夫が1983年4月に復活したときに「60年代後半から70年代の雰囲気で。だってほらみんな表面ばかり舐めてきただろ。もっと深くいこうぜ」と言っていました。

 Faustは、村八分の唯一のシングル「鼻からちょうちん/にげろ」をフジテレビ「リブヤング」で録音した1973年2月4日の翌月にFaust Tapesを49ペンスでVirginから発売。Sex PistolsのジョンライドンもFaust Tapesを買って聞いていました。

Faust / Krautrock 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=cBpqeEC8BMY
VirginのFaustWより。山口冨士夫在籍時の裸のラリーズに通じるサウンド。


1973年2月4日村八分「鼻からちょうちん」ライブ収録


 
 2月新譜では、シュガーベイブ時代に元村八分の上原裕と組んだ山下達郎の「For You」をトップで掲載。SparkleがCMで毎日のように流れていました。野音で石を投げられたというシュガーベイブのころから長きを経て遂にシティーポップとしてブレイク。

Tatsuro Yamashita – Sparkle 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=gQ9pmFMc5oM

山下達郎 Sparkle ライブ映像
https://www.youtube.com/watch?v=irpmZpj0Ez4
山下達郎は最高のサイドギタリストの一人とも呼ばれる。山口冨士夫はCharに「ギターはサイドだよ」と言っていた。


☆1982年3月号

 ・3月1日  屋根裏 ペグモ(恒田義見ex村八分)
 ・3月8日  渋谷Eggman 鮎川誠
 ・3月17日 日本武道館 タイガース 同窓会コンサート
 ・3月21日 大瀧詠一「ロングバケーション」発売

 ライブハウスニュースでは、超目玉として鮎川誠のソロ活動KOOL SOLO LIVEを紹介。エッグマン、シェルガーデン、ルイードの3カ所。このような鮎川誠のソロ活動が1986年の山口冨士夫とのライブインでの共演ライブにつながったと思います。

 ライブインは渋谷初の500人クラスの中箱。「ライブイン‘82」という店名で3月に開店。3月12日のオープンは、野音でかつて山口冨士夫と共演したファンクのつのだひろ。3月15,16日と20日〜22日にはチャカ・カーン。日本でも黒人ファンクが台頭してきた。

Rufus & Chaka Khan - Once You Get Started 1974年
https://www.youtube.com/watch?v=7fgKhuqNtxw

 3月17日には日本武道館で、タイガースの準再結成「同窓会」コンサート。1971年4月に京大西部講堂で村八分と共演したPYGにも在籍した岸部修三も参加。GSの王者タイガースの11年ぶりの復活は大きな話題になり、テレビやCMに多く出演しました。 

ザ・タイガース / シー・シー・シー 1968年7月15日発売
https://www.youtube.com/watch?v=rsZELNxcZFs&index=8&list=RDab_kJtZ6OxY
この6枚目のシングルで初めてA面の作曲がすぎやまこういちから加瀬邦彦へ。

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タイガースのデビューからの5連作を作った「橋本淳作詞、すぎやまこういち作曲」

 ダイナマイツの2枚目のシングル「ユメがほしい」はビクターから1968年3月5日に発売されています。タイガース最大のヒット「花の首飾り/銀河のロマンス」(3月25日発売)と同じく、すぎやまこういちが作曲しました。
 
ダイナマイツ / ユメがほしい 
https://www.youtube.com/watch?v=2Cbf_OwLJTo
 
 「ユメがほしい」はヒットに至らなかったものの良曲で、当時のダイナマイツへの期待がわかります。山口冨士夫がセンターのジャケットもGOOD。「ユメがほしい」は、映画「ケメコの唄」での出演や遊園地でのプロモーション映像があります。 

 3月21日発売の大瀧詠一のLP「ロングバケーション」(はっぴいえんどの松本隆の作詞)が突然大ブレイク。ほとんど無名だった人の音楽が、どこのレコード店でも流れ陳列されているのには驚きました。良い曲が多く内容も良かったです。

 「So What」では、村八分時代に山口冨士夫は青木真一と海ではっぴいえんどを聞いたとあり、「はっぴいえんどの大瀧詠一さんみたいに日本語をはっきり打ち出すのではなく、村八分では言葉を音として捉えようとした」とも言っています。





 1982年は音楽が町や生活に流れていた時代で、活動停止中の山口冨士夫も当時の音楽に全く無縁ではなく、タイガース、沢田研二、上原裕、大瀧詠一の活動を見ていたと思います。1983年の「酔いどれ天使」には「今にみてろよ」という歌詞があります。


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「シティロード」1982年1月号〜6月号にも山口冨士夫の名前はなかった


☆1982年4月号

 「シネマ最前線」で「爆裂都市」を特集。ロッカーズ、ルースターズ主演のパンク的映像の「パワーが凄い」と評価。1979年からのパンクは、過激に進むもの、シンセサイザー、ファンク系などに分かれ、ロッカーズはこの年の12月に解散し、役者に転向します。
 
 1981年3月以降に山口冨士夫の名前が消えたのと同様に、青木真一(元村八分)のフールズも、1981年5月の新宿ロフトでのシャンソンとの共演以後、1982年11月号まで「シティロード」に名前が見当たりません。

 1979年にSpeedで最初期のパンクバンドを始めた青木真一も、このころが転機だったようにも思えます。山下達郎は、3コードのロックンロールの衝動こそ最高の音楽と言いつつも、それだけではいつか行き詰ると述べています。

 1982年11月22日の法政大学ホールのライブで、青木真一がフールズの「ゲスト」として「山口冨士夫」に本人に秘密で「シティロード」に告知したのも、1960年代後半から70年代の村八分の原点に互いに戻りたいという思いがあったのではとも思います。

 新譜情報の黒人音楽のトップでは、黒人ファンクの最高傑作の一つであるKickin backを収録したLTDのラブマジックを紹介。サタデーナイトフィーバーのディスコブーム以降、黒人系ダンスが台頭し、年末にマイケルジャクソンで爆発します。

L T D - Kickin' Back
https://www.youtube.com/watch?v=5QT0GkSHD1A
山口冨士夫のトンネル天国、恋のビート、Ride On!のようにソウルフルな歌


☆1982年5月号

 インタビューは、山口冨士夫「So What」旧版の寄せ書きで「山口冨士夫? そりゃ興味あるわな。村八分のころから。同じエレックレコードだったし」と書いていた泉谷しげる。普段は実験的音楽を聴くという勝新太郎の歌手宣言も印象的で「浮遊の夏」を発表。

 元山口冨士夫リゾートのルイズルイス加部のJL&Cがピンククラウドと改名。
 「シティロード」に「バンドの名前が欲しかった」という広告で、6月5日渋谷公会堂など5カ所のツアーを告知。

 新譜情報の黒人音楽のトップで、サードワールド / ラブアイランドを紹介。最上のレゲエバンドとStevie Wonderの才能が結合。この年の夏に初めてディスコに行き、黒人のように踊りたいと思った私にとって最高の曲の一つでした。

サードワールド / ラブアイランドTHIRD WORLD - Try Jah Love
https://www.youtube.com/watch?v=RPwPQyjOBUs


☆1982年6月号

 ・6月29日 新宿ロフト 外道

 「ライブハウスロッカーズ」では、ファンクの方向を目指す暗黒大陸じゃがたらを紹介。「So What」によれば、じゃがたらの江戸アケミは11月22日に法政大学ホールで楽器を持たずに来た山口冨士夫にギターを貸しています。

 インタビューは今は亡き夏目雅子。渋谷ライブインでは、キングクリムゾンのロバートフリップから「日本の音楽を作れ」と言われ「えんやとっと」というダンス音楽を始めた岡林信康の3daysライブを開催。 

 このころ福生のライブハウスには、1979年のころのように山口冨士夫に関連する青木真一や青木正行などのバンドの名前は出ていません。
 ElectricUZUは、SunshineUZUに改名しています。

 このころ、ボーイズ・タウン・ギャング/君の瞳に恋してるがヒット。今もディスコ音楽の定番ソングのトップになっています。1967年のライチャス・ブラザースのリメイクであり、山口冨士夫も耳にしたと思われます。

ボーイズ・タウン・ギャング/君の瞳に恋してるCan't Take My Eyes off you
https://www.youtube.com/watch?v=TJVvTgEj0VI

 次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」14回目。
 山口冨士夫が11月に活動を再開する1982年7月号〜12月号の「シティロード」を見たいと思います。


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2018年06月04日

ブログ10周年「あしあと」「あしあとU」〜 山口冨士夫と情報誌「シティロード」K 1981年4月号〜12月号


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山口冨士夫の残した作品、楽曲、演奏は世界レベルでみても素晴らしい。


 今年の3月からスタートした特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」は、時系列の順序が入り組んでしまいました。
 当初「山口冨士夫を偲んでU」として1983年のライブの思い出だけ書く予定でした。

 しかし、「シティロード」を振り返るうちに、山口冨士夫が若い頃の自分に与えた影響の大きさや、2013年の山口冨士夫の死で受けたダメージが深かった理由もわかりました。そこでブログの10周年に向け、山口冨士夫をテーマに書いていこうと思いました。

 書いていて山口冨士夫という稀有のミュージシャン、ロックヒーローに出会えたこと、「シティロード」や「ぴあ」への感謝を感じました。過去の心の古傷に触る作業でもありましたが、何かを残したいという意味での前向きな遺書と思うと幸せな気がしました。

 「天国のひまつぶし」でCharが、山口冨士夫のことを生前に認められなかった天才ミュージシャンの一人と語っていますが、日本では山口冨士夫こそ世界レベルでみても最高のロックのミュージシャン、作曲家ではないかという思いを強くしています。


= 山口冨士夫と情報誌「シティロード」K1981年4月号〜12月号 =


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「シティロード」1981年4月号〜12月号


今日の1曲
 Speed, Glue & Shinki(ルイズルイス加部) Run And Hide 1972年
 村上進(元スパイダース)/「カルーソ」Caruso (Lucio Dalla)
 ペグモ(恒田義見ex村八分)/ リトルラブ 1981年
 マイルス・デイビス / ライブ @新宿西口広場 1981年10月4日
 Miles Davis - So What 1959年
 Kraftwerk / Kling Klang 1971年
John Foxx / Systems of Romance 1981年
 沢田研二 / ス・ト・リ・ッ・パ・ー 1981年
             (ドラム:上原裕 ex村八分)
 瀬川洋 & Travelin' Ocean Bluebirds 武蔵野はらっぱ祭り   
           瀬川洋(元ダイナマイツ)上原裕(ドラム)2016年 
 Il Volo / Come una zanzara in Africa 1974年

 山口冨士夫著「So What」によれば、1981年3月23日の屋根裏でのライブを最後に裸のラリーズを脱退した山口冨士夫は、ギターなどを燃やし、一切の音楽活動を停止してしまいます。「オレは、・・・ダメ、だった」と言っています。

 したがって、「シティロード」の1981年4月号から音楽活動を再開する1982年の11月号まで、山口冨士夫の名前は一切みつかりません。今回は1981年4月号から12月号の山口冨士夫周辺の情報や思い出などを振り返りたいと思います。

 山口冨士夫は、裸のラリーズは命がけのアプローチだったと語っています。今回初めて1980年の裸のラリーズの「造花の原野」のライブを聞いたのですが、これほどの集中力で音楽を作ったら一度は燃え尽きてしまうのではないかと思いました。

 山口冨士夫はダイナマイツ時代から海が好きだったと言っており、このころは海によく行っていたようです。1983年8月に江の島で行われたというジョー山中レゲエバイブレーションとの共演ライブは見たかったです。

 

☆1981年4月号

 ・4月8日  新宿ロフト Fool’s day  出演 :Fool’s
 ・4月24日〜26日 Electric Uzuバースデイパーティ 出演:外道
 ・4月3日  平塚レイン チーボー&ベーサイドストリートバンド
 ・4月15日 平塚レイン 陳シンキバンド

 青木真一(元村八分)が、Speedの後にFool’sを結成し、新宿ロフトに出演。
 青木正行も加納秀人と再結成した外道でElectric Uzuに出演。
 青木真一、青木正行は1983年に山口冨士夫バンドを結成。

 60年代から活動する横浜の元パワーハウス(柳ジョージがB.)のVo.チーボーとG.陳信輝が平塚レインで定期的にライブをしています。チーボーはパワーハウスの前に、ルイズルイス加部と「ミッドナイトエクスプレス」を結成していました。

 陳信輝は山口冨士夫とセッションをしたり、スピード・グルー&シンキでは野音で村八分とも共演。1993年の寿町ライブでは、チーボー、陳信輝、ルイズルイス加部、ジョニー吉長が、山口冨士夫の出演の前にMojosとして演奏しました。

Speed, Glue & Shinki - Run And Hide
https://www.youtube.com/watch?v=kwOXVTn7mJc
陳信輝G、ルイズルイス加部B、ジョーイ・スミスVo D

 4月号では、山口冨士夫が1983年4月のライブで「もう死んじゃった奴だけど俺が大好きだった…」と言って「マリアンヌ」をカバーした「フィルモア」のマイク・ブルームフィールドが2月15日に37歳で亡くなったという訃報を掲載しています。

 マイク・ブルームフィールドは、死ぬ直前ほとんど観客のない状態で一人で歌い、大木トオルに「君はイエローで俺はJewだ。俺たちはソウルブラザーだよ」と語り、一緒にレコードを作る予定だったとのこと。(大木トオル「伝説のイエローブルース」より)


☆1981年5月号

 ・5月13日 新宿ロフト フールズvs保坂夏子  
 ・5月14日 新宿ロフト フールズvsブルース

 青木真一のフールズが、新宿ロフトで当時銀巴里専属のシャンソン歌手だった保坂夏子やブルースと共演。シャンソン・カンツォーネとパンクの対バンの告知は見たことがありません。このような企画もロフトの村八分への関心の表れとも思えます。

 私が1982年に銀巴里でウェイターをしたときは保坂夏子は若手で、しますえよしおや村上進などの実力者と共演した普通の印象の歌手でした。ジャニスジョプリンのファンとのことで、どこかで青木真一とつながりがあったのかもしれません。

村上進 /「カルーソ」Caruso (Lucio Dalla)
https://www.youtube.com/watch?v=U40CsMVAtLg
村上進は40代で亡くなったイタリアンポップス(カンツォーネ)の第一人者。
山口冨士夫が中学時代に憧れたスパイダースの初期のボーカルでもあった。
人格者でお兄さんが亡くなった日も力強く歌っていたのを思い出す。

 沢田研二がバックバンドとしてエキゾチックスを結成。
 元村八分、シュガーベイブの上原裕がドラムで参加。
 5月1日に「渚のラブレター」をリリースし、オリコン8位。

☆1981年8月号

 ・8月2日  屋根裏 カルメンマキ&5X
 ・8月13日 屋根裏 ペグモ(恒田義見ex村八分)
 ・8月16日 鹿鳴館 「ロックスペシャル・ザ・ヨコハマ」ルイズルイス加部、Char
        エディ藩(ゴールデンカップス)、野木信一(元パワーハウスd.)
 ・8月18日 屋根裏 裸のラリーズ

 シーナ&ロケットの記事が印象的。
 鮎川誠は、「頭」でビートを作るYMOとの作業で方向性を明確にできなかったために、体の「ビート」の充電のためにブルースセッションなどの単独行動に出ていたそうです。

 レポートによれば、鮎川誠の行動が6月27日の久保講堂での「九州ビート集結コンサート」で充実した結果になってあらわれていたとのことでした。雌伏期にアマチュアなどともセッションをした山口冨士夫に通じるものがあります。

 「ライブハウスニュース」では、8月16日鹿鳴館での「ロックスペシャル・ザ・ヨコハマ」を紹介。山口冨士夫とのリゾートの解散後、ルイズルイス加部はCharとJL&Cで成功していましたが、やはりセッション活動を大事にしていたことがわかります。

 屋根裏では、山口冨士夫が3月に脱退した裸のラリーズがライブを再開。恒田義見(元村八分)の新バンド「ペグモ」は、岡井大二・坂下秀美というニューロックを代表した四人囃子のメンバーも加わり、シンセポップへの時代の変化を感じさせます。

 OZを解散した後のカルメンマキも、この5Xのころが一番方向性が苦しかったとのことです。屋根裏の昼の部では、ELPの影響を受けた小室哲哉&STAYが定期的にライブを開始しています。

ペグモ(恒田義見ex村八分、岡井大二・坂下秀美ex四人囃子)/ リトルラブ
https://www.youtube.com/watch?v=x_alQWvdOUc
実力者たちによる深い味わいの美しいシンセポップ。和的要素もある。
この後、恒田義見は和太鼓の世界へ


☆1981年9月号

 クラフトワークのインタビューを掲載。彼らが10年前トマトをぶつけられて演奏したシンセサイザーを今は中学生が演奏。「YMOのようなバンドが人気を得るということは僕たちのしてきたことが認められたということでもあり、自信がついた」と語っています。
 
Kraftwerk / Kling Klang 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=MXnjC3w6v60
村八分が「くたびれて」の後、カントにドラムが変わったころの録音。Kraftwerkは「我々は音響上のバーダー・マインホフ・グループ(過激政治組織)だ」と言っていた。

 山口冨士夫もブライアン・イーノに関心をもっていました。特に東芝からメジャーデビュー後のTeardropsが、時代のサウンドに対応して若い世代に受け入れられたのも山口冨士夫のシンセポップ等に対する理解があったからではないかと思います。

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元村八分出身では最もテレビに出演した上原裕が在籍したEXOTICS

 9月21日に沢田研二が、「JULIE & EXOTICS」として自ら作曲した「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」をリリースします。レコードジャケットにも元村八分の上原裕などのメンバーを出しロックバンド指向を打ち出しました。

沢田研二 ス・ト・リ・ッ・パ・ー 1981年ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=0LEXckET_fQ
日本テレビ「歌のベストテン」6位。上原裕のドラムとともに圧倒的なパフォーマンス。
元ライバル堺正章(exスパイダース)もバンドサウンドに敬服しているように見える。


☆1981年10月号

 ・10月2日〜4日 新宿西口広場 マイルス・デイビス
 ・10月14日 屋根裏 ペグモ(恒田義見)

 山口冨士夫が著書「So What」のタイトルにも使った復活マイルス・デイビスの来日公演が行われました。伝説的なパフォーマンスは賛否両論の的に。
 山口冨士夫の1982年の復活にも大きな影響を与えたと思われます。

Miles Davis - So What
https://www.youtube.com/watch?v=zqNTltOGh5c
1991年11月号のニューミュージックマガジンで、裸のラリーズの水谷孝もマイルス・デイビスやジョンコルトレーンから影響を受けたと語っている。

マイルス・デイビス 新宿西口広場 1981年10月4日
Miles Davis - Live in Tokyo, October 4, 1981 
https://www.youtube.com/watch?v=q5pTORxHcr8
レーザー光線も使った伝説のライブ

 1981年には、1974年のイタリアのIL VOLOの1stがキングから再発。これも1974年の山口冨士夫「ひまつぶし」のように捨て曲のない名盤。村八分がイギリス進出を目指したようにIl Voloも世界進出を目指して結成された。

IL VOLO / Come una zanzara in Africa 1974
https://www.youtube.com/watch?v=5CtFlLsSqsI&list=PLC6447C3BDA2D4CA7
1974年当時世界最高レベルのバンドの一つ


☆1981年11月号

 ・11月17日 屋根裏 ペグモ(恒田義見)

 11月号ではジョンフォックスの1面インタビュー。ジョンフォックスの作ったUltravoxは時代に早すぎたため、皮肉にも彼が脱退した後にブレイクする。ソロアルバムThe Gardenは、山口冨士夫「ひまつぶし」のように捨て曲がなくバラエティーに富む名盤。

John Foxx - Europe After The Rain
https://www.youtube.com/watch?v=DFjkOWigb-M

John Foxx / Systems of Romance 
https://www.youtube.com/watch?v=I7e2tsabigs
1972年村八分「ライブ三田祭」のあやつり人形をElectricにしたような印象を受ける

 
☆1981年12月号

 ・12月16日 クロコダイル Fen-Child(瀬川洋 元ダイナマイツリーダー)
 ・12月17日 クロコダイル Chibo(元パワーハウス) 
 ・12月21日 クロコダイル スマイラー(大木啓三 元ダイナマイツ)
 ・12月23日 クロコダイル Rockers vsバトルズ(ルースターズ)
 ・12月21日 クロコダイル Joe山中 One nite stand
 ・12月19日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・12月30日 屋根裏 外道(青木正行 → 山口冨士夫タンブリングス)
 ・12月31日 渋谷ハチ公前 10時
         「大道芸人渋谷街頭興行 ストリート・ライブ・イン渋谷」
          出演:ヒカシュー、裸のラリーズ、山海塾他

 1978年のSex Pistols以降、パンクによってライブハウスが増えます。中でも、山口冨士夫が1983年以後に拠点とするクロコダイルのブッキングの充実が目立ちます。山口冨士夫が在籍したダイナマイツからは瀬川洋、大木啓三が出演。

 大木啓三は、1983年元日にクロコダイルで山口冨士夫とKIZUを結成。
 鮎川誠のシーナ&ロケッツが先達となった「九州めんたいビート」の「ロッカーズ対ルースターズ」のライブ企画も行われています。

瀬川洋 & Travelin' Ocean Bluebirds 武蔵野はらっぱ祭り 2016-11-05
https://www.youtube.com/watch?v=ETtkNUh5Dzo&t=530s
山口冨士夫が、彼ほど歌が上手い人はいないと言った瀬川洋、上原裕の演奏はいまだに衰えない。安心して聴けて元気が出てくる。


 次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」13回目。
 山口冨士夫が活動を再開する1982年の「シティロード」を見たいと思います。


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〜 ブログ10周年「あしあと」「あしあとU」 〜

 ご覧いただきありがとうございます。
 おかげさまで、6月4日をもちまして、ブログ「あしあと」「あしあとU」は10周年を迎えました。 記事の数は665件なります。 

 2008年6月4日は雨。祖母が死んだ2006年5月ごろから初めて体調が悪化し、遺書代わりとも思いブログをスタート。その後体調回復。5周年の2013年8月の山口冨士夫の死の頃から再び体調悪化。苦しさに耐え切れず2014年1月に本当の遺書を書く。

 2014年8月ごろから徐々に体調回復。祖母、父、親友、キース・エマーソンの死など2015年、2016年と下降線をたどりつつもなんとか体調を維持。
 ブログは、前半の5年に比べ、後半の5年はあっという間だった気がします。

 体調を回復できたのはダンスの力が大きかったです。しかし、もうあの地獄のような状態に戻りたくありません。今までの経験から、体調の維持のために一番大事だと気づいたのは、プラス思考、深呼吸と体幹・柔軟性をつくる運動です。

 過大なストレスやショックがあると精神的に落ち込み、体を動かさなくなります。
 すると、呼吸が浅く、体も硬くなり、酸素や血液の循環が停滞し、猫背になると特に首に集中している神経が長時間圧迫されます。

 それらの結果、体の各所に澱んだ部分ができ、体調が崩れ病気になるのだと思います。精神的に苦しい時こそプラス思考をとり深呼吸や柔軟運動ができるようにすることが大事だと思います。あたりまえのようで、平常時から意識しないと難しいと思います。

 先日も、スキージャンプのレジェンド葛西選手が、ジャンプ前の深呼吸や、日頃から体幹を作り疲れない体を作ることを紹介していて、なるほどと思いました。特にブログを書いているときは意識しようと思っています。

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