2018年03月28日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」B 1984年前半(1月号〜6月号)

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「山口冨士夫のタンブリング・ダウン全開!!」 「シティロード」1984年5月号より
1982年末にウェイターをした美輪明宏の本拠地だった「銀巴里」に高野圭吾など懐かしい歌手が並んでいる


今日の1曲
  山口冨士夫 / 水たまり
 山口冨士夫 / No song
 山口冨士夫 / ひとつ
 村八分 / 水たまり
 アンドレ・ナヴァラ / バッハ無伴奏チェロ 第1曲
 レオ・フェレ / 時の流れに


 特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第3回目は、前回の1983年後半に続いて、1984年前半です。1月号から6月号まで山口冨士夫の出演を当時を振り返りながら辿ってみます。


★「シティロード」1984年1月号

第10回1983-1984ニューイヤーロックフェスに出演した山口冨士夫
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なお、山口冨士夫の漢字表記について、「シティロード」1983年11月号までは、昔のMusic Life、1973年のLP「ライブ村八分」、1983年4月のフライヤーなども「富士夫」となっていた。しかし、この1984年1月号以降は「冨士夫」の表記になっている。


 ・1984年1月1日 「山口冨士夫」 西武PARCO劇場 
       第10回 1983-1984 ニューイヤーロックフェスティバル 
     「山口冨士夫」としてPart5(1984年元日のam3:20~6:35)に出演。
     
 この年は、ニューイヤーロックフェスの最盛期の一つと思います。12月31日のpm0:30から1月1日のpm1:40まで、7つのpartに約50バンドが出演。日本の各ジャンルのトップクラスのバンドが出演しており、内田裕也の力を感じさせます。

 まだ、山口冨士夫がRide Onだけで、メジャーでレコードを出していない時期でした。
 しかし、テレビでは内田裕也もロックレジェンドの復活を祝し、尊敬を込めて「山口冨士夫!」と紹介したのを覚えています。

山口冨士夫 NOSONG ニューイヤーロックフェス
https://www.youtube.com/watch?v=pd8xMpDI_XU
貴重なテレビ出演映像。

「ライドオン!」は4曲全部いい曲で違うリズムでした。NoSongのギターカッティングからサビの歌に入るところもかっこよかった。「なにかひとつ」という詞は「ひまつぶし」の名曲「ひとつ」の「だけどひとつだけ言える」に繋がっているように思えました。

「レコードを作るにも曲がないから”No Song”にした」、「十分な録音時間がない。だったらこんなのは”ひまつぶし”だ」と言って作った曲やLPレコードが名盤になっているのだから凄い才能の人です。


「ライド・オン!」 内田裕也も聞いたのだろうか



 ・1984年1月21日 クロコダイル「山口冨士夫」共演NAM


 「シティロード」1984年1月号では、マルコム・マクラレン初来日のインタビューが素晴らしい。今までSex Pistolsなどのファッションやイメージ戦略の達人のように思っていたが、真面目な人間で、熱狂的なR&R通だった。

 マルコム・マクラレンの一言、一言が鋭い。「ビートは万国共通のものだ」という信念を持つマルコム・マクラレンに村八分や山口冨士夫の「ひまつぶし」を聞かせたらどんな感想を持っただろうか。


マルコム・マクラレンにも聴いてほしい「からかわないで」



 
★「シティロード」1984年2月号

 ・1984年2月17日 クロコダイル 「山口冨士夫」


 「シティロード」1984年2月号では、長谷川和彦監督のインタビューがトップ記事で強烈な印象です。沢田研二主演の「太陽を盗んだ男」で反核団体に抗議されたとき、自分の被爆手帖を見せて説得したと別の記事で読みました。

 バブル崩壊前の1984年の日本では、映画、音楽とも興行的に成功し「シティロード」も活況を呈していました。しかし、「みんなほら、表面ばかり舐めてきただろ。もっと深くいこうぜ!」とライブで言っていた「山口冨士夫」だけが真実を語っている気がしました。


☆「シティロード」1984年3月号
               → 山口冨士夫出演告知なし

 「シティロード」1984年3月号では、ライブ告知はなし。しかし、年に1回行っていた「読者選出ベストテン」が発表され、なんと山口冨士夫が、ユーミン、サザン、松田聖子など歌手、バンドが居並ぶ中で「いきいきミュージシャン」部門で23位に選出されました。


山口冨士夫「いきいきミュージシャン」で23位選出(2回クリックすると写真拡大します)
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 また、「ベストアルバム(国内盤)」部門では、山口冨士夫の4曲入り20cmLP「ライド・オン!」が25位に選出。これも「シティロード」の山口冨士夫プロジェクトの成功であり、ファンとしても非常に嬉しい結果です。

 なお2月号の「シティロード」に「読者選出ベストテン」投票専用のはがきが付いていました。各部門ごとに合計10点を最低3位まで自由に割り振って投票できたので、パンタ、サンハウスなど熱いファンがいるバンドは「シティロード」では上位可能でした。

 このころ、村八分の曲では、「んっ」と「水たまり」だけを演奏していたようです。JamesBrownファンク系の「んっ」と、チャー坊の詞が純粋で美しい「水たまり」は、山口冨士夫のお気に入りだったのでしょう。「水たまり」は、チャー坊が亡き子供のために作った詞と最近知りました。





山口冨士夫 水たまり @京都大学西部講堂
https://www.youtube.com/watch?v=xKgl4cCAv9c
2010年頃? ライブ映像。語るようなギターソロが素晴らしい。


1983年~1986年の山口冨士夫のライブ「水たまり」収録



「ベストアルバム(国内盤)」部門では、山口冨士夫「ライド・オン!」が25位
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☆「シティロード」1984年4月号
          → 山口冨士夫出演告知なし


 4月3日に東京文化会館小ホールのアンドレ・ナヴァラのチェロの独奏会に行きました。バッハの無伴奏チェロの第1曲が名曲です。最前列で見ましたが、山口冨士夫のように職人肌の孤高の演奏家という印象を受けました。

アンドレ・ナヴァラAndré Navarra "Suite No 1 BWV 1007" J.S.Bach
https://www.youtube.com/watch?v=KXEPv-jMya8


★「シティロード」1984年5月号

   
 ・5月11日 屋根裏「タンブリングダウン」(山口冨士夫G 青木真一G 青木正行B 小林秀弥Dr)
 ・5月26日 クロコダイル「タンブリングダウン」(山口冨士夫グループ)」


 1984年5月号では、Indexの「や」行に山口冨士夫がみつかりませんでした。
 しかし、125ページの欄外に大きく写真入りで特集記事が! 
 山下洋輔と並んで。

 「タンブリング・ダウン全開!! 山口冨士夫グループのバンド名が決定した。その名もタンブリングダウン。ダイナマイツ時代からの生き残りは現役バリバリ全開中!!」
 ここでも「シティロード」の山口冨士夫への支援が熱い!

 「タンブリング・ダウン全開!!」の記事の下に1982年末に3か月ほどバイトをした「銀巴里」の告知があります。私の好きだったシャンソン歌手の歌には心があり、チャー坊の「水たまり」や山口冨士夫の「おさらば」に通じるものがありました。

 山口冨士夫のライブを1983年4月に初めて見て感動して追っかけになったのも、シャンソンからの影響があったのかもしれません。シャンソンは、エディット・ピアフ、バルバラ、美輪明宏など、重い境遇の人が多いです。

レオ・フェレ Léo ferré - 時の流れに Avec le temps
https://www.youtube.com/watch?v=aiXcUTTLud4

バルバラ Barbara - 黒い鷲 L'Aigle Noir
https://www.youtube.com/watch?v=2s-JYoGh6Mg

 「タンブリングダウン」のとき、残念ながら私はライブを見ませんでしたが、2回ほどギターの青木真一が欠席したライブがあったとのこと。このときはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのようなサウンドだったそうです。

山口冨士夫 "酔いどれ天使" from Tumbling Down "Vintage Vault vol.4"
https://www.youtube.com/watch?v=D-4JpZwhIG4


「タンブリングダウン」青木真一を欠いた 3人編成のときのレアなライブ



☆「シティロード」1984年6月号
             → 山口冨士夫出演告知なし


 次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第4回目。
 今回の1984年前半に続いて、1984年後半、7月号から12月号までです。


村八分「水たまり」収録 チャー坊の歌も山口冨士夫の咽ぶようなギターも最高だ。




2018年03月25日

桜満開 〜 父の3回忌

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今日の1曲
 ミッチミラー合唱団 Mitch Miller / みんなで歌おう Sing Along
 ブラザーズ・フォア / 花はどこへ行ったの


  今日は父の3回忌がありました。4日前は雪で驚きましたが、幸運にも晴天で、お寺、墓地の周辺が桜満開で絶好の花見日和でした。2年前は父の死後体調を崩して真夏でもコートを着るような状態になりましたが、だいぶ回復しました。

 今日は合唱が好きだった父にちなんだ曲を選んでみました。
 古くて懐かしいメロディーですが、一緒に歌って合唱すると、心が澄んだ生まれ変わったような気持ちになれました。

ミッチミラー合唱団 Mitch Miller / みんなで歌おう Sing Along
https://www.youtube.com/watch?v=GibL8BEQ-fY





ブラザーズ・フォアBrothers Four
/ 花はどこへ行ったのWhere Have All The Flowers Gone
https://www.youtube.com/watch?v=Lt69wGAt7h0




posted by カンカン at 18:37| 神奈川 | Comment(0) | アメリカンポップス American Rock & Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」A 1983年後半(7月号〜12月号)

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山口冨士夫ライブの告知が掲載された情報誌「シティーロード」1983年1月号〜1984年3月号


今日の1曲
 The Beatles(White Album)- Dear Prudence 1968
 POPOL VUH Aguirre pt I 1972
 山口冨士夫 / 酔いどれ天使 1983
 裸のラリーズ(with山口冨士夫) / 造花の原野 1980
  I Can't Stay Long - Ultravox! 1977 /Humania
/John Foxx 1983
沢田研二/ストリッパー ドラム:上原裕=元村八分


 前回に続いて、1983年の情報誌「シティロード」で山口冨士夫の出演告知を探しながら、当時の思い出を振り返ってみました。
 今回は、1983年後半の7月号から12月号までです。


★「シティロード」1983年7月号

 ・7月9日 クロコダイル pm8:00「山口冨士夫」として告知。
 ・7月9日〜10日 法政大学ホール All night in Gakkan 山口冨士夫バンド
       (共演)近藤等則、じゃがたら、山岸潤史、Fools etc 
        → クロコダイルのライブの後に出演。凄いスケジュールだ。
 ・7月16日 クロコダイル Cry for love & peaceという15-16日のイベント
       16日のヘッドライナーとして、「山口冨士夫」が出演
         15日には、元The M、ゴダイゴの浅野孝己が出演
    

 「シティロード」7月号のインタビューは山下達郎。彼はGSにも造詣が深く、シュガーベイブの1975年のドラマーは元村八分の上原ユカリでした。山下達郎がダイナマイツ時代から、山口冨士夫の復活をどう思い、今もどう評価しているのか興味深いです。

 また、7月5日に中野サンプラザで来日ライブを見たPILのジョン・ライドンに原宿の竹下通りで会いました。「シティロード」7月号の裏表紙にサインをもらいました。CharがSex Pistolsを初めて聞いたとき「これって村八分じゃん」と言ったという話があります。

 PILは、アンコールで、ジョン・ライドンが、はっぴのようなものを着てAnarchy in the UKを演奏したことだけ覚えています。村八分の1972年のチャー坊+山口冨士夫の映像は、Sex Pistolsの1977年のジョニーロットンに匹敵するインパクトがあります。

 映画では、7月に、Popol Vuhが映画音楽を担当したヘルツォーク監督の「アギーレ神の怒り」「フィッツカラルド」が2つ公開されています。裸のラリーズが、この年の12月のライブの開始前にPopol Vuhの「アギーレ」を流していました。

POPOL VUH "Aguirre pt I, II, III"
https://www.youtube.com/watch?v=zdeIN3sYcfk





★「シティロード」1983年8月号

 ・8月27日クロコダイル 「山口冨士夫」として告知。

 映画では「フラッシュダンス」が大ヒットして話題になっていました。1年前の1982年の夏に六本木のディスコに週2-3回通っていたのですが、もうディスコに戻る意欲はなく、「山口冨士夫」が私にとって人生の灯台のようになっていました。 


☆「シティロード」1983年9月号
               → 山口冨士夫の記載なし

 このころは、10月に千葉でライブがあったように、東京だけにとどまらず、日本中を精力的にライブ活動で回っていたようです。


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★「シティロード」1983年10月号
 
 ・10月1日 クロコダイル 「山口冨士夫」と告知。共演Boogie Baby
 ・10月9日 千葉ダンシングマザーズ 「山口冨士夫グループ」と告知。

 ・10月10日 裸のラリーズ 鹿鳴館

 手元に裸のラリーズのフライヤーがあるのでおそらく、この日が最初に裸のラリーズを見た日のようです。しかし、鹿鳴館で裸のラリーズを見たのは1984年の10月17日だと記憶しています。やはりこの年の12月24日の法政大学ホールでの裸のラリーズのライブがあまりに凄かったため、それが最初の裸のラリーズ体験だと思えています。
 
 「シティロード」10月号のインタビューは、沢田研二が映画「ときめきに死す」に絞って話しています。沢田研二が山口冨士夫をどう評価していたのかも興味のある所です。GS時代にタイガースとダイナマイツは会っているでしょうし、山口冨士夫は、加橋かつみとセッションをして「フジオちゃーん」と言われたと「クイックジャパン」連載にあります。


Music Life 1971年6月号 
フラワートラベリンバンドSatoriの新譜紹介と山口冨士夫のインタビュー
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 また、1971年3月20日に村八分は沢田研二のPYGと京大西部講堂で共演しています。1971年6月号のMusic Lifeのインタビュー「人間訪問」で、山口冨士夫は「世界で一番すごいのは、ストーンズと村八分だ」と述べています。

 さらに、山口冨士夫はMusic Lifeのインタビューで、好きな日本のバンドとしてPYGをあげ「ちゃんとあれだけの客をのせて、音楽的にもいいと思う」とも述べています。西部講堂でPYGは酷いヤジを受けましたが、山口冨士夫はPYGを認めていたのです。

 沢田研二の1983年のExoticsのドラムは、村八分の2代目ドラマー、山下達郎のシュガーベイブを経た上原”ユカリ”裕でした。日本のロック黎明期に関わった上原裕はExotics解散の後、しばらく活動を停止します。

沢田研二/ストリッパー ドラム:上原裕=元村八分
https://www.youtube.com/watch?v=kTljhurK_z8



★「シティロード」1983年11月号

 ・11月4日 横浜Shel Garden 「山口冨士夫(旧村八分)」として告知。
    チャージは1800円で一番高いランク。
    このころ、元パワーハウスのChiboの活動も活発で「シティロード」に頻出。

 11月7日か8日にJohn Foxxを中野サンプラザで見る。ダンスアルバム「Garden」は山口冨士夫の「ひまつぶし」のように良曲ばかりの素晴らしいLPだったが、Golden Sectionは精彩を欠いた。UltravoxのI can’t stay longが聞けたのはよかった。

I Can't Stay Long - Ultravox! 1977 /Humania /John Foxx 1983
https://www.youtube.com/watch?v=OpmNo78xMts


 11月12日に慶應日吉で沢田研二が初めて大学の学園祭に出演しています。また、前年1982年10月に日吉で裸のラリーズのライブがありました。裸のラリーズは、頭脳警察がはっぴいえんどの時間枠をジャックした1971年の慶應三田祭に出演しました。


1983年当時のミニコミ誌での山口冨士夫の記事
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ライブを見た人でも「よかった」「あれは化石だ」という意見があるとのこと。
山口冨士夫「村八分のことは、あの2枚組のLPに全部入っている。ただ、聴くだけでなくてシノギを削ってほしいよ」「バレーボールの選手はストーンズのように続けられないだろ。でも俺たちはまだできるんだよ。やる気だけ。それが絶対条件」


★「シティロード」1983年12月号
  (※12月号はみつからなかったため、他にもライブがあった可能性があります)

 ・12月23日 山口冨士夫 法政大学ホール
 ・12月24日 裸のラリーズ 法政大学ホール

 満を期して、山口冨士夫が登場。
 しかも、クリスマスの23、24日に裸のラリーズと名前が並んでいた。なぜ、山口冨士夫と裸のラリーズが並んでいるのか?という時点で興味深々だった。

・1983年12月23日 山口冨士夫 法政大学ホール
          
 今までの人生で一番感動したライブの一つ。
 ビートルズの「Dear Prudence」のイントロが聞こえたとき、本当に時間が止まって体が動かなくなるような感動があった。数あるビートルズの曲の中で、4人がなぜ「Dear Prudence」を頭にもってきたのか。地味な曲の一つでありながら、実に心に深く響いてくる。演奏しているのは、村八分と外道とトゥーマッチの元メンバーなのだ。本当にすごいバンドに巡り会えてよかったと思った。
 ホールは、音の広がりが素晴らしく、ステージの下からみる山口冨士夫バンドは躍動感に溢れていた。屋根裏のアットホームな感じもよかったが、ここでは神々しく見えた。
 「酔いどれ天使」が途中でリフになるところで、ゆったりしたスピードにアレンジしていた。村八分の「んっ」もやったと思う。Twist and shoutにぶっ飛ばされた記憶がある。
 
 今日はなんと雪が積もり、最近再び体調が苦しくなりがちなのだが、今も山口冨士夫のCDを聞きながらこれを書いていて、あのクリスマスのときのライブのことを思い出すと勇気づけられる。


The Beatles(White Album)- Dear Prudence
https://www.youtube.com/watch?v=AZDw0uu6UO0





・1983年12月24日(土)裸のラリーズ 法政大学ホール

 今までの人生で一番衝撃を受けたライブの一つ。
 まず、開演時間になってもライブが始まらず1時間ぐらい待ったと思う。その間に1960年代前後のジャズが流れていた。当時コルトレーンなどのジャズにも興味を持ち始めていたので、待たされている感じがしなかった。
 なにより驚いたのは、山口冨士夫が自分より2〜3席前の方に座っていて「水谷君が、、、」と話している声が聞こえたことだった。「ブルース系ロックの山口冨士夫と裸のラリーズがなぜ関係があるのか!?」ライブへの期待も膨らんだ。
 SEが最後の方でPopol VuhのAguirreになり、音が途絶えるとついに轟音のギターが始まった。2時間ぐらい続いたが圧倒された。3日間ぐらいは耳鳴りがした。  
 その日以後、山口冨士夫と裸のラリーズの関係については、「So What」の本が出るまで謎で神秘的であり、両者への関心も相乗効果で大きくなった。


Les Rallizes Denudes (with Fujio Yamaguchi) "Field Of Artificial Flowers"造花の原野 1980年
https://www.youtube.com/watch?v=HOUqOAL-utM





 こうして1983年は終わりました。山口冨士夫と裸のラリーズの1年でした。
 インターネットのない時代に「シティロード」には本当に助けられました。
 関係者の方にはお礼を申し上げたいです。

 次回は、1984年の山口冨士夫と「シティロード」です。
 
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2018年03月17日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」@ 1983年前半(1月号〜6月号)

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1983年の山口冨士夫と裸のラリーズのフライヤー


今日の1曲
 山口冨士夫 / からかわないで
 山口冨士夫 / Rock me
 Museo Rosenbach - Zarathustra (1973)


山口冨士夫 wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%86%A8%E5%A3%AB%E5%A4%AB
山口冨士夫は日本の伝説的ロックギタリスト。
2013年に死去の際には、朝日、毎日(写真付き)、読売等多くの新聞でも報じられた。


 最近、山口冨士夫の遺稿・追悼文集「天国のひまつぶし」を読んで、いろいろな世代の人たちの冨士夫さんに対する思いや、伝説の村八分の存在感を知り、感銘を受けました。また、冨士夫さんのライブ映像に自分が写っているのを発見して感激しました。

 そこで、昔の情報誌「シティロード」を見ながら、冨士夫さんの出演情報を探して、当時のことを回想することにしました。
 今回は、1983年の1月号から6月号までです。


村八分体験、冨士夫体験を聞かせてもらっているような「天国のひまつぶし」



 「シティロード」はインターネットのない時代に「ぴあ」と並ぶ東京の重要な情報誌で、私は1977年から「ぴあ」を、1980年から「シティロード」を購読。主に映画・演劇・絵画を探していましたが、1983年1月号で山口冨士夫を知ったことが大きな転機になりました。

 それまで私は日本のロックに関心がなく、1982年のタイガース再結成と加橋かつみライブに行った程度。1982年暮れに美輪明宏の銀巴里でバイトをして美輪さんの人間的な素晴らしさを知り、歌手を何十人も見ましたが、ロックのライブハウスは未経験でした。


★「シティロード」1983年1月号

 ・1983年1月1日 クロコダイル「新春おめでたデビュー フジオ復活!」KIZU(傷)
    山口冨士夫g.(元村八分)大木啓造vo(元スマイラー)ゲストFools Banzai

「1982年大晦日 サンハウス再結成か」と「1983年元日 山口冨士夫復活“傷”」
ライブ告知。後の山口冨士夫と鮎川誠の共演を予感させる。
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 「シティロード」1983年1月号の「ライブハウス・ニュース」の欄に異様な迫力のある写真(サンハウス)と「サンハウス再結成か」「ギターは当然あの人(鮎川誠のこと)が入り」という記事が目に留まりました。
 
 続いて「あの伝説のグループ村八分の山口冨士夫が元旦にKIZU(傷)を結成し復活ライブ」「村八分LP復刻企画中」いう記事が。「あの」という代名詞が2回も続き、えとせとらレコードで見た高額な「村八分」のLP復刻は、インパクトがありました。

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 この「シティロード」1月号が、山口冨士夫、村八分、サンハウス、ダイナマイツ(大木啓造)、裸のラリーズなどを知るきっかけになりました。


☆「シティロード」1983年2月号
☆「シティロード」1983年3月号
     → いずれも山口冨士夫のライブ告知はなし。


★「シティロード」1983年4月号


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ついにライブハウス情報に「あの山口冨士夫が本格的に始動」の記事が登場

 
 ・1983年4月26日 渋谷屋根裏「山口冨士夫」

 ついに「シティロード」1983年4月号で「山口冨士夫」のライブ告知を発見。初めて山口冨士夫のライブに行きました。ライブを見て、自分が探していたものがここにあったという感銘を受けました。偶然カセットに録音し、何度も繰り返してそれを聞きました。

「1960年代後半から1970年代の乗りで。だってほらみんな、表面ばっかり舐めてきただろ? もっと深くいこうぜ、いっちゃうぞ」  そして 新曲「Rock me」でスタート
「モナ」を大音量で聞いたおかげで、初めて黒人ブルースに興味を持ち、ローリングストーンズは1stアルバムが大好きになりました。
「もう死んじゃった奴だけど、おれが大好きだったマイク・ブルームフィールドをやるから」
「レゲエがやりてえんだ」

 山口冨士夫だけでなくバンド全員が実にマイペースで演奏しながら、音が全然ぶれず、余裕がある佇まい。特に「からかわないで」という曲がよかった。
 それから、山口冨士夫のいわゆる追っかけになっていました。

 手元にある「Ride On発売」ライブツアーのときのフライヤーは、屋根裏でもらったものだと思います。この時点では「山口冨士夫」とだけ記載され、メンバーも紹介されていました。4月は多くのライブハウスを回っています。

 ・1983年4月9日 クロコダイル (スタート)
 ・4月18日 新宿ロフト case of telegraph vol.6 山口冨士夫 ゲスト オートモッド
 ・4月24日 福生UZU 8:30PM開演 (フライヤーのみ。「シティロード」には告知なし)
 ・4月26日 渋谷屋根裏 山口冨士夫
 ・4月30日 横浜シェルガーデン 山口冨士夫(元村八分)

 ライブで「俺、今度レコード出したんだよな。買っても買わなくてもいいけど」と言っていた8インチの4曲入りレコードを五番街で買いました。
 インディーズを買ったのもこれが初めて。

 4曲ともいい曲で、特に「Rock Me」と「酔いどれ天使」(リフはJames BrownのI feel goodか)がいずれも乗りがよく、4月26日の屋根裏でも素晴らしかった。「日本でこんなオリジナル曲を作れるバンドがあるのか!」という驚きで、さらにハマりました。
 

最初に買った20cm4曲入りレコードと同じデザインのCD



★「シティロード」1983年5月号


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5月号は、山口冨士夫のお祭り状態。「ライブハウスロッカーズ53」として山口冨士夫の写真入り記事を掲載。「過剰な期待をしないほうが “聴こえてくるのでは” 」というライターの言葉は的を得ていると思います。

  ・1983年5月4日、5日 新宿ロフト
   「酔いどれ天使たちへ、、、」山口冨士夫Liveパーティ、大物ゲスト続々登場 と告知。

 2日も連続で、その月の「シティロード」のライブハウス情報の中でも、多く字数をとった最もインパクトのある告知のひとつです。


山口冨士夫 Tumblings Live trailer
https://www.youtube.com/watch?v=SHDqto3pjRc
初めて山口冨士夫を見た1983年ごろの屋根裏を思い出す。「んっ」など。


1983年5月5日ロフトでの映像を収録



 ・1983年5月10日 原宿ルイード「山口冨士夫」 安全地帯が対バン!

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 そして、5月10日には、JPOPの殿堂だったルイードで、なんと安全地帯(あんぜんバンドではない)と共演!? 安全地帯もこの年末に「ワインレッドの心」でブレイクするまではたいへんな苦労があったようです。

 ・1983年5月14日 クロコダイル「山口冨士夫」

 ・1983年5月22日 法政大学ホール「山口冨士夫コンサート」14時30分 
          ゲストFools 妹尾隆一郎 500円


 赤ペンで大きく「5月22日 山口冨士夫」と書かれたページがあります。
 ところが、この日のライブの記憶があまりありません。たぶん行ったと思うのですが。。。おそらく、この年の12月23日の同じ法政大学ホールでのライブがあまりに素晴らしかったので、印象が薄いのではないかと思います。

 ・1983年5月28日 屋根裏「山口冨士夫」

 このころの「シティロード」を見直すと、伝説の「村八分」を見たロック世代の人たちが一丸となって、何としてでも山口冨士夫復活を盛り上げようとしていたのがわかりました。

 また、このころ神保町のジャニスで山口冨士夫の「ひまつぶし」を借り、ビートルズの「ラバーソウル」に匹敵するような良い曲がそろっていて驚きました。「ひまつぶし」は私にとって「良い」レコードの代名詞になりました。





  他のメンバーも「外道」「トゥーマッチ」など、日本の伝説のバンドの元メンバーだということもわかりました。本物を目指している人たちだというのが改めて伝わってきました。「シティロード」の出る25日がいつも待ち遠しく楽しみになりました。


★「シティロード」1983年6月号

 ・1983年6月4日福生UZU 「山口冨士夫」の告知(チャージ700円)

 話がそれますが、この6月25日にTangerine Dreamが初来日しているのですが、当時は興味がなく行きませんでした。ELPなど1970年代前半に魅力的だったバンドはほとんど商業的なバンドになり、1982年以降のKing Crimsonもわかりませんでした。
 
 それだけに、1960年代後半から1970年代前半にこだわる山口冨士夫に魅力と希望を感じていたのだと思います。この1983年に日本で世界で最初に再発されたイタリアのバンドMuseo Rosenbachも、村八分と同じく1973年の傑作でした。


Museo Rosenbach - Zarathustra (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=hqZZwrc-BNM&t=5s
「ライブ村八分」と同格のインパクトを受けた「ムセオ・ローゼンバッハ」
2:35〜、ラスト2分が強烈


 次回は、1983年後半の山口冨士夫と「シティロード」7月号〜12月号です。


タンブリングス結成の経緯も書かれている本


1月号
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5月号
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2018年03月11日

再発見・NHK「みんなのうた」隠れた名曲 君のいる惑星(ほし)

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今日の1曲
 西田ひかる Hikaru Nishida / 君のいる惑星(ほし)


 30年ぐらい前に偶然ラジオで録音した西田ひかるのいい曲がありました。メロディー、シンセサイザーが当時のイタリアンポップスのようでした。ドラムも弾む感じで、やや不安定な感じの歌が逆に宇宙に浮遊するようで癒され、なんども繰り返し聴いていました。

 曲名が長年疑問でしたが、最近やっと判明。NHK「みんなのうた」の曲で、シングルLittle ChanceのB面だったためわからなかった。作詞は売野雅勇、作曲は林哲司、編曲は新川博と、ビートルズの影響を受けた作家たち。特に林哲司は好きです。

西田ひかる Hikaru Nishida / 君のいる惑星(ほし)1988年
https://www.youtube.com/watch?v=wc2cwx8_Mw4
途中で転調したり難しい歌だが、頑張っているところが初々しい。





 スネアの音は伝説のドラマー青山純だろうか、山下達郎サウンドを軽くしたようでとても気持ちいい。ギターソロも名演。まさに「惑星」。隠れた名曲だと思います。「日本の編曲家」という本でJPOPが輝いていた時代のアレンジのことが詳しく解明されています。





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2018年03月08日

再びダンスができる喜び James Brown OUT OF SIGHT

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Smashから出たOut of sightの再発盤LPとシングル盤


今日の1曲
 James Brown "Out of Sight" 1964年ライブ
 James Brown "Out of Sight" 1963年オリジナル


 痔の手術が成功しました。これで再びダンスができます。22年前の手術では3週間も入院しました。今回も不安でしたが、結索手術で1日で終わり、22年前に入院中に一緒に生活した「痔主会」の人たちのことなども思い出して久々に涙が出ました。
 再びダンスができるようになって感謝しています。

 1982年に初めて全くの自己流で踊って周りから騒がれました。自分が世界で一番速くステップを踏んでいると思っていました。2〜3か月で限界を感じ、2年以上ディスコに行かなくなりました。

James Brown "Out of Sight" on the TAMI Show
https://www.youtube.com/watch?v=zieXmNwHGYA
TAMIショーの高速ステップ ♩=150

 1985年にJames Brown のOut of SightをTAMI Showのビデオで初めて見る。
 1988年ごろTAMI ShowのJBのダンスの奥深さや様々なステップに気づき、コマ送りにして必死に真似。ステップやターンができると生きている充実感がありました。



 1996年に1回目の手術で痔が治った後、私はEXILEが練習していた場所の反対側でトレーニングをしていました。昨日、久々にその場所で、今回は初めて足のステップの表を作って練習しました。 

 おそらく10代なら10回で覚えるステップも、自分の年齢では100回練習しても、忘れたり、ミスします。それでも、少しでも前に進めると生きている充実感があるのです。これもJames Brownのビデオに出会ったおかげです。

 JBのOut of Sightは、世界初のFunk Musicと言われています。すべての楽器が打楽器の役割を果たし、微妙なリズムのずれによる空白が無限のグルーブ感を作ります。1963年のオリジナルシングルから1964年のTAMI Showの間でも進化をしています。

James Brown - Out of Sight 1963年
https://www.youtube.com/watch?v=3RC6rvwlDeU
こちらは、レコードのまだ遅いテンポのヴァージョン。♩=126



 


ダンスの神様&パパイヤ鈴木 
https://www.youtube.com/watch?v=sEOKPu0_BgA&t=280s
2003年当時、日本で一番上手いストリートダンサーによる素晴らしいダンス。





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2018年03月01日

3月の庭ふたたび Mina canta Lucio

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今年は寒さのため遅れ咲きの梅


今日の1曲
  ルチオ・バティスティLucio Battisti
/ 3月の庭 I giardini di marzo 1972年
  ミーナ MINA / I giardini di marzo 1976年


 3月に入り、いよいよ暖かくなってきました。
 今日は5月上旬の陽気
 とはいえ、寒暖差が10度もあり油断できません。


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 1972年4月発売のシングルLucio Battisti / 3月の庭I giardini di marzoはイタリアで6週間1位。ジャケットの Lucio Battistiの目がベトナム戦争で先の見えない状況を語っています。彼は、つぶやくような内省的な歌い方をします。


Lucio Battisti - 3月の庭I giardini di marzo (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=tID5AHSmto8


3月の庭 I giardini di marzo 歌詞
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1972年のイタリアLPチャートは音楽史上最も充実した期間の一つ
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 次はミーナがベトナム戦争が終わった1975年に発表したLucio Battisti の作品集Mina canta Lucioから 3月の庭 I giardini di marzo。ミーナの最初の個人アーティストのカバー集であり、最高傑作の一枚。ダイナミックなアレンジで堂々と歌います。


MINA / I giardini di marzo
https://www.youtube.com/watch?v=PZsAFjgbwSY