2020年11月23日

RIP Stefano D'Orazio 〜 イ・プー I Pooh

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Stefano D'Orazioが最初に参加した「ミラノの映像」


今日の1曲
I Pooh - La nostra età difficile 1972年
I Pooh - Noi due nel mondo e nell'anima 1972年
I Pooh - Nascero Con Te 1972年
 ALICE VISCONTI - Io Voglio Vivere 1975年
Over the Rainbow - Voctave A Cappella Cover


 イタリア史上最高の人気バンド、イ・プーのドラマーStefano D'Orazioさんが亡くなりました。コロナに罹り入院していたようです。イタリアでもたくさんの追悼文が出ています。

E' morto Stefano D'Orazio, storico batterista dei Pooh
https://www.quotidiano.net/cronaca/stefano-d-orazio-morto-pooh-1.5689414
Dodiも彼との50年間は兄弟以上の兄弟だったと述べている。

CARLA VISTARINI RICORDA D'ORAZIO
https://www.dagospia.com/rubrica-2/media_e_tv/carla-vistarini-ricorda-39-orazio-39-39-ciao-stefano-anche-tu-ce-252128.htm
作詞家CARLA VISTARINIの思い出


 2020年のブログは、最初の3か月間はコロナへの不安で書く気力が失せてしまいましたが、4月の志村けんさん、アランメリルさんのコロナによる訃報が再開のきっかけになりました。
 志村けんさんが亡くなった衝撃は、コロナ警戒に対するメッセージとなり、自粛期間を乗り越える力になったと思えます。ヨーロッパでも日本でもコロナの第3波が懸念される中でのStefano D'Orazioさんの訃報となりました。

 今年のブログの半分は訃報になりました。しかし訃報を機に、若いころに繰り返し聞いた音楽を聴きなおすと非常に勇気づけられました。故人の作品は永久に生き続けることを実感しました。
 このブログは、2006年の祖母の死と2013年の山口冨士夫の死をきっかけとする病の音楽による回復の記録でもあります。自分の年齢ではかつてヒーローだった人たちが亡くなっていくことが予想され、それへの恐怖も感じていました。
 しかしショーケンの死が認識を変えました。ショーケンは死期を自覚しながら、ファンを心配させないために全く周囲に話しませんでした。死ぬ1年前の「不惑スクラム」という最後のドラマで、ショーケンは中年腹で出演しました。ショーケンも太ったと思ったのですが、それは病気による腹水で、異常な苦痛と戦っていたといいます。ショーケンは死ぬ1週間前に「いい映像を作ってください」と言ってNHKに1年間の個人的に撮影したビデオを渡し、「クローズアップ現代“ショーケン”最期の日々」が放映されたのでした。ショーケンによって、故人が自分の死で家族やファンが病気になることなど望んでいないと強く思うに至りました。2週間前に母の知人が亡くなって、母が精神的に極めて不安定な状態になったのですが、ショーケンから学んだことを話しているうちに元気になってきました。


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LP「ミラノの映像」イタリア盤の内ジャケより


 Stefano D'Orazioさんの死もコロナに対する警鐘と受け止め、改めて故人の音楽を振り返ってみたいと思います。
 イ・プーを初めて聞いたのは1975年ごろ、1972年のLP「ミラノの映像」(Alessandra)でした。その頃はDeep PurpleのようなハードロックやPFMのようなプログレッシブロックが全盛で、イ・プーのようなソフトロックのタイプはロックの中では異質で少数派でした。
 しかし、「ミラノの映像」はシンセサイザーと壮大なオーケストラによる見事なサウンドで、12曲が揃っていてトータル性もある素晴らしい作品でした。
 ボーカルも、Dodyとこのアルバムを最後に脱退して後にサンレモで優勝するRiccardo Fogliの超ハイトーンボイスという最強コンビでした。

 特にA面の1曲目から2曲目の流れが見事で何度も聞きました。このLPだけは、歌詞付きの日本盤とダブルジャケットのイタリア盤も両方持っていました。

I Pooh - La nostra età difficile
https://www.youtube.com/watch?v=AdIrkSWVPhY
A面の1曲目。ベースやドラムもリズムを刻むだけではなく「歌」を構成していて魅了された。本作から加入したStefano D'OrazioのI Poohでの記念すべき1曲目でもある。

I Pooh - Noi due nel mondo e nell'anima 愛のルネッサンス
https://www.youtube.com/watch?v=GmMoWfZi7YA
A面の2曲目。1曲目だけでも素晴らしいのだが、シングルで1位になったこの曲でイントロから圧倒され、1曲目が序曲のような位置づけになる。

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1972年8月5日に1週間1位

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プロモーションLPでも La nostra età difficileと Noi due nel mondo e nell'anima「愛のルネッサンス」が1曲目と2曲目に配置された。


Pooh - Nascero Con Te
https://www.youtube.com/watch?v=WKzwNOMBvog
さらに追い打ちをかけるA面の4曲目。Riccardo Fogliが上のFというロバート・プラント並みのハイトーンで歌う。0:15から3:00まで1972年の貴重な写真がたくさん出てくる。





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イタリアで最も成功したバンド、I POOHの1970年代のLPチャート

 Stefano D'Orazioはアリーチェの1stアルバムで、全曲で作家としてクレジットされています。この作品も「ミラノの映像」と同じArranger - Danilo Vaona, Producer - Giancarlo Lucarielloという黄金コンビで、女性版I Poohともいうべき世界が創出されています。


ALICE VISCONTI - Io Voglio Vivere (I want to live)  1975年
https://www.youtube.com/watch?v=UMa2tbQH23U
(Cristiano Minellono, Brioschi,Stefano D'Orazio )

ALICE VISCONTI - Io Voglio Vivere (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=EbIfOZ-77sw






 2012年のイ・プーの奇跡の来日公演では彼だけ不参加でした。3時間3日連続は体力的に厳しかったのかもしれません。
 2016年の最後のRiccardoも含めた再結成(解散)では素晴らしいドラムスを披露していました。Stefano D'Orazioさんのご冥福をお祈りします。RIP


Pooh - Noi due nel mondo e nell'anima 2016年 Live Video
https://www.youtube.com/watch?v=nWFn1-i6KPQ
Stefano D'Orazioもドラムを叩く入魂のプロモーション・ライブビデオ

Pooh - Chi fermerà la musica (Videoclip)
https://www.youtube.com/watch?v=9v0X87QrFjg
2016年

 最後に追悼を込めてディズニーの名曲をアカペラで。

Over the Rainbow - Voctave A Cappella Cover
https://www.youtube.com/watch?v=JKfZwastGCg
Cherry Five、Rustichelli & BordiniのCarlo Bordiniが別のときにシェアしていたもの





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2020年10月31日

RIP追悼 Walter Franco 〜 ムゼオ・ローゼンバッハ Museo Rosenbachのもう一人のボーカリスト

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Zarathustraの内ジャケの謝辞の筆頭にWalter Francoがある。
I PoohのDodi Battaglia, Nico Di Palo, Vince Temperaなども挙げられている。

今日の1曲
  Museo Rosenbach - Zarathustra - L'ultimo Uomo 1973年


 イタリアの名盤ムゼオ・ローゼンバッハ Museo Rosenbach - ツァラトゥストラZarathustraの一部のパートでボーカルを担当した Walter Francoさんが亡くなりました。

 今まで知らなかったのですが、ZarathustraのA面の組曲の1曲目の L'ultimo Uomoの前半はWalter Francoが歌っているそうです。後半とそれ以降の曲はStefano "Lupo" Galifiが歌っています。

 ZarathustraのLPの内ジャケットの謝辞に100名ほどの名が挙げられていますが、「特に感謝します」という6人の筆頭にWalter Francoの名がありました。

 メロトロンでも有名な本アルバムの最重要パートL'ultimo Uomoで、同じ曲の中で2人のボーカルを使うというのは凄い手法だと思います。
 
 前半ではイコライザー処理で遠くから響くように聞こえるWalter Francoの声が、後半ではソウル・ブルースのシンガーだったStefano "Lupo" Galifiに変わり、コンプレッサーによって前に押し出された強烈な音圧のシャウトからメロトロンになだれ込む部分は、ロック史上でも屈指の名演でしょう。

Museo Rosenbach - Zarathustra - L'ultimo Uomo (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=uC9hegZIC2g


[Strofa 1]  Vocal : Walter Franco 
Volto di luce
Mi hanno parlato di te
La tua storia è nell'eco dei monti
Troppo in alto per scendere in noi
Nel tuo eterno cammino
Quello che insegui non c'è
Senza un fine può esistere la vita
Si completa nell'arco di un giorno

[Strofa 2]  Vocal : Stefano "Lupo" Galifi
Misera ombra, vuoto riflesso dell'io
Non ti serve capire la forza
Che mi spinge a cercare nel mondo
Chiara essenza divina già si nasconde in chi
Sta vivendo il gioco del tempo
Nell'attesa di un'alba diversa






 2013年4月26日に来日公演も行っています。そのときも L'ultimo Uomoの前半は別の人が、後半はStefano "Lupo" Galifiが歌っていました。
 Walter Francoさんのご冥福をお祈りいたします。RIP


来日公演のライブCD



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2020年10月29日

祝・文化功労者受賞・すぎやまこういち 〜 ザ・タイガース The Tigers

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1981年初版。幼少期のクラシックの体験からタイガースなどを作曲した経緯


今日の1曲
 ザ・タイガース The Tigers / 君だけに愛を 1968年
 ザ・タイガース The Tigers / 落葉の物語 1968年
 ザ・タイガース The Tigers / 花の首飾り 1968年
 青山ミチ Michi Aoyama / 風吹く丘で 1966年
 ザ・ダイナマイツ The Dynamites / ユメがほしい 1968年


 ゴールデンカップスの2人のメンバーなど、内外の悲しい訃報が続きましたが、タイガースの作曲家すぎやまこういちさんの文化功労者受賞という明るいニュースが飛び込みました。

 文化功労者では演歌とクラシックの受賞者は過去にありましたが、ポップスについては史上初となります。

文化功労者 受賞者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8A%9F%E5%8A%B4%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

 タイガースで最初に記憶あるのが4枚目のシングル「君だけに愛を」です。

ザ・タイガース The Tigers君だけに愛を 1968
https://www.youtube.com/watch?v=_246A5mjoL0
貴重なカラー映像。52年前にこれでは当然人気が出るだろう。オリコン2位。

ザ・タイガース The Tigers/落葉の物語
https://www.youtube.com/watch?v=pWWxzvM2eCE
「君だけに愛を」のB面。B面まですごいのがタイガースの魅力。日本初のシンフォニックロック。東京ドーム再結成ライブでもアンコールで演奏。





 続く5枚目がタイガースの最大ヒット「花の首飾り」。
 オリコンで8週間1位。もとはB面だったが、両面A面扱いになったおそらく日本で初めてのシングル。

 タイガースの最初の5枚のシングルについて、すぎやまこういちは「グループサウンズ最高」という本で、クラシックのように緩急緩急緩という組曲形式に作ったと述べています。

ザ・タイガース The Tigers花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=Khgh1Fb5E4Y

 ピーの著書「花の首飾り物語」でも、タイガースの4声のコーラスは世界でも珍しいものではないかと書かれ、トッポも「花の首飾り」のオーケストラのレコーディングでのすぎやまこういちの目が一番真剣だったと述べています。





ザ・タイガース The Tigers花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=2qG2deduTyk
これも現存する珍しいカラー映像。1982年ごろこの映像を見た沢田研二が翌日のラジオで「これは人気がでるわ」と語っていた。





 すぎやまこういち最初の有名な曲は、ヒットパレードのテーマソングです。

 ポップソングについては、1966年11月の「青山ミチ/風吹く丘で」が最初と思われます。次が同年12月のシャープホークスの「遠い渚」、そして1967年2月5日タイガースのデビュー曲「僕のマリー」と続きます。

 発売中止となった「青山ミチ/風吹く丘で」は1968年2月25日にヴィレッジシンガーズの「亜麻色の髪の乙女」と改題されてオリコン2位の大ヒット。最近知った青山ミチのヴァージョンはとても情感のある素晴らしい歌だと思います。

青山ミチ Michi Aoyama/風吹く丘で 1966年11月
https://www.youtube.com/watch?v=VbA0Oaz7ipg





 すぎやまこういちは、GSではタイガース、シャープホークス以外に、山口冨士夫のダイナマイツにも2枚目のシングル「ユメがほしい」を提供しています。
 これは1968年3月5日発売で、タイガースの絶頂期にあたります(「君だけに愛を」が1月5日、「銀河のロマンス/花の首飾り」が3月25日)。
 
 山口冨士夫の「So what」にも「ユメがほしい」について、プロダクションがヒットしたトンネル天国に続く2曲目が重要ということで、タイガースのようなヒットをねらったものと書かれています。


ユメがほしい ザ・ダイナマイツ
https://www.youtube.com/watch?v=2Cbf_OwLJTo
以前、遊園地(浅草?)でのプロモーションフィルムを見たことがある。





 すぎやまこういちのGS以降の活躍は、ガロ、科学忍者隊ガッチャマン、帰ってきたウルトラマンなどが思い出深いです。

 1981年にすぎやまこういちは「体験作曲法」という本を出しました。
 当時はポップスの作曲本はほとんどなく、タイガースの曲がたくさん解説されていてたいへん感動しました。シーサイドバウンドは、日本で初めて沖縄音階を、花の首飾りは地中海のドリアン音階を取り入れていました。





 1982年のタイガース同窓会の年に花の首飾りのボーカルの加橋かつみのコンサートがあり、途中でゲストとしてすぎやまこういちさんが紹介されました。客席から舞台に飛び上がるように登場して、バイタリティーのある人だなあと思いました。タイガースのころから加橋君と馬が合ったと言っていました。

 すぎやまこういちはゲーム音楽の大家になりましたが、ドラゴンクエストをやったことがありません。ドラゴンクエストの曲が、テレビでよく聞く有名なメロディーだと最近やっとわかりました。

 すぎやまこういちは私にとっては、やはりタイガースです。
 「グループサウンズ最高」で、「GSは日本の音楽にリズムとハーモニーを残したよね」と語っていました。今回の受賞について、今まで無冠だったが、やっともらえたと語っていましたが、それがポップス初の文化功労者というのはすごいと思います。

 すぎやまこういちさんの、今後の益々のご活躍とご健康をお祈りします。

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2020年10月23日

癒しのメロトロン・オランダ編 Focus, Earth & Fire, Ekseption, Trace 〜 栄光のオランダ・プログレッシブ・ロック Mellotron

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メロトロンの傑作FocusUはオランダ以外ではMoving Wavesとして発売された。


今日の1曲
  Ekseption G線上のアリア Air 1969年
  Ekseption - Italian Concerto 1970年
  Ekseption "Ave Maria" 1971年
  Focus - Le Clochard 1971年
  Focus - Focus II 1971年
  Focus - Eruption 1971年
  Earth and Fire - Song of the Marching Children 1971年
  Earth and Fire – Memories 1972年
  EARTH AND FIRE – Atlantis 1973年
  Ekseption – Romance 1973年
  Focus - La Cathedrale de Strasbourg 1974年
  Focus – One for the road 1974年
  Trace - Gaillarde 1974年
  Trace -Final Trace 1974年
  Trace -Progression 1974年
  Trace -Memory 1974年
  Earth&Fire - Love of Life 1974年
  Earth & Fire - Only Time Will Tell 1975年
  Trace - Opus 1065 1975年
  Trace - King-Bird 1975年
 Trace – White Ladies 1976年
 Finch / Unspoken Is The Word 1977年


 エディー・ヴァン・ヘイレンの故郷がオランダで,幼少からピアノを習っていたことを知りました。そこで、「癒しのメロトロンMellotron」を軸に栄光のオランダプログレッシブロックを1969年から順に聴きなおしてみました。
 
 アムステルダムは、ニューヨークや京都などとともにヒッピーの聖地になってフラワーチルドレンが集まっていました。
 ベトナム戦争の展開と終結が音楽に及ぼした影響も顕著でした。


[ 1969年 ] 
Ekseptionの成功、Earth&Fire結成、Focus結成と反戦ミュージカルHair


 ハーグ王立音楽院で優秀な成績を修めたRick van der Lindenは、1968年にキースエマーソンのナイスの公演でバッハのブランデンブルグ協奏曲を見て、Ekseptionのクラシックロックの方向性を決定。1969年にベートーベンの運命を編曲して5週間1位になる。同年の1stアルバムで、オランダで最初と思われるメロトロンMellotronをG線上のアリアAirで使用。

Ekseption G線上のアリア Air
https://www.youtube.com/watch?v=C_I031TWIXE
2:47あたりからメロトロンM300のストリングス・メロトロンがバックに使用されていると思われる。






 オランダ初の全米ビルボード1位となったヴィーナスのショッキング・ブルーに続いて、女性ボーカルJerney Kaagman, 双子の兄弟 Chris and Gerard KoertsがビートバンドEarth&Fireを結成し、シーズンでデビュー。日本を含め、世界的にヒットする。

 Focusが結成され、12月から翌年6月まで、反戦ミュージカルHairのサポートバンドになる。


[ 1970年 ] 
Focus1stアルバム


 エクセプションがヒット曲を連発。メロトロンも使用しているがバックに流す程度だった。
 アース&ファイアーもビート系でヒット曲を出し続ける。
 
Ekseption - Italian Concerto
https://www.youtube.com/watch?v=hcBMOMPTj5o
1:39 控えめだがチェンバロのバックでストリングスメロトロンが聴こえる。

Ekseption - Italian Concerto Live
https://www.youtube.com/watch?v=8nh-j2Z81pQ
メロトロンは未使用だが、1:18のチェンバロ(クラビネット)が素晴らしい。





 Focusが1stアルバムを発表し、インスト曲シリーズ「Focus」の第1曲目Focusでメロトロンを使用する。


[ 1971年 ]
メロトロンの傑作FocusUとメロトロンによるEarth and Fireの転身


 エクセプションはオランダでヒット曲が続く。メロトロンの使用は控えめ。

Ekseption "Ave Maria"
https://www.youtube.com/watch?v=zRIi_BfW-UU
Rick van der Lindenの情熱が伝わる映像。控えめだが、2:18のエンディングでメロトロンが使用されていることが感じられる。



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 1971年10月、Focusがメロトロン史上の傑作FocusU(オランダ以外ではMoving Waves)を発表。LPはオランダで4位、全米で4位、シングルHocus Pocusも(日本では「悪魔の呪文」として)ヒット。

Focus - Le Clochard 
https://www.youtube.com/watch?v=fc1KAtDjORc
Hocus Pocusに続くA面2曲目。メロトロン史上屈指の名曲
ヤン・アッカーマン=作曲・ギター タイス・ヴァン・レアー=メロトロン

Focus II
https://www.youtube.com/watch?v=ike5HEWMrX8&list=PLA2-nXsHvm3JR4XJivpexzuOEtBIz-JiY&index=7
2:32 天空を舞う癒しのメロトロン

Eruption
https://www.youtube.com/watch?v=t3_hJ_032Z8&list=PLA2-nXsHvm3JR4XJivpexzuOEtBIz-JiY&index=8
5:08 癒しのメロトロン
17:17 メロトロンによる別次元の音





 Earth and FireもシングルA面のInvitationでハモンドオルガンを使用。
 B面の2ndアルバムの先行シングルヴァージョンSong of the Marching Childrenでは突如メロトロンを導入し、プログレッシブバンドに転身。

Earth and Fire - Song of the Marching Children シングルヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=ZNzZkAd-90o
LPヴァージョンと比べるとまだ未完成。ここから練り上げられたことがわかる。

 次のLP先行シングルStorm And ThunderはA面でメロトロンを使用。
 同じバンドか?と思えるほど、ビートバンドの面影は全くない。

Earth & Fire - Storm and Thunder (Lyrics)
https://www.youtube.com/watch?v=buLyiIJKCxE

 2ndアルバムSong of the Marching Childrenは前作と全く異なるトータルアルバムになる。
 メロトロンはEkseptionの使用していたものと同じとの情報もある。

Earth and Fire - Song of the Marching Children Studio LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=-FZ1q7UxviQ
2:18からメロトロン。シングルヴァージョンと歌詞も異なり、メロトロンサウンドもスケールアップ


日本盤シングル1971年8月Song of the Marching Children
オランダ本国とはAB面が逆。InvitationがB面になっている。
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[ 1972年 ]  
メロトロンの最大ヒット曲Earth and Fire / Memories

Earth and Fire - Song of the Marching Children Live ヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=QoQXhRCxILQ
0:30メロトロンライブの貴重なカラー映像。Studioヴァージョンよりさらに深遠なメロトロン。

Earth & Fire - Memories
https://www.youtube.com/watch?v=d0vT-ERKSFs
世界的にも珍しいメロトロン漬けシングルヒット。
オランダで2週間1位。





Focusは2枚組LP「FocusV」を発表するがメロトロンは未使用。

Focus - Sylvia (Live at Top Of The Pops, UK / Live at TopPop, NL - 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=5YxNCL39wBI&list=PL8a8cutYP7fq74uWwQ-pBA8CYHkdm2Qy2&index=3
インストで全英4位のヒットになった名曲。

Focus - Elspeth of Nottingham
https://www.youtube.com/watch?v=qEZdXfcOdLY&list=PL8a8cutYP7fq74uWwQ-pBA8CYHkdm2Qy2&index=7
Jan Akkermanの美しいリュート



[ 1973年 ] 
Earth and Fireのメロトロン大作Atlantis


 Focusのシングル「シルヴィア」が全英4位。英メロディ・メーカー誌での人気投票で、10年間連続でギタリスト部門のトップにいたエリック・クラプトンを抜いて、ヤン・アッカーマンがトップとなる。

 EARTH AND FIRE は全編メロトロンが使用されたトータルアルバム Atlantisを発表。イタリアンプログレッシブロックの全盛期と重なる。シングルMaybe Tomorrow, Maybe Tonightはオランダで3位となる。

EARTH AND FIRE - Atlantis
https://www.youtube.com/watch?v=KwpBkZhpGsw&t=1517s

EARTH AND FIRE - Atlantis 1973 当時の映像
https://www.youtube.com/watch?v=tm1APRmVgGk

Earth And Fire - Maybe Tomorrow, Maybe Tonight Live
https://www.youtube.com/watch?v=EGsIHi74LrE
0:07、1:15でメロトロンM400の実演が見れる。

Earth and Fire - Maybe Tomorrow Maybe Tonight. Studioヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=yL6rMomAA40
0:11メロトロンM400が映る





 エクセプションのトリニティーを最後にRick van der Lindenが脱退。

Ekseption - Romance
https://www.youtube.com/watch?v=23x-Bcs3TAQ
冒頭で明らかにメロトロンが聴こえる。Traceへの移行が感じられる。


[ 1974年 ] 
Focusの傑作Hamburger Concerto 〜 Trace 1st でメロトロンが爆発

PFMとともにヨーロッパプログレッシブロックとして人気を誇ったフォーカス
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 Focus の Hamburger Concerto1974年1月録音、4月リリース。
 タイスは力強さと目的を持った最初の作品と評価し、マイク・ヴァーノンもMoving Wavesとともにベストアルバムに挙げている。


Focus - Hamburger Concerto
https://www.youtube.com/watch?v=xI5ARFrBqAA
11:20  La Cathedrale de Strasbourg メロトロンではないが厳粛な素晴らしいコーラス。
37:08 最終曲の最終パートOne for the roadでコーラスメロトロンとARP2600シンセサイザーが唸る。39:45壮大なコーラスメロトロンで幕。





Focus - FocusU 
https://www.youtube.com/watch?v=M_sh98umh7E
1974年6月 メロトロン入りのライブ(0:00 - 4:25)


1stアルバムTraceからのシングルカット
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 Rick van der LindenがキーボードトリオTraceを結成し、全編においてメロトロンが爆発する1stアルバムTraceを発表。イギリスで権威のあるライブ番組にも出演。Rick van der Lindenはキース・エマーソン、リック・ウェイクマンと並ぶキーボーディストだった。

Trace Gaillarde Mellotron実演ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=8vsQVsib9Kk
0:33右手でハモンドを弾きながら、左手でストリングスメロトロン
1:06 上からのアングルで捉えた凄い映像。ストリングスだったメロトロンをコーラスに切り替えている。5:42からストリングスメロトロン。上からの映像はカッコよすぎる。オランダのテレビ番組のスタッフに敬服だ。
6:40 エンディングもコーラスメロトロン

Trace Gaillarde The Old Greay Whistle Test 1974 BBC
https://www.youtube.com/watch?v=kndiVcSos5c
5:58 ストリングスメロトロン

Trace / Trace 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=7re8_gDZOFI&t=1663s
5:00  Gaillarde ストリングス+ブラスのメロトロン二重奏
18:29, 20:00 小曲の中にストリングス+コーラスのメロトロン。
27:40 Progression Moog+Strings Mellotron によるB面のハイライトで、短く編集されてシングルカットされた。
38:18 Memoryというタイトルのようにリック・ヴァン・ダー・リンデンにとって最も重要なパートのようだ。癒しのコーラスメロトロン。41:35ドラムソロの直前にブラス系メロトロン。46:00再び冒頭のコーラスメロトロン
45:20 最終曲Final Traceのラスト数秒でもMemoryのフレーズ。





 トレースは、1975年の次作BirdsのB面の大作King Birdのシングルヴァージョンを先行シングルとして1974年に発表。
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Trace / Birds  single version
https://www.youtube.com/watch?v=tWTN2mcxvRA
39:45がシングルヴァージョン。コーラスメロトロンから始まる。翌年のLPではドラムスが交替し、テーマのメロディー以外はほとんど異なる内容。


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 Earth&Fire は、1974年6月、これもメロトロン漬けのLove of LifeがTo the world of futureの先行シングルとして発売し、オランダで2位のヒット。

Earth&Fire - Love of Life
https://www.youtube.com/watch?v=Pp0gTI4BjrE
現実と非現実の境界線で吸い込まれるようなメロトロン


[ 1975年 ] 
ベトナム戦争終結 Trace / Birds


 ベトナム戦争終結により、アムステルダムのヒッピームーヴメントも終焉。
 アース&ファイアーは劇的に変化。To the world of futureがプログレッシブロックバンドとしての最後の作品といえる。

Earth & Fire - Only Time Will Tell
https://www.youtube.com/watch?v=WXLnD30_a7A
LPからカットされた寂寥感あるメロトロン曲。オランダで12位。
1975年ではケストレルと並んで世界一では。





Earth & Fire - Thanks For The Love (1975)
https://www.youtube.com/watch?v=MmqXh6ALZdI
ベトナム戦争終結で憑りつかれた魔法が解けたように全く別のバンドに変化。
Le Ormeの1976年のCanzone d’amoreを思わせる。オランダで8位。


 一方で、トレースは2ndLPのBirdsで、ダリル・ウェイのウルフにいたイアン・モズレーにドラムスを替え、ELPのようなキーボードトリオの音を極める。
 エクセプション時代にできなかったことを全て叩き込んでいるようだ。

Trace - Bourrée
https://www.youtube.com/watch?v=j3MIFrkkAM0
1曲目。エクセプションからのクラシックロックの極めつけ。メロトロン未使用。

Trace - Opus 1065
https://www.youtube.com/watch?v=K493lE0wDbQ
イントロから20秒のストリングスメロトロン、7:05からラストのフェードアウトに癒される

Trace - King-Bird
https://www.youtube.com/watch?v=8vPd5OwJ80k
20分間の緩急組曲で、随所にメロトロンが使用され見事としか言えない。
11:40のコーラスメロトロンから14:47までがこの曲の中間のハイライト。13:06のブラス系のメロトロンが頂点。
20:00から20:42のエンディングでコーラスメロトロンが響き渡る。パイプオルガンが楽器の王様で、メロトロンは女王という雰囲気。続く「回想」曲でもコーラスメロトロンが余韻を残す。





 Focusは前作で力を出し尽くしたように、1975年10月発売のMother Focusは読売新聞の批評でもFather Bach以外にかつてのFocusは感じられないと書かれた。反戦ミュージカルヘアーから始まったFocusもその使命を果たしたようだ。

"Father Bach" 
https://www.youtube.com/watch?v=hwnqQy9Q0-A
マタイ受難曲第1曲を編曲。メロトロンは未使用。


[ 1976年 ] 
オランダ・メロトロンの最後の輝き Trace / White Ladies


 トレースも前作Birdsで力を出し尽くしたように、エクセプションのメンバーのサポートで1976年に3rdアルバムWhite Ladiesを発表。
 前作のような鋭さはなく、穏やかなトータルストーリーとなっている。

Trace / White Ladies 1976
https://www.youtube.com/watch?v=uaItGq19wRE
38:45 Traceラストアルバムの最終曲も、感涙のコーラスメロトロンで幕。

  タイス・ヴァン・レアーは、ヨーロッパのマイナーなコードから離れて幸せな音楽を作りたいと述べ、ヤン・アッカーマンはFocusを離れる。
 Focusは現在に至るまで、タイス・ヴァン・レアーを中心に活動している。

Focus - Focus V
https://www.youtube.com/watch?v=27uhBtNl2EQ
未発表音源などによるShip of memoriesから。


[ 1977年 ]
栄光のオランダ・プログレッシブ・ロック

 自分にとってオランダ・プログレッシブロックの最後の輝きは、1977年、Finchの3rdアルバムの1曲目 Unspoken Is The Word。

Finch / Unspoken Is The Word 1977年
https://www.youtube.com/watch?v=c-tH3E8JnFQ
イタリアのLocanda delle fateも1977年だった。





 Earth & Fireは1979年にプログレッシブロックとの決別ともいえる「Reality fills fantasy」発表し、Weekendがオランダやドイツで1位になる。

Earth & Fire - Weekend
https://www.youtube.com/watch?v=jbvj8KU57aw

 Earth & Fireは最後のアルバム1982年のIn a State of FluxまでMellotronを使い続けました。

Van Halen - Jump 1984年
https://www.youtube.com/watch?v=bq-potK_7Ts





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2020年10月21日

追悼RIP・スペンサー・デイヴィスSpencer Davis 〜 Gimme Some Lovin' キーボード・プログレッシブロックの先駆者

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今日の1曲
  The Spencer Davis Group - Gimme Some Lovin' 1966年


 再びイギリスから訃報です。「キープ・オン・ランニング」「愛しておくれ」「アイム・ア・マン」などのヒット曲で知られるスペンサー・デイヴィス・グループの創設者、スペンサー・デイヴィスが10月19日に亡くなりました。

 「愛しておくれ(ギミ・サム・ラヴィン)」はイギリスでチャート2位になり、世界的にヒットしました。日本にも影響を与えました。1960年代の横浜のライブハウスをリアルタイムで経験した人から、自分の体験ではパワーハウスになる前の時期のベベズが横浜では一番凄くて、Gimme Some Lovin'をゴールデンカップスを超えるような凄い迫力で演奏していたと聞きました。

  "Gimme Some Lovin'"は、” the Rolling Stone magazine's list of The 500 Greatest Songs of All Time”で247位にランクされています。そのリフは、Led Zeppelin - Baby, I'm gonna leave youやシカゴの長い夜にも影響を及ぼしているでしょう。

 グループ結成時に弱冠14歳だったというスティーヴ・ウィンウッドは、後にFocusを結成するタイス・ヴァン・レアーにも影響を与えました。青い影、Niceとともにスペンサー・デイヴィス・グループはキーボード主体のプログレッシブロックの先駆者といえるでしょう。

 スペンサー・デイヴィスのご冥福をお祈りします。RIP

The Spencer Davis Group - Gimme Some Lovin'. Stereo 1966
https://www.youtube.com/watch?v=ko3m0NBbq1o

Spencer Davis Group - "Gimme Some Lovin" (1966) Live
https://www.youtube.com/watch?v=qPgUhDaAWho





posted by カンカン at 07:10| 神奈川 ☀| Comment(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月19日

追悼RIP・ゴードン・ハスケルGordon Haskell 〜 2ndアルバムIt is and it isn’tとKing Crimson

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知られざる大傑作 2ndアルバムIt is and it isn’t


今日の1曲
 Gordon Haskell - アルバム It is and it isn’t 全曲1971年
 King Crimson - Cadence and Cascade 1970年



 キング・クリムゾンが1970年に発表したセカンド・アルバム『In The Wake Of Poseidon(ポセイドンのめざめ)』(一部)とサード『Lizard(リザード)』の制作に参加したヴォーカリスト/ベーシストのゴードン・ハスケルが、74歳で亡くなりました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3b9e8863e84f2f52bb3da81f0182370e9a45fc0f


〜 傑作2ndソロアルバム 〜 Gordon Haskell "It Is & It Isn't" (1971)


 ゴードン・ハスケルを初めて知ったのはキング・クリムゾンのリザードでした。しかし、B面の1曲目のジョン・アンダーソンのハイトーンの方がインパクトがあり、印象に残りませんでした。

 次にゴードン・ハスケルを知ったのは、2ndソロアルバム"It Is & It Isn't"です。カットアウトのアメリカ盤でしたが素晴らしいジャケットと音楽の内容に魅了されました。今まで聴いたボーカルアルバムでも最高の1枚でした。

 Gordon Haskell "It Is & It Isn't" (1971) - Full Album
https://www.youtube.com/watch?v=BZnOXi71yIA&list=PL8a8cutYP7fqPzAwdqcT1UdqSl8c9_G-B&index=2
LPのA面、B面12曲通して、流れるように素晴らしい。ビートルズレベルのメロディーセンスをもったAORの先駆者とも言える知られざる超名盤。
SSW系歌物では、Ciro Dammiccoの1st、Tony Kosinec / Bad Girl Songs, 荒井由美「ひこうき雲」、久保田早紀「夢語り」、Riccardo Cocciante / Margheritaと並んで好きだった。





 2ndが素晴らしかったので、1stアルバム“Sail in my boat”に憧れましたが、入手困難で聴くことはできませんでした。
 久々に、2ndアルバムを聴きなおしましたが、やはり素晴らしい。50年もたっても色あせない名盤だと思います。






〜 キングクリムゾンのゴードンハスケル 〜


 今回、ゴードンハスケルがキングクリムゾンを脱退したのは、自分の力がキングクリムゾンでは発揮できなかったからだったということがわかりました。
 Otis Reddingのような歌が好きだったそうです。
 
King Crimson - Cadence and Cascade (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=VbVjLPFhpcs
今まで、ゴードン・ハスケルのボーカルとは知らなかった。アコースティックギターに合う味わいのある歌。

King Crimson - Cadense And Cascade ( Greg Lake Vocal Version )
https://www.youtube.com/watch?v=Y3CE7Pz6Ynk
LP製作中に脱退したグレッグ・レイクがゴードンハスケルのためボーカル・ガイドに歌ったヴァージョン。





King Crimson - The Battle Of Glass Tears
https://www.youtube.com/watch?v=us4BlXcPIig
この曲も2:23からのメロトロンが強烈で、その前のゴードンハスケルのボーカルは覚えていなかった。今聞きなおすと複雑な曲の中で重要な導入部だった。





 ゴードンハスケルの"It Is & It Isn't"のボーカルは、十代のころに派手なインストロックだけではない音楽の深い感動を教えてくれた1枚でした。
 RIP 


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posted by カンカン at 14:50| 神奈川 ☔| Comment(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月15日

追悼・筒美京平 〜 トランスの元祖オックスと太田裕美のクラシカルポップ

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今日の1曲
 太田裕美 / 九月の雨 1977年
 太田裕美 雨だれ 1974年
 オックス / スワンの涙 1968年
 オックスOX/オックス・クライOx Cries (1969年)ライブ


 日本歴代1位のヒット曲を作った作曲家筒美京平さんが亡くなりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%92%E7%BE%8E%E4%BA%AC%E5%B9%B3
1940年新宿牛込生まれだと空襲も体験されたのだろうか。


 本ブログがスタートした2008年6月2日「今日の1曲」の第1曲目が、太田裕美の「9月の雨」でした。その後、太田裕美のコンサートに2度通い、ブログでも書きました。筒美京平は太田裕美の黄金期のほとんどの曲を作りました。






〜 1968年のGS オックス 〜 トランスの元祖 〜
 
 
 オックスの「スワンの涙」は子どものころの音楽原体験の一つでした。筒美京平は、タイガース、テンプターズに対抗するため、オックスのデビュー曲から5枚のシングルAB面すべての作編曲を作詞家の橋本淳とともに任されたのでした。

 近田春夫の1979年の著書「気分は歌謡曲」の「初版」に、全くメディアに出なかった筒美京平の希少なインタビューが掲載されていました。近田春夫のヒット曲に関する質問に対して、「それはやっぱり長年のカンかなあ。もしかしたら、グループサウンズのあのムーヴメントが、ただで終わっていないのかもしれない」と語っていたのが一番印象に残っています。

 筒美京平の最初のオリコンベスト10ヒットが1968年のオックスの「ガールフレンド」と「スワンの涙」。筒美京平は「ヒット曲をだしたときの快感、醍醐味はあたってみないとわからない」と述べています。 

オックス スワンの涙
https://www.youtube.com/watch?v=e6wSlMFMPiQ
間奏でビートルズのインマイライフのようなクラシック風のピアノが入る。
筒美京平のルーツはクラシックで、歌謡曲は聞かなかったという。その後ジャズコンボを結成し、レコード会社に就職後、タイガースの作曲家すぎやまこういちから作曲を学んだ。


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 オックスは演奏者も観客も失神するというトランス状態を最初に引き起こしたバンドでもありました。
 これによってGSのコンサートが各地で禁止になり社会問題になりました。

オックス 失神パフォーマンス
https://www.youtube.com/watch?v=LwsFM2u9M7o
伝説の失神パフォーマンスの秘蔵映像。宝塚を参考にしたともいうが、実際の映像を見るとすごい迫力がある。テレビ出演者も皆唖然としている。

オックス 失神について 赤松愛
https://www.youtube.com/watch?v=KZ5XD-7YYbA
その後、ビーイングブームをプロデューサーとして支えたギターの岡田志郎は「あれはトランス状態になってステージに倒れ込んだのが発端」と語っている。野口ヒデトは「今のXのヨシキ君がかつてのオックスだった」と語っていた。

オックスOX/オックス・クライOx Cries (1969年)ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=NAdk-Ae6NRs
スワンの涙のB面。オックスのトランス感覚が最も現れた筒美京平作編曲によるオリジナル曲。ライブ盤「OX ステージNo.1」より。観客の熱狂状態を伝えるライブ。ドラムとギターソロもすごい。






〜 1974年の太田裕美 〜 クラシカル・シンフォニック・ポップ


 太田裕美の1974年11月1日のデビュー曲「雨だれ」は、日本では少ないヨーロッパ風のシンフォニックポップスの名曲。クラシックから始めたという筒美京平の作品中で最もクラシカルな作品。近田春夫とのインタビューでも、筒美京平はバート・バカラックから最も影響を受け、しっとりしたものが好きという。

 松本隆が「はっぴいえんど」解散後に生活のため歌謡曲の作詞家となり、かつての仲間から四面楚歌となったとき、「最初に戦った」のが太田裕美だったと語っていました。松本隆も、筒美京平は「最初から兄弟で、ピッチャーとキャッチャーで、今は右半身と左半身が引き裂かれる思い」と追悼していました。

太田裕美 雨だれ
https://www.youtube.com/watch?v=DYvlN9QgkQY
ショパンのようなイントロで始まるデビュー曲。太田裕美自身も弾き語りをしていた。編曲は萩田光雄。筒美京平は編曲家も自分で決めていた。

太田裕美 雨だれ ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=okKuxME5cYE
https://www.youtube.com/watch?v=J84mg3t6RmY

 ピアノとストリングスの響きが美しい1977年の「九月の雨」は、作詞松本隆、作編曲筒美京平による、クラシカルポップの集大成だと思います。
 思えば、小学生・中学生時代にテレビラジオで流れる筒美京平の曲は、生活の一部でした。いままでありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

太田裕美 / 九月の雨
https://www.youtube.com/watch?v=yoYfq3xG8Kw





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2020年10月08日

追悼RIP Gianfranco Lombardi U 〜 カッコいい女性ボーカル・イタリア編 オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni U

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国内シングル盤 オルネラ・ヴァノーニ Gianfranco Lombardi編曲
 A面 逢びき L'Appuntamento  1970年
 B面 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年


今日の1曲
 オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni
       - La voglia di sognare 1975年
  Ornella Vanoni - 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年
  Ornella Vanoni – 逢びきL'Appuntamento  1970年
          「小さな村の物語イタリア」テーマ曲


 Umberto BalsamoのMai Piuを1982年に聴いて以来、Gianfranco Lombardiは私にとって最高のアレンジャーの一人でした。しかし、イタリアでGianpiero Reverbeliの名は多くのレコードでみつけられたのですが、Lombardiの名は見当たりませんでした。

 最近、オルネラ・ヴァノーニOrnella Vanoni の1975年のシングル La voglia di sognareのアレンジが、Lombardiによることがわかりました。この曲は最近発見した曲の中では一番美しい曲の一つです。特にロンバルディによるイントロは素晴らしい。

 そこで今回は、「カッコいい女性ボーカル・イタリア編」オルネラ・ヴァノーニ Ornella Vanoni の2011年12月23日以来、9年ぶり2回目の登場です。


Ornella Vanoni - La voglia di sognare
https://www.youtube.com/watch?v=Nwx6ADLrrMc
白黒映像

Ornella Vanoni - La voglia di sognare
https://www.youtube.com/watch?v=VXqpdS7LD8o
カラー映像

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 La Voglia di Sognareは、Carla VistariniとLuigi Lopezによって書かれ、1974年に歴史的なラジオ番組GranVarietàのテーマソングに使用され、1975年にイタリアの権威あるイタリアレコード批評家賞 il Premio della Critica Discograficaを受賞しました。ちなみにOsannaは、1971年のL’uomoと1978年のSuddanceで2回、この賞を受賞しています。

 作詞家Carla Vistariniと作曲家Luigi LopezのコンビはRiccardo Fogliなどの多くのヒット曲を送り出しています。La Voglia di Sognareは、Vanoni、Vistarini、Lopez、Lombardiの4者にとって、最高作の一つといえるのではないかと思います。





 そして、ヴァノーニの1970年代のAristonやVanilaレーベルの作品のほとんどがロンバルディの編曲だったことを知りました。1970年代初期のMinaとReverberiのような関係にあったようです。そのような経歴があったから、BalsamoやNew Trollsであのような素晴らしいアレンジができたのかと初めて納得しました。

 Vanoniの1976年のPiuはNew Trollsが演奏を担当しましたので、そのつながりからロンバルディがNew Trolls の1978年のAldebaranの編曲をサポートしたのかと思われます。

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Ornella Vanoniの1964年以降のシングルチャート。1967年のLa musica è finitaが最初のLombardiの編曲。1970年代の多くはLombardiによる。

 Vanoniは1965年から1970年にかけてSanremo音楽祭に5回出場して、カーザビアンカで最高2位を受賞し、イタリアではMinaと並ぶ大スターでした。ですから、このころのVanoniの映像は、有無を言わせぬカッコよさがあります。

Ornella Vanoni - 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=Hlb-6jEHD1o
口パクだが、かっこいいライブ。
音源はロンバルディ編曲のオリジナルヴァージョン 

Ornella Vanoni - 陶酔のとき Il Tempo Di Impazzire 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=Jx7PGJPLYus
ロンバルディ編曲の音源で実際にヴァノーニが歌ったライブ映像。





 日本でも最近、BS「小さな村の物語イタリア」のテーマ曲でヴァノーニの「逢いびき」が毎回使用され、知られるようになりました。これもロンバルディの編曲でした。
 改めて、ジャンフランコ・ロンバルディのご冥福をお祈りします。

「小さな村の物語イタリア」テーマ曲 逢いびき(イタリア語歌詞付) 歌手:オルネラ・ヴァノーニ   L'appuntamento, Ornella Vanoni
https://www.youtube.com/watch?v=xe_B9BWkHkw
オリジナルヴァージョン

Ornella Vanoni - L'Appuntamento (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=wLa4YpCSd5M
ロンバルディ編曲のオリジナルヴァージョンのオケで歌うライブ







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2020年10月04日

追悼RIP Gianfranco Lombardi ジャンフランコ・ロンバルディT 〜 Umberto BalsamoとNew Trolls

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今日の1曲
  Umberto Balsamo - Vivi come vuoi  1982年
  Umberto Balsamo - Quando ci si lascia 1982年
  New Trolls ‎– Là Nella Casa Dell' Angelo 1981年


 また、たいへん思い出深いイタリアの編曲家Gianfranco Lombardiが79歳で亡くなりました。Lombardiは、1963年にAdriano CelentanoのバックバンドI Ribelliにベースで参加後、編曲家となり、400の作品に参加しました。

https://it.wikipedia.org/wiki/Gianfranco_Lombardi_(pianista)

 本ブログを2008年に始めたときの「今日の1曲」の3曲目がウンベルト・バルサモUmberto Balsamoの「愛を置き去りにして Quando ci si lascia」でした。そのときは音源がみつかりませんでした。

2008年6月4日 今日の1曲 B Umberto Balsamo
http://soleluna.seesaa.net/article/99377111.html

 この曲が入ったアルバム「Mai Piu」は、全曲バルサモ作詞作曲、ジャンフランコ・ロンバルディ編曲です。曲とアレンジが、1+1=2ではなく、3,4になる稀有の例の一つだと思います。

 このアルバムを購入して本当によかったと思います。1983年から山口冨士夫のライブに行くようになったころ、加部正義のMoon like a moonなどとともに家で一番多く聴いたレコードでした。バルサモがきっかけで、イタリアンポップスへの関心が一挙に高まりました。

 Polydor時代の作品はCDで再発されましたが、このFonit-Cetraの作品はCD化されていません。8曲とも素晴らしい大名盤だと思います。幸運にも全曲Youtube のUmberto Balsamoのチャンネルで聴けるようになりました。

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1985年にスイスで買ったシングル盤

Umberto Balsamo - Vivi come vuoi
https://www.youtube.com/watch?v=dIO5oZsLhoM&list=OLAK5uy_mARps2sGD4AQ1hOFPVB-6K5yxpBhOHmao&index=5
LPのB面1曲目。別次元に吸い込まれるストリングスは生音でなくシンセサイザーと思われるが、1982年まででは聴いたことがなかった音。本アルバムではYMOのようにシンセサイザーのプログラマーがクレジットされている。

Umberto Balsamo - La radio
https://www.youtube.com/watch?v=YQlvaKNpw6c
A面の3曲目。エンディングでソリーナのストリングスのような音が拡がる。
Popol VuhやTangerine Dreamの全盛期のような透徹した哀感。

Umberto Balsamo – 愛を置き去りにしてQuando ci si lascia
https://www.youtube.com/watch?v=35Z3m8A5Wvc
B面3曲目。本アルバムのハイライト。Nataliと双璧。




Umberto Balsamo -おやすみなさいUn saluto
https://www.youtube.com/watch?v=NWjJr87Fulg
B面最後の曲は、本アルバムのスタッフと自分に対する慰労で、プロデューサー・バルサモの達成感が感じられる内容の詞。

「僕と同様、疲れ切ったアレンジャー(ロンバルディ)
良くやった フィネッティ(サウンドエンジニア) ありがとう
今じゃ 皆 一人前
僕は お役ごめんだね

おやすみなさい
なぜか ひとりぼっちの人に おやすみなさい
それから 自分にも おやすみ」


 その後、40年間ロンバルディの編曲は、バルサモ以外にみつけられなかったのですが、New Trollsの1981年の名曲 Là Nella Casa Dell' Angeloの編曲が、New TrollsとLombardiの共同作業だったことが、New Trolls のGianni Bellenoの追悼文から初めてわかりました。

  Là Nella Casa Dell' Angeloは人気音楽番組「Discoring」のテーマ曲で、個人的にはConcerto Grosso Adagioに次ぐ、New Trollsの最高楽曲。 

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New Trolls ‎– Là Nella Casa Dell' Angelo 1981年
https://www.youtube.com/watch?v=i0KDP2RCo8E
2:20〜の最大のハイライトもLombardiの力に負うところが大きいのだろう。
Balsamoが翌年、New Trollsと同じCetraに移籍してLombaldiを起用したことへも影響があると思われる。

 さらに1978年のAldebaranの編曲も、New TrollsとLombardiの共同作業だったことを知りました。

New Trolls - Quella carezza della sera (Discoring 07/01/1979)
https://www.youtube.com/watch?v=SAr-n-aZZMY
New Trollsのシングルでは最大ヒット曲。

New Trolls - Suite disco
https://www.youtube.com/watch?v=lSq8L_pNpJI
この曲もNew Trollsの楽曲とバンドアレンジにLombardiが加わって素晴らしい展開になっている。





 ブログでも次々と追悼が続き、たいへん寂しいですが、ショーケンが亡くなったころから、故人への今までの感謝の気持ちを強くするようになりました。
 RIP Maestro Gianfranco Lombardi

 Gianni Bellenoの追悼文
 「人生が私たちに与えてくれたものを私たちから奪うことはできません。ジャンフランコ大好きです。もう一度やります..... R.I.P!!!!」 

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2020年09月28日

追悼ルイズルイス加部 ザ・ゴールデンカップスThe Golden Cups

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今日の1曲
 ザ・ゴールデン・カップス The Golden Cups/銀色のグラス Love Is My Life 1967年
  The Golden Cups / Got my mojo working 1969年
  PINK CLOUD / WASTED 1983年
  加部正義MASAYOSHI KABE - ONLY THE YOUNG 1983年
  加部正義Masayoshi Kabe – Hatsunecho 初音町 2015年


「ザ・ゴールデン・カップス」ルイズルイス加部さん死去 71歳、圧倒的なベースプレー武器に活躍
https://news.yahoo.co.jp/articles/4cc4435aa03c6e5d19a2c607a5fb82f63130a4ad


 また悲しいニュースが入りました。マモルマヌーさんに続いてゴールデンカップスのルイズルイス加部さんが亡くなりました。伝説のスーパーベーシストでした。今までたいへんな影響を受けてきました。思い出を振り返ってみました。

1979年ごろ
 ラジオで「グループサウンズベスト100」という人気投票がありました。子供のころ好きだったのが、タイガースとテンプターズとオックスでした。このラジオを録音して、初めてゴールデンカップスを知りました。驚いたのは「銀色のグラス」の速いスピードのベースです。ベスト100にカップスは4曲入っていてこのカセットは宝物になりました。2位がテンプターズの「エメラルドの伝説」で、これも初めて聞いて感動しました。

 ネットのない時代は情報が少なく、雑誌POPEYEの「1960年代特集号」で「銀色のグラスのベースにみんなびっくり仰天した」、また1981年の「グループサウンズ最高!」という本にも「銀色のグラスのベースにはハッとするようなカッコよさがあり、ゴールデンカップスが伝説となっているのもわかる」という記述がありました。また鈴木いずみの小説にも書かれていました。

ルイズルイス加部の自伝「気ままに生きる」より「銀色のグラス」の記述
https://www.berrys-cafe.jp/pc/book/n730755/30/
「気ままに生きる」によると、村八分のチャー坊が山口冨士夫とバンドをやろうとルイズルイス加部を誘ったが、ジョニー・ルイス&チャーが決まっていたので実現しなかった。

ザ・ゴールデン・カップス The Golden Cups/銀色のグラス Love Is My Life
https://www.youtube.com/watch?v=cyZRRMr85s4

エメラルドの伝説/ザ・ゴールデン・カップス(カバー)
https://www.youtube.com/watch?v=55tLTdUcw5s
1969年4月10日発売のオムニバスアルバム「なかにし礼作品集・四つの明星」より。ルイズルイス加部のチャンネルに登録されている。加橋かつみも1971年のライブでこの曲を歌っていた。



 

1982年か1983年ごろ
 ルイズルイス加部のいるピンククラウド(ジョニー、ルイス&チャー)のライブを本多劇場に見に行きました。当時ジョニー、ルイス&チャーは「かっこいい」日本のロックバンドの王道でした。

PINK CLOUD / WASTED 1983
https://www.youtube.com/watch?v=HYElwr4V_MI
ピンククラウドといえば自分はこの曲。2年前の下北沢ガーデンでのジョニー吉長追悼ライブで、ルイズルイス加部が飛び入りで参加しこの曲を演奏したとのこと。 





1983年
 4月から山口冨士夫のライブに行く。1976年にルイズルイス加部とリゾートというバンドを作ったという情報を知る。6月ごろ加部正義名義のソロアルバム「MOON LIKE A MOON」が出て、ベースでなくギターを弾いていたが、ピンクフロイド的な音もある素晴らしいアルバムだった。

加部正義MASAYOSHI KABE - ONLY THE YOUNG
https://www.youtube.com/watch?v=cCIOYpRN0DA
アルバム最後の曲。ジャケットのイラストも本人によるもの。





1984年
 夏、「ゴールデンカップ」など本牧を訪ねる。本牧の住宅街にあったクーラーのない小さな図書館で休んだのが懐かしい。
 1984年の終わりごろ、カップスの「スーパーライブセッション」を入手し、LPの1曲目「モージョワーキン」のジャズのようなランニングベースに驚く。

The Golden Cups / Got my mojo working -
https://www.youtube.com/watch?v=UuDrdz86bVQ





浅草リバーサイドフェスティバルのパンフレットより
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1986年
 野外フリーの浅草リバーサイドフェスティバルで、再びピンククラウドのライブを見る。小雨だったと記憶しています。
 このころ、ミッキー吉野さんからサインをもらい、六本木「ゴールデンカップ」でデイブ平尾さんと握手してもらう。

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1992年
 ルイズルイス加部は、テンプターズの大口広司、フラワートラベリンバンド篠原信彦とともに山口冨士夫の「Atmosphere」に参加し、4月12日に川崎クラブチッタでライブを見ることができました。





1993年
 8月14日横浜寿町のフリーコンサートで、パワーハウスのチーボー、陳信輝、ピンククラウドのルイズルイス加部、ジョニー吉長によるバンドのライブを見ました。最後の曲はクリームのクロスロードでした。その後に、山口冨士夫がアコーティックギターだけで出演。

1998年
 日本のニューロックのCD再発が始まり、伝説のフードブレインやスピードグルー&シンキを聴けるようになりました。

Liver Juice Vending Machine - Food Brain
https://www.youtube.com/watch?v=xWVzVXW3P9s
1970年





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1999年
 ゴールデンカップスが取り上げられた「天使はブルースを歌う」を読む。






2003年
 ゴールデンカップスのコンサートを初めて横浜パシフィコで見る。ゴールデンカップスは31年ぶりの再結成で話題になっていた。


映画「ワンモアタイム」の半券とチラシ
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2004年
 ゴールデンカップスの記録映画「ワンモアタイム」を見る。初めて「愛する君に」「I'm So Glad」の全盛期の映像を見て驚く。映画館でマモルさんからサインをもらう。

The Golden Cups-I'm So Glad (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=IrXJ3vpvKww

2006年
 夏、本牧ジャズ祭の帰りにバスを降りて、初めて「ゴールデンカップ」に入る。ピザを頼んでジャズを聴いた。

2014年
 横浜高島屋に「ゴールデンカップスの時代展」を見に行く。エディ藩さんにサインをもらう。

2017年
 幻だったリゾートの音源が発売される。

リゾート(山口冨士夫&加部正義)  / One more time (Them cover) live 1976
https://www.youtube.com/watch?v=LhzznWdoQRw





加部正義Masayoshi Kabe – Hatsunecho 初音町
https://www.youtube.com/watch?v=1RdJ2ygIZ3g
2015年.加部正義作曲


 今回振り返って、ルイズルイス加部のライブには40年間で5回も行っていたことがわかりました。これは山口冨士夫の9回に次ぐ回数でした。加部さんが武相高校3年生のとき2年生で1人だけマモルさんが加部さんたちのグループに入ったそうです。
 今までありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。





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エディーさんのサイン




2020年09月24日

追悼 ジュリエット・グレコ RIP Juliette Gréco



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今日の1曲
 ジュリエット・グレコ Juliette Gréco - 街角 Coin de rue
 Juliette Gréco - La Javanaise


ジュリエット・グレコさん死去 仏シャンソンの大御所
https://www.asahi.com/articles/ASN9S2H3GN9SUHBI004.html?iref=comtop_photo


グレコ自身の選曲による2015年の62年間の集大成ベスト盤



 フランスの歌手、ジュリエット・グレコが93歳で亡くなりました。1950年代から1960年代まで日本ではシャンソンもたいへん人気がありました。グレコはアイドルで、かつフランスやパリを象徴する文化人として1961年の初来日では国賓並みの扱いを受けたそうです。そこでジュリエット・グレコという名前だけは子供のころからよく聞いていました。

1961年初来日時の写真(1965年来日パンフレットより)
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726ページの大作「シャンソンのアーティストたち」でもグレコに最大のページがとられている。



 1983年にシャンソン喫茶の銀巴里でウェイターをしたのがシャンソンに関心を持ったきっかけでした。美輪明宏さんは、小学生時代からの憧れがSP盤で聴いたエディット・ピアフだったので、グレコは歌っていなかったと思います。しかし、多くの歌手がグレコやジャック・ブレルを目標にしていました。

 まだ動画が貴重だった1992年にVHSビデオ「シャンソン・フランセーズ / ジュリエット・グレコ / 街角」を買いました。それまでに持っていた1960年代のRolling Stones、James Brown、Doorsや1973年のGenesisのビデオと同じぐらい1950年代、1960年代のグレコは「かっこいい」と思いました。

 James Brownが「動」の極みとすると、Juliette Gréco は「静」の中に「動」が隠れているイメージでした。そこで、6800円もしましたが、予備にもう1本ビデオを電話で注文したところ「残念ですが品切れです」と言われました。


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25pLP「枯葉」

 1949年にデビューしたジュリエット・グレコは、世界初のビジュアル系かつ社会派シンガーとも呼べるかと思います。グレコはサルトルなど実存主義者たちに支持されてサン・ジェルマン・デ・プレのミューズと呼ばれ、写真がライフ誌に掲載され有名になりました。グレコはジャズが好きでマイルス・デイビスと恋人になりましたが、マイルスから自分と一緒にいてはいけないと言われ、別れることになりました。1954年にグレコはまだ無名だったジャック・ブレルの「OK悪魔」という反戦歌を歌うようになりました。

ジュリエット・グレコJuliette Gréco / 街角Coin de rue  
https://www.youtube.com/watch?v=0M3ksNml--M
1950年代末期と思われる。VHSビデオにも収録されビデオのタイトル曲となった映像。





Juliette Gréco - Moulin Rouge
https://www.youtube.com/watch?v=cg0VlriQaYs
1950年代のかっこいい画像が多く登場。

Si Tu T'Imagines - Juliette Gréco (Tokyo, 1961)
https://www.youtube.com/watch?v=zcrujIHaNiU
1961年初来日。厚生年金会館の貴重映像。

 
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 無名時代のSerge・Gainsbourgもグレコに憧れ、グレコに捧げたのがゲーンズブールの最高傑作とも言われるラ・ジャヴァネーズ。グレコの生涯通じての代表曲の一つとなりました。

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Juliette Gréco "La Javanaise"
https://www.youtube.com/watch?v=GEpaVG3As-c

Ibrahim Maalouf & Juliette Gréco - La Javanaise  Live 2014
https://www.youtube.com/watch?v=t9fpMy5iE0I
87歳とは思えないオランピア劇場でのライブ。この後の来日公演がグレコの最後の日本でのコンサートになった。



1996年来日時のパンフレットと曲目
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2列目で見ることができた
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 1996年に1度だけグレコの来日コンサートを相模大野で見ました。
 そのときもグレコは、街角とラ・ジャヴァネーズを歌いました。
 ありがとうございました RIP

グレコの自伝



国内ベスト盤25pLP
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posted by カンカン at 15:24| 神奈川 ☁| Comment(0) | シャンソン〜70年代フレンチポップス French Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月22日

追悼岸部シロー ザ・タイガース

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ファンクラブ限定と思われるシングル盤 あわて者のサンタ


今日の1曲
 ザ・タイガース / ハートブレイカー 1970年ライブ
 ビー・ジーズ Bee Gees/若葉のころFirst Of May



シローが加入した後期タイガース



 またGS関連、ザ・タイガースの岸部シローさんが亡くなってしまいました。
 タイガースは40年程前に全シングル盤を集めるほど好きでした。LPも最後の解散ライブが虎模様のカラーレコードで、リーフレットなども豪華でした。
 

ザ・タイガース /ハートブレイカー ライブ
The Tigers / Heartbreaker (GFR cover)
https://www.youtube.com/watch?v=zGAVr41IuLM
伝説の1970年田園コロシアム野外ライブ。このころすでに解散することが決まっていたため、鬼気迫るライブになったという。岸部シローがサイドギター、森本太郎がリードギターを担当。





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山野楽器の写真展。初めてタイガース・アゲインのLPを見たこと、会場の司会者の人が「みなさんが持っていないレコードもあるかもしれません」と言っていたことを覚えている。


 タイガースは1982年の同窓会ライブ(ピー不在)、2012年の沢田研二のタイガース実質再結成ライブ(トッポ不在)をいずれも武道館で見ました。2013年には6人全員揃った完全再結成ライブを東京ドームで行いました。
 2012年1月25日のブログで2012年ライブのレポートを書きました。

[感涙 ザ・タイガース コンサート at 武道館 2012年1月24日]
http://soleluna.seesaa.net/article/248405402.html

 2012年のライブのときは、シローさんは兄の岸部一徳さんに押されて車いすで登場し、闘病の中で自虐ネタのギャグを連発して笑わせ続け、すごい人だと思いました。 
 ご冥福をお祈りいたします。









ビー・ジーズ Bee Gees/若葉のころFirst Of May (1971年)
https://www.youtube.com/watch?v=hFDc_TmY4TE
2012年1月のタイガース再結成ライブの千秋楽、解散からちょうど40年ぶりの武道館公演で、岸部シローが車いすで座って歌った名曲。





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2020年09月10日

追悼マモルマヌー ザ・ゴールデンカップス

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1967年7月15日発売のデビューシングル「いとしのジザベル」


今日の1曲
 ゴールデン・カップス / 愛する君に
 ゴールデン・カップス / グロリア
 ゴールデン・カップス / もう一度人生を
 ゴールデン・カップスThe Golden Cups / Let me love you


 ホームセンターで、歌謡ヒット曲集などと並んでゴールデンカップスの廉価CDを初めて見ました。ゴールデンカップスは改めて一般にも凄い人気だったんだなと思っていたところ、マモルマヌーさんの訃報を新聞で知りました。

 今年の4月23日のジャッキー吉川さん追悼のブログでも書いたように、2003年に横浜でゴールデンカップスのライブを見ることができました。そして、2004年、ゴールデンカップスの記録映画「ワンモアタイム」のロードショーのときに、「今、マモルマヌーさんが来場されていて、サイン会を行います」とアナウンスがあり、サインをもらうことができました。

 以前、山口冨士夫がダイナマイツの解散後に、ドラムがマモルマヌー、ギターとキーボードが成毛滋で4人のバンドを作る予定だったという記事(日本のロック体系・白夜書房)を読みました。それが事実だったのかをサインのときに尋ねたところ、マモルさんが笑顔で「本当ですよ」と答えてくれました。





ゴールデンカップス「愛する君に」1968年 テレビライブ
https://www.youtube.com/watch?time_continue=1&v=X4SmagtyIe4&feature=emb_title
1968年9月1日発売「愛する君に」の驚きのカラー映像が登場。マモルマヌーのドラムはグルーブ感がある。


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マモルマヌーさんのサイン

 
 ゴールデンカップス「スーパーライブセッション」の赤盤LPを買ったのは30年ぐらい前でした。これが日本のバンドか?!と40年前に初めて聞いた「銀色のグラス」以来の衝撃を受けました。特にB面の1曲目「Gloria」イントロのマモルマヌーのドラムの深くえぐる重い緊張感は何かの儀式のようでした。ゴールデンカップスは「ゴールデンカップ」でベトナムに向かう米軍兵のために演奏していました。

ゴールデンカップス / グロリアGloria (Them Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=fMAfO2DojX4
ゴールデンカップスの実力が世界レベルだったことを証明するLP「スーパーライブセッション」(ライブハウス・ゼン)より。リードボーカルは父がアメリカ将校で、自身も兵役に服したケネス伊東。最後の曲「ゼンのブルース」ではパワーハウスの柳ジョージと陳信輝が参加。





ザ・ゴールデン・カップス もう一度人生を 
https://www.youtube.com/watch?v=5eC53-F2tcE
ゴールデン・カップスの傑作の一つと評価されている名曲。マモルマヌーの名唱。





ザ・ゴールデン・カップスThe Golden Cups Let me love you (Jeff Beck Cover)
https://www.youtube.com/watch?v=65IGqwrAyDE
ルイズルイス加部がギターで、ハードロック寄りのサウンドが炸裂する渋谷公会堂でのライブ「ゴールデンカップスリサイタル」より。本家ジェフ・ベックより凄いのでは。「スーパーライブセッション」の発売が1969年8月1日、「ゴールデンカップスリサイタル」の発売が10月10日。2か月でライブ盤2枚というのはとてつもない。世界でもトップクラスだったのではないか。このアルバムを最後にマモルマヌーが脱退。

 全盛期のグループサウンズをライブハウスでたくさん見た人が、ゴールデンカップスが一番ずば抜けていて突き刺さるような音だったと言っていました。
 マモルマヌーさんのご冥福をお祈りします。


マモル・マヌー 夕陽は傷だらけ
https://www.youtube.com/watch?v=QKw0aApCWJc
ゴールデンカップス脱退後のシングル。筒美京平作曲。
Rare BirdのSympathyからの影響を感じるドラマティックな曲と歌。





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2020年09月01日

癒しのメロトロン Mellotron ドイツ編 Wallenstein Jürgen Dollase 再び

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Cosmic Music [Gilles Zeitschiff]の付録ポスター
Jürgen Dollaseがメロトロンを使用したWitthuser und Westrupp、Wallenstein、Sergius Golowin



今日の1曲
  Witthuser und Westrupp - Die Schlusselblume 1972年
  Sergius Golowin - Die weisse Alm 1972年
  Walter Wegmüller / Der Weise 1972年〜1973年
  Wallenstein / Song Of Wire 1973年
 Wallenstein - Dedicated to Mystery Land 1973年ライブ 


 7月の長雨に続き、8月の猛暑も終わりそうな気配がしてきました。台風で大きな被害が出ないことを祈るばかりです。コロナについても、日本でも外国でも少しずつですがコンサートの告知が出るようになってきました。

 久々の「癒しのメロトロン」はドイツ編、すでにブログ「カテゴリー:メロトロン」で紹介したWallenstein、Cosmic JokersのJürgen Dollaseです。彼は幼少からピアノを学び、普段からベートーベンを弾き、セミプロとしてバーでピアノなどを演奏していました。

 Wallensteinの1stから3rdの歌詞には直接的、暗喩的にベトナム戦争が書かれ、メロトロンにも重い時代背景があります。Jürgen Dollaseの幽玄の美学ともいうべきメロトロンをもう一度振り返ってみました。


[1971年]


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Blitzkrieg時代の写真:左からHarald Grosskopf Wolfgang Steinicke Jürgen Dollase

 最初期のWallensteinはBlitzkriegというバンド名で、現在は有名な天文学者Wolfgang Steinickeがギターを担当していました。Blitzkriegの名のイギリスのバンドがあったため、Wallensteinに変更しました。

 Wallensteinの1stから8thは、Scorpionsで世界的に著名なプロデューサーDieter Dierksスタジオで制作。Scorpions以前、WallensteinはDierksが最も力を入れて最初に成功したバンドでした。WallensteinのメロトロンM400はDierksスタジオのもの。

 1971年に加入したギタリストのBill Baroneによると、DierksスタジオでWallensteinの1st録音の際、M400をJurgenが弾くときに自分がチューニングしたそうです。BaroneもMellotronが好きで、Moody Bluesのファンとのこと。

Wallenstein / Audiences [Blitzkrieg]
https://www.youtube.com/watch?v=jTHoKm0jD9o
1971年録音の1stアルバム最後の曲。6:10からラストまで、暗黒に光が射すようなストリングス・メロトロン。VocalはJerry Berkers。ベトナム戦争現地でバンド演奏の際にダンサーの銃殺と銃撃戦を体験し、そのトラウマから後にコカインで死亡。






[1972年]

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左から Bill Barone Harald Grosskopf Jürgen Dollase Jerry Berkers 
オムニバスLP「Rapunzel」より


 Wallenstein の2nd、Mother Universeは、1972年8月のフランスの音楽誌で月間ベストアルバムに選出。ドイツ本国以外で高く評価されたドイツロックの最初のLPといえます。このころはKraftwerkもTangerine Dreamも外国ではまだ無名で、Can、Amon Duul 2がイギリスで発売されていた程度でした。

Wallenstein / Mother Universe
https://www.youtube.com/watch?v=E_ATd5vRvWk
1曲目。1:12からストリングス・メロトロン。5:07「天国への階段」の影響と思われる転調を経て、ラストまでメロトロンが響き渡る。Jerry Berkersの生前葬ともいえる深い歌詞。

Wallenstein / Mother Universe 歌詞Lyrics
https://lyricstranslate.com/ja/wallenstein-mother-universe-lyrics.html





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Witthuser und Westrupp / Bauer Plath の内ジャケットのJürgen Dollase


 1972年6月には、同じPilzレーベルのフォークデュオWitthuser und WestruppのBauer PlathにBerkersベース、Harald Grosskopfドラムス、Dollaseキーボード・メロトロンがゲストで参加しています。

Witthuser und Westrupp - Die Schlusselblume [Bauer Plath]
https://www.youtube.com/watch?v=d-GewRK3bgE
冒頭から鈴のようなサウンドの背後のストリングス・メロトロンはまさに幽玄の美学。後半はMother Universeに匹敵する名演。





 さらにDollase、Berkers、Grosskopfは、Ohr、Pilzレーベルから選抜されたCosmicセッションに1972年から参加。Klaus SchulzeやManuel Gottschingらとセッションを重ねます。

Sergius Golowin - Die weisse Alm  [Lord Krishna von Goloka]
https://www.youtube.com/watch?v=ZUclO6TwqIo
Dollase作曲。Witthuser und Westruppのツインアコースティックギターと癒しのコーラス・メロトロン。 





Sergius Golowin - Die weisse Alm 別ヴァージョン [The Cosmic Jokers / Gilles Zeitschiff]
https://www.youtube.com/watch?v=QAv5ds6Kt48
9:45からDie weisse Almの別Mixで、ウインドチャイムとDollaseの語りが加えられている。この曲の前後は、Timothy Leary+Ash Ra Tempel / Seven Up。全般にKlaus Schulzeのシンセサイザーが使用された。





Walter Wegmüller / Der Weise  [Tarot]
https://www.youtube.com/watch?v=j7sV9byAAjY&list=OLAK5uy_mK2tTYWP8rE7TV0qKAGqelbB0lUuFACds&index=10
TarotアルバムでKlaus Schulze自身が詞を朗読する異色作。0:36、3:31のDollaseのコーラス・メロトロンに癒される。

Walter Wegmüller / Die Zerstörung  [Tarot]
https://www.youtube.com/watch?v=2BhPg6VoPRc&list=OLAK5uy_mK2tTYWP8rE7TV0qKAGqelbB0lUuFACds&index=18&t=0s&fbclid=IwAR3WYAZPkTBbK6exjfVRMM_AT1AxqRvAGJNqx3oFFV2tIhi0GHAX4InE2xc
ピアノ、ストリングス・メロトロンにコーラス・メロトロンが加わる陶酔の音。2枚組LPのC面の最後で、D面の大曲への導入部となる。






[1973年]


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「BRAVO LP」と印字されたWallenstein / Cosmic Centuryの2ndプレス。


Wallenstein - Dedicated to Mystery Land (1973)ライブ [Mother Universe]
https://www.youtube.com/watch?v=6ZIq2m9OCWQ
Wallensteinの当時の人気を証明するスイスTVでの驚愕のカラー映像。ボーカルだったベースのBerkersは精神に異常を来して脱退し3人で演奏。イントロで、Tangerine DreamやCosmicセッションからの影響と思われる効果音を使用。

 1973年4月〜7月ごろのDierksスタジオでのThe Cosmic JokersのセッションではGalactic Supermarketで、Dollaseがコーラスメロトロンを大胆に使用しました。

The Cosmic Jokers / Kinder des alls [Galactic Supermarket]
https://www.youtube.com/watch?v=e_icIBkF5CA
DollaseのコーラスメロトロンにKlaus Schulzeのシンセサイザー、 DollaseのPianoが絡む。Tangerine Dreamの全盛期にも匹敵するCosmic musicの傑作。





 Mother Universeで勢いを得たWallensteinは、3rdアルバムCosmic Centuryを発表。1973年11月にドイツで月間ベストアルバム「BRAVO LP」に選出されています。Song Of WireではCosmic セッションで発見したコーラスメロトロンを大々的に使用。

Wallenstein / Song Of Wire [Cosmic Century]
https://www.youtube.com/watch?v=-Qa-XHc9cV4
6:36コーラスメロトロン。7:20からラストまでが、Baroneのギターと絡むDollaseのメロトロンの最後の輝き。

Wallenstein Symphonic Rock Orchestra / Silver Arms (オーストリアTV, 1973) [Cosmic Century]
https://www.youtube.com/watch?v=t1G8OEPqTus
これもWallensteinの当時の人気を証明する貴重なカラー映像。2:13でバックにメロトロンを使用。





 Wallenstein、Jürgen Dollaseの「癒しのメロトロン」もまたベトナム戦争の終結とともに役割を果たしたと思えます。Wallensteinは4thでメロトロンの使用を止め、1977年から1981年までメンバーを変え、ポップバンドとして別の道を歩むようになりました。

Wallenstein-Charline 1978
https://www.youtube.com/watch?v=iGCjzXVPgtQ
ドイツで17位にランクされたヒット曲。


1970年代初期のドイツロックを網羅した著作



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posted by カンカン at 23:46| 神奈川 ☁| Comment(0) | メロトロン Mellotron  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月15日

天地真理 / 水色の恋 再び

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今日の1曲
 天地真理 / 水色の恋 Live 1974年
 天地真理 / 水色の恋 ピアノ演奏 1972年
 天地真理 / 水色の恋 1971年


 猛暑が続いております。体調にお気を付けください。
 夜なのに33.5度というのは初経験です。頭と、体温を一番下げるという脇と首を冷やしています。扇風機であおるとかなり楽になります。
 
 ブログも暑さでなかなか進みません。
 そこで、今回は、清涼感あふれる天地真理のファルセットボイス。水色の恋、再び(3度目?)です。1974年のライブヴァージョンと本人のピアノ演奏もみつかりました。



天地真理 / 水色の恋【天地真理 オン・ステージ1974年】から
https://www.youtube.com/watch?v=Ozz2YLiE1js

https://www.youtube.com/watch?v=IaO7rWhzqec&t=126s
1曲目が水色の恋。ハイトーンが美しい。





天地真理 ピアノ演奏 水色の恋 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=ZaIH3ssVDoE
2歳で親が離婚して母子家庭で育った天地真理。
天地真理の全盛期は、ベトナム戦争末期、村八分〜山口冨士夫「ひまつぶし」期、イタリアンプログレッシブロック全盛期と一致している。


天地真理 水色の恋 1971年 オリジナルシングル
https://www.youtube.com/watch?v=Pe8vwYe0fTY





天地真理デビュー前 「水色の恋」原曲 幻の「ちいさな私」を歌う
https://www.youtube.com/watch?v=6RnMkwUzro0
テレビ「ヤング720」1970年





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2020年07月20日

Locanda delle fate 1978年カラー映像

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シングル盤 Locanda delle fate / New York 1978年


今日の1曲
  Locanda delle fate / New York 1978年


 本ブログで2012年来日レポートも紹介したLocanda delle fateの貴重な1978年のカラー映像がみつかりました。同年のシングル盤のAB両面を紹介しており、いずれもプログレとポップスの架け橋になる佳曲で、Locanda delle fateの実力がわかります。

 特にNew YorkはLe OrmeのSeraに似た雰囲気を持ち、昔から好きな曲でした。 作曲者のMichele Contaは現在は医師として活躍し、コロナ問題でも尽力されています。新譜Endless Nightsも発表しています。





ロカンダ・デッレ・ファーテ wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%83%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%86

 イタリアン・プログレッシブ・ロックの始期については1971年のLe OrmeのCollageとするのが多数説のようですが、終期については1977年のLocanda delle fate の1stアルバムと言えるでしょう。

 実際にはイタリアン・プログレは1974年にベトナム戦争終結で創造力を失い、オイルショックで業界が不況になり、政治問題でロックコンサートが禁止され、ほとんど途絶えました。Locanda delle fate は時期を外したまさに最後の輝きでした。

 Locanda delle fate / Nove Lune, New York 1978年カラー映像
https://www.youtube.com/watch?v=OkyDdrFWFJc&feature=share&fbclid=IwAR3IWxA3QNabMAAvx3XwFzCrXun89Z1ZHkrEouAV32OEFIjn5nmHlWjqo5I
6:17 司会者がジョン・トラボルタやBee Geesの話をした後にNew Yorkの演奏。
イタリアン・カンツォーネやプログレがDiscoに変化したことがわかる映像。
 

1977年の1stアルバム。シングル2曲をボーナストラックとして追加



Locanda delle fate / New York, Nove Lune Live
https://www.youtube.com/watch?v=fQI8R2dMZ7M
Leonardo SassoがVocalをとった再結成時のライブも発見。


2012年来日時のサイン
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Locanda Delle Fate - Live At RAI (1977) Full Show
https://www.youtube.com/watch?v=zOVbF7Dq2_g&t=86s
1stアルバムからのライブ。イタリアの国営放送で30分の単独ライブというのは珍しい。当時のイタリアで最高レベルのバンドだったことがわかる。


1977年のRAIでのライブを収録



 今日は30度を超し暑くなりましたが、卓上冷風機のおかげで頭が回っています。地球温暖化を少しでも抑えられるように、自分の部屋は今年の夏もクーラーなし、ローコストの卓上冷風機で頑張ってみようと思います。





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2020年07月07日

追悼 エンニオ・モリコーネ Ennio Morricone

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Ennio Morriconeがミーナのために作曲・編曲した唯一の曲「束の間に燃え尽きて」Se telefonandoを収録した唯一の国内盤レコード



今日の1曲
  Renzo Zenobi - E ancora le dirai ti voglio bene
  Riccardo Cocciante / Quando finisce un amore
  Riccardo Cocciante / Lucia
  Milva - La Califfa
  Mina - Se telefonando
 Ennio Morricone Nuovo Cinema Paradiso "Tema finale"
  Ennio Morricone 海の上のピアニスト The Legend of 1900
  Ennio Morricone Once upon a time in America



 イタリアの巨匠エンニオ・モリコーネが91歳で亡くなりました。
そこで、思い出深い曲を振り返ってみました。

 まずRenzo ZenobiのE ancora le dirai ti voglio beneは、12年前にブログを始めてみようと思ったきっかけの曲です。祖母の死で体調を崩し、回復に向かうころにCDをみつけました。「今日の1曲」の2曲目に選んだ曲です。


Renzo Zenobi - E ancora le dirai ti voglio bene
https://www.youtube.com/watch?v=DOhYhg-dGHo
ラストのコーラスの編曲が特に美しい。何百回でも聴ける。


唯一のCD。E ancora le dirai ti voglio bene収録のベスト盤



Riccardo Cocciante / Anima 初版ジャケットを使用したカセットでは、LPのB面1曲目のMorricone編曲Quando finisce un amoreがA面の1曲目に配置された。
シングル盤ではB面のQuiの編曲をMorriconeが担当。
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 Riccardo Cocciante / Animaは、Concerto per Margheritaの次に購入したLPで、Margherita同様に捨て曲のない傑作。8曲中、4曲がMorricone編曲で、歌、オーケストラ、コーラス全てが素晴らしく衝撃を受けました。

Riccardo Cocciante / Quando finisce un amore Live
https://www.youtube.com/watch?v=t9IGHhrpFiM
Morricone編曲のオリジナル音源に乗せてライブで歌う貴重映像

Riccardo Cocciante / Lucia
https://www.youtube.com/watch?v=iPlkpYOiRq8
2:30からのMorricone編曲の展開が素晴らしい


Animaの再版LPのジャケットはミシェル・フォロンの絵だけが印刷されていた。
タイトルとArranged by Ennio Morriconeと明記されたCD  



 ミルバのLa Califfa は本ブログでも頻出ですが、Morricone自身が「Milvaに捧げる」というアルバムの1曲目であり、ミルバ、モリコーネ双方にとっても最高傑作の1つだと思います。

Milva - La Califfa 1976 
https://www.youtube.com/watch?v=EkvH5rOCSwE
今回はカラー映像で。口パクで、オリジナルLPと同じ音源。





 イタリアの女王ミーナにもMorriconeは作曲編曲して1曲だけ提供しています。


Mina - Se telefonando「束の間に燃え尽きて」
https://www.youtube.com/watch?v=0i465if_hRY





 以下、サントラで思い出のメロディーを挙げてみました。
 RIP Maestro Ennio Morricone


Nuovo Cinema Paradiso "soundtrack final" "Tema finale"
https://www.youtube.com/watch?v=qMgTCtSxOHE
ニューシネマパラダイス





海の上のピアニストPlaying Love - The Legend of 1900
https://www.youtube.com/watch?v=WfzBx8SSQOU





Once upon a time in America-Ennio Morricone
https://www.youtube.com/watch?v=D4W17gTumi8





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2020年06月30日

〜 KISSのジーン・シモンズのドキュメント番組 〜








今日の1曲
  Kiss - I Was Made For Lovin' You 1979年


NHK「ザ・ヒューマン「誇り高き悪魔 ジーン・シモンズ」
https://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=22755


  引退するKISSのジーン・シモンズの3月28日BS・NHKのドキュメントは反響を呼び、2時間拡大版の再放送、NHK総合では30分編集の再々放送がされました。コロナ非常事態宣言の禍中で体調が苦しかったこともあり、とても感銘を受けました。

 衝撃だったのは、彼の母がナチスの強制収容所に送られ、両親と兄が殺害され彼女だけ生き残ったという事実です。彼は最も影響を受けたという母からずっと「生きて健康であれば勝者」「生き残った者には責任がある」と言われてきたそうです。
 ステージ衣装の重さは20キロもあるとのこと。

 他の発言より。「誰からも好かれる音楽ではないかもしれないが、他がやらないことをやっている」「ビートルズほどにはなれなかったが、悪くはない」「暗闇の中にいる人の光になれたらいい」「子どもの笑顔が一番だ。お金で買えないからだ」

 今まで知らなかったジーン・シモンズの素顔がわかりました。
 同じ1949年生まれの山口冨士夫や原爆被災地広島出身の矢沢永吉に通じるものを感じました。


Kiss - I Was Made For Lovin' You
https://www.youtube.com/watch?v=ZhIsAZO5gl0
やはりホロコーストで父を失ったエドガー・フローゼのTangerine Dreamから始まったシンセサイザーサウンドも取り入れた1979年の大ヒットDiscoナンバー





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posted by カンカン at 22:25| 神奈川 ☔| Comment(0) | アメリカンポップス American Rock & Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月12日

カッコいい女性ボーカル イタリア編 ALICE Gilda Giuliani ~ 1973年甲子園の江川卓 ブログ12周年

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アリーチェALICE - Prospettiva Nevski 1985年


今日の1曲
 アリーチェALICE - Prospettiva Nevski 1985年
 Alice Visconti - IO VOGLIO VIVERE 1975年
 ジルダ・ジュリアーニGilda Giuliani
       - Parigi a volte cosa fa 1973年 世界歌謡祭グランプリ
 甲子園春夏の江川卓 1973年
 James Brown - Soul Power +Get Involved Live 1971年



 東京では今日からカラオケも解禁になり、コロナの状況は徐々に良くなっています。
 これからは「自粛ではなく自衛を」とのこと。カラオケで採点したり、録音して聞き直すと、つくづく自分の歌が情けなくなりますが、また行きたいです。

 そこで今回は久々に、カラオケ下手には憧れの「カッコいい女性ボーカル」特集。
 イタリア編、アリーチェとジルダ・ジュリアーニです。いままで、Inga Rumpf、Shannon、Dalida、Janis Joplinなどを紹介してきました。


 〜 アリーチェ Alice ビジュアル系実力派 〜


 まず、1985年のアリーチェAlice。ロングヘアーからスーパーモデル級の美貌に変身。鬼才Franco Battiato作品を最先端のエレクトリック・ポップのアレンジで歌っています。Battiatoは1970年代初期に実験音楽を作っていました。

ALICE - Prospettiva Nevski 1985年
https://www.youtube.com/watch?v=z06p2UxNdOg
あえてシングルカットせずに、ビジュアルと一体の作品としてRAIなどで放映する戦略をとったと思われる。

ALICE - Prospettiva Nevski 英訳付き
https://www.youtube.com/watch?v=qiDZKzFfV5U
Battiatoの歌詞はニジンスキーのロシアバレエ団のことなど。

 Aliceは1954年生まれ。
 1971年にI PoohのTanta voglia di ireiを歌ってコンテストで優勝し、1972年にサンレモ音楽祭、ベネチア音楽祭で本名のCarla Bissiでデビュー。

 1975年にAlice Viscontiとして再デビュー。
 I PoohのDorazio作曲のIO VOGLIO VIVERE(I want to live)でも、サウンド&ビジュアルの美しさで圧倒しています。

Alice Visconti - IO VOGLIO VIVERE 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=EbIfOZ-77sw
歌う前はヤジも飛んでいるが、次第に聴衆も沈黙していく。I Poohや当時のイタリアンポップスで、ここまでシンセサイザーやオーケストラに没入したサウンドはないのでは。





 〜 ジルダ・ジュリアーニGilda Giuliani 剛速球系実力派 〜


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10年に一人の大型新人と呼ばれたジルダ・ジュリアーニ。第4回世界歌謡祭でグランプリと最優秀歌唱賞を受賞。1970年代の世界歌謡祭はサンレモ以上の権威を持っていった。


 ジルダ・ジュリアーニもアリーチェと同じ1954年生まれ。こちらも鳴り物入りで1973年にサンレモ音楽祭でデビュー。19歳で参加した同年11月東京の世界歌謡祭では、「愛の流れの中に」 Parigi a volte cosa faで、ギリシャのDemis Roussosなどを抑えてグランプリと歌唱賞を同時に受賞。

 ジルダ・ジュリアーニは、アリーチェと異なり圧倒的な歌の声量と抑揚、テクニックで圧倒する剛速球系実力派。難解なシャンソンなどもこなす。New TrollsのConcerto Grossoのように悲劇的、感傷的なイタリアオーケストラのアレンジも全盛で、歌を支えていました。

 1973年はベトナム戦争がまだ泥沼状態で、イタリアのProgressive Rockでも深刻な内容の傑作群が生まれた時期。彼女のMinaとMilvaを合わせたような情念の歌からは、そのような時代背景も感じられます。

Gilda Giuliani - Parigi a volte cosa fa 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=yu_9Vivwh_0
1:25〜  野球のピッチャーに例えれば、154キロの直球ストレートど真ん中。
3:10〜  唸りを上げて高めにホップする160キロのストレートに空振り!
3:57〜  プログレ風間奏からの半音上げた150キロの高速スライダーに見逃し三振

 しかし、ベトナム終戦後は時代も変わり、悲運にもジルダ・ジュリアーニのような実力派歌手たちは、世間からは求められなくなりました。 壮麗なオーケストラによる伴奏も消えていきました。

 しかし、ジルダ・ジュリアーニは今でも、自殺したイタリア史上最高の歌手とも呼ばれるMia Martiniのカバー曲集を2008年に出したり、Edith Piafの愛の賛歌を録音するなど、実力派歌手の歌を歌い継いでいます。

 

〜 1973年甲子園・春夏 江川卓

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 コロナのためにオリンピックだけでなく、春夏の高校野球もついに中止になってしまいました。若い人たちは目標を失ってつらいと思いますが、負けずに頑張ってほしいと思います。

 先日、高校野球史上最大の怪物と呼ばれながら、映像が少なかった江川卓の甲子園での貴重映像がみつかりました。江川卓は1955年生まれで、ジルダ・ジュリアーニ、アリーチェと同年代でした。

昭和48年1973年夏 江川卓 奪三振集 (柳川商戦)
https://www.youtube.com/watch?v=T2bdUPw5sAs
どの球も凄いが、3:18の内角低めは本当に速い。投球を続けて見ていると、James BrownやLTDのKickin’backの強烈なグルーブ感を伴ったFunkビートのようだ。

James Brown - Soul Power +Get Involved Live1971年
https://www.youtube.com/watch?v=SmrZRcfYWvA
イタリアのRAIで放映されたMinaの番組Teatro10でのライブ。ALICE、Gilda Giuliani も当然見て影響を受けたはず。放送の翌日、イタリアの子供たちはJames Brownの真似をしていたという。


Soul Power +Get Involved 今までで一番聴いたCDの1枚



 江川が一番速かったのは、1973年夏ではなく、春の選抜だったとのことで、数少ない映像を探してみました。1回戦の対戦相手で大阪代表の北陽高校は、優勝候補で全国で最高のチーム打率でしたが、作新学院江川の前に19三振で完封負けしています。

江川卓 甲子園 選抜で最も速かった男 1973年春
https://www.youtube.com/watch?v=p-dxrtInTRA&t=272s
2:10の高めにホップする速球は160キロを超えているのではないか。相手校応援団の少年の嘆く顔がすべてを物語っている。高校生の試合にノーラン・ライアンやロジャー・クレメンスが現れて本気で投げているようなものであろう。その後の江川の野球人生はジルダ・ジュリアーニと同様に平坦なものではなかった。

 1973年、江川卓が甲子園で、ジルダ・ジュリアーニが日本武道館で、160キロの剛速球を投げる姿が重なるような気がします。当ブログも6月でおかげさまで12周年になりました。野球のネタを出したのは初めてかと思います。


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2020年05月31日

癒しのメロトロン Mellotron イギリス編 グレイシャス Gracious 1st LP 1970年

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1970年ワイト島でのGraciousのメロトロンMKU(鍵盤の左・右半分で違う音が出る)


今日の1曲
  Gracious / Heaven 1970年
  Gracious / The Dream 1970年


 やっと緊急事態宣言が解除されましたが、コンサート、音楽フェスティバル、イベント、カラオケなどはまだ回復できません。
 いままで当たり前だと思っていたことが、いかに有難かったかを感じます。

 今回の「癒しのメロトロン」はイギリス編で、1970年のGraciousの1stアルバムを振り返ってみました。Gracious は1969年のKing Crimsonからの影響を受けてポップバンドから音楽性を変えています。

 King CrimsonのEpitaph、In the court of the Crimson King(イアン・マクドナルド)や1970年のIn the wake of Poseidon(ロバート・フリップ)のメロトロンが世界の最高峰であることは, 多くが認めているところだと思います。

 イアン・マクドナルドがベトナム戦争の惨状を見た衝撃からKing Crimsonができたと言われており、ピート・シンフィールドの「混乱は我が墓碑銘」というEpitaphの歌詞とともにそのメロトロンは悲壮感に包まれた厳粛なものです。


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1970年の日本盤のグレイシャスの帯。「結果として生まれたサウンド。それがグレイシャスのクラシックロックですよ」と書かれている。
 
 King Crimsonの1stのメロトロンの使用が3曲で全面的だったのに対して、Graciousの1stでは2曲で、しかも2カ所で部分的にしか使用されていません。しかし、そこではメロトロンMKUの吸い込まれるような陶酔的サウンドを聴くことができます。

 メロトロンの「普及版」M400でさえ日本で1974年に約100万円でした。1960年代に高級楽器として開発されビートルズ、キング・クリムゾンなどしか所有できなかったMKUをたった2カ所だけ自分たちの真の心の「癒し」のために使用した印象を受けます。


Gracious / Heaven
https://www.youtube.com/watch?v=CBW61eKBTHU
1:07からまさに天国のようなメロトロンがオルガンに絡む。

Gracious / The Dream
https://www.youtube.com/watch?v=uSl2O-Nso7g
8:01からのメロトロンが本アルバムの最大の聴きどころ。

Gracious / Introduction
https://www.youtube.com/watch?v=53Vs5rn9W1I
アルバム1曲目の冒頭はEkseptionのようなチェンバロが美しい。

 Graciousの1stアルバムは、もともとビートルズを目指して書き溜められた小曲集が、キングクリムゾンの大曲主義とメロトロン、ナイスなどのクラシックから引用する手法などからの影響で再構成されたように思えます。

 



Gracious ‎- Once On A Windy Day (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=jQ4nVUD-fyE
LP未収の1970年のシングルは、フルート、ストリングスのメロトロンが使用された佳曲。


 ELPがデビューした1970年のワイト島フェスでのGraciousのMKUの貴重映像が発掘。曲は1971年の2ndアルバムに収録されるSuper Novaと思われます。2ndでのメロトロンは1stアルバムと異なり、全面的かつ攻撃的なタッチで使用されています。

Gracious at the 1970 Isle of Wight Festival
https://www.youtube.com/watch?v=sbf_5kV73I8
13:15から癒し系のストリングス・メロトロンが聴かれる。


 ビートルズ、キング・クリムゾンとともにグレイシャスのMKUはブリティッシュロックの記憶に残るでしょう。


MKU、M400などのメロトロンの歴史が語られるDVD



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posted by カンカン at 22:31| 神奈川 ☁| Comment(0) | メロトロン Mellotron  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月13日

音楽の夢 〜 追悼 Kraftwerk フローリアン・シュナイダー 〜 癒しのフルート

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LP Ralf & Florianのジャケット裏側の写真 1973年の伝説のKling Klangスタジオ


今日の1曲
  Kraftwerk  Tongebirge 1973年
  Kraftwerk  Tanzmuzik Live 1973年
  Kraftwerk  Autobahn 1974年


Michael Rother (Kraftwerk, NEU! Harmonia)による追悼文
フローリアン・シュナイダーのフルートの魅力についても触れている。
https://www.uncut.co.uk/features/blogs/read-michael-rothers-eulogy-to-florian-schneider-126501/?fbclid=IwAR0e1dSd7HBHNJduV1ZHkxNWfEOlE4cmGTyFW5s996YvWp6ax7N9xgjrrPY


 Kraftwerkのフローリアン・シュナイダーが亡くなりました。Kraftwerkは「テクノのゴッドファーザー、テクノのローリングストーンズ」とも言われますが、私がクラフトワークで最初に買った3rdアルバムRalf & Florianは、まだMini Moogなどを使用せず、フルートの響きが美しいサウンドでした。

 少ない小遣いで買ったレコードは宝物でしたので、思い出深いです。
ノートによると1975年7月31日に西武渋谷B館地下1階にあったCiscoの前身Be-inで、ドイツ盤のRalf & Florian、同時にアメリカ盤のNEU! 75も買っています。

 これらは、BeatlesのLet it beから数えて14番目、15番目ぐらいの自分で買ったLPだったと思います。クラフトワークの1st〜3rd、ノイはまだ国内盤は出ていませんでした。初めて国内盤のクラフトワークのアウトバーンが出た頃です。

Be-inからの Ciscoの歴史を初めて知ることができた本



 当時、クラフトワークの情報は、ほぼ皆無でした。
 雑誌Music Lifeで、以下の記事を読んだだけでした。

  ダモ鈴木「クラフトワークって人気があったんだ。もう解散しちゃったけどね」1973年
  エノ(イーノ)「ノイ、ハルモニアなどドイツのグループが素晴らしいです」 1974年 

最初のKraftwerk研究書の出版は1999年。Neu!との関係などが解明された。



 LPを買うきっかけは、1975年6月に買ったTangerine DreamのPhaedraの解説です。このライナーは素晴らしいもので、間章はドイツロックを体系的に紹介し、その分類の中でこう書いています。

  「ノイ クラフトウエルク (どちらも二人だけのグループで電子機器と様々な楽器によって実験的即興演奏を行う注目すべき音楽性をもつ)」





 初めて入ったBe-in で、Ralf & FlorianとNEU! 75だけみつかりました。Be-inのレコード袋は黒い紙だったと記憶しています。輸入盤は初めてでした。Be-inでは、その後10月に「アモン・デュールU / 狼の街」の国内盤を買いました。3枚とも素晴らしかったのでBe-inは良き思い出です。買った時を想像すると、癒される気持ちになります。

1970年代前半と思われる渋谷西武Be-inの広告。レコードだけでなくヒッピームーブメントの関連商品を扱っていたことがわかる。レコード袋には右下のロゴが印刷。
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 Ralf & Florianは特大ポスター付きで音も素晴らしく、2人の写真は(このときは)好青年、他方NEU! 75は最初は音にがっかりし、写真も病人のようでした。
 しかし1976年に聞いた回数は、NEU! 75とFocus / Hamburger Concertoがトップで、Focus / Moving Wavesが3位、Ralf & FlorianとPhaedraが5位でした。初めはいい加減な音楽と思ったNEU! 75のHeroの細部の凄さに引き込まれました。後にデビッドボウイがHeroesを作るきっかけになるとは想像もつきませんでした。

 ベトナム反戦など反体制活動が世界で最も過激だったドイツで、Kraftwerkもまたその音響上の活動体であると自認していました。
 1972年までの作品や、ライブ音源、後のNEU!の2人とフローリアン・シュナイダーの3人によるライブ映像などでは過激な電子ノイズとドラムスが中心になっています。


1971年〜1972年のRalf不在の激動期も詳しく解明された本。



 しかし、Ralf が復帰した1973年のRalf & Florianは、理想郷を求めるようにLP全てがクラシックに通じる穏やかさに包まれています。Moogシンセサイザーの先駆者から1972年にアコースティック路線に転換し、当時絶賛されたPopol VuhのHosianna Mantraからの影響も感じられます。
 
 そこで、フローリアン・シュナイダーへの追悼として、思い出深い3rdアルバムRalf & Florianの全曲を、45年前の記憶を辿りながら振り返ってみました。
 その中から、癒しのフルートの曲を思い出してみました。


Kling Klang スタジオのイラスト(Ralf & Florian付録ポスターより) 
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Kraftwerk / Ralf & Florian 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=YMdd1B9Q1wg

0:00 A面1曲目 Elektrisches Roulette 
 1975年、冒頭のエレクトロニクスの音は全く斬新だった。しかしフルートの主旋律は親しみやすく、表現はコミカルだった。この1か月前の6月30日に買ったベルリンのTangerine Dream / Phaedraの内宇宙に向かうシンセサイザーの世界とは全くアプローチが異なっていた。この音こそがベルリンの壁で閉鎖された中と外の違いなのだろう。

4:24 A面2曲目 Tongebirge 
 続く2曲目で完全にKraftwerkの世界に引き込まれた。癒しのフルートとシンセサイザーの共演は、他に類のないオリジナリティー。今聴いても新しい。Tangerine Dream / Alpha Centauliのフルートからの影響も感じる。Florianはクラシックの学校でフルートを学んだ後に、1960年代はジャズのバンドでもフルートを吹いていた。

EmilによるElektrisches Roulette, Tongebirgeのイメージイラスト、譜面
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7:17  A面3曲目 Kristallo
  2曲目からリズムの入った3曲目への展開が見事で、このLPを買ってよかったと心底思った。エレクトリックチェンバロとも言えるキーボードとシンセリズムの絡んだ音は聴いたことがなかった。ビートルズの影響を感じるテープの逆回転も新しかった。それまで聴いていたELPなどのProgressive Rockの音楽性とドイツのそれは全く異なっていた。

13:37 A面4曲目 Heimatklange
 A面ラスト4曲目は再び動から静へ戻り、ピアノとフルートの曲で癒される。それはB面への導入部とも言える。1st、2ndの過激な音から離れた穏やかな音と曲構成は、Popol VuhのHosianna Mantraからの影響を強く感じさせる。

17:21 B面1曲目 Tanzmusik
 このLPの中核になる曲。この曲は国内盤がなかったにもかかわらず、当時DJで人気No1だった落合恵子のラジオ番組のテーマソングに使用されていて驚いたが、違和感がなかった。Kraftwerkの音楽が革新的でありながら普遍性があったのはメロディーが美しかったからに他ならない。この曲のリズムのサウンドは次作アウトバーンへの布石となる。タイトルは「ダンスミュージック」。CanはJames Brownからの影響を公言しているが、Canの後輩になるKraftwerkも黒人音楽の影響を受けていたのであろう。KraftwerkがHiphopにまで影響を及ぼすとは1975年には想像もつかなかった。

24:00 B面2曲目 Ananas Symphonie
 Tanzmusikの緊張感から解放されたこの曲は、45年前はほとんど聴かなかった。イラストのポスターでは南国の海をイメージしていた。今回初めて最後まで聴いたが、1st、2nd にで聴かれた過激な実験的ノイズから離脱した脱力的な音楽であり、ベトナム反戦などの時代背景からの決別とも感じられる。初めてヴォコーダーを使用した曲。

★ Kraftwerk / Tanzmusik 1973 Live映像
https://www.youtube.com/watch?v=UIbSkw4yvec
Ralf & FlorianのB面1曲目Tanzmusikのライブ。A面最後4曲目Heimatklangeをイントロに置いて、フルート入りにした渾身のアレンジ。3人目のメンバーが電子ドラムを初めて使用したライブであり、Autobahnへの架け橋となる歴史的な貴重映像。


〜 Kraftwerk / アウトバーンAutobahn 〜


 1975年7月にRalf & Florianを買った前後に、クラフトワーク4枚目の作品アウトバーンの国内盤が発売されました。幸運なことにFMラジオでアウトバーン全曲の放送を録音でき、そのカセットテープは宝物になりました。
 アウトバーンのLPを買ったのは1977年12月8日で、青いジャケットのイギリスVertigo盤でした。今はオリジナルドイツVertigo盤よりもそちらの方が公式ジャケットになっているようです。

 アウトバーンは良曲ばかりで、A面に大曲を置く構成は、Tangerine DreamのPhaedraからの影響が感じられました。
 先週体調を崩し非常に苦しい状態に陥りました。そこで、昔、何回も聴いたアウトバーンについても、癒しの観点から45年ぶりに聴きなおしてみました。


Kraftwerk / Autobahn (2009 Remaster)
https://www.youtube.com/watch?v=vkOZNJYAZ7c&t=1165s
1:18 テクノの夜明けとも言えそうな美しいテーマ
3:21 グルーブ感のあるシンセサイザーリズムはPhaedraからの影響と思われる 
3:30 この曲では序盤でのみ、癒しのフルートが使われている。
8:15 ここからメロディーのない鋼鉄のビート。Man Machineの始まり
14:30 前作Ralf & Florianのキーボードの音
16:50 スローからアップテンポへ。ラストまで美しい展開。
19:00〜19:30 個人的にはKraftwerkの最高到達点。リズムはNEU!のFür immerそのもので、初期Kraftwerkに与えたKlaus Dingerの影響を感じさせる。ダモ鈴木もKlaus Dingerの存在が際立っていたと言っていた。KraftwerkはAutobahnの世界ツアーにMichael Rotherを誘ったがRotherはNEU! Harmoniaの活動を優先させたという。

 Autobahn のB面の「大彗星」はPart1で半分に落としたスピードをPart2で元に戻すというもので、これもNEU!2からのアイディアといえます。最後は朝の散歩というフルートの穏やかな音楽だったと記憶しています。




 1976年8月3日にKraftwerkの1st、2ndのドイツ盤を購入。カラーコーンを使った赤と緑の素晴らしいジャケットでした。しかし、メロディアスな3rd、4thを聴いた後にこれらを聴くと極めて実験色が強く、メロディーがないため、ほとんど聴きませんでした。
 ただ1st、2ndとも1曲目はRuckzuck、Kling Klangという後のテクノリズムの原型となる重要な曲が収録されています。

 最後に買ったクラフトワークのLPは5thアルバム放射能でした。
 
Kraftwerk - Radioactivity
https://www.youtube.com/watch?v=M0D7MBBI2Ik
RadioactivityのLPからはこの曲だけ繰り返し聴いた。2:00から2:40までメロトロンのようなコーラスの和声進行に癒される。モールス信号のようなサウンドを担当しているのがフローリアン・シュナイダー。




 
 クラフトワークの1stから5thまでのLPは深い記憶に刻まれています。

 RIP Florian Schneider


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posted by カンカン at 20:56| 神奈川 ☀| Comment(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月05日

癒しのメロトロン スペイン編 Mellotron in Spain 1974年 ベトナム戦争終息への時代

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Music Life 1974年6月号でのメロトロンの広告。当時の価格が887,000円 (9000Euro) 。


今日の1曲
 Canarios – Ciclosより「春」1974年
 Eduardo Bort – Yann 1974年

 前回、1974年のエディ潘とオリエントエクスプレスの 9 O’clockで、メロトロンの癒しの力に改めて気づきました。デイブ平尾やエディ潘は、ゴールデンカップスの時代背景にはベトナム戦争があったと語っていました。

 1974年はベトナム戦争が終息に向かっていく時期であり、9 O’clockのメロトロンにも緊張から解放されるような安らぎが感じられます。
 そこで、昔好きだったメロトロンの作品をもう一度振り返ってみました。

 1974年にはスペインでもメロトロン入りの傑作が2作発表されています。ロス・カナリオスは1960年代からのビートバンドでしたが、突如ビバルディの四季をアレンジした2枚組のLPシクロスCiclosをリリース。

 なぜか日本ではLP1枚に編集され別ジャケットで発売されました。
 私が入手した2枚組ドイツAriola盤は、タイトルがCyclesで豪華なブックレットもついていました。

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 シクロスでは、シンセサイザーやメロトロンを多用していますが、今でも唯一印象に残っているのは、「春」の第3楽章の1カ所で感動的に使われるストリングスメロトロンです。昔もそこばかり聴いていました。

Canarios - Ciclos (Álbum completo)
https://www.youtube.com/watch?v=Za4DxmWkPak
13:20〜13:55 本作品中、最も印象的なストリングスメロトロン





 スペインのメロトロンではEduardo Bortも素晴らしい。最近来日して日本でもライブを行っています。最後の曲Yannの最終パートでは、フルートとストリングスを混ぜたようなメロトロンの哀愁漂うメロディーに癒されながらフエードアウトしていきます。

Eduardo Bort - Yann
https://www.youtube.com/watch?v=V4kxSmlVb28
8:35からラストまで癒しのメロトロン。宇宙でギターを弾くジャケットの世界が広がる。


オリジナルLPはジャケットが縦に拡がって、宇宙にBortが座っていたと思います。



 Los Canarios、Eduardo Bortのメロトロンは、いずれも1974年のベトナム戦争の終息と安らぎへの音と言えるでしょう。
 コロナの戦いも早く終息に向かうことを願うばかりです。

「免疫力を高める生活をしましょう!」(所沢市のホームページより)
https://www.city.tokorozawa.saitama.jp/kenko/karadakenkou/hoiryo20200316135050451.html


 Eduardo Bort は今年亡くなっていたことがわかりました。
 一度だけ「今、Yannを聴いています」というメールを交換したことがありました。
 RIP Eduardo Bort (1948-2020)

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posted by カンカン at 19:51| 神奈川 ☁| Comment(0) | メロトロン Mellotron  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月27日

癒しのメロトロン・日本におけるメロトロン使用曲・名曲選U Mellotron in JapanU

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エディ潘とオリエントエクスプレス1974年唯一のアルバム




今日の1曲
 エディ潘とオリエントエクスプレス / 9 O’clock

 
 今回は、昨年8月以来の日本でのメロトロン使用曲です。

  癒される音楽を探していたところ、前回のブログで紹介したゴールデンカップスが1972年に解散した後に結成されたエディ潘とオリエントエクスプレスの1974年の唯一のアルバムがみつかりました。LP発売当時Music Lifeの「Folk & Rock in Japan」のコーナーで見て、ジャケットが印象に残ったものの、ずっと入手困難でした。

 ホーンセクション入りのソウルファンク系の明るい音に癒されていると、メロトロンの音が聴こえてきました。4曲で使われています。軽快なアメリカンロックの中に、ヨーロッパの風が吹き込むようで心が爽やかになります。
  
  特に素晴らしいのが、ラストの9 O’clockです。エディ潘の優しい声のボーカルを包むストリングス、ブラスのメロトロンが美しく、フルートのメロトロンのソロも入ります。1日10回以上繰り返し聞いています。これほど新しい曲にはまり込むのは久しぶりです。

 エディ潘はインタビューで、キングクリムゾンの1stの詞について語っていたので、メロトロンも好きだったのではないかと思われます。このLPでメロトロンを弾いているのは、スパイダース、PYGのキーボード大野克夫です。

エディ潘とオリエントエクスプレス
https://www.youtube.com/watch?v=mCvEYCLGb3U&t=1567s
39:30 から「9 O’clock」 アコギ、ピアノの響きも癒される。


 このエディ潘とオリエントエクスプレスの音は、1972年のイタリアのCiro Dammiccoのメロトロン入りの歌曲集を思い起こさせました。
 イギリスと日本とアメリカとイタリアがつながったような気がします。

CIRO DAMMICCO / FORSE DOMANI RITORNO DA TE 1972
https://www.youtube.com/watch?v=s71URHfQRW0




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2020年04月23日

追悼ジャッキー吉川・GSフェスティバル2003 〜 台湾のコロナ対策 〜 マスクの再利用 

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GSフェスティバル2003の新聞広告  


今日の1曲
 美空ひばり(演奏ジャッキー吉川とブルーコメッツ)/ 真赤な太陽1967年


日本初のロックバンドブルーコメッツ




 〜 台湾のコロナ対策 〜

 まずコロナについて。コロナのために音楽関係、イベントなどが中止になっています。関係者の為にもファンのためにも早く音楽が復活してほしいです。
 そのために、今回はコロナ対策が成功している台湾の動画を探しました。

【感染予防対策】なぜ台湾はコロナ感染拡大を抑えられているのか 4月1日の動画
https://www.youtube.com/watch?v=3ntOnwM3eqw

【ポイント】
1.台湾政府は12月の武漢の情報を重く見て1月からマスクなどコロナ対策を始めた。
   1月末に国内のマスクをすべて政府が買い取り、国民すべてに渡るように配分。
   マスクなしでの受診はできなくした。
2.1月〜2月から、民間での危機意識が高まった。
   入店や駅の改札で検温し、微熱があると入店拒否、出社拒否。
   一般の食堂などでもアルコール消毒液が置いてあった。
   感染者の指定ホテルを用意していた
  
台湾が1月〜2月から始めたコロナ対策
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台湾の3か月のコロナ対策で有効と思われたもの
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〜 マスクの再利用 〜
 
 台湾ではSARSのときにたいへんだったため、日本よりも危機感が強かったのかと思います。そして、現在の台湾の人出が復活してきた街の状況を見ると、やはりマスクの配布が重要だったことがわかります。

 以前から、マスクの再利用について考えていたのですが、マスクの洗い方の動画がみつかりました。

【コロナ予防】使い捨てマスクの洗い方
https://www.youtube.com/watch?v=PV_3xtaqR-Q&feature=emb_title

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 マスクについては、ウイルスが小さいため、医師用のマスクでないと、使い捨てマスクや布マスクのレベルでは、ウイルスの侵入を完全に防ぎきれないと言われています。

 他方で、マスクをしていれば、咳や大声で出る飛沫の拡散をかなり止められます。コロナウイルスは、飛沫感染で拡大します。飛沫を直接吸い込むか、飛沫を触った手から口などに接触感染します。マスクが足りなくても、再利用によって、台湾のように全員がマスクをしていれば、コロナウイルスは、どんどん絶えると思います。

 コロナウイルスは潜伏期間が1週間もあるのが(インフルエンザは2日ぐらい)、怖いところです。沖縄でも、誰も咳をしていなかったのに30名の会議(マスク着用は10名だけ)で感染し、「これで感染するのか」と報道された事例がありました。大声でも飛沫は飛びます。

 コロナが収束し、ライブハウスや野外イベントなどが復活することを心から祈ります。



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〜 追悼ジャッキー吉川・GSフェスティバル2003 〜


 ブルーコメッツのジャッキー吉川さんの訃報が入りました(享年81歳)。
 ブルーコメッツは、スパイダースと共に、日本の最初のロックバンドと言われています。ビートルズ公演の前座をつとめ、レコード大賞をとり、アメリカのエド・サリバンショーにも出演しています。解散後もメンバーの2人が紅白歌合戦のオーケストラの指揮者になっています。

 私は2003年に1度だけ、ブルーコメッツのライブを見ました。
 その年、31年ぶりにゴールデンカップスが再結成し、グループサウンズフェスティバルにも出るとのことで、8月10日にパシフィコ横浜に行きました。ブルーコメッツ、オックスなどを見るのも初めてで、ブルーコメッツがトリでした。

映画「ゴールデンカップスワンモアタイム」DVDにもなったクラブでの復活ライブ
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 GSフェスの初めはカーナビーツです。今でも鮮明なのはアイ高野のドラムです。
 コンサートでドラムがすごいと思ったのは、それが初めてでした。時計の秒針のように正確で、真っすぐに振り落とされるスティックは鞭のようにしなやかで、聴いていて頭の中が爽やかになりました。再結成サンハウスの鬼平、ダイナマイツ再演の上原裕のドラムにも同様のものを感じました。やはり、1960年代ビートの人は違うと思いました。アイ高野は後期のゴールデンカップスのドラマーに選ばれています。




 オックスの野口(真木)ヒデトは、初めてライブで見る「スワンの涙」(2019年7月7日のブログで紹介)に感動しました。
 しかし、素晴らしかったのは、Rolling Stonesなどの外国カバー曲でした。野口ヒデトのアクションはリズムに乗ってうねっていて、VHSビデオで見ていた1960年代のMick Jaggerと比べて全く遜色がない表現者でした。ジャガーズの岡本信も同様で、外国カバー曲で見せる身のこなしは鮮やかでかっこいいものでした。席は前から16列目でよく見えました。
 当時James Brownのビデオを必死に見ては、たまにVelfarreなどに行って踊って真似していました。野口ヒデトと岡本信は、初めてステージを見て衝撃を受けた日本人ダンサーともいえます。




 タイガースは全シングル盤を集めるほど好きでした。1982年の武道館再結成、1983年の加橋かつみソロコンサート以来、20年ぶりに見るタイガースからは加橋かつみだけ出演し、花の首飾り、廃墟の鳩に加えて、沢田研二がリードボーカルの歌も歌いました。


ゴールデンカップスの31年ぶりのライブや60年代映像を収めたDVD

 
 ずっと憧れていたゴールデンカップスは横浜のバンドなので準主役でした。31年ぶりということで、デイブ平尾を中心に再会できてよかったというメンバーの喜びが感じられるライブでした。銀色のグラスのルイズルイス加部のベースを注目しましたが、このライブではオーソドックスなベースラインでした。初めて生で見られて感動しました。
 残念ながら、この後、アイ高野、岡本信、デイブ平尾が続けて亡くなりました。



ジャッキー吉川とブルーコメッツ ブルーシャトー


 そしてトリにジャッキー吉川とブルーコメッツが登場しました。ブルーコメッツはNHKの紅白歌合戦にも唯一出場を許されたGSの優等生とも言われていますが、私はこのライブで、ロックバンドとしての音の迫力に圧倒されました。
 ジャッキー吉川はこの時64歳でしたが、ゴールデンカップスよりも大音量でビートを叩き出していました。日本で最初のロックバンドを見ることができてよかったと思います。

 以前音楽スクールの先生から、プロのバンドで一番評価されるのは、どんな歌手にもどんな状況でも歌の伴奏ができる人たちだと言われたことがあります。ブルーコメッツも初めはロカビリー歌手などのバックバンドであり、ブルーコメッツの全活動中、最も緊張したのが美空ひばりとのレコーディングだったと言われています。ブルーコメッツは美空ひばりのバックを務めた唯一のロックバンドです。

 1990年ごろに「20年後のGSたち」というテレビドキュメンタリーで、ジャッキー吉川が早朝の大手町のビジネス街をジョギングしている姿が放映されたことがありました。
 数年前に脳梗塞で倒れて半身不随になった後も、リハビリで回復してブルーコメッツのライブでドラムを叩く姿が「徹子の部屋」で放送されました。
 ジャッキー吉川さんのご冥福をお祈りします。

美空ひばり(演奏ジャッキー吉川とブルーコメッツ)/ 真赤な太陽 1967年
https://www.youtube.com/watch?v=XRDYL9ZcnyI
ジャズも歌いこなしフランクシナトラも共演を望んだという美空ひばりとブルーコメッツの躍動感あるリズム。





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2020年04月13日

「大声の会話」「スマホの表面」からもコロナは感染します! 「咳・くしゃみ」「手すり」以外にもご注意。マスク(口を覆うもの)をし、スマホも消毒液で対策を

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今日の1曲
 イエスYes – 危機Close To The Edge 1972年


 感染経路不明の感染報告が増えています。
 Youtube動画で、咳・くしゃみだけでなく、「大声の会話」でもウイルスが入った飛沫が飛ぶことがわかりました!
 また、手を洗っていても、ウイルスが付着した「スマホ、携帯」の表面を新たに触り、その手で顔を触って感染する危険があります。


1 「大声」による感染の危険


[NHKスペシャル]  “マイクロ飛沫(ひまつ)感染” の映像
https://www.youtube.com/watch?v=rcf2ebG-zEM
★咳だけでなく、★大声の会話でも飛沫は飛んでいます!


 4月13日発表の国民へのアンケートによると、75%の人が、咳・くしゃみでウイルスが移らないようにマスクなどをしているそうです。
ところが、★「大声」で飛沫が飛ぶことを意識している人は、35%しかいません。

 「咳をしてないから大丈夫」と、近距離でマスクもせずに、熱を込めてコロナ対策などの会話をしていると、実は非常に危険です!
そして、マスクをしていれば、次の動画のように、危険性を低くすることができます。
 マスクを入手できなくても、顔を覆う布などがあれば、飛沫は飛ばなくなります。

[厚生労働省] 飛沫感染とマスク着用の重要性(ウイルスをうつさないために)
https://www.youtube.com/watch?v=9Mkb4TMT_Cc
マスクなどで口を覆えば、咳、大声で飛沫を飛ばして感染させるリスクが格段と減ります。

 ただし、感染者からの飛沫の中でも微細な粒子はマスクを通ってしまうので、人から飛沫が飛ぶ2メートルの距離を開けることが大事になります。


 ★密室の危険性については、次の動画が一目瞭然です。
 咳、大声で出した飛沫の中で、重い水分の粒子は2メートル下までに落ちるが、軽い粒子は★20分間も部屋の中に漂っています!!!

[朝日新聞社] 密室・密閉空間で漂う飛沫の粒子を見ると、★窓を開けて換気すれば危険が減少するのがわかります!
https://www.youtube.com/watch?v=M0klY9XR2sI


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東京でも病床が足りなくなっています



2  「スマホ」からの感染の危険

 感染経路不明の感染報告が増加しています。
 手すり、つり革だけでなく、知らずに「スマホ」からも感染の危険があります。 
「見えない敵」への不安も、可視化できれば、対策をしやすくなります。

 次の動画では、スマホ、電車の手すりなどに付着したウイルスが、どのように感染するかを、蛍光塗料による実験で、目に見えるようにしています。
 何か触ったら、 その手で顔を触ることがいかに危険かわかります。

[FNNプライムオンライン] ★スマホ、手すりのウイルス(蛍光塗料)の実験映像 
https://www.youtube.com/watch?v=3Uuw_ht4Ja8

★ 表面がツルツルしたところは、2日間感染力があるという。
★ 一度手を洗っても、スマホにウイルスが付着していると、また感染する!
★ 手だけではなく、スマホの表面を拭いて消毒すれば大丈夫!

対策としては、アルコールなど消毒液をいつも持っておくことや、こまめに石鹸で手を洗うことでしょう。


イエスYes – 危機Close To The Edge 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=GNkWac-Nm0A

 1972年の危機はベトナム戦争でしたが、今はコロナとの戦争です。
 しかし、コロナに感染した英国のジョンソン首相が、容体が回復して治療室から出られたようでよかったです。

英国のプログレサイトでも、ずっとイエスYes – 危機Close To The Edgeが、ベストアルバムの1位です。 
http://www.progarchives.com/top-prog-albums.asp?salbumtypes=1




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posted by カンカン at 17:42| 神奈川 ☔| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月07日

「ニューヨークのドクターが発見したコロナに感染しない4つの法則」

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今日の1曲
  B'z (1985年の稲葉浩志 ICBM) / CrazyDoctor (LOUDNESS cover)
  LOUDNESS / Crazy Doctor 1985年


 日本もまず医師会が緊急事態宣言を出し、今日7都市で緊急事態宣言が出ます。
コロナウイルスが猛威を振るう中で、中国、イタリアなどでたくさんの医師や看護師が二次感染により亡くなっています。イギリスでは、医療関係者を付近住民が大声で声援していました。SNSの友人にイタリアの医師がおり、親戚が看護師のため他人事とは思えません。

 Youtubeで「ニューヨークのコロナウイルス担当ドクター」によるコロナに感染しない対策の貴重な情報がありました。

「ニューヨークのドクターが発見したコロナに感染しない4つの法則」
https://www.youtube.com/watch?v=2W3b4cU-Bfg&app=desktop

 このドクターDr David Priceは、患者がコロナ感染者か判断する最前線で毎日たくさんの患者を診察しています。ドクターによれば、「コロナウイルスは、空気感染よりも接触感染が圧倒的に多い。」「コロナ患者が触ったものを触った手で、自分の顔を触って感染する。」「1番大事なことは、自分の顔を触らないこと!」だそうです。

 Dr David Priceは以下の4つを守ればウイルスにはかからないと言っています。

1 「何か触った後は必ず、指をきれいに洗う。しかも爪先まで!」

2 「何か触った手で、顔を触らない!」 
   手を洗ったあとで、油断して、また何かを触り、目、口、鼻を触って感染してしまう!! (日本の医者では、顔を触らないように肩から上に手を上げないという人がいました)

3 「マスクをつけるべき!」 
  → なぜなら、マスクをしていれば、手で、口や鼻、目などの粘膜を触ることはなくなるから! 人は顔を触るくせがあるので、家の中でもマスクをして、顔を触らない習慣をつくるべき。日本人は普段からマスクをつける人が多いため、他の国と比べて感染が遅いとも考えられる。

4 「できる限り人と会わない・接触しない」 
   ニューヨークでは、レジに並んでも飛沫が飛ぶ4フィート(1.8メートル)は離れる。 
  投稿した日本人は、今ニューヨークでは、電車、バスに乗らず、自家用車にし、買い物は消毒してから冷蔵庫に入れ、気が付かないうちに指にウイルスがついていることも忘れないとのことです。

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 中国では、ウイルスがなくなった所も出てきました。ウイルスは空気中では数時間しか生きられないので(ステンレス、プラスチックなどツルツルした所につくと48時間とのこと)、油断せずにウイルスを人から人に感染させなければ、いつか解決できます。
 まず自分が感染しなければ、自分が他人に感染させることもありません。
 怖いのは、コロナが潜伏期間が1週間もあることです。自分がかかっている可能性があることを意識してマスクしようと思います。


 また、細菌やインフルエンザと比較した新型コロナウイルスの特徴を分かりやすく説明した動画もみつかりました。
これを見ると、新型コロナウイルスのワクチンがない現状でも、手洗い、マスク、外出禁止などを徹底すれば、「物理的」「化学的」にウイルスを克服できることが、理屈で納得できます。

新型コロナウイルス感染症対策講座「感染症の時代を生きる」
https://www.youtube.com/watch?v=aD_vMFWUf8Y&feature=share&fbclid=IwAR3gGzqFGijpYYhmBg_JDrCLW4571vKyeg1cK0gbVXJVPxkHr3PxQCwKgDA

→ ウイルスは裸では空中に存在しない。咳の飛沫などの中で生息し、それを人が吸い込んだり、それが手に触って、その手で口に触ることで感染する。
→ 細菌と異なり、人間に入ったウイルスは人間の細胞の中で増殖する。
→ ウイルスが人間の細胞から飛び出す時は、ウイルスは裸ではなく、油の成分をまとっている。
→ 石鹸で洗えば、ウイルスがまとっている油の成分を破壊することができ、ウイルスは生存できなくなる。

 今日の1曲は、医療関係者への激励を込めて、日本で初めて全米で成功したロックバンドLOUDNESSの名曲CrazyDoctor です。
 B'z稲葉浩志の1985年のアマチュア時代のカバーが凄い迫力です。

B'z (1985年の稲葉浩志 ICBM) / CrazyDoctor (LOUDNESS cover)
https://www.youtube.com/watch?v=40ENtaf2yq8&app=desktop

Crazy Doctor - LOUDNESS live at Pennsylvania 13.aug.1985
https://www.youtube.com/watch?v=_id9BFk_Law&app=desktop



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2020年04月05日

追悼・志村けん、Alan Merrillアラン・メリル 〜 ニューヨーク・六本木ウィナーズ 

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志村けんが通っていた六本木「ウィナーズ」で買ったJBのシングル「ビート天国」
志村けんが「ヒゲダンス」の元ネタにしたTeddy Pendergrassの交通事故後の名曲Hold me


今日の1曲
 東村山音頭 1974年
 James Brown - Let Yourself Go~There Was A Time 1967年
Teddy Pendergrass and Whitney Houston / Hold Me 1982年
Alan Merrillアラン・メリル / Namida 涙 ナミダ 1969年
The Beatles - A Hard Day's Night 1964年


 コロナウイルス。。。すっかりブログを書く気持ちをなくしてしまっていました。


1 希望はあります! コロナウイルスがなくなった都市はあります。こんな動画をみつけました。

 ★徹底した隔離政策が街に賑わいを取り戻した 
  新型コロナウイルスを封じ込めた中国・南京の今★
https://creators.yahoo.co.jp/takeuchiryo/0200060330

 
「テレビからの情報」 
 
 ・コロナウィルスは人間の細胞の200分の1という小ささ
 ・感染者の咳などの飛沫が、口などに入ると感染する。
 ・自分の手などについたウイルスは、口などを触ると粘膜を通して移る。

 ・咳などで飛ぶと、密室だと8時間は空中にいる。だからマスクをすべき。今大丈夫でも潜伏期間は1週間なので、もし自分がかかっていた場合に人に移る。マスクがなくても、顔にマフラーなどをしっかり巻き付ければ咳は飛ばない(ニューヨーク)。
  ・ウイルスは、空気中では8時間ぐらい生きている。
  ステンレスのようなところでは48時間生きている。
   → ドアノブなどは、指でなく肘などで押す。
     ある医者は、首から上に手を上げないとのこと(指が顔に触れると移るので)
 ・阪神タイガースの選手は、飲み会でなく、普通の昼食で感染した。
 ・石鹸による手洗いで十分落ちる。→ 手の甲、指の間、指の先まで洗わないとだめ。 
    → 手洗いによって、今年インフルエンザが激減した。
 ・コロナの感染者(その後回復)によると、インフルエンザよりも30倍ぐらいきつかったとのこと(40度近い熱が1週間)。 


 ★コロナウイルスは、空気中では長時間生存できない!

  → 人(動物)の細胞から人(動物)の細胞へ感染させなければ、いつか収束する 

  → したがって、1 手洗いが重要 2 マスク着用(またはそれに代わるもの) 
          3 密室・密接・密着はだめ 4 不要な外出禁止

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2 ★ ニューヨークからの3月31日の在住日本人の500万回再生のYoutube投稿をさらにシェアします 

 ⚠️ほんまに聞いてほしい⚠️マジでコロナを舐めたらアカン
 https://www.youtube.com/watch?v=kRr_j2dq4lE&feature=youtu.be&fbclid=IwAR2XterstrjNsdlfxWVrzC4llyLHX_tCzizQ31qXM_cCeig3_77TPYDROp8&app=desktop

ニューヨークからの投稿の内容
「ニューヨークはどんどん死者が増えてる。自分の身内も。」 「3週間前の、のんきなニューヨークが、今の日本の状態。だからこの動画を上げようと思った。」「今、ニューヨークは医者も看護師もいない! 5%の重傷者に入ったら死ぬ。」「日本では、今は家に待機すべき。本当に止めれるのは今。今ならコロナを止めれる。これ以上になったら病院がパンクして終わり。今は、とにかく家にいるべきだと思います。」


3 アラン・メリルAlan Merrill死去

 昨年6月にブログで紹介したアラン・メリルAlan Merrillが、そのニューヨークで亡くなってしまいました。本ブログで紹介した人で初めてのコロナによる死です。彼は、日本の1960年代GSを体験した唯一の外国人の生き証人であり、本当に惜しまれます。
 アラン・メリルが入院後、奥さんは会わせてもらえなかったとのことです。
 今、ニューヨークでは「重症者しか病院に入れません。」「重症になったら手遅れ死ぬだけ」「死んだらプレハブへ」という状態とのこと。


Alan Merrillアラン・メリル / Namida 涙 ナミダ
https://www.youtube.com/watch?v=k4U9D5IB3Ms





4 志村けん死去

 そして、志村けんが亡くなってしまいました。ドリフ見習いのころから見ていたので、とても寂しく思います。志村動物園のパン君のころは毎週見ていました。先月亡くなる前のテレビで、志村けんの元交際相手の女性が、彼が音楽に非常に詳しかったと言っていました。よく六本木のレコード店に一緒に行って封がされた新品レコードを山のようにジャケ買いしていたそうです。おそらくウィナーズだと思います。ウィナーズは六本木と、新宿西口のOMの後の場所に店がありました。OMはKraftwerkの1stと2ndのドイツ盤を2650円で買ったのが思い出です。

ウィナーズのレコード袋
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 六本木店はディスコのDJご用達の店で、1970年代からあったダンスミュージック専門店の元祖でした。1990年頃からのDJブームでCiscoがダンスレコード店を出したり、Manhattan Recordが有名になるずっと前です。現在のドン・キホーテよりも交差点側の雑居ビルの3階に店があり、店内はアメリカっぽい雰囲気でした。
まだ渋谷のタワーレコードや六本木Waveでもあまり扱ってなかった12インチシングルもたくさんありました。新宿店は壁に細かい解説やチャートなどが書かれていました。
 
 私はウィナーズに、まだ六本木が全盛だったころの1982年から5回ぐらい行ったと思います。1990年前後にウィナーズでジェームス・ブラウンのビート天国Let Yourself Goの珍しい日本盤シングルを買いました。ほとんど輸入盤の中でひっそりとカウンターのそばにシングル盤が置いてあったので、店主の人のコレクションかなとも思いました。

James Brown - Let Yourself Go~There Was A Time~It's Alright (medley)
https://www.youtube.com/watch?v=2EmOUbRM13s
ジェームス・ブラウン「ビート天国」Let Yourself Goの有名なApollo Live2でのライブ~There Was A Timeへのメドレー。

 志村けんがビートルズの来日公演に行ったほど音楽好きだったことは前から聞いていましたが、あのヒゲダンスの元ネタがウィナーズで買ったTeddy Pendergrass - Do Meだと知って驚きました。

8時だよ! 全員集合 ドリフターズ 「ヒゲダンス」バケツ編
https://www.youtube.com/watch?v=fTdCUHmg5XI
改めて見ると、ドラマーだった加藤茶とともにリズム感が抜群で、それが子供たちを引き付けたことがわかる。

Teddy Pendergrass - Do Me
https://www.youtube.com/watch?v=XKHHxy_jMBU
「ヒゲダンス」の元ネタ




 子供の頃、ドリフには本当に笑わせてもらいました。志村けんがお笑いを目指した理由は、厳格な父親が生まれて初めてテレビを見て笑うのを見たのがきっかけでした。彼の父は交通事故で記憶喪失になり、志村けんが誰かも、ドリフに入ったこともわからいまま亡くなり、志村けんの「けん」はお父さんの名前からとったそうです。また、志村けんがビートルズの前座だったドリフターズの付き人を志願したのは、ドリフターズの「音楽」を通した笑いに共感したからだそうです。彼の生い立ちや、いかりや長介の逸話などを聞くと、彼らが必死にお笑いを追求したのは自分自身を救うためだったのではないかと思えました。


8時だよ全員集合 東村山音頭
https://www.youtube.com/watch?v=XnTEIOnG_g4
名曲。志村けんが、番組の会議中にさりげなく歌った東村山音頭に対して、いかりや長介が「それをやれ!」と言ったという。
「1丁目!」よくここまでテレビでやったと思う。


ウィナーズは、左の駐車場のあたりにあった
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 志村けんとは、もしかしたら1982年に六本木の「ウィナーズ」あたりですれ違ったことがあったかもしれません。お別れにTeddy Pendergrass とWhitney HoustonのHold Me、ビートルズ A Hard Day's Nightを贈りたいと思います。

Teddy Pendergrass and Whitney Houston / Hold Me in Your Arms
https://www.youtube.com/watch?v=iT3WjAmJPjQ

The Beatles - A Hard Day's Night
https://www.youtube.com/watch?v=Yjyj8qnqkYI
志村けんは、頭脳警察のような日本のロックにも造詣が深かったという。村八分も聞いていたのだろうか。





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2020年01月18日

謹賀新年2020年・令和2年 ミルバMilva回顧



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1967年来日パンフレット


今日の1曲
  ミルバMILVA – “La Califfa" 1972
  E. Morricone: La Califfa
  ミルバMILVA – カンツォーネCanzone 1968
  ミルバMILVA – ウナ・セラ・ディ東京 Una Sera di Tokyo1964

 遅くなりましたが2020年令和2年になりました。拙いブログですが本年もよろしくお願いいたします。ブログも今年で12年目になるのですが、やはり体力、気力、書くスピード等が衰えているのがわかります。謹賀新年のブログも1月18日になってしまいました。

 太川・蛭子コンビの「ローカルバスの旅」のテレビが、72歳になった蛭子さんの体力的な理由で12年目に最終回になったのも共感しました。
 ブログはのんびりですが頑張ろうと思います。

 令和2年は、令和元年の最後がミルバだったので、ミルバからスタートしようと思います。ミルバは1964年の初来日以後、20回以上来日しており、ベンチャーズと並ぶ最も親日のアーティストと言えます。「日本で最後のコンサート」からもう10年以上経ちます。

 1曲目は1972年にエンニオ・モリコーネEnnio Morriconeが「ミルバに捧ぐ」というタイトルで制作したLPの1曲目“La Califfa"です。1971年の「エディット・ピアフを歌う」のころからミルバはシングルよりもクルト・ワイル、タンゴなどLPに力を入れます。

 ピアフ、モリコーネの2枚がミルバのLPの最高作ではないでしょうか。ミルバはVangelisとも2枚制作しており、BeatlesやProgressive Rockの影響も受けていると思われます。“La Califfa"は1972年当時の空気が漂うシンフォニックな名曲です。

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MILVA – “La Califfa" Morricone (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=0EuGTgm5ulA





E. Morricone: La Califfa
https://www.youtube.com/watch?v=EnJsHSF6zgg
オーケストラによる原曲

Hayley Westenra / La Califfa ・Roma Sinfonietta
https://www.youtube.com/watch?v=6bnyX1aYNIY
別の女性歌手によるもの

Milva - Metti una sera a cena  LP「Morricone」より
https://www.youtube.com/watch?v=Of84p0PbpP0

1964年初来日パンフレット
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 1964年のミルバの初来日は伝説的。「ウナ・セラ・ディ東京」のレコーディングでは、作曲者の宮川泰をはじめ、オーケストラなどそこにいた人々は「これはたいへんなことになる」と思ったそうで、シングルは大ヒットしました。翌年も外国歌手では異例の再来日。

ミルバMilva / ウナ・セラ・ディ東京(日本語)1964 / Una Sera di Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=Fk_bx3f-9lo
0:56から異様な盛り上がり。同じ曲をカバーしたピーナッツ、カテリーナ・ヴァレンテのような世界最高レベルの人たちでもかなわない。





1967年来日パンフレット
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 1967年のカンツォーネの王様、クラウディオ・ビルラとの来日共演“決闘ライブ”も伝説です。1968年のサンレモ音楽祭で3位になった「カンツォーネCanzone」がミルバの音楽人生の頂点と言えるでしょう。サンレモ音楽祭自体も1968年が頂点とされています。

1967年、1968年のミルバについてはよろしければ、12年前の古いブログをご覧ください。ブログを開始して10回目の投稿です。

★ブログあしあと2008年06月21日 今日の1曲 I Milva ミルバ★
         ↓
http://soleluna.seesaa.net/article/101194185.html

ミルバ / カンツォーネ (詞Don Backy 曲Detto Mariano)
https://www.youtube.com/watch?v=DvXdLbkrIO8
1968年サンレモ音楽祭ライブ。指揮は1967年にサンレモでの落選を抗議して自殺したLuigi Tencoのアレンジを行ったLe OrmeのプロデューサーGiampiero Reverbelli。1967年の来日時に、ミルバ自身が来年の1968年サンレモではすごい曲で参加すると語っていた。このころのMilvaはJanis Joplinとも競えるのでは。

 本年もよい年でありますように。
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渋谷で見たミルバのラストライブのパンフレット




2019年12月18日

祝! 美輪明宏 復帰

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今日の1曲
 美輪明宏 / 22歳時の映像 + 愛の賛歌
 エディットピアフ Edith Piaf / 私の神様Mon Dieu (My God)
 ミルバ Milva / 私の神様Mon Dieu


 脳梗塞で入院していた美輪明宏が昨日復帰されたニュースを見てほっとしました。脳梗塞は、発症してから3時間が勝負と言われています。私の父も脳梗塞になったとき一時半身不随になりました。美輪さんの場合は軽症で、すぐに病院に搬送されたので後遺症も少なく、嵐の松潤と普通に歩いていて驚きました。
医師のコメンテーターも美輪さんはものすごくリハビリをしたはずですと言っていました。やはり美輪さんはすごい精神力の持ち主だと改めて思いました。

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左:1984年銀巴里スケジュール 右:1990年12月29日 銀巴里閉店


 37年前に銀巴里でウェイターをしていたころは、まだ美輪さんのような人に対しては偏見がありました。しかし、美輪さんは歌の力で圧倒していました。私よりずっと背が小さいのに、銀巴里のホール全体が美輪さんの声で充満し、体が圧縮されるような感覚がありました。そのような歌手は他にいませんでした。美輪さんのときだけミキサーでボリュームを大きくしていたわけではなく、声を遠くにまで届かせるクラシックの声楽で基礎を身につけた上で、シャンソンのようなポピュラー音楽をレパートリーにしていたので、それができたのだと思います。なかにし礼も次の動画で、美輪さんを成功させたのは歌の実力だと言っています。

美輪 明宏 / 驚愕の22歳時の映像 + 愛の賛歌
https://www.youtube.com/watch?v=v7TvqQiion4
4:28 22歳のときの貴重カラー映像。美輪さんのように80代の歌手が紅白などに出ていること自体が奇跡なので、他の人と実力を比べようがないが、22歳でこれだけ表現力があるというのは見たことがない。凄い実力者とわかる。

 この22歳の時の美輪さんの映像を見ると、やはり美輪さんがエディットピアフに憧れ、目標としていたことがわかります。ピアフの愛の賛歌は、日本では岩谷時子の訳詞で越路吹雪の歌が一番有名ですが、美輪さんは、ピアフの原詩にこだわった訳詞で歌っています。

愛の讃歌 エディット・ピアフ
https://www.youtube.com/watch?v=SbMtfYBlbm8




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美輪さんのサイン





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 私はピアフの中では「私の神様」が好きです。しかし、ピアフが「私の後継者」とまで称賛したミルバのヴァージョンを実は一番聴いています。ミルバもピアフに憧れ、「ピアフを歌う」というLPを出しています。美輪さんより5歳年下になります。

エディットピアフ Edith Piaf / 私の神様Mon Dieu (My God)
https://www.youtube.com/watch?v=RgvEV9B-IEw

ミルバ Milva / 私の神様Mon Dieu
https://www.youtube.com/watch?v=CxZn1_E2B8E


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美輪明宏の原点は長崎で聴いたピアフのSP盤と原爆体験。
それをもとにした「ふるさとの空の下で」。リサイタルでも最大の山のひとつ。




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posted by カンカン at 22:20| 神奈川 ☁| Comment(0) | シャンソン〜70年代フレンチポップス French Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月26日

追悼 KARA ク・ハラ

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KARAのマウスパッド


今日の1曲
  KARA / ジャンピン
  KARA / Honey
  KARA / 今、贈りたい「ありがとう」





 元KARAのク・ハラさんが亡くなりました。ショックです。体調が悪いと言っていたそうです。自分も苦しい時期がありました。2010年にKPOPブームの火付け役となりました。HMVに当時は珍しかったブックサイズのジャケットが並んでいたのを思い出します。

 この10年では、個人的にはKARAのメロディーが一番いいと思いました。
 コンサートは5回行き、ブログも書いてKARAのカテゴリも作りました。
 ご冥福をお祈りします。今回は一番好きなKARAの3曲を。

KARA / ジャンピン
https://www.youtube.com/watch?v=CxZn1_E2B8E
懐かしい。KPOP初の東京ドームライブ。テクノ・プログレ・ファンク・ダンスポップ

KARA / Honey
https://www.youtube.com/watch?v=vRjoBqM2j3I
最初のヒット曲。80年代哀愁ユーロビート系。

KARA / 今、贈りたい「ありがとう」
https://www.youtube.com/watch?v=MtULxX9KNe4
音楽の夢をありがとうございました。

ク・ハラさん
https://www.youtube.com/watch?v=9ZkoweZelRM
今月のイベントでは日本語で「みなさんと一生懸命歩いていきましょう」「歩き続けましょう」と言っていた。






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posted by カンカン at 12:14| 神奈川 ☁| Comment(0) | KARA & 女性ボーカル Female vocalists  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする