2022年09月22日

RIPヴィットリオ・デ・スカルツィVittorio De Scalzi New Trolls ~ 1973年傑作N.T. Atomic System 〜 Riccardo Fogli 珠玉のProg Pops  〜  1976年New Trolls再結成 〜 Live in Japan

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2013年のLive in Japanのフライヤー。


今日の1曲
 New Trolls / Signore, Io Sono Irish 1968年
 New Trolls / Una miniera 1969年
 New Trolls / Concerto Grosso−Adagio 1971年
 New Trolls / In St. Peter's Day 1972年
 New Trolls / Once That I Prayed 1972年
 New Trolls / Atomic System 全曲 1973年
 Alphataurus / Croma
 Riccardo Fogli / Amico Sei Un Gigante 1974年
 Riccardo Fogli / Una Stanza Bianca
 Ibis / Divinity part 1
 Latte Miele / Un Mattino
 New Trolls / Quiet seas 1976年
 New Trolls / Le Roi Soleil
 New Trolls / Live (1976) – Magma MAL04
 New Trolls / Suite disco 1978年
 New Trolls / Quella carezza della sera
 New Trolls / Musica insieme
 New Trolls / Anche noi 1979年
 New Trolls / Il Sole Nascerà Live in Japan 2006
 New Trolls(Vittorio De Scalzi)/ Ultimo Concerto Grosso
       14/07/2022 Sanremo Live


 New TrollsのVittorio De Scalziが残念ながら亡くなってしまいました。2013年の来日の際にはサインも頂いたので大変ショックです。2013年の来日は、Nicoが病気で来られなかったため、Vittorio主導の公演となりました。

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 今回も故人に対する感謝を込めてVittorio De Scalziの音楽を振り返ってみたいと思います。

イタリアのニュースVittorio De Scalzi、New Trollsの創設者、死去 (mediaset.it)
Musica: morto Vittorio De Scalzi, fondatore dei New Trolls (mediaset.it)
https://www.tgcom24.mediaset.it/spettacolo/musica-morto-vittorio-de-scalzi-fondatore-dei-new-trolls_52764563-202202k.shtml?fbclid=IwAR2x2UntNmnBBzj588Ra4uYeao3UzGTg56sh4XesOExxiFL8GeTiwi_i7NE

L'ultimo saluto a Vittorio De Scalzi: il funerale laico al Club Tenco di Sanremo
弟のAldo、New TrollsのNico、Gianni、Rickyが出席し、追悼したお別れ会
https://www.youtube.com/watch?v=YNjNdT5k3QI

 1977年から1979年まで、New Trollsは特別な存在でした。1971年から1976年までは、国内盤レコード店には買えないほどのLPが山ほどありました。

 しかし、1975年にロックが変わり、1977年に入るとレコード店に買いたいレコードがなくなり、砂漠のように見えました。

 そのような中で、輸入盤でみつけたNew Trollsは音楽の救世主でした。New Trollsは1985年まで全曲聴きましたが、膨大な量があり、今回はVittorio De Scalziに関連するものを振り返ってみたいと思います。

 特にVittorio De Scalziが主体となった1973年のN.T. Atomic Systemには43年前に感銘を受けました。またVittorio De Scalziが1974年〜1976年のMagmaの時期に作曲した元I PoohのRiccardo Fogli、Latte Mieleのシングル曲も素晴らしいので取り上げたいと思います。

 1973年にNew Trollsが一度分裂してしまいましたが、それによってVittorio De ScalziはN.T. Atomic System、Tempi Dispari、NicoはIbis / Sun Supreme、Ibis / Ibisなどの傑作を生みだしました。

 そこで培われたVittorioのJazz RockとProg pop、NicoのProgressive Hard RockとProg popの合力が、1976年のNew Trolls再結成以降の充実した活動と成功に繋がったのだと改めて思いました。


〜 1967年デビューから1972年までのNew Trolls 〜


1968年の1stアルバムSenza Orario Senza Bandiera 
社会派Fabrizio De Andréが作詞を担当
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 New Trollsの1967年のデビューから1970年までの作品のほとんどの作者はGiorgio D'Adamo、Nico Di Palo、Vittorio De Scalziの連名です。
 おそらくNew Trollsのスポークスマン的な存在だったGiorgio D'Adamoが作詞、Nico Di Palo、Vittorio De Scalziの2人が作曲担当と思われます。
 ProducerはGianpiero Reverberiで、美しい旋律と新しいRockを融合させた素晴らしいものでした。

 Nico Di Palo、Vittorio De Scalziの作曲コンビは、BeatlesのJohn、Paulのような世界屈指のものだと思います。JohnとPaulのように、Nico単独、Vittorio単独、両者の共作、分担、協力・助言といった関係があったと思われます。
 Paulもファンだったと言うNicoの「The Voice」と呼ばれた強力なボーカルを前面に出すため、Vittorioが作ってNicoが歌った曲もあったと思われます。

 今回は、Vittorioがリードボーカルの曲を中心に見たいと思います。
 まず、Milvaなどと並んでイタリア初のコンセプトアルバムとされる1stアルバムSenza Orario Senza Bandieraの収録曲で、1969年にシングルカットされたSignore, Io Sono Irishは、後に多くのライブでも演奏されています。

New Trolls / Signore, Io Sono Irish 1968年
https://www.youtube.com/watch?v=8swkhkQr74c&list=PL2Mt3dp76i0Mqomze7mOkTmhlH1fFjkBP&index=3

 そして炭鉱事故の問題を歌った1969年のUna minieraは初期の代表曲で、ほとんどのライブで演奏され、来日公演でも演奏されました。
 
Una miniera。
B面は、Concerto GrossoのLPのB面のライブの原曲 Il Sole Nascerà
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New Trolls / Una miniera 1969年
https://www.youtube.com/watch?v=TFOWLvjPFB4

 1971年のConcerto GrossoはVittorio De ScalziがNew Trollsの最も重要な作品とするもので、特にAdagioはVittorioの低音が深みを与えています

New Trolls / Concerto Grosso−Adagio 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=DCgvp6IfE7w

 1972年の2枚組Searching For A Landでは、NicoとVittorioの趣向が割れ、1枚目がVittorio主導のクラシカルロック、2枚目はNico主導のハードロックが主体となっています。

 特にキーボード奏者Maurizio Salviを迎えたVittorioがボーカルをとるIn St. Peter's Day、Once That I Prayedの連曲は感動的で、NicoのBright Lightsもブリティッシュ・ハードの名曲に匹敵する傑作だと思います。

New Trolls / In St. Peter's Day (De Scalzi-Salvi )1972年
https://www.youtube.com/watch?v=ONE2kMC4wTQ
最近、発見されたテレビ映像。レコードの音源。来日の際にVittorioが予算の関係でオーケストラが使えなかったと話していた。ARP2600 Synthesizerが素晴らしい。

★New Trolls / Concerto Grosso & St.Peter's Day 1972年ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=hnZubCu3xqM
Vittorio De Scalziの意図したとおりオーケストラを導入。音楽史上の傑作ビデオの一つと呼びたいSenza Reteでのライブ

New Trolls / In St Peter's Day オーケストラ版スタジオヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=CzK7emgN0gk
これもオーケストラを導入した素晴らしいスタジオヴァージョン。1972年ごろの映像も素晴らしい。いつの録音かは不明。

New Trolls / Once That I Prayed
https://www.youtube.com/watch?v=L2y4HTeZMRg
Searching For A LandのA面のIn St Peter's Dayに続く4曲目の佳曲。おそらく歌をDe Scalziが作曲してFrank Laugelliが作詞、ピアノソロはMaurizio Salviの編曲と思われる。


〜 1973年  N.T.Atomic System
        Vittorio De Scalzi、Giorgio D’Adamo主体の傑作   〜

「New Trolls」のシールが張り直されたカセットテープ
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 1972年のUTにVittorio De Scalziは1曲しか参加していなかったことは最近知りました。UTの後、Vittorio De ScalziとNico Di Paloは袂を分かち「New Trolls」の名義を巡って裁判で争うことになります。

 Vittorio De ScalziはMagmaレーベルを設立し、裁判中に「N.T. Atomic System」名義で傑作をリリース。
 Beatlesのように、Nico(John)から完全に解き放たれたVittorio (Paul)はGiorgio D’Adamoのサポートを得て、自分のやりたいクラシック・ジャズ色の強いProgressive Rockを完成させます。 

 これに対して、Nico Di Paloは4人の連名で「?」というジャケットのLPを発表。Vittorio が勝訴して「New Trolls」の名義を使用することになり、Nicoは公募で決まった「Ibis」名義でSun Supreme、Ibisを発表します。

IBIS / Divinity Part I 1974年
https://www.youtube.com/watch?v=Dmcq5KiwG0s
Sun SupremeのB面の1曲目

 分裂してもこれだけの傑作が作れることは、Vittorio De ScalziとNico Di Paloがいかに凄い才能を持っていたかを証明しています。


 
 1970年代後半からは「商業ロック」と呼ばれたLPが全盛でした。LPはA面6曲、B面6曲の全12曲か10曲で、A面の1曲目がヒット曲かタイトル曲という作品が世界的に主流でした。

 しかし、N.T. Atomic Systemは6曲全部が素晴らしく、初めて聞いたときは感動しました。


New Trolls / Atomic System全曲
https://www.youtube.com/watch?v=OKuMlgKggtQ&list=PLGDEo7485fH7lYxdY5NZouu7wb50psBqb
La nuova predica di Padre O'Brien からスタート。

見たことのない3面めくりのジャケットに驚いた
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 Vittorio De Scalziが勝訴した後、New Trollsとして音楽番組Under 20に出演しています。

New Trolls / Quando l'erba vestiva la terra テレビ出演
https://www.youtube.com/watch?v=HJA1yHjGzrQ
Atomic System の中でも評価の高い曲

N.T.Atomic Systemのメンバー。
ダニエル・リカーリのような女性スキャットが斬新だった
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◆New Trolls ( N.T.Atomic System ) / Atomic System 曲目リスト 
       Magma – MAGL 18002 1973
A1 La Nuova Predica Di Padre O'Brien 6:40
A2 Ho Visto Poi 7:28
A3 Tornare A Credere 8:30

B1 Ibernazione 5:45
B2 Quando L'Erba Vestiva La Terra 7:15
B3 Butterfly 8:05

Left:Japan 1982 Right:Italy 1973
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・1973年イタリア盤のジャケットには「N.T.Atomic System」と表記。
  ラベルには上段に「N.T.」下段に「Atomic System」と表記。
  裁判でVittorio側が勝訴後、ジャケットに「New Trolls Atomic System」というシールが貼られた。

・1982年の日本盤のジャケットには「New Trolls Atomic System」と表記。
  ジャケットのサイドには「N.T.Atomic System」と表記
  ラベルには「N.T.Atomic System」の「Atomic System」と表記。
  B面の1曲目にUna Notte Sul Monte Calvoを追加。

 
「N.T.Atomic System」はModest Mussorgskyの「はげ山の一夜」がA面の1曲目に追加され、Unoのように、1974年にドイツで「Night On The Bare Mountain」、1975年にフランスで「New Trolls」として発売されました。
 Nico Di PaloのIbisも全曲英語のSun Supremeで海外進出を目指しましたが実現しませんでした。

 Unoでは4曲が英語の詞に変更されたのに対し、逆に英語曲のButterflyがカットされています。曲順も変更され、A面で「はげ山の一夜」の後に力強いボーカル曲のTornare A Credereが繋がるところが特に印象的です。

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曲目リスト
◆New Trolls – Night On The Bare Mountain 
    PAN – 88 278 IT Germany 1974
◆New Trolls – New Trolls Eurodisc – 913 010 France 1975
     
A1 Night On The Bare Mountain "Una Notte Sul Monte Calvo"
A2 To Believe Again "Tornare A Credere" 
A3 When The Grass Covers The Earth "Quando L'erba Vestiva La Terra"

B1 The New Sermon Of Father O'Brien
   "La Nuova Predica Di Padre O'Brien"
B2 Later I Saw "Ho Visto Poi"
B3 Hibernation "Ibernazione"

 1976年には、イタリアでも「Una Notte Sul Monte Calvo」をタイトルにしてN.T.Atomic Systemが再発されています。
 ここでは、A面の「はげ山の一夜」の後に明るい英語曲の「Butterfly」が繋がるところが印象的です。1973年のN.T.Atomic SystemではA面の3曲の歌詞は全て死について触れていました。ベトナム戦争が終わった世相を反映しています。

◆New Trolls / Una Notte Sul Monte Calvo Magma – MAL 05 1976
A1 Una Notte Sul Monte Calvo 3:30
A2 Butterfly 4:36
A3 Quando L' Erba Vestiva La Terra 7:10
A4 La Nuova Predica Di Padre O' Brian 6:40

B1 Ho Visto Poi 7:28
B2 Tornare A Credere 8:30
B3 Ibernazione 5:45


 AlphataurusをMagmaレーベルからリリースしたのもVittorioの功績だと思います。Magmaの第1弾MAGL18001番であり、3面開きジャケットとともに語り継がれる内容です。

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Alphataurus / Croma
https://www.youtube.com/watch?v=PWFo6WPAWkY&list=RDEMK9JbNr18e1BLLJn1Jc2hyA&index=19
Concerto Grosso Adagioからの影響が感じられる名曲。


Studio GからAlphataurus、Pholus Dactylus、New Trolls in Atomic Systemが参加した1973年4月13日のライブ
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〜 1974年‐1976年 Vittorio De Scalzi作曲による
 Riccardo Fogliの珠玉のItalian Prog Pop4部作 Latte Mieleのシングル 〜

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 Vittorio De ScalziはN.T.Atomic Systemに続いて、1974年と1975年にRiccardo Fogliのために4曲作曲しています。Riccardo FogliはI Poohを1973年に脱退し、ソロ歌手として勝負を賭けていた時期であり、Vittorio De Scalziの作曲にもN.T.Atomic System以上の意気込みが感じられます。

Riccardo Fogli / Amico Sei Un Gigante
https://www.youtube.com/watch?v=SJPT2QlFQxM
1974年作。N.T.Atomic SystemのLP1枚分を圧縮したような力作。

 これらのRiccardo Fogliの作品は、ベスト盤のカセットテープを偶然買って知りました。Una Stanza Biancaという曲はイタリアでシングル盤などでも出ておらず、お蔵入りしていたものが1981年のベスト盤で初めて陽の目を見たようです。Riccardo FogliにはMatteoというLPまで制作しながらプログレ過ぎてお蔵入りした作品もありました。

Riccardo Fogli / Una Stanza Bianca
https://www.youtube.com/watch?v=uJ6h18VMeD4
1981年までお蔵入り。Riccardo Fogliも本当はプログレをやりたかったのではないかと思わせる。

Riccardo Fogli / Un Estancia Blanca (UNA STANZA BIANCA)
https://www.youtube.com/watch?v=dpzNgTRNQug
1976年のスペイン語盤LPにはUna Stanza Biancaが収録。

Riccardo Fogli / Maryanne
https://www.youtube.com/watch?v=jy4ksz-Sjrg
これもイタリアでは1981年までお蔵入りしていたプログレ・ポップの佳曲。スペインではシングル Que Me Importa Comprender / Maryanneとしてリリース。

Riccardo Fogli / Guardami... 
https://www.youtube.com/watch?v=VxNpe6axXMA
夏のディスクDisco per l'estate 1975年の参加曲。

 Vittorio De Scalziの尽力にもかかわらず、Riccardo Fogliはヒットしませんでしたが、いずれも忘れられない作品です。


 1976年にはStudio GのGrog RecordsからVittorio De Scalziの作曲によるLatte e Miele / Un Mattinoが発売され、これもRiccardo Fogliのシングルのような名曲です。

Latte e Miele / Un Mattino 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=5SOfcEyxVfg
名曲。LPはMagmaから、シングルはGrogから発売された。


〜 1976年 NicoとVittorioの和解によるNew Trollsの復活 〜


New Trolls / Concerto Grosso N°2
1976年のNew Trolls Live  イタリア盤と日本盤(L.I.V.E.N.T.)
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 1976年にNico、Vittorioは和解してNew Trollsを再結成します。「Atomic System」「Sun Supreme」で培われた才能の合力、Sergio BardottiのProduceとBacalovやGianfranco Lombardiの編曲によってNew Trollsは最盛期に向かっていきます。
 
 まず、再びBacalovの作曲によってConcerto Grosso N° 2が発表されます。
 ライブの最後に演奏されることになる代表曲Le Roi Soleil がNew Trollsの全員とBardottiの作詞で作られます。

New Trolls / Concerto Grosso N°2 − 1° tempo Vivace
https://www.youtube.com/watch?v=S4fCTTxQ9ho&list=PLbIN9DHtOfK_OizZybF7H1T1SqRgx_CFD&index=1
1971年のConcerto Grosso-Adagioとは別人のような明るさ。Bacalovにもベトナム終戦の安堵感が現れている。New Trollsの演奏力も向上している。1970年代末の精神的に辛かった時期には逆にAdagioのような重い音の方が癒された。

New Trolls / Quiet seas
https://www.youtube.com/watch?v=NUDguYNVI1I&list=PLbIN9DHtOfK_OizZybF7H1T1SqRgx_CFD&index=4
A面の最後を飾る佳曲。前半はVittorioの力強い歌、後半はNicoのIbisのようなアンサンブルになる。

New Trolls / Le Roi Soleil
https://www.youtube.com/watch?v=w7_Sj71hAEc&list=PLbIN9DHtOfK_OizZybF7H1T1SqRgx_CFD&index=8
N.T. Atomic SystemとSun Supremeのテクニックとメロディーが合体した傑作。最後にQuiet seasのエンディングが繰り返され、深い余韻を残す。

 1976年のNew Trolls / Liveも、VittorioのN.T. Atomic SystemとNicoのSun Supremeの力が凝縮したような素晴らしいライブ盤です。

New Trolls / Live (Italy 1976) – Magma MAL04
https://www.youtube.com/watch?v=fwjx9vMiGA0
Concerto Grosso Adagioもこれが最良のライブヴァージョンと言える。


 これ以降もNew Trollsは、Progressive Rockの実力をPopsの世界で開花させて素晴らしい作品を生み出していきます。


1978年 New Trolls / Quella carezza della sera  最大のヒット曲
1979年 New Trolls / Cadenza / La Prima Goccia Bagna Il Viso Japan 
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New Trolls / Suite disco
https://www.youtube.com/watch?v=lSq8L_pNpJI
1978年のAldebaranの1曲目。DiscoブームにProgの要素も取り入れ、当時世界最高のバンドの一つだったことを証明している。

New Trolls / Quella carezza della sera
https://www.youtube.com/watch?v=0mUkwI57TUk&list=OLAK5uy_k4QMkHYuOYO4K8d5YKb_h81eekefWYWWY&index=2
代表的なヒット曲。AldebaranのA面の2曲目。

New Trolls / Musica insieme
https://www.youtube.com/watch?v=Vf8kSMkk1rk&list=OLAK5uy_k4QMkHYuOYO4K8d5YKb_h81eekefWYWWY
AldebaranのA面の3曲目。1978年には、冒頭から3曲が続いて良曲というアルバムは日本にも海外にもほとんどなかったので感動した。


New Trolls / Anche noi (Luna Park テーマ曲 1979)
https://www.youtube.com/watch?v=TeXqkMiBRig
これもDisco曲。New Trollsの演奏力・リズムのGroove感に圧倒される


 
〜 New Trolls 来日公演の軌跡 Live in Japan 〜 


・2006年4月7日8日9日(追加公演)7,8,9 Apr. 2006
  New Trolls初来日「CONCERTO GROSSO LIVE IN JAPAN」
         with Strings Orchestra
  メンバーは、Vittorio De Scalzi、Alfio Vitanza他。Maurizio Salviがオーケストラの指揮を担当。

New Trolls / Il Sole Nascerà Live in Japan 2006
https://www.youtube.com/watch?v=b-tUIUYv26U


・2007年4月7日8日  7,8 Apr. 2007
  「Concerto Grosso V Welcome back to Nico Di Palo」
        with Strings Orchestra
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 Vittorio De ScalziとNico Di Paloが共演した唯一の来日公演。
 体調が苦しい中を初めてNew Trollsを見ることができました。Concerto GrossoのB面のようにIl Sole Nasceràを1曲目に演奏したことを一番覚えています。La Prima Goccia Bagna Il Visoも演奏しました。グッズを買えば参加できたサイン会に参加しなかったことを後悔。年末にかけて体調が悪化し、復調しかかった翌2008年6月にブログを始めたので思い出深いライブでした。


・2012年4月27日 27.Apr. 2012
  「UT New Trolls」
 Gianni BellenoとMaurizio Salvi主体のUT New Trolls。IbisのSun Supremeも再現。Concerto Grosso Adagioを2回演奏したのが印象的でした。


・2013年9月21日22日 21,22 Sep 2013
 「Italian Rock History La Storia New TrollsとAreaの共演」 
 VittorioとNicoが来日予定でしたが、Nicoは病気のため来日せず。Vittorioからサインをいただき、Adagioのシングルを見て「Oh!」と驚いていました。

関連ブログ 2013年New Trolls来日レポート
http://soleluna.seesaa.net/article/375462478.html

・2016年10月21日 21 Oct 2016
 「Latte e Mieleとの共演 N.T.Atomic System初演」
 New TrollsはVittorio De Scalziのみ参加し、N.T.Atomic Systemの曲をLatte e Miele のメンバーと3曲(La Nuova Predica Di Padre O'Brien、Ho Visto Poi、Una Notte Sul Monte Calvo)演奏しました。
 他にもNew TrollsのConcerto Grosso Adagio、Una Miniera、La Prima Goccia Bagna Il Viso、Quella carezza della sera 、Il Treno などを演奏。

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 2022年7月14日のイタリアSanremoでのライブがVittorio De Scalziの最後の公演となりました。Vittorioは2021年にコロナに罹り、体調を押してコンサートに出演しました。

New Trolls Ultimo Concerto Grosso 14/07/2022
https://www.youtube.com/watch?v=Ntw1agYCqj4
Live Sanremo ultima esibizione.De Scalzi


 たくさんの素晴らしい音楽をありがとうございました。
 Vittorio De Scalziさんのご冥福をお祈りいたします。RIP


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2022年09月17日

追悼RIP オリビア・ニュートン・ジョンOlivia Newton-John 〜 1975年「そよ風の誘惑」Have You Never Been Mellow 〜 美しいメロディーの奇跡の楽曲 〜 Shadows・Klaus Schulzeとの繋がり・ELOとの共演 

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日本で「そよ風の誘惑 Have You Never Been Mellow」がヒットする前のころ


今日の1曲
 オリビア・ニュートン・ジョンOlivia Newton-John
      / そよ風の誘惑Have You Never Been Mellow 1975年
 The Shadows / Apache 1960年
 Ash Ra Tempel / Traummaschine 1971年
 Olivia Newton-John, Electric Light Orchestra / Xanadu 1980


 オリビア・ニュートン・ジョンさんが8月8日に亡くなりました。ショックですが、故人の残した素晴らしい音楽と想い出に感謝し、前向きに頑張りたいと思います。

 意外にもShadowsを通して遠くではありますが、5月に亡くなったクラウス・シュルツKlaus Schulzeとの繋がりもあることを発見しました。


オリビア・ニュートン・ジョンさん死去 73歳 「そよ風の誘惑」 (msn.com)
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%93%E3%82%A2-%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%95%E3%82%93%E6%AD%BB%E5%8E%BB-73%E6%AD%B3-%E3%81%9D%E3%82%88%E9%A2%A8%E3%81%AE%E8%AA%98%E6%83%91/ar-AA10rKwV?ocid=msedgntp&cvid=b68ac94a82f645568d2ad2304df13ac0

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 オリビア・ニュートン・ジョンと言えば、思い出すのはなんといっても1975年の日本での最初の大ヒット「そよ風の誘惑」です。楽曲、歌、編曲、容姿すべてが完璧なヒットソングでした。

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オリビア・ニュートン・ジョンOlivia Newton-John
/ そよ風の誘惑Have You Never Been Mellow 1975
https://www.youtube.com/watch?v=t2S1nmxYmUg

そよ風の誘惑 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%82%88%E9%A2%A8%E3%81%AE%E8%AA%98%E6%83%91
シングル米国1975年1月21日発売  日本4月5日発売・オリコン最高位26位

1975年の音楽 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/1975%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD
LP「そよ風の誘惑」オリコン年間LPチャート17位(洋楽の中では4位)

 1970年代には、街やラジオから頻繁に音楽が流れてきました。
 洋楽ベスト10は毎週聴いていました。

 ネットで調べたところ、洋楽ヒット曲で1973年には自分には30曲ほど心に残る曲があり、1974年は約20曲、ところが1975年には5曲ほどしか記憶がありません。

 1971〜1972年にはImagineなど深い音楽がヒットしていました。ポピュラー音楽の世界でもProgressive RockやFunkと同様にベトナム戦争の動向が大きく影響し、1975年の終戦で音楽の持つ意味が変わったのではないかと思います。

 1975年の洋楽ヒットで、ダントツで印象に残っているのが「そよ風の誘惑」でした。他にCarpentersカーペンターズ の「Only Yesterdayオンリー・イエスタデイ」も良い曲でした。

 1975年は、3月にFocus /ハンバーガーコンチェルト、6月にTangerine Dream / Phaedra、10月にPFM / 幻の映像、Klaus Schulze / Timewind、Amon Düül II / Wolf Cityなどを買い、ドイツなどのProgressive Rockが好きになったのもメロディーが美しかったからでした。

 あの頃、メロディーが美しい洋楽ヒットソングが少なくなったことが、当時Progressive Rockに夢中になった原因の一つだと思いました。Progressive Rock漬けの日々の中で「そよ風の誘惑」だけが洋楽シングルヒットで輝いていました。

 「そよ風の誘惑」は、イントロ、Aメロ、Bメロ、サビのCメロまで、全てがサビのメロディーに使えるほどのクオリティーの高い美しいメロディーで構成されています。それは、PFM / 幻の映像、Klaus Schulze / Timewindなどに通じるものでした。

あの頃のヒット曲[1975年]|JOYSOUND.com
https://www.joysound.com/web/s/karaoke/memories/ranking/1975
「そよ風の誘惑」は、今でもカラオケで邦楽を含めた1975年度の曲の24位の人気曲。


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Polydor時代のシングル


 「そよ風の誘惑」Have You Never Been Mellowなどの作者が、元シャドウズShadowsの John Farrarということを初めて知りました。
 ドイツのSynthesizer奏者クラウス・シュルツKlaus Schulzeが十代のころにギターをコピーしたのがシャドウズでした。Klaus Schulzeが1971年のAsh Ra Tempel / Traummaschine や1972年のソロアルバムIrrlichtで弾いた聴衆に催眠効果を及ぼしたとも言われるギターはShadowsの影響と言えます。

 John Lennonは、Beatles以前はイギリスにはShadowsしか聴くべき音楽はなかったと言っています。
 John Farrar もシャドウズの影響を受けて1961年にバンド活動を始め、1964年からOlivia Newton John はJohn Farrarのバンドをバックにオーストラリアで歌っていました。

The Shadows / Apache 1960年
https://www.youtube.com/watch?v=EzgbcyfJgfQ
Klaus SchulzeとJohn Farrarのルーツ。1960年とは思えない革新的な音。

Very Best Of The Shadows[Import]
https://amzn.to/3Dzs0Fi

Ash Ra Tempel / Traummaschine 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=yRrDg_RoePc
Shadowsの影響を受けた世代のKlaus Schulzeと5歳下のManuel Göttschingのツインギター

 1948年生まれのOlivia Newton Johnと1947年生まれのKlaus Schulzeが、1946年生まれのJohn FarrarとShadowsを介して意外なところで関連があることを知って嬉しく思いました。

Olivia Newton John / Time for Terry オーストラリアTV 1965年
https://www.youtube.com/watch?v=yUgn_hJKU7k
1964年から10年も第1線でのプロのキャリアがあったことを初めて知って驚いた。

Olivia Newton-John and Pat Caroll Part 1 of 2
https://www.youtube.com/watch?v=o6vejgny-8U
カラー映像、

 John Farrar は1973年から1976年にシャドウズに加入し、その間にOlivia Newton John のProducerになりました。シャドウズのオリジナルメンバーHank Marvin、Bruce WelchもOliviaに楽曲を提供し、レコーディングにも参加しました。 

Olivia Newton John / Have You Never Been Mellow  Live
https://www.youtube.com/watch?v=E_uYSJK9rKo
Olivia Newton Johnは「シャドウズ出身」としてJohn Farrarを紹介している。


 昔は「そよ風の誘惑」の歌詞の意味に全く興味がありませんでしたが、47年目にして初めて和訳の意味を知りました。「そよ風の誘惑」という邦題も良かったですが、本来の歌詞の素晴らしさに感動しています。

 改めて「そよ風の誘惑」Have You Never Been Mellowは、素晴らしい生涯の想い出の曲の一つだと思いました。

【歌詞和訳】オリビア・ニュートン・ジョン / Have You Never Been Mellow - 邦題:そよ風の誘惑
https://red-goose.com/have-you-never-been-mellow-olivia-newton-john

別のサイトの和訳
https://magictrain.biz/wp/2018/01/16/%e3%81%9d%e3%82%88%e9%a2%a8%e3%81%ae%e8%aa%98%e6%83%91%ef%bc%bb%e6%ad%8c%e8%a9%9e%e5%92%8c%e8%a8%b3%ef%bc%bd%e3%82%aa%e3%83%aa%e3%83%93%e3%82%a2%e3%83%bb%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%b3/


 1980年のオリビア・ニュートン=ジョン「ザナドゥ」(Xanadu)も素晴らしい曲でした。エレクトリック・ライト・オーケストラの曲とは聞いていましたが、Olivia Newton-JohnとElectric Light Orchestraの連名による名義と初めて知りました。

Olivia Newton-John, Electric Light Orchestra / Xanadu 1980年
https://www.youtube.com/watch?v=SJLNMxXEiFE
発売当時、曲全体を印象付けたイントロのSynthesizerは、ドイツのTangerine Dream、Klaus Schulzeなどからの影響が感じられた。

 Electric Light Orchestraは、1972年には東芝からPink Floyd、Amon Düül IIやTangerine Dreamと一緒に「発売中の思考的実験的音楽」として広告に出されていました。

 イタリアンポップスのMinaは1970年代に自分のレコード会社からTangerine DreamやKlaus Schulzeを発売し、MilvaはVangelisとLPを作りました。
 Olivia Newton-Johnも1970年代にELPやGenesis、Tangerine Dreamなどを聴いていたのではないかとも思います。

 素晴らしい歌を作ってくれたOlivia Newton-Johnさんのご冥福をお祈りします。RIP

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posted by カンカン at 08:55| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | KARA & 女性ボーカル Female vocalists  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月12日

追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze F 最終回 〜「音楽は夢」1973年 「Mental Door」世界初 Jazz Drums+Synthesizerの融合 〜 2010年 最後のコンサートBig In Japan 〜ありがとうクラウス・シュルツ

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Adv. of Klaus Schulze live in Japan 2010  日本公演がシュルツの最後のコンサートとなった。


今日の1曲
★★Klaus Schulze / Mental Door 1973
Klaus Schulze /Studies for Organ, Keyboards and Drumset
★Tangerine Dream / Phaedra 1974
Tangerine Dream
      / Mysterious Semblance At The Strand Of Nightmares
Klaus Schulze / Blackdance
★Kraftwerk / Autobahn
★Ash Ra Tempel / Echo Waves 1975
Neu! / Neu! 75
Can / Unfinished
★Tangerine Dream / Rubycon Pt. 2
★Klaus Schulze / Bayreuth Return
★Klaus Schulze / Wahnfried 1883
★Tangerine Dream / Ricochet (Part 2)
★Popol Vuh / Einsjäger & Siebenjäger
Wallenstein / Your Lunar Friends
★Klaus Schulze / Floating 1976
★Klaus Schulze / Mindphaser
★Stomu Yamashta / The Go Sessions
★Ash Ra Tempel / New Age of Earth
★Klaus Schulze / Stardancer 1977
Klaus Schulze / Mirage
Klaus Schulze / Friedrich Nietzsche 1978
★Ash Ra Tempel / Friendship 2000
★Ash Ra Tempel / Gin Rosé at the Royal Festival Hall
★★Klaus Schulze / Big in Japan: Live in Tokyo 2010
★★Klaus Schulze / Deus Arrakis 2022



= Klaus Schulzeへの旅 最終回 =


 Klaus Schulzeに対する追悼、かつて自分を救ってくれたことへの感謝の5月からの旅も今回7回目で最後となりました。

 1975年のTimewindとの出会いから始まり(@)、初めてSchulzeの音楽活動を1960年代から振り返ってみました。
 1969年のTangerine Dream(A)、
 1970年のAsh Ra Tempel(B)、
 1971年からのソロ活動と1972年の重圧(C)、
 1972年12月のTarotによる解放(D)、
 1973年のCosmic Jokersのセッション(E)と辿ってきました。

 そして、昔から解明したいと思っていた1970年代前半のドイツロック内部における影響、関連性、変遷について、Klaus Schulzeを軸として稚拙ながら自分なりに考えてみました。

 TarotやCosmic Jokersはあまり話題になりませんが、まだ1973年というSynthesizerがほとんど存在しなかった時代にセッションという形で残された世界でも希少な記録だと思います。また、初めて未知の楽器に接した驚きや新鮮さが閃きのようなメロディーを生み出したものとして、特に詳細に振り返ってみました。1976年でさえ日本ではSynthesizerが秋葉原でMini Moogが65万円、Arp Odysseyが60万円という時代でした。EMSは見たことがありません。

 また、Irrlicht、Cyborgという難解なドローンから、1974年のBlack Dance以降の普遍性のある音楽に転換し商業的成功を収めたのも、1972年12月から1973年5月のTarotやCosmic Jokersが影響していると思われます。
 

 今回は、1974年以降ドイツから世界に向かったSchulzeの活動、最後のライブとなった2010年来日公演、2022年最終作までについて振り返ってみたいと思います。


= 1973年 =


・10月 Edgar FroeseのTangerine DreamがVirginと契約。

・11月〜12月 Tangerine DreamがManorスタジオで、Phaedraをレコーディング。  


= 1973年 Klaus Schulzeの傑作Mental Doorのレコーディング開始 =
    〜 世界初 Jazz Drums+Synthesizerの融合 〜

左上から、Picture Musicの日本盤、フランス盤、オランダ盤、ドイツ再発盤
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 Klaus Schulzeは1973年にPicture Musicの録音を開始しています。Picture MusicのMental Doorは私が最も聴いたKlaus Schulzeの曲です。

 私は1975年10月のTimewindの購入後、1976年6月にテイチクから発売されたPicture Musicを買い、Mental DoorでのKlaus SchulzeのDrumsに魅了されました。Drumsという楽器に意識的にのめり込んだのはこの曲が初めてだと思います。Klaus Schulze は元はArt Blakeyに憧れたジャズドラマーでした。Klaus Schulzeは、SynthesizerとDrumsの両方のヒーローとなりました。

 Schulzeの最高傑作はTimewindだと思いますが、Mental DoorはJazz Drummer出身のSchulzeにしか作れない傑作だと思います。Jazz DrumとSynthesizerを完璧に、しかも一人で融合させた音楽は、世界でもこの曲しか聴いたことがありません。
 そこで、Mental Doorについて特に振り返ってみたいと思います。


★★Klaus Schulze / Mental Door
https://www.youtube.com/watch?v=UOTg9HOzzUI&t=892s
9:00から、Synthesizerに、Schulzeが目標としていたArt Blakeyのナイアガラ・ロールなどのテクニックを駆使したDrumsが流れる。
よく聴いたのは、9:50、14:50、17:30、20:42など。11:51〜12:50が一番緊張感がある。17:30からのSynthesizer音の変化のアイデアはMoondawnのMindphaserの11:30の転調の箇所に繋がると思われる。

 Picture Musicの制作時期は、以前から謎でした。TimewindのBrain盤の裏ジャケットでは、Black DanceとTimewindの間の4thアルバムとされ、発売時期は1975年1月のドイツBrainからであることは確かです。

 問題は録音時期です。Black Dance発売後の1974年の秋という情報もあります。しかしBlack Dance以前に制作された3rdアルバムとする情報もありました。

Klaus Schulzeのインタビュー
「Cyborgに関する私の主概念は休息の獲得だ。次にリリースしたBlack Danceは大変成功したので、会社はもっと他にリリースしないかと言ってきた。それで私はBlack Danceの前に作ったPicture Musicを出した」 

 この点について、Picture Musicの1976年のオランダ盤の裏のライナーで、SchulzeはPicture Musicは2曲とも1973年に録音したと明言しています。

P1700179.JPG

 この疑問を解くカギは、Klaus Schulze / La Vie Electronique 2に収録された1974年のStudies for Organ, Keyboards and Drumsetという曲です。この曲は、Mental Doorと同じパターンのDrumsを聴ける試作です。

 「Studies for Organ, Keyboards and Drumset」は、Schulzeの制作過程を辿れる数少ない貴重な資料とも言えます。試行段階と、完成した「Mental Door」を比較すると、Drumsに合わせてSynthesizerをダビングするSchulzeの集中力の凄さが改めて感じられます。

Klaus Schulze /Studies for Organ, Keyboards and Drumset
https://www.youtube.com/watch?v=puHNa57Cmlw
Schulzeの1973年と思われる最後のDrumsの録音で、Drummerのキャリアへの決別ともいえ、SchulzeのJazzなどのテクニックが集約されている。1972年12月のJoin InnのFreakn’ RollのDrumsにも近い。


− Schulzeの使用楽器の変遷 −

1973年10月リリース Cyborg  
使用楽器(LPの内ジャケに記載)
EMS VCS 3 synthesizer, Farfisa organ, drums, percussion, Gesang

1974年6月リリース Black Dance  
使用楽器(LPの内ジャケに記載)
Synthesizer, Organ, Piano, Percussion, Trumpet [Phase], 12-String Acoustic Guitar, Orchestra
※ Synthesizerの名は不明だが、使用されている音色や、ギターなどを多用していることから、まだEMS VCS 3だけと思われる。

1975年1月リリース Picture Music 
使用楽器(LPの裏ジャケに記載)
EMS Synthesizer VCS3 (Sounds)
ARP Synthesizer Odyssee (Strings; Percussion on 'Totem')
ARP Synthesizer 2600 (Solo-Voice)
Farfisa Professional Duo (Organ)
Drums, Percussion, Phaser, Echo-Dolby-Revox, Quadro Teak-Tape recorder, 16 channel-barth-mixer.


 以上を総合すると、Schulzeは1973年に初めにMental DoorのDrumsのパートを録音し、その後にOrganやSynthesizerをダビングする試行を繰り返していたのではないかと想像します。
 
 そして、1974年6月発売のBlack Danceの商業的成功で、ARP 2600 Synthesizer、ARP Odysseeなどを購入し、1974年の秋ごろにMental Doorの多彩なSynthesizerの最終ダビングを完成させたと思われます。

 Drumsの上にSynthesizerのメロディーが乗る手法は、1973年のGalactic Supermarket などのCosmic Jokersセッションの影響といえます。これは、その後のMoondawnに繋がっていきます。

 しかし、Mental Doorのようにまず自身でJazz Drumsを録音し、その後にSynthesizerをダビングする手法は世界でも類がないと思います。まさにDrummerからSynthesizerに転向したSchulzeにしか作れない手法の音楽だと思います。



=1974年=


・2月20日 Tangerine Dream / Phaedra発売
     (日本では、1975年1月25日発売)

日本でもPink Floydに続くProgとして多く取り上げられたTangerine Dream。
Obi of Phaedra Jan. 1975 & Magazine Nov. 1974 Japan
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 ついにTangerine DreamはPhaedraをリリースしてイギリスで15位にチャートイン。ドラムもギターもないSynthesizerリズムという画期的な手法で他のドイツロック勢を突き放し、世界の最先端に出ます。

★Tangerine Dream / Phaedra (Remastered 2018)
https://www.youtube.com/watch?v=EhQpXD2Z9WQ
Synthesizerリズムのリフにも、その上に乗るSynthesizerやMellotronにもメロディーがあるため普遍性がある。Edgar Froeseは現代音楽に関心を示しながらもそれとは違うものを目指した。

 このSynthesizerリズムは1970年にPopol Vuhの1stアルバムAffenstundeでも聴かれますが、Tangerine DreamはZeitの録音中に発見したSynthesizer同士の波長から生じたリズムを意識的に使用しています。

 また、Edgar Froeseは作曲をPianoで行っており、またギタリストでもあるため、Synthesizerリズム自体がギターリフのように美しいメロディーを伴っているのが特徴です。

 このPhaedraのSynthesizerリズムの手法は、DüsseldorfのKraftwerk / Autobahn、同じBerlin SchoolのKlaus Schulze / Timewind、Moondawn、Ash Ra Tempel / Echo Waves、New Age Of Earthという傑作群に繋がっていきます。

 
 また、Edgar FroeseはPhaedraのB面にMellotronがメインの曲を入れ、Popol Vuh・Florian FrickeのAguiireのMellotronからの影響も見られます。

Tangerine Dream / Mysterious Semblance At The Strand Of Nightmares (Remastered 2018)
https://www.youtube.com/watch?v=pqHChUdb1zg
この曲は、Edgar Froeseだけが作曲者とされている。


 
= Klaus SchulzeのBrainへの移籍とイギリス進出 =


 Klaus Schulzeは、Tangerine Dreamに続いて、Ohr Cosmic Couriersから離脱。Brain、Virgin(発売は傘下のCalorine)と契約し、Irrlicht、CyborgもUrs Ammanによるデザインで再発されることになります。

Klaus Schulzeの1974年〜1978年のBrain、Virgin、Islandの傑作群とGoセッション
P1700210.JPG

 
・5月 Klaus Schulze / Black Dance レコーディング

・6月 Klaus Schulze / Black Dance リリース Brain 1051 Virgin (Caroline)

 Black DanceはKlaus Schulzeの最初の商業的成功作となりました。ドローンではない聴きやすい内容からはCosmic Jokersのセッションからの影響が感じられます。まだ、この作品ではPhaedraのSynthesizerリズムからの影響はあまり見られません。

 また、Tarot、Cosmic Jokersで共演したHarald GrosskopfはBlack Danceを聴いて感激し、Klaus SchulzeにDrumsで参加したいという意向を伝え、Moondawn以降の作品に繋がっていきます。

Klaus Schulze / Blackdance
https://www.youtube.com/watch?v=NSgm-YCLYr8&t=1958s


・7〜8月 Manuel GöttschingがAsh Ra Tempel /Y Inventions for Electric GuitarをBerlinの自身のStudio Romaで多重録音。
 Tangerine Dream / PhaedraのSynthesizerリズムにギターだけでチャレンジした。

上:1975年ドイツ盤 下:1976年イタリアPDU盤
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★Ash Ra Tempel / Echo Waves
https://www.youtube.com/watch?v=Bear-U79NHo
シーケンサーではなく、ギターのDelayの効果を利用したミニマルミュージック。Manuel Göttschingは音楽は数学に近いとも語っている。


・11月 Kraftwerk / Autobahnリリース
 Kraftwerkは、テクノの元祖と言われるAutobahnを発売し、アメリカでシングルが4位の大ヒットなります。

 すでに1972年のKraftwerk / 2のKling Klangのリズムマシーンにテクノの萌芽が見られましたが、1973年のRalf &FlorianではPopol Vuh / Hosianna Mantraの影響でクラシックのメロディーに回帰しました。
 Autobahnでは、Tangerine Dream / Phaedraの影響でSynthesizerリズムの手法を大胆に導入しています。

★Kraftwerk / Autobahn (2009 Remaster)
https://www.youtube.com/watch?v=vkOZNJYAZ7c&t=17s
全体を包む楽園志向は、Can / Future Daysの影響といえる。19:00〜19:25などではNEU! / Für immer のKlaus DingerのDrumsからの影響が見られる。ドイツロックの最良の部分の集約と言える。


・1974年12月 Cosmic Couriersのプロモーション盤Take your headphoneが500枚配布される。
 
 KaiserとGilleによるホームレコーディングで、Beethovenの第9交響曲とKaiserとGilleのエコーが強いVoiceの間にCosmic Jokers、Ash Ra Tempel、Popol Vuh、Wallensteinなどの曲の断片が挟まれる。 
 Cosmic Couriersの最後の作品となる。

 
・12月〜1975年1月 NEU! 75 レコーディング

NEU! / NEU! 75
https://www.youtube.com/watch?v=GT0f1Tw3YXM&t=131s
DüsseldorfのNEU!もSynthesizerを使用するようになった。


= 1975年 =


Klaus Schulze最高作Timewindの1975年。German Electric成熟期の傑作群。左上からCan、Neu!、Kraftwerk、Triumvirat、Harmonia、Tangerine Dream / Rubycon
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Can / Unfinished
https://www.youtube.com/watch?v=Hmyplk2Pf0I
11:00〜 CanのElectricの到達点。前衛とクラシックの伝統。


・1月 Klaus Schulze / Picture Musicリリース Brain 1067

・1月 Tangerine Dream / RubyconをManorスタジオでレコーディング

・3月21日 Tangerine Dream / Rubyconリリース。イギリスLPチャートで10位になる。

★Tangerine Dream / Rubycon (Pt. 2 / Remastered 2018) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=f9i0sZxhzxo
★4:30から7:00が、Tangerine Dreamを含めたSynthesizerリズムの極点。どう変化するのか、どちらが裏でどちらが表なのかわからない。


・3月〜6月 Klaus Schulze / Timewindをレコーディング

・8月  Klaus Schulze / Timewindリリース Brain 1075 Virgin (Caroline)

Klaus Schulzeインタビューより
「これは私にとって最も完全なアルバムだ。他の4つのアルバムで使われたアイディアが全て集められている。B面は最初の2つと同じフィーリングを持っており、A面は次の2つに似ている。表面的なものではなく、リズムに関して同じ態度をとっているということだ。」

 Timewindはフランスで1975年のCharles Crossレコード大賞を受賞する。

★Klaus Schulze / Bayreuth Return
https://www.youtube.com/watch?v=7AWUzuVFQcE&t=42s
「動」のA面では、Tangerine Dream / PhaedraのSynthesizerリズム+メロディーの手法が取り入れられた。美しい閃きのあるメロディーは、TarotやCosmic Jokersのセッションを想起させる。

★Klaus Schulze / Wahnfried 1883
https://www.youtube.com/watch?v=T3RZrjS_8rQ&t=15s
「静」のB面はドローンではなく、CyborgのA面の最初の3分間やAsh Ra Tempel / Jenseitsのような美しいAmbientを重く深くしたものとなっている。

Timewindでの使用楽器
ARP 2600, ARP Odyssey, EMS Synthi-A, Elka String Synthesizer,
Farfisa Professional Duo Organ and Piano, Synthanorma Sequencer.

間章のTimewindのライナーより 
(Klaus SchulzeとEdgar Froeseの音楽性の違いについて)
「クラウスが音楽の底と闇に向かうことによって新しく音楽を基礎づけようとするのに対し、エドガーが音楽の変容と超出に向かっていることである。」


・Brainからジャケットを変えて、Klaus Schulzeの1st、2ndアルバムが再発される。
  Klaus Schulze / Irrlicht  Brain 1077
 Klaus Schulze / Cyborg  Brain 1078 



・8月 Klaus Schulzeが来日し、Far East Family Band の作品をミキシング。
 Nipponjin (Join Our Mental Phase Sound)と言うタイトルでドイツVertigoから1975年に発売される。これをきっかけに、喜多郎がSynthesizer奏者となる。

東京のスタジオでのKlaus SchulzeとFar East Family Band
P1700189.JPG



・10月 Tangerine Dream / RicochetをライブとManorスタジオでレコーディング

・12月 Tangerine Dream / Ricochetリリース。

★Tangerine Dream / Ricochet (Part 2)
https://www.youtube.com/watch?v=XCsJOaPDJUE&t=356s
Tangerine Dreamのライブの美しい部分を抽出・編集したアルバム。

 Edgar Froeseは2015年1月20日に逝去されました。
 改めてドイツロックを牽引してSynthesizerの可能性を拡げたEdgar Froeseに深く感謝したいと思います。

2015年01月25日 ブログ
R.I.P. Mr.Edgar Froese エドガー・フローゼ:
http://soleluna.seesaa.net/article/412903524.html



= 1975年のOhr−Cosmic Couriersレーベルのリリース =
 
KM 58.014 Wallenstein / Stories, Songs & Symphonies 
KM 58.015 Ash Ra Tempel Y Manuel Göttsching / Inventions For Electric Guitar
KM 58.016 Mythos / Dreamlab
KM 58.017 Popol Vuh / Einsjäger & Siebenjäger

 Tangerine Dream、Klaus Schulzeを欠いたOhr‐Cosmic Couriersは、1974年に録音したPopol Vuh、Ash Ra Tempel、Wallensteinの傑作を1975年にリリースし、その使命を果たしました。

★Popol Vuh / Einsjäger & Siebenjäger
https://www.youtube.com/watch?v=6gSmWSdsgH0
Florian Frickeが、かつてSynthesizerのライバルだったTangerine Dream、Klaus Schulzeのような大作主義にAccousticで挑んだ名曲。

Popol Vuh / Kleiner Krieger
https://www.youtube.com/watch?v=KglJfGEMTPg&list=PLSjiis9qCA_NejBUGFp9253LXrwXvXMHQ
初めて聴いたとき一瞬でPopol Vuhの世界に引き込まれた。Berlin Schoolからの影響も感じられる。

Wallenstein / Your Lunar Friends
https://www.youtube.com/watch?v=ohLvYWo8dRM
Tarot、Cosmic JokersでKlaus Schulzeと共演したJürgen Dollaseの優しいメロディーが11分を超える大曲。1st〜3rdアルバムでベトナム戦争をテーマにしたWallensteinにも真の解放と安堵が訪れた。

WALLENSTEIN / Sympathy For Bela Bartok
https://www.youtube.com/watch?v=rKgv8iJ1sY4&list=OLAK5uy_nfyB0zKp1N7pYJ4pvOHfQWtmqswK8Mwa0&index=5
Jürgen Dollaseのクラシックの素養を発揮したバイオリンの名曲。



・12月末 Florian FrickeがKlaus SchulzeにBig Moogを譲渡する。 

 Florian Frickeは2001年12月29日に逝去されました。Popol Vuhの素晴らしい作品に改めて深く感謝したいと思います。RIP

 
SchulzeがFlorian Frickeから譲り受けたBig Moog
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SchulzeにBig Moogを譲渡したFlorian FrickeもPopol VuhのAccousticの傑作をリリースし続けた
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・1975年度中から、Stomu Yamashta / Goのプロジェクトが開始。Klaus Schulzeも参加する。


=1976年=


左:German Brain 1975年 Timewind初版Greenラベル
右:German Brain 1976年 Timewind再版の明るいOrangeラベルもベトナム戦争が終わった時代の変化を象徴していた。
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・1月 Klaus SchulzeがMoondawnをレコーディング
 12月にFlorian Frickeから譲渡されたBig Moogを短期間で習得したことがわかる。Florian Frickeや富田勲は習得に長時間を要した。FrickeからSchulzeに多くのアドバイスがあったと思われる。

・2月 Stomu Yamashta / Go レコーディング。Klaus SchulzeがSynthesizerで参加。Stomu Yamashta もSynthesizerを演奏し、ダブルSynthesizerとなっている。

・4月16日 Klaus SchulzeがMoondawnをリリース。 

Moondawnの使用楽器
Moog,
ARP 2600, ARP Odyssey, EMS Synthi-A,
Farfisa Syntorchestra, Crumar keyboards, Sequenzer Synthanorma 3-12
Harald Grosskopf – drums 


★Klaus Schulze / Floating
https://www.youtube.com/watch?v=Xp2xpfWV6IM
Synthesizerリズムの手法だが、Big MoogとHarald GrosskopfのDrumsによって、前年のBayreuth Returnよりも外に拡がる音になっている。

★Klaus Schulze / Mindphaser
https://www.youtube.com/watch?v=skBTjWT7f6Q
11:30からの転調が素晴らしい。ハッとするような他では聴いたことのない音楽。

 私は1978年5月19日にMoondawnを買いましたが、Timewindと同じ人が作ったとは思えないような変化を感じました。 
 間章は、TimewindのライナーでKlaus Schulzeを「音楽の底と闇に向かうことによって新しく音楽を基礎づけようとする」と評しましたが、Moondawnは、音楽の底と闇からの解放といえる内容になっていると思います。

 ジャケットに写るSchulzeの笑顔の写真からもベトナム戦争が終結した安堵と、Big Moogという最高のSynthesizerを入手した喜びが感じられます。
 TimewindはSchulzeのベトナム戦争に対する10年間の総決算だったのだと思います。

 Klaus Schulzeのサイトの人気投票で、20年の間にTimewind−Bayreuth Returnの人気が下がり、Moondawn−Floatingの人気がトップになっているのも時代の変化を感じさせます。

Klaus Schulze - The Top Ten 1995 (klaus-schulze.com)
https://klaus-schulze.com/opinions/top95.htm

Klaus Schulze - The Top Ten 2016 (klaus-schulze.com)
https://klaus-schulze.com/opinions/topb6.htm


・4月 Stomu Yamashta / Go リリース

SynthesizerヒーローKlaus SchulzeとギターヒーローAl Di Meolaが共演
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 Schulzeの使用したSynthesizerは、Big Moog、ARP2600などMoondawnと同じものなので、Berlinのスタジオでレコーディングしたものをダビングしたと思われます。Stomu YamashtaはMini Moog、Mini KorgのSynthesizerで共演しています。

★Stomu Yamashta with S. Winwood, M. Shrieve, Al Dimeola, K. Schulze / The Go Sessions
https://www.youtube.com/watch?v=BT3_w8tPHxE
15:10〜17:15 世界最速と言われたAl Di Meolaの速弾きギターソロ。
17:10〜21:18 SchulzeとStomu YamashtaのSynthesizerが拡がる。
21:20〜25:00 SchulzeのMoondawn、Cristal Lakeの音が聴ける。


・3月〜6月 Ash Ra Tempel / New Age of Earth レコーディング
 Tangerine Dream / Phaedra、Klaus Schulze / TimewindのSynthesizerリズムをベースにしつつも、Berlin Schoolでは最も美しいといえる作品。
 1976年にフランスIsadoraからAsh Ra Tempelとして、1977年にイギリスVirginからAshraとしてリリース。

★Ash Ra Tempel / New Age of Earth
https://www.youtube.com/watch?v=d9zmiN-wZmI&t=2213s
1. Sunrain、2. Ocean Of Tenderness、3.Deep Dictance、そして4.Nightdustの36:40〜42:30が特に素晴らしい。



= 1977年 =


Music is a dream without the isolation or sleepと記載されたMirage
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・1月 Klaus Schulze / Mirage レコーディング

・2月 Klaus Schulze / Body Love リリース

 Body LoveはドイツBrainからリリースされ、Stardancerという特徴のあるメロディーの曲が印象的でした。Body Love vol.2はIslandから12月にリリースされ、別テイクの StardancerUが収録されていました。

★Klaus Schulze / Stardancer
https://www.youtube.com/watch?v=pS79pt-N7LE
4:00からのHarald GrosskopfのDrumsにSchulzeのSynthesizerのメロディーが乗る手法は、1973年のCosmic Jokersセッションの再現ともいえる。

・4月 Klaus Schulze / Mirage リリース
 MirageはBrainだけでなく、イギリスIslandからリリースされ、大規模な宣伝もなされました。

『音楽は夢』「Music is a dream without the isolation or sleep」と内ジャケットに記載されていました。 

Klaus Schulze / Velvet Voyage
https://www.youtube.com/watch?v=6Y2UudZIc-4&list=OLAK5uy_kwTfh37MlsaGeGQ_65-_slXdc2iocwWUs&index=1

Klaus Schulze / Crystal Lake
https://www.youtube.com/watch?v=BA7WnfnzWzg&list=OLAK5uy_kwTfh37MlsaGeGQ_65-_slXdc2iocwWUs


= 1978年 =

2010年来日時の記念バッジ Commemorative badges for Live in Japan 
Ash Ra Tempel、Klaus Schulzeの1st、Timewind、Xまで。
P1680457.JPG

・9月 Klaus Schulze / X リリース


 私はMirageを1977年12月3日に、Body Loveを1978年3月30日に買いました。 

 Xは、私の最後のSchulzeのLPになりました。Tangerine Dream、Ash Ra TempelのライブのSchulzeの写真を初めて見て驚きました。

★Klaus Schulze / Friedrich Nietzsche
https://www.youtube.com/watch?v=rUw6OZSOszs&t=1002s


・12月12日 間 章(Aquirax Aida)逝去。 Phaedraのライナーでドイツロックを教えてくれました。享年32。RIP


 1979年を最後に私はSchulzeからもドイツロックからも離れました。

 1975年6月30日にTangerine Dream / Phaedraを買ってから約5年間、Schulzeやドイツロックに救われたと思います。


 Tangerine DreamやKlaus Schulze、Kraftwerkが作ったSynthesizerリズムは、1977年のMünchenのDonna Summer / I Feel Loveを起点とするMichael Jackson、Madonna、後にHouseクラシックとなったManuel Göttsching / E2-E4などのElectric Dance Musicとして全世界に拡がり、現代に繋がっています。

Michael Jackson / Wanna Be Startin' Somethin' 1982
https://www.youtube.com/watch?v=1XMvPTFzgVU

Madonna / Open Your Heart 1986
https://www.youtube.com/watch?v=3D6YRSoLGm4

Manuel Göttsching / E2-E4 1981
https://www.youtube.com/watch?v=ys0HyevZpQg&t=335s


= 1993年 =

 Klaus Schulzeが、未発表音源のリリースをSilver Editionから開始。

= 1996年 =

 Manuel Göttschingが、Klaus Schulze在籍時のAsh Ra Tempelのライブを含む未発表音源「Private Tapes」をリリース。1971年のAsh Ra Tempelのライブは貴重な体験だった。

 翌1997年にAsh Ra Tempelとして初来日。Harald Grosskopf、Agitation FreeのLuts Ulbrich、Steve Bartesがメンバー。
 Echo Waves、Sunrainなどを演奏する。


= 2000年 Ash Ra Tempel(Klaus Schulze、Manuel Göttsching)再結成 =

Manuel Göttsching、Klaus Schulzeの未発表音源と2000年Ash Ra Tempel再結成のCD
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 2000年にKlaus SchulzeとManuel GöttschingはAsh Ra Tempelを再結成し、ロンドンでライブを行いました。

★Ash Ra Tempel / Friendship
https://www.youtube.com/watch?v=r-UvObqiyVg
70年代初期のAsh Ra Tempelを再現するようなKlaus SchulzeによるDrumsの精緻なプログラミングが素晴らしい。Manuel Göttschingのギターには魂がこもっている。

★Ash Ra Tempel / Gin Rosé at the Royal Festival Hall
https://www.youtube.com/watch?v=R-2AqrzwC9w&t=2314s
1度だけ行われたライブはBerlinではなくLondonの3000人の大ホールだった。このライブはHartmut Enkeに捧げられている。

Manuel Göttsching / Ash Ra Tempel ホームページ コンサート歴
https://www.ashra.com/concerts/welcome.htm


= 2010年 Klaus Schulze初来日 Big In Japan =

Ticket for March 20, 2010 Tokyo Japan
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 2010年に、ついにKlaus Schulzeも初来日を果たしました。Tangerine Dreamの初来日は1982年でした。
 ずっと体調が悪かったとのことで心配でしたが、34年目にしてKlaus Schulzeを見ることができて感激しました。

★★Klaus Schulze / Big in Japan: Live in Tokyo 2010
https://www.youtube.com/watch?v=qJR5XGmuCIM
ライブ初日冒頭の映像。「MirageのCrystal Lakeの音だ!」と感動。

★Klaus Schulze / Big In Japan (Live In Tokyo 2010)
https://www.youtube.com/watch?v=UqwD0JjBHt4
コーラスMellotronのサンプラーのような音が素晴らしい。

 このころから、La Vie Electroniqueシリーズを購入。
 未発表音源とは思えないクオリティーの高い作品の多さに驚かされました。

Klaus Schulze / ラ・ヴィー・エレクトロニック 3 (La Vie Electronique 3)
https://amzn.to/3QJJwty


= 2022年 永遠の別れ =

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2022年の遺作は、Schulzeの亡き後リリースされドイツチャートで2位になった。

 Klaus Schulzeの新作は、本当に美しいものでした。
 音楽活動を停止していると聞いていましたが、最後まで振り絞る創造力、精神力は素晴らしく、尊敬すべきと思いました。

★★Klaus Schulze / Deus Arrakis (2022)
https://www.youtube.com/watch?v=UPCq1o4yvow&t=619s
冒頭から引き込まれる。

Klaus Schulze / Deus Arrakis
https://amzn.to/3dg3L3z

「クラウス・シュルツの最高傑作10曲」 英ガーディアン紙発表 - amass
https://amass.jp/157177/
Tangerine Dream / Journey Through Burning Brain、Ash Ra Tempel / Amboss、Klaus Schulze / Satz Ebene、Klaus Schulze / Bayreuth Returnなど

Klaus Schulzeのコンサート歴
https://klaus-schulze.com/concerts/welcome.htm

 2010年の来日公演はSchulzeの最後のライブだったとわかりました。
 Schulzeが体調不良を押してまで、日本に来てくれたのだと思います。

 今まで、素晴らしい音楽をありがとうございました。
 1970年代の後半の5年間だけでなく、1982年の夏のElectric系のDisco以降、Techno、Houseなど現在に続くEDMに救われてきたのもKlaus SchulzeのSynthesizerを聴いていたおかげだと思います。

 RIP Synthesizer Hero ヒーロー クラウス・シュルツKlaus Schulze

 
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posted by カンカン at 22:21| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月07日

〜 追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze E            1973年「夢で逢った人々」Cosmic Couriersの誕生「夢見る力」   〜 ミーナMinaの夢 イタリアPDU盤のCosmic Couriers - Pilz - Ohr

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1973年2月15日パリの歴史的公演の写真を利用したOhr‐Kosmische MusikのKlaus SchulzeとAsh Ra Tempelの広告。この1973年の時点ではTangerine Dreamも一緒に掲載されていた。


今日の1曲
★Ash Ra Tempel / Jenseits
★Ash Ra Tempel / Freak 'N' Roll
Tangerine Dream / "Bath Tube Session," Berlin, 1969
★Tangerine Dream / Atem (オーストリア テレビ放送 1973)
Sergius Golowin / Der Reigen
★Sergius Golowin / Die weiße Alm
Sergius Golowin / Die Hoch-Zeit
★Klaus Schulze Live 15 Feb 1973 French TV 1973
Ash Ra Tempel / Live at Köln 28 Feb. 1973
Popol Vuh - Kyrie (Hosianna Mantra)1973
★Wallenstein / Dedicated to Mystery Land Live
村八分 / 馬の骨 Live at Kyoto 5 May 1973
★NEU! / Für immer
★Faust / The Faust Tapes
Mike Oldfield / Tubular Bells part 1
★Kraftwerk /Heimatklänge+Tanzmusik live
★Klaus Schulze / Synphära
★The Cosmic Jokers / Galactic Joke
The Cosmic Jokers / Cosmic Joy
★Cosmic Jokers / Kinder Des Alls
★Cosmic Jokers / Galactic Supermarket
★Cosmic Jokers / Tim bleibt bei uns
★Cosmic Jokers / Lord Krishna
Cosmic Jokers / Electronic Rock Zeitalter
Cosmic Jokers / Elektronenzirkus
★Cosmic Jokers /Loving Frequencies
★Cosmic Jokers / Electronic News
★Cosmic Jokers / Der Planet Des Sternenmädchens
★Cosmic Jokers / Sci-Fi Party Im Reich der Magier
★★ Cosmic Jokers
    / Sci-Fi Party - Die Galaxie Der Freude 喜びの銀河
★Can / Bel Air
★Wallenstein / Cosmic Century
★Wallenstein / Silver Arms( Live オーストリアTV ORF, 1973)
★Wallenstein / Song Of Wire
★Ash Ra Tempel / Starring Rosi
★Ash Ra Tempel / The Fairy Dance
★Popol Vuh / Seligpreisung
★Popol Vuh / Agnus Dei


= 1972年12月のTAROTによる解放から1973年Cosmic Couriersの誕生 =


 1972年5月リリースのZeit、IrrlichtでDark Ambientのドローンを極めたTangerine DreamとKlaus Schulze。しかしMünchenのAmon Düül II / Wolf City、Popol Vuh / Hosianna Mantra、そしてTarotセッションなどの影響で、Berlinも含めたドイツロックはメロディーのあるクラシック音楽に回帰していったと思います。

 Edgar Froeseは、「Zeitのレコーディング中に僕たちはSynthesizerの音の波同士が生み出すリズムを発見しましたし(Origin Of Supernatural Probabilitiesと思われる)、ライブ演奏におけるSynthesizerの色々な可能性を知りました。」と述懐しています。このSynthesizerリズムの可能性とメロディーへの回帰が、Atemとそれ以降の普遍的な作品に繋がっていきます。

 これに対しKlaus Schulzeは、IrrlichtでOrganとオーケストラによるミュージックコンクレートを極め、その後ついにEMS・Synthesizerを入手。 
 
 Synthesizer同士の実験だったTangerine Dream / Zeitに対し、SchulzeはTarotでDrums、Mellotronなどとのバンド演奏の中でSynthesizerの使用法や可能性をつかんだと思われます。
 このTarotの経験が、後にHarald GrosskopfをDrumsとするMoondawnやツトム・ヤマシタのGoプロジェクトの成功に繋がっていきます。

 今回は、Tarot以降に1973年についに設立された「音楽の夢」Cosmic Music、The Sound Of the Cosmic Couriersについて主に見ていきたいと思います。



= 1972年12月 Dieter Dierksスタジオの奇跡 =
    Ohr1973年最後の連番名作31番・32番とLord Krishna Von Goloca

Ohrの31番Tangerine Dream / Atemと32番Ash Ra Tempel / Join Inn
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 1972年12月のDieter Dierksスタジオでは、Tarotだけでなく、他に3つの名作が生まれました。Ash Ra Tempel / Join Inn、Tangerine Dream / Atem、Schulze参加のSergius Golowin / Lord Krishna Von Golokaです。


・1972年12月 Ash Ra Tempel / Join Inn レコーディング

 Hartmut Enke、Manuel GöttschingとKlaus Schulzeは、Tarotで久々に会い「なぜセッションをやらないのだろう」という発案からTarot録音の合間に3時間のセッションを行い、「皆がとても良い出来だということで」LP化された。

 静かなJenseitsから始まり、続いてFreak’n Rollが演奏されたが、LPではA面がFreak’n Rollとなる。1971年と同じメンバーながら緊迫感はなく、リラックスした名演はTarotの影響と言える。Schulzeは購入したばかりとは思えないセンスの良さで、EMS Synthi Aを効果的にオーバーダビングしている。

左:1973年ドイツ盤 右:1975年Timewindの成功後のイタリア、フランス盤にはSchulzeの名が追加された。これはイタリアPDU盤の2版で、初版にさらに右側に「Featuring Klaus Schulze」と追加。
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★Ash Ra Tempel / Jenseits
https://www.youtube.com/watch?v=wzogaKqPZQs
ZeitやIrrlichtとは異なり、SchulzeのOrgan、Synthesizerなどの美しいメロディーに癒される。Electric Healing Musicの最初期、50年(半世紀!)前の傑作と言える。Popol Vuhからの影響が感じられる。

★Ash Ra Tempel / Freak 'N' Roll
https://www.youtube.com/watch?v=u-FVCOPTBfo
導入部およびエンディングでSchulzeのSynthesizerが効果的にダビングされている。3:25〜5:00 EnkeのBass SoloをサポートするSchulzeのSynthesizerが素晴らしい。7:30〜9:05は、この3人でしか作れないSpace Rock。GöttschingのTarotでも聴かれた様々な名フレーズが聴けるが、EnkeのBassも活躍している。セッションを見ていたHarald Grosskopfによれば、EnkeはGeniusなBassistで、BassへのEchoなど誰もやらないことをしていたという。

 1969年のEdgar Froese、Klaus SchulzeによるBath Tube Sessionと、1972年のFreak’n Rollを比較すると、同じ3人の演奏ながら若い世代のHartmut Enke、Manuel Göttschingの柔軟性が見えてくる。

Tangerine Dream / "Bath Tube Session," Berlin, 1969
https://www.youtube.com/watch?v=6BdsuDeFl3c


・12月から1973年1月 Tangerine Dream / Atem Dieter Dierksスタジオでレコーディング

 Tangerine Dreamも同時期にAtemを録音。Tarotは12月中に録音を終了しており、Atemの完成の方が後なので、Edgar FroeseはTarotを聴く機会を持ち、Klaus Schulzeを意識していたと思われる。

オーストリアで放映されたAtemの素晴らしい映像。
VCS3とFarfisa Organを弾くPeter Bauman。
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★Tangerine Dream / Atem (Live-Auftritt im ORF, 1973)
https://www.youtube.com/watch?v=l1qPMPJpRnc&t=254s
Beat Clubのような斬新なカラー映像。メロディーがある冒頭の5分が使われている。

 メロディーを放棄したZeitと異なり、Atemでは冒頭の5分にMellotronによるメロディーが流れ、Wolf City、Aguirre、Tarotの影響が見られる。残りの35分はドローンだが、ZeitのようにDarkではない優しい音で、Hosianna Mantraからの影響が感じられる。「自然環境音楽」の始祖ともいえる。

Tangerine Dream / Atem 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=tvoVb0tmfe0&t=1355s

−Tangerine Dream / Atemの使用楽器 

Mellotron, Guitar, Organ, Voice – Edgar Froese
Organ, Synthesizer [VCS3 Synthi], Percussion, Voice – Chris Franke*
Organ, Synthesizer [VCS3 Synthi], Piano – Peter Baumann
 Producer – Rolf-Ulrich Kaiser, Tangerine Dream
 Recorded By – Dieter Dierks Recording Supervisor – R. U. Kaiser


・12月から1973年1月 Sergius Golowin / Lord Krishna Von Goloka Dierksスタジオでレコーディング。

Lord Krishna Von Goloka。右の縦1列はイタリアPDU盤のジャケット。
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 メンバーはKlaus Schulzeと、Pilz出身のJürgen Dollase、Jerry Berkers、Bernd Witthüser&Walt Westruppの4名、Jörg Mierkeの演奏に、ジプシーなどに関する著述家Sergius Golowinが詩を朗読する内容。Golowinが子どものころに聞いたKrishna賛歌となっている。内ジャケはWegmüllerがデザインし、Golowinの詞が書かれている。

 TarotからAsh Ra Tempelの2人とHarald Grosskopfを除いたメンバーでフォーク色が強いが、SchulzeのSynthesizerが異色を放つ。Cosmic Couriersの中では、シリアスな宗教的、民族音楽的な雰囲気を持つ唯一の作品。

 Klaus Schulzeの使用楽器はDrums, Organ, Mellotron, Electric Guitar, Acoustic Guitar, Electronics, Percussionと多岐に渡り、SchulzeのMellotronの使用は初めてと思われる。

Sergius Golowin / Der Reigen
https://www.youtube.com/watch?v=8qUcqfAwq6s
A面の1曲目。Schulzeの冒頭の優しいOrganはIrrlichtから変化している。曲全体はAccoustic GuitarとDollaseのPianoが主体だが、SchulzeのSynthesizerが9:50など随所で彩を添える。10:58のオルガンの音にも拡がりがある。1:25、12:30のJürgen DollaseのコーラスMellotronにはAguirreの影響が見られる。

★Sergius Golowin / Die weiße Alm
https://www.youtube.com/watch?v=Z4k-QJ3ZnkU
A面の2曲目。本作で唯一Jürgen Dollaseの単独作の佳曲。FocusのLe Clochard などと並ぶMellotron史上屈指の作品。

Sergius Golowin / Die Hoch-Zeit
https://www.youtube.com/watch?v=tc_MhpGo3PM
本作、そしてCosmic Couriersの作品中でも最もシリアスな曲。冒頭からSchulzeの出自たるFree Jazz風のDrumsを聴ける。
7:10では、SchulzeのSynthesizerとDollaseのMellotronが絡む。★8:00からのギターのリフレインはSchulzeと思われ、その後のTimewindのミニマルミュージックの発端ともいえる。



= 1973年 =


= 1973年のOhrレーベルのリリース =

OMM 556031  Tangerine Dream / Atem 1973年3月発売 
OMM 556032  Ash Ra Tempel / Join Inn 1973年4月10日発売


Gilles Zeitschiffに入っていたCosmic Couriersのアーティストのポスター
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= 1973年のKosmischen Kuriereレーベルのリリース =
 (4番からはCosmic Couriersに名称変更)

KK58.001 Timothy Leary & Ash Ra Tempel /Seven Up 
  初版のジャケットはWegmüllerがデザイン。再版はTimothy Learyの写真。
KK58.002  Sergius Golowin/ Lord Krishna von Goloka
KK2/58.003 Walter Wegmüller / Tarot 10月リリース
KM 2/58.004 Witthüser & Westrupp / Live 68–73
KM 2/58.005 Klaus Schulze / Cyborg  10月リリース
KM 58.006 Wallenstein / Cosmic Century  11月リリース
KM 58.007 Ash Ra Tempel / Starring Rosi
KM 58.008 The Cosmic Jokers/ The Cosmic Jokers 
KM 58.009 Popol Vuh / Seligpreisung
KM 58.010 Galactic Supermarket / Galactic Supermarket
KM 58.011 Sci-Fi Party (Unser Flug durch die kosmische Musik)
KM 58.012 Sternenmädchen Gille / Gilles Zeitschiff
KM 58.013 The Cosmic Jokers & Sternenmädchen / Planeten Sit-In

※ Klaus Schulzeは5番以外に、2、3、8、10、11,12,13盤に参加。
※ 8、10、11,12,13盤は、1973年2月〜5月に録音し、1974年に発売。
※ 8、10、11,12,13盤は、1997年のフランスでの再発の際には、すべてCosmic Jokersの名義に統一された。1974年発売時は、Cosmic Jokersの名義はCosmic Jokers、Planeten Sit-Inの2枚だけで、Gilles ZeitschiffはSternenmädchen Gille名義のソロ、Galactic Supermarketは7人の連名、Sci Fi Partyは編集盤だった。


・2月13日 FreiburgでKlaus SchulzeのSolo とKlaus Schulzeを含むAsh Ra Tempelによるライブ。Schulzeとしては、1971年9月以来の公演。15日のパリのコンサートのリハーサル的な意味もあると思われる。

・2月15日 ParisでKlaus SchulzeのSolo とAsh Ra Tempelによるライブ。

パリでのKlaus Schulzeのソロのときのライブ
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 フランスの音楽誌Actuelから、Ohr傘下のアーティストのコンサートの要請があり開かれたイベント。大きな注目を受け、満員となる。同じに日にTangerine Dreamも出演し、KraftwerkとGuru Guruが13日に出演した。Ash Ra Tempel以外は、ドイツロックのドキュメントテレビとしてフランスで放映された。

★Klaus Schulze French TV 1973
https://www.youtube.com/watch?v=R7nEZcs83es
Schulzeの最も古い貴重映像、Schulzeは録音したDrums等のTapeの上にSynthesizerとOrganの即興を加えている。SchulzeはJoin InnのEMS Synthi Aではなく、VCS3を使用。


2月15日Parisでの歴史的コンサートのオフショット。Ash Ra TempelとTangerine Dream、Klaus Schulzeが共演。左からManuel Göttsching、Rosi、Klaus Schulze、Hartmut Enke、Edgar Froese、Peter Bauman
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・2月28日 KölnでKlaus SchulzeのSolo とAsh Ra Tempelによるライブ。ライブ音源が残っており、Join InnのFreak’n Rollに近い音が聴かれる。Hartmut Enkeの最後の演奏となる。

Ash Ra Tempel / Live at Cologne Köln
https://www.youtube.com/watch?v=7FMCANCdvSc
00:00 Ooze away 17:00、20:00当たりなどでJoin InnのFreakn' Rollでのフレーズが聴かれる。
28:14 Dédié à Hartmut
Ooze awayがアンコール曲で、その後に10分にわたるSchulzeのオルガンソロがあったが音が小さすぎたためカットしたとのこと。

= Hartmut EnkeのAsh Ra Tempelからの脱退と音楽活動の停止 =

 Hartmut Enkeは2月28日のライブを最後にバンドから離脱し、音楽を止めた。Enkeはライブの途中で、「君たちの演奏が素晴らしすぎてついていけない。自分は聴かなくてはならない」と言って座り込んでしまったという。

 Enkeは当初は米国詩人Allen Ginsbergとの共作を望んでいたが、Ash Ra TempelのリーダーとしてTimothy Learlyと1972年8月にLP Seven Upを制作することになった。Enkeはまだ19歳であり、重責だったはずである。
 そして、Seven UpでLearly のVocalのためにBluesやRockn’ Rollに戻る間に、Tangerine Dream、Klaus Schulzeはドローンに踏み込み、Enkeが目標としたPopol VuhはSynthesizerからAccoustic のHosianna Mantraに移行した。1972年にドイツロックは異常なスピードで変化していた。

 家族の反対を押し切って音楽のプロを目指したKlaus SchulzeがTangerine Dreamを1970年4月に脱退した後、9月にAsh Ra Tempelとして音楽に復帰したのは、Enkeがロンドンで購入したPink Floydの中古の機材を見て仲間に入ったのがきっかけだった。
 2000年にKlaus SchulzeとManuel Göttschingの二人でAsh Ra Tempelが再結成した時、CDには、我々のBassの柱、Hartmut Enkeに捧げると記されていた。
 
 Ash Ra Tempel、Tarotなどの音楽が世に出たのもHartmut Enkeの功績といえる。

 1972年7月発売のオムニバスLP Kosmische Musik(OMM2/56.027)のライナーで、Enkeは最後にこのように記している。

「私たちは生きることを愛へ同化しようとしている。
 私たちは、あなたがたも、そうしてくれることを望むものだ。
                 −愛と平和に捧ぐ− Ash Ra Tempel」

Kosmische Musikのライナー。Enkeは、LPに収録されたEnke作曲の未発表インスト曲Gedanken(思念)と同じタイトルの詩を最後に記している。
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・3月 Ash Ra TempelがSFB(自由ベルリン放送 Sender Freies Berlin)テレビに出演。Havel川岸で、Seven Upの音楽をバックにインタビューを受ける。  
 Hartmut Enke、Manuel Göttsching、Rosiらの出演で、これがEnkeの音楽活動の最後の記録となる。


Enke脱退後の1974年発売のGilles ZeitschiffのポスターでもEnkeは最上段に掲載され、Cosmic Couriersの中核とされていたことがわかる。
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・1973年にPopol Vuh / Hosianna MantraからKyrieがテレビで放送される(放送日不明)。1971年のSynthesizerによるBettina以来のテレビ放送で、Accoustic への転向を明らかにしたものといえる。

Popol Vuh / Kyrie 1973
https://www.youtube.com/watch?v=9q19C220Vvo
最後の部分にAbschiedが自然な流れで付加されている。


・3月 Tangerine Dream / Atem発売 


・4月7日 Ash Ra TempelがBernでライブ。
 Klaus Schulze、Hartmut Enkeを欠くメンバーでは初めての公演。Manuel Göttsching、RosiとBass、Drumsの4人編成。5月26日、6月9日にもライブを行う。

・4月10日  Ash Ra Tempel / Join Inn 発売

・4月14日 WallensteinがスイスのLausanneでLiveを行い、テレビ放映される。Mother Universeのフランスでの成功と人気の証左といえる。 

曲のイントロで発信機を操作するJürgen Dollase
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★Wallenstein / Dedicated to Mystery Land (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=6ZIq2m9OCWQ
Wallensteinのメンバー自身も若き日の映像の発掘に驚いていた。Jürgen Dollaseの冒頭の発信機のイントロは、明らかにTarotセッションでのKlaus SchulzeのSynthesizerからの影響といえる。

 TarotでBassを担当したJerry Berkersがこのライブの3日前に精神不調を起こして失踪。Harald Grosskopf、ギターのBill BaroneとJürgen Dollaseがキーボードの左手でBassのパートを補っている。この後Berkersが音楽活動に復活することはなかった。

 Berkersはバンド演奏の仕事でベトナム戦争を現地で体験し、銃撃戦に出会った恐怖によって深いトラウマを背負うことになった。
 Hartmut Enkeに続いて、BerkersというTarotのメンバー8人のうち2人が、音楽界から去っていった。

Harald GrosskopfによるJerry Berkersについても詳細なWallensteinの歴史
https://www.haraldgrosskopf.de/englisch/wallenstein.html


2019年03月16日 ブログ
命の洗濯・昭和Deep・鶴見線の旅Part2海芝浦駅 
〜 序章「ジャーマンロック1972年・Walter Wegmuller / Tarotの時代」
http://soleluna.seesaa.net/article/464654676.html


・5月5日 村八分が京大西部講堂で解散ライブを行う。
 チャー坊が単独でレコード会社と契約交渉したため、山口冨士夫に誤解が生じ、解散に至る。1971年からTangerine Dream、Amon Düül 2、Canを日本で発売した東芝の石坂敬一は、村八分の世界進出を目指したが洋楽担当のために叶わず、これをきっかけに邦楽部門に転じた。

村八分 / 馬の骨 from 『村八分 ライブ』(2022 Digitally Remastered)
https://www.youtube.com/watch?v=kmNLNF54Cm8

 バンドと愛児を失ったチャー坊は、その後ドラッグによる入退院を繰り返し、オーバードーズにより1994年に死亡した。Jerry Berkersは1988年にオランダの公園でオーバードーズで、Hartmut Enkeは2005年に亡くなった。
 Ash Ra Tempel、Wallenstein、村八分を支えた人たちだった。RIP


〜 1973年のKöln、Düsseldorf等のドイツロック 〜

 1973年にはKöln、Düsseldorfでもクラシックの美しいメロディーの伝統に回帰したドイツロックの傑作群が生まれた。1972年のAmon Düül II / Wolf City、Popol Vuh / Hosianna Mantraの影響が大きいと思われる。さらにBerlinからのSpace Rock、Cosmic Musicからの影響も強い。

上段左から、Neu! 2、Kraftwerk / Ralf & Florian、Faust Tapes、Can / Future Days 美しいメロディーが際立つ。
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・5月7日 Neu! 2発売 1月録音、2月ミキシング。

★NEU! / Für immer
https://www.youtube.com/watch?v=V85AjBFDmbI&list=PLNitVGYNCIxHbuiQxvixs9q-B2mlE6vbx
ドイツロック、Cosmic Musicの最高作の一つ。Mozartを愛するKlaus Dingerの本当の姿がある。ダモ鈴木もNEU!を評価しており、Future Daysへの影響も大きいと思われる。この曲のために予算を使い果たし、苦肉の策としてシングル盤の回転数を上げ下げしたものが収録された。 


・5月19日 Faust / The Faust Tapes
・5月25日 Mike Oldfield / Tubular Bells
  Virginの第1回発売としてリリースされる。
  Faust TapesもTubler Bellsも実験的音楽でありながら、クラシックからの影響のある美しいメロディーが隠されていたのが魅力だった。

 1974年以後、Tangerine Dream、Klaus Schulze、Can、Ashra(Ash Ra Tempel)がVirginからリリース。

Mike Oldfield / Tubular Bells part 1
https://www.youtube.com/watch?v=BfWJqKIxyGc
★23:20からTubular Bellsの感動のフィナーレ。イギリス版ドイツロックともいえるAccoustic ミニマルミュージックの傑作。 

★Faust / Flashback Caruso(Faust Tapes)
https://www.youtube.com/watch?v=66eAJ-QZztI&list=OLAK5uy_mRu_MeHaFtKTZKeeaV9x-ZcMlKMbJ8wLo&index=3
Faust Tapesではクラシック調の美しい曲が随所で聴かれ、アヴァンギャルド、反復ノイズとの対比によって、作品の存在感を際立たせている。FaustでさえHosianna Mantraを聴いていたのではと思わせる。

Faust / Voices and Trumpet and All(Faust Tapes)
https://www.youtube.com/watch?v=LWzLxryBkHc&list=OLAK5uy_mRu_MeHaFtKTZKeeaV9x-ZcMlKMbJ8wLo&index=4
★1:30からのBerlin的な美しいSynthesizerのCosmic Soundが、前後とのコントラストを見事に出している。

Faust / Dr. Schwitters (Continued)(Faust Tapes)
https://www.youtube.com/watch?v=ItW7Q4SWoVw&list=OLAK5uy_mRu_MeHaFtKTZKeeaV9x-ZcMlKMbJ8wLo&index=12
MellotronのSymphonic系バンドのような瞬間。

Faust / Chère chambre(Faust Tapes)
https://www.youtube.com/watch?v=clI_fAH-7w0&list=OLAK5uy_mRu_MeHaFtKTZKeeaV9x-ZcMlKMbJ8wLo&index=26
余韻を残す最後の曲。Spirogyraの3rdアルバムやTony Kosinecの2ndアルバムを想起させる。


・5月〜7月 Kraftwerk / Ralf & Florian 録音

 Kraftwerkの3rdアルバムは、それまでの実験ノイズ路線から転向し、Amon Düül II / Wolf Cityのように美しいメロディーを基調とする6曲が収録されている。KristalloやTanzmusikのPianoはPopol Vuh / Hosianna Mantraの影響が大きいと思われる。

★Kraftwerk /Heimatklänge+Tanzmusik live on ZDF, 1973
https://www.youtube.com/watch?v=txOxNK1nyyM
KraftwerkからのFlorian Fricke・Hosianna Mantraへの回答ともとれる佳曲。

Kraftwerk / Kristallo
https://www.youtube.com/watch?v=AI2Yk7w81oc&list=PLIoFxSeC9xA7duFCIg4Wewl-zFpMwXg69&index=3




・2月から7月まで Klaus Schulze / Cyborg
 BerlinのKlaus Schulze自身のスタジオでレコーディング

LP史上の名作デザイン。Cyborg初版Cosmic盤のジャケット
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 初めて使用したTarotでのSchulzeのSynthesizerの音が自由に飛び回っていたのとは異なり、CyborgではSynthesizerが重く解釈・使用されている。

 Klaus Schulzeは「Cyborgで目指したのは休息の獲得だ」と述べており、Irrlichtほどの緊迫感はない。しかし、2枚組大作のドローンからはTangerine Dream / Zeitへの対抗意識が感じられる。 

 オリジナルCosmic Couriers盤のCover DesignはPeter Geitnerによる素晴らしいもので、Geitner のデザインはCosmic Couriersの音楽性に対するリスナーの印象の中で大きな比重を占めることになる。

Klaus Schulze / Cyborg 1973
https://www.youtube.com/watch?v=pq0IGQmWLco
1曲目★Synphäraの最初の3分ぐらいまではTimewindのB面Wahnfried 1883のようにメロディアスだが、以降は1時間以上重いドローンになる。Zeit、Irrlichtと同様に当時ほとんど聴けなかったレコードだった。

− Cyborgで使用された楽器
Cello, Contrabass, Flute, Violin – Cosmic Orchestra
Organ, Synthesizer, Vocals, Percussion – Klaus Schulze

ジャケットに書かれた言葉
"CYBORG, eine teils elektronische teils organische Existenz, wartet an den Toren des akustischen Psychopharmakas auf das Jahrtausend seiner Geburt!".


Klaus Schulze / Cyborg(紙ジャケット仕様)
https://amzn.to/3bzMcLv



= 1973年2月〜5月「音楽の夢」 Cosmic Jokersセッション   =


左上から、8番Cosmic Jokers、10番Galactic Supermarket、11番Sci Fi Party、12番Gilles Zeitschiff、13番Cosmic Jokers / Planeten Sit In
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 2月から7月まで、Klaus SchulzeはCyborgの制作にかかり、2月28日には、KölnでHartmut Enkeが脱退するAsh Ra Tempelとの最後のライブが行われます。

 そして、同時期の2月から5月まで、Dieter Dierksスタジオにおいて、Cosmic Jokersのセッションが行われます。
 SchulzeはBerlinからKölnに向かった際に、雪で車が往生したことがあったそうです。

 Cosmic Jokersのメンバーは、TarotセッションのKlaus Schulze、Manuel Göttsching、Jürgen Dollase、Harald Grosskopf、そしてBassistでもあったDieter Dierksの5人。そして、VoiceとしてGilleとRosiが参加。
 Enke、BerkersもCosmic Jokersに参加する可能性はあったと思われます。Enkeが2月中に少しでも参加したかは不明です。

 Cosmic Jokersは、Ohr、Pilz、Cosmic CouriersのRolf-Ulrich Kaiser、Gilleをプロデューサーとするものでした。

 Rolf-Ulrich Kaiserは、ドイツ初のロックフェスを主宰し、多数の音楽書の著述家であり、Ohr Pilzの創設者でした。

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 1972年7月発売のKosmische Musikのライナーの「宇宙の音楽、そしてタイムトラベル」という寄稿文の中で、KaiserのKosmische Musik(宇宙の音楽)に対する精神心理学に基づく深い思いが語られています。

「宇宙を把握するために注目しなければならないのは時間である。宇宙の媒体は時間なのである。」
「音楽は宇宙からのメッセージを伝えるメディアになりうるのだ。」

 このようなKaiserの思いを具現化するのが、Kosmische Musikに収録されたTangerine Dream、Ash Ra Tempel、Klaus Schulze、Popol Vuhの音楽だったといえます。

 1972年のKaiser、Gille、Hartmut EnkeとTimothy Learlyの出会いと、8月のSeven Upのセッションは「宇宙の音楽Kosmische Musik=Kaiser、Gilleの夢」を急加速させることになりました。Learlyの著書からCosmic Couriersの名が採用されました。

Kaiser、Gille、Hartmut Enkeの運命を定めてしまったAsh Ra Tempel / Seven Up。上は初版(Walter Wegmüllerデザイン)。下は再版(Peter Geitnerデザイン)。ドイツ盤の作者は「Leary、Barritt、Ash Ra Tempel」とあるが、イタリアPDU盤では作者は「Leary、Barritt、Enke」と明記。
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 1972年から1973年は、ベトナム戦争が泥沼化していました。Cosmic Music、Cosmic Couriers、Cosmic Jokersは、その絶望的な現実や苦しみからの逃避であったようにも思えます。

 Berlinという壁に囲まれた閉鎖都市からのKaiserとGilleの宇宙への憧れと感性によって、Klaus SchulzeやAsh Ra Tempel、Cosmic Jokersなどの音楽を切り取って新たに解釈された音楽がCosmic Couriersでした。

 そして、他のProgressive Rockと同様に、ベトナム戦争の終結とともに、Cosmic Couriersはその使命を果たしたと言えます。

Gilles Zeitschiff付属のポスターより
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 Cosmic Couriersは素晴らしい作品を残したものの、Kaiserとの間でまずEdgar Froese、そしてKlaus Schulzeとの間に溝が生じ、最後にはJürgen Dollase、Manuel Göttschingも離脱して消滅します。 

 具体的なトラブルの内容については、1970年代当時はわかりませんでした。
 たしかに、Ohrとの一方的な契約内容や、ミュージシャンの同意を得ずにCosmic Jokersが発売されたのは大きな問題だったと思います。 

 しかし、聴き手の側からすると、1970年代後半、Synthesizerがレコードを通してしか聴けなかった時代に、Cosmic Couriers、Cosmic Jokersは「音楽の夢」と言える作品群でした。

 また、ジャケットも、OhrのそれまでのTangerine Dream / Alpha Centauriや、日食のZeitに描かれた宇宙は、果てしない暗黒の空間という現実的なものでした。

 これに対して、Cosmic Couriersでは、KaiserとGilleは、宇宙に希望だけを求めていました。それは、Peter Geitnerによるジャケットに鮮明でした。それは非現実的だったとはいえ「音楽の夢」そのものでした。

 レコードのラベルも初期の3枚はユーモラスなもので、4番から17番までは黄色い宇宙の斬新なデザインで、世界の最先端にあったと思います。
 契約の問題が生じなければ、Tangerine Dream / Phaedraも、Klaus Schulze / Timewindも、Cosmic Couriersの黄色いレコードラベルで発売されていました。
 
 音楽が「音を楽しむ」ものであり、現実の苦しみを一時でも忘れさせてくれる夢であるとするならば、私にとってCosmic Couriersの黄色のラベルは、まさに現実から異次元の世界に連れて行ってくれるパスポートでした。

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 Cosmic Couriersに最初に出会ったのは1976年8月3日に買ったWallensteinの最高作 Cosmic Centuryでした。ElectricとSymphonicが融合した音だけでなく、黄色の美しいCosmic Musicのラベルに感動した私は、翌日の4日にCosmic MusicのPopol Vuh /Einsjäger & Siebenjägerを購入。Cosmic Musicとはイメージの異なるAccoustic Rockも素晴らしいものでした。

 そして10月にAsh Ra Tempel / Seven Up、11月にAsh Ra Tempel / Starring Rosiを購入し、Tangerine Dreamと異なるAsh Ra Tempelの世界に引き込まれました。そして1977年1月5日に、後世に評価されることになるEcho Wavesを収録したAsh Ra Tempel /Yを購入して圧倒されました。

 Cosmic Couriersの中で、1976年12月30日に購入したGilles Zeitschiffには、Timewindとは異なるKlaus Schulzeの自由なSynthesizerの世界が広がり、そこにGilleのVoiceがダビングされ、まさに宇宙空間を旅行するような体験音楽でした。

 Cosmic Couriersの音楽は、前年の1975年に聴いたSynthesizer Rythmを基調とするTangerine Dream / Phaedra、Klaus Schulze / Timewindと異なるタイプのSynthesizer音楽でした。しかし、Rhythmによって彼らの世界に強烈に引き込まれるのと異なり、自分のイマジネーションを膨らませることができる点で、Cosmic Couriersの作品群は別の意味で圧倒的に魅力的でした。

 Cosmic Couriersには、魅力的な謎が溢れていました。
 Cosmic CenturyやPopol VuhがなぜCosmic Musicなのか? Ash Ra Tempelはなぜ1人だったり、4人、20人(Seven Up)になるのか? Tangerine DreamはなぜCosmic Couriersには入っていないのか? Klaus SchulzeはなぜTangerine Dream、Ash Ra Tempelを辞めたのか(辞めさせられたのか)? Klaus SchulzeとWallensteinはなぜ共演するのか? 
 その魅力の答えは、KaiserとGilleの宇宙に対する夢の大きさと、ミュージシャンとの間のギャップにあったのだと思います。


 Gilles Zeitschiffを始め、Cosmic Jokersセッションには、Charlie Parkerのアドリブにも通じる瞬間の閃きが詰め込まれていました。よく大ヒット曲の作曲者が「3分で浮かんだ」ということを話しますが、そのような才能の輝きがCosmic Couriersには集結していました。

 日本でも、Cosmic Couriersは「今、一番注目されているCosmic Sound」として輸入盤の広告に出たこともありました。

Adv. of Cosmic Couriers Dec. 1975 Tokyo Japan  ”The Cosmic Sound that is currently attracting the most attention (German Progressive)"
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 Harald Grosskopfによれば、Dieter Dierksのところに未発表のCosmic Jokersのテープがあり、発売されたものより良いものもあるそうですが、テープの劣化などの問題があるようです。


 Cosmic Jokersのセッションについては否定的な意見も見られますが、Tarot、Mother Universe、Join Innなどの傑作を立て続けに制作していたKlaus Schulze、Manuel Göttsching、Jürgen Dollase、Harald Grosskopによる閃きの瞬間を捉えたセッションが、Dieter Dierksの世界レベルのスタジオで行われて悪い作品になるはずがありません。

 Cosmic Couriersは、2つの夢を見せてくれました。
 1つ目は、Klaus SchulzeやAsh Ra Tempel、Popol Vuh、Wallenstein、Cosmic Jokersなどの「音楽の夢」そのものです。
 2つ目は、その音楽をCosmic Musicという概念によって拡大解釈したKaiser、Gilleの「夢見る力」です。

 それでは「夢で逢った人々」Cosmic Couriersについてもう一度その夢を振り返って感謝しつつ、Cosmic Jokersの5枚のLPを見ていきたいと思います。

※ 今回のブログのタイトルの「夢で逢った人々」「夢見る力」はドラマ「私が愛したウルトラセブン」の前編・後編のサブタイトルから拝借しました。「私が愛したウルトラセブン」の真のテーマもベトナム反戦にありました。

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◆KM 58.008 Cosmic Jokers / Cosmic Jokers 
   = 即興によるドイツCosmic版 スーパーセッション = 

上:ドイツ盤 下:Klaus SchulzeのTimewind成功後に発売されたフランス盤では「Featuring Klaus Schulze」と付加されている。
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 Cosmic Jokersの1stは長時間のセッションから抜粋されたという作品。Ash Ra Tempel / Join Innと似た構成で、A面は動、B面は静となっている。
 本来はHartmut Enkeが担うはずだったと思われるBassをJürgen Dollaseが担当し、Harald GrosskopfのDrumsと共に全体にDriveをかけていたという。

 SynthesizerとDrumsを融合させた最初のDrummerと評価されているHarald Grosskopfが、このセッションからその後多くの傑作を生みだしていく。
 
Jürgen Dollase+Harald Grosskopf → Wallenstein / Cosmic CenturyのSpace Drumへ
Manuel Göttsching+Harald Grosskopf → Ash Ra Tempel / Starring Rosi、Ashra / Correlations、Ashra来日ライブなどへ
Klaus Schulze+Harald Grosskopf → Moondawn、Body Love、Xへ


The Cosmic Jokers / Galactic Joke
https://www.youtube.com/watch?v=ZzJhoAXLmjM&t=822s
旧LP A面。稀代のメロディーメーカーManuel Göttschingのギターを主役とするドイツCosmic版Super Session。ジャケットのように5つの宇宙船が宇宙を飛ぶ印象。
★13:20 ベスト盤Sci Fi Partyの冒頭でも 「Im Reich der Magier」として使用された。GöttschingとGrosskopfの閃きともいえるフレーズで宇宙軌道に乗るイメージ。後のAshra / Correlationsに通じる音。
★19:20 Klaus Schulzeが最後に閃光のようなSynthesizerのメロディーを放つ。


The Cosmic Jokers / Cosmic joy
https://www.youtube.com/watch?v=XQhlQ3UgVx4
旧LP B面。Ash Ra Tempel / Join InnのJenseitsに似ているが、明確なメロディーが少ない分、宇宙を浮遊する感覚がある。SchulzeとDollaseのキーボードは判別できないが、心地よさを求める緩やかなドローンであり、Darkを突き詰めようとしたZeitなどよりも聴きやすい。
8:20 子守歌のような旋律が聞こえる。
★18:20 最後にSynthesizerのメロディーで締めくくるため、優しい余韻が残る。 



◆KM 58.010 Galactic Supermarket – Galactic Supermarket
    = Cosmic Jokersの中で唯一の音楽的構造をもつ最高傑作 =

1976年のフランス盤ジャケットでは、Klaus SchulzeのTimewindでの1975年のCharles Cross音楽大賞の受賞が記されている。
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 1974年のオリジナル盤はCosmic Jokersの名義ではなく、Dieter Dierks, Gille, Harald Grosskopf, Jürgen Dollase, Klaus Schulze, Manuel Göttsching, Rosiの連名になっている。

 Harald Grosskopfによれば、Galactic Supermarketだけは、Cosmic Jokersの中で即興ではなく、1つの作品として取り組んだとのこと。
 40分に渡ってほとんど隙の無い、閃きに満ちた全ドイツロックの中でも屈指の名盤。

★Cosmic Jokers / Kinder Des Alls (Remastered)
https://www.youtube.com/watch?v=fRptu58RShw&list=OLAK5uy_kRwnkkpkQG9O56n8WarU6XEt_aVjlxneQ
LPのA面。0:00〜5:25 リラックスした方が力が出るとも言える印象的なメロディーのつづれ織り。Klaus SchulzeのSynthesizer、Jürgen DollaseのPiano。Dieter Dierksと思われるBassも活躍している。
5:25 この曲のハイライト。Jürgen DollaseのコーラスMellotronは、Popol Vuh / Aguirreの世界の再現と言える。
9:00 徐々にKlaus SchulzeのSynthesizerにシフトしていく。
10:38 様々なSynthesizer、Mellotronなどの音が乱れ飛ぶがメロディーがある比類のない世界。
11:40 Manuel GöttschingのGuitarが主導。後のE2-E4を思わせるリフもある。Join Innと異なり、SchulzeがSynthesizerに専念し、素晴らしいフレーズが出てくる。
15:17 テンポが速まる。Mental Doorのような SchulzeのSynthesizerとGöttschingのギターの絡みが素晴らしい。ラストまでSchulzeのSynthesizerのメロディーが途切れない。

★Galactic Supermarket (Remastered)
https://www.youtube.com/watch?v=gq8Q-_tUews&list=OLAK5uy_kRwnkkpkQG9O56n8WarU6XEt_aVjlxneQ&index=2
Join InnのFreakn' RollのセッションにSynthesizer、キーボードを加えたデラックス版。全体に閃きが溢れている。
3:30 SchulzeのSynthesizer、IrrlichtのOrganが活躍。
6:33 Manuel GöttschingのEcho Waves、E2-E4の萌芽ともいえる閃き。
7:30 SchulzeのSynthesizerのメロディーが斬新。
9:00〜11:40 この曲のハイライト。SchulzeのSynthesizerの奇跡の瞬間を捉えている。
11:50、12:40 奇跡のようなSynthesizerのフレーズが続く
17:40 エンディングに向けてJürgen DollaseのPiano、SchulzeのSynthesizerの緊張感はTarotのDie Weltを彷彿させる。

Galactic Supermarket ギャラクティック・スーパーマーケット
https://amzn.to/3LrUMIJ



◆KM 58.012 Gilles Zeitschiff 
  = 星の少女GilleのTimeship・Klaus SchulzeのCosmic Synthesizer =

Cosmic Jokersで中心的役割を果たしたKlaus SchulzeのSynthesizer。Gilles Zeitschiffのポスターより。
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 Klaus SchulzeのSynthesizerソロの上にGilleの語り、途中でTimothy Learly&Ash Ra Tempel / Seven Up、Lord Krishna、Tarotの曲を挟む内容。
 Synthesizerと語りのコラボレーションは当時は非常に斬新で、SchulzeのCosmicな素晴らしい音とDierksの確かなミキシング処理によって比類のない作品になっていると思う。

 1974年のLPでは、Tim bleibt bei unsで “ mit Timothy Leary, Klaus Schulze, Ash Ra Tempel”と語られているが、1994年のCDでは“ mit Timothy Leary, Klaus Vercana Schulze, Tangerine Dream、Ash Ra Tempel”というTangerine Dreamが入った別テイクとなっている。このことから、Tangerine Dreamは参加予定だったCosmic Couriersを1973年の途中で脱退したことが推測できる。


The Cosmic Jokers: Gilles Zeitschiff (Side A)
https://www.youtube.com/watch?v=QAv5ds6Kt48&t=41s
聴きどころ 
1. ★Tim bleibt bei uns (7:06) Klaus SchulzeのSynthesizerソロにGilleの語りが乗る比類のない作品。SchulzeのリラックスしたSynthesizerには魅力的なフレーズが溢れている。
3. ★Lord Krishna (1:23)  Lord Krishna Von GolokaのMellotronの名曲 Die weiße Almにベルの音がダビングされた短いながら素晴らしい作品。
7. Cosmic Courier Bon Chance (3:00) Klaus SchulzeのIrrlicht期のOrganの音に男性の英語の語りが入るだけで印象が変わる。16:48で「Ash Ra Tempel」と言っているのはTimothy Learlyだろうか。

The Cosmic Jokers: Gilles Zeitschiff (Side B) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O6sigiPM0Xo
聴きどころ
0:00〜3:00  Swiss High LandsのSynthesizerが、1:19から自然にTarotの2曲目の名曲★Der Magier 2:45に繋ぐところが素晴らしい。
5:45から25:00ぐらいまでは、Seven UpのB面Timeをメインに、Gilleと男性のVoice、Synthesizerががオーバーダビングされている。Tangerine Dream / Alpha CentauriのSteve Schroyderのオルガンと、Klaus SchulzeのSynthesizerが共演する形になる。
11. Electronic Rock Zeitalter の★10:23でGilleの「Kosmische Musik(宇宙の音楽)」という語りが入る部分が印象的。
14. Meine Kosmische Musikの27:05の最後のGilleの語りでも「Tangerine Dream und」と「Ash Ra Tempel」の前に語られている。



◆KM 58.013 Cosmic Jokers / Planeten Sit Inn
 = 際立つSynthesizerの宇宙的効果音 技術系雑誌「hobby」の推薦盤 =

上:1974年ドイツ盤では「hobby」の推薦と赤い表記がある。
下:1976年イタリアPDU盤ではGille Lettmannのジャケットに変更。
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 1972年のKlaus Schulze、Ash Ra TempelのオムニバスLP Kosmische Musikが音楽系「SOUNDS」誌の推薦だったのに対し、Planeten Sit Inはドイツの有名な技術系雑誌「hobby」の推薦レコードになっているのが特徴。LPの裏側に「なぜhobbyはこのLPを薦めるのか」という文章が掲載されている。4チャンネルであることも書かれている。

 SynthesizerやDTMを開発する人の多くはメロディー・ハーモニーのような部分よりも、技術的なことに関心を持っている。特に宇宙的な効果音のような特徴的な音を出せることは技術者のモチベーションになっていると思われる。

 Klaus Schulzeはベルリン工科大学の出身で技術者になることを望まれていた。Planeten Sit Inはまさに技術者が喜ぶ「こんな音も出せる」というSynthesizerの効果音がたくさん聴ける内容。

 ロックの部分はドローン的で、Manuel Göttschingのメロディアスなギターはこのアルバムでは聴かれず、その分効果音が目立っている。
 効果音主体の中で、A面の最後のJürgen Dollaseの美しいPianoが際立って作品に締りと余韻を残している。

Cosmic Jokers - Planeten Sit-In (1974)
https://www.youtube.com/watch?v=TUh_kC28e0g
(旧LP A面 効果音多数)
1 Raumschiff Galaxy Startet 0:00 冒頭からSchulzeの遊び心から生まれたSynthesizerの効果音が極めて斬新。
2 The Planet Of Communication 1:06
3 ★Elektronenzirkus 3:46からもSchulzeのSynthesizerがCosmic。
4 Der Narr Im All  SchulzeとGrosskopfのDrumsの絡みから5:38で次のSynthesizerにつなぐところが見事。
5 ★Raumschiff Galaxy Fliegt In Die Sonne  Schulzeのメロディ−志向が現れている。
6 Intergalactic Nightclub 緩やかなセッション。  
7 ★Loving Frequencies 10:01で再びSchulzeの美しいメロディ−からGoプロジェクトのような展開。最後にJürgen DollaseのPopol Vuh調のPianoでA面を締める。Sci Fi Partyのラストでも使用されたCosmic Couriersで最も美しい曲の一つ。

(以下、旧B面では主にドローン的なロックが展開される)
8 ★Electronic News 13:54で宇宙での交信や月面着陸のようなSynthesizerの効果音とDrumsが素晴らしい。
9 Intergalactic Radio Guri Broadcasting 17:47からHarald Grosskopfの解放的なDrumsが主体でSynthesizerが彩を添える。
10 Raumschiff Galaxy Gleitet Im Sonnenwind 22:06から初期Ash Ra Tempel、Amon Düül IIのようなドローン調のヘビーなロック。
11 Interstellar Rock: Kosmische Musik 26:14で複数のUFOが到来するような効果音。
12 Raumschiff Galaxy Saust In Die Lichtbahnen 27:00からここもヘビーなロック。
13 ★Der Planet Des Sternenmädchens 27:33から「星の少女の惑星」この曲だけGilleのウィスパーリングVoice、ストリングスMellotronが主役で、Synthesizerは脇役。静かに消えていくVoiceとMellotronがCosmic Couriersの宇宙への別れを告げるような余韻を残す。


Planeten Sit Inの裏ジャケットには「The Cosmic Jokers」の名義で5枚のCosmic CouriersのLPの広告が出ていた。
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◆KM 58.011 Sci Fi Party (Unser Flug durch die kosmische Musik私たちの宇宙飛行)
= Warm Melodyを集めたCosmic Couriersの集大成 =


Sci Fi Party に記載されたメッセージ。Warm Melodyという言葉もある。
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 Cosmic Couriersのベスト盤だが、曲のつなぎの部分が工夫され、GilleのVoiceも加味されたた一つの作品として魅力的なものになっている。

★COSMIC JOKERS : "Sci-Fi Party"
https://www.youtube.com/watch?v=-_kjnHClTGI&t=680s
聴きどころ:
(旧A面) Im Reich der Magier
・0:00〜8:29 Im Reich der Magier。Cosmic Jokers / Cosmic Jokersの一番の名演の部分を抜粋している。Gilleの「Mr.Tarot」のVoiceとともに次の曲へ。
・11:10から、曲がWallenstein / The Cosmic Couriers Meet South Philly Willyに切り替わる部分。LPでは11:17前後で、Klaus SchulzeのSynthesizerの「ヒューン」というCosmicなつなぎが一瞬入るが、CDでは除かれている。

(旧B面)★★ Die Galaxie Der Freude 喜びの銀河
16:42からはLPのB面で、全編がCosmic Couriersの良いメロディーを集めた傑作。冒頭のSynthesizerはPlanetten Sit InnのB面の冒頭から。
17:16からGalactic Supermarket / Kinder Des Alls I。 20:13のThe Electronic SceneはSeven UpをコラージュしたGilles ZeitschiffのB面からさらに抜粋したもので、22:30のGilleの「Kosmische Musik」という語りがやはりCosmic Couriers作品の中では印象的。22:45からKinder Des AllsのコーラスMellotronの名演、26:28からAsh Ra Tempel / Starring RosiのCosmicな語り。31:44からはPlanetten Sit Innからの抜粋で、Klaus SchulzeのSynthesizer、Jürgen DollaseのPianoのいずれもCosmic Couriersの中で最も美しいメロディーで締めくくられている。


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Rolf-Ulrich Kaiser、GilleがCosmicMusicに最後に求めたもの、結論は、暖かいメロディーWarm Melodyだった。


13番から17番のLPの裏側に印字されたCosmic Couriersのマーク。
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・8月 Can / Future Days発売 
 Canの最高作だけでなく、英米を含めたProg史上の傑作と評価される。 
 ホルガー・シューカイは1997年、本作のBel Airについて「時にはドラマティックにもなるけど、穏やかな風景を描写した演奏で、エレクトリック・シンフォニー・グループとしてのカンの姿を示した」と説明している。

★Can / Bel Air
https://www.youtube.com/watch?v=YGQKGpjl1Fg
BerlinのSpace Rock、Amon Düül II / Wolf Cityのクラシック志向、NEU!2、Popol Vuhなどからの様々の要素が融合して、ドイツロックのひとつの完成形となっている。1974年にTangerine Dream / PhaedraのSynthesizer Rythmが出るまでは最先端のelectric音楽だったといえる。


・10月  Cosmic Couriersレーベル KK2/58003 Walter Wegmüller / Tarot発売

 KK58001のTimothy Leary + Ash Ra Tempel / Seven UpとKK58002のSergius Golowin / Lord Krishna Von Golokaの発売月は不明だが、Cosmic Couriersレーベルの初回リリースはこのころだと思われる。

・10月 Klaus Schulze / Cyborg 発売 KM 2/58.005 

1973年発売のCosmic Couriersレーベルの作品
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・11月 Wallenstein / Cosmic Century  発売 KM 58.006
 Bravo LPの称号が記されたドイツ月間最優秀アルバム。Mother Universeの成功に加え、TarotセッションによるKlaus Schulze、Ash Ra TempelらのBerlin Schoolからの影響で、SymphonicにSpace Rockが加わったドイツロック史上の傑作。

★WALLENSTEIN / Cosmic Century 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=X_lgWdc43w8&t=1261s
捨て曲のない完全な作品。★34:50 Song Of WireのコーラスMellotronはPopol Vuh / Aguirre、Tarotセッションの影響を極めたものと言える。

★Wallenstein / Symphonic Rock Orchestra- Silver Arms (Live-Auftritt im ORF, 1973)
https://www.youtube.com/watch?v=t1G8OEPqTus
Wallensteinの他国での人気を裏付けるカラー映像。1:31のSynthesizerはTarotやCosmic Jokersで共演したKlaus Schulzeからの影響と言える。


・11月 Ash Ra Tempel / Starring Rosi発売 KM 58.007 
 7〜8月にDieter Dierksスタジオで録音。Dieter DierksがBass、Harald GrosskopfがDrumsで参加。

★Ash Ra Tempel / Starring Rosi
https://www.youtube.com/watch?v=1da0hk623F4&t=62s
1stのSpace Hard Rockから、Klaus SchulzeとのTarotとJoin Innのセッションを通じて自由な表現となり、次の傑作Echo Wavesにつながる。全曲にわたるメロディー志向はTarot、Cosmic Jokersセッションを通じたWallensteinからの影響といえる。

★Ash Ra Tempel / The Fairy Dance
https://www.youtube.com/watch?v=5u4G4SdHS2k
Manuel GöttschingのSynthesizer、Mellotronが美しい曲。Popol Vuh / Hosianna Mantraの影響を感じる。


・11月〜12月 Popol Vuh / Seligpreisung発売 KM 58.009
 Djong Yun不在のため地味な印象だが、全曲素晴らしい傑作。Hosianna Mantraの後、Amon Düül II のDanielの加入でロック寄りとなり、メロディー志向は Wolf Cityの影響が強く感じられる。

 Popol Vuhの唯一のDieter Dierksスタジオでの作品で、広がりのあるサウンドはBerlin School、Space Rockからの影響が感じられる。
 
★Popol Vuh / Seligpreisung
https://www.youtube.com/watch?v=A7iU1q4CItw
2:49、13:00 Conny VeitのギターとDanielのDrumsによってAsh Ra Tempel / Join InnのようなSpace Rockになる。

★Popol Vuh / Agnus Dei
https://www.youtube.com/watch?v=vmhQ_zo79zk&list=PL7Y8h1DD2Sro2AOGu0fYFUEEOayUJ70fr&index=9
Popol VuhのテーマソングともなるB面最後の名曲。映画「カスパーハウザーの謎」でもFlorian Frickeが演奏した。

 かつてTangerine DreamやKlaus SchulzeがSynthesizerの目標としたFlorian Frickeは、SeligpreisungでもSynthesizerを全く使用せず、1975年12月にSchulzeにSynthesizerを譲渡する。Florian Frickeは、1994年のCity RagaまでElectric Music、Synthesizerから離れることになる。



= ミーナMinaの夢 イタリアPDU盤のCosmic Couriers =


 イタリアンポップスの女王ミーナMinaも自己の所有するPDUレーベルから、Cosmic Couriers、Ohr、PilzのCosmic Musicを発売しました。

イタリアの歴史の一部ともいえるMina Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Mina_(cantante)

 MinaもまたKaiserやGilleのように、Klaus Schulze、Tangerine Dream、Ash Ra Tempel、Cosmic Jokers、Popol Vuh、Wallensteinの音楽に宇宙の夢と苦悩からの救いを求めていたのだと思います。

 Italian Progは、Amon Düül IIの1972年5月のRomaのVilla Pamphilliフェス出演とその影響によるWolf Cityはを介して、ドイツロックにメロディーを重視するクラシックの伝統を呼び起こしました。
 そして、今度は逆にCosmic CouriersのWarm Melodyを伴った新しいSynthesizer音楽に関心を持ったMinaのPDUを介して、ドイツロックはイタリアにKlaus SchulzeなどSynthesizer音楽をもたらしました。

 PDUは、今までに紹介したTarot、Tangerine Dream / Ultima Thuleなどの数々の別ジャケットや、Ash Ra Tempel、Popol Vuhの初めてのBest盤の制作、Aguirreの初版やYogaのリリースなど、Cosmic Couriers、Ohr、Pilzに深く関わりました。
 そこでMinaとKaiser、Gilleの間でかなりの交渉や打ち合わせ、やりとりがあったと想像できます。

2021年02月06日 ブログ
癒しのヒーリングミュージック特集 part2 1976年イタリアPDUのPopol VuhとAsh Ra Tempel のBest盤
http://soleluna.seesaa.net/article/479902668.html


「ドイツの新しい音楽」として発売されたPDUのCosmic Couriersだが、BrainのGuru GuruのSpace Rockの名作Känguruが最初のレコード。
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=「音楽の夢」1973年 Cosmic Couriers「夢で逢った人々」「夢見る力」=


 Klaus Schulzeの「音楽の夢」Synthesizerは、Tarotセッションを通じて新しい領域に拡がり、1973年のCosmic Couriersという「夢で逢った人々」の「夢見る力」によってCosmic Musicとして拡大解釈され、世界に届けられました。

 私もCosmic Musicに感動し救われた一人です。Klaus SchulzeのCosmic CouriersにおけるSynthesizerの音は、1970年代の当時全く新しい希望の音楽でした。改めて感謝したいと思います。

 次回「追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze F」は1974年以降、ついにKlaus Schulzeは世界で成功することになります。


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posted by カンカン at 13:10| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年07月16日

〜 追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze D  〜  「音楽の夢」  1972年12月 ドイツロックの集大成Walter Wegmüller / Tarotの時代 〜 シンセサイザースターSynthesizer Star クラウス・シュルツの誕生 〜 Amon Düül U / Wolf Cityのクラシック革命とItalian Progとの架橋 

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Walter Wegmüller / TarotからCosmic Jokers / Tarotへと改題されたイタリアPDU盤(1976年)Tarotの内ジャケット。Klaus Schulzeが主役の扱いになっている。SchulzeがSynthesizer Starともいえる役割を果たした。


今日の1曲
★★Walter Wegmüller
        / Der Weise(賢者)(Klaus Schulze詞)
★Popol Vuh / Nicht Hoch Im Himmel (Hosianna Mantra)
★Popol Vuh / Aguirre I (L'acrime di rei)
Walter Wegmüller / Tarot 全曲 1972年12月録音
★Ash Ra Tempel - Amboss
★Tangerine Dream / Alpha Centauri
★Banco Del Mutuo Soccorso
/ La Conquista Della Posizione Eretta
New Trolls - Concerto Grosso & St.Peter's Day
Latte e Miele / Getzemani
★Quella Vecchia Locanda / Sogno, Risveglio E...
Osanna / L' Uomo
★Amon Düül II - Wolf City 全曲
★Amon Düül II / Surrounded by the Stars
Amon Düül II / Deutsch Nepal  
Can / Deadlock (1970)
Neu!/ Hallo Gallo
★Kraftwerk / Kling Klang
Wallenstein / Lunetic
★Wallenstein / Mother Universe
Wallenstein /Relics of Past
★Witthüser & Westrupp / Die Schlüsselblume
★Jerry Berkers / Seltsam
Hölderlin / Waren wir
Emtidi / Träume
★Guru Guru / Immer lustig
★Frumpy / How The Gipsy Was Born
Faust / So Far
★Beatles 後期アルバム各種
★Walter Wegmüller / Der Narr
★Walter Wegmüller / Der Magier
Walter Wegmüller / Der Hohepriester
★Walter Wegmüller / Der Wagen
Walter Wegmüller / Die Prüfung
★Walter Wegmüller / Die Zerstörung
Walter Wegmüller / Die Sterne
Walter Wegmüller / Der Mond
Walter Wegmüller / Die Sonne
★Walter Wegmüller / Das Gericht
★★Walter Wegmüller / Die Welt   
山口冨士夫 / おさらば



1972年12月録音(1973年10月リリース) ドイツ盤オリジナルBOX 
「音楽の夢」Synthesizer 〜 Walter Wegmüller / Tarot
Klaus Schulzeが1972年のIrrlichtリリース後に初めて入手したSynthesizer (EMS Synthi A)を最初に使用した記念すべき隠れた傑作
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= はじめに = Klaus Schulzeの初のSynthesizer使用作品「Tarot」

       ・1972年までのドイツロック 1972年のBerlinの重圧
       ・12月のWalter Wegmüller / Tarotによる解放 
       ・Amon Düül II / Wolf CityとItalian Progのドイツロックへの影響
       ・Popol Vuh / Hosianna Mantra・AguirreのTarotへの影響 


[ 1972年までのドイツロック・1972年のBerlinの重圧 ]

 1969年にVietnam反戦・反体制運動から始まったGerman Rockは、互いに影響を与えながらドイツ国内で独自の音楽を創造していきます。

 それは、Münchenの政治的コミューンAmon Düül、音楽性を重視してそこから離脱したAmon Düül IIとそれに関連するPopol Vuh、KölnのCan(「Communism共産主義」「Anarchism無政府主義」「Nihilism虚無主義」を意味する)、Düsseldorfの「音響上のバーダー・マインホフ・グループ(過激派組織)」を自称するKraftwerk、そして最も反体制運動が激しかったBerlinのTangerine Dream(Edgar Froese、Klaus Schulze)などです。

 1970年にMünchenのPopol VuhがMoog Synthesizerの作品を発表。1971年にTangerine Dreamが脱Rockを図ると、Klaus Schulzeもそれに追随してAsh Ra Tempelを辞めてソロ活動に移り、脱ロックを図ります。

 しかし、1972年に至って、BerlinのTangerine Dream / Zeit、Klaus Schulze / Irrlicht、Ash Ra Tempel / Flowers Must Dieなどの音楽的な重圧。それは、反戦・反体制運動の行き詰まりを感じさせ、日本で2月の連合赤軍事件によって社会運動への関心が一気に失われた時代を想起させます。

 Berlinに対して1972年のMünchenでは、Amon Düül IIが5月にイタリアのWoodstockと呼ばれたローマのPop Villa Pamphiliに出演し、Italian Symphonic Progから影響を受けたWolf Cityによって、クラシック音楽の伝統と美をMünchen、Berlin、Köln、Düsseldorfなどドイツロックに呼び起こすことになります。
 そして、Popol Vuh・Florian FrickeのSynthesizerからAccousticのHosianna Mantraへの劇的な転向がありました。
 Wolf CityとHosianna MantraがBerlinに大きな影響を与え、その音楽的重圧を解放していったと思います。  

 イタリアでは、1972年の緊張感はそのまま1973年に持続し、核戦争を予言するようなLe Orme / Felona e Sorona、Osanna / Palepoli、Museo Rosenbachなどの作品がリリースされます。

 また、Berlinに対するもうひとつのElectric Musicの拠点だった1972年のKöln、Düsseldorfでは、Can / Spoonのチャート1位になる大ヒットや、Kraftwerkのリズムの反復によるTechnoの萌芽など、後のNew Waveの元祖ともなるサウンドのPop化の傾向が見られます。 


[ 1972年12月のWalter Wegmüller / Tarotのセッション ]

 そして、Berlinはついに1972年12月のWalter Wegmüller / Tarotのセッションを通じて重圧から解放されます。その際に1972年の異常な重圧と緊張感から生まれたIrrlicht・Zeitに凝縮されたエネルギーが、Tarot以降のドイツのElectric Musicを一気に進歩させ、世界的・普遍的な音楽に発展させたのだと思います。

 今回の「追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze D」は、ドイツロックの隠れた傑作である「音楽の夢」 Walter Wegmüller / Tarotです。
 Tarotの実質的な主役はKlaus Schulzeであり、当時最先端の楽器であり「音楽の夢」であった Synthesizerをついに購入し、その可能性に挑んでいます。

 またTarotは、1970年代前半のドイツロックKrautrockの最も重要な生成期5年間における中間点である1972年までの集大成だとと思います。

 今回のブログは、2019年に「Walter Wegmüller / Tarotの時代」として書く予定だったのが「序章」でストップしていたものです。


[ Amon Düül II / Wolf CityとItalian Progのドイツロックへの影響 ]

 今回はTarotの前提として、Italian Progとドイツを架橋してクラシックのメロディーの伝統と美を呼び起こす革命を起こし、ドイツロックとTarotにも影響を及ぼした1972年7月録音のAmon Düül II / Wolf Cityについても見てみます。

 Amon Düül IIはドイツロックのパイオニアで最大の指標の一つであり、Klaus SchulzeはTangerine Dream時代にAmon Düül IIと何度も共演し、その動向を常に窺っていたと思いますので、Wolf Cityについて長めに検討します。





「BoxLP Tarot」の全容・BOX・LP2枚・Tarotカード(切り取り式)
・メンバー8人の写真とインフォメーションのカード合計12枚
「見て 聴いて 楽しんで」と書かれたカードも入っている。
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[ Popol Vuh / Hosianna Mantra・AguirreのTarotへの影響 ]

 まずTarotの中から1曲、Klaus Schulze作詞の Der Weise(賢者)を聴いてみたいと思います。
 Irrlichtの重圧から解放された全く別の世界に癒されます。

Der Weise(賢者)のカード
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★★Walter Wegmüller / Der Weise(賢者)(Klaus Schulze詞)
https://www.youtube.com/watch?v=Pn3HsSETbPk&list=PLa2mOZh4Px91lUgjKctmHARjihZ5Ct-ci&index=14
Tarotで唯一の Schulzeの作詞で、朗読、ギター(クラシックギターを習っていた)もSchulze自身による可能性がある。
朗読はTangerine Dream / Alpha Centauriのタイトル曲ラストからの影響を感じる。

 Der Weiseは、Schulzeの詞とJürgen DollaseのPianoとMellotronによるPopol Vuh / Hosianna MantraとAguirreの再現ともいえる世界。Schulzeが1972年のBerlinのIrrlichtの重圧から、目標としてきたFlorian Fricke・Popol Vuhの音楽的転向によって解放されたことを証したともいえる曲です。

★Popol Vuh / Nicht Hoch Im Himmel (Hosianna Mantraより)
https://www.youtube.com/watch?v=E7lKJFy0DVs&list=OLAK5uy_l3O8ZfnyLjl3EwLVIJEeC1A-ZA9Af94Mc&index=7
3:48〜 Florian Fricke・Popol Vuhの最高到達点のPiano。
Synthesizerの新作を予想していたEdgar FroeseのBerlin勢やKraftwerkなどドイツロック界での当時の驚嘆が想像できる。

★Popol Vuh / Aguirre I (L'acrime di rei)
https://www.youtube.com/watch?v=1u7vzaqITMA
Jürgen DollaseのTarot、Wallenstein、Galactic SupermarketでのコーラスMellotronは、Aguirreからの影響と思われる。

 Aguirreの映画公開は1972年12月29日ですが、Ohr・Pilz ProductionはBerlinの同じオフィスにあり、映画公開の前にKaiserがJürgen Dollase、Klaus Schulze、Edgar Froese等にAguirreのマスターテープを聴かせた可能性はあると思います。

 Florian Frickeは、1975年までAguirreが発売されなかった理由はある人物(Kaiserと思われる)のためとしますが、LPにするには曲が少なかったこと(1982年にはLP片面のC面で7分だけでリリース)、PilzからCosmic Couriersへの移行期だったことなどの理由も考えられます。

※ なお、Aguirreが1981年にPop Importから再発された際の番号は、Die Kosmischen Kuriere – KK 20 21275-8でした。これはPilzの1971年最後のPopol Vuh / In Den Gärten Pharaos – 20 21276-9の番号の1つ前の番号です。このことはAguirreがPilzから発売される可能性もあったことを示唆していると思います。



− Walter Wegmüller / Tarot 全曲 −


 Tarotはかつては聴くことがほとんど不可能でしたが、今はインターネットで聴けるようになりました。
 Tarotに関心を持った方に本ブログが参考になれば幸いです。
 まずは全曲の紹介です。曲の分析は最後に行おうと思います。

Klaus Schulze & Walter Wegmüller / Tarot 1973 CD1 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=9rSoxx4sSsI&list=PLa2mOZh4Px91lUgjKctmHARjihZ5Ct-ci
旧LPのA面とB面の全曲。

Klaus Schulze & Walter Wegmuller / Tarot 1973 CD2  全曲
https://www.youtube.com/watch?v=7rdzOfZY-84&list=PLa2mOZh4Px91lUgjKctmHARjihZ5Ct-ci&index=2
旧LPのC面とD面の全曲


 1975年の日本のTarotの広告では「タイトルどおりタロットカードが入った2枚組のアルバムです」「メンバーを見ていただければ自ずからサウンドと内容は想像がつくでしょう........で、メンバーは」とありますが、当時はKlaus SchulzeもManuel Göttschingも日本では無名でした。ドイツ語名のスペリングがほとんど間違っており、当時いかにドイツロックがマイナーだったかがわかります。

Tarotの1975年の広告。当時Neu!、CanなどのLPを輸入盤で買っていたという坂本龍一などもTarotに気づいただろうか?
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 それでは、Amon Düül II / Wolf City、Popol Vuh / Hosianna Mantra、そして「音楽の夢」Walter Wegmüller / Tarotなどが、どのように1972年のBerlinを重圧から解放していったかについて、当時のドイツロックと広く関連させて見ていきたいと思います。




= 1972年12月 Walter Wegmüller / Tarotの時代  =


INDEX

【0】 Tarotは、なぜ無名なのか。Walter Wegmüllerとは誰か。
【1】 Tarotの制作の経緯 
【2】 Tarotのメンバーについて 
【3】 Tarotに影響を及ぼしたドイツロック
     特にAmon Düül II / Wolf City (Italian Prog)の影響 
【4】 Tarotへのビートルズからの影響
【5】 Tarotを聴く。音楽的内容と分析




【0】 Tarotは、なぜ無名なのか。Walter Wegmüllerとは誰か。

 Tarotは1972年12月制作のドイツロックの名盤でありながら、1973年10月発売当初から長年見過ごされている作品です。

 原因は、ジャケット(箱)に「Walter Wegmüller / Tarot」以外に情報がなく、音楽性も推測できないからです。シールド状態では付いていたメンバーのステッカーがなくなるとお手上げです。Walter Wegmüllerが誰かもよくわかりません。

シールド状態でのシールも店での検盤などでほとんど剥がされたと思われる。
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 そこで、他国では「これでは売れない」と判断されたらしく、1975年にフランスではKlaus Schulzeを筆頭にメンバー全員の名義で「Starring in Tarot」として、1976年にイタリアでは「Cosmic Jokers / Tarot」として、別ジャケットで発売されました。


左:Starring in Tarot France 1975 
  Klaus Schulze、Manuel Göttschingの名が筆頭にある
右:Cosmic Jokers / Tarot Italy 1976
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 音楽的には、このアルバムのタイトルは、「Klaus Schulze, Ash Ra Tempel & Wallenstein / Tarot (Guest:Walter Wegmüller)」あたりが近いと思います。

 TarotのCDはフランスで2000年に1回再発されただけです。Klaus Schulze, Ash Ra Tempel , Wallensteinが何枚もドイツ、フランス、イギリス、日本でも出ていることを考えると、その3者が結集した作品が発売されないのは残念です。

 音楽誌などのドイツロックの特集でも、スペースの関係で、Tarotはメンバーの名前を羅列してほぼ終わりだと思います。

 Walter Wegmüllerの1970年代に入った情報も、Timothy Leary & Ash Ra Tempel / Seven Upのジャケットを描いた人ということ、HRギーガーの友人の画家で、プロレスラーだったことぐらいでした。

 今はネットで Wegmüllerの情報も入ります。英語版Wikipediaでは、LP「Tarot」で最も知られる人物とされています。ドイツ語版Wikipediaでは、画家、Tarotカードの作者としての業績が多く記載されており、ドイツやスイス本国では著名だったことが伺えます。

Walter Wegmüller – ドイツ版Wikipedia 
https://de.wikipedia.org/wiki/Walter_Wegm%C3%BCller
画家としての業績が多く記載。1961年東京国際版画ビエンナーレにも出展。

 Wegmüllerの動画もあり、活動的な画家で、音楽活動はそのごく一部だったことが伺えます。

動画 Walter Wegmüller - regioTVplus
https://www.youtube.com/watch?v=ZeduPJ1VbHI
7:00 で、Wegmüller がデザインしたLP「Seven Up」とLP「Tarot」が映る。

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動画 Walter Wegmüller – From Basel to Los Angeles
https://www.youtube.com/watch?v=bns4VzTrfrE&t=187s
2:20からTarotカード、3:00でLP「Seven Up」が一瞬映る。

Tarotカード(2曲目Der Magier)の原画を手に取るWegmüller
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【1】 Tarotの制作の経緯

 Wegmüllerは、ベトナム戦争から生じたヒッピーカルチャーで拡がったLSDが違法薬物とされたため、CIAから指名手配を受け亡命していたTimothy Leary博士のスイスでの擁護者でした。WegmüllerがTarotカードごとの音楽を作りたいとの構想を持ったため、1972年8月にBernでAsh Ra TempelとSeven Upを録音していたLearyがWegmüllerをOhrのRolf-Ulrich Kaiserに紹介したようです。

 日本人では、1969年に渡米した村八分のチャー坊がAltamontでRolling Stonesを見るなど、ヒッピーカルチャーを現地で体験しています。ドイツでもヒッピーカルチャーは拡がり、新宿最年少ヒッピーと呼ばれたCanのダモ鈴木も渡欧してその影響下にありました。

 ドイツの音楽評論家Rolf Ulrich Kaiserは、1968年にドイツ初の大規模な音楽フェスであるEssen音楽祭を主宰し、1970年にOhr, 1971年にPilzレーベルを設立しました。さらにKaiserは、1972年初頭にスイスで面会したTimothy Learyの著書からの影響でOhr、Pilzから選抜したバンドにより「Kosmischen Kuriere」レーベルを設立しました。

 最初の3番までは「Kosmischen Kuriere」でしたが、4番から17番までは「Cosmic Couriers」と英語表記に変え、ジャケットデザイン・レーベルもより黄色い鮮やかなPopなものに変更しました。

上:kk2/58003 Kosmischen Kuriere盤 Tarot 1973年
下左: Cosmic Couriers Tarot France盤 1975年
下右:km2/58005 Cosmic Couriers Klaus Schulze / Cyborg 1973年
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・kk58001 Timothy Leary & Ash Ra Tempel /Seven Up 
  初版のジャケットはWegmüllerがデザイン。再版はTimothy Learyの写真。

・kk58002  Sergius Golowin / Lord Krishna von Goloka
  スイスのジプシーに関する文筆家で、やはりTimothy Leary博士の擁護者だったSergius Golowinの朗読に音楽をつけるアルバム。Klaus Schulzeが参加。内ジャケはWegmüllerがデザイン。

・kk2/58003 Walter Wegmüller / Tarot
  Wegmüllerが描いた22枚のTarotカードごとに曲をつける2枚組アルバム。


「Kosmischen Kuriere」初期3枚の主役となった3人。
左からTimothy Leary、Sergius Golowin、Walter Wegmüller。
右はおそらくEngineerのDieter Dierks
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動画 Krautrock 2 - Walter Wegmüller's Tarot Album
https://www.youtube.com/watch?v=Xyuv9dqXhqE
映画「Krautrock 2」より。Tarotが作られた経緯を参加者Walt Westruppが語っている。



【2】 Tarotのメンバーについて

 Tarotは誰によって、どのような理由でメンバーの人選がされたかが最も重要であり、興味深いところです。この人選の段階でTarotの多様な音楽性が生まれたと思います。

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 Tarotのメンバー 8名
Walter Wegmüller(ヴォイス担当)スイスの画家
Ohrレーベルから
 元Ash Ra Tempel、Tangerine Dream−Klaus Schulze 
 Ash Ra Tempel −Manuel Göttsching、Hartmut Enke
Pilzレーベルから
 Wallenstein−Jürgen Dollase、Jerry Berkers、Harald Grosskopf
 Walt.Westrupp 

 まず主催者はKaiserであり、Kosmischen Kuriereレーベル設立に共鳴したOhr、Pilzのバンドから人選したと思われます。
 Ohrからは、Timothy LearyとSeven Upを作ったAsh Ra Tempelをメインとし、Irrlicht制作後にSynthesizerを入手した元Ash Ra TempelのKlaus Schulzeを呼んだ。
 そしてPilzからは、Tarotの音楽性を多様化・強化するためにPilzの看板だったWallensteinから3名を加えた。Jürgen DollaseのPianoとMellotron、SchulzeをSynthesizerに専念させるためのHarald GrosskopfのDrums、Manuel GöttschingをLead GuitarとしHartmut EnkeをSide GuitarにするためのJerry BerkersのBassです。
 最後にフォークの要素のため、Ohr、Pilzのもう一つの看板でもあったWalt.Westruppを加入させた。

 Walter Wegmüllerが絵だけでなく、自分自身でVoiceを担当したのも興味深いところです。 1937年生のWegmüllerがもともとロックに関心があり、Ash Ra TempelやWallensteinなどのレコードもすでに聴いていて、自ら人選に関与した可能性もありうると思います。

 いずれにしても、Space RockのAsh Ra Tempelと、Symphonic RockながらCosmic感覚もあったWallensteinが、Tarotという遊びの要素を持ったセッションで化学反応を起こし、Space Symphonic Rockとも呼べるサウンドを生み出したことが(特に最後のDie Welt)、Tarotの最大の魅力と思います。

 その後、Manuel Göttsching、Klaus Schulzeがメロディーを重視するのも、TarotセッションでのWallensteinからの影響が大きいと思います。逆に、Wallensteinには1973年のCosmic CenturyでAsh Ra TempleからのSpace Rockの影響が見られます。

 なお、OhrのTangerine DreamがTarotに参加しなかった理由は、Atemの制作中だったことや音楽性の違いだけでなく、この時点でKaiserとEdgar Froeseの間に溝があったこと、Froese がSchulzeとライバルだったことなども考えられます。

 また、PilzのPopol VuhのFlorian FrickeがCosmic Couriersで2枚のLPをリリースしたにも関わらず、Tarotに参加しなかった理由は、音楽性だけでなく、Kaiserとも微妙な関係にあったためと思われます。


なぜか発売されていたTarotのTシャツ
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【3】 TAROTに影響を及ぼしたドイツロック 


 1972年12月制作のTarotは、22曲から構成され、それまでのドイツロックの影響を集約した集大成的な作品といえます。

 1970年代前半のドイツのロックのバンドは、2つに大きく分かれ、1つは英米型のロックを追求するもの(ブルースロック、ハードロックなど)で、その代表がFrumpy、Scorpionsなどでした。

 もう1つは英米とは異なる独自のロックを追求するKraut Rockクラウトロック、あるいはKosmische Musik (Cosmic Music)です。敗戦を経験したCanなどの世代は、アングロサクソン系の音楽を拒絶しました。彼らは、それと同時にドイツ国内でもライバルと違う音を模索しました。

 TarotはKosmische Musikに属しますが、小曲の集合のため様々な要素が受け入れられやすく、Berlin、München、Kölnなど様々な地域の実験的なドイツロックの要素、さらに英米系の要素があることが独特の魅力になっています。

 そこで、Tarotに影響を及ぼしたドイツロックを見ていきたいと思います。


= Tarotに影響を与えたドイツロック =

INDEX

@ Berlin SchoolからのTarotへの影響
   Tangerine Dream、Klaus Schulze、Ash Ra Tempel、Cluster 
A MünchenからのTarotへの影響 
 @ Italian ProgからのAmon Düül U / Wolf Cityへの影響とクラシック革命
 A Amon Düül U / Wolf CityからのドイツロックとTarotへの影響
 B Popol VuhからのTarotへの影響
B ケルンKöln、デュッセルドルフDüsseldorfからのTarotへの影響
 @ Canからの影響 
 A Kraftwerk、Neu!からの影響
C PilzからのTarotへの影響 
   Wallensteinのクラシックロックとドイツフォーク・ゲルマン的な美意識
D その他のドイツロックからのTarotへの影響 
 @ Guru Guru 
 A Faust
 B Frumpy   


@ Berlin SchoolからのTarotへの影響 
= Synthesizer・音響効果・リゲティ・ドローン・ミニマルミュージック =

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 Tarotの中心メンバーの3人Klaus Schulze、Hartmut Enke、Manuel Göttsching(Ash Ra Tempel)はBerlin Schoolの出身のため、Tarotに対するBerlinのTangerine Dream、Clusterなどからの影響は顕著に見られます。Berlin Schoolは当時世界でも最先端のElectric Musicを追求するスタジオであり、「Synthesizer・電子音の音響効果・リゲティなどの現代音楽・ドローン・ミニマルミュージック」などが作られていました。

 1970年代前半のBerlinは、まずEdgar Froese・Tangerine Dreamが先陣を切ってレコードをリリースすると、約半年〜1年ほど遅れてKlaus SchulzeやAsh Ra TempelがTangerine Dreamの形態・方法論に追随してそれを追い越し、さらに再びTangerine Dreamが前に出るというスリリングな関係が見られます。Manuel GöttschingのE2-E4など後の諸作品はそのような音楽的変遷から生まれたものといえます。


[ Berlin Schoolの1969年〜1975年の音楽的変遷 ]

・1969年 Jimi hendrix、Pink Floyd影響下のPsychedelic Space Rock
  Tangerine Dream / Electronic Meditation → Ash Ra Tempel / 1st(A面)
   ↓
・1971年 Rockの形態を脱したCosmic Music
  Tangerine Dream / Alpha Centauri → Ash Ra Tempel / 1st(B面) 
   ↓
・1972年 メロディーのないDark Ambient Musicドローン
  Tangerine Dream /Zeit → Klaus Schulze / Irrlicht、Ash Ra Tempel / Gedanken
   ↓
・1972年12月 メロディーへの回帰とSynthesizer rhythmの萌芽
  Tarot(Klaus Schulze、Ash Ra Tempel)、Ash Ra Tempel / Jenseits(Join Inn)、Tangerine Dream / Atem
   ↓
・1973年〜1975年 メロディーの重視とSynthesizer rhythmの強調
  Tangerine Dream / Phaedra → Ash Ra Tempel / Inventions For Electric Guitar、Klaus Schulze / Timewind 
   ↓
・1976年〜 普遍性のあるElectric Music
  Ash Ra Tempel / New Age Of Earth、Klaus Schulze / Moondawn 
   ↓ 
・1977年〜 Donna Summer以降のElectric Dance Music、Manuel Göttsching / E2-E4


★Ash Ra Tempel - Amboss 1971年5月リリース
https://www.youtube.com/watch?v=iTZeaAIDvTo
6:00〜8:00がSpace Rockの極致。Tarotのラストに影響。

★Tangerine Dream / Alpha Centauri 1971年3月リリース
https://www.youtube.com/watch?v=fOYddvUeBs4
TarotのD面の5曲の長尺は、Alpha Centauriを聴きやすくしたものといえる。最後の朗読がTarot / Der Weiseに通じる。 


AMünchenからのTarotへの影響 
= Synthesizer・Melloron・クラシックの伝統・メロディーの美・Italian Progからの影響・解放と安息 =    

1975年10月に初めて買ったAmon Düül IIのLP Wolf City。Beatles / Revolverのように捨て曲のない完璧なLPで、Yes、ELP等と同格に感じた。
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@ Italian ProgからのAmon Düül U / Wolf Cityへの影響とクラシック革命 
       = 47年目の発見 = 
・ローマVilla Pamphilliフェス出演によるItalian Prog との架橋・ドイツ・クラシックへの回帰・Zeit・Irrlichtの対極にあるメロディーと美的感覚


Amon Düül IIは10万人を超えるFestival pop di Villa Pamphiliに招聘され、海外ゲストとしてポスターの最上段に掲載された。
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 Klaus Schulzeは、Tangerine Dream時代に何度も共演したAmon Düül Uの動向を常に注目していたと思われます。そこで、Klaus Schulze・Tarotのみならず、ドイツロックに重大な影響を及ぼした1972年リリースのAmon Düül II / Wolf Cityが起こしたクラシックロック革命について、特に考察してみたいと思います。

 1972年5月、Berlinからはメロディーを放棄し重圧を極めたTangerine Dream / Zeit、Klaus Schulze / Irrlichtがリリース。その直後の7月にMünchenではAmon Düül IIが、全く対照的なメロディーを重視したSymphonic Rock 、Wolf Cityを録音しています。

 Wolf Cityは全曲が素晴らしく、Renate Knaupなどメンバー自身が最高作とするもので、1990年代にAmon Düül IIレーベルを設立した時にもWolf Cityのデザインが使用されました。

 1969年にCanとともにドイツロックの先陣を切ったAmon Düül IIは、1970年はTangerine Dreamと同様のPsychedelic Hard Rockでしたが、1971年のTanz der LemmingeでAlpha Centauriの影響と思われるSpace Rockに移行、1972年のCarnival in Babylonで小曲主義になりました。

 その後、Amon Düül IIは、1972年5月25日〜27日にイタリアのWoodstockと呼ばれた10万人を超える最大の音楽フェスFestival pop di Villa Pamphiliに招聘され、海外ゲストとしてVDGGと共にポスターの最上段に掲載されました。

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 なおVilla Pamphiliのポスターには「Amon Düül」と掲載されていますが、Amon DüülTは1971年に解散しており、出演したのはAmon Düül IIといえます。Amon Düül IIはイタリアでは唯一 Tanz Der Lemmingeだけが1971年に「Journey Into A Dream = Viaggio In Un Sogno」という音楽内容を言い当てた全く別のタイトルでリリースされていました。

 イタリアからは約50組、Banco del Mutuo Soccorso, Osanna, New Trolls、Quella Vecchia Locanda, The Trip, Latte e Miele、Il Paese dei Ballochi、Ritoratto di Dorian Grey(Cherry Five)などが多数出演しました。

 Amon Düül IIは、3日にわたってVilla PamphiliというItalian Progの洪水を体験した極めて少ない外国人であり、出演者・関係者と話をしたり、PFMやNew Trolls / Concerto Grossoなどのレコードも入手したと思われます。

Amon Düül IIがVilla Pamphiliでライブ体験したItalian Progの傑作群
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★Banco Del Mutuo Soccorso / La Conquista Della Posizione Eretta 1972
https://www.youtube.com/watch?v=NdwK3gPbrlw&list=PL2Mt3dp76i0PCcCbT879pin0VfNyJK8f6
2ndアルバムDarwin!より。Amon Düül II / Wolf Cityに近いサウンドを感じる。

New Trolls - Concerto Grosso & St.Peter's Day
https://www.youtube.com/watch?v=hnZubCu3xqM
1972年のオーケストラ入りのLive。

OSANNA / L' Uomo (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=cAWQVkLyv3A
カラー映像。Amon Düül IIもメンバーの衣装を見たと思われる。Wolf Cityの多くの曲の構造にNew TrollsやOsannaからの影響を感じる。

Latte e Miele / Getzemani Album "Passio Secundum Mattheum"1972
https://www.youtube.com/watch?v=hoi70neCugU
カラー映像。Bachのマタイ受難曲からの影響。

★Quella Vecchia Locanda / Sogno, Risveglio E... 1972
https://www.youtube.com/watch?v=wH7BZxbdp7A&list=PL769CFC1BC0530D66&index=7
クラシカルなViolin。Amon Düül IIもWolf CityでクラシカルなViolinを使用。


 Amon Düül IIがItalian Progから得たものは、Vivaldi、Bach、Beethoven等のクラシックの様式美であり、それはリーダーのChris Carrer等が幼少から体得してきたもので、即座に受け入れる素養があったといえます。

 直後の7月からレコーディングに入ったWolf Cityは、Piano、クラシカルなViolin、Mellotron(Choir Organとされる)、明確なギターリフ、メロディーの際立ったVocalなど、それまでのAmon Düül IIとは全く異質です。

 Amon Düül IIは政治的コミューンのAmon Düülから音楽的な表現を追求する集団が「U」として分離したものでしたが、Wolf Cityはさらにクラシックとメロディーの音楽性を極めようとしたAmon Düül 「V」ともいうべき、別次元のアルバムだと思います。

(なお、当ブログの「あしあとU」もAmon Düül IIの影響ですが、Le Ormeの来日を機にUにしただけで特に意味はありません。)

 Wolf Cityは、メロディーとハーモニーの美しさがItalian Progの最高傑作群とも比肩しうるもので、Italiaのバンドの作品として出されても違和感はないと思います。

 特に1曲目のSurrounded by the Starsは、Italian Progの粋を集めたとともに、Tangerine Dreamの1971年度の年間ベストアルバムとなった「Cosmic Music」Alpha Centauriへの回答ともいえる自信作だと思います。


★Amon Düül II / Wolf City 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=7LM75RePolw&t=74s
全曲に渡って印象的なメロディーに貫かれている。それまでのAmon Düül IIとは全く別の音楽。21:09のWie Der Wind am Ende Einer Strasseは、初期Amon Düül IIを聴きやすくした名曲。26:56のDeutsch NepalはTarotのトーキングヴォイスに影響。アルバムのラストを締めるSleepwalker's Timeless Bridgeの最後のMellotronの人気が高い。

★Amon Düül II / Surrounded by the Stars
https://www.youtube.com/watch?v=scWD73Og0kQ&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8
Italian Progの粋を集めた1曲目。冒頭のPianoはBanco、Electric・AcousticギターにOsanna・New Trolls、ViolinはQuella Vecchia Locandaなどからの影響が見られる。Chris CarrerがVilla Pamphilliで、Quella Vecchia Locanda のアメリカ人のViolin、Donald Laxと英語で会話したことも想像できる。Wallenstein / Cosmic CenturyのViolinの参加にも影響を与えたとも思われる。強烈なMellotron(Choir Organ)は、この後Popol Vuh / Aguirreで使用された。


1990年代のAmon Düül IIレーベルでは、メンバーが最高作と自認するWolf Cityのデザインが採用された。
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A  Amon Düül II / Wolf Cityからのドイツロック・Tarotへの影響 

 1969年からリリースされたCan、Amon Düül 、Kraftwerk、Tangerine Dream、Guru Guruなどのドイツロックは、英米のロックへのアンチテーゼから始まりました。普遍的な西洋的なメロディーやハーモニーの拒絶、土俗的・攻撃的な反復ビート、中近東音楽、現代音楽への接近・ミュージックコンクレート・過激な電子音・ドローンなどです。

 しかし、その先鋒にあったAmon Düül IIが、1972年にそれまで視野になかったItalian Progの影響で、Wolf Cityでクラシックの様式美をドイツロックに還元し、普遍的なメロディーを許容したことは、重大な革命だったと思います。

 それは、ドイツロック創世期からの盟友でありライバルだったTangerine Dream、Klaus SchulzeなどのBerlin勢、Popol Vuh、Can、Kraftwerkなどにも衝撃を与えたと想像できます。

 以下、Wolf Cityが、Tarotのみならず、ドイツロックへ与えた影響を見ていきたいと思います。


◆a Wolf CityのPopol Vuhへの影響

 Wolf Cityは、まず同じMünchenのFlorian Frickeに影響を与えたと思います。メロディーの重視はHosianna Mantraに影響し、またAguirreのコーラスMellotronの音はWolf Cityの「Choir Organ」 と同じ楽器とされています。そしてFlorian FrickeはAmon Düül II / Wolf CityのDaniel Fichelscherを1973年からPopol Vuhに迎えました。

Amon Düül II のMellotronに関する記述
https://www.planetmellotron.com/sama3.htm
「Choir Organ」はMellotronとは別の楽器らしいが実態は不明。


◆b Wolf Cityの「Tarotセッション」−Klaus Schulze、Wallensteinへの影響 

Tarotに封入されたKlaus Schulzeのカード
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 Klaus SchulzeはTangerine Dream時代にはAmon Düül IIとともにハードな即興演奏を追求していました。Wolf CityはIrrlichtでメロディーを放棄しようとしたKlaus Schulzeに対して、再びメロディーのある音楽への回帰を促し、その影響の最初の顕れが1972年12月のTarotセッションといえます。

 Tarotでは大半の曲がメロディーを重視しており、即興的な曲でも美しいメロディーが随所に顕れます。特にKlaus SchulzeはJürgen Dollaseとの共同作業・相乗効果によって、Tarot以降、Cosmic Jokersで美しいメロディーのSynthesizerのフレーズを編み出していきます。
 それ以降も、Klaus Schulzeは、Picture MusicのMental Door、Timewindとメロディー重視に移行し、数々の名盤を制作していきます。

 Jürgen DollaseのWallensteinも、Tarot以降、最高傑作とされる1973年のCosmic Centuryでメロディーの洪水のItalian Progのような状態となります。また、Violinの加入はWolf Cityの影響とも思われます。

 また、TarotにおけるWegmüllerのトーキングヴォイスは、Wolf Cityのタイトル曲、及びDeutsch Nepalからの影響と思われます。

Amon Düül II / Deutsch Nepal
https://www.youtube.com/watch?v=isyIixbKbmI&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8&index=6
Tarotに影響を与えたと思われるトーキングヴォイス
 

◆c Wolf CityのTangerine Dreamへの影響

 1972年5月リリースのZeitで完全にメロディーを消去したTangerine Dreamは、Wolf Cityの後、Tarotと同じ12月録音のAtemの冒頭で主題のメロディーを明確に打ち出しました。これはBBCのジョン・ピールがAtemを年間最優秀アルバムに選んだことに大きく影響したと思います。以後、Tangerine DreamはPhaedra以降もメロディーを重視し、世界的な評価を獲得します。

◆d Wolf CityのAsh Ra Tempelへの影響

 Manuel Göttschingは1973年のStarring Rosi以降、全曲メロディーを重視し、その後も世界的な評価を受けるNew Age Of Earth、E2-E4といった作品で美しいメロディーを披露します。

◆e Wolf CityのCanへの影響

 Wolf Cityの後、1973年にCanは最高傑作であり、世界的に評価されるFuture Daysを発表します。この作品もそれまでの反復的なビートや即興演奏重視と異なり、タイトル曲やBel Airなどで普遍的なメロディー・ハーモニー、美しいSynthesizerを使用しています。もともとクラシックの音楽教育を受けた人たちで、Wolf Cityの影響によるクラシックへの回帰は自然なことであり、それが世界的な評価に繋がったと思われます。

◆f Wolf CityのKraftwerk Neu! Faustへの影響

 Kraftwerkは1st、2ndでは1曲目以外は、電子音の音響ノイズが中心でした。しかしWolf Cityの後、1973年にKraftwerkはRalf & Florianという全曲が美しいメロディーの作品を発表し、1974年にはAutobahnでアメリカで4位になる成功を収めます。後に、Ralf Huetterは、Kraftwerkはクラシック音楽の延長上にあると発言しています。

 Neu!もまた、1973年のNeu!2のFür Immerにおいて美しいメロディーのつづれ織りを披露し、Neu!75ではメロディーを強化。以降、解散後もメロディーを重視するようになります。

 英米の音楽を拒絶するとしていたFaustにおいても、1973年のFaust Tapesにおいては、美しいメロディーが隠されているのが魅力となっています。


 Wolf Cityを1975年10月に初めて聴いて感動してから、47年目になります。
 昔から、Wolf CityはドイツのRevolverとも言うべき、全曲捨て曲がない完全なアルバムの1枚だと思っていました。しかし、なぜAmon Düül IIの中でWolf Cityだけが突出したのか、Renate Knaupがなぜ最高作だと言うのか、その理由が判然としませんでした。Italian Progに似ていると思っていましたが、やはりそのルーツはItalian Progだったと思います。

 「イタリアのWoodstock」Villa Pamphilliフェスを主宰したCiao2001がAmon Düül II、VDGGを外国から招聘した理由は、反体制運動をルーツとする彼らの精神をフェスの支柱とするためだったとも考えられます。当時、Villa Pamphilliフェスはカトリックの保守層からは反対を受けていたことを最近知りました。

 Amon Düül IIやVDGGもVilla Pamphilliの主旨を理解して参加したと思われます。そして、その10万人を超えたVilla Pamphilliフェスのトップとして参加した見返りとして、Amon Düül IIとVDGGは、Italian Progからクラシック音楽の伝統・メロディーの重要性を持ち帰ったといえます。

 イタリアのLe Ormeも1970年のWight島フェスの現地体験からELPスタイルのバンドに変貌し、1971年に初のItalian ProgとされるCollageをリリースしました。Amon Düül IIもVilla Pamphilliの影響でWolf Cityを作ったといえます。それがKrautrockにメロディーという普遍性を与え、1973年以降の世界レベルで名盤とされるドイツロックの傑作群を生み出したと思います。

 同じくVilla Pamphilliに出演したVDGG・Peter Hammillも、それ以降Amon Düül IIと同様にメロディーを重視するようになります。Peter Hammill / The Lie、Gog; Magog (In Bromine Chambers)、VDGG / Pilgrimsなどの傑作群ではメロディーが印象的で、Hammillが英詞をつけたLe OrmeやHammillが賞賛するOsannaなどからの影響も顕れています。

 TarotそしてKlaus Schulzeの音楽的変遷を考える中で、Amon Düül II / Wolf Cityの起こした革命と重要性、その起源がItalian ProgにあったことをWolf Cityを聴いてから47年目にして気づくことができたと思います。



B Popol Vuh のTarotへの影響   
= 1972年末 Popol Vuh / Hosianna Mantra、Aguirreによる解放 =

Klaus Schulzeが敬愛したFlorian Frickeの傑作 Hosianna Mantra、Aguirre
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 1972年のBerlinの重圧に対して、MünchenからのAmon Düül II / Wolf Cityでのクラシック革命に続いて、前回のブログでも書きましたが、Popol Vuhの大転換によるHosianna Mantra、Aguirreの奇跡の2作がTarotにも大きな影響を与えたといえます。

a Hosianna MantraのTarotへの影響
 ドイツロックの多くが注目していたPopol VuhのHosianna MantraにおけるSynthesizerからPianoへの転換は、Klaus Schulze、Jürgen DollaseなどTarotのメンバーにも大きな衝撃を与えたと思われます。

 Hosianna Mantraの特徴は、第1にElectric からAccousticへの回帰したこと、第2にクラシックの伝統を継ぐメロディーへの回帰です。

 第1の点については、FrickeはTangerine Dream / Zeitのドローンのレコーディングに立ち会うことでSynthesizerに限界を感じ、ルーツであるPianoの可能性に目覚めたのではないかと思います。そして、Hosianna MantraのPianoの影響で、Tarotには美しいPianoが多く聴かれます。

 第2の点については、同じMünchenのAmon Düül II / Wolf CityがItalian Progの影響で西洋のメロディーに回帰したことが、Frickeにも大きな影響を与えたと思われます。そしてHosianna MantraのPianoの影響で、Tarotにはクラシカルなメロディーが聴かれます。

b AguirreのTarotへの影響
 Aguirreの最大の特徴はコーラスMellotronの音で、Jürgen Dollaseに大きな影響を与えたと思われます。この音は、Amon Düül II / Wolf Cityでも使用されたChoir Organという楽器とされています。MellotronはTarotの多くの曲で活躍し、Klaus SchulzeのSynthesizerとの共演曲でも非常に効果的に使用されています。

 ドイツでの映画Aguirreの公開は12月29日とされています。そして1975年にイタリアPDUからリリースされるまでAguirreはレコード化されませんでした。しかし、12月のTarotセッションの前に、AguirreがBerlinのOhr・Pilz・Cosmic Couriersのオフィスで、マスターテープを、Klaus SchulzeやJürgen Dollaseが聴いていた可能性はあると思います。KaiserがTarotを主宰・Produceし、Popol Vuh / Hosianna MantraのSuperviserという立場にもあったので、最新作Aguirreを聴かせることは可能だったと思われます。

 冒頭でも紹介したように、Popol Vuh / Hosianna MantraとAguirreのTarotのKlaus Schulze・Jürgen Dollaseに対する最も影響が顕著な曲が、Der Weiseといえます。

Klaus Schulze & Walter Wegmuller - Tarot - 1973
https://www.youtube.com/watch?v=8q14gkZvdDc&t=2320s
35:25が★★Der Weise 


※ イタリアVilla Pamphilliフェスでのクラシックの様式美は → Amon Düül II / Wolf City → Popol Vuh / Hosianna Mantra
→ Tarot・Klaus Schulze・Ash Ra Tempel・Cosmic Jokers・Tangerine Dreamという流れで、ドイツロックにメロディーの美を目覚めさせました。

 そして今度は逆に、ドイツロックの中のメロディーの美に気づいたイタリアのMinaは、自身のレーベルPDUからCosmic Jokers、Popol Vuh、Ash Ra Tempel、Wallensteinをリリースすることになります。
 KaiserもCosmic Jokersの編集盤Sci Fi Partyで、Cosmic Couriersの音楽には「Warm Melody」があることを指摘しています。

 Popol Vuhはイタリアでも評価され、AliceがHosianna Mantraをカバーしています。



B ケルンKöln、デュッセルドルフDüsseldorfからのTarotへの影響
= Beat・Groove(James Brownの影響)・電子音・Techno・Pop化 =

Canの大ヒットSpoon リズムマシーンを取り入れたKraftwerk2 
Neu!の反復ビートによるMeditation
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 Tarotは、22曲の小曲で、カードゲームという遊び感覚から、多種多様な影響を許容できたといえます。Köln、Düsseldorfからの影響も大きいと思います。真面目に遊ぶというのがTarotのコンセプトと思います。

@ Canからの影響

 1973年のダモ鈴木のドイツロックレポートによれば、ドイツの雑誌の人気投票で1位Can、2位Tangerine Dream(Zeit、Alpha Centauriの影響と思われる)、3位Guru Guru(Kanguruの影響と思われる)とされています。

 Canは、1972年にケルンで1万人のフリーコンサートを行い、テレビ主題曲Spoonが1位の大ヒットとなるなどの勢いがあり、Tarotにも大きな影響があったと思われます。  
 
 Canは1968年から活動する最古参のバンドであり、Tarotへの影響は多大だと思います。反復BeatのGroove感(Der Wagen、Die Welt)、カードゲームに通じるPopな感覚、映画音楽を多く担当したCanの表現力など、Berlin Schoolとは異なる特徴が多く見受けられます。Manuel Göttschingも好きなグループにCanとPopol Vuhを挙げています。

Can / Deadlock (1970) 映画サントラ曲
https://www.youtube.com/watch?v=e_51JhbqgjU


A Kraftwerk、Neu!からの影響
 1970年のKraftwerk /1から1971年までの時代のKraftwerkは、電子音響・ノイズの存在と共に、Klaus DingerのDrumsがかなりのウェイトを占めていたと思います。

 その後、1972年のKraftwerk2ではDingerが脱退し、Drumsの代わりにドイツ初と思われるリズムマシーンが1曲目の大曲Kling Klangで使用されます。このKling Klangの曲名は、Kraftwerkのスタジオ名でもあり、KraftwerkのAutobahnへの方向を定めた最重要曲の一つと言えます。

★Kraftwerk / Kling klang
https://www.youtube.com/watch?v=VkN6Rq-Y7m4&list=PLHP7bAjOIkpBMuafTkanjypnBO5tYlnfG
2:00からリズムマシーン

 Kling Klangのリズムマシーンの反復こそTechno テクノ・ポップの起源と言えます。Tarotにおいては、Die Prüfungにおいてリズムマシーンが使用され、Kraftwerkからの影響が見えます。

 Kraftwerkから離脱したNeu!も、1972年の1stでDingerがアパッチと呼んだDrumsのBeatに乗ったElectronicsの新しいMeditation Musicを打ち出しています。
 1972年のBerlinのTangerine Dream、Klaus SchulzeがDark Ambient Musicに向かったのに対して、Neu!のMeditationのBeatは、Berlinの重圧を解放する影響をTarotに与えたと思います。ダモ鈴木も1973年にNeu!は「素直な、何の抵抗もなく入り込めるものだ」と高く評価していました。

Neu! / Hallo Gallo
https://www.youtube.com/watch?v=zndpi8tNZyQ

 また、Kling Klang、Hallo Gallo以外のKraftwerk、Neu!の曲の電子音のノイズと音響効果は、Berlin Schoolでは聴かれないものが多くあります。Tarotの代表曲の一つのDer Magierを始め、Düsseldorfのサウンドは、TarotのSynthesizerなどの様々な箇所での効果音・装飾音に影響を与えていると思います。


C PilzからのTarotへの影響
= Wallensteinのクラシックロックとフォーク、ゲルマン的な美意識 =

左からWallenstein、Witthüser & Westrupp 、Hölderlin
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 PilzはOhrと同様にKaiserが主宰するレーベルで、Ohrよりもフォーク寄りの作品がリリースされました。WallensteinはPopol Vuhと並んで、Pilzの代表的なバンドです。

 Tarotには、シンフォニックロックのWallensteinから3名が参加しています。
 Pilzから出た1stの1971年録音のBlitzkriegは、攻撃的な2曲と穏やかな2曲で構成され、いずれもクラシックの美意識を備えた独自のSymphonic Rockといえます。2曲目と4曲目のMellotronの音の拡がりはTarotに直結するもので、1971年の最優秀アルバムTangerine Dream / Alpha Centauriの影響も見られます。

Wallenstein / Blitzkrieg
https://www.youtube.com/watch?v=hDbKA0fMWxs&list=OLAK5uy_mmZRrByA-yWNXUF_wPZEbwQlqxDqV5iCk
1曲目のLuneticはユニークなCosmic Hard Rockともいえる曲。オーストラリアでは、宇宙月面のイラストジャケットともにLuneticというタイトルでLPが再発された。

 2ndの Mother Universeは1972年8月にフランスの音楽誌でドイツのバンドとしては初の(世界を対象にした作品の中で)月間最優秀LPに選出されました。特にタイトル曲のベトナム戦争の惨状からの救いを求めるような内容の歌詞とサウンド、Jürgen Dollaseの祖母の写真の表ジャケットと宇宙の内ジャケットに表れた世界観がフランス人に印象を与えたのではないかと思います。

★Wallenstein / Mother Universe
https://www.youtube.com/watch?v=KgZzGsgX2T4&list=OLAK5uy_mPEQm22VEWELgBlC81Z026VL9MO0DZHk4
1曲目のMother Universeではエピタフのようなメロトロン、5:00から「天国への階段」的な展開を見せる。
TarotのラストDie Weltはこの曲とAsh Ra Tempel、Klaus SchulzeのSpace Rockが合体したものと言える。

 Tarotの中の牧歌的な曲はMother UniverseのRelics Of Pastに通じるものがあります。

Wallenstein / Relics Of Past
https://www.youtube.com/watch?v=wJBN8vWxBKw&list=OLAK5uy_mPEQm22VEWELgBlC81Z026VL9MO0DZHk4&index=5
Relics Of Pastは、Jürgen Dollaseが自分の「宝」としている曲とのこと。

 Canのダモ鈴木は1973年に「音楽専科」の「ドイツロックレポート」という日本初のドイツロックの特集記事の冒頭で、「今話題になっているWallensteinは英米でよく聞かれるタイプだ」と述べ、Wallensteinがドイツで注目されているが、クラウトロックとは異なる存在だったことが窺えます。

 Wallensteinは、Tarotにおいて、Klaus Schulze、Ash Ra TempelのSpace Rockと、クラシックの伝統や英米のロックを架橋する存在だったのだと思います。Tarotの音楽性が普遍性を持ちえたのも、Wallensteinの存在が大きいと思います。

 特にリーダーのJürgen Dollaseは、1972年の9枚のPilzのLPのうち5枚に関わっており、Tarotに参加したWalt.WestruppやJerry Berkersの作品でもリーダー的な役割を果たしています。

★Witthüser & Westrupp / Die Schlüsselblume
https://www.youtube.com/watch?v=ua392NAeYCc
アルバムBauer Plathより。Jürgen DollaseがPiano、Mellotronを担当。

★Jerry Berkers / Seltsam
https://www.youtube.com/watch?v=o__mw4mXJJ8
Jürgen DollaseがPianoを担当。ソロアルバムUnterwegsより。

 Pilzでは、Popol Vuhの重要な2作、In Den Gärten Pharaos、Hosianna Mantra以外にもドイツ的な美意識に貫かれた傑作がリリースされています。Hölderlin、Emtidiなどの音楽性もTarotの音楽の制作にあたっては、影響を与えたのではないかと思います。

 Wallenstein、Hölderlin、Emtidi、Witthüser & Westrupp、Jerry Berkersは、いずれもTarotと同じくDierksスタジオで録音されています。

Hölderlin / Waren wir
https://www.youtube.com/watch?v=7Ploh7Vy96Q
1:38からMellotron。Hölderlins Traumより。

Emtidi / Träume
https://www.youtube.com/watch?v=XD9h-rNiPNU&list=PL8CaYHAcNe1cN8cO9NOBz1YPePwPr4kZo
Emtidi /Saatより。


D その他のドイツロックからのTarotへの影響

左からGuru Guru、Faust、Frumpy
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@Guru Guru スイスのフリージャズ・ユーモアへの架橋
 
 1968年にTangerine Dream、Amon Düül とともにEssenフェスにドイツの3バンドの一つとして出場した最古参Guru Guruの影響も大きいと思います。

 Guru GuruのOhrでの1970年のデビュー盤UFOはCosmicに関連するものでしたが、その後、Guru Guruは「我々はCosmic RockではなくComic Rock」と称し、KaiserのOhrから離れ、Brainに移籍します。

 1972年のTangerine Dream / Zeit、Klaus Schulze / Irrlichtの「Cosmic Rock」はDark Ambient Musicでした。これに対しGuru Guruは「Comic Rock」のKänguruをリリースしますが、これこそ「Cosmic Rock」と呼べるSpace Rockの大傑作です。

 1973年にダモ鈴木はドイツの人気投票で、1位Can、2位Tangerine Dream、3位Guru Guruと述べており、Guru GuruのKänguruの影響力も高かったことがわかります。Känguruは何度かブログでも紹介しましたが、コミカルなジャケットは仮の姿であり、内容的には極めて高度で、カッコいいフレーズの連発です。

 Känguruの「真面目に遊ぶ」コンセプトは、Tarotにも影響を及ぼしていると思います。特にサウンドにおいて、Immer lustigにおけるBerlin SchoolのAgitation Free出身のAx Genrichによるギターのミニマルミュージックは、TarotのDer Wagenに影響を及ぼし、その後のTangerine Dream、Klaus Schulze、Manuel Göttsching / E2-E4などにも影響を与えたと思います。

★Guru Guru / Immer lustig
https://www.youtube.com/watch?v=qQI_VKKG4MI&list=OLAK5uy_m9YAje2wMr0W6D-_Cikr-3Y2GfdmQlo8E
冒頭のナレーションはTarotに通じる。6:00からギターのミニマルミュージックが素晴らしい。


A Faust
 Faustは、Canと同様に敗戦を経験した世代のUwe Nettelbeck(1940年生)のProductionによって、「英米のRockからの影響を拒否する」音楽性を追求しました。

 Faustにおける実験的な音のコラージュは、Tarotにも影響を与えた可能性があります。
 特筆すべきはFaustのLPジャケットで、1stアルバムはジャケットもレコードも透明、1972年の2ndアルバムSo Farは曲ごとのイラストが付されており、そのアイデアはTarotカードごとに曲を作ったTarotにも影響を与えた可能性があります。


B Frumpy  英米のロックからの影響・完成度の指標 

 敗戦を経験したCanの世代が英米のRockを拒否したのと異なり、戦後に生まれた世代のドイツロックは、英米ロックからの影響を受け入れることができ、その影響が強いと言えます。

 Tarotのメンバーでも、Klaus SchulzeはKinks、Manuel Göttsching、Hartmut Enkeは、Rolling Stones、Cream、Jimi Hendrixの影響を受けています。Wallenstein のJürgen DollaseはSpooky Toothから影響を受けたと述べていますが、他にもELPなどからの影響が感じられます。Harald Grosskopfは、1967年に数か月Rudolf Schenker の最初期のScorpionsでDrumsでした。

 ドイツでは特にHard Rockが人気で、ドイツに渡って活躍したイギリスのバンドも多くありました。BeatlesもHamburg時代に演奏力を鍛えたことは有名です。

 Hamburg出身のFrumpyは、英米のRockの形態を追求したドイツロックの中で最も優れた実力をもつProgressive Rockとして1970年〜1972年にドイツ国内で評価されていました。Tarotにおいても、英米的ロックの要素を取り入れるに際してFrumpyを指標とされたと思われます。 

★Frumpy / How The Gipsy Was Born (Beat Club Live Jun 25, 1971)
https://www.youtube.com/watch?v=jvA62El_I9M
 Gipsy についての歌。Walter WegmüllerもGipsyだった。Frumpyは、Amon Düül II、Popol Vuhに次ぐ3番目のドイツのバンドとしてBeat Clubに出演した。音楽雑誌Musik-Expressは、Frumpyを1971年の最高のドイツのロックアクトとした。



【4】ビートルズからのTarotへの影響
 
 1972年12月に録音したTarotでは、ビートルズのアルバムとの多くの共通点があり、1960年代後半のBeatlesのコンセプト、エッセンスが凝縮されていると思います。

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 以下、BeatlesのレコードとTarotの共通点を探してみました。

「ビートルズ物語」:箱入りの2枚組LPという点。

「ラバー・ソウル」:サイケデリックサウンド、In my lifeにおけるPianoの使用など。

「Revolver」:よりElectric化したサイケデリックサウンド。

「SGT」:トータルアルバムのコンセプト。冒頭でバンドの紹介があり、ラストでクライマックスを迎える。

「White Album」:2枚組LPであること。各人が曲ごとに個性を見せる点。Revolution 9におけるサウンドコラージュなど。

「イエロー・サブマリン」:架空のストーリーを持ち、ユーモア・遊び心があること。

「アビーロード」:何曲かでメドレーになっている点。特に、アビーロードのラスト3曲、Tarotのラスト5曲が切れ目のないメドレーになっている点。

「レットイットビー」:ボックス入りで、付録のタロットカードがついている(Let it beでは写真集)

 以上のように、Tarotには形式的に、BeatlesのLPから影響を受けた多数のアイデアやコンセプトが凝縮されていると思います。
 他方、実質的な音楽性については、Beatlesのサウンドのみならず、欧米のロックとは異なる様々な前述のようなドイツロックのバンドの独自性が反映されています。

 Tangerine DreamもビートルズのSGTの曲からとったバンド名でした。
 Tarotは、ドイツが1960年代に吸収したBeatlesに対するドイツからの回答とも言える魅力的な内容だと思います。


Tarot発売時の宣伝ポスター
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【5】 Tarot を聴く。音楽的内容とその分析


 Tarotの曲を聴いていきたいと思います。
 元はLP2枚組で、22枚のタロットカードに合わせた22曲が作られ、曲想、メンバーは異なります。

タロット占い wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88%E5%8D%A0%E3%81%84


【 Tarot概観 】

 Tarotは、Wegmullerが描いた22枚の大アルカアナのTarotカードに合わせたイメージの音楽が収録され、曲ごとのメンバーにより音楽性が変わります。Wegmüllerの語りは20曲で登場します。

 まず1曲目の「愚者」のメンバー紹介で、「Mr.Cosmic Music」Klaus Schulzeが、まだSynthesizerが数少ない時代にぶっ飛んだ音を聴かせ、SchulzeがTarotの主役と言えると思います。

 そして、Space RockのAsh Ra Tempel、Symphonic RockのWallenstein、ドイツフォークが単体であったり、お互いが混ざり合って1曲ごとにTarotカードの世界が展開されていきます。全くバラバラではなく、音楽性の均衡、曲順がよく練られています。

 後にE2-E4で名を馳せるManuel Göttsching主導の曲では変幻自在なギターが際立ち、Enke主体の曲ではブルース色が強くなります。
 Schulzeと並ぶ主役はDollaseで、クラシックの影響下のピアノ・メロトロンが美しい感動を呼びます。
 Schulzeのシンセサイザーは各所で聴かれ、とても良い味付けとなって聴くものを飽きさせません。

 Tarotの魅力は、小曲に分かれているため、初期クラウトロックの特徴を余すことなく反映していることです。1970年代前半のクラウトロックの魅力は、前衛的でありながら背後にクラシックの伝統からの美しいメロディーが隠されていることです。


【Tarot 聴きどころ】

 タロットカードをイメージしながら聴くと楽しいと思います。LPに入っていたカードにも「見て、聞いて、楽しんで」と書かれています。

上の1段目の左からが、LPの旧A面の6曲
2段目の左からが、LPの旧B面の6曲
3段目の左から5つまでが、LPの旧C面の5曲
3段目の右の1枚と、4段目の左から4つまでがLPの旧D面の5曲
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 以下、個人的に特にお勧めの5曲です。

・「Der Narr 愚者」でのメンバー紹介後、それらを融合し、SchulzeのSynthesizer、DollaseのMellotronが炸裂する2曲目の「Der Magier 魔術師」が最初の山です。
・Manuel GöttschingのE2-E4やEcho Wavesなどのミニマル系が好きな人には、「Der Wagen」がその源流としてお勧めです。
・「Der Weise」は、Dollaseのピアノ・MellotronをバックにSchulzeが自作の詩を朗読する抒情的な曲。Popol Vuhの世界の再現とも思います。
・旧C面最後の「Der Zerstorung」はメロトロン屈指の佳曲で、旧D面につなぐ「Der Magier」と並ぶハイライト。
・旧D面の長尺は、特にラスト8分の総力を結集した「Die Welt」はドイツロック10指に入る名演で必聴です。


 それでは、Tarotの全曲についてコメントしていきたいと思います。

Tarot CD1 Klaus Schulze & Walter Wegmuller 1973(旧A面とB面)
https://www.youtube.com/watch?v=9rSoxx4sSsI&list=PLa2mOZh4Px91lUgjKctmHARjihZ5Ct-ci
曲ごとのタロットカードの画像あり。


(旧A面)

★Der Narr 3:55  英語によるメンバー紹介。Klaus SchulzeのSynthesizer の存在感が大きい。Synthesizer なしではTarotは凡百な作品に留まったと思われる。Seven Upの中心だったHartmut Enkeのサイドギターから始まるこのUS調のロックが、22曲の旅を経て、最後のDie WeltでドイツのCosmic Soundが完成する。
★Der Magier 4:38 冒頭のハイライト。SchulzeのSynthesizerとDollaseのMellotronが炸裂する稀有のSpace Rock。Walter WegmüllerのVoiceも強烈。Synthesizerの音響効果はKraftwerk、Neu!のDüsseldorf系、Beat・Groove感はCanからの影響が感じられ、1972年のドイツロックの集大成ともいえる。
・Die Hohepriesterin 4:17 SchulzeのオルガンによるBerlin系の音だが、後半でDollaseのMellotronが美しい幽玄の和音をつける。
・Die Herrscherin 4:16  SchulzeのEMS Synthesizerの強烈な導入部から牧歌的なサウンドになるが、Mellotronや締めくくりのSynthesizerまで緩みがない。
・Der Herrscher 2:58 Hartmut Enke作と思われる力強いBluce Rock。Cosmic JokersのサンプラーGilles Zeitschiff、Sci Fi Partyの2枚でも使用されている。
・Der Hohepriester  3:10 Pilzのフォーク調だがWallenstein / Relics Of Pastに通じるものがあるので、WestruppではなくDollase作と思われる。Pianoも笛も暖かいメロディーに溢れている。

(旧B面)

・Die Entscheidung 3:53 Popol Vuh / PharaosのA面のラストの音を思わせるJürgen Dollaseの軽妙なエレピ。途中でSchulzeのIrrlichtのオルガンの音が入り、転調して次曲に流れ込む。
★Der Wagen 5:17 Canからの影響が大きいGroove感ある傑作。Göttschingのミニマルミュージック風のギターは、後のEcho Waves、E2-E4などの原型でありTarotでも重要曲といえる。ミニマルギターは、Guru Guru / Immer Lustigからの影響もあると思われる。
・Die Gerechtigkeit 3:01  Irrlicht風のオルガンのドローン+太鼓。1969年のAmon Düül1の初期の民族・土俗的なサウンドが次の静謐な曲を引き立たせている。Faustのようでもある。
★★Der Weise 4:01  Schulzeの詞(朗読、ギター)とDollaseのPiano+コーラスMellotron。SchulzeがDollaseのサポートによって敬愛するFlorian FrickeのPopol Vuh / Hosianna Mantra・Aguirreの世界を再現したものと思える。 
・Das Glücksrad 3:38  Cosmic Jokers / Kinder des Allsでも聴かれるDollaseのPianoの連弾が主体。Clusterの電子音を思わせるSchulzeのSynthesizerがアクセントを加えている。「ある愛の詩」のオルゴールの音が入る。
・Die Kraft 3:26 Enkeが主体と思われる。1970年ごろのAsh Ra Tempel、Amon DüülUの混沌とした音。Dollaseのセッション風オルガンも加わり、SchulzeのSynthesizerで1枚目のレコードを締める。


Tarot CD2 Klaus Schulze & Walter Wegmuller 1973(旧C面とD面)
https://www.youtube.com/watch?v=7rdzOfZY-84&list=PLa2mOZh4Px91lUgjKctmHARjihZ5Ct-ci

(旧C面)

・Die Prüfung 4:58  Kraftwerk2のKling Klangで使用されたリズムマシーンをさらに鮮明にし、ラストのギターのノイズもKraftwerk調。Kraftwerkへの回答とも思われる曲。
・Der Tod 1:17  ドローン Tangerine Dream / Zeitの超簡略・短縮版ともいえる。
・Die Mässigkeit 4:44  NEU! Faust風のギター主体のKrautrockの実験作だが、途中からハモンドオルガンなども入り、聴きやすくなっている。
・Der Teufel 3:35 切れ目なくW&Wそのままのフォークに展開。W&Wの中でも親しみやすいメロディの笛、アコギで、Tarotに溶け込んでいる。 
★Die Zerstörung 4:00  Hosianna Mantra+Aguirre・Mellotron+WallensteinのSpace Rock。DollaseのFlorian Frickeに対する敬意とそれを超えようとする意志の顕れた傑作。Schulzeは参加していない。Der Magierと並ぶTarotのハイライトの一つ。

(旧D面)

・Die Sterne 6:15 Ash Ra Tempel / 1stのB面、SchwingungenのB面の木琴の音に加え、EMS・Synthesizer、Mellotronなどにより聴きやすくなっている。以下5曲は、切れ目がなくすべてが繋がっている。
・Der Mond 2:50 Alpha Centauri風のSynthesizer。Seven UpのB面のLearyのナレーションを思わせる。
・Die Sonne 3:04 Amon Düül 初期のような原初的なリズムにSchulzeのSynthesizerが緊張を高めていく。
★Das Gericht 2:04 Space Rock+メロトロンAguirreによる癒しの空間を置いて、ラストにつなぐ。
★★Die Welt 8:41  「Ash Ra Tempel / AmbossのSpace Rock+Klaus SchulzeのSynthesizer」と「WallensteinのSymphonic Rock+Jürgen DollaseのMellotron」の稀有な融合によるドイツロックの頂点の一つ。 



= おわりに Walter Wegmüller / Tarot 「見て 聴いて 楽しんで」 =


 前回1972年までのKlaus Schulzeの歴史を見ると、Free JazzのDrumsから始まり、1969年のElectric PunkのTangerine Dream、1970年のSpace Hard RockのAsh Ra Tempel、1972年のDark AmbientのIrrlichtの重圧と、過激で重い音楽の変遷ともいえるものでした。

 ところが、1972年12月のTarotという緩やかなセッションの機会によって、Klaus Schulzeは重圧から解放され、Synthesizer音楽の新しい可能性が開かれました。その解放には、MünchenのAmon Düül II、Popol Vuhなどからの影響も大きいと思います。

 かつてNHKの「ステージ101」という番組が、学生運動で傷ついた若者の心を癒すために制作された番組だったということを後で知りましたが、Tarotセッションにもそれに通じるものを感じます。
 ドイツ初のロックフェスを開催し、Ohr、Pilzの主催者でProducerだったKaiserは、閉塞する時代を音楽で突破しようと考えていたのだと思います。Tarotも時代を癒すためであり、Walter Wegmüllerの意図するところも同じだったのではないかと思います。 
 しかし、KaiserのCosmic Couriersの構想は、1973年以降も素晴らしい作品を残しながらも消えていくことになります。

1978年の年末にAさんからお借りしたTarotの写真
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 今は亡きAさんにTarotを貸していただいたのは1978年の大晦日のころだったと思います。年末に何軒かレコード店を一緒に回らせていただいたのが思い出です。Aさんにいろいろお世話になったのに、自分は何もお返しができなかったと思います。1992年に山口冨士夫と加部正義のライブでお見かけしたのが最後でした。AさんからはItalian Progもお借りしました。

 Tarotのカセットをダビングしてあげた級友たちも聴いて喜んでいました。
 Tarotが次の世代の人たちにも聴き継がれるようになると嬉しいです。 

山口冨士夫 / おさらば 1974年
https://www.youtube.com/watch?v=t7llGN9fSsE
村八分の緊迫から解かれた癒しの歌。バラエティーに富んだ良曲の揃った山口冨士夫「ひまつぶし」もTarotにも通じる名盤だった。

 素晴らしい音楽をありがとうございました。
 Klaus Schulzeさんとともに、Walter WegmüllerさんとAさんのご冥福をお祈りします。

 次回は、Tarotによる解放とCosmic Couriers・1973年以降のKlaus Schulzeについて見ていきたいと思います。

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posted by カンカン at 17:23| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月15日

〜 追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze C 〜 1972年の重圧Ash Ra Tempel / Flowers Must Die・Klaus Schulze / Irrlicht・Tangerine Dream / Zeit・OMM 2/56027 Kosmische Musik 〜   そしてPopol Vuh / Hosianna Mantra・Aguirreの奇跡

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Irrlicht期のKlaus Schulze。日本製TeiscoのオルガンとClassical OrchestraでFlorian Fricke・Popol VuhとEdgar Froese・Tangerine DreamのSynthesizerに挑んだ。


今日の1曲  

 Popol Vuh / In Den Gärten Pharaos / Vuh 1971
 ★Wallenstein / Audiences 1972
 ★Can - Free concert (Sporthalle Cologne)1972
 ★Ash Ra Tempel / Darkness: Flowers Must Die 1972
 Ash Ra Tempel / Schwingungen:Suche & Liebe 1972
 ★Guru Guru / Känguru 1972
 Tangerine Dream / Birth Of Liquid Plejades 1972年5月
 ★Tangerine Dream / Origin of Supernatural Probabilities
 ★Klaus Schulze / Sats Ebene 1972年5月
 ★Klaus Schulze / Satz: Exil Sils Maria 1972
 Ash Ra Tempel / Gedanken
 ★Timothy Leary & Ash Ra Tempel / Seven Up 8月録音
 Wallenstein / Mother Universe
 ★Yes / 危機 Close to the Edge 
 ★Genesis / Supper's Ready Live 1972 
 村八分 / あやつり人形 Live11月23日
 ★Popol Vuh / Hosianna Mantra
 ★Popol Vuh / Aguirre 12月29日映画公開
 Pink Floyd / Dark Side Of The Moon録音。
         1972年6月開始、1973年1月完成。
 Le Orme / Alienazione(精神錯乱)1972年3月録音
 ★Emerson, Lake & Palmer / Hoedown
 ★Amon Düül II / Wolf City全曲 7月録音


 本ブログも6月で15年目に入りました。お読みいただきありがとうございます。今回で通算777本目の投稿になります。稚拙な文章力のため上手く表現できませんが、体調と相談しながら続けていきたいと思います。

 Klaus Schulzeの追悼ですが、Edgar Froese、Florian Frickeなどとの関連と、これらの人々やAsh Ra TempelのHartmut Enkeなどへの追悼の意味も含むことが、さらにKlaus Schulzeへの追悼に繋がるのではないかと考えるようになってきています。

 前回の1971年では、Tangerine DreamはAlpha CentauriでSynthesizerによるCosmic Musicを創造し、Klaus SchulzeもKraut Rock(Kosmische Musik)の金字塔Ash Ra Tempelの1stを作りました。

 しかし、1972年には、両者そしてPopol Vuh、Ash Ra Tempelは、互いに化学反応を起こしながら、Pink Floydなどの英米のバンドが想像もつかない深淵な領域に入っていきます。

◇ 4者の1972年の動向 ◇
 
◆Tangerine Dream (Edgar Froese)
  → メロディーを放棄。Synthesizerによるドローンの2枚組LP / Zeit。
◆Klaus Schulze / Irrlicht
  → Tangerine Dream、Ash Ra Tempelの2枚で演奏したDrumsを放棄。
  → OrchestraとOrganによるドローン / Irrlicht。
◆Ash Ra Tempel (Hartmut Enke)
  → Beatles、Pink Floydに影響を与えたTimothy Learyとの共演。
◆Popol Vuh (Florian Fricke)
  → Tangerine Dream / Zeitにゲスト参加後、Moog Synthesizerを放棄。
  → アコースティックに転向し、最高傑作Hosianna Mantraを発表。


 特にTangerine Dream / Zeit(時)とKlaus Schulze / Irrlicht(狂った光)は、音楽史上でも異常な重さと緊迫感を伴うもので、その背景には泥沼化していったベトナム戦争への絶望的な状況があったと思われます。Ash Ra Tempel / Flowers Must Die、Timothy Leary&Ash Ra Tempel / Seven Upにも同様の背景があり、Popol Vuh / Hosianna Mantraは、そこからの救いを求める音楽だったのではないかと思います。「Hosianna」とは「どうか、救ってください」を意味します。

 1972年の音は特に重く、息詰まる感があります。若い頃でもZeitとIrrlicht、Popol Vuh / Vuhはほとんど聴けませんでした。しかし、それらは現在のEDMなどに至るElectric Musicの凝縮された原点であり、Tangerine Dream / Phaedra、Klaus Schulze / Timewindに繋がります。これだけの音楽を生み出してくれたElectric Musicのヒーローたちへの感謝の思いを強く感じています。

 今回も、1971年末から、できる限り時系列に沿って振り返ってみたいと思います。




= 1971年末 = Popol Vuh / In den Gärten Pharaosという指標 =


 1970年代のドイツロックでは自国内での化学反応が重要だったことの証左として、2016年4月3日のブログで書いたGuru GuruのMani Neumeierは、来日公演でSEとしてAmon Duul2 / Wie der Wind am Ende einer Straße(Wolf City)、ClusterU、終了後にはPopol Vuh / Aguirreを流していました(いずれも1972年に作られた作品)。
 
 1971年のTangerine Dream、Klaus Schulzeの目標・指標は、世界の最先端にあったMoog Synthesizerによる1970年のFlorian Fricke のPopol Vuh / Affenstundeだったと思います。Klaus Schulzeは1980年には自身のレーベルInnovative CommunicationからPopol Vuh / Affenstundeを再発しています。2004年のSPVからのPopol VuhのCD一斉再発の際も、Klaus SchulzeはFlorian Frickeに対する謝辞を書いています。

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 1971年末にPopol Vuhは、1stに続いてMoog Synthesizerによる2ndアルバムIn den Gärten Pharaosを、Kaiserが新たに設立したPilzからリリースし、そこにEdgar Froese、Klaus Schulze等の新たな注目が集まったと思われます。

 1972年のMusik Express誌には、Florian Fricke以外にもAsh Ra TempelのリーダーだったHartmut Enkeの「Top Ten Albums」が掲載されています。ここでは、Pink Floyd / Ummagummaを抑えて、Popol Vuh / In den Gärten Pharaosを1位に評価しており、EnkeがIn den Gärten Pharaosを目標にしていたことが覗えます。

Hartmut Enke (Ash Ra Tempel): Top Ten Albums - Rate Your Music
https://rateyourmusic.com/list/knussba/hartmut_enke__ash_ra_tempel___top_ten_albums/
As published in the German magazine Musik Express in 1972
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 フォークシンガーのWalt Westruppの Top Ten AlbumsでもIn den Gärten Pharaos が7位なことから、Popol VuhのSynthesizerがドイツで大きな存在だったことが窺えます。

Popol Vuh / In Den Gärten Pharaos
https://www.youtube.com/watch?v=VbnjEsZ8sjo
LP「In Den Gärten Pharaos」のA面。Ash Ra TempelのSchwingungenのB面がここから影響を受けていると思われる。

 これに対して、1972年のEdgar Froeseの「Top Ten Albums」では、Popol Vuhを挙げておらず、Florian Frickeとは違う視点でSynthesizerを捉える意図が見られます。そして、メロディーとDrumsのないCluster / Cluster(1971)を2位として、4位のPink Floyd / Ummagummaより上位にしていることから、ドローン音楽への傾向が見られます。またKing Crimson / In the wake of Poseidonを5位にしており、Mellortonへの関心が覗えます。

Edgar Froese' Top Ten Albums - Rate Your Music 
https://rateyourmusic.com/list/knussba/edgar_froese_top_ten_albums/

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Popol Vuh / Vuh
https://www.youtube.com/watch?v=i6f7uXI8daU
LP「In Den Gärten Pharaos」のB面。ライブ録音。狂熱的なPercussionからは、Tangerine Dream / Alpha Centauriからの影響が感じられるが、重いオルガンの音からはAlpha Centauriのオルガンを超えようとする意志が感じられる。

 このVuhに対して、1972年のTangerine Dream / Zeit、Klaus Schulze / Irrlichtは、さらにしのぎを削るように、メロディーを消去して重いドローンの手法を使う。

Popol Vuh / In den Gärten Pharaos Vuhのライブレコーディングの写真
このMoog Synthesizerは1975年12月にKlaus Schulzeに譲渡された
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 Edgar Froeseは、Zeitの制作にあたってFlorian Frickeを招聘しますが、結果としてFlorian Frickeは自らのSynthesizerの限界を知ったのではないかと思われます。Florian FrickeはSynthesizerを放棄し、世界初のDark Ambient Musicとも言われるZeitとは全く対極にある、「この世で最も美しい音楽」とも呼ばれAccoustic Ambient Musicの源流とされるHosianna Mantraを発表します。

 Klaus SchulzeのTop Ten Albumsはありませんが、Klaus SchulzeがEdgar FroeseのTangerine Dream / Alpha Centauri以降の動向と、Popol Vuh・Florian FrickeのSynthesizerを指標として表現を模索した結果がIrrlichtになったと想像できます。

 Klaus Schulzeは、Ash Ra Tempelの2人と別れた後は、1971年9月11日のAsh Ra Tempelのライヴを最後に、1973年2月13日のFreiburgでのSolo+Ash Ra Tempelとしての出演までライブ活動を行わず、Tangerine Dreamのようにグループも作らず「一人の方が楽だ」とスタジオのソロ活動に専念することになります。
 Ash Ra TempelはKlaus SchulzeからのSpace Rockの影響を残しつつも、Blues Rockに回帰します。

Klaus SchulzeからWolfgang MuellerにDrumsが代わったAsh Ra Tempel
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=1972年=


= 1972年のOhrレーベルのリリース =

OMM 556020  Ash Ra Tempel / Schwingungen 1972年3月
OMM 2/56021 Tangerine Dream / Zeit  1972年5月
         1972年1月のセッションからスタート  
OMM 556022  Klaus Schulze / Irrlicht 1972年5月
OMM 2/56027  Kosmische Musik(2枚組オムニバスアルバム)1972年7月
  Ash Ra Tempel, Tangerine Dream, Klaus Schulze, Popol Vuh

= 1972年のPilzレーベルのリリース =

20 29064-6 Wallenstein / Blitzkrieg(1971年録音)1972年初頭発売
20 29113-8 Wallenstein / Mother Universe 1972年8月 
20 29143-1 Popol Vuh / Hosianna Mantra 1972年11〜12月? 
映画「Aguirre」 公開 12月29日 音楽担当:Popol Vuh 
   → Pilzからのリリースはなく、1975年にイタリアPDUから発売。


・1月 Tangerine Dream,Dieter Dierksのスタジオで2週間にわたりZeitを録音。その2週間後、Dierksスタジオで編集を行う。

・1月(2月?) Wallenstein / Blitzkrieg 発売。1971年9月から12月までDieter Dierksのスタジオで録音。Jürgen DollaseとHarald Grosskopfは、1972年12月のDierksスタジオでのTarotセッションでKlaus Schulzeと合流し、以降Cosmic Jokersのセッションを行う。後にScorpionsで成功するDieter DierksがEngineerのみならず、Producerとして最初に力を入れたのがWallensteinだった。

★Wallenstein / Audiences
https://www.youtube.com/watch?v=jTHoKm0jD9o&list=OLAK5uy_mmZRrByA-yWNXUF_wPZEbwQlqxDqV5iCk&index=4
ドイツ初のPianoをメインとするSymphonic Rock。同じPilzレーベルのPopol Vuh / Hosianna MantraのPianoに影響を与えた可能性がある。Florian FrickeはHarald GrosskopfにPopol Vuhへの加入を持ち掛けたことがあり、Wallensteinに注目していた。

・2月3日 Canが伝説的な "Free Concert"をケルンで行う。

★Can - Free concert (Sporthalle Cologne 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=9FaydRUQ42Q&t=941s
14:00〜17:00のSynthesizer、Drumsからは、BerlinのTangerine DreamのCosmic Music、Ash Ra TempelのSpace Rockの影響が見られる。
Tangerine Dream、Klaus SchulzeがRock、DrumsからSynthesizerに移行したのに対して、Can、Amon Duul2は、Drums主体の表現を続けた。


・2月9日−13日 Ash Ra Tempel、DierksスタジオでSchwingungenを録音。

・3月 Ash Ra Tempelは、Ohrの20番となるScwingungen発売。Klaus Schulzeの抜けた後、ロックの形態を追求。作詞作曲はすべてHartmut Enkeとクレジットされている。

左:Ash Ra Tempel - Schwingungen
右:Flowers Must DieのVocalだったJohn Lの1996年のソロアルバム
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Ash Ra Tempel - Schwingungen 1972
https://www.youtube.com/watch?v=ZpHdPdxNxU4&t=2054s
0:00 Light: Look At Your Sun → Steeple Chase Blues Band、Creamの音に回帰
6:35 ★Darkness: Flowers Must Die → 泥沼化するVietnam戦争に対する絶望、Flower Childrenの終焉といったものが感じられる。Drumsは1stのKlaus SchulzeのSpace Rockからの影響がみられる。(以上、旧A面)
18:57  Schwingungen:Suche & Liebe(振動:追求と愛) → Popol Vuh / In Den Gärten PharaosのA面、Tangerine Dream / Alpha CentauriのB面からの影響が強く見られる。(以上、旧B面)

 Klaus Schulzeが不在のため目立たない Schwingungenだが、All Musicは、Ash Ra Tempelの1stが4つ星に対し、Schwingungenは4.5と高く評価。

・3月22日 イタリアで、Le Orme / Uomo di Pezza録音開始。最後の曲はAlienazione(精神錯乱)。翌1973年1月31日にイタリアLPチャートで1位。

Le Orme / Uomo di Pezza
https://www.youtube.com/watch?v=NVzzvtfx4XM

・3月25日 Guru GuruがBeat Clubに出演し、KänguruからOxymoronを演奏。

★Guru Guru – Känguru 
https://www.youtube.com/watch?v=F0zO5ujSjx0&t=1752s
5:30、17:00、28:10など、Cosmic Music、Space Rockからの影響がみられる。Ax GenrichがBerlin SchoolのAgitation Freeの出身のため、1971年の最優秀アルバムTangerine Dream / Alpha CentauriやAsh Ra Tempelを意識したと思われる。

・3月31日 Osanna / Canzona(There will be Time)Besana盤シングル発売(イタリア)。Popol Vuh / Hosianna MantraのHosiannaも、Osannaと同義「どうか、救ってください」を意味する。

Osanna / Canzona
https://www.youtube.com/watch?v=dM5c5Vmed98


・4月 Klaus Schulze、IrrlichtをBerlinでRecording


・4月 Ohrレーベルのオフィスで、Klaus SchulzeとAsh Ra TempelのHartmut Enkeが会う。
 Enkeは72年初頭にRolf-Ulrich KaiserとともにTimothy Learyとスイスで面会し、その後、オフィスでSeven Upの録音の打ち合わせを行っていた。Timothy Learyとの最初の面会後、「Hartmutは熱狂して帰ってきました」(Manuel Göttsching)。
 他方、Klaus Schulzeは、ソロアルバムIrrlichtの布による自作ジャケットをオフィスに持ち込んでいた。
 

・春〜夏 Ash Ra Tempelは、Seven Upに向けてリハーサルを行う。その際、Klaus SchulzeがRevoxの機材を援助した。

・4月30日 イギリスのBBCラジオはTangerine Dreamのインタビューとライブの生放送を60分にわたって行った。Edgar Froeseは、ライブの前に「MünchenのPopol Vuh、BerlinのKlaus Schulze、Ash Ra TempelといったCosmic Musicの創造者たちがイギリスに進出する足掛かりをつかんだ」と述べた。


・5月 Tangerine Dream、Ohrの21番となる2枚組のZeit(時)をリリース。

1976年の国内盤初版Zeit。邦題「われら、時の深淵より叫びぬ!」
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 メロディーを消去したドローンの徹底した音響空間。3人組のSynthesizerグループ+ゲストFlorian FrickeのMoogで、Klaus Schulzeの追随を引き離すように見える。

Edgar Froeseの述懐
「Alpha Centauriは転換点でした。しかし、Zeitは方向性そのものなのです。僕たちはZeitなくしてAtemはできなかったでしょう。」

 Florian Frickeは4曲の内、Birth Of Liquid PlejadesにMoogで参加したが、Nebulous Dawn以外のすべての曲のレコーディングに立ち会った。

Florian FrickeがZeitのレコーディングに持ち込んだのと同型のMoog Synthesizer
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Zeitのプロモーション写真。眼鏡をかけたFlorian FrickeがTangerine Dreamの3人、Edgar Froeseの妻とともにメンバーのように掲載されている。
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1st Movement Birth Of Liquid Plejades ゲスト:Florian Fricke
https://www.youtube.com/watch?v=JkM-lwX8ETg
7:30からFrickeのPopol Vuh での特徴あるMoogの音が聴ける。
2nd Movement:Nebulous Dawn
https://www.youtube.com/watch?v=4GcsU13TLYw&list=OLAK5uy_kTcPbNmo7mf3Zl3MLlOreONsZNNAEmqL8
3rd Movement:★Origin of Supernatural Probabilities「超自然の起源」
https://www.youtube.com/watch?v=jszxV3joWTU
4:10からのSynthesizerリズムの萌芽が、Phaedraに繋がるものと言える。
4th Movement:Zeit
https://www.youtube.com/watch?v=zUAKEnasIvc&list=OLAK5uy_kTcPbNmo7mf3Zl3MLlOreONsZNNAEmqL8

 非常に難解な音楽であるが、ドイツ国内では、1972年末のSounds誌の人気投票で、Tangerine Dreamは最優秀グループに選ばれている。

Tangerine Dreamの主力SynthesizerだったEMS社のVCS3
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Tangerine Dream / Zeit: Box Set
https://amzn.to/3mWFQI6




・5月 Klaus Schulze / IrrlichtがOhrの22番としてリリース。

Klaus Schulzeのデザイン・写真によるIrrlichtのOhr盤ジャケット
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 Popol Vuh、Tangerine Dreamに対抗するように、Klaus SchulzeはOhrの22番の1stアルバムIrrlichtでロック形態とDrumsを捨て、オーケストラとオルガンでSynthesizerの効果を作り上げる。自ら制作したジャケットには宇宙と土星が表現され、Tangerine Dream / Alpha Centauriからの影響が見られる。

Klaus Schulze - Irrlicht (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=R8tjPGCWlTM&t=1943s
聴きどころ@:★Sats Ebene 3:30-5:20でオーケストラによる美しいメロディーの主題が演奏される。メロディーを重視している点は、Tangerine Dream / Alpha Centauriの1曲目「第3世界の曙」に通じる。6:50で再度主題が演奏される。
聴きどころA: ★Satz: Exil Sils Maria 35:30からのオーケストラのドローンにより、宇宙空間に放りだされるような感覚になる。36:00、36:35とそれが強められていく。この部分はTangerine DreamのAlpha CentauriやZeitでも聴けない。「2001年宇宙の旅」のリゲティからの影響が感じられる。

 Irrlichtの完全なタイトルは、Irrlicht: Quadrophonische Symphonie für Orchester und E-Maschinen。ドローン音楽のトーンや、Klaus Schulzeのオーケストラの使用に対しZeitでもチェロが使用されるなど、Irrlichtと同月発売のTangerine Dream / Zeitとは共通する部分が多い。Klaus SchulzeとEdgar Froeseが共に相手の動向を窺い、しのぎを削っていたことが想像できる。

[ Irrlichtのクレジット ]
Klaus Schulze – "E-machines", organ, guitar, percussion, zither, voice, etc.
Colloquium Musica Orchestra (4 first violins, 4 second violins, 3 violas, 8 cellos, 1 bass, 2 horns, 2 flutes, 3 oboes

 オーケストラは、発売時は契約条件により名前が伏せられたが、ベルリン・ドイツ交響楽団(Deutsches Symphonie-Orchester Berlin)と思われる。

Irrlichtの音楽的構造を示す独自のインサート。Tangerine Dream / Alpha Centauriの内ジャケのリゲティに影響を受けたスコアを意識していると思われる。
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 2005年、Klaus Schulzeは「Irrlichtは、今日のElectronicsよりも、まだMusique concrèteとのつながりが強い。当時、私はまだSynthesizerを所有していなかった。主に壊れて改造された電気オルガン、クラシックオーケストラのリハーサルの録音を逆再生し、損傷したアンプを使用してテープでミックスした音をフィルタリングして3楽章の交響曲に変えた。」と述べている。

Allmusicでは、Klaus Schulzeの作品中、IrrlichtはMoondawnと並んで5つ星の最高評価が与えられている。

Klaus Schulzeが使用したのと同じ型のTeisco(後の河合楽器)の電子オルガン
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1964年創立「テスコ株式会社」(TEISCO CO.,LTD)のオルガン
Combo Organ Heaven: Teisco (combo-organ.com)
https://combo-organ.com/Teisco/teisco.htm

 
1979年Irrlichtの日本盤。1973年からBrainと契約があったテイチクからBrain盤ジャケットで発売された。Ohr時代に東芝から発売されなかった理由は不明。
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Klaus Schulze / Irrlicht イルリヒト( Ohrデザイン・紙ジャケット仕様)
https://amzn.to/3bdGxu9



・Klaus Schulzeは、Irrlicht発売以降に初めてのSynthesizer、EMS Synthi Aを入手。EMS Synthi Aは、1971年にElectronic Music Studios Ltdによって製造されたポータブルアナログシンセサイザー。

Klaus Schulzeの最初のSynthesizer、EMS Synthi A
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Klaus Schulze talks about, and demonstrates, his first synth an EMS Synthi A
https://www.youtube.com/watch?v=MW0aPqL73v0
1:49で、1972年12月に録音されたAsh Ra Tempel / Join Innで使用された音が聴かれる。


・5月 イギリスの音楽誌「フォノグラフ・レコード・マガジン」の「Siegfried Arising ドイツロックの表現主義」という特集で、Klaus Schulze在籍時のAsh Ra Tempelの写真が冒頭で使用される。Tangerine Dreamを「This is the music after Pink Floyd!」 と称したロンドンの評論家Duncan Fallowell が執筆。


・5月25日〜27日 イタリアのWoodstockとも呼ばれた最大の音楽フェスティバルFestival pop di Villa Pamphiliがローマで開催。
Amon Düül 2が海外からのゲストとして招聘。ポスターの出演者最上段に掲載。


・6月 Ohr&Pilzプロダクションが、ベルリンでCosmic Musicコンサートを開催。

・6月 Pink Floyd / Dark Side Of The Moon録音開始、1973年1月完成。1973年3月1日発売。1975年には、Nick MasonがTangerine Dreamのライブに参加する計画があった(Tangerine Dream / Ricochet日本盤ライナー、Chris Frankeの発言)。1972年のころから、Pink FloydがTangerine Dreamを聴いていた可能性もある。

・6月16日 David Bowie / The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars発売。1977年にBowieはBerlinに移住してEdgar Froeseと友人になり、Klaus Schulzeのライブを最前列で見ていた。

・7月 Ohrから、Ash Ra Tempel, Tangerine Dream, Klaus Schulze, Popol Vuhの2枚組オムニバス盤(OMM 2/56027)が発売される。Rolf-Ulrich Kaiserの編集により「Kosmische Musik=宇宙の音楽」と名付けられ、「Cosmic Couriers・Cosmic Music」レーベルの端緒となる。

Sounds誌の推薦と印刷された「Kosmische Musik」。Sternenmädchen(Gille Lettmann)の推薦と印刷されたヴァージョンもあり、Cosmic Jokersの発売された1974年以降も再版されたと思われる。
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(収録曲)
A-1 Popol Vuh / In Den Gärten Pharaos (Excerpt) 9:39
A-2 Klaus Schulze / Ebene (Excerpt) 9:39
B-1 Ash Ra Tempel / Traummaschine (Excerpt) 9:15
B-2 Ash Ra Tempel / Schwingungen (Excerpt) 9:57
C-1 Tangerine Dream / Geburt 6:00
C-2 Tangerine Dream / Sunrise In The Third System 4:20
C-3 Tangerine Dream / Origin Of Supernatural Probabilities (Excerpt) 10:01
D-1 Ash Ra Tempel / Gedanken 7:38
→ 8月のSeven Upに向けてのリハーサルで録音された未発表曲
D-2 Klaus Schulze / Land 10:33

Ash Ra Tempel - Gedanken
https://www.youtube.com/watch?v=4cLS6KH2M80
19歳のHartmut EnkeがKlaus Schulze、Popol Vuh、Tangerine Dreamに挑んだElectric Music。

Compiled By Rolf-Ulrich Kaiser


 オムニバスLP「Kosmische Musik」のライナーには、Rolf-Ulrich Kaiser (編集者)、Edgar Froese、Klaus Schulze、Hartmut Enke、Florian Frickeの寄稿文が掲載されている。Klaus Schulzeの文は、Irrlicht制作に関する「あるオーケストラの死」というもので以下の内容。
 
・ ポータブルな録音機を持ってコンサートホールに行った。
・ 協力してくれるオーケストラの楽長、指揮者は、自分にクラシックの楽譜作成などの知識がないとわかると極度に失望した。
・ 私が最初に10分間モノトーンだけを演奏することを要求すると、団員たちの態度が急変したため、モノトーンの魅力について説明した。
・ 「即興」という言葉を聞くと、楽譜に従って演奏する訓練を積んでいる団員たちは驚いた。
・ 調律が終わったころには調子が出てきて緊張感が行きわたり、先入観も薄らいで演奏準備ができた。
・ 最初は上手くいかなかったが、指揮者が活気のある声で注意を出し始めた。
・ Klaus Schulzeの感想 「2つの世界」
  私は満足せずにはいられなかった。クラシックの楽器が伝統の枠の中で、洗練された高度のテクニックで、新しい音楽の衝動<Inspiration>に合流するとき、変動が起こりそれは人の心をひく高い流れに変わるのである。
  契約条件により、楽団の名前を出せないが、私は彼らに敬意を表したい。それ以来私たちはしばしば一緒に仕事をしている。

「Kosmische Musik」のライナー Klaus Schulzeの文章の部分
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・ELP、7月13日に初来日、22日に後楽園球場、24日に甲子園球場で屋外コンサート。Keith EmersonがMoog Synthesizerを弾く。来日記念盤として『トリロジー』 (Trilogy)を発売(イギリスでは6月)。Moog Synthesizerの攻撃性を極める。
 Klaus Schulzeは、2010年の初来日で巨大なSynthesizerのシステムを披露した(鍵盤はRoland製)。

★ELP / Hoedown
https://www.youtube.com/watch?v=f2DEuHWvt0U
来日公演でもオープニングで演奏。


・7月 Amon Düül 2 / Wolf City、Münchenで録音。Amon Düül 2 自身が最高傑作としている。Wolf Cityの意義・重要性については次回「追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze D Tarot」で。

★Amon Düül II - Wolf City 全曲 
https://www.youtube.com/watch?v=7LM75RePolw


・8月9日‐10日 Ash Ra Tempel / Seven UpがスイスBernのSinusスタジオで録音される。その後Dierksスタジオで編集される。ここからRolf Ulrich Kaiserの「Cosmic Couriers」(Learyの著書の記述からとられた)レーベルの構想が始まる。

 Seven Upの音楽自体の構造は、A面は、Blues、Rockn’Rollの上にTimothy LearyのVocalが乗り、Electronicsで補充するというもので、B面はSchwingungenのB面に近いElectric Music。

★Timothy Leary & Ash Ra Tempel / Seven Up
https://www.youtube.com/watch?v=7d9Qe_Cpscs
Electronicsは、IrrlichtやZeitなどからの影響が見られるが、Klaus Schulze不在にもかかわらずオリジナリティーのある音響効果が随所に聴かれる。

スイスでのAsh Ra Tempel 左端:Timothy Leary  前列左から:Rosi Mueller、Manuel Göttsching、一人おいてSteve Schroyder (ex.Tangerine Dream / Alpha Centauri)右端:Hartmut Enke
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・8月 Wallenstein、PilzからMother Universeを発売。フランスでも発売され、音楽誌BESTで月間ベストアルバムに選ばれる。

 1973年のダモ鈴木の音楽専科での「ドイツロックレポート」でも、冒頭で「今話題になっているWallenstein」と紹介されており、「他国で評価されないと自国で認められなかった(Klaus Schulze談)」ドイツのバンドの中でも特に注目されていたことがわかる。Dieter Dierksの最初の海外での成功作でもある。

内ジャケットに宇宙が描かれたMother Universe
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Wallenstein / Mother Universe
https://www.youtube.com/watch?v=KgZzGsgX2T4
Popol Vuh / Hosianna Mantraにも通じるPianoから始まりMellotronに支えられ、Led Zeppelin / Stairway to Heavenのように展開していく。

 Pilzが発売した1972年の9枚のLPのうち、5枚はWallensteinのJürgen Dollaseが関与していた。この年の他のPilzにはEmtidi、Hölderlins Traum、Popol Vuh / Hosianna Mantraがある。

 Ohr、Pilzレーベルが1972年に閉鎖されるとともに「Ohr Cosmic Couriers」レーベルが創設され、OhrからAsh Ra Tempel、Klaus Schulze、PilzからはPopol Vuh、Wallensteinが招集される。Edgar Froese(Tangerine Dream)はOhrとの契約を拒否してVirginと契約し、1973年にOhr・Kaiserに訴訟を起こす。


・9月13日 Yes / 危機 Close to the Edge発売。4月〜6月録音。プログレッシブ・ロックにおける一つの到達点ともされる。

★Yes / 危機 Close to the Edge
https://www.youtube.com/watch?v=GNkWac-Nm0A&t=1035s

・10月6日 Genesis / Foxtrot発売 録音8月〜9月。

★Genesis / Supper's Ready Live 1972
https://www.youtube.com/watch?v=K04HYw25zdY
25:00〜 Melody Maker誌のLive Performance部門で1位になったGenesisの頂点

1972年のUK Prog、Vietnam戦争を象徴する、Genesis / Foxtrot、
Yes / 危機 Close to the Edge 
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・11月23日 村八分 /三田祭ライブ

村八分 / あやつり人形
https://www.youtube.com/watch?v=wrHrsF_g0ZU
3:20〜の部分のギターとボーカルが今までに聴いた日本のロックでは1番印象が深い。「神(神の子)を殺して」の歌詞は早産で死亡したチャー坊の子を歌ったものとされる。
同年のAsh Ra Tempel / Flowers must dieに通じるサウンドと世界観が感じられる。

・11月25日 Tangerine DreamがKoelnケルンでライブ(他にもTangerine Dreamは、Ossiach Lake 1971など、Froese、Franke、Baumannの3人体制で多くのライブを行っている)

Tangerine Tree Volume 52: Cologne 1972
https://www.youtube.com/watch?v=Vyeas6DuAKg



= Popol Vuh / Hosianna Mantraの奇跡 =

・11月〜12月頃 Popol Vuh / Hosianna Mantra発売。Pilzの最後のレコードで、リリース月は不明だが、8月の月間ベストアルバムWallenstein / Mother Universeよりかなり後の番号なので、11〜12月と思われる。  

1972年の重圧を解放したPopol Vuh / Hosianna Mantraの奇跡
  ドイツ盤 フランス盤 US盤
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★Popol Vuh / Hosianna Mantra
https://www.youtube.com/watch?v=VDfjx4J4-IQ&list=OLAK5uy_l3O8ZfnyLjl3EwLVIJEeC1A-ZA9Af94Mc
WallensteinのJürgen DollaseのPianoからの影響が感じられる。

 Hosianna Mantraの衝撃。Florian Frickeは、1月のTangerine Dream / ZeitにMoog Synthesizerで4曲中1曲にゲスト参加したのみならず、3曲のレコーディングに立ち会った。

 ところが、1972年末の3rdアルバムHosianna Mantraでは、Florian FrickeはMoog Synthesizerを放棄した。Frickeは後に、Synthesizerから得たものは少なかったと述べている。Frickeは、同年生のEdgar FroeseのTangerine Dreamと出会うことでSynthesizerの限界を悟ったのか、その真相はわからない。

 しかし、その代償として「この世で最も美しい音楽」とも呼ばれたHosianna Mantraが生み出された。Hosiannaは、イタリアのOsannaと同義「どうか、救ってください」を意味する。

 Popol Vuh / Hosianna Mantraは、Tangerine DreamやKlaus Schulzeが1972年に極めようとしたメロディーのないドローンから、再度、音楽の持つメロディーの美しさへの回帰を促し、その後のTangerine Dream / Phaedra、Klaus Schulze / Timewindという普遍性のある名作の誕生に繋がったのではないかと思われる。

 Florian Fricke 若き日の驚異的なPianoを弾く映像 
https://www.youtube.com/watch?v=dgHNUulfxnM&t=15s
Florian FrickeはSynthesizerの戦いから離脱したのではなく、Pianoという原点に戻ったともいえる。

Hosianna Mantraでは、Florian Frickeは自らを「Popol Vuh:Piano、Cembalo」という名義でクレジットしている。
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 Progarchivesの評価では、数年前からKrautrock部門で、Popol Vuh / Hosianna Mantraが、それまで1位だったKlaus SchulzeのAsh Ra Tempel / Ash Ra Tempelを抜いて1位を続けている。Florian Frickeは、Ash Ra Tempel / Ash Ra TempelをLed ZeppelinWより高く評価していた。

Krautrock, a progressive rock music sub-genre (progarchives.com)
http://www.progarchives.com/subgenre.asp?style=17&top=100

Florian Frickeは自らの原点であるPianoに戻った。Popol Vuh / Kyrieの映像。
Edgar Froeseも作曲はすべてPianoで行っていたという。
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 1975年のKlaus Schulze / Timewindの成功後、Florian FrickeはKlaus SchulzeにMoog Synthesizerを譲渡した。

Popol Vuh / Vergegenwärtigung
https://www.youtube.com/watch?v=j04lu6yuG4w
1975年Aguirre初版のB面に収録されていたMoog Synthesizerのドローン的作品。Zeit、Irrlichtを意識した1972年の試作と思われる。10:10ごろにAguirre1のテーマが現れる。その後のAguirreの再版では、Frickeはこの曲をSynthesizer期ではない別の音源に差し替えた。

使用しなくなったMoog SynthesizerをみつめるFlorian Fricke。
1975年12月にKlaus Schulzeに譲渡されるまで放置されていたという。
Frickeの頭上の飾りはHosianna Mantraのジャケットのもの(写真は左右反転)
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= 12月 Dieter Dierksスタジオの奇跡 =


・12月 Tangerine Dream / Atem Dieter Dierksのスタジオで録音。

・12月 Walter Wegmüller / Tarot Dieter Dierksのスタジオで録音。Klaus SchulzeとAsh Ra Tempel(Manuel Göttsching、Hartmut Enke)、Wallenstein (Jürgen Dollase、Harald Grosskopf、Jerry Berkers )、Walt Westruppのチームによる。

・12月 Ash Ra Tempel+Klaus Schulze / Join Inn  Tarot録音の際に、Dieter Dierksのスタジオでライブ録音。

・12月 Sergius Golowin / Lord Krishna Von Goloka Dieter Dierksのスタジオで録音開始、1973年1月完了。Klaus Schulze、Jürgen Dollase、Jerry Berkers 、Walt Westrupp、Jörg Mierke

Ohr、Pilz、Cosmic Couriersの名作群を生み出したDieter Dierksのスタジオ
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・12月29日 映画Aguirre公開 Popol Vuhが音楽を担当
フランシス・コッポラは、Aguirreから非常に強い影響を受け、それが地獄の黙示録に繋がった。

★Popol Vuh : Aguirre I
https://www.youtube.com/watch?v=mPtcG8WDuLc
Mellotronのような音を出すChoir Organが使用されている。1975年までレコードが発売されなかったAguirreは、映画を通してのみBerlinなどのドイツロックに衝撃・影響を及ぼした。Guru GuruのMani Neumeierもライブの後のSEでAguirreを使用していた。

Popol Vuh / Aguirre Iが使用された映画「アギーレ」の印象的な冒頭の山脈の行軍シーン。
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=  かつて日本で「0点」がつけられたTangerine Dream / Zeit  =
        〜 46年目の再考 〜
   ★Origin of Supernatural Probabilities「超自然の起源」 

 日本でZeitが1976年に初めて発売されたとき、NMM史上初の「0点」、私がMusic Lifeでは見たことのない「1つ星」(5段階)がつけられました。メロディーがない2LPが、現代音楽ではなくRockのレコードコーナーにあることは驚きでした。
 私は1976年2月7日にZeitを購入し、1971年のAlpha Centauriは何十回も聴きましたが、1972年のZeitは2年間で2回ぐらい、しかも一部しか聴いた記憶がありません。
 私は当時、「Edgar Froeseは音楽を聞かせるつもりはなく、こういうLPを作ること自体が彼の哲学的な目的だったのではないか」と思いました。

 しかし、ドイツ国内では、1972年末のSounds誌の人気投票で、Tangerine Dreamは最優秀グループに選ばれています。

 また、間章によるPhaedraの解説では、エドガー・フローゼEdgar Froeseはこう語っています。
 「ツァイトZeit」のレコーディングは僕たちが成し遂げた最も重要なことです。「アルファ・ケンタウリAlpha Centauri」は変換点でした。しかし、「ツァイトZeit」は<方向性>そのものなのです。
 そして僕達はついに<シンセサイザーリズム>というものをみつけたのです。この<シンセサイザーリズム>がどんなものであるかは、僕達の新しいアルバム「フェードラPhaedra」で一番良く見ることができると思います。

 2011年10月に驚くべきことに、ZeitだけがCD/LP四枚組豪華BOXとして再発されました。やはりEdgar FroeseにとってZeitは最重要作なのだということを再認識し、もう一度注意深く聴き直しました。

 Zeitでは、前作Alpha Centauriの流れを汲みながら、3rd Movement:★Origin of Supernatural Probabilities「超自然の起源」の中で、混沌としたWaveの中から、Synthesizerリズムの萌芽を聴きとることができました。

 1970年のPopol Vuh / Affenstundeの中のSynthesizerリズムは、Moogから偶然に発生したように聴こえましたが、1972年のTangerine Dream / ZeitのSynthesizerリズムの場合は、重圧の中からの生命の誕生にも感じられる瞬間とその持続のように聴こえました。これこそが、Tangerine Dream / Phaedra、Klaus Schulze / TimewindのSynthesizerリズムの誕生だったと、Zeitを初めて聴いてから45年も経って気づくことができました。



= おわりに 1972年のBerlinの重圧と深淵 Ohrの連番 20・21・22番 =

〜 Ash Ra Tempel / Flowers Must Die
  Tangerine Dream / Zeit (時)
  Klaus Schulze / Irrlicht (狂った光) 
  「Kosmische Musik」(OMM 2/56027)
  そして、Pilzの最終番号、Popol Vuh / Hosianna Mantraの奇跡 〜  


 昔、Zeitの後に聴いたKlaus Schulze / Irrlichtはジャケットに土星が描かれ魅力を感じたものの、内容はZeitに対抗するような重く厳しいものでした。しかし、Irrlichtには、Zeitとは異なり、Satz : Ebeneに美しいクラシック調のメロディーが隠されていて、そこが聴く動機になっていました。All Musicが5つ星に評価した理由もその部分が大きいのではないかと思います。

 その後に聴いたのが、Ash Ra TempelのSchwingungenで、Ash Ra Tempelの作品の中でも異質に感じられました。今考えると、ZeitやIrrlichtは、Flowers Must Dieで歌われる世界観と同じテーマを別の形で表現したものとも思います。

 Ohrの1971年の12番Tangerine Dream / Alpha Centauri、13番のAsh Ra Tempelは、宇宙に飛び出す力を持ったCosmic Musicの誕生を記す栄光の連番でした。

 しかし、Ohrの1972年の20番、21番、22番の連番、Ash Ra Tempel / Schwingungen−Flowers must die、Tangerine Dream / Zeit、 Klaus Schulze / Irrlichtは、内宇宙の深淵に沈んでいく重圧でした。7月にOhrから出た、Ash Ra Tempel, Tangerine Dream, Klaus Schulze, Popol Vuhの2枚組オムニバス盤「Kosmische Musik」(OMM 2/56027)は、その重圧を極め、当時ほとんど聴けなかったレコードでした。

 しかし、この1972年のBerlinの重圧の苦しみの中から、新しい音楽の生命が芽生えました。
 その未来に対する萌芽を一気に解放したのは、Berlinが目標としてきたPopol VuhのSynthesizerの先駆者Florian Frickeの劇的な転向であり、1972年末のHosianna Mantra、Aguirreの奇跡ではないかと思います。

 さらに、Klaus Schulzeは、自らが参加したTarot、Lord Krishna von Golokaから始まるCosmicセッションを通じて解放されていきます。そこには、Berlin以外のケルンなどのドイツロックからの影響も感じられます。
 
 次回、追悼RIPクラウス・シュルツKlaus Schulze Dは、1972年12月録音のWalter Wegmüller / Tarotとそれ以降の1973年Cosmic Jokersなどについて振り返ってみたいと思います。


Edgar Froeseの言葉
「死はありません。ただ私たちの宇宙における住所が変わるのです」

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posted by カンカン at 10:39| 神奈川 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年06月04日

〜 追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze B 〜 1971年まで Tangerine Dream / Alpha CentauriとAsh Ra Tempel / Amboss 〜「音楽の力」Pink Floyd、Led Zeppelinを超えたOhrの12番と13番

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1972年5月イギリスの音楽誌 ”Siegfriedは甦る・ドイツロックの表現主義”特集
冒頭を飾った1971年のAsh Ra Tempel  
左からKlaus Schulze、Manuel Göttsching、Hartmut Enke


今日の1曲  
 ★Tangerine Dream (Edgar Froese、Klaus Schulze)
/ Journey through a burning brain 1969年10月録音 1970年6月発売
 Ash Ra Tempel (Klaus Schulze) - Der Vierte Kuss 1970
 ★Popol Vuh / Affenstunde 1970年
 Amon Düül II - Between The Eyes : Beat Club 1970
 ★Tangerine Dream (Edgar Froese) / Ultima Thule part 1  1971
 Tangerine Dream / Sunrise In The Third System 1971
 Tangerine Dream / Fly And Collision Of Comas Sola 1971
 ★Tangerine Dream / Alpha Centauri 1971
 ★Popol Vuh - Bettina : Beat Club 1971
 ★Ash Ra Tempel / Amboss 1971
  Ash Ra Tempel / Traummaschine 1971
  Ash Ra Tempel / Live at Berlin 1971-05-19
 ★Ash Ra Tempel - Live at Bern 1971-09-10
 ★Can - Paperhouse : Beat Club 1971
 ★Pink Floyd / Echoes 1971
 ★Led Zeppelin - Stairway To Heaven 1971
 Led Zeppelin - Black Dog 1971
 New Trolls / Concerto Grosso ・Adagio 1971

 1969年までのTangerine Dream=Edgar Froese+Klaus Schulzeには、英米からの影響が強くありました。Edgar FroeseにはJimi Hendrixを超えられないという思いがあり、Klaus SchulzeにもArt Blakeyへの思いとColtraneがFree Jazzに転じたことへの戸惑いがあったと思われます。

 Thomas Kessler、才人Conrad Schnitzlerといった上の世代からの感化を受け、Pink FloydのInterstellar overdriveでの即興、Jimi Hendrix、Art BlakeyのDrive感、といった新しいMixが1969年のTangerine Dream / Journey through a burning brainに至ったといえます。 
 
 ところが、1970年から1975年まで、ドイツでは英米からの影響を超越してドイツ国内だけで強烈な化学反応を起こし、結果としてGerman Electric Musicが世界の最先端を行く現象が起きます。
 この夢のような時代について、Klaus Schulzeを中心に順を追って見ていきたいと思います。

 後にE2-E4を生み出すManuel Göttschingは、「ドイツには3つの拠点があった。München のAmon DüülU、Popol Vuh、 KölnのCan、Kraftwerk、BerlinのTangerine Dream、Klaus Schulze、Agitation Free、そしてAsh Ra Tempelだ。」と述べています。

 Beatlesの解散した1970年はRockの過渡期といえます。日本では山口冨士夫が多くのセッションを重ねながら1970年5月に村八分を結成し、1971年に傑作「草臥れて」を録音。イタリアではLe Ormeが過渡期のシングルIl Profumo delle violleを1970年にリリースし、1971年にItalian Progの発祥と言われるCollageをリリース。

 Edgar Froese、Klaus Schulzeも1969年10月録音、1970年6月発売のTangerine Dream/ Journey through a burning brainという過渡期の最重要作を経て、1971年にそれぞれの最初のピークを迎えます。

★Tangerine Dream/ Journey through a burning brain
https://www.youtube.com/watch?v=7s5pzEcCWUA

 今回は、German Electric Musicの発端となる最重要曲、1971年のOhrレーベル12、13の連番となるTangerine Dream / Alpha Centauri、 Ash Ra Tempel / Ambossに至るまでです。前者はSynthesizerによるCosmic Music、Ambient、後者は圧倒的なリズムのループによるGrooveで、EDM(Electric Dance Music)などの源流になったと思います。

 概観すると、同世代のJimi Hendrixにコンプレックスを抱いていたEdgar Froeseは、Journey through a burning brainとは違うものを目指してUltima Thule part 1でRockと決別。Synthesizerの導入により、Alpha Centauriで初期Pink Floydを超え、ドイツで1971年の年間ベストアルバムに選出されました。
 
 これに対し、Tangerine Dreamを脱退したKlaus Schulzeは、Jimi HendrixをアイドルとするManuel Göttschingの力を得て、Journey through a burning brain、Edgar Froeseを超えようとしました。
 結果としてAsh Ra Tempel 1stアルバムのAmboss、特に前半は、Pink Floyd、Led Zeppelinを超え、Klaus Schulzeのドライブ感あるRhythmの反復が、後のE2-E4のManuel Göttschingなどに影響を及ぼしたと思います。

Popol VuhのFlorian Frickeは1972年のTop Ten Albumsで4枚のRock Albumを選出、Led ZeppelinWよりもAsh Ra Tempelの1stを上位に評価した。
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=1970年=


クラウス・シュルツのコンサート歴
(Tangerine Dream、Ash Ra Tempel、ソロ活動含む)
Klaus Schulze - Concerts (klaus-schulze.com)
https://klaus-schulze.com/concerts/welcome.htm

・2月6日〜8日 Tangerine Dream(Edgar Froese、Klaus Schulze)、München のAmon Düül IIによる公開セッションが行われる。

・2月23日 Tangerine Dreamを脱退したConrad Schnitzlerが結成したKlusterがセッション。EngineerをConny Plankとして2枚のLPとなる。

・4月 Amon Düül IIが2枚組Yetiをリリース。2015年のRolling Stone誌で「Greatest progressive rock album of all time」の41位に選出される。

・4月 日本人Damo Suzuki (反戦ミュージカルHairドイツ版に出演していた)がMünchenでCanに加入。

・4月10日 Paul McCartney の脱退宣言により、Beatlesが事実上解散。

・4月12日のライブを最後にKlaus SchulzeがTangerine Dreamを脱退。

 → Tangerine Dreamは一旦解散状態になり、Edgar Froeseは単独で活動。その後、Drumsに元Agitation Free、Berlin School出身のChristopher Franke が加入して再結成。Frankeはまだ17歳で、Edgar Froeseの9歳下。Froese自身もThomas Kessler、Conrad Schnitzlerの7歳下であり、若い世代の感性を重視したと思われる。

・5月18日 Hartmut Enke、Manuel GöttschingのSteeple Chase Blues Bandが地元のテレビに出演。内容はBlues Rock。彼らは、Blue Cheerに影響を受けた即興音楽も行っていた。

・6月 Tangerine Dream / Electronic Meditation(Edgar Froese、Klaus Schulze、Conrad Schnitzler)がOhrからリリース。高評価を受ける。


・8月24日 Klaus Schulzeは、5歳下のHartmut Enke、Manuel GöttschingとAsh Ra Tempelを結成。Enkeがロンドンで購入したPink Floydの中古だった機材を積み上げたのをKlaus Schulzeが見て、「いいよ、すごい!」と言って仲間に入ったのがきっかけ。 

「Klaus Schulzeのドラミングは一般の4/4とは異なりドライブ感溢れるものだった。それが他の二人を刺激してベストのプレイを生み出し、そのプレイがKlaus Schulzeに還元されるという理想的な形態をもっていたのである。他の二人はBlues Rockを止め、独自の音楽、Space Rockを追求していった。」 (Manuel Göttsching / Private tapes 2より)

・9月18日 Jimi Hendrix 死亡

・9月25日 Ash Ra Tempel、Berlinで初ライブ。センセーションを起こす。
Manuel Göttsching 「Berlinのクラブのみんなは驚きました。まずショックを受け、どう考えていいかよくわからなくて。それほど新しかったんです。」
初期Ash Ra Tempelのライブは、1971年9月11日まで35回行われる。

 Ash Ra Tempelのライブでは、ほとんどの場合催眠的効果のある音楽が演奏され、聴衆はトランス状態に入っていった。Klaus SchulzeはDrums以外にechoのかかったlap Guitarを演奏した。程なくして、彼らはOhrレーベルとの契約の交渉に入った。

・10月24日 Rock史上のドイツの傑作テレビ番組Beat ClubでAmon Düül IIが演奏。英米中心の番組であり、German Rock では初出演と思われる。

Amon Düül II - Between The Eyes (1970) Beat Club
https://www.youtube.com/watch?v=ZkSAsYjL54s


・11月 Kraftwerk / Kraftwerkリリース。Ruckzuck が評判となり、5万枚のヒットとなる。Ruckzuckは、Organisation、Kraftwerkとして1970年に2回テレビで放映された。

Kraftwerk / Ruck Zuck (LIVE in Soest, 1970)
https://www.youtube.com/watch?v=ABOMrTgPNZA

11月にテレビで放送されたKraftwerk。
ダモ鈴木がKraftwerkで最もユニークだったというDrumsのKlaus Dinger
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・12月10日 Ash Ra Tempel、BerlinでTest Recordingを行う。
Ash Ra Tempel - Der Vierte Kuss (6:23)
https://www.youtube.com/watch?v=Q-aKNnRfwJs
Ash Ra Tempelの1stのAmbossの後半に類似。Jimi Hendrixの影響下にある。1972年のTarotセッションで聴かれるフレーズもある。

・なお、1970年から1972年にかけてElectric Beat StudioでAgitation Free、Tangerine Dream、Ash Ra Tempelらによるセッションが Thomas Kesslerによって録音されたが、全て残っていないという。

・12月16日 Ash Ra Tempel、Conrad Schnitzlerの企画でAgitation Freeのメンバーに加え、Amon DüülU初期のDrummer、Dieter Servasが出演したイベント「Eruption」に出演。

・12月17日 Ash Ra Tempel、前日のイベントに関連してラジオ「S・F・Beat」でインタビューを受ける。
アナウンサー:「これからドイツに電子音楽の波が押し寄せてくると思いますか?」
Klaus Schulze:「もちろん、何が起ころうと必ず来るね」
(急進的な政治活動が盛んな時代だったため、インタビューは主に政治的なことだった)
Hartmut Enke:「僕たちは単なるバンドであって、政治的なコメントは控えたい。」
Klaus Schulze:「社会主義?資本主義?どちらも違うよ。全ての人が自由を与えられるべきだ。」
アナウンサー:「Ash Ra Tempelには政治的思想との関連性がないのが好きです。Agitation Free、Ash Ra Tempel、元Tangerine DreamによるKluster。彼らは皆Berlin出身で、一緒に演奏して何か大きな潮流を作り出そうとしているのです。昨晩のコンサートはその輝かしい第一歩と言えるでしょう。」

アナウンサー:「Tangerine Dreamはすでに存在せず、Edgar Froeseは一人で活動しています。」
→ Edgar Froeseは、数か月の構想、作曲を経て、年末にChris Frankeなどを招集し、翌1971年1月にAlpha Centauriを制作したと思われる。 


1970年発売 Popol Vuh / Affenstunde 世界的に画期的だったMoog Synthesizer
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・1970年にMünchen のPopol Vuhが1stアルバムAffenstundeをリリース。月間ベストアルバムとなる。BerlinのEdgar FroeseとKlaus Schulzeに大きな影響を与える。1972年にはFlorian FrickeがTangerine Dream / ZeitにMoogで参加。1975年12月にFrickeはSchulzeにMoogを譲渡。

★Popol Vuh - Affenstunde (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=xECeBpwKVRY&t=202s
19:15あたりからのSynthesizer Rhythmは、1974年のTangerine Dream / Phaedra、1975年Klaus Schulze / Time Windを4年先取りするものだった。

Popol Vuh - Affenstunde (アナログは品切れ状態だが、当時のステッカーが見れる)
https://amzn.to/39fWRtt


=1971年=


・1971年の冬(1月か2月) Popol VuhのMoog Synthesizerのニュースが放映される。

Popol Vuh Newsclip 1971
https://www.youtube.com/watch?v=2OY-IhgKRvw
Affenstundeがバックに流れている。この映像のMoogが1975年12月にKlaus Schulzeに譲渡され、Moondawnが制作された。私がAffenstundeを購入したのは1976年12月30日で、Phaedra、Time Windより後に聴いたため、Affenstundeは古い音楽に聴こえたが、1971年の映像を見るといかに驚異的で革新的だったかが実感できる。

 MoogのModule Synthesizerは当時で200万円以上、一般には1969年のBeatles / Abbey RoadのSun Kingなどでしか知られていなかった。Florian Frickeは1960年代に音楽への情熱を失っていたところ、1969年にLibertyからの要請でSynthesizer音楽を制作した。

 富田勲も1971年Moog Module Synthesizerを購入。税関で内容が不審として一時ストップを受ける。「使用説明書もなく、暗闇の海へ航海に出るような心境だった」という。Florian Frickeも1969年からSynthesizerと格闘していたと思われる。Florian Frickeもまた、Tangerine DreamやAmon Düül IIからの影響を受けていた。

 München から始まったSynthesizerは、後に、Giorgio MoroderとDonna Summer (反戦ミュージカルHairドイツ版に出演) によるMünchen Soundと呼ばれたDisco Soundのルーツともなる。


[1971年のOhrレーベルからのリリース]
 OS 57.006 Tangerine Dream Ultima Thule Feb 1971
 OMM 56012 Tangerine Dream Alpha Centauri March 1971 
                     Recorded January 1971
 OMM 56013 Ash Ra Tempel Ash Ra Tempel May 1971
                     Recorded March 1971
[1971年のPilzレーベルからのリリース]
 Pilz (2) – 20 21276-9  Popol Vuh / In den Gärten Pharaos


・1月 Tangerine Dream、Alpha CentauriをDieter DierksのStudioでRecording。同時に先行シングルUltima ThuleもDierks StudioのMellotronで録音されたと思われる。

・1月21日 Ash Ra Tempel、昨年12月10日と同じStudioでDemo recordingを行うが、大音量に苦情が出て中止。

・2月17日 Ash Ra Tempel、Berlinの前回より大きいAudio StudioでDemo recordingを行うが、大音量が処理できずに拒否される。


・2月Tangerine Dream、シングルUltima Thule Part1, 2をリリース。

Tangerine Dream / Ultima Thule シングル
上:1971年ドイツOhr盤 下:MinaのPDUからの1976年イタリア盤
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★Tangerine Dream / Ultima Thule Part1
https://www.youtube.com/watch?v=5N1fsblUb9U
Written-By Edgar Froese  Dieter Dierks:Engineer  Tangerine Dream:Producer

・Ultima Thule Part1は、Alpha CentauriのFly And Collision Of Comas Sola を速めたヴァージョンで、Jimi Hendrixへの追悼+Mellotronともいえる画期的な内容。King CrimsonのファンだったJimi Hendrixが聴いたらどう思っただろうか。

・Edgar Froeseの述懐
「ロック・グループとしてやっていたとき僕たちは音を最大に上げてサウンドとリズムを築きながらもついにはリズムが壊れていくことを見続けてきました。70年になってからはその種の音楽はもう聴くに堪えないものになりました。」

「僕たちは突然Rockをやることを止めたのです。完全に。そのとき最も大きな影響を与えたのはリゲティでした。」
→ Edgar FroeseのRockへの決別の曲とはUltima Thule Part1であり、そのときリゲティに影響を受けたというのはAlpha Centauriのタイトル曲と思われる。


・3月 Tangerine Dream、Ohrの12番となる2ndアルバム★Alpha Centauriをリリース。初めて、ギター、ドラムのないSynthesizerを使用したCosmic Musicを打ち出し、Sounds誌などで年間ベストアルバムに選出。

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Tangerine Dream / Alpha Centauri  Japan 1971 Insert
帯「ケンタウロス座のアルファ星(第3の音楽) この音楽の価値は聴き手の耳と主観に依存する。」 Text on OBI "Tangerine Dream / Alpha Centauri(Third music)  The value of this music depends on the listener's ears and subjectivity“

Edgar Froeseの述懐 
「たしかに初期のPink Floydはすごかった。しかし、Alpha Centauriのレコーディングを終えたとき、我々はPink Floydを超えたと思った」

 SideA-1 Sunrise In The Third System 4:20
https://www.youtube.com/watch?v=yd_QwU8cthc
基調になるのはオルガンのメロディー、クラシックであり、そこにSynthesizerのコラージュが施されている。
 SideA-2 Fly And Collision Of Comas Sola 13:05
https://www.youtube.com/watch?v=sjwYDtANKFM
ここではギターを使用。基調になるのはUltima Thule Part1のリフを遅くしたもの。Frankeのpercussionが素晴らしい。
 SideB ★Alpha Centauri 22:00
https://www.youtube.com/watch?v=BAuWKOBWNu4&t=69s
Gyorgi Ligetiの作曲法に影響を受け、Rock的な要素が一切除かれている。Fluteに暖かみがあり難解な音楽ではないと感じた。
16:25の鐘の音が印象的。ここから詩の朗読に続き、最後はオルガンのメロディー、クラシック音楽によって締めくくられており、年間ベストアルバムに選出されたのもこの部分が大きいと思われる。

 Kaiserと親交があったDieter Dierksが初めてBerlin SchoolのEngineerを担当。Chris Franke、Edgar Froese、Steve Schroyder (1950生、1972年に Ash Ra Tempel / Seven Upに参加) の3人が正式メンバー。

Guestsとして、2名が重要な役割を果たしている。
Udo Dennenberg (1936年生) :Flute, Words
Roland Paulyck (1949年生):Synthesizer
→ Flute、タイトル曲の詩を書いた8歳年上のDennenbergは、Edgar Froeseの精神的な支柱にもなっていたと思われる。この時点でSynthesizerの担当はPaulyckのみで、Electronic Music Studios (London) Limited (EMS) が1969年に開発したVCS3ではないかと思われる。.

Alpha Centauri [12 inch Analog]
https://amzn.to/3Qa1SEw



・3月9日〜10日 Ash Ra Tempel、後に世界的なEngineerとなるConny PlankのHamburgのStudioで1stアルバム★Ash Ra Tempelを録音。
 Klaus Schulze 「小さなバンで、Hamburgに向かった」 「Connyはラウドな良い音にしてくれた」


・4月24日 Popol Vuh、Beat Clubに出演。番組の有名なProducer、Gerhard AugustinはPopol VuhのProducerでもあった。

Popol Vuh – Bettina  Beat Club
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★ Popol Vuh - Bettina (1971)
 https://www.youtube.com/watch?v=W6RUstmzDic
今見ても異次元の映像。50年前、1971年に見た人々の衝撃は計り知れない。1970年のAffenstundeよりも鋭角的な音からは、Tangerine Dream / Alpha Centauri、KlusterなどのBerlinからの影響が感じられる。


・5月 Ash Ra Tempel、Ohrの13番となる1stアルバムをリリース。12番のTangerine Dream / Alpha Centauriとは連番になる。

Ash Ra Tempel / Ash Ra Tempel  ELPのBrain Salad Surgeryよりも2年早い観音開きジャケット。Hartmut Enkeが敬愛したAllen Ginsbergの詩「吠える」(Howl)が掲載されている。
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SideA★ Ash Ra Tempel - Amboss
https://www.youtube.com/watch?v=iTZeaAIDvTo

SideAのAmbossの前半はSpace Rock。Tangerine Dream / Journey through the burning brainと同様に静から動への構成で、Klaus SchulzeのSlide Guitar、Drive感あるDrumsとManuel Göttschingのギターがそれを超えたと思われる。特に6:00〜8:00の高揚感は、この3人のメンバーでなければ作れなかったと言える。Ambossの後半は、Jimi Hendrixの影響下にあるManuel Göttschingのギターが主導になる。
Pink Floyd - Interstellar overdrive (1966)で始まったProg Psychedelic improvisational musicの到達点。 

SideB Ash Ra Tempel - Traummaschine
https://www.youtube.com/watch?v=4zqrUW-eQKY
A面の動に対する静のB面は、Popol VuhのAffenstunde、Tangerine Dream / Alpha Centauriからの影響が伺える。ライブでは、B面の静からA面の動への流れで行われた。

Ash Ra Tempel (Remastered)
https://amzn.to/3tminDQ

・Klaus Schulze「Tangerine DreamとAsh Ra Tempelは違うものだ。レコードを聴けばわかる」

「以前Klaus Schulzeがインタビューで言っていたが、彼がいたTangerine DreamはElectronic Punkだったそうだ。Ash Ra Tempelにも同種のノリはあったが、Tangerine Dreamに見られたような哲学的な部分やそれを体現する言葉が欠如していたという。しかし、Ash Ra Tempelがライブで一旦いってしまうと、もう誰にも止められないような凄みがあった。」 (Manuel Göttsching / Private tapes 1より)

・5月19日 Ash Ra Tempel、Berlinでライブ。LP発売記念と思われる。Klaus SchulzeはDrumsだけでなくLap Slide Guitarも演奏し、LPにおけるB面のTraummaschineの静からA面のAmbossの動への流れが再現されている。

1971年5月19日 Akademie Der KunsteでのLive。Ash Ra Tempelの初めてのコンサートでチケットは完売しメンバーも驚いたという。
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Ash Ra Tempel / Live in Berlin 1971-05-19 
https://www.youtube.com/watch?v=JkA4e3Kqkqw&t=1794s
00:00 Soirée Académique 24:17 Talking 24:39 Le Bruit Des Origines
8:20でKlaus SchulzeがLap Slide GuitarからDrumsに移るのがわかる。14:45からのDrum soloで後のPicture musicのMental Doorのようなフレーズも聴かれる。

・5月22日 Beat ClubにKraftwerk(2名はNeu!)が出演。
Kraftwerk - Rückstoss-Gondoliere - 2nd version (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=O8Y_-ZLGW1o

・6月 Ash Ra Tempel、プラネタリウムでAsh Ra Tempel / 1st、Tangerine Dream / 1stについてのインタビューを受ける。

・8月6日・7日 Pink Floyd、箱根アフロディーテで初来日公演 Echoesを披露

・8月7日 Beat ClubにCanが Paperhouseで出演。
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★CAN - Paperhouse (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=LPjF4ZHuIko
Klaus Schulzeの日本のFar east family bandのProduce、Stomu Yamashita / Goへの参加には、日本人Damo Suzukiからの影響が少なからずあると思われる。Damo Suzukiのパフォーマンスは、Ash Ra Tempel / SchwingungenのA面、特にJohn Lに影響を与えたと思われる。Manuel Göttschingも、Can、Popol Vuhを好きなバンドとして挙げている。Popol Vuh / Einsjäger & Siebenjägerでも日本の絵が使用されている。ドイツの雑誌の人気投票のVocal部門でDamo Suzukiは2位だった。ダモ鈴木は、Canは一度走り出したら止まらない機関車だったと言う。

 1973年来日の際、ダモ鈴木は音楽専科10月号「ドイツロックレポート」で、「BerlinのTangerine Dreamは、Pink Floydとしばしば比較される。Edgar Froeseは哲学博士という変わり種。Ash Ra TempelはTangerine Dreamと兄弟的な間柄にある。」と紹介している。後にEdgar Froeseは、音楽よりも哲学の方が重要と述べている。

・9月Ash Ra Tempel、スイスのBernでラストツアーを行う。

★Ash Ra Tempel - Live at Bern (1971‐9‐10)
https://www.youtube.com/watch?v=ZoHOzXpBOfg
52:00あたりからラストまで、ライブバンドとしてのAsh Ra Tempelが真価を発揮する。

・9月11日 Bernでのライブを最後にKlaus SchulzeがAsh Ra Tempelを脱退し、ソロ活動に。
友好的な別れだった。その後も、ときおりセッションはあったという。

 Klaus Schulze 「Ash Ra Tempelの1stアルバムはいい出来だったが、彼らはもっとRockをやりたいと言う。そこで、名前もそのままでいきなさい、私は一人でやるよと言った。」


・10月30日 Pink Floyd、Meddleをリリース。Pink Floyd自身が代表作とするEchoesを収録。6月録音。

★Pink Floyd / Echoes
https://www.youtube.com/watch?v=53N99Nim6WE
有名な18:14の転調部分は、1974年のAsh Ra TempelY・Manuel Göttsching / Echo Wavesに影響を与えたものと思われる。

・11月8日 Led Zeppelin、 Led Zeppelin IVをリリース。録音1970年12月〜1971年5月

★Led Zeppelin - Stairway To Heaven (Official Audio) https://www.youtube.com/watch?v=QkF3oxziUI4
静から動への展開は、Ash Ra Tempelの1stが、ライブではB面の静からA面の動に展開していくのと通じるものがある。Herbert von KarajanもStairway To Heavenを認めていた。

Led Zeppelin - Black Dog (Remaster) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XIiu0JI3I5g&list=OLAK5uy_kISu-pHAaq2GaXMIgLbDlH8YjICgItSwQ
それまでのRockからは予期できなかったギターリフにはAsh Ra Tempel / Ambossに通じる革新性がある。

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・11月13日 Klaus Schulze脱退後のAsh Ra Tempelが、最初のライブをBerlinで行う。

・Rolf Ulrich Kaiser、1971年にPilzを設立。Popol Vuh、Wallenstein等と契約。

・1971年の最後のPilzの作品として、Popol Vuh / In den Gärten Pharaosがリリースされる。



 = Ohr 12番 Tangerine Dream / Alpha Centauriへの評価 =


・ドイツ国内では、Tangerine Dream / Alpha CentauriはSounds誌で1971年の年間ベストアルバムに選出。セールスも数万枚となり、Ohrレーベルを支える存在になった。

・1972年4月30日 イギリスのBBCラジオはTangerine Dreamのインタビューとライブの生放送を60分にわたって行った。
 BBCのDJ・John Peelが輸入盤のAtemを1973年の年間ベストアルバムにしたことは有名だが、すでに英国で評価を受けていたことがわかる。Alpha Centauriも輸入盤しかなかった状況で、BBCが番組を作ったのは驚き。しかも放送の前にベルリンに行って事前にTangerine Dreamとの打ち合わせのインタビューをしていたという。
 BBCの番組は、ドイツのCosmic Musicを紹介するものであり、Edgar Froeseは、ライブの前に「MünchenのPopol Vuh、BerlinのKlaus Schulze、Ash Ra TempelといったCosmic Musicの創造者たちがイギリスに進出する足掛かりをつかんだ」と述べている。

・1972年5月 イギリスの音楽誌「フォノグラフ・レコード・マガジン」
 Tangerine Dreamを「This is the music after Pink Floyd!」 と称したロンドンの評論家Duncan Fallowell は、「Siegfried Arising(ジークフリートは甦っている) ドイツロックの表現主義」という特集を組んだ。
 その中で、有名なテレビ番組Beat Clubにドイツのバンドが出始めたこと、ドイツのロックシーンがMünchenから始まり、今、Rolf Ulrich KaiserのOhrが新しい抽象的な表現主義の波の大きな部分を占めていることが書かれている。

・1971年 日本では東芝音楽工業がAlpha Centauriを発売。
「Pink Floydの道はProgressive Rockの道なり」という言葉を作った石坂敬一は、帯に「この音楽の価値は聴き手の耳と主観に依存する」という文章で「ケンタウロス座のアルファ星Alpha Centauri」を発売。1975年に再版しており、セールス的にも順調だったようだ。また、国内盤にはイラストが封入され、難解なイメージに対する緩衝材になっていた。

(間章 1975年Tangerine Dream / Phaedraライナーより)
「Tangerine Dreamは第2作Alpha Centauriによって、<体験音楽><Cosmic Music>の基礎を確立し、新しい可能性の方向を開いた。その音楽は我々の外部にではなく我々の内部へと働きかけ、我々を緩やかで静かな、あらゆるダイナミックスや潜在的エネルギーに満ちたスペースと時間の中へ引き込んでゆくものであり、今までのどのような音楽も持たなかった<新たな光景と地平>を現したものであった。」
「このアルバムによってドイツのロックは<カオス>から一歩さらに踏み出し、創世期のただ中へ、ひとつの達成へと向かっていったのである。」(1976年コロムビア盤ライナーより)

・Progarchiveでの評点
http://www.progarchives.com/subgenre.asp?style=33&top=100
Progressive Electronic Top Albumsの部門で、Virgin初期のTangerine Dreamは上位にあるが、Alpha CentauriなどOhr時代の作品は、現在は評点が下がっている。
http://www.progarchives.com/artist.asp?id=1295


= Ohr 13番 Ash Ra Tempel / Ash Ra Tempelへの評価 =


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Klaus SchulzeのDrumsには「Tempel」ではなく「Temple」と書かれており、英米を意識していたことがわかる。

 イギリスでは、Ash Ra TempelがAmbossによってドイツのトップであるのみならず、英米と比較しても驚異的なバンドとみなされていた記述がある。

・1972年5月のイギリスの「フォノグラフ・レコード・マガジン」の「Siegfried Arising・ドイツロックの表現主義」では、Amon Düül II、Canを中心にTangerine Dreamが代表するCosmic Musicが紹介されたが、その表紙に使用された写真は1971年のAsh Ra Tempelだった。
 その中で、Ash Ra Tempelの1stアルバムは以下のように絶賛されている。

「ドイツには信じられないようなバンドが存在する。Ash Ra Tempel。恐ろしいまでに増幅された音塊でたたきつけられるノイジーなサウンドは、しかしシンプルこの上ない機材から発せられているのだ。」

・1972年イギリス「Melody Maker誌」
「Ash Ra Tempelは彼ら自身の宇宙から飛び出し、あなたの脳内に強烈な衝撃を残して行くだろう。」

 Ash Ra Tempelの1stのAmboss(1971年3月11日録音)は、イタリアのNew Trolls / Concerto Grosso のAdagio(1971年3月23日〜27日録音)と並んで、イギリスで1971年当時に正規に発売されていた場合、Rock史に刻まれるほどのインパクトと英米のバンドが達成しえなかった独自性のある内容だと思われる。

New Trolls / Concerto Grosso - Adagio 1971
https://www.youtube.com/watch?v=DCgvp6IfE7w

・ドイツでは、Ash Ra Tempelは1971年のSounds誌の新人部門で2位に選出された(4位はPopol Vuh、5位はGila)。

Florian Fricke's Top Ten Albums
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 Popol VuhのFlorian Frickeは、1972年のMusik Express誌でのTop Ten Albumsで、4枚のRockを挙げている。その中でLed ZeppelinWよりもAsh Ra Tempel (Ashra Templeと表記) の1stを上位にしていることが注目される。Ash Ra TempelのサウンドはLed Zeppelinを超えたという評価も可能と言える。

Florian Fricke's Top Ten Albums - German magazine Musik Express in 1972
https://rateyourmusic.com/list/knussba/florian_frickes_top_ten_albums/

 ドイツでは、Ohrから1971年、1972年、1975年と3回もプレスされており、Ohrでは1番多いと思われ、ドイツ国内での評価が高かったといえる。

・日本では、1971年のTangerine DreamのAlpha Centauriのように東芝から発売されなかった。Ohr側からTangerine Dreamのオファーしかなかったのか、石坂敬一がAsh Ra Tempelを聴いたうえで発売を見送ったのか、理由は不明。

・間章の評 (1977年)
「Ash Ra Tempelもまた、本来はTangerine Dream、Canと並ぶドイツロックの主柱である。デビュー作の「Ash Ra Tempel」はドイツロックの出立をしるすモニュメンタルな存在のレコードである。現在までに5枚のレコードを出しているが、このデビューアルバムの持つ意義は変更されないであろう。」

 間章は1973年のGuru GuruのKanguruのライナーを書く際にテイチクからOhr,Pilzのレコードを30枚渡され、おそらく日本で初めてAsh Ra Tempelを聴いた人物の一人と思われる。

・フランスでは、Cosmic系のドイツロックが多数リリースされたが、Ash Ra Tempelの1stはなぜか発売されていない。イタリアのPDUでもCosmicシリーズの中では、1976年という遅い時期になってAsh Ra Tempelの1stがシングルジャケットで発売された。1971年のAsh Ra TempelやTangerine Dreamは、あまりにも早かったのかもしれない。

・Progarchiveでの評点
http://www.progarchives.com/subgenre.asp?style=17
Kraut Rockの部門では、長い間、Ash Ra Tempel / Ash Ra Tempelが1位だった。一度でも聴いた人に与える衝撃は大きいと思われる。数年前からは、それまで2位だったPopol Vuh / Hosianna Mantraが1位になっている。今後も変動の可能性はある。


= Ohrレーベル・栄光の連番、12番と13番 =


 Ohrレーベルは3組の2枚組オムニバスLPを発売しています。もし私がOhrレーベルのベスト盤を作るとすれば、A面に13番Ash Ra TempelのAmbossの「動」、B面に12番Tangerine Dream / Alpha Centauriのタイトル曲の「静」をカップリングしたものと40年以上思っています。

 1971年にOhrの13番、Ash Ra Tempelでドイツの頂点に立ったとも言えるKlaus Schulzeでしたが、Edgar FroeseのOhrの12番、Tangerine Dream / Alpha Centauriはさらに半歩先に進み、タイトル曲でDrumなしに完結するElectric musicに踏み込んでいました。
 
 1971年1月録音のAlpha Centauriで「Pink Floydを超えた」と思ったEdgar Froeseが、同年10月リリースのPink FloydのEchoesを聴いたときにどう思ったかが興味深いところです。

 しかし、1972年のKlaus Schulze、Edgar Froese ・Tangerine Dream、Ash Ra Tempel、そしてFlorian Fricke・Popol Vuhはしのぎを削りながら、Pink Floydが考えもつかない領域にさらに踏み込んでいきます。

 素晴らしい音楽を作ってくれたEdgar FroeseとKlaus Schulze、そしてAsh Ra Tempelを聴く機会を与えてくれたAさんにも感謝したいと思います。

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posted by カンカン at 23:56| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月12日

〜 追悼RIP クラウス・シュルツ Klaus Schulze A  1969年 Tangerine Dream / Journey through a burning brainまで    〜 ライバル Edgar Froeseとの出会い

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1969年 Electronic Meditation録音時のTangerine Dream
Klaus Schulze、Edgar Froese、Conrad Schnitzler
1986年初CD化の際のブックレットの写真


今日の1曲  
 Klaus Schulze / Die Moldau Smetanaスメタナ作曲1994
 ★Hank Mobley Quintet - Roll Call 1960年
         (Drums:Art Blakey)
 The Kinks - All Day And All Of The Night 1964年
 ★John Coltrane
       / A Love Supreme, Pt. III - Pursuance 1965
 The Ones (Edgar Froese:Guitar) - Lady Greengrass 1966
 Pink Floyd - Interstellar overdrive 1966
 The Rolling Stones - Street Fighting Man 1968
 Cream / I'M SO GLAD Live 1968
 ★The Jimi Hendrix Experience - Foxey Lady 1968
 Beatles / And Your Bird Can Sing 1966年  
 ★ Tangerine Dream / Bath Tube Session Berlin1969年
 ★ Tangerine Dream / Journey through a burning brain 
              1969年10月録音 1970年6月発売
Gyorgi Ligeti リゲティ / アトモスフェール Atmospheres
★ James Brown - There was a time Live at Boston 1968
  Golden Cups / 銀色のグラス 1967年
 

 フランスで1975年のディスク大賞を受けたKlaus Schulze / Timewindは、Synthesizer、Electric Music、German Rockの最高到達点との一つと思います。TimewindのA面のSynthesizer Rythmの「動」は現在に至るElectric Dance Music、TimewindのB面の「静」はAmbient Musicに多大な影響を与えたと思います。

 そこでKlaus Schulze / Timewindに至るまでの歴史を振り返ってみたいと思います。ドイツにおけるGerman Rockから Synthesizer ・Electric Musicまでの進化を、自分のような者が書ききることは到底できません。

 初めてKlaus Schulzeの1975年のTimewindタイムウインドを聴いたとき、これはEdgar Froese、Tangerine Dream / Phaedraを超えようとしたもので、実際にそれを超えていると感じました。

 そこで、Edgar FroeseとKlaus Schulzeを中心に、Klaus Schulze が関与したAsh Ra Tempel、Popol VuhのFlorian Frickeなどとの関連を含めてKlaus Schulzeのルーツを振り返ってみたいと思います。

 今回は、Klaus SchulzeとEdgar Froeseの最初の到達点であり、以降の活動の源流となる1969年録音のTangerine Dream / Journey through a burning brainに向けてです。ここでは、Klaus Schulzeのドラマーとしての活躍が著しいところです。

 Elvis Presleyが映画活動中心に移ってから1964年のBeatles 登場まで、世界で最も進んでいた音楽はJazzでした。兄がドラマーだったこともあり、Art Blakey、Elvin Jones、Jazz出身のCharlie Wattsなどの影響で、Klaus SchulzeのDrive感のあるドラム奏法が確立したのではないかと思います。

★Tangerine Dream / Journey Through A Burning Brain (Original)1969年
https://www.youtube.com/watch?v=BiIEmX4obOg
1stアルバムElectronic Meditationの2曲目。5:00からギターとドラムスのバトル。7:54あたりからのKlaus SchulzeのDrive感のあるドラムが凄い。
前半とラストのオルガンは、Edgar FroeseとKlaus Schulzeのルーツがクラシックであることを示している。

Tangerine Dream / Electronic Meditation [Analog]カラーレコード
https://amzn.to/3Lo9qjL

 Journey through a burning brainを何度も真剣に聴くきっかけになったのは、1986年のTangerine DreamのOhr時代の5枚の初CD化の際の鮮やかなジャケットです。最初に六本木Waveで見たときに感動し、まずAlpha Centauriを買いました。1970年代に聴いたときの先入観なしに、Tangerine Dreamに再会できたこのシリーズには感謝しています。

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1986年のTangerine DreamのOhr時代の初CD化シリーズ



= Klaus SchulzeのSynthesizer、Electric Musicのルーツ =

・クラシック → 幼少期に3-4年、クラシックギターを正規に習う
→ メロディー・和声の美しさ → Timewind −Wahnfried 1883

・ジャズ → Free Jazzをしていた兄から影響。特にArt Blakeyの奏法。
→ Drive感 → Tangerine Dream / Journey Through A Burning Brain 、
Picture Music - Mental Door、Ash Ra Tempel / Freakn'Roll 

・ソウル・ファンク(James Brown) → リズムの無限ループによるGroove感 → Ash Ra Tempel / Amboss、TimewindーBayreuth Return

・ロック → 学生時代、ギターでKinks、Shadowsをコピー
→ Tangerine Dream / Journey Through A Burning Brain 、Ash Ra Tempel / Amboss 

・現代音楽 → Berlin Schoolで学び、Edgar Froese、Manuel Göttschingと出会う。リゲティから影響。→ Irrlicht、Timewind −Wahnfried 1883 

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左:Klaus Schulze / Goes Classic 1994  右:Klaus Schulzeが触発されたと思われる Popol Vuh / Florian Fricke – Spielt Mozart 1991

Klaus Schulze / Die Moldau
https://www.youtube.com/watch?v=i34PyDJibHM
Klaus Schulzeがクラシック音楽をSynthesizerで再現した Goes Classic (1994, CD)より


〜 Klaus Schulze 年譜 Berlinを中心とするGerman Electric Music 〜

=  1937年 =
 Thomas Kessler (Electronic Beat Studio、Berlin Schoolの指導者)生
 Conrad Schnitzler (Tangerine Dream、Kluster) 生
 Irmin Schmidt (Can)生

=  1940年 =
 John Lennon生

=  1942年 =
 Jimi Hendrix生

=  1943年 =
 Rolf Ulrich Kaiser(Ohr、Pilz、Cosmic Couriersレーベル主宰)生
 Dieter Dierks(Ohr、Pilz、Cosmic Couriersエンジニア)生

=  1944年 =
 Edgar Froese (Tangerine Dream) 生 
  父はホロコーストにより死亡し、ドイツに移住。
  クラシックピアノを正規に習う
 Florian Fricke(Popol Vuh、Tangerine Dreamにゲスト参加)生
   クラシックピアノを正規に習う
   1975年にKlaus SchulzeにMoogを譲渡 

=  1946年 =
 Ralf Hütter (Kraftwerk)生
  Syd Barrett (Pink Floyd)生
 間章(Akira Aidaドイツロック評論家)生

=  1947年 =
 Klaus Schulze (Tangerine Dream、Ash Ra Tempel, Cosmic Jokers) 生

=  1948年 =
 Jürgen Dollase (Wallenstein, Cosmic Jokers) 生
  クラシックピアノを正規に習う

=  1949年 =
 Harald Grosskopf (Wallenstein, Cosmic Jokers,Klaus Schulze,Ashra) 生

=  1952年 =
 Manuel Göttsching、Hartmut Enke (Ash Ra Tempel) 生
 Michael Hönig (Agitation Free、Klaus Schulze、Tangerine Dream) 生

=  1953年 =
 Christopher Franke (Agitation Free、Tangerine Dream) 生
 Peter Baumann (Tangerine Dream) 生


 
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左:Klaus Schulzeが目指したArt Blakey参加のHank Mobley / Roll Call 
右:Klaus SchulzeがバンドでギターをコピーしたKinks

=  1960年 =

★Hank Mobley Quintet / Roll Call (Drums:Art Blakey)
https://www.youtube.com/watch?v=AMSkdcOmjdo
Klaus SchulzeがJazzドラマーとして憧れたArt Blakeyの名演。Klaus Schulzeの兄がFree Jazzのドラムをしていたことから、ドラムに関心を持った。
 Roll CallでのArt Blakeyのドラムは、自身のリーダー作も超えるDrive感溢れるもので、Klaus SchulzeもAsh Ra TempelのFreakn RollやPicture Music - Mental Doorで披露した「ナイアガラ・ロール」の奏法(特に8:30以降)が鋭い。

Hank Mobley / Roll Call ロール・コール+1 CD
https://amzn.to/3w9yF4H

=  1964年 =

The Kinks - All Day And All Of The Night (Official Audio)
https://www.youtube.com/watch?v=fOGMRnKl5co
Klaus Schulze、Manuel Göttschingなどが学生時代にコピーしたKinks。Klaus Schulzeは当時ギターを担当。

=  1965年 =

★John Coltrane / A Love Supreme, Pt. III - Pursuance
https://www.youtube.com/watch?v=aGT7AFCTpzU
John Coltraneの最高傑作。極限のDrumsは、Journey through a burning brainのKlaus Schulzeのドラムスに影響を与えたと思われる。これ以降、ColtraneはFree Jazzに転じる。

John Coltrane / A Love Supreme 至上の愛(SHM-CD)
https://amzn.to/3MaiKc3

=  1966年 =
 
・Edgar FroeseのThe Ones - Lady Greengrassのシングル盤をリリース。

The Ones - Lady Greengrass (single)
https://www.youtube.com/watch?v=HPddUtZ4JMY
ここですでに「Tangerine」という歌詞が聴かれる

Beatles / And Your Bird Can Sing
https://www.youtube.com/watch?v=Uq0aeEYLkIE

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・Edgar Froese、1966年〜1967年ごろ、ロンドンでPink Floydを見る。
「Pink Floydがステージで演奏して、大変興味深い現象が起こり、たくさんの人々が謎めいて坐っていたことを思い出します。」
「リゲティの次に最も影響を受けたのはPink Floydでした。」

Pink Floyd - Interstellar overdrive (1966)
https://www.youtube.com/watch?v=jDdepIhwru0&t=753s

=  1967年 =

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左:The Ones - Lady Greengrass 「Music for Hippies」と大きく記載。

・6月 Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band発売

Beatles / Lucy In The Sky With Diamonds
https://www.youtube.com/watch?v=naoknj1ebqI&list=PL3PhWT10BW3VDM5IcVodrdUpVIhU8f7Z-&index=3

・Edgar Froese、ダリから影響を受け、Tangerine Dreamを結成。
 バンド名はLucy in the Sky with Diamondsの「Tangerine Tree」という詞の一節からとられた。


・7月17日 John Coltrane 死去

・11月 Golden Cups / 銀色のグラス発売
https://www.youtube.com/watch?v=cyZRRMr85s4
 
=  1968年 =

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・Edgar Froeseの述懐 
「Jimi HendrixとEric Claptonの後でギタリストとしてどのようなことがやり残されているというのか?」

★The Jimi Hendrix Experience - Foxey Lady (Miami Pop 1968)
https://www.youtube.com/watch?v=_PVjcIO4MT4

Cream / I'M SO GLAD Live 1968
https://www.youtube.com/watch?v=X_F8otWeFB4

★James Brown - There was a time Live at Boston 1968
https://www.youtube.com/watch?v=_PIcqzPNKKw
JB史上最も過激なDrums。キング牧師暗殺による暴動を治めた「ボストンを救った夜」のライブ。
リズムの無限ループによるGrooveはCan、Klaus Schulze、Ash Ra Tempel、Kraftwerkなどに多大な影響

・Thomas Kesslerにより、Electronic Beat StudioのBerlin Schoolが創設。

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・Edgar Froeseの述懐
「僕たちは突然Rockをやることを止めたのです。完全に。そのとき最も大きな影響を与えたのはリゲティでした。」

Gyorgi Ligeti リゲティ / アトモスフェール Atmospheres
https://www.youtube.com/watch?v=JWlwCRlVh7M
Klaus Schulzeもリゲティからの影響を受けた。

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ベルリン・スクール Berliner Schule (Elektronische Musik) – Wikipedia
https://de.wikipedia.org/wiki/Berliner_Schule_(Elektronische_Musik)
Agitation Free, Tangerine Dream, Kluster, Ash Ra Tempel, Klaus Schulze、Ax Genrich(Guru Guru)らを輩出。

・Manuel Göttsching (Ash Ra Tempel) のThomas Kesslerについての述懐「彼は本当にどうやって即興をやるかを教えてくれて、実験音楽について多くを学びました。どう操作するか、その可能性について、非常に面白い時期でした。」

・Manuel Göttsching、Hartmut EnkeとのグループでRolling Stones、Creamなどの曲を演奏。

The Rolling Stones - Street Fighting Man (Official Lyric Video)
https://www.youtube.com/watch?v=BUt0dZXPFoU


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・Klaus Schulze、PSY FREEのドラマーとなる。Free Jazzのドラマーの兄に影響を受けていた。クラシックギターの正規の教育を3〜4年受けたのち、Kinks、シャドウズなどをコピーしていたが、ドラムスに変更した。ドラマーとしてはArt Blakeyに最も影響を受けた。


・9月25日〜29日 Rolf Ulrich Kaiser、ドイツ初の大規模ロックフェスInternationale Essener Songtageを主宰。
 ドイツからはTangerine Dream, Guru Guru, Amon Düülが出演。

映画「Krautrock 2」より - International Essener Songtage 1968
https://www.youtube.com/watch?v=mONF8XDk98o

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ポスター 9月26日にTangerine Dream, Guru Guru Groove, Amon Düülが掲載

Jan Reetze: Rolf-Ulrich Kaiser & Gille Lettmann: Die Story der Kosmischen Kuriere
http://janreetze.blogspot.com/2011/05/rolf-ulrich-kaiser-gille-lettmann_9700.html

・Edgar FroeseとKlaus Schulzeが出会う。Berlinでは毎晩違うメンバーによるセッションが行われた。Klaus Schulzeが独自の方法で練習中にEdgar Froeseから声をかけられた。
 「なぜ我々は一緒に演奏しないんだろう?」「なぜだろうね」


= 1969年 =

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1969年でのBerlinでのデモ活動

・Edgar Froeseの述懐 
「Tangerine Dreamは学生運動で疲弊した学生たちのために演奏していた」 
ベルリンは、Vietnam反戦運動などが世界で最も過激な場所と言われていた。

・映像 Tangerine Dream 1969
https://www.youtube.com/watch?v=Dof4Fh9MDac
0:00でEdgar FroeseとThomas Kessler、0:30で反戦デモの映像が映る。Klaus Schulze参加以前のドラムス。

・Tangerine Dream"Bath Tube Session"が放映される。1970年にはOrganisation(Kraftwerk)、Amon DüülU、Can、Kraftwerk、Popol Vuhの映像はあるが、1969年のGerman Rockの映像はTangerine Dreamしか見当たらず、当時から注目されていたことがわかる。

Tangerine Dream"Bath Tube Session" 1969年
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Klaus Schulze

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Edgar Froese

★Tangerine Dream / "Bath Tube Session" Berlin 
ポツダム広場・レストラン"Bayern-Hof"前 
https://www.youtube.com/watch?v=6BdsuDeFl3c
Pink Floyd - Interstellar overdriveとJazzからの影響が感じられる。3:50 4:05 4:42 5:35あたりでKlaus Schulzeのプレイが見られる。1972年のAsh Ra Tempel / Freakn'Rollでも同様のJazz的ドラムを再現。0:26の右側の人物はKlaus SchulzeとのユニットTimewindを組んだMichael Hoenig(Agitation Free)。

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"Bath Tube Session"のあったポツダム広場

・6月 Manuel Göttsching、Hartmut Enkeが Steeple Chase Blues Bandを結成。

・Conrad Schnitzler、ベルリンに「Zodiak - Free Arts Lab」を設立。

・10月11日  Tangerine Dream、Essenのpop & blues festivalに出演

・10月、Edgar Froese、Klaus Schulze、Conrad Schnitzler、後に1stアルバムTangerine Dream / Electronic Meditationとなるセッションを録音。

 [ 間章 Tangerine Dream / Phaedra ライナー 1975年より ]

 68年ごろに起こったEdgar FroeseとKlaus Schulzeという二つの才能の出会いがTangerine Dreamとして結実するには、それなりの彼らの新しい音楽への探求とそのころの音楽状況の行き詰まりという事態があった。Edgar Froeseにとっては固定化されたロックの理念や形式の中では音楽の発展の可能性はないという認識があったし、Klaus Schulzeにとってはパワーとエネルギーを中心としたFree Jazzの未来には破滅か可能性の自己閉鎖しか見えないという認識があり、そこで二人は形式やスタイルそしてあらゆるジャンル的制限を超えた<新しい体験音楽>それも完全な<即興演奏>によるものをやっていこうと決意したのだった。その結果レコーディングされたのがElectronic Meditationであった。

・Rolf Ulrich Kaiser、Ohrレーベルを設立。

・間章 「シカゴ前衛派論」で音楽批評家として公式にデビュー


= 1970年 =


クラウス・シュルツのコンサート歴
(Tangerine Dream、Ash Ra Tempel、ソロ活動含む)
Klaus Schulze - Concerts (klaus-schulze.com)
https://klaus-schulze.com/concerts/welcome.htm

 Klaus Schulzeは、4月12日の"Deutsches Pop-Musik-Festival"への出演を最後にTangerine Dreamから離脱。
 その後、Edgar Froeseが、偶然再会したKlaus Schulzeに「以前レコーディングしたものが、あと1か月でLPで出る」と告げる。

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 6月、Rolf Ulrich KaiserのOhrは、Tangerine Dreamの1stアルバムElectronic MeditationをOhrレーベルの4番としてリリース。

Ohrレーベルのリリース
OMM 56004 Tangerine Dream Electronic Meditation June 1970
OMM 56005 Guru Guru UFO            June 1970
 
 ついに地上に現れたTangerine Dreamは、300あるGerman Rockのグループの中で、最も実験的かつ最も重要なグループとして評価される。
 
 1969年までにドイツのバンドでレコード会社と契約していたのは、Amon Düül、Amon DüülU、Can、Kraftwerk(Organisation)だけだった。Electronic Meditationの後、翌年までに100を超えるドイツのロックバンドがレコード会社と契約した。

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Tangerine Dream / Electronic Meditation Liner Notes Japan 1972
おそらく、Klaus Schulze、Ash Ra Tempel、Popol Vuhの名が日本で最初に掲載されたもの。

 私は、1976年1月8日に、東芝盤Electronic Meditationを購入しました。Phaedra (1974年)、Ricochet(1975年)、Alpha Centauri(1971年)の次に購入したため、Synthesizerの入っていないHard Rock風のElectronic Meditationに当初はがっかりしました。

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Electronic Meditation 1986年の世界初CD化

 しかし、1990年前後にCDを買い直し、Journey through a burning brainの後半のKlaus SchulzeのDrive感溢れるドラムスとEdgar Froeseのギターのバトルの壮絶さに感動。それはロック史上空前絶後のもので、Jimi Hendrix Experienceを超えるようにも思えました。
 
★Tangerine Dream - Journey through a burning brain
https://www.youtube.com/watch?v=010jns1VcfU&list=PLFEB29541F2A734E4
5:08 Ash Ra Tempelの1stのAmbossでも聴かれるKlaus Schulzeの強烈なバスドラムの第1打。ここからEdgar FroeseとKlaus Schulzeのバトルが始まる。
8:23 激烈さを増すバトル。ベルリンの1969年の市街戦のようだ。
9:45 極限のドラムのテンション。後の1975年Klaus Schulze / Time WindのA面エンディングのルーツがここに見える。

 1969年のTangerine Dream - Journey through a burning brainこそがEdgar FroeseとKlaus Schulzeの最初の最高到達点であり、真の原点ではないかと思います。Edgar FroeseとKlaus Schulzeはここからしのぎを削りながら、1975年のKlaus Schulze / Time Windという到達点に進んでいきます。

Tangerine Dream / エレクトロニック・メディテイション(紙ジャケット仕様)CD
https://amzn.to/3ytPOrw


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2002年のBest盤3枚組CD「Journey through a burning brain」

 「Journey through a burning brain」という3枚組ベスト盤CDが存在することも、この曲がTangerine Dreamの最重要曲であることの一つの証左と思います。なお「Journey through a burning brain」の曲はこのCDからあえて外されています。

タンジェリン・ドリームTangerine Dream / Journey Through a Burning Brain ベスト盤CD
https://amzn.to/3yvcN5i

 1990年代の10年間のもっとも苦しい時期に、Journey Through a Burning Brainは、James BrownのSoul Power(1971Paris)、John Coltrane / A Love Supreme, Pt. III - Pursuance などとともにもっとも聴いた曲の一つでした。改めて、Edgar FroeseとKlaus Schulzeに感謝したいと思います。

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2022年05月01日

〜 追悼RIP クラウス・シュルツ Klaus Schulze @                〜 1975年シュルツとの出会い 〜 最高傑作タイムウインド Timewind・1975年4月30日Vietnam戦争終結

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シンセサイザー・ヒーロー クラウス・シュルツ
Synthesizer Hero, Klaus Schulze  Virgin時代のプロモート写真


今日の1曲
  クラウス・シュルツ Klaus Schulze
        / バイロイトの回帰 Bayreuth Return 1975年8月リリース 
  クラウス・シュルツ Klaus Schulze
       / 死の幻想1883(ワーグナーの死)Wahnfried 1883 1975年
  タンジェリン・ドリーム Tangerine Dream / Phaedra 1974年2月リリース
  タンジェリン・ドリーム Tangerine Dream
      / Mysterious Semblance at the Strand of Nightmares 1974年
  タンジェリン・ドリーム Tangerine Dream
      / Ricochet Part 2 Live Autumn 1975年


クラウス・シュルツェが74歳で死去 ドイツが生んだ電子音楽のパイオニア (msn.com)
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/music/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%81%8C74%E6%AD%B3%E3%81%A7%E6%AD%BB%E5%8E%BB-%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%8C%E7%94%9F%E3%82%93%E3%81%A0%E9%9B%BB%E5%AD%90%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E3%83%91%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2/ar-AAWFxUe

クラウス・シュルツェ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A7

 ついに十代のころの最大のヒーローの一人、Klaus Schulzeが亡くなりました。大ショックですが、世界中のファンの追悼を見て、自分だけではないとわかり、心を落ち着かせることができました。これもインターネットのおかげです。

 今回も、故人への感謝を込めてKlaus Schulzeについて振り返ってみたいと思います。
 コロナや侵攻で先が見えない中、ブログを書く気力も失っていましたが、若い頃に救われたKlaus Schulzeの音楽から、もう一度勇気と希望を得られたらと思います。


〜 1975年の出会い Tangerine Dream / Phaedra・間章
               そしてKlaus Schulze / Time Wind 〜

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Klaus Schulze / Time Wind Japan 1975
左:ロゴが銀色の帯 右:希少なオレンジ色の帯  なぜ色違いなのかは不明。
帯「さらに開かれる意識の暗黒世界! 今や、タンジェリンドリームと共に、ドイツ・エレクトリック・ミュージックを支えるクラウス・シュルツの最新盤」
Text on OBI "The dark world of consciousness that will be opened further !! The newest record of Klaus Schultze, who now supports German electric music along with Tangerine Dream"


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ワーグナーに捧ぐDedicated to Richard Wagnerと書かれたKlaus Schulze / Time Windの裏ジャケット。Wahnfried 1883 の楽譜スコアは、Tangerine DreamのAlpha Centauriの内ジャケを意識したと思われる。ドイツBrain盤はDiscographyも掲載(1stはOhr, 2ndはCosmic時代の写真が使用されている)


 ドイツロックとの最初の出会いは、1975年6月30日に購入したTangerine Dream / Phaedraでした。Music Life 1975年2月号の Phaedraの評(4つ星「聴く価値あり」)を読み、購入を決意しました。
 
 1975年8月発売のKlaus Schulze / Time WindとTangerine Dreamの傑作Ricochetが生まれた1975年は、Vietnam戦争が終結した年でもありました。

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Tangerine Dream / Phaedra1974年とRicochet1975年

 Virginレコードは、以前から輸入していたドイツのロックバンドと契約して1973年にFaust Tapesを筆頭に自らリリース。Mike Oldfield / Tubler bellsの世界的なヒットによって成功しました。
 次にTangerine Dream / Phaedraが英国チャートの20位内に入り、日本ではコロムビアレコードから発売されました。

 1975年には、UKロックの中でVirginは音楽の未来を作る新しいProgressive Rockのレーベルとして輝いていました。

Tangerine Dream / Phaedra  1973年11月録音 1974年2月英国リリース 
https://www.youtube.com/watch?v=HIQ0dd7B_FU

Tangerine Dream / Phaedraフェードラ(3CDエディション)(紙ジャケット仕様)2019
https://amzn.to/37Y8Viz

 Tangerine Dreamはそれまでに聴いていたBeatles、ELP、イエスなどのロックバンドとは違う3人のSynthesizerという形態でしたが、Phaedraはメロディーの美しさという点ではそれらと共通し、引き込まれました。

 Phaedraは音楽だけでなく、ライナーノートが33歳で夭折した間章 (Akira Aida 1946-1979) による素晴らしいものでした。「人間は人間を超えるための存在でしかない」というニーチェの言葉から始まり、ドイツロックの体系を分かりやすく詳述しています。
 
 1974年の秋に、間章はイギリスで延べ8時間にもわたるTangerine Dreamとのインタビューを行い、PhaedraのライナーでTangerine Dreamの変遷に関するEdgar Froeseの独白を掲載しています。

 「間章著作集III さらに冬へ旅立つために」の100ページ以上のドイツロックの著述の中で、Phaedraのライナーノートは漏れていますが、Tangerine Dreamに関する長文、Klaus Schulze / Time Wind、Can / Landed、FaustW、Guru Guru / Kanguruのライナー、Tubler Bells、Robert Wyattのライナーなどが掲載されています。

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「間章著作集III さらに冬へ旅立つために」(月曜社)
https://amzn.to/3LomKVU
 
 Phaedraのライナーで、間章はドイツロックを大きく3つに分類しました。
1 Can、Guru Guru、Amon Düül IIなど従来からの重要なグループ
2 Kraftwerk、Neu! Faustなどの実験的なグループ
3 Tangerine Dream、Ash Ra Tempel、Popol VuhのCosmic系のグループ
 あまたのドイツロックの中で、現在Kraut Rockと評価される分野を選別して、その中をさらに的確に分類した間章の力は本当に凄かったと思います。

<当時のレコード日記より 1975年後半の全レコード購入歴>

 当時のレコード日記を読むと、Phaedraの間章のライナーの影響で1975年後半に買った12枚中8枚がドイツロックでした。
 この頃は、買いたいレコードが溢れかえっている夢の時代でした。

6月30日 Tangerine Dream / Phaedra(国内盤) 1973年 間章ライナー
7月31日 Kraftwerk / Ralf & Florian 1973年 
     メロディー重視の3rd。アウトバーンへのかけ渡し。
     Neu! / Neu! 75 A面はメロディー重視。B面はパンクに影響。
8月   Eno / Here Come the Warm Jets 1973年1stアルバム 
       Neu! Harmoniaからの影響を公言
9月30日 Can / Soon Over Babaluma 1974年 ダモ鈴木脱退直後の作品。
10月   Klaus Schulze / Timewind(国内盤) 最高作。間章ライナー。
10月  Amon Düül II / Wolf City(国内盤)1973年。メンバー自身の最高作。
10月  Triumvirat / Spartacus(国内盤)1975年。最高作。ドイツシンフォ系
10月  PFM / Photos of Ghosts (国内盤)イタリアンロック初体験。感動。
10月  Tangerine Dream / Ricochet(国内盤) 1975年全盛期のライブ。
10月  Mike Oldfield / Tubler bells(国内盤) 1973年「エクソシスト」のサントラとして世界的ヒット
11月  Tangerine Dream / Alpha Centauri(国内盤)1971年
      ドイツSounds誌年間ベストアルバム
12月  Gentle Giant / In A Glass House(国内盤)1973年9月。
      最高作(Progarchiveの評点)
      帯の「PFMに影響」の小さい文字のライナーで購入

 このころ聴いた音楽の感動は鮮明に覚えています。振り返ればバンドの最高作と言われるものが並んでいました。一つ一つの思い出を語ればきりがありません。他方、初め落胆したけれど、徐々に良くなったアルバムもあります。

 それらの中でも、「当時行き詰まりつつあったプログレッシブ・ロック・シーンに新風を吹き込んだ」と評価され、当時の音楽の最先端にあったSynthesizerによるミニマルミュージックのパイオニアだったTangerine Dream / PhaedraとRicochet、Klaus Schulze / Time Wind、それらの転換点となった1971年のTangerine Dream / Alpha Centauriの4枚は燦然と輝いていました。

 Phaedraのライナーでは、Tangerine Dreamの発端として1968年に、Rockの形式では可能性はないと感じていたギタリストのEdgar Froeseと、Free Jazzの未来に限界を感じていたジャズドラマーのKlaus Schulzeが出会い、「新しい」「即興音楽」をつくろうと決意してTangerine Dreamの1st「Electronic Meditation」を録音し、その後に別れた経緯が書かれていました。
 そこで、Klaus Schulzeという人物に強く関心を持ちました。

 Phaedra、Ricochetは地元のレコード店で購入できましたが、Timewindは秋葉原の石丸電器で購入。すでに東芝で発売されていたTangerine Dreamの方が、Klaus Schulzeよりも知名度があったためと思われます。

石丸電器レコードセンターのブログ
http://soleluna.seesaa.net/article/465680683.html

 石丸電器レコードセンターはまさに夢の世界でした。Klaus SchulzeのタイムウィンドTimewindは、おそらく間章によると思われる帯の文章で購入を決意したのだと思います。 

 Timewindのライナーも間章でした。しかし、Phaedraと異なり、Klaus Schulzeの経歴(Tangerine Dream、Ash Ra Tempel、Cosmic Jokers、ソロ活動など)はあまり書かれていませんでした。
 その代わりに、間章による「意識体験の蟻地獄そしてカタストロフ」という難解な哲学的な文章が書かれていました。Klaus Schulzeが来日中に間章はSchulzeと(あえて)会わなかったこと、「タイムウインドを私は聴く・・・」と続きます。

 そして、Klaus SchulzeとEdgar Froeseの音楽観の違いについて、「クラウスが音楽の底と闇に向かうことによって新しく音楽を基礎づけようとするのに対し、エドガーが音楽の変容と超出に向かっていることである。」としています。

 最後に「クラウス・シュルツのこのタイムウィンドTimewindは、彼の処女作「イルリヒトIrrlicht」と並ぶ彼のまごうことのない最高傑作であり、そして危険なレコードである」と結ばれています。

 Tangerine Dream / Phaedra、Klaus Schulze / Time Windのいずれの間章の文章も素晴らしく、これほど情熱をもって真剣に書いたライナーをほとんど読んだことがありません。

 ライナーの文章は難解でしたが、ライナーのKlaus Schulzeの笑顔の写真からは何かをやりとげた充実感が感じられました。笑顔の力は大きく、ジャケットなどの「暗黒」といったイメージ、先入観を軽減してTimewindを聴きました。PhaedraのTangerine Dreamの写真も余裕のある表情でした。

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左:間章によるTangerine Dream / Phaedraのライナーの写真
右:間章によるKlaus Schulze / Time Windのライナーの写真

Klaus Schulze / バイロイトの回帰 Bayreuth Return 1975年8月発売
https://www.youtube.com/watch?v=J1vs3Xb7K0o
Timewindの1曲目(旧A面)Bayreuth Return 
聴きどころ:冒頭の0:23のKlaus Schulzeのテーマとも言える主題から7:40までのSynthesizer Rhythmに乗る美しいメロディー。
25:00の美しい旋律から最後の展開〜27:10から怒涛のラスト。衝撃的なエンディングは初めて聴く人はボリュームを下げて。

 40年以上、何か月もかけて制作したLPと思っていましたが、A面は1発録りだったとの情報を見て驚いています。

Klaus Schulze / 死の幻想1883(ワーグナーの死) Wahnfried 1883
https://www.youtube.com/watch?v=wtY7B4bSVqs&t=12s
Timewindの2曲目(旧B面) 
聴きどころ:Klaus Schulzeのテーマ1:55の主題のメロディーから12:10までの途切れない美しい旋律。26:30からの奇蹟のラスト。

 改めて聴くと、Electric Music、現代音楽というよりも美しさを追求したクラシック音楽の延長ではないかという思いを強くしました。

CD Klaus Schulze / Time Wind
https://amzn.to/3krytr5

 片面30分、両面で1時間という大作でしたが、何度も聴きとおして聴けるほど、素晴らしい作品でした。

 Klaus Schulze / Time Windは私にとっては暗黒でも闇の音楽でもありませんでした。私が惹かれたのは、人間の意識の深い部分に向かうメロディーと和声の美しさとリズム、情熱でした。

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左:UK Caroline盤 イギリスではVirgin傘下の廉価盤として発売
右:日本など諸外国ではVirginレーベルとして発売。

 最初に買ったKlaus SchulzeのレコードTimewindは、その後多くから最高作と評価され、Klaus Schulze自身もTimewindを「私にとって完全な作品だ」と述べています。

 しかし、イギリスで1975年に発売されたのはVirginではなく、その傘下のCarolineという小さなレーベルでした。Klaus Schulzeも「そのときVirginはTangerine Dreamで忙しかった」と不満を語っています。そして、ドイツではBrainから発売され、裏側のジャケットにはそれまでのKlaus Schulzeの作品が掲載されていました。そして「made in UK」という印刷が消された跡があったため、オリジナルはBrainではなくCarolineだと思います。

 イギリスではTangerine Dreamの成功の陰に隠れたTimewindでしたが、フランスではレコード業界で最も権威のある1975年のシャルル・クロス・ディスク大賞(le grand prix du disque de l'Académie Charles-Cros)を受賞。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Timewind

 フランスでドイツロックが高く評価されたのは、1972年8月にWallenstein / Mother Universeが音楽誌の月間ベストアルバムに選ばれたのが最初で、Timewindはそれ以来だと思います。ドイツでは自国での評価よりも他国での評価が重視されたので、Klaus Schulzeもフランスでの成功によって関心を持たれるようになったと述べています。

 KraftwerkのRalf Hütterは、「Electric Musicは1970年代のTangerine Dream、Klaus Schulzeから進化していない」と発言しています。1975年秋のTangerine Dreamのライブ Ricochet、Klaus Schulze / Timewindがその到達点と思います。

Tangerine Dream - Ricochet (Parte 2)
https://www.youtube.com/watch?v=XCsJOaPDJUE&t=908s

Tangerine Dream - Ricochetリコシェ(2CDエディション)(紙ジャケット仕様)
https://amzn.to/3kvzpKQ

 1975年4月30日にVietnam戦争は終結しました。今思うと、1975年8月発売のKlaus Schulze / Time WindとTangerine Dreamの傑作は、Vietnam戦争の終結に向けて戦ってきたKlaus SchulzeとEdgar Froeseの集大成だったのだと思います。
 
 Tangerine Dream / Phaedra、間章、Klaus Schulze / Time Windとの1975年の出会いは、その後の私の人生を救ってくれました。
 Klaus Schulzeは、Beatlesに比肩する私のSynthesizer Heroとなりました。
  ありがとうございました。RIP

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2022年02月28日

追悼 RIP ゲイリー・ブルッカー Gary Brooker 〜 プロコル・ハルム Procol Harum 〜 1967年 Vietnamベトナム戦争とA Whiter Shade of Pale 青い影  〜 バロック・ロック Baroque Progressive Rockの開祖

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Procol Harum / A Whiter Shade of Pale 青い影の国内盤3種と
イギリスオリジナルシングル(右下)


今日の1曲
  Procol Harum / A Whiter Shade of Pale 1967年
  Procol Harum / Salty Dog 1969年
  Nice / The Thoughts Of Emerlist Davjack 1968年
  Emerson, Lake & Palmer / Knife Edge 1970年
  Camaleonti / L'ora dell'amore (Homburg) 1968年
  Rustichelli & Bordini / Dolce sorella 1973年
  ザ・ハプニングス・フォー The Happenings Four
        / I Want Youあなたがほしい1967年
  荒井由実 / 空と海の輝きに向けて 1973年
  Ekseption / G線上のアリアAir 1969年
  Aphrodite's Child / Rain And Tears 1968年
  Beatles / The Long And Winding Road 1970年
  ミルバMilva / 私の神様 Mon Dieu 1970年
  バッハ Bach / G線上のアリア Air

 
 プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカーさんが76歳で亡くなりました。

プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカー Gary Brookerが死去 (msn.com)
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/hollywood/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%AB-%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%8C%E6%AD%BB%E5%8E%BB/ar-AAUdrF9?ocid=msedgntp

 2012年にユーミンとの東京人見記念講堂でのジョイントライブで、プロコル・ハルムを見ることができました。In 2012, I was able to see Procol Harum at a joint live with Yumin at Hitomi Memorial Hall, Tokyo.

 「青い影 A Whiter Shade of Pale」を歌う前に、ゲイリーさんはバッハ Bachの「G線上のアリア Air」を演奏し、「男が女を愛するとき When a Man Loves a Woman」を歌いました。彼は「青い影 A Whiter Shade of Pale」は、その2曲からの影響であることを明らかにしてくれました。

バッハ Bach / G線上のアリア Air
https://www.youtube.com/watch?v=mpnLM322vJU


2012年12月15日 ブログ「あしあとU」ライブレポート
〜松任谷由実&プロコル・ハルムツアー プログレ・ユーミン
Concert report of "Procol Harum & Yumin (Yumi Matsutoya)" in 2012
http://soleluna.seesaa.net/article/307778282.html

プロコル・ハルムProcol Harum - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%A0

 「青い影」A Whiter Shade of Paleは、イギリスでBeatlesを抑えて過去70年間に最も放送された曲とされました。たしか、ポールも1960年代の最高楽曲の投票という企画で「青い影」を1位にしていました。

Procol Harum / A Whiter Shade of Pale
(Extended early version - March 1967)
https://www.youtube.com/watch?v=o2Ph0hMaNfg

Procol Harum - A Whiter Shade of Pale, live in Denmark 2006
https://www.youtube.com/watch?v=St6jyEFe5WM





Beatles / The Long And Winding Road
https://www.youtube.com/watch?v=fR4HjTH_fTM
ポールが青い影から影響を受けたと思われる曲。





Procol Harum / Salty Dog, with lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=_9ZNC3GIy7I
Procol Harumで1番好きな曲。イタリアではテレビ番組のテーマソングに使用されたとのこと。





〜 「青い影」A Whiter Shade of PaleのKeith Emersonへの影響 〜

 1967年にバロック・クラシックとロックを融合させたのは、BeatlesのYesterdayに次ぐ偉業と言えます。バロック・ロック Baroque Progressive Rockは、1970年代前半のProgressive Rockの完全な礎になったといえます。

 ギターではなくキーボード、しかもバロック的なオルガンがリードをとるというのは革命的です。これもKing CrimsonのEpitaphのようにベトナム戦争の影響から生まれたのではないかと思います。

 PROCOL HARUM の専属作詞家Keith Reidの父はホロコーストの生き残りで、その作詞の内容には家族のことが反映されていました。Keith Reidは寡黙で、彼とコミュニケーションが取れたのはGary Brookerだけだったそうです。

ベトナム戦争とKeith Reidの映像が出てくる青い影A Whiter Shade Of Paleの最初のOfficial Promo film
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PROCOL HARUM - A Whiter Shade Of Pale - promo film #1 Official Video
https://www.youtube.com/watch?v=z0vCwGUZe1I


 青い影 A Whiter Shade of Paleは1967年5月1日に発売。
 Keith Emersonは、Nice / The Thoughts Of Emerlist Davjackを秋に録音し、1968年3月1日に発売しました。

Nice / The Thoughts Of Emerlist Davjack (2009 Digital Remaster)
https://www.youtube.com/watch?v=PAEc-_xflg4
Keith Emerson 作曲の数少ないポップソング。
2:51から青い影の影響を受けた教会オルガン。Keith Emersonはベトナム戦争への怒りからオルガンにナイフを突き刺した。

 ELPでは、Keith EmersonはKnife Edgeでバッハ Bachのフランス組曲 French Suitesを取り入れています。

Emerson, Lake & Palmer / Knife-Edge
https://www.youtube.com/watch?v=XwIehM-x6kA
3:21からフランス組曲 French Suites

 後にKeith Emersonは「青い影」をカバーしています。

Keith Emerson - A Whiter Shade of Pale
https://www.youtube.com/watch?v=KbmunVZnPBw





〜 青い影 A Whiter Shade of Paleのイタリアその他への影響 〜


イタリアの1967年〜1968年のヒットチャート。「青い影 A Whiter Shade of Pale」に続いて、Camaleonti / L'ora dell'amore (Homburg) 、
Aphrodite's Child / Rain And Tearsなどバロック・ロックが1位に。
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 多くのヨーロッパ諸国で「青い影 A Whiter Shade of Pale」が大ヒットし、イタリアでもプロコル・ハルムの「青い影」が1位となるとともに、Dik Dikがカバー(Senza Luce)して3位になるヒット。1968年にはCamaleontiのHomburgのカバーL'ora dell'amoreが1位となりました。ユーミンもHomburgが好きだと言っていました。

Camaleonti / L'ora dell'amore (Homburg)
https://www.youtube.com/watch?v=V56JL0qw-po




 
 Gian Piero Reverberi編曲による「G線上のアリア Air」的なイントロを持つMilvaの1970年のMon Dieuも、「青い影 A Whiter Shade of Pale」からの影響を受けたと思われます。Classicの伝統が最も長いイタリアでは、1960年代までPopsとの線引きが深く、Italian Popsで正面からClassicとPopsを融合させたのは1970年のこの曲が初めてと思われます。

ミルバ Milva canta Edith Piaf - 私の神様 Mon Dieu 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=Nfht1u5iMsA





 イタリアでは、Arti e MestieriのBeppe Crovella、Rustichelli & BordiniのPaolo Rustichell、CamaleontiのToninoなどがGaryへの追悼を述べています。

Rustichelli & Bordini / Dolce sorella
https://www.youtube.com/watch?v=PFPyVzIZllw&list=PLfDwguzcFdgHQYsSX_TGprLzD3v6tq64h&index=3
1973 年の名盤Opera primaより。青い影の影響を感じさせる佳曲。
Paolo RustichellはProcol Harumが1967年にバロックとロックを融合させたことは重要だったと述べ、最近「青い影」をカバーしている。





 ギリシャからは、青い影 A Whiter Shade of Paleからの影響を受けたVangelis作曲のBaroque Progressive Rock 歌曲のAphrodite's Child / Rain And Tearsがフランスなどで1位になる大ヒット。

Aphrodite's Child / Rain And Tears 1968年
https://www.youtube.com/watch?v=YQyxCL1uMlU





 オランダでは、後にPFMなどに影響を与えるEkseptionのG線上のアリア Airがオランダ本国で1位になる大ヒット。

Ekseption / G線上のアリアAir
https://www.youtube.com/watch?v=ELXyePbZ-Xw





 日本では、ハプニングス・フォー The Happenings Fourが「青い影 A Whiter Shade of Pale」からの強い影響で、1967年に「あなたがほしい」でデビューしました。アラン・メリル Alan Merrill (Arrows, writer of "I Love Rock 'n' Roll")も、全曲オリジナルの1st LPで1曲だけ「あなたがほしい」をカバーしています。

ザ・ハプニングス・フォー The Happenings Four / I Want Youあなたがほしい
https://www.youtube.com/watch?v=hIQd3dX6dVA
Japanese 1st Progressive Band featured Keyboards in 1967-1972

ハプニングス・フォー The Happenings Four
/ 青い影 A Whiter Shade of Pale
https://www.youtube.com/watch?v=-Dtp4Ve_A7o
1970年代に「青い影」を録音しています。





 ユーミンは、プロコル・ハルムからの影響を公言し、Garyに直接手紙を書いて、日本でのジョイント公演を実現させました。

荒井由実 / ひこうき雲
https://www.youtube.com/watch?v=6QXYKG1lguc
プロコル・ハルムとのジョイントライブではGaryが英語詞をつけて共演。

松任谷由実 / 空と海の輝きに向けて
https://www.youtube.com/watch?v=W2-NtRcd6RA
10代のときに最初に作った曲とのこと。





 Gary Brookerさんの作った音楽だけでなく、青い影 A Whiter Shade of Paleのバロック・ロック Baroque Progressive Rockへの影響で生まれたたくさんの音楽に救われてきました。
 ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。RIP


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2022年01月22日

謹賀新年2022年 ・ Italian Progressive RockのUS盤特集 4/4 〜  音楽の力・イタリア発の英語ロック最高峰                 その2 Maxophone “マクソフォーン“ 

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Maxophone 左:イタリア原盤 右:US PA-USA盤 いずれも1975年
レーベルの色彩だけで音の印象が変わる好例
本国、米国でも期待されながら、発売の遅れで成功を逃した不運の名盤

今日の1曲
  Maxophone(in Italiano)全曲 1975年
  Maxophone(in English)全曲 1975年
  Maxophone(in English)/ I Heard A Butterfly 1975年
  Maxophone (in Italiano)
       / Al mancato compleanno di una farfalla 1975年
  Gentle Giant / Way of Life 1973年
  Maxophone / La Fabbrica Delle Nuvole 2017年
  Alunni del Sole / Io e te 1976年
  Maxophone / L'isola (2013年 来日 Live)
  Premiata Forneria Marconi / River Of Life 1973年
  Maxophone / Il Fischio Del Vapore 1977年
  Alunni Del Sole / Pagliaccio 1975年


〜 Maxophone マクソフォーン 〜


 今回は、Acqua Fragileに続いて、US盤のItalian Progressive Rockの特集の4回目です。Maxophoneの1975年1stアルバムは、イタリア盤の直後に、英語圏をターゲットにUS盤が発売されました。

Maxophone(in English)/ I Heard A Butterfly
https://www.youtube.com/watch?v=uSCe7T9hOho
前半部分は、プログレファンのためのみならず、メロディーを愛する全ての音楽ファンに聴いてもらいたい1曲。普段音楽に興味を示さない母でさえ感動していた。

Maxophone マクソフォーネ 日本語版 wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%8D

 Maxophoneの発音は、日本では昔からイタリア語的に「マクソフォーネ makso fo-ne」で通っていますが、2013年の来日公演でメンバーが英語的に「マクソフォーン makso fo-n」と自己紹介しました。

 そこで、Maxophoneが初めから英語圏進出を目指していたことがわかりました。バンド名もBeatlesがBeatとBeetleをかけあわせたように、このバンドが管楽器を特徴とすることから、MaxとSaxophoneをかけあわせたのではないかと思います。

 管楽器を使用するという点においても、MaxophoneはGentle Giantからの影響が非常に強いと思います。

Gentle Giant / Way of Life (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=uL-dhJjBDl8&list=PLA35B3CAC4A5FF4DA&index=3
"2:25〜3:53"と5:22以降の部分が、Maxophoneのようなホーンの美しいパート。
最高傑作" In a Glass House"("Progarchives"のサイトでも同バンド中で最高得点 http://www.progarchives.com/artist.asp?id=118
A面の最後の曲。





2013年来日時のMaxophoneのサイン
P1630403.JPG

 Maxophoneの来日レポートについては、よろしければ以下のブログをご覧ください。

あしあとU LE ORME(レ・オルメ)U 
”蝶の歌” - ”マクソフォーネ Maxophone Live in Japan - イタリアン・プログレッシブ・ロック・フェスティバル最終章1"
http://soleluna.seesaa.net/article/357545741.html

 なお、同日のライブでMuseo Rosenbachもイタリア的な発音の「ムセオ・ローゼンバッハ ( museo ro-senba'ha)」ではなく「ムゼオ・ローゼンバック (muzeo ro-senba'k)」と名乗りました。そのため、ドイツからの影響を感じました。

 Maxophoneの1stアルバムも、Acqua Fragile / Mass Media Starsと同様に、全曲がどこを切っても素晴らしいメロディーが出てくる傑作でした。

 Maxophoneをイタリアで発売したProduttori Associatiは、1969年に発足しました。Fabrizio De Andrè、Gli Alunni Del Soleなどが所属していましたが、経営状況が悪く1977年に解散し、Maxophoneも解散しました。当時のAlunni del Soleは、I Pooh、Le Ormeの次点位に売れていたバンドだったので残念です。Alunni del Soleは、Ricordiに移籍しました。

 Alunni del Sole の1976年の”Le Maschere Infuocate”は、最もシンフォニックで全曲とも良曲が揃い、サックスも入っています。それらの点で、1975年のMaxophoneの音楽性から影響を受けたと思われます。再発が望まれる隠れた名盤です。

Alunni del Sole / Io e te (1976)
https://www.youtube.com/watch?v=A06EVFQW1SU
Le Maschere Infuocate(イタリアLPチャート最高位15位)より。サックスをボーカルのように効果的に使用。

 逆に、Maxophoneも同じレーベルのAlunni del Soleの抒情性から影響を受けたと思われます。リーダーのPaolo Morelliは本来はプログレ志向で、Morelliの死後、Alunni del SoleにはMetamorfosi出身のキーボードとL'uovo di Colombo出身のドラムスが加入しています。

Alunni Del Sole / Pagliaccio 1975
https://www.youtube.com/watch?v=BKR5JarFsQo
”Le Maschere Infuocate”のA面の1曲目でシングルチャート7位。” I Heard A Butterfly”に通じるマイナー調の美しいメロディー。もしPFMのようにI Heard A Butterflyのイタリア語、英語のシングルがあれば、Maxophoneの音楽ももっと多くの人々に伝わったのではないか。




 Maxophoneの1stは1973年には素材があったものの、会社の経営問題で発売できませんでした。もし1974年初頭ぐらいまでに英米で英語盤が発売されていたら、PFMのように評価されたのではと想像します。

 Maxophoneのバンド名もPFMやYMOのように英語圏で受け入れやすいです。これに対してBancoやLe Ormeは英国でリリースできたものの、イタリア語のバンド名のために損をしたと思います。

 ただ、PFMの”Photos of Ghosts - 幻の映像”も1973年のレディング・フェス出場で評価され、年内にELPのManticoreレーベルの第1回として発売されました。そのため、PFMだけがプログレ・ブームにぎりぎりで間に合ったとも言えます。それによって世界にイタリアンロックの存在が伝わったのは幸運でした。

Premiata Forneria Marconi / River Of Life 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=vwxKGG7MBCU
この曲がなければ、一生Italian Progと出会うことはなかった。


音楽誌「 Music Life1973年11月号」で月間最優秀アルバム(5つ星)



 Maxophoneは音楽的内容が高度かつInternationalでした。英語盤CDの英文解説にもリリース時期を逸した不運のバンドだと強調されています。

 1976年にMaxophoneはモントレー・ジャズ・フェスティヴァルに出演し、6人のメンバー中3人がクラシック音楽院生でした。その点でも、PFM、Bancoに匹敵・凌駕するほどの彼らの演奏水準の高さを証明しています。

 私がMaxophoneの米国盤を入手できたのは、Acqua Fragileより少し前の1978年後半から1979年ごろでした。
 Maxophoneの内容が高いため、Produttori Associatiのスタッフは、米国の子会社PA-USAから英語盤を出すことに決定しました。

 幸運にも私はそのUS盤レコードを安価で入手することができました。

 A面の1曲目 "Life Can Be Like Music"の構成はPFMの”River of Life”を意識しているようですが、ピアノの冒頭から美しく、PFMとは別の個性がありました。また、River of Lifeに通じる"Life Can Be Like Music"というポジティブな詞も魅力的でした。 

 私にとって1970年代後半は国内盤レコード店に買うものがなくなった音楽の不毛の時代でした。それだけに、Maxophoneは”Acqua Fragile / Mass Media Stars”と同様に私に「音楽の力」を与えてくれるUS輸入レコードとなりました。

 1974年の”Uno”の英語盤のように、1976年にMaxophoneの英語盤がドイツで出ましたが、”Uno”と同様にイギリス盤は出ませんでした。
 1975年のMaxophoneのイタリア語盤は日本では幻の存在でした。

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幻の初回ワッペンが貼られたMaxophoneのイタリア盤。

 PA-USAのスタッフは、イタリア語を英語にするだけでなく、米国に向けて曲順を変更するという作業を行いました。
 LPを買ってから43年目にして初めて、イタリア盤とUS盤の曲順を比較検証しました。


〜 Maxophone イタリア盤 Produttori Associati PA-LP 57 〜

Maxophone - Maxophone (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=C5jscB5OWgg&t=2526s
7曲目にボーナストラックとして名曲Il Fischio Del Vapore (1977)も収録。

A1 C'È Un Paese Al Mondo
A2 Fase
A3 Al Mancato Compleanno Di Una Farfalla

B1 Elzeviro
B2 Mercanti Di Pazzie
B3 Antiche Conclusioni Negre





〜 Maxophone (マクソフォーン) PA USA – PR 7002 
(イタリア盤との対比)〜

MAXOPHONE 1975 (English version)
https://www.youtube.com/watch?v=IpRSoCtVnfQ&t=881s

A1 Life Can Be Like Music = イタリア盤のA1 C'È Un Paese Al Mondo
A2 Six Against One = B1 Elzeviro
A3 When We Were Young = B2 Mercanti Di Pazzie

B1 Fase = A2 Fase
B2 I Heard A Butterfly = A3 Al Mancato Compleanno Di Una Farfalla
B3 Live Together Or Die = B3 Antiche Conclusioni Negre

Maxophoneの英語盤のクレジット
℗ 1975 Pausa Records Inc., Los Angeles, California
Recorded at Ricordi Studio in Milan (Italy), February, March and April '75

 サウンドについては、同じ音源を使いながらイタリア盤とUS盤ではミックスが違っています。Le Ormeのイタリア盤のFelona e Soronaとイギリス盤のFelona & Soronaも同じ音源でミックスが変えられています。

 ベトナム戦争が泥沼化した1973年のLe Ormeのイギリス盤は、特に最終曲など末期的でダークな音になっています。
 これに対して、ベトナム戦争が終結した1975年のMaxophoneのUS盤は明るい音になっています。しかし、時代は大衆向けの単純な音を求めるようになり、複雑な思考を求めるプログレは受け入れられなくなっていました。

左:US盤の内ジャケの右側 右:イタリア盤の内ジャケの右側
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 今回、内ジャケが違うこともわかりました。イタリア盤にあったメンバーの子供らしき写真2枚がアメリカ盤では外され、写真の位置も違っていました。色も薄緑から明るい青に変えていました。細かい配慮があったことを発見しました。 

 また、曲順を比較して最初のA1と最後のB3の曲は同じであること、イタリア盤のA2+A3がUS盤のB1+B2に移り、イタリア盤のB1+B2がUS盤のA2+A3に移ったことがわかりました。

 私は、MaxophoneではI Heard A Butterfly の前半の部分が一番好きです。2005年にリリースされたCD+DVD「Maxophone ‎– From Cocoon To Butterfly」によって、Maxophone自身もI Heard A Butterflyがバンドの代表曲であることを公認したと言えます。

 そこで、US盤の曲順については、I Heard A Butterflyを、イタリア盤のA面の締めくくりのA3という位置から、US盤ではB面の最後の前のB2に移したことも大きなポイントだと思います。

Maxophone / Al mancato compleanno di una farfalla
https://www.youtube.com/watch?v=4w-Zu7FW6Jo
I Heard A Butterflyのイタリア語の原曲




 Maxophoneの2013年の来日の際にLPにサインをもらいました。Alberto Ravasiniに「昔から I heard a butterflyが好きです」と話すこともできました。「新曲 ( L'isola ) はどうですか?」と尋ねられました。L'isola は1975年の情熱が続いていることを証明する美しい名曲です。

Maxophone / L'isola (2013年 来日Live)
https://www.youtube.com/watch?v=8SNH8cSoMPo

2017年の10インチ盤シングル



Maxophone - Live in Tokyo in 2013 [full album]
https://www.youtube.com/watch?v=qjNAzHzaFeE&t=1912s


2013年来日公演ライブ イタリア盤とジャケが違う国内盤



 そして2017年にMaxophoneは、1975年から42年を経てすべて新曲のLa Fabbrica Delle Nuvoleを発表。
 各国のProgサイト、専門誌で高い評価を受けました。

 その翌2018年に作曲の中核を担ったSergio Lattuadaは亡くなり、1977年に解散し2008年に復活したMaxophoneは再び解散を宣言しました。
 素晴らしい音楽をありがとうございました。RIP Sergio Lattuada

Maxophone / La Fabbrica Delle Nuvole
https://www.youtube.com/watch?v=In4yK86NRyk





 MaxophoneのUS盤を1978年に入手しなければ、1987年に日本盤が出るまでMaxophoneに出会えませんでした。PA-USAに感謝するとともに、Maxophoneの英語盤がもっと多くの人に聴かれることを願っています。

MAXOPHONE 1975 (English version)
https://www.youtube.com/watch?v=IpRSoCtVnfQ&t=881s




 
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2022年01月16日

謹賀新年2022年 ・ Italian Progressive RockのUS盤特集 3/4 〜  音楽の力・「GREAT ROCK FROM ITALY」イタリア発の英語ロック最高峰   その1 Acqua Fragile / Mass Media Stars 

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左:「GREAT ROCK FROM ITALY」のシールが貼られたジャケット
Acqua Fragile / Mass Media Stars 1976年米国Import Records盤


今日の1曲
  Acqua Fragile / Mass Media Stars 全曲 1974年
 Acqua Fragile / Coffee Song(3:00からラスト迄)1974年
 PFM / Via Lumiere(Have your cake and bit it)1974年
       (4:36からラストまで)
 Il Volo / Alcune Scene 1975年
 Acqua Fragile / A New Chant 2017年
 Gentle Giant / The Runaway 1973年 
  Yes / Roundabout 1971年 

 Italian Progressive RockのUS盤特集として、1974年の英語詞のLP「Acqua Fragile / Mass Media Stars」の1976年US盤と、1975年にイタリアと同時発売されたMaxophone英語盤の2枚のUS盤を紹介したいと思います。

 これらに対し、PFM(Pete Sinfield英語詞)やBancoは、イタリア語盤を英米向けに英語にして編集したものでした。また、Uno、Ibis / Sun Supreme等は優れた英語盤でありながら英米ではリリースできませんでした。

 「Acqua Fragile / Mass Media Stars」「Maxophone」の2枚は1970年代末、聴きたい音楽が国内レコード店から消えた不毛の時代に「音楽の力」を与えてくれた希望の米国盤でした。いずれも無尽蔵の良質のメロディーの宝庫です。

 今回はその1枚目「Acqua Fragile / Mass Media Stars」です。

Italian Progの権威Progressivamenteからの再発



 Acqua Fragileの2ndアルバムMass Media Starsは、PFMと、PFMのProducerのClaudio Fabiのプロデュースによるもので、多くのイタリア実力派バンドが世界進出を目論んだ1974年において、PFMに対抗してFormula3をFormula6として発展させたIl Voloと同格の強力なプロジェクトだったと思います。

Il Volo - Alcune Scene (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=2KreTdiTjcA&list=PLn6IUYFGu6PLdjVh_2jIe9nphh3AoZRkA&index=4
世界最高レベルだった演奏力。

 なぜIl Voloのような世界レベルの演奏力のバンドが、英語盤を出さなかったのか不思議です。Il Voloのジャケットの男女の眼球には地球が描かれていました。今成功しているオペラトリオのIl Voloのように、少なくとも曲名などを英語表記にすればもっと世界に伝わったのではないかと思います。

 かつて1972年のNMMのインタビューで、村八分が「日本におれたちの演奏を聴けるやつはいない。だからイギリスに行くんや」と言ったのに対し、「彼らは日本においてこそ世界を制覇できるのではないか」という反対意見があったのを、1974年のIl Voloがイタリア語にこだわったことと重ねて想起しました。
 




 Mass Media StarsはItalian Progの中で、一般に高く評価されていません。
 しかし、このアメリカ盤を1978年に買ったとき、表側に「GREAT ROCK FROM ITALY」というシールが貼られていました。米国人が、自社のレコードとはいえ、ここまで他国のレコードを賞賛したケースは見たことがありません。

 実際にLPを初めて聴いたとき、6曲すべてに捨て曲がなく美しいメロディーとリフを持った大傑作だと思いました。それまでに聴いたイギリスのGentle Giant / In a Glass House, Yes / Fragileなどに匹敵するものでした。

Gentle Giant / The Runaway 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=tcX2DqdDxI0
美しいメロディーのリフ、インスト、コーラスなどをモザイクのように繋いでいく。Yes, Gentle GiantがItalian Progに与えた影響の大きさは多くのバンドが証言している。日本では販売が期待できなかったのか、ギミックジャケットの省略のみならず、帯の裏に解説文が印刷されていたのが印象に残っている。





 Acqua Fragileというグループ名からYes / Fragileからの影響を強く感じますが、それにとどまらないイタリアのメロディーの美的感性、CSN&Yなど米国音楽からの影響によるコーラスワークなどが融合した独自の音楽性が際立っています。

Yes / Roundabout 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=DwPWGUhEtP0&list=PLV03smJEQ9Mf-hUnMSuOKKie13cq23V6I
Rick Wakemanの加入によりキーボード・シンフォニックが鮮明になった。




 当時のアメリカでもCarpenters以外にこれほどメロディーが豊潤なLPはないと思います。
 意外だったのは、全曲を作曲したのがよくProgバンドでみられるキーボード奏者ではなく、DrummerのPiero Canaveraだったことです。Piero Canaveraが幼少時にクラシックピアノと理論を学び、Beatles体験でドラムスからロックに入ったことも、Acqua Fragileの強さの秘密だと思います。日本ではXのYoshikiがそのような経緯をたどっています。
 
 アメリカに長く住み、英語が堪能だったBernado Lanzettiが全曲を作詞し、ボーカルをとっています。1974年にItalian Progの先駆者THE TRIPのkeyboardist、 Joe Vescoviが参加していることからもイタリアでAcqua Fragileが高く評価されていたことがわかります。

Joe Vescovi(手前)
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 メロトロンのサイトPlanet Mellotronでも、Acqua Fragile (Italy, progressive) / Mass Media Stars (1974) は高いREVIEW (作品価値****/メロトロン使用度TTT ・各5段階評価)がついています。

 日本でAcqua Fragileが初めて紹介されたのは1974年3月のPFM「甦る世界」の解説文だと思います。1975年10月にも雑誌のイタリアンロック特集で「PFMが発見したバンドで、1973年1月(正確には6月)にアルバムを出した」と紹介されています。


1973年のNumero Unoからの1stアルバム



 日本でAcqua Fragileのレコードがやっと陽の目を見たのは1980年、Ricordiの第1回再発としてBanco / 3rdとともにMass Media Starsが出たときでした。
 
 それだけに1978年にMass Media Starsを米国盤で聴けたときは感動しました。1975年にNeu!75、Eno/ 1stの米国盤を買いましたが、米国盤があれほど輝いて見えたのはMass Media Starsが初めてでした。

 Mass Media Starsのように全曲がよい当時のLPでは, Beatles / Revolver, Riccardo Cocciante / Concerto per Margherita, Tony Kosinec / Bad Girl Songs、日本だと加橋かつみ /パリ1969、山口冨士夫 / ひまつぶし、久保田早紀 / 夢がたりなどが印象に残っています。

 Acqua Fragileが、なぜPFMとClaudio Fabiのプロデュースのまま、RCA傘下のNumero UnoからRicordiに移籍したのか、いまだに不思議です。
 しかし、その移籍にあたって、Acqua Fragileの目指す先がイタリア国内から英米・海外に変更されたことは明らかでしょう。


アナログLPの再発



〜 Acqua Fragile / Mass Media Stars 1974 全曲 〜


 改めて、Mass Media Starsは6曲とも奇跡のようなメロディーの宝庫と思います。Mass Media Starsに含まれているメロディーを分解して素材にすれば、良質のアルバムでも3~5枚、凡百なLPならば10枚以上の作品が作れるように思います。


A1 Acqua Fragile - Cosmic mind affair
   https://www.youtube.com/watch?v=L0kh5Zp3pzY&list=OLAK5uy_kYXMYZ6NyM6tOfv4AToFZ5wuKlGzIv2yE
    ここからすべての曲が試聴可。
1:08メロトロン。3:00〜、5:20〜、次々とメロディーの洪水。
   1曲で2曲分が詰まっている。
A2 Bar Gazing
  https://www.youtube.com/watch?v=xlw2KnZQmKg&list=OLAK5uy_kYXMYZ6NyM6tOfv4AToFZ5wuKlGzIv2yE&index=2
  美しいアコギのイントロ。3:00〜メロトロンと泣きのギター 
A3 Mass Media Stars
  https://www.youtube.com/watch?v=JbLOtJqvC84&list=OLAK5uy_kYXMYZ6NyM6tOfv4AToFZ5wuKlGzIv2yE&index=3 
  Guru GuruのDance of the Flamesのようなイントロから
  1:05で一気に主題へ。2:25〜メロトロン
B1 Opening Act
  https://www.youtube.com/watch?v=nXICAOZGUMg&list=OLAK5uy_kYXMYZ6NyM6tOfv4AToFZ5wuKlGzIv2yE&index=4
  山下達郎も真っ青のアカペラから軽快に桃源郷へ
B2 Professor
   https://www.youtube.com/watch?v=Zk91madZqVQ&list=OLAK5uy_kYXMYZ6NyM6tOfv4AToFZ5wuKlGzIv2yE&index=5
  B面の2曲目に至っても冒頭から黄金のリフの連発。
  0:53〜1:42〜1:48〜、1曲に2〜3曲分入っている密度。
B3  Coffee Song
  https://www.youtube.com/watch?v=3DJnSu-QmBw&list=OLAK5uy_kYXMYZ6NyM6tOfv4AToFZ5wuKlGzIv2yE&index=6
Coffee Songの3:00からラストまでがAcqua Fragileの美の頂点。

 Acqua Fragile のメロディーの美の頂点は、Mass Media Starsの最後のB3-Coffee Songの3:00からラストの部分だと思います。
 
 このメロディーの美しさは、PFMのSymphonic Progとしての最後の輝きであるVia Lumiereの4:36からラストの部分と双璧をなすと思います。


英米のバンドを含め、世界のロック・ポップスの歴史的傑作



PFM - Via Lumiere(英米盤タイトルHave your cake and bit it)
https://www.youtube.com/watch?v=AmXL5b4Wd-Y
4:36からラストまでがSymphonic ProgとしてのPFMの最後の輝き。
日本盤LP「甦る世界」で唯一、聴き返した部分。


中央が山の模型を作れるようになっていたギミック・ジャケット



 そしてAcqua Fragile は、2017年にPiero Canavera、Bernado Lanzetti の黄金コンビが中心になりNew Album「A New Chant」を発表しました。1974年のAcqua Fragileの情熱が続いていることを証明した感動的なアルバムです。

1973年の1stアルバム(左)を継承した2017年のNew Album(右)
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Acqua Fragile / A New Chant
https://www.youtube.com/watch?v=cES7rZXSGpg
クラシックからの影響を受けた素晴らしいメロディー、美しいコーラス、アコースティックのつづれ織りとエレクトリックギターの情熱。まさに1974年の再現。





 改めて、Acqua Fragile / Mass Media Starsはもっと評価され、聴かれるべきアルバムだと思います。
 不毛な時代だった1978年に音楽の力を届けてくれたアメリカのImport Recordsに感謝します。


左:1stのイタリア製カセット 右:2ndのアメリカ製8トラック
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2022年01月08日

謹賀新年2022年 ・ Italian Progressive RockのUS盤特集 2/4 〜    音楽の夢・New York Peters Internationalレコード

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左:PFM 1976年イタリアBest盤 右:PFM 1976年 US Peters Best盤


今日の1曲
 PFM / Per Un Amico 1973年
 Osanna / There Will Be Time 1972年
 Uno / Right Place 1974年
 RDM / Lost myself today 1974年
 RDM / Bach lives 1974年
 Socrates with Vangelis
       / Every Dream Comes To An End 1976年
 Walpurgis / Queen Of Saba 1972年
 IL VOLO - Come Una Zanzara 1974年
 PFM / Grazie Davvero 1972年


 今回は新年特集2回目として、Italian Progressive Rockの魅力を独自の編集によって打ち出したUS盤 Peters International レコードの特集です。
 前回のLe Ormeのベスト盤もPetersでした。

 知る限りの「Italian Prog US盤」を列挙すると以下のようになります。
  
- 1970's Italian Progressive Rock Made in USA -

1973年 Battisti / Best (Peters)、PFM / Photos of Ghosts
     Osanna / Milano Calibro 9 (Peters)
     I Pooh + I Camaleonti + Profetiのコンピ (Peters)
1974年 PFM / Cook, The World Became The World
     Perigeo / Genealogia
     Osanna / Landscape Of Life (Peters)
1975年 RDM / Contamination (Peters)
     Banco
     Le Orme / Beyond Leng
     PFM / Chocolate Kings
1976年 Libra, Nova / Vimana
1977年 Nova / Wings Of Love, PFM / Jet Lag
1978年 Nova / Sun City USとカナダ盤のみ

 Battisti , I Poohコンピ、Osanna2枚, RDM, Le Ormeの6枚がPeters Internationalです。

 やはりPFMとOsanna一派にInternationalな実力があったことが感じられます。Corrado Rusticiは、Osanna系のCervello(1973年当時16歳)と Novaの出身で、後に世界的に活躍します。

 US盤は昔からよい印象がありません。歌詞カードがない、ジャケはコーティングがなく段ボール風で臭い、盤も反りやスレが多くある、などの理由です。
 US盤は聴くための消耗品という感じがしました。

 しかし、Blue Notet等ジャズのLPは素晴らしく、音もJames BrownのCold Sweatを国内盤と聴き比べて驚きました。US盤はノイズは多いが突き抜けるような快晴で、国内盤はジャケも良くノイズはないのですが音自体は曇天でした。

 そして、Peters Internationalは、US盤の中でItalian Progressive Rockを運んでくれる際立ったレーベルでした。
 また、Peters経由のイタリア輸入盤のPetersのシールは夢のマークでした。

Peters International, Inc. があった場所の地図
619 West, 54th Street New York, N.Y. 10019
https://www.bing.com/maps?q=Peters+International%2c+Inc.+619+West%2c+54th+Street+New+York%2c+N.Y.+10019&FORM=HDRSC4

 前回のLe Ormeに続いてPetersのLPをみていきます。

〜 PFM 1976年 イタリア・ベスト盤とUS・Peters盤 〜

 PFMのUSベスト盤は、1976年のイタリアNumero Unoの廉価ベスト盤Prime Impressioniの曲順を変えたものです。BeatlesのYesterday & TodayのようにCoordinatorの感性が興味深いところです。

 Petersが1976年にイタリア語盤を出したのもイタリア系移民の要望からでしょう。日本では1987年にやっとイタリア語の1st、2ndが発売されたことは、英語版の「幻の映像」のインパクトがそれだけ強かったからかと思います。

−イタリアNumero Uno のベスト盤Prime Impressioniの曲順 −

A1 Impressioni Di Settembre
A2 È Festa
A3 Dove...Quando...(Parte II)
A4 La Carrozza Di Hans

B1 Per Un Amico
B2 Generale
B3 Il Banchetto

 イタリア盤はベスト盤の性格が強く、A面の4曲は1972年に2週間1位になった1stアルバムから。最も有名なImpressioni Di Settembre、 È Festaを冒頭に並べています。B面の3曲は最高位3位になった2ndアルバムからで、緩急緩の流れが素晴らしいです。

– The Award-Winning Marconi Bakery US・Peters編集盤 ‎の曲順 −

A1 Generale 4:14
A2 Impressioni Di Settembre 4:17
A3 Per Un Amico 5:20

B1 È Festa 2:46
B2 Dove... Quando... (Part II) 5:44
B3 La Carrozza Di Hans 5:41
B4 Il Banchetto 8:34

 US盤は、PFMの意味をThe Award-Winning Marconi Bakeryと表記。
 冒頭のA1にGenerale、B1にÈ Festaとアメリカ市場向けにインパクトの強い曲を置き、A面の3曲の流れは素晴らしいです。

PFM / Per Un Amico
https://www.youtube.com/watch?v=gDWKIgopUSI
A面を締めくくるラストのベース進行が素晴らしい。

PFM / Grazie Davvero
https://www.youtube.com/watch?v=rhLikNNgQDw
5:14からラストまでがStoria Di Un Minutoで唯一聴く部分




 Osannaの2ndと4thの2枚のPeters盤が出た理由は、2ndがThere will be timeの1曲だけが英語の歌で他はインストであること、4thも英語曲が多いためだからでしょう。

Osanna / There Will Be Time
https://www.youtube.com/watch?v=dM5c5Vmed98





 しかし、Osannaよりも、「狂気」のLiza Strikeも参加し最初から英米進出を目指してイギリスで録音したUnoの英語盤こそアメリカで出すべきだったと思います。
 イタリア以外で発売されたドイツ・フランスよりも、ヒプノシスの名作DiffジャケットともにUnoは英米でこそ真価が問われるべきだったのであり、CaravanのCunning Stantsのような評価は得られたと思います。

Uno - Right Place (1974)
https://www.youtube.com/watch?v=4TSh2X6bM9I&list=PLn6IUYFGu6PJzXjqO7muvREpv58yHNu5Y
Unoは全曲が素晴らしい。





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左:RDM / Contamination 1975年イタリア盤 右:1975年 US Peters盤

 RDM とBacalovによる傑作 Contaminazioneは1973年にイタリア語RCA盤、1974年にイタリアより先にドイツで英語盤Contamination、1975年にイタリアRCAとUS・Petersで英語盤が出ています。
 US盤は、表ジャケットのRDMが青地で強調されて素晴らしいです。


- ドイツ盤(1974)・イタリア盤(1975) Contamination曲目 -

 イタリア盤Contaminazione(1973)の順に英語タイトルがついています。

A1 Absent Minded
A2 Orphan Me
A3 Johann's Rock
A4 Another Name Am I
A5 Crazy Baby
A6 Lost Myself Today

B1 Johann
B2 Scotched
B3 I Can Fly
B4 Contamination
B5 Isolation Ward
B6 For The Love Of Anna
B7 Bach Lives

- US・Peters盤(1975) Contamination曲目 -

 US・Peters盤は、ドイツ盤・イタリア盤の曲をさらに独自に組曲形式に編集しており、Le Orme / Beyond Leng, PFMのベスト盤のようなアメリカ人のCoordinatorの熱意が感じられます。
  
A1 Including (8:10)
 A Absent Mind
 B Orphan Me
 C Johann's Rock
A2 Another Name Am I 4:14
A3 Including (6:16)
 A Crazy Baby
 B Lost Myself Today

B1 Including (4:30)
 A Johann
 B Scotched
 C I Can Fly
B2 Contamination 3:19
B3 Isolation Ward 4:01
B4 Including (6:03)
 A For The Love Of Anna
 B Bach Lives

  最初に入手したのが英語のイタリア盤Contaminationでした。「RDM」のロゴと「PFM」への対抗心に痺れ、内容もPFM / 幻の映像に匹敵するものでした。英語盤CDがないのが不思議です。特に名曲La mia musicaの英語版Lost Myself Todayは韻も美しく、心に深く刻み込まれています。

 英語盤では、最後のインストGrande Fugaの曲名が「Bach Lives」と変更されており、それだけでアルバム全体の印象が大きく変わってきます。
 全盛期のYes、Genesisに比肩しうる素晴らしい作品Contaminationが英米で認知されていないのは本当に残念です。

RDM / Bach Lives (Grande Fuga) 1974年
https://www.youtube.com/watch?v=Gj8nrGiY2mI&list=PLoguKkStf_K6yD_aaP9VD58_Du32pshYL





 IL VOLOのイタリア輸入盤もPetersを通して日本に入ってきたことがありました。Peters Internationalレコードは、まさに音楽の夢でした。 

IL VOLO - Come Una Zanzara | REACTION / REVIEW
https://www.youtube.com/watch?v=BjhLEqaRO80&t=350s
若いリスナーのリアクションで、いかにIL VOLOの技術が複雑かがわかる。





〜 Socrates / Phos  Peters盤ジャケットの素晴らしさ 〜

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 Petersが一番発売していたのがギリシャの音楽でした。おそらくギリシャ系のアメリカ人が経営していたのではないでしょうか。
 SocratesがPetersから2枚発売されています。

 Vangelisが参加したため1976年の Phos(光) に興味があったのですが、ギリシャ盤のジャケットのイメージが今一つで、敬遠していました。

 しかし、同年にPetersが出したPhosのDiff.Coverは素晴らしく、Vangelisに対する敬意も感じられます。ジャケットに限ればプログレ史上最も好きな一枚です。このジャケットだけ見ても、Petersのスタッフの見識の深さがわかります。

 今回、ブログを書くにあたり、初めてPhosを聴いたのですが、1曲だけVangelisの単独作品と言えるようなキーボードのインスト曲Every Dream Comes To An Endがあり、感動しました。

 ちょうど1972年のドイツのハードロックWalpurgisに参加したWallensteinのJ.DollaseのPianoが作品を輝かせていたのを思い出しました。

Socrates with Vangelis / Every Dream Comes To An End
https://www.youtube.com/watch?v=A7OC5yq6HpE&list=PLcsDJS95FMszwiCS-Zw_-Rle73_Zd13my&index=3
★Vangelisのピアノ・シンセサイザーとソクラテスの絡みが美しい。


Walpurgis / Queen Of Saba full album 1972
https://www.youtube.com/watch?v=rG4sHen5WLQ
以下、キーボードが美しい部分。
Disappointment 0:00〜3:40 
Queen Of Saba 8:47〜9:35、★13:00〜15:42 





 Socrates の Every Dream Comes To An Endは、新年2022年のお年玉という感じです。
 コロナを乗り越え、今年もきっといいことがあるように願っております。


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2022年01月04日

謹賀新年2022年 ・ Italian Progressive RockのUS盤特集 1/4 〜 レ・オルメ Le Ormeの幻の米国Best盤 / Beyond Leng 1975年

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元旦の初日の出と Le Ormeの1975年USベスト盤 Beyond Leng


今日の1曲
 レ・オルメ Le Orme
         / The Closed Door ( La Porta Chiusa ) 1972年
 レ・オルメ Le Orme
        / Return To Oblivion ( Ritorno Al Nulla )  1973年
 レ・オルメ Le Orme / 5月 Maggio 1974年



 あけましておめでとうございます。
 今年も拙いブログですが、よろしければご覧ください。

 30年位前にLe Ormeにアメリカ盤のBeyond LengというLPがあるのを初めて知りました。いったいどんなアルバムかずっと謎だったのですが、その10年ぐらい後にLPを入手しました。

 それは1975年発売の独自編集のベスト盤で、1972年のUomo Di Pezza(イタリアLP最高位1位)から2曲、1973年のFelona e Sorona(LP最高位2位)から2曲、1974年のContrappunti(LP最高位10位)から4曲でした。

 Petersからは1973年にLucio Battisiti、1976年にはPFMのイタリア盤とは曲順が違う編集盤も出ています。1975年のBeyond Lengは、米国初のItalian Progressive Rockのベスト盤だと思います。スタジオ盤(Photos of Ghosts 1973年)とライブ盤(Cook 1974年)はPFMが先です。




 
 1972年から1974年は、泥沼化したベトナム戦争が収束に向かう時代で、イタリアでのLe Ormeの音楽は時代の鏡のようにそれに呼応していました。

 この編集盤Beyond Lengは、ベトナム戦争の当事国であったアメリカ人のCoordinatorが、当時Le Ormeのイタリア盤を聴いて何を感じたのか、それをどうアメリカに伝えようとしたのかを知る手掛かりとなります。 

 Beyond Lengは、8曲中インストゥルメンタルが5曲も占め(A-123、B-14)、他の3曲もイタリア語は難しいと判断されたのか歌が少なく、単なるベスト盤を超えたインスト中心の独自のアルバムとなっています。

 また、Le Ormeはイギリスにも1973年にPeter Hammillの詞によるFelona & Soronaで進出し、New Yorkで編集したBeyond Lengと同じ1975年には、イタリアのバンドでは初の米国スタジオ録音(Los Angels)によるSmogmagica(LP最高位11位)を発表しています。

Le Orme - Laserium Floyd 1975
https://www.youtube.com/watch?v=tAXroMLzZLU&list=PLbIN9DHtOfK9tbG06EhtNfSwnT5AGFxeh&index=4
Pink Floydの影響と思われるSmogmagicaで唯一Progressiveな曲。





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〜 Le Orme / Beyond Leng 全曲 Peters International ‎– PILPS 9008 〜

LP − A面

A1 Contrappunti 5:50  1974年
   https://www.youtube.com/watch?v=SbVBqYd3M10
   ベトナム戦争終結の兆しが見えてきた1974年Contrappuntiの1曲目
A2 Alienation ( Alienazione ) 4:40  1972年
   https://www.youtube.com/watch?v=ut1NHGBorc0
   発狂。ベトナム戦争が泥沼化した1972年のUomo di pezzaから。
   美しい曲が並ぶ中で、混沌とした最終曲。
A3 Nocturne ( Notturno ) 3:48  1974年
   https://www.youtube.com/watch?v=YMOVW3FU6eI
   ノクターン。Contrappuntiのインスト曲。
A4 The Closed Door ( La Porta Chiusa ) 7:28   1972年
   https://www.youtube.com/watch?v=amq-mrdxaDk
   閉じた扉。先が見えないベトナム戦争を象徴する歌。
   6:09で一瞬だけバッハのシャコンヌが光を刺す。





LP − B面

B1 Aliante 3:16 1974年
   https://www.youtube.com/watch?v=DOIU3ChUCCM
   グライダー。Contrappuntiのインスト曲。貴重写真多数
B2 Picture Of Dawn ( Ritratto Di Un Mattino ) 3:25 1973年
   https://www.youtube.com/watch?v=AdPVzaB_-LY
   夜明けを待つ。Felona e Soronaで戦争終結の希望を見出そうとする曲。
B3 Maggio 8:50 1974年
   https://www.youtube.com/watch?v=545vO52c6L4
   5月。Contrappunti最終曲。戦争終結への希望の歌。Le Ormeの最高作とも言われる。
B4 Return To Oblivion ( Ritorno Al Nulla ) 3:33  1973年
   https://www.youtube.com/watch?v=gC8ff5UCKyA
   無に還る。米ソ核戦争による終末を暗示したFelona e Soronaの最終曲。





 Beyond Lengのジャケットの写真とデザインはElyという女性の手によるもので、暗闇から光が刺すような「ORME」という文字は、コロナの時代に光を見出す今に当てはまる気がしました。

 そこでBeyond Lengを新年最初のレコードにしてみました。
 本年もよろしくお願いいたします。

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2021年12月30日

ORFEO 9 イタリア 1970年 〜 世界初の Progressive Rock Opera                映画「ロッキー」Bill Conti の 最初期作  Renato Zero デビュー作

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Left:Bill Conti - Gonna Fly Now  
Right: Tito Schipa jr. / Combat (Bill Conti Arrangement ) 1971


今日の1曲
  Bill Conti - Gonna Fly Now (ロッキーのテーマ) 1976
  ORFEO 9 (Tito Schipa jr.) - TRE NOTE (Ouverture) 1970
  ORFEO 9 - LA CHIROMANTE
Renato Zero / Il Cielo live 1977
Genesis / Watcher of the Skies Live 31 October 1973
  ORFEO 9 (Tito Schipa jr.) - ECCOTELA QUI
  Tito Schipa jr. / Combat (1971)
  Tito Schipa jr. / Sono passati i giorni


 暮れになり、たいへんな寒波が訪れております。どうかご自愛ください。
 今年も下手な文章をお読みいただきありがとうございました。音楽家の訃報が多かったですが、昔、初めて聴いたときの感動を思い出すことができました。

 今回は、1969年のザ・フーのトミーに続いて、イタリアで最初のロック・オペラとされるTito Schipa jr.作のOrfeo 9です。Mini Moogを使用し、プログレの要素もあることから世界初のProgressive Rock Operaとも呼べそうです。 

 そして、世界で最も有名な映画音楽の一つ「ロッキーのテーマ」を編曲したBill Contiの最初期の仕事でもあります。

Bill Conti
https://it.wikipedia.org/wiki/Bill_Conti

 Tito Schipa jr.は有名なオペラ歌手の息子で、イタリアでのボブ・ディランの公式翻訳家でもあり、Orfeo 9は反戦ロック・ミュージカル「ヘアー」からの影響も感じられる哲学的な内容のようです。

Tito Schipa jr.
https://it.wikipedia.org/wiki/Tito_Schipa_Jr.

Bill Conti – ロッキーのテーマ Gonna Fly Now ( Theme From Rocky )
https://www.youtube.com/watch?v=ioE_O7Lm0I4&list=PLA8823E53F8D5ADA9





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 ORFEO 9の1曲目のBill Contiのピアノと指揮は、とにかくかっこいい!!
 昔、CDではわかりませんでした。百聞は一見に如かず。 
録音ブースの映像は企業秘密でもあるでしょうから、あるようでありません。

 Mini Moogは1970年にELPが使用したばかり。
 1970年では、Le Orme、Il Balletto di Bronzo、Trip、I Poohも使っておらず、Tito Schipa jr.がイタリア初の所有者かとも思われます。

ORFEO 9 (Tito Schipa jr.) - TRE NOTE (Ouverture)
https://www.youtube.com/watch?v=1fWxYUTVCts
★ 緊迫した録音ブースの貴重映像。 
1:20 ドラムも凄い。後にイタリアを代表するTullio De Piscopoか。 
1:56  Bill Contiの鋭い目。Tito Schipa jr. とContiによる譜面の加筆 
2:13 Mini Moogを弾くTito Schipa jr.  
3:32 Beatles / Revolution N.9が登場する前衛的ストリングスの場面
3:45 かっこいい!! Bill Contiの指揮。
3:57 左:後にスターとなるLoredana Berte(Mia Martiniの妹)。

ORFEO 9 (Tito Schipa jr.) - LA CHIROMANTE
https://www.youtube.com/watch?v=QA9dq2q8P_c
印象的な美しいバラード。ミニムーグとオーケストラを効果的に使用 
歌: Monica Miguel, Tito Schipa Jr. 冒頭にRenato Zeroが登場。

 Orfeo 9は、1970年代〜1980年代に大スターとなるRenato Zeroのデビュー作でもあります。Renato Zeroは、ローマの有名なPiper ClubでPatty Pravoなどとともに有名な存在でした。

Renato Zero / Il Cielo
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 Il Cieloは、Lucio Dalla / Caruso, Luigi Tenco / Quando, Gino Paoli / Senza Fineなどと並ぶイタリア・カンタウトーレの永遠の名作です。

Renato Zero / Il Cielo (ZEROFOBIA LIVE 1977)
https://www.youtube.com/watch?v=IKCIu7rb5eQ
全盛期のライブ。Orfeo 9や1973年ごろのGenesis のイタリア公演からの影響が見られる。3:30からGenesis / Watcher of the SkiesのパフォーマンスをRENATO ZEROが模倣したと思われる。逆にGenesisのPeter Gabrielは、1971年にイタリアでOsannaの衣装から影響を受けていた。

Genesis / Watcher of the Skies Live 31 October 1973
https://www.youtube.com/watch?v=z5NOV0-EH0c
これもOrfeo 9のようなロックオペラの一つと言える。
6:30からのパフォーマンスをRENATO ZEROが模倣したと思われる。





ORFEO 9 (Tito Schipa jr.) - ECCOTELA QUI
https://www.youtube.com/watch?v=y48tMfy-pu8
フルート アコギ ボーカル コーラスが美しい

ORFEO 9 - Trailer 1 カラー映像集
https://www.youtube.com/watch?v=i2WDa5OhXNI
冒頭はBill Contiの指揮から。





 Tito Schipa jr. 作曲、Bill Conti編曲の作品に、1971年のテレビ番組の主題歌COMBATがあります。
 Bill Contiの編曲の緊張感は、映画ロッキーの原型とも言えます。

Tito Schipa jr. / Combat (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=dccYwWXaCjI
これを聴くとロッキーのテーマのルーツはItalian Progressive Rockと思える

Tito Schipa jr./ Sono passati i giorni
https://www.youtube.com/watch?v=r2f-2izb9AE
COMBATのシングルのA面。B面と対照的に繊細で美しい曲。





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ロッキー 1 トレーニングシーンとロッキーのテーマ
Rocky Movie CLIP - Training Montage (1976)
https://www.youtube.com/watch?v=_YYmfM2TfUA

 今回は、元気の出る映画ロッキーとOrfeo 9で締めくくってみました。
 来年こそ、コロナが収束し、野外コンサート、音楽フェスティバルなどが復活することを願っています。


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2021年11月06日

追悼RIP 川口真 〜 ザ・テンプターズThe Tempters/復活

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なかにし礼作詞。川口真作曲・編曲


今日の1曲
 ザ・テンプターズ The Tempters/復活 1970年
 ザ・テンプターズ The Tempters/エメラルドの伝説 1968年
 ザ・テンプターズ The Tempters/おかあさん1968年
 ザ・テンプターズ The Tempters/純愛1968年
 ザ・テンプターズ The Tempters/雨よふらないで1969年
 ザ・テンプターズ The Tempters/帰らなかったケーン1969年
 ザ・テンプターズ The Tempters/若者よ愛を忘れるな1970年
 テレサ・テン/つぐない1984年
 テレサ・テン/時の流れに身をまかせ1986年





作曲家・川口真さん死去、83歳 「人形の家」「手紙」「ウルトラマンタロウ」など作曲
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/10/27/kiji/20211026s00041000644000c.html


 作曲家・編曲家の川口真さんが亡くなりました。自分にとって音楽の原体験のようなGS曲は、テンプターズ「おかあさん」「純愛」「雨よふらないで」、タイガース「君だけに愛を」「青い鳥」、オックス「スワンの涙」です。


 テンプターズでは、川口真さんの素晴らしい編曲がたくさんありますが、作曲も手掛けたのが名曲「復活」です。

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若者よ愛を忘れるな(Aー1)、復活(B-1)、帰らなかったケーン(B面ラスト)を収録したラストアルバム

ザ・テンプターズ 復活 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=qN5IHnesU-M
1970年前後ベトナム戦争期の精神性を象徴するような曲。





ザ・テンプターズ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA

川口真- Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E7%9C%9F

 今回、テンプターズのサウンドを支えていたのが東京芸大作曲科出身の川口真さんの編曲だったことが、あらためてわかりました。数えきれないほど聴いたテンプターズの川口真さんの素晴らしい編曲を振り返ってみたいと思います。

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ザ・テンプターズ The Tempters/エメラルドの伝説1968年
https://www.youtube.com/watch?v=DfSzKWWWgZM
オリコン8週1位の花の首飾りに続く日本で最初のシンフォニック・プログレッシブロック(オリコン2週1位)。サビでSus4のコードを入れたのは、やはり作曲した村井邦彦だろうか。ショーケンの歌入れは何十回も繰り返されてベストテイクをとったという。ギターソロは川口真と松崎由治の共同作業だろうか。

ザ・テンプターズ The Tempters/おかあさん
https://www.youtube.com/watch?v=RdPv5648jNM
途中のストリングスの哀愁のカウンターメロディー、ラストのハーモニカが印象的。





ザ・テンプターズ The Tempters/純愛
https://www.youtube.com/watch?v=oblKy_Upskk
長いギターイントロは川口真の曲だろう。村井邦彦作曲の歌い出し部分はアランフェス協奏曲。サビの部分は、タイガースの「君だけに愛を」と並んで子供の頃に一番印象が強かった。サビのショーケンの叫びと川口真のストリングスの絡みが素晴らしい。


テンプターズ唯一の主演映画



ザ・テンプターズ The Tempters/雨よふらないで シングルヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=dmPbgTJ9-yk
ショーケンの作詞。この曲も子供の頃に印象が強かった。

ザ・テンプターズ The Tempters/雨よふらないで LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=JUNUwI-8sSE
こちらのクラシカルな編曲を最初にラジオで録音した。ハープとフルートが美しい。

ザ・テンプターズ The Tempters/帰らなかったケーン
https://www.youtube.com/watch?v=PFUXaxws0_o
かまやつひろし作曲。川口真の冒頭の長いアレンジとリズム、サビのショーケンの響きわたるシャウトが素晴らしい。

ザ・テンプターズ The Tempters/若者よ愛を忘れるな
https://www.youtube.com/watch?v=vyWP7u5Gk_A
松崎由治の作詞作曲による最終シングル。「おかあさん」などもそうだが、イントロのギターは松崎由治が初めからつけたものなのか、川口真の編曲によるのか。唱歌「ふるさと」の導入はどちらのアイデアだろうか。





 川口真さんの編曲で他に印象深いのは、テレサ・テンがカムバックしたときの3年連続有線大賞を受賞した「3部作」です。

テレサ・テンケ麗君/つぐない償還
https://www.youtube.com/watch?v=na3mocj4EHw
作詞、作曲、編曲、歌のプロジェクトすべてに力が注がれていたことがわかる。

テレサ・テン/時の流れに身をまかせ
https://www.youtube.com/watch?v=VNJE70CFlOo
川口真のイントロから素晴らしい。

 カラオケでもテンプターズを歌っています。
 苦しいときに救われました。素晴らしい音楽をありがとうございました。
 川口真さんのご冥福をお祈りいたします。




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2021年10月28日

祝・文化功労者受賞・山上路夫 〜 ザ・タイガース The Tigers 廃墟の鳩

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シングル盤に封入された歌詞カード


今日の1曲
  ザ・タイガース The Tigers 廃墟の鳩 1968年


 赤い鳥の「翼をください」で有名な作詞家の山上路夫さんが文化功労者を受賞されました。有名な曲はたくさんありますが、タイガースの「廃虚の鳩」が一番好きです。日本の作家で最高のコンビのひとつが、作詞山上路夫、作曲村井邦彦だと思います。

ザ・タイガース The Tigers/廃虚の鳩 A White Dove 1968年
https://www.youtube.com/watch?v=k2vklqez1AY
最初は「ノアの箱舟」という原題。タイガースのメンバーがこの曲を反戦歌と解釈し、広島の原爆ドームの前で加橋かつみが歌う映像が放映された。




 廃墟の鳩をB面の最後に収録したLP「ヒューマン・ルネッサンス」は日本初のトータルコンセプトアルバムで、オーケストラも多く使用。日本で最初のProgressive Rockのアルバムと言えます。加橋かつみもタイガースの中で「ヒューマン・ルネッサンス」が一番誇りに思うと語っていました。





 以前、BSで山上路夫さんの特集番組を見たときに、学生時代に闘病生活を送ったことが、創作に繋がったと語られていました。寺山修司さんもそうだったと思います。村井邦彦さんも山上さんをとても尊敬・信頼されていたそうです。
 山上路夫さんが受賞されて本当によかったです。おめでとうございます。


廃虚の鳩のライブが見れるタイガースの2作目の映画



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2021年10月11日

追悼RIP すぎやまこういち 〜 ザ・タイガース The Tigers

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タイガースの最大のヒット曲「花の首飾り」オリコン8週1位


今日の1曲

  The Beatles - A Hard Day's Night  1964年
  ザ・タイガースThe Tigers/僕のマリー (1967年)
  ザ・タイガースThe Tigers/シーサイドバウンド(1967年)
  ザ・タイガースThe Tigers/モナリザの微笑み(1967年)
  ザ・タイガースThe Tigers/君だけに愛を(1968年)
  ザ・タイガースThe Tigers/落葉の物語 (1968年)
  ザ・タイガースThe Tigers/銀河のロマンス(1968年)
  ザ・タイガースThe Tigers/花の首飾り(1968年)
  ベートーベン交響曲第6番
  ベートーベン交響曲第7番
  すぎやまこういち / 交響組曲「ドラゴンクエストT 」序曲
  ザ・ダイナマイツ The Dynamites/ユメがほしい 1968年


作曲家のすぎやまこういちさんが90歳で亡くなられました。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021100700783&g=soc

すぎやまこういちさんの文化功労者受章について書いた2020年10月29日ブログ
http://soleluna.seesaa.net/category/27335815-1.html
 
 
  1968年1月発売のすぎやまこういち作曲「君だけに愛を」は、ビートルズのA Hard Days Nightのイントロの不協和音と並んで、私にとって子供のころの「かっこいい音楽」の原体験の一つでした。

 すぎやまこういちさんの亡くなった翌日に、子供の頃タイガースの時代にも1番遊んでくれたおじさんが亡くなりました。今年は1番可愛がってくれたおばさん、先々週は近所でよく声をかけてくれた老婦人が亡くなりました。辛いことが重なりますが、何を失ったかではなく、故人から何を得たかをもう一度振り返ってみたいと思います。


ザ・タイガースThe Tigers/君だけに愛をLove Only For You (1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=KqPFqN8657U





The Beatles - A Hard Day's Night
https://www.youtube.com/watch?v=USdM7Mxy1U4


 テレビなどでよく流れる交響組曲「ドラゴンクエストT」序曲がすぎやまこういち作曲と知ったのは最近のことでした。やはり凄い曲を作る人なんだなあと驚きました。

交響組曲「ドラゴンクエストT 」序曲 BRASS EXCEED TOKYO
https://www.youtube.com/watch?v=LMiITaxX5kg





 私にとってすぎやまこういちはタイガースそして「体験作曲法」の本です。
 若いころ、音大作曲科を目指して学費を貯めました。自動車工場の泊まり込みの期間工のときはその工場で1番きついと言われたラインで働きました。「世の中のあらゆるきつい仕事をやってきた」と説明会で豪語していたプロレスラーのような人が、寮で「今までで一番きつい仕事だ」と言っていました。私はその人よりきつい仕事をしました。

 工場の寮で、GSベスト100のラジオからダビングしたタイガースの「落葉の物語」をよく聴いていたのをよく覚えています。隣の部屋の人が「タイガースだな」と言っているのが聞こえました。


ザ・タイガース The Tigers/落葉の物語 The Story Of The Falling Leaves (1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=pWWxzvM2eCE
B面でも素晴らしいことがあることに驚いた。

 しかし、150万円貯金したものの、音大受験のためにはピアノが弾けないとだめだということを知り、絶望しました。それは1981年のことでした。「題名のない音楽会」で、すぎやまこういちも音大受験の願書を取り寄せて、すべての学校でピアノが試験科目にあったために諦めたと語っていました。

 しかし1981年3月にすぎやまこういちの「体験作曲法」が出版されました。
 当時は、作曲の本はほとんどありませんでした。そこで「体験作曲法」を買い、必死に読みました。

 その本は音大に行けなくても一般人でも作曲はできるという内容で、私にとって救いのバイブルのような本になりました。TEAC144という宅録の機材を買い、作曲の夢をつなぐことができました。
 1982年にすぎやまこういちさんなどが主催する作曲教室の添削を受けました。
 そして、音大を目指した1979年の30年後の2009年にDTMで作曲を実現することができました。



 そこでもう一度、すぎやまこういちの「体験作曲法」の要約を中心に学んだことを箇条書きでまとめておきたいと思います。


・ 音楽が好きで感動したことがあるなら、独学でも作曲はできる
・ 戦時中小学生だったすぎやまこういちは、ベートーベンの第1・第6・第7交響曲、クロイツェルソナタのSPしか聴かなかった。とくに第6は擦り切れるほど聴いた。

ベートーヴェン 交響曲第7番・第四楽章 ヘルベルト・フォン・カラヤン 
https://www.youtube.com/watch?v=uPRpUXlBel4

・ 第6交響曲の楽譜を入手した。SPでは高音と低音がまったく聴こえないため、バスについては自分で歌いながらレコードを聴いた。そのためベートーベンのBass進行が自然に身についた。

ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」
https://www.youtube.com/watch?v=o2UtgGUUK8g

・ 本当は指揮者になりたかった。指揮者からピアノが弾けなければなれないと言われショックを受けたが、ピアノが弾けなくても作曲はできると言われて作曲を目指した。
・ ラジオ局に入社したが、谷桃子バレエ団の曲を依頼され、それがきっかけで作曲の仕事も始める。
・ 有名な「ヒットパレード」のテーマソングを作曲した。
・  CMの価値を初めてテレビ番組と同格にまで押し上げたディレクター杉山登志と数々の作品を作るが杉山登志が自殺。
・ すぎやまこういちが「タイガース」の名付け親
・ タイガースがヒットしたため、作曲家に専念することになった。

ザ・タイガースThe Tigers/僕のマリーMy Mary(1967年)
https://www.youtube.com/watch?v=w9aWATP9gxI

・ 2曲目の「シーサイド・バウンド」で沖縄音階を使った。

ザ・タイガース The Tigers/シーサイド・バウンド Seaside Bound 1967年
https://www.youtube.com/watch?v=J6Ps9kFsPxA

・ 最初の5曲は、緩・急・緩・急・緩のクラシックの5部形式を目指した。
そこで、3曲目の「モナリザの微笑み」は緩・4曲目の「君だけに愛を」は急となった。

ザ・タイガース The Tigers/モナリザの微笑 Mana Liza's Smile (1967年)
https://www.youtube.com/watch?v=YaavZ1MWiwg

久々のGSお宝映像の新発見 ザ・タイガース「てなもんや三度笠」出演
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ザタイガース モナリザの微笑 ライブ 「てなもんや三度笠」
https://www.youtube.com/watch?v=QCbF3d43ACk


・ 5曲目の「花の首飾り」は緩で、ヨーロッパのドリアン音階が使われた。

・ (加橋かつみによれば)「花の首飾り」のレコーディングのときが、すぎやまこういちは一番真剣だった。

ザ・タイガース The Tigers/花の首飾り Flower Necklace (1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=Khgh1Fb5E4Y


・ 作曲の本質は、自然音と違い、人間の意思が働いていることであり、感受性が1番重要

・ メロディーは音楽の輪郭であり、メロディーの作曲者と編曲者は異なる。

・ メロディーは、長調・短調に大別できるが、音階によって雰囲気が変わる。

・ ハーモニーは音楽の色。ドイツのクラシックの和声に縛られる必要はない。AugやDimのようなものもある。

・ コード進行も基本的な循環進行から斬新なものまである

・ とくにBass進行が重要で、ビートルズのイエスタデイなどが好例

・ リズムは音楽の根源で、人類では初めにリズムありきといえる

・ リズム感をつけるにはディスコに行ったり、踊るのが手っ取り早い

・ ひとつのリズムパターン(モチーフ)が発展した例が、ベートーベンの「運命」

・ ビートルズもローリングストーンズもカーペンターズもアバも独自の世界を持っているが、クラシック音楽の伝統から出発していることが大切

・ 現代ではロックの感覚がなければ通用しない




 1981年に「体験作曲法」を読んだ後に、タイガースを聴きなおしました。
 「君だけに愛を」がベートーベンの「運命」のようなモチーフに基づいていること、低音から高音までのコーラスハーモニー、ベース進行など「体験作曲法」に書かれていることが実践されていることがわかりました。

 
ザ・タイガースThe Tigers/君だけに愛をLove Only For You (1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=KqPFqN8657U
レコード版

ザ・タイガース The Tigers君だけに愛を 1968
https://www.youtube.com/watch?v=_246A5mjoL0
テレビでの貴重なライブ




「体験作曲法」を通してタイガースが好きになった私は、タイガースのシングル盤レコードを全部集め、オールナイトでタイガースの3本の映画を見たり、1982年の武道館の再結成コンサート、加橋かつみのコンサートに行きました。加橋かつみのコンサートでは、すぎやまこういちさんが客席からステージに飛び入りで上がりました。1982年に六本木のディスコに行って踊りで騒がれたきっかけも、タイガースや加橋かつみが六本木に通っていたことに影響を受けたからでした。

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「銀河のロマンス」のB面だった「花の首飾り」がA面の予定だったことがわかる発売広告

 ザ・タイガース The Tigers/銀河のロマンス (1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=xsSvUUKKb8Y
映画「世界は僕らを待っている」の主題歌。発売されたシングル盤はこちらがA面で「花の首飾り」はB面だった。しかし、「花の首飾り」がA面扱いになり、オリコンで8週間1位と記録された。

 黛敏郎の「題名のない音楽会」ですぎやまこういちの特集がされたときも、一般のポップスとは違うと賞賛されていました。
 ベニーグッドマンなどの音楽が好きだった亡き父は、デビュー曲の「僕のマリー」のイントロで半音下降が使われていることに驚いたと言っていました。


最初の5枚のシングルの曲を収録した第1作映画



ザ・ダイナマイツ The Dynamites/ユメがほしい Yume Ga Hoshii (1968年3月1日発売)
https://www.youtube.com/watch?v=ZHzFc00btTM
「花の首飾り」と同時期のすぎやまこういちの作曲。すぎやまこういちは、山口冨士夫とも繋がっていた。





 振り返ると、絶望的なときに光を当ててくれた恩人の一人が、すぎやまこういちさんでした。
 本当にありがとうございました。
 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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2021年08月30日

追悼 RIP チャーリー・ワッツ "Charlie" Watts - The Rolling Stones   〜 打撃音・音楽の力 ありがとう チャーリー

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The Rolling Stones / Through the past darkly (big hits vol. 2)
イギリス仕様の選曲 小学校6年生のときに初めて買ったストーンズのレコード


今日の1曲
  The Rolling Stones - Honky Tonk Women 1969年
  The Rolling Stones - Street Fighting Man 1968年
  John Coltrane
      / A Love Supreme, Pt. III – Pursuance 1965年
  The Rolling Stones-You Better Move On 1964年
  Guru Guru / Baby Cake Walk 1972年
  The Rolling Stones - Paint It, Black 1966年
  The Rolling Stones - Gimme Shelter 1969年
  The Rolling Stones - Monkey Man 1969年
  The Rolling Stones -Jumpin' Jack Flash (Live) 1969年
  村八分 / あっ!! 1971年
  Led Zeppelin - Babe I'm Gonna Leave You 1969年
  CAN - Paperhouse 1971年
  The Rolling Stones at T.A.M.I. Show 1964年
  The Rolling Stones - The Last Time Live 1964年
  The Rolling Stones LP 1969年
      / Through the past darkly (big hits vol. 2)


Rolling Stones 1990年 初来日コンサート パンフレットより
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 ついに世界最長のロックバンド、ローリングストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツさんが亡くなりました。


ローリングストーンズ ドラマー チャーリー・ワッツさん死去
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210825/k10013221611000.html

チャーリー・ワッツ
https://en.wikipedia.org/wiki/Charlie_Watts


「ローリング・ストーンズのすべて」1973年発行
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 初めて買った洋楽が小学校5年生のときビートルズで、2番目に買ったバンドが小学校6年生のときのローリングストーンズでした。少ない小遣いを貯めて買った数少ないLPを繰り返し聴いて、それは今も自分の体の一部になっています。「ローリング・ストーンズのすべて」という本も買って読んでいました。



 

 ビートルズはすでに引退した「アーティスト」という感じでしたが、ストーンズはまだ現役で「ローリング・ストーンズのすべて」の特にMick Jaggerの写真は攻撃的で常に怒っているようでした。そのため「静かなストーンズ」と呼ばれたチャーリーワッツの写真は印象的でした。

MickとCharlie
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 Tangerine DreamのEdgar Froeseも「Rolling Stonesを初めて見たとき驚いたのはルックスだった。彼らは、すべてがBeatlesと正反対だった」と語っていました。

 ビートルズがメロディーとアンサンブルを重視し、リンゴのドラムもその中に溶け込んでいるものが多いのに対し、ローリングストーンズの音楽はリズムが重視され、チャーリーのドラムも単体で大きなインパクトを持っていました。

 「ローリング・ストーンズのすべて」を読んでどのレコードを買うか考えました。初めて買ったLPは「Big Hitsビッグヒッツ」と「Big Hitsビッグヒッツ2」でした。それは今考えても正解でした。
 シングルはメンバーの笑顔がよかったので「来日記念盤テル・ミー/ アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」を買いました。中学に入ってLP「レットイットブリード」を買いました。

 そしてラジオで偶然録音したライブ盤「ジャンピンジャックフラッシュ」が凄かった。ラジオでは「悲しみのアンジー」が常に流れていました。

 以上が、高校ぐらいまでに聴いたローリング・ストーンズの音源のすべてです。ブルース系は難しかったので、ストーンズはヒット曲を中心に買ってよかったと思います。

1990年Rolling Stonesの公演パンフレット
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 今回は、ローリングストーンズの今まで聴いてきた中で、チャーリーの最高のドラムの思い出を振り返ろうと思います。

 チャーリーのドラムの最高傑作はHonky Tonk Womenだと思います。「Big Hitsビッグヒッツ2」の副題はスルー・ザ・パスト・ダークリーですが、国内盤LPの邦題は「ホンキートンクウィメン」でした。

 Honky Tonk Womenのギターも素晴らしいですが、冒頭の目を覚ますようなドラムスの打撃音を抜いたら、その魅力も大きく削られると思います。

The Rolling Stones - Honky Tonk Women (Official Lyric Video)
https://www.youtube.com/watch?v=hqqkGxZ1_8I





 Street Fighting Manの強烈な打撃音も他のドラマーだったらできなかったのではないかと思います。チャーリーはもともとジャズのドラマーでした。

 1960年代のジャズでミンガスやコルトレーン、フリージャズなどで表現された公民権運動における黒人の怒りと、ベトナム戦争反対運動を背景にRolling Stonesというロックの範疇でチャーリーが叩いたドラムとは通底するものがあります。

The Rolling Stones - Street Fighting Man
https://www.youtube.com/watch?v=BUt0dZXPFoU

John Coltrane / A Love Supreme, Pt. III - Pursuance
https://www.youtube.com/watch?v=rExeNEjbJwk&list=PLWvco6AqKzf2OhGoRTyGO3OKQ42sAZFJe&index=3





 Big Hits 2は12曲入りイギリス仕様と、11曲入りアメリカ仕様があります。当初日本ではイギリス仕様のLPでしたが、途中でアメリカ仕様のCDが主になったようです。

 この作品については、初めにイギリス仕様に出会えて幸運でした。ベスト盤で、かつ曲順なども素晴らしく、一つの作品としてビートルズのリボルバーを超えるような完成度があると思います。

The Rolling Stones ‎– Through The Past, Darkly (Big Hits Vol. 2)
   イギリス仕様 曲目

Side A
Jumpin' Jack Flash
Mother's Little Helper
2,000 Light Years From Home
Let's Spend The Night Together
You Better Move On
We Love You

Side B
Street Fighting Man
She's A Rainbow
Ruby Tuesday
Dandelion
Sittin' On The Fence
Honky Tonk Women


  Big Hits 2の中でチャーリーのドラムスはどれも素晴らしく印象的な曲はたくさんあります。ドイツのGuru GuruのMani Neumeierもジャズ出身のためどのような曲にも対応できたように、チャーリーのドラムスも万華鏡のように曲の個性を引き立てています。

 You Better Move On は1964年の曲ながらBig Hit2に収録され、チャーリーのドラムスにはジャズボーカルの伴奏のような温かみが感じられます。

The Rolling Stones-You Better Move On 1964
https://www.youtube.com/watch?v=TiA5WjaVCbs

The Rolling Stones-through the past darkly (big hits vol. 2)
https://www.youtube.com/watch?v=lNNyU4KD5SI&list=PLNuHp3RPQXDGgxzYv0yLEmVXluh9xh3pu

Guru Guru / Baby Cake Walk 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=qe7YxQUUP5s&list=OLAK5uy_m9YAje2wMr0W6D-_Cikr-3Y2GfdmQlo8E
1:57 2:34





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 Big Hits2よりもおそらく後に買ったのが、Big Hitsビッグ・ヒッツ(ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス)です。これもイギリス仕様の14曲入りで、A面のマザー・イン・ザ・シャドウのエフェクターから始まる最初の5曲の流れは素晴らしかったと思います。
 特に、黒くぬれのドラムスは圧倒的でした。

The Rolling Stones - Paint It, Black (Official Lyric Video)
https://www.youtube.com/watch?v=5wCUlPNlQuA
1:43〜のドラムもチャーリーのドラムスの頂点のひとつ


ビッグ・ヒッツ(ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス) イギリス仕様



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 Big Hits2、Big Hitsの次に買ったのがLet It Bleedでした。このLPの帯には「今年度最高の芸術レコードを君に!」と書かれています。本国ではシングルカットがなく商業的ではないProgressive Rockの先取りともいえる内容です。

 日本盤の解説者も、初め解説を依頼されたときは嬉しかったが、あまりにも内容が良すぎてどう書き出したらいいかわからないとライナーに書いています。
 
 このLPの9つの収録曲はすべてジャンルやアレンジが異なっており、これに対応できたのもジャズの素養を持つチャーリーの力量があったからだと言えます。

Side A
Gimmie Shelter
Love In Vain
Country Honk
Live With Me
Let It Bleed

Side B
Midnight Rambler
You Got The Silver
Monkey Man
You Can't Always Get What You Want

 このLPの中で、チャーリーのドラムのスネアの打撃音が特に素晴らしいのがGimme ShelterとMonkey Manです。

The Rolling Stones - Gimme Shelter (Official Lyric Video)
https://www.youtube.com/watch?v=RbmS3tQJ7Os
0:39 2:16

The Rolling Stones - Monkey Man (Official Lyric Video)
https://www.youtube.com/watch?v=o8uVSzVY8kQ
0:18 2:33





 1974年ごろラジオで偶然録音したGet Yer Ya-Ya's Out!のJumpin' Jack Flashは、今までに聴いたあらゆるライブ音源の中でも最も印象深いものでした。その後、山口冨士夫や村八分が好きになったのも、その影響だと思います。


Jumpin' Jack Flash (Live) 1969年
https://www.youtube.com/watch?v=n5unQhz2-I8
2:07





村八分 / あっ!! from 『村八分 / くたびれて (2018 remaster)』 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=O8SuvuaVqfU
2:35 特にドラムがGet Yer Ya-Ya's Out!のJumpin' Jack Flash (Live)を彷彿させる





 チャーリーはジャズ出身のドラマーですが、最高のドラマーについてはジョン・ボーナムだと述べています。ジョン・ボーナムもチャーリーから強い影響を受けていたのではないかと思います。

Led Zeppelin - Babe I'm Gonna Leave You (Danmarks Radio 1969)
https://www.youtube.com/watch?v=wO6bRjcyQN8
2:40





 元ジャズドラマーだったCanのJaki Liebezeitもロックに転向するにあたり、チャーリーのドラムからの影響を受けていると思われます。

CAN - Paperhouse 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=LPjF4ZHuIko
5:30





【ドラムの神々に学ぶC】チャーリー・ワッツのリズムの取り方とフォームを解説!【ローリングストーンズ】
https://www.youtube.com/watch?v=VH6jkw1-KzU


1982年ごろ、VHSで初めて見たストーンズ
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 初めて動くストーンズを見れたのは、1982年ごろVHSで見たEd Sullivan showと1983年ごろに見たT.A.M.I. Showでした。ミックの動きを後ろで援護するチャーリーの打撃音には感動しました。

The Rolling Stones at T.A.M.I. Show 29th of October 1964
https://www.youtube.com/watch?v=QHjlnn8lKqk
直前に出演したJames Brownに衝撃を受けたMickがその場で、JBのステップを模倣している。





The Rolling Stones - The Last Time – Live 1964年
https://www.youtube.com/watch?v=kvIIM2AZgCA
口パクではない貴重なEd Sullivan showの映像。
2:42 チャーリーのドラムの打撃音が鮮明に聴こえる。





1990年、念願のRolling Stonesの公演に行くことができました。
 チャーリーのドラムスの打撃音は、50年近く私の中で鳴り響いています。
 ありがとうございました。RIP Charlie Watts


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posted by カンカン at 16:52| 神奈川 ☀| Comment(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月28日

追悼 RIP  Alberto Gaviglio 〜 ロカンダ・デッレ・ファーテLocanda delle Fate 〜 音楽の夢 1982年ポリドール・イタリアン・プログレッシブロック・コレクション

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今日の1曲
 ロカンダ・デッレ・ファーテ Locanda delle Fate
      /Forse le lucciole non si amano più 1977年
  LOCANDA DELLE FATE
      / Non Chiudere a Chiave Le Stelle 1977年
  LOCANDA DELLE FATE / NEW YORK 1978年
  Locanda Delle Fate - La Fine 1999年
  Elisa Montaldo / Dolce Madre (Alberto Gaviglio詞曲) 2020


 Italian Progressive Rockの最後の輝きと呼ばれた1977年の傑作forse le lucciole non si amano più作品を残したLocanda delle Fateの ギター、ボーカル、全曲の作詞を担当したAlberto Gaviglioが亡くなりました。

イタリアでの訃報
Lutto nel mondo della musica: addio a Alberto Gaviglio (Locanda delle fate)
https://www.lastampa.it/asti/2021/08/25/news/lutto-nel-mondo-della-musica-se-ne-va-alberto-gaviglio-locanda-delle-fate-1.40633165?ref=fbppl

Locanda delle Fate, addio ad Alberto Gaviglio
https://www.rockol.it/news-724467/locanda-delle-fate-morto-alberto-gaviglio?fbclid=IwAR05RfafIZKHX6SlC-OOI_H8Ct2Cqp6IJEiLCk8ILho1cNXvohAOazZTxuU

ロカンダ・デッレ・ファーテ(Locanda delle Fate) Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%86
イタリア語 Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Locanda_delle_Fate


 Locan̤d̤a̤ Delle F̤a̤t̤e̤ / forse le lucciole non si amano più Full Album
https://www.youtube.com/watch?v=8e9qneM9mIg&t=74s
7曲とも美しいメロディーが含まれている。


昨年イタリアでアナログLPも復刻された



 Locanda delle Fateは、1977年にPFM、Bancoクラスのバンドと高く評価されましたが、プログレ全盛時代が過ぎていたためか商業的に成功せず、1980年に解散しました。

 そして、1982年に日本で再発されて称賛されました。1988年にはロカンダだけ英米のバンドとともに1800円の廉価版のシリーズにも出て驚きました。それほどのセールスがあったのでしょう。ロカンダのメンバーも生き残れたのはアジアの国のおかげだと語っていました。

 Locanda delle Fateが期待されていたのは、1977年に国営放送RAIで30分近いライブ番組が組まれていたことからもわかります。
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LOCANDA DELLE FATE - Non Chiudere a Chiave Le Stelle 1977年live
https://www.youtube.com/watch?v=7yTGr4-pSzg
RAIの放送。Alberto Gaviglioがボーカル 

 1978年のシングルNEW YORKは、プログレからポップスに近づいたBottega dell’arteのような美しい名曲です。

LOCANDA DELLE FATE / NEW YORK 1978年
https://www.youtube.com/watch?v=2BpdjxYMeLw


New York収録



 1999年にLocanda Delle Fateが再結成のときのアルバム Homo Homini Lupus にもAlberto Gaviglioの美しい歌が含まれています。

Locanda Delle Fate - La Fine 1999年
https://www.youtube.com/watch?v=2f4bJGpTG9c





 かつてMuseo Rosenbachを再現したIl Tempio Delle ClessidreのElisa Montaldo の2020年の作品 dévoilerの中のDolce Madre は Alberto Gaviglioが作詞作曲した美しい曲です。

Elisa Montaldo / Dolce Madre ( Alberto Gaviglio詞曲)
https://www.youtube.com/watch?v=x278jSr6DTc

Elisa Montaldo / dévoiler デジタル・オーディオ
https://elisamontaldo.bandcamp.com/album/d-voiler

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 1982年のポリドール・イタリアン・プログレッシブロック・コレクションの6枚もの日本での一斉再発は、そのレア度において1979年から始まったキングのユーロピアン・ロックコレクションの1980年のPart2での8枚中7枚がイタリアンロックのとき以上にインパクトがありました。

 幻のレコード再発の衝撃度という点では、1979年のアート・ペッパーのIntro盤の再発、1985年の村八分のELEC盤の再発も近いものがありました。

 ポリドールの6枚はリーフレットや歌詞カードも完全に再現した素晴らしいものでした。そのうち、全く見たことも聴いたこともなかったのはロカンダだけでした。それだけに、青い美しいダブルジャケットを手に取ったときは感激しました。

 1982年は、音大への進学に挫折し、夏にディスコに3か月間ダンスに熱中したものの夢を失い、全く行くのを止めました。そのようなときに10月にポリドール・イタリアン・プログレッシブロックが再発され、年末から銀巴里で約3か月ウェイターをしてシャンソンやイタリアンポップスを聴き始めました。そして、1983年の4月から山口冨士夫のライブに通い始めました。
 
 1982年10月のロカンダの再発は、まさに「音楽の夢」でした。
Alberto Gaviglioさんのご冥福をお祈りいたします。RIP
 ありがとうございました。


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2021年08月27日

追悼 RIP 三幸太郎 Taro Miyuki 〜 モップス MOPS         〜 日本のニューロックの旗手

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左:初めてMOPSの「朝まで待てない」リメイク版を聴いたベスト盤
右:「朝まで待てない」リメイク版初出のベスト盤「1969-1973」


今日の1曲
 モップスMOPS/朝まで待てない Asamade Matenai
               Remake version 1973年
  モップスMOPS/永久運動 (Perpetual Motion) 1973年
  モップスMOPS/ わらの言葉1974年
  モップスMOPS/ たとりついたらいつも雨降り 1972年


 1970年代前半に日本のニューロックをリードしたMOPSのベーシストだった三幸太郎さんが亡くなりました。

モップス(The Mops)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B9


 モップスは、国内ではグループ・サウンズとして、海外ではサイケデリック・ロック、ガレージ・ロックとして1960年代が評価されています。

 私は、70年代初期ニューロック期のMOPSの大ファンなので、今回は三幸太郎さんがギターからベースに移り、鉄壁のリズム隊を作ったニューロック期のMOPSを強く紹介させていただきたいと思います。


MOPSも掲載



 村八分は、70年代初期には解散後に1973年のライブだけリリースしましたが、MOPSはFlower Travelling Bandと並んで名盤を多数リリースしました。

 まず、1967年のデビュー曲の「朝まで待てない」です。これは、作詞家阿久悠、作曲家村井邦彦の初期の名作としても有名です。山口冨士夫のダイナマイツとビクター三羽烏として売り出され、オリコン20位に入っています。

ザ・モップス THE MOPS/朝まで待てない Asamade Matenai (1967年)
https://www.youtube.com/watch?v=atlOM7PoEEs
GS時代のヴァージョン




 GSの全盛期にたくさんのバンドをライブハウスで見た方は、実力はゴールデンカップスがトップで、その次がモップス、ダイナマイツ、ビーバーズだったと言われました。別の方は、僕はモップスが一番良かったと言われていました。

 1969年に頭脳警察のPANTAが山口冨士夫にブルースロックを作ろうと話を持ち掛けたとき、山口冨士夫は真剣に話を聞き、それならば鈴木ヒロミツがいいと答えたそうです。





 ポップスを要請するビクターを辞めて、モップスは1969年から東芝に移籍して、当時起こりつつあったニューロックのパイオニアとしての活動を始めます。

 1967年の「朝まで待てない」と、1973年の東芝でのRemake versionを比較すると、GSグループサウンズとニューロックの音楽性の違いがよくわかります。

 私は40年前に、モップスのベスト盤を聴き、朝まで待てないの1973年リメイク版に衝撃を受けました。ヘッドホンで音量を上げて聴くと、星勝のギターの刻み、三幸太郎のベースの唸り、ドラムスの二重録音と、当時最強と言われた鈴木ヒロミツのボーカルに圧倒されました。

モップスMOPS/朝まで待てない Asamade Matenai ~Remake version (1973年)
https://www.youtube.com/watch?v=ipC9uqFMMT8
1:39〜 エフェクターを駆使し、ベースが唸る日本のロックの最高到達点の一つ

 1973年リメイク版「朝まで待てない」のサウンドは、Led Zeppelin、Deep Purple、KingCrimsonなどにも比肩できるもので、日本のロックにも凄いものがあると認識した曲でした。1980年前後は、1967年のビクターなどGSのレア音源を聴くことは困難でした。

 リメイク版「朝まで待てない」の初出は1973年の東芝でのベスト盤でした。モップスが「朝まで待てない」を後世に残すために、新しいエフェクターなどを駆使して分厚い空間とサウンドに作り込んだ情熱が伝わってきます。 





 1973年リメイク版「朝まで待てない」は以降、私にとって20年間「最強の日本のロック・日本のロックの横綱」でした。その後、村八分のライブ三田祭(2000年モノーラルヴァージョン)の「あやつり人形」をヘッドホンでMAXで聴いたときのグルーブがそれを凌駕しました。





 1973年リメイク版「朝まで待てない」と並んで、ニューロック期のモップスサウンドの完成形と言えるのが、1973年のベスト盤に初出の「永久運動」です。
 イントロの凄さは、英米の1級のバンドに劣らない迫力です。

THE MOPS - 永久運動(Perpetual Motion)
https://www.youtube.com/watch?v=AH5E82VCVVE




 モップスはニューロックでオリコンのヒット曲を出した数少ないバンドです。「月光仮面」を題材にニューロックに至る音楽史を表現した「月光仮面」は最高位18位、吉田拓郎作の「たどりついたらいつも雨降り」は26位でした。

ザ・モップス 「たどり着いたらいつも雨降り」 ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=6YZabGNLn7c
貴重なテレビでのライブ映像。

 モップスは映画にも出演しました。貴重な演奏シーンが残っています。

ベースを弾く三幸太郎
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The Mops – 御意見無用 いいじゃないかIijanaika
https://www.youtube.com/watch?v=EIWaOLkKAuw
1971年のロックと民謡を融合させた画期的作品

 最後の作品は解散コンサートを収めたEXITです。
 EXITではMellotronが素晴らしい。

The Mops / Mops History
https://www.youtube.com/watch?v=0SnEXOIaUno
モップス結成から解散までの遍歴を語りながら演奏。
7:20〜8:10 ニューロックの時代の到来。Jimi Hendrix「Purple Haze」のMOPSの解釈によるイントロが素晴らしい。

MOPS / わらの言葉Wara No Kotoba
https://www.youtube.com/watch?v=A7pdgLPV7j4
Mellotronの大作。King CrimsonのStarlessやEarth & Fireの影響も感じられる。
8:20〜では、ストリングスとコーラスのMellotronが聴ける。2台使用していた可能性もある。


 


 MOPS解散後、鈴木ヒロミツは、「今でも(廃盤になった)レコードの注文が来る。悔しい。今のバンドよりも良い音を出していた。自分たちは早すぎた。」と語っていました。

井上陽水 - 夜のバス Live in Kanazawa, 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=QltKGah0jE4
三幸太郎の素晴らしいグルーブのあるベース

 三幸太郎さんは、その後もずっと音楽活動を続けていました。5年前のグループサウンズフェスティバルにも出演されて、モップスの曲を演奏されていました。カーテンコールで、ダイナマイツの瀬川洋さんと並んでいました。

 モップスに会っていたというバンドマンだった方は、4人のメンバーは全員優しい人だったと言われていました。

 三幸さんは歩数計で1日に歩いた歩数を毎日報告されるような堅実な方でした。だんだん歩数が少なくなりましたが、体調の悪化を隠されていたようです。それでも報告を継続されていました。
 それだけ強い意志があったからこそ、あのMOPSの鉄壁のリズムを作ることができたのだと思います。本当に尊敬できる方でした。

 ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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2021年08月26日

追悼 RIPミルバ Milva F 最終回 〜 1980年以降              〜 ありがとう ミルバ

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1987年 最後のアナログLP「二丁目の子守歌」(五木寛之作詞)

「私はポピュラーもクラシックも舞台音楽も、優れた音楽ならなんでも愛しています。重要な音楽やその作品を広く紹介することが、私の使命だと考えています。」(ミルバ 2000年 読売新聞)

今日の1曲
 ミルバ Milva / Lui (So long ago so clear) 1981年
  Jon & Vangelis / So Long Ago,So Clear 1975年
  Aphrodite's Child / Rain And Tears 1968年
  ミルバ Milva / Alexander Platz  1982年
  ミルバ Milva / Musste ich nicht damit rechnen
          (Era già tutto previsto) 1983年
  Astor Piazzolla y Milva en Nuestro tango 1984年
  ミルバ Milva / Marinero 1985年
  ミルバ Milva / Desiderato sogno 1986年
  James Brown / Prisoner Of Love 1966年
  ミルバ Milva / Sono Felice  Festival Di Sanremo 1990年
  ミルバ Milva / Edith Piaf メドレー 
        愛の賛歌 〜 私の神様 Mon Dieu 〜 ミロール Live
  ミルバ Milva / リコルダ Ricorda (Live in Japan ) 1996年
  ミルバ Milva / Caruso 1994年


 5月27日から始めたミルバ追悼の記事は、3か月になりました。60年代・70年代を掘り下げるほど知らなかった事実に驚き、ベトナム戦争やイタリアンロックとの関係などにまで拡がってしまいました。

 1980年代以降も、ウナ・セラ・ディ東京からの古いファンだけでなく新しいファンを作り、1990年代以降も根強いファンを唸らせる来日プログラムをミルバが作れたのも、1970年代までの深い音楽活動の蓄積があったからだと思いました。 

 ミルバには3つの拠点がありました。

T イタリア 本国イタリアでは1960年代にサンレモでの戦いがあり、1970年代はコンセプトアルバムで芸術性を追及し深化させました。

U ドイツ  ミルバは1965年からブレヒトを歌い始めましたが、1971年の「ミルバ・カンタ・ブレヒト」の評価をきっかけにドイツでヒットし、1978年から1980年代はミルバの主な拠点はドイツに移りました。

V 日本  日本では1964年の初来日以降高い評価を受け、1979年までに世界で最も多い30枚以上のLP(内6組が2枚組)が発売されました。

 今回は、私がミルバを聴くようになった1980年代以降の思い出を振り返ってみたいと思います。

1996年のサイン
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〜 1981年 「ミルバ ヴァンゲリスを歌うIch Hab' Keine Angst」〜

 イタリアでは、1981年にミルバが司会のTV番組が放送されました。
 ドイツでは、Vangelisの曲を歌った「ミルバ ヴァンゲリスを歌うIch Hab' Keine Angst」がチャートで1位、ゴールドディスクとなります。
 
 かつてミルバは、1958年から1960年ごろに憧れたピアフの歌を集めた「ミルバ ピアフを歌う」のLPを1970年に出しました。

 そして、サンレモ曲「カンツォーネ」を歌った1968年のAphrodite’s Child / Rain And Tearsから始まる1970年代に聴いたVangelisの音楽が、1970年代を戦っていたときのミルバの安息のメロディーだったのかと思います。

 ミルバはVangelisのシンセサイザーのソロ作品もずっと聴いていたようです。これに対して、ミーナはドイツのElectric MusicのCosmic Jokers、Tangerine Dream、Popol Vuhなどを自分の会社PDUからリリースしていました。

Milva - Lui (So long ago so clear) 1981年
https://www.youtube.com/watch?v=XfVM3ajIFZU
Ich Hab' Keine Angstのフランス語ヴァージョンに収録

Jon & Vangelis - So Long Ago,So Clear 1975年LP「天国と地獄」より
https://www.youtube.com/watch?v=wOWWw1UFNX4





Aphrodite's Child / Rain And Tears 1968年
https://www.youtube.com/watch?v=YQyxCL1uMlU

Aphrodite's Child / Lontano dagli occhi 1969年
https://www.youtube.com/watch?v=har1kqEX2MM
デミス・ルソスのライブの声が聴ける貴重な映像。ルソスの歌にはMilva、Riccardo Coccianteと共通するものがある。

 「ミルバ ヴァンゲリスを歌うIch Hab' Keine Angst」は、日本ではVangelis「炎のランナー」のアカデミー賞受賞後の1982年に、「世界一のヴァンゲリスとの秘蔵盤」として、日本独自の別ジャケで発売されました。
 私にとって「ミルバ」を初めて知ったLPでした。





〜 1982年 Franco Battiatoとのアルバム 〜

 ミルバは、前年のVangelisに続いて、1982年にはイタリアで人気絶頂にあり、その後イタリアでMaestroとも呼ばれたFranco BattiatoのプロデュースによるアルバムMilva E Dintorniをイタリアで発売しました。Battiato もVangelisもProgressive Rock出身でした。

 ミルバは1970年代前半にもMorricone、フランシス・レイからオファーを受けましたが、本当にその時代のすごいアーティストたちがミルバの歌を評価していたことがわかります。Battiato も1970年代のMilvaのコンセプトアルバムから影響を受けながら、実験的なアルバムを制作していたのだと思います。

Milva / Alexander Platz (Italian TV Show) 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=9QxrK_d-qow





〜 1983年 Riccardo Coccianteをカバーしたミルバ 〜

 1983年にミルバはドイツで、1975年のRiccardo CoccianteのアルバムL’albaからの名曲Era già tutto previstoをカバーしてLPに収録し、シングルのB面として発売しました。Coccianteの原曲のような絶叫は封印され、情感のこもったミルバの歌を聴くことができます。ベトナム戦争の時代から明らかに時代が変わったことを感じさせます。

Milva - Musste ich nicht damit rechnen (Era già tutto previsto)
https://www.youtube.com/watch?v=hjtpLcn9cso




 
 また、ミルバは1983年にはブレヒトの「7つの大罪」のLPを制作し、1998年の来日公演で再演しています。

〜 1984年 ピアソラとの伝説的なパリ公演 〜

 ミルバは、パリでアストル・ピアソラと共演し、聴衆を圧倒する伝説的な公演を行います。
 ミルバの1960年のデビュー曲は「Tango Italiano」であり、1968年にはLP「Milva Tangoミルバ タンゴを歌う」を発売していました。
 ピアソラも「ミルバが最高のピアソラの歌い手だ」と絶賛しました。  

Astor Piazzolla y Milva en Nuestro tango
https://www.youtube.com/watch?v=gASKJeMhT1U





〜 1985年 ディスコ曲 マリネロ 〜

 1985年には、ダンス曲マリネロを発売しました。日本でも久々のシングルとして発売され、12インチシングルにはディスコDJの推薦文も掲載されました。

Milva - Marinero
https://www.youtube.com/watch?v=WBsyP2AsFgk
2人の男性ダンサーと歌っている。
ダリダDalidaのダンス曲Genelation1978からの影響が感じられる。

DALIDA - GENERATION 78
https://www.youtube.com/watch?v=oySdWHDwHPU





〜 1986年 ミルバ ヴァンゲリスを歌う第2集 Tra Due Sogni〜

 1986年にイタリア語でも発売された「ミルバ ヴァンゲリスを歌う第2集Tra Due Sogni」のDesiderato sogno(Vangelis 作編曲)こそ、ミルバに引き込まれたきっかけでした。1987年の来日公演では、このアルバムから「新カルメン」が選曲されました。

Milva / Desiderato sogno
https://www.youtube.com/watch?v=_1Ct1Cc5H3U

 ダリダ、ミルバ、60年代後半のミーナ、テレサテンなどは、声と曲の魅力でファンになりました。特にダリダとミルバは曲によっては、メロトロンの響きのような哀感に打たれます。
 自分は後追い世代ですが、これ以降、特に1960年代から1970年代前半までのミルバを聴いて感銘を受けました。

〜 1987年 久々の来日 ミルバの選曲による新しい世界 〜  

 1987年は、ドイツ、イタリアでのリリースがなく、8年ぶりに来日公演を果たしています。ウナ・セラ・ディ東京、愛のフィナーレのイメージだけではなく、新しいミルバを知ってほしいとの要望で、プログラムもミルバの意向によって作られました。

 公演は、5月14日,15日,16日 ゆうぽうと簡易保険ホール、18日 市川市文化会館、19日 神奈川県立県民ホール、20日 神戸文化ホール、22日 福岡サンパレス、23日 フェスティバルホール、24日 昭和女子大学人見記念講堂でした。

 また、1987年には、新曲「二丁目の子守歌」など今までの日本語曲を集めた日本で最後のアナログLPを発売しています。

 この年、1967年にLuigi Tencoと組んでミルバとサンレモで競ったDalidaが、「生きることに耐えられない。私を許して」という遺言を残して自殺しました。ダリダは、その後フランスで「フランス史上最も影響力のあった女性」の投票で1位に選ばれました。





〜 1988年 〜 最後のピアソラとの伝説の来日公演 〜

アストル・ピアソラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%BD%E3%83%A9

 来日10回目となるミルバは、伝説のピアソラとの来日公演を行いました。
今も名演とされています。ミルバは、ピアソラの1992年の死後も、1998年と2002年にピアソラの曲による来日公演を行っています。





〜 1989年 

 ミルバと直接関係ありませんが、この1989年にJames BrownのVHSビデオを買い、そのダンスと動く姿、叫びに衝撃を受けました。1986年に好きになったミルバとジェームス・ブラウンには近いものを感じました。そして、Milvaの1968年のCanzoneの絶叫を初めて聴いたとき、ミルバとジェームス・ブラウンは同じ感性を持っていると思いました。1990年代からミルバとジェームス・ブラウンには、とても勇気づけられました。

James Brown / Prisoner Of Love 1966年
https://www.youtube.com/watch?v=KHnYfNzgpZk
James BrownのシャウトにはMilvaに通じるものを感じる。





〜 1990年 サンレモ出場 〜

 ミルバは1974年以来、実に26年ぶりにサンレモ音楽祭に出場しました。この年はI Poohが優勝し、翌1991年には、MilvaがかつてカバーしたRiccardo Coccianteが初めてサンレモに出場して優勝します。CoccianteもMilvaから刺激を受けたのではないでしょうか。

MILVA / Sono Felice (Festival Di Sanremo 1990)
https://www.youtube.com/watch?v=tv5hybxVEH0

RICCARDO COCCIANTE SE STIAMO INSIEME [ SANREMO 1991]
https://www.youtube.com/watch?v=Ue0FdL1ZU70


〜 1992年 2つの来日公演 「リリー・マルレーン」と「三文オペラ」 〜

 1992年に11回目の来日公演「ミルバのリリーマルレーン 2つの大戦の間に」が行われました。これは1978年のベルリンとミラノピッコロ劇場での公演の再演でした。1992年6月8日に渋谷オーチャードホールで行われています。

ミルバMilva - Lili Marleen – 1994年ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=Q5wZ6AX622I

 そして1992年には13回目の来日公演として、ミルバが1965年から歌っているブレヒトの「三文オペラ」のリサイタルも行われています。

〜 1994年 ミルバ「ピアフ 愛の賛歌」来日公演 〜

 1994年には、1970年の名盤「ミルバ ピアフを歌う」から選曲された「ミルバ愛の賛歌」の14回目の来日公演が行われました。

ミルバ Milva / Piaf メドレー 
愛の賛歌〜私の神様Mon Dieu〜ミロール Live inTokyo
https://www.youtube.com/watch?v=GM0GkyR8NMM
1994年か2000年と思われる映像。Natale Massaraが指揮。愛の賛歌は、1970年のReverbeliのイントロを踏襲。私の神様とミロールはイタリア語ではなく、フランス語で歌っている。

左:1994年6月9日読売新聞 右:1992年のプロモーション用CD
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 6月9日の読売新聞夕刊で、ミルバの来日公演について記事が組まれました。

【女王ピアフの曲たっぷり ミルバ2年ぶり公演】
 … 一部で「愛遥かに」などの得意の持ち歌を披露した後、二部でピアフの代表曲をたっぷり歌う構成。「群衆」「水に流して」「私の神様」「愛の賛歌」「ミロール」…伸びやかな美声を駆使して、歌の大先輩に敬意を表する。ピアフの思い出を聞いた。
 イタリアで「ミロール」を歌ったのはミルバが初めて。ミルバは1962年にパリのオランピア劇場を訪れた際、劇場のオーナーから「ピアフの後を継ぐべきはあなただ」と言われた。ピアフ自身には会えなかったが、彼女をとりまく作曲家から曲を提供されたという。
「声量、歌唱とも違うが、私のパッション、カラーがピアフに似ていたからだと思う。おかげで彼女以外のミロールを拒否していたオランピア劇場の聴衆も、私を受け入れてくれた。」  
 ミルバは、1965年以降、ブレヒトや各種オペラに深く傾倒していく。結局、“華麗な後継者”は誕生しなかったが、「ハートに訴える」という精神とともに、「ミロール」などを自分のものにしてきた。
今回の企画は昨年の没後30年を機に生まれた。
「彼女は、自分のすべてを周囲の若い才能に与え、見返りを求めなかった。素晴らしい女性だった。…」
 自信に満ちた、あでやかな笑顔だった。

 この1994年、来日記念としてRicordi時代の1970年の「ミルバ ピアフを歌う」などの名盤が多数、日本でCDとして再発されました。





 この年、ミルバはジェームス・ラストの全面的な協力のもとにクラシックからポップス,カンツォーネの名曲を取り上げた作品集も発売しました。


Lucio DallaのCarusoを収録



 ミルバのテレビ出演も見るようになりました。今思うと、「題名のない音楽会」「徹子の部屋」「NHK昼のスタジオパーク」などに、外国のアーティストで日本人のように出ていたのは彼女だけではないでしょうか。

〜 1996年 「ときめき夢サウンド」出演 〜

 1996年はテレビ番組「ときめき夢サウンド」に出演しています。この年は15回目の来日公演もしているのではないかと思ったのですが、2000年の来日の際に、ミルバ自身が2000年の来日が「17回目の来日公演」と言っているので、1996年には公演はしていないのではないかと思います。

インタビューに答えるミルバ
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 「ときめき夢サウンド」でのインタビューでは、「ドイツ語はイタリア語よりも硬い」「いつも自分がやっていないことをしたい。いつかシェーンベルグを歌いたい」と語っています。
 「ときめき夢サウンド」でミルバは、愛遥かに、1963年のサンレモの名曲「リコルダ」と、Lucio Dallaの「カルーソー」を歌っています。

ミルバMilva in Japan - Conversazione e "Ricorda" (Live 1996)
https://www.youtube.com/watch?v=uKGoYLNGsMA
テレビ番組「ときめき夢サウンド」インタビューとリコルダ
Natale Massaraが指揮。

〜 1998年 2つの来日公演 
    「タンゴ ピアソラ」とバレエオペラ「7つの大罪」〜

「タンゴ ピアソラ」公演フライヤー
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 1998年には6月に「ピアソラ」の曲の15回目の来日公演、11月にはクルトワイルのバレエオペラ「7つの大罪」に主演する16回目の来日公演を行っています。1992年に続き、1年に2種類の公演を行うというミルバのチャレンジ精神、レパートリーの広さ、語学力の凄さがわかります。


〜 2000年 ラスト・ツアー in Japan 〜


フライヤー 左:2000年 ラストツアー 右:2002年 ピアソラのマリア
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 ミルバは17回目の来日公演で、ドラマティックリサイタル2000「ラスト・ツアー in Japan」を行いました。

ミルバは読売新聞の記事で以下のように語っています。

「私はポピュラーもクラシックも舞台音楽も、優れた音楽ならなんでも愛しています。重要な音楽やその作品を広く紹介することが、私の使命だと考えています。」「これが17回目の来日となりますが、これまで私に大きな関心と愛を注いでくれた日本のファンに深い感謝を捧げます。」

 いよいよミルバを見ることができるのは最後かと思い、2回コンサートに行きました。しかし、その後もミルバは3回も来日しました。日本が本当に好きだったのだと思います。

 2000年「ラスト・ツアー in Japan」の第1部の最後は、エディット・ピアフの3曲メドレー「愛の賛歌〜私の神様〜ミロール」でした。そして、コンサートの最後の曲はCarusoでした。

 また、2000年7月30日に黛敏郎のテレビ「題名のない音楽会」で、「歌手・ミルバの20世紀」が放映されました。
 「題名のない音楽会」の番組のラストでも、1994年の「ピアフ愛の賛歌」ツアーのときと同じように、エディット・ピアフの3曲メドレー「愛の賛歌〜私の神様〜ミロール」が歌われました。

Milva - Caruso
https://www.youtube.com/watch?v=XiZEAk2MvIQ

〜 2002年 ピアソラの大作「マリア」 来日公演

 2002年にミルバは、タンゴのピアソラの大作「マリア」のために18回目の来日をしました。5月24日の府中のホールに行きました。前の方の席で見ることができましたが、全2幕、全16曲を母国語でないポルトガル語で歌いきる歌唱力や集中力は驚異的なものでした。

〜 2006年 19回目の来日公演

フライヤー 左:2008年 右:2006年
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 ミルバは19回目の来日を行いました。このときは男性歌手ジョン・健・ヌッツォとの共演でした。
 プログラムでは、ミルバの歌う16曲のうち、4曲が「ミルバ ピアフを歌う」からの選曲でした。 

〜 2008年 最後の20回目の来日公演 〜

 ミルバは20回目の来日公演を行いました。
 プログラムでは、ミルバの歌う歌の7曲が「ミルバ ピアフを歌う」からの選曲でした。やはり、ミルバがもっとも愛していたのはピアフであり、ミルバの代表作は1970年のLP「ミルバ ピアフを歌う」だったのではないかと思います。

 私は、崩していた体調が徐々に回復し、2008年に6月にこのブログを始めました。ちょうどミルバの10月の公演の日は都合が合わず、行けなかったのが残念でしたが、コンサート終了後に渋谷オーチャードホールの楽屋口に行きました。あのころ、渋谷のAtomやCamelotによく踊りに行っていました。

 その後、私は2009年に1度体調を回復することができたのですが、ミルバは2009年から神経変性疾患で苦しんでいたことは知りませんでした。ミルバはその後もイタリアやヨーロッパで活動、2013年に表舞台に立つのを止めたようです。

 思えば、たいへん苦しかった時代にミルバの歌に支えてもらったことに対して感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
 ミルバさんのご冥福を改めてお祈りいたします。RIP Milva


Milva canta Edith Piaf - Mon Dieu 私の神様 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=Nfht1u5iMsA

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2021年08月20日

追悼 RIPミルバMilva E 〜  1973年「愛遥かに」から1979年まで       〜 ベトナム戦争と混迷の時代から安息の地へ向かうミルバ

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1979年 ミルバの日本語盤LP「愛遥かに」 表情からは安らぎが見える


今日の1曲
  ミルバ Milva - 愛遥かに Da troppo tempo 1973年
  布施明 / 愛遥かに Da troppo tempo ライブ
  フランシス・レイFrancis Lai / 白い恋人たち 1968年
 Milva & Francis Lai / Io sono sempre io 1973年
  Milva & Francis Lai / ある愛の詩 Love Story 1973年
  Francis Lai / ある愛の詩 Love Story 1970年
 フランシス・レイ / ビリティス Billitis 1977年
  Riccardo Cocciante / Era gia tutto previsto 1975年
  Riccardo Cocciante / Quando si vuole bene 1976年
  Le Orme / Canzone d’amore 1976年
  Locanda Delle Fate / Vendesi Saggezza 1977年
  ミルバ Milva / アルゼンチンよ泣かないで 1977年
  ミルバ Milva / リリー・マルレーン Lilì Marlene live 1978年
  New Trolls / Concerto Grosso: Adagio (Shadows) 1971年
  Osanna / Canzona 1972年 (日本初発売1979年)
  ミルバ Milva / 自由への賛歌 Viva la Liberta 1975年



〜 1973年 サンレモ3位入賞 「愛遥かにDa troppo tempo」〜

 
 1968年サンレモの「カンツォーネ」から1972年のモリコーネとの共演に至るまで、ミルバの活動はイタリアンロックと並行しながら、ベトナム戦争の激化に呼応するように芸術的に深化していきました。

 1973年に、ミルバはサンレモ音楽祭で「愛遥かにDa troppo tempo」が3位に入賞しました。
 翌1974年の来日の際もミルバ自身があの曲はよかったと述べています。

Milva - 愛遥かにDa troppo tempo
https://www.youtube.com/watch?v=y4LIQz80yEE
1973年のSenza Reteと思われる映像





 「愛遥かにDa troppo tempo」も、日本ではサンレモのあった1973年にシングル化されていません。ミルバが9年連続出場したサンレモに1970年に欠場した際、ファンからの問い合わせが殺到したにもかかわらず、1972年から1974年までのサンレモ曲が日本でシングル化されなかったのは不思議です。

 「愛遥かにDa troppo tempo」は、翌1974年の2枚組ベスト盤ではA面の1曲目に収録されており、当時から日本で評価が高く、また、1996年の来日の際には、テレビ番組「ときめき夢サウンド」で収録までされていることから、ミルバ自身も非常に気に入っていたことが伺えます。

Milva - Da troppo tempo Live in Japan 1996
https://www.youtube.com/watch?v=tSvc5VcVqD8
「ときめき夢サウンド」より

 ところが「愛遥かにDa troppo tempo」は、1979年になって森雪之丞による日本語の歌詞によるシングルが発売されています。そのとき12曲すべてが日本語のLP「愛遥かに」も発売されています。

 1973年に、Museo RosenbachのAlberto MorenoがイタリアのRicordi本社でミルバに遭遇した時、ミルバは「ある曲の日本語ヴァージョンを録音している」と話したとのことです。

 ミルバのイタリアの歌の日本語ヴァージョンは、1966年の「悲恋Nessuno di voi」以降1979年のLP「愛遥かに」まで発売されていません。したがって、ミルバが1973年に録音していると語った曲はお蔵入りになったと思われます。それは時期的にみて「愛遥かにDa troppo tempo」の日本語ヴァージョンのシングルだった可能性も高いと思います。

 また、布施明も「愛遥かに」を歌っています。布施明のデビュー曲はミーナの「君に涙とほほえみをSe piangi se ridi」の日本語ヴァージョンであり、イタリア音楽に造詣が深く、「愛遥かにDa troppo tempo」も自身で訳しています。

 さらに、イージーリスニングで一世を風靡したレイモン・ルフェーヴルもこの曲を録音していることからも人気曲だったことがわかります。

布施明 / 愛遥かにDa troppo tempo ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=lSAejJkcsNg
布施明自身の訳詞

レイモン・ルフェーヴル / 愛遥かに
https://www.youtube.com/watch?v=DD8oJkiKOlM
CD「レイモン・ルフェーヴルのすべてvol.2 / 愛遥かに」 に収録






〜 1973年「ミルバ フランシス・レイと歌う」〜

「ミルバ フランシス・レイと歌う」の3面ジャケット 1974年4月来日記念盤
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 この年、ミルバは1970年の「Milva Canzoni di Edith Piaf」と1972年のミルバとモリコーネのD'amore Si Muoreを聴いて感動したというフランシス・レイからのオファーを受け、「ミルバ フランシスレイと歌う」を制作します。フランシス・レイもまた、エディット・ピアフから才能を見出された一人でした。
 
 当時は誰でも知っていたような世界的な作曲家フランシス・レイが、ミルバと一緒にレコードを作りたいと言ってきたのも凄いことです。当時ミルバが世界最高レベルのアーティストだったことの証といえます。

 フランシス・レイの音楽は、今から思うと現実の世界から遠くへ飛ばされるような音楽でした。これも、フランシス・レイの曲もまたベトナム戦争などから受ける苦しみから逃れるための音楽だったからかもしれません。

フランシス・レイFrancis Lai / 白い恋人たち13 Jours en France 1968年
https://www.youtube.com/watch?v=UIfOtRGS030





フランシス・レイ Francis Lai / パリのめぐり逢いVivre pour vivre
https://www.youtube.com/watch?v=bMydc0C9Ifw

 ミルバ自身は、「ミルバ フランシスレイと歌う」は本来の自分の歌い方と異なるものであり、イージーリスニングのように聴いてほしいと述べています。

 特にB面の2曲目から4曲目までは、美しい浮遊感のあるコード、ストリングス、キーボードとミルバの優しい歌い方に安らぎを感じます。後のBottega dell'arteなどの作品の先駆けとも感じられます。Bottega dell'arteの作曲者 Calabrese, Romano Musumarra は後にフランスで成功します。

Milva & Francis Lai / Vigliacco che sei
https://www.youtube.com/watch?v=eqC_ar833Z8&list=PL9JMZ0__9hXP7mnrLgnXRP4jbHiMvrLc0&index=8

Milva & Francis Lai / Io sono sempre io
https://www.youtube.com/watch?v=loHOf2LDWB8&list=PL9JMZ0__9hXP7mnrLgnXRP4jbHiMvrLc0&index=9
生ストリングス、ソリーナ・ストリングスかメロトロンのようなキーボードが美しい。

原田知世 / 彼と彼女のソネット 1987年
https://www.youtube.com/watch?v=RAB8l6msHk8&t=1s
Bottega dell'arteの Calabreseが作曲したフレンチポップス。
「ミルバ フランシスレイと歌う」からの影響も感じられる。

 ミルバは前年の1972年にすでに「ある愛の詩Love Story」をソウルでのライブ盤で歌っています。1973年のアルバムはストーリーを持ったコンセプトアルバムとなっており、長いイントロを付加された「ある愛の詩Love Story」がB面の最後を締めくくる構成になっています。

Milva & Francis Lai / Love Story
https://www.youtube.com/watch?v=yg7sXVZQ19o
1971年のPatty Pravoと同じ歌詞だが、イントロが加えられている。

Francis Lai / ある愛の詩Love Story
https://www.youtube.com/watch?v=l1DoQhO6gt8&t=91s
一世を風靡したサントラ盤

 このコンセプトアルバム「ミルバ フランシスレイと歌う」か、Nada、Claudio BaglioniのLPが、おそらくイタリアンポップスでは最初の3面開きのジャケットかと思います。イタリアンロックではAlphataurus、1972年のGARYBALDIなどがあります。

 ミルバは、Gino PaoliとSenza Reteで共演して「ミルバ フランシスレイと歌う」からUna Cosaを歌い、ユーロヴィジョン・テレビではLai E' l'oraを歌っています。

 フランシス・レイは、この後1977年に、Vangelisのシンセサイザーから強く影響を受けたと思われる最高傑作の一つビリティスBillitisを発表しています。

フランシス・レイ / ビリティスBillitis サントラ1977年
https://www.youtube.com/watch?v=G1-AYlr1oBs





〜 1974年 〜


 1973年のミルバは、フランス人のフランシス・レイとの今までとは違うイージーリスニング的な共作で、1972年までの緊迫感から解放されたように見えます。それは、1974年にイタリアンProgressive Rockが消え、1975年からI Poohを中心とするラブ・ロックへと移行したのを先取りしていたようにも見えます。

 ミルバは1974年もサンレモに出場して「人形のモニカMonica Delle Bambole」が17位となり、ミルバにとって不本意な成績となりました。

 ミルバは4月23日にLP「フランシス・レイと歌う」を来日記念盤として、 6回目の来日公演を行いました。滞在中にイタリアにいる恋人の自殺未遂という事件が起き、ミルバは精神錯乱状態になりました。公演は無事に終了しましたが、帰国直前に恋人が自殺したとの報が入り、イタリアの報道陣が迎える中へミルバは憔悴状態で帰国しました。Luigi Tencoなど3人の元恋人が自殺したダリダは最後に自殺してしまいましたが、ミルバもまたベトナム戦争や音楽的なものだけでなく、私生活においても大変な重圧を背負っていました。

 1974年のミルバは、いろいろな作家による曲を集めた「人形のモニカ」を含むアルバムと、シングルが1枚発売されただけでした。このアルバムに対して、イタリアでは「それぞれの歌には、円熟しきったミルバの人生が歌いこまれている」と評されました。


 1967年から1974年までのミルバの活動を振り返ると、とてつもないものに思います。ミルバの活動を日本人の歌手に置き換えて想像しても、以下のような日本人の歌手はありえないと思います。

 ・紅白歌合戦に出場する。・レコード大賞の最有力候補になる。・イタリアでイタリア語で10万枚の大ヒットを出し、イタリアのプロの歌手を脱帽させる。イタリア語のLPを発売する。・7年間でイタリアで4度公演を行い、日本一の男性歌手と対決公演を行う。・ミュージカルのロングラン公演を行う・小劇場でブレヒトの長期公演を行いLPを出す。・映画に準主役で出演・エンニオ・モリコーネが捧ぐというLPを出す。・フランシス・レイの申し出で共作LPを作る。・自身は自殺未遂を図り、元恋人が自殺する。
 

 〜 1975年 「自由への賛歌 Liberta」 MilvaとRiccardo Cocciante 〜


 1974年の石油危機と政治的な混乱で、イタリアの音楽業界は打撃を受け、イタリアンロックはほとんど終結し、サンレモ音楽祭も低迷しました。

 そのような厳しい状況で、ミルバは「自由への賛歌Liberta」とライブ盤「ブレヒトBrecht」というコンセプトアルバムを発表しました。

 「自由への賛歌 Liberta」は、革命歌、政治的・社会的な歌を集めたもので、ベトナム戦争終結に対するミルバによる総括と喜びの表現とも考えられます。
 1曲目の「自由への賛歌 Viva la Liberta」では「自由よ万歳、自由よ」という言葉が繰り返されます。

ミルバ Milva / 自由への賛歌 Viva la libertà
https://www.youtube.com/watch?v=LL-5ujOvICA

 日本では「自由への賛歌」は1976年にリリースされましたが、「ブレヒト」は難解すぎたと思われ、ついにコンセプトアルバムで初めて日本での発売が見送られました。「ブレヒト」は1990年に初めてCDとして日本で発売されました。

 1975年に、Milvaが毎年出演していたイタリアで最も重要だったライブ番組Senza Reteで、Riccardo Coccianteが衝撃的な絶叫ライブを行っています。
 このような絶叫的な歌唱は1968年のサンレモでのMILVAのCanzoneが最初で、MILVAがCoccianteにも多大な影響を与えたと思われます。
 
 MILVAもCoccianteに感銘を受け、Senza Reteで歌われたEra Gia Tutto Previstoを1983年にカバーしています。  

Riccardo Cocciante / Era Gia Tutto Previsto
https://www.youtube.com/watch?v=mb9u9qMyicA





〜 1976年 ミルバ 休息の1年 〜

 1976年はミルバの音楽人生で初めてレコードの発売がありませんでした。まさに兵士の休息といえるでしょう。 
 1976年のテレビ番組の貴重なカラー映像が残されています。

Milva - La Califfa 1976
https://www.youtube.com/watch?v=EkvH5rOCSwE&t=2s

La Califfa 1976年 1972年のモリコーネとの音源をそのまま使用
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 1974年ごろに収束したと思われるイタリアの最盛期の音楽シーンは、実は1977年ぐらいまで余韻が残されていたとArti & MestieriのBeppe Crovellaは語っています。Bottega dell’arteやMia Martiniなどが活躍していました。

Bottega Dell'Arte - Che dolce lei (Festivalbar 1977)
https://www.youtube.com/watch?v=VKWnHlKZW-g

 1976年のイタリアの音楽の集大成は、Vangelisがアレンジし、シンセサイザーも担当したRiccardo CoccianteのLP「Concerto per Margherita」だと思います。LPは9月26日から12月12日まで12週間1位になっています。

 1939年の戦時中に生まれたMilvaと、1946年にベトナムのサイゴンで生まれたRiccardo Coccianteにはベトナム戦争に対しても共通する感性と苦悩があったと思われます。

 イタリアにおけるベトナム問題、精神的な重圧との戦いは、1968年のサンレモのMilvaの「Canzone」での叫びから始まり、1970年代のClassical Pop、Progressive Rockを経て、1976年のRiccardo Coccianteの Quando si vuole beneでの叫びで終わったように思います。
 1986年のCocciante初の2枚組LiveCDは、Quando si vuole beneの収録がないにもかかわらず、タイトルがあえてQuando si vuole beneとされていたことから、この曲がCocciante自身にとっての最重要曲とも考えられます。

Riccardo Cocciante / Quando si vuole bene
https://www.youtube.com/watch?v=RjPsfPOdAc4
捨て曲のない完璧な作品Concerto Per MargheritaのB面の3曲目。この曲を最後にCoccianteは叫ぶことを止めた。

 MilvaのライバルMinaも、CoccianteのMargheritaをライブの定番として歌うようになり、1978年の2枚組ライブLPでも収録。後にMinaとCoccianteはデュエット曲を発表しています。





 ベトナム戦争の終結を象徴するように、イタリアのシングルのヒットチャートでもRiccardo Cocciante / Margheritaが9月から5週間1位の後、Le Orme / Canzone d’amoreが5週間1位になっています。1971年のSguardo verso il Cieloで贖罪的な内容を歌ったLe Ormeがここでは生命の歓喜を歌っています。

1976年8月以降のイタリアシングルヒットチャート
I Poohもオーケストラ入りのロックから通常のロックバンドに変貌した
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Le Orme / Canzone d’amore
https://www.youtube.com/watch?v=-pgOH7LP-rU
日本で発売されていない、イタリアでのLe Ormeの最大のヒット曲。Progressive RockのLP(Uomo di Pezza)とポップスの分野のシングルの両方で1位になった世界で唯一のバンド。

 そして、ベトナム戦争の傷が生んだItalian Progressive Rockについては、1977年のLocanda Delle Fate の Vendesi Saggezzaのエンディングで、傷が塞がれたと思います。
 
Locanda Delle Fate - Vendesi Saggezza
https://www.youtube.com/watch?v=QkMhArNN5wk
9:00のエンディングで冒頭の曲に戻るところがItalian Progressive Rockの最後の輝き






〜 1977年 2年ぶりの新作「Milva ‎– Milva」 〜


 ミルバは2年ぶりの新作「Milva ‎– Milva」を発表します。
 オーケストラの指揮は、Per un amicoなどのPFMの全盛期のディレクターだったClaudio Fabiが担当しています。

 レコードのジャケットも、1975年までのコンセプトアルバムのような緊張感はなく、ベテラン歌手の余裕のようなものが感じられます。ミルバの長年の闘争は終わり、「普通の歌手」に戻れたという印象です。

ミルバ Milva - アルゼンチンよ泣かないでNon piangere piu Argentina
https://www.youtube.com/watch?v=uvtVeO9ezaY
ミュージカル「エビータ」より

Milva - Da troppo tempo, La cucaracha, Non piangere più Argentina Live
https://www.youtube.com/watch?v=m15Gtr-njfo
1977年の貴重なカラーテレビ映像。

Karen Carpenter(カーペンターズ)-Don't Cry For Me Argentina
https://www.youtube.com/watch?v=76ZKihNCWWE





 この年にミルバは7回目の来日を果たしています。1974年の来日のときはたいへんな事件が起きましたが、このときは自分よりずっと若いメンバーとリラックスした雰囲気で公演が行われました。エリック・クラプトンが批判的な批評がされない日本で安心して演奏しているのを思わせます。

 イタリアではメロディーよりも歌詞を重視したカンタウトーレがブームとなり、旧世代の歌手が歌う場所を失っていく中で、1977年にミルバはブレヒトなどによって評価されていたドイツで初めてドイツ語のLPを発売します。


〜 1978年 Milva ‎– 2つの大戦の間 Canzoni Tra Le Due Guerre 〜

  
 1978年にイタリアでもBee GeesのLP「Saturday night fever」が15週間1位となり、Discoブームによってイタリア音楽全盛の時代は終焉を迎えます。
 Discoの単調なビートでは、イタリアの感情の抑揚のある歌や、Progressive Rockは表現ができません。

 このような状況で、ミルバは「Milva ‎– 2つの大戦の間 Canzoni Tra Le Due Guerre」というミラノのピッコロ劇場でのライブ盤を発売します。このアルバムは銃声に始まり、銃声に終わるコンセプトアルバムになっています。

1994年のCD



 このライブ盤には、ミルバによる以下の文が掲載されています。

「1920年代のナンバーを中心にしたプログラムは、以前からあたためていた企画だった。ベルリンのフェスティバルで、私はこの企画を実現しようと思った。
 ・・・
 歌い終わり、熱く優しい拍手に囲まれたとき、私は歌手として生きてきたことの幸せを感じた。
 ヨーロッパに立ち込めていた戦雲がようやく晴れた1919年、私のプログラムは始まった。
 ・・・しかし、このプログラムは戦争をテーマにしたものでもなければ、戦争を賛美するものでもない。戦争と戦争の谷間で生まれた曲、そこで生きた人々を、わずかな曲で表現することは難しい。ただ、どんな時にも音楽が人々とともに歩いてきたことを印象付けられればいい。
  ・・・
 そして、いまその時の実況レコードを手にしている。いつもは背後に残した結末に達したもののように出るレコード。そうしたレコードを聴くときには、自分がレコーディングした時のように、自分の心に燃えさかってくるものがない、というようなことがある。しかし、今の私にとって、これほど満足のゆくレコードはないと思っている。  1978年 ミルバ 」


 第1次大戦が終わり、1920年代の平和の時代の歌が続いた中で、最後の「リリー・マルレーンは第2次大戦の開始を告げる銃声で終わります。
 第2次大戦が終わり、平和が続いた後に始まったベトナム戦争が終わったとき、ミルバはこのリサイタルを実現すべきと考えたのでしょう。

Milva / Lilì Marlene live 1978
https://www.youtube.com/watch?v=OEc1D8cSDNc
最後の銃声の音はミルバの戦争の記憶に残っているものかもしれない。

 この「2つの戦争の間に」は、1992年の来日公演で再演されています。

リリー・マルレーン 〜ミルバ・ベスト・ライブ・イン・ジャパン 〜 1992年



 いま、コロナで先の見えない状況ですが、ミルバの軌跡をデビューからたどってみると、平和を希求するミルバのぶれない姿勢には勇気づけられます。

 この1978年に、ドイツでミルバの「Milva / Von Tag zu Tag テオドラキスを歌う」がプラチナディスクの大ヒットとなり、イタリアのミルバから日本のスタッフに報告の電話があったそうです。 

Milva / Liberta
https://www.youtube.com/watch?v=QgkECbjwKhc
Music: Mikis Theodorakis

Milva / Von Tag zu Tag
https://www.youtube.com/watch?v=4uUitGILYk0






〜 1979年 ドイツでの活躍と安息の地・日本への8回目の来日 〜

左:愛遥かにDa troppo tempo 1973年イタリア盤
右:愛遥かにDa troppo tempo 1979年日本語盤
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 ミルバはこの年にドイツで3枚ものドイツ語のLPを発売し、もはやドイツの歌手という感じです。日本ではテレサテンが3年連続有線大賞になりましたが、ミルバの場合はLPなのでさらにすごい存在だったと思われます。ミーナはイタリアで活躍を続けていましたが、1970年代前半のような勢いは失っていました。

 ミルバは8回目の来日を行い、来日記念盤として、1960年代、1970年代のイタリアのミルバのヒット曲、名曲を日本語で歌ったLP「愛遥かに」を発売しました。往年の音源に新たにミルバの歌を追加して録音したものでしたが、かつてのようは切り詰めた緊張感はありませんでした。そして、初めて「愛遥かに」のシングルをイタリア語ではなく、日本語で発売しました。また、西島三重子作曲の日本語のシングル「折り返し悲しみ行き」も発売しています。

 ミルバは後年、歌手ではなく、平凡な主婦の人生を送りたかったともコメントしていましたが、LP「愛遥かに」のジャケットのミルバの写真はベトナム戦争期の写真とは異なり、とても穏やかな顔をしています。

 サンレモなどの競争が激しかったイタリア本国とは違って、ミルバにとって日本は初めて外国で大成功した国で、無条件で自分を認めてくれる国であり、安息の地であったのではないかと思います。





 1979年にレコード店で、キングから1500円の廉価で「カンツォーネ・ベスト・ライブラリーシリーズ」で多くの歌手が発売されていたのが印象的でした。
 キングにRicordiが戻ったため、ミルバのLPはCetra時代の「ウナセラディ東京」などのヒット曲も合わせたものになりました。

 1979年の時点ではイタリアンポップスやカンツォーネには全く関心がありませんでした。カンツォーネやシャンソンに興味を持ったのは1982年に銀巴里でウェイターのバイトをしたのがきっかけでした。

 そして、その1979年にはキングの「ヨーロピアン・ロック・コレクション」が1800円で開始されました。第1回の衝撃は、CetraのNew Trolls / Concerto Grosso、Osanna / Milano Calibro 9のバカロフ3部作のうちの2つでした。

New Trolls - Concerto Grosso II Tempo: Adagio (Shadows)
https://www.youtube.com/watch?v=W21Lq1xdVAI

Osanna - Canzona
https://www.youtube.com/watch?v=yAsQb53Eim4

 あれから42年が経ちました。今回ミルバの経歴を振り返ってみて、Italian Progressive Rockも源流を辿るとその一つはミルバなどであり、カンツォーネとイタリアンロックは繋がっていたとの思いに至りました。

 また、イタリアの全盛期のポップスやItalian Progressive Rockを支えたのは、Gian Piero Reverbeli、Morricone、Bacalovといった数えきれないほどのディレクター、アレンジャーなどの優れた裏方だということもわかりました。

 次回は、1980年以降のミルバを振り返ってみたいと思います。

 ベトナム戦争の終焉、カンタウトーレのブーム、DISCOブームによってイタリアの音楽シーンは世代交代が起こりましたが、1980年以降のミルバは、円熟したエンターティナーとしてドイツを中心に活躍していくことになります。


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2021年08月10日

追悼 RIPミルバ Milva D 〜 1972年「イタリア音楽史のハイライト」     最高傑作「Milva - Dedicato A Milva Da Ennio Morricone」                    サンレモ、日本の歌、そしてモリコーネ            

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左:ミルバ 日本の愛を歌う 1972年4月発売
右:ミルバ モリコーネを歌う 1972年発売(日本では1974年8月発売)真の意味でのItalian Progressive Rockと呼べる最高傑作


今日の1曲
 ミルバ Milva / 人形の家 Ningyo No Ie(in Japanese)1972年
 弘田三枝子Mieko Hirota /人形の家 Ningyo no ie 1969年
 ミルバ Milva / ある愛の詩 LOVE STORY live 1972年
  Patty Pravo / Love Story 1971年
  ミルバMILVA / D'amore Si Muore 1972年
  Ennio Morricone-D`Amore Si Muore サントラ 1972年
 ミルバMILVA - Morricone / La Califfa 1972年
 Ennio Morricone - La califfa サントラ
 Renzo Zenobi / E ancora le dirai ti voglio bene1978年
 Riccardo Cocciante / Lucia 1974年
 Banco del Mutuo Soccorso - Metamorfosi 1972年
 Hunka Munka - Ruote e sogni 1972年
 Reale Accademia di Musica - Il mattino 1972年
 Museo Rosenbach - Dell'eterno ritorno 1973年   
 Mia Martini / Dove il cielo va a finire 1973年
 村八分 / あやつり人形 (from 三田祭)1972年


〜 1972年のミルバ 〜


 ミルバの1960年代からの活躍はオリンピックのアスリートのようですが、今回は佳境の1972年に入ります。Arti & MestieriのBeppe Crovellaは、当時のイタリアはまさに音楽史のハイライトで、実験的なバンドもチャートのトップになったと述べています。

 ミルバも1972年に意欲的な日本語の歌集「ミルバ 日本の愛を歌う」と、Ennio Morriconeとの共作「ミルバ モリコーネを歌う」という実験的な最高傑作をリリースしました。

「音楽史のハイライト」 イタリア1972年初頭のLPチャート
社会派Fabrizio De Andréが1位. PFMもイタリアンロック初の1位
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 イタリアでは、ミルバは1972年1月のサンレモ音楽祭に3年ぶりに「地中海のバラMediterraneo」で出場し、12位に入賞しました。日本ではシングル「愛は孤独Soli」「二人の誓い」の入ったLP「地中海のバラ」は発売されましたが、サンレモのシングル盤は発売されませんでした。

Milva / Mediterraneo (Sanremo 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=w-ija1royb0
Adriano CelentanoのバックバンドからスタートしたRibelliのメンバーだNatale Massaraが指揮。後年のミルバの来日ではずっとMassaraが指揮をとった。RibelliにはGianni Dallaglio、Demetrio Stratosが在籍。

 また、MilvaはMinaのテレビ番組Teatro10にも招聘されて、1961年のサンレモ以来、長年のライバルMinaとの共演も果たしています。
http://www.teche.rai.it/2013/07/milva-e-mina-in-teatro-10-del-1972/
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 日本では、1972年4月に5度目の来日がありました。来日記念盤として「ミルバ 日本の愛を歌う Milva Love feeling in Japan」とイタリアで1971年にリリースされた「ミルバ ブレヒトを歌う」が発売されています。

 「ミルバ 日本の愛を歌う Milva Love feeling in Japan」は、全12曲が日本語の歌という意欲作でした。
 収録曲は、愛のフィナーレ、いいじゃないの幸せならば、盛り場ブルース、恋の季節、恋人、今日でお別れ、人形の家、夜明けのスキャット、港町ブルース、夜明けの歌、夕月、愛のさざなみの全12曲で、ミルバも選曲に関わったものと思われます。 
 「ミルバ 日本の愛を歌う」には、演歌的なフィーリングをもったフォークソングを集めた続編も計画されていました。

ミルバ Milva / 人形の家 Ningyo No Ie(in Japanese) 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=AeivtmTpADc
「Love feeling in Japan」からのシングルカット。弘田三枝子のカバー。

弘田三枝子Mieko Hirota /人形の家 Ningyo no ie 1969年
https://www.youtube.com/watch?v=6kYNruOLsUo
レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞したオリジナル。

 来日の際、ミルバの熱烈なファンという西郷輝彦のコンサートにミルバがゲスト出演し、ライブ盤にミルバの歌が2曲ほど収められています。
 ミルバの国内盤レコードも盛んにリリースされ、Milva – Perfect Collections Vol. 1(1972年6月発売)、Vol.2では、2枚組LP28曲×2=全56曲ものRicordi音源が発売され、ミルバに熱狂的なファンが多くいたことが伺えます。

 この年、ソウルでのライブ盤Milva In Seoulが韓国で発売されており、日本の来日公演でも同様のレパートリーだったと思われます。

 ミルバは「ある愛の詩 LOVE STORY」を歌っており、これは1971年の Patty PravoのLOVE STORYと歌詞が同じです。MinaがBattisitiの曲を取り入れたように、Milvaも次世代のPatty Pravoの動向に目を向け、外国のライブでレパートリーとしていたことは注目に値します。
 そして、ミルバは翌1973年にはLOVE STORYの作曲者フランシスレイとLPを制作することになります。

 ライブ盤Milva In Seoulの最後の曲は「ミルバ ピアフを歌う」の「私の神様 Mon Dieu」であり、ピアフとこの曲がミルバにとって最も重要な曲の一つであったことが改めて伺えます。

MILVA - LOVE STORY (live a Seoul 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=MeGoNtBc49I

Patty Pravo / Love Story 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=tQrFACzF-CM





村八分 / あやつり人形 (from 三田祭 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=wrHrsF_g0ZU
1972年、日本では村八分が活動を再開し、ピークに達した。




〜 最高傑作 1972年 Milva - Dedicato A Milva Da Ennio Morricone 〜


モリコーネの献呈文が印刷されたジャケット
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エンニオ・モリコーネの経歴
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%8D
2007年アカデミー名誉賞を受賞


 1972年、ミルバは映画「D'Amore Si Muore(愛に死す・日本未公開)」に出演し、Ennio Morricone作曲の主題歌を歌ったことをきっかけとして、コンセプトアルバム「エンニオ・モリコーネからミルバに捧ぐDedicato A Milva Da Ennio Morricone」(邦題 ミルバ モリコーネを歌う)が制作されました。
 このLPは1970年の「ミルバ ピアフを歌う Milva Canzoni di Edith Piaf」と並ぶミルバの最高傑作だと思います。

MILVA - Morricone /愛に死す D'amore Si Muore 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=eGPMgctZXrs
「ミルバ モリコーネを歌う 」B面1曲目

Ennio Morricone-D`Amore Si Muore サントラ・インスト
https://www.youtube.com/watch?v=Ap31RNQyxKo
ミルバの出演シーンを含むカラー映像

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映画D'amore si muore (1972) ミルバの出演シーン
https://www.youtube.com/watch?v=FxXv68fcXOs


D'amore si muoreのサントラ盤


 
 LP「Milva - Dedicato A Milva Da Ennio Morricone」については、以下の巨匠Ennio MorriconeによるLPに印刷された献呈文がすべてを語っています。

「タイトルをつけてくれと言われたとき、私は躊躇なくこのタイトルを選んだ。歌手としてエンターティナーとして、ミルバはじつに素晴らしい人だ。私の作品を彼女ほどみごとに歌ってくれる歌手はいないだろう。その声はこの上もなく音楽的であるとともに人間的だ。甘くそして力強い情熱にみち、庶民的なセンスと洗練されたフィーリングを備えている。私の献呈は、彼女の多くのファンの中の一人の、ささやかな敬意を表するものにすぎない。」 Ennio Morricone


 ミルバはすでにモリコーネ作曲のQuattro vestitiを1964年に録音していましたが、モリコーネが単独の歌手のためにアルバムを制作したのはこのLPが最初ではないかと思います。

Milva / Quattro vestiti 1964年
https://www.youtube.com/watch?v=k6EUkxDfhVU

MILVA - Morricone / ラ・カリファ La Califfa 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=0EuGTgm5ulA
「ミルバ モリコーネを歌う 」A面1曲目
当時としてはあまりに斬新なビデオクリップ。異次元の作品といえる。

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Ennio Morricone - La califfa サントラ・インスト
https://www.youtube.com/watch?v=puA5VvaZHkQ
ロミー・シュナイダー主演

MILVA - Morricone / Ridevi 
https://www.youtube.com/watch?v=BKgYVtZNiY8
A面2曲目 ミルバのための書き下ろし

MILVA - Morricone / Chi mai 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=aIgg47aF_18


ミルバのRicordi時代の作品群は1994年に日本で一斉にCD化された



 「Dedicato A Milva Da Ennio Morricone」もまた、Ennio MorriconeとMilvaというアーティストが商業主義に縛られずに本当に表現したかった作品であり、1970年のコンセプトアルバム「Milva Canzoni di Edith Piaf」からの影響を受けていると思います。

 このLPは、MilvaとGian Piero Reverbeliによる「Milva Canzoni di Edith Piaf」、Luiz BacalovとNew Trollsによる「Concerto Grosso」や当時のItalian Progressive Rockと同様、ベトナム戦争を背景にEnnio Morriconeが、イタリアで最も強靭な歌唱力を持つMilvaと共同で作った自身の精神的な危機に対する音楽によるShelterではないかと思います。


モリコーネ自身の選曲によるベスト盤 
ミルバ歌集のオリジナル曲、Chi mai、La Califfa、D'amore Si Muore収録




〜 私のエンニオ・モリコーネの歌物3部作 〜


 エンニオ・モリコーネの音楽を最初に凄いと思ったのは、数多くのサントラではなく、1974年のRiccardo Coccianteの「Anima」の8曲中4曲を占めるモリコーネのアレンジでした。私は「Anima」のカセットをイタリア旅行の際に買いました。

 そして後に「ミルバ モリコーネを歌う」を聴いて、Animaの原点がMilvaにあることを知りました。このMorriconeの歌物の幻想的なアレンジは、その後、1978年のRenzo ZenobiのE ancora le dirai ti voglio beneで完成されたと思います。

 私は、@モリコーネのミルバとの1972年のアルバム、A1974年のAnima、B1978年のRenzo Zenobiの E ancora le dirai ti voglio beneは、ベトナム戦争を背景としたモリコーネの異次元の発想に基づくアレンジによる歌物の3部作と考えています。Bacalovの場合は、New Trolls、Osanna、RDMが3部作でした。

Riccardo Cocciante / Quando finisce un amore 1974年
https://www.youtube.com/watch?v=J2uvXRDsI7I

Riccardo Cocciante / Lucia 1974年
https://www.youtube.com/watch?v=iPlkpYOiRq8
もとはRiccardo Fogliのバラードだった





Renzo Zenobi / E ancora le dirai ti voglio bene 1978年
https://www.youtube.com/watch?v=DOhYhg-dGHo
自分にとって祖母が死んだときの葬送曲だった。日本で編集されたCDモリコーネ・クロニクルにも収録。







〜 Dischi Ricordi リコルディ 1970年〜1973年のコンセプトアルバム 〜



「イタリア音楽史のハイライト」1972年末から1973年のLPチャート
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 Ricordiからは1972年にBanco、Reale Academia di Musica、1973年にMuseo Rosenbachなどの革新的なコンセプトアルバムが多くリリースされましたが、その発端は1970年の「Milva Canzoni di Edith Piaf」だと思います。

 1960年代までイタリアでは、LPはレコード会社が求めるラブソングか英米のカバーによるヒットソング集だったものが、1971年のLe OrmeのCollageからアーティストが本当に表現したいものに変わっていきました。

 RicordiのItalian Progressive Rockのシリーズをレコード番号とともに振り返ると、「Milva Canzoni di Edith Piaf」が作り出したコンセプトアルバムのブームの渦中に「Milva / Dedicato A Milva Da Ennio Morricone」があったことがわかります。Mia Martiniは、Progressive RockのフェスティバルにもたびたびOsannaなどと出演していました。

− Ricordi リコルディのカタログより −

SMRL 6071 Milva – Canzoni Di Edith Piaf 1970年
SMRL 6080 Milva – Milva Canta Brecht 1971年
SMRL 6094 Banco Del Mutuo Soccorso 1972年
SMRL 6095 I Dik Dik ‎– Suite Per Una Donna Assolutamente Relativa
SMRL 6096 Hunka Munka - Dedicato A Giovanna G.
SMRL 6098 Milva − Dedicato A Milva Da Ennio Morricone
SMRL 6100 Milva & Francis Lai – Sognavo Amore Mio
SMRL 6101 Mia Martini – Nel Mondo, Una Cosa
SMRL 6105 Reale Accademia Di Musica ‐ Reale Accademia Di Musica
SMRL 6107 Banco Del Mutuo Soccorso – Darwin!
SMRL 6113 Museo Rosenbach − Zarathustra 1973年
SMRL 6114 Mia Martini – Il Giorno Dopo


BMS (Banco del Mutuo Soccorso) - Metamorfosi
https://www.youtube.com/watch?v=IDcUm3NRE9s&list=RDIDcUm3NRE9s&start_radio=1
8:34からのボーカルにはミルバからの影響が感じられる。

Hunka Munka - Ruote e sogni
https://www.youtube.com/watch?v=bDL0-e4n7SM&list=PLfDwguzcFdgG9Lc8Yp6GVeI1GPId8UN8U&index=2
Dedicato a Giovanna G. の2曲目。ハモンドオルガンの美を追求。Morriconeからの影響が感じられる。Ornella VanoniのアレンジャーGianfranco Lombardiが作曲。




Reale Accademia di Musica - Il mattino
https://www.youtube.com/watch?v=1U22fHE4OnA





 RicordiからZarathustraがリリースされたMuseo RosenbachのAlberto Morenoは、当時Ricordi本社でMilvaと偶然遭遇し、日本語の歌をレコーディング中との会話をしたとのことです。

Museo Rosenbach - Dell'eterno ritorno  1973年
https://www.youtube.com/watch?v=kmJDVfiBjaU&list=PLn6IUYFGu6PIcMKtOTDXVOY_SoG082g2O&index=8
迫力のあるボーカルからは1968年のMilvaのCanzoneに通じるものが感じられる。





Mia Martini / Dove il cielo va a finire 1973年 
https://www.youtube.com/watch?v=0MoqjLfT9fU
LP「 Il Giorno Dopo」のラストの曲。コンセプトアルバムの特徴に、LPのB面の最後の曲がシングルカットされていない良曲であることが挙げられる。






〜 発売が遅れた日本でのLP「ミルバ モリコーネを歌う」 〜


1970年9月の来日時の写真
Milva – Perfect Collections Vol. 1(1972年6月発売)より 
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 日本で「ミルバ モリコーネを歌う」が発売されたのは、イタリア発売より2年も遅れた1974年8月になります。ミルバのコンセプトアルバムは徐々に難解になり、映画音楽に詞をつけた「ミルバ モリコーネを歌う」はあまりにも先に進みすぎていて、ファン離れが起きないかとスタッフが怖れたのではないか。そこで、1974年4月の来日の際に一般的に有名だったフランシス・レイとの「ミルバ フランシス・レイと歌う」(イタリアでは1973年発売)を先に出し、免疫をつけてから「ミルバ モリコーネを歌う」を出すという作戦に出たのではないかと想像します。

 日本では、1973年11月にPFMの「幻の映像 Photos of ghost」が発売され、Music Life11月号の月間最優秀レコード(5つ星)となりました。PFMはELPのレーベルから出たため、すぐにロックファンの支持が得られました。しかし、他のイタリアのProgressive Rockは、1974年では日本ではイ・プー とフォルムラ・トレの2枚しか発売されませんでした。

 
ー 日本におけるイタリア・アーティストのレコードリリース ー 

1973年11月 PFM「幻の映像」→ イギリスよりも少し遅れて発売
1974年4月「ミルバ フランシス・レイと歌う」 来日記念盤 
           → イタリアよりも1年遅れて発売
1974年8月「ミルバ モリコーネを歌う」→ 2年遅れ
1974年8月 イ・プー I Pooh 「ミラノの映像」Alessandra → 2年遅れ
1974年12月 フォルムラ・トレ Formula 3「神秘の館」La Grande Casa
                          →1年遅れ

 イタリアは、明るいカンツォーネの国というイメージがあったため、「ミルバ モリコーネを歌う」などの前衛的な作品やイタリアのProgressive Rockには日本のスタッフも慎重になっていたのだと思います。RicordiのBancoなどのロックが日本で発売されるのは、1980年以降になります。

 他方でミルバの各種の国内ベスト盤は、様々なジャケットで毎年のように発売され、日本のファンが抱く「ウナ・セラ・ディ東京」「愛のフィナーレ」のイメージと、ミルバのコンセプト主義の間には大きな隔たりがありました。

 LP「Milva - Dedicato A Milva Da Ennio Morricone」からはイタリアでも日本でもシングルカットがされておらず、その後の日本のベスト盤でも2曲ほどが1回ずつ収録されたにすぎません。

 文通していたイタリアのミルバのファンの人が、唯一ついていけない音楽がプログレだと言っていましたが、「Milva - Dedicato A Milva Da Ennio Morricone」は、1971年のMinaのLa mente tornaのように、最もProgressive Rockのような実験性に近づいたものと思います。

 しかし、ミルバのファンの人もLe OrmeのUomo di Pezzaは好きだと言っていました。1972年は、創造的で良質な音楽が渦巻き、いろいろな意味でイタリアの音楽史のハイライトだったというのは確かかと思います。

 次回は、1973年以降のミルバの軌跡を振り返ろうと思います。



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2021年08月01日

追悼RIP ミルバ MilvaC 〜 1970年「愛のフィナーレ」のヒット          1971年「ミルバ ブレヒトを歌う」芸術性・政治性・演劇性の追求         イタリアから日本そしてドイツへ

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3回目の発売で大ヒットしたMilva「愛のフィナーレ Finale D'amore」
上段左1968年版 中1969年版 右1970年版
下段左1969年LP 右1970年LP 右1979年LP


今日の1曲

  ミルバ Milva / 愛のフィナーレFinale D'amore(in Japanese)
              1968年・1969年・1970年
  ミルバMilva / カンツォーネCanzone Live 1970 in Tokyo
 LP「ミルバ・カンタ・ブレヒトMilva canta Brecht」1971年
  Plastic Ono Band - Give Peace A Chance 1969年
  Equipe 84 / Auschwitz 1966年
  Area - Live in studio + intervista 1977年
  Le Orme / Sguardo Verso Il Cielo 1971年
 ミルバMilva / 愛は孤独 Sola 1971年
  Carpenters - ふたりの誓いFor All We Know 1971年
  ミルバMilva – ふたりの誓いLa nostra storia d'amore1971年


 始まるまでは心配だったオリンピックですが、世界のアスリートのおかげで元気づけられています。緊急事態宣言が拡大される中で、なんとかオリンピックが無事に終わり、コロナの拡大も抑えられればと祈るばかりです。

 1990年代から2000年代に日本のテレビで見たミルバは円熟した余裕のあるアーティストという印象でした。しかし、NHKの昼の番組や、徹子の部屋に出演する海外アーティストはほとんどいません。それだけミルバには過去の実績があったのであり、今回、掘り下げると新しい発見ばかりです。これだけたくさんの引き出しがあったから、日本で20回近い来日が可能になったのだとわかりました。

ミルバMilvaの多彩な経歴 Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Milva

1971年ミルバ主演テレビ映画「I Grandidello Spettacolo」 主題曲「Sola」
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 ミルバは歌や音楽が非常に盛んなイタリアで7600人のオーディションから選ばれただけあって、イタリアだけでなく、ドイツ、フランス、アメリカ、日本などのアジア諸国でも成功し、その活動からはオリンピックアスリートのような超人的なものを感じます。 
 
 前回のブログは、ミルバの1970年代の10年間をざっと振り返る予定でしたが、1970年の「ミルバ ピアフを歌うCanzoni Di Edith Piaf」が、1960年代を総括し、1970年代に影響を及ぼす想像以上の重要作と思うようになり、いろいろな関連分野に話が及んでしまいました。

 イタリアンロックの父がAdriano Celentanoであることは間違いありませんが、イタリアンロックの母となると、ロックンロールから始めたミーナは当然として、ハードロックやProgressive Rockの分野についてはミルバだと思います。

Adriano Celentano / Impazzivo Per Te 1960年
https://www.youtube.com/watch?v=DyiZN-QmP8U





 ミルバの「ミルバ ピアフを歌う」のコンセプト主義と深い音楽性・表現力は、ベトナム戦争を背景に1970年代前半に多様化・深化します。
 この反戦思想はミルバの音楽活動を貫き、後に「リリーマルレーン」の1996年の日本公演にもつながっていきます。

 イタリア、日本、ドイツという3つの国での1970年以降のミルバの活動にはものすごい幅があり、概括すると以下のようになります。

T イタリア 
 ベトナム戦争を背景に政治性を強め、音楽的創造性は、1972年のLP「エンニオ・モリコーネからミルバに捧げる」で頂点に達したと思います。ベトナム戦争の終焉で、Progressive Rockと同様にミルバの活動も少なくなっていきます。

U 日本 
 日本のプロの歌手をも脱帽させたミルバへの評価は1970年代も継続し、また聴衆がカンツォーネを高く受け入れる日本はミルバにとって安息の地となり、来日も続きました。

V ドイツ 
 ミルバのコンセプト主義と政治性、演劇性を強く打ち出した1971年のLP「ミルバ・カンタ・ブレヒト」をきっかけに、ミルバはドイツで評価され、1970年代末からはドイツが活動の中心地となります。

 今回は、1970年から1971年を振り返ってみたいと思います。



〜 1970年 「愛のフィナーレ」のヒットと9月の来日公演 〜
        日本のプロ歌手を圧倒する歌唱力


 イタリアでは、ミルバは1970年5月までミュージカルのロングラン公演を行い、その後同年に「ミルバ ピアフを歌うCanzoni Di Edith Piaf」を発売。Senza ReteのライブでもミルバはPiafを歌いました。

 日本では「愛のフィナーレ(Finale d’amore)」が1970年7月にPolydorから再発売され、1964年の「ウナ・セラ・ディ東京」(Una sera di Tokyo)以来の2曲目の大ヒットとなりました。この曲が1970年代の10年間の日本でのミルバの人気を決定づけたと言えます。

 「愛のフィナーレ」は、ミルバから再び日本でヒット曲を出したいとの要望があり、1968年にピーナッツとの競作として発売しました。しかし、ピーナッツがこの曲をB面にしたためミルバとの約束が果たせず、1969年に新たに映画のサントラとして再版されました。
 その後、Ricordiの権利がキングからグラモフォンに移り、「愛のフィナーレ」は1970年の3回目の発売で10万枚を超える大ヒットとなりました。

 この曲の録音自体はミルバがサンレモで「Canzone」で優勝を懸けた全盛期の1968年(あるいは1967年11月の来日時)に行われています。そこで、ミルバと日本のスタッフの意欲も加わって高度なボーカルテクニックを駆使した情念の歌になっていると思います。

ミルバ Milva / 愛のフィナーレFinale D'amore(in Japanese) 1968年録音
https://www.youtube.com/watch?v=TMNAUQIsXAM
ビブラート、しゃくり、フォール、抑揚などミルバのテクニックが凝縮されている。当時の日本のプロ歌手にとって、今でいえば剛速球とスプリットを思い通りに操る大谷翔平のような驚異的な存在だったのではないか。まさにイタリア語と日本語の二刀流。


愛のフィナーレなど1968年以降のRicordi時代のベスト



 愛のフィナーレが大ヒット中の1970年9月の4回目の来日では、立ち見で通路が埋まるほどの盛況で、ミルバは「日本の聴衆はおどろくほどカンツォーネを理解し、愛してくれる」と語っていました。プロの歌手もミルバに敬意を表しており、菅原洋一がゲスト出演しました。

 コンサートの1曲目で、ライブ盤のA面の1曲目は、1968年のサンレモ優勝候補曲「Canzone」で、「それは圧倒する迫力そのものでした」とライブ盤のライナーに書かれています。

 LPのB面の1曲目が「ミルバ ピアフを歌う」からの「私の神様Mon Dieu」でした。ミルバの日本でのライブ盤は1967年に続いて2枚目ですが、当時は本国イタリアでもミルバのライブ盤は発売されていませんでした。

ミルバ Milva / カンツォーネ Canzone Live in Sep.1970 in Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=fYeYHtCGowM

 1970年代には日本では6回も、ミルバの2枚組のベスト盤LPが毎回新装のデザインで発売されました。2枚組のベスト盤を何度も出せるアーティストは日本でもカーペンターズやサイモンとガーファンクルぐらいでした。イタリア本国ではミーナでも2枚組のベスト盤LPは出しておらず、世界的に見ても2枚組のベスト盤LPを出す歌手は少なかったと思います。


〜 1971年 「ミルバ・カンタ・ブレヒト Milva canta Brecht」 〜
         芸術性・反戦・政治性・演劇性の追求
   
 
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 イタリアでは、ミルバはこの年もサンレモ音楽祭に出場しませんでした。
 LP「ミルバ ピアフを歌う」以降、ミルバの「自分の納得したものしか出さない」というコンセプト主義は強まりました。

 ミルバは1965年にも自由と革命の歌を集めたアルバムを出していました。
 イタリアを代表する左派の舞台監督ジョルジョ・ストレーラーの下で主演としての活動を始めたミルバは、1971年にさらに芸術性、政治性、演劇性を全面に出したLP「ミルバ・カンタ・ブレヒトMilva canta Brecht」を発売しました。これはミルバによるベトナム反戦の意思の表れとも思われます。

 1971年のミルバはLP「Milva canta Brecht」以外は作品を出しておらず、このLPのために相当な準備がされたと思われます。

Milva / Jenny dei pirati Live (Milva Canta Brechtより)
https://www.youtube.com/watch?v=bvKqt1NSX9U





 ミルバは、やはり戦争を経験した1つ年下の1940年生まれのJohn Lennonと共通の感性があったと思います。John Lennonは空襲の爆音の記憶から、ベトナム反戦活動の先頭に立つようになりました。1943年生まれのMick Jaggerや1942年生まれのPaul McCartneyとの違いがそこにあると思います。

 ミルバの1978年のライブアルバム「2つの戦争の間」でも、最後の曲のLili Marleenのエンディングで戦争の爆音の音が聞こえます。親日家だったミルバは同じ女性の小野洋子の反戦活動の動向にも関心があったと思われます。

Plastic Ono Band - Give Peace A Chance (1969)
https://www.youtube.com/watch?v=ftE8vr0WNus





 イタリアでは、ドイツ関連で反戦の歌としては、1966年のエキペ84のAuschwitzがありました。
 日本では「風は知っていた」のタイトルで発売されています。

Equipe 84 / Auschwitz 1966
https://www.youtube.com/watch?v=dnQvZ_mzAQA


 1971年は最初のItalian Progressive Rockと評価されるLe Ormeのシングル「Sguardo verso il cielo」とコンセプトアルバム「Collage」も発売されています。PFMのMauro Paganiは「Le OrmeのCollageが内容を伴ったレコードだった」影響が1972年のPFMやイタリアのProgressive Rockに繋がっていったと語っています。Mauro PaganiはPFMで1976年に来日した時も、ずっと政治的なことを話し、インタビュアーを驚かせています。

Le Orme / Sguardo Verso Il Cielo 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=O-RytWpWDNA
ベトナム戦争を背景に贖罪的とも思われる歌詞が歌われている。

 LP「Milva canta Brecht」は、ドイツ語のタイトルを使用したAreaの1973年の1st LP「Arbeit macht frei」や、ミルバの唱法はデメトリオ・ストラトスにも影響を与えたと思われます。Areaにとっても子供のころからサンレモ音楽祭で毎年見たスター歌手のミルバが、ブレヒトのLPを出すのは驚きだったと思います。

Area - Live in studio + intervista 1977
https://www.youtube.com/watch?v=BGU1V_esCLw
7:46からのライブが凄まじい





 日本では「ミルバ・カンタ・ブレヒトMilva canta Brecht」は、翌1972年の来日記念盤として発売されました。しかし、ミルバの歌が難解になり戸惑いが生じたスタッフやファンも多かったようです。しかし、ドイツの歌を歌ったことで、ミルバの活動がドイツを拠点とするきっかけとなりました。

 芸術性・政治性を追求するミルバのLPがヒットチャートに上がらないのに対し、ミーナはヒット路線を爆走し、1971年はLPでは..Quando Tu Mi Spiavi In Cima A Un Batticuore...が7週間、ベスト盤Del mio meglioが11週間LPチャートで1位、1971年暮れに発売した「Mina」も翌1972年に6週間1位になっています。

1970年代イタリアLPチャート。芸術性を追求したMilvaがチャートに出なかったのに対し、Minaはヒットチャートを独走
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 これだけ商業的成功に差がありながら、ミーナはゲストを厳選した自分のテレビ番組Teatro10にミルバを呼んで共演しており、ミルバがアーティストからいかに高く評価されていたかがわかります。

Mina - Amor mio (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=26AL1MimpsE
Lucio Battisti作曲。シングルチャートで7週間1位。Gian Piero Reverbeli編曲


1970年代以降のMinaのLPのジャケットは常に前衛的だった。



 1960年代から商業性を追わずに芸術性を追求したミルバは、1970年代に実験的音楽を追求したFranco Battiatoとも共通性があり、それが1980年代の両者のコラボレーションに繋がったと思います。

 また、ミルバの演劇性は、1970年代の来日公演では難解ゆえに時期早々として表に出なかったようですが、1990年代の来日公演では1996年の「リリー・マルレーン」、1998年のバレエ・オペラ「7つの大罪」で披露されています。


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Gian Piero Reverbeli編曲の佳曲 Sola ミルバ主演テレビ映画の主題曲  
左:イタリア盤 右:国内盤(Milvaの文字がエンボス加工)1971年

 1971年のミルバのシングルにテレビ映画「I Grandidello Spettacolo」の主題歌となったSolaがあります。「ミルバ ピアフを歌う」のGian Piero Reverbeli編曲の隠れた感動的な名曲です。Alunni del Soleの1973年から1979年のGian Piero Reverbeliの編曲の源流がこの曲に感じられます。

Milva – Sola 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=onrz7ZnOUQU
Gian Piero Reverbeli編曲。

Alunni del Sole - Canzoni d'amore 1974年
https://www.youtube.com/watch?v=QqZRzKRFdlI


ミルバ「二人の誓い」(カーペンターズCover)
日本盤(右)は1972年発売(DW1049)。イタリア盤(左)とはAB面が逆
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 さらに、1971年にミルバは、アカデミー音楽賞受賞曲でカーペンターズCarpentersがヒットさせた「ふたりの誓いLa Nostra Storia D'Amore (For All We Know)」を英米の曲としては珍しくカバーしました。カーペンターズの人気があった日本ではA面としてシングルカットされました。

 ミルバに対し、ミーナは1960年代からアメリカのJazzのスタンダード、レオン・ラッセル、Beatles / Somethingなど英米の曲を多くカバーしていました。

Milva – ふたりの誓いLa nostra storia d'amore  1971 スタジオ録音
https://www.youtube.com/watch?v=oW0lbHSQJew

Milva - La nostra storia d'amore  Live  Senza Rete (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=sUUcBBbdBKE

Milva - La pianura シングル
https://www.youtube.com/watch?v=S--RKpTfSEI
イタリアでのA面。二人の誓いはB面だった。

Carpenters - ふたりの誓い For All We Know
https://www.youtube.com/watch?v=9t1JUi39XCo
The Andy Williams Show (1971)


 次回は1972年のミルバを振り返ろうと思います。






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2021年07月06日

追悼RIP ミルバ Milva B 〜 1970年のミルバ 私の神様 Mon Dieu            最高傑作 「ミルバ ピアフを歌う Milva / Canzoni di Edith Piaf 」

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1970年にGian Piero Reverberiが編曲・指揮したMilva / Mon Dieu(左)と
ReverberiがプロデュースしたLe Orme / Il Profumo delle viole(右)が
1971年から隆盛となるItalian Classical PopとProgressive Rockの源流となる


今日の1曲
 ミルバ Milva / 私の神様 Mon Dieu 1970年
 ローリング・ストーンズRolling Stones / Gimme Shelter 1969
 ビートルズBeatles / Let it be 1970年
Aphrodite's Child / It's Five O' Clock 1970年
  I Leoni / Ogni Notte 1970年
  Ornella Vanoni / Mi sono innamorata di te 1968年
  エディット・ピアフ Edith Piaf / 愛の賛歌 1950年
  エディット・ピアフ Edith Piaf / 私の神様 Mon dieu 1960年
  ミルバ Milva / 愛の賛歌 Inno all'amore 1970年
  ニュー・トロルス New Trolls / Una nuvola bianca 1970年 
  ルイジ・テンコ Luigi Tenco / Quando 1961年
  ミーナMina / La mente torna 1971年
  Le Orme / Il Profumo delle viole 1970年
  Lucio Battisiti / Emozioni 1970年
 Il Balletto Di Bronzo - Meditazione 1970年
  ミルバ Milva / 私の神様 Mon Dieu live 1983年


 6月4日で拙いブログも13年目に入ることができました。2008年にはミルバが亡くなることなど想像もつきませんでした。2000年にジャパンラストツアーを行ったときはこれで最後かと思いましたが、2008年10月に69歳で再び来日公演を行い、直接ミルバとは会えませんでしたが、渋谷のオーチャードホールの楽屋口に頼まれて行った時のことを覚えています。
 本当にミルバは日本が好きだったのだと思います。

 思い返すと、自分が好きなミルバの歌は、1963年のRicorda、1964年の「ウナ・セラ・ディ東京」、1968年のCanzone、1972年のLa Califfa、1986年のDesiderato sogno、そして、1970年の「私の神様 Mon Dieu」に絞られました。その中でも「ミルバ・ピアフを歌うMilva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」の中の「私の神様Mon Dieu」が1番だと思いました。

 1970年の「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」はイタリア初のトリビュート・コンセプトアルバムです。そして、その中の「私の神様 Mon Dieu」「愛の賛歌Inno all'amore」こそ、ミルバの最重要作であり、1971年に隆盛を迎えるオーケストラを主体とするItalian Classical Pop及び1971年のLe Ormeを起点とするItalian Progressive Rockの源流ではないかと思いました。

 1994年の来日公演ドラマチックリサイタル「ピアフ 愛の賛歌」では、第2部がほとんどピアフの曲で構成されました。
 また、ミルバの最後期の日本公演のプログラム中に「Milva Canzoni di Edith Piaf」からの選曲が占める割合は最後になるほど高くなっています。したがって、ミルバ自身が本作を最高傑作と考えていた可能性は高いと思います。
 
※ 来日公演での「 Milva Canzoni di Edith Piaf」からの選曲
 2000年「MILVA LAST JAPAN TOUR」         → 全20曲中3曲
 2006年9月 東京中野サンプラザ公演         → 全21曲中4曲
 2008年10月 渋谷オーチャードホールMilva最終公演  → 全17曲中6曲

2008年15度目の最終来日公演でミルバの歌う17曲中6曲を
「ミルバ ピアフを歌う Milva Canzoni di Edith Piaf(全10曲)」の曲が占めた
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 そこで、以下のように振り返ってみたいと思います。

 T 「私の神様」「Milva Canzoni Di Edith Piaf」を生んだ
     世界とイタリアの1970年の音楽シーン
 U ミルバとピアフの絆 1960年と1970年
 V ミルバと編曲者Gian Piero ReverbeliそしてLuigi Tencoの1960年代
 W 「Canzoni Di Edith Piaf」の
      1970年代のClassical PopとProgressive Rockへの影響
     

ミルバMilva / 私の神様 Mon Dieu 1970年 
https://www.youtube.com/watch?v=Nfht1u5iMsA
「ミルバ ピアフを歌う Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」より
Gian Piero Reverberiによるイントロには、バッハの「G線上のアリア」からの影響が感じられる。バロックの手法はその後1970年代のLe Ormeなどの作品に反映された。1969年までのイタリアンポップスにはクラシックとの境界線があったように見られ、そのようなバロックの手法は見られなかった。





〜 T 1970年の世界とイタリアの音楽シーン 〜


1969年〜1970年の音楽シーンを象徴するLet it beとLet it bleed
前者は小学校5年生、後者は6年生の時に買った手元に残る最も古いレコード
Let it bleedの帯には「今年度最高の芸術レコードをキミに!」とある
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 「ミルバ・ピアフを歌う」が発売された1970年の前年1969年はベトナム戦争による混乱が続き、60万人が集まったウッドストックの反戦コンサート、1970年にはワイト島フェスティバルが開かれました。

 1969年を最も象徴する1曲の一つとしてローリング・ストーンズRolling Stones / ギミー・シェルターGimme Shelterが挙げられます。ミック・ジャガーは「Gimme Shelter、そしてアルバムLet it bleed全体がベトナム戦争の影響下にあった。テレビではベトナム戦争の映像がたくさん映し出されていた」と述べています。

The Rolling Stones - Gimme Shelter (Official Lyric Video)
https://www.youtube.com/watch?v=RbmS3tQJ7Os
ギターはキースのみ。最高傑作Let it bleedは5月までにロンドンで録音された後、7月3日にBrian Jonesが死亡。10月にさらにオーバーダビングによって曲が完成された。Merry ClaytonのシャウトにはMilvaと通じるものが感じられる。





 ビートルズは1969年1月にGet Back Sessionを録音。ローリング・ストーンズは「Let it bleed」を同年12月に発売。
 ビートルズは1970年4月に解散し、5月に「Let it bleed」への返答のようにLPのタイトルを「Let it be」としてGet Back Sessionを発売しました。

Beatles / Let It Be
https://www.youtube.com/watch?v=QDYfEBY9NM4
イタリアでも5月に4週間1位

 1970年は、ビートルズ解散、Jimi Hendrix、Janis Joplinの死などによりRockは空白期を迎えました。その後1971年のLed ZeppelinW、1972年のYes / Close to the edge、John Lennon / Imagineなどによりロックの創造性は全盛を迎えます。

 日本でも隆盛を極めたGSブームが1969年に終焉を迎え、大晦日にダイナマイツが解散しました。1970年の空白期にニューロックが生まれ、村八分が徐々に形を形成していきます。

1970年4月〜9月のイタリアのシングル1位のチャート 
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 イタリアの1970年のサンレモ音楽祭はNicola Di Bariが2位、Ornella VanoniとCamaleontiのEternitaが4位。Milvaは欠場しました。音楽祭自体の人気は頂点でしたが、最高年度とされる1968年ほどの緊迫感はなく、1970年代にサンレモ音楽祭は一度衰退します。 

 イタリアではビートルズのLet it beの後にAphrodite's Child のIt's Five O' ClockがRain and Tears以来2年ぶりに1位、11月にはSpring Summer Winter & Fallも1位になっています。いずれもMilvaが後にカバーしており、MilvaがVangelisやProgressive Rockに関心があったことが伺えます。

Aphrodite's Child / It's Five O' Clock
https://www.youtube.com/watch?v=hRRrcornawE
当時ボーカルのデミス・ルソスも世界の情勢に関連して「Music don’t have nationality」とイタリアのテレビで語っていた。





 1970年の新たな兆しとして、Minaが9月に初めてLucio Battisti作曲のInsiemeで1位になり、Battisti自身も7月にFiori rosa fiori di pescoが初の1位、12月にEmozioniのB面のAnnaも1位になり、Mina-Battisitiの黄金時代が到来します。

Mina - Insieme 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=b8BDwKKbdu0

 混沌とする1970年を象徴する1曲として、Milvaが当時所属したイタリアで最も歴史のあるDischi Ricordiから11月に発売されたI Leoni のOgni Notteがあります。ベトナム戦争を背景にしたKing Crimson / Epitaphのイタリア版ともいえる重い内容で、後のRicordiのBanco、Museo RosenbachなどProgressive Rockの先駆けともいえます。

I Leoni - Ogni Notte (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=eljC2b5DjU0
Enrico Riccardiが作曲・Produce。パイプオルガンの異様だが素晴らしいコード進行。最大手のレコード会社がこのような特異なシングルを出したことも時代を顕している。





 このような1970年に「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」が発売されています。これはイタリア初のトリビュート・コンセプトアルバムで、Mina、Lucio Battistiにも影響を与えたと思われます。Battisitiは翌1971年に初のコンセプトアルバムAmore e non amoreを発売し、Minaは1975年のMina canta Lucio以後、多くのトリビュートアルバムを発売しました。

 また、コンセプトアルバムであるため、歌とオーケストラのアレンジにおいて、商業的なシングル曲のような制約のない極限の試みがされています。これはその後、1971年のLuiz BacalovのConcerto Grosso、1972年のEnnio MorriconeがMilvaに捧げたアルバム、多くの編曲家たちによるItalian Classical Pop、そしてItalian Progressive Rockに多大な影響を与えたと思います。






〜 U ミルバとピアフの関係  1960年ー1970年
 イタリア初のトリビュートアルバム「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」 〜


「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」の内ジャケットの写真 右がEdith Piaf
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 ミルバは、すでに1965年に革命的な歌と自由の歌を歌ったイタリアで最初期のコンセプトアルバムともいえる「Canti Della Libertà(自由の歌)」、1968年には「ミルバ・タンゴを歌う」を発表していました。
 
 1968年には、ミルバのサンレモでの最大のライバル、Ornella Vanoniの複数のカンタウトーレの曲を歌った「自作自演歌手に捧ぐ Ai Miei Amici Cantautori」が話題になりました。また、ビートルズのSGT.Peppersの影響を受けたNew Trolls(1968)やLe Orme(1969)の1stアルバムもイタリアンロック初期のコンセプトアルバムでした。

Ornella Vanoni / Mi sono innamorata di te (Luigi Tenco詞曲)
https://www.youtube.com/watch?v=BtzFS2r2h3k
「Ai Miei Amici Cantautori」の中でも名演とされる1曲





 ミルバは、1968年の「カンツォーネ」で最有力視されていた優勝を逃した後、1969年のUn Sorrisoも3位で雪辱を果たせませんでした。1969年には私生活上の悩みから自殺未遂を図ったと報道されました。

 そして1970年5月までミュージカル「旗の中の天使」の8か月間のロングラン公演のため、1970年のサンレモに欠場し9年間の連続出場記録が止まりました。日本でもミルバが欠場したため、レコード会社に「おそろしくたくさんの人たちから問い合わせがあった」そうです。

 全曲すべてがピアフに捧げられたイタリア初のトリビュートアルバム「ミルバ・ピアフを歌う」が企画・制作されたのは、そのような時期でした。それまでは、ミルバの音楽については夫のプロデューサーが主導していましたが、このアルバムはミルバの意思によるものでした。

 音楽的にも私生活でも苦難の時期だったからこそ、ミルバはピアフに救いを求め、追憶と感謝を込めてピアフを歌おうとしたと思われます。ミルバと音楽史上最大の歌手の一人であるエディット・ピアフには深いつながりがありました。

エディット・ピアフEdith Piaf - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%95
フランスの歴史の一部であるピアフの経歴





1958年のイタリアシングルチャート グラミー賞を獲ったDomenico Modugno / Volareが3〜4月に5週間1位。Paul Anka / Dianaが4〜6月に8週間1位。 Edith Piaf / Hymne à l'amourが6週間1位の後、Dianaが再び10週間1位
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 エディット・ピアフEdith Piafの最も有名な曲「愛の賛歌 Hymne à l'amour」は1950年に発売され、イタリアでは1958年の9月に1位になっています。フランス語で歌われたものと思われます。

 他のフランスの歌手Dalidaも1960年代にイタリアで1位になり、Sylvie Vartanも2位になりましたが、いずれもイタリア語ヴァージョンであり、Hymne à l'amourのようにフランス語の歌がイタリアで1位になったのは1曲だけと思われます。
 イタリア人は、歌の意味がわからなくても、ピアフの声とメロディーの美しさだけで圧倒されたのだと思います。

日本のCOLUMBIAレコードの1954年の最初の洋楽シングル盤もピアフだった
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 日本でもエディット・ピアフの「愛の賛歌」は有名で、一度聴いたら忘れられないメロディーだと思います。美輪明宏も少年時代から憧れており、紅白歌合戦でも原曲に忠実な訳詞で「愛の賛歌」を歌っていました。越路吹雪の代表曲としても有名です。

 無名時代のミルバも、それまでのイタリアにはないエディット・ピアフの声に魅了され、自分の中にあるものと重なり、虜になったのではないかと思います。 

エディット・ピアフ Edith Piaf / 愛の賛歌 Hymne à l'amour
https://www.youtube.com/watch?v=gRzfarR_4Zo

エディット・ピアフ Edith Piaf / 私の神様 Mon Dieu スタジオ録音
https://www.youtube.com/watch?v=rt8okA5ZYTM

エディット・ピアフ Edith Piaf / 私の神様 Mon Dieu ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=RgvEV9B-IEw





 1960年にPiafの新曲ミロールMilordが再びイタリアで3位の大ヒットになると、デビュー曲Tango Italianoがヒットしたばかりのミルバもイタリア語で2曲目のシングルとしてMilordを歌い、3位の大ヒットとなりました。

 1961年のサンレモ初出場で成功したミルバは、翌1962年にパリのオランピア劇場でジルベール・ベコーと共演しました。ピアフはミルバのミロールを聴いて激賞しました。ピアフがほとんど知らない母はイタリア系の歌手だったため、ミルバに自分の母を重ね合わせたのかもしれません。ピアフもまた1962年9月に最後のオランピア公演を行った後、1963年10月11日に亡くなっています。

 歴史に名を残すような大歌手ピアフが、亡くなる直前に外国の歌手ミルバを自分の後継者のように激賞したことはとんでもなくすごいことだと思います。 

 1963年に日本で初めて発売されたミルバのLPにもピアフとの逸話がライナーに記載されていました。そして、ピアフの死の翌年1964年にミルバは初来日して「ウナ・セラ・ディ東京」でブームを起こしました。その際に、ピアフの「ミロール」を日本の楽団とともに録音しています。翌1965年の日本では、すでにミルバは、ピアフなどとともに世界の名歌手の一人に挙げられていました。


左:日本では1971年に発売された「ミルバ ピアフを歌う」Polydor MW2022
帯の文:意欲の人、ミルバ、シャンソン界の女王エディット・ピアフに挑戦!
右:「Mon Dieu」が収められた1970年9月の来日公演のライブ盤 MW2015
帯:3年ぶりの来日でますます冴えたミルバ その「芸術の頂点」をあなたに!
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 ミルバが1969年の苦難に直面したときに、救いを求めた先が10年前の自分の原点だったピアフであり、その結果が「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」となったのではないかと思います。

 このアルバムの中でハイライトとなるのは、やはり両面の最後に収められた曲、A面の「私の神様」Mon Dieu、そしてB面の最後の「愛の賛歌」Inno all'amoreであることは疑いがないでしょう。

ミルバ「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」 Mon Dieu 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=Nfht1u5iMsA

 当時イタリアで最も権威のあったライブ番組Senza Reteにもミルバは毎年出演し、Mon Dieuも歌っています。Senza Reteにミルバとミーナは1968年から1970年まで3年連続出演、さらにミルバは1972年以外は1975年まで出演し、シングルヒットはなくてもその実力は高く評価されていました。

Milva - Mon Dieu live Senza Rete 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=bh15P-_TZMo

 Milva / Mon dieu には1961年に録音したヴァージョンもあり、1970年版と比べるとその深化の度合いがよくわかると思います。

Milva / Mon dieu 1961年ヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=_cBUQZVQYPc 

 



 ミルバは1970年9月に4度目の来日公演を行い、サンケイホールでのライブ盤が残されています。このときに「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」と同じイントロのMon Dieu、Milordが歌われていることから、「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」は7月か8月までにはイタリアで発売されたと思われます。

Milva / Mon Dieu Live Sep. 1970 Tokyo サンケイホール
https://www.youtube.com/watch?v=1zyroF6OQvM
驚異的な声量とビブラートに圧倒される。演奏:原信夫とシャープス&フラッツ

 その後のミルバの来日公演でも「愛の賛歌〜私の神様〜ミロ−ル」のピアフの3曲メドレーは、ビートルズ / アビーロード・メドレーのように最も重要なレパートリーでした。1994年の「ピアフ」ツアーのプログラムのラストや、2000年のラストジャパンツアーの第1部の最後で「愛の賛歌〜私の神様〜ミロ−ル」の3曲メドレーが歌われました。

Milva  Live in Seoul  1972 年
https://www.youtube.com/watch?v=VNqAKmgV5Z4
1972年のソウルでのライブ盤の最後の曲としてMon Dieuを収録
7:51 Canzone 38:18 Mon Dieu

 ミルバは後年、「あのころ私はまだ若かった」と述べ、Mon Dieuをフランス語の原語で歌うようになりました。しかし、イタリア語で歌ったこの時代のものには特に深いミルバの情念が感じられます。


日本のみ発売された1970年版シングル「私の神様 Mon Dieu」の歌詞カード
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〜 V ミルバMilva、ジャンピエロ・レヴェルベリGian Piero Reverberi 
     そしてルイジ・テンコLuigi Tenco 
     シェルターShelterとしての「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」 〜


Ciao amore ciao (Gian Piero Reverberi編曲)収録 日本初のTencoのLP
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 「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」を編曲・指揮したのはGian Piero Reverberiです。Reverberiは、長年親交のあったLuigi Tencoが1967年サンレモ音楽祭予選の落選に抗議してピストル自殺したときのサンレモ参加曲Ciao amore ciaoの編曲者であり、予選の際の指揮者でもありました。Tencoの事件の最も近くにいた人としてその後に負った精神的重圧は想像を絶するものだったと思われます。

 Gian Piero Reverberiの5歳年上の兄で、1959年以来Luigi Tencoが頼りにしていた編曲家・指揮者のGianfranco Reverberiが、Tencoを回想しています。
https://www.famigliacristiana.it/articolo/gianfranco-reverberi-ricorda-tenco-caro-luigi-ti-sogno-sempre-felice.aspx

 Gianfranco ReverberiはTencoについて「彼の世代の中で最もオリジナリティーがあり、優れたミュージシャンでした。」「彼の死後何ヶ月もの間、私は毎晩彼の夢を見ました。私は暗闇を恐れ始め、引っ越すことに決めました。」「1970年のサンレモでの(Gianfranco Reverberiがプロデュースした)Nicola Di Bariのステージの前夜、Luigiは私の夢に戻ってきて『心配しないで、すべてがうまくいくだろう』と言いました。そして、その通りになりました(Nicola Di Bariが2位)。それ以来、私は時々その夢を見ます。彼と私は話しています。」

Luigi Tenco - Quando (1961)
https://www.youtube.com/watch?v=ncUlokxEcA8
Gianfranco Reverberi編曲。60年前とは思えない名曲





 サンレモでのLuigi Tencoの編曲者で指揮者でもあったGian Piero Reverberi も兄のGianfranco以上に苦しんだと思われます。Gian Piero Reverberi が1967年のTencoの死後、一回り下の世代のNew TrollsのProducerになり、当時としては常軌を逸するJimi Hendrixばりの大音量のRockと従来のCanzoneの融合を図ろうとした試みもTencoの死の影響と無縁とは思えません。

 そして1970年までのNew Trollsの作品は結果として最先端のRockとItalian Popsの美しさを整合させた独自の音楽になり、Reverberi はBeatlesにおけるGeorge Martinの役割を果たしました。その成果が結実したものが1970年のベストアルバム「New Trolls」(Cetra LPX7)であり、それが1970年以降のReverberi のLucio BattisitiやLe Ormeとの成功を導いたと思います。

New Trolls / Io che ho te – 1969年サンレモ 
https://www.youtube.com/watch?v=kcI03nGMUvM
1960年代のNew Trollsの作品の中で最もシンフォニックなアレンジで、曲は従来のイタリアのCanzoneに近い。1969年サンレモ参加曲の中でも屈指の名曲。

New Trolls - Una nuvola bianca 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=xulLB2Ue6G0
Jimi HendrixのサウンドとイタリアのCanzoneの融合の完成形ともいえる1曲。


Gian Piero Reverberiのプロデュースが結実したベストアルバム



 Milvaもまた、Tencoが落選した1967年のサンレモで最下位で落選し、Tencoの事件の最も近くにいた人の一人でした。最下位としてプライドを傷つけられたMilvaにもTencoに共感するものがあったと思います。

Sanremo Music Festival 1967
https://en.wikipedia.org/wiki/Sanremo_Music_Festival_1967

 1968年サンレモは1967年の事件の影響で注目を集めることになりました。
 昨年の最下位から優勝を懸けて臨んだMilva / Canzoneの本選決勝の際の指揮者はGian Piero Reverberiでした。演奏が終わった瞬間、MilvaもReverberiも優勝を確信したのではないでしょうか。しかし結果は3位でした。

Festival di Sanremo 1968
https://it.wikipedia.org/wiki/Festival_di_Sanremo_1968

Milva / Canzone  サンレモSanremo 1968年本選
https://www.youtube.com/watch?v=BLL6s2c2tIM
冒頭に映る指揮者がGian Piero Reverberi。カンツォーネの形式をとったイタリアの最初のハードロックとも思える。

 そして、Milvaもまた1969年に私生活上の悩みから自殺未遂を起こしたと報じられました。そのことはReverberiも知ったと思われます。
  
 Milva、Tenco、Reverberiは3人とも1939年生まれの同い年でした。1970年におそらくMilvaからReverberiに「Canzoni di Edith Piaf」の制作を持ちかけたとき、Edith Piafを通して3人は結びついたと思います。

 シングルカットを予定しないトリビュートアルバムであるため、商業的な歌の伴奏に徹するという制限がないため、実験的かつ歌とオーケストラの最大級の音が聴かれます。それは、両面最後の「私の神様Mon Dieu」と「愛の賛歌Inno all'amore」に顕著に現れています。

 「愛の賛歌Inno all'amore」はPiafのHymne à l'amourのイタリア語ヴァージョンですが、直訳に近いものではなくPiafより1歳下の1916年生まれの作詞家Giovanna Colombiによるオリジナルの詞と呼べるものです。
 なお、「私の神様Mon Dieu」は日本でのみ、MilordのB面としてシングル盤が発売されています。 

Milva / 愛の賛歌Inno all'amore 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=OvnuToTQ6Jc
ヒットソングの域を超えたオーケストラのイントロは、Progressive Rockの原型ともいえるものであり、オーケストラと歌の対峙もJanis Joplin並みの力を持つミルバだからこそできたといえる。



  

 Rolling StonesやKing Crimsonがそうであったように、イタリアにおいてもベトナム戦争の重圧は、テレビの連日の映像でのしかかっていたと思われます。戦時中に貧しい環境に生まれ、その後も反戦歌を多く歌ったMilvaは、特にベトナム戦争について深刻に受け止めていたのではないかと思います。

 Brian Jonesの死後、キース・リチャードはGimme Shelterでギターの多重録音による壁を作り、ベトナム戦争とBrian Jonesの死という重圧から逃れるための「シェルター」をRolling Stonesと共同で作ったのではないかと思います。

 そしてイタリアではMilvaとReverberiが、「Canzoni di Edith Piaf」特に「私の神様Mon Dieu」「愛の賛歌Inno all'amore」において、偉大なEdith Piafの存在、イタリアで唯一フランス語で1位になった愛の賛歌のメロディー、最大限の音を出すオーケストラ、Milvaの強靭な声などによって、ベトナム戦争とLuigi Tencoの死、Milvaを自殺未遂に追い込んだ重圧などに対する「シェルターShelter」を共同で作ろうとしたのではないかと思いました。
 

MilvaとReverberiの「シェルター」=「Milva Canzoni di Edith Piaf」
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〜 W 1970年「Milva Canzoni di Edith Piaf」の影響
     1971年からのItalian Classical PopとProgressive Rockの源流〜


 「Milva Canzoni di Edith Piaf」からはイタリアではシングルカットが1曲もなく、一般の聴衆に触れる機会は極めて少なかったと思われます。
 しかし、作曲家、編曲家や、Mina、BattisitiなどがMilvaとReverberiの動向から目を逸らすはずはなく、その影響は多大であったと思います。
 その影響を、以下のように分類しました。

1 Italian Classical Pop (Reverberi自身への)
2 Italian Progressive Rock(Reverberi自身への)
3 Italian Classical Pop (Reverberi以外への)
4 Italian Progressive Rock(Reverberi以外への)


1 Italian Classical Pop (Reverberi自身への)

 1971年からイタリアでは、クラシックのように流麗かつ悲壮感のあるドラマティックなオーケストラアレンジを強調したヒット曲が多く出ます。これをClassical popと呼んだという記事を目にしたことがあったので、Italian Classical Popと定義付けてみます。

 その発端になるのが1970年の「Canzoni di Edith Piaf」の「私の神様Mon Dieu」、「愛の賛歌Inno all'amore」における従来の枠を超えたReverberiによるオーケストラアレンジだと思います。

 1969年からGian Piero ReverberiはLucio Battistiの編曲に関わっています。
 1970年からItalian Classical Popのシンフォニックなアレンジへの兆しが、Reverberi編曲の Lucio Battisiti / Emozioniで見られます。

Lucio Battisiti / Emozioni
https://www.youtube.com/watch?v=zOxFdRWeoA0

 Reverberiの編曲によるItalian Classical Pop は1971年以後に隆盛となります。まず、5週間1位になったLucio BattisitiのPensieri e parole(年間チャートで2位)での悲壮感は従来のヒット曲にはないものでした。そして1972年のI Giardino di Marzoはストリングスと歌が対等の力で拮抗するClassical Popの完成形と呼べそうなものです。

Lucio Battisti - I Giardino di Marzo
https://www.youtube.com/watch?v=NlQPMw68TNo





 また、Philipsに移籍してセルフプロデュースを始めたPatty Pravoの作品でもReverberiによるドラマティックなオーケストラアレンジがされています。

Patty Pravo / Canzone Degli Amanti 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=xebX3EOlwWc
Jacques Brelの名曲 La Chanson De Vieux Amantsのイタリア語ヴァージョン





 これもReverberiのClassical Popの一つの完成形といえるのがMinaのLa mente tornaです。これは途中で歌とストリングスが主役を入れ替えるもので、Progressive Rockに深い関心を持ちながらそれを回避していたMinaが、Progressive Rockに最も接近したMinaの最高傑作の一つだと思います。 

Mina / La mente torna 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=AkmPLkw1N2I
Minaのテレビ番組Teatro10でも歌われた





 その後も、ReverberiのClassical Popの手法は、1970年代のAlunni del soleやUmberto Balsamoの研ぎ澄まされた悲壮感のある美しいオーケストラアレンジに生かされています。

Umberto Balsamo / Una Rosa Profumata
https://www.youtube.com/watch?v=jW4A_0-TbPA

Alunni del Sole / E mi manchi tanto
https://www.youtube.com/watch?v=uEOL3TdH1YI





2 Italian Progressive Rock(Reverberi自身への)


 Italian Progressive Rockの起源はイタリア本国においては、Gian Piero Reverberiのプロデュースによる1971年のLe OrmeのCollageとするのが定説のようです。

La Storia del PROGRESSIVE ITALIANO rivive con PROG ROCK ITALIA
https://www.youtube.com/watch?v=vUZy2q6H9jA
日本語の字幕付き。冒頭と41:40あたりで、Le OrmeのCollageの重要性がこのビデオからもわかる。





 ReverberiはNew Trollsとの共同作業を1970年に終了すると、同年にLe OrmeのProducerとなります。Le Ormeは1960年代はBeat bandでしたが、イギリスのワイト島フェスティバルなどで見たELP、Quatermassなどの影響でキーボードトリオに変わりました。

 最初にReverberiがProduceした1970年のシングルIl profumo delle violeはイントロとエンディングはDoorsやBritish Rock風ですが、歌になると一転し、従来のCar jukebox時代の音になります。まだ未消化ですが、これが1971年のLe Ormeのアンセム曲Sguardo verso il cieloに昇華していくことになります。  

Le Orme - Il profumo delle viole 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=17j0iINwJAQ
従来のイタリアンポップスのシングル盤にはない強烈なイントロとドラムスがProgressive Rockの夜明けを感じさせる。





 Reverberiは1970年の「Canzoni di Edith Piaf」の「私の神様Mon dieu」のイントロで念頭においたのが、バッハの「G線上のアリア」だと思われます。従来のカンツォーネのヒットソングでは、このようなクラシック的な手法はなかったと思います。

バッハ「G線上のアリア」Bach "Air on G String"
https://www.youtube.com/watch?v=thQWqRDZj7E

Milva - Mon Dieu 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=Nfht1u5iMsA

 「私の神様Mon dieu」から始まるバロック音楽の傾向は、1971年のLe Orme / Collageのタイトル曲でも踏襲され、曲の途中においてドメニコ・スカルラッティDomenico Scarlattiの曲が引用されています。

Le Orme / Collage 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=N6B4UqcmleA
1:48からドメニコ・スカルラッティ:ソナタ ホ長調K 380

 さらにLe Ormeの1972年のUomo di pezzaでは、バッハのシャコンヌが1曲目の冒頭と3曲目の中盤で引用、見事に昇華されています。

Le orme - Una Dolcezza Nuova  
https://www.youtube.com/watch?v=lneoP0jMm_8
1972年にLPチャートで1位になったUomo di pezzaの1曲目

Johann Sebastian Bach - Chaconne, Partita No. 2 BWV 1004
https://www.youtube.com/watch?v=ngjEVKxQCWs





 イタリアRAIの1970年代の最も重要な音楽番組Senza ReteでのLe Ormeのオーケストラとのライブでは、Gian Piero ReverbeliがLe Ormeのメンバーの一員として参加しています。Senza ReteではNew TrollsのConcerto Grossoのライブも行われています。

Le Orme - Medley : Sguardo Verso Il Cielo /Una Dolcezza Nuova
https://www.youtube.com/watch?v=BhEWOEdaVlo
Senza Reteでの1972年のライブ。2:04でReverberiがピアノを弾く。

 そしてLe Orme の最高傑作とされる1973年のFelona e Soronaでは、冒頭でフーガの手法がとられています。このようなLe Ormeでとられた様々なバロックの手法は、1970年の「Milva Canzoni di Edith Piaf」が源流といえます。


3 (Reverberi以外の)Italian Classical Popへの影響
 

 ストリングスオーケストラに重点をおいたClassical Popは1971年以降1975年位まで、Gian Piero Reverberi以外の編曲家によっても隆盛を極めます。イタリアはクラシックの正規の教育を受けた音楽家がたくさんいるため、世界的に見てもこの時期のイタリアは最も豊饒な音楽の時代だったと思います。
 
 Franco Monaldi(1971年から1975年までのI PoohのTanta voglia di lei から始まる作品群)、Luiz Bacalov(1971年Patty Pravo-Love Story、Sergio Endrigo - Le Parole Dell'Addioなど)、Pino Presti(1972年Mina-Fiume Azzuroなど)、Danilo Vaona ( 1974年 Caterina Caselli ‎– Primavera、1975年Alice ‎– Io Voglio Vivereなど)、Dario Baldan Bembo(1973年Mia Martini-Minuettoなど)、Paolo Dossena(1973年Patty Pravo-Pazza Ideaなど)、Paolo Ormi(1974年Cico-Notteなど)Ruggero Cini(1975年Riccardo Fogli ‎– Guardami...など)、Renato Serio(1985年Claudio Villa / Il mio primo angelo)、Gianfranco Lombaldi、Enrico Riccardii、、、

I POOH Tanta voglia di lei 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=dMvi0H6KI7Y





Claudio Villa / Il mio primo angelo
https://www.youtube.com/watch?v=bh6qh3-sFfc
1986年に亡くなる前年の1985年のサンレモ曲。感動的なオーケストラ。


4 (Reverberi以外の)Italian Progressive Rockへの影響


 Sergio BardottiはサンレモのライバルだったMilvaやReverberiの動向を注視していたと思います。1971年のBardottiがプロデュースした作編曲Luiz Bacalov、歌・演奏New TrollsによるConcerto Grossoは、「Milva Canzoni di Edith Piaf」のMon Dieu、Inno all'amoreのバロックの影響を受けたオーケストラに触発されたものと思います。

 Concerto Grossoではおそらくイタリアンポップスで初めて歌とオーケストラの主客が逆転しています。Reverberiは同年、Patty PravoによるConcerto Grosso / Adagioのイタリア語版の編曲・指揮を担当しています。


New Trolls Concerto Grosso II Tempo: Adagio (Shadows)
https://www.youtube.com/watch?v=W21Lq1xdVAI




 
 イタリアでは、後にRock Progressivo Italianoと呼ばれる音楽は、Pop Italianoと呼ばれていました。Il Balletto di BronzoのGianni Leoneによれば、Progressive Rockという言葉をイタリアで初めて見たのは、1971年11月のCaracalla Festivalとのことです。

 Pop ItalianoからItalian Progressive Rockが生まれる萌芽が、1970年にReverberiが編曲した「Milva Canzoni di Edith Piaf」のシンフォニックでProgressiveなアレンジと、同じく1970年にReverberiがプロデュースしたLe Orme / Profumo delle violeの英米ロック調のイントロにあったと思います。

Il Balletto Di Bronzo - Meditazione 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=H3jvzVmYlLw
1970年5月発売。Gianni Leoneがチェンバロを弾いている。「Milva Canzoni di Edith Piaf」と同時期にナポリでもバロック音楽がロックに取り入れられていた。





2000年「MILVA LAST JAPAN TOUR」のプログラム
全20曲中3曲が「Milva Canzoni di Edith Piaf」から選曲され、第1部の最後はその3曲のメドレーで締めくくられた。第2部の最後の曲はCaruso。
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 追悼RIP ミルバ Milva Bは、1970年代の10年間を振り返る予定でしたが、1番好きな曲である1970年の「私の神様 Mon Dieu」からミルバの経歴における「Milva Canzoni di Edith Piaf」の重要性がわかり、それだけで今回のブログは終わることになりました。

 サンレモを中心とする1960年代のイタリアンカンツォーネと、1970年代前半のシンフォニックなイタリアンポップスやProgressive Rockを架橋するレコードの一つが「Milva Canzoni di Edith Piaf」ではないかと思いました。

 そしてイタリアの音楽史におけるLuigi Tencoの存在についても改めて考えさせられました。25年ぐらい前にFMラジオで「フランスでは、イタリアでサンレモ音楽祭だけが継続できたのはLuigi Tencoの功績だと考えられている」「今はイタリアでは彼の行為は英雄的だと言われている」という話を聞きました。その後、世界のシンガーソングライターを対象とするLuigi Tenco賞が創設され、Peter hammillなども受賞しています。

 追悼RIP ミルバ Milva Cは、1970年代以降を振り返ってみたいと思います。

Milva - Mon Dieu live (フランス語)1983年 
https://www.youtube.com/watch?v=gCnrJUPLTXw
1970年のGian Piero Reverberiのバロック調のアレンジが踏襲されている。






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2021年06月04日

追悼 RIP ミルバ MilvaA 〜 1960年代のミルバ                 〜 ミルバとミーナ・宿命のライバル 〜

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1964年に「ウナ・セラ・ディ東京」で日本に衝撃を与えたミルバ


今日の1曲
 ミルバ Milva / リコルダ Ricorda (Sanremo 1963年) 
 ミルバMilva / ウナ・セラ・ディ東京 Una Sera di Tokyo
         (in Japanese 日本語) 1964年
 ビートルズ / 抱きしめたい I want to hold your hand 1964年
 ミーナ Mina / 砂に消えた涙 UN BUCO NELLA SABBIA
         (in Japanese 日本語) 1964年
ミルバ Milva / Ho capito che ti amo (Luigi Tenco)1967年
 クラウディオ・ビルラ Claudio Villa
         / 愛のわかれ Non pensare a me (Sanremo 1967年) 
 ミーナMina - L'immensità 1967年
  ジャニス・ジョプリン Janis Joplin - Ball & Chain 1967年
ミルバMilva / カンツォーネ Canzone (Sanremo 1968年)
 ジョニー・アリディJohnny Hallyday 1973年
         / ク・ジュテーム Que je t aime (in Japanese 日本語)
 ダリダ Dalida - Ciao Amore Ciao (Sanremo 1967年) 


〜 生い立ち・デビュー・成功まで 〜 ミルバとミーナ・宿命のライバル 〜


 今回は、ミルバの1960年代の音楽活動について、現在もイタリアで第一線の人気を誇るミーナとの対比という形で振り返ってみたいと思います。

 ミルバは1939年生で貧しい水田地帯の出身。赤毛で子供の頃は虚弱体質で父親を十代で亡くしています。クラブ歌手として生計を立てるようになり、1958年に1枚レコードを出しました。1959年にイタリア国営放送のオーディションで7600人の中から選ばれ、1960年Milvaとして再デビュー。1960年に歌ったエディット・ピアフの「ミロール」が3位になるヒットとなりました。

 これに対して、ミーナは1940年生で貴族出身。将来はマリアカラスのようなオペラ歌手になることを期待されていましたが、父親の反対を押し切ってイタリア初の女性ビート系歌手として1959年にデビュー。1959年に「月影のナポリ」が1位になり、以後「しあわせがいっぱい」などヒット曲を連発しました。

日本ではミルバよりミーナの人気が4年先行していた
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 ミーナはシャウトする唱法で「クレモナの牝虎」と呼ばれたのに対して、ミルバは「ゴーロの牝豹」と呼ばれました。

 そしてミルバとミーナは、ついに1961年のサンレモ音楽祭で対決しました。
 その結果、ミルバが3位と4位、ミーナは5位となりました。ミルバは「まったく突然現れたショッキングな新星」として脚光を浴びました。サンレモは1957年優勝曲のVolareがアメリカの第1回グラミー賞を受賞したため、世界中から注目を受けていました。その後ミルバも4回渡米して公演を成功させています。

 ミーナは1961年の審査の結果を不服として、以後、サンレモから要請されても出場を拒否し続けています。ただ、ミーナが不満だったのは審査員に対してであって、ミルバに対してではなく、後に自分の番組でミルバと共演しています。

ミルバとミーナのシングルチャート:芸術路線に転向したミルバは1963年からヒットが途絶えた。ミーナはポップ路線で1970年代までヒットを量産し続けた。
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 その後、ミルバは夫の貴族出身のディレクターの影響で大衆路線から離れ、芸術路線の選曲をとったため、ヒット曲は出なくなりました。サンレモ音楽祭には1961年から9年連続出場しました。

 特に1963年のサンレモで5位入賞したリコルダは感動的な名曲で、この年のサンレモで1番良い曲ではないかと思います。その後、ミルバも生涯のレパートリーとしていました。

ミルバMilva / リコルダRicorda 1963年
https://www.youtube.com/watch?v=pyT4I_hGOUk

ミルバ / リコルダ 左:国内盤初版 右:キング盤
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 ミルバに対して、ミーナはビート系のヒット曲を出し続けました。1961年8月にミーナは来日して、クラブでコンサートを行いました。しかし、1963年にスキャンダルのためミーナの活動は一時途絶えてしまいました。

ミーナMina (イタリア語) - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Mina_(cantante)
イタリアの歴史の一部ともいえるミーナの経歴


〜 1964年 カンツォーネブームの到来
           〜 日本語曲 ミルバ「ウナ・セラ・ディ・東京」の衝撃

1964年:日本公演のために初来日したミルバ
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 1964年のサンレモ音楽祭は、ジリオラ・チンクエッティ「夢見る想い」が優勝、ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」が入賞し、日本でも大ヒットしてカンツォーネのブームが起きました。

 RIFIから再起したミーナは、この年に「砂に消えた涙」の日本語盤を発売し、東京都内の洋楽レコードランキングでも2位になるほど大ヒットとなりました。この曲は最近では竹内まりあなど、たくさんの歌手にカバーされてきました。

Minaミーナ / 砂に消えた涙(日本語) UN BUCO NELLA SABBIA
https://www.youtube.com/watch?v=Cfm1CuD1NC0





ミルバ:1964年 初来日スケジュール(公演パンフレットより)
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 そして、1964年の4月に、1963年に初来日した「カンツォーネの王様」クラウディオ・ビルラからの推薦でミルバが初めて来日しました。

 ミルバは当初は日本の文化にとまどっていましたが、すぐに慣れると日本のファンになり、日本のミュージシャンの実力も信頼するようになりました。
 そして、ミルバの方から日本語の歌を歌いたいという要望があり、すでにザ・ピーナッツが発売していた「ウナ・セラ・ディ東京」を杉並公会堂で録音することになりました。

ミルバ Milva / ウナ・セラ・ディ東京(日本語)Una Sera di Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=Fk_bx3f-9lo
0:57あたりから異次元の世界に連れていかれる

 契約によりオーケストラには1時間しか時間がありませんでした。作曲者の宮川泰も駆けつけました。ミルバは交通渋滞で15分遅れて到着すると、15分で初見の曲について通訳者の説明を聞きながら歌詞にルビを振り、準備しました。

 残りの30分では、誰もが録音は絶望と思っていたところ、ミルバは1回目から完璧に歌いました。「本当にこの人はどういう人なのか」とそこにいた全員が衝撃を受けたようで、「ウナ・セラ・ディ東京」の噂はまたたく間に広まり、大ヒットとなりました。ミルバはドイツ語やフランス語の歌でもゴールドディスクを受賞しており、その集中力や記憶力は驚異的なものだったといえます。

ミルバ 1964年公演パンフレットとシングル盤「ウナ・セラ・ディ東京」
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 ミルバのコンサートでもアンコールのラストで「ウナ・セラ・ディ東京」が歌われました。初来日のため、客の入りも今一つだったようですが、来場した客は皆感動したようです。このコンサートのパンフレットに書かれた観客の以下のようなメモからも衝撃が伺えます。

 「実際にカンツォーネの力量にはおどろいた。行ったかいがあった。今はビートルズやプレスリーの歌がはやっているのに比べると、イタリアではこんな美しいカンツォーネがヒット曲であるとは信じられない位で、またイタリアのすばらしさを感じた。入りはよくなかったが、客はみな充分満足していた。最高にすばらしかった。」
 「1964 今年はPat BooneとClaudio Villaを他に聞きに行ったが、二人ともすばらしかったがこのMilvaにはかなわない。今年の思い出としてオリンピックとともにミルヴァの公演はheartに焼きつくことだろう。深く…..  悪いとこなし。よすぎる。大感激」

 このメモを書いた人は、さらに今度ミルバが来日するときは全国に見に行き、レコードも全部買うとまで書いています。日本でビートルズ旋風が起きた1964年にイタリアからも大きな衝撃が届いていました。ミルバも同時代に生きる者としてビートルズを常に意識してきたと述べています。ミーナもビートルズの歌だけのカバーアルバムを後に発表しています。

ビートルズBeatles / 抱きしめたい I want to hold your hand
https://www.youtube.com/watch?v=G9_3Q8gh_eQ





 1964年のカンツォーネブームがやや沈静化してきたころ発売された「ウナ・セラ・ディ東京」によって、日本のプロの歌手の間でもミルバのブームが起きました。ドイツの国民的歌手カテリーナ・ヴァレンテと、その盟友でドイツでも成功したザ・ピーナッツのヴァージョンも素晴らしいですが、聴き比べると、ミルバの与えた衝撃の大きさがわかると思います。

カテリーナ・ヴァレンテCaterina Varente /ウナ・セラ・ディ東京(日本語)
https://www.youtube.com/watch?v=Jlhs08Yft34

ザ・ピーナッツ / ウナ・セラ・ディ東京
https://www.youtube.com/watch?v=88jMeLgww1E





 ミルバ以外で印象に残った日本語ヴァージョンにフランスの国民的歌手ジョニー・アリディの「とどかぬ愛(ク・ジュテーム)」があります。ヒットには至りませんでしたが、ミルバにも通じるその情感と迫力には圧倒されます。フランス人はこの人の歌と声を聴いて育ったのかと思うと感慨深いものがあります。

ジョニー・アリディJohnny Hallyday / ク・ジュテームque je t aime (日本語)
https://www.youtube.com/watch?v=EPerIpH7a1c

 ミルバは、1964年の後、1966年にも来日しました。ミルバ、ミーナのレコードも定期的に発売され、ミルバの「二人の星」、ミーナの「別離」など日本語のシングルも発売されました。


〜 1967年サンレモ音楽祭 〜


1967年のサンレモで予選落ちしたミルバとダリダ
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 1967年のサンレモ音楽祭では、自作曲チャオ・アモーレ・チャオで予選落ちしたルイジ・テンコが審査に抗議して翌日にピストル自殺するという事件が起きました。この事件を最初に報道機関に向けて涙ながらに発表したのが、この年に優勝した「カンツォーネの王様」クラウディオ・ビルラでした。
 この年のサンレモには30曲、30組60アーティストが世界から参加し、コニー・フランシス、ホリーズ、ボビー・ソロ、ロス・ブラボーズなどでさえも予選落ちする厳しさでした。

 テンコの事件の1か月後にテンコのパートナーとしてサンレモに出場したフランスのダリダも、サンレモの同じホテルで自殺未遂を図りました。ダリダの両親はイタリア人でした。ミルバも1969年に自殺未遂を図ったと噂されました。

ダリダ Dalida - Ciao Amore Ciao (ルイジ・テンコ詞曲)1967年 サンレモ
https://www.youtube.com/watch?v=WZ6vZEIA0rs
予選落ちというのは理解しがたいとても作りこまれた名曲。ストリングスが1972年の全盛期のItalian Progressive Rockのシンセサイザーのように聞こえる。





 サンレモに連続出場しながら優勝に届かないミルバも、1961年の審査に抗議して出場を拒み続けるミーナもルイジ・テンコへの追悼と敬意からテンコの曲をレコーディングしています。
 ミーナも1961年の事件がなければ、サンレモに連続出場して入賞や優勝もしていたでしょう。当時日本でも毎年サンレモがテレビで放映され、布施明もテンコの自殺に衝撃を受けたとテレビで語っていました。

ミルバ Milva - Ho capito che ti amo (ルイジ・テンコ詞曲)1967年
https://www.youtube.com/watch?v=1KF35FIVPYU

ミーナ Mina / Vedrai, vedrai (ルイジ・テンコ詞曲)1972年
https://www.youtube.com/watch?v=6mr5ZOgPpH0

 1967年には、ビートルズがSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandを発表しています。サンレモには1966年にイギリスからYardbirdsも出場しており、イタリアではイギリスの影響を受けてNew TrollsとLe Ormeが1967年にデビューしています。ブリティッシュロックとイタリアは相互に影響を与えあっていました。

Beatles / A Day In The Life
https://www.youtube.com/watch?v=YSGHER4BWME
ビートルズもルイジ・テンコの事件の報道を聞いたという。ルイジテンコが自殺したのは1月26日、A Day In The Lifeのオーケストラ部分の録音は2月10日、エンディングの最大音の1拍(Eメジャー・コード)は2月22日に録音。このエンディングの手法は、ルイジ・テンコ盤のCiao amore ciaoのアレンジャーGian Piero Reverberiが、1973年にLe OrmeのFelona e Soronaで踏襲した。





〜 1967年11月・伝説のミルバ対ビルラ「決闘」来日公演 〜

日本でのみ発売されたLP「ビルラ・ミルバ イン・ジャパン」
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 そして1967年11月2日に厚生年金大ホール、4日に日比谷公会堂で伝説のミルバとクラウディオ・ビルラの「対決」来日コンサートが行われました。以前もブログで書きましたが、数曲ごとに二人で交互で歌うというイタリアでも例のない形式でした。

 このコンサートで、ミルバは、ミロール、リコルダの他にルイジ・テンコのSe stasera sono quiも歌い、アンコールで、Il mondo、二人の星、ウナ・セラ・ディ東京を歌っています。

 日本ではカンツォーネの「王様」「女王」と呼ばれた二人もふだんはとても仲が良かったのですが、このコンサートの間はまったく口を聞かず、舞台の袖口で相手の歌に対する反響に神経を尖らすさまは、他では見たことのない想像を絶する凄まじいものだったそうです。勝気のミルバに対し、1967年のサンレモで優勝したばかりのビルラにも意地があったでしょう。

 マイクがなくても通用するほどの声量がある二人の真剣勝負に、会場は興奮のるつぼと化し、コンサートの後も観客は茫然としていたと言われています。ジャンルは違いますが、同じ1967年に行われたモンタレー・ポップフェスティバルでのJanis JoplinとMilvaには通じるものが感じられます。

クラウディオ・ビルラClaudio Villa - Non pensare a me (live video)
https://www.youtube.com/watch?v=JLbM3_D4JkI
1967年サンレモ優勝曲





Janis Joplin - Ball & Chain - Monterey Pop 1967年
https://www.youtube.com/watch?v=X1zFnyEe3nE






〜 1968年サンレモ音楽祭 ミルバの1960年代の頂点「Canzone」〜


左:ミルバ / Canzone (1968年サンレモ)右:ミーナ/ L'immensita 1967年
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 ミルバの歌手人生の中でも頂点の一つは1968年のサンレモ音楽祭で3位になった「カンツォーネCanzone」でしょう。このことについては、2008年6月21日のまだ始まって10回目の当ブログで書きました。

ブログあしあと2008年06月21日 今日の1曲 I Milva ミルバ
http://soleluna.seesaa.net/article/101194185.html

 1968年のサンレモ優勝曲はSergio EndrigoのCanzone per teでした。その作詞者はNew TrollsのConcerto Grosso、OsannaのMilano Cariblo9の作詞とプロデュースを担当したイタリアで最も偉大な作詞家の一人といわれるSergio Bardottiでした。

 1968年の優勝の最有力候補はDon Backy作詞のCanzoneでした。ミルバも前年11月の来日の際に、来年のサンレモではすごい曲で参加すると語っていました。「Canzone」のタイトルは、ずばり「歌」を意味し、Sergio Bardottiは「Canzone」に対して「per te」を加え、「Canzone per te」(君のための歌)として勝負を挑んだのでした。

 結果として、CanzoneのMilvaのパートナーのパフォーマンスが不評を買ったことと、同じDon Backy作詞のCasa Biancaが2位、Canzoneが3位と票が割れたことで、Canzoneは優勝を逃してしまいました。この時にミルバが優勝していれば、彼女に対する評価も変わったでしょう。

ミルバ Milva / カンツォーネCanzone (Sanremo 1968)
https://www.youtube.com/watch?v=E7TCA8Kcfz8
サンレモでのライブ。まさにJanis Joplinのイタリア版であり、当時のイタリアのどのロックバンドよりも激しい。カンツォーネの枠を超えたイタリアンロックの元祖ではないかと思う。


〜 ミルバとミーナ 1960年代のライバル 〜


 1961年以降、ミルバがサンレモに連続出場するのに対し、ミーナはサンレモ参加曲から選曲して独自の世界を作り上げていました。

 その最高作が1967年サンレモで9位に入賞したドン・バッキー作のL’immensita(無限)であり、1960年代のミーナとミルバの戦いの頂点となるのが、L’immensitaとCanzone(ドン・バッキー作詞)ではないかと思います。

 いずれの曲もモザイク構造とも呼ばれたドンバッキーの曲をさらにアレンジしたもので、Italian Progressive Rockの原型とも感じ取れます。PFMもMinaの元スタジオミュージシャンであり、1972年にMinaは自分の番組Teatro10でMilvaと共演し、PFMを出演させています。

ミーナMina - L'immensità (1967)
https://www.youtube.com/watch?v=jkRwSTJ1cj0
日本のプロの歌手もミーナのロングブレスに驚嘆していた。

 ミルバは日本で「カンツォーネの女王」と呼ばれるようになります。これに対して、ミルバは「ミーナがいるじゃない」と述べ、敬意を表していました。 
 ミルバは1967年に日本で発売された「ミルバの詩」でミーナのLe tue maniを取り上げています。このLPは特に日本人のファンに向けて選曲されたものでした。Le tue maniは夢の世界を漂うような美しいバラードです。

ミルバMILVA / LE TUE MANI 1967年
https://www.youtube.com/watch?v=otdlGEuOS6c

ミーナMina / Le tue mani 1962年
https://www.youtube.com/watch?v=FJu1fiVJEHE

 サンレモ優勝を懸けた1968年のCanzoneで燃え尽きたのか、ミルバはさらに一般大衆から離れてLP中心の芸術的志向を強め、1970年代以降、Ennio Morricone、Vangelis、Franco Battiato、アストル・ピアソラなどとの共作を発表します。 

 そしてミーナも1968年に自分の理想のレーベルPDUを立ち上げ、1970年代に入るとLucio Battistiの曲などで大ヒットを飛ばしながら、German Progressive Rockをイタリアに紹介しています。

 次回は、「追悼 ミルバ MilvaB」として、1970年代のミルバを振り返ってみたいと思います。

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2021年05月27日

追悼 ミルバ RIP Milva @ 〜 1986年 ミルバとの出会い             ミルバとヴァンゲリス Milva&Vangelis / Desiderato sogno

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Yomiuri Weekly ”AERA" 2000年7月16日号の表紙になったミルバ


今日の1曲
 ミルバ Milva / Desiderato sogno(Vangelis 作編曲)1986年
 Riccardo Cocciante / Violenza(Vangelis 編曲)1976年
 Vangelis / 世界の創造 Creation Du Monde 1973年
 ヴァンゲリス Vangelis / 五輪 Five Circles 1982年
 Milva / 海辺の少女 PLUIE SUR LA MER (Vangelis曲) 1981年

 イタリアの大歌手ミルバが4月23日に81歳で亡くなってからもう1か月が経ちました。遅れてしまいましたが、40年間聴いてきたミルバを追悼し、その活動を振り返ってみたいと思います。

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イタリアのファンからもらったドイツ製のカードとサイン

イタリアの歌手ミルバさん死去、81歳:時事ドットコム (jiji.com)
https://www.jiji.com/jc/p?id=20210425112842-0037675617

ミルバ(日本語) wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%90

イタリア音楽のサイト「POP ITALIANO」より
Milva | ミルヴァ バイオグラフィー
https://www.musica.itreni.net/artisti/milva.html

ミルバ(イタリア語) wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Milva
詳細な経歴、イタリアのアーティストとして最多という膨大なLPディスコグラフィー、映画・テレビ・演劇出演、サンレモ音楽祭出場歴など

イタリアでのミルバ追悼文
È morta Milva, la "Rossa" della canzone d'autore
https://www.repubblica.it/spettacoli/people/2021/04/24/news/e_morta_milva-297804515/?fbclid=IwAR3ZvbagzX4UpgJuXSwb8FzvmGYH0taI1jm-bJf2E7srjcuwp5dxbIOO4oI


〜 ミルバとの出会い ミルバ・ヴァンゲリスVangelisを歌う 〜


全曲Vangelisの作曲・アレンジによる1986年のLP Milva / Tra due sogniの裏ジャケット。このLPの中のDesiderato sognoを聴いてMilvaのファンになった
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Milva / Desiderato sogno  Vangelis作編曲 1986年
https://www.youtube.com/watch?v=_1Ct1Cc5H3U&list=PL9JMZ0__9hXPFomg3RpTmzw0sQI0ESgcH&index=4


 初めてミルバに関心を持ったのは、1981年のドイツ語で歌われたLP「女心 / ミルバ・ヴァンゲリスを歌う」でした。

 名前だけはよく聞いていた有名な女性シンガーが、Progressive RockのVangelisとつながりがあるということは、とても新鮮な出来事でした。





 VangelisはAphrodites Childのリーダー、シンセサイザーのパイオニアであるだけではなく、1976年のイタリアのRiccardo CoccianteのConcerto per Margheritaや1974年のClaudio Baglioni / E tuなどのアレンジャーでもありました。
 それらの作品は、ときにアレンジが歌を凌駕するほど素晴らしく、歌とアレンジが1+1=2ではなく、4や5、10にもなる大傑作でした。   

 特に1980年に初めて聴いたRiccardo Coccianteの「Concerto per Margherita」は、ほぼ全曲捨て曲がない自分にとってはBeatlesのRevolverに匹敵するような完璧なアルバムの一つでした。 

Riccardo Cocciante / Violenza  Vangelis編曲 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=H9E6Oaigs3w
Concerto per MargheritaのB面の1曲目。冒頭からVangelisの世界に引き込まれる。後にMilvaはRiccardo Cocciante の Era Gia Tutto Previstoをドイツ語でカバーしている。





「女心」の中では、特にVangelisの最高作とも呼ばれる「動物の黙示録」の中の「海辺の少女」が印象的でした。ただ、このアルバムはヴァンゲリスのアレンジではなかったため、Vangelis独自のシンセサイザーは聴けませんでした。

ミルバ MILVA - 海辺の少女 PLUIE SUR LA MER (Vangelis曲) 1981年
https://www.youtube.com/watch?v=AOohql8w7HE
フランス語ヴァージョン

Vangelis / 海辺の少女 La petite fille de la mer 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=P6qoTPhhv9w

Vangelis / 世界の創造 Creation Du Monde
https://www.youtube.com/watch?v=v-3H5O54-Es&list=PLIoFxSeC9xA5cDBjyEvDjvE33iZXihqJA&index=6
「動物の黙示録 L'apocalypse Des Animaux」の中のヴァンゲリスの最高楽曲の一つとされる名曲。Yesのコンサートの開演前に流された。

 ヴァンゲリスは「炎のランナー」で1982年にアカデミー音楽賞を受賞。
 映画、音楽共に素晴らしい作品でした。
 タイトル曲は誰もが一度は耳にしたことがあるような名曲ですが、五輪 Five Circlesには特に惹かれました。

Vangelis / 五輪 Five Circles 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=TmlS5riwapM





 アカデミー音楽賞で世界的な音楽家となったヴァンゲリスが、1986年に再びミルバのための第2弾LP「夢のひととき・Tra due sogni」を作ったことに驚きました。Tra due sogni(2つの夢の間)というタイトルからも、本当にVangelisとMilvaは深くつながっているのだと思いました。

 今回のアルバムTra due sogniは、全曲Vangelisの作曲かつアレンジでした。
 そのLPの中の曲Desiderato sognoで、完全にVangelisの作るミルバの世界に魅了されました。

Desiderato sognoは、個人的にはVangelisの曲の中で、Aphrodites Childの「エーゲ海」などの名曲群や「世界の創造」、「五輪」、ジョン&ヴァンゲリス「So long ago, so clear」などと並ぶ曲です。

Milva / Desiderato sogno (英訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=isPEI_DArPk





 Desiderato sognoをきっかけにミルバに惹かれ、その後、ミルバが何度も来日している親日家であることを知り、昔の曲も聴くようになりました。

 苦しい人生だった1988年から2005年の間、一番精神的にパワーを与えてくれたのが、James BrownとMilva、山口冨士夫でした。ほとんどライブに行かなかったその期間中、ジェームス・ブラウンとRolling Stones(ミックジャガー単独も含む)のライブには2回ずつ、ミルバは4回、山口冨士夫のライブには3回行きました。

 このブログを2008年のちょうど梅雨の時期に始めた大きな動機となったのが、James BrownとMilvaについて書きたいと思ったことでした。ミルバについても何度かブログを書いてきました。

 特に冬の寒い孤独なときに、ミルバの強く暖かい声を無性に聴きたくなります。ちょうど2019年の年末と、2020年1月18日のブログでもミルバのことを書いていました。

2020年1月18日ブログ
「謹賀新年2020年・令和2年 ミルバMilva回顧」
http://soleluna.seesaa.net/article/473157327.html

 これからもミルバを聴き続けるでしょう。
 今まで素晴らしい歌をありがとうございました。
 次回、追悼ミルバAは、1960年代のミルバを振り返ってみます。

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2021年05月21日

追悼フランコ・バティアートFranco Battiato ~ Prospettiva Nevski

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1972年の2ndアルバムPollution(汚染)の裏ジャケット。最後の曲など当時の他のProgressive Bandと同様にベトナム戦争に対する苦悩が現れている。


今日の1曲
  Franco Battiato - Pollution 1972
  Franco Battiato - Sulle Corde di Aries 1973
  BATTIATO e ALICE / Prospettiva Nevski 2016


 昨年の6月に「カッコいい女性ボーカル イタリア編 」として紹介したALICE のProspettiva Nevski の作者Franco Battiatoが亡くなりました。

Franco Battiato - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Franco_Battiato
バティアートの膨大な作品群

 1980年代以降、新譜を新品で買ったレコードやCDは少ないのですが、1985年作のALICEのGioielli rubatiはジャケットに自信がみなぎっていて、買う決心がつきました。

 その1曲目のProspettiva Nevskiは、世界的な潮流だったNew Waveの中で最も完成された美しさがあると思いました。そこで、その作者のFranco Battiatoの名前は強く印象に残りました。

Alice - Prospettiva Nevski (Saint Vincent Estate '85)
https://www.youtube.com/watch?v=LmcgUVrKSgQ




 
 Franco Battiatoは1980年代にイタリアで出す作品が軒並みに1位で、輸入盤コーナーではBattiatoのLPをよく見ました。しかし、聴いたのは、Gioielli rubatiだけで、Battiatoのソロアルバムは聴く機会がありませんでした。

 今回Battiatoの作品を初めて聴いて多くの発見がありました。2歳年上のLucio Battistiは1970年代に時代の半歩先を行く王道スタイルで新譜のたびに1位でした。これに対して、Battiatoの1970年代はProgressive Rock、Synthesizer、ミニマルミュージックなど時代の1歩先を行く実験的な音楽でした。

1970年代のLPチャート
Battistiが1位を独走する中で、Battiatoは実験的音楽を続けていた。
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 しかし、1972年の2ndアルバムPollutionは、実験作ながらLPチャートでは最高10位まで到達し、テレビにも出演しています。ヘッドホンで聴くと、今まで聴いたことのないシンセサイザーの響き、メロディーの良さに感動しました。

Franco Battiato - Pollution (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=JCgt60kIQLY&t=417s
他のイタリアのロックバンドとは異なる独自のクラシックとロックの融合。





 3rdアルバムSulle Corde di Ariesでは、ドイツロックから影響を受けたミニマルミュージックもあり、ボーカルを除けばドイツのOhrの音源と言われても違和感がありません。Klaus Schulzeの1972年ごろの未発表音源のようです。
 
 ちょうどミーナMinaもドイツに興味を持ち、1974年から自分のレーベルPDUからOhr、Pilzを発売しています。MinaもBattiatoもOhr、Pilzなどをドイツの輸入盤で手に入れていたのでしょう。ドイツとも異なるイタリア独自の感覚のBattiatoの美しいミニマルミュージックに感動しました。

Franco Battiato - Sulle Corde di Aries (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=DdmO_BnbpHM
10:00〜18:00がミニマルミュージック





 1980年代に入って、Battiatoは実験音楽からPOP musicに移行するのですが、1970年代の実験の要素も入った独自のものでした。そして、1980年のアルバムPatriotsの中で、自身でProspettiva Nevskiを発表しています。

Franco Battiato がProspettiva Nevskiの歌詞に取り上げたニジンスキー
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Franco Battiato - Prospettiva Nevski
https://www.youtube.com/watch?v=zWViOtrFcrs

Prospettiva Nevski 歌詞
https://www.angolotesti.it/F/testi_canzoni_franco_battiato_127/testo_canzone_prospettiva_nevski_7392.html





 そして1985年にAliceがProspettiva Nevskiをカバーするのですが、個人的にはこのAliceのヴァージョンは、1980年代以降のイタリア音楽ではトップ10に入る作品です。
 
 2016年のBATTIATO と ALICEの共演によるProspettiva Nevskiのビデオを見ると、イタリアではクラシック音楽も含めたイタリア史上屈指の名曲の一つと評価されているのではないかと思います。

BATTIATO e ALICE Prospettiva Nevski 2016
https://www.youtube.com/watch?v=FE2bcDpW8QE

 Franco Battiatoさんのご冥福をお祈りします。

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2021年05月03日

ビートルズ関連書籍「ウェルカム! ビートルズ」               −1966年ビートルズの武道館公演を実現させたビジネスマンたち−                        〜 永遠の憧れ「★★★ 東芝音楽工業株式会社」 

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今日の1曲
Beatles / Two Of Us 1970年
Beatles / Let It Be (シングルヴァージョン)


 図書館で久々にワクワクしながら一気に読める素晴らしい本に出会いました。
 「ウェルカム! ビートルズ」という本で、メインになっているのは「東芝音楽工業株式会社」の「ビジネスマンたち」の活躍です。ビートルズ関連の書籍は多く目を通してきましたが、音楽分析の本がほとんどの中で、この本は新鮮で勇気づけられました。

 初めて自分の小遣いで買ったシングル、LPは、ともにビートルズの「レット・イット・ビー Let it be」だったので、Appleのリンゴのラベル、黒いレコード内袋、ジャケット・歌詞カードに印字された「東芝音楽工業株式会社」の名は絶対的な存在でした。

初めて買ったシングルLet it beのB面You know my name
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Beatles / Let It Be (シングルヴァージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=HzvDofigTKQ


 

Beatles / Two Of Us
https://www.youtube.com/watch?v=cLQox8e9688
LP「Let it be」のA面の1曲目。今聞いてもレコードに針を落とした時の感動がよみがえる。





 そして東芝の石坂敬一氏が1972年に出したBeatles Foreverの本をレコード店でもらい、さらにビートルズのLPを5枚、シングルを3枚購入。東芝のレコードのジャケットの背の上の方には3つの星★★★のマークがついていてレコードを並べるのが楽しみでした。

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 その後、1975年にOdeon「東芝音楽工業株式会社」のタンジェリン・ドリーム「ケンタウロス座のアルファ星」Tangerine Dream / Alpha Centauri、アモンデュールU Amon Düül Uを買いましたが、これらは石坂氏が発売を決めたものでした。イタリアのミーナ Minaなどヨーロッパ全般を石坂氏が担当していたそうです。ミーナもタンジェリン・ドリームのOhrと契約して自分のレーベルPDUから1975年に「Alpha Centauri」を発売していました。
 ゴールデン・カップスのCapitolも「東芝音楽工業株式会社」でした。

ミーナの東芝盤LP
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 このように「東芝音楽工業株式会社」、石坂敬一氏は自分にとってすごく大きな存在だったのですが、「ウェルカム! ビートルズ」を読んで、今までほとんど知られていなかった敬一氏の父の範一郎氏がさらにすごい人だとわかりました。

 「上を向いて歩こう」のビルボードNo.1を実現させ、ビートルズブームを画策し、来日を実現させたのは範一郎氏の音楽的才覚と人脈によるものでした。それによって、範一郎氏は何度も傾いた「東芝音楽工業株式会社」の経営を立て直したのでした。
 
 さらに範一郎氏と縁戚のある石坂泰三氏がすごい人で、戦争直後に倒れ掛かった東芝を再建させたカリスマ経営者であり、東芝に「東芝音楽工業株式会社」という音楽部門を作り、反対を押し切ってその存続を支え続けた人でした。そして、ビートルズ来日の際に反対する政財界の大物を説得したのも泰三氏でした。

 自分が憧れた「東芝音楽工業株式会社」にこのようなドラマがあったことを知り、改めて「東芝音楽工業株式会社」のレコードを手にとるとそのありがたさと重みが伝わってきました。コロナで心が折れそうな日々に夢と希望を与えられました。


ウェルカム! ビートルズ



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posted by カンカン at 12:30| 神奈川 ☁| Comment(0) | ビートルズ The Beatles  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする