2018年05月16日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」I 1978年の「ぴあ」+ 1974年の「Music Life」ミュージックライフ

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Music Life1974年3月号 人気投票のギタリスト部門で山口冨士夫が8位
 村八分は1973年に解散していたが、LP「ライブ村八分」の反響がわかる。

 山口冨士夫がスパイダース時代に憧れ、1971年に「日本ではPYGがいい」と言った井上堯之が1位。ボーカルはソロになった沢田研二が1位で、演奏はPYGがサポート。ドラム部門の1位は1970年野音の山口冨士夫グループにも参加した角田ヒロ。


今日の1曲
 ザ・ダイナマイツ/恋はもうたくさん LPヴァージョン 1968年
 ザ・ダイナマイツ/恋はもうたくさん シングルヴァージョン 1967年
 ザ・ダイナマイツ / トンネル天国 1968年
 Murasaki (紫) - Mother Natures Plight 1978年
 タイフーン / シスタージェーン 1975年
 外道 / 香り 1974年
 森田童子 / みんな夢でありました 1980年
 村八分 / 逃げろ (ライブ村八分) 1973年


1973年の「ライブ村八分」は外道やその後の日本のロックに影響を与えた



 山口冨士夫と情報誌「シティロード」は、前回の1976年、1977年に続いて、1978年に購読した情報誌「ぴあ」のころを振り返ってみました。この年の「ぴあ」にも、山口冨士夫の名前はみつかりませんでした。

 1978年はセックスピストルズの影響でロックが活性化し、1979年の村八分の再結成や山口冨士夫にも影響を及ぼしたと思います。1983年に山口冨士夫と組む元外道の青木正行、元村八分の青木真一の活動も1978年に活発になります。

☆「ぴあ」1978年1月号

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1978年1月の屋根裏(左列)  3日瀬川洋(元ダイナマイツ)、14日ジョン山崎(元ゴールデンカップス)、15日アイ高野(元カーナビーツ、ゴールデンカップス)、16日トランザム(石間秀機・元ビーバーズ、フラワートラベリンバンド。チト河内元ハプニングスフォー)と元実力派系GS出身者が活躍。右列は、新宿タロー(ジャズ)

 ・1月3日 屋根裏 瀬川洋&ハッピージョー・テンプル
                  (元ダイナマイツ)
 ・1月9日〜12日 Electric UZU Tune up day
 ・1月13日 屋根裏 近田春夫とハルヲフォン
                 (ドラム恒田義見、元村八分)
 ・1月18日 屋根裏 RCサクセション
            (1990年に山口冨士夫が「カバーズ」に参加)

 山口冨士夫は1978年に入っても表立った活動が見当たりませんが、1月9日〜12日の福生Electric UZUのTune up dayなどにも出演可能性があります。

 1月3日には、屋根裏でダイナマイツのリーダーだった瀬川洋&ハッピージョー・テンプルがライブをしています。三が日に出演していることから、ダイナマイツがゴールデンカップスなどと並んで重要なバンドとみなされていたことがわかります。

ザ・ダイナマイツThe Dynamites/恋はもうたくさん (album Version1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=_EtkDkRFGKA
今のバンドと比べても飛びぬけている山口冨士夫のギターソロとサイドギター 

 瀬川洋は「So What」で村八分もいいが、山口冨士夫はダイナマイツ時代がベストと証言。「天国のひまつぶし」でダイナマイツのベースの吉田博が、山口冨士夫ほど練習する人を見たことがないと言っており、改めて山口冨士夫のギターの凄さがわかります。

ザ・ダイナマイツ 恋はもうたくさん 1967年シングルヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=h0dyLWHtU7c
ストリングスが入るとGS風に趣が変わる


トンネル天国などが海外でも評価の高いダイナマイツ



 1977年12月29日に渋谷の東横劇場で紫のライブ。日本のバンドでルックスで初めて凄みを感じた。ベトナム戦争時代に沖縄コザでもロックが全盛。ベトナム戦争の影響は立川基地のダイナマイツ、横浜本牧のGolden Cups、福生UZUなどにも及んだ。
 
Murasaki (紫) - Mother Natures Plight
https://www.youtube.com/watch?v=4PV1vM7anPw
1979年のミュージックライフの人気投票では、国内グループ部門で紫が1位になる。

 1979年にYAMAHA池袋でジョージ紫のトークライブに行った。寡黙な彼がピアノでタイフーンのシスタージェーンを弾いたので、質問コーナーで緊張しながらなぜ弾いたのですかと尋ねたところ、サングラスをかけたジョージ紫が無言だったのを思い出す。

Tai Phong - Sister Jane 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=b0ry-4Z6clw
ジョージ紫は日系米人。タイフーンはベトナム人が2人いた。利根川 裕著「喜屋武マリーの青春」によれば、人を殺したくないと思ったジョージ紫は祖国の沖縄に戻ったという。

ベトナム戦争の問題が深かった沖縄の紫が日本のハードロックの頂点に



 1月20日には渋谷ジャンジャンで、GS時代に山口冨士夫とも交流があった「加橋かつみの透明な世界」のライブ。加橋かつみもタイガースの後は反戦ミュージカルヘアーの主演、ソロアルバムでユーミンの最初の曲を録音したり、演歌にも転向した。

 1月27日に、渋谷エピキュラスのKeyboard Junctionに行く。バッハレボルーションと共演した稲田保雄に30年後に会い、1974年の幻のLP「感覚思考」の話題になった際、彼が昔の日本のロックバンドの中で真っ先に名を上げたのが村八分だった。

 1973年に解散した村八分の影響は1974年にも及び、Music Life1974年3月号の人気投票で、グループ部門で村八分が7位、ギタリスト部門では山口冨士夫(村八分)が8位。前年の1973年で、まだレコードを出していない村八分が15位にランク。

1974年7位。前年1973年(1972年10月〜1973年3月の集計)15位。ライブの評価がいかに高かったがわかる。
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村八分、山口冨士夫がランクインしたMusic Life1974年1月号、3月号(最終結果)
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☆「ぴあ」1978年2月号

 ・2月19日 福生Chicken SchackUチキンシャック 染谷青&シゲセッションバンド

 2月19日に福生Chicken SchackUで、初代村八分ギタリストの染谷青のセッション。福生なので、山口冨士夫と交流があったかもしれません。1月号では「はみだし情報」として欄外に出ていたChicken SchackUが2月号からElectric UZUと並ぶ。

 この1978年のころ、「チャー坊 遺稿集」によると京都のチャー坊は療養中。
 このときの医師が村八分のことを知っていたため信頼関係ができて回復方向に向かい、これが1979年の村八分の再結成につながったようです。
  
 2月19日に渋谷アピアで「ギリヤーク尼ケ崎 津軽三味線に舞う大道芸人」を見て衝撃を受ける。1972年のチャー坊のダンスにも似た妖気があった。また、無名時代の坂本龍一が現代音楽で「坂本龍一個展」のタイトルにインパクト。その後忌野清志郎と共演。


☆「ぴあ」1978年3月号

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1983年から山口冨士夫タンブリングスに参加する元外道の青木正行が福生でライブ

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山口冨士夫タンブリングスに参加する元村八分の青木真一もスピードで福生でライブ

 ・3月3日 福生Electric UZU  青木正行セッションバンド(リョウ)
          ※ 山口冨士夫の参加可能性あり
               → B. 青木正行(外道・解散中)
                  1983年に山口冨士夫・タンブリングスに参加
               →「リョウ」はDr.中野良一(外道・解散中)

 ・3月12日 福生Chicken SchackU スピード
               → G. 青木真一(元村八分・ベース)
                  1983年に山口冨士夫・タンブリングスに参加

 山口冨士夫がセッションをしていた福生で、Electric UZUに1983年に山口冨士夫とタンブリングスを結成する元外道の青木正行、Chicken SchackUに元村八分の青木真一(スピード)が時期を同じくして「ぴあ」に初登場。2店は700m程の距離。

 山口冨士夫は「So What」で、リゾートの後の時期にこう語っています。

 「ちょうどそのころ、外道のリズムセクションだったマサと中野と出会った」
 「ワクワクするような音が聞こえてきて」「思わずウズの中に入っていった」
 「一度だけセッションをした」「外道のライブにも行った」

 そこで、3月3日のElectric UZU「青木正行セッションバンド」に山口冨士夫が参加した可能性があります。その後、青木正行は、山口冨士夫とやったら他とはできないと語り、1987年のタンブリングス解散後は主だった活動はしていないようです。

 青木正行(ベース)は、トゥーマッチの後、1973年に加納秀人(ギター)中野良一(ドラム)と外道を結成。外道は、1974年にはハワイで10万人のフェス、郡山ワンステップロックフェスでも一番受け、ジェフベックとの共演でも勝ったと言われたバンドでした。

 山口冨士夫は、2010年に下北沢で外道(加納秀人)とも共演し、最後に外道の「香り」を一緒に演奏。これが私が最後に見た山口冨士夫のライブでした。外道には、村八分の「逃げろ」に影響を受けたと思われる「逃げるな」という曲もあります。
 
 外道 / 香り
https://www.youtube.com/watch?v=uHfBhJsqrD8

後に山口冨士夫と活動をする外道のメンバー



 3月18日にビートたけしがジャズ喫茶で共に働いた永山則夫の映画「裸の19歳」、3月22日に渋谷ジャンジャンで高橋竹山の津軽三味線を見る。共に貧困の問題があった。3月31日渋谷YAMAHAでカシオペアの無料ライブ。野呂一生は速弾きの極限を追求。


1978年の「ぴあ」にも「山口冨士夫」の名前はみつからなかった
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☆「ぴあ」1978年4月号

 ・4月7日〜9日 Electric UZU ピラミッド(中野良一 青木正行) 
                      UZU Family Band
 ・4月30日 Electric UZU Special day  Magical Power Mako


 Electric UZUに元外道の中野良一、青木正行が結成したピラミッドが出演。外道は1976年に解散後、1979年の加納秀人のソロ『エレクトリック・ウズ』を機に再結成。山口冨士夫が外道を見たのはそのときと思われます。1982年に外道は再び解散。

 
☆「ぴあ」1978年5月号

 ・5月3日 福生Chicken SchackU ROCKERS(スピード、ミラーズ、Mr.カイト)
 ・5月3日、5日 JAPAN ROCK FESTIVAL 日比谷野外音楽堂
     内田裕也with Smiler (大木啓三exダイナマイツ 1983年傷 山口冨士夫)
     近田春夫とハルヲフォン(恒田義見 村八分初代ドラマー)
デイブ平尾(元ゴールデンカップス ルイズルイス加部)
     陳信輝(元ベベズ、パワーハウス、フードブレイン、スピード・グルー&シンキ)
 ・5月12日 Electric UZU ピラミッド(元外道)
 ・5月24日 屋根裏 ピラミッド 中野良 青木正行
 ・5月26日27日 屋根裏 近田春夫とハルヲフォン
 ・5月30日 日本武道館 ジョー山中 Never give up新しい世界へ


 5月3日と5日に当時は最大規模のJAPAN ROCK FESTIVALが日比谷野外音楽堂であり、内田裕也with Smilerには大木啓三(ダイナマイツのサイドギター、1983年1月1日に山口冨士夫をゲストに傷を結成)が参加。

 ルイズルイス加部と縁の深い横浜の元ゴールデンカップスのリーダーデイブ平尾は自分のライブハウスを経営。陳信輝もライブハウスの経営に乗り出し、これ以後主だった活動は見られない。

トンネル天国 ザ・ダイナマイツ
https://www.youtube.com/watch?v=txyLqyztYXA
ダイナマイツ時代の大木啓三

 5月30日には日本武道館で「人間の証明」がヒットした元フラワートラベリンバンドのジョー山中が単独ライブを行い成功。
 翌1979年5月にジョー山中は、京大西部講堂で再結成した村八分と共演しています。


ジョー山中ライブ。翌年、村八分と共演。




☆「ぴあ」1978年6月号

 ・6月7日 福生 Chicken SchackU スピード(青木真一)
 ・6月3日、10日、18日 Electric UZU Special Guest day 
                   10日は、OZの春日博文がゲストと明記

 6月16日の初台騒ではサタデーナイトに伝説のフリージャズ奏者阿部薫が出演。1970年代後半もフリージャズは盛んだった。阿部薫の死を追うようにジャズ評論家の間章も夭折。山口冨士夫も1992年に山内テツと一度だけフリージャズ的なライブを行う。

 「ぴあ」6月号の表紙はディスコブームに火をつけた「サタデーナイトフィーバー」。ロックも明るいポップスやAORが主流に。高校生、中学生もディスコに行き、新宿歌舞伎町には体育館のようなディスコがいくつもできました。


☆「ぴあ」1978年7月号

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7月1日 福生Chicken SchackU 染谷青(村八分初代ギタリスト)

 ・7月1日 福生Chicken SchackU 染谷青
 ・7月16日 Electric UZU Speed
 ・7月23日 S-KENスタジオ Tokyo Rockers 1978
                   フリクション スピード 

 7月1日に元村八分で山口冨士夫「プライベートカセット」に参加した染谷青が単独ライブ。7月16日には、青木真一のスピードが初めてElectric UZUに出演。7月23日は、後に山口冨士夫に関わるチコヒゲがドラムのフリクションと、スピードが共演。

 7月15日神奈川県民ホールで、1971年に村八分とPYGで共演し、1975年に音楽活動を再開した萩原健一のファースト全国ツアー。
 7月29日森田童子が聖マリア大聖堂でライブ録音。「ぴあ」では森田童子の新譜の広告が大きかった。平野悠著「ロフト青春記」で学生運動で挫折した者にとって森田童子は特別な存在だったとある。森田童子は、山口冨士夫が1983年に2日連続ライブを行った新宿ロフトでの1983年のライブを最後に活動を停止。

森田童子 / みんな夢でありました
https://www.youtube.com/watch?v=uiXDF4jcZXM


山口冨士夫が活動を再開する1983年に新宿ロフトで活動停止した森田童子



☆「ぴあ」1978年8月号

 ・Electric UZU 「今月はライブをお休みします」の告知

 ・8月6日  S-KENスタジオ フリクション(チコヒゲ) 
 ・8月13日 S-KENスタジオ スピード (青木真一)
 ・8月27日 九段会館 ローリングストーンズ1万人集会 3回フィルムコンサート
 ・8月27日 屋根裏 RCサクセション
 ・8月28日 後楽園球場 矢沢永吉コンサートGoldRush’78 
 ・8月31日 田園コロシアム 沢田研二 ジュリーロックンツアー78

その後山口冨士夫に関わる青木真一(スピード)とチコヒゲ(フリクション)
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 8月27日にまだブレイク前のRCサクセション(1990年に山口冨士夫と共演)が屋根裏でライブ。1971年に山口冨士夫が「世界で一番すごいのはストーンズと村八分だ」と言ったローリングストーンズは1973年の来日中止の後も来日の目途がつかず。

 かつて村八分と「ロックンロールタイトルマッチ」という共演も予定されたキャロル出身の矢沢永吉が後楽園球場でライブ。村八分の唯一のテレビ出演「リブヤング」がキャロルの翌週で、チャー坊はキャロルを意識し村八分のメジャー進出を考えていたようです。
 
 村八分と1971年にPYGで共演した沢田研二もまたロック色を強めていき、1980年にPYG時代からの共同制作者井上堯之と別れ、1981年のエキゾチックスではドラムに元村八分の上原ユカリ裕を迎えて、ニューウェーブに突き進んでいきます。


村八分との共演も予定されたキャロル出身の矢沢永吉




☆「ぴあ」1978年12月号

   
 ・12月21日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・12月24日 沢田研二 Julie in 武道館
 ・12月28日 中野サンプラザ「ウルトラコンサート」ジョニー・ルイス&チャー
             デビューコンサート → 中止
 ・12月29日 Electric UZU Special Guest day
 ・12月31日 浅草ニューイヤーロックフェスティバル 
         内田裕也スマイラー(大木啓三 元ダイナマイツ)
         加納秀人(外道は解散中)

 パンクに触発されてか、日本でもチャーが歌謡曲路線から脱却し、山口冨士夫のリゾート解散後のルイズルイス加部とジョニー・ルイス&チャーを結成。グループサウンズ、ニューロックの後、フォーク、歌謡曲に押されたロックが再び活動活発に。

 セックスピストルズは、パンクの仮面をつけたプログレファンで、クリストーマスはピンクフロイドのプロデューサー。古い世代にも火をつけ、キングクリムゾンのロバートフリップも活動再開。チャー坊はキングクリムゾンの全LPのファンだった。  

 「So What」で、山口冨士夫はこのころについて
「しばらくバンドはやりたくなかった」
「山奥で音作りをしていた」と言っています。

 1979年春にチャー坊が山口冨士夫に電話で「バンドやろうけ」と村八分の再結成を持ちかけたのも、山口冨士夫が「もう一度やってみようと思った」というのも、1978年の内外のロックの動きの影響があったのではないかと思います。

 次回山口冨士夫と情報誌「シティロード」11回目は、1979年の「ぴあ」を見てみます。


12月28日中野サンプラザ「ウルトラコンサート」ジョニー・ルイス&チャー 
山口冨士夫とのリゾート解散後2年、ルイズルイス加部の活動も本格化
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2018年05月11日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」H 1976年と1977年の「ぴあ」など

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「ぴあ」1977年12月号 1975年にできたロックライブハウスの福生Electric UZU
山口冨士夫の出演可能性があるElectric Specialなどのセッションの告知


今日の1曲
 リゾート(山口冨士夫&加部正義)
                 / One more time (Them cover)1976年
 シュガーベイブ(村八分2代目ドラマー上原裕)
                      / ダウンタウン1976年3月31日 
 サンハウス(鮎川誠) / LP有頂天 1975年
 近田春夫とハルヲフォン(村八分初代ドラマー恒田義見)
                      / ファンキーダッコNo.1  1975年
 The Sex Pistols - Anarchy In The U.K 1977年


左から「ぴあ」1977年12月号、10月号、8月号
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 山口冨士夫と情報誌「シティロード」は、前回の1980年からさらに遡って、1977年8月号から1980年12月21日号まで断続的に購読した情報誌「ぴあ」を見てみました。
 このころの「ぴあ」には、山口冨士夫の名前はみつかりませんでした。

 そこで、山口冨士夫著「So what」等をてがかりに、山口冨士夫や村八分に関連するミュージシャンについて振り返ってみたいと思います。今回の第9回目は、山口冨士夫が加部正義とリゾートを組んだ1976年から1977年までです。


山口冨士夫著「So what」



★1976年 (「ぴあ」「シティロード」)

・1976年8月27日 渋谷エピキュラス リゾート(山口冨士夫、加部正義)
・1976年8月30日 渋谷パレス座 リゾート(山口冨士夫、加部正義)
・1976年12月11日 新宿ロフト 
     「リゾートFuturingフューチャリング山口冨士夫・ルイズルイス加部」

 山口冨士夫は、1974年に発売した「ひまつぶし」とZOONというバンド活動のあと、1976年に元ゴールデンカップス、フードブレイン、スピード・グルー&シンキのルイズルイス加部とリゾートという伝説のバンドを作ります。

リゾート(山口冨士夫&加部正義) / One more time (Them cover)
https://www.youtube.com/watch?v=LhzznWdoQRw
from live 1976。 ゴールデンカップスのドキュメンタリー映画のタイトル曲でもあった
 
 白夜書房「日本ロック史」の山口冨士夫インタビューによると、リゾートは「ひまつぶし」にも入っていないオリジナル曲を演奏し、ライブをした渋谷パレス座は屋根裏の近くの映画館だったそうです(西武百貨店B館並び。現在閉館)。

 リゾートは8月27日に渋谷エピキュラスでライブをしています。エピキュラスには1度だけシンセサイザーのライブに行きました。坂を上った所にあり、クラブチッタやOn Airのような雰囲気もある近代的なライブハウスだったと記憶しています。


伝説のリゾートの1976年ライブCD 



 1977年8月まで、私はまだ「ぴあ」も「シティロード」も買っていませんでしたが、渋谷エピキュラス、ロフト、屋根裏のリゾートのスケジュールについては、1976年の「ぴあ」「シティロード」のいずれにも掲載されていたと思われます。

 平野悠著「ライブハウス ロフト青春記」が非常に貴重な資料になります。「ロフト青春記」では、1944年生で学生運動出身のジャズファンだった著者が1970年代前半からロックに関心を持ち、いかにライブハウスを作りあげたかが語られています。

 「新宿ロフト」では、1976年12月11日の「リゾートフューチャリング山口冨士夫・ルイズルイス加部」の告知があり、当時のスケジュール表も「ロフト青春記」掲載されています。屋根裏の常連だったリゾートを著者の強い決断でロフトに招聘したとのこと。

現在の「新宿ロフト」のスケジュール
http://www.loft-prj.co.jp/LOFT/index.html
1976年のリゾートが出た12月は、たった11組しか出演していないが、Char、オフコース、サディスティックスなど後にビッグネームになる人ばかり。

1976年12月の「リゾート」掲載のスケジュール表あり



・1976年3月31日 荻窪ロフト シュガーベイブ ラストライブ
         (ドラム : 村八分の2代目ドラマー上原ユカリ裕)

 1976年3月31日に「荻窪ロフト」でシュガーベイブのラストライブが行われています。
このときのドラムが村八分のCD「くたびれて」「ぶっつぶせ」のときの2代目ドラマーだった上原ユカリ裕でした。シュガーベイブでも2代目のドラマーでした。

 1977年7月31日にも「下北沢ロフト」で、Special Jamとして上原裕は、山岸潤史(G)、山下達郎(G)とライブをしています。上原裕はその後、沢田研二のエキゾチックスなど、日本人で彼のドラムを聞いたことがない人はいないと言われるほど活躍します。

左から、山下達郎、大貫妙子、上原ユカリ裕(元村八分)
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 山下達郎はシュガーベイブ時代に、硬派なロックファンから野音で石を投げられたそうです。しかし、山下達郎は、自分の歌を批判した雑誌編集部に抗議に行ったり、大貫妙子にも村八分のチャー坊のような佇まいの写真があり、強い意志を感じます。    

シュガーベイブ / ダウンタウン 
https://www.youtube.com/watch?v=a9fRcNeMMAo&index=3&list=RDCHZSXMZneMs
1976年3月31日 ラストライブ 荻窪ロフト


シュガーベイブ 大瀧詠一(福生在住)のナイアガラレーベルから発売
 


・1976年8月13日「荻窪ロフト」サンハウス

 1976年8月13日には、山口冨士夫のファンで1986年に共演する鮎川誠のサンハウスが上京し「荻窪ロフト」でライブ。鮎川誠は、村八分、ひまつぶしも聴いていたそうです。この時点では、山口冨士夫と加部正義のリゾートを知らなかったようです。

サンハウス - ロックンロールの真最中・レモンティー
https://www.youtube.com/watch?v=LY6jXuBAlDI
全盛期の貴重ライブ映像 1975年8月22日 兵庫県・阪神競馬場


サンハウスの1stアルバム有頂天



 「ロフト青春記」によると、「ぴあ」は1971年に創刊され、「いつどこで何が行われるか」を重視していたのに対し、「シティロード」は1972年に創刊され、批評性を重視していたと書かれています。しかし、「ぴあ」においても映画に対しては強い批評性がありました。

 私は1982年8月号から「ぴあ」は月刊でなく隔週刊になっていたため、1か月先の予定がわかる「シティロード」に変えました。1983年から山口冨士夫を推していた「シティロード」を読んでいなかったら、山口冨士夫のことは一生わからなかったかもしれません。

 ロフトが発行していた月刊誌「ルーフトップ」の1983年5月号は、5月1日と2日に連日ライブ「酔いどれ天使たちへ。大物ゲスト多数」を行う山口冨士夫を表紙にしています。1983年4月の山口冨士夫の「Ride On」発売時のフライヤーと同じ顔のデザインです。

 「ロフト青春記」を読むと「シティロード」「屋根裏」だけでなく、「ロフト」が、特別な思いで1976年のリゾートのときから1983年まで、山口冨士夫を注目、支援していたことがわかります。


☆「ぴあ」1977年8月号

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福生のElectric UZUで8月27日と28日「スペシャルデイ」
山口冨士夫出演の可能性がある

・1977年8月27日28日 福生Electric UZU スペシャルデイ

・1977年8月13日14日 夕焼け祭りVol.4 裸のラリーズ
・1977年8月20日21日 ロックグライド富士野外音楽堂 裸のラリーズ
・1977年8月20日 渋谷エピキュラス 「ロックンロールパーティ」
             近田春夫とハルヲフォン(ドラム : 村八分初代ドラマー恒田義見)

 私は「ぴあ」を1977年8月号から買いました。8月号を探すと、8月27日と28日に福生のElectric UZUで「スペシャルデイ」とあります。出演者の名前は出ていませんが、山口冨士夫の出演の可能性があると思います。

福生UZUのHistory
http://uzu69.com/history/

山口冨士夫は「So What」で、リゾートを解散した後に、以下のように言っています。

 「福生のライブハウス『エレクトリックウズ』に3-4回出た」
 「アマチュアにもすごいシンガーやギタリストがたくさんがいたから、そういった人たちとちゃんと練習して出ていたんだ。はたから見ればセッションに見えたかもしれないけれど、人前でやるからには、ある程度ちゃんとしたことをやりたかったからね」

 また、1986年に山口冨士夫の「プライベートカセット」に参加し、Teardropsのレコーディングやライブにも関わったチコ・ヒゲも「So what」で、1977年にウズで山口冨士夫と3曲だけセッションをしたと言っています。白夜書房の山口冨士夫のインタビューによると、そのときは夜中の12時に始めたため3曲で警官が来て止められたそうです。


1986年山口冨士夫の「プライベートカセット」
 


 あの頃、「ぴあ」の中でも福生のElectric UZUは私には特殊な世界に思えました。1976年の芥川賞受賞作の村上龍の「限りなく透明に近いブルー」や、1976年頃にテレビで見たマジカルパワーマコの不思議なイメージがあったからだと思います。

 1970年の村八分の母体で、1980年に山口冨士夫が参加した裸のラリーズは、1977年8月13日14日の「夕焼け祭りVol.4」と1977年8月20日21日の「ロックグライド富士野外音楽堂」に2週続けてオールナイトライブに参加しています。

1977年8月13日14日「夕焼け祭りVol.4」  泉谷しげるも裸のラリーズを見たとのこと
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 8月20日には、前年にリゾートがライブを行った渋谷エピキュラスで、「ロックンロールパーティ」のイベントに、村八分の初代ドラマーの恒田義見がいた近田春夫とハルヲフォンが出演しています。

 恒田義見は、1970年に富士急ハイランドに出演し、村八分がまだ裸のラリーズを名乗っていた頃のドラマーで、1971年まで1年半在籍しました。1975年のハルヲフォン最初期のファンク時代のLIVE映像では素晴らしいグルーブ感を出しています。

ハルヲフォン / ファンキーダッコNo.1 ドラムス恒田義見 1975年貴重映像
https://www.youtube.com/watch?v=VvEP6OQyRbM
和製リン・コリンズ&JBsとも言える素晴らしいグルーブ感

 恒田義見は、現在和太鼓の名手として活躍しています。
 ブログでは、山口冨士夫追悼イベントへの出演や村八分2代目ドラマー上原ユカリ、
4代目村瀬シゲトとの出会いについて語っています。

恒田義見ブログ 「俺達は、....ドラマー達は元気にしているよ」
https://blog.goo.ne.jp/cohan2005/e/ef08ce5ec53a914420987fc7110de8a7


ハルヲフォン1975年-1977年ライブ ドラム恒田義見



 1977年8月号のころは、ニューミュージックが台頭し、チャー、矢沢永吉などロックが商業的に成功。77・8・8Rock Dayでは紫が登場して、8月13日にもコンディショングリーンが中野サンプラザでライブを行い、沖縄ロックのインパクトは最強でした。

 「ぴあ」でも、当時はアングラ(アンダーグラウンド)系がまだ根強く、映画ではルイ・マルの「鬼火」の大きな広告がインパクトがあり見に行きました。暗黒舞踏、小劇場(状況劇場、天井桟敷、黒テント)、自主制作映画が盛んでした。


☆「ぴあ」1977年10月号

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・1977年10月22日 下北沢ロフト「ダイナマイトセッション」
                       ゲスト:ルイズルイス加部

 山口冨士夫とのリゾートの解散後、ルイズルイス加部もピンククラウド(JL&C)加入前には、いろいろな人たちとセッションを組んでいたようです。
 おそらく横浜ではもっと活動していたのでしょう。

 このころの「ぴあ」のMusic Spotのスケジュールのコーナーを見るとロックのライブハウスの少なさに驚かされます。100軒位のライブスポットで、大音量で演奏をするロックライブ専門は、屋根裏、ロフトぐらい。あとロックが出ているのは、UZUなど10軒程度。

 このころは、フォーク弾き語り、歌謡ポップス、ジャズ、シャンソン、カントリーなどが主流で、当時ロックがいかにマイナーだったかがわかります。屋根裏、ロフトのスケジュールを見ると、サザンなど今でも活躍する人たちが500円〜800円で見れた。

 サザンなども店でバイトをしながら、ライブではお客さんがほとんど入らなかったといいます。当時ロックをやっていたのは本当に音楽が好きな少数の人たちだったようです。1960年代後半のグループサウンズブームがいかに大きかったかがわかります。 


☆「ぴあ」1977年12月号

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「ぴあ」1977年12月号「屋根裏」「ロフト」(荻窪→サザン出演、新宿、下北沢)
「ジャンジャン」など。40年前はロックがまだマイナーなジャンルだったことがわかる。

 ・1977年12月27日〜30日 福生Electric UZU Electric Special
 ・1977年12月31日 Electric UZU Special all night

 ・1977年12月2日 屋根裏 サンハウス(鮎川誠)→翌1978年3月25日解散
 ・1977年12月21日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・1977年12月26日 労音会館 「アルファルファ・ロックフェスティバルvol.4」
            出演:染谷青&ジョイ (染谷青は、村八分の初代ギタリスト)


 12月27日〜30日にも福生Electric UZUで出演者の記載のない「Electric Special」という匿名性の高いライブがあり、山口冨士夫の出演の可能性があります。
 31日にも「Special all night」が企画されています。

 白夜書房「日本ロック史」のインタビューで山口冨士夫は、こう語っています。

 「バンド活動がメインじゃなくて、いろんな奴といろんな付き合いをしながらって状態でしたね」 「福生とかで。」
 「本当はね、いいミュージシャンとか本当のシンガーとかって隠れてるんですよ」
 「ヒッピーにもすっごいポリシー持ってやってる人たちとか、本当多いんですよね。
 で、そういう人たちとやってました」

 12月26日に労音会館のライブで、「染谷青&ジョイ」が出演。染谷青は1970年の村八分結成時の初代ギタリスト。山口冨士夫が「So what」でも高く評価していたブルースギタリストで、山口冨士夫「プライベートカセット」でも20分の「ストーン」で共演。

「ぴあ」12月号 (イギリスの村八分?)セックスピストルズ「勝手にしやがれ」の広告
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  「ぴあ」12月号にセックスピストルズ「勝手にしやがれ」全世界同時発売の広告が出ています。セックスピストルズを初めて聞いたとき、チャー坊が「あっ、村八分だ」、Charが「これって村八分じゃん」と言った話があります。

 時系列でみると、Sex Pistols が村八分再結成の大きな要因の一つに思えます。
 「So What」でも、1979年に村八分を再結成したときに、山口冨士夫はチャー坊と「面白い奴らが出てきたなあ」と話していたとあります。

 1977年には異端だったロックのライブハウスが、パンクブームと1980年代後半のバンドブームで活気づいたことがわかります。この波の中で山口冨士夫が、村八分、裸のラリーズ、タンブリングス、Teardropsと変遷したのはとても深いことだと思います。


 次回の山口冨士夫と情報誌「シティロード」10回目は、1978年と1979年の「ぴあ」を見てみます。


The Sex Pistols - Anarchy In The U.K
https://www.youtube.com/watch?v=cBojbjoMttI





2018年05月02日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」G 1980年10月号〜1981年3月号 

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左:神奈川大学1980年11月7日裸のラリーズ 右:学園祭出演時の山口冨士夫

今日の1曲
 裸のラリーズLes Rallizes Denudes "White Waking" 1980年
 Popol Vuh - Letzte Tage, Letzte Nachte 1976年
 シーナ&ロケッツ レモンティー 

 
 特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第8回目は、前回の1980年8〜9月号に続いて、10月〜12月号、そして1981年1月〜3月号の山口冨士夫が裸のラリーズに参加した時期を振り返ってみます。


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1981年3月で、山口冨士夫は約1年参加した裸のラリーズを脱退する


★「シティロード」1980年10月号

 ・1980年10月29日 屋根裏 裸のラリーズ 山口冨士夫参加

 ・1980年10月3日 シーナ&ロケッツ 海老名文化会館


 渋谷屋根裏において、8月、9月に続いて10月29日に山口冨士夫が参加した裸のラリーズ 3回目のライブがありました。月1回ですので早いペースです。このころは、私は山口冨士夫を知りませんでした。
 
裸のラリーズLes Rallizes Denudes "White Waking"
https://www.youtube.com/watch?v=JavSBbVpwok
1980年8月14日

 このころの裸のラリーズの2人のギターサウンドは、やはりダブルギターだった1970年頃のドイツのAmon DuulUや、一人でダブルギターを多重録音していた1976年頃のPopol Vuhを思い起こさせます。

Popol Vuh - Letzte Tage, Letzte Nachte 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=i2JnTD4rooc





 10月3日には、シーナ&ロケッツの海老名文化会館でのライブがありました。おそらく、私がシーナ&ロケッツを見たのはこの日です。1982年のタイガースや1983年4月の山口冨士夫の前に見ていたことに今回気づきました。
 
 非常に思い出の深いライブでした。
 2階席の隅で聞いていたときに、鮎川さんが「もっと前においで」と手招きされたことに感動しました。

シーナ&ロケッツ レモンティー
https://www.youtube.com/watch?v=bzWOPaFX1so
https://www.youtube.com/watch?v=fhuGM5MuYY0

 10月号は、シーナ&ロケットのインタビュー。鮎川誠は「バディーホリーを聞いたら驚くことばかり。ロックンロールは古くならん、ほんとにいいもんならね」「新しいもんはゾクゾクするね。でも3日経ったら古くなる。その中から残る。」と熱く語っています。


1980年は「ユーメイドリーム」がヒット



★「シティロード」1980年11月号

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11月23日法政大学オールナイトライブの告知


 ・1980年11月7-8日 神奈川大学「100時間劇場」オールナイト
                      裸のラリーズ(山口冨士夫参加) シーナ&ロケット
 ・1980年11月23-24日 法政大学ホール オールナイト
                「Imaginative Garage for ストリート シンジケート」
                      裸のラリーズ(山口冨士夫参加)

 11月は2つの学園祭のオールナイトのライブに裸のラリーズは出演しています。「So what」によると、「屋根裏のライブは満員で、特に法政大学での動員数はすごかった」とあります。

 神奈川大学では、裸のラリーズの出演した翌日にシーナ&ロケットやパンタ&HALが出演しています。このときは、鮎川誠も山口冨士夫の裸のラリーズへの参加を知って意識していたでしょう。

 11月30日には九段会館でもシーナ&ロケットはライブをしています。
 さらに11月15日にも神奈川大学でオールナイトのライブがあり、青木真一(元村八分、後にタンブリングス)のフールズが出演しています。

神奈川大学での裸のラリーズのライブ



★「シティロード」1980年12月号

 ・1980年12月23日 屋根裏 裸のラリーズ(山口冨士夫参加)

 1980年12月23日に再び屋根裏で、4回目の山口冨士夫が参加した裸のラリーズのライブが行われています。
 このあと、しばらくライブが途絶えます。  


★「シティロード」1981年1月号 

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※1980年12月31日 裸のラリーズ(予)との告知 

 ・1980年12月31日 新宿ニューヨークシアター 「Last of Tokyo’80」
                  「裸のラリーズ(予)」と告知
                                → 出演せず

 1980年12月31日に新宿ACB会館のニューヨークシアターで「Last of Tokyo’80」というオールナイトイベントがありました。出演する12バンドのうち、裸のラリーズだけ「(予)」という告知でしたが、結局出演はなかったようです。
 
☆「シティロード」1981年2月号 
                   → 裸のラリーズ(山口冨士夫参加)告知なし

★「シティロード」1981年3月号

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1981年3月23日 屋根裏「未定」と記載 裸のラリーズ(山口冨士夫)の最後のライブ     


 ・1981年3月23日 屋根裏 裸のラリーズ(山口冨士夫参加)
     「シティロード」3月号では、「未定」と記載
      
 ・1981年3月5日〜6日 屋根裏 シーナ&ロケット


 1981年3月23日の屋根裏を最後に山口富士夫は裸のラリーズを脱退します。
 「シティロード」でも1982年の11月号に「フールズ ゲスト山口冨士夫」が出るまで告知がなくなります。

 次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」9回目。
 1980年からさらに遡って、当時購読していた1977年から1979年の「ぴあ」の頃を見てみたいと思います。


※RCサクセションが1位 1980年「シティロード」読者選出ベストテンアルバム部門
1988年に山口冨士夫は、RCサクセションの「カバーズ」に参加。
忌野清志郎もダイナマイツ時代からの山口冨士夫のファンだったのだろう。
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 以下個人的な思い出です。過去を思い出してブログを書いていると、人生の後悔で苦しくなります。今回の1980年は特に苦しく、「シティロード」を整理して1月号〜7月号がないことに気づきました。そのころは音大の作曲科に行くのが夢で学費のために必死にバイトをしていました。1年で150万円貯金したものの、結局ピアノが弾けないので諦め、夢は無残に破れました。
 一番のバイトの思い出は、1980年の7月から9月まで泊まり込みで、自動車工場で「この工場で一番きついから」と言われたライン工程を2人で2か月間昼夜交替で担当したことです。1日10時間、車のボンネットを担いでボルトで打ち込む作業でした。自動車工場残酷物語という本が出たころでした。
 今回、山口冨士夫が裸のラリーズで1980年の8月14日にライブをしていたことがわかりました。「So what」で山口冨士夫は「ラリーズのアプローチは真剣なもので、命懸けと言えるものだった」と語っています。裸のラリーズ時代の山口冨士夫の笑った写真をみたことがありません。あの地獄のような1980年の夏に、山口冨士夫も戦っていたのだと思うと救われた気がしました。
 また、山口冨士夫は、「ラリーズにいたことを誇りに思っているよ。村八分もそうだけど、一生忘れられない何かをオレの中に芽生えさせてくれたバンドだからな」とも語っています。自動車工場も40年経ち機械化も進み、今はあの「ボンネット」ほどきつい工程はないでしょう。日本の自動車がアメリカを追い越そうとしていたときでした。あの仕事は自分にとって誇りであり、自分を支えてくれていたのかもしれません。
 人生の灯台のようだった山口冨士夫が、今回もまた何かを気づかせてくれたと思います。偶然とはいえ、1979年12月までは「ぴあ」を買い、「シティロード」を初めて買い始めた1980年8月号に、山口冨士夫が初参加した裸のラリーズのライブの告知があったというのも嬉しいことでした。

2018年04月25日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」F 1980年8月〜9月号 

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山口冨士夫が初参加した1980年8月14日屋根裏・裸のラリーズの告知


今日の1曲
 Les Rallizes Dénudés (裸のラリーズ) 造花の原野
                             1980年 Double heads
 Harold Budd / Brian Eno – The Pearl 1984年
 Uno / Uno nel Tutto 1974年

 特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第7回目は、前回の1984年後半(11月〜12月号)から4年遡って、裸のラリーズに参加した1980年の8〜9月号の頃を振り返ってみます。


★「シティロード」1980年8月号 

 ・1980年8月14日 屋根裏 裸のラリーズ 
                   → 山口冨士夫が裸のラリーズに参加した最初のライブ



 
 山口冨士夫は1979年京都での村八分の再結成の後に、1980年に裸のラリーズに参加。1990年に「So What」を読み、1970年に「村八分」がバンド名のないころは「裸のラリーズ」と名乗っていたことを知って驚き、繋がりがわかりました。 

 ”きたな!”ってオレは思ったよ。
 ”村八分のあとはラリーズか”ってね
 「相手にとって不足はないという感じだったな」(So whatより)
 
 1980年のシティロードの「アーティストIndex」は、1982年の「3分の1」の量しかなく、8月号の「は」行を見ても裸のラリーズはありません。ネット検索もない時代、シティロードやぴあで屋根裏の「裸のラリーズ」の1行を探すのが貴重な情報源でした。

 また、1980年8月号には、「あの村八分の山口冨士夫が裸のラリーズに参加」といった1983年のような記述はありません。昔からのファンの口コミでしか、山口冨士夫が裸のラリーズに参加したことを知る手段はなかったと思われます。

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シティロード1980年8月号と9月号

 1991年の裸のラリーズの公式CDリリース以降、最近やっと山口冨士夫が参加した1980年の幻の音源が聞けるようになりました。「So what」で山口冨士夫は、自分がいたころのラリーズが、「一番ポップだったんじゃないかな」と言っています。

 そのため、ずっと「明るい」裸のラリーズという先入観がありました。しかし、Double HeadsのライブCDの音源を聞いて驚きました。山口冨士夫がダイナマイツ時代に培ったポップさが、逆に裸のラリーズの重さを引き出しているように思えます。

 1980年の「造花の原野」を聞くと、「ギターはサイドだ」と言った山口冨士夫の唸るようなリズムギターとリフ、ときに水谷孝とダブルリードギターになるところなど筆舌に尽くしがたい。すごみだけでなく、美しさがあります。

 この「造花の原野」は短期間で作れるものではないでしょう。
 「3か月ぐらいはスタジオに閉じこもった」
 「ラリーズは建築物のようでもあった」と言っていた意味がわかります。

Les Rallizes Dénudés (裸のラリーズ) 造花の原野
https://www.youtube.com/watch?v=HOUqOAL-utM
7分間の中にあらゆるギターの可能性が詰め込まれている。
1980年8月14日の屋根裏の1曲目か。

裸のラリーズ Double heads

 

 また、「So What」新版を読んでいて、旧版と違うなと思ったので比べてみました。言葉使いが柔らかくなっていたり、旧版ではここは言いすぎかなと思えていた部分が削られているなど、山口冨士夫が細かい部分に気を使っていたことがわかりました。

 裸のラリーズについて、山口冨士夫は、「時代は80年代はじめだぜ!世間の動きはニュー・ウェイブ真っ盛りさ! 正直言ってワクワクしたよ」と、ニューウェーブにも目を向けていたことがわかります。

 シティロード1980年8月号では、山口冨士夫が関心を持っていたというブライアン・イーノのAmbient2など新譜が2枚紹介されています。イーノの「環境音楽」シリーズという分野が軌道に乗ってきたころでした。
 
Harold Budd / Brian Eno
https://www.youtube.com/watch?v=6-Zj4LvNvqo&list=PL5CC786FE9C94E2A0
イーノ関係では1984年のこの作品が一番聴きやすいと思う。


Harold Budd / Brian Eno -



 1980年8月号では平岡正明による桑田佳祐のロングインタビュー。お道化でなく鋭い目をしている。サザンが屋根裏の常連だったころ裸のラリーズを見たかもしれない。山下達郎より少し下の世代の桑田佳祐は村八分や山口冨士夫をどう思っているのだろうか。
 
 あの最も苦しかった1980年の夏、イタリアの1974年のUnoが、同年の山口冨士夫「ひまつぶし」のようにいいLPで、よく頭の中で鳴っていました。Osannaと村八分は、活動年代や顔へのメイク、1973年の分裂と1979年の再結成など共通点がありました。

Uno / Uno nel Tutto (1974)
https://www.youtube.com/watch?v=SMCPVjfo1DM&list=PLn6IUYFGu6PJzXjqO7muvREpv58yHNu5Y&index=6
Osannaから分裂しインターナショナルな成功を目指したUno。一人はドラッグで廃人になってしまったという。Goodbye friendでは「ピンクフロイド / 狂気」の女性シンガーLiza Strikeが参加。


Uno / Uno



村八分(1972年)とOsanna(1971年)のメイク
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★「シティロード」1980年9月号

 ・1980年9月11日 屋根裏 裸のラリーズ 
                       → 山口冨士夫参加           
 ・1980年9月16日 屋根裏 シーナ&ロケット 1000円 前売りあり
 ・1980年9月29日 屋根裏 フールズ(元サイズ+スピード)
                       → 青木真一G. (ex 村八分)初ライブ

 ※1980年9月 Mars Studio(レコーディング) 裸のラリーズ 山口冨士夫参加


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右から2列の途中までが「屋根裏」(3回クリックしていくと拡大します)
11日裸のラリーズ、16日シーナ&ロケット、29日フールズ


 1980年9月の屋根裏のスケジュールを見ると、山口冨士夫が裸のラリーズを脱退した後に、一緒に演奏するフールズ、シーナ&ロケットが出演していた。 
 彼らは、すでに山口冨士夫の近いところにいて待っていたように見えます。

 裸のラリーズへの参加の誘いを断ったという元村八分、スピードの青木真一は、フールズを結成し、29日の屋根裏が初ライブ。伊藤耕以外の3名は、後に山口冨士夫のTeardropsのメンバーになります。

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久保田真琴(ex裸のラリーズ)のサンセッツと屋根裏でのシーナ&ロケットの告知

 鮎川誠と特にシーナはダイナマイツの熱狂的ファンで、家出してまで東京までGSを見に行ったそうです。ロケットがバンドで上京したときも、周りから山口冨士夫のことを聞かされていたとのこと。

 夏に武道館公演をしたシーナ&ロケットが、屋根裏に16日に初出演しています。
 このときに「11日」に出演した「裸のラリーズ」に山口冨士夫が出演していたことを彼らは知っていたのか気になるところです。  

 久保田真琴は、1970年代初期に裸のラリーズに参加していましたが、並行して夕焼け楽団のような音楽を作り、1984年にサンディー&サンセッツとしてヒットしました。1990年に山口冨士夫のTeardropsのMixin Loveをプロデュース。

 裸のラリーズは、Mars Studioで9月4日から9日に録音したものの、レコードでリリースされませんでした。CD「Mars Studio」は「Double Heads」ライブのような轟音ではなく、穏やかな曲調のものも多く裸のラリーズの別の側面がわかります。

Mars Studio




(追記) Music Life 1973年11月号
              → 裸のラリーズ参加 「エレクトリックピュアランド」コンサート評

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Music Life1973年11月号 裸のラリーズ 
4ページしかない日本のRock Popsの記事の中に、荒井由実の1st、矢沢永吉インタビュー、内田裕也with沢田研二・ジョー山中、頭脳警察などが詰め込まれている。
11月号の月間ベストアルバムは、PFM / 幻の映像
 
 Music Life1973年11月号は、最初に買った思い出深い雑誌。「エレクトリックピュアランド」のコンサート評で、裸のラリーズについて、「LP『オズデイズ』とは違って聞こえた。やはりレコードという平面ではラリーズは真価を発揮できないかもしれない」とあります。

 しかし、今は裸のラリーズのCDもデジタル化で立体感のある音になり、動画でヘッドホンで大音量で聞けばライブに近い体験ができるようになりました。
 海外からも、これが40年前の音かと絶賛されています。

 Music Lifeの矢沢永吉のインタビューでは、タイガースが残したものは大きいと言っているのが印象的です。キャロル側からキャンセルしたという「ロックンロール・タイトルマッチ キャロル対村八分」という幻のライブが、1973年には予定されていました。





 シティロード1980年9月号に戻ると、萩原健一のインタビューがいい。「So What」によるとダイナマイツ時代は山口冨士夫とよく喧嘩していたとのこと。GS世代は「一夜にして人気がなくなったり、1回挫折した人間が多いからわかりあえる」と語っています。 

 ショーケンも沢田研二とのPYGのときに、京都大学西部講堂で村八分と共演。
 テンプターズもデビュー前は中川三郎ディスコテック専属で、モンスターズのような本格的バンドでした。ショーケンは芸能界の色に変えられてしまったと嘆いていました。

 ダイナマイツから村八分に移った山口冨士夫を西部講堂で見て、ショーケンも影響を受けたのではないだろうか。
 「傷だらけの天使」の再放送のショーケンを見て、ふとそう思いました。

 ショーケンは、ジョー山中が癌になったときのクロコダイルでの支援ライブで初めて見ました。かっこよかったです。亡くなったお姉さんなどのためにお遍路参りをしているというショーケンは、山口冨士夫の死をどのように感じたのでしょうか。

次回の山口冨士夫と情報誌「シティロード」8回目は、1980年10月号以降になります。

 





2018年04月17日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」E 1984年後半(11月号〜12月号)

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「おさらば」の歌詞のようについに1984年末、山口冨士夫の活動が一度停止してしまう


山口冨士夫 / おさらば (LP「ひまつぶし」で唯一、山口冨士夫が作詞もした曲)

  「やっと ここともおさらばします」
  「色んな奴らに 出逢ったけれど」
  「やっぱり こことも おさらば」


今日の1曲
 山口冨士夫 / おさらば 1974年
 山口冨士夫 / 泣きたい時には 1974年
 加部正義 / ムーン・ライク・ア・ムーン 1983年
 ゴールデンカップス / 銀色のグラス 1967年
 村八分 / あっ 1971年 
           from 『村八分 / くたびれて (2018 remaster)』
 The Rolling Stones
         / Jumpin' Jack Flash (Get Yer Ya-Ya's Out!)1969年
 ジョー山中 / 人間の証明 1978年
 浅川マキライブ 池袋文学座ル・ピリエ 1984年
 裸のラリーズ / The last one 1984年


 特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第6回目は、前回の1984年後半(9月〜10月号)に続いて、今回は1984年の11号と12月号の頃を振り返ってみます。
山口冨士夫と同世代の尊敬するアーティストの1984年の活動にも触れました。


★「シティロード」1984年11月号


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Foolsレコード発売記念ライブで「ゲスト山口冨士夫 必殺のラインナップだ」と紹介


 ・11月3日  屋根裏 タンブリングス(山口冨士夫バンド)
 ・11月17日 ライブイン Foolsレコード発売記念 ゲスト「山口冨士夫Band」
 ・11月24日 オールナイト 法政大学ホール( 山口冨士夫出演可能性あり )

 
 青木真一が結成・在籍し、1982年11月の山口冨士夫の復活の切っ掛けを作って以来、山口冨士夫と行動を共にしてきたFools。
 そのFoolsの11月17日のレコード発売記念ライブは、シティロードでも「ゲスト山口冨士夫 必殺のラインナップだ」と紹介。Foolsの伊藤耕も最近亡くなりました。





 11月24日の法政大学ホールの山口冨士夫の出演については確かではありません。
 しかし出演者が、フールズ、少年ナイフ、ローザ・ルクセンブルグ 「他」とあり、
 また、山口冨士夫「So What」に「秋の法政大学を最後に一人旅に出た」とあります。

 さらに、翌12月の法政大学ホールのライブに山口冨士夫は欠席しています。
 以上からすると、この11月24日に山口冨士夫が出演したものと推測されます。シティロード11月号は学園祭特集で、「今年もロックの硬派は法政だ」と書かれています。

 11月1日明治大学は「チャボvsチャー」の企画でピンククラウドとチャボバンドが出演。
 山口冨士夫と1976年にリゾートを組んだルイズルイス加部は1978年から1994年までピンククラウドで活動、1980年代は毎月大きな会場でライブがありました。

 私もこのころ本多劇場の下北沢音楽祭でピンククラウドを見ました。山口冨士夫も加部正義を意識したと思います。1979年に村八分の再結成に山口冨士夫が「おれは賭けた」というのは、「ジョニー、ルイス&チャー」に触発されたのではないかとも思います。

resort(山口冨士夫&加部正義) trailer
https://www.youtube.com/watch?v=RQFcGvd9Quc


ついに世に出た伝説のバンド「リゾート」の1976年のライブ



 ピンククラウド関係の中でも、山口冨士夫のEP「ライドオン!」の直後の1983年7月に発売された加部正義のソロLP「ムーン・ライク・ア・ムーン」は傑作でした。
 本来はギタリストの加部正義が書き溜めていたと思われる名曲、名リフが多い。

 このLPは「ひまつぶし」のようによく聞きました。Gentle Giant / In a glass houseのようにガラスの割れる音から始まる。「ムーン・ライク・ア・ムーン」はPink Floydのように音が広がるインストロックでした。

 このLPの音や銀色のグラスなどのゴールデンカップスに憧れて、横浜の本牧に一人旅をしたのもこのころでした。伝説のクラブ「ゴールデンカップ」も見ました。いろいろなことを思い起こすと、懐かしく感傷に浸ってしまいます。
 
MASAYOSHI KABE - ONLY THE YOUNG
https://www.youtube.com/watch?v=cCIOYpRN0DA
アルバム最後のリラックスした名曲。EmtidiのSaatと同じコード進行。青春の終わり。


1983年5月の山口冨士夫のEP「ライドオン!」の後、1983年7月に発売



 11月23日には、1971年に頭脳警察、1972年に村八分が出演した慶應大学三田祭で、PANTAのライブがありました。PANTAは、レコーディング中に病によって倒れてしまったという問題作「16人格」を8月に発表したばかりでした。

 1960年代に山口冨士夫にブルースバンド結成を持ちかけたPANTA。彼もソロの時代はラブソング集に以前のファンから批判を受けたり、山口冨士夫と同様、方向性に苦しんだ時期があったと「団塊の世代」特集のインタビューで語っていました。





★「シティロード」1984年12月号
 

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12月21日 「タンブリングス+ゲスト:鮎川誠」 山口冨士夫が再び欠席してしまう。
1983年5月にルイードで山口冨士夫と対バンだった安全地帯がブレイク

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12月22日は裸のラリーズ
2年続いた山口冨士夫、裸のラリーズの法政大学ホールでのクリスマス連日ライブ。


 ・12月8日 東福生 SUNSHINE UZU
             タンブリングス(山口冨士夫 青木真一 青木正行 小林秀弥)
 ・12月21日(金)法政大学ホール  タンブリングス ゲスト:鮎川誠 
                             山口冨士夫欠席 
 ・12月22日(土)法政大学ホール  裸のラリーズ
 ・12月29日 0:30am 新宿ミッドナイトスペシャル  山口フジオ+エミリー+アキオ

 ・12月31日 クロコダイル In the midnight special 84’
            タンブリングス(山口冨士夫G) 鮎川誠&シーナ(予定)
              ← この日については、シティロード1985年1月号に告知


 ・12月6日  クロコダイル    ジョー山中 Reggae Vibration
 ・12月末  文学座ル・ピリエ  浅川マキ 


 1983年のクリスマスに2日間素晴らしいライブを見た山口冨士夫のタンブリングスと裸のラリーズが再び、法政大学ホールで12月にライブを連日行うとの告知。
 ゲストが鮎川誠ということで、たいへんな期待を持って会場に向かいました。

 12月21日に、「ゲスト鮎川誠」がどういう形で参加するのか不明でしたが、シーナ&ロケットとして出演しました。500円のカンパで見れたのはラッキーでした。
 翌1985年1月24日にシーナ&ロケットは渋谷公会堂で単独ライブをしています。


 


 しかし、シーナ&ロケットの演奏終了後、なかなか山口冨士夫が現れません。
 その間、ホールに大きな音でライブの音が流れました。私は、直感的に「これは村八分の伝説の最盛期のライブ音源ではないか、、、」と思いました。
 
 会場で流れた「あっ」は、1971年4月録音の村八分の「草臥れて」でした。ホールのエコーがかかった状態で大音量で聞きました。イコライザーでベースを思い切り上げて、全体にリバーブをかけたような音でした。


あっ!! from 『村八分 / くたびれて (2018 remaster)』
https://www.youtube.com/watch?v=O8SuvuaVqfU
ベースなどの音圧が上がり凄いサウンドにremasterされた。


4回目のリリースとなる「くたびれて」 



 この「あっ」では青木真一のベースのグルーブが中心。山口冨士夫が「So What」で「テッチャンのリズムギターは、バンドのビートを唸らせていた」と語る浅田哲のリフ、上原裕の跳ねるビートが台風の目のように渦を巻き、それをチャー坊の叫びが扇動する。

 小学校の頃に、Rolling Stones / Jumpin' Jack Flashをラジオで録音したものが、シングルヴァージョンと違って音が太く、グルーブして何度も聴いた。5年前にやっとそれがGet Yer Ya-Ya's Out!のライブとわかりました。

The Rolling Stones / Jumpin' Jack Flash (Get Yer Ya-Ya's Out!)
https://www.youtube.com/watch?v=2O8U2skkqyY


全盛期のストーンズと村八分のイメージが重なるライブ盤


 法政大学ホールで聞いたエコーのかかった「あっ」は、まさにストーンズの感じだった。

 「くたびれて」の「あっ」、慶應三田祭CDの「あやつり人形」を聴くと、山口冨士夫がMusic Life1971年6月号で「世界で一番すごいのはストーンズと村八分だ」「チャー坊の方がミックジャガーより上。持っているものが違う」と言ったことが理解できる。 
 
村八分1971〜1972年の映像
https://www.youtube.com/watch?v=G9EqrB0ISaw
3:17〜「音楽にダンスを融合させるロックシンガー」チャー坊と山口冨士夫の頂点
「天国のひまつぶし」で村瀬シゲトが「二人は1+1=2ではなく、4,5になった」と言うのがわかる





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タンブリングスのライブ


 ホールで、村八分「草臥れて」からの「あっ」「どらねこ」などが流れた後に、ついに会場に「山口冨士夫は出ません」というアナウンスがありました。
 青木真一が「おれたちだけで楽しもうぜ!」と言ってライブが始まりました。

 あの会場にいた青木真一は、自分の村八分時代の演奏を聴いてどう思ったのか。
 もしかしたら、山口冨士夫の欠席を見越して、青木真一か誰かが村八分の音源を用意していたのかとも思いました。

 山口冨士夫は、前座のシーナ&ロケッツを聴いて自信をなくしたのかとも、そのときは想像しました。シーナ&ロケッツはBOURBONからアルファレコードに移籍し、サウンド面でYMOがサポートして先端の音をロックンロールの形にして演奏していました。

 しかし、これは勘違いで、白夜書房の日本ロック大全のインタビューによると、山口冨士夫はシーナ&ロケッツに対して引け目を感じるようなことは全くなかったようです。
 実際のところ、この日、山口冨士夫は最初から会場に来れなかったようです。





 この12月21日の山口冨士夫の再度の欠席についても、9月の屋根裏のときと同様、全く不満な感情は起きませんでした。山口冨士夫は、10月のクロコダイルで、「お前らも何かしたいけどわからないから俺のところに来てるんだろ?」と客に問いかけました。

 しかし、その山口冨士夫自身もミュージシャンとして「自分は何をすべきか悩んでいるのではないか」と、私は考えるようになりました。
 山口冨士夫とその音楽が自分を代弁してくれる鏡のように思えました。
 
 この日、山口冨士夫の欠席を鮎川誠も心配したのはではないでしょうか。
 この1年後、ダイナマイツ時代から山口冨士夫のファンだったという鮎川誠とシーナのサポートで山口冨士夫は復活します。

  



 翌12月22日の裸のラリーズは、前日の山口冨士夫欠席の不安を消すように1983年12月と同様にぶっ飛んだ演奏でした。1983年12月のときは山口冨士夫も客席で聞いていましたが、このときはみつかりませんでした。
 
 造花の原野のような速いテンポの曲の音の広がりや、The last oneの重厚な締めくくりは素晴らしかったです。 水谷孝は最後にギターを壊して踏みつけたこともありましたが、最後にはマイクに向かって「ありがとう」と言っているのが印象的でした。

 裸のラリーズは、法政大学2回、屋根裏、鹿鳴館1回ずつと4回見ました。絵画展で水谷孝と遭遇したことがあります。ベルギー象徴派展かと思ったのですが、それは1982年12月〜1983年1月だったので時系列で合いません。裸のラリーズについては体に刻まれた爆音に消されて、記憶がいつかわからない感じです。





 12月8日のクロコダイルに赤ペンでマークがついており、この日に8月に江の島で山口冨士夫と共演したというジョー山中のReggae Vibration (石間秀機G 篠原信彦Key)を初めて見たようです。

 ジョー山中については、フラワートラベリンバンドの「メイクアップ」を聞いて日本にもこんな凄いバンドがあったのかと尊敬していました。クロコダイルでジョー山中と目が合ったときは緊張しました。

 ジョー山中もFTBの解散後、人間の証明でヒットしたり、ミュージカルやいろいろな道を模索し、レゲエにたどり着いたようでした。
 このころ、ジョー山中の「魂」のLPジャケットをずっと部屋に飾っていました。


ジョー山中自伝 アフガニスタンの危険地帯にも内田裕也とボランティアに行ったという



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12月29日に告知されていたライブを偶然発見。
カタカナの「フジオ」名義が1974年の「ひまつぶし」を想起させる。


「おさらば」「泣きたい時には」収録



 1984年末に初めて浅川マキを見ました。驚きのライブでした。黒い衣装でシャンソンに近いイメージで一人で歌い出した浅川マキが「〜さん」と一流のジャズミュージシャンを一人ずつ呼びながら、ビリーホリデイのように徐々にジャズのグルーブに乗って歌う姿。

 浅川マキはこの時代でも音楽誌で称賛されていた。心の空虚に引き込まれながら心の空虚を埋めてくれるような声。世の中に音楽の天才は本当にいるのだと思いました。
 山口冨士夫の「 泣きたい時には」もいい。これほど歌心が伝わる歌は多くない。

「アングラの女王 歌手・浅川マキ」 追悼
https://www.youtube.com/watch?v=964NthnsN_A
2010年にライブ当日に名古屋のホテルで亡くなっていた浅川マキの人生は、
「Rockとは生き方のことなんだ」と言っていた山口冨士夫と重なる






 1984年は、山口冨士夫の活動停止と浅川マキの大晦日ライブで、終わりました。
 山口冨士夫は、予定されていた12月29日と12月31日のライブにも出られなかったのではないかと思います。

 1985年に入ってから、しばらく山口冨士夫に関する情報は全く途絶えてしまいます。
 しかし、1985年から私の人生が苦しい局面に入った時にも常に山口冨士夫の存在が心の支柱でした。
 
 1985年末からの鮎川誠とシーナ&ロケッツのサポート、そして1980年代後半からの空前のバンドブームを経て、山口冨士夫はついに1989年にTeardropsでメジャーの表舞台に出ることになります。

 
 次回の山口冨士夫と情報誌「シティロード」7回目は、1985年以降に進む前に、1980年に遡ろうと思います。  


池袋文学座ル・ピリエ(12月27日〜31日)での浅川マキの年末恒例だったライブ
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2018年04月11日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」D 1984年後半(9月号〜10月号)

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1983年の4曲入りEP「ライドオン!」からの山口冨士夫の活動に陰りが現れる


今日の1曲
 山口冨士夫 / Ocean
 山口冨士夫 / 愛の子
 山口冨士夫 / ムスタングサリー
 高橋竹山 津軽三味線



 特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第5回目です。
 前回の1984年後半(7月〜8月号)に続いて、今回は1984年の9月号と10月号を辿ってみます。


★「シティロード」1984年9月号



 ・9月4日 屋根裏 「タンブリングダイス(山口冨士夫band)」1700円 
                                   山口冨士夫が欠席   
 ・9月21日 歌舞伎町Moon stone 「タンブリングダイス(山口冨士夫グループ)」
                                    2000円
 ・8月4日 江の島フリーコンサート(シティロード8月号には告知なし)
      タンブリングダイス  共演:ジョー山中レゲエバイブレーション


 9月4日の屋根裏「タンブリングダイス(山口冨士夫band)」で、初めて山口冨士夫が欠席しました。欠席のことは鮮明に覚えているのですが、その日付については「天国のひまつぶし」の本によればこの日のようです。 





 渋谷屋根裏は、初めて山口冨士夫を見た場所、初めてのライブハウスであり、その日も登場を期待して待っていました。観客もホールに余裕があったので、数十人から100人弱ぐらいだったと思います。


右:1984年9月4日 山口冨士夫が欠席した日の「屋根裏」タンブリングダイスの告知
左:渋谷ジャンジャン 高橋竹山には晩年の山口冨士夫に感じた技術と風格があった 
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 すると、「今日は、山口冨士夫から出られないという連絡が入りました」というアナウンスがありました。病欠ではないようでした。今まで山口冨士夫のライブの深い音楽性に感銘を受けていたので、欠席するのも音楽的な理由と察せられました。
 
 私は「この人はすごい。自分が納得いかないときには出演しないのか。これこそ本物のロックミュージシャンではないのか」と思いました。
 売れることが第一のいわゆる「産業ロック」が主流になった時代でした。

 当時の私は、山口冨士夫の深い悩みにまでは思いが至りませんでした。
 その日は山口冨士夫がいないライブが行われましたが、それでも良いライブでした。
 帰るときにチャージをたしか千円返されましたが、逆に申し訳ない気がしました。

 渋谷屋根裏は、山口冨士夫2回と裸のラリーズ1回の計3回行きました。狭い階段でした。裸のラリーズを見た日は思い出せないのですが、階段で並んでいたら水谷孝が礼儀正しく「失礼」と言いながら上がっていったのが印象的で、影響を受けました。

 「ぴあ」時代から屋根裏の出演者を見ると、サザン、カシオペアなど今も活躍する人たちが多く出ています。「渋谷ジャンジャン」「ロフト」は素晴らしい回想録が出ましたが、「屋根裏」も経営や出演者との人間関係でたいへんだったのではないかと思います。

高橋竹山 津軽三味線
https://www.youtube.com/watch?v=tEjrkHAnzVs
ロックフェスにもよく出演した高橋竹山も山口冨士夫も渋谷で戦っていた





 9月号には歌舞伎町Moon stoneでの9月21日のライブ告知もあります。
 1984年9月5日に開店した大きなホールだったようですが、10月号以降は掲載がなくなっています。


8月4日に江の島でライブがあったとの情報
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 なお、9月号の編集後記に「ジョー山中とタンブリングダイスのフリーコンサート」が8月4日に江の島であったとの驚きの情報があります(8月号にはこのライブは非掲載)。猛暑のために記者は行かなかったとのことでした。

 江の島の鵠沼側ステージは、あるダンスイベントで曇りの日でお客さんが少なくほとんど一人で2時間踊ったことがあるので懐かしい。若い人たちが飲み物を持ってきて応援してくれました。同じステージに山口冨士夫が立ったことがあるとしたら光栄です。

 ジョー山中と山口冨士夫の共演は、1971年のFTBと裸のラリーズで出演したときの富士急ハイランド、1979年村八分再結成時の京都大学西部講堂以来と思います。タンブリングダイスの野外ライブは初めて知りましたが、本当であればぜひ行きたかった。

 
★「シティロード」1984年10月号


10月13日の屋根裏 「タンブリングス」に改名した告知
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 ・10月13日 屋根裏 「タンブリングス(山口冨士夫グループ)」
 ・10月25日 クロコダイル「タンブリングダイス」
 ・10月17日 裸のラリーズ 鹿鳴館


 初めて13日の屋根裏で「タンブリングス」というバンド名に変更。25日のクロコダイルではまだ「タンブリングダイス」。ローリングストーンズそのままだから変えたとのことですが、9月の屋根裏欠席について心機一転もあったのではないかとも思います。


左列:クロコダイル 10月25日に以前の「タンブリングダイス」のバンド名で告知 
右列:Eggman
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 10月13日屋根裏と10月25日クロコダイルのライブの間の10月23日にスタジオ録音された山口冨士夫のOceanという曲があります。初期Kraftwerkや特に1972年のNEU!のライブのような曲で、「ライドオン」とは違う音楽性を模索していたようです。


10分に渡る「Ocean」収録の「Ride on!」デラックス・エディション



 山口冨士夫著「So What」によれば、音楽的な悩みは、9月ではなく1984年に入ったころからすでに始まっていたようです。「So What」の中で「Tumblings」の1984年の記述はたった12行です。その中で、以下のように書かれています。

「すべてが煮詰まり始めていた」
「すべてがマニアックになりつつあるという気がしてた」
「客もいつもと同じさ」

 また、「タンブリングス」の項目で、「学生運動とはいわないが、今の学生にも少しは何か見せてほしいと思うときもあるよ」「『明るいパンク』ってやつをやれば、コブシをあげてくれるのか。オレはまっぴらごめんだな」とも書かれています。





 以前もブログで書いたのですが、クロコダイルでのライブで深く心に刻まれた思い出がありました。「シティロード」や今までの情報を辿っていくと、それはこの1984年10月25日のライブだったのではないかと思います。

 そのライブで、突然山口冨士夫は「イエー」という客に対して、真剣に「お前たちはイエーしか言えないのか?!」と問い正すように言いました。いつも和気あいあいだったライブで、初めて山口冨士夫が怒ったのを見たので驚きました。

 続けて山口冨士夫は、「お前らも何かやりたいんだけど、それがわからないから俺のところへ来てるんだろ?」と言いました。
 私は何もできない自分の心を見透かされたような気がしました。


愛の子収録



 そして、山口冨士夫は、「だったら聞かせてやるぜ! 世紀のあいの子、山口冨士夫!」と叫び、演奏を始めました。その曲は「愛の子」という曲だったようです。
 私は山口冨士夫が自分自身に対して差別用語を使ったことにショックを受けました。

 1983年の4月にも山口冨士夫がそのような言葉を使ったときは、明るく冗談のように話していました。村八分のチャー坊の「おれはカタワ」以上に重く感じました。1996年の「クイックジャパン」連載で初めて「カタワ」とはチャー坊自身の経験だと知りました。

 この後、山口冨士夫はしばらく活動から遠ざかるのですが、このときの山口冨士夫の叫びは、自分自身に対するだけでなく、「おまえも何か行動しろ」という最後の突き放す言葉のように受け取れました。
 
 1983年に山口冨士夫は音楽の灯台のように思えたのですが、この日の山口冨士夫の自分が傷つきながらメッセージを投げかける姿に、音楽だけではない「自分の力で生きろ」という生涯影響を受けるような哲学的なものを受けとった気がしました。
 それは今も続いています。
 


山口冨士夫「So What」 2008年新版と1990年旧版
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2018年04月05日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」C 1984年後半(7月号〜8月号)

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山口冨士夫出演の情報誌「シティロード」1984年4月号〜12月号


今日の1曲
 山口冨士夫 / 赤い雲
 山口冨士夫 "Jump So High"
 Rolling Stones / Route 66
 Rolling Stones / Monkey Man
 Prince / Let’s go crazy
 Alphataurus / Croma
 Jimi Hendrix / Wild Thing


 特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第4回目は、前回の1984年前半(1月〜6月号)に続いて1984年後半です。9月号以後に大きな重たい変化があるので、まず7月号と8月号まで山口冨士夫の出演を辿ってみます。


★「シティロード」1984年7月号

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7月号index「た」行。バンド名は「タンブリングダウン」から2か月で「タンブリングダイス」に変更。


 ・7月6日 クロコダイル「タンブリングダイス(山口冨士夫グループ)」
 
 このころは、毎月「シティロード」を25日に買い、Indexで「は」行の裸のラリーズと「や」行の山口冨士夫を探すのが最大の生きがいになっていました。ところが「シティロード」1984年7月号には、「山口冨士夫」も「タンブリングダウン」もない。

 「タンブリングダイス」は誤植かとも思いましたが、バンド名が変わったようでした。バンド名がズバリだったので、やはり彼らもRolling Stonesが原点だったのかと感慨深いものがありました。

Rolling Stones / Monkey Man
https://www.youtube.com/watch?v=i3CIhGXnntM





 7月6日のクロコダイルはいい雰囲気のライブでした。
 途中で「マリンバンド」という山口冨士夫+2名によるアコースティックバンドに変わりました。「よっちゃんFrom京都」「昔からのブルース仲間」と聞こえたので、元村八分の人かと思いました。

 メンバーは、加藤義明Vo.Ag、浅田哲Harp、山口冨士夫がG.Vo。マリンバンドは、黒人ブルース、白人系フォーク、日本語のオリジナルを演奏しました。加藤義明がフォークに造詣が深く、浅田哲もはしだのりひこの従弟でしたのでリラックスしたよい演奏でした。

赤い雲 from『山口冨士夫 Jump So High 1983~1986(2CD)』
https://www.youtube.com/watch?v=LlXBwsEWSJc
「ひまつぶし」の中のアコギ+ハーモニカによる名曲





 マリンバンドの最後の曲にドラムが入り、間髪を入れずに始まった「タンブリングダイス」の「ルート66」はバンドが一体となり素晴らしかった。ストーンズの1stアルバムのヴァージョンを思い出させます。
 
 Charは山口冨士夫に「ギターはサイドだ」と言われ、目の前で弾かれて圧倒されたとのことですが、ダイナマイツ時代から山口冨士夫がダブルサイドギターになったときのスピード感は素晴らしい。

Route 66 - The Rolling Stones
https://www.youtube.com/watch?v=Jc8_Qs_y-xs

 「酔いどれ天使」は途中からのリフが、1983年12月はゆっくりでしたが、今回は1.5倍位速いスピードのジャングルビートでした。
 「水たまり」は「ライブ村八分」と同じ感じのイントロでした。

 その後、新曲が3つ続き、「Jump So High」はアイズレ―ブラザースのような切れのいいファンク、続く「死ぬまでドライブ」は「どうせいつかは、くたばってしまうんだろう」という詞が印象的で、「いきなりサンシャイン」のリフは山口冨士夫の定番になりました。

 クロコダイルに行ったのはこの日が最初でした。
 この後、年内にもう一度クロコダイルに山口冨士夫のライブに行き、ジョー山中のライブ(レゲエ期)、ジョー山中の喉頭がん支援ライブにも行きました。

山口冨士夫 "Jump So High" from DVD'Tumblings Live'
https://www.youtube.com/watch?v=rXxHsvTfSs8
凄いファンク


★「シティロード」1984年8月号

1984年8月号「渋谷エリア」のページ。
クロコダイルと屋根裏に「タンブリングダイス」出演の告知。懐かしいバンドも。
渋谷ジャンジャンは、寺山修司特集「蘭妖子コンサート(JAシーザー演奏)」2日間+
天井桟敷幻想映画2日間
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8月4日 クロコダイル 「タンブリングダイス(山口冨士夫グループ)」
8月11日 屋根裏 「タンブリングダイス(山口冨士夫バンド)」
8月13日 鹿鳴館 裸のラリーズ

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 「シティロード」8月号では、プリンスの「パープルレイン」、最初期のHiphop映画「ビートストリート」のサントラ盤の広告に、Michael Jacksonに続く黒人のスターの登場を予感させます。山口冨士夫がHiphopをどう思っていたのかも気になります。

Prince - Let's Go Crazy
https://www.youtube.com/watch?v=aXJhDltzYVQ
ジミヘンをヒーローとするプリンス。山口冨士夫もジミヘンをコピーしていたというが、ライブでは聞いたことがない。

 また、8月号のロングインタビューはピーター・バラカン。彼はイギリスのレコード店でアルバイトをしてブリティッシュロック、ブルース、ソウルに知識がある人です。「どこかに日本的なものがないと、日本のロックが海外に出るのは難しい」とも言っています。

 ピーターバラカンが、村八分の「ひらがなロック」や山口冨士夫から英米にインスパイアされた以上の日本的なものを感じるかも知りたいところです。イギリスの若いミュージシャンがダイナマイツの「トンネル天国」に興奮したと雑誌で読んだことがありました。

 貸しビデオ、DVD、Youtubeなどがない時代は「シティロード」や「ぴあ」を頼りに。「京橋フィルムセンター」など小さな映画館やホールを探して名画やロックフィルムを見ました。ジミヘン、ドアーズ、ジャニス、ストーンズの動く映像は衝撃でした。

Jimi Hendrix Wild Thing モンタレー
https://www.youtube.com/watch?v=_-7toYWFEyk
ギターに火をつけるシーンは本当に驚いた。1:57の女性の目が物語っている。

 1984年の新譜は、プリンスが世界初の映画と音楽の同時戦略でインパクトがありました。旧譜は、再発された1973年のAlphataurusがベトナム戦争のジャケと深い内容で、翌年1月に再発された1973年の「ライブ村八分」同様に印象に残っています。

Alphataurus / Croma
https://www.youtube.com/watch?v=Wj6Mos_K_uU






 次回は、特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第5回目です。
 1984年後半の9月号以後の山口冨士夫の出演を辿ってみます。


2018年03月28日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」B 1984年前半(1月号〜6月号)

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「山口冨士夫のタンブリング・ダウン全開!!」 「シティロード」1984年5月号より
1982年末にウェイターをした美輪明宏の本拠地だった「銀巴里」に高野圭吾など懐かしい歌手が並んでいる


今日の1曲
  山口冨士夫 / 水たまり
 山口冨士夫 / No song
 山口冨士夫 / ひとつ
 村八分 / 水たまり
 アンドレ・ナヴァラ / バッハ無伴奏チェロ 第1曲
 レオ・フェレ / 時の流れに


 特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第3回目は、前回の1983年後半に続いて、1984年前半です。1月号から6月号まで山口冨士夫の出演を当時を振り返りながら辿ってみます。


★「シティロード」1984年1月号

第10回1983-1984ニューイヤーロックフェスに出演した山口冨士夫
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なお、山口冨士夫の漢字表記について、「シティロード」1983年11月号までは、昔のMusic Life、1973年のLP「ライブ村八分」、1983年4月のフライヤーなども「富士夫」となっていた。しかし、この1984年1月号以降は「冨士夫」の表記になっている。


 ・1984年1月1日 「山口冨士夫」 西武PARCO劇場 
       第10回 1983-1984 ニューイヤーロックフェスティバル 
     「山口冨士夫」としてPart5(1984年元日のam3:20~6:35)に出演。
     
 この年は、ニューイヤーロックフェスの最盛期の一つと思います。12月31日のpm0:30から1月1日のpm1:40まで、7つのpartに約50バンドが出演。日本の各ジャンルのトップクラスのバンドが出演しており、内田裕也の力を感じさせます。

 まだ、山口冨士夫がRide Onだけで、メジャーでレコードを出していない時期でした。
 しかし、テレビでは内田裕也もロックレジェンドの復活を祝し、尊敬を込めて「山口冨士夫!」と紹介したのを覚えています。

山口冨士夫 NOSONG ニューイヤーロックフェス
https://www.youtube.com/watch?v=pd8xMpDI_XU
貴重なテレビ出演映像。

「ライドオン!」は4曲全部いい曲で違うリズムでした。NoSongのギターカッティングからサビの歌に入るところもかっこよかった。「なにかひとつ」という詞は「ひまつぶし」の名曲「ひとつ」の「だけどひとつだけ言える」に繋がっているように思えました。

「レコードを作るにも曲がないから”No Song”にした」、「十分な録音時間がない。だったらこんなのは”ひまつぶし”だ」と言って作った曲やLPレコードが名盤になっているのだから凄い才能の人です。


「ライド・オン!」 内田裕也も聞いたのだろうか



 ・1984年1月21日 クロコダイル「山口冨士夫」共演NAM


 「シティロード」1984年1月号では、マルコム・マクラレン初来日のインタビューが素晴らしい。今までSex Pistolsなどのファッションやイメージ戦略の達人のように思っていたが、真面目な人間で、熱狂的なR&R通だった。

 マルコム・マクラレンの一言、一言が鋭い。「ビートは万国共通のものだ」という信念を持つマルコム・マクラレンに村八分や山口冨士夫の「ひまつぶし」を聞かせたらどんな感想を持っただろうか。


マルコム・マクラレンにも聴いてほしい「からかわないで」



 
★「シティロード」1984年2月号

 ・1984年2月17日 クロコダイル 「山口冨士夫」


 「シティロード」1984年2月号では、長谷川和彦監督のインタビューがトップ記事で強烈な印象です。沢田研二主演の「太陽を盗んだ男」で反核団体に抗議されたとき、自分の被爆手帖を見せて説得したと別の記事で読みました。

 バブル崩壊前の1984年の日本では、映画、音楽とも興行的に成功し「シティロード」も活況を呈していました。しかし、「みんなほら、表面ばかり舐めてきただろ。もっと深くいこうぜ!」とライブで言っていた「山口冨士夫」だけが真実を語っている気がしました。


☆「シティロード」1984年3月号
               → 山口冨士夫出演告知なし

 「シティロード」1984年3月号では、ライブ告知はなし。しかし、年に1回行っていた「読者選出ベストテン」が発表され、なんと山口冨士夫が、ユーミン、サザン、松田聖子など歌手、バンドが居並ぶ中で「いきいきミュージシャン」部門で23位に選出されました。


山口冨士夫「いきいきミュージシャン」で23位選出(2回クリックすると写真拡大します)
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 また、「ベストアルバム(国内盤)」部門では、山口冨士夫の4曲入り20cmLP「ライド・オン!」が25位に選出。これも「シティロード」の山口冨士夫プロジェクトの成功であり、ファンとしても非常に嬉しい結果です。

 なお2月号の「シティロード」に「読者選出ベストテン」投票専用のはがきが付いていました。各部門ごとに合計10点を最低3位まで自由に割り振って投票できたので、パンタ、サンハウスなど熱いファンがいるバンドは「シティロード」では上位可能でした。

 このころ、村八分の曲では、「んっ」と「水たまり」だけを演奏していたようです。JamesBrownファンク系の「んっ」と、チャー坊の詞が純粋で美しい「水たまり」は、山口冨士夫のお気に入りだったのでしょう。「水たまり」は、チャー坊が亡き子供のために作った詞と最近知りました。





山口冨士夫 水たまり @京都大学西部講堂
https://www.youtube.com/watch?v=xKgl4cCAv9c
2010年頃? ライブ映像。語るようなギターソロが素晴らしい。


1983年~1986年の山口冨士夫のライブ「水たまり」収録



「ベストアルバム(国内盤)」部門では、山口冨士夫「ライド・オン!」が25位
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☆「シティロード」1984年4月号
          → 山口冨士夫出演告知なし


 4月3日に東京文化会館小ホールのアンドレ・ナヴァラのチェロの独奏会に行きました。バッハの無伴奏チェロの第1曲が名曲です。最前列で見ましたが、山口冨士夫のように職人肌の孤高の演奏家という印象を受けました。

アンドレ・ナヴァラAndré Navarra "Suite No 1 BWV 1007" J.S.Bach
https://www.youtube.com/watch?v=KXEPv-jMya8


★「シティロード」1984年5月号

   
 ・5月11日 屋根裏「タンブリングダウン」(山口冨士夫G 青木真一G 青木正行B 小林秀弥Dr)
 ・5月26日 クロコダイル「タンブリングダウン」(山口冨士夫グループ)」


 1984年5月号では、Indexの「や」行に山口冨士夫がみつかりませんでした。
 しかし、125ページの欄外に大きく写真入りで特集記事が! 
 山下洋輔と並んで。

 「タンブリング・ダウン全開!! 山口冨士夫グループのバンド名が決定した。その名もタンブリングダウン。ダイナマイツ時代からの生き残りは現役バリバリ全開中!!」
 ここでも「シティロード」の山口冨士夫への支援が熱い!

 「タンブリング・ダウン全開!!」の記事の下に1982年末に3か月ほどバイトをした「銀巴里」の告知があります。私の好きだったシャンソン歌手の歌には心があり、チャー坊の「水たまり」や山口冨士夫の「おさらば」に通じるものがありました。

 山口冨士夫のライブを1983年4月に初めて見て感動して追っかけになったのも、シャンソンからの影響があったのかもしれません。シャンソンは、エディット・ピアフ、バルバラ、美輪明宏など、重い境遇の人が多いです。

レオ・フェレ Léo ferré - 時の流れに Avec le temps
https://www.youtube.com/watch?v=aiXcUTTLud4

バルバラ Barbara - 黒い鷲 L'Aigle Noir
https://www.youtube.com/watch?v=2s-JYoGh6Mg

 「タンブリングダウン」のとき、残念ながら私はライブを見ませんでしたが、2回ほどギターの青木真一が欠席したライブがあったとのこと。このときはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのようなサウンドだったそうです。

山口冨士夫 "酔いどれ天使" from Tumbling Down "Vintage Vault vol.4"
https://www.youtube.com/watch?v=D-4JpZwhIG4


「タンブリングダウン」青木真一を欠いた 3人編成のときのレアなライブ



☆「シティロード」1984年6月号
             → 山口冨士夫出演告知なし


 次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」の第4回目。
 今回の1984年前半に続いて、1984年後半、7月号から12月号までです。


村八分「水たまり」収録 チャー坊の歌も山口冨士夫の咽ぶようなギターも最高だ。




2018年03月25日

桜満開 〜 父の3回忌

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今日の1曲
 ミッチミラー合唱団 Mitch Miller / みんなで歌おう Sing Along
 ブラザーズ・フォア / 花はどこへ行ったの


  今日は父の3回忌がありました。4日前は雪で驚きましたが、幸運にも晴天で、お寺、墓地の周辺が桜満開で絶好の花見日和でした。2年前は父の死後体調を崩して真夏でもコートを着るような状態になりましたが、だいぶ回復しました。

 今日は合唱が好きだった父にちなんだ曲を選んでみました。
 古くて懐かしいメロディーですが、一緒に歌って合唱すると、心が澄んだ生まれ変わったような気持ちになれました。

ミッチミラー合唱団 Mitch Miller / みんなで歌おう Sing Along
https://www.youtube.com/watch?v=GibL8BEQ-fY





ブラザーズ・フォアBrothers Four
/ 花はどこへ行ったのWhere Have All The Flowers Gone
https://www.youtube.com/watch?v=Lt69wGAt7h0




posted by カンカン at 18:37| 神奈川 | Comment(0) | アメリカンポップス American Rock & Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月21日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」A 1983年後半(7月号〜12月号)

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山口冨士夫ライブの告知が掲載された情報誌「シティーロード」1983年1月号〜1984年3月号


今日の1曲
 The Beatles(White Album)- Dear Prudence 1968
 POPOL VUH Aguirre pt I 1972
 山口冨士夫 / 酔いどれ天使 1983
 裸のラリーズ(with山口冨士夫) / 造花の原野 1980
  I Can't Stay Long - Ultravox! 1977 /Humania
/John Foxx 1983
沢田研二/ストリッパー ドラム:上原裕=元村八分


 前回に続いて、1983年の情報誌「シティロード」で山口冨士夫の出演告知を探しながら、当時の思い出を振り返ってみました。
 今回は、1983年後半の7月号から12月号までです。


★「シティロード」1983年7月号

 ・7月9日 クロコダイル pm8:00「山口冨士夫」として告知。
 ・7月9日〜10日 法政大学ホール All night in Gakkan 山口冨士夫バンド
       (共演)近藤等則、じゃがたら、山岸潤史、Fools etc 
        → クロコダイルのライブの後に出演。凄いスケジュールだ。
 ・7月16日 クロコダイル Cry for love & peaceという15-16日のイベント
       16日のヘッドライナーとして、「山口冨士夫」が出演
         15日には、元The M、ゴダイゴの浅野孝己が出演
    

 「シティロード」7月号のインタビューは山下達郎。彼はGSにも造詣が深く、シュガーベイブの1975年のドラマーは元村八分の上原ユカリでした。山下達郎がダイナマイツ時代から、山口冨士夫の復活をどう思い、今もどう評価しているのか興味深いです。

 また、7月5日に中野サンプラザで来日ライブを見たPILのジョン・ライドンに原宿の竹下通りで会いました。「シティロード」7月号の裏表紙にサインをもらいました。CharがSex Pistolsを初めて聞いたとき「これって村八分じゃん」と言ったという話があります。

 PILは、アンコールで、ジョン・ライドンが、はっぴのようなものを着てAnarchy in the UKを演奏したことだけ覚えています。村八分の1972年のチャー坊+山口冨士夫の映像は、Sex Pistolsの1977年のジョニーロットンに匹敵するインパクトがあります。

 映画では、7月に、Popol Vuhが映画音楽を担当したヘルツォーク監督の「アギーレ神の怒り」「フィッツカラルド」が2つ公開されています。裸のラリーズが、この年の12月のライブの開始前にPopol Vuhの「アギーレ」を流していました。

POPOL VUH "Aguirre pt I, II, III"
https://www.youtube.com/watch?v=zdeIN3sYcfk





★「シティロード」1983年8月号

 ・8月27日クロコダイル 「山口冨士夫」として告知。

 映画では「フラッシュダンス」が大ヒットして話題になっていました。1年前の1982年の夏に六本木のディスコに週2-3回通っていたのですが、もうディスコに戻る意欲はなく、「山口冨士夫」が私にとって人生の灯台のようになっていました。 


☆「シティロード」1983年9月号
               → 山口冨士夫の記載なし

 このころは、10月に千葉でライブがあったように、東京だけにとどまらず、日本中を精力的にライブ活動で回っていたようです。


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★「シティロード」1983年10月号
 
 ・10月1日 クロコダイル 「山口冨士夫」と告知。共演Boogie Baby
 ・10月9日 千葉ダンシングマザーズ 「山口冨士夫グループ」と告知。

 ・10月10日 裸のラリーズ 鹿鳴館

 手元に裸のラリーズのフライヤーがあるのでおそらく、この日が最初に裸のラリーズを見た日のようです。しかし、鹿鳴館で裸のラリーズを見たのは1984年の10月17日だと記憶しています。やはりこの年の12月24日の法政大学ホールでの裸のラリーズのライブがあまりに凄かったため、それが最初の裸のラリーズ体験だと思えています。
 
 「シティロード」10月号のインタビューは、沢田研二が映画「ときめきに死す」に絞って話しています。沢田研二が山口冨士夫をどう評価していたのかも興味のある所です。GS時代にタイガースとダイナマイツは会っているでしょうし、山口冨士夫は、加橋かつみとセッションをして「フジオちゃーん」と言われたと「クイックジャパン」連載にあります。


Music Life 1971年6月号 
フラワートラベリンバンドSatoriの新譜紹介と山口冨士夫のインタビュー
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 また、1971年3月20日に村八分は沢田研二のPYGと京大西部講堂で共演しています。1971年6月号のMusic Lifeのインタビュー「人間訪問」で、山口冨士夫は「世界で一番すごいのは、ストーンズと村八分だ」と述べています。

 さらに、山口冨士夫はMusic Lifeのインタビューで、好きな日本のバンドとしてPYGをあげ「ちゃんとあれだけの客をのせて、音楽的にもいいと思う」とも述べています。西部講堂でPYGは酷いヤジを受けましたが、山口冨士夫はPYGを認めていたのです。

 沢田研二の1983年のExoticsのドラムは、村八分の2代目ドラマー、山下達郎のシュガーベイブを経た上原”ユカリ”裕でした。日本のロック黎明期に関わった上原裕はExotics解散の後、しばらく活動を停止します。

沢田研二/ストリッパー ドラム:上原裕=元村八分
https://www.youtube.com/watch?v=kTljhurK_z8



★「シティロード」1983年11月号

 ・11月4日 横浜Shel Garden 「山口冨士夫(旧村八分)」として告知。
    チャージは1800円で一番高いランク。
    このころ、元パワーハウスのChiboの活動も活発で「シティロード」に頻出。

 11月7日か8日にJohn Foxxを中野サンプラザで見る。ダンスアルバム「Garden」は山口冨士夫の「ひまつぶし」のように良曲ばかりの素晴らしいLPだったが、Golden Sectionは精彩を欠いた。UltravoxのI can’t stay longが聞けたのはよかった。

I Can't Stay Long - Ultravox! 1977 /Humania /John Foxx 1983
https://www.youtube.com/watch?v=OpmNo78xMts


 11月12日に慶應日吉で沢田研二が初めて大学の学園祭に出演しています。また、前年1982年10月に日吉で裸のラリーズのライブがありました。裸のラリーズは、頭脳警察がはっぴいえんどの時間枠をジャックした1971年の慶應三田祭に出演しました。


1983年当時のミニコミ誌での山口冨士夫の記事
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ライブを見た人でも「よかった」「あれは化石だ」という意見があるとのこと。
山口冨士夫「村八分のことは、あの2枚組のLPに全部入っている。ただ、聴くだけでなくてシノギを削ってほしいよ」「バレーボールの選手はストーンズのように続けられないだろ。でも俺たちはまだできるんだよ。やる気だけ。それが絶対条件」


★「シティロード」1983年12月号
  (※12月号はみつからなかったため、他にもライブがあった可能性があります)

 ・12月23日 山口冨士夫 法政大学ホール
 ・12月24日 裸のラリーズ 法政大学ホール

 満を期して、山口冨士夫が登場。
 しかも、クリスマスの23、24日に裸のラリーズと名前が並んでいた。なぜ、山口冨士夫と裸のラリーズが並んでいるのか?という時点で興味深々だった。

・1983年12月23日 山口冨士夫 法政大学ホール
          
 今までの人生で一番感動したライブの一つ。
 ビートルズの「Dear Prudence」のイントロが聞こえたとき、本当に時間が止まって体が動かなくなるような感動があった。数あるビートルズの曲の中で、4人がなぜ「Dear Prudence」を頭にもってきたのか。地味な曲の一つでありながら、実に心に深く響いてくる。演奏しているのは、村八分と外道とトゥーマッチの元メンバーなのだ。本当にすごいバンドに巡り会えてよかったと思った。
 ホールは、音の広がりが素晴らしく、ステージの下からみる山口冨士夫バンドは躍動感に溢れていた。屋根裏のアットホームな感じもよかったが、ここでは神々しく見えた。
 「酔いどれ天使」が途中でリフになるところで、ゆったりしたスピードにアレンジしていた。村八分の「んっ」もやったと思う。Twist and shoutにぶっ飛ばされた記憶がある。
 
 今日はなんと雪が積もり、最近再び体調が苦しくなりがちなのだが、今も山口冨士夫のCDを聞きながらこれを書いていて、あのクリスマスのときのライブのことを思い出すと勇気づけられる。


The Beatles(White Album)- Dear Prudence
https://www.youtube.com/watch?v=AZDw0uu6UO0





・1983年12月24日(土)裸のラリーズ 法政大学ホール

 今までの人生で一番衝撃を受けたライブの一つ。
 まず、開演時間になってもライブが始まらず1時間ぐらい待ったと思う。その間に1960年代前後のジャズが流れていた。当時コルトレーンなどのジャズにも興味を持ち始めていたので、待たされている感じがしなかった。
 なにより驚いたのは、山口冨士夫が自分より2〜3席前の方に座っていて「水谷君が、、、」と話している声が聞こえたことだった。「ブルース系ロックの山口冨士夫と裸のラリーズがなぜ関係があるのか!?」ライブへの期待も膨らんだ。
 SEが最後の方でPopol VuhのAguirreになり、音が途絶えるとついに轟音のギターが始まった。2時間ぐらい続いたが圧倒された。3日間ぐらいは耳鳴りがした。  
 その日以後、山口冨士夫と裸のラリーズの関係については、「So What」の本が出るまで謎で神秘的であり、両者への関心も相乗効果で大きくなった。


Les Rallizes Denudes (with Fujio Yamaguchi) "Field Of Artificial Flowers"造花の原野 1980年
https://www.youtube.com/watch?v=HOUqOAL-utM





 こうして1983年は終わりました。山口冨士夫と裸のラリーズの1年でした。
 インターネットのない時代に「シティロード」には本当に助けられました。
 関係者の方にはお礼を申し上げたいです。

 次回は、1984年の山口冨士夫と「シティロード」です。
 
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2018年03月17日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」@ 1983年前半(1月号〜6月号)

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1983年の山口冨士夫と裸のラリーズのフライヤー


今日の1曲
 山口冨士夫 / からかわないで
 山口冨士夫 / Rock me
 Museo Rosenbach - Zarathustra (1973)


山口冨士夫 wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%86%A8%E5%A3%AB%E5%A4%AB
山口冨士夫は日本の伝説的ロックギタリスト。
2013年に死去の際には、朝日、毎日(写真付き)、読売等多くの新聞でも報じられた。


 最近、山口冨士夫の遺稿・追悼文集「天国のひまつぶし」を読んで、いろいろな世代の人たちの冨士夫さんに対する思いや、伝説の村八分の存在感を知り、感銘を受けました。また、冨士夫さんのライブ映像に自分が写っているのを発見して感激しました。

 そこで、昔の情報誌「シティロード」を見ながら、冨士夫さんの出演情報を探して、当時のことを回想することにしました。
 今回は、1983年の1月号から6月号までです。


村八分体験、冨士夫体験を聞かせてもらっているような「天国のひまつぶし」



 「シティロード」はインターネットのない時代に「ぴあ」と並ぶ東京の重要な情報誌で、私は1977年から「ぴあ」を、1980年から「シティロード」を購読。主に映画・演劇・絵画を探していましたが、1983年1月号で山口冨士夫を知ったことが大きな転機になりました。

 それまで私は日本のロックに関心がなく、1982年のタイガース再結成と加橋かつみライブに行った程度。1982年暮れに美輪明宏の銀巴里でバイトをして美輪さんの人間的な素晴らしさを知り、歌手を何十人も見ましたが、ロックのライブハウスは未経験でした。


★「シティロード」1983年1月号

 ・1983年1月1日 クロコダイル「新春おめでたデビュー フジオ復活!」KIZU(傷)
    山口冨士夫g.(元村八分)大木啓造vo(元スマイラー)ゲストFools Banzai

「1982年大晦日 サンハウス再結成か」と「1983年元日 山口冨士夫復活“傷”」
ライブ告知。後の山口冨士夫と鮎川誠の共演を予感させる。
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 「シティロード」1983年1月号の「ライブハウス・ニュース」の欄に異様な迫力のある写真(サンハウス)と「サンハウス再結成か」「ギターは当然あの人(鮎川誠のこと)が入り」という記事が目に留まりました。
 
 続いて「あの伝説のグループ村八分の山口冨士夫が元旦にKIZU(傷)を結成し復活ライブ」「村八分LP復刻企画中」いう記事が。「あの」という代名詞が2回も続き、えとせとらレコードで見た高額な「村八分」のLP復刻は、インパクトがありました。

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 この「シティロード」1月号が、山口冨士夫、村八分、サンハウス、ダイナマイツ(大木啓造)、裸のラリーズなどを知るきっかけになりました。


☆「シティロード」1983年2月号
☆「シティロード」1983年3月号
     → いずれも山口冨士夫のライブ告知はなし。


★「シティロード」1983年4月号


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ついにライブハウス情報に「あの山口冨士夫が本格的に始動」の記事が登場

 
 ・1983年4月26日 渋谷屋根裏「山口冨士夫」

 ついに「シティロード」1983年4月号で「山口冨士夫」のライブ告知を発見。初めて山口冨士夫のライブに行きました。ライブを見て、自分が探していたものがここにあったという感銘を受けました。偶然カセットに録音し、何度も繰り返してそれを聞きました。

「1960年代後半から1970年代の乗りで。だってほらみんな、表面ばっかり舐めてきただろ? もっと深くいこうぜ、いっちゃうぞ」  そして 新曲「Rock me」でスタート
「モナ」を大音量で聞いたおかげで、初めて黒人ブルースに興味を持ち、ローリングストーンズは1stアルバムが大好きになりました。
「もう死んじゃった奴だけど、おれが大好きだったマイク・ブルームフィールドをやるから」
「レゲエがやりてえんだ」

 山口冨士夫だけでなくバンド全員が実にマイペースで演奏しながら、音が全然ぶれず、余裕がある佇まい。特に「からかわないで」という曲がよかった。
 それから、山口冨士夫のいわゆる追っかけになっていました。

 手元にある「Ride On発売」ライブツアーのときのフライヤーは、屋根裏でもらったものだと思います。この時点では「山口冨士夫」とだけ記載され、メンバーも紹介されていました。4月は多くのライブハウスを回っています。

 ・1983年4月9日 クロコダイル (スタート)
 ・4月18日 新宿ロフト case of telegraph vol.6 山口冨士夫 ゲスト オートモッド
 ・4月24日 福生UZU 8:30PM開演 (フライヤーのみ。「シティロード」には告知なし)
 ・4月26日 渋谷屋根裏 山口冨士夫
 ・4月30日 横浜シェルガーデン 山口冨士夫(元村八分)

 ライブで「俺、今度レコード出したんだよな。買っても買わなくてもいいけど」と言っていた8インチの4曲入りレコードを五番街で買いました。
 インディーズを買ったのもこれが初めて。

 4曲ともいい曲で、特に「Rock Me」と「酔いどれ天使」(リフはJames BrownのI feel goodか)がいずれも乗りがよく、4月26日の屋根裏でも素晴らしかった。「日本でこんなオリジナル曲を作れるバンドがあるのか!」という驚きで、さらにハマりました。
 

最初に買った20cm4曲入りレコードと同じデザインのCD



★「シティロード」1983年5月号


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5月号は、山口冨士夫のお祭り状態。「ライブハウスロッカーズ53」として山口冨士夫の写真入り記事を掲載。「過剰な期待をしないほうが “聴こえてくるのでは” 」というライターの言葉は的を得ていると思います。

  ・1983年5月4日、5日 新宿ロフト
   「酔いどれ天使たちへ、、、」山口冨士夫Liveパーティ、大物ゲスト続々登場 と告知。

 2日も連続で、その月の「シティロード」のライブハウス情報の中でも、多く字数をとった最もインパクトのある告知のひとつです。


山口冨士夫 Tumblings Live trailer
https://www.youtube.com/watch?v=SHDqto3pjRc
初めて山口冨士夫を見た1983年ごろの屋根裏を思い出す。「んっ」など。


1983年5月5日ロフトでの映像を収録



 ・1983年5月10日 原宿ルイード「山口冨士夫」 安全地帯が対バン!

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 そして、5月10日には、JPOPの殿堂だったルイードで、なんと安全地帯(あんぜんバンドではない)と共演!? 安全地帯もこの年末に「ワインレッドの心」でブレイクするまではたいへんな苦労があったようです。

 ・1983年5月14日 クロコダイル「山口冨士夫」

 ・1983年5月22日 法政大学ホール「山口冨士夫コンサート」14時30分 
          ゲストFools 妹尾隆一郎 500円


 赤ペンで大きく「5月22日 山口冨士夫」と書かれたページがあります。
 ところが、この日のライブの記憶があまりありません。たぶん行ったと思うのですが。。。おそらく、この年の12月23日の同じ法政大学ホールでのライブがあまりに素晴らしかったので、印象が薄いのではないかと思います。

 ・1983年5月28日 屋根裏「山口冨士夫」

 このころの「シティロード」を見直すと、伝説の「村八分」を見たロック世代の人たちが一丸となって、何としてでも山口冨士夫復活を盛り上げようとしていたのがわかりました。

 また、このころ神保町のジャニスで山口冨士夫の「ひまつぶし」を借り、ビートルズの「ラバーソウル」に匹敵するような良い曲がそろっていて驚きました。「ひまつぶし」は私にとって「良い」レコードの代名詞になりました。





  他のメンバーも「外道」「トゥーマッチ」など、日本の伝説のバンドの元メンバーだということもわかりました。本物を目指している人たちだというのが改めて伝わってきました。「シティロード」の出る25日がいつも待ち遠しく楽しみになりました。


★「シティロード」1983年6月号

 ・1983年6月4日福生UZU 「山口冨士夫」の告知(チャージ700円)

 話がそれますが、この6月25日にTangerine Dreamが初来日しているのですが、当時は興味がなく行きませんでした。ELPなど1970年代前半に魅力的だったバンドはほとんど商業的なバンドになり、1982年以降のKing Crimsonもわかりませんでした。
 
 それだけに、1960年代後半から1970年代前半にこだわる山口冨士夫に魅力と希望を感じていたのだと思います。この1983年に日本で世界で最初に再発されたイタリアのバンドMuseo Rosenbachも、村八分と同じく1973年の傑作でした。


Museo Rosenbach - Zarathustra (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=hqZZwrc-BNM&t=5s
「ライブ村八分」と同格のインパクトを受けた「ムセオ・ローゼンバッハ」
2:35〜、ラスト2分が強烈


 次回は、1983年後半の山口冨士夫と「シティロード」7月号〜12月号です。


タンブリングス結成の経緯も書かれている本


1月号
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5月号
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2018年03月11日

再発見・NHK「みんなのうた」隠れた名曲 君のいる惑星(ほし)

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今日の1曲
 西田ひかる Hikaru Nishida / 君のいる惑星(ほし)


 30年ぐらい前に偶然ラジオで録音した西田ひかるのいい曲がありました。メロディー、シンセサイザーが当時のイタリアンポップスのようでした。ドラムも弾む感じで、やや不安定な感じの歌が逆に宇宙に浮遊するようで癒され、なんども繰り返し聴いていました。

 曲名が長年疑問でしたが、最近やっと判明。NHK「みんなのうた」の曲で、シングルLittle ChanceのB面だったためわからなかった。作詞は売野雅勇、作曲は林哲司、編曲は新川博と、ビートルズの影響を受けた作家たち。特に林哲司は好きです。

西田ひかる Hikaru Nishida / 君のいる惑星(ほし)1988年
https://www.youtube.com/watch?v=wc2cwx8_Mw4
途中で転調したり難しい歌だが、頑張っているところが初々しい。





 スネアの音は伝説のドラマー青山純だろうか、山下達郎サウンドを軽くしたようでとても気持ちいい。ギターソロも名演。まさに「惑星」。隠れた名曲だと思います。「日本の編曲家」という本でJPOPが輝いていた時代のアレンジのことが詳しく解明されています。





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posted by カンカン at 10:23| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日本のポップスとロック Japanese music & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月08日

再びダンスができる喜び James Brown OUT OF SIGHT

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Smashから出たOut of sightの再発盤LPとシングル盤


今日の1曲
 James Brown "Out of Sight" 1964年ライブ
 James Brown "Out of Sight" 1963年オリジナル


 痔の手術が成功しました。これで再びダンスができます。22年前の手術では3週間も入院しました。今回も不安でしたが、結索手術で1日で終わり、22年前に入院中に一緒に生活した「痔主会」の人たちのことなども思い出して久々に涙が出ました。
 再びダンスができるようになって感謝しています。

 1982年に初めて全くの自己流で踊って周りから騒がれました。自分が世界で一番速くステップを踏んでいると思っていました。2〜3か月で限界を感じ、2年以上ディスコに行かなくなりました。

James Brown "Out of Sight" on the TAMI Show
https://www.youtube.com/watch?v=zieXmNwHGYA
TAMIショーの高速ステップ ♩=150

 1985年にJames Brown のOut of SightをTAMI Showのビデオで初めて見る。
 1988年ごろTAMI ShowのJBのダンスの奥深さや様々なステップに気づき、コマ送りにして必死に真似。ステップやターンができると生きている充実感がありました。



 1996年に1回目の手術で痔が治った後、私はEXILEが練習していた場所の反対側でトレーニングをしていました。昨日、久々にその場所で、今回は初めて足のステップの表を作って練習しました。 

 おそらく10代なら10回で覚えるステップも、自分の年齢では100回練習しても、忘れたり、ミスします。それでも、少しでも前に進めると生きている充実感があるのです。これもJames Brownのビデオに出会ったおかげです。

 JBのOut of Sightは、世界初のFunk Musicと言われています。すべての楽器が打楽器の役割を果たし、微妙なリズムのずれによる空白が無限のグルーブ感を作ります。1963年のオリジナルシングルから1964年のTAMI Showの間でも進化をしています。

James Brown - Out of Sight 1963年
https://www.youtube.com/watch?v=3RC6rvwlDeU
こちらは、レコードのまだ遅いテンポのヴァージョン。♩=126



 


ダンスの神様&パパイヤ鈴木 
https://www.youtube.com/watch?v=sEOKPu0_BgA&t=280s
2003年当時、日本で一番上手いストリートダンサーによる素晴らしいダンス。





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2018年03月01日

3月の庭ふたたび Mina canta Lucio

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今年は寒さのため遅れ咲きの梅


今日の1曲
  ルチオ・バティスティLucio Battisti
/ 3月の庭 I giardini di marzo 1972年
  ミーナ MINA / I giardini di marzo 1976年


 3月に入り、いよいよ暖かくなってきました。
 今日は5月上旬の陽気
 とはいえ、寒暖差が10度もあり油断できません。


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 1972年4月発売のシングルLucio Battisti / 3月の庭I giardini di marzoはイタリアで6週間1位。ジャケットの Lucio Battistiの目がベトナム戦争で先の見えない状況を語っています。彼は、つぶやくような内省的な歌い方をします。


Lucio Battisti - 3月の庭I giardini di marzo (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=tID5AHSmto8


3月の庭 I giardini di marzo 歌詞
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1972年のイタリアLPチャートは音楽史上最も充実した期間の一つ
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 次はミーナがベトナム戦争が終わった1975年に発表したLucio Battisti の作品集Mina canta Lucioから 3月の庭 I giardini di marzo。ミーナの最初の個人アーティストのカバー集であり、最高傑作の一枚。ダイナミックなアレンジで堂々と歌います。


MINA / I giardini di marzo
https://www.youtube.com/watch?v=PZsAFjgbwSY






2018年02月25日

平昌オリンピック 〜 鉄道シリーズA 特急宗谷 VS 特急すずらん

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今日の1曲
 トワエモア 虹と雪のバラード
 特急宗谷 VS 特急すずらん


 平昌オリンピックも無事に終わりそうです。年をとると、選手がけがをしたり、若い選手が過大なプレッシャーを抱えている姿を見て心配の方が大きくなります。オリンピックに出る程の選手は、心配するほど精神的にも肉体的にもは弱くないと思うのですが。

 まずソチで本番で力を出せなかった(風向きのためだったと知りました)高梨沙羅選手が銅メダルを取ったのでほっとしました。羽生結弦選手が昨年の練習中の足を挫く転倒シーンはショックで、羽生選手のテレビはしばらく見れませんでした。

 オリンピック会場の練習での回復を見て驚き、金メダルは感動しました。2か月間スケートの練習ができなくても、他の練習をしていたということに感銘を受けました。自分も体調が悪くても前向きにストレッチや深呼吸をして頑張ろうという勇気をもらいました。

 今回の鉄道シリーズは、JRの特急同士の対決。
 同タイムで金メダルというところでしょうか。
 オリンピックでも、どちらも金メダルにしてあげたいという場面があります。

並走バトル  特急宗谷 VS 特急すずらん  ★最後の1分が感動的
https://www.youtube.com/watch?v=YvSuBYy3xB8
抜きつ抜かれつ、運転士さんたちの鉄道愛とショーマンシップが感じられる併走バトル


 今日の1曲は、1972年札幌オリンピックのテーマソング「虹と雪のバラード」です。
 トワエモワのボーカルや当時のストリングスのハーモニーの編曲は、改めてきくと素晴らしいと思います。


虹と雪のバラード トワエモア  NHKみんなのうた ヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=aXYG4gZ-Au8
途中で音声が途切れるがノスタルジックなよい映像

虹と雪のバラード【トワ・エ・モワ】1971年 レコードのヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=82f4G9hRgYM

98長野五輪スキージャンプ団体 感動の金メダル
https://www.youtube.com/watch?v=7rtuOyEypDo





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2018年02月08日

鉄道シリーズ@高速バトル James Brown vs 京急快特 vs 特急ビュー踊り子

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今日の1曲
 James Brown - There Was a Time(at Boston 1968)
 京浜急行快特(快速特急)
 JR特急スーパービュー踊り子


  先月、高速運転が評判の京浜急行の快特に初めて乗りました。ド迫力の激走で、途中で東海道線を怒涛の追い込みで抜き去りました。特に時速100キロから120キロへ運転手さんが加速するときの体感は強烈なダンスのアフタービートのようでした。


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幸運にも京急快特がJR2階建て東海道線を追い越す場面に遭遇


 京急快特に乗ってから、鉄道の映像にハマりました。
 そこで、今回は、James Brownのビートと京浜急行の快特、JR特急ビュー踊り子という “音楽vs鉄道” 異種格闘技のバトルを組んでみました。
 
 
@ まず、先手はJames Brown。
 有名な1968年アポロ劇場ライブよりThere Was A Time。
 2枚組LPの最大のハイライトで、最もビートが速いところ。
 ♩=114 の高速ビートです。左右のギターカッティングが鋭い。

James Brown - Let Yourself Go ~ There Was A Time (medley)
https://www.youtube.com/watch?v=2EmOUbRM13s
1:48からThere Was A Time  ♩=114  
 

では、JBと鉄道の異種格闘技を開始

A まず、京急快特 VS JR特急スーパービュー踊り子 バトル

京急線1500形快特 VS 特急スーパービュー踊り子251系
https://www.youtube.com/watch?v=7-gAJSekudw
京急快特のインパクトは、James Brownを上回りそうだ。。。





B 再び、James Brownの巻き返し
 1968年4月5日の「ボストンを救った夜」と呼ばれるライブ。
 前日4月4日のキング牧師暗殺でアメリカ中で暴動が起きた。ボストン市長とともにJames Brownのメッセージとライブをテレビ中継し、ボストンだけ暴動が起きなかった。
 異常事態の中でのThere Was a Timeは、ダブルドラムで ♩=134の超高速ビート。おそらくJBのすべての音源の中で最速。

James Brown - There Was a Time (at Boston 1968年4月5日)
https://www.youtube.com/watch?v=DqlIvjRzneg&t=530s
15:00からThere Was a Time  ♩=134 超高速ビート 人力で10分間!!


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C これに対して、京急快特がJBに切り札で再挑戦。
 遅延状態から回復するための高速運転。

京急の回復運転 快特(横浜→京急川崎)6分間
https://www.youtube.com/watch?v=c-HkjHDc-f8
ほとんど減速せず、時速120キロで走行。 2:10 一瞬で京浜東北線を抜く。


 人と電車ではちょっと無理な対決だったかもしれませんが、30年前にVHSビデオで初めてJames Brown の動く映像を見たときのような衝撃を鉄道から受けました。

 最後に、James Brown の最も画質の良い1968年3月のアポロ劇場のライブを。

James Brown Live at The Apollo 1968年3月
https://www.youtube.com/watch?v=rmewBzeWnOk
28:50から I got a feelingで高速ビートに


There Was a Time 超高速ビート収録。




2018年01月28日

追悼フランスギャル(2)ジャズる心・名曲集 RIP France Gall

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 昔、フランスギャルという名前だけで軽そうな先入観をもっていました。
 初めて「夢見るシャンソン人形」以外の曲を聴いたときは、その才能に驚きました。

 ロックンロールが出る前の1950年代はフランスの音楽が世界の最先端でしょう。反戦歌や社会的内容の歌は、ブレル、グレコなどが最初であり、ジャズを最初に認めたのもフランスで、マイルス・デイビス、モンクの名盤の10インチLPがフランスで制作されています。1963年にビートルズがフランスでコンサートをしたときも最初はシルヴィー・バルタンの前座扱いでした。

 フランスギャルは1963年に16才でデビューしましたが、父がジャズミュージシャンだったせいか、その音楽的センスには圧倒されます。舌足らずな(しかし音程は正確)歌とのギャップも際立っており、史上最強のアイドルと言えるのではないでしょうか。 

 フランスギャル追悼として、楽曲が美しい魅力的な歌で回想しました。


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今日の1曲
 〜  フランス・ギャルFrance Gall


France Gall –審判のテーマ J'entends cette Musique(1963)
https://www.youtube.com/watch?v=0cwsjWU2UKU
デビュー曲はいきなりアルビノーニのアダージョ。NiceやProgressive Rockを先取り。

France Gall - Pense à moi (1963)
https://www.youtube.com/watch?v=A3_yFhQM8kM&list=RDpDqkAkWLlbw&index=11
いよいよジャズ。かっこいい。1963年では世界最先端では。

FRANCE GALL JAZZ A GO GO (1964)
https://www.youtube.com/watch?v=nDMBnJN-tHA
https://www.youtube.com/watch?v=pDqkAkWLlbw
ジャズ・ア・ゴーゴー

France Gall - Christiansen (1964)
https://www.youtube.com/watch?v=H1eu9V6Q_RE
美しく転調、展開するポップス


France Gall - Sacré Charlemagne (1964)
https://www.youtube.com/watch?v=AH-a22xge-c
ディズニー風の楽しい歌。


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France Gall - Laisse tomber les filles (1964)
https://www.youtube.com/watch?v=FWRCJhsz5t4
https://www.youtube.com/watch?v=JVA670WKAQc&list=RDpDqkAkWLlbw&index=8
今度はロックンロール。分厚いビートに軽快な歌が乗る

France Gall - 1964 - Les rubans et la fleur
https://www.youtube.com/watch?v=Fcp7U3v9U-M
一転してフォーク、幻想的。

France Gall - 1964 - Ne dis pas aux copains
https://www.youtube.com/watch?v=I08TzNbBo6g
黒人ソウル、ドゥーワップ?グルーブ感溢れる





France Gall ジャズる心 Le coeur qui jazze - 1965 -
https://www.youtube.com/watch?v=9PuSULOqtFQ
スイングしまくるサウンドとフランスギャルのダンス。邦題が秀逸。解説にも「フランスギャルはジャズが好きです。積極的にジャズをレパートリーに入れました」とある。

France Gall - 1965 - N'écoute pas les idoles
https://www.youtube.com/watch?v=NyvbFSve_Fo
ビートルズのマネーのような勢いのあるビート

フランス・ギャルFrance Gall/涙のシャンソン日記 Attends ou Va T'En (1966年)
https://www.youtube.com/watch?v=qny_GYiFNeU
Serge Gainsbourgのマイナー調の佳曲。迫るものがある。

FRANCE GALL -Si l'on pouvait vraiment parler 1974
https://www.youtube.com/watch?v=j8Bg57qm8tM&index=21&list=RDpDqkAkWLlbw
1960年代から変貌。1970年代の叙情的な曲


来日時の写真
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posted by カンカン at 16:29| 神奈川 ☁| Comment(0) | シャンソン〜70年代フレンチポップス French Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月26日

追悼フランスギャル(1) 日本語曲特集 RIP France Gall chante en japonais



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一昨日の雪の中のフランスギャル France Gall was very popular in Japan in the 1960s. France Gall sang in Japanese


今日の1曲
  France Gall Poupée de cire, poupée de son[Version Japonaise]
  France Gall Un Prince Charmant [Version Japonaise]


 1960年代に日本でもたいへんな人気のあったフレンチポップスのフランスギャルが亡くなりました。外国では一番好きな歌手の一人でした。
 今回は彼女の初々しいい日本語バージョン特集です。RIP

France Gall Poupée de cire, poupée de son[Version Japonaise]
https://www.youtube.com/watch?v=OyevT4j34A4
フランスギャル 夢見るシャンソン人形(日本語)

ゲンズブールに日本語の「夢見るシャンソン人形」を披露するフランス・ギャル
https://www.youtube.com/watch?v=j2GUQCQ_Fis
France Gall sang “Poupée de cire, poupée de son” [in Jappanese] to Serge Gainsbourg 

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France Gall Un Prince Charmant [Version Japonaise]
https://www.youtube.com/watch?v=oZh7A3F1Qf0
フランスギャル すてきな王子様(日本語)



すてきな王子様のグリーンラベルの見本盤(B面はスパイダース)France Gall Un Prince Charmant [Version Japonaise] Promo only single Green Label
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posted by カンカン at 00:22| 神奈川 ☀| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月23日

LoopPool あっこゴリラ @ Earthgarden 代々木公園

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あっこゴリラ


今日の1曲
 LoopPool / 日常
 あっこゴリラ / Back to the jungle


 月曜日は記録的な大雪になりましたが、前日の日曜日は快晴でラッキー。
 代々木公園でEarthgardenというイベントのライブを見ました。

 最後だけ聴けた雲のすみかというユニットはアコギがリズミカルで、ちびっ子がステージの前で楽しそうに遊び回っていました。

 LoopPoolというバンドは、アコースティックな楽器を使って太いグルーブ感を出していました。青空の下で聴くととても爽やかでした。

 あッ子ゴリラは女性のラッパーで、明るく元気があってよかった。
 犬や猫なども一緒にイベントを楽しんでいました。


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雲のすみかとちびっ子


LOOP POOL 「日常」sofar sounds Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=4GnT6G94Fyg
Mike OldfieldとSoft Machineが合体してPopになったようなサウンド

LOOP POOL - April
https://www.youtube.com/watch?v=CV1IWMocn9g
ヒーリングミュージックの要素もある

LOOP POOL 渋谷ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=Cl1-p1s0WbM
元はストリート系





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あっこゴリラ「Back to the Jungle」
https://www.youtube.com/watch?v=pJy-9cK1gnQ
明るいHiphop





ハチ公バスの3連を初めて発見
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posted by カンカン at 21:14| 神奈川 ☀| Comment(0) | 日本のポップスとロック Japanese music & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月22日

JAZZライブ & 邦楽研究所 @洗足学園

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今日の1曲
 Simon & Garfunkelサイモン&ガーファンクルBridge Over Troubled Water
 Maria Bethânia - Anos Dourados
 八橋検校 雲の上
 藤井凡大 絲竹交響


  洗足学園でJAZZと琴などの邦楽を聴きました。JAZZではゲストの客員教授エリック宮城さんがアメリカの日系2世とのことでした。私の祖母の一人はハワイ生まれの日系2世で琴の教師をしていました。邦楽の受付の人になにかのご縁ですねと言われました。


 JAZZコースは相変わらず演奏レベルが高く、よくJAZZのライブなどでもプロフィールに洗足学園出身の人を見かけます。一昨年音楽スクールでギターを習った先生も洗足学園の出身でした。

Simon & Garfunkelサイモン&ガーファンクルBridge Over Troubled Water
『明日に架ける橋』和訳
https://www.youtube.com/watch?v=e3ETK3fACrU
JAZZライブではトランペットで演奏。「ベトナム戦争というNegativeな状況から生まれた、自分が洪水の海に架かる橋になるという内容の歌」


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Maria Bethânia - Anos Dourados | Tom Jobim e Chico Buarque
https://www.youtube.com/watch?v=ozPSIJNfIaI
ジョビンの美しい曲。ブラジルクラスで演奏





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 琴などの邦楽は、日本の音楽でありながら検索しても数が少なく、あまり伝承されていないことを改めて感じた。八橋検校作曲の筝曲「組曲」は演奏前の解説の時に、「古来のもので高尚でわかりずらいところがある」とのことだったが、久しぶりに聞く邦楽は懐かしさと共に新しさを感じた。また、宮城道雄以後の西洋のクラシックを和楽に取り入れた昭和10年生まれの藤井凡大の作品は、楽器の音は和風だがコード進行が西洋音楽で聴きなれたものであるため馴染みやすかった。


八橋検校 雲の上
https://www.youtube.com/watch?v=ZLhS3wtQSv8


藤井凡大 絲竹交響 第二番 第1楽章 
https://www.youtube.com/watch?v=0cWxQ8OUtrA




2018年01月20日

元気が出るロックフュージョン! 高中正義+西川のりお・ひょうきんベストテンライブ



今日の1曲
 高中正義 SHAKE IT 
 高中正義+西川のりお SHAKE IT


 昔から大好きな曲があり、マイアミサウンドマシーンと思い込んでいたのが高中正義の曲だと初めて知って驚きました。さらに、高中正義はその後マイアミサウンドマシーンと仕事をしていた。夜のヒットスタジオでのその高中正義のShake itの映像は実に切れまくっていてカッコいい。

高中正義 SHAKE IT 夜のヒットスタジオ
https://www.youtube.com/watch?v=LLzk3jAznds
元気が出るロックフュージョン。高中正義が「十戒」を提供した中森明菜と初対面。中森明菜も喜んで聞いている。

 さらに衝撃だったのは、あの伝説のビートたけし+さんま+紳助のテレビ番組「おれたちひょうきん族」のコーナー「ひょうきんベストテン」で、高中正義が西川のりおと共演していた。本当のプロのエンターテインメントをここに見た。
 「ひょうきんベストテン」のような明るい弾けた番組が復活してほしいです。


高中正義+西川のりお SHAKE IT ひょうきんベストテン中継+「ひょうきん懺悔室」
https://www.youtube.com/watch?v=16qPDxX3PuM
紳助が司会。高中正義のライブ会場に「ひょうきんベストテン」の看板である「西川のりお&ダンサーズ」が乱入。「ひょうきん懺悔室」も懐かしい名場面だ。西川のりおは、お笑いタレントの中でも絶大な存在感があった





posted by カンカン at 22:19| 神奈川 ☀| Comment(0) | 日本のポップスとロック Japanese music & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月17日

正月 おばあちゃんのお墓参り

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今日の1曲
 バッハBach BWV645『目覚めよ、と呼ぶ声が聴こえ』
 うさぎとかめ
 天地真理 / ちいさな恋
 天地真理 バッハBach / インベンションInvention15


 正月に3年前に亡くなった祖母のお墓参りに一人で行ってきました。
 好天ですが風が強くて冷たい日でした。昔を思い出しながら30分以上祖母のそばにいました。祖母はクリスチャンで日曜日によく教会に行っていました。


バッハのオルガン曲『目覚めよ、と呼ぶ声が聴こえ』/高木リィラ
https://www.youtube.com/watch?v=e436phN-ONQ





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3年前に亡くなった祖母が応援してくれた平成16年と24年の年賀状


 もう一人の12年前に亡くなった祖母のお墓参りにも行きました。祖母は認知症になって私が介護したのですが、子供の頃のことはよく覚えていて、「もしもしかめよ」の歌は4番まで歌うことができました。

Japanese Children's Song - Usagi to Kame - うさぎとかめ
https://www.youtube.com/watch?v=ngBUzQxaOVU

 私の初めてのLPレコードは小学校の頃にその祖母に買ってもらった天地真理のLPでした。次がビートルズの「レット・イット・ビー」のLP。天地真理のLPは今も持っています
ちなみに最初に買ったシングル盤はたぶん沢田研二の「あなただけでいい」、洋楽シングルはビートルズの「レット・イット・ビー」で今も持っています。





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12年前に亡くなった祖母が買ってくれた天地真理のLPと付属シングル


 天地真理のLP「ちいさな恋 / ひとりじゃないの」は、「レット・イット・ビー」のようにほぼ全曲が良い曲で、当時の有名作詞家作曲家が総動員されていました。10週近くオリコンチャートで1位。天地真理は国立音大附属高校でピアノを専攻していたため、おまけとして天地真理が弾いたショパンとバッハのインベンションのシングルがついていました。今思うと、このLPから自分が受けた影響は非常に大きかったと思います。天地真理がクラシックやビートルズに導いてくれたんだなあと改めて気づきました。
 ありがとう、おばあちゃん。

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天地真理/ちいさな恋
https://www.youtube.com/watch?v=WanOwaTiKAU
フォークに近い1stシングル「水色の恋」(最高3位)と、完全に大衆化した3rdシングル「ひとりじゃないの」(数週間1位)をつなぐ2ndシングル(2週間1位)。





天地真理プレイズ・バッハ "インベンション15" ( Mari Amachi plays BACH invention15)
https://www.youtube.com/watch?v=C-1X4gm87fs

Glenn Gould / Invention 15 Bach
https://www.youtube.com/watch?v=hyTA4CT0-pA

あなたと私 天地真理♪ ショパン
https://www.youtube.com/watch?v=3RRg0MKRIaI





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posted by カンカン at 00:11| 神奈川 | Comment(0) | 日本のポップスとロック Japanese music & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

新春カラー映像 祝祭 1976年 レ・オルメ Le Orme

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今日の1曲
  Le Orme - Sera(日暮れ) 1975年
  Le Orme - Amico di Ieri(昨日の友) 1975年
  Le Orme -Canzone d'Amore (愛の歌)1976年





 本ブログのタイトルであるイタリアのバンド、レ・オルメの今までで一番古いカラー映像がみつかりました。曲は1976年の Amico di Ieri(昨日の友)です。レ・オルメの音楽は当時のベトナム戦争などの社会情勢を見事に反映していました。

 1973年のFelona e Soronaでは核戦争による世界の終末を、1974年のContrappuntiでは人類の尊さを歌い、ベトナム戦争が終結した1975年にはなんとロスアンゼルスに行って米ロック調のLP「Smogmagica」を録音しています。

 Amico di Ieriは「Smogmagica」からシングルカットされ、最高8位までヒットしました。ContrappuntiとSmogmagicaの間には、1975年にシングルでだけ発売されたSeraがあり、プログレッシブロックからポップスへのサウンドの転換点になっています。


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レ・オルメLe Ormeのイタリアシングルチャート。


 今年になって1976年2月のレ・オルメのカラーでは今までで一番古いビデオクリップAmico di Ieriを発見。Smogmagicaだけブルースを得意なギタリストTolo Martonが参加。次作からはもっと洗練された音を出すギタリストGermano Serafinが加入。

Le Orme - Amico di Ieri カラー映像
https://www.youtube.com/watch?v=oicIyEyHgS0
特に大きなサビのメロディーもないのに引き付けられていく曲。





Le Orme - Sera
https://www.youtube.com/watch?v=MAsvAT15FuU

Le Orme - Sera - India
https://www.youtube.com/watch?v=Kf6Uy-n7DJ4
1975年5月5日 Modena Teatro Storchiでのライブ。


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 そしてついにLe Ormeは1976年のシングルCanzone d'Amore(愛の歌)で完全にポップ化し、チャートで1位に。
 音楽祭Festivalbarの映像ではバンドも観衆も喜びに満ち溢れています。

 レ・オルメはプログレッシブロック時代にLPで1位になり、ポップス期においてもシングルで1位になった世界でおそらく唯一のバンドです。
 Pink Floydはシングルが最高2位、YesはLPが1位にはなっていません。

Canzone d'Amore - Le Orme
https://www.youtube.com/watch?v=-pgOH7LP-rU
Festivalbar音楽祭。ベースが大観衆を煽り、キーボードもダンス。ベトナム戦争終結の祝祭。

Sta girando il sole intorno a noi
Senti il mondo che non grida più

It's turning the sun around us
Feel the world that no longer cries





2018年01月01日

A Happy New Year 2018 ! 元気の出るロック・82歳ベーシスト・スパイダース加藤さん

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Mitsuru Kato is the bassist of The Spiders, the first sharp rock band in Japan in the early 1960s. He is 83 years old now and is playing active.


今日の1曲
 82歳加藤充さん(ex. The Spiders) / Black is Black 
 スパイダース フリフリ





 明けましておめでとうございます。本年もつたないブログですが、お暇がありましたらお寄りください。今年の1発目は、「元気の出る」ロックシリーズとして82歳(今は83歳)のザ・スパイダースのベース加藤充さんの圧倒的なパフォーマンス。

スパイダースThe Spiders Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9

 往年のGS、ザ・ブルーインパルス、ザ・ガリバーズ、ザ・ラブの合体バンドであるザ・レジェンズ。70才のメンバーの中で、82歳の加藤充さんが圧倒的なパフォーマンス。昨年末GSフェスティバルで出演者たちも驚いた演奏をみつけました。

Black is Black 82歳加藤充さん(ex. The Spiders)の力強いベース演奏
https://www.youtube.com/watch?v=OATCg4Khqls
こんなに体全身を使ってグルーブを表現するベーシストは黒人でさえも見たことがない。

 スパイダースは、その後芸能界、音楽界で活躍する人たちを輩出した日本のロックの先駆者。1971年1月解散。加藤さんだけは生命保険の営業の世界に転身して成功されました。長いインターバルの後にこれほどの演奏をされるとは。自分も頑張らねば!

The Spiders - Album No.1 - FULL ALBUM
https://www.youtube.com/watch?v=0ppD9upOWbE&t=287s
1966年4月15日発売。日本で最初のロックバンドの1st LP。半世紀52年前!





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向ヶ丘遊園の大階段のリフトに乗るスパイダース


スパイダース フリフリ ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=EU_oeCiSgfU
今の時代に必要なのはこのようなエネルギーだろう。キンクス、アニマルズなどの影響を受けた3拍子の日本の囃子のロック。1:35に想い出の向ヶ丘遊園。





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2017年12月28日

テクノでクリスマス @渋谷WOMB

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 クリスマスに渋谷のWOMB(ウーム)に久しぶりに行きました。10年前ぐらいに渋谷のクラブに行き始めて、2年間苦しんだ体調の不調を回復することができました。調子が良くなったころは、毎週末に1回は渋谷か六本木に行っていました。

 年をとって夜の街に繰り出すパワーも落ちてきました。今回も思い切って行ってよかったです。最近は、「踊りはだめだ。だるい。」→「行くだけ行ってみよう。。。」→「おー、入るとやっぱりいいなあ」→ “水の中の金魚” 状態で「踊りは楽しいな!」と元気になれます。


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昔は何も目印がない秘密基地のようだったが、今はわかりやすくなった。


 9年前にWombのDrum’n Bassのイベントでノリノリで踊っていたら、男性から抱き着かれたりして昔のブログを見ると懐かしい。AVEXのHouseNationもありました。終電に間に合わず、中野からタクシーで来て朝まで踊ったこともありました。

 踊っていたら何度も後ろから浣腸攻撃をしてくる女性に遭遇したこともありました。3年ぐらい前に行ったときは低周波の音域が強く、「踊らないで音だけ聞きに来る人も多いです」と言われました。今はEDMが流行ってきて、踊る人が多くなりました。


WOMBホームページ
http://www.womb.co.jp/


WOMB 渋谷 レビュー
https://www.youtube.com/watch?v=JPrOGwCLH-c


ClubberiaTV presents WOMB Renewal Special
https://www.youtube.com/watch?v=R57lMNdx_o8
WOMBの内部のRenewalの映像。


 最近のテクノはサウンドが聞きやすく変化して、踊っていていい気持ちになれました。
 今回はテクノの元祖であるジャーマンテクノが実験段階から一斉に花開いた1975年の名曲を集めてみました。


【ジャーマンテクノ1975】

今日の1曲



Kraftwerk - Radioactivity
https://www.youtube.com/watch?v=M0D7MBBI2Ik
1975年は、この音を打ち込みでなくて全て人が演奏していた。メロトロンも使用。




NEU! 75 - ISI (HQ)
https://www.youtube.com/watch?v=7VswPaZIuYI
1975年に西武の地下のBe‐in(のちのCisco)で新譜で買ったとき失敗したと思ったが、どんどんはまっていった。




Tangerine Dream - Rubycon (Parte 2)
https://www.youtube.com/watch?v=tMHhSJW_ahk
4:50〜6:50がテクノの一つの頂点と思う。どういうリズムパターンなのかいまだにわからない。




Klaus Schulze - Bayreuth Return
https://www.youtube.com/watch?v=YFjFmn81ROo
KraftwerkのRalf HutterはElectricMusicは1970年代のTangerine Dream, Klaus Schulzeから進化していないと発言。




Harmonia - Notre Dame (HQ)
https://www.youtube.com/watch?v=mDLRsKh-3o0
NEU!、Cluster、Guru Guruが合体した名盤の中の佳曲。




Manuel Göttsching Echowaves
https://www.youtube.com/watch?v=Bear-U79NHo
ギター1本で作ったミニマルミュージックの金字塔




Can - Unfinished
https://www.youtube.com/watch?v=9QchRNthUTo
10:30からラストまで天国に連れて行かれる感覚。






 次は新しめ(と言ってももう古い)のテクノの名曲を集めてみました。
 今聴いても素晴らしいと思います。
 WOMBで踊って汗をかいて元気になれました。感謝感謝です。

 
【テクノダンスクラシック】


今日の1曲


Gouryella - Ligaya (Instrumental Mix)
https://www.youtube.com/watch?v=q1Nd6HGwFS8
今まで聞いたテクノダンスでは、これが一番。10年以上前。

Snap! - Rhythm is a Dancer
https://www.youtube.com/watch?v=KkhGkRahU6g
これももう20年たったが、古くないと思う。

Black Box - Strike It Up 12" (Original Remix) 1990
https://www.youtube.com/watch?v=EOhGPPSiHAE
これが30年近く経つとは。。。時が過ぎるのはあまりにも早い


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posted by カンカン at 23:26| 神奈川 ☀| Comment(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

追悼 RIP MARIÁN VARGA 音楽の夢 音楽の力


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マリアン・ヴァルガの最後のコンサート


今日の1曲
COLLEGIUM MUSICUM : Hommage à J.S. Bach
 COLLEGIUM MUSICUM /Prelude in C-major - 2 miniratures and a part of the Romeo and Juliet balet
 THE NICE/Bach :Brandenburg concerto N.o.3
 Ekseption & J.S.Bach - Air


 チェコスロバキアのロックキーボード奏者MARIÁN VARGAが2017年8月9日に70才で亡くなりました。今年私は1月2月が体調不調で1回しかブログの更新がなく、3月に入って最初のブログが偶然COLLEGIUM MUSICUMだったので感慨深いです。

 驚いたのは、MARIÁN VARGAが闘病中の今年の4月19日のライブ演奏の映像です。彼は鼻にチューブを入れ病棟から出てきたような姿でHommage à J.S. Bachの1曲だけを震える手で鬼気迫る演奏をしています。

MARIÁN VARGA 70
https://www.youtube.com/watch?v=U91PxCNkK88
2017年4月19日、車いすでのオリジナルメンバーとの70才のライブ


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 本田美奈子さんが亡くなる直前、作詞の岩谷時子さんや看護師さんのために病院で歌った声をテレビ番組で聞いたことがあります。しかし、MARIÁN VARGAのような状態でコンサートホールで演奏している映像を見たのは初めてです。 

 MARIÁN VARGAは1947年1月29日生。チェコスロバキアは共産主義国でしたが、1968年にプラハの春という西欧文化に触発された改革が起きます。1965年にアメリカの詩人アレン・ギンズバーグが2か月間プラハに滞在したことも影響を与えています。そこで、ソ連国内やポーランドへの西欧化の反動の影響を恐れた旧ソ連がチェコスロバキアに1968年8月20日に軍事介入しました。

プラハの春 wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%81%AE%E6%98%A5

 1960年代にチェコスロバキアでもBeatlesの影響で、ビートグループや反体制シンガーが現れ、Collegium Musicumは、1968年のプラハの春、ソ連の軍事介入直後の1969年にMARIÁN VARGAを中心に結成されています。MARIÁN VARGAは以前から重要なシンガーたちのバックを務めていました。

 しかし、ソ連の介入によってプラハの春を代表するシンガーが演奏できなくなり、地下に入ることになりました。コレギウム・ムジカムもマスコミを通してコンサートの告知をすることができなくなっていました。

Collegium Musicum  wikipedia
https://sk.wikipedia.org/wiki/Collegium_musicum_(slovensk%C3%A1_hudobn%C3%A1_skupina)

 
 Collegium Musicumの最初のEPで、1st LPの1曲目がHommage à J.S.Bachでした。バッハのサラバンドをロックに編曲したもので、明らかにKeith EmersonのNiceのブランデンブルグ協奏曲からの影響が現れています。

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Hommage à J.S.Bachを演奏するマリアン・ヴァルガ

COLLEGIUM MUSICUM : Hommage à J.S. Bach (1973 version)
https://www.youtube.com/watch?v=CovEQsaAWkk
一番音が鋭い1973年の再録音盤。


チェコスロバキアのロック史上第2位に選出された1stアルバム



Johann Sebastian Bach Sarabande con Partite C dur BWV 990
https://www.youtube.com/watch?v=hx0xED7cb9A
6:46からがHommage à J.S.Bachで引用された部分。





THE NICE/Bach :Brandenburg concerto N.o.3 1969 Live
https://www.youtube.com/watch?v=msX_v0s79oU





 1969年の段階では、NiceとCollegium Musicum の音は互角のレベルではないかと思います。しかし、1970年代に入ってKeith EmersonはELPでMoog Synthesizerを導入し、Carl PalmerのドラムとGreg LakeのVocalで大きく飛躍しました。

 ELPの1stでは、未開人のバルトーク、ナイフエッジのヤナーチェク、フランス協奏曲などが単なるコピーを越えています。展覧会の絵やホウダウンでも攻撃的なMoogがJimi Hendrixのギターのようにバンドを煽情しています。
 
 Collegium Musicumと同じ時期にNiceの影響を受けたのがオランダのEkseptionで、デビュー曲のベートーベンの「The5th」は6週間オランダで1位になりました。クラシックの原曲を越えようとする美しい旋律が練り込まれているのが魅力です。

Ekseption & J.S.Bach - Air
https://www.youtube.com/watch?v=gqufpeDjDtQ
1:17など、リーダーのリック・ヴァン・ダー・リンデンはクラシックの原曲のコード進行で、「アドリブ」を超えたもうひとつの旋律を作ろうとしていた。




 私がCollegium Musicumを最初に聞いたのは1977年ごろでした。その頃、東欧のレコードを扱っていたのは、銀座のガード下にあった店ぐらいでした。1975年のライブ盤でしたが、ELPと比較して「東欧は遅れているなあ」という印象でした。

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LPから録音したカセットは今も持っている

Marián Varga & Collegium Musicum
https://www.youtube.com/watch?v=tfgBe9wYgo8
23:55からプロコフィエフの美しい旋律Prelude in C-major - 2 miniratures and a part of the Romeo and Juliet balet

 しかし、その中でもB面のプロコフィエフを編曲した1曲目の冒頭は、ハモンドオルガンだけとは思えない音色を駆使してEkseptionのような別世界に連れて行かれました。そこにMARIÁN VARGAのELPに対する執念が感じられます。





ELPへの対抗か?これは驚き。ハモンドオルガンでMoogのような音を出すマリアン・ヴァルガ
https://www.youtube.com/watch?v=uDXo7OTwzto


 それから40年経ち、YoutubeでCollegium Musicum/Hommage à J.S.Bachを発見し感動しました。この「プラハの春」直後のデビュー曲が、結局彼らの生涯の最高傑作であり、MARIÁN VARGAが4月19日に人生の最後に演奏した曲となったようです。


Collegium Musicum - Hommage à J.S.Bach 2009 live
https://www.youtube.com/watch?v=sleNjIk9Ukw
2009年のライブ。このときは全員が生き生きとしていた。

 最後のライブでMARIÁN VARGAがHommage à J.S.Bachを弾く姿をCollegium MusicumのDrums,BassとGuitarのオリジナルメンバーが見る目は、2009年のライブのような笑顔ではなく、あるミュージシャンの死を看取る家族のようです。

 キースエマーソンは昨年3月に自殺する前に家族に、4月にコンサートを行う「日本のファンに満足な演奏をできない」という悩みを話していたと言います。MARIÁN VARGAの最後の演奏はKeith Emersonに対するHommageだったのでしょうか。RIP


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posted by カンカン at 11:46| 神奈川 ☁| Comment(0) | ユーロピアンロック&ポップス European Rock & Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

東京大学駒場祭

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晴天でよかった


 9:30から5:00まで音楽を聴けました。感謝感謝です。しかし、いよいよ持病の痔がトホホの復活。痛くて踊れなくなったので途中から座って聴きました。21年前手術で入院したとき、安室ちゃんのSweet 19 bluesがCD店に大陳列されていました。懐かしい。




今日聞いたライブなど

Paul McCartney  初めて買ったシングルLet it be。小学生の頃へ。007中学時代
椎名林檎  丁度ラストの曲がファンク系で乗れた
ビートルズ  なぜかKing Crimsonの表示 I saw her standing thereで踊れた
模型研究会+愛鳥研究部  レアな西鉄電車の模型。懐かしの昭和
平井堅  ソウルフル。彼もJB、James Brownのファン
中森明菜  デビュー曲。その後の人生を思うと他人事ではない涙腺が緩む
Jose James  エンディングだけ聴けたがよかった
Dave Weckl Acoustic Band  Beatlesと明菜で温まってたので久々に踊り切れた
Nirvana  大音量。ジャズに続けて+パンクの乗りで踊る
Tower of Power  ブラス系の元祖。まさにパワー
フュージョンバンド  女性ボーカル入り。癒し
ビートルズ  Beatlesがライブで演奏していないAnd your bird can sing
Radiohead  初体験。瞑想ビートで別世界に向かってダンス
アレサ・フランクリン  ソウルシスター。Rolling Stone誌選出の偉大な歌手1位
ジャズピアノトリオ  ついに痔のためここから座って聴く。CDとは別世界の迫力
ダンスサークル  以前は秀才風ルックスの人もいたが今は完全にストリート系
大喜利研究会  歌丸役のフォローがいい。笑点より笑えた
フルート同好会  アットホームな雰囲気。4年生はこれが最後
アカペラサークル  安室ちゃんの歌も。最後に代表者の涙の挨拶で学園祭消灯 


今日の1曲


The Beatles - Let it be  Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=0D5JJZl6MB0

The Beatles - I Saw Her Standing There (live)
https://www.youtube.com/watch?v=kXieo_hfqbU
1:30のポールの首振りを真似たらダンスにエンジンがかかった

King Crimson – Epitaph メロトロン入りオリジナル
https://www.youtube.com/watch?v=wjjYTSwA5mQ
ビートルズ / アビーロードの1位を抜いた伝説のLP

中森明菜 スローモーション デビュー曲
https://www.youtube.com/watch?v=zJxabZcZnFI
スローモーション デビュー3か月前 サビから歌い出し スター誕生優勝の歌唱力
https://www.youtube.com/watch?v=wJ9CIknYUqU
中森明菜にCrimsonというCDがあった。難破船はまさにEpitaphの世界

Dave Weckl Acoustic Band
https://www.youtube.com/watch?v=JPUHVmXS7W8
初めて知った。繊細かつ重量感を感じるドラム

NEU! - Für immer
https://www.youtube.com/watch?v=V85AjBFDmbI
瞑想ビート Radioheadにも多大な影響。三味線まで使用

Aretha Franklin - Think
https://www.youtube.com/watch?v=Vet6AHmq3_s
映画The Blues Brothersの夫婦喧嘩のシーンから

John Coltrane- Eric Dolphy Impressions
https://www.youtube.com/watch?v=goXvpLMrY54
久々にドルフィーのTシャツを着て踊った

Michael Jackson - Smooth Criminal - Live in Munich 1997
https://www.youtube.com/watch?v=4Aa9GwWaRv0
ダンスは、やっぱりMJ!

Focus−Eruption
https://www.youtube.com/watch?v=JvHWl7Bx9kw
フルートで一番好きな曲のひとつ。20:33からエンディングまでが美しい。



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Radioheadの瞑想ビート

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Tower of Powerのグルーブ

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大喜利研究会

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アカペラサークル終演

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たくさん音楽を聴けて感謝。初めて買ったビートルズのシングル盤


2017年11月25日

慶應義塾大学三田祭

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晴天に恵まれたサブステージ 

 慶應義塾大学三田祭に行きました。
 午前から行き終了も6時までと長いので、いろいろな音楽を聞けて体調も良くなってきました。感謝感謝です。


チックコリア  流麗。RTFの1stがジャズの流れを変えたとの証言を最近読んだ
ヒップホップ  日本のLegendたちによるDance,Rap,DJ,Grafficの講習会。
書道研究会  Hiphopの隣で日本のグラフィックアート。古典
Jimi Hendrix  初めて大音量でジミヘンのライブを聞けた
ハードコアパンク  ラップも入った白人+黒人反体制音楽のミクスチュア
ジャズセッション  ビッグバンドのリラックスした演奏を見れた
JRock  年をとって行く元気がないフジロック等の夏フェスの雰囲気を体験
Kaipa  北欧プログレッシブ初体験。浮遊感で貫くコード進行
中南米音楽  ドラムレス。晴天でほっと一息
モダンジャズ  スタジオにいる空気感。アートブレーキー/Moanin
ビートルズ  アビーロードメドレーの最終曲The End。
ダンスサークル  教室公演は10年以上前から満員。外で音だけ聴く。受付の人と話
ミュージカル  オリジナル作品。至近距離でマイクなしで聴けた!
EDM  今年は1回しかクラブに行ってないのでラッキー
三田サイファー  司会は元キングギドラのZeebra 
ジャズダンス  ヒップホップに負けず盛り上がっている
ボサノバジャズ  全員が女性のジャズユニット。いいグルーブ
ダンスサークル  中庭に観客びっしり。テクニックも進化
鉄道研究会  東急7200系が地方でまだ活躍中で嬉しい。
モダンジャズ  ドラムのハイハット、キックが複雑で速い。近くで見れて勉強になった
ダンスサークル  代表の涙のスピーチで学園祭終了!


今日の1曲


Return To Forever - Romantic Warrior  
https://www.youtube.com/watch?v=ZqiC5_88cVQ
クラシック寄りで聴きやすい曲

Beat Street 1984 (The Roxy Battle) 
https://www.youtube.com/watch?v=c_ShwO10d6g
Hiphop最初期の映画

Jimi Hendrix "Fire" 1969
https://www.youtube.com/watch?v=IWAUeF00Vf0
重い音圧が画期的だったLP1982年“Jimi Concerts”と同時期の音。

Paul McCartney – ビートルズAbbey Road Medley
https://www.youtube.com/watch?v=KDz5wVc-4QI

SWEETBOX "EVERYTHING'S GONNA BE ALRIGHT",
https://www.youtube.com/watch?v=rzTT5M8zBu4
HipHop+バッハ。 ギャングスタと違うヨーロッパの流れ

村八分 1972年三田祭
https://www.youtube.com/watch?v=G9EqrB0ISaw
JRock元祖。0:14-0:20、3:04-4:25。現場で見た人から他のバンドにない圧倒的な迫力だったと聞いた

Pekka Pohjola+Mike Oldfield /Mathematician's Air Display
https://www.youtube.com/watch?v=M2Z27E6tZ6Q
北欧 12:20、26:50〜27:50が聞きどころ

2 Unlimited - No Limit (1993) 
https://www.youtube.com/watch?v=RkEXGgdqMz8
EDM 懐かしのジュリアナ東京

安室奈美恵 メドレー TRY ME 〜 太陽のSEASON 〜 Body Feels EXIT
https://www.youtube.com/watch?v=cOlWTbeEO84 
ジャズダンスはHiphop以前からダンスを習った安室ちゃんのベース

レ・ミゼラブルより「夢やぶれて」スーザン・ボイル
https://www.youtube.com/watch?v=RfzAAATAyCA&list=RDRfzAAATAyCA#t=59
ミュージカル 2:20から歌

John Coltrane / Giant steps
https://www.youtube.com/watch?v=30FTr6G53VU
目まぐるしくコード進行が展開

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ヒップホップ講習会。ラップは詞を作るのも記憶するのもたいへんだ

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紀州鉄道の名物猫の駅長タマちゃんに遭遇

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幻想的なジャズダンス

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昔の模試の古戦場123号。その後何人か亡くなった。人は生きてられるだけで充分幸福

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メインステージのダンスサークル。20年以上前はダンサーも観客も10人位だった

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たくさん音楽を聴けて感謝


posted by カンカン at 18:40| 神奈川 ☀| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

芸術の秋・反省の秋3  洗足学園音楽祭

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ピカチュウが登場


 洗足学園の音楽祭に行きました。
 学んだこと、感じたことを記録しておこうと思います。
 素晴らしい音楽に感謝感謝です。小学生の時よく洗足学園の前を通りました。


<今年見た洗足学園のイベント> 
 Harvest(1月) RockPops公開実技試験 観客の拍手や反応なども加点される
 シンガーソングライターコース発表会(6月) 渡辺真知子の後輩たち
 サウンド科(7月) 映像+クラブサウンドも・踊る
 クラシックギター「佐藤弘和作品集」(7月) 単音の響きや2声和音の奥深さを知る
 デジタルミュージック(10月) 映像・6チャンネル・ノイズ・シンセサイザー
  ・ヒーリング系等多様・テクノロジーの進化・源流は1960年代、1970年代とのこと

<11月の洗足学園の音楽祭>
 ビッグバンドジャズ  ジャンプで体がほぐれる・ユーミン/翳りゆく部屋
 学生による合唱コンサート  最後に東北被災地のための曲「群青」
 モダンジャズ  Miles Davis / Milestonesは2作あり、有名な1959年は第2作
 ドラム  ゴスペルチョップ 教会で孤児や少年の非行防止のために始められた
 モンゴルの音楽  日本の琴に非常に似た琴 歌も日本の民謡に近い
 江差追分  昔の民謡は楽譜がなく変化しながら継承した
 シンセサイザーライブ エレクトーン的な4人による合奏
 つくってあそぼう  テルミンのように子供が遊ぶと音が出る仕組み
 AIによる作曲体験  コンピュータが作曲・しかしMIDIデータは人が打ち込む
 大貫妙子・黒のクレールのピアノ  エレベーターが閉まるときに聞こえた
 コンテンポラリーダンス  ベートーベンの曲にダンスで緩急を・1+1=3
 バレエ・キャラクターダンス  民俗舞踊 スペイン・イタリア・ハンガリー・アラビア・
   ウクライナ・マズルカ等 4拍子・3拍子・3連符・スタッカートなど 汗だく熱演
 フラメンコ  歌手+ダンサー+ギター+バイオリン オーレの掛け声で観客も元気!
 サンサーンス  死の舞踏 2人の連弾×2=4人で演奏
 ドビュッシー  前奏曲集第2集より 第6番 第12番花火 まさに「印象主義」
   絵画のような音楽・ピアノだけでシンセサイザーのような特殊効果音
 

今日の1曲


渡辺真知子 / ブルー
https://www.youtube.com/watch?v=AB1rX49xGws
クラシックがルーツの作曲。バンドではHighway Starをバリバリに弾いていた。

ナルシソ・イエペス/禁じられた遊び サントラ版
https://www.youtube.com/watch?v=u3cDLwFa_88

Kraftwerk - Ralf And Florian (Full Album) 1973
https://www.youtube.com/watch?v=YMdd1B9Q1wg&t=43s
アナログによるデジタルミュージックの源流。捨て曲なし。万華鏡サウンド。

合唱曲 群青  最後に転調
https://www.youtube.com/watch?v=2gJQLwCCTqM

Miles Davis - Milestones  イントロからつかまれる 
https://www.youtube.com/watch?v=k94zDsJ-JMU

James Brown, Can you see the light, Blues Brothers movie
https://www.youtube.com/watch?v=xbq0OuJtErs
James Brownの宣教師の教会の場面。孤児院への寄付を決意

大貫妙子 黒のクレール
https://www.youtube.com/watch?v=QkE_5Yqn0WI

Isadora Duncan (1877-1927) – Film of an Outdoor Recital https://www.youtube.com/watch?v=MEb6KIPrvRQ
コンテンポラリーダンスの開祖

Beethoven - Diabelli Variations, Op. 120
https://www.youtube.com/watch?v=pAI4-9yc6kA
楽譜から3拍子の裏打ちのビートを発見できた

フラメンコ 伝説のカルメン・アマヤ Los Tarantos (1963) - Carmen Amaya
https://www.youtube.com/watch?v=EwVODokMJYo

ドビュッシー:前奏曲集第2集より「花火」
https://www.youtube.com/watch?v=SO3VEgOphWU


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サウンド科

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ビッグバンド

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つくってあそぼうコーナー

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フラメンコ

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posted by カンカン at 00:37| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月06日

秋の学園祭 明治大学 〜 専修大学 〜 早稲田大学

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専修大学のダンスサークル


 10月の週末は、台風などで残念でしたが、今度の週末は大丈夫でした。
 快晴に恵まれ、学園祭へ音楽療法の旅に出かけました。
 たくさんの良い音を体感できました。感謝感謝です。


〜 明治大学 〜


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いいグルーブ感を出していた女性ボーカルバンド


 ダンス Madonna / ラ・イスラ・ボニータなど懐かし系・体ほぐれる
 しばたはつみコピーバンド  こんな凄いビートだったとは
 KPOPダンス  可愛い・KARAのライブが懐かしい 
 ロバータ・フラック / Feel like making love・ユーミン などいいグルーブ
 津軽三味線  1940年代・黒人ブルースギターの世界
 クレージーケンバンド  ファンク系・いいね!
 スラッシュメタル  脳内覚醒・Morbid Saint - Lock Up Your Children
 鉄道研究会  気動車走行・52系準急 
 EDM研究会  残念中止・音デカすぎ? 
 シカゴ  こんなにプログレだったか?・メロトロン系の音!
 カシオペア  3rdにこだわりハモンドオルガン・ラストはASAYAKE
 映画研究会  エンディング・亡き王女のためのバヴァーヌ
 ストリートダンス  ダンスは学園祭の看板


今日の1曲


Live To Tell - Madonna tribute - Lyrics
https://www.youtube.com/watch?v=hfm8oEAfW8I

Roberta Flack | Killing Me Softly With His Song
https://www.youtube.com/watch?v=kgl-VRdXr7I

Ash Ra Tempel - Amboss  元祖スラッシュ?
https://www.youtube.com/watch?v=iTZeaAIDvTo

シカゴ / 長い夜 25 Or 6 To 4
https://www.youtube.com/watch?v=XvnDd-meR6M

Casiopea - Time Limit (1979)
https://www.youtube.com/watch?v=8V2JdqnDSUU

ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ
https://www.youtube.com/watch?v=L13wZvz9WE8


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17年間の模試の古戦場2号館階段教室

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津軽三味線

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最終合格したときの1号館の教室



〜 専修大学 〜


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専修大学の教室を借りてゼミをしてもらったことがあった


 ビッグバンドジャズ  新しい建物・音が心地いい反響!
 アカペラ  コーラス系Jpop・ビート系R&B・多彩
 鉄道研究会  懐かしの気動車25系・プラレール
 美術研究会  テーマ「花」・目が疲れないセッティング
 ストリートダンス  ヒップホップが深化=コンテンポラリーダンスへ・ハウス・ソウル
 モダンジャズ  バスドラ+べースの迫力・ライブの醍醐味!
 競技舞踏  頭部が一定・ウェーブするリズム・チャチャ
 スカ  ロック+ラテン+ホーンセクション・明るい
 パンク  ハカイアクト・縦乗りビート! 
 ボサノバ・サンバ  ブラジル・哀愁+横乗りビート   
 ビジュアル系  Vrzel・トーク楽しい・プロの乗せ方・うねるビート
 アコースティックギター Let it be・独奏炎のランナー・癒し


今日の1曲


Hank Mobley - Roll Call  ジャズ
https://www.youtube.com/watch?v=OgmEYz56gBE

Madonna - Justify My Love 元祖ヒップホップダンス
https://www.youtube.com/watch?v=cRpgRKzgZxA

Sex Pistols - Holiday In The Sun パンク
https://www.youtube.com/watch?v=XWF9MMxnekQ

Joao Gilberto - Corcovado ボサノバ
https://www.youtube.com/watch?v=rfO3GiXC89w&list=PL2_0pgowArup8H_BUN5ODObDqGfXT_4yn&index=5

炎のランナー テーマ曲 (ヴァンゲリス)
https://www.youtube.com/watch?v=Xkc6TB4EeqI


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アカペラ・サークル
 
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ゲストのビジュアル系バンド
 


〜 早稲田大学 〜


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フラメンコサークル


 ストリートダンス  各所で多数
 押尾コータローギターコピー クラシック、ポップス、ジャズなどの要素
 スカ  軽快なビート・海・体がほぐれる
 ジェームス・ブラウン  30年前より格段に上達したサークル・臨場感
 アイズレーブラザース EWF  ひたすらグルーブ! 1970年代
 JPOPコピーバンド  山下達郎系?・女性3人ホーンセクション
 ユーリズミックス  懐かしい・白人系ダンス・1980年代  
 ラスタ  メロウなビージーズHow Deep Is Your Love を解釈
 Nirvana  鋭角な突き抜けるギター・1990年代
 フラメンコ  フラメンコはブルースだ・後ろでスペイン系女性も称賛
 ラテン  ポリリズム・ジャクソンシスターズをアレンジ
 外国人留学生によるアニソン  ヨーロッパでも大人気!
 ビッグバンド  ルイアームストロングの高速曲・ジョンコルトレーン


今日の1曲

 
Bee Gees - How Deep Is Your Love
https://www.youtube.com/watch?v=NpqmGx7meQw

The Isley Brothers - That Lady, Pts. 1 & 2
https://www.youtube.com/watch?v=S1Mvy3E8P2U

Eurythmics - There Must Be An Angel
https://www.youtube.com/watch?v=RCdneDxFRYQ

Nirvana - Smells Like Teen Spirit
https://www.youtube.com/watch?v=hTWKbfoikeg

Triana - Recuerdos de Una Noche フラメンコ
https://www.youtube.com/watch?v=leSdtwY78Uk

Louis Armstrong - What a wonderful world
https://www.youtube.com/watch?v=CWzrABouyeE


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ジェームス・ブラウン ソウルパワー(1971年アポロ劇場版)の完全コピーバンド





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ユーリズミックス

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最終合格したときの15号館の古戦場。トイレの横の階段で休憩をとった