2021年07月06日

追悼RIP ミルバ Milva B 〜 1970年のミルバ 私の神様 Mon Dieu            最高傑作 「ミルバ ピアフを歌う Milva / Canzoni di Edith Piaf 」

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1970年にGian Piero Reverberiが編曲・指揮したMilva / Mon Dieu(左)と
ReverberiがプロデュースしたLe Orme / Il Profumo delle viole(右)が
1971年から隆盛となるItalian Classical PopとProgressive Rockの源流となる


今日の1曲
 ミルバ Milva / 私の神様 Mon Dieu 1970年
 ローリング・ストーンズRolling Stones / Gimme Shelter 1969
 ビートルズBeatles / Let it be 1970年
Aphrodite's Child / It's Five O' Clock 1970年
  I Leoni / Ogni Notte 1970年
  Ornella Vanoni / Mi sono innamorata di te 1968年
  エディット・ピアフ Edith Piaf / 愛の賛歌 1950年
  エディット・ピアフ Edith Piaf / 私の神様 Mon dieu 1960年
  ミルバ Milva / 愛の賛歌 Inno all'amore 1970年
  ニュー・トロルス New Trolls / Una nuvola bianca 1970年 
  ルイジ・テンコ Luigi Tenco / Quando 1961年
  ミーナMina / La mente torna 1971年
  Le Orme / Il Profumo delle viole 1970年
  Lucio Battisiti / Emozioni 1970年
 ミルバ Milva / 私の神様 Mon Dieu live 1983年


 6月4日で拙いブログも13年目に入ることができました。2008年にはミルバが亡くなることなど想像もつきませんでした。2000年にジャパンラストツアーを行ったときはこれで最後かと思いましたが、2008年10月に69歳で再び来日公演を行い、直接ミルバとは会えませんでしたが、渋谷のオーチャードホールの楽屋口に頼まれて行った時のことを覚えています。
 本当にミルバは日本が好きだったのだと思います。

 思い返すと、自分が好きなミルバの歌は、1963年のRicorda、1964年の「ウナ・セラ・ディ東京」、1968年のCanzone、1972年のLa Califfa、1986年のDesiderato sogno、そして、1970年の「私の神様 Mon Dieu」に絞られました。その中でも「ミルバ・ピアフを歌うMilva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」の中の「私の神様Mon Dieu」が1番だと思いました。

 1970年の「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」はイタリア初のトリビュート・コンセプトアルバムです。そして、その中の「私の神様 Mon Dieu」「愛の賛歌Inno all'amore」こそ、ミルバの最重要作であり、1971年に隆盛を迎えるオーケストラを主体とするItalian Classical Pop及び1971年のLe Ormeを起点とするItalian Progressive Rockの源流ではないかと思いました。

 1994年の来日公演ドラマチックリサイタル「ピアフ 愛の賛歌」では、第2部がほとんどピアフの曲で構成されました。
 また、ミルバの最後期の日本公演のプログラム中に「Milva Canzoni di Edith Piaf」からの選曲が占める割合は最後になるほど高くなっています。したがって、ミルバ自身が本作を最高傑作と考えていた可能性は高いと思います。
 
※ 来日公演での「 Milva Canzoni di Edith Piaf」からの選曲
 2000年「MILVA LAST JAPAN TOUR」         → 全20曲中3曲
 2006年9月 東京中野サンプラザ公演         → 全21曲中4曲
 2008年10月 渋谷オーチャードホールMilva最終公演  → 全17曲中6曲

2008年15度目の最終来日公演でミルバの歌う17曲中6曲を
「ミルバ ピアフを歌う Milva Canzoni di Edith Piaf(全10曲)」の曲が占めた
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 そこで、以下のように振り返ってみたいと思います。

 T 「私の神様」「Milva Canzoni Di Edith Piaf」を生んだ
     世界とイタリアの1970年の音楽シーン
 U ミルバとピアフの絆 1960年と1970年
 V ミルバと編曲者Gian Piero ReverbeliそしてLuigi Tencoの1960年代
 W 「Canzoni Di Edith Piaf」の
      1970年代のClassical PopとProgressive Rockへの影響
     

ミルバMilva / 私の神様 Mon Dieu 1970年 
https://www.youtube.com/watch?v=Nfht1u5iMsA
「ミルバ ピアフを歌う Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」より
Gian Piero Reverberiによるイントロには、バッハの「G線上のアリア」からの影響が感じられる。バロックの手法はその後1970年代のLe Ormeなどの作品に反映された。1969年までのイタリアンポップスにはクラシックとの境界線があったように見られ、そのようなバロックの手法は見られなかった。





〜 T 1970年の世界とイタリアの音楽シーン 〜


1969年〜1970年の音楽シーンを象徴するLet it beとLet it bleed
前者は小学校5年生、後者は6年生の時に買った手元に残る最も古いレコード
Let it bleedの帯には「今年度最高の芸術レコードをキミに!」とある
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 「ミルバ・ピアフを歌う」が発売された1970年の前年1969年はベトナム戦争による混乱が続き、60万人が集まったウッドストックの反戦コンサート、1970年にはワイト島フェスティバルが開かれました。

 1969年を最も象徴する1曲の一つとしてローリング・ストーンズRolling Stones / ギミー・シェルターGimme Shelterが挙げられます。ミック・ジャガーは「Gimme Shelter、そしてアルバムLet it bleed全体がベトナム戦争の影響下にあった。テレビではベトナム戦争の映像がたくさん映し出されていた」と述べています。

The Rolling Stones - Gimme Shelter (Official Lyric Video)
https://www.youtube.com/watch?v=RbmS3tQJ7Os
ギターはキースのみ。最高傑作Let it bleedは5月までにロンドンで録音された後、7月3日にBrian Jonesが死亡。10月にさらにオーバーダビングによって曲が完成された。Merry ClaytonのシャウトにはMilvaと通じるものが感じられる。





 ビートルズは1969年1月にGet Back Sessionを録音。ローリング・ストーンズは「Let it bleed」を同年12月に発売。
 ビートルズは1970年4月に解散し、5月に「Let it bleed」への返答のようにLPのタイトルを「Let it be」としてGet Back Sessionを発売しました。

Beatles / Let It Be
https://www.youtube.com/watch?v=QDYfEBY9NM4
イタリアでも5月に4週間1位

 1970年は、ビートルズ解散、Jimi Hendrix、Janis Joplinの死などによりRockは空白期を迎えました。その後1971年のLed ZeppelinW、1972年のYes / Close to the edge、John Lennon / Imagineなどによりロックの創造性は全盛を迎えます。

 日本でも隆盛を極めたGSブームが1969年に終焉を迎え、大晦日にダイナマイツが解散しました。1970年の空白期にニューロックが生まれ、村八分が徐々に形を形成していきます。

1970年4月〜9月のイタリアのシングル1位のチャート 
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 イタリアの1970年のサンレモ音楽祭はNicola Di Bariが2位、Ornella VanoniとCamaleontiのEternitaが4位。Milvaは欠場しました。音楽祭自体の人気は頂点でしたが、最高年度とされる1968年ほどの緊迫感はなく、1970年代にサンレモ音楽祭は一度衰退します。 

 イタリアではビートルズのLet it beの後にAphrodite's Child のIt's Five O' ClockがRain and Tears以来2年ぶりに1位、11月にはSpring Summer Winter & Fallも1位になっています。いずれもMilvaが後にカバーしており、MilvaがVangelisやProgressive Rockに関心があったことが伺えます。

Aphrodite's Child / It's Five O' Clock
https://www.youtube.com/watch?v=hRRrcornawE
当時ボーカルのデミス・ルソスも世界の情勢に関連して「Music don’t have nationality」とイタリアのテレビで語っていた。





 1970年の新たな兆しとして、Minaが9月に初めてLucio Battisti作曲のInsiemeで1位になり、Battisti自身も7月にFiori rosa fiori di pescoが初の1位、12月にEmozioniのB面のAnnaも1位になり、Mina-Battisitiの黄金時代が到来します。

Mina - Insieme 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=b8BDwKKbdu0

 混沌とする1970年を象徴する1曲として、Milvaが当時所属したイタリアで最も歴史のあるDischi Ricordiから11月に発売されたI Leoni のOgni Notteがあります。ベトナム戦争を背景にしたKing Crimson / Epitaphのイタリア版ともいえる重い内容で、後のRicordiのBanco、Museo RosenbachなどProgressive Rockの先駆けともいえます。

I Leoni - Ogni Notte (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=eljC2b5DjU0
Enrico Riccardiが作曲・Produce。パイプオルガンの異様だが素晴らしいコード進行。最大手のレコード会社がこのような特異なシングルを出したことも時代を顕している。





 このような1970年に「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」が発売されています。これはイタリア初のトリビュート・コンセプトアルバムで、Mina、Lucio Battistiにも影響を与えたと思われます。Battisitiは翌1971年に初のコンセプトアルバムAmore e non amoreを発売し、Minaは1975年のMina canta Lucio以後、多くのトリビュートアルバムを発売しました。

 また、コンセプトアルバムであるため、歌とオーケストラのアレンジにおいて、商業的なシングル曲のような制約のない極限の試みがされています。これはその後、1971年のLuiz BacalovのConcerto Grosso、1972年のEnnio MorriconeがMilvaに捧げたアルバム、多くの編曲家たちによるItalian Classical Pop、そしてItalian Progressive Rockに多大な影響を与えたと思います。






〜 U ミルバとピアフの関係  1960年ー1970年
 イタリア初のトリビュートアルバム「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」 〜


「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」の内ジャケットの写真 右がEdith Piaf
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 ミルバは、すでに1965年に革命的な歌と自由の歌を歌ったイタリアで最初期のコンセプトアルバムともいえる「Canti Della Libertà(自由の歌)」、1968年には「ミルバ・タンゴを歌う」を発表していました。
 
 1968年には、ミルバのサンレモでの最大のライバル、Ornella Vanoniの複数のカンタウトーレの曲を歌った「自作自演歌手に捧ぐ Ai Miei Amici Cantautori」が話題になりました。また、ビートルズのSGT.Peppersの影響を受けたNew Trolls(1968)やLe Orme(1969)の1stアルバムもイタリアンロック初期のコンセプトアルバムでした。

Ornella Vanoni / Mi sono innamorata di te (Luigi Tenco詞曲)
https://www.youtube.com/watch?v=BtzFS2r2h3k
「Ai Miei Amici Cantautori」の中でも名演とされる1曲





 ミルバは、1968年の「カンツォーネ」で最有力視されていた優勝を逃した後、1969年のUn Sorrisoも3位で雪辱を果たせませんでした。1969年には私生活上の悩みから自殺未遂を図ったと報道されました。

 そして1970年5月までミュージカル「旗の中の天使」の8か月間のロングラン公演のため、1970年のサンレモに欠場し9年間の連続出場記録が止まりました。日本でもミルバが欠場したため、レコード会社に「おそろしくたくさんの人たちから問い合わせがあった」そうです。

 全曲すべてがピアフに捧げられたイタリア初のトリビュートアルバム「ミルバ・ピアフを歌う」が企画・制作されたのは、そのような時期でした。それまでは、ミルバの音楽については夫のプロデューサーが主導していましたが、このアルバムはミルバの意思によるものでした。

 音楽的にも私生活でも苦難の時期だったからこそ、ミルバはピアフに救いを求め、追憶と感謝を込めてピアフを歌おうとしたと思われます。ミルバと音楽史上最大の歌手の一人であるエディット・ピアフには深いつながりがありました。

エディット・ピアフEdith Piaf - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%95
フランスの歴史の一部であるピアフの経歴





1958年のイタリアシングルチャート グラミー賞を獲ったDomenico Modugno / Volareが3〜4月に5週間1位。Paul Anka / Dianaが4〜6月に8週間1位。 Edith Piaf / Hymne à l'amourが6週間1位の後、Dianaが再び10週間1位
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 エディット・ピアフEdith Piafの最も有名な曲「愛の賛歌 Hymne à l'amour」は1950年に発売され、イタリアでは1958年の9月に1位になっています。フランス語で歌われたものと思われます。

 他のフランスの歌手Dalidaも1960年代にイタリアで1位になり、Sylvie Vartanも2位になりましたが、いずれもイタリア語ヴァージョンであり、Hymne à l'amourのようにフランス語の歌がイタリアで1位になったのは1曲だけと思われます。
 イタリア人は、歌の意味がわからなくても、ピアフの声とメロディーの美しさだけで圧倒されたのだと思います。

日本のCOLUMBIAレコードの1954年の最初の洋楽シングル盤もピアフだった
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 日本でもエディット・ピアフの「愛の賛歌」は有名で、一度聴いたら忘れられないメロディーだと思います。美輪明宏も少年時代から憧れており、紅白歌合戦でも原曲に忠実な訳詞で「愛の賛歌」を歌っていました。越路吹雪の代表曲としても有名です。

 無名時代のミルバも、それまでのイタリアにはないエディット・ピアフの声に魅了され、自分の中にあるものと重なり、虜になったのではないかと思います。 

エディット・ピアフ Edith Piaf / 愛の賛歌 Hymne à l'amour
https://www.youtube.com/watch?v=gRzfarR_4Zo

エディット・ピアフ Edith Piaf / 私の神様 Mon Dieu スタジオ録音
https://www.youtube.com/watch?v=rt8okA5ZYTM

エディット・ピアフ Edith Piaf / 私の神様 Mon Dieu ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=RgvEV9B-IEw





 1960年にPiafの新曲ミロールMilordが再びイタリアで3位の大ヒットになると、デビュー曲Tango Italianoがヒットしたばかりのミルバもイタリア語で2曲目のシングルとしてMilordを歌い、3位の大ヒットとなりました。

 1961年のサンレモ初出場で成功したミルバは、翌1962年にパリのオランピア劇場でジルベール・ベコーと共演しました。ピアフはミルバのミロールを聴いて激賞しました。ピアフがほとんど知らない母はイタリア系の歌手だったため、ミルバに自分の母を重ね合わせたのかもしれません。ピアフもまた1962年9月に最後のオランピア公演を行った後、1963年10月11日に亡くなっています。

 歴史に名を残すような大歌手ピアフが、亡くなる直前に外国の歌手ミルバを自分の後継者のように激賞したことはとんでもなくすごいことだと思います。 

 1963年に日本で初めて発売されたミルバのLPにもピアフとの逸話がライナーに記載されていました。そして、ピアフの死の翌年1964年にミルバは初来日して「ウナ・セラ・ディ東京」でブームを起こしました。その際に、ピアフの「ミロール」を日本の楽団とともに録音しています。翌1965年の日本では、すでにミルバは、ピアフなどとともに世界の名歌手の一人に挙げられていました。


左:日本では1971年に発売された「ミルバ ピアフを歌う」Polydor MW2022
帯の文:意欲の人、ミルバ、シャンソン界の女王エディット・ピアフに挑戦!
右:「Mon Dieu」が収められた1970年9月の来日公演のライブ盤 MW2015
帯:3年ぶりの来日でますます冴えたミルバ その「芸術の頂点」をあなたに!
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 ミルバが1969年の苦難に直面したときに、救いを求めた先が10年前の自分の原点だったピアフであり、その結果が「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」となったのではないかと思います。

 このアルバムの中でハイライトとなるのは、やはり両面の最後に収められた曲、A面の「私の神様」Mon Dieu、そしてB面の最後の「愛の賛歌」Inno all'amoreであることは疑いがないでしょう。

ミルバ「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」 Mon Dieu 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=Nfht1u5iMsA

 当時イタリアで最も権威のあったライブ番組Senza Reteにもミルバは毎年出演し、Mon Dieuも歌っています。Senza Reteにミルバとミーナは1968年から1970年まで3年連続出演、さらにミルバは1972年以外は1975年まで出演し、シングルヒットはなくてもその実力は高く評価されていました。

Milva - Mon Dieu live Senza Rete 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=bh15P-_TZMo

 Milva / Mon dieu には1961年に録音したヴァージョンもあり、1970年版と比べるとその深化の度合いがよくわかると思います。

Milva / Mon dieu 1961年ヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=_cBUQZVQYPc 

 



 ミルバは1970年9月に4度目の来日公演を行い、サンケイホールでのライブ盤が残されています。このときに「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」と同じイントロのMon Dieu、Milordが歌われていることから、「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」は7月か8月までにはイタリアで発売されたと思われます。

Milva / Mon Dieu Live Sep. 1970 Tokyo サンケイホール
https://www.youtube.com/watch?v=1zyroF6OQvM
驚異的な声量とビブラートに圧倒される。演奏:原信夫とシャープス&フラッツ

 その後のミルバの来日公演でも「愛の賛歌〜私の神様〜ミロ−ル」のピアフの3曲メドレーは、ビートルズ / アビーロード・メドレーのように最も重要なレパートリーでした。1994年の「ピアフ」ツアーのプログラムのラストや、2000年のラストジャパンツアーの第1部の最後で「愛の賛歌〜私の神様〜ミロ−ル」の3曲メドレーが歌われました。

Milva  Live in Seoul  1972 年
https://www.youtube.com/watch?v=VNqAKmgV5Z4
1972年のソウルでのライブ盤の最後の曲としてMon Dieuを収録
7:51 Canzone 38:18 Mon Dieu

 ミルバは後年、「あのころ私はまだ若かった」と述べ、Mon Dieuをフランス語の原語で歌うようになりました。しかし、イタリア語で歌ったこの時代のものには特に深いミルバの情念が感じられます。


日本のみ発売された1970年版シングル「私の神様 Mon Dieu」の歌詞カード
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〜 V ミルバMilva、ジャンピエロ・レヴェルベリGian Piero Reverberi 
     そしてルイジ・テンコLuigi Tenco 
     シェルターShelterとしての「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」 〜


Ciao amore ciao (Gian Piero Reverberi編曲)収録 日本初のTencoのLP
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 「Milva ‎– Canzoni Di Edith Piaf」を編曲・指揮したのはGian Piero Reverberiです。Reverberiは、長年親交のあったLuigi Tencoが1967年サンレモ音楽祭予選の落選に抗議してピストル自殺したときのサンレモ参加曲Ciao amore ciaoの編曲者であり、予選の際の指揮者でもありました。Tencoの事件の最も近くにいた人としてその後に負った精神的重圧は想像を絶するものだったと思われます。

 Gian Piero Reverberiの5歳年上の兄で、1959年以来Luigi Tencoが頼りにしていた編曲家・指揮者のGianfranco Reverberiが、Tencoを回想しています。
https://www.famigliacristiana.it/articolo/gianfranco-reverberi-ricorda-tenco-caro-luigi-ti-sogno-sempre-felice.aspx

 Gianfranco ReverberiはTencoについて「彼の世代の中で最もオリジナリティーがあり、優れたミュージシャンでした。」「彼の死後何ヶ月もの間、私は毎晩彼の夢を見ました。私は暗闇を恐れ始め、引っ越すことに決めました。」「1970年のサンレモでの(Gianfranco Reverberiがプロデュースした)Nicola Di Bariのステージの前夜、Luigiは私の夢に戻ってきて『心配しないで、すべてがうまくいくだろう』と言いました。そして、その通りになりました(Nicola Di Bariが2位)。それ以来、私は時々その夢を見ます。彼と私は話しています。」

Luigi Tenco - Quando (1961)
https://www.youtube.com/watch?v=ncUlokxEcA8
Gianfranco Reverberi編曲。60年前とは思えない名曲





 サンレモでのLuigi Tencoの編曲者で指揮者でもあったGian Piero Reverberi も兄のGianfranco以上に苦しんだと思われます。Gian Piero Reverberi が1967年のTencoの死後、一回り下の世代のNew TrollsのProducerになり、当時としては常軌を逸するJimi Hendrixばりの大音量のRockと従来のCanzoneの融合を図ろうとした試みもTencoの死の影響と無縁とは思えません。

 そして1970年までのNew Trollsの作品は結果として最先端のRockとItalian Popsの美しさを整合させた独自の音楽になり、Reverberi はBeatlesにおけるGeorge Martinの役割を果たしました。その成果が結実したものが1970年のベストアルバム「New Trolls」(Cetra LPX7)であり、それが1970年以降のReverberi のLucio BattisitiやLe Ormeとの成功を導いたと思います。

New Trolls / Io che ho te – 1969年サンレモ 
https://www.youtube.com/watch?v=kcI03nGMUvM
1960年代のNew Trollsの作品の中で最もシンフォニックなアレンジで、曲は従来のイタリアのCanzoneに近い。1969年サンレモ参加曲の中でも屈指の名曲。

New Trolls - Una nuvola bianca 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=xulLB2Ue6G0
Jimi HendrixのサウンドとイタリアのCanzoneの融合の完成形ともいえる1曲。


Gian Piero Reverberiのプロデュースが結実したベストアルバム



 Milvaもまた、Tencoが落選した1967年のサンレモで最下位で落選し、Tencoの事件の最も近くにいた人の一人でした。最下位としてプライドを傷つけられたMilvaにもTencoに共感するものがあったと思います。

Sanremo Music Festival 1967
https://en.wikipedia.org/wiki/Sanremo_Music_Festival_1967

 1968年サンレモは1967年の事件の影響で注目を集めることになりました。
 昨年の最下位から優勝を懸けて臨んだMilva / Canzoneの本選決勝の際の指揮者はGian Piero Reverberiでした。演奏が終わった瞬間、MilvaもReverberiも優勝を確信したのではないでしょうか。しかし結果は3位でした。

Festival di Sanremo 1968
https://it.wikipedia.org/wiki/Festival_di_Sanremo_1968

Milva / Canzone  サンレモSanremo 1968年本選
https://www.youtube.com/watch?v=BLL6s2c2tIM
冒頭に映る指揮者がGian Piero Reverberi。カンツォーネの形式をとったイタリアの最初のハードロックとも思える。

 そして、Milvaもまた1969年に私生活上の悩みから自殺未遂を起こしたと報じられました。そのことはReverberiも知ったと思われます。
  
 Milva、Tenco、Reverberiは3人とも1939年生まれの同い年でした。1970年におそらくMilvaからReverberiに「Canzoni di Edith Piaf」の制作を持ちかけたとき、Edith Piafを通して3人は結びついたと思います。

 シングルカットを予定しないトリビュートアルバムであるため、商業的な歌の伴奏に徹するという制限がないため、実験的かつ歌とオーケストラの最大級の音が聴かれます。それは、両面最後の「私の神様Mon Dieu」と「愛の賛歌Inno all'amore」に顕著に現れています。

 「愛の賛歌Inno all'amore」はPiafのHymne à l'amourのイタリア語ヴァージョンですが、直訳に近いものではなくPiafより1歳下の1916年生まれの作詞家Giovanna Colombiによるオリジナルの詞と呼べるものです。
 なお、「私の神様Mon Dieu」は日本でのみ、MilordのB面としてシングル盤が発売されています。 

Milva / 愛の賛歌Inno all'amore 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=OvnuToTQ6Jc
ヒットソングの域を超えたオーケストラのイントロは、Progressive Rockの原型ともいえるものであり、オーケストラと歌の対峙もJanis Joplin並みの力を持つミルバだからこそできたといえる。



  

 Rolling StonesやKing Crimsonがそうであったように、イタリアにおいてもベトナム戦争の重圧は、テレビの連日の映像でのしかかっていたと思われます。戦時中に貧しい環境に生まれ、その後も反戦歌を多く歌ったMilvaは、特にベトナム戦争について深刻に受け止めていたのではないかと思います。

 Brian Jonesの死後、キース・リチャードはGimme Shelterでギターの多重録音による壁を作り、ベトナム戦争とBrian Jonesの死という重圧から逃れるための「シェルター」をRolling Stonesと共同で作ったのではないかと思います。

 そしてイタリアではMilvaとReverberiが、「Canzoni di Edith Piaf」特に「私の神様Mon Dieu」「愛の賛歌Inno all'amore」において、偉大なEdith Piafの存在、イタリアで唯一フランス語で1位になった愛の賛歌のメロディー、最大限の音を出すオーケストラ、Milvaの強靭な声などによって、ベトナム戦争とLuigi Tencoの死、Milvaを自殺未遂に追い込んだ重圧などに対する「シェルターShelter」を共同で作ろうとしたのではないかと思いました。
 

MilvaとReverberiの「シェルター」=「Milva Canzoni di Edith Piaf」
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〜 W 1970年「Milva Canzoni di Edith Piaf」の影響
     1971年からのItalian Classical PopとProgressive Rockの源流〜


 「Milva Canzoni di Edith Piaf」からはイタリアではシングルカットが1曲もなく、一般の聴衆に触れる機会は極めて少なかったと思われます。
 しかし、作曲家、編曲家や、Mina、BattisitiなどがMilvaとReverberiの動向から目を逸らすはずはなく、その影響は多大であったと思います。
 その影響を、以下のように分類しました。

1 Italian Classical Pop (Reverberi自身への)
2 Italian Progressive Rock(Reverberi自身への)
3 Italian Classical Pop (Reverberi以外への)
4 Italian Progressive Rock(Reverberi以外への)


1 Italian Classical Pop (Reverberi自身への)

 1971年からイタリアでは、クラシックのように流麗かつ悲壮感のあるドラマティックなオーケストラアレンジを強調したヒット曲が多く出ます。これをClassical popと呼んだという記事を目にしたことがあったので、Italian Classical Popと定義付けてみます。

 その発端になるのが1970年の「Canzoni di Edith Piaf」の「私の神様Mon Dieu」、「愛の賛歌Inno all'amore」における従来の枠を超えたReverberiによるオーケストラアレンジだと思います。

 1969年からGian Piero ReverberiはLucio Battistiの編曲に関わっています。
 1970年からItalian Classical Popのシンフォニックなアレンジへの兆しが、Reverberi編曲の Lucio Battisiti / Emozioniで見られます。

Lucio Battisiti / Emozioni
https://www.youtube.com/watch?v=zOxFdRWeoA0

 Reverberiの編曲によるItalian Classical Pop は1971年以後に隆盛となります。まず、5週間1位になったLucio BattisitiのPensieri e parole(年間チャートで2位)での悲壮感は従来のヒット曲にはないものでした。そして1972年のI Giardino di Marzoはストリングスと歌が対等の力で拮抗するClassical Popの完成形と呼べそうなものです。

Lucio Battisti - I Giardino di Marzo
https://www.youtube.com/watch?v=NlQPMw68TNo





 また、Philipsに移籍してセルフプロデュースを始めたPatty Pravoの作品でもReverberiによるドラマティックなオーケストラアレンジがされています。

Patty Pravo / Canzone Degli Amanti 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=xebX3EOlwWc
Jacques Brelの名曲 La Chanson De Vieux Amantsのイタリア語ヴァージョン





 これもReverberiのClassical Popの一つの完成形といえるのがMinaのLa mente tornaです。これは途中で歌とストリングスが主役を入れ替えるもので、Progressive Rockに深い関心を持ちながらそれを回避していたMinaが、Progressive Rockに最も接近したMinaの最高傑作の一つだと思います。 

Mina / La mente torna 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=AkmPLkw1N2I
Minaのテレビ番組Teatro10でも歌われた





 その後も、ReverberiのClassical Popの手法は、1970年代のAlunni del soleやUmberto Balsamoの研ぎ澄まされた悲壮感のある美しいオーケストラアレンジに生かされています。

Umberto Balsamo / Una Rosa Profumata
https://www.youtube.com/watch?v=jW4A_0-TbPA

Alunni del Sole / E mi manchi tanto
https://www.youtube.com/watch?v=uEOL3TdH1YI





2 Italian Progressive Rock(Reverberi自身への)


 Italian Progressive Rockの起源はイタリア本国においては、Gian Piero Reverberiのプロデュースによる1971年のLe OrmeのCollageとするのが定説のようです。

La Storia del PROGRESSIVE ITALIANO rivive con PROG ROCK ITALIA
https://www.youtube.com/watch?v=vUZy2q6H9jA
日本語の字幕付き。冒頭と41:40あたりで、Le OrmeのCollageの重要性がこのビデオからもわかる。





 ReverberiはNew Trollsとの共同作業を1970年に終了すると、同年にLe OrmeのProducerとなります。Le Ormeは1960年代はBeat bandでしたが、イギリスのワイト島フェスティバルなどで見たELP、Quatermassなどの影響でキーボードトリオに変わりました。

 最初にReverberiがProduceした1970年のシングルIl profumo delle violeはイントロとエンディングはDoorsやBritish Rock風ですが、歌になると一転し、従来のCar jukebox時代の音になります。まだ未消化ですが、これが1971年のLe Ormeのアンセム曲Sguardo verso il cieloに昇華していくことになります。  

Le Orme - Il profumo delle viole 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=17j0iINwJAQ
従来のイタリアンポップスのシングル盤にはない強烈なイントロとドラムスがProgressive Rockの夜明けを感じさせる。





 Reverberiは1970年の「Canzoni di Edith Piaf」の「私の神様Mon dieu」のイントロで念頭においたのが、バッハの「G線上のアリア」だと思われます。従来のカンツォーネのヒットソングでは、このようなクラシック的な手法はなかったと思います。

バッハ「G線上のアリア」Bach "Air on G String"
https://www.youtube.com/watch?v=thQWqRDZj7E

Milva - Mon Dieu 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=Nfht1u5iMsA

 「私の神様Mon dieu」から始まるバロック音楽の傾向は、1971年のLe Orme / Collageのタイトル曲でも踏襲され、曲の途中においてドメニコ・スカルラッティDomenico Scarlattiの曲が引用されています。

Le Orme / Collage 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=N6B4UqcmleA
1:48からドメニコ・スカルラッティ:ソナタ ホ長調K 380

 さらにLe Ormeの1972年のUomo di pezzaでは、バッハのシャコンヌが1曲目の冒頭と3曲目の中盤で引用、見事に昇華されています。

Le orme - Una Dolcezza Nuova  
https://www.youtube.com/watch?v=lneoP0jMm_8
1972年にLPチャートで1位になったUomo di pezzaの1曲目

Johann Sebastian Bach - Chaconne, Partita No. 2 BWV 1004
https://www.youtube.com/watch?v=ngjEVKxQCWs





 イタリアRAIの1970年代の最も重要な音楽番組Senza ReteでのLe Ormeのオーケストラとのライブでは、Gian Piero ReverbeliがLe Ormeのメンバーの一員として参加しています。Senza ReteではNew TrollsのConcerto Grossoのライブも行われています。

Le Orme - Medley : Sguardo Verso Il Cielo /Una Dolcezza Nuova
https://www.youtube.com/watch?v=BhEWOEdaVlo
Senza Reteでの1972年のライブ。2:04でReverberiがピアノを弾く。

 そしてLe Orme の最高傑作とされる1973年のFelona e Soronaでは、冒頭でフーガの手法がとられています。このようなLe Ormeでとられた様々なバロックの手法は、1970年の「Milva Canzoni di Edith Piaf」が源流といえます。


3 (Reverberi以外の)Italian Classical Popへの影響
 

 ストリングスオーケストラに重点をおいたClassical Popは1971年以降1975年位まで、Gian Piero Reverberi以外の編曲家によっても隆盛を極めます。イタリアはクラシックの正規の教育を受けた音楽家がたくさんいるため、世界的に見てもこの時期のイタリアは最も豊饒な音楽の時代だったと思います。
 
 Franco Monaldi(1971年から1975年までのI PoohのTanta voglia di lei から始まる作品群)、Luiz Bacalov(1971年Patty Pravo-Love Story、Sergio Endrigo - Le Parole Dell'Addioなど)、Pino Presti(1972年Mina-Fiume Azzuroなど)、Danilo Vaona ( 1974年 Caterina Caselli ‎– Primavera、1975年Alice ‎– Io Voglio Vivereなど)、Dario Baldan Bembo(1973年Mia Martini-Minuettoなど)、Paolo Dossena(1973年Patty Pravo-Pazza Ideaなど)、Paolo Ormi(1974年Cico-Notteなど)Ruggero Cini(1975年Riccardo Fogli ‎– Guardami...など)、Renato Serio(1985年Claudio Villa / Il mio primo angelo)、Gianfranco Lombaldi、Enrico Riccardii、、、

I POOH Tanta voglia di lei 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=dMvi0H6KI7Y





Claudio Villa / Il mio primo angelo
https://www.youtube.com/watch?v=bh6qh3-sFfc
1986年に亡くなる前年の1985年のサンレモ曲。感動的なオーケストラ。


4 (Reverberi以外の)Italian Progressive Rockへの影響


 Sergio BardottiはサンレモのライバルだったMilvaやReverberiの動向を注視していたと思います。1971年のBardottiがプロデュースした作編曲Luiz Bacalov、歌・演奏New TrollsによるConcerto Grossoは、「Milva Canzoni di Edith Piaf」のMon Dieu、Inno all'amoreのバロックの影響を受けたオーケストラに触発されたものと思います。

 Concerto Grossoではおそらくイタリアンポップスで初めて歌とオーケストラの主客が逆転しています。Reverberiは同年、Patty PravoによるConcerto Grosso / Adagioのイタリア語版の編曲・指揮を担当しています。


New Trolls Concerto Grosso II Tempo: Adagio (Shadows)
https://www.youtube.com/watch?v=W21Lq1xdVAI




 
 イタリアでは、後にRock Progressivo Italianoと呼ばれる音楽は、Pop Italianoと呼ばれていました。Il Balletto di BronzoのGianni Leoneによれば、Progressive Rockという言葉をイタリアで初めて見たのは、1971年11月のCaracalla Festivalとのことです。

 Pop ItalianoからItalian Progressive Rockが生まれる萌芽が、1970年にReverberiが編曲した「Milva Canzoni di Edith Piaf」のシンフォニックでProgressiveなアレンジと、同じく1970年にReverberiがプロデュースしたLe Orme / Profumo delle violeの英米ロック調のイントロにあったと思います。






2000年「MILVA LAST JAPAN TOUR」のプログラム
全20曲中3曲が「Milva Canzoni di Edith Piaf」から選曲され、第1部の最後はその3曲のメドレーで締めくくられた。第2部の最後の曲はCaruso。
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 追悼RIP ミルバ Milva Bは、1970年代の10年間を振り返る予定でしたが、1番好きな曲である1970年の「私の神様 Mon Dieu」からミルバの経歴における「Milva Canzoni di Edith Piaf」の重要性がわかり、それだけで今回のブログは終わることになりました。

 サンレモを中心とする1960年代のイタリアンカンツォーネと、1970年代前半のシンフォニックなイタリアンポップスやProgressive Rockを架橋するレコードの一つが「Milva Canzoni di Edith Piaf」ではないかと思いました。

 そしてイタリアの音楽史におけるLuigi Tencoの存在についても改めて考えさせられました。25年ぐらい前にFMラジオで「フランスでは、イタリアでサンレモ音楽祭だけが継続できたのはLuigi Tencoの功績だと考えられている」「今はイタリアでは彼の行為は英雄的だと言われている」という話を聞きました。その後、世界のシンガーソングライターを対象とするLuigi Tenco賞が創設され、Peter hammillなども受賞しています。

 追悼RIP ミルバ Milva Cは、1970年代以降を振り返ってみたいと思います。

Milva - Mon Dieu live (フランス語)1983年 
https://www.youtube.com/watch?v=gCnrJUPLTXw
1970年のGian Piero Reverberiのバロック調のアレンジが踏襲されている。






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2021年06月04日

追悼 RIP ミルバ MilvaA 〜 1960年代のミルバ                 〜 ミルバとミーナ・宿命のライバル 〜

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1964年に「ウナ・セラ・ディ東京」で日本に衝撃を与えたミルバ


今日の1曲
 ミルバ Milva / リコルダ Ricorda (Sanremo 1963年) 
 ミルバMilva / ウナ・セラ・ディ東京 Una Sera di Tokyo
         (in Japanese 日本語) 1964年
 ビートルズ / 抱きしめたい I want to hold your hand 1964年
 ミーナ Mina / 砂に消えた涙 UN BUCO NELLA SABBIA
         (in Japanese 日本語) 1964年
ミルバ Milva / Ho capito che ti amo (Luigi Tenco)1967年
 クラウディオ・ビルラ Claudio Villa
         / 愛のわかれ Non pensare a me (Sanremo 1967年) 
 ミーナMina - L'immensità 1967年
  ジャニス・ジョプリン Janis Joplin - Ball & Chain 1967年
ミルバMilva / カンツォーネ Canzone (Sanremo 1968年)
 ジョニー・アリディJohnny Hallyday 1973年
         / ク・ジュテーム Que je t aime (in Japanese 日本語)
 ダリダ Dalida - Ciao Amore Ciao (Sanremo 1967年) 


〜 生い立ち・デビュー・成功まで 〜 ミルバとミーナ・宿命のライバル 〜


 今回は、ミルバの1960年代の音楽活動について、現在もイタリアで第一線の人気を誇るミーナとの対比という形で振り返ってみたいと思います。

 ミルバは1939年生で貧しい水田地帯の出身。赤毛で子供の頃は虚弱体質で父親を十代で亡くしています。クラブ歌手として生計を立てるようになり、1958年に1枚レコードを出しました。1959年にイタリア国営放送のオーディションで7600人の中から選ばれ、1960年Milvaとして再デビュー。1960年に歌ったエディット・ピアフの「ミロール」が3位になるヒットとなりました。

 これに対して、ミーナは1940年生で貴族出身。将来はマリアカラスのようなオペラ歌手になることを期待されていましたが、父親の反対を押し切ってイタリア初の女性ビート系歌手として1959年にデビュー。1959年に「月影のナポリ」が1位になり、以後「しあわせがいっぱい」などヒット曲を連発しました。

日本ではミルバよりミーナの人気が4年先行していた
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 ミーナはシャウトする唱法で「クレモナの牝虎」と呼ばれたのに対して、ミルバは「ゴーロの牝豹」と呼ばれました。

 そしてミルバとミーナは、ついに1961年のサンレモ音楽祭で対決しました。
 その結果、ミルバが3位と4位、ミーナは5位となりました。ミルバは「まったく突然現れたショッキングな新星」として脚光を浴びました。サンレモは1957年優勝曲のVolareがアメリカの第1回グラミー賞を受賞したため、世界中から注目を受けていました。その後ミルバも4回渡米して公演を成功させています。

 ミーナは1961年の審査の結果を不服として、以後、サンレモから要請されても出場を拒否し続けています。ただ、ミーナが不満だったのは審査員に対してであって、ミルバに対してではなく、後に自分の番組でミルバと共演しています。

ミルバとミーナのシングルチャート:芸術路線に転向したミルバは1963年からヒットが途絶えた。ミーナはポップ路線で1970年代までヒットを量産し続けた。
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 その後、ミルバは夫の貴族出身のディレクターの影響で大衆路線から離れ、芸術路線の選曲をとったため、ヒット曲は出なくなりました。サンレモ音楽祭には1961年から9年連続出場しました。

 特に1963年のサンレモで5位入賞したリコルダは感動的な名曲で、この年のサンレモで1番良い曲ではないかと思います。その後、ミルバも生涯のレパートリーとしていました。

ミルバMilva / リコルダRicorda 1963年
https://www.youtube.com/watch?v=pyT4I_hGOUk

ミルバ / リコルダ 左:国内盤初版 右:キング盤
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 ミルバに対して、ミーナはビート系のヒット曲を出し続けました。1961年8月にミーナは来日して、クラブでコンサートを行いました。しかし、1963年にスキャンダルのためミーナの活動は一時途絶えてしまいました。

ミーナMina (イタリア語) - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Mina_(cantante)
イタリアの歴史の一部ともいえるミーナの経歴


〜 1964年 カンツォーネブームの到来
           〜 日本語曲 ミルバ「ウナ・セラ・ディ・東京」の衝撃

1964年:日本公演のために初来日したミルバ
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 1964年のサンレモ音楽祭は、ジリオラ・チンクエッティ「夢見る想い」が優勝、ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」が入賞し、日本でも大ヒットしてカンツォーネのブームが起きました。

 RIFIから再起したミーナは、この年に「砂に消えた涙」の日本語盤を発売し、東京都内の洋楽レコードランキングでも2位になるほど大ヒットとなりました。この曲は最近では竹内まりあなど、たくさんの歌手にカバーされてきました。

Minaミーナ / 砂に消えた涙(日本語) UN BUCO NELLA SABBIA
https://www.youtube.com/watch?v=Cfm1CuD1NC0





ミルバ:1964年 初来日スケジュール(公演パンフレットより)
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 そして、1964年の4月に、1963年に初来日した「カンツォーネの王様」クラウディオ・ビルラからの推薦でミルバが初めて来日しました。

 ミルバは当初は日本の文化にとまどっていましたが、すぐに慣れると日本のファンになり、日本のミュージシャンの実力も信頼するようになりました。
 そして、ミルバの方から日本語の歌を歌いたいという要望があり、すでにザ・ピーナッツが発売していた「ウナ・セラ・ディ東京」を杉並公会堂で録音することになりました。

ミルバ Milva / ウナ・セラ・ディ東京(日本語)Una Sera di Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=Fk_bx3f-9lo
0:57あたりから異次元の世界に連れていかれる

 契約によりオーケストラには1時間しか時間がありませんでした。作曲者の宮川泰も駆けつけました。ミルバは交通渋滞で15分遅れて到着すると、15分で初見の曲について通訳者の説明を聞きながら歌詞にルビを振り、準備しました。

 残りの30分では、誰もが録音は絶望と思っていたところ、ミルバは1回目から完璧に歌いました。「本当にこの人はどういう人なのか」とそこにいた全員が衝撃を受けたようで、「ウナ・セラ・ディ東京」の噂はまたたく間に広まり、大ヒットとなりました。ミルバはドイツ語やフランス語の歌でもゴールドディスクを受賞しており、その集中力や記憶力は驚異的なものだったといえます。

ミルバ 1964年公演パンフレットとシングル盤「ウナ・セラ・ディ東京」
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 ミルバのコンサートでもアンコールのラストで「ウナ・セラ・ディ東京」が歌われました。初来日のため、客の入りも今一つだったようですが、来場した客は皆感動したようです。このコンサートのパンフレットに書かれた観客の以下のようなメモからも衝撃が伺えます。

 「実際にカンツォーネの力量にはおどろいた。行ったかいがあった。今はビートルズやプレスリーの歌がはやっているのに比べると、イタリアではこんな美しいカンツォーネがヒット曲であるとは信じられない位で、またイタリアのすばらしさを感じた。入りはよくなかったが、客はみな充分満足していた。最高にすばらしかった。」
 「1964 今年はPat BooneとClaudio Villaを他に聞きに行ったが、二人ともすばらしかったがこのMilvaにはかなわない。今年の思い出としてオリンピックとともにミルヴァの公演はheartに焼きつくことだろう。深く…..  悪いとこなし。よすぎる。大感激」

 このメモを書いた人は、さらに今度ミルバが来日するときは全国に見に行き、レコードも全部買うとまで書いています。日本でビートルズ旋風が起きた1964年にイタリアからも大きな衝撃が届いていました。ミルバも同時代に生きる者としてビートルズを常に意識してきたと述べています。ミーナもビートルズの歌だけのカバーアルバムを後に発表しています。

ビートルズBeatles / 抱きしめたい I want to hold your hand
https://www.youtube.com/watch?v=G9_3Q8gh_eQ





 1964年のカンツォーネブームがやや沈静化してきたころ発売された「ウナ・セラ・ディ東京」によって、日本のプロの歌手の間でもミルバのブームが起きました。ドイツの国民的歌手カテリーナ・ヴァレンテと、その盟友でドイツでも成功したザ・ピーナッツのヴァージョンも素晴らしいですが、聴き比べると、ミルバの与えた衝撃の大きさがわかると思います。

カテリーナ・ヴァレンテCaterina Varente /ウナ・セラ・ディ東京(日本語)
https://www.youtube.com/watch?v=Jlhs08Yft34

ザ・ピーナッツ / ウナ・セラ・ディ東京
https://www.youtube.com/watch?v=88jMeLgww1E





 ミルバ以外で印象に残った日本語ヴァージョンにフランスの国民的歌手ジョニー・アリディの「とどかぬ愛(ク・ジュテーム)」があります。ヒットには至りませんでしたが、ミルバにも通じるその情感と迫力には圧倒されます。フランス人はこの人の歌と声を聴いて育ったのかと思うと感慨深いものがあります。

ジョニー・アリディJohnny Hallyday / ク・ジュテームque je t aime (日本語)
https://www.youtube.com/watch?v=EPerIpH7a1c

 ミルバは、1964年の後、1966年にも来日しました。ミルバ、ミーナのレコードも定期的に発売され、ミルバの「二人の星」、ミーナの「別離」など日本語のシングルも発売されました。


〜 1967年サンレモ音楽祭 〜


1967年のサンレモで予選落ちしたミルバとダリダ
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 1967年のサンレモ音楽祭では、自作曲チャオ・アモーレ・チャオで予選落ちしたルイジ・テンコが審査に抗議して翌日にピストル自殺するという事件が起きました。この事件を最初に報道機関に向けて涙ながらに発表したのが、この年に優勝した「カンツォーネの王様」クラウディオ・ビルラでした。
 この年のサンレモには30曲、30組60アーティストが世界から参加し、コニー・フランシス、ホリーズ、ボビー・ソロ、ロス・ブラボーズなどでさえも予選落ちする厳しさでした。

 テンコの事件の1か月後にテンコのパートナーとしてサンレモに出場したフランスのダリダも、サンレモの同じホテルで自殺未遂を図りました。ダリダの両親はイタリア人でした。ミルバも1969年に自殺未遂を図ったと噂されました。

ダリダ Dalida - Ciao Amore Ciao (ルイジ・テンコ詞曲)1967年 サンレモ
https://www.youtube.com/watch?v=WZ6vZEIA0rs
予選落ちというのは理解しがたいとても作りこまれた名曲。ストリングスが1972年の全盛期のItalian Progressive Rockのシンセサイザーのように聞こえる。





 サンレモに連続出場しながら優勝に届かないミルバも、1961年の審査に抗議して出場を拒み続けるミーナもルイジ・テンコへの追悼と敬意からテンコの曲をレコーディングしています。
 ミーナも1961年の事件がなければ、サンレモに連続出場して入賞や優勝もしていたでしょう。当時日本でも毎年サンレモがテレビで放映され、布施明もテンコの自殺に衝撃を受けたとテレビで語っていました。

ミルバ Milva - Ho capito che ti amo (ルイジ・テンコ詞曲)1967年
https://www.youtube.com/watch?v=1KF35FIVPYU

ミーナ Mina / Vedrai, vedrai (ルイジ・テンコ詞曲)1972年
https://www.youtube.com/watch?v=6mr5ZOgPpH0

 1967年には、ビートルズがSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandを発表しています。サンレモには1966年にイギリスからYardbirdsも出場しており、イタリアではイギリスの影響を受けてNew TrollsとLe Ormeが1967年にデビューしています。ブリティッシュロックとイタリアは相互に影響を与えあっていました。

Beatles / A Day In The Life
https://www.youtube.com/watch?v=YSGHER4BWME
ビートルズもルイジ・テンコの事件の報道を聞いたという。ルイジテンコが自殺したのは1月26日、A Day In The Lifeのオーケストラ部分の録音は2月10日、エンディングの最大音の1拍(Eメジャー・コード)は2月22日に録音。このエンディングの手法は、ルイジ・テンコ盤のCiao amore ciaoのアレンジャーGian Piero Reverberiが、1973年にLe OrmeのFelona e Soronaで踏襲した。





〜 1967年11月・伝説のミルバ対ビルラ「決闘」来日公演 〜

日本でのみ発売されたLP「ビルラ・ミルバ イン・ジャパン」
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 そして1967年11月2日に厚生年金大ホール、4日に日比谷公会堂で伝説のミルバとクラウディオ・ビルラの「対決」来日コンサートが行われました。以前もブログで書きましたが、数曲ごとに二人で交互で歌うというイタリアでも例のない形式でした。

 このコンサートで、ミルバは、ミロール、リコルダの他にルイジ・テンコのSe stasera sono quiも歌い、アンコールで、Il mondo、二人の星、ウナ・セラ・ディ東京を歌っています。

 日本ではカンツォーネの「王様」「女王」と呼ばれた二人もふだんはとても仲が良かったのですが、このコンサートの間はまったく口を聞かず、舞台の袖口で相手の歌に対する反響に神経を尖らすさまは、他では見たことのない想像を絶する凄まじいものだったそうです。勝気のミルバに対し、1967年のサンレモで優勝したばかりのビルラにも意地があったでしょう。

 マイクがなくても通用するほどの声量がある二人の真剣勝負に、会場は興奮のるつぼと化し、コンサートの後も観客は茫然としていたと言われています。ジャンルは違いますが、同じ1967年に行われたモンタレー・ポップフェスティバルでのJanis JoplinとMilvaには通じるものが感じられます。

クラウディオ・ビルラClaudio Villa - Non pensare a me (live video)
https://www.youtube.com/watch?v=JLbM3_D4JkI
1967年サンレモ優勝曲





Janis Joplin - Ball & Chain - Monterey Pop 1967年
https://www.youtube.com/watch?v=X1zFnyEe3nE






〜 1968年サンレモ音楽祭 ミルバの1960年代の頂点「Canzone」〜


左:ミルバ / Canzone (1968年サンレモ)右:ミーナ/ L'immensita 1967年
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 ミルバの歌手人生の中でも頂点の一つは1968年のサンレモ音楽祭で3位になった「カンツォーネCanzone」でしょう。このことについては、2008年6月21日のまだ始まって10回目の当ブログで書きました。

ブログあしあと2008年06月21日 今日の1曲 I Milva ミルバ
http://soleluna.seesaa.net/article/101194185.html

 1968年のサンレモ優勝曲はSergio EndrigoのCanzone per teでした。その作詞者はNew TrollsのConcerto Grosso、OsannaのMilano Cariblo9の作詞とプロデュースを担当したイタリアで最も偉大な作詞家の一人といわれるSergio Bardottiでした。

 1968年の優勝の最有力候補はDon Backy作詞のCanzoneでした。ミルバも前年11月の来日の際に、来年のサンレモではすごい曲で参加すると語っていました。「Canzone」のタイトルは、ずばり「歌」を意味し、Sergio Bardottiは「Canzone」に対して「per te」を加え、「Canzone per te」(君のための歌)として勝負を挑んだのでした。

 結果として、CanzoneのMilvaのパートナーのパフォーマンスが不評を買ったことと、同じDon Backy作詞のCasa Biancaが2位、Canzoneが3位と票が割れたことで、Canzoneは優勝を逃してしまいました。この時にミルバが優勝していれば、彼女に対する評価も変わったでしょう。

ミルバ Milva / カンツォーネCanzone (Sanremo 1968)
https://www.youtube.com/watch?v=E7TCA8Kcfz8
サンレモでのライブ。まさにJanis Joplinのイタリア版であり、当時のイタリアのどのロックバンドよりも激しい。カンツォーネの枠を超えたイタリアンロックの元祖ではないかと思う。


〜 ミルバとミーナ 1960年代のライバル 〜


 1961年以降、ミルバがサンレモに連続出場するのに対し、ミーナはサンレモ参加曲から選曲して独自の世界を作り上げていました。

 その最高作が1967年サンレモで9位に入賞したドン・バッキー作のL’immensita(無限)であり、1960年代のミーナとミルバの戦いの頂点となるのが、L’immensitaとCanzone(ドン・バッキー作詞)ではないかと思います。

 いずれの曲もモザイク構造とも呼ばれたドンバッキーの曲をさらにアレンジしたもので、Italian Progressive Rockの原型とも感じ取れます。PFMもMinaの元スタジオミュージシャンであり、1972年にMinaは自分の番組Teatro10でMilvaと共演し、PFMを出演させています。

ミーナMina - L'immensità (1967)
https://www.youtube.com/watch?v=jkRwSTJ1cj0
日本のプロの歌手もミーナのロングブレスに驚嘆していた。

 ミルバは日本で「カンツォーネの女王」と呼ばれるようになります。これに対して、ミルバは「ミーナがいるじゃない」と述べ、敬意を表していました。 
 ミルバは1967年に日本で発売された「ミルバの詩」でミーナのLe tue maniを取り上げています。このLPは特に日本人のファンに向けて選曲されたものでした。Le tue maniは夢の世界を漂うような美しいバラードです。

ミルバMILVA / LE TUE MANI 1967年
https://www.youtube.com/watch?v=otdlGEuOS6c

ミーナMina / Le tue mani 1962年
https://www.youtube.com/watch?v=FJu1fiVJEHE

 サンレモ優勝を懸けた1968年のCanzoneで燃え尽きたのか、ミルバはさらに一般大衆から離れてLP中心の芸術的志向を強め、1970年代以降、Ennio Morricone、Vangelis、Franco Battiato、アストル・ピアソラなどとの共作を発表します。 

 そしてミーナも1968年に自分の理想のレーベルPDUを立ち上げ、1970年代に入るとLucio Battistiの曲などで大ヒットを飛ばしながら、German Progressive Rockをイタリアに紹介しています。

 次回は、「追悼 ミルバ MilvaB」として、1970年代のミルバを振り返ってみたいと思います。

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2021年05月27日

追悼 ミルバ RIP Milva @ 〜 1986年 ミルバとの出会い             ミルバとヴァンゲリス Milva&Vangelis / Desiderato sogno

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Yomiuri Weekly ”AERA" 2000年7月16日号の表紙になったミルバ


今日の1曲
 ミルバ Milva / Desiderato sogno(Vangelis 作編曲)1986年
 Riccardo Cocciante / Violenza(Vangelis 編曲)1976年
 Vangelis / 世界の創造 Creation Du Monde 1973年
 ヴァンゲリス Vangelis / 五輪 Five Circles 1982年
 Milva / 海辺の少女 PLUIE SUR LA MER (Vangelis曲) 1981年

 イタリアの大歌手ミルバが4月23日に81歳で亡くなってからもう1か月が経ちました。遅れてしまいましたが、40年間聴いてきたミルバを追悼し、その活動を振り返ってみたいと思います。

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イタリアのファンからもらったドイツ製のカードとサイン

イタリアの歌手ミルバさん死去、81歳:時事ドットコム (jiji.com)
https://www.jiji.com/jc/p?id=20210425112842-0037675617

ミルバ(日本語) wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%90

イタリア音楽のサイト「POP ITALIANO」より
Milva | ミルヴァ バイオグラフィー
https://www.musica.itreni.net/artisti/milva.html

ミルバ(イタリア語) wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Milva
詳細な経歴、イタリアのアーティストとして最多という膨大なLPディスコグラフィー、映画・テレビ・演劇出演、サンレモ音楽祭出場歴など

イタリアでのミルバ追悼文
È morta Milva, la "Rossa" della canzone d'autore
https://www.repubblica.it/spettacoli/people/2021/04/24/news/e_morta_milva-297804515/?fbclid=IwAR3ZvbagzX4UpgJuXSwb8FzvmGYH0taI1jm-bJf2E7srjcuwp5dxbIOO4oI


〜 ミルバとの出会い ミルバ・ヴァンゲリスVangelisを歌う 〜


全曲Vangelisの作曲・アレンジによる1986年のLP Milva / Tra due sogniの裏ジャケット。このLPの中のDesiderato sognoを聴いてMilvaのファンになった
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Milva / Desiderato sogno  Vangelis作編曲 1986年
https://www.youtube.com/watch?v=_1Ct1Cc5H3U&list=PL9JMZ0__9hXPFomg3RpTmzw0sQI0ESgcH&index=4


 初めてミルバに関心を持ったのは、1981年のドイツ語で歌われたLP「女心 / ミルバ・ヴァンゲリスを歌う」でした。

 名前だけはよく聞いていた有名な女性シンガーが、Progressive RockのVangelisとつながりがあるということは、とても新鮮な出来事でした。





 VangelisはAphrodites Childのリーダー、シンセサイザーのパイオニアであるだけではなく、1976年のイタリアのRiccardo CoccianteのConcerto per Margheritaや1974年のClaudio Baglioni / E tuなどのアレンジャーでもありました。
 それらの作品は、ときにアレンジが歌を凌駕するほど素晴らしく、歌とアレンジが1+1=2ではなく、4や5、10にもなる大傑作でした。   

 特に1980年に初めて聴いたRiccardo Coccianteの「Concerto per Margherita」は、ほぼ全曲捨て曲がない自分にとってはBeatlesのRevolverに匹敵するような完璧なアルバムの一つでした。 

Riccardo Cocciante / Violenza  Vangelis編曲 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=H9E6Oaigs3w
Concerto per MargheritaのB面の1曲目。冒頭からVangelisの世界に引き込まれる。後にMilvaはRiccardo Cocciante の Era Gia Tutto Previstoをドイツ語でカバーしている。





「女心」の中では、特にVangelisの最高作とも呼ばれる「動物の黙示録」の中の「海辺の少女」が印象的でした。ただ、このアルバムはヴァンゲリスのアレンジではなかったため、Vangelis独自のシンセサイザーは聴けませんでした。

ミルバ MILVA - 海辺の少女 PLUIE SUR LA MER (Vangelis曲) 1981年
https://www.youtube.com/watch?v=AOohql8w7HE
フランス語ヴァージョン

Vangelis / 海辺の少女 La petite fille de la mer 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=P6qoTPhhv9w

Vangelis / 世界の創造 Creation Du Monde
https://www.youtube.com/watch?v=v-3H5O54-Es&list=PLIoFxSeC9xA5cDBjyEvDjvE33iZXihqJA&index=6
「動物の黙示録 L'apocalypse Des Animaux」の中のヴァンゲリスの最高楽曲の一つとされる名曲。Yesのコンサートの開演前に流された。

 ヴァンゲリスは「炎のランナー」で1982年にアカデミー音楽賞を受賞。
 映画、音楽共に素晴らしい作品でした。
 タイトル曲は誰もが一度は耳にしたことがあるような名曲ですが、五輪 Five Circlesには特に惹かれました。

Vangelis / 五輪 Five Circles 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=TmlS5riwapM





 アカデミー音楽賞で世界的な音楽家となったヴァンゲリスが、1986年に再びミルバのための第2弾LP「夢のひととき・Tra due sogni」を作ったことに驚きました。Tra due sogni(2つの夢の間)というタイトルからも、本当にVangelisとMilvaは深くつながっているのだと思いました。

 今回のアルバムTra due sogniは、全曲Vangelisの作曲かつアレンジでした。
 そのLPの中の曲Desiderato sognoで、完全にVangelisの作るミルバの世界に魅了されました。

Desiderato sognoは、個人的にはVangelisの曲の中で、Aphrodites Childの「エーゲ海」などの名曲群や「世界の創造」、「五輪」、ジョン&ヴァンゲリス「So long ago, so clear」などと並ぶ曲です。

Milva / Desiderato sogno (英訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=isPEI_DArPk





 Desiderato sognoをきっかけにミルバに惹かれ、その後、ミルバが何度も来日している親日家であることを知り、昔の曲も聴くようになりました。

 苦しい人生だった1988年から2005年の間、一番精神的にパワーを与えてくれたのが、James BrownとMilva、山口冨士夫でした。ほとんどライブに行かなかったその期間中、ジェームス・ブラウンとRolling Stones(ミックジャガー単独も含む)のライブには2回ずつ、ミルバは4回、山口冨士夫のライブには3回行きました。

 このブログを2008年のちょうど梅雨の時期に始めた大きな動機となったのが、James BrownとMilvaについて書きたいと思ったことでした。ミルバについても何度かブログを書いてきました。

 特に冬の寒い孤独なときに、ミルバの強く暖かい声を無性に聴きたくなります。ちょうど2019年の年末と、2020年1月18日のブログでもミルバのことを書いていました。

2020年1月18日ブログ
「謹賀新年2020年・令和2年 ミルバMilva回顧」
http://soleluna.seesaa.net/article/473157327.html

 これからもミルバを聴き続けるでしょう。
 今まで素晴らしい歌をありがとうございました。
 次回、追悼ミルバAは、1960年代のミルバを振り返ってみます。

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2021年05月21日

追悼フランコ・バティアートFranco Battiato ~ Prospettiva Nevski

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1972年の2ndアルバムPollution(汚染)の裏ジャケット。最後の曲など当時の他のProgressive Bandと同様にベトナム戦争に対する苦悩が現れている。


今日の1曲
  Franco Battiato - Pollution 1972
  Franco Battiato - Sulle Corde di Aries 1973
  BATTIATO e ALICE / Prospettiva Nevski 2016


 昨年の6月に「カッコいい女性ボーカル イタリア編 」として紹介したALICE のProspettiva Nevski の作者Franco Battiatoが亡くなりました。

Franco Battiato - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Franco_Battiato
バティアートの膨大な作品群

 1980年代以降、新譜を新品で買ったレコードやCDは少ないのですが、1985年作のALICEのGioielli rubatiはジャケットに自信がみなぎっていて、買う決心がつきました。

 その1曲目のProspettiva Nevskiは、世界的な潮流だったNew Waveの中で最も完成された美しさがあると思いました。そこで、その作者のFranco Battiatoの名前は強く印象に残りました。

Alice - Prospettiva Nevski (Saint Vincent Estate '85)
https://www.youtube.com/watch?v=LmcgUVrKSgQ




 
 Franco Battiatoは1980年代にイタリアで出す作品が軒並みに1位で、輸入盤コーナーではBattiatoのLPをよく見ました。しかし、聴いたのは、Gioielli rubatiだけで、Battiatoのソロアルバムは聴く機会がありませんでした。

 今回Battiatoの作品を初めて聴いて多くの発見がありました。2歳年上のLucio Battistiは1970年代に時代の半歩先を行く王道スタイルで新譜のたびに1位でした。これに対して、Battiatoの1970年代はProgressive Rock、Synthesizer、ミニマルミュージックなど時代の1歩先を行く実験的な音楽でした。

1970年代のLPチャート
Battistiが1位を独走する中で、Battiatoは実験的音楽を続けていた。
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 しかし、1972年の2ndアルバムPollutionは、実験作ながらLPチャートでは最高10位まで到達し、テレビにも出演しています。ヘッドホンで聴くと、今まで聴いたことのないシンセサイザーの響き、メロディーの良さに感動しました。

Franco Battiato - Pollution (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=JCgt60kIQLY&t=417s
他のイタリアのロックバンドとは異なる独自のクラシックとロックの融合。





 3rdアルバムSulle Corde di Ariesでは、ドイツロックから影響を受けたミニマルミュージックもあり、ボーカルを除けばドイツのOhrの音源と言われても違和感がありません。Klaus Schulzeの1972年ごろの未発表音源のようです。
 
 ちょうどミーナMinaもドイツに興味を持ち、1974年から自分のレーベルPDUからOhr、Pilzを発売しています。MinaもBattiatoもOhr、Pilzなどをドイツの輸入盤で手に入れていたのでしょう。ドイツとも異なるイタリア独自の感覚のBattiatoの美しいミニマルミュージックに感動しました。

Franco Battiato - Sulle Corde di Aries (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=DdmO_BnbpHM
10:00〜18:00がミニマルミュージック





 1980年代に入って、Battiatoは実験音楽からPOP musicに移行するのですが、1970年代の実験の要素も入った独自のものでした。そして、1980年のアルバムPatriotsの中で、自身でProspettiva Nevskiを発表しています。

Franco Battiato がProspettiva Nevskiの歌詞に取り上げたニジンスキー
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Franco Battiato - Prospettiva Nevski
https://www.youtube.com/watch?v=zWViOtrFcrs

Prospettiva Nevski 歌詞
https://www.angolotesti.it/F/testi_canzoni_franco_battiato_127/testo_canzone_prospettiva_nevski_7392.html





 そして1985年にAliceがProspettiva Nevskiをカバーするのですが、個人的にはこのAliceのヴァージョンは、1980年代以降のイタリア音楽ではトップ10に入る作品です。
 
 2016年のBATTIATO と ALICEの共演によるProspettiva Nevskiのビデオを見ると、イタリアではクラシック音楽も含めたイタリア史上屈指の名曲の一つと評価されているのではないかと思います。

BATTIATO e ALICE Prospettiva Nevski 2016
https://www.youtube.com/watch?v=FE2bcDpW8QE

 Franco Battiatoさんのご冥福をお祈りします。

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2021年05月03日

ビートルズ関連書籍「ウェルカム! ビートルズ」               −1966年ビートルズの武道館公演を実現させたビジネスマンたち−                        〜 永遠の憧れ「★★★ 東芝音楽工業株式会社」 

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今日の1曲
Beatles / Two Of Us 1970年
Beatles / Let It Be (シングルヴァージョン)


 図書館で久々にワクワクしながら一気に読める素晴らしい本に出会いました。
 「ウェルカム! ビートルズ」という本で、メインになっているのは「東芝音楽工業株式会社」の「ビジネスマンたち」の活躍です。ビートルズ関連の書籍は多く目を通してきましたが、音楽分析の本がほとんどの中で、この本は新鮮で勇気づけられました。

 初めて自分の小遣いで買ったシングル、LPは、ともにビートルズの「レット・イット・ビー Let it be」だったので、Appleのリンゴのラベル、黒いレコード内袋、ジャケット・歌詞カードに印字された「東芝音楽工業株式会社」の名は絶対的な存在でした。

初めて買ったシングルLet it beのB面You know my name
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Beatles / Let It Be (シングルヴァージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=HzvDofigTKQ


 

Beatles / Two Of Us
https://www.youtube.com/watch?v=cLQox8e9688
LP「Let it be」のA面の1曲目。今聞いてもレコードに針を落とした時の感動がよみがえる。





 そして東芝の石坂敬一氏が1972年に出したBeatles Foreverの本をレコード店でもらい、さらにビートルズのLPを5枚、シングルを3枚購入。東芝のレコードのジャケットの背の上の方には3つの星★★★のマークがついていてレコードを並べるのが楽しみでした。

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 その後、1975年にOdeon「東芝音楽工業株式会社」のタンジェリン・ドリーム「ケンタウロス座のアルファ星」Tangerine Dream / Alpha Centauri、アモンデュールU Amon Düül Uを買いましたが、これらは石坂氏が発売を決めたものでした。イタリアのミーナ Minaなどヨーロッパ全般を石坂氏が担当していたそうです。ミーナもタンジェリン・ドリームのOhrと契約して自分のレーベルPDUから1975年に「Alpha Centauri」を発売していました。
 ゴールデン・カップスのCapitolも「東芝音楽工業株式会社」でした。

ミーナの東芝盤LP
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 このように「東芝音楽工業株式会社」、石坂敬一氏は自分にとってすごく大きな存在だったのですが、「ウェルカム! ビートルズ」を読んで、今までほとんど知られていなかった敬一氏の父の範一郎氏がさらにすごい人だとわかりました。

 「上を向いて歩こう」のビルボードNo.1を実現させ、ビートルズブームを画策し、来日を実現させたのは範一郎氏の音楽的才覚と人脈によるものでした。それによって、範一郎氏は何度も傾いた「東芝音楽工業株式会社」の経営を立て直したのでした。
 
 さらに範一郎氏と縁戚のある石坂泰三氏がすごい人で、戦争直後に倒れ掛かった東芝を再建させたカリスマ経営者であり、東芝に「東芝音楽工業株式会社」という音楽部門を作り、反対を押し切ってその存続を支え続けた人でした。そして、ビートルズ来日の際に反対する政財界の大物を説得したのも泰三氏でした。

 自分が憧れた「東芝音楽工業株式会社」にこのようなドラマがあったことを知り、改めて「東芝音楽工業株式会社」のレコードを手にとるとそのありがたさと重みが伝わってきました。コロナで心が折れそうな日々に夢と希望を与えられました。


ウェルカム! ビートルズ



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posted by カンカン at 12:30| 神奈川 ☁| Comment(0) | ビートルズ The Beatles  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月14日

ピエール・カルダンも熱狂した名曲A 〜 オザンナOsanna / Canzona (There will be time) 1972年 核戦争の脅威と平和への希求

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ピエール・カルダンが所有したレーベルLes Disques Pierre Cardin ‎から、
フランスのみレギュラー盤シングルが発売されたOsanna / There will be time
B面は Milan Calibre 9 (Prélude)


今日の1曲
  オザンナ Osanna / Canzona (There will be time) 1972年
  Popol Vuh - Hosianna Mantra 1972年
  オザンナ Osanna / L' Uomo 1971年
  オザンナ Osanna / VARIAZIONE II (My mind flies) 1972年
  オザンナ Osanna / Tema (レコードヴァージョン) 1972年
  オザンナ Osanna / Tema (映画ヴァージョン) 1972年
 

〜 ピエール・カルダンがリリースしたシングル盤
      ・ オザンナ Osanna / There will be time 1972年 〜

オザンナ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8A

 前々回のブログは「ピエール・カルダンも熱狂した名曲」@ New Trolls / Concerto Grosso – Adagio(1971年)でしたが、今回はA Osanna / There will be time(1972年)です。これもルイス・バカロフBacalov作曲指揮の美しいストリングス・オーケストラ入りのロックです。
 
 40年前、There will be timeをヘッドホンでボリュームをMAXにして何度も繰り返し聴きました。Lino Vairettiの訴えかけるようなボーカル、その後の天上に続くようなストリングスの美しさはAdagioと双璧をなしていました。

Lino Vairettiのサイン 2010年
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★OSANNA - There will be time (Canzona)1972年
https://www.youtube.com/watch?v=dM5c5Vmed98
今年2月28日のブログで追悼したDanilo Rustici のギターが、4:00からストリングスの巨大な音に抗しながらグルーブ感を与えているのが感動的だった。




 There will be timeは、Osannaの2nd「Preludio Tema Variazioni Canzona」の最後の曲で、このLPは以下の10曲で構成されています。

  @PreludioとTema 映画「Milano Caribro 9」のサントラでバカロフ作曲
  A7曲のVariazioni  Osannaの作曲と演奏(1曲はストリングスのみ) 
  BCanzona(There will be time)バカロフ作曲・Sergio Bardotti作詞。
    なお、Canzonaは後に別の映画で使用されたそうです。

 ロックでは見たことのない曲構成のため、1979年にキングで発売されたときは新鮮でした。Canzonaとは「歌曲」という器楽曲の形式を意味し、バカロフがConcerto Grossoのようにクラシックの様式にロックを組み込んだものでした。 

 「Preludio Tema Variazioni Canzona」もイタリアLPチャートで最高8位を記録し、Osannaは、Formula3、Le Orme、PFM、New Trolls、Delirium、Trip、RDMなどと共に、1970年代初期のイタリアのProgressive Rockを商業面においても牽引していました。

Le Orme、Osannaの1970年代のLPチャート
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 There will be timeもConcerto Grossoと同様に、フランスでピエール・カルダンのレーベルから発売されました。しかし、Concerto Grossoと異なりシングル盤だけで、しかもこの曲のレギュラー盤シングルはフランスだけに存在し、本国イタリアにもプロモーション盤しかありません。

 ピエール・カルダンがこの1曲のためにCetraと契約したと思われます。ピエール・カルダンが出したイタリアのレコードはNew TrollsのConcerto GrossoとOsannaだけです。今回は、世界のトップデザイナーを熱狂させたThere will be timeを生み出したOsannaの1971年と1972年を見ていこうと思います。


〜 時代の預言者Osanna・ベトナム戦争と核戦争の脅威・平和への希求 〜


1971年 Osannaのデビュー時のCetraの広告
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 Osannaは1971年にデビューしています。1967年にデビューしたNew TrollsやLe Ormeよりもかなり遅い時期です。それだけに、Osannaの方向性は最初から明確でした。音楽によってベトナム戦争などに反対し、平和への希求を歌うことです。NapoliではBe-inという平和集会にOsannaも参加しました。

 Osannaは、ヘブライ語で「どうか、救ってください」を意味する ホーシーアー・ナー(hoshia na)に由来し、キリスト教において神を称讃する言葉となりました。

 ドイツのPopol Vuhの1972年の傑作で、発表当時「この世で最も美しい音楽」とも評されたホシアナ・マントラ Hosianna Mantraも、Osannaと同時期に表現手段は異なるものの、神に救いを求めていたのではないかと思います。

Popol Vuh - Hosianna Mantra 
https://www.youtube.com/watch?v=SwzTd3zE49E
LP「Hosianna Mantra」のA面が「Hosianna Mantra」組曲で、最後の3曲目が この表題曲。「Hosianna(どうか、救ってください)」と繰り返す5:15からがA面の頂点。イタリアではMinaが所有するPDUから1974年にリリースされた。


 


Osannaのアンセム曲−1stシングル L'uomoのJuke Box盤
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 Osanna の1971年の1stアルバムのタイトル曲 L’uomoの詞には以下のように「 la Guerra(戦争)」という言葉があります。

  La gente, le razze, il danaro, la terra
  L'odio, l'invidia, la forza, la Guerra

 また、当時の非常に珍しいカラーのテレビ映像で、 L' Uomoの曲の途中で中断する爆音が原子爆弾を意味することが明らかにされます。ベトナム戦争で核兵器が使用されるのではないかという脅威と警鐘がこの曲で表現されていました。

OSANNA - L' Uomo (1971) カラーテレビ映像
https://www.youtube.com/watch?v=cAWQVkLyv3A
2:54 原爆のキノコ雲  3:44「Ah Osanna」と叫ぶシーン

★Osanna – L’uomo 白黒テレビ映像
https://www.youtube.com/watch?v=pilrnypzWgU
冒頭で胸に手を当てるElio Dannaのポーズは儀式のようだ。音楽に深い意味が込められていることを示唆している。

 




〜 バカロフのロックへの挑戦・映画サントラ「𝐌𝐢𝐥𝐚𝐧𝐨 𝐂𝐚𝐥𝐢𝐛𝐫𝐨 𝟗」
          Variazione、そしてCanzona(There will be time)〜


映画「𝐌𝐢𝐥𝐚𝐧𝐨 𝐂𝐚𝐥𝐢𝐛𝐫𝐨 𝟗」より
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 バカロフとOsannaがサントラを担当した映画「ミラノ・カリブロ9 𝐌𝐢𝐥𝐚𝐧𝐨 𝐂𝐚𝐥𝐢𝐛𝐫𝐨 𝟗」は、日本では未公開でほとんど知られていませんが、タランティーノ監督にも多大な影響を与えたという刑事サスペンス映画の名作だそうです。

 バカロフの前年1971年のConcerto Grossoを使用したサントラでは、まだロックよりもクラシック寄りでした。しかし、𝐌𝐢𝐥𝐚𝐧𝐨 𝐂𝐚𝐥𝐢𝐛𝐫𝐨 𝟗では、Osannaのロックとオーケストラが拮抗する内容になっています。

 日本では1972年7月に開始した刑事ドラマ「太陽にほえろ!」のテーマソングが、ショーケンの強い意見によって反対を押し切って井上堯之バンドのロックとなりました。そのインパクトが「太陽にほえろ!」の人気を若年層にも広げ、番組のヒットにつながりました。イタリアでも1972年に刑事映画のサントラでハードロックを使うことは、バカロフにとっても挑戦であったと思われます。

 映画「𝐌𝐢𝐥𝐚𝐧𝐨 𝐂𝐚𝐥𝐢𝐛𝐫𝐨 𝟗」でサントラで使用されたのは、Preludio、 Tema の2曲だけです。まず映画版とは異なるレコードヴァージョンを聴いてみます。 

Osanna - Preludio レコードヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=sUGtIOfsxwE
ARPシンセサイザー、オーケストラのうねりから2:00でハードロックに変わる
 
★Osanna - Tema  レコードヴァージョン 
https://www.youtube.com/watch?v=lTi-PxFYens
Canzonaとともにこのレコードで最も美しいパート。映画ヴァージョンよりもメロディーが追加されており、さらに練られたものと思われる。“Tema”のメロディーをConcerto GrossoのAdagioのようにアレンジすれば、Adagioの続編のような曲になると思う。

 では、レコードとは異なるPreludio、 Tema の2曲の映画ヴァージョンが、映画でどのように使用されたかを貴重な映像から見てみたいと思います。
 
𝐌𝐢𝐥𝐚𝐧𝐨 𝐂𝐚𝐥𝐢𝐛𝐫𝐨 𝟗  - 映画全編
https://www.youtube.com/watch?v=QdLZMoNQAjg
0:00:00〜  冒頭から“Preludo”が刑事事件の映像に緊張を与えている
0:01:25 〜 ★レコードにはないDanilo Rusticiのエッジの効いたハードロックのリフに展開し、強烈なインパクトを与えている。
0:02:10 〜 “Preludio”をバックに緊迫した場面が続く。
0:05:30 〜  ★ディストーションギターから美しいメロディーの”Tema”につながる感動的なテイク。
0:36:18 〜 未発表曲。James Brown風のSoulfulな演奏。アマチュア時代にNapoliの基地のクラブで演奏していたというOsannaにはGolden Cupsにも通じるグルーブ感がある。
0:42:37 〜 New Trolls / Concerto Grosso – "Adagio"のレコード版音源がカセットでかかる驚きのシーン。
1:23:20〜 “Preludio”が流れる緊迫したシーン。
1:35:30〜 ★ラスト「FINE」から再び印象的な“Tema”とOsannaの演奏。
 
 映画では緊迫した場面で“Preludio”が使用され、“Tema”は死者に対する鎮魂歌のような場面に流れます。      
 
 ブルガリアからのユダヤ人の移民の子として1933年にアルゼンチンで生まれ、ホロコーストを免れたバカロフにとって、ベトナム戦争でたくさんの人たちが亡くなっていく報道を連日のように見ることは、耐え難い苦しみであり怒りであったと想像します。“Tema”は、ベトナムでの死者に対する鎮魂歌のようにも感じられます。

 バカロフの感性がNew Trolls、Osannaの新しいロックの感性と共鳴し、その相乗効果によって”Adagio”、"Tema”、”Canzona”のような名曲ができたのではないかと思います。





 New TrollsのConcerto Grossoは、A面がバカロフの曲で、B面はすべてNew Trollsの即興演奏という構成でした。
 OsannaについてはPreludio(序曲)Tema(主題) の後に、Variazioni(変奏曲)Canzona(歌曲)が続きます。

 Variazioneは7曲ともOsannaの作曲となっていますが、LPのラベルには、A面B面ともバカロフのアレンジと指揮とあり、VariazioneについてもバカロフからOsannaへの指示があったと思われます。
 Osanna / Variazioneのテレビ映像もあり、Variazioneが独立した作品としてもクオリティーがあることが伺えます。
 
イタリア放送RAIに出演し"VARIAZIONE I・U” を演奏したOsanna
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Osanna RAIテレビ出演 
https://www.youtube.com/watch?v=l1nZZTUyNtE
0:07 "VARIAZIONE I”
2:24 "VARIAZIONE II (My mind flies)"は、演劇と共に行った1973年のPalepoliツアーを彷彿とさせる。
  
 「Preludio Tema Variazioni Canzona」全曲を通して聴いたとき、Preludioにおける“暴力”、”鎮魂歌”としてのTema、Variazioniで繰り広げられる”混沌”の後に続く、名曲”Canzona”(There will be time)こそが”平和への希求”であるという位置づけが見えてきます。それが、バカロフ、Osanna、プロデューサー・作詞家Sergio Bardottiの3者の共通のテーマだと思います。


Osanna / 「Preludio Tema Variazioni Canzona」全曲
https://www.youtube.com/watch?v=2on463gehMw
17:56  "VARIAZIONE IV (Tredicesimo cortile)"かっこいいギターリフ
19:25  "VARIAZIONE V (Dianalogo)" Genesisの Watcher of the skiesのイントロと同じコード進行。2011年の来日公演でもストリングスで再現していたのには感銘を受けた。
25:58  ”Canzona”(There will be time)


〜  プロデューサー・作詞家Sergio Bardottiの挑戦 
     詩人T・S・エリオットとCanzona(There will be time)〜

There will be timeの歌詞とT・S・エリオットの詩(There will be time)が掲載された「Preludio Tema Variazioni Canzona」の内ジャケ
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 Osanna / 「Preludio Tema Variazioni Canzona」のダブルジャケットの内側には、左全体に「There will be time」の歌詞が印刷され、右に詩人T・S・エリオットから引用した「Ci sarà tempo(There will be time)」から始まるイタリア語に訳された詩が掲載されています。

 T・S・エリオットは、第一次世界大戦後の西洋の混乱を綴った「荒地」を代表作とするノーベル賞を受賞した詩人で、「There will be time」も「荒地」の中の一節ではないかと思われます。

 本アルバムのプロデューサー・作詞家のSergio Bardottiは、ベトナム戦争で混乱を極める世界の中で、T・S・エリオットの「There will be time」という一節に希望を見出し、平和への希求を込めて「Canzona(There will be time)」の歌詞を作ったのではないかと思います。

  Bardottiは、Concerto GrossoのAdagio(Shadows)ではシェークスピアのハムレットから引用しましたが、Canzona(There will be time)も新たな挑戦だったのではないかと思います。

 There will be timeの歌詞にもL'uomoと同様に「戦争」という言葉が、“There will be time for every war and peace at mind”という一節に出てきます。
 
There will be time 歌詞 (Gianfranco Baldazzi・Sergio Bardottiの共作)
http://testicanzoni.mtv.it/testi-Osanna_81209/testo-Canzona---There-Will-BeTime-20300575


〜 Canzona (There will be Time)のプロモーション用シングル盤 〜


BesanaのOsanna / Canzona (There will be time)の無料特典シングル盤
Besana盤は6枚。Delirium、New Trolls、OsannaがA面。B面はクラシック
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 イタリアでは、Canzona(There will be Time)のレギュラー盤シングルは発売されていません。ところが、Besanaというケーキを1s買うと、プログレがA面でB面がクラシックのシングル盤が1枚もらえるというキャンペーンがありました。日本のタイガースの明治チョコの懸賞レコードのようです。

 1970年代初期のイタリアン・プログレッシブロックは、イタリア本国では”Pop Italiano”と呼ばれていました。”Pop Italiano”という言葉に初めは違和感を感じたのですが、それだけ、一般にも人気があったのでしょう。 

 Canzona(There will be Time)は、Besana盤以外にもプロモーション盤とジュークボックス用(ゲームセンターなどにあったお金を入れるとレコードをかける機械)のシングルが制作されています

 1972年を象徴するシンフォニックロックの名曲同士、New Trolls / In St. Peters dayとOsanna / Canzona (There will be Time)という強力なカップリングのLPのプロモーション盤と思われるシングル盤(SP1475)もあります。

New Trolls / In St. Peter's dayとOsanna / Canzona (There will be Time)
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New Trolls / In St. Peter's day
https://www.youtube.com/watch?v=uXzrZzBNaDU
New Trolls自身によるConcerto Grossoの続編ともいえる曲。予算のためにオーケストラが使用できず、2:13からARP2600シンセサイザーが使用された。OsannaのアルバムでもARP2600シンセサイザーが使用されている。

 なお、New Trollsのサイトからの情報で、Cetraなどのイタリアのレコードは、マトリクス番号の部分を見るとレコードのリリース日が刻印されていることがわかりました。私が持っているシングル盤レコードからは、以下のリリース日が判明しました。

  1971年4月23日 New Trolls - Adagio(レギュラー盤)
  1971年9月15日 Osanna – L’uomo(Juke Box盤)
  1972年3月31日 Osanna – Canzona(There will be Time)Besana盤

 バカロフ・Sergio Bardottiが、Concerto Grossoの先行シングルAdagioのリリースの後、Osannaを聴き、「Preludio Tema Variazioni Canzona」(𝐌𝐢𝐥𝐚𝐧𝐨 𝐂𝐚𝐥𝐢𝐛𝐫𝐨 𝟗)の構想とリリースに至った時系列が見えてきます。

 また、バカロフ作曲のAdagioやCanzonaを自分たちで超えようとしたことが、1972年以後のNew Trollsの In St. Peter's day, UT, NT Atomic System, Ibis / Sun Supreme, OsannaのPalepoli, Unoなどの傑作群を生み出した大きな要因ではないかと思います。


Osannaの珍しいベスト盤でもCanzonaを収録



〜 1979年 日本でのイタリアンロック再発の起点となった
                OsannaとNew Trolls 〜


左:1979年第1回ユーロピアン・ロック・コレクションの帯の広告
右:Osanna2010年初来日の際のポストカード
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 1979年のキング・第1回ユーロピアン・ロック・コレクションで、初めて日本でニュートロルスの「コンチェルト・グロッソ」とオザンナの「ミラノ・カリブロ9」が発売されました。

 その衝撃は、イタリアにはPFM以外にも凄い作品があるということを知らしめ、世界にも例のないイタリアンロックの名盤の再発を可能にしてくれました。そういう意味でも、バカロフ作曲指揮のNew TrollsのConcerto Grosso‐AdagioとOsannaのCanzona(There will be time)の2曲には思い入れが深く、また感謝の念を感じます。ありがとうございました。


〜 2011年 日本で実現した世界初・Osannaのオーケストラ付きライブ 〜


Osanna with strings orchestra live in Japan in 2011
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 2011年には、日本でまさかのオーケストラ付き「ミラノ・カリブロ9」完全再現ライブがありました。Yesの「こわれものFragile」の完全再現ライブでも「こんな曲はライブでやらないだろう」という曲まで手を抜かないプロの凄さを知りましたが、Osannaもプロの実力を実感しました。

 Canzona(There will be Time)で「終わった・・・」と思った直後に、1曲目のPreludioにつなぐ意表をついた展開が見事でした。


OSANNA - There will be time (Canzona)2011年ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=ZDrarYGE3L0
Live in Japan with Strings Orchestra 2011


Rosso Rock Live in Japan



★OSANNA - There will be time (Canzona)1972年
https://www.youtube.com/watch?v=dM5c5Vmed98


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2021年03月30日

追悼 フュージョンバンド「PRISM」和田アキラ                〜 1978年伝説のギター速弾きCM映像

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和田アキラの伝説の速弾き「ROCKおもしロック」での「GRECO ギター CM」


今日の1曲
  和田アキラ / GRECO ギター CM 1978年
  Al Di Meola
       / Race With The Devil On a Spanish Highway 1977 年
  Soft Machine / Bundles 1975年
  Deep Purple - Highway Star 1972 年


 日本初のフュージョンバンド「PRISM」の和田アキラさんが亡くなりました。フュージョンというのは、1969年のMiles DavisによるJazzのエレキ化に始まり、1972年のチックコリアのReturn to foreverからブームが始まった音楽で、Jazzの高度なテクニックにRockの音を掛け合わせた当時の最先端の音楽でした。

和田アキラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%A9

 JazzのRock化に対して、Rockの側からJazzに近づいたパターンがありました。Soft Machine、1975年のジェフ・ベックや和田アキラのPRISMなどです。前回ブログの1976年の New Trolls の Le Roi Soleil 、前々回ブログの1978年のOsannaのSuddanceなどもフュージョンの潮流に呼応したものでした。


 それまでギターの速弾きは、Deep PurpleのHighway Starが代表で、ロックギター少年の憧れでした。しかし、速さという点ではフュージョンの登場で一気にレベルが上がりました。フィギュアスケートに例えれば、2回転ジャンプが3回転ジャンプのレベルになった感じです。

Deep Purple - Highway Star 1972
https://www.youtube.com/watch?v=UAKCR7kQMTQ
★2:10 バッハの半音下降の素晴らしいソロ





 日本のギターの速弾きで伝説的なのは、東京12チャンネル(現テレビ東京)で放送していた「ROCKおもしロック」という番組のGrecoギターのCMでの和田アキラの速弾きです。

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 「ROCKおもしロック」は当時少なかったロック番組で、1978年4月2日スタート、同年9月24日終了のようです。アマチュアバンドの勝ち抜き合戦やプロのバンドも出演しましたが、番組開始直前の和田アキラの速弾きの印象が強すぎて、それしか思い出せません。貴重なCMの映像が残っていました。

 和田アキラ「ROCKおもしロック」GRECO GOシリーズ CM
https://www.youtube.com/watch?v=F-7Oyd48-6A
今見ても凄いので、当時の衝撃はただごとではなかった。ビデオ録画もYoutubeもない時代だったので、毎週1回必死に見た。


PRISMのファーストアルバム


 
 当時のフュージョンで、ダントツで速弾きで評判だったのがAl Di Meolaでした。ジャズ誌でもインタビューに取り上げられ、その独自の奏法が話題になっていました。和田アキラもReturn to foreverのころからAl Di Meolaを意識していました。

 Al Di MeolaのElegant Gipsyのアメリカ盤を新宿三丁目にあったCiscoで買った記憶があります。和田アキラがきっかけで速弾きに興味を持ったために買ったのだと思います。

Al Di Meola / Race With The Devil On a Spanish Highway 1977 年
https://www.youtube.com/watch?v=b0aMCpRZPZE
冒頭から強烈。2:10、2:50あたりからギアを上げて最速になっていく。
Di Meolaが今でもコンサートの最後に演奏するという代表曲。





 そして、次第にギター速弾きの最速はDi Meolaではなく、Allan Holdsworthではないかという評価が高まってきました。ソフト・マシーンの「収束」(Bandles)は、Karl Jenkinsの美しいメロディーとAllan Holdsworthのテクニックが結びついた素晴らしい作品でした。

 1976年に秋葉原の石丸レコードで買ったLPでしたが、1978年に速弾きブームが起きて、後で改めて聴きなおすとAllan Holdsworthの速弾きの凄さがわかりました。

Soft Machine / Bundles 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=dRa_ZHi5TTU
1:30から速弾きを見せるが、Di Meolaと異なりあまり表に出ない。
Allan Holdsworthは内向的な性格で、ステージでもライトが当たると奥の方に引っ込むような人だった。





 前回のブログのNew TrollsのConcerto Grossoなど、洋楽ロックばかり聴いていた1978年に、日本にも凄いミュージシャンがいるんだということを初めて意識したのが和田アキラのGrecoのCMでした。
 私が1978年にエレキギターを買ったのもその影響だと思います。
 ありがとうございました。

 和田アキラさんのご冥福をお祈りいたします。

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2021年03月20日

ピエール・カルダンも熱狂した名曲@ 〜 50周年 ニュートロルスNew Trolls / コンチェルト・グロッソConcerto Grosso – アダ−ジョAdagio

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ピエール・カルダンが設立したLes Disques Pierre Cardin ‎から発売されたConcerto Grosso pour les New Trollsからのシングル AdagioのDiffジャケ


今日の1曲
  New Trolls - Concerto Grosso II Tempo: Adagio 1971年
 ルイス・バカロフ / イル・ポスティーノ Il Postino 1995年
  New Trolls - Concerto Grosso Adagio LIVE 1976年
 Sergio Endrigo - Le Parole Dell'Addio 1971年
  Patty Pravo - Morire... dormire... (Adagio)1971年
  Le Orme / Sguardo Verso Il Cielo 1971年
  New Trolls - Concerto Grosso2- Vivace 1976年
  New Trolls - Le Roi Soleil  1976年
  New Trolls - Concerto Grosso Allegro & St.Peter's Day
                 live Senza Rete 1972年
  NEW TROLLS - Adagio 1997年解散ツアー


 前々回のブログで1971年のToo Muchのアルバムの最後の曲が冨田勲編曲によるストリングス入りの曲でした。そこで、今回はストリングス入りロックの極めつけ、1971年イタリアのNew Trolls / Concerto Grosso - Adagioの音源を集めてみました。

イタリア盤シングルとVittorio de Scalziのサイン
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〜 あと1歩でイタリアLPチャート1位だったConcerto Grosso 〜

 New Trolls - Concerto Grossoは1971年に映画La vittima designataのサントラとして発売。作編曲・指揮はマカロニウエスタンなどの映画音楽の巨匠ルイス・エンリケス・バカロフ(Luis Enríquez Bacalov、1933年8月30日 - 2017年11月15日)。

 正確なタイトルは、Concerto Grosso per I New Trolls(ニュートロルスのためのコンチェルトグロッソ)で、バカロフが17世紀のバロック音楽の形式とロックの即興音楽との融合を試みたものです。1971年3月23日〜27日の録音であり、今月で50周年となります。

 日本では1971年3月20日に村八分が京都のMojo Westでステージデビュー、ドイツでは3月にTangerine Dream / Alpha Centauriが発売され、3月11日にAsh Ra Tempelの1stアルバムがConny Plankのスタジオで録音、イギリスではELP/Tarkusが1月、Led Zeppelin IVが2月、Focus Uが4月13日に録音された頃にあたります。

ルイス・バカロフ 映画音楽作品リスト- Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%95

1979年のConcerto Grosso日本初発売の際のLPの帯の一部
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 まずは、オリジナルLPの絶対的音源からAdagio。
 まだ未聴の方は、この曲の1:56あたりから聴いてみてください。

★New Trolls - Concerto Grosso II Tempo: Adagio
https://www.youtube.com/watch?v=W21Lq1xdVAI
4:16でギターソロがオーケストラの音にかき消されるところが素晴らしい。

Adagio 楽譜
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 Concerto Grossoの当時のイタリアでの反響は凄く、LPは80万枚を売り上げ、LPチャートでは15週チャートインして、最高位は2位。
 
 Minaの絶頂期のベスト盤Del mio meglioか、絶頂期のLucio BattistiのAmore e non amoreに阻まれなければ、Concerto Grosso は1位になっていました。社会現象に近いものがあったといえるでしょう。

1971年開始のイタリアLPチャート New Trolls / Concerto Grossoは最高2位
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〜 ピエール・カルダンとConcerto Grosso 〜

Les Disques Pierre Cardin ‎から発売されたLP Concerto Grosso
四つの角が丸くカットされたDiffジャケット
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 フランスでは、なんとあのピエール・カルダンが自分で設立したレーベルからConcerto GrossoのLPとシングルAdagioを発売。カルダンは、自分の好きな1920年代のジャズなどを主に出していましたが、カタログの中でConcerto Grossoは突出した存在です。レコードのジャケットもイタリア盤と異なり、LPは四角が丸くカットされ、デザイナーとしてのこだわりが感じられます。

 山本寛斎もRockに関わりDavid Bowieの衣装を手がけましたが、カルダンのようにフランス人が自分でイタリアのRockのレコードまで出すというのは異例です。カルダンの受けた衝撃がいかに大きかったかがわかります。世界のトップデザイナーをも熱狂させたConcerto Grossoを生み出したイタリアの1971年について考えたいと思います。

カルダンのデザインと思われるLP (左)とシングル Adagio(右)のラベル
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〜 Concerto Grossoを生んだイタリアの1971年 〜

 それまで映画音楽と膨大なイタリアンポップスの編曲をしていたBacalovが、なぜロックの分野でConcerto Grossoを着想したのか。ロックとオーケストラとの共演は、THE NICEやDeep Purpleがすでに行っていましたが、Concerto Grossoこそ、その分野での最高峰と言えるでしょう。

 Bacalovに対して一番影響が大きかったのはKing Crimsonの1stだと想像します。PFMなどのイタリアのバンドの多くも最も影響を受けたバンドとしてKing Crimsonを筆頭に挙げています。特にAdagio は、EpitaphやThe Court Of The Crimson King と曲想や構成が似ていると思います。

 ベトナム戦争の惨状が1969年のKing Crimsonの1st 制作の動機と言われていますが、1971年にベトナム戦争は周辺国に拡大し、第2次インドシナ戦争の様相を呈していました。このような状況下で、Bacalovもロックという表現手段に惹きつけられたとも考えられます。

King Crimson / The Court Of The Crimson King 1969年
https://www.youtube.com/watch?v=ukgraQ-xkp4





 Concerto Grossoのもう一人の立役者であり、ProducerでAdagioの作詞を担当したのはSergio Bardotti。Bardottiはイタリアで最も偉大な作詞家の一人であり、サンレモ音楽祭ではSergio EndrigoのCanzone per teで、サンレモ史上最高年度と言われる1968年に優勝しています。また、新しい才能を発掘するRCA傘下のARCレーベルのチーフディレクターとして、Rokes、Patty Pravo、Lucio Dallaなどを担当していました。

 ほとんどラブソングしか発売が許されなかったイタリアの音楽業界において、Bardottiのシェークスピアのハムレットから引用した「to die to sleep maybe to dream」という詞は一つの挑戦だったといえます。

 BardottiとBacalovがConcerto GrossoにNew Trollsを起用した理由は、演奏力のみならず、1971年2月のサンレモ音楽祭でNew TrollsがSergio EndrigoとUna Storiaでパートナーを組んだこと、Vittorioの低音からNicoの超高音まで3声によるコーラスが可能なこと、また、1969年のUna minieraで鉱山での非人道的な仕事や事故に関する社会問題を歌っていたことなどにもあると思われます。

 Concerto Grossoの4曲目がJimi Hendrixに捧げるShadows、B面の20分がすべてNew Trollsの即興演奏とされているのは、グループの主体性を尊重したものと言えます。後にBacalovは、New Trollsは優れたミュージシャンだったと述べています。

New Trollsのコーラスを指導するBacalov
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 また、同時期にイタリアで最初のProgressive Rockと評価されているLe OrmeのCollageが5月17日に録音されています。Concerto Grossoのマスタリングが5月4日なので、まだLe OrmeはConcerto Grossoを聴いてなかったと思われます。

 タイトル曲のCollageでバロック期の作曲家ドメニコ・スカルラッティの曲を引用していること、「生きることの罪」「花の死」といった歌詞や歌のタイトルにConcerto Grossoと同様の背景とコンセプトがあったと思われます。

Le Orme / Collage
https://www.youtube.com/watch?v=h07H9xQ86Yg
1:50からバロック期の作曲家ドメニコ・スカルラッティの曲を引用している。

Le Orme / Sguardo Verso Il Cielo   
https://www.youtube.com/watch?v=O-RytWpWDNA




 Le OrmeのCollageもLPチャートの最高位が3位で、MinaやBattisti、ELP/Tarkusなどに阻まれなければ1位になった可能性があります。

1971年のLPチャート
MinaとLucio BattistiがNew TrollsとLe Ormeの1位を阻んだ
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 そのLucio Battistiの6週間1位になったAmore e non amoreも、半分の曲はPFMを結成するメンバーによる前衛的なインストで、最後の曲のタイトルは「椅子…イスラエルとヨルダンの国境で死者35人」という長いものです。





 また、カンツォーネの女王Minaも、自分の番組Teatro10で1971年にはアメリカの人種問題の象徴だったJames Brownの15分のショーを、1972年にはPFMとDeliriumのMoogとMellotronの競演ライブを行っています。さらに1973年からMinaは、自分のレーベルPDUでGuru Guru, Ash Ra Tempel, Cosmic Jokers, Popol Vuh, Tangerine DreamなどドイツのElectric musicを発売しています。





 イタリアの1971年は、ベトナム戦争の危機的な状況を背景に、作家が用意した曲をヒットさせることを目的とするラブソングだけではなく、自分たちで音楽で何かを表現しなくてはならないという機運が一気に高まった年と思えます。

1971年のLe Orme ( 左上)とNew Trolls ( 右上)
Delirium(左下)RDM(右下)
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 イタリアで最初のProgressive RockがConcerto GrossoではなくCollageとされているのは、Concerto GrossoがやはりBardottiとBacalov主導の作品であるのに対し、Collageがアーティスト自身の作詞作曲した表現であることが大きいのではないかと想像します。特に先行シングルのSguardo verso il cieloは、最近のイタリアのアナログLP再発でもシングルが別に発売されており、詞も重視するイタリア人にとっては特別なもののようです。

 しかし、イタリアでの1971年のConcerto Grossoの影響は大きく、それまでのサンレモ音楽祭など歌の伴奏としてのオーケストラではなく、オーケストラと歌、オーケストラとロックが対等に拮抗するような圧倒的で美しい音楽が1976年ぐらいまで開花。1972〜1973年に全盛となるProgressive Rockも、オーケストラをMoog、Mellotron、ハモンドオルガンなどに置き換えたものといえます。

 この時代のオーケストラ入りポップスの曲を挙げればきりがありません。極めつけの一つは、Bacalovと20年のパートナーだったSergio Endrigoによる1971年11月発売のLPからのLe Parole Dell'Addioでしょう。Bacalovの作編曲です。

Sergio Endrigo - Le Parole Dell'Addio live (13.11.1971)
https://www.youtube.com/watch?v=gsNazTDav2s
歌だけがライブで、オーケストラはBacalov指揮のレコードの音源。
カンツォーネ版のConcerto Grossoともいえる内容。





 また、当時Minaに次ぐ人気を誇ったPatty Pravoにも影響を及ぼし、“Per Aver Visto Un Uomo Piangere E Soffrire Dio Si Trasformò In Musica E Poesia”というのセルフ・プロデュースのアルバムの1曲目でAdagioを、RCA時代の恩師Sergio Bardottiにイタリア語の歌詞を依頼して録音しています。

Patty Pravo - Morire... dormire... forse sognare (Adagio)
https://www.youtube.com/watch?v=z8_OYYNkYMQ
1971年12月発売(11月1日録音)。Gian Piero Reverberiが編曲を担当。






〜 映画版 Concerto Grossoを聴く 〜

Concerto Grosso第4楽章Shadowsのギター弾き語りが使用されたシーン
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 レコードとは異なるConcerto Grossoの貴重なサントラ音源も聴けるようになりました。LPの音源は入魂のバロック・ロックともいうべきものですが、映画版はまさにサスペンス映画の映像用のBGMという感じで、それも素晴らしいものになっています。

映画 La vittima designataからConcerto Grossoが使用された部分
https://www.youtube.com/watch?v=VI3OC40TQKE
6:54  Concerto Grosso 第4楽章Shadows 
   ギター弾き語りVittorio de Scalziの歌?
14:10 〜 16:43  ★第2楽章Adagio オーボエからストリングスへ展開。
   シリアスな場面でAdagioのメロディーが何度も使われる。
25:05 〜 26:27 Adagioオーボエからチェンバロへ。 
34:49 〜 38:40 Adagio変奏曲のように変化していく。
52:30 ★Adagioのストリングスが最も印象的な部分。
1:16:15 Adagioバイオリン
1:17:45 〜 1:19:20 第1楽章Allegroアレグロを唯一使用
1:25:30 チェンバロの序曲からAdagio
1:29:49 〜 1:33:40  第3楽章 Cadenzaが流れる緊張のラストシーン
1:33:40 映画終了。第4楽章Shadows 
   チェンバロをバックにVittorio de Scalziの歌


 バカロフは、1994年に映画イル・ポスティーノでアカデミー音楽賞を受賞しました。その主題曲のメロディーは、Concerto GrossoのAdagioのマイナー調のリフレインをメジャー調に焼き直したものであり、Adagioがバカロフのキャリアの中でも特別なものだったことがわかります。

映画イル・ポスティーノIl Postino soundtrack
https://www.youtube.com/watch?v=zagi_m7wGAA





〜 Adagioのバンド演奏によるライブ音源(1971年−1976年) 〜


 Vittorio de Scalziはロックとオーケストラを融合させたConcerto GrossoがNew Trollsの代表作だと述べています。ここからはNew TrollsだけによるConcerto Grossoのライブ音源です。オーケストラなしにバンドが、特にAdagioをどのように表現していたかが興味深いところです。音質が悪いですが、ヘッドホンで大音量で注意深く聴くと当時のライブハウスにいる雰囲気を感じられます。

 まず、LP発売直後の4人のメンバーによるライブ音源。

New Trolls - Concerto Grosso 1 - Adagio  live Rimini 1971
https://www.youtube.com/watch?v=kyszc7KYxpY
イントロのオルガンは葬送曲のようだ

Concerto Grossoの楽譜
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 テレビの人気音楽番組の最後のテーマに使われたMaurizio Salvi指揮のAdagioの映像もあります。クラシックの世界で有望視されPiccolo Bachと呼ばれたSalviにとっても、 Adagioの存在が大きかったものと想像できます。

New Trolls - Concerto Grosso - Adagio - 1971 テレビ映像
https://www.youtube.com/watch?v=VlUEWT6Zsfs
Salvi指揮。この時点ではベースはまだGiorgio D’adamoが担当。

 New Trollsの2006年の初来日ではSalviの指揮でConcerto Grossoを再現。2012年のSalvi、BellenoのバンドだけによるNew Trolls UTの来日公演でも、Adagio、Ibisの曲の演奏に加え、アンコールでAdagioを再演していました。


 Nicoのハードロック色とVittorioの対立が深くなった1972年1月28日にローマのPiper Clubで行われたControcanzonissimaのライブでは、演奏の中盤で、Adagioが演奏されています。

𝐍𝐞𝐰 𝐓𝐫𝐨𝐥𝐥𝐬 - Live - 1972 Piper Club
https://www.youtube.com/watch?v=mnyuQFnu8FY&list=PLJO4OclKmIcAkTPtTQqiBjxhstw6IGtxM&index=14
18:08 Adagioは教会オルガンのような敬虔なイントロから始まり、オルガンで終わる。Salviによるクラシックの和声の微妙な解釈の違いが感じられる。

 伝説の人気番組Senza ReteではNew Trollsのオーケストラ入りライブ。Salviがピアノで、ベースがLaugeliに変わった1972年の映像。New Trolls自身の作詞作曲によるConcerto Grosso とも言えるSt.Peter's Dayを演奏。Adagioでなくて残念ですが、それでも音楽史上屈指のテレビ映像だと思います。

★New Trolls - Concerto Grosso Allegro & In St.Peter's Day
https://www.youtube.com/watch?v=hnZubCu3xqM
予算の関係でLPではシンセサイザーを使用した名曲In St.Peter's Dayをオーケストラ入りで演奏。

New Trollsの分裂を報じる記事
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 New Trollsは音楽性の対立により1973年に分裂し、名称を巡って裁判になりました。しかし、いずれの2つのバンドでもAdagioが演奏されていた貴重な音源がみつかりました。まずVittorioの𝐍𝐓 𝐀𝐭𝐨𝐦𝐢𝐜 𝐒𝐲𝐬𝐭𝐞𝐦から。

𝐍𝐓 𝐀𝐭𝐨𝐦𝐢𝐜 𝐒𝐲𝐬𝐭𝐞𝐦 - Adagio Live Rimini - 1973
https://www.youtube.com/watch?v=K2GXk-bcPB8&list=PLJO4OclKmIcAkTPtTQqiBjxhstw6IGtxM&index=22
37:45からAdagio。イントロから練りこまれたシンセサイザー(メロトロン?)の音色に引き込まれる。今回のAdagioのブログを書こうと思ったきっかけはこの音源。

 法廷闘争ではVittorio側が勝訴してNew Trollsを名乗り、Nicoの側はファンからの募集によりIBISを名乗るようになります。次に、1973年3月のNico Di Palo、Gianni Belleno、Maurizio Salvi、Frank LaugelliによるIBISの演奏。

𝐈𝐁𝐈𝐒 - Adagio Live in Pescara
https://www.youtube.com/watch?v=D9BL2pW2hhg&list=PLJO4OclKmIcAkTPtTQqiBjxhstw6IGtxM&index=24
25:10からAdagio。イントロは1972年1月と同様Salviのオルガン。Vittorio以外がメインボーカルをとっているため、オリジナルとかなり印象が異なる。
 
 そして1976年にVittorioとNicoの両者は和解し、再びAdagioを演奏。
 バンドによるLive版のAdagioの完成形をここに見ることができます。
 Bacalov作曲によるConcerto Grosso 2 も発売されました。

★New Trolls - Concerto Grosso Adagio
https://www.youtube.com/watch?v=1bh1EewdHXc
Album - L.I.V.E.N.T. (1976)より。 2:10の ベースと、4:06で Nicoがソロを止め、ユニゾンとなるところが素晴らしい。
MC:Giorgio D'Adamo 





New Trolls / Concerto Grosso 2 - vivace 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=fdi1wka5kLA
ベトナム戦争が終結し、Le Ormeと同様に音楽が明るくなった。初めてConcerto Grosso 1(オレンジラベルのCetra盤)と2(magma盤)をほぼ同時に聴いたとき、1と2の差が大きい理由がわからなかったが、どちらも素晴らしかった。特に2のB面のNew Trollsの曲が充実していた。

New Trolls - Le Roi Soleil  1976年
https://www.youtube.com/watch?v=cDbba2BkMdg
Concerto Grosso 2のB面最後を飾る入魂の曲。Bohemian Rhapsodyからの影響を感じる。Bacalovの情熱に呼応するような感動的なエンディングはConcerto Grossoの締めくくりにふさわしい。





 1997年の解散ラストツアーでの神懸ったNicoのギターのAdagioを発見しました。ギターの可能性を駆使したプレイからは、高橋竹山や裸のラリーズのライブを見たときの緊張を思い出しました。Drumsは、2007年のConcerto Grosso公演でも来日したLatte e MieleのAlvio Vitanza。

★NEW TROLLS - Adagio - 1997年解散ツアーTour 1997 (l'ultimo dei NT)
https://www.youtube.com/watch?v=nBojXOjVG4E
イントロは第3楽章のCadenza。5:40からはAsh Ra TempelのInventions for electric guitarのようだ。事故を起こす前のNicoの映像が見れてよかった。



〜 2001年ーオーケストラによる Concerto Grosso の復活- Adagio 〜


2007年のVittorio、Nicoによる2度目の来日。Concerto Grossoを初めて見た。
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 2001年についにNew Trollsは、オーケストラによる Concerto Grossoのライブを開始しました。
 そのニュースを聞いたときは感慨深いものがありました。

 New TrollsのConcerto Grossoは、日本でも2006年(Vittorio、Salvi指揮)、2007年(VittorioとNicoの再会)、2012年(Salvi、Bellenoのバンド演奏のみ)、2013年(Vittorioのみ、Nicoは病気で来日せず)と4回も演奏されています。

 2007年の再演の際に、日本人のコンサートマスターの女性がConcerto Grossoの本番を楽しみにしているというブログを読み、クラシックのプロの演奏家でも、Concerto Grossoのような曲ならRockでも魅了されるんだなあと感動したのを覚えています。

New Trolls - Leggenda & Bacalov nell'Adagio del CG1
https://www.youtube.com/watch?v=ikN-s0CQq6M
2013年 Bacalov指揮による1971年の4人のメンバーによる奇跡のライブ。この後、Dadamo、Bacalovが亡くなる。

La Leggenda New Trolls - Adagio
https://www.youtube.com/watch?v=EHwlKmQL36Y
2013年 Bacalov指揮による1971年の4人のメンバーによるスタジオ録音


 改めて素晴らしい音楽を作ってくれた人たちに感謝したいです。





Concerto Grosso Per i New Trolls - New Trolls(Full Album)(HD)
https://www.youtube.com/watch?v=bPefV2g1TMk&t=410s

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イタリア盤シングル New Trolls - Adagio

2021年02月28日

追悼RIP  ダニロ・ルスティチDanilo Rustici 〜 オザンナOsanna ・ウーノUno  Al Di Meola級のスーパーギタリスト

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2010年初来日のステッカーが貼られたSuddanceのCD       


今日の1曲
  Osanna / Chiuso Qui 1978年
  Uno / Right Place 1974年
  Uno / Uomo come gli Altri 〜 Uno Nel Tutto
        (英語版ドイツ盤では、Away 〜 Gone)  1974年
 OSANNA / L' Uomo  1971年





オザンナ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%8A


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 以前から体調不良が伝えられたOsannaのギタリスト・ダニロ・ルスティチDanilo Rusticiが亡くなりました。若き日のDanilo Rusticiなどの勇姿が見れるOsannaのドキュメンタリー映画Osannaples が完成したところでした。

OSANNA L' Uomo (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=cAWQVkLyv3A&feature=share&fbclid=IwAR0bT569oqrjWnp15U8R9WkaxhOMtjChEpL88yNFrFeHv2gKWaFUL-cknQU
1970年代初頭では極めて斬新で、貴重なカラー映像。イタリアでコンサートを行ったGenesisのPeter GabrielがOsannaの衣装から影響を受けた話は有名。

 Osannaの1st、2nd、3rd、5thとUnoの5枚は、本当に素晴らしくよく聴いたアルバムです。Danilo Rusticiのギターは、メロディアスで力強く一度聴いたら忘れられないフレーズがたくさんあり、今思い返すと自分にとってはイタリアで最高の、また世界的に見ても10指に入るギタリストでした。 

 日本では、まず、バカロフがアレンジしたMilano Calibro9とメロトロンMellotronのPalepoliが大きな話題になり、1979年からのイタリアンロック再発・発掘のきっかけとなりました。

Milano Calibro9のDiffジャケット



 当時素晴らしいと思ったのが、1978年の新譜で、当時日本では未発売でほとんど話題にならなかったSuddanceです。しかしイタリア本国では、1stのL’uomoに続いてイタリアで権威のあるイタリア批評家賞を受賞しています。  

 特にChiuso Quiは、イタリアンプログレッシブロックとナポリ民俗音楽に加えて、当時世界の潮流だったクロスオーバーのテクニックも融合しており、自分にとって1978年の世界最高の楽曲です。

Osanna ☆ Chiuso Qui (1978)
https://www.youtube.com/watch?v=OdCmsPuauFM
4:50から当時のスーパーギタリストAl Di Meola級のギターソロが聴ける。





 また、DaniloとElio Dannaが世界進出を目指した1974年のUnoも全曲捨て曲がない素晴らしいアルバムでした。Osannaの曲はOsannaが作者にクレジットされていましたが、Unoは作曲がDanilo、イタリア語の作詞がElioと明記されており、Osannaの作曲においてDaniloの貢献が大きかったことが伺えます。

 Chiuso QuiもVairetti-Rusticiと明記されており、Daniloの作曲でLino Vairettiの作詞と思われます。

 Unoは結局イギリスで発売されず、New Trolls、Ibis、Latte e mieleと同様に英国進出は果たせませんでした。しかし、Unoはドイツとフランスでは、楽曲の美しさに相乗効果を与えるヒプノシスHipgnosisの素晴らしいDiffジャケットで、全曲英語詞で発売されています。

ドイツ盤Uno ヒプノシスの本でも傑作ジャケットの一つとして掲載。 
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Uno - A-1 Right Place
https://www.youtube.com/watch?v=McxUvlOeE6E
UnoのA面1曲目。Daniloは好きなアーティストとして、同様に世界進出を目指したPFMやVittorio Nocenziを挙げていた。この曲もPFMのRiver of LifeやBancoのLeave me aloneからの影響が感じられる。

Uno - A-3 I Cani E la Volpe
https://www.youtube.com/watch?v=bpwY5NGDVLk
A面の3曲目。憂愁のある歌メロとサックスが素晴らしい。ドイツ盤ではLost and foundのタイトルで英語詞だった。

左:ドイツ盤のラベル 右:長年謎だったシングルは白ジャケプロモ盤だった
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UnoのレコードのB面の1曲目 Uomo come gli Altriと2曲目 Uno nel Tuttoは一連の組曲になっていて、CDの5曲目と6曲目にあたるのですが、曲の区切りがレコードとCDでは異なっています。

レコードではUomo come gli Altriは10:00の大曲、2曲目 Uno nel Tuttoは1:35の小曲ですが、CDではUomo come gli Altriが1:28で、Uno nel Tuttoが10:11に長く区切られています。

Uno -B-1 Uomo come gli Altri(1:28)CD版
https://www.youtube.com/watch?v=jRKVSIiPqP4&list=PLn6IUYFGu6PJzXjqO7muvREpv58yHNu5Y&index=5
フォークタッチの1分半の美しい序曲からの怒涛の展開が見事。

Uno - B-2 Uno nel Tutto (10:11)CD版
https://www.youtube.com/watch?v=SMCPVjfo1DM&list=PLn6IUYFGu6PJzXjqO7muvREpv58yHNu5Y&index=6
小曲から途切れなく繋がる10分の大曲。4:00から、弟のCorrado Rusuticiによれば当時キーボードの方に関心を持っていたというDaniloのMellotron的な音とシンセサイザーの空間の拡がりが素晴らしい。7:00の歌から転調し8:30までのパートが本アルバムの最大の山で、イタリア盤でもドイツ盤でも英語で歌われているが、いずれもこの部分の歌詞がジャケットでは伏されている。 

UNO - B-1 Away (10:00) 英語版 ドイツ盤
https://www.youtube.com/watch?v=wEc_SzvWd1s
Unoのドイツ盤のB面は、B-1とB-2が両曲すべて英語で、Away (Uomo come gli Altri)とGone(Uno nel Tutto)というタイトル。


英語版歌詞 B-1 Away 〜 B-2 Gone
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Uno - B-3 Goodbye Friend (1974)
https://www.youtube.com/watch?v=uT_o615IT1k&list=PLn6IUYFGu6PJzXjqO7muvREpv58yHNu5Y&index=7
B面最後を飾る曲。Pink Floyd「狂気」の「虚空のスキャット」のLiza Strikeがボーカル。Unoの詞にはPalepoliの後に分裂したOsannaのメンバー間の音楽的葛藤がそのまま表れていた。





 Osannaの他のアルバムも一言では表せない素晴らしい作品ばかりです。
 今回は追悼にあたって、特に思い出深いChiuso QuiとUnoをとりあげました。
 素晴らしい音楽をありがとうございました。RIP Danilo Rustici


Unoの1980年の再発盤LP(上 Danilo Rustici)
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2021年02月16日

ついに発見 1970年「ツーマッチ Too Much 自由広場の若者たち」 〜 村八分を支えたMojo West関連の野外ロックフェスティバルの先駆け

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今日の1曲
 「ツーマッチ Too Much 自由広場の若者たち」1970年
 ヘルプフル・ソウル / ファイア 1969年
 TOO MUCH/Song for My Lady 富田勲編曲 1971年
 Flower Travellin' Band / Louisiana Blues 1970年


 コロナで音楽フェスティバルがほとんど中止となる中、日比谷野音と並び、日本での最初の野外ロックフェスティバルといえる深大寺「ツーマッチToo Much」の1970年の貴重映像がみつかりました。

 「Too Much」は、京都で村八分を支援したMojo Westの木村英輝が東京で主宰したもので、山口冨士夫が著書「So What」で「キーやん(木村氏)に感謝しようぜ」と書いていたことからずっと気になっていました。

木村英輝
http://kyotocf.com/otomachi-chronicle/fuji-odyssey-1/
ローリングストーンズ、ジミヘンドリックス、ジャニス・ジョプリンなどの出演が予定されていたが中止になった「富士オデッセイ」の日本現地のジェネラル・プロデューサーを任されていたすごい人物だった。





 NHKでは、間章が主宰し村八分も出演予定だった「自由空間」音楽祭も放映しました。保守的なイメージがあるNHKにロックの貴重資料が残っていたのも幸運です。NHK教育ではフラワートラベリンバンドのライブも放送したそうです。


深大寺Too Muchのヘッドライナーだったフラワートラベリンバンド



 深大寺の前、2月の京都での「Too much」イベントにもヘルプフルソウルが出演しており、「ツーマッチ 自由広場の若者たち」の映像ではヘルプフルソウルのジュニ・ラッシュが多くみられます。
 ヘルプフルソウルは、この後、そのToo Muchにバンド名を変えます。

ヘルプフルソウル 1stアルバム 1969年
「妥協を認めないニューロックの新星」と帯に書かれている
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< 当時のニューロック・シーン ・ヘルプフルソウル 〜 Too Much
    ・フラワートラベリンバンド・村八分の動向>

 1969年     The Helpful Soul ヘルプフルソウル
          ‎– ソウルの追求: The Helpful Soul First Album 発売
    5月    チャー坊が渡米
    12月31日 ダイナマイツ解散
 1970年2月28日 京都会館第2ホールイベント「Too Much」
         出演:ヘルプフルソウル、フラワートラベリンバンド
         山口冨士夫がセッションで出演し木村英輝と出会う。
    3月   東京で山口冨士夫と帰国したチャー坊が出会う
    5月   京都で「ななしのごんべ」として村八分が結成
    7月11日 東京 深大寺自由広場イベント「Too Much」
         出演:ヘルプフルソウル、フラワートラベリンバンド
    7月26日 富士急ハイランド
         出演:裸のラリーズ
         (村八分を名乗る前、裸のラリーズ名義で出演)
            フラワートラベリンバンド
    10月   フラワートラベリンバンド / Anywhere 発売
 1971年3月20日 京大西部講堂「Mojo West」
         出演:村八分(ステージデビュー)、PYG
    4月   フラワートラベリンバンド / Satori カナダ日本で発売
    4月11日 日比谷野音 出演:トゥーマッチ、村八分
    4月30日 村八分 / 草臥れて 大阪のスタジオで録音
    7月21日 LP Juni & Too Much「Too Much」発売
  
 
 「ツーマッチ」の放映ではバンドの映像が少ないのは残念ですが、1969年ウッドストックの翌年、日本でロックがまだ新しいころの情熱が伝わるフェスティバルや関係者の雰囲気を知ることができて、本当によかったです。


深大寺Too Muchでのジュニ・ラッシュ(ヘルプフルソウル)
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現代の映像「ツーマッチ 自由広場の若者たち」1970年7月24日放映
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=N7GKC2QT0mQ&feature=youtu.be&fbclid=IwAR1Brrm4sefNbaQ5YNh9xVLznASmE2uxMAZcQnlnHPANXREWwg0S5O78hUk
0:30「ロックコンサートを通して自分たちの文化を創ろうとする若者たちの記録です」
2:27 木村英輝が、Pink Floyd / Interstellar Overdriveをバックに登場。
5:54  開催に向けて調布警察署で交渉。 警察「ツーマッチとは?」
 木村「政治や宗教といった次元と関係ないところで皆で共通して楽しむために集まろうとしている。英語であまりにも素晴らしすぎるという意味」

9:59 ジョー山中(フラワートラベリンバンド)に見えたが、ジュニー・ラッシュ(ヘルプフルソウル)だろうか。 流れている曲は、Flower Travellin' Band / Louisiana Blues (Muddy Waters cover)
12:05 ひょっとして、ガロの「ボーカル」か? 1969年12月にはミュージカル「ヘアー」に出演していた。ポスター掲載の出演者以外でも飛び入りで参加できたようだ。
13:00 木村英輝だろうか。自身も音楽を楽しんでいるのが素晴らしい。
13:15 ジュニー・ラッシュのアコースティックギターでの歌
17:56 このビデオで一番バンド演奏が長く見られる貴重な場面。
  村八分の初代ドラマー恒田義見が参加する前のブラインド・バードか。
22:25 ジュニー・ラッシュ(ヘルプフルソウル)のバンド演奏。
23:50 Pink Floyd、Tangerine Dreamのような音楽がバックに流れている。 


ヘルプフル・ソウル ファイア 1969
https://www.youtube.com/watch?v=jUPkCkY-TvI




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ジュニー・ラッシュのインタビューを掲載。山口冨士夫とは同じ血が流れているので京都ではずっと交流があったという。



TOO MUCH/トゥーマッチ 日比谷野音 '71
https://www.youtube.com/watch?v=ShFVRiAuCl4
後に山口冨士夫のタンブリングスに1983年に参加する青木正行のベースと小林秀弥のドラムのグルーブがすごい

左:小林秀弥(山口冨士夫タンブリングス) 
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右:青木正行(外道、山口冨士夫タンブリングス)
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TOO MUCH/Song for My Lady
https://www.youtube.com/watch?v=rL7Ah4qTJbQ&list=OLAK5uy_miNpq2xIRWIjHMrrJsT_NiBLOxI6hgA3s
あの富田勲がアレンジを担当したプログレッシブな大曲


オリジナルLPは世界的にも高額で有名



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2021年02月12日

追悼チック・コリアChick Corea 〜 浪漫の騎士 Romantic Warrior

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1976年 浪漫の騎士 Romantic Warrior


今日の1曲
 Return To Forever - "Medieval Overture" 1976年
 Chick Corea - Spanish Fantasy Pt. II 1977年
 Miles Davis - Spanish Key 1969年


 チック・コリアが亡くなりました。
 クロスオーバー、フュージョンがブームのとき、1976年「浪漫の騎士」のリターン・トゥー・フォーエヴァーは神懸った存在でした。

 そのチームとは

Guitar : Al Di Meola 
Keyboards, Composer, Lyricist, Producer: Chick Corea
Bass:Stanley Clarke
Drums:Lenny White

 プログレッシブロックが下火になったときに現れたこの作品は、ELPのクラシカルロック、Yesのテクニック、Tangerine DreamのSynthesizerなどのプログレの全盛期の要素がすべて詰め込まれ、ジャズのテクニックによって高密度で結晶していました。 

Return To Forever - "Medieval Overture" 浪漫の騎士より
https://www.youtube.com/watch?v=pzFGBOeL0Xk&list=PLRZ1TNTj_p8LgEeRWhATN2OVdD-AUkDA-&index=1
浪漫の騎士の1曲目。まさに驚天動地という感じだった。





 チックコリアは不在でしたが、続く1977年のAl Di Meolaのソロアルバム「エレガントジプシー」のAB面のそれぞれ1曲目も驚愕で、当時のギターヒーローでした。1975年のLenny WhiteのPrince of the seaも素晴らしい。

 1976年には山下ツトムのGoセッションにKlaus Schulze(元Tangerine Dream、Ash Ra Tempel)とAl Di Meolaが参加。ドイツのCosmic MusicとReturn To Foreverがクロスオーバー繋がった。

 チックコリアのソロアルバムでは、FMで放送されエアチャックした1977年の2枚組My Spanish HeartからのSpanish Fantasyを繰り返し聴きました。ここでは、アコースティックピアノと電子キーボードの対峙が素晴らしい。

Chick Corea - Spanish Fantasy Pt. II
https://www.youtube.com/watch?v=QiAi1kfqFN4
凄いドラムだと思っていたが、今回Drums – Steve Gaddと初めて知った。





 マイルスデイビスの死の直後、FMでマイルスの歴史をドラマチックに辿る特集を録音。問題作ビッチェズ・ブリューを初めて聴きました。Spanish Keyは、冒頭から3:25までトランペットとエレクトリックピアノの絡みがカッコいい。
 
Miles Davis - Spanish Key
https://www.youtube.com/watch?v=ibanLlREjTk
Electric Piano – Chick Corea, Joe Zawinul, Larry Young
3:25まで緊張感が凄い。2:39鬼気迫るトランペットとエレピ。百回以上聴いた。





Miles Davis - Live In Rome 1969年 Chick Corea :Piano
https://www.youtube.com/watch?v=H3Xjm-C1VS8
今回偶然みつけたイタリアでの映像。マイルスはクールな印象だが、22:40からの演奏はコルトレーンのようだ。本気を出した時の凄さを思い知らされた。


Miles Davis - Call It Anything - Isle of Wight Festival - August 29, 1970
https://www.youtube.com/watch?v=qyJooHmRcdc
ELPがデビューしたワイト島フェスのマイルスも今回初めて見た。凄い映像が残っていたものだ。ヘッドホンで大音量で聴く。全く異次元の世界の音楽。チックコリアとキースジャレットのダブルエレクトリックピアノ。


 素晴らしい音楽をありがとうございました。
 RIP チックコリアChick Corea


LPを買った記憶がある。輸入盤店渋谷Diskroadを思い出す。



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2021年02月11日

鉄道併走バトルシリーズ3 〜 MANUEL GÖTTSCHING / E2 – E4 LIVE in Japan@<ZERO>幕張エッセ2012 + Echo Waves1975

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Ash Ra Tempel Y Inventions For Electric Guitar 裏ジャケット
Tangerine Dreamが、Phaedraで3人で最先端技術のSynthesizerで作ったミニマルミュージックを、ギター1本の多重録音で作ってしまった。

Inventions For Electric Guitar ジャケットより
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今日の1曲
 快速みえVS近鉄特急アーバンライナー
 京急快特VS JR
 MANUEL GÖTTSCHING - E2-E4 LIVE @ <ZERO>幕張2012
 Ash Ra Tempel – Echo Waves 1975年


 医療従事者の皆様、エッセンシャルワーカーの皆様、ありがとうございます。ステイホームで、鉄道の動画を見ていたところ、併走バトルでスピード感、迫力があるすごくよい映像がみつかったので、2年ぶりに特集を組みました。


京急快特 前面展望
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@快速みえが近鉄特急アーバンライナーを猛追
https://www.youtube.com/watch?v=XLGUpgFEKqs

A京急快特 横浜〜品川 ど迫力の広角前面展望 
https://www.youtube.com/watch?v=C6uV5wEgYao
2:30 JRを一瞬で抜き去る2本目の追い越し


 一昨年の併走バトルシリーズの対抗曲はJames Brownでした。
 今回は、前回のブログで1976年のベスト盤を紹介したMANUEL GÖTTSCHING(Ash Ra Tempel)が、2012年に幕張メッセで来日した際のE2-E4の疾走感、緊張感のあるライブです。

MANUEL GÖTTSCHING Official Website
http://www.ashra.com

MANUEL GÖTTSCHING - E2-E4 LIVE @ FREEDOMMUNE 0<ZERO>
https://www.youtube.com/watch?v=VTvHcHQkxSU
ヘッドホンで大きな音で聴くと会場にいるようだ。1990年ごろ、一度だけ行った伝説のクラブ芝浦Goldで初めてE2-E4を大音量で聴いたときの感動が蘇る。





 もう1曲Manuel Göttschingの対抗曲。ギター1本による画期的なミニマルミュージックで、E2 – E4の7年前に録音されたInventions For Electric Guitar (1974) の疾走感ある素晴らしい曲Echo Waves。

Ash Ra Tempel Manuel Göttsching - Inventions For Electric Guitar (1974) - ''Echo Waves''
https://www.youtube.com/watch?v=ngtHXSFSiOY
40年以上経って評価がどんどん上がっている。5年前に教わったギターの先生もこの作品のディレイが凄いとギタリストの間で話題になっていると話していた。


Ash Ra Tempelの名義が外されるようになったCD。1975年発表の名盤。



 INVENTIONS FOR ELECTRIC GUITARをGongのSteve Hillageなど4名で再現した METAMORPHOSE 2010の映像もみつかりました。2006年、2008年、2010年とMETAMORPHOSEのために来日しましたが、体調などのために行くことができませんでした。Tangerine Dreamの最後の来日も見逃して残念。


Manuel Gottsching – Echo Waves INVENTIONS FOR ELECTRIC GUITAR @ METAMORPHOSE 2010
https://www.youtube.com/watch?v=Um6FOLNniTo&t=245s





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2021年02月06日

癒しのヒーリングミュージック特集 part2 1976年イタリアPDUのPopol VuhとAsh Ra Tempel のBest盤

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Popol Vuhの1976年イタリアPDU(Minaの会社)から出た最初のBest盤。


今日の1曲
  Popol Vuh - Aguirre I (L'acrime di rei) 1972年
  Ash Ra Tempel – Jenseits 1972年
  Ash Ra Tempel – Sunrain 1976年
  Ash Ra Tempel – Ocean of tenderness 1976年
  Popol Vuh – Nicht hoch im Himmel 1972年



★ 癒しのヒーリングミュージック特集 part2 ★

1970年代のドイツ音楽 Popol Vuh  Ash Ra Tempel 
 

 ヒーリングミュージック、ambient musicの先駆者と言えば、ドイツのPopol Vuh、Ash Ra Tempelなどが挙げられます。
 当時は最先端の音楽でしたが、今でも45〜50年前の音楽とは思えません。


PDUのBest盤の裏ジャケット。教会でのライブ録音時の写真を使用。AguirreはA面の1曲目で、パンフルートの部分を除いてフルに収録されている。
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Popol Vuh - Aguirre I (L'acrime di rei) 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=1u7vzaqITMA
Electric music、シンセサイザー時代のAmbientの傑作





Popol Vuh - Nicht hoch im Himmel  1972年
https://www.youtube.com/watch?v=k0xZdwHLngo
シンセサイザーに限界を感じたFlorian FrickeはAcoustic musicに転向。
同じ1972年に、ElectricとAcousticの両方からAmbient musicの先駆的な傑作を生んだのは奇跡的。





Ash Ra Tempel の1976年PDUのBest盤。
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B面1曲目にJenseitsの一部を収録。世界最先端だったDieter DierksスタジオのミキシングルームでのInventions for Electric Guitar制作時の写真を使用。
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Ash Ra Tempel - Jenseits 1972年12月 Tarot録音時に行われたライブ
https://www.youtube.com/watch?v=hXkp9P3xnNU
Klaus Schulze関連の作品の中でも数少ないAmbient系の傑作。





Ash Ra Tempel のPDU1976年ベスト盤のA面1曲目は、1973年の美しい異色作Starring RosiからのFairy Dance、B面のラストは同アルバムからSchizoで、これらもAmbient musicの色彩が強い名曲。
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1976年ベスト盤を編集したRolf Ulrich Kaiserは裏ジャケット に「私はPopol Vuhの音楽を Perlenklänge(真珠の音)、Ash Ra Tempelの音楽をCommunicationと呼ぶ」と記載しており、 KaiserがこれらのグループにAmbient musicの先駆的要素を発見していたとも考えられる。
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Ash Ra Tempel(Ashra) – Sunrain 1976年 映像付き
https://www.youtube.com/watch?v=5lkGs0QEFHM
Ohrとの契約が切れたAsh Ra TempelはフランスRCA傘下のIsadraと契約してNew Age of Earthをリリース。その後Virginと契約し、Ashraとして1977年に世界に向けて再リリースされた

Ash Ra Tempel(Ashra) – Ocean Of Tenderness 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=GiehI0NDubw
New Age of Earthで最もAmbient musicに近い曲。





Popol Vuh, Ash Ra Tempelなど1970年代初頭のクラウトロックの本






posted by カンカン at 16:12| 神奈川 ☀| Comment(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月26日

コロナ対策 ー @マスクありでも感染の危険 ー A手洗いの盲点(例:スマホからの感染) ー B家でもマスク 〜 癒しのヒーリングミュージック特集 part 1 Simply Hypnotic

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 → 帰宅後にスマホの表面を消毒液で拭くことが勧められています。


今日の1曲
  Simply Hypnoticのヒーリング・ミュージック


 緊急事態宣言が出ても、コロナが拡大しています。
 コロナに感染したタレントについて、別のタレントが「あれほど、マスク、手洗いなどに厳重に注意していた人でも感染した」と言っていました。

 もう丸1年もコンサートなどに行っていません。一刻も早くコロナが収束し、コンサートやライブが安心してできる状況に戻ってほしいです。
 最近いくつかの感染対策や情報を知りました。
 

@ 「マスクあり」でも感染するケース

 「マスクあり」でも感染のリスクが高まるというオックスフォード大学の研究結果が、読売新聞で報告されました。
 昨年の3月ころは、マスクの奪い合いでした。マスクさえあれば大丈夫というという感覚がついていたと思います。しかし、現実には、マスクの脇から飛沫は漏れるので、換気のない狭いところに大人数で長時間入れば、浮遊している飛沫を吸い込むリスクは十分あります。


感染リスクの比較   左:「マスクあり」  右:「マスクなし」
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「マスクあり」でも「換気悪い」「密集長時間」では、「マスクなし」と同じ
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咳をした場合、赤い部分は飛沫を防げたが、マスクから漏れる部分もある
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スパコン「富岳」飛沫検証 マスク材質は?教室は?
https://www.youtube.com/watch?v=VfdzPdvKKCU


A 手洗いの盲点(例:スマホからの感染)

・帰宅したら、まず石鹸で手を洗うことにも盲点があります。

・例えば、電車の手すりを握ったときにウイルスが手についたとします。
・その場合でも、帰宅したらすぐに手を洗えば大丈夫に見えます。

・しかし、帰宅までにスマホに触れた場合、スマホにウイルスが付着します。
・帰宅後に手を洗っても、その後にスマホに触れれば手にウイルスが付着。
・その手で顔に触れれば感染の危険が起きます。

・帰宅後に、つり銭などに触れても同様の危険があるでしょう。


スマホから感染する「落とし穴」
スマホ触って感染の可能性 手洗いだけでは意味がない
https://www.youtube.com/watch?v=3Uuw_ht4Ja8
表面がつるつるしたところに着いたウイルスは、2日ぐらい感染力を維持する。


B家でもマスク

 家庭内感染が1番多くなってきたということなので、家の中でも家族と同じ部屋にいるときはマスクを着用するようにしました。 
 最初は違和感がありましたが、慣れてしまうとなにより安心です。
 前述のように「マスクあり」でも危険性が高くならないように、テレビを見るときは家族との距離をとり、同居時間も短くしています。
 

★ 癒しのヒーリングミュージック特集 part1 Simply Hypnotic ★ 
 
     @ Simply Hypnotic 2020年

 SNSで知ったSimply Hypnoticという素晴らしいヒーリングミュージックに最近よく癒されています。
 いろいろな周波数、リズムの曲があり、そのときの気分に応じて、選曲することができるのがとてもいいです。

Simply Hypnotic / 🎧528 Hz 〜 STOP不安と恐怖 〜 心配とストレスのための感情的な癒し
https://www.youtube.com/watch?v=eyieKBpA88w&t=2462s


4Kの美しい自然の動画の付いたアンビエントファンタジーミュージック • リラックス、就寝、瞑想、勉強、ヨガなどに(Reflections)
https://www.youtube.com/watch?v=gZZRFf2v5wQ
動画付きのヒーリングミュージック


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posted by カンカン at 19:22| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月23日

追悼・フィル・スペクター 〜 ビートルズBeatles / レット・イット・ビー Let it be、ジョンレノン / 平和を我等に、ラヴ、イマジン

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フィル・スペクターのプロデュースにより完成したLPレット・イット・ビー


今日の1曲
 LP 「ビートルズ / レット・イット・ビー 」1970年
  Plastic Ono Band – GIVE PEACE A CHANCE 1969年
 ジョン・レノン / マザー Mother 1970年
 ジョン・レノン / ラヴ Love 1970年
 ジョン・レノン / イマジンImagine 1971年
 The Righteous Brothers / You've Lost That Lovin' Feelin'


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”Imagine" Produced by John & Yoko & Phil Spector


 プロデューサーのフィル・スペクターが亡くなりました。ビートルズが、お蔵入りしていた1969年のGet Backセッションのテープをすべて1970年1月にスペクターに渡して、LPレット・イット・ビーが完成したことを、今回改めて知りました。レット・イット・ビーは、初めて自分の少ない小遣いを貯めて買ったLPで、何度も繰り返し聞きました。

 シングルヴァージョンの「レット・イット・ビー」のアレンジはジョージ・マーティン、アルバムヴァージョンの『レット・イット・ビー』のアレンジはフィル・スペクターがプロデュースを手がけ、ギターソロとオーケストラのミックスが大きく異なっています。

 東芝のステレオプレイヤー「ボストン」のコマーシャルを聴いて衝撃を受け、最初に買ったシングル盤が「レット・イット・ビー」でした。次にLPを買った私は、『レット・イット・ビー』のアレンジの違いに再び衝撃を受けました。

The Beatles - Let It Be (Film Outtakes - 31st January 1969 - Take 23)
https://www.youtube.com/watch?v=ToOLuVzMAro
ジョージ・マーティンのヴァージョンは、この映像のサウンドに近い。





The Beatles - Let It Be LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=eOXDt1XvHgY
0:52のハイハットのディレイから異次元のサウンドになり、1:32のオーケストラに圧倒された。メロトロンのようにも聴こえる。他方、シングルヴァージョンで印象深かったサビでのバックコーラスはかなり除去された。





 ジョンレノンが自身の最高作の一つというアクロス・ザ・ユニヴァースもフィル・スペクターのプロデュースにより、オーケストラとコーラスがオーバー・ダビングされ、夢のような素晴らしい音に拡がっています。

The Beatles - Across The Universe
https://www.youtube.com/watch?v=90M60PzmxEE
この曲もコーラスがメロトロンのように聴こえる。


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「ロング・アンド・ワインディング・ロード」も大好きでシングル盤も買い、こちらはLPと同じ音源でした。素晴らしいアレンジなので、ポール・マッカートニーがスペクターのアレンジとプロデュースに不満だったことを知ったときは驚きました。

The Beatles - The Long And Winding Road
https://www.youtube.com/watch?v=fR4HjTH_fTM

The Beatles Let It Be Naked
https://www.youtube.com/watch?v=naIG0tdXlGw
これがスペクターが手を加える前の原型だった。





〜 ジョンレノンとの関係 〜


 ジョン・レノンとジョージ・ハリスンは散漫なGet Backセッションを短期間にアルバム『レット・イット・ビー』にまとめたスペクターに感銘を受け、ソロ・アルバムのプロデューサーとしました。

 最初のジョンとスペクターの関りは、1969年6月1日録音のレノンのPlastic Ono Bandとしての初ソロ作品「平和を我等に」Give Peace a Chanceに、スペクターがその場にいた報道陣などと一緒にコーラスで参加したことです。

Plastic Ono Band - GIVE PEACE A CHANCE 1969年
https://www.youtube.com/watch?v=C3_0GqPvr4U
ベトナム反戦運動に使われた。音楽が一番影響力を持った時代。





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 今回初めて「ジョンの魂」や「イマジン」のLPもスペクターがプロデュースしていたことを知って驚いています。改めてこれがスペクターサウンドだったのかと思うと、とても感慨深いです。

ジョン・レノン / マザー Mother 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=sPYsMM1FvXs
イントロの鐘の音が印象的。ヨーコのサポートを得て、5歳で父母と生き別れになったジョン自身の心情を歌った。1969年にJames BrownもMother Popcornで、子供には母の愛情が必要だと歌っている。スペクターも10歳のときに父が自殺した。

ジョン・レノン / ラヴ(愛)Love  1970年
https://www.youtube.com/watch?v=7er_xx7Wmg8
フィル・スペクターがピアノを担当。エンディングに付加したピアノが感動的。





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ジョン・レノン / イマジンImagine 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=wARpk54fv8U
Imagineで始まる詞はヨーコの反戦詩から着想を得た。ピアノをダブルで録音したのもヨーコのアイディア。スペクターがニューヨーク・フィルハーモニックによるストリングスアレンジを手掛けた。





 懐かしいジョージ・ハリソンのMy Sweet Load (マイ・スウィート・ロード)もスペクターのプロデュースと知りました。

GEORGE HARRISON / My Sweet Load (マイ・スウィート・ロード)
https://www.youtube.com/watch?v=lQLBb9QSiy0
このころのヒット曲は、ラジオや街や商店で何度も流れていた。

 スペクターサウンドでとても好きなのが、ライチャス・ブラザーズ (The Righteous Brothers) / ふられた気持You've Lost That Lovin' Feelin'です。
 ご自身もビートルズの仕事をしていた時期が充実していたと生前語っていたそうです。フィル・スペクター氏のご冥福をお祈りします。


The Righteous Brothers / You've Lost That Lovin' Feelin'
https://www.youtube.com/watch?v=uOnYY9Mw2Fg
「20世紀にアメリカのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」のランキングで800万回以上のオンエアで1位。「ライチャス」の名は、黒人から正しいソウルがあると言われたことによる。





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posted by カンカン at 16:44| 神奈川 ☔| Comment(0) | ビートルズ The Beatles  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月16日

発見ラッテ・エ・ミエーレ:@テレビ番組に使用されていたLatte Miele / Pavana 〜 AOriviero LacagninaのProgressive Rockの新刊著書 〜 BLatte Miele 2.0 / Paganini Experience

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Latte MieleのキーボードOriviero LacagninaによるProgressive Rockの本



今日の1曲
  ラッテ・エ・ミエーレ LATTE E MIELE / PAVANA 1976
  LATTE E MIELE / UN MATTINO 1976


1976年に新メンバーで発表したPavanaを既に演奏していた1974年のライブ。
Pavanaの作曲者は脱退したOriviero Lacagnina,Marcello Della Casaだった
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Latte e Miele
https://it.wikipedia.org/wiki/Latte_e_Miele

 イタリアのプログレッシブバンド、Latte e Mieleの曲PAVANAが、イタリア国営放送RAI(日本のNHK)の「明日の農業」という番組のテーマソングとして使用されていたことがわかりました。

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 PAVANA(孔雀)は3rdアルバムAquile e scoiattoliに収録され、2010年の来日の際も演奏していました。来日レポートは2011年05月01日のブログで書いています。PAVANAは何度も聴いた曲ですが、テーマソングとして改めて聴くととても新鮮です。Latte e Mieleの特徴はとにかく美しいメロディーです。

イタリアテレビ番組「Agricoltura domani」 テーマソング
(LATTE E MIELE / PAVANA 1976)
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ztJk9end8&feature=share&fbclid=IwAR1XE0Ka9owew1IYsgZFfJUKqPkHL1UWjZzVZ36eFjcdjmOSPCWRxp-NGxo

Latte e Miele "Pavana" (1976)
https://www.youtube.com/watch?v=vWjfiSXkVNI&t=184s
23分の原曲。プログレが消えてゆく時代の最後の華であり希望だった。

LATTE E MIELE / PAVANA 1976 single version
https://www.youtube.com/watch?v=6EIPhqRt9rE
2分ほどに短縮されたPAVANAのシングル盤B面のヴァージョン

LATTE E MIELE / UN MATTINO 1976
https://www.youtube.com/watch?v=TGnGAQhjQTo
シングルPAVANAのA面。New TrollsのVittorio de Scalzi作曲の隠れた大傑作。

LATTE E MIELE / Opera 21
https://www.youtube.com/watch?v=jnS18nEAW4I
3rdアルバムではこの曲も素晴らしい。ベートーベン原曲をアレンジした曲。ELPのホウダウンからの影響を感じる。2019年にMassimo GoriによるLatte Miele 2.0の新譜Paganini Experienceでは、同じELPのトリロジーの1曲目Endless Enigmaをそのまま引用している。

UN MATTINOをボーナストラックとして収録



 Pavanaの作曲者は、3rdアルバムではBisoという謎の人物がクレジットされていました。しかし、1992年に発売されたCD“LATTE E MIELE - LIVE (1974)”によって、2ndアルバム発売後に脱退したOriviero LacagninaとMarcello Della Casaが作曲者だったことが判明しました。
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LATTE E MIELE - LIVE (1974)
https://www.youtube.com/watch?v=hlV2sNVOLi0
8:20〜 ゲッセマネのMoogが素晴らしい
20:30〜 Pavana


Latte Miele 2.0 / Inno (Paganini Experience)
https://www.youtube.com/watch?v=99HPzPGmlTk&feature=emb_title
Massimo Goriによる2019年Latte Miele 2.0のCDの1曲目。キースエマーソンへのオマージュとして1:00で「Endless Enigma」を演奏している。





 驚いたことにOriviero Lacagninaは、昨年12月に“Suite Rock”というProgressive Rockについての本を共著で出版しました。1970年代 Progressive Rock黄金期のミュージシャンによる本なので、とても興味深いです。

“Suite Rock”に関するOriviero Lacagninaのインタビュー
https://athosenrile.blogspot.com/2021/01/intervista-athos-enrile-e-oliviero.html?fbclid=IwAR1O8qXfKQyY-vdRiV1Et8iXfFvKOXth2ayCP4At6ZiGVvoWKiywQI1HhXg






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2021年01月06日

祝2020年復活!・RDM(Il Rovescio della Medaglia) ~ 袴田さん再審、高裁へ差し戻し

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1978年ごろ、初めて買ったRDMの英語版(1975年)は強烈だった。


今日の1曲
RDM(Il Rovescio della Medaglia)- Contaminazione2.0 2020年
RDM(Il Rovescio della Medaglia)- Contaminazione 1974年
RDM(Il Rovescio della Medaglia)- Giudizio 1971年
Pino Ballarini (RDM) / Alzo un muro elettrico 2020年
RDM(Il Rovescio della Medaglia)- Contamination 1975年


RDMロヴェッショ・デッラ・メダーリャ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%A3



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 イタリアのプログレッシブロックバンドRDM Rovescio della Medagliaロヴェッショ・デッラ・メダーリャが復活し、2020年にContaminazione2.0をリリースしました。

 RDMは1971年から1973年までに3枚のLPを発売し、2013年には奇跡の来日で世界初のオーケストラ入りでの3rdアルバムContaminazioneの再現ライブを行い、2013年5月25日の当ブログでも来日レポートを書きました。

2013年来日Live RDM Rovescio della Medaglia - La Grande Fuga
https://www.youtube.com/watch?v=jIazUjIYSKc
Live in Tokyo 26/04/2013


来日完全収録ライブ



 Contaminazione2.0は、Contaminazioneのイタリアでの2018年のオーケストラ入り再現ライブを収録したもので、CDだけでなくアナログ2枚組LPも発売され、完売したようです。




RDMなどイタリアンプログレッシブが詳しいサイト
Italian prog - The italian music of the 70's - La musica italiana degli anni '70
http://www.italianprog.com/index.htm


イタリアンプログレッシブロックに興味を持った人に最適な書



Rovescio della Medaglia / "Ora non ricordo più"
https://www.youtube.com/watch?v=h5nBWlDoiss
Contaminazione2.0に収録された2018年のオーケストラ入りライブ。

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Il Paese dei Ballochiのキーボードが参加したContaminazione時のRDM
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 そして、2020年になんとEnzo VitaによるContaminazione2.0と同時に、ボーカルのPino Ballariniも自分のプロジェクトでRDMを再演しました。
コロナ禍の中で、この2つは2020年の素晴らしいニュースでした。

2020年live Pino Ballarini (RDM) / Alzo un muro elettrico
https://www.youtube.com/watch?v=9RFTDhfO2Ik
深みと存在感があるボーカル

2019年live RDM (Enzo Vita) Alzo un Muro Elettrico
https://www.youtube.com/watch?v=_foD7o8EfKY
年齢を感じさせない力強いギター

2014年live RDM / Alzo un muro elettrico
https://www.youtube.com/watch?v=LoV5-KvaRDo
オリジナルメンバーEnzo Vita、Pino Ballariniの共演

Contaminazione1974年リリース



Contaminazioneを録音したと思われるRCA ITALIANAのスタジオ
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 RDMの1971年のデビューアルバムLa Bibbia(聖典)にIl Giudizio 判決という曲があります。CDの対訳によると、人類の創造、自然、平和、生命が侵されることに対して判決を下すという内容であり、当時のベトナム戦争に対する痛烈な批判であると解釈できます。また同封された円形リーフレットには、RDMは既存の商業的な音楽に対して挑戦するとも書かれています。


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Enzo Vita RDM Intervista LA BIBBIA
https://www.youtube.com/watch?v=77tM3uqZ_wU
イタリア語がわからなくて残念。LA BIBBIAも今後再演するのだろうか。

Il Rovescio della Medaglia - Il Giudizio 判決 (Live, Piper Club 1974)
https://www.youtube.com/watch?v=_1SEzolqAcA
4:45 Giudizio avrai(判決が下りる)と歌われるLA BIBBIAのハイライト。


RCAのスタジオでライブ録音された1st「聖典」



 RDMは、1975年のインストだけのライブのLPが後にファンによって制作されました。Giudizioは演奏されていないにもかかわらず、タイトルはGiudizio avraiとされており、GiudizioがRDMの重要テーマだったことがわかります。


IL ROVESCIO DELLA MEDAGLIA - ... GIUDIZIO AVRAI (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=I6DYybZyoUA
27:50から聴かれるヘーゲルをテーマにした2ndアルバムIo come ioのNon IoのギターフレーズがRDMの到達点。3rdのContaminazioneはバカロフがメインの作品であり、RDMの核心は、1stと2ndにあるのではないか。


金属のメダルまで再現されたRDMの2ndアルバムIo come io




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〜 袴田さん再審、高裁へ差し戻し 〜 判決が覆される 〜


 こちらは判決を覆す話です。昨年の12月、裁判史上最大の冤罪事件の一つであり、事件を担当した元裁判官までが誤審であると告白した袴田事件判決の再審について、もう一度審理をし直すようにという決定が出ました。

袴田事件 再審認めない決定取り消す 高裁に差し戻し 最高裁 | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201223/k10012779771000.html
「1966年の強盗殺人事件で死刑が確定した袴田巌さん(84)の第2次再審請求に対し、最高裁は12月23日までに、裁判のやり直しを認めなかった東京高裁決定を取り消し、審理を差し戻す決定をした。」

 国家権力の誤った判決によって、無実の人が死刑で殺されることほど恐ろしいことはありません。コロナ渦の2020年において、これも暗闇から光が刺すようなニュースでした。


袴田事件の再審請求を動かした映画



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2021年01月01日

新春・祝「ザ・ビートルズ:Get Back」2021年8月27日世界同時劇場公開!

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今日の1曲
Beatles / Let it be
Beatles / Get back


 あけましておめでとうございます。
 どうかよい1年でありますように。
 世界がコロナ渦の中で良い知らせが入りました。

 映画「Beatles / Get back」が8月に公開されます。
 かつての映画「Beatles / Let it be」はまだ全編を見たことがないのですが、ビートルズの解散を前提とした暗い場面を編集したストーリーと聞いています。
 しかし、今回の「Get back」は4人のメンバーが生き生きしている場面を収録した本当に楽しい内容のようです。

 私は初めて自分の小遣いで買ったシングルとLPがLet it beだったので嬉しい限りです。8月が来るのが楽しみです。
 そのころにはコロナがよくなっているといいのですが。


「ザ・ビートルズ:Get Back」先行特別映像|2021年8月27日(金)世界同時劇場公開!
https://www.youtube.com/watch?v=OzW8ZRVD0H8






〜 コロナの怖さは潜伏期間の長さ 〜


 コロナで「マスク、石鹸手洗い、外でもすぐ消毒」という習慣ができ、風邪、インフルエンザをひかなくなったのはプラスでした。特に夏風邪は1か月以上治らず、昔から本当に悩んでいました。しかし、コロナのYoutube映像で、ウイルスが飛沫や手から口に入る経路がわかって、風邪、インフルエンザも予防法がわかりました。

 しかし、手洗い、マスクなどでインフルエンザウイルス感染者は1000分の1に減ったのに、依然コロナウイルスはどんどん増えています。これは、潜伏期間が長くて気づかないからでしょう。「自分たちは全員何日もずっと大丈夫だったから平気だ!」と油断して大声で会食などをしてしまうと怖いです。
 

▲ 風邪:人体潜伏期間1〜7日 多くは2〜3日で発症。
             潜伏期間に移ると治ったころ次の人に発症。

◆ インフルエンザ:人体潜伏期間1〜2日
             すぐ発症して気づくので自主隔離できる
              → 他人に拡散しない          
             40度の発熱でウイルスを退治して1週間で収まる。

★ コロナ:人体潜伏期間 :1〜14日  多くは5~6日でやっと発症。
               → 知らないうちに他人に拡散していく
          
     その間にウイルスは仮面をつけて潜行。
     肺などに深く進行して繁殖すると重症化。
     免疫力のつく食事・生活習慣でウイルス進行・重症化を予防可。


手すり、スマホなどからもウイルスが感染する映像実験
https://www.youtube.com/watch?v=3Uuw_ht4Ja8
     
 家の中でも、食器を使いまわししないようにし始めました。
 コロナ自体は、人体に入らなければ、石鹸水で死ぬのですから、根治は不可能ではありません。

 早く、ワクチン、PCR検査などができるようになるといいですね。





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posted by カンカン at 14:11| 神奈川 ☀| Comment(0) | ビートルズ The Beatles  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月31日

太田裕美+ステージ101 & シングアウト 〜 涙をこえて 2020年

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Fifth Dimension の影響を受けたグルーブ感ある1970年のシングル。合唱曲としても有名。いずみたく作曲


今日の1曲
太田裕美・君と歩いた青春 1981年
NHKステージ101+太田裕美 最終回―涙をこえて 1974年
シングアウト 涙をこえて 1970年
Fifth Dimension
       - Up Up & Away , My Beautiful Balloon 1967年

 今年はたいへんな1年でした。
 今年の最後は来年への希望を込めて、本ブログ2008年6月4日「今日の1曲」の第1曲目を飾った太田裕美さんの別の曲を選びました。

 まずは1982年渋谷Eggmanでのライブです。
 録音がきれいで、カメラアングルもいままで見た太田裕美さんの映像の中で一番素晴らしいと思います。

太田裕美・君と歩いた青春 ライブ 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=joTRExTJC_k
この年にこのEggmanで久保田早紀のライブを見た。

太田裕美「君と歩いた青春」 21thシングル 1981年8月
https://www.youtube.com/watch?v=uvx0zdlePIQ
プロが選んだNo.1編曲家萩田光雄によるシンフォニックなアレンジ





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 驚いたことに、太田裕美さんは、「雨だれ」でデビューする前にNHKの「ステージ101」に出演していました。
 貴重な最終回の映像がありました。

NHKステージ101最終回―涙をこえて 1974年3月31日
https://www.youtube.com/watch?v=RvD6fyzOVmM
太田裕美さんは黄色いユニフォームで活躍


小中学生のころはステージ101の良さがわからなかった。



 そして、ベトナム戦争の時代に平和への思いを込めて作られたシングアウトによる1970年のオリジナルシングル「涙をこえて」は、素晴らしいグルーブ感とハーモニーで、今のような時代に明るい希望を感じさせます。

 どうか来年は良い1年でありますように。

「涙をこえて/シングアウト」
https://www.youtube.com/watch?v=n1co8qz-k8Q
学生運動で傷ついた若者の心を癒すという目的で「ステージ101」は企画されたという。


2000年以降急激に注目されたソフトロック。



Fifth Dimension - Up Up & Away , My Beautiful Balloon
https://www.youtube.com/watch?v=HfxqQmWtGNM




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2020年12月25日

追悼なかにし礼 〜 GS名曲集・初の日本語のプログレッシブロック        タイガース「花の首飾り」 テンプターズ「エメラルドの伝説」

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初の日本語のプログレッシブロック「エメラルドの伝説」


今日の1曲
なかにし礼作詞・タイガース作品集
なかにし礼作詞・テンプターズ作品集
なかにし礼作詞・ゴールデンカップス作品集


 ついに、作詞家のなかにし礼さんが亡くなりました。2年ぐらい前になかにしさんのテレビを見ました。難病で医師から余命1週間と宣告されたため、残りの時間で最後の作品を作ろうとしたところ生命力が蘇り、もう3年以上も生きているというお話でした。また、戦争が終わり満州から引き上げるとき、最後の列車に自分は乗れたが、満員で乗れずにその場に取り残された人がたくさんいた。あの極寒の地であの人たちは生き残ることはできなかっただろう。今まで話さなかったが、このことはいつか言っておきたかったとのことでした。

なかにし礼 wiki
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E7%A4%BC



 なかにしさんの最初の経歴は、客として来ていたシャンソン喫茶の銀巴里でした。仏文科だったためフランスの歌を日本語に翻訳してほしいというアルバイトの依頼を受け、銀巴里店内で作詞家としての力を磨いていったそうです。私が1982年の10月から3か月ほどほぼ毎日ウェイターをしていた頃は、なかにしさんが来店したことはありませんでした。

 私にとって、なかにしさんはシャンソンよりもGSです。1981年に、なかにしさんの作詞の本が、すぎやまこういちさんの作曲法の本と一緒に毎日新聞社から出版されました。なかにしさんの本で一番印象に残ったのは、タイガースの「花の首飾り」の補作とテンプターズの「エメラルドの伝説」の作詞について「どちらもいい夢を見させてもらった」という言葉でした。


 なかにしさんの1969年の最初の著作となる作詞集のタイトルが「エメラルドの伝説」であることからも、筒美京平さんにとってオックスがそうであったように、タイガース、テンプターズなどのGSもなかにし礼さんの理想であり、大きな遺産なのだと思います。

 私にとって、なかにし礼作詞のGSは日本語ロックの最高峰の一群です。
 日米英で活躍した故アラン・メリルも、ライブハウスで見たタイガースなどの実力は、グリニッジビレッジのバンドと同等だったと述べています。
 そこで、私は日本語のロックは以下のようにGSから始まったと思います。


  初の日本語のブリティッシュ系ロック 
    → スパイダース「フリフリ」(1965)    
      ブルーコメッツ「青い瞳」(1966)
  初の日本語のプログレッシブロック(なかにし礼・山上路夫作詞) 
    → タイガース・テンプターズの作品群 (1968-1970)
  初の日本語のサイケデリックロック 
    → ジャックス「マリアンヌ」(1968)
  初の日本語のブルースソウル系ロック(なかにし礼作詞)1968
    → ゴールデンカップス「愛する君に」「もう一度人生を」など
  初の日本語のハードロック → モップス(特に1970東芝以降)
  初の日本語のアメリカ(バッファロー・スプリングフィールド)系ロック
                     → はっぴいえんど(1970)
  初の日本語(ひらがな)のパンクロック → 村八分(1970)
  初の日本語の反体制ロック       → 頭脳警察(1970)



すぎやまこういちの作曲法と同時期に出版されたなかにし礼による日本で最初の作詞法の本



 
 1968年から1970年までの、なかにし礼作詞のGS、タイガース、テンプターズ、ゴールデンカップスの奇跡の作品群を時系列で振り返って、なかにし礼さんを悼みたいと思います。


タイガース The Tigers/花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=Khgh1Fb5E4Y
なかにし礼が補作詞。1968年から始まったオリコンで、8週間連続1位になる。
オーケストラを取り入れた日本初のシンフォニックプログレッシブロック。


タイガースの瞳みのるが「花の首飾り」のルーツを追って作詞の原作者を探す本



「エメラルドの伝説」もオーケストラから始まるシンフォニックプログレッシブロック。コルトレーンのサックス奏法を研究実践していた村井邦彦は、Sus4不協和音のコードを大胆に取り入れた。
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ザ・テンプターズ The Tempters/エメラルドの伝説 The Legend Of Emerald(1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=DfSzKWWWgZM
花の首飾りに続いてオリコンで2週間1位。晩年のショーケンもライブで歌った。


池袋か大井町の名画座で見たテンプターズ主演映画



ザ・ゴールデン・カップス The Golden Cups/愛する君に My Love Only For You (1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=lPreo8o8ubc
ゴールデン・カップスの「長い髪の少女」の次の大ヒットとなった4作目。
ブラスを取り入れた和製ソウルの傑作。内田裕也も称賛した。


ゴールデン・カップスについて最もまとまった本



ザ・テンプターズ The Tempters/純愛 Junai (1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=oblKy_Upskk
テンプターズは、松崎由治作の名曲「おかあさん」を挟んで、再び「エメラルドの伝説」の「なかにしー村井邦彦」黄金コンビ。
イントロはアランフェス協奏曲を引用。詞もなかにし礼の純文学の世界。

THE TEMPTERS テンプターズ 純愛
https://www.youtube.com/watch?v=5o0PO-Cf87Q
超レアな1970年のACBでのライブ音源!
「エメラルドの伝説」もなんとか発掘してほしい。



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ザ・タイガースThe Tigers/美しき愛の掟A Decree Of Love (1969年)
https://www.youtube.com/watch?v=p4uF-X-VfQ0
東京ドームのタイガース公演でもアンコールで演奏された日本語ロックの傑作


帰らなかったケーン - ザ.テンプターズ(萩原健一)
https://www.youtube.com/watch?v=PFUXaxws0_o
かまやつひろし作曲。ショーケンのシャウトが光る。


黒沢進によるグループサウンズ研究本の決定版



もう一度人生を ザ・ゴールデン・カップス
https://www.youtube.com/watch?v=5eC53-F2tcE
傑作のひとつ。ルイズルイス加部の初のブルース・リードギター。


ザ・テンプターズ The Tempters/復活 (1970年)
https://www.youtube.com/watch?v=qN5IHnesU-M
GSブームの最後1970年の大傑作。ともに母子家庭だったというショーケンとヨッチンのハモりが素晴らしい。なかにし礼のGS詞は、フランス純文学に憧れた彼の10代の理想郷だったのだろう。


テンプターズ時代にもふれているショーケンの最後の本







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2020年11月23日

RIP Stefano D'Orazio 〜 イ・プー I Pooh

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Stefano D'Orazioが最初に参加した「ミラノの映像」


今日の1曲
I Pooh - La nostra età difficile 1972年
I Pooh - Noi due nel mondo e nell'anima 1972年
I Pooh - Nascero Con Te 1972年
 ALICE VISCONTI - Io Voglio Vivere 1975年
Over the Rainbow - Voctave A Cappella Cover


 イタリア史上最高の人気バンド、イ・プーのドラマーStefano D'Orazioさんが亡くなりました。コロナに罹り入院していたようです。イタリアでもたくさんの追悼文が出ています。

E' morto Stefano D'Orazio, storico batterista dei Pooh
https://www.quotidiano.net/cronaca/stefano-d-orazio-morto-pooh-1.5689414
Dodiも彼との50年間は兄弟以上の兄弟だったと述べている。

CARLA VISTARINI RICORDA D'ORAZIO
https://www.dagospia.com/rubrica-2/media_e_tv/carla-vistarini-ricorda-39-orazio-39-39-ciao-stefano-anche-tu-ce-252128.htm
作詞家CARLA VISTARINIの思い出


 2020年のブログは、最初の3か月間はコロナへの不安で書く気力が失せてしまいましたが、4月の志村けんさん、アランメリルさんのコロナによる訃報が再開のきっかけになりました。
 志村けんさんが亡くなった衝撃は、コロナ警戒に対するメッセージとなり、自粛期間を乗り越える力になったと思えます。ヨーロッパでも日本でもコロナの第3波が懸念される中でのStefano D'Orazioさんの訃報となりました。

 今年のブログの半分は訃報になりました。しかし訃報を機に、若いころに繰り返し聞いた音楽を聴きなおすと非常に勇気づけられました。故人の作品は永久に生き続けることを実感しました。
 このブログは、2006年の祖母の死と2013年の山口冨士夫の死をきっかけとする病の音楽による回復の記録でもあります。自分の年齢ではかつてヒーローだった人たちが亡くなっていくことが予想され、それへの恐怖も感じていました。
 しかしショーケンの死が認識を変えました。ショーケンは死期を自覚しながら、ファンを心配させないために全く周囲に話しませんでした。死ぬ1年前の「不惑スクラム」という最後のドラマで、ショーケンは中年腹で出演しました。ショーケンも太ったと思ったのですが、それは病気による腹水で、異常な苦痛と戦っていたといいます。ショーケンは死ぬ1週間前に「いい映像を作ってください」と言ってNHKに1年間の個人的に撮影したビデオを渡し、「クローズアップ現代“ショーケン”最期の日々」が放映されたのでした。ショーケンによって、故人が自分の死で家族やファンが病気になることなど望んでいないと強く思うに至りました。2週間前に母の知人が亡くなって、母が精神的に極めて不安定な状態になったのですが、ショーケンから学んだことを話しているうちに元気になってきました。


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LP「ミラノの映像」イタリア盤の内ジャケより


 Stefano D'Orazioさんの死もコロナに対する警鐘と受け止め、改めて故人の音楽を振り返ってみたいと思います。
 イ・プーを初めて聞いたのは1975年ごろ、1972年のLP「ミラノの映像」(Alessandra)でした。その頃はDeep PurpleのようなハードロックやPFMのようなプログレッシブロックが全盛で、イ・プーのようなソフトロックのタイプはロックの中では異質で少数派でした。
 しかし、「ミラノの映像」はシンセサイザーと壮大なオーケストラによる見事なサウンドで、12曲が揃っていてトータル性もある素晴らしい作品でした。
 ボーカルも、Dodyとこのアルバムを最後に脱退して後にサンレモで優勝するRiccardo Fogliの超ハイトーンボイスという最強コンビでした。

 特にA面の1曲目から2曲目の流れが見事で何度も聞きました。このLPだけは、歌詞付きの日本盤とダブルジャケットのイタリア盤も両方持っていました。

I Pooh - La nostra età difficile
https://www.youtube.com/watch?v=AdIrkSWVPhY
A面の1曲目。ベースやドラムもリズムを刻むだけではなく「歌」を構成していて魅了された。本作から加入したStefano D'OrazioのI Poohでの記念すべき1曲目でもある。

I Pooh - Noi due nel mondo e nell'anima 愛のルネッサンス
https://www.youtube.com/watch?v=GmMoWfZi7YA
A面の2曲目。1曲目だけでも素晴らしいのだが、シングルで1位になったこの曲でイントロから圧倒され、1曲目が序曲のような位置づけになる。

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1972年8月5日に1週間1位

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プロモーションLPでも La nostra età difficileと Noi due nel mondo e nell'anima「愛のルネッサンス」が1曲目と2曲目に配置された。


Pooh - Nascero Con Te
https://www.youtube.com/watch?v=WKzwNOMBvog
さらに追い打ちをかけるA面の4曲目。Riccardo Fogliが上のFというロバート・プラント並みのハイトーンで歌う。0:15から3:00まで1972年の貴重な写真がたくさん出てくる。





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イタリアで最も成功したバンド、I POOHの1970年代のLPチャート

 Stefano D'Orazioはアリーチェの1stアルバムで、全曲で作家としてクレジットされています。この作品も「ミラノの映像」と同じArranger - Danilo Vaona, Producer - Giancarlo Lucarielloという黄金コンビで、女性版I Poohともいうべき世界が創出されています。


ALICE VISCONTI - Io Voglio Vivere (I want to live)  1975年
https://www.youtube.com/watch?v=UMa2tbQH23U
(Cristiano Minellono, Brioschi,Stefano D'Orazio )

ALICE VISCONTI - Io Voglio Vivere (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=EbIfOZ-77sw






 2012年のイ・プーの奇跡の来日公演では彼だけ不参加でした。3時間3日連続は体力的に厳しかったのかもしれません。
 2016年の最後のRiccardoも含めた再結成(解散)では素晴らしいドラムスを披露していました。Stefano D'Orazioさんのご冥福をお祈りします。RIP


Pooh - Noi due nel mondo e nell'anima 2016年 Live Video
https://www.youtube.com/watch?v=nWFn1-i6KPQ
Stefano D'Orazioもドラムを叩く入魂のプロモーション・ライブビデオ

Pooh - Chi fermerà la musica (Videoclip)
https://www.youtube.com/watch?v=9v0X87QrFjg
2016年

 最後に追悼を込めてディズニーの名曲をアカペラで。

Over the Rainbow - Voctave A Cappella Cover
https://www.youtube.com/watch?v=JKfZwastGCg
Cherry Five、Rustichelli & BordiniのCarlo Bordiniが別のときにシェアしていたもの





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2020年10月31日

RIP追悼 Walter Franco 〜 ムゼオ・ローゼンバッハ Museo Rosenbachのもう一人のボーカリスト

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Zarathustraの内ジャケの謝辞の筆頭にWalter Francoがある。
I PoohのDodi Battaglia, Nico Di Palo, Vince Temperaなども挙げられている。

今日の1曲
  Museo Rosenbach - Zarathustra - L'ultimo Uomo 1973年


 イタリアの名盤ムゼオ・ローゼンバッハ Museo Rosenbach - ツァラトゥストラZarathustraの一部のパートでボーカルを担当した Walter Francoさんが亡くなりました。

 今まで知らなかったのですが、ZarathustraのA面の組曲の1曲目の L'ultimo Uomoの前半はWalter Francoが歌っているそうです。後半とそれ以降の曲はStefano "Lupo" Galifiが歌っています。

 ZarathustraのLPの内ジャケットの謝辞に100名ほどの名が挙げられていますが、「特に感謝します」という6人の筆頭にWalter Francoの名がありました。

 メロトロンでも有名な本アルバムの最重要パートL'ultimo Uomoで、同じ曲の中で2人のボーカルを使うというのは凄い手法だと思います。
 
 前半ではイコライザー処理で遠くから響くように聞こえるWalter Francoの声が、後半ではソウル・ブルースのシンガーだったStefano "Lupo" Galifiに変わり、コンプレッサーによって前に押し出された強烈な音圧のシャウトからメロトロンになだれ込む部分は、ロック史上でも屈指の名演でしょう。

Museo Rosenbach - Zarathustra - L'ultimo Uomo (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=uC9hegZIC2g


[Strofa 1]  Vocal : Walter Franco 
Volto di luce
Mi hanno parlato di te
La tua storia è nell'eco dei monti
Troppo in alto per scendere in noi
Nel tuo eterno cammino
Quello che insegui non c'è
Senza un fine può esistere la vita
Si completa nell'arco di un giorno

[Strofa 2]  Vocal : Stefano "Lupo" Galifi
Misera ombra, vuoto riflesso dell'io
Non ti serve capire la forza
Che mi spinge a cercare nel mondo
Chiara essenza divina già si nasconde in chi
Sta vivendo il gioco del tempo
Nell'attesa di un'alba diversa






 2013年4月26日に来日公演も行っています。そのときも L'ultimo Uomoの前半は別の人が、後半はStefano "Lupo" Galifiが歌っていました。
 Walter Francoさんのご冥福をお祈りいたします。RIP


来日公演のライブCD



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2020年10月29日

祝・文化功労者受賞・すぎやまこういち 〜 ザ・タイガース The Tigers

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1981年初版。幼少期のクラシックの体験からタイガースなどを作曲した経緯


今日の1曲
 ザ・タイガース The Tigers / 君だけに愛を 1968年
 ザ・タイガース The Tigers / 落葉の物語 1968年
 ザ・タイガース The Tigers / 花の首飾り 1968年
 青山ミチ Michi Aoyama / 風吹く丘で 1966年
 ザ・ダイナマイツ The Dynamites / ユメがほしい 1968年


 ゴールデンカップスの2人のメンバーなど、内外の悲しい訃報が続きましたが、タイガースの作曲家すぎやまこういちさんの文化功労者受賞という明るいニュースが飛び込みました。

 文化功労者では演歌とクラシックの受賞者は過去にありましたが、ポップスについては史上初となります。

文化功労者 受賞者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8A%9F%E5%8A%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

 タイガースで最初に記憶あるのが4枚目のシングル「君だけに愛を」です。

ザ・タイガース The Tigers君だけに愛を 1968
https://www.youtube.com/watch?v=_246A5mjoL0
貴重なカラー映像。52年前にこれでは当然人気が出るだろう。オリコン2位。

ザ・タイガース The Tigers/落葉の物語
https://www.youtube.com/watch?v=pWWxzvM2eCE
「君だけに愛を」のB面。B面まですごいのがタイガースの魅力。日本初のシンフォニックロック。東京ドーム再結成ライブでもアンコールで演奏。





 続く5枚目がタイガースの最大ヒット「花の首飾り」。
 オリコンで8週間1位。もとはB面だったが、両面A面扱いになったおそらく日本で初めてのシングル。

 タイガースの最初の5枚のシングルについて、すぎやまこういちは「グループサウンズ最高」という本で、クラシックのように緩急緩急緩という組曲形式に作ったと述べています。

ザ・タイガース The Tigers花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=Khgh1Fb5E4Y

 ピーの著書「花の首飾り物語」でも、タイガースの4声のコーラスは世界でも珍しいものではないかと書かれ、トッポも「花の首飾り」のオーケストラのレコーディングでのすぎやまこういちの目が一番真剣だったと述べています。





ザ・タイガース The Tigers花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=2qG2deduTyk
これも現存する珍しいカラー映像。1982年ごろこの映像を見た沢田研二が翌日のラジオで「これは人気がでるわ」と語っていた。





 すぎやまこういち最初の有名な曲は、ヒットパレードのテーマソングです。

 ポップソングについては、1966年11月の「青山ミチ/風吹く丘で」が最初と思われます。次が同年12月のシャープホークスの「遠い渚」、そして1967年2月5日タイガースのデビュー曲「僕のマリー」と続きます。

 発売中止となった「青山ミチ/風吹く丘で」は1968年2月25日にヴィレッジシンガーズの「亜麻色の髪の乙女」と改題されてオリコン2位の大ヒット。最近知った青山ミチのヴァージョンはとても情感のある素晴らしい歌だと思います。

青山ミチ Michi Aoyama/風吹く丘で 1966年11月
https://www.youtube.com/watch?v=VbA0Oaz7ipg





 すぎやまこういちは、GSではタイガース、シャープホークス以外に、山口冨士夫のダイナマイツにも2枚目のシングル「ユメがほしい」を提供しています。
 これは1968年3月5日発売で、タイガースの絶頂期にあたります(「君だけに愛を」が1月5日、「銀河のロマンス/花の首飾り」が3月25日)。
 
 山口冨士夫の「So what」にも「ユメがほしい」について、プロダクションがヒットしたトンネル天国に続く2曲目が重要ということで、タイガースのようなヒットをねらったものと書かれています。


ユメがほしい ザ・ダイナマイツ
https://www.youtube.com/watch?v=2Cbf_OwLJTo
以前、遊園地(浅草?)でのプロモーションフィルムを見たことがある。





 すぎやまこういちのGS以降の活躍は、ガロ、科学忍者隊ガッチャマン、帰ってきたウルトラマンなどが思い出深いです。

 1981年にすぎやまこういちは「体験作曲法」という本を出しました。
 当時はポップスの作曲本はほとんどなく、タイガースの曲がたくさん解説されていてたいへん感動しました。シーサイドバウンドは、日本で初めて沖縄音階を、花の首飾りは地中海のドリアン音階を取り入れていました。





 1982年のタイガース同窓会の年に花の首飾りのボーカルの加橋かつみのコンサートがあり、途中でゲストとしてすぎやまこういちさんが紹介されました。客席から舞台に飛び上がるように登場して、バイタリティーのある人だなあと思いました。タイガースのころから加橋君と馬が合ったと言っていました。

 すぎやまこういちはゲーム音楽の大家になりましたが、ドラゴンクエストをやったことがありません。ドラゴンクエストの曲が、テレビでよく聞く有名なメロディーだと最近やっとわかりました。

 すぎやまこういちは私にとっては、やはりタイガースです。
 「グループサウンズ最高」で、「GSは日本の音楽にリズムとハーモニーを残したよね」と語っていました。今回の受賞について、今まで無冠だったが、やっともらえたと語っていましたが、それがポップス初の文化功労者というのはすごいと思います。

 すぎやまこういちさんの、今後の益々のご活躍とご健康をお祈りします。

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2020年10月23日

癒しのメロトロン・オランダ編 Focus, Earth & Fire, Ekseption, Trace 〜 栄光のオランダ・プログレッシブ・ロック Mellotron

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メロトロンの傑作FocusUはオランダ以外ではMoving Wavesとして発売された。


今日の1曲
  Ekseption G線上のアリア Air 1969年
  Ekseption - Italian Concerto 1970年
  Ekseption "Ave Maria" 1971年
  Focus - Le Clochard 1971年
  Focus - Focus II 1971年
  Focus - Eruption 1971年
  Earth and Fire - Song of the Marching Children 1971年
  Earth and Fire – Memories 1972年
  EARTH AND FIRE – Atlantis 1973年
  Ekseption – Romance 1973年
  Focus - La Cathedrale de Strasbourg 1974年
  Focus – One for the road 1974年
  Trace - Gaillarde 1974年
  Trace -Final Trace 1974年
  Trace -Progression 1974年
  Trace -Memory 1974年
  Earth&Fire - Love of Life 1974年
  Earth & Fire - Only Time Will Tell 1975年
  Trace - Opus 1065 1975年
  Trace - King-Bird 1975年
 Trace – White Ladies 1976年
 Finch / Unspoken Is The Word 1977年


 エディー・ヴァン・ヘイレンの故郷がオランダで,幼少からピアノを習っていたことを知りました。そこで、「癒しのメロトロンMellotron」を軸に栄光のオランダプログレッシブロックを1969年から順に聴きなおしてみました。
 
 アムステルダムは、ニューヨークや京都などとともにヒッピーの聖地になってフラワーチルドレンが集まっていました。
 ベトナム戦争の展開と終結が音楽に及ぼした影響も顕著でした。


[ 1969年 ] 
Ekseptionの成功、Earth&Fire結成、Focus結成と反戦ミュージカルHair


 ハーグ王立音楽院で優秀な成績を修めたRick van der Lindenは、1968年にキースエマーソンのナイスの公演でバッハのブランデンブルグ協奏曲を見て、Ekseptionのクラシックロックの方向性を決定。1969年にベートーベンの運命を編曲して5週間1位になる。同年の1stアルバムで、オランダで最初と思われるメロトロンMellotronをG線上のアリアAirで使用。

Ekseption G線上のアリア Air
https://www.youtube.com/watch?v=C_I031TWIXE
2:47あたりからメロトロンM300のストリングス・メロトロンがバックに使用されていると思われる。






 オランダ初の全米ビルボード1位となったヴィーナスのショッキング・ブルーに続いて、女性ボーカルJerney Kaagman, 双子の兄弟 Chris and Gerard KoertsがビートバンドEarth&Fireを結成し、シーズンでデビュー。日本を含め、世界的にヒットする。

 Focusが結成され、12月から翌年6月まで、反戦ミュージカルHairのサポートバンドになる。


[ 1970年 ] 
Focus1stアルバム


 エクセプションがヒット曲を連発。メロトロンも使用しているがバックに流す程度だった。
 アース&ファイアーもビート系でヒット曲を出し続ける。
 
Ekseption - Italian Concerto
https://www.youtube.com/watch?v=hcBMOMPTj5o
1:39 控えめだがチェンバロのバックでストリングスメロトロンが聴こえる。

Ekseption - Italian Concerto Live
https://www.youtube.com/watch?v=8nh-j2Z81pQ
メロトロンは未使用だが、1:18のチェンバロ(クラビネット)が素晴らしい。





 Focusが1stアルバムを発表し、インスト曲シリーズ「Focus」の第1曲目Focusでメロトロンを使用する。


[ 1971年 ]
メロトロンの傑作FocusUとメロトロンによるEarth and Fireの転身


 エクセプションはオランダでヒット曲が続く。メロトロンの使用は控えめ。

Ekseption "Ave Maria"
https://www.youtube.com/watch?v=zRIi_BfW-UU
Rick van der Lindenの情熱が伝わる映像。控えめだが、2:18のエンディングでメロトロンが使用されていることが感じられる。



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 1971年10月、Focusがメロトロン史上の傑作FocusU(オランダ以外ではMoving Waves)を発表。LPはオランダで4位、全米で4位、シングルHocus Pocusも(日本では「悪魔の呪文」として)ヒット。

Focus - Le Clochard 
https://www.youtube.com/watch?v=fc1KAtDjORc
Hocus Pocusに続くA面2曲目。メロトロン史上屈指の名曲
ヤン・アッカーマン=作曲・ギター タイス・ヴァン・レアー=メロトロン

Focus II
https://www.youtube.com/watch?v=ike5HEWMrX8&list=PLA2-nXsHvm3JR4XJivpexzuOEtBIz-JiY&index=7
2:32 天空を舞う癒しのメロトロン

Eruption
https://www.youtube.com/watch?v=t3_hJ_032Z8&list=PLA2-nXsHvm3JR4XJivpexzuOEtBIz-JiY&index=8
5:08 癒しのメロトロン
17:17 メロトロンによる別次元の音





 Earth and FireもシングルA面のInvitationでハモンドオルガンを使用。
 B面の2ndアルバムの先行シングルヴァージョンSong of the Marching Childrenでは突如メロトロンを導入し、プログレッシブバンドに転身。

Earth and Fire - Song of the Marching Children シングルヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=ZNzZkAd-90o
LPヴァージョンと比べるとまだ未完成。ここから練り上げられたことがわかる。

 次のLP先行シングルStorm And ThunderはA面でメロトロンを使用。
 同じバンドか?と思えるほど、ビートバンドの面影は全くない。

Earth & Fire - Storm and Thunder (Lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=buLyiIJKCxE

 2ndアルバムSong of the Marching Childrenは前作と全く異なるトータルアルバムになる。
 メロトロンはEkseptionの使用していたものと同じとの情報もある。

Earth and Fire - Song of the Marching Children Studio LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=-FZ1q7UxviQ
2:18からメロトロン。シングルヴァージョンと歌詞も異なり、メロトロンサウンドもスケールアップ


日本盤シングル1971年8月Song of the Marching Children
オランダ本国とはAB面が逆。InvitationがB面になっている。
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[ 1972年 ]  
メロトロンの最大ヒット曲Earth and Fire / Memories

Earth and Fire - Song of the Marching Children Live ヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=QoQXhRCxILQ
0:30メロトロンライブの貴重なカラー映像。Studioヴァージョンよりさらに深遠なメロトロン。

Earth & Fire - Memories
https://www.youtube.com/watch?v=d0vT-ERKSFs
世界的にも珍しいメロトロン漬けシングルヒット。
オランダで2週間1位。





Focusは2枚組LP「FocusV」を発表するがメロトロンは未使用。

Focus - Sylvia (Live at Top Of The Pops, UK / Live at TopPop, NL - 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=5YxNCL39wBI&list=PL8a8cutYP7fq74uWwQ-pBA8CYHkdm2Qy2&index=3
インストで全英4位のヒットになった名曲。

Focus - Elspeth of Nottingham
https://www.youtube.com/watch?v=qEZdXfcOdLY&list=PL8a8cutYP7fq74uWwQ-pBA8CYHkdm2Qy2&index=7
Jan Akkermanの美しいリュート



[ 1973年 ] 
Earth and Fireのメロトロン大作Atlantis


 Focusのシングル「シルヴィア」が全英4位。英メロディ・メーカー誌での人気投票で、10年間連続でギタリスト部門のトップにいたエリック・クラプトンを抜いて、ヤン・アッカーマンがトップとなる。

 EARTH AND FIRE は全編メロトロンが使用されたトータルアルバム Atlantisを発表。イタリアンプログレッシブロックの全盛期と重なる。シングルMaybe Tomorrow, Maybe Tonightはオランダで3位となる。

EARTH AND FIRE - Atlantis
https://www.youtube.com/watch?v=KwpBkZhpGsw&t=1517s

EARTH AND FIRE - Atlantis 1973 当時の映像
https://www.youtube.com/watch?v=tm1APRmVgGk

Earth And Fire - Maybe Tomorrow, Maybe Tonight Live
https://www.youtube.com/watch?v=EGsIHi74LrE
0:07、1:15でメロトロンM400の実演が見れる。

Earth and Fire - Maybe Tomorrow Maybe Tonight. Studioヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=yL6rMomAA40
0:11メロトロンM400が映る





 エクセプションのトリニティーを最後にRick van der Lindenが脱退。

Ekseption - Romance
https://www.youtube.com/watch?v=23x-Bcs3TAQ
冒頭で明らかにメロトロンが聴こえる。Traceへの移行が感じられる。


[ 1974年 ] 
Focusの傑作Hamburger Concerto 〜 Trace 1st でメロトロンが爆発

PFMとともにヨーロッパプログレッシブロックとして人気を誇ったフォーカス
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 Focus の Hamburger Concerto1974年1月録音、4月リリース。
 タイスは力強さと目的を持った最初の作品と評価し、マイク・ヴァーノンもMoving Wavesとともにベストアルバムに挙げている。


Focus - Hamburger Concerto
https://www.youtube.com/watch?v=xI5ARFrBqAA
11:20  La Cathedrale de Strasbourg メロトロンではないが厳粛な素晴らしいコーラス。
37:08 最終曲の最終パートOne for the roadでコーラスメロトロンとARP2600シンセサイザーが唸る。39:45壮大なコーラスメロトロンで幕。





Focus - FocusU 
https://www.youtube.com/watch?v=M_sh98umh7E
1974年6月 メロトロン入りのライブ(0:00 - 4:25)


1stアルバムTraceからのシングルカット
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 Rick van der LindenがキーボードトリオTraceを結成し、全編においてメロトロンが爆発する1stアルバムTraceを発表。イギリスで権威のあるライブ番組にも出演。Rick van der Lindenはキース・エマーソン、リック・ウェイクマンと並ぶキーボーディストだった。

Trace Gaillarde Mellotron実演ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=8vsQVsib9Kk
0:33右手でハモンドを弾きながら、左手でストリングスメロトロン
1:06 上からのアングルで捉えた凄い映像。ストリングスだったメロトロンをコーラスに切り替えている。5:42からストリングスメロトロン。上からの映像はカッコよすぎる。オランダのテレビ番組のスタッフに敬服だ。
6:40 エンディングもコーラスメロトロン

Trace Gaillarde The Old Greay Whistle Test 1974 BBC
https://www.youtube.com/watch?v=kndiVcSos5c
5:58 ストリングスメロトロン

Trace / Trace 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=7re8_gDZOFI&t=1663s
5:00  Gaillarde ストリングス+ブラスのメロトロン二重奏
18:29, 20:00 小曲の中にストリングス+コーラスのメロトロン。
27:40 Progression Moog+Strings Mellotron によるB面のハイライトで、短く編集されてシングルカットされた。
38:18 Memoryというタイトルのようにリック・ヴァン・ダー・リンデンにとって最も重要なパートのようだ。癒しのコーラスメロトロン。41:35ドラムソロの直前にブラス系メロトロン。46:00再び冒頭のコーラスメロトロン
45:20 最終曲Final Traceのラスト数秒でもMemoryのフレーズ。





 トレースは、1975年の次作BirdsのB面の大作King Birdのシングルヴァージョンを先行シングルとして1974年に発表。
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Trace / Birds  single version
https://www.youtube.com/watch?v=tWTN2mcxvRA
39:45がシングルヴァージョン。コーラスメロトロンから始まる。翌年のLPではドラムスが交替し、テーマのメロディー以外はほとんど異なる内容。


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 Earth&Fire は、1974年6月、これもメロトロン漬けのLove of LifeがTo the world of futureの先行シングルとして発売し、オランダで2位のヒット。

Earth&Fire - Love of Life
https://www.youtube.com/watch?v=Pp0gTI4BjrE
現実と非現実の境界線で吸い込まれるようなメロトロン


[ 1975年 ] 
ベトナム戦争終結 Trace / Birds


 ベトナム戦争終結により、アムステルダムのヒッピームーヴメントも終焉。
 アース&ファイアーは劇的に変化。To the world of futureがプログレッシブロックバンドとしての最後の作品といえる。

Earth & Fire - Only Time Will Tell
https://www.youtube.com/watch?v=WXLnD30_a7A
LPからカットされた寂寥感あるメロトロン曲。オランダで12位。
1975年ではケストレルと並んで世界一では。





Earth & Fire - Thanks For The Love (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=MmqXh6ALZdI
ベトナム戦争終結で憑りつかれた魔法が解けたように全く別のバンドに変化。
Le Ormeの1976年のCanzone d’amoreを思わせる。オランダで8位。


 一方で、トレースは2ndLPのBirdsで、ダリル・ウェイのウルフにいたイアン・モズレーにドラムスを替え、ELPのようなキーボードトリオの音を極める。
 エクセプション時代にできなかったことを全て叩き込んでいるようだ。

Trace - Bourrée
https://www.youtube.com/watch?v=j3MIFrkkAM0
1曲目。エクセプションからのクラシックロックの極めつけ。メロトロン未使用。

Trace - Opus 1065
https://www.youtube.com/watch?v=K493lE0wDbQ
イントロから20秒のストリングスメロトロン、7:05からラストのフェードアウトに癒される

Trace - King-Bird
https://www.youtube.com/watch?v=8vPd5OwJ80k
20分間の緩急組曲で、随所にメロトロンが使用され見事としか言えない。
11:40のコーラスメロトロンから14:47までがこの曲の中間のハイライト。13:06のブラス系のメロトロンが頂点。
20:00から20:42のエンディングでコーラスメロトロンが響き渡る。パイプオルガンが楽器の王様で、メロトロンは女王という雰囲気。続く「回想」曲でもコーラスメロトロンが余韻を残す。





 Focusは前作で力を出し尽くしたように、1975年10月発売のMother Focusは読売新聞の批評でもFather Bach以外にかつてのFocusは感じられないと書かれた。反戦ミュージカルヘアーから始まったFocusもその使命を果たしたようだ。

"Father Bach" 
https://www.youtube.com/watch?v=hwnqQy9Q0-A
マタイ受難曲第1曲を編曲。メロトロンは未使用。


[ 1976年 ] 
オランダ・メロトロンの最後の輝き Trace / White Ladies


 トレースも前作Birdsで力を出し尽くしたように、エクセプションのメンバーのサポートで1976年に3rdアルバムWhite Ladiesを発表。
 前作のような鋭さはなく、穏やかなトータルストーリーとなっている。

Trace / White Ladies 1976
https://www.youtube.com/watch?v=uaItGq19wRE
38:45 Traceラストアルバムの最終曲も、感涙のコーラスメロトロンで幕。

  タイス・ヴァン・レアーは、ヨーロッパのマイナーなコードから離れて幸せな音楽を作りたいと述べ、ヤン・アッカーマンはFocusを離れる。
 Focusは現在に至るまで、タイス・ヴァン・レアーを中心に活動している。

Focus - Focus V
https://www.youtube.com/watch?v=27uhBtNl2EQ
未発表音源などによるShip of memoriesから。


[ 1977年 ]
栄光のオランダ・プログレッシブ・ロック

 自分にとってオランダ・プログレッシブロックの最後の輝きは、1977年、Finchの3rdアルバムの1曲目 Unspoken Is The Word。

Finch / Unspoken Is The Word 1977年
https://www.youtube.com/watch?v=c-tH3E8JnFQ
イタリアのLocanda delle fateも1977年だった。





 Earth & Fireは1979年にプログレッシブロックとの決別ともいえる「Reality fills fantasy」発表し、Weekendがオランダやドイツで1位になる。

Earth & Fire - Weekend
https://www.youtube.com/watch?v=jbvj8KU57aw

 Earth & Fireは最後のアルバム1982年のIn a State of FluxまでMellotronを使い続けました。

Van Halen - Jump 1984年
https://www.youtube.com/watch?v=bq-potK_7Ts





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posted by カンカン at 23:40| 神奈川 ☁| Comment(0) | メロトロン Mellotron  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月21日

追悼RIP・スペンサー・デイヴィスSpencer Davis 〜 Gimme Some Lovin' キーボード・プログレッシブロックの先駆者

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今日の1曲
  The Spencer Davis Group - Gimme Some Lovin' 1966年


 再びイギリスから訃報です。「キープ・オン・ランニング」「愛しておくれ」「アイム・ア・マン」などのヒット曲で知られるスペンサー・デイヴィス・グループの創設者、スペンサー・デイヴィスが10月19日に亡くなりました。

 「愛しておくれ(ギミ・サム・ラヴィン)」はイギリスでチャート2位になり、世界的にヒットしました。日本にも影響を与えました。1960年代の横浜のライブハウスをリアルタイムで経験した人から、自分の体験ではパワーハウスになる前の時期のベベズが横浜では一番凄くて、Gimme Some Lovin'をゴールデンカップスを超えるような凄い迫力で演奏していたと聞きました。

  "Gimme Some Lovin'"は、” the Rolling Stone magazine's list of The 500 Greatest Songs of All Time”で247位にランクされています。そのリフは、Led Zeppelin - Baby, I'm gonna leave youやシカゴの長い夜にも影響を及ぼしているでしょう。

 グループ結成時に弱冠14歳だったというスティーヴ・ウィンウッドは、後にFocusを結成するタイス・ヴァン・レアーにも影響を与えました。青い影、Niceとともにスペンサー・デイヴィス・グループはキーボード主体のプログレッシブロックの先駆者といえるでしょう。

 スペンサー・デイヴィスのご冥福をお祈りします。RIP

The Spencer Davis Group - Gimme Some Lovin'. Stereo 1966
https://www.youtube.com/watch?v=ko3m0NBbq1o

Spencer Davis Group - "Gimme Some Lovin" (1966) Live
https://www.youtube.com/watch?v=qPgUhDaAWho





posted by カンカン at 07:10| 神奈川 ☀| Comment(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月19日

追悼RIP・ゴードン・ハスケルGordon Haskell 〜 2ndアルバムIt is and it isn’tとKing Crimson

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知られざる大傑作 2ndアルバムIt is and it isn’t


今日の1曲
 Gordon Haskell - アルバム It is and it isn’t 全曲1971年
 King Crimson - Cadence and Cascade 1970年



 キング・クリムゾンが1970年に発表したセカンド・アルバム『In The Wake Of Poseidon(ポセイドンのめざめ)』(一部)とサード『Lizard(リザード)』の制作に参加したヴォーカリスト/ベーシストのゴードン・ハスケルが、74歳で亡くなりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b9e8863e84f2f52bb3da81f0182370e9a45fc0f


〜 傑作2ndソロアルバム 〜 Gordon Haskell "It Is & It Isn't" (1971)


 ゴードン・ハスケルを初めて知ったのはキング・クリムゾンのリザードでした。しかし、B面の1曲目のジョン・アンダーソンのハイトーンの方がインパクトがあり、印象に残りませんでした。

 次にゴードン・ハスケルを知ったのは、2ndソロアルバム"It Is & It Isn't"です。カットアウトのアメリカ盤でしたが素晴らしいジャケットと音楽の内容に魅了されました。今まで聴いたボーカルアルバムでも最高の1枚でした。

 Gordon Haskell "It Is & It Isn't" (1971) - Full Album
https://www.youtube.com/watch?v=BZnOXi71yIA&list=PL8a8cutYP7fqPzAwdqcT1UdqSl8c9_G-B&index=2
LPのA面、B面12曲通して、流れるように素晴らしい。ビートルズレベルのメロディーセンスをもったAORの先駆者とも言える知られざる超名盤。
SSW系歌物では、Ciro Dammiccoの1st、Tony Kosinec / Bad Girl Songs, 荒井由美「ひこうき雲」、久保田早紀「夢語り」、Riccardo Cocciante / Margheritaと並んで好きだった。





 2ndが素晴らしかったので、1stアルバム“Sail in my boat”に憧れましたが、入手困難で聴くことはできませんでした。
 久々に、2ndアルバムを聴きなおしましたが、やはり素晴らしい。50年もたっても色あせない名盤だと思います。






〜 キングクリムゾンのゴードンハスケル 〜


 今回、ゴードンハスケルがキングクリムゾンを脱退したのは、自分の力がキングクリムゾンでは発揮できなかったからだったということがわかりました。
 Otis Reddingのような歌が好きだったそうです。
 
King Crimson - Cadence and Cascade (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=VbVjLPFhpcs
今まで、ゴードン・ハスケルのボーカルとは知らなかった。アコースティックギターに合う味わいのある歌。

King Crimson - Cadense And Cascade ( Greg Lake Vocal Version )
https://www.youtube.com/watch?v=Y3CE7Pz6Ynk
LP製作中に脱退したグレッグ・レイクがゴードンハスケルのためボーカル・ガイドに歌ったヴァージョン。





King Crimson - The Battle Of Glass Tears
https://www.youtube.com/watch?v=us4BlXcPIig
この曲も2:23からのメロトロンが強烈で、その前のゴードンハスケルのボーカルは覚えていなかった。今聞きなおすと複雑な曲の中で重要な導入部だった。





 ゴードンハスケルの"It Is & It Isn't"のボーカルは、十代のころに派手なインストロックだけではない音楽の深い感動を教えてくれた1枚でした。
 RIP 


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posted by カンカン at 14:50| 神奈川 ☔| Comment(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月15日

追悼・筒美京平 〜 トランスの元祖オックスと太田裕美のクラシカルポップ

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今日の1曲
 太田裕美 / 九月の雨 1977年
 太田裕美 雨だれ 1974年
 オックス / スワンの涙 1968年
 オックスOX/オックス・クライOx Cries (1969年)ライブ


 日本歴代1位のヒット曲を作った作曲家筒美京平さんが亡くなりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%92%E7%BE%8E%E4%BA%AC%E5%B9%B3
1940年新宿牛込生まれだと空襲も体験されたのだろうか。


 本ブログがスタートした2008年6月2日「今日の1曲」の第1曲目が、太田裕美の「9月の雨」でした。その後、太田裕美のコンサートに2度通い、ブログでも書きました。筒美京平は太田裕美の黄金期のほとんどの曲を作りました。






〜 1968年のGS オックス 〜 トランスの元祖 〜
 
 
 オックスの「スワンの涙」は子どものころの音楽原体験の一つでした。筒美京平は、タイガース、テンプターズに対抗するため、オックスのデビュー曲から5枚のシングルAB面すべての作編曲を作詞家の橋本淳とともに任されたのでした。

 近田春夫の1979年の著書「気分は歌謡曲」の「初版」に、全くメディアに出なかった筒美京平の希少なインタビューが掲載されていました。近田春夫のヒット曲に関する質問に対して、「それはやっぱり長年のカンかなあ。もしかしたら、グループサウンズのあのムーヴメントが、ただで終わっていないのかもしれない」と語っていたのが一番印象に残っています。

 筒美京平の最初のオリコンベスト10ヒットが1968年のオックスの「ガールフレンド」と「スワンの涙」。筒美京平は「ヒット曲をだしたときの快感、醍醐味はあたってみないとわからない」と述べています。 

オックス スワンの涙
https://www.youtube.com/watch?v=e6wSlMFMPiQ
間奏でビートルズのインマイライフのようなクラシック風のピアノが入る。
筒美京平のルーツはクラシックで、歌謡曲は聞かなかったという。その後ジャズコンボを結成し、レコード会社に就職後、タイガースの作曲家すぎやまこういちから作曲を学んだ。


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 オックスは演奏者も観客も失神するというトランス状態を最初に引き起こしたバンドでもありました。
 これによってGSのコンサートが各地で禁止になり社会問題になりました。

オックス 失神パフォーマンス
https://www.youtube.com/watch?v=LwsFM2u9M7o
伝説の失神パフォーマンスの秘蔵映像。宝塚を参考にしたともいうが、実際の映像を見るとすごい迫力がある。テレビ出演者も皆唖然としている。

オックス 失神について 赤松愛
https://www.youtube.com/watch?v=KZ5XD-7YYbA
その後、ビーイングブームをプロデューサーとして支えたギターの岡田志郎は「あれはトランス状態になってステージに倒れ込んだのが発端」と語っている。野口ヒデトは「今のXのヨシキ君がかつてのオックスだった」と語っていた。

オックスOX/オックス・クライOx Cries (1969年)ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=NAdk-Ae6NRs
スワンの涙のB面。オックスのトランス感覚が最も現れた筒美京平作編曲によるオリジナル曲。ライブ盤「OX ステージNo.1」より。観客の熱狂状態を伝えるライブ。ドラムとギターソロもすごい。






〜 1974年の太田裕美 〜 クラシカル・シンフォニック・ポップ


 太田裕美の1974年11月1日のデビュー曲「雨だれ」は、日本では少ないヨーロッパ風のシンフォニックポップスの名曲。クラシックから始めたという筒美京平の作品中で最もクラシカルな作品。近田春夫とのインタビューでも、筒美京平はバート・バカラックから最も影響を受け、しっとりしたものが好きという。

 松本隆が「はっぴいえんど」解散後に生活のため歌謡曲の作詞家となり、かつての仲間から四面楚歌となったとき、「最初に戦った」のが太田裕美だったと語っていました。松本隆も、筒美京平は「最初から兄弟で、ピッチャーとキャッチャーで、今は右半身と左半身が引き裂かれる思い」と追悼していました。

太田裕美 雨だれ
https://www.youtube.com/watch?v=DYvlN9QgkQY
ショパンのようなイントロで始まるデビュー曲。太田裕美自身も弾き語りをしていた。編曲は萩田光雄。筒美京平は編曲家も自分で決めていた。

太田裕美 雨だれ ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=okKuxME5cYE
https://www.youtube.com/watch?v=J84mg3t6RmY

 ピアノとストリングスの響きが美しい1977年の「九月の雨」は、作詞松本隆、作編曲筒美京平による、クラシカルポップの集大成だと思います。
 思えば、小学生・中学生時代にテレビラジオで流れる筒美京平の曲は、生活の一部でした。いままでありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

太田裕美 / 九月の雨
https://www.youtube.com/watch?v=yoYfq3xG8Kw





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2020年10月08日

追悼RIP Gianfranco Lombardi U 〜 カッコいい女性ボーカル・イタリア編 オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni U

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国内シングル盤 オルネラ・ヴァノーニ Gianfranco Lombardi編曲
 A面 逢びき L'Appuntamento  1970年
 B面 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年


今日の1曲
 オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni
       - La voglia di sognare 1975年
  Ornella Vanoni - 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年
  Ornella Vanoni – 逢びきL'Appuntamento  1970年
          「小さな村の物語イタリア」テーマ曲


 Umberto BalsamoのMai Piuを1982年に聴いて以来、Gianfranco Lombardiは私にとって最高のアレンジャーの一人でした。しかし、イタリアでGianpiero Reverbeliの名は多くのレコードでみつけられたのですが、Lombardiの名は見当たりませんでした。

 最近、オルネラ・ヴァノーニOrnella Vanoni の1975年のシングル La voglia di sognareのアレンジが、Lombardiによることがわかりました。この曲は最近発見した曲の中では一番美しい曲の一つです。特にロンバルディによるイントロは素晴らしい。

 そこで今回は、「カッコいい女性ボーカル・イタリア編」オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni の2011年12月23日以来、9年ぶり2回目の登場です。


Ornella Vanoni - La voglia di sognare
https://www.youtube.com/watch?v=Nwx6ADLrrMc
白黒映像

Ornella Vanoni - La voglia di sognare
https://www.youtube.com/watch?v=VXqpdS7LD8o
カラー映像

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 La Voglia di Sognareは、Carla VistariniとLuigi Lopezによって書かれ、1974年に歴史的なラジオ番組GranVarietàのテーマソングに使用され、1975年にイタリアの権威あるイタリアレコード批評家賞 il Premio della Critica Discograficaを受賞しました。ちなみにOsannaは、1971年のL’uomoと1978年のSuddanceで2回、この賞を受賞しています。

 作詞家Carla Vistariniと作曲家Luigi LopezのコンビはRiccardo Fogliなどの多くのヒット曲を送り出しています。La Voglia di Sognareは、Vanoni、Vistarini、Lopez、Lombardiの4者にとって、最高作の一つといえるのではないかと思います。





 そして、ヴァノーニの1970年代のAristonやVanilaレーベルの作品のほとんどがロンバルディの編曲だったことを知りました。1970年代初期のMinaとReverberiのような関係にあったようです。そのような経歴があったから、BalsamoやNew Trollsであのような素晴らしいアレンジができたのかと初めて納得しました。

 Vanoniの1976年のPiuはNew Trollsが演奏を担当しましたので、そのつながりからロンバルディがNew Trolls の1978年のAldebaranの編曲をサポートしたのかと思われます。

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Ornella Vanoniの1964年以降のシングルチャート。1967年のLa musica è finitaが最初のLombardiの編曲。1970年代の多くはLombardiによる。

 Vanoniは1965年から1970年にかけてSanremo音楽祭に5回出場して、カーザビアンカで最高2位を受賞し、イタリアではMinaと並ぶ大スターでした。ですから、このころのVanoniの映像は、有無を言わせぬカッコよさがあります。

Ornella Vanoni - 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=Hlb-6jEHD1o
口パクだが、かっこいいライブ。
音源はロンバルディ編曲のオリジナルヴァージョン 

Ornella Vanoni - 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=Jx7PGJPLYus
ロンバルディ編曲の音源で実際にヴァノーニが歌ったライブ映像。





 日本でも最近、BS「小さな村の物語イタリア」のテーマ曲でヴァノーニの「逢いびき」が毎回使用され、知られるようになりました。これもロンバルディの編曲でした。
 改めて、ジャンフランコ・ロンバルディのご冥福をお祈りします。

「小さな村の物語イタリア」テーマ曲 逢いびき(イタリア語歌詞付) 歌手:オルネラ・ヴァノーニ   L'appuntamento, Ornella Vanoni
https://www.youtube.com/watch?v=xe_B9BWkHkw
オリジナルヴァージョン

Ornella Vanoni - L'Appuntamento (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=wLa4YpCSd5M
ロンバルディ編曲のオリジナルヴァージョンのオケで歌うライブ







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2020年10月04日

追悼RIP Gianfranco Lombardi ジャンフランコ・ロンバルディT 〜 Umberto BalsamoとNew Trolls

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今日の1曲
  Umberto Balsamo - Vivi come vuoi  1982年
  Umberto Balsamo - Quando ci si lascia 1982年
  New Trolls ‎– Là Nella Casa Dell' Angelo 1981年


 また、たいへん思い出深いイタリアの編曲家Gianfranco Lombardiが79歳で亡くなりました。Lombardiは、1963年にAdriano CelentanoのバックバンドI Ribelliにベースで参加後、編曲家となり、400の作品に参加しました。

https://it.wikipedia.org/wiki/Gianfranco_Lombardi_(pianista)

 本ブログを2008年に始めたときの「今日の1曲」の3曲目がウンベルト・バルサモUmberto Balsamoの「愛を置き去りにして Quando ci si lascia」でした。そのときは音源がみつかりませんでした。

2008年6月4日 今日の1曲 B Umberto Balsamo
http://soleluna.seesaa.net/article/99377111.html

 この曲が入ったアルバム「Mai Piu」は、全曲バルサモ作詞作曲、ジャンフランコ・ロンバルディ編曲です。曲とアレンジが、1+1=2ではなく、3,4になる稀有の例の一つだと思います。

 このアルバムを購入して本当によかったと思います。1983年から山口冨士夫のライブに行くようになったころ、加部正義のMoon like a moonなどとともに家で一番多く聴いたレコードでした。バルサモがきっかけで、イタリアンポップスへの関心が一挙に高まりました。

 Polydor時代の作品はCDで再発されましたが、このFonit-Cetraの作品はCD化されていません。8曲とも素晴らしい大名盤だと思います。幸運にも全曲Youtube のUmberto Balsamoのチャンネルで聴けるようになりました。

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1985年にスイスで買ったシングル盤

Umberto Balsamo - Vivi come vuoi
https://www.youtube.com/watch?v=dIO5oZsLhoM&list=OLAK5uy_mARps2sGD4AQ1hOFPVB-6K5yxpBhOHmao&index=5
LPのB面1曲目。別次元に吸い込まれるストリングスは生音でなくシンセサイザーと思われるが、1982年まででは聴いたことがなかった音。本アルバムではYMOのようにシンセサイザーのプログラマーがクレジットされている。

Umberto Balsamo - La radio
https://www.youtube.com/watch?v=YQlvaKNpw6c
A面の3曲目。エンディングでソリーナのストリングスのような音が拡がる。
Popol VuhやTangerine Dreamの全盛期のような透徹した哀感。

Umberto Balsamo – 愛を置き去りにしてQuando ci si lascia
https://www.youtube.com/watch?v=35Z3m8A5Wvc
B面3曲目。本アルバムのハイライト。Nataliと双璧。




Umberto Balsamo -おやすみなさいUn saluto
https://www.youtube.com/watch?v=NWjJr87Fulg
B面最後の曲は、本アルバムのスタッフと自分に対する慰労で、プロデューサー・バルサモの達成感が感じられる内容の詞。

「僕と同様、疲れ切ったアレンジャー(ロンバルディ)
良くやった フィネッティ(サウンドエンジニア) ありがとう
今じゃ 皆 一人前
僕は お役ごめんだね

おやすみなさい
なぜか ひとりぼっちの人に おやすみなさい
それから 自分にも おやすみ」


 その後、40年間ロンバルディの編曲は、バルサモ以外にみつけられなかったのですが、New Trollsの1981年の名曲 Là Nella Casa Dell' Angeloの編曲が、New TrollsとLombardiの共同作業だったことが、New Trolls のGianni Bellenoの追悼文から初めてわかりました。

  Là Nella Casa Dell' Angeloは人気音楽番組「Discoring」のテーマ曲で、個人的にはConcerto Grosso Adagioに次ぐ、New Trollsの最高楽曲。 

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New Trolls ‎– Là Nella Casa Dell' Angelo 1981年
https://www.youtube.com/watch?v=i0KDP2RCo8E
2:20〜の最大のハイライトもLombardiの力に負うところが大きいのだろう。
Balsamoが翌年、New Trollsと同じCetraに移籍してLombaldiを起用したことへも影響があると思われる。

 さらに1978年のAldebaranの編曲も、New TrollsとLombardiの共同作業だったことを知りました。

New Trolls - Quella carezza della sera (Discoring 07/01/1979)
https://www.youtube.com/watch?v=SAr-n-aZZMY
New Trollsのシングルでは最大ヒット曲。

New Trolls - Suite disco
https://www.youtube.com/watch?v=lSq8L_pNpJI
この曲もNew Trollsの楽曲とバンドアレンジにLombardiが加わって素晴らしい展開になっている。





 ブログでも次々と追悼が続き、たいへん寂しいですが、ショーケンが亡くなったころから、故人への今までの感謝の気持ちを強くするようになりました。
 RIP Maestro Gianfranco Lombardi

 Gianni Bellenoの追悼文
 「人生が私たちに与えてくれたものを私たちから奪うことはできません。ジャンフランコ大好きです。もう一度やります..... R.I.P!!!!」 

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2020年09月28日

追悼ルイズルイス加部 ザ・ゴールデンカップスThe Golden Cups

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今日の1曲
 ザ・ゴールデン・カップス The Golden Cups/銀色のグラス Love Is My Life 1967年
  The Golden Cups / Got my mojo working 1969年
  PINK CLOUD / WASTED 1983年
  加部正義MASAYOSHI KABE - ONLY THE YOUNG 1983年
  加部正義Masayoshi Kabe – Hatsunecho 初音町 2015年


「ザ・ゴールデン・カップス」ルイズルイス加部さん死去 71歳、圧倒的なベースプレー武器に活躍
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cc4435aa03c6e5d19a2c607a5fb82f63130a4ad


 また悲しいニュースが入りました。マモルマヌーさんに続いてゴールデンカップスのルイズルイス加部さんが亡くなりました。伝説のスーパーベーシストでした。今までたいへんな影響を受けてきました。思い出を振り返ってみました。

1979年ごろ
 ラジオで「グループサウンズベスト100」という人気投票がありました。子供のころ好きだったのが、タイガースとテンプターズとオックスでした。このラジオを録音して、初めてゴールデンカップスを知りました。驚いたのは「銀色のグラス」の速いスピードのベースです。ベスト100にカップスは4曲入っていてこのカセットは宝物になりました。2位がテンプターズの「エメラルドの伝説」で、これも初めて聞いて感動しました。

 ネットのない時代は情報が少なく、雑誌POPEYEの「1960年代特集号」で「銀色のグラスのベースにみんなびっくり仰天した」、また1981年の「グループサウンズ最高!」という本にも「銀色のグラスのベースにはハッとするようなカッコよさがあり、ゴールデンカップスが伝説となっているのもわかる」という記述がありました。また鈴木いずみの小説にも書かれていました。

ルイズルイス加部の自伝「気ままに生きる」より「銀色のグラス」の記述
https://www.berrys-cafe.jp/pc/book/n730755/30/
「気ままに生きる」によると、村八分のチャー坊が山口冨士夫とバンドをやろうとルイズルイス加部を誘ったが、ジョニー・ルイス&チャーが決まっていたので実現しなかった。

ザ・ゴールデン・カップス The Golden Cups/銀色のグラス Love Is My Life
https://www.youtube.com/watch?v=cyZRRMr85s4

エメラルドの伝説/ザ・ゴールデン・カップス(カバー)
https://www.youtube.com/watch?v=55tLTdUcw5s
1969年4月10日発売のオムニバスアルバム「なかにし礼作品集・四つの明星」より。ルイズルイス加部のチャンネルに登録されている。加橋かつみも1971年のライブでこの曲を歌っていた。



 

1982年か1983年ごろ
 ルイズルイス加部のいるピンククラウド(ジョニー、ルイス&チャー)のライブを本多劇場に見に行きました。当時ジョニー、ルイス&チャーは「かっこいい」日本のロックバンドの王道でした。

PINK CLOUD / WASTED 1983
https://www.youtube.com/watch?v=HYElwr4V_MI
ピンククラウドといえば自分はこの曲。2年前の下北沢ガーデンでのジョニー吉長追悼ライブで、ルイズルイス加部が飛び入りで参加しこの曲を演奏したとのこと。 





1983年
 4月から山口冨士夫のライブに行く。1976年にルイズルイス加部とリゾートというバンドを作ったという情報を知る。6月ごろ加部正義名義のソロアルバム「MOON LIKE A MOON」が出て、ベースでなくギターを弾いていたが、ピンクフロイド的な音もある素晴らしいアルバムだった。

加部正義MASAYOSHI KABE - ONLY THE YOUNG
https://www.youtube.com/watch?v=cCIOYpRN0DA
アルバム最後の曲。ジャケットのイラストも本人によるもの。





1984年
 夏、「ゴールデンカップ」など本牧を訪ねる。本牧の住宅街にあったクーラーのない小さな図書館で休んだのが懐かしい。
 1984年の終わりごろ、カップスの「スーパーライブセッション」を入手し、LPの1曲目「モージョワーキン」のジャズのようなランニングベースに驚く。

The Golden Cups / Got my mojo working -
https://www.youtube.com/watch?v=UuDrdz86bVQ





浅草リバーサイドフェスティバルのパンフレットより
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1986年
 野外フリーの浅草リバーサイドフェスティバルで、再びピンククラウドのライブを見る。小雨だったと記憶しています。
 このころ、ミッキー吉野さんからサインをもらい、六本木「ゴールデンカップ」でデイブ平尾さんと握手してもらう。

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1992年
 ルイズルイス加部は、テンプターズの大口広司、フラワートラベリンバンド篠原信彦とともに山口冨士夫の「Atmosphere」に参加し、4月12日に川崎クラブチッタでライブを見ることができました。





1993年
 8月14日横浜寿町のフリーコンサートで、パワーハウスのチーボー、陳信輝、ピンククラウドのルイズルイス加部、ジョニー吉長によるバンドのライブを見ました。最後の曲はクリームのクロスロードでした。その後に、山口冨士夫がアコーティックギターだけで出演。

1998年
 日本のニューロックのCD再発が始まり、伝説のフードブレインやスピードグルー&シンキを聴けるようになりました。

Liver Juice Vending Machine - Food Brain
https://www.youtube.com/watch?v=xWVzVXW3P9s
1970年





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1999年
 ゴールデンカップスが取り上げられた「天使はブルースを歌う」を読む。






2003年
 ゴールデンカップスのコンサートを初めて横浜パシフィコで見る。ゴールデンカップスは31年ぶりの再結成で話題になっていた。


映画「ワンモアタイム」の半券とチラシ
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2004年
 ゴールデンカップスの記録映画「ワンモアタイム」を見る。初めて「愛する君に」「I'm So Glad」の全盛期の映像を見て驚く。映画館でマモルさんからサインをもらう。

The Golden Cups-I'm So Glad (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=IrXJ3vpvKww

2006年
 夏、本牧ジャズ祭の帰りにバスを降りて、初めて「ゴールデンカップ」に入る。ピザを頼んでジャズを聴いた。

2014年
 横浜高島屋に「ゴールデンカップスの時代展」を見に行く。エディ藩さんにサインをもらう。

2017年
 幻だったリゾートの音源が発売される。

リゾート(山口冨士夫&加部正義)  / One more time (Them cover) live 1976
https://www.youtube.com/watch?v=LhzznWdoQRw





加部正義Masayoshi Kabe – Hatsunecho 初音町
https://www.youtube.com/watch?v=1RdJ2ygIZ3g
2015年.加部正義作曲


 今回振り返って、ルイズルイス加部のライブには40年間で5回も行っていたことがわかりました。これは山口冨士夫の9回に次ぐ回数でした。加部さんが武相高校3年生のとき2年生で1人だけマモルさんが加部さんたちのグループに入ったそうです。
 今までありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。





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エディーさんのサイン