2021年02月28日

追悼RIP  ダニロ・ルスティチDanilo Rustici 〜 オザンナOsanna ・ウーノUno  Al Di Meola級のスーパーギタリスト

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2010年初来日のステッカーが貼られたSuddanceのCD       


今日の1曲
  Osanna / Chiuso Qui 1978年
  Uno / Right Place 1974年
  Uno / Uomo come gli Altri 〜 Uno Nel Tutto
        (英語版ドイツ盤では、Away 〜 Gone)  1974年
 OSANNA / L' Uomo  1971年





オザンナ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8A


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 以前から体調不良が伝えられたOsannaのギタリスト・ダニロ・ルスティチDanilo Rusticiが亡くなりました。若き日のDanilo Rusticiなどの勇姿が見れるOsannaのドキュメンタリー映画Osannaples が完成したところでした。

OSANNA L' Uomo (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=cAWQVkLyv3A&feature=share&fbclid=IwAR0bT569oqrjWnp15U8R9WkaxhOMtjChEpL88yNFrFeHv2gKWaFUL-cknQU
1970年代初頭では極めて斬新で、貴重なカラー映像。イタリアでコンサートを行ったGenesisのPeter GabrielがOsannaの衣装から影響を受けた話は有名。

 Osannaの1st、2nd、3rd、5thとUnoの5枚は、本当に素晴らしくよく聴いたアルバムです。Danilo Rusticiのギターは、メロディアスで力強く一度聴いたら忘れられないフレーズがたくさんあり、今思い返すと自分にとってはイタリアで最高の、また世界的に見ても10指に入るギタリストでした。 

 日本では、まず、バカロフがアレンジしたMilano Calibro9とメロトロンMellotronのPalepoliが大きな話題になり、1979年からのイタリアンロック再発・発掘のきっかけとなりました。

Milano Calibro9のDiffジャケット



 当時素晴らしいと思ったのが、1978年の新譜で、当時日本では未発売でほとんど話題にならなかったSuddanceです。しかしイタリア本国では、1stのL’uomoに続いてイタリアで権威のあるイタリア批評家賞を受賞しています。  

 特にChiuso Quiは、イタリアンプログレッシブロックとナポリ民俗音楽に加えて、当時世界の潮流だったクロスオーバーのテクニックも融合しており、自分にとって1978年の世界最高の楽曲です。

Osanna ☆ Chiuso Qui (1978)
https://www.youtube.com/watch?v=OdCmsPuauFM
4:50から当時のスーパーギタリストAl Di Meola級のギターソロが聴ける。





 また、DaniloとElio Dannaが世界進出を目指した1974年のUnoも全曲捨て曲がない素晴らしいアルバムでした。Osannaの曲はOsannaが作者にクレジットされていましたが、Unoは作曲がDanilo、イタリア語の作詞がElioと明記されており、Osannaの作曲においてDaniloの貢献が大きかったことが伺えます。

 Chiuso QuiもVairetti-Rusticiと明記されており、Daniloの作曲でLino Vairettiの作詞と思われます。

 Unoは結局イギリスで発売されず、New Trolls、Ibis、Latte e mieleと同様に英国進出は果たせませんでした。しかし、Unoはドイツとフランスでは、楽曲の美しさに相乗効果を与えるヒプノシスHipgnosisの素晴らしいDiffジャケットで、全曲英語詞で発売されています。

ドイツ盤Uno ヒプノシスの本でも傑作ジャケットの一つとして掲載。 
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Uno - A-1 Right Place
https://www.youtube.com/watch?v=McxUvlOeE6E
UnoのA面1曲目。Daniloは好きなアーティストとして、同様に世界進出を目指したPFMやVittorio Nocenziを挙げていた。この曲もPFMのRiver of LifeやBancoのLeave me aloneからの影響が感じられる。

Uno - A-3 I Cani E la Volpe
https://www.youtube.com/watch?v=bpwY5NGDVLk
A面の3曲目。憂愁のある歌メロとサックスが素晴らしい。ドイツ盤ではLost and foundのタイトルで英語詞だった。

左:ドイツ盤のラベル 右:長年謎だったシングルは白ジャケプロモ盤だった
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UnoのレコードのB面の1曲目 Uomo come gli Altriと2曲目 Uno nel Tuttoは一連の組曲になっていて、CDの5曲目と6曲目にあたるのですが、曲の区切りがレコードとCDでは異なっています。

レコードではUomo come gli Altriは10:00の大曲、2曲目 Uno nel Tuttoは1:35の小曲ですが、CDではUomo come gli Altriが1:28で、Uno nel Tuttoが10:11に長く区切られています。

Uno -B-1 Uomo come gli Altri(1:28)CD版
https://www.youtube.com/watch?v=jRKVSIiPqP4&list=PLn6IUYFGu6PJzXjqO7muvREpv58yHNu5Y&index=5
フォークタッチの1分半の美しい序曲からの怒涛の展開がが見事。

Uno - B-2 Uno nel Tutto (10:11)CD版
https://www.youtube.com/watch?v=SMCPVjfo1DM&list=PLn6IUYFGu6PJzXjqO7muvREpv58yHNu5Y&index=6
小曲から途切れなく繋がる10分の大曲。4:00から、弟のCorrado Rusuticiによれば当時キーボードの方に関心を持っていたというDaniloのMellotron的な音とシンセサイザーの空間の拡がりが素晴らしい。7:00の歌から転調し8:30までのパートが本アルバムの最大の山で、イタリア盤でもドイツ盤でも英語で歌われているが、いずれもこの部分の歌詞がジャケットでは伏されている。 

UNO - B-1 Away (10:00) 英語版 ドイツ盤
https://www.youtube.com/watch?v=wEc_SzvWd1s
Unoのドイツ盤のB面は、B-1とB-2が両曲すべて英語で、Away (Uomo come gli Altri)とGone(Uno nel Tutto)というタイトル。


英語版歌詞 B-1 Away 〜 B-2 Gone
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Uno - B-3 Goodbye Friend (1974)
https://www.youtube.com/watch?v=uT_o615IT1k&list=PLn6IUYFGu6PJzXjqO7muvREpv58yHNu5Y&index=7
B面最後を飾る曲。Pink Floyd「狂気」の「虚空のスキャット」のLiza Strikeがボーカル。Unoの詞にはPalepoliの後に分裂したOsannaのメンバー間の音楽的葛藤がそのまま表れていた。





 Osannaの他のアルバムも一言では表せない素晴らしい作品ばかりです。
 今回は追悼にあたって、特に思い出深いChiuso QuiとUnoをとりあげました。
 素晴らしい音楽をありがとうございました。RIP Danilo Rustici


Unoの1980年の再発盤LP(上 Danilo Rustici)
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2021年02月16日

ついに発見 1970年「ツーマッチ Too Much 自由広場の若者たち」 〜 村八分を支えたMojo West関連の野外ロックフェスティバルの先駆け

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今日の1曲
 「ツーマッチ Too Much 自由広場の若者たち」1970年
 ヘルプフル・ソウル / ファイア 1969年
 TOO MUCH/Song for My Lady 富田勲編曲 1971年
 Flower Travellin' Band / Louisiana Blues 1970年


 コロナで音楽フェスティバルがほとんど中止となる中、日比谷野音と並び、日本での最初の野外ロックフェスティバルといえる深大寺「ツーマッチToo Much」の1970年の貴重映像がみつかりました。

 「Too Much」は、京都で村八分を支援したMojo Westの木村英輝が東京で主宰したもので、山口冨士夫が著書「So What」で「キーやん(木村氏)に感謝しようぜ」と書いていたことからずっと気になっていました。

木村英輝
http://kyotocf.com/otomachi-chronicle/fuji-odyssey-1/
ローリングストーンズ、ジミヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンなどの出演が予定されていたが中止になった「富士オデッセイ」の日本現地のジェネラル・プロデューサーを任されていたすごい人物だった。





 NHKでは、間章が主宰し村八分も出演予定だった「自由空間」音楽祭も放映しました。保守的なイメージがあるNHKにロックの貴重資料が残っていたのも幸運です。NHK教育ではフラワートラベリンバンドのライブも放送したそうです。


深大寺Too Muchのヘッドライナーだったフラワートラベリンバンド



 深大寺の前、2月の京都での「Too much」イベントにもヘルプフルソウルが出演しており、「ツーマッチ 自由広場の若者たち」の映像ではヘルプフルソウルのジュニ・ラッシュが多くみられます。
 ヘルプフルソウルは、この後、そのToo Muchにバンド名を変えます。

ヘルプフルソウル 1stアルバム 1969年
「妥協を認めないニューロックの新星」と帯に書かれている
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< 当時のニューロック・シーン ・ヘルプフルソウル 〜 Too Much
    ・フラワートラベリンバンド・村八分の動向>

 1969年     The Helpful Soul ヘルプフルソウル
          ‎– ソウルの追求: The Helpful Soul First Album 発売
    5月    チャー坊が渡米
    12月31日 ダイナマイツ解散
 1970年2月28日 京都会館第2ホールイベント「Too Much」
         出演:ヘルプフルソウル、フラワートラベリンバンド
         山口冨士夫がセッションで出演し木村英輝と出会う。
    3月   東京で山口冨士夫と帰国したチャー坊が出会う
    5月   京都で「ななしのごんべ」として村八分が結成
    7月11日 東京 深大寺自由広場イベント「Too Much」
         出演:ヘルプフルソウル、フラワートラベリンバンド
    7月26日 富士急ハイランド
         出演:裸のラリーズ
         (村八分を名乗る前、裸のラリーズ名義で出演)
            フラワートラベリンバンド
    10月   フラワートラベリンバンド / Anywhere 発売
 1971年3月20日 京大西部講堂「Mojo West」
         出演:村八分(ステージデビュー)、PYG
    4月   フラワートラベリンバンド / Satori カナダ日本で発売
    4月11日 日比谷野音 出演:トゥーマッチ、村八分
    4月30日 村八分 / 草臥れて 大阪のスタジオで録音
    7月21日 LP Juni & Too Much「Too Much」発売
  
 
 「ツーマッチ」の放映ではバンドの映像が少ないのは残念ですが、1969年ウッドストックの翌年、日本でロックがまだ新しいころの情熱が伝わるフェスティバルや関係者の雰囲気を知ることができて、本当によかったです。


深大寺Too Muchでのジュニ・ラッシュ(ヘルプフルソウル)
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現代の映像「ツーマッチ 自由広場の若者たち」1970年7月24日放映
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=N7GKC2QT0mQ&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1Brrm4sefNbaQ5YNh9xVLznASmE2uxMAZcQnlnHPANXREWwg0S5O78hUk
0:30「ロックコンサートを通して自分たちの文化を創ろうとする若者たちの記録です」
2:27 木村英輝が、Pink Floyd / Interstellar Overdriveをバックに登場。
5:54  開催に向けて調布警察署で交渉。 警察「ツーマッチとは?」
 木村「政治や宗教といった次元と関係ないところで皆で共通して楽しむために集まろうとしている。英語であまりにも素晴らしすぎるという意味」

9:59 ジョー山中(フラワートラベリンバンド)に見えたが、ジュニー・ラッシュ(ヘルプフルソウル)だろうか。 流れている曲は、Flower Travellin' Band / Louisiana Blues (Muddy Waters cover)
12:05 ひょっとして、ガロの「ボーカル」か? 1969年12月にはミュージカル「ヘアー」に出演していた。ポスター掲載の出演者以外でも飛び入りで参加できたようだ。
13:00 木村英輝だろうか。自身も音楽を楽しんでいるのが素晴らしい。
13:15 ジュニー・ラッシュのアコースティックギターでの歌
17:56 このビデオで一番バンド演奏が長く見られる貴重な場面。
  村八分の初代ドラマー恒田義見が参加する前のブラインド・バードか。
22:25 ジュニー・ラッシュ(ヘルプフルソウル)のバンド演奏。
23:50 Pink Floyd、Tangerine Dreamのような音楽がバックに流れている。 


ヘルプフル・ソウル ファイア 1969
https://www.youtube.com/watch?v=jUPkCkY-TvI




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ジュニー・ラッシュのインタビューを掲載。山口冨士夫とは同じ血が流れているので京都ではずっと交流があったという。



TOO MUCH/トゥーマッチ 日比谷野音 '71
https://www.youtube.com/watch?v=ShFVRiAuCl4
後に山口冨士夫のタンブリングスに1983年に参加する青木正行のベースと小林秀弥のドラムのグルーブがすごい

左:小林秀弥(山口冨士夫タンブリングス) 
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右:青木正行(外道、山口冨士夫タンブリングス)
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TOO MUCH/Song for My Lady
https://www.youtube.com/watch?v=rL7Ah4qTJbQ&list=OLAK5uy_miNpq2xIRWIjHMrrJsT_NiBLOxI6hgA3s
あの富田勲がアレンジを担当したプログレッシブな大曲


オリジナルLPは世界的にも高額で有名



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2021年02月12日

追悼チック・コリアChick Corea 〜 浪漫の騎士 Romantic Warrior

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1976年 浪漫の騎士 Romantic Warrior


今日の1曲
 Return To Forever - "Medieval Overture" 1976年
 Chick Corea - Spanish Fantasy Pt. II 1977年
 Miles Davis - Spanish Key 1969年


 チック・コリアが亡くなりました。
 クロスオーバー、フュージョンがブームのとき、1976年「浪漫の騎士」のリターン・トゥー・フォーエヴァーは神懸った存在でした。

 そのチームとは

Guitar : Al Di Meola 
Keyboards, Composer, Lyricist, Producer: Chick Corea
Bass:Stanley Clarke
Drums:Lenny White

 プログレッシブロックが下火になったときに現れたこの作品は、ELPのクラシカルロック、Yesのテクニック、Tangerine DreamのSynthesizerなどのプログレの全盛期の要素がすべて詰め込まれ、ジャズのテクニックによって高密度で結晶していました。 

Return To Forever - "Medieval Overture" 浪漫の騎士より
https://www.youtube.com/watch?v=pzFGBOeL0Xk&list=PLRZ1TNTj_p8LgEeRWhATN2OVdD-AUkDA-&index=1
浪漫の騎士の1曲目。まさに驚天動地という感じだった。





 チックコリアは不在でしたが、続く1977年のAl Di Meolaのソロアルバム「エレガントジプシー」のAB面のそれぞれ1曲目も驚愕で、当時のギターヒーローでした。1975年のLenny WhiteのPrince of the seaも素晴らしい。

 1976年には山下ツトムのGoセッションにKlaus Schulze(元Tangerine Dream、Ash Ra Tempel)とAl Di Meolaが参加。ドイツのCosmic MusicとReturn To Foreverがクロスオーバー繋がった。

 チックコリアのソロアルバムでは、FMで放送されエアチャックした1977年の2枚組My Spanish HeartからのSpanish Fantasyを繰り返し聴きました。ここでは、アコースティックピアノと電子キーボードの対峙が素晴らしい。

Chick Corea - Spanish Fantasy Pt. II
https://www.youtube.com/watch?v=QiAi1kfqFN4
凄いドラムだと思っていたが、今回Drums – Steve Gaddと初めて知った。





 マイルスデイビスの死の直後、FMでマイルスの歴史をドラマチックに辿る特集を録音。問題作ビッチェズ・ブリューを初めて聴きました。Spanish Keyは、冒頭から3:25までトランペットとエレクトリックピアノの絡みがカッコいい。
 
Miles Davis - Spanish Key
https://www.youtube.com/watch?v=ibanLlREjTk
Electric Piano – Chick Corea, Joe Zawinul, Larry Young
3:25まで緊張感が凄い。2:39鬼気迫るトランペットとエレピ。百回以上聴いた。





Miles Davis - Live In Rome 1969年 Chick Corea :Piano
https://www.youtube.com/watch?v=H3Xjm-C1VS8
今回偶然みつけたイタリアでの映像。マイルスはクールな印象だが、22:40からの演奏はコルトレーンのようだ。本気を出した時の凄さを思い知らされた。


Miles Davis - Call It Anything - Isle of Wight Festival - August 29, 1970
https://www.youtube.com/watch?v=qyJooHmRcdc
ELPがデビューしたワイト島フェスのマイルスも今回初めて見た。凄い映像が残っていたものだ。ヘッドホンで大音量で聴く。全く異次元の世界の音楽。チックコリアとキースジャレットのダブルエレクトリックピアノ。


 素晴らしい音楽をありがとうございました。
 RIP チックコリアChick Corea


LPを買った記憶がある。輸入盤店渋谷Diskroadを思い出す。



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2021年02月11日

鉄道併走バトルシリーズ3 〜 MANUEL GÖTTSCHING / E2 – E4 LIVE in Japan@<ZERO>幕張エッセ2012 + Echo Waves1975

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Ash Ra Tempel Y Inventions For Electric Guitar 裏ジャケット
Tangerine Dreamが、Phaedraで3人で最先端技術のSynthesizerで作ったミニマルミュージックを、ギター1本の多重録音で作ってしまった。

Inventions For Electric Guitar ジャケットより
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今日の1曲
 快速みえVS近鉄特急アーバンライナー
 京急快特VS JR
 MANUEL GÖTTSCHING - E2-E4 LIVE @ <ZERO>幕張2012
 Ash Ra Tempel – Echo Waves 1975年


 医療従事者の皆様、エッセンシャルワーカーの皆様、ありがとうございます。ステイホームで、鉄道の動画を見ていたところ、併走バトルでスピード感、迫力があるすごくよい映像がみつかったので、2年ぶりに特集を組みました。


京急快特 前面展望
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@快速みえが近鉄特急アーバンライナーを猛追
https://www.youtube.com/watch?v=XLGUpgFEKqs

A京急快特 横浜〜品川 ど迫力の広角前面展望 
https://www.youtube.com/watch?v=C6uV5wEgYao
2:30 JRを一瞬で抜き去る2本目の追い越し


 一昨年の併走バトルシリーズの対抗曲はJames Brownでした。
 今回は、前回のブログで1976年のベスト盤を紹介したMANUEL GÖTTSCHING(Ash Ra Tempel)が、2012年に幕張メッセで来日した際のE2-E4の疾走感、緊張感のあるライブです。

MANUEL GÖTTSCHING Official Website
http://www.ashra.com

MANUEL GÖTTSCHING - E2-E4 LIVE @ FREEDOMMUNE 0<ZERO>
https://www.youtube.com/watch?v=VTvHcHQkxSU
ヘッドホンで大きな音で聴くと会場にいるようだ。1990年ごろ、一度だけ行った伝説のクラブ芝浦Goldで初めてE2-E4を大音量で聴いたときの感動が蘇る。





 もう1曲Manuel Göttschingの対抗曲。ギター1本による画期的なミニマルミュージックで、E2 – E4の7年前に録音されたInventions For Electric Guitar (1974) の疾走感ある素晴らしい曲Echo Waves。

Ash Ra Tempel Manuel Göttsching - Inventions For Electric Guitar (1974) - ''Echo Waves''
https://www.youtube.com/watch?v=ngtHXSFSiOY
40年以上経って評価がどんどん上がっている。5年前に教わったギターの先生もこの作品のディレイが凄いとギタリストの間で話題になっていると話していた。


Ash Ra Tempelの名義が外されるようになったCD。1975年発表の名盤。



 INVENTIONS FOR ELECTRIC GUITARをGongのSteve Hillageなど4名で再現した METAMORPHOSE 2010の映像もみつかりました。2006年、2008年、2010年とMETAMORPHOSEのために来日しましたが、体調などのために行くことができませんでした。Tangerine Dreamの最後の来日も見逃して残念。


Manuel Gottsching – Echo Waves INVENTIONS FOR ELECTRIC GUITAR @ METAMORPHOSE 2010
https://www.youtube.com/watch?v=Um6FOLNniTo&t=245s





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posted by カンカン at 12:25| 神奈川 ☀| Comment(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月06日

癒しのヒーリングミュージック特集 part2 1976年イタリアPDUのPopol VuhとAsh Ra Tempel のBest盤

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Popol Vuhの1976年イタリアPDU(Minaの会社)から出た最初のBest盤。


今日の1曲
  Popol Vuh - Aguirre I (L'acrime di rei) 1972年
  Ash Ra Tempel – Jenseits 1972年
  Ash Ra Tempel – Sunrain 1976年
  Ash Ra Tempel – Ocean of tenderness 1976年
  Popol Vuh – Nicht hoch im Himmel 1972年



★ 癒しのヒーリングミュージック特集 part2 ★

1970年代のドイツ音楽 Popol Vuh  Ash Ra Tempel 
 

 ヒーリングミュージック、ambient musicの先駆者と言えば、ドイツのPopol Vuh、Ash Ra Tempelなどが挙げられます。
 当時は最先端の音楽でしたが、今でも45〜50年前の音楽とは思えません。


PDUのBest盤の裏ジャケット。教会でのライブ録音時の写真を使用。AguirreはA面の1曲目で、パンフルートの部分を除いてフルに収録されている。
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Popol Vuh - Aguirre I (L'acrime di rei) 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=1u7vzaqITMA
Electric music、シンセサイザー時代のAmbientの傑作





Popol Vuh - Nicht hoch im Himmel  1972年
https://www.youtube.com/watch?v=k0xZdwHLngo
シンセサイザーに限界を感じたFlorian FrickeはAcoustic musicに転向。
同じ1972年に、ElectricとAcousticの両方からAmbient musicの先駆的な傑作を生んだのは奇跡的。





Ash Ra Tempel の1976年PDUのBest盤。
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B面1曲目にJenseitsの一部を収録。世界最先端だったDieter DierksスタジオのミキシングルームでのInventions for Electric Guitar制作時の写真を使用。
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Ash Ra Tempel - Jenseits 1972年12月 Tarot録音時に行われたライブ
https://www.youtube.com/watch?v=hXkp9P3xnNU
Klaus Schulze関連の作品の中でも数少ないAmbient系の傑作。





Ash Ra Tempel のPDU1976年ベスト盤のA面1曲目は、1973年の美しい異色作Starring RosiからのFairy Dance、B面のラストは同アルバムからSchizoで、これらもAmbient musicの色彩が強い名曲。
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1976年ベスト盤を編集したRolf Ulrich Kaiserは裏ジャケット に「私はPopol Vuhの音楽を Perlenklänge(真珠の音)、Ash Ra Tempelの音楽をCommunicationと呼ぶ」と記載しており、 KaiserがこれらのグループにAmbient musicの先駆的要素を発見していたとも考えられる。
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Ash Ra Tempel(Ashra) – Sunrain 1976年 映像付き
https://www.youtube.com/watch?v=5lkGs0QEFHM
Ohrとの契約が切れたAsh Ra TempelはフランスRCA傘下のIsadraと契約してNew Age of Earthをリリース。その後Virginと契約し、Ashraとして1977年に世界に向けて再リリースされた

Ash Ra Tempel(Ashra) – Ocean Of Tenderness 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=GiehI0NDubw
New Age of Earthで最もAmbient musicに近い曲。





Popol Vuh, Ash Ra Tempelなど1970年代初頭のクラウトロックの本






posted by カンカン at 16:12| 神奈川 ☀| Comment(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月26日

コロナ対策 ー @マスクありでも感染の危険 ー A手洗いの盲点(例:スマホからの感染) ー B家でもマスク 〜 癒しのヒーリングミュージック特集 part 1 Simply Hypnotic

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 → 帰宅後にスマホの表面を消毒液で拭くことが勧められています。


今日の1曲
  Simply Hypnoticのヒーリング・ミュージック


 緊急事態宣言が出ても、コロナが拡大しています。
 コロナに感染したタレントについて、別のタレントが「あれほど、マスク、手洗いなどに厳重に注意していた人でも感染した」と言っていました。

 もう丸1年もコンサートなどに行っていません。一刻も早くコロナが収束し、コンサートやライブが安心してできる状況に戻ってほしいです。
 最近いくつかの感染対策や情報を知りました。
 

@ 「マスクあり」でも感染するケース

 「マスクあり」でも感染のリスクが高まるというオックスフォード大学の研究結果が、読売新聞で報告されました。
 昨年の3月ころは、マスクの奪い合いでした。マスクさえあれば大丈夫というという感覚がついていたと思います。しかし、現実には、マスクの脇から飛沫は漏れるので、換気のない狭いところに大人数で長時間入れば、浮遊している飛沫を吸い込むリスクは十分あります。


感染リスクの比較   左:「マスクあり」  右:「マスクなし」
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「マスクあり」でも「換気悪い」「密集長時間」では、「マスクなし」と同じ
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咳をした場合、赤い部分は飛沫を防げたが、マスクから漏れる部分もある
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スパコン「富岳」飛沫検証 マスク材質は?教室は?
https://www.youtube.com/watch?v=VfdzPdvKKCU


A 手洗いの盲点(例:スマホからの感染)

・帰宅したら、まず石鹸で手を洗うことにも盲点があります。

・例えば、電車の手すりを握ったときにウイルスが手についたとします。
・その場合でも、帰宅したらすぐに手を洗えば大丈夫に見えます。

・しかし、帰宅までにスマホに触れた場合、スマホにウイルスが付着します。
・帰宅後に手を洗っても、その後にスマホに触れれば手にウイルスが付着。
・その手で顔に触れれば感染の危険が起きます。

・帰宅後に、つり銭などに触れても同様の危険があるでしょう。


スマホから感染する「落とし穴」
スマホ触って感染の可能性 手洗いだけでは意味がない
https://www.youtube.com/watch?v=3Uuw_ht4Ja8
表面がつるつるしたところに着いたウイルスは、2日ぐらい感染力を維持する。


B家でもマスク

 家庭内感染が1番多くなってきたということなので、家の中でも家族と同じ部屋にいるときはマスクを着用するようにしました。 
 最初は違和感がありましたが、慣れてしまうとなにより安心です。
 前述のように「マスクあり」でも危険性が高くならないように、テレビを見るときは家族との距離をとり、同居時間も短くしています。
 

★ 癒しのヒーリングミュージック特集 part1 Simply Hypnotic ★ 
 
     @ Simply Hypnotic 2020年

 SNSで知ったSimply Hypnoticという素晴らしいヒーリングミュージックに最近よく癒されています。
 いろいろな周波数、リズムの曲があり、そのときの気分に応じて、選曲することができるのがとてもいいです。

Simply Hypnotic / 🎧528 Hz 〜 STOP不安と恐怖 〜 心配とストレスのための感情的な癒し
https://www.youtube.com/watch?v=eyieKBpA88w&t=2462s


4Kの美しい自然の動画の付いたアンビエントファンタジーミュージック • リラックス、就寝、瞑想、勉強、ヨガなどに(Reflections)
https://www.youtube.com/watch?v=gZZRFf2v5wQ
動画付きのヒーリングミュージック


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posted by カンカン at 19:22| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月23日

追悼・フィル・スペクター 〜 ビートルズBeatles / レット・イット・ビー Let it be、ジョンレノン / 平和を我等に、ラヴ、イマジン

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フィル・スペクターのプロデュースにより完成したLPレット・イット・ビー


今日の1曲
 LP 「ビートルズ / レット・イット・ビー 」1970年
  Plastic Ono Band – GIVE PEACE A CHANCE 1969年
 ジョン・レノン / マザー Mother 1970年
 ジョン・レノン / ラヴ Love 1970年
 ジョン・レノン / イマジンImagine 1971年
 The Righteous Brothers / You've Lost That Lovin' Feelin'


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”Imagine" Produced by John & Yoko & Phil Spector


 プロデューサーのフィル・スペクターが亡くなりました。ビートルズが、お蔵入りしていた1969年のGet Backセッションのテープをすべて1970年1月にスペクターに渡して、LPレット・イット・ビーが完成したことを、今回改めて知りました。レット・イット・ビーは、初めて自分の少ない小遣いを貯めて買ったLPで、何度も繰り返し聞きました。

 シングルヴァージョンの「レット・イット・ビー」のアレンジはジョージ・マーティン、アルバムヴァージョンの『レット・イット・ビー』のアレンジはフィル・スペクターがプロデュースを手がけ、ギターソロとオーケストラのミックスが大きく異なっています。

 東芝のステレオプレイヤー「ボストン」のコマーシャルを聴いて衝撃を受け、最初に買ったシングル盤が「レット・イット・ビー」でした。次にLPを買った私は、『レット・イット・ビー』のアレンジの違いに再び衝撃を受けました。

The Beatles - Let It Be (Film Outtakes - 31st January 1969 - Take 23)
https://www.youtube.com/watch?v=ToOLuVzMAro
ジョージ・マーティンのヴァージョンは、この映像のサウンドに近い。





The Beatles - Let It Be LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=eOXDt1XvHgY
0:52のハイハットのディレイから異次元のサウンドになり、1:32のオーケストラに圧倒された。メロトロンのようにも聴こえる。他方、シングルヴァージョンで印象深かったサビでのバックコーラスはかなり除去された。





 ジョンレノンが自身の最高作の一つというアクロス・ザ・ユニヴァースもフィル・スペクターのプロデュースにより、オーケストラとコーラスがオーバー・ダビングされ、夢のような素晴らしい音に拡がっています。

The Beatles - Across The Universe
https://www.youtube.com/watch?v=90M60PzmxEE
この曲もコーラスがメロトロンのように聴こえる。


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「ロング・アンド・ワインディング・ロード」も大好きでシングル盤も買い、こちらはLPと同じ音源でした。素晴らしいアレンジなので、ポール・マッカートニーがスペクターのアレンジとプロデュースに不満だったことを知ったときは驚きました。

The Beatles - The Long And Winding Road
https://www.youtube.com/watch?v=fR4HjTH_fTM

The Beatles Let It Be Naked
https://www.youtube.com/watch?v=naIG0tdXlGw
これがスペクターが手を加える前の原型だった。





〜 ジョンレノンとの関係 〜


 ジョン・レノンとジョージ・ハリスンは散漫なGet Backセッションを短期間にアルバム『レット・イット・ビー』にまとめたスペクターに感銘を受け、ソロ・アルバムのプロデューサーとしました。

 最初のジョンとスペクターの関りは、1969年6月1日録音のレノンのPlastic Ono Bandとしての初ソロ作品「平和を我等に」Give Peace a Chanceに、スペクターがその場にいた報道陣などと一緒にコーラスで参加したことです。

Plastic Ono Band - GIVE PEACE A CHANCE 1969年
https://www.youtube.com/watch?v=C3_0GqPvr4U
ベトナム反戦運動に使われた。音楽が一番影響力を持った時代。





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 今回初めて「ジョンの魂」や「イマジン」のLPもスペクターがプロデュースしていたことを知って驚いています。改めてこれがスペクターサウンドだったのかと思うと、とても感慨深いです。

ジョン・レノン / マザー Mother 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=sPYsMM1FvXs
イントロの鐘の音が印象的。ヨーコのサポートを得て、5歳で父母と生き別れになったジョン自身の心情を歌った。1969年にJames BrownもMother Popcornで、子供には母の愛情が必要だと歌っている。スペクターも10歳のときに父が自殺した。

ジョン・レノン / ラヴ(愛)Love  1970年
https://www.youtube.com/watch?v=7er_xx7Wmg8
フィル・スペクターがピアノを担当。エンディングに付加したピアノが感動的。





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ジョン・レノン / イマジンImagine 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=wARpk54fv8U
Imagineで始まる詞はヨーコの反戦詩から着想を得た。ピアノをダブルで録音したのもヨーコのアイディア。スペクターがニューヨーク・フィルハーモニックによるストリングスアレンジを手掛けた。





 懐かしいジョージ・ハリソンのMy Sweet Load (マイ・スウィート・ロード)もスペクターのプロデュースと知りました。

GEORGE HARRISON / My Sweet Load (マイ・スウィート・ロード)
https://www.youtube.com/watch?v=lQLBb9QSiy0
このころのヒット曲は、ラジオや街や商店で何度も流れていた。

 スペクターサウンドでとても好きなのが、ライチャス・ブラザーズ (The Righteous Brothers) / ふられた気持You've Lost That Lovin' Feelin'です。
 ご自身もビートルズの仕事をしていた時期が充実していたと生前語っていたそうです。フィル・スペクター氏のご冥福をお祈りします。


The Righteous Brothers / You've Lost That Lovin' Feelin'
https://www.youtube.com/watch?v=uOnYY9Mw2Fg
「20世紀にアメリカのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」のランキングで800万回以上のオンエアで1位。「ライチャス」の名は、黒人から正しいソウルがあると言われたことによる。





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2021年01月16日

発見ラッテ・エ・ミエーレ:@テレビ番組に使用されていたLatte Miele / Pavana 〜 AOriviero LacagninaのProgressive Rockの新刊著書 〜 BLatte Miele 2.0 / Paganini Experience

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Latte MieleのキーボードOriviero LacagninaによるProgressive Rockの本



今日の1曲
  ラッテ・エ・ミエーレ LATTE E MIELE / PAVANA 1976
  LATTE E MIELE / UN MATTINO 1976


1976年に新メンバーで発表したPavanaを既に演奏していた1974年のライブ。
Pavanaの作曲者は脱退したOriviero Lacagnina,Marcello Della Casaだった
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Latte e Miele
https://it.wikipedia.org/wiki/Latte_e_Miele

 イタリアのプログレッシブバンド、Latte e Mieleの曲PAVANAが、イタリア国営放送RAI(日本のNHK)の「明日の農業」という番組のテーマソングとして使用されていたことがわかりました。

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 PAVANA(孔雀)は3rdアルバムAquile e scoiattoliに収録され、2010年の来日の際も演奏していました。来日レポートは2011年05月01日のブログで書いています。PAVANAは何度も聴いた曲ですが、テーマソングとして改めて聴くととても新鮮です。Latte e Mieleの特徴はとにかく美しいメロディーです。

イタリアテレビ番組「Agricoltura domani」 テーマソング
(LATTE E MIELE / PAVANA 1976)
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ztJk9end8&feature=share&fbclid=IwAR1XE0Ka9owew1IYsgZFfJUKqPkHL1UWjZzVZ36eFjcdjmOSPCWRxp-NGxo

Latte e Miele "Pavana" (1976)
https://www.youtube.com/watch?v=vWjfiSXkVNI&t=184s
23分の原曲。プログレが消えてゆく時代の最後の華であり希望だった。

LATTE E MIELE / PAVANA 1976 single version
https://www.youtube.com/watch?v=6EIPhqRt9rE
2分ほどに短縮されたPAVANAのシングル盤B面のヴァージョン

LATTE E MIELE / UN MATTINO 1976
https://www.youtube.com/watch?v=TGnGAQhjQTo
シングルPAVANAのA面。New TrollsのVittorio de Scalzi作曲の隠れた大傑作。

LATTE E MIELE / Opera 21
https://www.youtube.com/watch?v=jnS18nEAW4I
3rdアルバムではこの曲も素晴らしい。ベートーベン原曲をアレンジした曲。ELPのホウダウンからの影響を感じる。2019年にMassimo GoriによるLatte Miele 2.0の新譜Paganini Experienceでは、同じELPのトリロジーの1曲目Endless Enigmaをそのまま引用している。

UN MATTINOをボーナストラックとして収録



 Pavanaの作曲者は、3rdアルバムではBisoという謎の人物がクレジットされていました。しかし、1992年に発売されたCD“LATTE E MIELE - LIVE (1974)”によって、2ndアルバム発売後に脱退したOriviero LacagninaとMarcello Della Casaが作曲者だったことが判明しました。
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LATTE E MIELE - LIVE (1974)
https://www.youtube.com/watch?v=hlV2sNVOLi0
8:20〜 ゲッセマネのMoogが素晴らしい
20:30〜 Pavana


Latte Miele 2.0 / Inno (Paganini Experience)
https://www.youtube.com/watch?v=99HPzPGmlTk&feature=emb_title
Massimo Goriによる2019年Latte Miele 2.0のCDの1曲目。キースエマーソンへのオマージュとして1:00で「Endless Enigma」を演奏している。





 驚いたことにOriviero Lacagninaは、昨年12月に“Suite Rock”というProgressive Rockについての本を共著で出版しました。1970年代 Progressive Rock黄金期のミュージシャンによる本なので、とても興味深いです。

“Suite Rock”に関するOriviero Lacagninaのインタビュー
https://athosenrile.blogspot.com/2021/01/intervista-athos-enrile-e-oliviero.html?fbclid=IwAR1O8qXfKQyY-vdRiV1Et8iXfFvKOXth2ayCP4At6ZiGVvoWKiywQI1HhXg






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2021年01月06日

祝2020年復活!・RDM(Il Rovescio della Medaglia) ~ 袴田さん再審、高裁へ差し戻し

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1978年ごろ、初めて買ったRDMの英語版(1975年)は強烈だった。


今日の1曲
RDM(Il Rovescio della Medaglia)- Contaminazione2.0 2020年
RDM(Il Rovescio della Medaglia)- Contaminazione 1974年
RDM(Il Rovescio della Medaglia)- Giudizio 1971年
Pino Ballarini (RDM) / Alzo un muro elettrico 2020年
RDM(Il Rovescio della Medaglia)- Contamination 1975年


RDMロヴェッショ・デッラ・メダーリャ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%A3



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 イタリアのプログレッシブロックバンドRDM Rovescio della Medagliaロヴェッショ・デッラ・メダーリャが復活し、2020年にContaminazione2.0をリリースしました。

 RDMは1971年から1973年までに3枚のLPを発売し、2013年には奇跡の来日で世界初のオーケストラ入りでの3rdアルバムContaminazioneの再現ライブを行い、2013年5月25日の当ブログでも来日レポートを書きました。

2013年来日Live RDM Rovescio della Medaglia - La Grande Fuga
https://www.youtube.com/watch?v=jIazUjIYSKc
Live in Tokyo 26/04/2013


来日完全収録ライブ



 Contaminazione2.0は、Contaminazioneのイタリアでの2018年のオーケストラ入り再現ライブを収録したもので、CDだけでなくアナログ2枚組LPも発売され、完売したようです。




RDMなどイタリアンプログレッシブが詳しいサイト
Italian prog - The italian music of the 70's - La musica italiana degli anni '70
http://www.italianprog.com/index.htm


イタリアンプログレッシブロックに興味を持った人に最適な書



Rovescio della Medaglia / "Ora non ricordo più"
https://www.youtube.com/watch?v=h5nBWlDoiss
Contaminazione2.0に収録された2018年のオーケストラ入りライブ。

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Il Paese dei Ballochiのキーボードが参加したContaminazione時のRDM
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 そして、2020年になんとEnzo VitaによるContaminazione2.0と同時に、ボーカルのPino Ballariniも自分のプロジェクトでRDMを再演しました。
コロナ禍の中で、この2つは2020年の素晴らしいニュースでした。

2020年live Pino Ballarini (RDM) / Alzo un muro elettrico
https://www.youtube.com/watch?v=9RFTDhfO2Ik
深みと存在感があるボーカル

2019年live RDM (Enzo Vita) Alzo un Muro Elettrico
https://www.youtube.com/watch?v=_foD7o8EfKY
年齢を感じさせない力強いギター

2014年live RDM / Alzo un muro elettrico
https://www.youtube.com/watch?v=LoV5-KvaRDo
オリジナルメンバーEnzo Vita、Pino Ballariniの共演

Contaminazione1974年リリース



Contaminazioneを録音したと思われるRCA ITALIANAのスタジオ
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 RDMの1971年のデビューアルバムLa Bibbia(聖典)にIl Giudizio 判決という曲があります。CDの対訳によると、人類の創造、自然、平和、生命が侵されることに対して判決を下すという内容であり、当時のベトナム戦争に対する痛烈な批判であると解釈できます。また同封された円形リーフレットには、RDMは既存の商業的な音楽に対して挑戦するとも書かれています。


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Enzo Vita RDM Intervista LA BIBBIA
https://www.youtube.com/watch?v=77tM3uqZ_wU
イタリア語がわからなくて残念。LA BIBBIAも今後再演するのだろうか。

Il Rovescio della Medaglia - Il Giudizio 判決 (Live, Piper Club 1974)
https://www.youtube.com/watch?v=_1SEzolqAcA
4:45 Giudizio avrai(判決が下りる)と歌われるLA BIBBIAのハイライト。


RCAのスタジオでライブ録音された1st「聖典」



 RDMは、1975年のインストだけのライブのLPが後にファンによって制作されました。Giudizioは演奏されていないにもかかわらず、タイトルはGiudizio avraiとされており、GiudizioがRDMの重要テーマだったことがわかります。


IL ROVESCIO DELLA MEDAGLIA - ... GIUDIZIO AVRAI (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=I6DYybZyoUA
27:50から聴かれるヘーゲルをテーマにした2ndアルバムIo come ioのNon IoのギターフレーズがRDMの到達点。3rdのContaminazioneはバカロフがメインの作品であり、RDMの核心は、1stと2ndにあるのではないか。


金属のメダルまで再現されたRDMの2ndアルバムIo come io




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〜 袴田さん再審、高裁へ差し戻し 〜 判決が覆される 〜


 こちらは判決を覆す話です。昨年の12月、裁判史上最大の冤罪事件の一つであり、事件を担当した元裁判官までが誤審であると告白した袴田事件判決の再審について、もう一度審理をし直すようにという決定が出ました。

袴田事件 再審認めない決定取り消す 高裁に差し戻し 最高裁 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201223/k10012779771000.html
「1966年の強盗殺人事件で死刑が確定した袴田巌さん(84)の第2次再審請求に対し、最高裁は12月23日までに、裁判のやり直しを認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を差し戻す決定をした。」

 国家権力の誤った判決によって、無実の人が死刑で殺されることほど恐ろしいことはありません。コロナ渦の2020年において、これも暗闇から光が刺すようなニュースでした。


袴田事件の再審請求を動かした映画



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2021年01月01日

新春・祝「ザ・ビートルズ:Get Back」2021年8月27日世界同時劇場公開!

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今日の1曲
Beatles / Let it be
Beatles / Get back


 あけましておめでとうございます。
 どうかよい1年でありますように。
 世界がコロナ渦の中で良い知らせが入りました。

 映画「Beatles / Get back」が8月に公開されます。
 かつての映画「Beatles / Let it be」はまだ全編を見たことがないのですが、ビートルズの解散を前提とした暗い場面を編集したストーリーと聞いています。
 しかし、今回の「Get back」は4人のメンバーが生き生きしている場面を収録した本当に楽しい内容のようです。

 私は初めて自分の小遣いで買ったシングルとLPがLet it beだったので嬉しい限りです。8月が来るのが楽しみです。
 そのころにはコロナがよくなっているといいのですが。


「ザ・ビートルズ:Get Back」先行特別映像|2021年8月27日(金)世界同時劇場公開!
https://www.youtube.com/watch?v=OzW8ZRVD0H8






〜 コロナの怖さは潜伏期間の長さ 〜


 コロナで「マスク、石鹸手洗い、外でもすぐ消毒」という習慣ができ、風邪、インフルエンザをひかなくなったのはプラスでした。特に夏風邪は1か月以上治らず、昔から本当に悩んでいました。しかし、コロナのYoutube映像で、ウイルスが飛沫や手から口に入る経路がわかって、風邪、インフルエンザも予防法がわかりました。

 しかし、手洗い、マスクなどでインフルエンザウイルス感染者は1000分の1に減ったのに、依然コロナウイルスはどんどん増えています。これは、潜伏期間が長くて気づかないからでしょう。「自分たちは全員何日もずっと大丈夫だったから平気だ!」と油断して大声で会食などをしてしまうと怖いです。
 

▲ 風邪:人体潜伏期間1〜7日 多くは2〜3日で発症。
             潜伏期間に移ると治ったころ次の人に発症。

◆ インフルエンザ:人体潜伏期間1〜2日
             すぐ発症して気づくので自主隔離できる
              → 他人に拡散しない          
             40度の発熱でウイルスを退治して1週間で収まる。

★ コロナ:人体潜伏期間 :1〜14日  多くは5~6日でやっと発症。
               → 知らないうちに他人に拡散していく
          
     その間にウイルスは仮面をつけて潜行。
     肺などに深く進行して繁殖すると重症化。
     免疫力のつく食事・生活習慣でウイルス進行・重症化を予防可。


手すり、スマホなどからもウイルスが感染する映像実験
https://www.youtube.com/watch?v=3Uuw_ht4Ja8
     
 家の中でも、食器を使いまわししないようにし始めました。
 コロナ自体は、人体に入らなければ、石鹸水で死ぬのですから、根治は不可能ではありません。

 早く、ワクチン、PCR検査などができるようになるといいですね。





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2020年12月31日

太田裕美+ステージ101 & シングアウト 〜 涙をこえて 2020年

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Fifth Dimension の影響を受けたグルーブ感ある1970年のシングル。合唱曲としても有名。いずみたく作曲


今日の1曲
太田裕美・君と歩いた青春 1981年
NHKステージ101+太田裕美 最終回―涙をこえて 1974年
シングアウト 涙をこえて 1970年
Fifth Dimension
       - Up Up & Away , My Beautiful Balloon 1967年

 今年はたいへんな1年でした。
 今年の最後は来年への希望を込めて、本ブログ2008年6月4日「今日の1曲」の第1曲目を飾った太田裕美さんの別の曲を選びました。

 まずは1982年渋谷Eggmanでのライブです。
 録音がきれいで、カメラアングルもいままで見た太田裕美さんの映像の中で一番素晴らしいと思います。

太田裕美・君と歩いた青春 ライブ 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=joTRExTJC_k
この年にこのEggmanで久保田早紀のライブを見た。

太田裕美「君と歩いた青春」 21thシングル 1981年8月
https://www.youtube.com/watch?v=uvx0zdlePIQ
プロが選んだNo.1編曲家萩田光雄によるシンフォニックなアレンジ





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 驚いたことに、太田裕美さんは、「雨だれ」でデビューする前にNHKの「ステージ101」に出演していました。
 貴重な最終回の映像がありました。

NHKステージ101最終回―涙をこえて 1974年3月31日
https://www.youtube.com/watch?v=RvD6fyzOVmM
太田裕美さんは黄色いユニフォームで活躍


小中学生のころはステージ101の良さがわからなかった。



 そして、ベトナム戦争の時代に平和への思いを込めて作られたシングアウトによる1970年のオリジナルシングル「涙をこえて」は、素晴らしいグルーブ感とハーモニーで、今のような時代に明るい希望を感じさせます。

 どうか来年は良い1年でありますように。

「涙をこえて/シングアウト」
https://www.youtube.com/watch?v=n1co8qz-k8Q


2000年以降急激に注目されたソフトロック。



Fifth Dimension - Up Up & Away , My Beautiful Balloon
https://www.youtube.com/watch?v=HfxqQmWtGNM




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2020年12月25日

追悼なかにし礼 〜 GS名曲集・初の日本語のプログレッシブロック

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初の日本語のプログレッシブロック「エメラルドの伝説」


今日の1曲
なかにし礼作詞・タイガース作品集
なかにし礼作詞・テンプターズ作品集
なかにし礼作詞・ゴールデンカップス作品集


 ついに、作詞家のなかにし礼さんが亡くなりました。2年ぐらい前になかにしさんのテレビを見ました。難病で医師から余命1週間と宣告されたため、残りの時間で最後の作品を作ろうとしたところ生命力が蘇り、もう3年以上も生きているというお話でした。また、戦争が終わり満州から引き上げるとき、最後の列車に自分は乗れたが、満員で乗れずにその場に取り残された人がたくさんいた。あの極寒の地であの人たちは生き残ることはできなかっただろう。今まで話さなかったが、このことはいつか言っておきたかったとのことでした。

なかにし礼 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E7%A4%BC



 なかにしさんの最初の経歴は、客として来ていたシャンソン喫茶の銀巴里でした。仏文科だったためフランスの歌を日本語に翻訳してほしいというアルバイトの依頼を受け、銀巴里店内で作詞家としての力を磨いていったそうです。私が1982年の10月から3か月ほどほぼ毎日ウェイターをしていた頃は、なかにしさんが来店したことはありませんでした。

 私にとって、なかにしさんはシャンソンよりもGSです。1981年に、なかにしさんの作詞の本が、すぎやまこういちさんの作曲法の本と一緒に毎日新聞社から出版されました。なかにしさんの本で一番印象に残ったのは、タイガースの「花の首飾り」の補作とテンプターズの「エメラルドの伝説」の作詞について「どちらもいい夢を見させてもらった」という言葉でした。


 なかにしさんの1969年の最初の著作となる作詞集のタイトルが「エメラルドの伝説」であることからも、筒美京平さんにとってオックスがそうであったように、タイガース、テンプターズなどのGSもなかにし礼さんの理想であり、大きな遺産なのだと思います。

 私にとって、なかにし礼作詞のGSは日本語ロックの最高峰の一群です。
 日米英で活躍した故アラン・メリルも、ライブハウスで見たタイガースなどの実力は、グリニッジビレッジのバンドと同等だったと述べています。
 そこで、私は日本語のロックは以下のようにGSから始まったと思います。


  初の日本語のブリティッシュ系ロック 
    → スパイダース「フリフリ」(1965)    
      ブルーコメッツ「青い瞳」(1966)
  初の日本語のプログレッシブロック(なかにし礼・山上路夫作詞) 
    → タイガース・テンプターズの作品群 (1968-1970)
  初の日本語のサイケデリックロック 
    → ジャックス「マリアンヌ」(1968)
  初の日本語のブルースソウル系ロック(なかにし礼作詞)1968
    → ゴールデンカップス「愛する君に」「もう一度人生を」など
  初の日本語のハードロック → モップス(特に1970東芝以降)
  初の日本語のアメリカ(バッファロー・スプリングフィールド)系ロック
                     → はっぴいえんど(1970)
  初の日本語(ひらがな)のパンクロック → 村八分(1970)
  初の日本語の反体制ロック       → 頭脳警察(1970)



すぎやまこういちの作曲法と同時期に出版されたなかにし礼による日本で最初の作詞法の本



 
 1968年から1970年までの、なかにし礼作詞のGS、タイガース、テンプターズ、ゴールデンカップスの奇跡の作品群を時系列で振り返って、なかにし礼さんを悼みたいと思います。


タイガース The Tigers/花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=Khgh1Fb5E4Y
なかにし礼が補作詞。1968年から始まったオリコンで、8週間連続1位になる。
オーケストラを取り入れた日本初のシンフォニックプログレッシブロック。


タイガースの瞳みのるが「花の首飾り」のルーツを追って作詞の原作者を探す本



「エメラルドの伝説」もオーケストラから始まるシンフォニックプログレッシブロック。コルトレーンのサックス奏法を研究実践していた村井邦彦は、Sus4不協和音のコードを大胆に取り入れた。
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ザ・テンプターズ The Tempters/エメラルドの伝説 The Legend Of Emerald(1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=DfSzKWWWgZM
花の首飾りに続いてオリコンで2週間1位。晩年のショーケンもライブで歌った。


池袋か大井町の名画座で見たテンプターズ主演映画



ザ・ゴールデン・カップス The Golden Cups/愛する君に My Love Only For You (1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=lPreo8o8ubc
ゴールデン・カップスの「長い髪の少女」の次の大ヒットとなった4作目。
ブラスを取り入れた和製ソウルの傑作。内田裕也も称賛した。


ゴールデン・カップスについて最もまとまった本



ザ・テンプターズ The Tempters/純愛 Junai (1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=oblKy_Upskk
テンプターズは、松崎由治作の名曲「おかあさん」を挟んで、再び「エメラルドの伝説」の「なかにしー村井邦彦」黄金コンビ。
イントロはアランフェス協奏曲を引用。詞もなかにし礼の純文学の世界。

THE TEMPTERS テンプターズ 純愛
https://www.youtube.com/watch?v=5o0PO-Cf87Q
超レアな1970年のACBでのライブ音源!
「エメラルドの伝説」もなんとか発掘してほしい。



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ザ・タイガースThe Tigers/美しき愛の掟A Decree Of Love (1969年)
https://www.youtube.com/watch?v=p4uF-X-VfQ0
東京ドームのタイガース公演でもアンコールで演奏された日本語ロックの傑作


帰らなかったケーン - ザ.テンプターズ(萩原健一)
https://www.youtube.com/watch?v=PFUXaxws0_o
かまやつひろし作曲。ショーケンのシャウトが光る。


黒沢進によるグループサウンズ研究本の決定版



もう一度人生を ザ・ゴールデン・カップス
https://www.youtube.com/watch?v=5eC53-F2tcE
傑作のひとつ。ルイズルイス加部の初のブルース・リードギター。


ザ・テンプターズ The Tempters/復活 (1970年)
https://www.youtube.com/watch?v=qN5IHnesU-M
GSブームの最後1970年の大傑作。ともに母子家庭だったというショーケンとヨッチンのハモりが素晴らしい。なかにし礼のGS詞は、フランス純文学に憧れた彼の10代の理想郷だったのだろう。


テンプターズ時代にもふれているショーケンの最後の本







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2020年11月23日

RIP Stefano D'Orazio 〜 イ・プー I Pooh

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Stefano D'Orazioが最初に参加した「ミラノの映像」


今日の1曲
I Pooh - La nostra età difficile 1972年
I Pooh - Noi due nel mondo e nell'anima 1972年
I Pooh - Nascero Con Te 1972年
 ALICE VISCONTI - Io Voglio Vivere 1975年
Over the Rainbow - Voctave A Cappella Cover


 イタリア史上最高の人気バンド、イ・プーのドラマーStefano D'Orazioさんが亡くなりました。コロナに罹り入院していたようです。イタリアでもたくさんの追悼文が出ています。

E' morto Stefano D'Orazio, storico batterista dei Pooh
https://www.quotidiano.net/cronaca/stefano-d-orazio-morto-pooh-1.5689414
Dodiも彼との50年間は兄弟以上の兄弟だったと述べている。

CARLA VISTARINI RICORDA D'ORAZIO
https://www.dagospia.com/rubrica-2/media_e_tv/carla-vistarini-ricorda-39-orazio-39-39-ciao-stefano-anche-tu-ce-252128.htm
作詞家CARLA VISTARINIの思い出


 2020年のブログは、最初の3か月間はコロナへの不安で書く気力が失せてしまいましたが、4月の志村けんさん、アランメリルさんのコロナによる訃報が再開のきっかけになりました。
 志村けんさんが亡くなった衝撃は、コロナ警戒に対するメッセージとなり、自粛期間を乗り越える力になったと思えます。ヨーロッパでも日本でもコロナの第3波が懸念される中でのStefano D'Orazioさんの訃報となりました。

 今年のブログの半分は訃報になりました。しかし訃報を機に、若いころに繰り返し聞いた音楽を聴きなおすと非常に勇気づけられました。故人の作品は永久に生き続けることを実感しました。
 このブログは、2006年の祖母の死と2013年の山口冨士夫の死をきっかけとする病の音楽による回復の記録でもあります。自分の年齢ではかつてヒーローだった人たちが亡くなっていくことが予想され、それへの恐怖も感じていました。
 しかしショーケンの死が認識を変えました。ショーケンは死期を自覚しながら、ファンを心配させないために全く周囲に話しませんでした。死ぬ1年前の「不惑スクラム」という最後のドラマで、ショーケンは中年腹で出演しました。ショーケンも太ったと思ったのですが、それは病気による腹水で、異常な苦痛と戦っていたといいます。ショーケンは死ぬ1週間前に「いい映像を作ってください」と言ってNHKに1年間の個人的に撮影したビデオを渡し、「クローズアップ現代“ショーケン”最期の日々」が放映されたのでした。ショーケンによって、故人が自分の死で家族やファンが病気になることなど望んでいないと強く思うに至りました。2週間前に母の知人が亡くなって、母が精神的に極めて不安定な状態になったのですが、ショーケンから学んだことを話しているうちに元気になってきました。


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LP「ミラノの映像」イタリア盤の内ジャケより


 Stefano D'Orazioさんの死もコロナに対する警鐘と受け止め、改めて故人の音楽を振り返ってみたいと思います。
 イ・プーを初めて聞いたのは1975年ごろ、1972年のLP「ミラノの映像」(Alessandra)でした。その頃はDeep PurpleのようなハードロックやPFMのようなプログレッシブロックが全盛で、イ・プーのようなソフトロックのタイプはロックの中では異質で少数派でした。
 しかし、「ミラノの映像」はシンセサイザーと壮大なオーケストラによる見事なサウンドで、12曲が揃っていてトータル性もある素晴らしい作品でした。
 ボーカルも、Dodyとこのアルバムを最後に脱退して後にサンレモで優勝するRiccardo Fogliの超ハイトーンボイスという最強コンビでした。

 特にA面の1曲目から2曲目の流れが見事で何度も聞きました。このLPだけは、歌詞付きの日本盤とダブルジャケットのイタリア盤も両方持っていました。

I Pooh - La nostra età difficile
https://www.youtube.com/watch?v=AdIrkSWVPhY
A面の1曲目。ベースやドラムもリズムを刻むだけではなく「歌」を構成していて魅了された。本作から加入したStefano D'OrazioのI Poohでの記念すべき1曲目でもある。

I Pooh - Noi due nel mondo e nell'anima 愛のルネッサンス
https://www.youtube.com/watch?v=GmMoWfZi7YA
A面の2曲目。1曲目だけでも素晴らしいのだが、シングルで1位になったこの曲でイントロから圧倒され、1曲目が序曲のような位置づけになる。

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1972年8月5日に1週間1位

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プロモーションLPでも La nostra età difficileと Noi due nel mondo e nell'anima「愛のルネッサンス」が1曲目と2曲目に配置された。


Pooh - Nascero Con Te
https://www.youtube.com/watch?v=WKzwNOMBvog
さらに追い打ちをかけるA面の4曲目。Riccardo Fogliが上のFというロバート・プラント並みのハイトーンで歌う。0:15から3:00まで1972年の貴重な写真がたくさん出てくる。





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イタリアで最も成功したバンド、I POOHの1970年代のLPチャート

 Stefano D'Orazioはアリーチェの1stアルバムで、全曲で作家としてクレジットされています。この作品も「ミラノの映像」と同じArranger - Danilo Vaona, Producer - Giancarlo Lucarielloという黄金コンビで、女性版I Poohともいうべき世界が創出されています。


ALICE VISCONTI - Io Voglio Vivere (I want to live)  1975年
https://www.youtube.com/watch?v=UMa2tbQH23U
(Cristiano Minellono, Brioschi,Stefano D'Orazio )

ALICE VISCONTI - Io Voglio Vivere (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=EbIfOZ-77sw






 2012年のイ・プーの奇跡の来日公演では彼だけ不参加でした。3時間3日連続は体力的に厳しかったのかもしれません。
 2016年の最後のRiccardoも含めた再結成(解散)では素晴らしいドラムスを披露していました。Stefano D'Orazioさんのご冥福をお祈りします。RIP


Pooh - Noi due nel mondo e nell'anima 2016年 Live Video
https://www.youtube.com/watch?v=nWFn1-i6KPQ
Stefano D'Orazioもドラムを叩く入魂のプロモーション・ライブビデオ

Pooh - Chi fermerà la musica (Videoclip)
https://www.youtube.com/watch?v=9v0X87QrFjg
2016年

 最後に追悼を込めてディズニーの名曲をアカペラで。

Over the Rainbow - Voctave A Cappella Cover
https://www.youtube.com/watch?v=JKfZwastGCg
Cherry Five、Rustichelli & BordiniのCarlo Bordiniが別のときにシェアしていたもの





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2020年10月31日

RIP追悼 Walter Franco 〜 ムゼオ・ローゼンバッハ Museo Rosenbachのもう一人のボーカリスト

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Zarathustraの内ジャケの謝辞の筆頭にWalter Francoがある。
I PoohのDodi Battaglia, Nico Di Palo, Vince Temperaなども挙げられている。

今日の1曲
  Museo Rosenbach - Zarathustra - L'ultimo Uomo 1973年


 イタリアの名盤ムゼオ・ローゼンバッハ Museo Rosenbach - ツァラトゥストラZarathustraの一部のパートでボーカルを担当した Walter Francoさんが亡くなりました。

 今まで知らなかったのですが、ZarathustraのA面の組曲の1曲目の L'ultimo Uomoの前半はWalter Francoが歌っているそうです。後半とそれ以降の曲はStefano "Lupo" Galifiが歌っています。

 ZarathustraのLPの内ジャケットの謝辞に100名ほどの名が挙げられていますが、「特に感謝します」という6人の筆頭にWalter Francoの名がありました。

 メロトロンでも有名な本アルバムの最重要パートL'ultimo Uomoで、同じ曲の中で2人のボーカルを使うというのは凄い手法だと思います。
 
 前半ではイコライザー処理で遠くから響くように聞こえるWalter Francoの声が、後半ではソウル・ブルースのシンガーだったStefano "Lupo" Galifiに変わり、コンプレッサーによって前に押し出された強烈な音圧のシャウトからメロトロンになだれ込む部分は、ロック史上でも屈指の名演でしょう。

Museo Rosenbach - Zarathustra - L'ultimo Uomo (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=uC9hegZIC2g


[Strofa 1]  Vocal : Walter Franco 
Volto di luce
Mi hanno parlato di te
La tua storia è nell'eco dei monti
Troppo in alto per scendere in noi
Nel tuo eterno cammino
Quello che insegui non c'è
Senza un fine può esistere la vita
Si completa nell'arco di un giorno

[Strofa 2]  Vocal : Stefano "Lupo" Galifi
Misera ombra, vuoto riflesso dell'io
Non ti serve capire la forza
Che mi spinge a cercare nel mondo
Chiara essenza divina già si nasconde in chi
Sta vivendo il gioco del tempo
Nell'attesa di un'alba diversa






 2013年4月26日に来日公演も行っています。そのときも L'ultimo Uomoの前半は別の人が、後半はStefano "Lupo" Galifiが歌っていました。
 Walter Francoさんのご冥福をお祈りいたします。RIP


来日公演のライブCD



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2020年10月29日

祝・文化功労者受賞・すぎやまこういち 〜 ザ・タイガース The Tigers

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1981年初版。幼少期のクラシックの体験からタイガースなどを作曲した経緯


今日の1曲
 ザ・タイガース The Tigers / 君だけに愛を 1968年
 ザ・タイガース The Tigers / 落葉の物語 1968年
 ザ・タイガース The Tigers / 花の首飾り 1968年
 青山ミチ Michi Aoyama / 風吹く丘で 1966年
 ザ・ダイナマイツ The Dynamites / ユメがほしい 1968年


 ゴールデンカップスの2人のメンバーなど、内外の悲しい訃報が続きましたが、タイガースの作曲家すぎやまこういちさんの文化功労者受賞という明るいニュースが飛び込みました。

 文化功労者では演歌とクラシックの受賞者は過去にありましたが、ポップスについては史上初となります。

文化功労者 受賞者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8A%9F%E5%8A%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

 タイガースで最初に記憶あるのが4枚目のシングル「君だけに愛を」です。

ザ・タイガース The Tigers君だけに愛を 1968
https://www.youtube.com/watch?v=_246A5mjoL0
貴重なカラー映像。52年前にこれでは当然人気が出るだろう。オリコン2位。

ザ・タイガース The Tigers/落葉の物語
https://www.youtube.com/watch?v=pWWxzvM2eCE
「君だけに愛を」のB面。B面まですごいのがタイガースの魅力。日本初のシンフォニックロック。東京ドーム再結成ライブでもアンコールで演奏。





 続く5枚目がタイガースの最大ヒット「花の首飾り」。
 オリコンで8週間1位。もとはB面だったが、両面A面扱いになったおそらく日本で初めてのシングル。

 タイガースの最初の5枚のシングルについて、すぎやまこういちは「グループサウンズ最高」という本で、クラシックのように緩急緩急緩という組曲形式に作ったと述べています。

ザ・タイガース The Tigers花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=Khgh1Fb5E4Y

 ピーの著書「花の首飾り物語」でも、タイガースの4声のコーラスは世界でも珍しいものではないかと書かれ、トッポも「花の首飾り」のオーケストラのレコーディングでのすぎやまこういちの目が一番真剣だったと述べています。





ザ・タイガース The Tigers花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=2qG2deduTyk
これも現存する珍しいカラー映像。1982年ごろこの映像を見た沢田研二が翌日のラジオで「これは人気がでるわ」と語っていた。





 すぎやまこういち最初の有名な曲は、ヒットパレードのテーマソングです。

 ポップソングについては、1966年11月の「青山ミチ/風吹く丘で」が最初と思われます。次が同年12月のシャープホークスの「遠い渚」、そして1967年2月5日タイガースのデビュー曲「僕のマリー」と続きます。

 発売中止となった「青山ミチ/風吹く丘で」は1968年2月25日にヴィレッジシンガーズの「亜麻色の髪の乙女」と改題されてオリコン2位の大ヒット。最近知った青山ミチのヴァージョンはとても情感のある素晴らしい歌だと思います。

青山ミチ Michi Aoyama/風吹く丘で 1966年11月
https://www.youtube.com/watch?v=VbA0Oaz7ipg





 すぎやまこういちは、GSではタイガース、シャープホークス以外に、山口冨士夫のダイナマイツにも2枚目のシングル「ユメがほしい」を提供しています。
 これは1968年3月5日発売で、タイガースの絶頂期にあたります(「君だけに愛を」が1月5日、「銀河のロマンス/花の首飾り」が3月25日)。
 
 山口冨士夫の「So what」にも「ユメがほしい」について、プロダクションがヒットしたトンネル天国に続く2曲目が重要ということで、タイガースのようなヒットをねらったものと書かれています。


ユメがほしい ザ・ダイナマイツ
https://www.youtube.com/watch?v=2Cbf_OwLJTo
以前、遊園地(浅草?)でのプロモーションフィルムを見たことがある。





 すぎやまこういちのGS以降の活躍は、ガロ、科学忍者隊ガッチャマン、帰ってきたウルトラマンなどが思い出深いです。

 1981年にすぎやまこういちは「体験作曲法」という本を出しました。
 当時はポップスの作曲本はほとんどなく、タイガースの曲がたくさん解説されていてたいへん感動しました。シーサイドバウンドは、日本で初めて沖縄音階を、花の首飾りは地中海のドリアン音階を取り入れていました。





 1982年のタイガース同窓会の年に花の首飾りのボーカルの加橋かつみのコンサートがあり、途中でゲストとしてすぎやまこういちさんが紹介されました。客席から舞台に飛び上がるように登場して、バイタリティーのある人だなあと思いました。タイガースのころから加橋君と馬が合ったと言っていました。

 すぎやまこういちはゲーム音楽の大家になりましたが、ドラゴンクエストをやったことがありません。ドラゴンクエストの曲が、テレビでよく聞く有名なメロディーだと最近やっとわかりました。

 すぎやまこういちは私にとっては、やはりタイガースです。
 「グループサウンズ最高」で、「GSは日本の音楽にリズムとハーモニーを残したよね」と語っていました。今回の受賞について、今まで無冠だったが、やっともらえたと語っていましたが、それがポップス初の文化功労者というのはすごいと思います。

 すぎやまこういちさんの、今後の益々のご活躍とご健康をお祈りします。

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2020年10月23日

癒しのメロトロン・オランダ編 Focus, Earth & Fire, Ekseption, Trace 〜 栄光のオランダ・プログレッシブ・ロック Mellotron

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メロトロンの傑作FocusUはオランダ以外ではMoving Wavesとして発売された。


今日の1曲
  Ekseption G線上のアリア Air 1969年
  Ekseption - Italian Concerto 1970年
  Ekseption "Ave Maria" 1971年
  Focus - Le Clochard 1971年
  Focus - Focus II 1971年
  Focus - Eruption 1971年
  Earth and Fire - Song of the Marching Children 1971年
  Earth and Fire – Memories 1972年
  EARTH AND FIRE – Atlantis 1973年
  Ekseption – Romance 1973年
  Focus - La Cathedrale de Strasbourg 1974年
  Focus – One for the road 1974年
  Trace - Gaillarde 1974年
  Trace -Final Trace 1974年
  Trace -Progression 1974年
  Trace -Memory 1974年
  Earth&Fire - Love of Life 1974年
  Earth & Fire - Only Time Will Tell 1975年
  Trace - Opus 1065 1975年
  Trace - King-Bird 1975年
 Trace – White Ladies 1976年
 Finch / Unspoken Is The Word 1977年


 エディー・ヴァン・ヘイレンの故郷がオランダで,幼少からピアノを習っていたことを知りました。そこで、「癒しのメロトロンMellotron」を軸に栄光のオランダプログレッシブロックを1969年から順に聴きなおしてみました。
 
 アムステルダムは、ニューヨークや京都などとともにヒッピーの聖地になってフラワーチルドレンが集まっていました。
 ベトナム戦争の展開と終結が音楽に及ぼした影響も顕著でした。


[ 1969年 ] 
Ekseptionの成功、Earth&Fire結成、Focus結成と反戦ミュージカルHair


 ハーグ王立音楽院で優秀な成績を修めたRick van der Lindenは、1968年にキースエマーソンのナイスの公演でバッハのブランデンブルグ協奏曲を見て、Ekseptionのクラシックロックの方向性を決定。1969年にベートーベンの運命を編曲して5週間1位になる。同年の1stアルバムで、オランダで最初と思われるメロトロンMellotronをG線上のアリアAirで使用。

Ekseption G線上のアリア Air
https://www.youtube.com/watch?v=C_I031TWIXE
2:47あたりからメロトロンM300のストリングス・メロトロンがバックに使用されていると思われる。






 オランダ初の全米ビルボード1位となったヴィーナスのショッキング・ブルーに続いて、女性ボーカルJerney Kaagman, 双子の兄弟 Chris and Gerard KoertsがビートバンドEarth&Fireを結成し、シーズンでデビュー。日本を含め、世界的にヒットする。

 Focusが結成され、12月から翌年6月まで、反戦ミュージカルHairのサポートバンドになる。


[ 1970年 ] 
Focus1stアルバム


 エクセプションがヒット曲を連発。メロトロンも使用しているがバックに流す程度だった。
 アース&ファイアーもビート系でヒット曲を出し続ける。
 
Ekseption - Italian Concerto
https://www.youtube.com/watch?v=hcBMOMPTj5o
1:39 控えめだがチェンバロのバックでストリングスメロトロンが聴こえる。

Ekseption - Italian Concerto Live
https://www.youtube.com/watch?v=8nh-j2Z81pQ
メロトロンは未使用だが、1:18のチェンバロ(クラビネット)が素晴らしい。





 Focusが1stアルバムを発表し、インスト曲シリーズ「Focus」の第1曲目Focusでメロトロンを使用する。


[ 1971年 ]
メロトロンの傑作FocusUとメロトロンによるEarth and Fireの転身


 エクセプションはオランダでヒット曲が続く。メロトロンの使用は控えめ。

Ekseption "Ave Maria"
https://www.youtube.com/watch?v=zRIi_BfW-UU
Rick van der Lindenの情熱が伝わる映像。控えめだが、2:18のエンディングでメロトロンが使用されていることが感じられる。



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 1971年10月、Focusがメロトロン史上の傑作FocusU(オランダ以外ではMoving Waves)を発表。LPはオランダで4位、全米で4位、シングルHocus Pocusも(日本では「悪魔の呪文」として)ヒット。

Focus - Le Clochard 
https://www.youtube.com/watch?v=fc1KAtDjORc
Hocus Pocusに続くA面2曲目。メロトロン史上屈指の名曲
ヤン・アッカーマン=作曲・ギター タイス・ヴァン・レアー=メロトロン

Focus II
https://www.youtube.com/watch?v=ike5HEWMrX8&list=PLA2-nXsHvm3JR4XJivpexzuOEtBIz-JiY&index=7
2:32 天空を舞う癒しのメロトロン

Eruption
https://www.youtube.com/watch?v=t3_hJ_032Z8&list=PLA2-nXsHvm3JR4XJivpexzuOEtBIz-JiY&index=8
5:08 癒しのメロトロン
17:17 メロトロンによる別次元の音





 Earth and FireもシングルA面のInvitationでハモンドオルガンを使用。
 B面の2ndアルバムの先行シングルヴァージョンSong of the Marching Childrenでは突如メロトロンを導入し、プログレッシブバンドに転身。

Earth and Fire - Song of the Marching Children シングルヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=ZNzZkAd-90o
LPヴァージョンと比べるとまだ未完成。ここから練り上げられたことがわかる。

 次のLP先行シングルStorm And ThunderはA面でメロトロンを使用。
 同じバンドか?と思えるほど、ビートバンドの面影は全くない。

Earth & Fire - Storm and Thunder (Lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=buLyiIJKCxE

 2ndアルバムSong of the Marching Childrenは前作と全く異なるトータルアルバムになる。
 メロトロンはEkseptionの使用していたものと同じとの情報もある。

Earth and Fire - Song of the Marching Children Studio LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=-FZ1q7UxviQ
2:18からメロトロン。シングルヴァージョンと歌詞も異なり、メロトロンサウンドもスケールアップ


日本盤シングル1971年8月Song of the Marching Children
オランダ本国とはAB面が逆。InvitationがB面になっている。
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[ 1972年 ]  
メロトロンの最大ヒット曲Earth and Fire / Memories

Earth and Fire - Song of the Marching Children Live ヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=QoQXhRCxILQ
0:30メロトロンライブの貴重なカラー映像。Studioヴァージョンよりさらに深遠なメロトロン。

Earth & Fire - Memories
https://www.youtube.com/watch?v=d0vT-ERKSFs
世界的にも珍しいメロトロン漬けシングルヒット。
オランダで2週間1位。





Focusは2枚組LP「FocusV」を発表するがメロトロンは未使用。

Focus - Sylvia (Live at Top Of The Pops, UK / Live at TopPop, NL - 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=5YxNCL39wBI&list=PL8a8cutYP7fq74uWwQ-pBA8CYHkdm2Qy2&index=3
インストで全英4位のヒットになった名曲。

Focus - Elspeth of Nottingham
https://www.youtube.com/watch?v=qEZdXfcOdLY&list=PL8a8cutYP7fq74uWwQ-pBA8CYHkdm2Qy2&index=7
Jan Akkermanの美しいリュート



[ 1973年 ] 
Earth and Fireのメロトロン大作Atlantis


 Focusのシングル「シルヴィア」が全英4位。英メロディ・メーカー誌での人気投票で、10年間連続でギタリスト部門のトップにいたエリック・クラプトンを抜いて、ヤン・アッカーマンがトップとなる。

 EARTH AND FIRE は全編メロトロンが使用されたトータルアルバム Atlantisを発表。イタリアンプログレッシブロックの全盛期と重なる。シングルMaybe Tomorrow, Maybe Tonightはオランダで3位となる。

EARTH AND FIRE - Atlantis
https://www.youtube.com/watch?v=KwpBkZhpGsw&t=1517s

EARTH AND FIRE - Atlantis 1973 当時の映像
https://www.youtube.com/watch?v=tm1APRmVgGk

Earth And Fire - Maybe Tomorrow, Maybe Tonight Live
https://www.youtube.com/watch?v=EGsIHi74LrE
0:07、1:15でメロトロンM400の実演が見れる。

Earth and Fire - Maybe Tomorrow Maybe Tonight. Studioヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=yL6rMomAA40
0:11メロトロンM400が映る





 エクセプションのトリニティーを最後にRick van der Lindenが脱退。

Ekseption - Romance
https://www.youtube.com/watch?v=23x-Bcs3TAQ
冒頭で明らかにメロトロンが聴こえる。Traceへの移行が感じられる。


[ 1974年 ] 
Focusの傑作Hamburger Concerto 〜 Trace 1st でメロトロンが爆発

PFMとともにヨーロッパプログレッシブロックとして人気を誇ったフォーカス
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 Focus の Hamburger Concerto1974年1月録音、4月リリース。
 タイスは力強さと目的を持った最初の作品と評価し、マイク・ヴァーノンもMoving Wavesとともにベストアルバムに挙げている。


Focus - Hamburger Concerto
https://www.youtube.com/watch?v=xI5ARFrBqAA
11:20  La Cathedrale de Strasbourg メロトロンではないが厳粛な素晴らしいコーラス。
37:08 最終曲の最終パートOne for the roadでコーラスメロトロンとARP2600シンセサイザーが唸る。39:45壮大なコーラスメロトロンで幕。





Focus - FocusU 
https://www.youtube.com/watch?v=M_sh98umh7E
1974年6月 メロトロン入りのライブ(0:00 - 4:25)


1stアルバムTraceからのシングルカット
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 Rick van der LindenがキーボードトリオTraceを結成し、全編においてメロトロンが爆発する1stアルバムTraceを発表。イギリスで権威のあるライブ番組にも出演。Rick van der Lindenはキース・エマーソン、リック・ウェイクマンと並ぶキーボーディストだった。

Trace Gaillarde Mellotron実演ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=8vsQVsib9Kk
0:33右手でハモンドを弾きながら、左手でストリングスメロトロン
1:06 上からのアングルで捉えた凄い映像。ストリングスだったメロトロンをコーラスに切り替えている。5:42からストリングスメロトロン。上からの映像はカッコよすぎる。オランダのテレビ番組のスタッフに敬服だ。
6:40 エンディングもコーラスメロトロン

Trace Gaillarde The Old Greay Whistle Test 1974 BBC
https://www.youtube.com/watch?v=kndiVcSos5c
5:58 ストリングスメロトロン

Trace / Trace 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=7re8_gDZOFI&t=1663s
5:00  Gaillarde ストリングス+ブラスのメロトロン二重奏
18:29, 20:00 小曲の中にストリングス+コーラスのメロトロン。
27:40 Progression Moog+Strings Mellotron によるB面のハイライトで、短く編集されてシングルカットされた。
38:18 Memoryというタイトルのようにリック・ヴァン・ダー・リンデンにとって最も重要なパートのようだ。癒しのコーラスメロトロン。41:35ドラムソロの直前にブラス系メロトロン。46:00再び冒頭のコーラスメロトロン
45:20 最終曲Final Traceのラスト数秒でもMemoryのフレーズ。





 トレースは、1975年の次作BirdsのB面の大作King Birdのシングルヴァージョンを先行シングルとして1974年に発表。
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Trace / Birds  single version
https://www.youtube.com/watch?v=tWTN2mcxvRA
39:45がシングルヴァージョン。コーラスメロトロンから始まる。翌年のLPではドラムスが交替し、テーマのメロディー以外はほとんど異なる内容。


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 Earth&Fire は、1974年6月、これもメロトロン漬けのLove of LifeがTo the world of futureの先行シングルとして発売し、オランダで2位のヒット。

Earth&Fire - Love of Life
https://www.youtube.com/watch?v=Pp0gTI4BjrE
現実と非現実の境界線で吸い込まれるようなメロトロン


[ 1975年 ] 
ベトナム戦争終結 Trace / Birds


 ベトナム戦争終結により、アムステルダムのヒッピームーヴメントも終焉。
 アース&ファイアーは劇的に変化。To the world of futureがプログレッシブロックバンドとしての最後の作品といえる。

Earth & Fire - Only Time Will Tell
https://www.youtube.com/watch?v=WXLnD30_a7A
LPからカットされた寂寥感あるメロトロン曲。オランダで12位。
1975年ではケストレルと並んで世界一では。





Earth & Fire - Thanks For The Love (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=MmqXh6ALZdI
ベトナム戦争終結で憑りつかれた魔法が解けたように全く別のバンドに変化。
Le Ormeの1976年のCanzone d’amoreを思わせる。オランダで8位。


 一方で、トレースは2ndLPのBirdsで、ダリル・ウェイのウルフにいたイアン・モズレーにドラムスを替え、ELPのようなキーボードトリオの音を極める。
 エクセプション時代にできなかったことを全て叩き込んでいるようだ。

Trace - Bourrée
https://www.youtube.com/watch?v=j3MIFrkkAM0
1曲目。エクセプションからのクラシックロックの極めつけ。メロトロン未使用。

Trace - Opus 1065
https://www.youtube.com/watch?v=K493lE0wDbQ
イントロから20秒のストリングスメロトロン、7:05からラストのフェードアウトに癒される

Trace - King-Bird
https://www.youtube.com/watch?v=8vPd5OwJ80k
20分間の緩急組曲で、随所にメロトロンが使用され見事としか言えない。
11:40のコーラスメロトロンから14:47までがこの曲の中間のハイライト。13:06のブラス系のメロトロンが頂点。
20:00から20:42のエンディングでコーラスメロトロンが響き渡る。パイプオルガンが楽器の王様で、メロトロンは女王という雰囲気。続く「回想」曲でもコーラスメロトロンが余韻を残す。





 Focusは前作で力を出し尽くしたように、1975年10月発売のMother Focusは読売新聞の批評でもFather Bach以外にかつてのFocusは感じられないと書かれた。反戦ミュージカルヘアーから始まったFocusもその使命を果たしたようだ。

"Father Bach" 
https://www.youtube.com/watch?v=hwnqQy9Q0-A
マタイ受難曲第1曲を編曲。メロトロンは未使用。


[ 1976年 ] 
オランダ・メロトロンの最後の輝き Trace / White Ladies


 トレースも前作Birdsで力を出し尽くしたように、エクセプションのメンバーのサポートで1976年に3rdアルバムWhite Ladiesを発表。
 前作のような鋭さはなく、穏やかなトータルストーリーとなっている。

Trace / White Ladies 1976
https://www.youtube.com/watch?v=uaItGq19wRE
38:45 Traceラストアルバムの最終曲も、感涙のコーラスメロトロンで幕。

  タイス・ヴァン・レアーは、ヨーロッパのマイナーなコードから離れて幸せな音楽を作りたいと述べ、ヤン・アッカーマンはFocusを離れる。
 Focusは現在に至るまで、タイス・ヴァン・レアーを中心に活動している。

Focus - Focus V
https://www.youtube.com/watch?v=27uhBtNl2EQ
未発表音源などによるShip of memoriesから。


[ 1977年 ]
栄光のオランダ・プログレッシブ・ロック

 自分にとってオランダ・プログレッシブロックの最後の輝きは、1977年、Finchの3rdアルバムの1曲目 Unspoken Is The Word。

Finch / Unspoken Is The Word 1977年
https://www.youtube.com/watch?v=c-tH3E8JnFQ
イタリアのLocanda delle fateも1977年だった。





 Earth & Fireは1979年にプログレッシブロックとの決別ともいえる「Reality fills fantasy」発表し、Weekendがオランダやドイツで1位になる。

Earth & Fire - Weekend
https://www.youtube.com/watch?v=jbvj8KU57aw

 Earth & Fireは最後のアルバム1982年のIn a State of FluxまでMellotronを使い続けました。

Van Halen - Jump 1984年
https://www.youtube.com/watch?v=bq-potK_7Ts





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2020年10月21日

追悼RIP・スペンサー・デイヴィスSpencer Davis 〜 Gimme Some Lovin' キーボード・プログレッシブロックの先駆者

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今日の1曲
  The Spencer Davis Group - Gimme Some Lovin' 1966年


 再びイギリスから訃報です。「キープ・オン・ランニング」「愛しておくれ」「アイム・ア・マン」などのヒット曲で知られるスペンサー・デイヴィス・グループの創設者、スペンサー・デイヴィスが10月19日に亡くなりました。

 「愛しておくれ(ギミ・サム・ラヴィン)」はイギリスでチャート2位になり、世界的にヒットしました。日本にも影響を与えました。1960年代の横浜のライブハウスをリアルタイムで経験した人から、自分の体験ではパワーハウスになる前の時期のベベズが横浜では一番凄くて、Gimme Some Lovin'をゴールデンカップスを超えるような凄い迫力で演奏していたと聞きました。

  "Gimme Some Lovin'"は、” the Rolling Stone magazine's list of The 500 Greatest Songs of All Time”で247位にランクされています。そのリフは、Led Zeppelin - Baby, I'm gonna leave youやシカゴの長い夜にも影響を及ぼしているでしょう。

 グループ結成時に弱冠14歳だったというスティーヴ・ウィンウッドは、後にFocusを結成するタイス・ヴァン・レアーにも影響を与えました。青い影、Niceとともにスペンサー・デイヴィス・グループはキーボード主体のプログレッシブロックの先駆者といえるでしょう。

 スペンサー・デイヴィスのご冥福をお祈りします。RIP

The Spencer Davis Group - Gimme Some Lovin'. Stereo 1966
https://www.youtube.com/watch?v=ko3m0NBbq1o

Spencer Davis Group - "Gimme Some Lovin" (1966) Live
https://www.youtube.com/watch?v=qPgUhDaAWho





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2020年10月19日

追悼RIP・ゴードン・ハスケルGordon Haskell 〜 2ndアルバムIt is and it isn’tとKing Crimson

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知られざる大傑作 2ndアルバムIt is and it isn’t


今日の1曲
 Gordon Haskell - アルバム It is and it isn’t 全曲1971年
 King Crimson - Cadence and Cascade 1970年



 キング・クリムゾンが1970年に発表したセカンド・アルバム『In The Wake Of Poseidon(ポセイドンのめざめ)』(一部)とサード『Lizard(リザード)』の制作に参加したヴォーカリスト/ベーシストのゴードン・ハスケルが、74歳で亡くなりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b9e8863e84f2f52bb3da81f0182370e9a45fc0f


〜 傑作2ndソロアルバム 〜 Gordon Haskell "It Is & It Isn't" (1971)


 ゴードン・ハスケルを初めて知ったのはキング・クリムゾンのリザードでした。しかし、B面の1曲目のジョン・アンダーソンのハイトーンの方がインパクトがあり、印象に残りませんでした。

 次にゴードン・ハスケルを知ったのは、2ndソロアルバム"It Is & It Isn't"です。カットアウトのアメリカ盤でしたが素晴らしいジャケットと音楽の内容に魅了されました。今まで聴いたボーカルアルバムでも最高の1枚でした。

 Gordon Haskell "It Is & It Isn't" (1971) - Full Album
https://www.youtube.com/watch?v=BZnOXi71yIA&list=PL8a8cutYP7fqPzAwdqcT1UdqSl8c9_G-B&index=2
LPのA面、B面12曲通して、流れるように素晴らしい。ビートルズレベルのメロディーセンスをもったAORの先駆者とも言える知られざる超名盤。
SSW系歌物では、Ciro Dammiccoの1st、Tony Kosinec / Bad Girl Songs, 荒井由美「ひこうき雲」、久保田早紀「夢語り」、Riccardo Cocciante / Margheritaと並んで好きだった。





 2ndが素晴らしかったので、1stアルバム“Sail in my boat”に憧れましたが、入手困難で聴くことはできませんでした。
 久々に、2ndアルバムを聴きなおしましたが、やはり素晴らしい。50年もたっても色あせない名盤だと思います。






〜 キングクリムゾンのゴードンハスケル 〜


 今回、ゴードンハスケルがキングクリムゾンを脱退したのは、自分の力がキングクリムゾンでは発揮できなかったからだったということがわかりました。
 Otis Reddingのような歌が好きだったそうです。
 
King Crimson - Cadence and Cascade (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=VbVjLPFhpcs
今まで、ゴードン・ハスケルのボーカルとは知らなかった。アコースティックギターに合う味わいのある歌。

King Crimson - Cadense And Cascade ( Greg Lake Vocal Version )
https://www.youtube.com/watch?v=Y3CE7Pz6Ynk
LP製作中に脱退したグレッグ・レイクがゴードンハスケルのためボーカル・ガイドに歌ったヴァージョン。





King Crimson - The Battle Of Glass Tears
https://www.youtube.com/watch?v=us4BlXcPIig
この曲も2:23からのメロトロンが強烈で、その前のゴードンハスケルのボーカルは覚えていなかった。今聞きなおすと複雑な曲の中で重要な導入部だった。





 ゴードンハスケルの"It Is & It Isn't"のボーカルは、十代のころに派手なインストロックだけではない音楽の深い感動を教えてくれた1枚でした。
 RIP 


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2020年10月15日

追悼・筒美京平 〜 トランスの元祖オックスと太田裕美のクラシカルポップ

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今日の1曲
 太田裕美 / 九月の雨 1977年
 太田裕美 雨だれ 1974年
 オックス / スワンの涙 1968年
 オックスOX/オックス・クライOx Cries (1969年)ライブ


 日本歴代1位のヒット曲を作った作曲家筒美京平さんが亡くなりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%92%E7%BE%8E%E4%BA%AC%E5%B9%B3
1940年新宿牛込生まれだと空襲も体験されたのだろうか。


 本ブログがスタートした2008年6月2日「今日の1曲」の第1曲目が、太田裕美の「9月の雨」でした。その後、太田裕美のコンサートに2度通い、ブログでも書きました。筒美京平は太田裕美の黄金期のほとんどの曲を作りました。






〜 1968年のGS オックス 〜 トランスの元祖 〜
 
 
 オックスの「スワンの涙」は子どものころの音楽原体験の一つでした。筒美京平は、タイガース、テンプターズに対抗するため、オックスのデビュー曲から5枚のシングルAB面すべての作編曲を作詞家の橋本淳とともに任されたのでした。

 近田春夫の1979年の著書「気分は歌謡曲」の「初版」に、全くメディアに出なかった筒美京平の希少なインタビューが掲載されていました。近田春夫のヒット曲に関する質問に対して、「それはやっぱり長年のカンかなあ。もしかしたら、グループサウンズのあのムーヴメントが、ただで終わっていないのかもしれない」と語っていたのが一番印象に残っています。

 筒美京平の最初のオリコンベスト10ヒットが1968年のオックスの「ガールフレンド」と「スワンの涙」。筒美京平は「ヒット曲をだしたときの快感、醍醐味はあたってみないとわからない」と述べています。 

オックス スワンの涙
https://www.youtube.com/watch?v=e6wSlMFMPiQ
間奏でビートルズのインマイライフのようなクラシック風のピアノが入る。
筒美京平のルーツはクラシックで、歌謡曲は聞かなかったという。その後ジャズコンボを結成し、レコード会社に就職後、タイガースの作曲家すぎやまこういちから作曲を学んだ。


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 オックスは演奏者も観客も失神するというトランス状態を最初に引き起こしたバンドでもありました。
 これによってGSのコンサートが各地で禁止になり社会問題になりました。

オックス 失神パフォーマンス
https://www.youtube.com/watch?v=LwsFM2u9M7o
伝説の失神パフォーマンスの秘蔵映像。宝塚を参考にしたともいうが、実際の映像を見るとすごい迫力がある。テレビ出演者も皆唖然としている。

オックス 失神について 赤松愛
https://www.youtube.com/watch?v=KZ5XD-7YYbA
その後、ビーイングブームをプロデューサーとして支えたギターの岡田志郎は「あれはトランス状態になってステージに倒れ込んだのが発端」と語っている。野口ヒデトは「今のXのヨシキ君がかつてのオックスだった」と語っていた。

オックスOX/オックス・クライOx Cries (1969年)ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=NAdk-Ae6NRs
スワンの涙のB面。オックスのトランス感覚が最も現れた筒美京平作編曲によるオリジナル曲。ライブ盤「OX ステージNo.1」より。観客の熱狂状態を伝えるライブ。ドラムとギターソロもすごい。






〜 1974年の太田裕美 〜 クラシカル・シンフォニック・ポップ


 太田裕美の1974年11月1日のデビュー曲「雨だれ」は、日本では少ないヨーロッパ風のシンフォニックポップスの名曲。クラシックから始めたという筒美京平の作品中で最もクラシカルな作品。近田春夫とのインタビューでも、筒美京平はバート・バカラックから最も影響を受け、しっとりしたものが好きという。

 松本隆が「はっぴいえんど」解散後に生活のため歌謡曲の作詞家となり、かつての仲間から四面楚歌となったとき、「最初に戦った」のが太田裕美だったと語っていました。松本隆も、筒美京平は「最初から兄弟で、ピッチャーとキャッチャーで、今は右半身と左半身が引き裂かれる思い」と追悼していました。

太田裕美 雨だれ
https://www.youtube.com/watch?v=DYvlN9QgkQY
ショパンのようなイントロで始まるデビュー曲。太田裕美自身も弾き語りをしていた。編曲は萩田光雄。筒美京平は編曲家も自分で決めていた。

太田裕美 雨だれ ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=okKuxME5cYE
https://www.youtube.com/watch?v=J84mg3t6RmY

 ピアノとストリングスの響きが美しい1977年の「九月の雨」は、作詞松本隆、作編曲筒美京平による、クラシカルポップの集大成だと思います。
 思えば、小学生・中学生時代にテレビラジオで流れる筒美京平の曲は、生活の一部でした。いままでありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

太田裕美 / 九月の雨
https://www.youtube.com/watch?v=yoYfq3xG8Kw





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2020年10月08日

追悼RIP Gianfranco Lombardi U 〜 カッコいい女性ボーカル・イタリア編 オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni U

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国内シングル盤 オルネラ・ヴァノーニ Gianfranco Lombardi編曲
 A面 逢びき L'Appuntamento  1970年
 B面 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年


今日の1曲
 オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni
       - La voglia di sognare 1975年
  Ornella Vanoni - 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年
  Ornella Vanoni – 逢びきL'Appuntamento  1970年
          「小さな村の物語イタリア」テーマ曲


 Umberto BalsamoのMai Piuを1982年に聴いて以来、Gianfranco Lombardiは私にとって最高のアレンジャーの一人でした。しかし、イタリアでGianpiero Reverbeliの名は多くのレコードでみつけられたのですが、Lombardiの名は見当たりませんでした。

 最近、オルネラ・ヴァノーニOrnella Vanoni の1975年のシングル La voglia di sognareのアレンジが、Lombardiによることがわかりました。この曲は最近発見した曲の中では一番美しい曲の一つです。特にロンバルディによるイントロは素晴らしい。

 そこで今回は、「カッコいい女性ボーカル・イタリア編」オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni の2011年12月23日以来、9年ぶり2回目の登場です。


Ornella Vanoni - La voglia di sognare
https://www.youtube.com/watch?v=Nwx6ADLrrMc
白黒映像

Ornella Vanoni - La voglia di sognare
https://www.youtube.com/watch?v=VXqpdS7LD8o
カラー映像

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 La Voglia di Sognareは、Carla VistariniとLuigi Lopezによって書かれ、1974年に歴史的なラジオ番組GranVarietàのテーマソングに使用され、1975年にイタリアの権威あるイタリアレコード批評家賞 il Premio della Critica Discograficaを受賞しました。ちなみにOsannaは、1971年のL’uomoと1978年のSuddanceで2回、この賞を受賞しています。

 作詞家Carla Vistariniと作曲家Luigi LopezのコンビはRiccardo Fogliなどの多くのヒット曲を送り出しています。La Voglia di Sognareは、Vanoni、Vistarini、Lopez、Lombardiの4者にとって、最高作の一つといえるのではないかと思います。





 そして、ヴァノーニの1970年代のAristonやVanilaレーベルの作品のほとんどがロンバルディの編曲だったことを知りました。1970年代初期のMinaとReverberiのような関係にあったようです。そのような経歴があったから、BalsamoやNew Trollsであのような素晴らしいアレンジができたのかと初めて納得しました。

 Vanoniの1976年のPiuはNew Trollsが演奏を担当しましたので、そのつながりからロンバルディがNew Trolls の1978年のAldebaranの編曲をサポートしたのかと思われます。

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Ornella Vanoniの1964年以降のシングルチャート。1967年のLa musica è finitaが最初のLombardiの編曲。1970年代の多くはLombardiによる。

 Vanoniは1965年から1970年にかけてSanremo音楽祭に5回出場して、カーザビアンカで最高2位を受賞し、イタリアではMinaと並ぶ大スターでした。ですから、このころのVanoniの映像は、有無を言わせぬカッコよさがあります。

Ornella Vanoni - 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=Hlb-6jEHD1o
口パクだが、かっこいいライブ。
音源はロンバルディ編曲のオリジナルヴァージョン 

Ornella Vanoni - 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=Jx7PGJPLYus
ロンバルディ編曲の音源で実際にヴァノーニが歌ったライブ映像。





 日本でも最近、BS「小さな村の物語イタリア」のテーマ曲でヴァノーニの「逢いびき」が毎回使用され、知られるようになりました。これもロンバルディの編曲でした。
 改めて、ジャンフランコ・ロンバルディのご冥福をお祈りします。

「小さな村の物語イタリア」テーマ曲 逢いびき(イタリア語歌詞付) 歌手:オルネラ・ヴァノーニ   L'appuntamento, Ornella Vanoni
https://www.youtube.com/watch?v=xe_B9BWkHkw
オリジナルヴァージョン

Ornella Vanoni - L'Appuntamento (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=wLa4YpCSd5M
ロンバルディ編曲のオリジナルヴァージョンのオケで歌うライブ







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2020年10月04日

追悼RIP Gianfranco Lombardi ジャンフランコ・ロンバルディT 〜 Umberto BalsamoとNew Trolls

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今日の1曲
  Umberto Balsamo - Vivi come vuoi  1982年
  Umberto Balsamo - Quando ci si lascia 1982年
  New Trolls ‎– Là Nella Casa Dell' Angelo 1981年


 また、たいへん思い出深いイタリアの編曲家Gianfranco Lombardiが79歳で亡くなりました。Lombardiは、1963年にAdriano CelentanoのバックバンドI Ribelliにベースで参加後、編曲家となり、400の作品に参加しました。

https://it.wikipedia.org/wiki/Gianfranco_Lombardi_(pianista)

 本ブログを2008年に始めたときの「今日の1曲」の3曲目がウンベルト・バルサモUmberto Balsamoの「愛を置き去りにして Quando ci si lascia」でした。そのときは音源がみつかりませんでした。

2008年6月4日 今日の1曲 B Umberto Balsamo
http://soleluna.seesaa.net/article/99377111.html

 この曲が入ったアルバム「Mai Piu」は、全曲バルサモ作詞作曲、ジャンフランコ・ロンバルディ編曲です。曲とアレンジが、1+1=2ではなく、3,4になる稀有の例の一つだと思います。

 このアルバムを購入して本当によかったと思います。1983年から山口冨士夫のライブに行くようになったころ、加部正義のMoon like a moonなどとともに家で一番多く聴いたレコードでした。バルサモがきっかけで、イタリアンポップスへの関心が一挙に高まりました。

 Polydor時代の作品はCDで再発されましたが、このFonit-Cetraの作品はCD化されていません。8曲とも素晴らしい大名盤だと思います。幸運にも全曲Youtube のUmberto Balsamoのチャンネルで聴けるようになりました。

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1985年にスイスで買ったシングル盤

Umberto Balsamo - Vivi come vuoi
https://www.youtube.com/watch?v=dIO5oZsLhoM&list=OLAK5uy_mARps2sGD4AQ1hOFPVB-6K5yxpBhOHmao&index=5
LPのB面1曲目。別次元に吸い込まれるストリングスは生音でなくシンセサイザーと思われるが、1982年まででは聴いたことがなかった音。本アルバムではYMOのようにシンセサイザーのプログラマーがクレジットされている。

Umberto Balsamo - La radio
https://www.youtube.com/watch?v=YQlvaKNpw6c
A面の3曲目。エンディングでソリーナのストリングスのような音が拡がる。
Popol VuhやTangerine Dreamの全盛期のような透徹した哀感。

Umberto Balsamo – 愛を置き去りにしてQuando ci si lascia
https://www.youtube.com/watch?v=35Z3m8A5Wvc
B面3曲目。本アルバムのハイライト。Nataliと双璧。




Umberto Balsamo -おやすみなさいUn saluto
https://www.youtube.com/watch?v=NWjJr87Fulg
B面最後の曲は、本アルバムのスタッフと自分に対する慰労で、プロデューサー・バルサモの達成感が感じられる内容の詞。

「僕と同様、疲れ切ったアレンジャー(ロンバルディ)
良くやった フィネッティ(サウンドエンジニア) ありがとう
今じゃ 皆 一人前
僕は お役ごめんだね

おやすみなさい
なぜか ひとりぼっちの人に おやすみなさい
それから 自分にも おやすみ」


 その後、40年間ロンバルディの編曲は、バルサモ以外にみつけられなかったのですが、New Trollsの1981年の名曲 Là Nella Casa Dell' Angeloの編曲が、New TrollsとLombardiの共同作業だったことが、New Trolls のGianni Bellenoの追悼文から初めてわかりました。

  Là Nella Casa Dell' Angeloは人気音楽番組「Discoring」のテーマ曲で、個人的にはConcerto Grosso Adagioに次ぐ、New Trollsの最高楽曲。 

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New Trolls ‎– Là Nella Casa Dell' Angelo 1981年
https://www.youtube.com/watch?v=i0KDP2RCo8E
2:20〜の最大のハイライトもLombardiの力に負うところが大きいのだろう。
Balsamoが翌年、New Trollsと同じCetraに移籍してLombaldiを起用したことへも影響があると思われる。

 さらに1978年のAldebaranの編曲も、New TrollsとLombardiの共同作業だったことを知りました。

New Trolls - Quella carezza della sera (Discoring 07/01/1979)
https://www.youtube.com/watch?v=SAr-n-aZZMY
New Trollsのシングルでは最大ヒット曲。

New Trolls - Suite disco
https://www.youtube.com/watch?v=lSq8L_pNpJI
この曲もNew Trollsの楽曲とバンドアレンジにLombardiが加わって素晴らしい展開になっている。





 ブログでも次々と追悼が続き、たいへん寂しいですが、ショーケンが亡くなったころから、故人への今までの感謝の気持ちを強くするようになりました。
 RIP Maestro Gianfranco Lombardi

 Gianni Bellenoの追悼文
 「人生が私たちに与えてくれたものを私たちから奪うことはできません。ジャンフランコ大好きです。もう一度やります..... R.I.P!!!!」 

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2020年09月28日

追悼ルイズルイス加部 ザ・ゴールデンカップスThe Golden Cups

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今日の1曲
 ザ・ゴールデン・カップス The Golden Cups/銀色のグラス Love Is My Life 1967年
  The Golden Cups / Got my mojo working 1969年
  PINK CLOUD / WASTED 1983年
  加部正義MASAYOSHI KABE - ONLY THE YOUNG 1983年
  加部正義Masayoshi Kabe – Hatsunecho 初音町 2015年


「ザ・ゴールデン・カップス」ルイズルイス加部さん死去 71歳、圧倒的なベースプレー武器に活躍
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cc4435aa03c6e5d19a2c607a5fb82f63130a4ad


 また悲しいニュースが入りました。マモルマヌーさんに続いてゴールデンカップスのルイズルイス加部さんが亡くなりました。伝説のスーパーベーシストでした。今までたいへんな影響を受けてきました。思い出を振り返ってみました。

1979年ごろ
 ラジオで「グループサウンズベスト100」という人気投票がありました。子供のころ好きだったのが、タイガースとテンプターズとオックスでした。このラジオを録音して、初めてゴールデンカップスを知りました。驚いたのは「銀色のグラス」の速いスピードのベースです。ベスト100にカップスは4曲入っていてこのカセットは宝物になりました。2位がテンプターズの「エメラルドの伝説」で、これも初めて聞いて感動しました。

 ネットのない時代は情報が少なく、雑誌POPEYEの「1960年代特集号」で「銀色のグラスのベースにみんなびっくり仰天した」、また1981年の「グループサウンズ最高!」という本にも「銀色のグラスのベースにはハッとするようなカッコよさがあり、ゴールデンカップスが伝説となっているのもわかる」という記述がありました。また鈴木いずみの小説にも書かれていました。

ルイズルイス加部の自伝「気ままに生きる」より「銀色のグラス」の記述
https://www.berrys-cafe.jp/pc/book/n730755/30/
「気ままに生きる」によると、村八分のチャー坊が山口冨士夫とバンドをやろうとルイズルイス加部を誘ったが、ジョニー・ルイス&チャーが決まっていたので実現しなかった。

ザ・ゴールデン・カップス The Golden Cups/銀色のグラス Love Is My Life
https://www.youtube.com/watch?v=cyZRRMr85s4

エメラルドの伝説/ザ・ゴールデン・カップス(カバー)
https://www.youtube.com/watch?v=55tLTdUcw5s
1969年4月10日発売のオムニバスアルバム「なかにし礼作品集・四つの明星」より。ルイズルイス加部のチャンネルに登録されている。加橋かつみも1971年のライブでこの曲を歌っていた。



 

1982年か1983年ごろ
 ルイズルイス加部のいるピンククラウド(ジョニー、ルイス&チャー)のライブを本多劇場に見に行きました。当時ジョニー、ルイス&チャーは「かっこいい」日本のロックバンドの王道でした。

PINK CLOUD / WASTED 1983
https://www.youtube.com/watch?v=HYElwr4V_MI
ピンククラウドといえば自分はこの曲。2年前の下北沢ガーデンでのジョニー吉長追悼ライブで、ルイズルイス加部が飛び入りで参加しこの曲を演奏したとのこと。 





1983年
 4月から山口冨士夫のライブに行く。1976年にルイズルイス加部とリゾートというバンドを作ったという情報を知る。6月ごろ加部正義名義のソロアルバム「MOON LIKE A MOON」が出て、ベースでなくギターを弾いていたが、ピンクフロイド的な音もある素晴らしいアルバムだった。

加部正義MASAYOSHI KABE - ONLY THE YOUNG
https://www.youtube.com/watch?v=cCIOYpRN0DA
アルバム最後の曲。ジャケットのイラストも本人によるもの。





1984年
 夏、「ゴールデンカップ」など本牧を訪ねる。本牧の住宅街にあったクーラーのない小さな図書館で休んだのが懐かしい。
 1984年の終わりごろ、カップスの「スーパーライブセッション」を入手し、LPの1曲目「モージョワーキン」のジャズのようなランニングベースに驚く。

The Golden Cups / Got my mojo working -
https://www.youtube.com/watch?v=UuDrdz86bVQ





浅草リバーサイドフェスティバルのパンフレットより
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1986年
 野外フリーの浅草リバーサイドフェスティバルで、再びピンククラウドのライブを見る。小雨だったと記憶しています。
 このころ、ミッキー吉野さんからサインをもらい、六本木「ゴールデンカップ」でデイブ平尾さんと握手してもらう。

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1992年
 ルイズルイス加部は、テンプターズの大口広司、フラワートラベリンバンド篠原信彦とともに山口冨士夫の「Atmosphere」に参加し、4月12日に川崎クラブチッタでライブを見ることができました。





1993年
 8月14日横浜寿町のフリーコンサートで、パワーハウスのチーボー、陳信輝、ピンククラウドのルイズルイス加部、ジョニー吉長によるバンドのライブを見ました。最後の曲はクリームのクロスロードでした。その後に、山口冨士夫がアコーティックギターだけで出演。

1998年
 日本のニューロックのCD再発が始まり、伝説のフードブレインやスピードグルー&シンキを聴けるようになりました。

Liver Juice Vending Machine - Food Brain
https://www.youtube.com/watch?v=xWVzVXW3P9s
1970年





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1999年
 ゴールデンカップスが取り上げられた「天使はブルースを歌う」を読む。






2003年
 ゴールデンカップスのコンサートを初めて横浜パシフィコで見る。ゴールデンカップスは31年ぶりの再結成で話題になっていた。


映画「ワンモアタイム」の半券とチラシ
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2004年
 ゴールデンカップスの記録映画「ワンモアタイム」を見る。初めて「愛する君に」「I'm So Glad」の全盛期の映像を見て驚く。映画館でマモルさんからサインをもらう。

The Golden Cups-I'm So Glad (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=IrXJ3vpvKww

2006年
 夏、本牧ジャズ祭の帰りにバスを降りて、初めて「ゴールデンカップ」に入る。ピザを頼んでジャズを聴いた。

2014年
 横浜高島屋に「ゴールデンカップスの時代展」を見に行く。エディ藩さんにサインをもらう。

2017年
 幻だったリゾートの音源が発売される。

リゾート(山口冨士夫&加部正義)  / One more time (Them cover) live 1976
https://www.youtube.com/watch?v=LhzznWdoQRw





加部正義Masayoshi Kabe – Hatsunecho 初音町
https://www.youtube.com/watch?v=1RdJ2ygIZ3g
2015年.加部正義作曲


 今回振り返って、ルイズルイス加部のライブには40年間で5回も行っていたことがわかりました。これは山口冨士夫の9回に次ぐ回数でした。加部さんが武相高校3年生のとき2年生で1人だけマモルさんが加部さんたちのグループに入ったそうです。
 今までありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。





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エディーさんのサイン




2020年09月24日

追悼 ジュリエット・グレコ RIP Juliette Gréco



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今日の1曲
 ジュリエット・グレコ Juliette Gréco - 街角 Coin de rue
 Juliette Gréco - La Javanaise


ジュリエット・グレコさん死去 仏シャンソンの大御所
https://www.asahi.com/articles/ASN9S2H3GN9SUHBI004.html?iref=comtop_photo


グレコ自身の選曲による2015年の62年間の集大成ベスト盤



 フランスの歌手、ジュリエット・グレコが93歳で亡くなりました。1950年代から1960年代まで日本ではシャンソンもたいへん人気がありました。グレコはアイドルで、かつフランスやパリを象徴する文化人として1961年の初来日では国賓並みの扱いを受けたそうです。そこでジュリエット・グレコという名前だけは子供のころからよく聞いていました。

1961年初来日時の写真(1965年来日パンフレットより)
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726ページの大作「シャンソンのアーティストたち」でもグレコに最大のページがとられている。



 1983年にシャンソン喫茶の銀巴里でウェイターをしたのがシャンソンに関心を持ったきっかけでした。美輪明宏さんは、小学生時代からの憧れがSP盤で聴いたエディット・ピアフだったので、グレコは歌っていなかったと思います。しかし、多くの歌手がグレコやジャック・ブレルを目標にしていました。

 まだ動画が貴重だった1992年にVHSビデオ「シャンソン・フランセーズ / ジュリエット・グレコ / 街角」を買いました。それまでに持っていた1960年代のRolling Stones、James Brown、Doorsや1973年のGenesisのビデオと同じぐらい1950年代、1960年代のグレコは「かっこいい」と思いました。

 James Brownが「動」の極みとすると、Juliette Gréco は「静」の中に「動」が隠れているイメージでした。そこで、6800円もしましたが、予備にもう1本ビデオを電話で注文したところ「残念ですが品切れです」と言われました。


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25pLP「枯葉」

 1949年にデビューしたジュリエット・グレコは、世界初のビジュアル系かつ社会派シンガーとも呼べるかと思います。グレコはサルトルなど実存主義者たちに支持されてサン・ジェルマン・デ・プレのミューズと呼ばれ、写真がライフ誌に掲載され有名になりました。グレコはジャズが好きでマイルス・デイビスと恋人になりましたが、マイルスから自分と一緒にいてはいけないと言われ、別れることになりました。1954年にグレコはまだ無名だったジャック・ブレルの「OK悪魔」という反戦歌を歌うようになりました。

ジュリエット・グレコJuliette Gréco / 街角Coin de rue  
https://www.youtube.com/watch?v=0M3ksNml--M
1950年代末期と思われる。VHSビデオにも収録されビデオのタイトル曲となった映像。





Juliette Gréco - Moulin Rouge
https://www.youtube.com/watch?v=cg0VlriQaYs
1950年代のかっこいい画像が多く登場。

Si Tu T'Imagines - Juliette Gréco (Tokyo, 1961)
https://www.youtube.com/watch?v=zcrujIHaNiU
1961年初来日。厚生年金会館の貴重映像。

 
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 無名時代のSerge・Gainsbourgもグレコに憧れ、グレコに捧げたのがゲーンズブールの最高傑作とも言われるラ・ジャヴァネーズ。グレコの生涯通じての代表曲の一つとなりました。

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Juliette Gréco "La Javanaise"
https://www.youtube.com/watch?v=GEpaVG3As-c

Ibrahim Maalouf & Juliette Gréco - La Javanaise  Live 2014
https://www.youtube.com/watch?v=t9fpMy5iE0I
87歳とは思えないオランピア劇場でのライブ。この後の来日公演がグレコの最後の日本でのコンサートになった。



1996年来日時のパンフレットと曲目
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2列目で見ることができた
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 1996年に1度だけグレコの来日コンサートを相模大野で見ました。
 そのときもグレコは、街角とラ・ジャヴァネーズを歌いました。
 ありがとうございました RIP

グレコの自伝



国内ベスト盤25pLP
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posted by カンカン at 15:24| 神奈川 ☁| Comment(0) | シャンソン〜70年代フレンチポップス French Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月22日

追悼岸部シロー ザ・タイガース

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ファンクラブ限定と思われるシングル盤 あわて者のサンタ


今日の1曲
 ザ・タイガース / ハートブレイカー 1970年ライブ
 ビー・ジーズ Bee Gees/若葉のころFirst Of May



シローが加入した後期タイガース



 またGS関連、ザ・タイガースの岸部シローさんが亡くなってしまいました。
 タイガースは40年程前に全シングル盤を集めるほど好きでした。LPも最後の解散ライブが虎模様のカラーレコードで、リーフレットなども豪華でした。
 

ザ・タイガース /ハートブレイカー ライブ
The Tigers / Heartbreaker (GFR cover)
https://www.youtube.com/watch?v=zGAVr41IuLM
伝説の1970年田園コロシアム野外ライブ。このころすでに解散することが決まっていたため、鬼気迫るライブになったという。岸部シローがサイドギター、森本太郎がリードギターを担当。





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山野楽器の写真展。初めてタイガース・アゲインのLPを見たこと、会場の司会者の人が「みなさんが持っていないレコードもあるかもしれません」と言っていたことを覚えている。


 タイガースは1982年の同窓会ライブ(ピー不在)、2012年の沢田研二のタイガース実質再結成ライブ(トッポ不在)をいずれも武道館で見ました。2013年には6人全員揃った完全再結成ライブを東京ドームで行いました。
 2012年1月25日のブログで2012年ライブのレポートを書きました。

[感涙 ザ・タイガース コンサート at 武道館 2012年1月24日]
http://soleluna.seesaa.net/article/248405402.html

 2012年のライブのときは、シローさんは兄の岸部一徳さんに押されて車いすで登場し、闘病の中で自虐ネタのギャグを連発して笑わせ続け、すごい人だと思いました。 
 ご冥福をお祈りいたします。









ビー・ジーズ Bee Gees/若葉のころFirst Of May (1971年)
https://www.youtube.com/watch?v=hFDc_TmY4TE
2012年1月のタイガース再結成ライブの千秋楽、解散からちょうど40年ぶりの武道館公演で、岸部シローが車いすで座って歌った名曲。





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2020年09月10日

追悼マモルマヌー ザ・ゴールデンカップス

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1967年7月15日発売のデビューシングル「いとしのジザベル」


今日の1曲
 ゴールデン・カップス / 愛する君に
 ゴールデン・カップス / グロリア
 ゴールデン・カップス / もう一度人生を
 ゴールデン・カップスThe Golden Cups / Let me love you


 ホームセンターで、歌謡ヒット曲集などと並んでゴールデンカップスの廉価CDを初めて見ました。ゴールデンカップスは改めて一般にも凄い人気だったんだなと思っていたところ、マモルマヌーさんの訃報を新聞で知りました。

 今年の4月23日のジャッキー吉川さん追悼のブログでも書いたように、2003年に横浜でゴールデンカップスのライブを見ることができました。そして、2004年、ゴールデンカップスの記録映画「ワンモアタイム」のロードショーのときに、「今、マモルマヌーさんが来場されていて、ご厚意によりサイン会を行います」とアナウンスがあり、サインをもらうことができました。

 以前、山口冨士夫がダイナマイツの解散後に、ドラムがマモルマヌー、ギターとキーボードが成毛滋で4人のバンドを作る予定だったという記事(日本のロック体系・白夜書房)を読みました。それが事実だったのかをサインのときに尋ねたところ、マモルさんが笑顔で「本当ですよ」と答えてくれました。





ゴールデンカップス「愛する君に」1968年 テレビライブ
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=X4SmagtyIe4&feature=emb_title
1968年9月1日発売「愛する君に」の驚きのカラー映像が登場。マモルマヌーのドラムはグルーブ感がある。


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マモルマヌーさんのサイン

 
 ゴールデンカップス「スーパーライブセッション」の赤盤LPを買ったのは30年ぐらい前でした。これが日本のバンドか?!と40年前に初めて聞いた「銀色のグラス」以来の衝撃を受けました。

 特にB面の1曲目「Gloria」イントロのマモルマヌーのドラムの深くえぐる重い緊張感は何かの儀式のようでした。ゴールデンカップスは「ゴールデンカップ」でベトナム戦地に向かう米軍兵のために演奏していました。

ゴールデンカップス / グロリアGloria (Them Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=fMAfO2DojX4
ゴールデンカップスの実力が世界レベルだったことを証明するLP「スーパーライブセッション」(ライブハウス・ゼン)より。リードボーカルは父がアメリカ将校で、自身も兵役に服したケネス伊東。最後の曲「ゼンのブルース」ではパワーハウスの柳ジョージと陳信輝が参加。





ザ・ゴールデン・カップス もう一度人生を 
https://www.youtube.com/watch?v=5eC53-F2tcE
ゴールデン・カップスの傑作の一つと評価されている名曲。マモルマヌーの名唱。





ザ・ゴールデン・カップスThe Golden Cups Let me love you (Jeff Beck Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=65IGqwrAyDE
ルイズルイス加部がギターで、ハードロック寄りのサウンドが炸裂する渋谷公会堂でのライブ「ゴールデンカップスリサイタル」より。本家ジェフ・ベックより凄いのでは。「スーパーライブセッション」の発売が1969年8月1日、「ゴールデンカップスリサイタル」の発売が10月10日。2か月でライブ盤2枚というのはとてつもない。世界でもトップクラスだったのではないか。このアルバムを最後にマモルマヌーが脱退。

 全盛期のグループサウンズをライブハウスでたくさん見た人が、ゴールデンカップスが一番ずば抜けていて突き刺さるような音だったと言っていました。
 マモルマヌーさんのご冥福をお祈りします。


マモル・マヌー 夕陽は傷だらけ
https://www.youtube.com/watch?v=QKw0aApCWJc
ゴールデンカップス脱退後のシングル。筒美京平作曲。
Rare BirdのSympathyからの影響を感じるドラマティックな曲と歌。





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2020年09月01日

癒しのメロトロン Mellotron ドイツ編 Wallenstein Jürgen Dollase 再び

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Cosmic Music [Gilles Zeitschiff]の付録ポスター
Jürgen Dollaseがメロトロンを使用したWitthuser und Westrupp、Wallenstein、Sergius Golowin



今日の1曲
  Witthuser und Westrupp - Die Schlusselblume 1972年
  Sergius Golowin - Die weisse Alm 1972年
  Walter Wegmüller / Der Weise 1972年〜1973年
  Wallenstein / Song Of Wire 1973年
 Wallenstein - Dedicated to Mystery Land 1973年ライブ 


 7月の長雨に続き、8月の猛暑も終わりそうな気配がしてきました。台風で大きな被害が出ないことを祈るばかりです。コロナについても、日本でも外国でも少しずつですがコンサートの告知が出るようになってきました。

 久々の「癒しのメロトロン」はドイツ編、すでにブログ「カテゴリー:メロトロン」で紹介したWallenstein、Cosmic JokersのJürgen Dollaseです。彼は幼少からピアノを学び、普段からベートーベンを弾き、セミプロとしてバーでピアノなどを演奏していました。

 Wallensteinの1stから3rdの歌詞には直接的、暗喩的にベトナム戦争が書かれ、メロトロンにも重い時代背景があります。Jürgen Dollaseの幽玄の美学ともいうべきメロトロンをもう一度振り返ってみました。


[1971年]


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Blitzkrieg時代の写真:左からHarald Grosskopf Wolfgang Steinicke Jürgen Dollase

 最初期のWallensteinはBlitzkriegというバンド名で、現在は有名な天文学者Wolfgang Steinickeがギターを担当していました。Blitzkriegの名のイギリスのバンドがあったため、Wallensteinに変更しました。

 Wallensteinの1stから8thは、Scorpionsで世界的に著名なプロデューサーDieter Dierksスタジオで制作。Scorpions以前、WallensteinはDierksが最も力を入れて最初に成功したバンドでした。WallensteinのメロトロンM400はDierksスタジオのもの。

 1971年に加入したギタリストのBill Baroneによると、DierksスタジオでWallensteinの1st録音の際、M400をJurgenが弾くときに自分がチューニングしたそうです。BaroneもMellotronが好きで、Moody Bluesのファンとのこと。

Wallenstein / Audiences [Blitzkrieg]
https://www.youtube.com/watch?v=jTHoKm0jD9o
1971年録音の1stアルバム最後の曲。6:10からラストまで、暗黒に光が射すようなストリングス・メロトロン。VocalはJerry Berkers。ベトナム戦争現地でバンド演奏の際にダンサーの銃殺と銃撃戦を体験し、そのトラウマから後にコカインで死亡。






[1972年]

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左から Bill Barone Harald Grosskopf Jürgen Dollase Jerry Berkers 
オムニバスLP「Rapunzel」より


 Wallenstein の2nd、Mother Universeは、1972年8月のフランスの音楽誌で月間ベストアルバムに選出。ドイツ本国以外で高く評価されたドイツロックの最初のLPといえます。このころはKraftwerkもTangerine Dreamも外国ではまだ無名で、Can、Amon Duul 2がイギリスで発売されていた程度でした。

Wallenstein / Mother Universe
https://www.youtube.com/watch?v=E_ATd5vRvWk
1曲目。1:12からストリングス・メロトロン。5:07「天国への階段」の影響と思われる転調を経て、ラストまでメロトロンが響き渡る。Jerry Berkersの生前葬ともいえる深い歌詞。

Wallenstein / Mother Universe 歌詞Lyrics
https://lyricstranslate.com/ja/wallenstein-mother-universe-lyrics.html





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Witthuser und Westrupp / Bauer Plath の内ジャケットのJürgen Dollase


 1972年6月には、同じPilzレーベルのフォークデュオWitthuser und WestruppのBauer PlathにBerkersベース、Harald Grosskopfドラムス、Dollaseキーボード・メロトロンがゲストで参加しています。

Witthuser und Westrupp - Die Schlusselblume [Bauer Plath]
https://www.youtube.com/watch?v=d-GewRK3bgE
冒頭から鈴のようなサウンドの背後のストリングス・メロトロンはまさに幽玄の美学。後半はMother Universeに匹敵する名演。





 さらにDollase、Berkers、Grosskopfは、Ohr、Pilzレーベルから選抜されたCosmicセッションに1972年から参加。Klaus SchulzeやManuel Gottschingらとセッションを重ねます。

Sergius Golowin - Die weisse Alm  [Lord Krishna von Goloka]
https://www.youtube.com/watch?v=ZUclO6TwqIo
Dollase作曲。Witthuser und Westruppのツインアコースティックギターと癒しのコーラス・メロトロン。 





Sergius Golowin - Die weisse Alm 別ヴァージョン [The Cosmic Jokers / Gilles Zeitschiff]
https://www.youtube.com/watch?v=QAv5ds6Kt48
9:45からDie weisse Almの別Mixで、ウインドチャイムとDollaseの語りが加えられている。この曲の前後は、Timothy Leary+Ash Ra Tempel / Seven Up。全般にKlaus Schulzeのシンセサイザーが使用された。





Walter Wegmüller / Der Weise  [Tarot]
https://www.youtube.com/watch?v=j7sV9byAAjY&list=OLAK5uy_mK2tTYWP8rE7TV0qKAGqelbB0lUuFACds&index=10
TarotアルバムでKlaus Schulze自身が詞を朗読する異色作。0:36、3:31のDollaseのコーラス・メロトロンに癒される。

Walter Wegmüller / Die Zerstörung  [Tarot]
https://www.youtube.com/watch?v=2BhPg6VoPRc&list=OLAK5uy_mK2tTYWP8rE7TV0qKAGqelbB0lUuFACds&index=18&t=0s&fbclid=IwAR3WYAZPkTBbK6exjfVRMM_AT1AxqRvAGJNqx3oFFV2tIhi0GHAX4InE2xc
ピアノ、ストリングス・メロトロンにコーラス・メロトロンが加わる陶酔の音。2枚組LPのC面の最後で、D面の大曲への導入部となる。






[1973年]


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「BRAVO LP」と印字されたWallenstein / Cosmic Centuryの2ndプレス。


Wallenstein - Dedicated to Mystery Land (1973)ライブ [Mother Universe]
https://www.youtube.com/watch?v=6ZIq2m9OCWQ
Wallensteinの当時の人気を証明するスイスTVでの驚愕のカラー映像。ボーカルだったベースのBerkersは精神に異常を来して脱退し3人で演奏。イントロで、Tangerine DreamやCosmicセッションからの影響と思われる効果音を使用。

 1973年4月〜7月ごろのDierksスタジオでのThe Cosmic JokersのセッションではGalactic Supermarketで、Dollaseがコーラスメロトロンを大胆に使用しました。

The Cosmic Jokers / Kinder des alls [Galactic Supermarket]
https://www.youtube.com/watch?v=e_icIBkF5CA
DollaseのコーラスメロトロンにKlaus Schulzeのシンセサイザー、 DollaseのPianoが絡む。Tangerine Dreamの全盛期にも匹敵するCosmic musicの傑作。





 Mother Universeで勢いを得たWallensteinは、3rdアルバムCosmic Centuryを発表。1973年11月にドイツで月間ベストアルバム「BRAVO LP」に選出されています。Song Of WireではCosmic セッションで発見したコーラスメロトロンを大々的に使用。

Wallenstein / Song Of Wire [Cosmic Century]
https://www.youtube.com/watch?v=-Qa-XHc9cV4
6:36コーラスメロトロン。7:20からラストまでが、Baroneのギターと絡むDollaseのメロトロンの最後の輝き。

Wallenstein Symphonic Rock Orchestra / Silver Arms (オーストリアTV, 1973) [Cosmic Century]
https://www.youtube.com/watch?v=t1G8OEPqTus
これもWallensteinの当時の人気を証明する貴重なカラー映像。2:13でバックにメロトロンを使用。





 Wallenstein、Jürgen Dollaseの「癒しのメロトロン」もまたベトナム戦争の終結とともに役割を果たしたと思えます。Wallensteinは4thでメロトロンの使用を止め、1977年から1981年までメンバーを変え、ポップバンドとして別の道を歩むようになりました。

Wallenstein-Charline 1978
https://www.youtube.com/watch?v=iGCjzXVPgtQ
ドイツで17位にランクされたヒット曲。


1970年代初期のドイツロックを網羅した著作



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posted by カンカン at 23:46| 神奈川 ☁| Comment(0) | メロトロン Mellotron  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月15日

天地真理 / 水色の恋 再び

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今日の1曲
 天地真理 / 水色の恋 Live 1974年
 天地真理 / 水色の恋 ピアノ演奏 1972年
 天地真理 / 水色の恋 1971年


 猛暑が続いております。体調にお気を付けください。
 夜なのに33.5度というのは初経験です。頭と、体温を一番下げるという脇と首を冷やしています。扇風機であおるとかなり楽になります。
 
 ブログも暑さでなかなか進みません。
 そこで、今回は、清涼感あふれる天地真理のファルセットボイス。水色の恋、再び(3度目?)です。1974年のライブヴァージョンと本人のピアノ演奏もみつかりました。



天地真理 / 水色の恋【天地真理 オン・ステージ1974年】から
https://www.youtube.com/watch?v=Ozz2YLiE1js

https://www.youtube.com/watch?v=IaO7rWhzqec&t=126s
1曲目が水色の恋。ハイトーンが美しい。





天地真理 ピアノ演奏 水色の恋 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=ZaIH3ssVDoE
2歳で親が離婚して母子家庭で育った天地真理。
天地真理の全盛期は、ベトナム戦争末期、村八分〜山口冨士夫「ひまつぶし」期、イタリアンプログレッシブロック全盛期と一致している。


天地真理 水色の恋 1971年 オリジナルシングル
https://www.youtube.com/watch?v=Pe8vwYe0fTY





天地真理デビュー前 「水色の恋」原曲 幻の「ちいさな私」を歌う
https://www.youtube.com/watch?v=6RnMkwUzro0
テレビ「ヤング720」1970年





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2020年07月20日

Locanda delle fate 1978年カラー映像

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シングル盤 Locanda delle fate / New York 1978年


今日の1曲
  Locanda delle fate / New York 1978年


 本ブログで2012年来日レポートも紹介したLocanda delle fateの貴重な1978年のカラー映像がみつかりました。同年のシングル盤のAB両面を紹介しており、いずれもプログレとポップスの架け橋になる佳曲で、Locanda delle fateの実力がわかります。

 特にNew YorkはLe OrmeのSeraに似た雰囲気を持ち、昔から好きな曲でした。 作曲者のMichele Contaは現在は医師として活躍し、コロナ問題でも尽力されています。新譜Endless Nightsも発表しています。





ロカンダ・デッレ・ファーテ wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%86

 イタリアン・プログレッシブ・ロックの始期については1971年のLe OrmeのCollageとするのが多数説のようですが、終期については1977年のLocanda delle fate の1stアルバムと言えるでしょう。

 実際にはイタリアン・プログレは1974年にベトナム戦争終結で創造力を失い、オイルショックで業界が不況になり、政治問題でロックコンサートが禁止され、ほとんど途絶えました。Locanda delle fate は時期を外したまさに最後の輝きでした。

 Locanda delle fate / Nove Lune, New York 1978年カラー映像
https://www.youtube.com/watch?v=OkyDdrFWFJc&feature=share&fbclid=IwAR3IWxA3QNabMAAvx3XwFzCrXun89Z1ZHkrEouAV32OEFIjn5nmHlWjqo5I
6:17 司会者がジョン・トラボルタやBee Geesの話をした後にNew Yorkの演奏。
イタリアン・カンツォーネやプログレがDiscoに変化したことがわかる映像。
 

1977年の1stアルバム。シングル2曲をボーナストラックとして追加



Locanda delle fate / New York, Nove Lune Live
https://www.youtube.com/watch?v=fQI8R2dMZ7M
Leonardo SassoがVocalをとった再結成時のライブも発見。


2012年来日時のサイン
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Locanda Delle Fate - Live At RAI (1977) Full Show
https://www.youtube.com/watch?v=zOVbF7Dq2_g&t=86s
1stアルバムからのライブ。イタリアの国営放送で30分の単独ライブというのは珍しい。当時のイタリアで最高レベルのバンドだったことがわかる。


1977年のRAIでのライブを収録



 今日は30度を超し暑くなりましたが、卓上冷風機のおかげで頭が回っています。地球温暖化を少しでも抑えられるように、自分の部屋は今年の夏もクーラーなし、ローコストの卓上冷風機で頑張ってみようと思います。





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2020年07月07日

追悼 エンニオ・モリコーネ Ennio Morricone

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Ennio Morriconeがミーナのために作曲・編曲した唯一の曲「束の間に燃え尽きて」Se telefonandoを収録した唯一の国内盤レコード



今日の1曲
  Renzo Zenobi - E ancora le dirai ti voglio bene
  Riccardo Cocciante / Quando finisce un amore
  Riccardo Cocciante / Lucia
  Milva - La Califfa
  Mina - Se telefonando
 Ennio Morricone Nuovo Cinema Paradiso "Tema finale"
  Ennio Morricone 海の上のピアニスト The Legend of 1900
  Ennio Morricone Once upon a time in America



 イタリアの巨匠エンニオ・モリコーネが91歳で亡くなりました。
そこで、思い出深い曲を振り返ってみました。

 まずRenzo ZenobiのE ancora le dirai ti voglio beneは、12年前にブログを始めてみようと思ったきっかけの曲です。祖母の死で体調を崩し、回復に向かうころにCDをみつけました。「今日の1曲」の2曲目に選んだ曲です。


Renzo Zenobi - E ancora le dirai ti voglio bene
https://www.youtube.com/watch?v=DOhYhg-dGHo
ラストのコーラスの編曲が特に美しい。何百回でも聴ける。


唯一のCD。E ancora le dirai ti voglio bene収録のベスト盤



Riccardo Cocciante / Anima 初版ジャケットを使用したカセットでは、LPのB面1曲目のMorricone編曲Quando finisce un amoreがA面の1曲目に配置された。
シングル盤ではB面のQuiの編曲をMorriconeが担当。
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 Riccardo Cocciante / Animaは、Concerto per Margheritaの次に購入したLPで、Margherita同様に捨て曲のない傑作。8曲中、4曲がMorricone編曲で、歌、オーケストラ、コーラス全てが素晴らしく衝撃を受けました。

Riccardo Cocciante / Quando finisce un amore Live
https://www.youtube.com/watch?v=t9IGHhrpFiM
Morricone編曲のオリジナル音源に乗せてライブで歌う貴重映像

Riccardo Cocciante / Lucia
https://www.youtube.com/watch?v=iPlkpYOiRq8
2:30からのMorricone編曲の展開が素晴らしい


Animaの再版LPのジャケットはミシェル・フォロンの絵だけが印刷されていた。
タイトルとArranged by Ennio Morriconeと明記されたCD  



 ミルバのLa Califfa は本ブログでも頻出ですが、Morricone自身が「Milvaに捧げる」というアルバムの1曲目であり、ミルバ、モリコーネ双方にとっても最高傑作の1つだと思います。

Milva - La Califfa 1976 
https://www.youtube.com/watch?v=EkvH5rOCSwE
今回はカラー映像で。口パクで、オリジナルLPと同じ音源。





 イタリアの女王ミーナにもMorriconeは作曲編曲して1曲だけ提供しています。


Mina - Se telefonando「束の間に燃え尽きて」
https://www.youtube.com/watch?v=0i465if_hRY





 以下、サントラで思い出のメロディーを挙げてみました。
 RIP Maestro Ennio Morricone


Nuovo Cinema Paradiso "soundtrack final" "Tema finale"
https://www.youtube.com/watch?v=qMgTCtSxOHE
ニューシネマパラダイス





海の上のピアニストPlaying Love - The Legend of 1900
https://www.youtube.com/watch?v=WfzBx8SSQOU





Once upon a time in America-Ennio Morricone
https://www.youtube.com/watch?v=D4W17gTumi8





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2020年06月30日

〜 KISSのジーン・シモンズのドキュメント番組 〜








今日の1曲
  Kiss - I Was Made For Lovin' You 1979年


NHK「ザ・ヒューマン「誇り高き悪魔 ジーン・シモンズ」
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=22755


  引退するKISSのジーン・シモンズの3月28日BS・NHKのドキュメントは反響を呼び、2時間拡大版の再放送、NHK総合では30分編集の再々放送がされました。コロナ非常事態宣言の禍中で体調が苦しかったこともあり、とても感銘を受けました。

 衝撃だったのは、彼の母がナチスの強制収容所に送られ、両親と兄が殺害され彼女だけ生き残ったという事実です。彼は最も影響を受けたという母からずっと「生きて健康であれば勝者」「生き残った者には責任がある」と言われてきたそうです。
 ステージ衣装の重さは20キロもあるとのこと。

 他の発言より。「誰からも好かれる音楽ではないかもしれないが、他がやらないことをやっている」「ビートルズほどにはなれなかったが、悪くはない」「暗闇の中にいる人の光になれたらいい」「子どもの笑顔が一番だ。お金で買えないからだ」

 今まで知らなかったジーン・シモンズの素顔がわかりました。
 同じ1949年生まれの山口冨士夫や原爆被災地広島出身の矢沢永吉に通じるものを感じました。


Kiss - I Was Made For Lovin' You
https://www.youtube.com/watch?v=ZhIsAZO5gl0
やはりホロコーストで父を失ったエドガー・フローゼのTangerine Dreamから始まったシンセサイザーサウンドも取り入れた1979年の大ヒットDiscoナンバー





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posted by カンカン at 22:25| 神奈川 ☔| Comment(0) | アメリカンポップス American Rock & Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする