2019年04月04日

ついに再発!! CD+DVD「村八分 / 三田祭 1972」 2019年リマスター


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旧2000年版CD。買ったとき、Producer浅田哲の名前に驚いた。山口冨士夫は哲のギターがリズムをうねらせていたと書いていた。Superviserが山口冨士夫、Directorが加藤義明と表記。


今日の1曲
  CD「村八分 / 三田祭 1972」 2019年リマスター


 2000年に初めてリリースされた「村八分 / 三田祭 1972」が、ついに5月に19年ぶりに再発されます。

 今回、2000年と2019年のリマスター音源の比較動画が出ています。2000年版は、音がこもってモノーラルのようでしたが、今回は、ステレオのように音像が左右に拡げられています。リマスターで、ここまで作り直すのはたいへんな作業だったと思います。

「ねたのよい」村八分 三田祭 1972 リマスター音源比較用サンプル
https://www.youtube.com/watch?v=ATJdBv6w1cQ&feature=youtu.be
リマスター作業がよくわかる。ヘッドホンで聴くとリマスターはライブの現場にいるようですごい




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2000年版は3面開きジャケット。一番右が浅田哲。
「ポスター引換券」と「ビデオ引換応募はがき」。
改めて2000年「ライブ三田祭1972」の発掘は大事件だったと思う。


 完全限定のデラックス版には写真集と、別の音源も入っています。
 今までの人生で、私が日本のロックで一番聴いた回数が多いのは、「村八分 / 三田祭 1972」の「あやつり人形」ではないかと思います。

 ずっと廃盤で作品自体が忘れられているようで寂しかったのですが、ここまでデラックス版を出すということは、やはりこの作品が高評価であることの証だと思います。本当に素晴らしいことだと思います。





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2019年03月30日

さようならショーケン 追悼萩原健一・追悼内田裕也

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ショーケンのデビュー曲「今日を生きよう」。テンプターズの赤ラベル見本盤。


今日の1曲
ザ・テンプターズThe Tempters/純愛
 ザ・テンプターズThe Tempters / 雨よ降らないで
 タイガース / 僕のマリー
 Flower Travellin' Band - ''Broken Strings''


〜 さようならショーケン 追悼萩原健一 〜




テンプターズからの大ファンだったショーケンこと萩原健一の訃報がありました。

最近、人生で大事なことを学びました。亡き父が尊敬したアーティストと、父のビデオ映像を見て、故人からエールを受け取る気持ちを持つことができました。今まで人が衰弱し死ぬたびに、自分も病気になり苦しんできました。しかし、当然ながら、亡くなる人たちは、残された人たちに、悲しんで体調を崩してほしいと思うはずがないと気づきました。

ショーケンの死に接してショックを受けました。しかし、以前なら落ち込むところですが、今回はテレビでショーケンの生前のプラスになる言葉(「できるだけ集中を無駄にしたくない」など)をメモに書き取り、前向きな気持ちになることができました。ショーケンもファンに心配をかけないように、今まで重大な病気にかかっていたことを秘密にしていたとのことです。改めて凄い人だったんだなあと思いました。




ザ・テンプターズThe Tempters/純愛(1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=oblKy_Upskk
プログレッシブなロックンロールとも呼びたい村井邦彦の名曲。

ザ・テンプターズThe Tempters / 雨よ降らないで
https://www.youtube.com/watch?v=dmPbgTJ9-yk
シングルとLPのヴァージョンあり。子供の頃好きだった曲。

テンプターズ / 秘密の合言葉
https://www.youtube.com/watch?v=TsFdcNNRMaU
海外で人気の高い曲。かっこいい


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テンプターズの最大ヒット曲「エメラルドの伝説」の3面ジャケット

 以前、クロコダイルでのジョー山中の癌の支援コンサートで(2010年8月15日の当ブログ)、初めて萩原健一のライブを目の前で見ることができました。憧れのショーケンが近くに座っていたのですが、緊張して声はかけられませんでした。ショーケンがステージに向かう時に通路が狭かったので、体が少し触れたので感激しました。山口冨士夫著「So What」でもテンプターズとダイナマイツがよく対バンになったとの記述があります。村八分とショーケンのPYGは1971年に京大西部講堂でも共演していました。ご冥福をお祈りします。






〜 追悼・内田裕也 〜

 昨年、8月2日のブログでドキュメンタリー番組を紹介したロックの重鎮内田裕也も亡くなりました。内田裕也がまだ若いころに近所に住んでいたことがあるとのことで、親しみを感じていました。ご冥福をお祈りいたします。

内田裕也が世に出したのが、タイガース、フラワーズを前身とするフラワートラベリンバンドでした。
1984年の浅草ニューイヤーロックフェスでは、内田裕也が紹介して山口冨士夫のタンブリングスがテレビに出演しました。

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タイガース / 僕のマリー
https://www.youtube.com/watch?v=mr6Y57PP6wk
タイガースも好きな曲がありすぎるが、これはデビュー曲。
タイガースは1982年と2012年に武道館でライブを見ました(2012年1月25日の当ブログ)。




Flower Travellin' Band - ''Broken Strings''
https://www.youtube.com/watch?v=0OsJZapb0P8
フラワートラベリンバンドのたくさんの曲から追悼を込めてこの名バラードを。
Satori1に続いてなんと、Beyoncéがこの曲をサンプリング。

 思えば、テンプターズ、萩原健一、タイガース、沢田研二、フラワートラベリンバンドなどを、今までの人生でどれだけ聞いたり見たかわかりません。
 内田裕也、萩原健一のお二人には心から感謝したいです。





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2019年03月16日

命の洗濯・昭和Deep・鶴見線の旅Part2海芝浦駅 〜 序章「ジャーマンロック1972年・Walter Wegmuller / Tarotの時代」

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海芝浦駅の公園から見た海


今日の1曲
 Jerry Berkers ‎– Seltsam 1972
 Walpurgis-Disappointment 1972
 Walpurgis ‎– Hey You, Over There 1972
 Wallenstein - Dedicated to Mystery Land (1973) live

 クイーンの映画を見た後、youtubeの動画で、鶴見線の魅力にはまってしまいました。 そこで、日を改めて一番行きたい海が見える海芝浦駅に行くことにしました。 

Youtube動画 鶴見線・海芝浦駅に行ってきた
https://www.youtube.com/watch?v=dQ8OT7trvdY

 浅野駅から新芝浦に向けて電車がカーブし、運河が見えてくるとわくわくしました。
 小冒険の気分です。

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新芝浦から左の単線路線になる

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海が見えてきた

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 ついに秘境にふさわしい海芝浦駅に到着。駅と海が隣接。ここも異次元

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 この駅は東芝の敷地内のため社員しか下車できません。
 駅に併設された公園で、電車が発車するまで海の景色を存分に味わいました。

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関東の駅100選に選ばれている駅に隣接する公園。奥が駅舎。

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公園から見たベイブリッジ

 海風を受けているとWallensteinのJurgen Dollaseが2曲だけゲストで参加したWalpurgisでのピアノの音が感じられました。Walpurgis/ Queen of SabaのLPもドイツの秘境Ohrレーベルの中の最秘境ともいえるレコードです。
 Walpurgisの音はOhrの中では実験色の薄いBirth Controlに近く、さらにブルース色が強いです。Ohrの23番(20番Ash Ra Tempel, 21番Tangerine Dream/Zeit, 22番Klaus Schulze/Irrlicht)で1972年の発売。Wallensteinは1972年8月にMother Universeがフランスで月間ベストアルバム(ドイツのバンドでは初めて)に選ばれてPilzレーベルの中では筆頭格になっていました。
 OhrとWalpurgisの契約の経緯は謎ですが、ドイツ人とポーランド人の混成メンバーで、やはり何か歴史的な影を感じさせ、Jurgen Dollaseのピアノがそれを引き立てています。

Walpurgis-Disappointment
https://www.youtube.com/watch?v=6R8fqWi_ni4&list=PL94gOvpr5yt1JaDD8nmL82D1kFXgHHjV2
シンフォニックなブルース。イントロのオルガンとピアノからBeatles / Let it be,「俺たちの旅」の昭和1970年代に引き込まれる。英語は稚拙かもしれないがボーカルにピュアな情熱が感じられる。

Walpurgis ‎– Hey You, Over There
https://www.youtube.com/watch?v=2l2xy8W6wJs&index=2&list=PL94gOvpr5yt1JaDD8nmL82D1kFXgHHjV2
この曲もJurgen Dollaseのイントロのオルガンと5:30からラストまでのピアノが郷愁を誘う。




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乗換駅の浅野で電車を見送る

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浅野駅海芝浦線ホームのレトロな駅舎
住みたい街1位の横浜の昭和Deepな一面

 海芝浦も約10分ほど楽しんで帰りの電車に乗り、いよいよ海ともお別れです。
 浅野駅や再び浜川崎駅の陸橋を見た時に思い浮かんだのがWallensteinのJerry Berkers ‎の1972年のソロアルバムUnterwegsの最後の曲Seltsamです。ここでもJurgen Dollaseの詩的なピアノが聞かれ、同年に同じPilzレーベルから出たPopol VuhのHosianna Mantraに通じるものがあります。

〜 序章「ジャーマンロック1972年・Walter Wegmuller / Tarotの時代」〜

 Jerry Berkers ‎はコカインで亡くなりました。
 今芸能界でコカインが話題になっています。Berkers ‎は世界を回っていた時に戦争中のベトナムで演奏することになりました。あるライブのときに銃弾が撃ち込まれ、彼の隣の女性ダンサーが死亡しました。彼はその日、銃声の中で恐怖の一夜を過ごしました。
 1971年にWallensteinに参加した Berkers ‎は1972年に精神に異常を起こし、8月のソロアルバム、12月録音のWalter WegmullerのTarotが彼の最後の作品になりました。Tarotには、やはりドラッグで1973年2月に演奏不能になったAsh Ra TempelのHartmut Enkeも参加していました。今回のブログを今後予定している「ジャーマンロック1972年・Walter Wegmuller / Tarotの時代」の序章としたいと思います。 
 1973年初頭のWallensteinのフランス・スイスツアーにBerkers ‎は参加せず、ベースなしの3人でライブが行われました。1988年にオランダの公園でコカインの過剰摂取で死亡したJerry Berkers ‎が発見されました。

Jerry Berkers ‎– Seltsam (Germany 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=8zwQKBPdTec



Wallenstein - Dedicated to Mystery Land (1973) live
https://www.youtube.com/watch?v=6ZIq2m9OCWQ
演奏者たち自身も驚愕した一昨年の秘蔵発掘映像。Mother Universe成功によるツアー。Berkersなしで、ベースはDollaseの鍵盤の左手でフォロー。Jurgen Dollaseのイントロの電子音響は、直前にTarotで共演したKlaus Schulzeからの影響と言える。続くピアノソロもTarotのB面の冒頭と同傾向。



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浜川崎駅にあった古い機関車

 帰りに電車で片足がないお年寄りが車いすに座って眠っていたので、終点ですよと声をかけました。声をかけてくれて嬉しいと言われて、しばらく話をしました。自分は霊能者だという老人は私にオーラがあるというので、私などは何度も病気になったダメな人間ですと話しました。
 話題が海芝浦のことになり、老人から「あの駅から見える海は素晴らしい。命の洗濯になったでしょう?」と言われたので、「本当にそうですね」と答えました。老人と握手をして別れました。海芝浦の駅でJurgen Dollaseのピアノの音が聞こえてきたのですが、老人に会えて海芝浦に行ってよかったと心から思えました。

 海と音楽は命の洗濯です。

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posted by カンカン at 23:07| 神奈川 ☁| Comment(0) | ドイツのロック German Rock & Kosmische Musik Cosmic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月07日

映画クイーンに泣く 〜 昭和Deep・鶴見線の旅  ※おまけ 鉄道併走バトル3

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クイーンの1stアルバム。日本では1974年(昭和49年)1月に発売
ELEC「ライブ村八分」「山口冨士夫/ひまつぶし」の時代。川崎にキャロルがいた頃。


今日の1曲
 クイーンQueen / ナウ・アイム・ヒア Now I'm Here
                          1974年(昭和49年)
 Queen - Somebody To Love 愛にすべてを 1976年(昭和51年)
 Mia Martini / Un Uomo per me (Somebody to love)
                         1977年(昭和52年)
 Queen - Another One Bites the Dust 1980年(昭和55年)
 Queen / We are the champions 伝説のチャンピオン
                         1977年(昭和52年)
 思い出の国鉄(鶴見線)1979年(昭和54年)
 鉄道併走バトルシリーズpart3 「ディーゼル特急スーパーはくと」





〜 映画クイーンに泣く 〜

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 大評判のクイーンの映画ボヘミアンラプソディーを見に行くか昨年末から迷っていたのですが、大音量で聞ける機会なので行くことにしました。

 ホールではカンチューハイ350ccを飲むとトイレに行きたくなって何度も失敗してきました。ところが、今回も飲んだ方が泣けるだろうと甘く考えて大失敗。映像中に2回もトイレに立ってしまい、ストーリーが分断してしまいました。愚か者です。

 それでもラスト20分は評判どおり感動しました。
 40年前はクイーンが生活の一部のようにラジオから流れていました。
 昭和の時代の記憶に泣かされた映画でした。



クイーン / ナウ・アイム・ヒア Now I'm Here 1974年 Rainbow Theater   
https://www.youtube.com/watch?v=7WZ8zYy6pi4
2:00から2:10までのパフォーマンスは、Genesisの1973年のWatcher of the skiesのPeterGabrielそのもの。完全にQueenのものにしているところが凄い。
偶然だがこれに似た白装束を、村八分のチャー坊が1972年11月三田祭の1曲目やフレディーが死ぬ1991年のクラブチッタでも着ていた。チャー坊は1994年に死亡。

Queen - Somebody To Love 愛にすべてを
https://www.youtube.com/watch?v=kijpcUv-b8M

Mia Martini / Un Uomo per me (Somebody to love di Freddie Mercury/Queen)
https://www.youtube.com/watch?v=bm9DEja1Jms
イタリア史上最高の女性ロック・ポップ歌手とも評されるミア・マルティーニのカバー。

Queen - Another One Bites the Dust
https://www.youtube.com/watch?v=rY0WxgSXdEE
映画でのこの曲の録音シーンも印象的。時代に適応するフレディーもさすが。

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Queen / We are the champions 伝説のチャンピオン
https://www.youtube.com/watch?v=Vktk3T1N9Xo
昔から気になっていたコード進行。Diminishが多用されていた。




〜 昭和Deep・鶴見線の旅 〜


 クイーンの映画を見る前に、初めて念願の鶴見線探訪の旅にチャレンジしました。

 謎の秘境海芝浦、超秘境の大川は時間の関係で到底無理。事前の計画が必要。
 そこで、この日は浜川崎駅を中心に回ることにしました。昨年の1月、鉄道の併走バトルシリーズをブログで書いたのですが、久々に鉄道と音楽というテーマです。

思い出の国鉄(鶴見線)1979年(昭和54年)
https://www.youtube.com/watch?v=vpJcP0dPvCM
まさに昭和。キラークイーン / ボヘミアンラプソディー / 伝説のチャンピオンの時代。
レトロなオルガンの音。3:15の大川駅。3:35の海芝浦駅。鉄道でも泣ける。

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浜川崎。これが鶴見線か!始発電車だがまだ客がいない。貸し切り状態。
JR川崎に「浜」がつくだけで同じ区内でこれほど違うとは

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路線橋。夢か幻か昭和30年代にタイムスリップ。
川崎が生んだ世界のスター坂本九の時代。鉄道自体は昭和8年の開業。

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浜川崎を出発。廃線跡のような雑草が続く。
ディズニーランドのアトラクションのようで妙に新鮮だ。上の高架線は廃線らしい。

南武支線・鶴見線 205系前面展望 尻手〜浜川崎〜鶴見
https://www.youtube.com/watch?v=LrwYiy9U1wk

 この日は、クイーンの映画と鶴見線の感動の相乗効果で、充実した1日になりました。

 ちょうど1年前の1月に鶴見にお墓参り、3月に川崎にコンサートに行った頃と比べると体調がずいぶん回復していました。山口冨士夫のブログを書いたこともよかったと思います。音楽に改めて感謝したい気持ちです。

 
※ おまけ1 鶴見線のお勧め映像

鶴見線のクモハ12の1両編成 1991年
https://www.youtube.com/watch?v=UHLR6Ykjw1I

鶴見線特集 空襲の傷跡 JR国道駅を探検
https://www.youtube.com/watch?v=3nVAip_03zQ&list=PLqywjykWRHtoDAdaFh9eUZpZa0fNQc7a_&index=2
戦中の銃弾が駅舎に残存しています。

鶴見線・扇町駅の猫
https://www.youtube.com/watch?v=9a7EJ3RL6RE

JR南武支線101系 前面展望「尻手〜浜川崎」 (外観走行入り)
https://www.youtube.com/watch?v=SyRAokj4WsE

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浜川崎の猫。


※ おまけ2 傑作鉄道併走バトルシリーズpart3 「ディーゼル特急スーパーはくと」

併走バトル「快速vs特急スーパーはくと」 高速通過集 島本駅
https://www.youtube.com/watch?v=tYzu5toxstg
8:30の「快速vs特急スーパーはくと」は鉄道ファンに超お勧め。

併走バトル「スーパーはくとvs223系電車」 JRさくら夙川駅高速
https://www.youtube.com/watch?v=T0YWNXp9VFQ
3:20からバトル。次は6:30

「特急スーパーはくと」前面展望
https://www.youtube.com/watch?v=ppScmmFrdDc
54:35から56:50までがお勧め。加速音と海の景色が爽快
1:56:15からも凄い。トンネル〜山と緑〜追い越し。異次元の世界
 



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posted by カンカン at 17:09| 神奈川 ☔| Comment(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月27日

ベートーベン第7交響曲 〜 プログレ、ダンス、ポップスファンなどに広くお勧め

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下町商店街の真ん中に突然現れたコンサート会場。
民衆の作曲家ベートーベンにふさわしい。好きな雰囲気です。

今日の1曲
 ベートーヴェンBeethoven 交響曲第7番
 本田美奈子「新世界」「つばさ」「Amazing Grace」
 Yes – 危機Close To The Edge
 CD〈タワーレコード限定〉100%JAZZ FUNK!
          『HEADZ UP THE GROOVE!』
 Chaka Khan / Like A Lady 2018
 ピンクフロイドEchoes

 いよいよ春の気配も感じられるようになってきました。久々のブログ更新です。
 今年初めてのコンサートに行きました。ベートーベンの交響曲7番です。表題付きの「運命」、第九交響曲などと比べて目立ちませんが、本当に素晴らしかったです。

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会場のそばにあった初代ボンカレー等の大塚グループのプレミアム広告群。
建物ごとお宝探偵団行きか。ますますベートーベンにふさわしい立地です。

ベートーヴェンBeethoven 交響曲第7番・第一楽章 
ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 
https://www.youtube.com/watch?v=sPEnEM_kUDM

 第7交響曲の第1楽章は、プログレッシブロックでいえば、冒頭はイエスの危機、全体の展開はPFMのRiver of lifeを思わせ、0:50からの渦巻くようなCosmic宇宙的なリフ旋律からドイツのTangerine Dream / Phaedraのルーツが感じられます。

 第1楽章に続く第2楽章は、緩やかな映画音楽のようなこれも名旋律。
 ポップスの世界でも、LPのA面の1曲目がアップテンポのヒット曲で、2曲目では名バラードが続けば、もう名盤の仲間入りでしょう。

交響曲第7番・第二楽章 カラヤンBeethoven
https://www.youtube.com/watch?v=2B9zf_rRN_4

 第3楽章は、ダンサブルなビートで美しい旋律。解説のパンフレットによると、第7交響曲は4つの楽章すべてがダンス舞曲になっていて、同世代のウェーバーが初めて第7を聴いた時、ベートーベンは気が狂ったと言ったそうです。

交響曲第7番・第三楽章 カラヤンBeethoven
https://www.youtube.com/watch?v=6Os1OouU2J0

 最終の第4楽章は、第3楽章のダンサブルポップスをビートを重くFunkにして、第1楽章のCosmicな部分と、第2楽章の抒情性を加えた感じです。30分以上に渡って中だるみのない名曲。コンサートが終わって、ごちそうさま満腹ですという感じです。

交響曲第7番・第四楽章 カラヤンBeethoven
https://www.youtube.com/watch?v=uPRpUXlBel4
モーツァルトのジュピターからの影響も感じられる。

 ベートーベンがもし現代に生まれたら、プログレッシブロックをやっていただろうと言われることがあります。パンクとも言われます。しかし、今回コンサートを聴いて、意外にFunk系のビートにはまっていたのではないかと思いました。

ベートーベン交響曲第7番・全楽章 カラヤンBeethoven
https://www.youtube.com/watch?v=B16Aj4GvNS8





 コンサートの帰り道で、たい焼きをお土産に買いました。第7交響曲は頭から尻尾までアンコが入ったタイ焼きのように名旋律が第1楽章から第4楽章まで詰まっています。
 しかし、たい焼きは、残念ながら尾っぽまではアンコが入っていませんでした。


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 せっかく東上線で来たので、10年前に毎日通った本田美奈子さんの記念碑がある朝霞駅まで行き、ホームからご冥福を祈りました。
 ベートーベン交響曲第7番・第二楽章のような厳粛な気持ちです。

本田美奈子「新世界」  朝霞駅前メモリアルモニュメント
https://www.youtube.com/watch?v=aJ2b6LkF2eU
クラシックの名曲に日本語をつけて歌いました。



本田美奈子「つばさ」
https://www.youtube.com/watch?v=d2JFsf9s3Jk

本田美奈子 『Amazing Grace』  たけしの追悼番組にて
https://www.youtube.com/watch?v=QdREx2mmM8A

伝説の歌姫「本田美奈子」の足跡と秘蔵映像
https://www.youtube.com/watch?v=XJUHr5KjSOs
「本田美奈子はまったく新しいタイプの歌手だったのだ」

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ちびっ子とお母さんの真ん中にある四角いものが本田美奈子さんの碑

 その後、イエスの来日ライブを行っている東京ドームシティホールに寄って行きました。危機の頃のイエスはストラビンスキーの火の鳥から影響を受けたと聞いたことがありますが、当然ベートーベンからも影響を受けていると思います。

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Yesイエス50周年ライブの表示。サードアルバム完全再現の日は当日券も売り切れ。

 クリス・スクワイア存命中の2014年のイエス来日公演には行きました。
 ご興味のある方は、右の「イギリスのロック」のカテゴリーから「2015年2月11日」のブログをご覧ください。

Yes – 危機Close To The Edge
https://www.youtube.com/watch?v=GNkWac-Nm0A
スティーブ・ハウは次男が亡くなられてしばらく活動ができなかったという。

2018年 新リミックス版「危機」



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 新宿駅の南口に行くと、以前よりストリートのスペースが広くなり、いろいろなミュージシャンがいます(ドラムが入ると止められるのか、ほとんどドラムレスです)。地方からプロを目指して上京している人が多く、頑張っています。

 タワーレコードのJazz Funk Soulコーナー試聴機で、JAZZ FUNKの強力なコンピCDを発見。新宿店20周年のタワーレコードの限定販売。最初から最後まで、アンコのぎゅうぎゅうに詰まったたい焼き、あるいはベートーベン第7交響曲のようなCDです。JAZZ FUNK、ダンスミュージックファンの方は、ぜひタワーレコードでGETしてください!!

〈タワーレコード限定〉100%JAZZ FUNK!とにかくアツい!心も体も揺れ動く“アゲアゲ”なジャズ・ファンク・コンピレーション
https://tower.jp/article/feature_item/2018/09/28/0102

「タワレコ発、最先端かつ最強のジャズ・ファンク・コンピレーションが降臨。
その名も『HEADZ UP THE GROOVE!』世界中に溢れるファンキーなサウンドの中から2010年代以降の最新グルーヴをタワレコ新宿店スタッフが厳選セレクション。」

 Chaka Khanの新譜もすごい。
 いい音がタワーレコードの店内に鳴り響いているので、どんな新人かと思ったらチャカカーンでした。

Chaka Khan / Like A Lady 2018
https://www.youtube.com/watch?v=sDDTOoG8bJU

Rufus & Chaka Khan - Once You Get Started 1975
https://www.youtube.com/watch?v=7fgKhuqNtxw



 再び新宿駅に行くと、Hiphop系のドラムが聞こえたので急いで行ってみると、ちょうど終わってしまいました。その近くでモダンダンスをやっている女性たちを見て、すごい度胸があるなあと感心しました。

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Hiphopやギリヤーク尼崎のような大道芸系ではないダンスは初めて見た。

 モダンバレエでは、ローラン・プティ振付、ピンク・フロイドの楽曲使用の『ピンク・フロイド・バレエ』があります。1973年にピンクフロイドのライブで初演がされています。
 そのときの曲目は、One Of These Days、Careful With That Axe, Eugene、Obscured By Clouds、When You're In、Echoes

ピンクフロイドEchoes
https://www.youtube.com/watch?v=53N99Nim6WE
やはり、この曲は18:00〜。



 ベートーベン第7交響曲の招待券をいただいて聴きにいったおかげで、いろいろなところを回って体調もよくなりました。
 過去のこともかなり吹っ切れて、良い一日になりました。 

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本田美奈子 シングルCD「新世界」

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posted by カンカン at 19:12| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月12日

謹賀新年2019 かっこいいジャズロック Il Baricentro / 祖父とファミリーストーリー

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昨年暮れから祖父のことを調査中。自分探しの旅、ファミリーストーリーです。


今日の1曲
  Il Baricentro - Sconcerto 1976
  Festa Mobile - Ljalja 1973


 遅くなってしまいました。新年あけましておめでとうございます。本年も、拙い文章で投稿も不定期ですが、お時間がありましたらご訪問ください。テーマやジャンルも飛び飛びになっておりますので、右の「カテゴリー」のご興味のあるジャンルをご利用ください。

 新年1本目の投稿予定のWalter Wegmuller / Tarotが諸般の事情で長引いてしまっているので、急遽変更しました。新年1曲目は、最近一番ヘビーローテーションのイル・バリチェントロ。リアルタイムの時は店頭で見向きもしなかったLPでしたが、あまりにカッコいいのでびっくりしています。Festa Mobileから発展したバンドと最近知りました。

Il Baricentro - Sconcerto (1976)
https://www.youtube.com/watch?v=Jd14cRO3k_4
これでもかのカッコよさ。チックコリアRTF「ロマンの騎士」を凌ぐ?

Festa Mobile - Ljalja 1973
https://www.youtube.com/watch?v=kd8PR_SR9WA&list=PLF-92rCh83Er7pkkXCMKBoAZB5rhkSEkX
ピアノ、歌、ギター、シンセサイザーすべてが美しい。



posted by カンカン at 22:13| 神奈川 ☔| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月30日

約束 2018年 1年間お世話になりました

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ブログで宣伝する約束でもらったコーヒーCEBADA


今日の1曲
 fox capture plan / 疾走する閃光
 カルロストシキとオメガトライブ / 君は1000%
 John Coltrane - Giant Steps
 Tony Kosinec / Medley: It's Raining--Car, Car, Car
 James Brown - There Was a Time
 UMBERTO BALSAMO - CREPUSCOLO D'AMORE
 MILVA "La Califfa" - Morricone
 Average White Band - Pick Up The Pieces 
Al Di Meola / Race With The Devil On a Spanish Highway
 il baricentro - sconcerto
 スーパーロボット マッハバロン
 YMO - Technopolis
 John Coltrane / A Love Supreme, Pt. 3 - Pursuance
 TRF / BOY MEETS GIRL
 Kraftwerk - Kometenmelodie 2
 Snap! - Rhythm is a Dancer 
Antonio Carlos Jobim / Corcovado
NEU! - Lila Engel


 2018年も音楽から元気をもらいました。ブログは山口冨士夫の記事に5か月間費やしたため、書かなかった記事を今回まとめました。スペインフェスでは、ブログに書くという約束で新発売のコーヒーCEBADAをもらいました。飲み心地がいいですよ。

 今年も約5万人の方にブログにご来訪いただきました。
 ありがとうございました。
 寒さが厳しくなってきましたが、どうぞよいお年をお迎えください。




(選曲はイメージです)

1月

・洗足学園 ジャズ 邦楽

3月

・伍代夏子コンサート

 このときは体調がまだ不調で、会場に行くのもしんどかったです。
 前座の物まねの人の歌がホールで聴くと上手で感動し、ロビーで声をかけました。

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昔ELP、ピートベスト(元ビートルズ)を見た産業文化会館は閉館になっていた。
 
Rijchary(リチャリー)/ 愛燦燦
https://www.youtube.com/watch?v=atr_DwQq-Us
伍代夏子が憧れた美空ひばりの歌。Rijcharyは、以前外国人歌合戦で感動した。


・タイフェスティバル

 ダニー・ハサウェイを歌ったニックさんの歌がうまくて、練習法を教えてもらいました。

Roberta Flack ft. Donny Hathaway - The Closer I Get To You
https://www.youtube.com/watch?v=_jhYENBxRVo


5月

・六本木MAPS

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fox capture plan / 疾走する閃光
https://www.youtube.com/watch?v=KFstP0C9sVk
ドラムに合わせて踊りました。


・池袋ジャズ

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John Coltrane - Giant Steps Live
https://www.youtube.com/watch?v=IgdiffT71HA


・東大5月祭

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フラメンコのサークル

カルロストシキとオメガトライブ / 君は1000% 1986年
https://www.youtube.com/watch?v=zucKzC2Gs0E
今年よく聞いた曲。今聞くとかっこいい。


6月

・カリブ中南米フェス

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Antonio Carlos Jobim / Corcovado
https://www.youtube.com/watch?v=_8xnQZ86fN4&list=PLyWkimUk_VvMAbmxbDDT0kBzJrUOL95_B


7月

・慶應SFC七夕まつり

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Tony Kosinec / Medley: It's Raining--Car, Car, Car
https://www.youtube.com/watch?v=shZghJ-LOSE&list=RDshZghJ-LOSE
1971年カナダ年間ベストアルバム


・洗足学園ロックポップス

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鋭い女性ボーカルユニット

Madonna - Like A Prayer (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=79fzeNUqQbQ


・平和島競艇

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「がんばれ〇〇選手 ! 」 私は絶叫したがビリだった。

Sonny Clark Cool Struttin'
https://www.youtube.com/watch?v=W3FLd1eBmTU


・町田ジャズ

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ボサノバシンガー

James Brown - There Was a Time
https://www.youtube.com/watch?v=UVAWD0FF3cY



8月

・すみだジャズ ・ディスコ祭 ・カニ坂ロックフェス ・江の島特設ステージ 

・ラテンビッグバンド
UMBERTO BALSAMO - CREPUSCOLO D'AMORE
https://www.youtube.com/watch?v=JVfBlJ5XX1c
ラテンの哀愁。Giaipiero Reverberiの編曲


10月

・川崎ジャズ

Average White Band - Pick Up The Pieces
https://www.youtube.com/watch?v=FnH_zwVmiuE

Patty Pravo - Da soli noi (We're all alone) 1977
https://www.youtube.com/watch?v=7zQXB5g0iUs

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素直になれなくて、We're all aloneのAORの女性Voが素晴らしかった。


11月

・府中ジャズ

・アースガーデン

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音程がぶれない上手い女性歌手がいました

MILVA "La Califfa" - Morricone (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=0EuGTgm5ulA


・スペインフェス

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フラメンコの凄く速いステップを真似しました。

Al Di Meola / Race With The Devil On a Spanish Highway
https://www.youtube.com/watch?v=b0aMCpRZPZE


・法政大学 ・ポールマッカートニー


・専修大学

男性アイドルダンスグループやアニソンで踊りました。

New Kids On The Block - Step By Step
https://www.youtube.com/watch?v=ay6GjmiJTPM


11月

・慶應三田祭

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クロスオーバー研究会のポリリズム

il baricentro - sconcerto (1976)
https://www.youtube.com/watch?v=Jd14cRO3k_4


・洗足学園祭 

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アニソンの手ダンスで盛り上がりました。足は衰えましたが、新たな活路が。 

スーパーロボット マッハバロン
https://www.youtube.com/watch?v=JzQ7Uins0WY
ブルーコメッツの井上大輔がNEU!2から啓示を受け(?)、
ブルーハーツの甲本ヒロトが最も音楽性で影響を受けたという名曲。

NEU! - Lila Engel
https://www.youtube.com/watch?v=LfODdusZu-o



12月

・音楽区民祭

YMO - Technopolis Official Video
https://www.youtube.com/watch?v=Y2lOyCxRp5s
初めてYMOのコピーバンドを聞きました。 YMOのドラムの元ネタはNEU!


・映画エリッククラプトン

・タワーレコード

John Coltrane / A Love Supreme, Pt. 3 - Pursuanceコルトレーン 至上の愛 part3
https://www.youtube.com/watch?v=sHkMFLhcKJg
至上の愛の高音質CDが、タワーレコード限定で新発売


・TRF MAX 東京競馬場

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初めてTRFのライブを見ました。

TRF / BOY MEETS GIRL
https://www.youtube.com/watch?v=EgGnreyPmaQ


・WOMB

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Progressive Houseの日。Kraftwerkが流れて懐かしかったです。

Kraftwerk - Kometenmelodie1 
https://www.youtube.com/watch?v=KEJM6IAdoic
1975年に発売されたときにFMでLP全部をかけてくれた

Kraftwerk - Kometenmelodie 2
https://www.youtube.com/watch?v=hlHFlrXZmKQ

Snap! - Rhythm is a Dancer いろいろダンサー登場
https://www.youtube.com/watch?v=fDWFVI8PQOI
平成30年最後のダンスはSNAPで


来年2019年もきっといいことがありますように!
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2018年12月05日

映画 エリッククラプトン 12小節の人生


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今日の1曲
 Cream / I’m so glad
 Eric Clapton / Tears in heaven
 Golden Cups / I’m so glad



映画「エリッククラプトン 12小節の人生」 公式サイト
http://ericclaptonmovie.jp/


 イギーポップ以来、久々に映画を見ました。私の年代だと、エリッククラプトンを最初に知ったころは、「クラプトンはビートルズのWhile my guitar gently weepsに参加した人で、リッチーブラックモア、ジミーペイジよりも古い世代の人」という印象で、以後ずっとそれを引きづっていました。

 Eric Claptonを好きになったのはTears in heavenでした。また、数年前、Youtubeで初めてCreamのフェアウェルコンサートの I’m so gladを見て、凄かったんだなあと初めて驚きました。I’m so gladは、3 0年前に買ったゴールデンカップスのSuper Live Session (at Zen)のLPで聴いたのが最初でした。

Cream / I’m so glad フェアウェルコンサート 1968
https://www.youtube.com/watch?v=0Yi7AJvzRUA
3:40〜がクリームのベストと思える。Jimi Hendrixからの影響が大きい。

【映画】Jimi Hendrix played at the Eric Clapton concert  1966
https://www.youtube.com/watch?v=jMZooJFMunM
4:00〜 クラプトンに憧れたジミヘンがクリームのライブに飛び入りして、クラプトンを圧倒するシーン。

The Golden Cups-I'm So Glad (1968年テレビ)
https://www.youtube.com/watch?v=IrXJ3vpvKww

The Golden Cups-I'm So Glad (Live at Zen) 1969年
https://www.youtube.com/watch?v=vulqQwVGePA

Cream - I'm So Glad (Royal Albert Hall 2005)
https://www.youtube.com/watch?v=iF-pMingp6A&index=11&list=RD4Gze0PxDKgQ


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映画館渋谷クイント。昔、この右側に渋谷パレス座があり、1976年に山口冨士夫、ルイズルイス加部 ( Golden Cups ) のリゾートが出演した。山口冨士夫は1971年のインタビューで、ギターを何年か続ければクラプトンのように弾けると述べている。


 映画を見て知った事実や感銘を受けたことを記録しておこうと思います。


< ※ 以下、ネタばれになりますので、映画を見る予定の方はご注意ください ※ >


 クラプトンは、とても聡明な話し方で自分を分析している。

 9歳のときに、クラプトンは実母に初めて会った。「ママと呼んでいい?」と聞いたが拒否された。以来、人間不信になった。

 ヤードバーズで成功、シンガーではなくギタリストが追いかけられたのはクラプトンが初めて。「Clapton is God」の壁書き。音楽業界が嫌で、自分の音楽をしたいためヤードバーズを脱退。

 ジョンメイオールと生い立ちが似ていて共感し、メイオールの家族と一緒に生活し、家にあるレコードを聴きまくった。 

 メイオールにだまってクリームを作った。ブルース、ロック、ジャズを融合しようとした。インドのシタール音楽の音を出そうとした。

 アトランティックのスタジオで、アレサ・フランクリンはクラプトンのサイケな服を見て笑ったが、ギターを演奏した瞬間、真剣な顔になった。

 クリームは、当時、アメリカではビートルズ、ストーンズよりも売れた。

 クリームは、ドラムとベースが対立し、解散。クリームでは攻撃的な音楽しかできなかった。

 初期ビートルズのライブでは嬌声しか聞こえなかったが、クラプトンはジョージのギターだけは認め、後にWhile my guitar gently weepsに参加。

 クラプトン「白人が黒人のブルースを演奏することによって、白人自身の音楽を作らざるを得なくなる。白人はブルースから拒絶される」(記憶不正確)

 BBキング「それまでは、ロックンロールだけが表に出られたが、クラプトンのおかげで、ブルースも出れるようになった」

 マディーウォーターズ「ブルースギターを真似することはできても、私の歌は真似できない。ソウルがないし、苦労していないからだ」

 クラプトン「ザフーはギターに対して攻撃したが、自分は音楽で攻撃した。」 (と言って実演する)。

 「アドリブのフレーズは普段からストックしておいた。」と言って実演。

 クラプトンは、オールマンブラザーズバンドを聴いてショックを受けた。デュアンに録音を持ち掛けた。レイラでたくさんの音が混ざり合った。

 サザンロックはのんびりした音楽だと思っていたが、デュアンは宇宙的な高音を弾いていた。

 デレク&ドミノスは実名を出さずにアメリカでヒットせず失望し、音楽から離れた。

 Little Wingを録音した直後にジミヘンが死んだため、ショックが大きかった。

 ヘロイン、コカイン中毒時代については、多くのクラプトンのプライベート映像が残されていて、当時の問題の深さが映像からわかった。

 461のころ復活したが、アルコール漬けで、90分のライブを30分で切り上げたりして、聴衆と口論になる。「過去の栄光に浸るな」と言われ、クラプトンは聴衆にモノを投げつけたりした。

 ついにクラプトンは有色人種に対する差別発言まで公言し、後にそのことをたいへん恥じた。

 子供が死んだとき、音楽で自分を救おうとした。

 Tears in heavenでグラミー賞をとったとき、James Brownがプレゼンターだった(他にも大物2名)



渋谷の新しいビル群
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区画整理される一角。右下にJazz喫茶Lady Jane(メリージェーン?)の入り口があった。
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渋谷東急東横百貨店
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posted by カンカン at 21:40| 神奈川 ☁| Comment(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

ポールマッカートニー来日2018  東京ドーム

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今日の1曲
  The Beatles - Back In The U.S.S.R


 法政大学学園祭の後、ポールマッカートニーが東京ドームに来日したのでドームに寄ってから帰りました。2014年のときは会場で見て、3時間水も飲まないで演奏するポールの超人的なエネルギーに驚きました。


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水道橋駅に到着


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東京ドームに向かって歩くと、Can't buy me loveが聞こえてきました。


The Beatles - Back In The U.S.S.R.
https://www.youtube.com/watch?v=zobzZlNwTbk
Disk1のA面の1曲目。この後、途切れなくDear Prudenceにつながる。


 「真実のビートルズ」という213曲全曲のデータが書かれた本で久々にビートルズの凄さを知り、夢中になって読みました。録音の日付が全部書かれているので、現場の追体験のようで興奮しました。ジョンとポールの関係、ヨーコの存在などが具体的によくわかりました。




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正面玄関でポールを拝む。


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posted by カンカン at 18:23| 神奈川 ☔| Comment(0) | ビートルズ The Beatles  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月02日

山口冨士夫を偲んで 〜 法政大学学園祭2018 

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山口冨士夫のライブを見た解体前の法政大学のホール


今日の1曲
  The Beatles - Dear Prudence


 1983年12月に山口冨士夫と裸のラリーズ、1984年12月に鮎川誠(山口冨士夫は欠席)と裸のラリーズを見た法政大学の学園祭に行きました。法政大学のホールはエレベーターで4階に上がって下に降りる階段式の会場で、音に広がりがありました。

The Beatles - Dear Prudence
https://www.youtube.com/watch?v=19E1JD_v9fI


 1983年に山口冨士夫が1曲目に演奏したDear Prudenceの衝撃はいまだに残っています。裸のラリーズの演奏の終わった後、茫然と当時はほとんど真っ暗だった寒い夜道を飯田橋まで歩いて帰ったときのことも覚えています。


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四谷から歩いて行った。ここは都内でも有数の鉄道写真スポット

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新しい法政大学の校舎

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会場の入り口でプロレスショーが行われていた。パンチの音が鳴り響いていた。

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インパクトがあった女性がリードボーカルのパンクバンド

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グルーブのあるソウル系のバンド。演奏前のサウンドチェックが厳しかった

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教室での演奏

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飯田橋まで夜道を歩くと裸のラリーズを思い出した。昔は真っ暗だった。

 
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2018年10月08日

2018 府中ジャズフェスティバル Fuchu Jazz Festival in Tokyo

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ラテンバンド(松岡直也)で踊るちびっ子


今日の1曲
  Al Di Meola - Flight Over Rio 1977
  John Coltrane & Johnny Hartman / They Say It's Wonderful
  Can - Spoon – live 1972
  松岡直也 『NIGHT IN MADRID』
  The Trip - Distruzione 1972
  James Brown - Can you see the light "Blues Brothers"
  Roberta Flack / Tonight I celebrate my love
  Beck Bogert & Appice - Superstition - 1973
 Ash Ra Tempel - Light : Look at your sun 1972
  ラーメン二郎 府中店

 


コルトレーンの未発表音源



 府中ジャズフェスティバルに行ってきました。昔、仕事でずっと通っていたので思い出深い街並みです。プロの有名アーティストは出ませんが、アマチュアでも何十年もやってきた人たちの演奏には味やこだわりがあります。

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懐かしの通勤路

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神社から晴天の会場を見る

 晴天ですが、30度を超えたので暑かったです。水も2リットル補給しました。
 以下の順で12時から5時半まで見て回りました。カンパをして帰りました。
 家に帰って、カルピスを凍らせたアイスキャンディーが美味しかったです。

1 サンタナのコピーバンド
2 聖者が街にやってくる マーチングバンド
3 ロバータフラックの曲
4 フュージョン・セッション
5 Blues Gumbo
6 ジャズセッション(ジョニー・ハートマン&ジョン・コルトレーン)
7 フュージョン+クラブサウンド(CANのようなサウンド)
8 松岡直也コピーバンド
9 サルサ
10 SANOVAジャズピアノトリオ
11 カントリー
12 ゴスペル


(選曲はイメージです)

哀愁のヨーロッパ/サンタナ Europa/Santana
https://www.youtube.com/watch?v=EA46jZD6ZM0


マーチングバンド
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Peabo Bryson & Roberta Flack / Tonight I celebrate my love
https://www.youtube.com/watch?v=2GOLnWz_Osc

Al Di Meola - Flight Over Rio
https://www.youtube.com/watch?v=7qmIXVOEUKo
2:30から3:40まで フュージョンといえばディメオラがヒーロー

Beck Bogert & Appice - Superstition - 1973
https://www.youtube.com/watch?v=xyyhm1D7zlI
フュージョンセッションでの最後の曲




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kyu Blues & Gumbo Factory 緩いテンポからどんどん盛り上がっていく

Ash Ra Tempel - Light : Look at your sun
https://www.youtube.com/watch?v=1sBy9RXKELk
3:00~のブルースギターソロ

A SONG FOR YOU - Leon Russell & Friends (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=37dw2r45Xzg
GUMBOに通じるサザンロック

They Say It's Wonderful / John Coltrane & Johnny Hartman
https://www.youtube.com/watch?v=w9xOv8r3-XU
このLPは素晴らしい




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CANを新しくしたような不思議なバンドRAFMAG

Can - Spoon - full live 15 minutes
https://www.youtube.com/watch?v=d1Wp5PWZ20w
10:15からのリズムが異様で圧倒的

『NIGHT IN MADRID』 松岡直也カバー
https://www.youtube.com/watch?v=K7hEmSWE6nU
30年以上聞いている。これが一番。

UMBERTO BALSAMO / L'angelo azzurro, Balla(スペイン語)
https://www.youtube.com/watch?v=bzDFX0PwAzw
イタリアでは1位、4位。1990年にサルサ風のアルバムを出している


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山野楽器のマスコットに遭遇。ぬいぐるみの中は何度だったのだろうか。
伊勢丹のスナックコーナーでもみかけた。

The Trip - Full Concert - Live at Prog Exhibition 2010
https://www.youtube.com/watch?v=QWkXkhi1Rzk
ピアノトリオ時代のAtlantide。30:00〜Distruzioneは来日でも印象的だった。


トリップの3rdLP変型見開きジャケット



James Brown, Can you see the light, Blues Brothers movie
https://www.youtube.com/watch?v=xbq0OuJtErs
JB復活のきっかけになった映画ブルース・ブラザース JB神父のゴスペルシーン 


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懐かしい「ラーメン二郎府中店」を見て帰りました。
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ラーメン二郎のサイト
http://media.takumen.com/jiro-matome
二郎の総帥は詩人でもある(以前自費出版していた)

2018年09月26日

AB&C アニソン、バッハ&クラプトン @洗足学園

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今日の1曲
 バッハ / プレリュードとフーガ BWV543
 Ekseption − The Lamplighter 1970
 堀江美都子 / キャンディキャンディ
 Il Balletto di Bronzo - Meditazione (1970)
 エリック・クラプトン Tears In Heaven 






 洗足学園のコンサートに行きました。ロック、声優コース(アニソン+朗読)、クラシックという変わった取り合わせです。特にクラシックファンはどうなのかなと思ったのですが、とてもいい流れでした。

 まずは、ロックポップスですが、ドラムレスでした。これならクラシックファンでも大丈夫。エリック・クラプトンのTears In Heaven はもとよりアンプラグドでしたが、室内楽にしてもいいようなメロディーの美しさを再認識しました。

Tears In Heaven  [日本語訳付き]  エリック・クラプトン
https://www.youtube.com/watch?v=8o3CfckWCXE




 次は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の朗読。プロの声優なの抑揚が大きくて迫力がありました。そして、日本の最初のアニソンシンガー、堀江美都子が登場。50年前と同じキーで歌い、頭の中が浄化されるような感動を覚えました。

堀江美都子 / キャンディキャンディ
https://www.youtube.com/watch?v=uw3TISY-lZ8

 特にキャンディ・キャンディはイントロがチェンバロで、クラシック、プログレの影響を受けたと思われる名曲。チェンバロを最初に使ったポップスはアフロディテス・チャイルドだと思います。
 

アニソン四天王の一人堀江美都子



村井邦彦と並ぶ日本のメロディーメイカー渡辺岳夫



Aphrodite’s Child Demis Roussos
-Rain And Tears(with lyrics)1968
https://www.youtube.com/watch?v=UTdkDwyteYA
ビートルズのインマイライフから始まり、山口冨士夫の「おさらば」などにもつながっていく。ポップ+クラシック鍵盤の響き

Il Balletto di Bronzo - Meditazione (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=ulJdK7GI39k
イタリアではこれが最初。YSでもチェンバロを使用。





 15分の休憩をはさんでクラシック。40年前から聞いていたエクセプションの原曲、バッハ / プレリュードとフーガのピアノヴァージョンだったので最初から引き込まれました。最後は名曲ムーン・リバーでした。

Ekseption − The Lamplighter 1970
https://www.youtube.com/watch?v=dB3lQEu4iqw
キース・エマーソンの影響で結成されたエクセプションのロックヴァージョン。





Karl Richter - Preludium Et Fugue IN LA (A) MINOR - BWV 543
https://www.youtube.com/watch?v=WXJrySutxLY
パイプオルガンによる原曲


マタイ受難曲と並ぶカールリヒターのオルガン曲集の遺産



Hélène Grimaud - Bach: Prelude / Fuguer, BWV 543 (trans. Liszt)
https://www.youtube.com/watch?v=QLASYUwiz-c
リストが編曲したピアノヴァージョン

 クラシックもポップスもアニソンも結局美しいメロディであれば、みな同じだと思いました。コンサートが終わると、大雨が止んでいてほっとしました。
 余韻にひたりながら帰宅することができました。


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posted by カンカン at 13:12| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月17日

Etna1975 〜 安室ちゃん引退 下積み時代 〜

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安室奈美恵1995


今日の1曲
 Etna 1975
 安室奈美恵 a walk in the park 1996
 安室奈美恵 Hero 2016
 安室奈美恵 Paradise Train 1994


Flea1972 〜 L’uovo di Colombo1973 〜 Etna1975 

 前回のブログでL’uovo di Colomboが思いがけずカッコよかったので調べたら、BassはジャズロックEtnaのメンバーでした。1972年のFleaの4人がそのまま1975年にEtnaに発展。その過程でBassだけが、ELP調のL’uovo di Colomboに一時期参加していたようでした。

L'UOVO DI COLOMBO / Anja Coscienza E Vanità
https://www.youtube.com/watch?v=10iN6ffwYa8&index=28&list=PLV4gA_w66N6Gibwnti_Z-0zAfZTxQuDzW

 EtnaはRTFやウェザーリポートを目指していたと思われますが、Areaのような攻撃性があり、ドラムはフリオ・キリコのようで、カッコいい。ラテンの情熱、オリジナリティーが感じられます。ジャズロックの隠れた名盤です。

Etna / Etna  1975
https://www.youtube.com/watch?v=twPhrCLrYcw





ジャズドラムの映画「セッション」
" 2015年度アカデミー賞Rのダークホースが、3冠を獲得!!名門音大に入学したドラマーと伝説の鬼教師の狂気のレッスンの果ての衝撃のセッションとはーー!?[才能]VS[狂気] この衝撃に、息をのむ。"


 
 そこで3年前のFleaを聴くと、ハードロックを複雑な構成にした感じで、これもオリジナリティーがあるのですが、高いテクニックを消化しきれていない感じです。Etnaのようなボーカル抜きのジャズロックに転向して本領を発揮できたと思います。

FLEA - TOPI O UOMINI  1972
https://www.youtube.com/watch?v=dEmKrUL-824



〜 安室ちゃん引退 〜





 安室ちゃんが引退してしまいました。Etnaからなぜつながるかというと、まず、Etnaも安室ちゃんもカッコいい。また、安室ちゃんのおじいさんはイタリア系のアメリカ人らしいのでその点も通じる(山口冨士夫は安室ちゃんのことをどう思っていたのだろうか)。さらに、音楽スタイルを大きく変化させている点も共通しています。

 スーパーモンキーズは、最初モンキーズという名前でアイドルとして売り出しました。
 このころはアイドルは可愛い子がまだ全盛で、安室ちゃんのような歌+本格的ダンスは浮いている感じでした。

スーパーモンキーズ / ミスターUSA 1992
https://www.youtube.com/watch?v=hxsDtyIFG0s
デビューシングル。小学生からの下積みでジャズダンスの基礎を身に着けた。
安室ちゃんも「スーパーマーケットの前で歌って誰も聞いてくれなかった」「いつか振り向かせてみせると思っていた」と回想していた。

安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S/PARADISE TRAIN 1994年7月
https://www.youtube.com/watch?v=sInYP0PH_a4
このテレビ番組で安室ちゃんのファンになった。まだ地方局レベルの人気で、4枚目のPARADISE TRAINはオリコン137位と最悪の結果。ぎりぎりに追い込まれていたのだと思う。昔、男性歌手が渋谷109の前で、「次の4枚目のシングルが売れないと自分は沖縄に帰ることになります」と台の上に乗って叫んでいたのを思い出す。

 
安室奈美恵 / TRY ME 1995年1月
https://www.youtube.com/watch?v=izKHzO1HP7w
ユーロビートのヒット曲に日本語をつけて5枚目でオリコン8位のヒット。
ここから、今までの「アイドル=可愛い子」時代から「ダンス+歌」の時代が始まった。





安室奈美恵 with スーパーモンキーズが歌うTRFのBoy Meets Girl
https://www.youtube.com/watch?v=ramIRyoNMBA
小室哲哉が安室ちゃんを知るきっかけになったテレビ

 小室哲哉は、ダンスマニアが作ったレコード会社Avexでマニアックなハウスをやるつもりでいた。安室奈美恵に歌わせてみようということになったら大ブレイク。
 ダンスは、ジャズダンス+ジャネット・ジャクソン+ハウスへ。

安室奈美恵 a walk in the park 1996
https://www.youtube.com/watch?v=nlLqPWRjkVg
ユーロビートからハウスへ。安室ちゃんwith小室サウンドの頂点。

安室奈美恵「a walk in the park」maxell 1996年 CM
https://www.youtube.com/watch?v=-AW01cuOwu8





 1996年の6月に痔の手術で3週間入院し、退院するときに安室ちゃんのSWEET 19 BLUESの4種類のジャケットで店頭が埋め尽くされていました。安室ちゃんに触発された私は、ダンスを再開するために3か月ジョギングと筋トレをしました。そして東京で1-2軒しかなかったHiphop専門のクラブに初めて行きました。

 2000年以降は、安室ちゃんはHiphop路線でテレビにほとんど出なくなりました。
 私は1回だけ、2006年頃に代々木体育館で安室ちゃんのコンサートを見ました。諦めていたチケットをとることができました。MCがなく、Hiphop路線が中心で、最後の方に昔のヒット曲を歌ったのを覚えています。8〜9割ぐらいは女性ファンだったと思います。

安室奈美恵「Hero」2016
https://www.youtube.com/watch?v=YJt7KRmv2bQ




 先週、安室ちゃんのバックダンサーが、安室ちゃんはプロのダンサーが10日でマスターすることを3時間で覚えられる、神だと言っていました。それを聞いて、やはり安室ちゃんをささえていたのは下積み時代のダンスと歌の訓練だと思いました。
 安室ちゃん、今までありがとうございました。

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ストリートシンガーを見ました。頑張れ、下積み時代。
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2018年09月16日

初秋〜イタリア・レア映像発見 L’uovo di Colombo 希望








今日の1曲
 L’uovo di Colombo 1973

 22度と肌寒くなってきました。37度の日が嘘のようです。
 慌てて長袖を重ね着しています。風邪にお気を付けください。
  久々にイタリアンプログレッシブのレア映像を発見しました。

 L’uovo di Colomboの映像があったことには驚き。新大陸発見の感動です。
 この曲はドラムとベースにグルーブ。かっこいい。シンフォニック系の曲の中で光る。
 ◎◎や●●などを、いつの日か見てみたい。希望がつながりました。


Under 20 -Pop 3
https://www.youtube.com/watch?v=MdkOskxUqc4
7:40からL’uovo di Colombo。「コロンブスの卵」途中からのカメラワークが斬新!

2:15 New Trolls in Atomic System
ラスト Area / Arbeit macht frei

最後のヒマワリ
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2018年08月31日

最強地下アイドル仮面女子@江の島特設ステージ 追悼ジョー山中 山口冨士夫

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今日の1曲
  Alunni del sole – Tarantè 1979

(※訂正 U-1170ではなく、2月に間違えて100を引いたので正しくは1270でした。
 ブログタイトルにしているLe Ormeが来日したのを機にUにしました。
 UはAmon Duulの真似ですが、特に意味はありません)

 極暑の夏、いつ終わるのかと思っていましたが、
 いつのまにか終わりに近づいています。
 年に1度は海に行くので、意を決して江の島に行きました。

 5年前から、騒音問題で江の島の海の家のクラブがなくなり、西浜特設ステージでのライブやクラブイベントも消えました。
 静かですが寂しい海になってしまいました。

江の島が見えました。到着です
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ステージ方向から音が聞こえる!
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 なんと西浜特設ステージからEDM風の大音量が聞こえてきました。
 クラブイベントや1983年8月にはジョー山中のレゲエバイブレーションと山口冨士夫バンドがジョイントライブを行った場所です。

なんだろう?
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仮面女子だ
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 仮面女子という秋葉原の最強地下アイドルと呼ばれるグループでした。
 砂浜を歩くだけのつもりで、まさかライブが見れると思わなかったので、
喜んで応援しました。

仮面女子『本日、猪狩ともか劇場登場!東西ヲタク満足度 結果発表』2018年8月19日
https://www.youtube.com/watch?v=YhU74RuE_vM

【仮面女子】猪狩ともか 車イスで仮面女子カフェ復帰
https://www.youtube.com/watch?v=fTx-R0rE6gE
この中から5人のメンバーが江の島に出演

浜辺を散歩 江の島を見る
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鳥がたくさん飛んでいて喜んでいたのですが、実はとんびが人の食べ物を上から狙っていて、危険とのこと。カモメも来て空がにぎやかです
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ストーンズファンの海の家(右端に遠慮気味にイラスト)
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ボブマーレーの海の家(こちらは堂々たるイラスト)
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看板犬のハナちゃんだ
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 再び、2回目の仮面女子のライブを見れてラッキーな一日でした。アイドルとはいえ、サウンドはEDM、ヘビメタなど本格派。かつてここで演奏したジョー山中、山口冨士夫、青木真一を追悼するつもりで、精一杯仮面女子を応援しました。

仮面女子の放水攻撃に喜ぶ親衛隊(34度ぐらいの暑さ)
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午後4時に「今年の海もあと1時間です」というアナウンスがありました。
人間は海から生まれたと言われています。海水で顔を洗って帰りました。
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Alunni del sole - Tarantè 1979
https://www.youtube.com/watch?v=rMiEi_FogjE
夏の終わりの1曲はナポリの海

Alunni del sole – Tarantè 2009年ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=bhTABMI0W9Y
Paolo Morelliが亡くなる前の観客目線の貴重な映像。会場にいる気分になれる。

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posted by カンカン at 23:42| 神奈川 ☁| Comment(0) | 海 オーストラリア日記 Sea & Diary in Australia | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月26日

加納秀人登場 山口冨士夫追悼 @2018福生カニ坂ロックフェスティバル

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今日の1曲
 外道 / 香り
 外道 / 逃げるな



 第35回カニ坂ロックフェスティバルに行ってきました。天気予報は35度なので迷っていたのですが、外道の加納秀人が出るとのことで行くと決断。私が最後に見た山口冨士夫のライブの曲は、2011年の下北沢で外道にゲスト参加した「香り」でした。

 会場に到着するとほとんどの人が日陰に入っているので不思議な雰囲気です。立って聞いていたら熱中症(昔は熱射病?)になりそうで、これはたいへんだとわかりました。
 32度と35度(体感は40度以上?)はずいぶん違う。

 日陰で寝転んでしばらく体力を回復。汗がしばらく止まらない。
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 いよいよ加納秀人がゲストで出るバンドSaybow & the R+X+S がスタート。
 ドラムがジャズっぽくていい感じ。全体にグルーブがあって横浜の雰囲気です。
 「あと1曲です」と言われ「えっ、このギターの人が加納秀人だったのか?」と焦りが。

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外道 / 香り
https://www.youtube.com/watch?v=uHfBhJsqrD8
ベース:青木正行(1983年に山口冨士夫タンブリングスを結成)
加納秀人、青木正行、山口冨士夫は、福生のElectric Uzuにも出演していた。

ついに加納秀人登場
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再結成外道のときのような白い被り物はしていませんでした。
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 加納秀人は若い頃マラソンでオリンピックを目指していて、ギタリストにもなりたかったので、両方やろうとギターを担いで走る練習をしていたという人。猛暑でも、強烈な速弾きで年齢を感じさせない。最後は「ゲッドウ、ゲッドウ」という歌を演奏して終わりました。

プログレ、70年代ジャズロックを感じさせる。軽いシャワーの雨も降ってきた。
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加納秀人の後はサブステージで癒し。暑かったけれど天気でよかった。
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ワンちゃんの顔のような雲の変化を見た後、カンパをして帰りました。
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福生駅北口階段にもキャラクターが登場
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福生チキンシャック 左がバーで右がライブハウス?
1978年に青木真一(元村八分・1983年に山口冨士夫タンブリングスを結成)が出演
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山口冨士夫の事件があった福生駅北口で黙とう
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2018年08月20日

第9回 すみだストリートジャズフェスティバル

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今日の1曲
 Affinity - All Along The Watchtower 1970
 Soft Machine - Bundles (Full Suite) 1974


第9回すみだストリートジャズフェスティバルに行きました。
好天な上にあまり暑くなくてよかったです。
https://sumida-jazz.jp/sj/timetable.html


まず、ハモンドオルガントリオBanana Needle レスリースピーカーだ!
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Affinity - All Along The Watchtower
https://www.youtube.com/watch?v=gt0Ep-dcqG8&list=RDByQYKdSTGeY&index=3
ハモンドオルガンといえばこれ。7:00あたりからE2-E4のように抜け出せなくなる。8:30あたりからハモンド職人芸。最後はエピタフの世界。

次はピアノジャズファンクSANOVA ジャズを演奏する人たちは皆テクニックが凄い。
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米米クラブのジェームス小野田がゲストボーカルのSoul Hawkers。
マイガールなどひたすら1960年代の黒っぽい世界!体調回復のため踊る。
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 ジャズファンク すみだ初出場とのこと
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 ジャズピアニスト高木里代子+クラブDJ牧野雅己のユニット ディスコダンス!
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 ごろ寝して空を眺めて、一休み
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 ソフトマシーンのようなジャズフュージョンStereo Champ
 紹介文には「天才ギタリスト率いる」とあるが、なんども「先輩、先輩」とトランペットの人を立てていて、甲子園球児の先輩後輩のような爽やかさを感じた
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Soft Machine (with Allan Holdsworth) - Bundles (Full Suite)1974
https://www.youtube.com/watch?v=04URH_HA4cE
2:00から4:00ぐらいまでカッコいい

Soft Machine - The Floating World
https://www.youtube.com/watch?v=9CpN8TtFVOE
Bundlesの最後の曲

球児の熱い夏とともにすみだのジャズも熱かった
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2018年08月17日

盆踊り Disco @ Club Citta

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Club Citta通りの入り口


今日の1曲
  D Train / You're The One For Me 1982
 Third World - Try Jah Love 1982


 80年代のディスコのイベントに行きました。
 昔のダンス曲はメロディーがわかりやすい。
 3-4曲に1曲は知っている曲がかかるので、2時間30分ぐらい踊れました。

2013年8月14日に山口冨士夫が亡くなってから徐々に体調がおかしくなり10月31日の仕事が契機で2013年クリスマス頃からダウン。2014年の8月13日に寝たきり状態から意を決してこのClub Cittaのイベントに行って回復しました。

 今年2018年の冒頭は気が沈んでいました。山口冨士夫のことをブログで書いているうちに過去の傷に触るようだったのですが、吹っ切れてきて逆に楽になっていきました。今回のイベントもハイエナジー、ユーロビート、ラテン、パラパラなど楽しく踊れました。

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2階のラウンジ


D Train / You're The One For Me 1982 Extended Version
https://www.youtube.com/watch?v=v6Xqmj5c3hk


Third World - Try Jah Love
https://www.youtube.com/watch?v=0JUsc69dHLY


さいか屋が解体されたため、シネチッタの建物の裏側が見えました。
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2018年08月02日

内田裕也ドキュメンタリー 8月5日14時 後半 ぜひご覧ください

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今日の1曲
 内田裕也とザ・フラワーズ


 極暑が続いております。先日の日曜日午後2時に内田裕也のドキュメンタリーを見てかんどうしました。かんどうしました。5日に後半がありますので、興味のある方はぜひご覧ください。すごく勇気づけられました。

 山口冨士夫とシティロードのことを書いていて、内田裕也が1970年代から1980年に入っても元ダイナマイツのメンバーと屋根裏などライブハウスで、パンク世代になってもライブ活動を続けていたことに感銘を受けました。

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 1969年のフラワーズのライブがみつかりました。
 ジョー山中のフラワートラベリンバンドに移行する前の麻生レミ時代のフラワーズも凄いバンドだとわかりました。

 タイガースにしてもフラワートラベリンバンドにしても、内田裕也(1939生)のような自分たちより5歳以上も上の人が芸能界の世界でロックを牽引してくれたのは、とても重大なことだったのではないかと思います。

内田裕也とザ・フラワーズ "1969ジャズ喫茶ライブ"
https://www.youtube.com/watch?v=20NFM6HiIck
 
「ラストチャンス」ほか/内田裕也とザ・フラワーズ
https://www.youtube.com/watch?v=8JLqajk8DlA&list=RD8JLqajk8DlA

内田裕也政見放送「完全版」51歳 東京都知事選挙
https://www.youtube.com/watch?v=3BLp1IUEkik
フラワーズ結成の経緯についても語っている。
1:25の「るるるー」のところが特に好きだ


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2018年07月30日

暑さを熱さで吹き飛ばす2 TRIANA2

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ちびっ子たちのお祭り太鼓



今日の1曲
  TRIANA - YA ESTÁ BIEN  1977年


 前々回のブログでトリアナの2ndはまあまあ、と書いたのですが、1曲いいのがあったなと思って探してみました。みつけたと思って久々に聞いたところ凄いインパクト。「まあまあ」などと書いて本当に失礼しました。

TRIANA - YA ESTÁ BIEN (Hijos del agobio - 1977)
https://www.youtube.com/watch?v=dnVRL7LNM54
暑さ吹き飛ぶ旧B面の1曲目。2曲目にそのままつながる憎い構成。

 トリアナはフラメンコの情念とプログレが化合して爆発。1977年の2ndまで凄い。
 長年ため込んだプログレを3分に凝縮して爆発させたようなSex Pistolsの1977年の1stに近い感じがします。

TRIANA / SR. TRONCOSO
https://www.youtube.com/watch?v=7FwBRkE7BWk
この曲も2ndLPから。味わいのある曲。





posted by カンカン at 22:11| 神奈川 ☁| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月28日

フジロック生中継

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今日の1曲
 フジロック生中継


 37度の猛暑の次は台風がこれから来襲します。もう年なのでフジロックなど遠くに行くのははしんどいなと思っていたら、Youtubeで生中継。
 ラッキーです。1972年の村八分のチャー坊のダンス・歌と山口冨士夫のギターが掛け合うような華のあるバンドが出てこないかなあ。


FUJI ROCK FESTIVAL '18 LIVE Saturday Channel 2 
https://www.youtube.com/watch?v=38tnaY8BKUw

 晴れ舞台なのでどのバンドも気合が入っています。 
 Carla Thomasが楽しみですが、そのころは、台風がきついかも。。。
 過去では、Iggy Pop, Magma, ゴールデンカップス、加山雄三などを見たかった。


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posted by カンカン at 11:57| 神奈川 ☔| Comment(0) | 日記 Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月25日

暑さを熱さで吹き飛ばす Triana

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スペインで買ったトリアナのカセット(上はセミの抜け殻とミニトマト)


今日の1曲
  Triana Abre la puerta 1975年
  Triana Recuerdos de una noche 1975年


 酷暑が続いております。慣れというのは不思議なもので、37度を体験すると35度の日は楽に感じます。とはいえ、夜の10時になっても32度で、夜中も暑くて起きてしまいます。暑さを吹き飛ばすための音楽を探してみました。

 今回は、歌あり、フラメンコギターあり、メロトロンあり、ムーグあり、の情熱のスパニッシュロック! 1975年のTrianaの1stアルバムは、1974年の山口冨士夫「ひまつぶし」と同格の良曲占有率の高い名盤です。

Triana "Abre la puerta" LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=pUcjaGfgdPM
4:37のボーカルが終わった後のギターの切れがいい。6:10のコーラスはMellotron400?

Triana "Abre la puerta" Live
https://www.youtube.com/watch?v=qcwbsedgkx0
1:37、1:41 のコードがレコードと違うのが新鮮
Vo・Keyboardの人が夭折して解散

 1975年までのフランコ政権独裁への反動か1975年にスペインから良いバンドが出ました。Trianaは1stで長年貯めた良曲を出してしまったので、2ndはまあまあ、3rdは特徴のない普通のバンドになりましたが、スペインでは成功してスターでした。 

Triana  Recuerdos de una noche
https://www.youtube.com/watch?v=FOPgpsTrdVw
ギターソロが最高。



posted by カンカン at 12:35| 神奈川 ☁| Comment(0) | ユーロピアンロック&ポップス European Rock & Pops | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月23日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」P 1976年から1984年を振り返って

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一番見に行った1983年〜1984年ごろの山口冨士夫バンド(タンブリングス)


今日の1曲
 山口冨士夫バンド(タンブリングス) / Dear Prudence
                     1984年3月3日 
 Sex Pistols - Holidays In The Sun 1977年
 村八分 / Money  1979年
 裸のラリーズ / 造花の原野 1980年8月14日
 Michael Jackson - Wanna Be Startin' Somethin'1983年





 猛暑が続いており、ゆで卵の前の半熟卵のような気分です。夜になっても32.7度! 経済的節約もありますが、クーラーはなるべく使わず、体に水をかけて扇風機であおる(かなり気持ちいい)など、さらなる温暖化が進まないように少しばかりでも助力したいと思います。

 1983年の山口冨士夫のライブの思い出を振り返るだけの予定だった「山口冨士夫とシティロード」は、4カ月15回の長期になりました。1976年から1984年までの雑誌を読み返す中で、日本でロックを継続することが困難であり、山口冨士夫が偉大なミュージシャンであることを改めて知りました。そこで、もういちど1976年から1984年のころのことをまとめて振り返ってみました。


◆1976年

 1976年を思い出すと、レコード店で買いたいレコードが消えてゆき、1977年になると天国だったレコード店が砂漠のように思えました。ベトナム終戦後、世界的にみてもロックは存在意義を失って停滞し、魅力を失っていました。

 1976年はまだ歌謡曲、演歌が主流。沢田研二(とPYG)が歌謡曲をロックにより近づけていきました。そこへ、吉田拓郎、井上陽水などフォーク、ユーミンなどのニューミュージックが台頭、キャロル出身の矢沢永吉が初めてロックで商業的に成功しました。

 このような1976年に山口冨士夫はリゾートを結成。桃源郷、ロックの理想は、ルイズルイス加部との音楽性の違いから短命に終わります。東京のライブハウスも、屋根裏とロフトしかなく、ロックが非常に困難だったことがわかります。

リゾート 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=RQFcGvd9Quc
ルイズルイス加部もギターのWギター編成




◆1977年

 1977年12月にセックスピストルズが日本で発売。パンクの衝動で多くの新しいバンドが生まれましたが、プログレに影響を受けていたセックスピストルズの音楽性は旧世代のやる気も呼び起こしました。

Sex Pistols - Holidays In The Sun
https://www.youtube.com/watch?v=2Ah1JM9mf60


◆1978年

 山口冨士夫は福生などでヒッピーなどアマチュアとセッション活動、曲づくり。ブライアンイーノにも関心を持っていたようです。このころに元トゥーマッチ、外道の青木正行に出会いセッションをしています。 

 このころライブハウスでロックを続けている人は、グループサウンズ世代では実力派と言われたダイナマイツ、ゴールデンカップス、ビーバーズ、パワーハウスなど米軍のクラブで鍛えられた人が多いのがわかります。

 パンクロックにすぐに呼応したのは村八分脱退以後、活動歴がなかった青木真一で、スピードを結成しライブでも「Punk」と明言。ジョー山中の人間の証明の主題歌がヒットし武道館でライブ。ジョニー・ルイス&チャーで、ルイズルイス加部も本格的に再始動。

人間の証明
https://www.youtube.com/watch?v=-wQ0ik_wZG4

   
◆1979年 

 セックスピストルズに触発されたと思われるチャー坊が村八分を再結成。その際に山口冨士夫はパンク活動をする青木真一に会って刺激を受けたと言っています。村八分ではビートルズの曲が多数演奏され、ビートルズの影響の大きさを感じました。

村八分 / Money  1979年
https://www.youtube.com/watch?v=HtvO9Zsreec
歌:山口冨士夫 Beatlesへの回帰

 このころ、クロコダイル、ライブインなど渋谷を中心にロックのライブハウスが新たに出店。元村八分の恒田義見は四人囃子2名、安全ばんどというニューロック世代のメンバーとテクノポップバンド「ペグモ」を結成。時代はニューウェイブに移行していました。





◆1980年 

 再結成した村八分が解散した後、山口冨士夫は裸のラリーズに参加し、ラリーズのサウンドに大きな変化を与えます。命懸けだったというラリーズの活動がその後の山口冨士夫に影響を与えます。RCサクセション、サザンオールスターズ、シーナ&ロケットなど屋根裏、ロフトなどで活動していたバンドがブレイク。
  
裸のラリーズ / 造花の原野 1980年8月14日
https://www.youtube.com/watch?v=HOUqOAL-utM 
今年聞いた曲の中では一番感銘を受けた。


◆1981年
 
 山口冨士夫は、3月の裸のラリーズのライブを最後に脱退し、ギターを燃やして音楽活動を停止。元村八分の上原裕はロックへ移行した沢田研二のエキゾチックスのドラマーになりテレビに頻出。山口冨士夫が影響を受け、自伝のタイトルにもしたマイルスデイビスが9月に新宿で復活ライブを行います。

沢田研二&エキゾチックス / ストリッパー
https://www.youtube.com/watch?v=0LEXckET_fQ


◆1982年 

 11月22日のフールズのライブのゲストとして山口冨士夫の名が本人の承諾なく「シティロード」に記載。これをきっかけに山口冨士夫が音楽活動に復帰。このライブから「シティロード」が山口冨士夫の活動をほとんどフォローし支援するようになります。
 11月にはマイケルジャクソンがポールマッカートニーとGirl is mineを発表し、黒人初のスーパースターとなります。


◆1983年
 
 1月1日にダイナマイツ解散後も内田裕也のバンドなどで活動していた大木啓三とKIZUでクロコダイルに出演。3月に山口冨士夫がフロントに立ち、1978年からパンクムーブメントにいた青木真一と1971年からトゥーマッチ、外道というニューロック世代の青木正行、小林秀弥が参加。日本のロックシーンで10年以上続けてきた人たちのライブを見れたのは非常に幸運だったと思います。ビートルズのラブ・ミー・ドゥをレゲエにしたり、ソウル、ブルースなどあらゆる要素が詰め込まれていました。  
 1971年ころのトゥーマッチという深大寺のイベントでチャー坊が観客として映っていたとのこと。

 Michael Jackson - Beat Itはソウルの曲の中でエディー・ヴァン・ヘイレンがギターソロをとるという画期的な曲。この頃から「ソウル」という呼称がなくなっていきました。 

Michael Jackson - Wanna Be Startin' Somethin'
https://www.youtube.com/watch?v=3ibDF4MLIqo

 
◆1984年

 このころの山口冨士夫バンド(タンブリングス)の映像がみつかりました。今までの人生でライブで一番感動した一つのビートルズのDear Prudenceなど古い曲や新曲など、当時のベストといえるパフォーマンスだと思います。

 
1984年3月3日 新丸子リンディスファーン
https://www.youtube.com/watch?v=xkIDT7adu54&t=603s
 前期タンブリングスの活動が完成されるとともに停滞。





 山口冨士夫がライブで欠席し、1984年12月のライブでも会場に現れず、再び活動を停止。1983年から1984年にかけて、私は山口冨士夫のライブに5〜6回、裸のラリーズは3〜4回行きました。他のライブはほとんど行っていませんでした。

 1983年のころ、アルバイトで「自分も昔ブルースバンドでギターを弾いていた」という人に会いました。その人に山口冨士夫のライブのテープを聞いてもらったところ、「よかったよ」と言った後に「執念だな・・」とぽつりとつぶやいたのが今でも印象に残っています。

 山口冨士夫は「ロックは生き方なんだ」と言っていますが、1976年から1984年の山口冨士夫の活動もまさにその言葉どおりだと思いました。そして、山口冨士夫という才能のある人に多くの人たちが集まっていったことがわかりました。

 1985年以降の「情報誌シティロードと山口冨士夫」については、しばらくお休みします。
 いつ再開するか未定ですが、右列「1960年代後半、1970年代前半の日本のロック、山口冨士夫」のカテゴリーをご覧ください。


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2018年07月16日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」O INDEX 第1回〜第15回の分(1976年〜1984年)




 猛暑が続いております。水害の日にカメラを落として壊してしまい、頭が真っ白になりました。カメラ一つでもこれだけのショックだと思うと、被災地の水害を受けられた方に心よりお見舞い申し上げます。

 3月から始めた「山口冨士夫と情報誌シティロード」も4か月になります。今までを振り返ろうと思ったのですが、時系列の順番が入り組んでしまいましたので、今回はまずINDEXを作ってみようと思いました。



第1回(3月17日) 1983年1月号〜6月号  
   → 山口冨士夫バンド復活  
                                
第2回(3月21日) 1983年7月号〜12月号 
   → 山口冨士夫バンド好調

第3回(3月28日) 1984年1月号〜6月号 
   → タンブリングダウンに改名(5月)

第4回(4月5日) 1984年7月・8月号 
   → タンブリングダイスに改名

第5回(4月11日) 1984年9月・10月号 
   → タンブリングスに改名

第6回(4月17日) 1984年11月・12月号 
   → 活動停止

第7回(4月25日) 1980年8月・9月号  
   → 裸のラリーズでライブを再開

第8回(5月2日) 1980年10月号〜1981年3月号 
   → 裸のラリーズを脱退

第9回(5月11日) 1976年と1977年の「ぴあ」 
   → リゾート(ルイズルイス加部)

第10回(5月16日) 1978年の「ぴあ」
   → セッション活動(福生)
       +1974年の「Music Life」 

第11回(5月25日) 1979年の「ぴあ」 
   → 村八分再結成(京都)
       +1971年・1973年の「ニューミュージックマガジン」

第12回(6月4日) 1981年4月号〜12月号
   → 活動停止期(裸のラリーズ脱退後)

第13回(6月13日) 1982年1月号〜6月号
   → 活動停止期

第14回(6月20日) 1982年7月号〜12月号
   → 活動再開(11月から)

第15回(6月28日)「ぴあ」1980年1月号〜7月号
   → 裸のラリーズでセッション



 【時系列で並べ直すと以下のようになります】



第9回 (5月11日)  → 1976年 リゾート
第10回(5月16日)  →   セッション活動(福生)
第11回(5月25日)  → 1979年 村八分再結成(京都)
第15回(6月28日)  → 1980年 裸のラリーズ加入
第7回 (4月25日)  →   裸のラリーズでライブ
第8回 (5月2日)   → 1981年 裸のラリーズ脱退
第12回(6月4日)  →   活動停止期
第13回(6月13日)  →   活動停止期
第14回(6月20日)  → 1982年11月から活動再開
第1回 (3月17日)  → 1983年山口冨士夫バンド復活
第2回 (3月21日)  →   山口冨士夫バンド好調
第3回 (3月28日)  →   タンブリングダウンに改名
第4回 (4月5日)   →   タンブリングダイスに改名
第5回 (4月11日)  →   タンブリングスに改名
第6回 (4月17日)  → 1984年12月から活動停止


 
 次回は、4か月間「シティロード」「ぴあ」「ニューミュージックマガジン」「Music Life」などの資料を読み返し、1976年から1984年までの山口冨士夫の活動について感じたことを書こうと思います。


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2018年06月28日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」N「ぴあ」1980年1月18日号〜7月18日号

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「ぴあ」1980年1月18日号〜7月18日号にも山口冨士夫の名前はみつからない。
「シティロード」8月号(「ぴあ」8月15日号)の8月14日屋根裏の裸のラリーズで復活。


今日の1曲

 Paul McCartney & Wings - My Love 1973年
 Maxophone - I heard a butterfly 1975年
 The Ramones - Blitzkrieg Bop  1976年 

 いよいよ暑くなってきました。PCが壊れる寸前です。山口冨士夫と情報誌「シティロード」の15回目は、ないと思った「ぴあ」の1980年1月号から7月号を発見しました。「1971年〜1984年の振り返り」の予定でしたが、変更します。

 1979年7月の京都での村八分の再結成ライブの後、秋に解散し山口冨士夫は東京に戻ります。そして1980年に裸のラリーズに加入し、その最初のライブは8月14日に屋根裏で行われていますが、「シティロード」に山口冨士夫の名前は出ていません。

 したがって今回も山口冨士夫は出てきませんので、山口冨士夫や村八分に関わったミュージシャンについて振り返ってみます。このころはバイトに明け暮れていたので個人的な思い出もほとんどありません。「ぴあ」はこの頃隔週刊になっています。

 
☆1月18日号

 ・1月7日  新宿ロフト 自殺
 ・1月14日 新宿ロフト シーナ&ロケット
 ・1月16日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・1月18日〜24日 日劇 沢田研二
 ・1月19日〜22日 RCサクセション

 元村八分青木真一のスピードと活動した自殺やサイズがロフトや屋根裏でライブ。青木真一と元自殺、サイズの佐瀬浩平と中島一徳が1981年にフールズを作り、1982年11月22日ライブの山口冨士夫ゲスト出演を機に1987年にTeardropsを結成。


☆2月1日号

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ロックのライブハウスが東京にはロフトと屋根裏しかなかった時代の出演者はユニーク。

 ・1月19日〜22日 屋根裏 RCサクセション
 ・1月21日〜2月2日 ポールマッカートニー&ウイングス 武道館(中止)
 ・1月22日 新宿ロフト サイズ
 ・1月26日 屋根裏 自殺
 ・1月27日 屋根裏 シーナ&ロケット
 ・1月31日 屋根裏 春日博文とThe Uppers(メンバー:忌野清志郎、三上寛)
 ・2月1日  屋根裏 SYZE

 2月1日号の屋根裏の出演者は、2週間のうち8日間が、後に山口冨士夫と共演するメンバーがいるバンド。1966年のビートルズ以来のポールマッカートニー公演は、1973年のローリングストーンズのように中止。

Paul McCartney & Wings - My Love
https://www.youtube.com/watch?v=vx5QxoWCG-I





☆2月15日号
 ・2月9日  屋根裏 シーナ&ロケット
 ・2月11日 新宿ロフト シーナ&ロケット
 ・2月13日 新宿ロフト スマイラー


☆2月29日号
 ・2月18日 屋根裏 連続射殺魔(from京都)
 ・2月28日 新宿ロフト 自殺
 ・2月22日 屋根裏 内田裕也&スマイラー
 ・2月25日 屋根裏 スピード

 1983年に山口冨士夫(後のタンブリングス)のミニアルバム「Ride On」リリースに関わる和田哲郎の連続射殺魔がライブ。元ダイナマイツで1983年元旦に山口冨士夫とKIZUでライブを行う大木啓三のスマイラーは内田裕也とライブ。

☆3月14日号  
 ・3月6日 屋根裏 だててんりゅう

 1979年7月に村八分と共演した京都のだててんりゅうが東京でライブ。
 人気投票「ぴあテン」のコンサート部門でRCサクセションが48位。
 レコード部門の1位は久保田早紀の夢語り(投票者の平均年齢18歳)。

☆3月28日号
 ・3月19日 新宿ロフト フリクション
 ・3月23日 屋根裏 サイズ
 ・3月24日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・3月28日 屋根裏 内田裕也 スマイラー

「So What」によると山口冨士夫は裸のラリーズに加入してから3か月ぐらいはスタジオにこもっていたとあります。3月24日以降、裸のラリーズの次のライブは山口冨士夫が加入した8月14日の屋根裏のライブになります。

☆4月11日号
 ・4月1日〜3日 屋根裏 シーナ&ロケット
 ・4月12日 クロコダイル ジョー山中(予定)800円

 この号から、渋谷に屋根裏に続くロックのライブハウスとしてクロコダイルが登場。
このころは、まだ、東京にはロフト、屋根裏ぐらいしかロックのライブハウスはありませんでした。

☆4月25日号
 ・4月26日 クロコダイル ジョー山中スペシャル 4800円

☆5月9日号 
 ・4月30日 新宿ロフト 自殺

☆5月23日号
 ・5月24日 横浜スタジアム 沢田研二
 ・5月16日 新宿ロフト 自殺
 ・5月14日 屋根裏 内田裕也スマイラー

☆6月6日号
 ・6月5日 新宿ロフト 自殺
 ・6月8日 クロコダイル スマイラー
         屋根裏 自殺

☆7月4日号
 ・6月27日〜29日 西武劇場 ラモーンズVSシーナ&ロケット
 ・7月5日 日比谷野音 単独RCサクセション

 ラモーンズの初来日は初演からシーナ&ロケットとの共演。
 ラッテエミエーレの「受難劇」も放送したFM東京の「スペースフュージョン」は6月28日が最終回。先日逝去したSergio Lattuadaのマクソフォンがラスト。合掌。

The Ramones - Blitzkrieg Bop
https://www.youtube.com/watch?v=TYh1lRR1m6Y
ラモーンズも村八分のようにオリジナルメンバーの4人が亡くなった。

Maxophone - I heard a butterfly 1975
https://www.youtube.com/watch?v=ZmXt1_N2-dk  





☆7月18日号
 ・7月4日 福生Electric Uzu 外道レコード発売記念ライブ
 ・7月22日 渋谷公会堂 萩原健一

 1978年頃にElectric Uzuで山口冨士夫とセッションした元トゥーマッチの青木正行が加納秀人と再結成した外道のニューアルバム。1982年に再び解散。1983年に青木正行は山口冨士夫バンドを結成。加納秀人は2011年に山口冨士夫と「香り」を演奏。


★「シティロード」8月号(※ 山口冨士夫と情報誌「シティロード」の7回目参照)
 ・8月14日 屋根裏 裸のラリーズ [山口冨士夫参加]


 次回、山口冨士夫と情報誌「シティロード」の16回目は、第1回から15回の「1976年(1971年)〜1984年まで」を順番を整理して、まとめて振り返る予定です。


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2018年06月20日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」M1982年7月号〜12月号

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「シティロード」1982年11月号 山口冨士夫が知らずにされたという告知
これをきっかけに18か月ぶりに山口冨士夫が音楽活動を再開


今日の1曲
 Jimi Hendrix / Foxy Lady Jimi Hndrix Concerts 1968年 
 ジャックス / マリアンヌ 1968年
 タイガース(Vo加橋かつみ) / 花の首飾り1968年
 Can / Mother Sky / Deadlock 1970年
 Il Balletto Di Bronzo / Secondo Incontro 1972年
 村八分 / あやつり人形 1972年
 Latte e Miele / Getzemani 1972年
 Iggy & The Stooges / Search And Destroy 1973年
 後藤啓子 / Il tempo di impazzire 1980年
 ABC / ルックオブラブ1982年
 裸のラリーズ / 造花の原野 1982年10月
 Michael Jackson (Ft. Paul McCartney) The Girl Is Mine 1982
 大貫妙子 / 風の道 1982年
 Joe Yamanaka and The Wailers / Reggae Vibrations 1982年
 前野曜子/ コブラCOBRA 1982年


 今回、山口冨士夫と情報誌「シティロード」第14回は、前回L1982年1月号〜6月号に続いて、7月号〜12月号を振り返ってみます。11月号で山口冨士夫が音楽活動をついに再開し、タンブリングス、Teardropsに繋がっていきます。



☆1982年7月号

 ・7月19日 新宿ロフト 外道(青木正行 → 山口冨士夫バンド)
 ・7月27日 渋谷ライブイン’82 ジョー山中&レゲエバイブレーション
                     LP発売記念ライブ

 インタビューは6月25日にLPを発売したスターリンの遠藤みちろう。チャー坊と同じ1950年生まれ。「客からの嫌悪感や憎悪の方が、ヨカッタ、ヨカッタという日常的な弱い部分で結びつくより確かだった」と語っています。

 「ライブ村八分」の「うるさい!」「文句あるんだったら、ここへ来たら」からの影響も感じられます。渋谷陽一のラジオ「サウンドストリート」で、遠藤ミチロウが当時幻だったジャックスのマリアンヌをかけ、録音できたのは衝撃的で貴重でした。 

ジャックス / マリアンヌ
https://www.youtube.com/watch?v=7-fO14G4Rg0
山口冨士夫「So What」でも裸のラリーズのところで「そういえば、ジャックスっていうのもいたな」と語っている。

 7月16日に加橋かつみ「ファーストコンサート」を厚生年金会館で見る。ダイナマイツの「ゆめがほしい」を作曲したすぎやまこういちがゲストで登場。山口冨士夫は、加橋かつみ、陳信輝とセッションをして加橋かつみから「フジオちゃーん」と言われたとのこと。

 加橋かつみ著「日盛りの街に出て」によると、高校の体育の教師の黒人のハーフの同級生への侮辱的な言葉に怒り、教師を殴って退学になる。定時制高校ではオートバイに凝り、オートバイが故障した瞳みのるに声をかけたのが、タイガースの始まりだった。

 このころ目標を失いディスコに通いました。六本木に行くきっかけになったLP「パリ1969」の加橋かつみと道で遭遇。「あっ」と緊張して固まり「頑張ってください」と言ったら笑っていました。ダンスはこれ以上速いステップを踏めないと思い行かなくなりました。

タイガース / 花の首飾り
https://www.youtube.com/watch?v=4ZjUNRTXUnI
加橋かつみがリードボーカルのGS最大のヒット。オリコン8週間1位





☆1982年8月号

 インタビューは1990年に山口冨士夫が参加するRCサクセション。屋根裏からスタートし、8月7日にはヨコハマスタジアムでライブ。山口冨士夫はRCサクセションについて、「村八分からあくを抜いて広めてくれたのが清志郎だ」と語っていました。

 Canのホルガーシューカイのインタビューも掲載。村八分も1972年後半ごろからCanのような曲も演奏していた。1969年にヨーロッパに渡ったヒッピーのダモ鈴木と、アメリカに渡ったチャー坊には共通するものが感じられます。

Can - Mother Sky / Deadlock - Live in Soest, Winter 1970
https://www.youtube.com/watch?v=6w0UnQ2mMQw
村八分が結成された1970年

 8月31日に渋谷TAKE OFF7で久保田早紀のライブを見る。異邦人と1stアルバムの後、会社の方針で明るいポップス路線に変更したが、ヒットが出ず本人もかなり悩んでいた。渋谷「ラ・ママ」も開店し、シャンソン、コント、フュージョンなど幅広いジャンル。

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 レコードレビューでは、元村八分の恒田義見のペグモを「日本の10t」として紹介。ジョー山中+ウェイラーズをボクサー時代のジョー山中がモデルになった「矢吹丈」風のイラスト付きで紹介。パンタのポップ路線には違和感があると評価。


☆1982年9月号

・9月12日 田島ヶ原フリーコンサート ペグモ(ex村八分、四人囃子、安全バンド)  
・9月27日 渋谷Eggman ジョー山中

 ABC / ルックオブラブの一面広告を掲載。ドイツのCan、Kraftwerk、Neu! からの影響はイギリスのSex Pistols、Ultravox、JohnFoxxへと受け継がれ、米国ソウル、Beatlesの伝統と結びついてダンスミュージックへ進化して大きな潮流になる。

ABCルックオブラブ
https://www.youtube.com/watch?v=sW4ytGQiaUc

 もう出尽くしたと言われていたJimi Hndrix のライブ音源2枚組LP Concertsが発売。ものすごい音圧でMixされ、初めてジミヘンに大衝撃を受ける。山口冨士夫は「日本のギタリスト」などでジミヘンは弾けると語っているが音源を聞いたことがない。

Jimi Hendrix – Foxy Lady Jimi Hndrix Concerts live 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=M5RieWR63_k

Fire/Jimi Hendrix
https://www.youtube.com/watch?v=DHB5PnUGBDs


☆1982年10月号

・10月2日 慶應大学日吉 裸のラリーズ
 
 慶應大学日吉で裸のラリーズのライブ。
 聴き比べると、1980年の山口冨士夫の参加によって、同じ曲の「造花の原野」のサウンドが変化していったことがわかります。

裸のラリーズ 造花の原野 1973年 OZ Days liveより
https://www.youtube.com/watch?v=uQFV_2dXpVk&t=309s

裸のラリーズ 造花の原野 1980年8月14日
https://www.youtube.com/watch?v=HOUqOAL-utM
山口冨士夫参加

裸のラリーズ 造花の原野 1982年10月2日
https://www.youtube.com/watch?v=aQ51XRWDnQY&t=140s





 10月25日〜30日にクロコダイルで、1992年に山口冨士夫と京大西部講堂でライブを行う山内テツが、ジャズの近藤等則らとフリージャズのセッション。ライブハウスニュースで、「聴くというよりは「体験」といったほうがよさそう」と紹介。

 10月にPolydorから4月のFaust、Velvet Undergroundに続いてイタリアンプログレッシブコレクションを再発。前例のないリーフレット付きの完全復刻は1985年の「ライブ村八分」の復刻にも影響を与えたと思われます。

Il Balletto Di Bronzo - Secondo Incontro 1972
https://www.youtube.com/watch?v=l_PcallDgdI
2:00〜 1972年の村八分「ライブ三田祭」あやつり人形に通じる緊張感

Latte e Miele Getzemani 1972
https://www.youtube.com/watch?v=7mXLh-fjkv8&index=4&list=PL94gOvpr5yt1o55J1HRIcTYgkGtdSihfW
1972年のヒッピーの聖地京都のような空気を感じさせる映像





 10月に『Thriller』の先行シングルとして、マイケルジャクソンがポール・マッカートニーとのデュエット「The Girl Is Mine」を発表。黒人初のスーパースターと昔からのヒーローBeatlesのポールの共演は、山口冨士夫に刺激を与えたと思います。

The Girl Is Mine - Michael Jackson (Ft. Paul McCartney)
マイケル・ジャクソン&ポール・マッカートニー
https://www.youtube.com/watch?v=Ol-8OaLFME8
ミュージックTVの登場とともにMJの人気が爆発した。


★1982年11月号

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山口冨士夫が復活する11月号の表紙はStevie Wonder。
黒人スターが躍進しフロントに出る時代が始まる。

 ・10月31日 上智大学 外道
 ・11月3日  復活神大ロックフェス Pinkcloud
 ・11月20日 法政大学特設ステージ 前夜祭 シーナ&ロケッツ
 ・11月22日 法政大学ホール 人呼んでオールナイト1300円
         出演:The FOOLS+山口冨士夫
 ・11月28日 屋根裏 Tokyo Raw Power フールズ 

 山口冨士夫「So What」や「天国のひまつぶし」でも書かれている11月22日の法政大学ホールのオールナイトライブ。山口冨士夫が「The FOOLS+山口冨士夫」として「シティロード」に告知され、1年8か月ぶりに音楽活動を再開します。

 これは山口冨士夫が知らないところで「シティロード」に掲載されたとのことですが、フールズも当日まで知らなかったという情報もあります。元村八分の青木真一が、山口冨士夫と一緒に活動したいと思って計画したのではないかとも想像しています。

 村八分は1970年に山口冨士夫と青木真一の東京での出会いから始まり、1971年に青木真一が村八分を脱退して京都から東京に帰る。
 2人が共演するのは実に11年ぶりということになります。

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 11月号の「コンサートピックアップ」欄には「元裸のラリーズのギタリスト、山口冨士夫を迎えたフールズ」と記載。ポピュラークラシック合わせて2ページのindex「や」行にも山口冨士夫が登場。1983年からの「シティロード」の山口冨士夫支援の発端に。
 
 1976年の新宿ロフトに「リゾート・フューチャリング山口冨士夫・ルイズルイス加部」の告知後、私が断続的に持っている「ぴあ」の1977年8月号から1979年12月21日号まで見た範囲では、「山口冨士夫」の名はみつかりませんでした。
 
 また、1980年から裸のラリーズに参加した際も「山口冨士夫」の記載はなし。NMM1973年1月号の小さな「村八分公演決定」の告知から「シティロード」1982年11月号まで、1976年のリゾート以外は「山口冨士夫」の名前は見当たりません。

 したがって約10年間、東京の情報誌に山口冨士夫の情報はほとんどなかったといえます。1983年1月号以降の「シティロード」が、熱い表現で「あの」村八分の「山口冨士夫」と何度も紹介したのは、そのような長い空白期間があったからと思います。

 青木真一のフールズもまた、16か月ぶりの「シティロード」への登場。
 屋根裏で、続けて28日にもIggy & The StoogesのLPタイトルの「Raw Power」というライブをしています。

Iggy & The Stooges - Search And Destroy 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=0vnwSVTOnqQ

Iggy & The Stooges - Search And Destroy (Bowie Mix)
https://www.youtube.com/watch?v=LC9km8qnbOY





 1982年秋の学園祭特集で最も出演したバンドは、ピンククラウド6回、カシオペア5回、 シーナ&ロケッツ5回になっています。シーナ&ロケッツは1984年12月21日の法政大学ホールで山口冨士夫(欠席)と共演。

 再結成外道の最後と思われる上智大学でのライブ。ベースの青木正行は、1978年ごろに福生で山口冨士夫とセッションしPyramidで活動。1979年に福生でもライブをした青木真一と結びついて、翌1983年に3者が山口冨士夫グループを結成します。

 この月に、村八分の2代目ドラマー上原裕のいたシュガーベイブ出身の大貫妙子がLP「クリシェ」を発表し、CMで話題になりヒットします。このLPも半分ぐらいの曲が良曲で、山口冨士夫「ひまつぶし」のような傑作でした。

大貫妙子 / 風の道
https://www.youtube.com/watch?v=5dMVRtz2TcU

 銀巴里では、前年の5月に新宿ロフトで青木真一のフールズと共演した保坂夏子が、共演者を厳選する美輪明宏と11月22日に共演。11月16日は、故村上進、故後藤啓子、階見ルイジが共演。後藤啓子が亡くなっていたことを先日知りました。合掌。

後藤啓子 / Il tempo di impazzire
https://www.youtube.com/watch?v=Xc6EXHUyjX8
ライブハウスに霧がかかるような幻想的な声だった。

 1982年に加橋かつみや銀巴里でたくさんの歌手を見れたこと、1983年から1984年に山口冨士夫とタンブリングスを見れたことは、自分にとって一生の心の財産になりました。感謝しかありません。過去を振り返った時、その思いはますます強くなりました。


☆1982年12月号

・12月25日 クロコダイル  Xmasレゲエナイト
         ジョー山中&レゲエバイブレーション

Joe Yamanaka and The Wailers - Reggae Vibrations 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=cT3Hahsw4GI

ジョー山中&鮎川誠 / Hiroshima
https://www.youtube.com/watch?v=skD8ZRgiE8o
石間秀機が被爆者の著書に感銘を受けて作ったというフラワートラベリンバンドがアンコールで演奏していた曲。

 12月14日に後に裸のラリーズが出演する鹿鳴館で、ペドロ&カプリシャスの初代ボーカル前野曜子のライブ。チャー坊と同様に40代で夭折した伝説のシンガー。この年、名曲アニメソング「コブラ」をリリースしていた。合掌。

前野曜子 コブラCOBRA 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=ryAsyyZfAc8





 次回の15回目の山口冨士夫と情報誌「シティロード」は、時系列が混乱してしまった今までの14回(1970年〜1984年)を整理して振り返りたいと思います。
 1985年以降については、しばらくこの特集はお休みにしようと思っています。


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2018年06月13日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」L1982年1月号〜6月号

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村八分の唯一のシングルレコード「Recorded live」@TVリブヤング1973年2月4日
A面:鼻からちょうちん B面:にげろ


今日の1曲
 ザ・ダイナマイツ / ユメがほしい1968年
 ザ・タイガース / シー・シー・シー 1968年
 Faust / Krautrock 1973年
 村八分 / 鼻からちょうちん 1973年
 Rufus & Chaka Khan - Once You Get Started 1974年
 THIRD WORLD - Try Jah Love 1982年
 ボーイズ・タウン・ギャング/君の瞳に恋してる 1982年
 大瀧詠一 / カナリア諸島  1982年
 Tatsuro Yamashita / Sparkle 1982年



 山口冨士夫と情報誌「シティロード」の13回目は、1982年の1月号から6月号です。

 山口冨士夫「So What」によれば、山口冨士夫は1981年春にギターを燃やして1982年秋までは音楽活動を停止しています。そこで「シティロード」を見ながら山口冨士夫、村八分に関連する人の1982年の動向や思い出について書こうと思います。

 このブログも11年目に入ります。一昨日も明け方が涼しくて風邪をひきそうになったのでお気を付けください。慌てて厚着をして体調を整えました。これからも無理をせず頑張ろうと思います。お時間がありましたらお立ち寄りください。


☆1982年1月号

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 ・1981年12月31日〜1982年1月1日 
      ニューイヤーロックフェスティバル
      出演:沢田研二とExisotics(上原裕Dr元村八分)、ジョー山中など
 
 ・1月23日 クロコダイル ジョー山中&ザ・ジェイ・カンパニー
 ・1月27日 屋根裏 ペグモ(恒田義見ex村八分)

 1979年に京大西部講堂で村八分と共演したジョー山中は、ザ・ジェイ・カンパニーというバンドでクロコダイルに出演。
 ボブ・マーレーの影響でレゲエに移行する直前と思われます。

 1月号は毒舌で人気絶頂のビートたけしのインタビュー。
 後にジョー山中の2006年の自伝本「証」の帯に、ビートたけしは「本物は哀しみを知っている」と献辞を書いていました。

 新宿ロフトではこのころから「暴威」が定期的に出演し、クロコダイルにも登場。5月からBOφWYと改名し、1980年代後半からの第2次バンドブームの先駆け的存在になります。山口冨士夫のTeardropsもその波の中で1989年にメジャーデビューします。


☆1982年2月号

 ・2月14日 屋根裏 外道 (B.青木正行→1983年山口冨士夫バンド)
 ・2月22日 新宿ロフト 外道
 
 1979年に再結成した外道がライブ。翌年ベースの青木正行は山口冨士夫バンド結成に参加。2月号インタビューは、1984年元日のニューイヤーロックフェスティバルに山口冨士夫を招いた内田裕也。ヒット曲がなくてもロックはできると語っています。 

 2月号には、ポリドールがFaustやVelvet Undergroundなどを再発する情報を掲載。1979年からのキングのNew Trollsなどのユーロピアンロックコレクションのシリーズが予想以上のセールスだったため各社が動き出したとのこと。

 これらの動きが1960年代後半から70年代前半のアーカイブの発掘の運動になり、1985年の「ライブ村八分」1973年、山口冨士夫「ひまつぶし」1974年の再発に至ったといえます。2000年には村八分の「鼻からちょうちん」のアナログシングルも出ました。

村八分 / はなからちょうちん  CD「ぶっつぶせ」1971年より
https://www.youtube.com/watch?v=ZGp6GkYkZvk

 1980年代も音楽の商業主義が続く中で、1960、70年代への機運が生まれたと思います。山口冨士夫が1983年4月に復活したときに「60年代後半から70年代の雰囲気で。だってほらみんな表面ばかり舐めてきただろ。もっと深くいこうぜ」と言っていました。

 Faustは、村八分の唯一のシングル「鼻からちょうちん/にげろ」をフジテレビ「リブヤング」で録音した1973年2月4日の翌月にFaust Tapesを49ペンスでVirginから発売。Sex PistolsのジョンライドンもFaust Tapesを買って聞いていました。

Faust / Krautrock 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=cBpqeEC8BMY
VirginのFaustWより。山口冨士夫在籍時の裸のラリーズに通じるサウンド。


1973年2月4日村八分「鼻からちょうちん」ライブ収録


 
 2月新譜では、シュガーベイブ時代に元村八分の上原裕と組んだ山下達郎の「For You」をトップで掲載。SparkleがCMで毎日のように流れていました。野音で石を投げられたというシュガーベイブのころから長きを経て遂にシティーポップとしてブレイク。

Tatsuro Yamashita – Sparkle 1982年
https://www.youtube.com/watch?v=gQ9pmFMc5oM

山下達郎 Sparkle ライブ映像
https://www.youtube.com/watch?v=irpmZpj0Ez4
山下達郎は最高のサイドギタリストの一人とも呼ばれる。山口冨士夫はCharに「ギターはサイドだよ」と言っていた。


☆1982年3月号

 ・3月1日  屋根裏 ペグモ(恒田義見ex村八分)
 ・3月8日  渋谷Eggman 鮎川誠
 ・3月17日 日本武道館 タイガース 同窓会コンサート
 ・3月21日 大瀧詠一「ロングバケーション」発売

 ライブハウスニュースでは、超目玉として鮎川誠のソロ活動KOOL SOLO LIVEを紹介。エッグマン、シェルガーデン、ルイードの3カ所。このような鮎川誠のソロ活動が1986年の山口冨士夫とのライブインでの共演ライブにつながったと思います。

 ライブインは渋谷初の500人クラスの中箱。「ライブイン‘82」という店名で3月に開店。3月12日のオープンは、野音でかつて山口冨士夫と共演したファンクのつのだひろ。3月15,16日と20日〜22日にはチャカ・カーン。日本でも黒人ファンクが台頭してきた。

Rufus & Chaka Khan - Once You Get Started 1974年
https://www.youtube.com/watch?v=7fgKhuqNtxw

 3月17日には日本武道館で、タイガースの準再結成「同窓会」コンサート。1971年4月に京大西部講堂で村八分と共演したPYGにも在籍した岸部修三も参加。GSの王者タイガースの11年ぶりの復活は大きな話題になり、テレビやCMに多く出演しました。 

ザ・タイガース / シー・シー・シー 1968年7月15日発売
https://www.youtube.com/watch?v=rsZELNxcZFs&index=8&list=RDab_kJtZ6OxY
この6枚目のシングルで初めてA面の作曲がすぎやまこういちから加瀬邦彦へ。

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タイガースのデビューからの5連作を作った「橋本淳作詞、すぎやまこういち作曲」

 ダイナマイツの2枚目のシングル「ユメがほしい」はビクターから1968年3月5日に発売されています。タイガース最大のヒット「花の首飾り/銀河のロマンス」(3月25日発売)と同じく、すぎやまこういちが作曲しました。
 
ダイナマイツ / ユメがほしい 
https://www.youtube.com/watch?v=2Cbf_OwLJTo
 
 「ユメがほしい」はヒットに至らなかったものの良曲で、当時のダイナマイツへの期待がわかります。山口冨士夫がセンターのジャケットもGOOD。「ユメがほしい」は、映画「ケメコの唄」での出演や遊園地でのプロモーション映像があります。 

 3月21日発売の大瀧詠一のLP「ロングバケーション」(はっぴいえんどの松本隆の作詞)が突然大ブレイク。ほとんど無名だった人の音楽が、どこのレコード店でも流れ陳列されているのには驚きました。良い曲が多く内容も良かったです。

 「So What」では、村八分時代に山口冨士夫は青木真一と海ではっぴいえんどを聞いたとあり、「はっぴいえんどの大瀧詠一さんみたいに日本語をはっきり打ち出すのではなく、村八分では言葉を音として捉えようとした」とも言っています。





 1982年は音楽が町や生活に流れていた時代で、活動停止中の山口冨士夫も当時の音楽に全く無縁ではなく、タイガース、沢田研二、上原裕、大瀧詠一の活動を見ていたと思います。1983年の「酔いどれ天使」には「今にみてろよ」という歌詞があります。


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「シティロード」1982年1月号〜6月号にも山口冨士夫の名前はなかった


☆1982年4月号

 「シネマ最前線」で「爆裂都市」を特集。ロッカーズ、ルースターズ主演のパンク的映像の「パワーが凄い」と評価。1979年からのパンクは、過激に進むもの、シンセサイザー、ファンク系などに分かれ、ロッカーズはこの年の12月に解散し、役者に転向します。
 
 1981年3月以降に山口冨士夫の名前が消えたのと同様に、青木真一(元村八分)のフールズも、1981年5月の新宿ロフトでのシャンソンとの共演以後、1982年11月号まで「シティロード」に名前が見当たりません。

 1979年にSpeedで最初期のパンクバンドを始めた青木真一も、このころが転機だったようにも思えます。山下達郎は、3コードのロックンロールの衝動こそ最高の音楽と言いつつも、それだけではいつか行き詰ると述べています。

 1982年11月22日の法政大学ホールのライブで、青木真一がフールズの「ゲスト」として「山口冨士夫」に本人に秘密で「シティロード」に告知したのも、1960年代後半から70年代の村八分の原点に互いに戻りたいという思いがあったのではとも思います。

 新譜情報の黒人音楽のトップでは、黒人ファンクの最高傑作の一つであるKickin backを収録したLTDのラブマジックを紹介。サタデーナイトフィーバーのディスコブーム以降、黒人系ダンスが台頭し、年末にマイケルジャクソンで爆発します。

L T D - Kickin' Back
https://www.youtube.com/watch?v=5QT0GkSHD1A
山口冨士夫のトンネル天国、恋のビート、Ride On!のようにソウルフルな歌


☆1982年5月号

 インタビューは、山口冨士夫「So What」旧版の寄せ書きで「山口冨士夫? そりゃ興味あるわな。村八分のころから。同じエレックレコードだったし」と書いていた泉谷しげる。普段は実験的音楽を聴くという勝新太郎の歌手宣言も印象的で「浮遊の夏」を発表。

 元山口冨士夫リゾートのルイズルイス加部のJL&Cがピンククラウドと改名。
 「シティロード」に「バンドの名前が欲しかった」という広告で、6月5日渋谷公会堂など5カ所のツアーを告知。

 新譜情報の黒人音楽のトップで、サードワールド / ラブアイランドを紹介。最上のレゲエバンドとStevie Wonderの才能が結合。この年の夏に初めてディスコに行き、黒人のように踊りたいと思った私にとって最高の曲の一つでした。

サードワールド / ラブアイランドTHIRD WORLD - Try Jah Love
https://www.youtube.com/watch?v=RPwPQyjOBUs


☆1982年6月号

 ・6月29日 新宿ロフト 外道

 「ライブハウスロッカーズ」では、ファンクの方向を目指す暗黒大陸じゃがたらを紹介。「So What」によれば、じゃがたらの江戸アケミは11月22日に法政大学ホールで楽器を持たずに来た山口冨士夫にギターを貸しています。

 インタビューは今は亡き夏目雅子。渋谷ライブインでは、キングクリムゾンのロバートフリップから「日本の音楽を作れ」と言われ「えんやとっと」というダンス音楽を始めた岡林信康の3daysライブを開催。 

 このころ福生のライブハウスには、1979年のころのように山口冨士夫に関連する青木真一や青木正行などのバンドの名前は出ていません。
 ElectricUZUは、SunshineUZUに改名しています。

 このころ、ボーイズ・タウン・ギャング/君の瞳に恋してるがヒット。今もディスコ音楽の定番ソングのトップになっています。1967年のライチャス・ブラザースのリメイクであり、山口冨士夫も耳にしたと思われます。

ボーイズ・タウン・ギャング/君の瞳に恋してるCan't Take My Eyes off you
https://www.youtube.com/watch?v=TJVvTgEj0VI

 次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」14回目。
 山口冨士夫が11月に活動を再開する1982年7月号〜12月号の「シティロード」を見たいと思います。


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2018年06月04日

ブログ10周年「あしあと」「あしあとU」〜 山口冨士夫と情報誌「シティロード」K 1981年4月号〜12月号


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山口冨士夫の残した作品、楽曲、演奏は世界レベルでみても素晴らしい。


 今年の3月からスタートした特集・山口冨士夫と情報誌「シティロード」は、時系列の順序が入り組んでしまいました。
 当初「山口冨士夫を偲んでU」として1983年のライブの思い出だけ書く予定でした。

 しかし、「シティロード」を振り返るうちに、山口冨士夫が若い頃の自分に与えた影響の大きさや、2013年の山口冨士夫の死で受けたダメージが深かった理由もわかりました。そこでブログの10周年に向け、山口冨士夫をテーマに書いていこうと思いました。

 書いていて山口冨士夫という稀有のミュージシャン、ロックヒーローに出会えたこと、「シティロード」や「ぴあ」への感謝を感じました。過去の心の古傷に触る作業でもありましたが、何かを残したいという意味での前向きな遺書と思うと幸せな気がしました。

 「天国のひまつぶし」でCharが、山口冨士夫のことを生前に認められなかった天才ミュージシャンの一人と語っていますが、日本では山口冨士夫こそ世界レベルでみても最高のロックのミュージシャン、作曲家ではないかという思いを強くしています。


= 山口冨士夫と情報誌「シティロード」K1981年4月号〜12月号 =


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「シティロード」1981年4月号〜12月号


今日の1曲
 Speed, Glue & Shinki(ルイズルイス加部) Run And Hide 1972年
 村上進(元スパイダース)/「カルーソ」Caruso (Lucio Dalla)
 ペグモ(恒田義見ex村八分)/ リトルラブ 1981年
 マイルス・デイビス / ライブ @新宿西口広場 1981年10月4日
 Miles Davis - So What 1959年
 Kraftwerk / Kling Klang 1971年
John Foxx / Systems of Romance 1981年
 沢田研二 / ス・ト・リ・ッ・パ・ー 1981年
             (ドラム:上原裕 ex村八分)
 瀬川洋 & Travelin' Ocean Bluebirds 武蔵野はらっぱ祭り   
           瀬川洋(元ダイナマイツ)上原裕(ドラム)2016年 
 Il Volo / Come una zanzara in Africa 1974年

 山口冨士夫著「So What」によれば、1981年3月23日の屋根裏でのライブを最後に裸のラリーズを脱退した山口冨士夫は、ギターなどを燃やし、一切の音楽活動を停止してしまいます。「オレは、・・・ダメ、だった」と言っています。

 したがって、「シティロード」の1981年4月号から音楽活動を再開する1982年の11月号まで、山口冨士夫の名前は一切みつかりません。今回は1981年4月号から12月号の山口冨士夫周辺の情報や思い出などを振り返りたいと思います。

 山口冨士夫は、裸のラリーズは命がけのアプローチだったと語っています。今回初めて1980年の裸のラリーズの「造花の原野」のライブを聞いたのですが、これほどの集中力で音楽を作ったら一度は燃え尽きてしまうのではないかと思いました。

 山口冨士夫はダイナマイツ時代から海が好きだったと言っており、このころは海によく行っていたようです。1983年8月に江の島で行われたというジョー山中レゲエバイブレーションとの共演ライブは見たかったです。

 

☆1981年4月号

 ・4月8日  新宿ロフト Fool’s day  出演 :Fool’s
 ・4月24日〜26日 Electric Uzuバースデイパーティ 出演:外道
 ・4月3日  平塚レイン チーボー&ベーサイドストリートバンド
 ・4月15日 平塚レイン 陳シンキバンド

 青木真一(元村八分)が、Speedの後にFool’sを結成し、新宿ロフトに出演。
 青木正行も加納秀人と再結成した外道でElectric Uzuに出演。
 青木真一、青木正行は1983年に山口冨士夫バンドを結成。

 60年代から活動する横浜の元パワーハウス(柳ジョージがB.)のVo.チーボーとG.陳信輝が平塚レインで定期的にライブをしています。チーボーはパワーハウスの前に、ルイズルイス加部と「ミッドナイトエクスプレス」を結成していました。

 陳信輝は山口冨士夫とセッションをしたり、スピード・グルー&シンキでは野音で村八分とも共演。1993年の寿町ライブでは、チーボー、陳信輝、ルイズルイス加部、ジョニー吉長が、山口冨士夫の出演の前にMojosとして演奏しました。

Speed, Glue & Shinki - Run And Hide
https://www.youtube.com/watch?v=kwOXVTn7mJc
陳信輝G、ルイズルイス加部B、ジョーイ・スミスVo D

 4月号では、山口冨士夫が1983年4月のライブで「もう死んじゃった奴だけど俺が大好きだった…」と言って「マリアンヌ」をカバーした「フィルモア」のマイク・ブルームフィールドが2月15日に37歳で亡くなったという訃報を掲載しています。

 マイク・ブルームフィールドは、死ぬ直前ほとんど観客のない状態で一人で歌い、大木トオルに「君はイエローで俺はJewだ。俺たちはソウルブラザーだよ」と語り、一緒にレコードを作る予定だったとのこと。(大木トオル「伝説のイエローブルース」より)


☆1981年5月号

 ・5月13日 新宿ロフト フールズvs保坂夏子  
 ・5月14日 新宿ロフト フールズvsブルース

 青木真一のフールズが、新宿ロフトで当時銀巴里専属のシャンソン歌手だった保坂夏子やブルースと共演。シャンソン・カンツォーネとパンクの対バンの告知は見たことがありません。このような企画もロフトの村八分への関心の表れとも思えます。

 私が1982年に銀巴里でウェイターをしたときは保坂夏子は若手で、しますえよしおや村上進などの実力者と共演した普通の印象の歌手でした。ジャニスジョプリンのファンとのことで、どこかで青木真一とつながりがあったのかもしれません。

村上進 /「カルーソ」Caruso (Lucio Dalla)
https://www.youtube.com/watch?v=U40CsMVAtLg
村上進は40代で亡くなったイタリアンポップス(カンツォーネ)の第一人者。
山口冨士夫が中学時代に憧れたスパイダースの初期のボーカルでもあった。
人格者でお兄さんが亡くなった日も力強く歌っていたのを思い出す。

 沢田研二がバックバンドとしてエキゾチックスを結成。
 元村八分、シュガーベイブの上原裕がドラムで参加。
 5月1日に「渚のラブレター」をリリースし、オリコン8位。

☆1981年8月号

 ・8月2日  屋根裏 カルメンマキ&5X
 ・8月13日 屋根裏 ペグモ(恒田義見ex村八分)
 ・8月16日 鹿鳴館 「ロックスペシャル・ザ・ヨコハマ」ルイズルイス加部、Char
        エディ藩(ゴールデンカップス)、野木信一(元パワーハウスd.)
 ・8月18日 屋根裏 裸のラリーズ

 シーナ&ロケットの記事が印象的。
 鮎川誠は、「頭」でビートを作るYMOとの作業で方向性を明確にできなかったために、体の「ビート」の充電のためにブルースセッションなどの単独行動に出ていたそうです。

 レポートによれば、鮎川誠の行動が6月27日の久保講堂での「九州ビート集結コンサート」で充実した結果になってあらわれていたとのことでした。雌伏期にアマチュアなどともセッションをした山口冨士夫に通じるものがあります。

 「ライブハウスニュース」では、8月16日鹿鳴館での「ロックスペシャル・ザ・ヨコハマ」を紹介。山口冨士夫とのリゾートの解散後、ルイズルイス加部はCharとJL&Cで成功していましたが、やはりセッション活動を大事にしていたことがわかります。

 屋根裏では、山口冨士夫が3月に脱退した裸のラリーズがライブを再開。恒田義見(元村八分)の新バンド「ペグモ」は、岡井大二・坂下秀美というニューロックを代表した四人囃子のメンバーも加わり、シンセポップへの時代の変化を感じさせます。

 OZを解散した後のカルメンマキも、この5Xのころが一番方向性が苦しかったとのことです。屋根裏の昼の部では、ELPの影響を受けた小室哲哉&STAYが定期的にライブを開始しています。

ペグモ(恒田義見ex村八分、岡井大二・坂下秀美ex四人囃子)/ リトルラブ
https://www.youtube.com/watch?v=x_alQWvdOUc
実力者たちによる深い味わいの美しいシンセポップ。和的要素もある。
この後、恒田義見は和太鼓の世界へ


☆1981年9月号

 クラフトワークのインタビューを掲載。彼らが10年前トマトをぶつけられて演奏したシンセサイザーを今は中学生が演奏。「YMOのようなバンドが人気を得るということは僕たちのしてきたことが認められたということでもあり、自信がついた」と語っています。
 
Kraftwerk / Kling Klang 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=MXnjC3w6v60
村八分が「くたびれて」の後、カントにドラムが変わったころの録音。Kraftwerkは「我々は音響上のバーダー・マインホフ・グループ(過激政治組織)だ」と言っていた。

 山口冨士夫もブライアン・イーノに関心をもっていました。特に東芝からメジャーデビュー後のTeardropsが、時代のサウンドに対応して若い世代に受け入れられたのも山口冨士夫のシンセポップ等に対する理解があったからではないかと思います。

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元村八分出身では最もテレビに出演した上原裕が在籍したEXOTICS

 9月21日に沢田研二が、「JULIE & EXOTICS」として自ら作曲した「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」をリリースします。レコードジャケットにも元村八分の上原裕などのメンバーを出しロックバンド指向を打ち出しました。

沢田研二 ス・ト・リ・ッ・パ・ー 1981年ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=0LEXckET_fQ
日本テレビ「歌のベストテン」6位。上原裕のドラムとともに圧倒的なパフォーマンス。
元ライバル堺正章(exスパイダース)もバンドサウンドに敬服しているように見える。


☆1981年10月号

 ・10月2日〜4日 新宿西口広場 マイルス・デイビス
 ・10月14日 屋根裏 ペグモ(恒田義見)

 山口冨士夫が著書「So What」のタイトルにも使った復活マイルス・デイビスの来日公演が行われました。伝説的なパフォーマンスは賛否両論の的に。
 山口冨士夫の1982年の復活にも大きな影響を与えたと思われます。

Miles Davis - So What
https://www.youtube.com/watch?v=zqNTltOGh5c
1991年11月号のニューミュージックマガジンで、裸のラリーズの水谷孝もマイルス・デイビスやジョンコルトレーンから影響を受けたと語っている。

マイルス・デイビス 新宿西口広場 1981年10月4日
Miles Davis - Live in Tokyo, October 4, 1981 
https://www.youtube.com/watch?v=q5pTORxHcr8
レーザー光線も使った伝説のライブ

 1981年には、1974年のイタリアのIL VOLOの1stがキングから再発。これも1974年の山口冨士夫「ひまつぶし」のように捨て曲のない名盤。村八分がイギリス進出を目指したようにIl Voloも世界進出を目指して結成された。

IL VOLO / Come una zanzara in Africa 1974
https://www.youtube.com/watch?v=5CtFlLsSqsI&list=PLC6447C3BDA2D4CA7
1974年当時世界最高レベルのバンドの一つ


☆1981年11月号

 ・11月17日 屋根裏 ペグモ(恒田義見)

 11月号ではジョンフォックスの1面インタビュー。ジョンフォックスの作ったUltravoxは時代に早すぎたため、皮肉にも彼が脱退した後にブレイクする。ソロアルバムThe Gardenは、山口冨士夫「ひまつぶし」のように捨て曲がなくバラエティーに富む名盤。

John Foxx - Europe After The Rain
https://www.youtube.com/watch?v=DFjkOWigb-M

John Foxx / Systems of Romance 
https://www.youtube.com/watch?v=I7e2tsabigs
1972年村八分「ライブ三田祭」のあやつり人形をElectricにしたような印象を受ける

 
☆1981年12月号

 ・12月16日 クロコダイル Fen-Child(瀬川洋 元ダイナマイツリーダー)
 ・12月17日 クロコダイル Chibo(元パワーハウス) 
 ・12月21日 クロコダイル スマイラー(大木啓三 元ダイナマイツ)
 ・12月23日 クロコダイル Rockers vsバトルズ(ルースターズ)
 ・12月21日 クロコダイル Joe山中 One nite stand
 ・12月19日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・12月30日 屋根裏 外道(青木正行 → 山口冨士夫タンブリングス)
 ・12月31日 渋谷ハチ公前 10時
         「大道芸人渋谷街頭興行 ストリート・ライブ・イン渋谷」
          出演:ヒカシュー、裸のラリーズ、山海塾他

 1978年のSex Pistols以降、パンクによってライブハウスが増えます。中でも、山口冨士夫が1983年以後に拠点とするクロコダイルのブッキングの充実が目立ちます。山口冨士夫が在籍したダイナマイツからは瀬川洋、大木啓三が出演。

 大木啓三は、1983年元日にクロコダイルで山口冨士夫とKIZUを結成。
 鮎川誠のシーナ&ロケッツが先達となった「九州めんたいビート」の「ロッカーズ対ルースターズ」のライブ企画も行われています。

瀬川洋 & Travelin' Ocean Bluebirds 武蔵野はらっぱ祭り 2016-11-05
https://www.youtube.com/watch?v=ETtkNUh5Dzo&t=530s
山口冨士夫が、彼ほど歌が上手い人はいないと言った瀬川洋、上原裕の演奏はいまだに衰えない。安心して聴けて元気が出てくる。


 次回は、山口冨士夫と情報誌「シティロード」13回目。
 山口冨士夫が活動を再開する1982年の「シティロード」を見たいと思います。


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〜 ブログ10周年「あしあと」「あしあとU」 〜

 ご覧いただきありがとうございます。
 おかげさまで、6月4日をもちまして、ブログ「あしあと」「あしあとU」は10周年を迎えました。 記事の数は665件なります。 

 2008年6月4日は雨。祖母が死んだ2006年5月ごろから初めて体調が悪化し、遺書代わりとも思いブログをスタート。その後体調回復。5周年の2013年8月の山口冨士夫の死の頃から再び体調悪化。苦しさに耐え切れず2014年1月に本当の遺書を書く。

 2014年8月ごろから徐々に体調回復。祖母、父、親友、キース・エマーソンの死など2015年、2016年と下降線をたどりつつもなんとか体調を維持。
 ブログは、前半の5年に比べ、後半の5年はあっという間だった気がします。

 体調を回復できたのはダンスの力が大きかったです。しかし、もうあの地獄のような状態に戻りたくありません。今までの経験から、体調の維持のために一番大事だと気づいたのは、プラス思考、深呼吸と体幹・柔軟性をつくる運動です。

 過大なストレスやショックがあると精神的に落ち込み、体を動かさなくなります。
 すると、呼吸が浅く、体も硬くなり、酸素や血液の循環が停滞し、猫背になると特に首に集中している神経が長時間圧迫されます。

 それらの結果、体の各所に澱んだ部分ができ、体調が崩れ病気になるのだと思います。精神的に苦しい時こそプラス思考をとり深呼吸や柔軟運動ができるようにすることが大事だと思います。あたりまえのようで、平常時から意識しないと難しいと思います。

 先日も、スキージャンプのレジェンド葛西選手が、ジャンプ前の深呼吸や、日頃から体幹を作り疲れない体を作ることを紹介していて、なるほどと思いました。特にブログを書いているときは意識しようと思っています。

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2018年05月25日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」J1979年の「ぴあ」+1971年・1973年のニューミュージックマガジン

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ニューミュージックマガジン(NMM)1973年2月号 
鋤田正義「山口冨士夫フォトセッション」、村八分の公演やディスコガロ出演情報を掲載


今日の1曲
 村八分 / Twist and shout 1979年5月
 村八分 / マネー 1979年7月
 村八分 / 操り人形 1971年4月
 New Trolls / Concerto Grosso Adagio 1971年3月
 Speed / BOYS I LOVE YOU 1979年
The Stooges / Down On The Street 1970年
 村八分 / ぶっつぶせ 1971年
 Beatles / I saw her standing there 1963年
 山口冨士夫 Tumblings /んっ(村八分)1983年
 カシオペア / タイムリミット 1979年
 YMO / Technopolis 1979年
 久保田早紀 / 星空の少年 1979年


 山口冨士夫と情報誌「シティロード」11回目は、前回の1978年に続いて、1979年に購読した情報誌「ぴあ」を見てみました。1979年は山口冨士夫が村八分を再結成した年ですが、東京の「ぴあ」には、山口冨士夫の名前はみつかりませんでした。

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「ぴあ」1979年4月号から1980年1月4日号。
有名な表紙を書いた及川正通もミュージシャンだった。

 そこで、前回に続いて山口冨士夫著「So what」「村八分」等をてがかりに、1979年を振り返ってみたいと思います。ニューミュージックマガジン1971年12月号、1973年2月号も見てみます。「ぴあ」の1979年1月号は所持していませんでした。

 1月21日に元村八分の青木真一は8年ぶりにSpeedとして録音。春に山口冨士夫は村八分再結成のために京都へ。山口冨士夫は著書「村八分」で、高円寺でパンクの活動をする青木真一に会い、再起へのポジティブな気持ちになったと語っています。


☆「ぴあ」1979年2月号

 ・2月5日  屋根裏 「パンクナイト」スピード 自殺 サイズ
 ・2月11日 屋根裏 RCサクセション
 ・2月12日 屋根裏 Pyramid
 ・2月26日 屋根裏 カシオペア 
 ・2月27日 屋根裏 裸のラリーズ 

 渋谷「屋根裏」の2月5日「パンクナイト」は、青木真一のスピード、自殺、サイズという1987年に山口冨士夫Teardropsを結成するメンバーが在籍したバンドが集結。2月11日には1990年に山口冨士夫が参加するRCサクセションが出演。

 続く12日には、1983年に山口冨士夫タンブリングスを結成する青木正行のPyramid、27日には1980年に山口冨士夫が参加する裸のラリーズが並ぶ。当時日本のロックの中核だった「屋根裏」と山口冨士夫がつながっていたことがわかる。
 

☆「ぴあ」1979年4月号

 ・4月3日 屋根裏 恒田義見&高木英一 セッション
 ・4月7日 池袋City 恒田義見(元ハルヲフォン)佐藤満(四人囃子)
 ・4月15日 屋根裏 「パンクナイト」 Speed
 ・4月24日 福生Electric UZU 「UZU3周年」 Pyramid
 ・4月25日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・4月28日 福生Electric UZU Speed (Punk)

 元第1期村八分(裸のラリーズ)の恒田義見がセッション活動を開始。ハルヲフォンの前にはオムニバスLP「ロック・エイジ・コンサート」に1曲だけ残す伝説的バンド「ブラインドバード」にも在籍した。この後、ポップロックバンド「ペグモ」を経て和太鼓の世界へ。

BLIND BIRD /KICK THE WORLD ブラインド・バード
https://www.youtube.com/watch?v=P9L91Mxfpgg
この時点では恒田義見は参加していない。

 恒田義見は、ブログで村八分という日本のロック史に残るバンドにいたことは誇りと述べている。2017年12月31日の内田裕也主宰のワールドロックフェスティバルでは「近田春夫×恒田義見×高木英一」としてシーナ&ザ・ロケッツ等と共演、健在ぶりを示す。

恒田義見著「ロックンロールマイウェイ」
http://uuuupsbooks.com/?pid=121924690

 4月28日のElectric UZUに初出演したSpeedは、告知にずばり「Punk」という呼称を使用。過去の「ぴあ」「シティロード」を振り返ってみて、青木真一こそが「パンクの元祖」村八分というイメージを作ったのではないかと思えるようになりました。

 山口冨士夫はGS時代からプロで「So What」でも自分はパンクではないと言う。チャー坊も中学からフォークギターを弾き、渡米から帰国後に裸のラリーズのベースになる予定だった。他も楽器経験者で、本当にゼロから始めたのは青木真一だけだった。

青木真一参加の1971年「くたびれて」旧第2版のジャケット



 1983年から見たタンブリングスのライブでは、MCはすべて山口冨士夫が表に立ち、青木真一は控えめな存在でした。1984年12月に山口冨士夫が欠席したときに、1回だけ青木真一が「俺たちだけで楽しもうぜ」と言ったことだけ覚えています。

★ニューミュージックマガジン(NMM)1971年12月号

 1983年に国会図書館でNMMのバックナンバーを探し、山口冨士夫著「村八分」の表紙になった写真が掲載されたNMM1971年12月号を読みました。写真と村八分の異様で圧倒的な存在感を伝える内容の文章に衝撃を受けたのを覚えています。

ニューミュージックマガジン(NMM)1971年12月号で掲載された写真
同じように横向きに縦1面で印刷されていた



 征木高司のインタビューに対して村八分は黙ったままほとんど応えず、チャー坊がこの写真を指して「夢」とつぶやき、1996年の「クイックジャパン」でも3代目ドラマーのカントが「かわいそうになるほどつっけんどんに対応した」と回想しています。 
 
 インタビューでメンバーがしゃべらない中、青木真一(記事では青木真と記載)だけが「俺たちの演奏を聴ける奴がどこにいる。いないじゃないか」と強い言葉を発しているのが、非常に印象に残っていました。

NMM1971年12月号より 「村八分」青木真一の発言
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 青木真一のスピードは、ストゥージズ等に影響を受けた日本で最初期のパンクバンド。最近初めて、Speedのライブ映像と青木真一が話す姿を見た。剣道部の主将だったという青木真一の「今のガキに目を覚ましてほしい」という言葉に意志の強さを感じる。

Speed / BOYS I LOVE YOU 記録映画「ROCKERS」1979年
https://www.youtube.com/watch?v=IrvBKxOrZpw
38:00からSpeed。青木真一は「昔いたバンドとは?」という質問に「村八分」と回答。

 映像で、青木真一はスピードへの参加を拒んだ元村八分上原裕のことを暗に批判しています。しかし、上原裕もまた1981年から1984年まで沢田研二とニューウェーブを追求し、1986年に燃え尽きたように一度音楽から引退します。

青木真一(元村八分ベース、Fools、山口冨士夫タンブリングス、Teardrops)1979年
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The Stooges - Down On The Street 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=85RSPV9Q-3s
The Stoogesの活動期間は村八分と重なっている。

村八分 / ぶっつぶせ 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=TvvVefeljdQ

青木真一がベースで参加した1971年のライブ「ぶっつぶせ」



☆「ぴあ」1979年5月号

 ・5月5日 屋根裏 ジョー山中 前売りあり(1500円)

 ・5月6日 京大西部講堂「狂騒ロックコンサート」 ジョー山中グループ 
           → 村八分が、飛び入りで参加
                      (→ 「ぴあ」には記載なし)

 ・5月6日 屋根裏 RCサクセション
 ・5月12日 関内 ファーイースト 
           ルイズルイス加部(g) 野木信一(dr)&Family
 ・5月12日 福生Electric UZU  Speed (Punk)
 ・5月26日 福生Electric UZU Pyramid

 5月6日に京大西部講堂「狂騒ロックコンサート」のジョー山中グループに飛び入り的に村八分が参加。村八分BOX収録の6曲で、チャー坊の歌には長期の療養生活によるダメージが感じられるが、「くたびれて」ではそれが深い情感になっていると思います。

 関西で最高のギタリストだったという松田幹夫(ミッキー)のボーカルによるTwist and shoutは、まさに村八分のメンバーたちが、ビートルズから受けた衝撃をダイレクトに伝える熱狂的な演奏になっています。

1979年5月6日のライブを収録した村八分BOX



 元リゾート(山口冨士夫)のルイズルイス加部(g)が、元パワーハウスの野木信一(dr)&Familyでライブ。1978年9月に合歓の里で合宿を開始し、12月のデビューライブが中止になった「JOHNNY, LOUIS & CHAR」の再始動に向けてのものと思われます。 

 青木正行、中野良一のピラミッドは、スピードとともに福生Electric UZUへ出演。この月が最後の出演で、加納秀人と外道を再結成。UZUで青木正行と青木真一とのつながりができたと思われ、後の1983年山口冨士夫タンブリングス結成に至ります。

 1983年からの山口冨士夫Tumblingsでの「んっ(村八分)」や「酔いどれ天使」では、ニューロック出身の青木正行と、パンク出身の青木真一のコンビネーションでバラエティーに富んだアレンジが毎回なされ、それが深い魅力になっていたと思います。

 このころキングから1971年3月23日〜27日に録音されたNew Trolls / Concerto Grossoが再発。「日本のギタリスト」でのインタビューによれば、山口冨士夫自身の選ぶベストプレイは、1971年4月30日録音の村八分「くたびれて」だという。

New Trolls / Concerto Grosso Adagio
https://www.youtube.com/watch?v=DCgvp6IfE7w
3:48のギターソロ。1971年には、日本でもイタリアでも強い磁力が働いていた。





☆「ぴあ」1979年6月号

 ・6月7日 村八分 日本テレビ「11pm」出演      
               (→ 「ぴあ」には記載なし)
 ・6月13日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・6月27日 関内 ファーイースト ルイズルイス加部(g)野木信一(dr)&Family
 ・6月28日 屋根裏 恒田義見&フレンズ
 
 6月7日に村八分は、1973年2月4日の「リブヤング」以来の日本テレビ「11pm」に出演。オリジナル曲の予定を覆し、本番でビートルズの「ロールオーバーベートーベン」
「I saw her standing there」を演奏。村八分のビートルズへのこだわりがわかる。

The Beatles - I Saw Her Standing There 2009 Stereo Remastered
https://www.youtube.com/watch?v=Rq8u0tnyDGI





☆「ぴあ」1979年7月号

 ・7月14日 日比谷野音「JOHNNY, LOUIS & CHAR」『Free Spirit』

 ・7月15日 京大西部講堂 村八分
              (→ 「ぴあ」には記載なし)

 7月14日にルイズルイス加部の「JOHNNY, LOUIS & CHAR」が再始動.
 日比谷野音のフリーコンサートで野音の動員記録を樹立。
 君が代も演奏した。

JOHNNY, LOUIS & CHAR / Natural Vibration
https://www.youtube.com/watch?v=6GPcMNVI8RM
以前からのチャーの女性ファンたちは、ロックへの変貌で泣いていたという。





 翌7月15日に山口冨士夫の村八分は西部講堂でライブを行う。「日本ロック体系」によれば昔からの同窓会的な人が集まったようでしたが、「でも音はよかったですね」と山口冨士夫は述べています。ここでは山口冨士夫がビートルズのマネーを歌っています。

村八分再結成 Underground Tapes 1979年7月15日


 チャー坊が山口冨士夫を東京にまで迎えにきて再始動した村八分は、11月の慶應大学三田祭に向けて準備していましたが秋に解散。チャー坊は「ブルーダイヤモンズ」(青い死の門)の名で活動予定でした。

 新曲が少なく村八分の評価を決定的にした「あっ」「あやつり人形」などが詞の問題で封印され、チャー坊の体調やメンバーの入院などが重なりました。「村八分」の中で山口冨士夫は「音楽は楽しいからやる」というポリシーがチャー坊と違ったといいます。

 再結成した村八分の活動で顕著だったのが、山口冨士夫のビートルズへの思い。
 山口冨士夫は「So what」で、中学1年生の時、イギリス軍人の父の国で階級社会から成功したビートルズに対して「本気で憧れた」と語っています。

 1979年の5月から7月まで村八分が公の場で演奏した14曲のうちビートルズが5曲。
 山口冨士夫は1983年でも1stシングルLove me doをレゲエにアレンジし、同年のクリスマスには、1曲目でDear Prudenceをほぼ原曲に忠実に演奏しました。

 また、「クイックジャパン」によると、1996年に福生UZUで若いミュージシャンがビートルズを演奏し大合唱する中へ、山口冨士夫は思わず入っていってギターでセッションをしたとのことです。


★ニューミュージックマガジン(以下NMM)1973年2月号

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NMM1973年2月号
「村八分公演決定!」(5月5日京大西部講堂と思われる)東京新宿のロック喫茶の広告
関西でのライブがこのように広告の一部として告知されるのは異例

 NMM1973年2月号は、鋤田正義の8ページにわたる山口冨士夫のフォトセッション写真で話題になりました。最後の山口冨士夫が墓地に立つ写真が印象的でした。
 この2月号には、さらに村八分についての情報が2つ掲載されています。

 1つめの情報は、「村八分公演決定!」告知がある新宿のロック喫茶(ライブハウス?)MAGAGINEの広告。おそらく1973年5月5日の京大西部講堂のライブと思われますが、日程も不明の段階で村八分がいかに注目されていたかがわかります。
 
 国会図書館で読んだ1971年から1973年のNMMには、村八分が数回掲載されていました。1979年のNMMに7月京都の村八分のライブ告知があったかは不明ですが「ぴあ」には出ていません。「ぴあ」「シティロード」では関西のライブ情報は出ません。

 「クイックジャパン」「ヤングギター」の記事(フラワートラベリンバンドの有名なSATORIのイラストレーター石丸忍のレポート)によると、1972年8月の村八分の円山公園でのライブの際は、東京からヒッチハイクをして見に行った人もいました。

 2つめの情報は、「RANDOM NOTES」で村八分の京都のディスコ「ガロ」への出演を紹介。村八分自身は「ガロ」への出演を公にしておらず、ハコバンの情報まで雑誌に掲載するのは珍しい。「ガロ」でのライブ音源は「村八分BOX」に収録されました。

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☆「ぴあ」1979年8月号

 ・8月20日 屋根裏 シーナロケット 
 
 YMOの援助を受けた鮎川誠のシーナロケットが、「真空パック」でアルファから再デビュー。1960年代から暗黒舞踏を続ける1978年に会った麿赤児のインタビューが印象的。時代への迷いも感じたが、この後Dance Butoとして海外から評価を得る。

☆「ぴあ」1979年10月12日号
 
 ・9月26日 屋根裏 スマイラー(大木啓三 元ダイナマイツ)
 ・10月1日 サンシャインシティ10階 南正人with ルイズルイス加部
 ・10月7日 日比谷野音 南正人with ルイズルイス加部 RCサクセション
 ・10月27日 法政大学ホール 裸のラリーズ

 ルイズルイス加部が南正人と共演し「スーパーレザリウムとバンドのジョイントコンサート」を行う。外道の加納秀人も参加。南正人は「ロックの旗手」として新譜を発売。ソロ、裸のラリーズ、浅川マキジャズセッション、ビリーバンバンなど多くの分野と共演。

 アルファレコードから、「テクノポリス」でYMOの人気を決定的にした「ソリッドステイトサバイバー」、カシオペアの1stアルバムが、1面広告で掲載されています。私は、道玄坂YAMAHAでデビュー前のカシオペアを最前列の目の前で見てギターを諦めました。

カシオペア / タイムリミット 1979年ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=yX0_fze8FJU
3:40から、MC「次は、めちゃめちゃハードな曲でタイムリミット」

YMO - Technopolis
https://www.youtube.com/watch?v=Y2lOyCxRp5s

 このころ、FM東京「スペース・フュージョン」で土曜深夜3-5時にプログレッシブロックの輸入盤を放送。1970年代初期のLPが中心で、村八分の全盛期と重なる。村八分も1973年に「むらさき」などでCanのようなアプローチを始めていた。

むらさき、天までとどけを収録



☆「ぴあ」1979年11月9日号
  
 アルファレコードから、シーナ&ロケット「真空パック」発売の広告。
 「YMOとロックンロールの劇的な出合い!」という宣伝文句。
 村井邦彦のアルファレコードが時代の半歩先を走っていました。





☆「ぴあ」1979年12月7日号
 
 ・12月4日 屋根裏 裸のラリーズ


☆「ぴあ」1979年12月21日号

 ・12月22日 屋根裏 Speed ゲスト シーナ&ロケッツ

 Speedが、シーナ&ロケッツをゲストとして登場。1984年12月21日の法政大学ホールでのタンブリングス(山口冨士夫欠席)との共演以前に鮎川誠と青木真一が会っていたことと、シーナ&ロケッツもパンクに対して好意的だったことがわかります。

☆「ぴあ」1980年1月4日号

 「79年と80年の間に」というサブタイトルで、浅川マキの年末連続公演が始まる。
 久保田早紀のファーストアルバム「夢がたり」の1面広告。
 JAシーザーが12月23日、24日に原宿ラフォーレで、馬淵晴子の演出でコンサート。

久保田早紀のファーストアルバム「夢がたり」
山口冨士夫「ひまつぶし」のようにほとんど捨て曲がなく良曲が揃っている


 
 このころ青木真一が裸のラリーズへの加入を断る。
 1980年に山口冨士夫が裸のラリーズに参加。 
 山口冨士夫の参加した裸のラリーズの最初のライブは1980年8月13日の屋根裏。

 順番が逆になってしまいましたが、「シティロード」1980年から1981年3月までの山口冨士夫が裸のラリーズに参加した時期については、山口冨士夫と情報誌「シティロード」FGをご覧ください。


 次回の山口冨士夫と情報誌「シティロード」12回目は、山口冨士夫が裸のラリーズを脱退した1981年4月以降から、フールズのゲストから再復活した1982年12月までの「シティロード」を見ていく予定です。
 
 

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2018年05月16日

山口冨士夫と情報誌「シティロード」I 1978年の「ぴあ」+ 1974年の「Music Life」ミュージックライフ

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Music Life1974年3月号 人気投票のギタリスト部門で山口冨士夫が8位
 村八分は1973年に解散していたが、LP「ライブ村八分」の反響がわかる。

 山口冨士夫がスパイダース時代に憧れ、1971年に「日本ではPYGがいい」と言った井上堯之が1位。ボーカルはソロになった沢田研二が1位で、演奏はPYGがサポート。ドラム部門の1位は1970年野音の山口冨士夫グループにも参加した角田ヒロ。


今日の1曲
 ザ・ダイナマイツ/恋はもうたくさん LPヴァージョン 1968年
 ザ・ダイナマイツ/恋はもうたくさん シングルヴァージョン 1967年
 ザ・ダイナマイツ / トンネル天国 1968年
 Murasaki (紫) - Mother Natures Plight 1978年
 タイフーン / シスタージェーン 1975年
 外道 / 香り 1974年
 森田童子 / みんな夢でありました 1980年
 村八分 / にげろ ライブ テレビ「リブヤング」1973年2月4日
 村八分 / にげろ 「村八分ライブ」1973年5月5日




1973年の「ライブ村八分」は外道やその後の日本のロックに影響を与えた



 山口冨士夫と情報誌「シティロード」は、前回の1976年、1977年に続いて、1978年に購読した情報誌「ぴあ」のころを振り返ってみました。この年の「ぴあ」にも、山口冨士夫の名前はみつかりませんでした。

 1978年はセックスピストルズの影響でロックが活性化し、1979年の村八分の再結成や山口冨士夫にも影響を及ぼしたと思います。1983年に山口冨士夫と組む元外道の青木正行、元村八分の青木真一の活動も1978年に活発になります。

☆「ぴあ」1978年1月号

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1978年1月の屋根裏(左列)  3日瀬川洋(元ダイナマイツ)、14日ジョン山崎(元ゴールデンカップス)、15日アイ高野(元カーナビーツ、ゴールデンカップス)、16日トランザム(石間秀機・元ビーバーズ、フラワートラベリンバンド。チト河内元ハプニングスフォー)と元実力派系GS出身者が活躍。右列は、新宿タロー(ジャズ)

 ・1月3日 屋根裏 瀬川洋&ハッピージョー・テンプル
                  (元ダイナマイツ)
 ・1月9日〜12日 Electric UZU Tune up day
 ・1月13日 屋根裏 近田春夫とハルヲフォン
                 (ドラム恒田義見、元村八分)
 ・1月18日 屋根裏 RCサクセション
            (1990年に山口冨士夫が「カバーズ」に参加)

 山口冨士夫は1978年に入っても表立った活動が見当たりませんが、1月9日〜12日の福生Electric UZUのTune up dayなどにも出演可能性があります。

 1月3日には、屋根裏でダイナマイツのリーダーだった瀬川洋&ハッピージョー・テンプルがライブをしています。三が日に出演していることから、ダイナマイツがゴールデンカップスなどと並んで重要なバンドとみなされていたことがわかります。

ザ・ダイナマイツThe Dynamites/恋はもうたくさん (album Version1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=_EtkDkRFGKA
今のバンドと比べても飛びぬけている山口冨士夫のギターソロとサイドギター 

 瀬川洋は「So What」で村八分もいいが、山口冨士夫はダイナマイツ時代がベストと証言。「天国のひまつぶし」でダイナマイツのベースの吉田博が、山口冨士夫ほど練習する人を見たことがないと言っており、改めて山口冨士夫のギターの凄さがわかります。

ザ・ダイナマイツ 恋はもうたくさん 1967年シングルヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=h0dyLWHtU7c
ストリングスが入るとGS風に趣が変わる


トンネル天国などが海外でも評価の高いダイナマイツ



 1977年12月29日に渋谷の東横劇場で紫のライブ。日本のバンドでルックスで初めて凄みを感じた。ベトナム戦争時代に沖縄コザでもロックが全盛。ベトナム戦争の影響は立川基地のダイナマイツ、横浜本牧のGolden Cups、福生UZUなどにも及んだ。
 
Murasaki (紫) - Mother Natures Plight
https://www.youtube.com/watch?v=4PV1vM7anPw
1979年のミュージックライフの人気投票では、国内グループ部門で紫が1位になる。

 1979年にYAMAHA池袋でジョージ紫のトークライブに行った。寡黙な彼がピアノでタイフーンのシスタージェーンを弾いたので、質問コーナーで緊張しながらなぜ弾いたのですかと尋ねたところ、サングラスをかけたジョージ紫が無言だったのを思い出す。

Tai Phong - Sister Jane 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=b0ry-4Z6clw
ジョージ紫は日系米人。タイフーンはベトナム人が2人いた。利根川 裕著「喜屋武マリーの青春」によれば、人を殺したくないと思ったジョージ紫は祖国の沖縄に戻ったという。

ベトナム戦争の問題が深かった沖縄の紫が日本のハードロックの頂点に



 1月20日には渋谷ジャンジャンで、GS時代に山口冨士夫とも交流があった「加橋かつみの透明な世界」のライブ。加橋かつみもタイガースの後は反戦ミュージカルヘアーの主演、ソロアルバムでユーミンの最初の曲を録音したり、演歌にも転向した。

 1月27日に、渋谷エピキュラスのKeyboard Junctionに行く。バッハレボルーションと共演した稲田保雄に30年後に会い、1974年の幻のLP「感覚思考」の話題になった際、彼が昔の日本のロックバンドの中で真っ先に名を上げたのが村八分だった。

 1973年に解散した村八分の影響は1974年にも及び、Music Life1974年3月号の人気投票で、グループ部門で村八分が7位、ギタリスト部門では山口冨士夫(村八分)が8位。前年の1973年で、まだレコードを出していない村八分が15位にランク。

1974年7位。前年1973年(1972年10月〜1973年3月の集計)15位。ライブの評価がいかに高かったがわかる。
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村八分、山口冨士夫がランクインしたMusic Life1974年1月号、3月号(最終結果)
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☆「ぴあ」1978年2月号

 ・2月19日 福生Chicken SchackUチキンシャック 染谷青&シゲセッションバンド

 2月19日に福生Chicken SchackUで、初代村八分ギタリストの染谷青のセッション。福生なので、山口冨士夫と交流があったかもしれません。1月号では「はみだし情報」として欄外に出ていたChicken SchackUが2月号からElectric UZUと並ぶ。

 この1978年のころ、「チャー坊 遺稿集」によると京都のチャー坊は療養中。
 このときの医師が村八分のことを知っていたため信頼関係ができて回復方向に向かい、これが1979年の村八分の再結成につながったようです。
  
 2月19日に渋谷アピアで「ギリヤーク尼ケ崎 津軽三味線に舞う大道芸人」を見て衝撃を受ける。1972年のチャー坊のダンスにも似た妖気があった。また、無名時代の坂本龍一が現代音楽で「坂本龍一個展」のタイトルにインパクト。その後忌野清志郎と共演。


☆「ぴあ」1978年3月号

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1983年から山口冨士夫タンブリングスに参加する元外道の青木正行が福生でライブ

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山口冨士夫タンブリングスに参加する元村八分の青木真一もスピードで福生でライブ

 ・3月3日 福生Electric UZU  青木正行セッションバンド(リョウ)
          ※ 山口冨士夫の参加可能性あり
               → B. 青木正行(外道・解散中)
                  1983年に山口冨士夫・タンブリングスに参加
               →「リョウ」はDr.中野良一(外道・解散中)

 ・3月12日 福生Chicken SchackU スピード
               → G. 青木真一(元村八分・ベース)
                  1983年に山口冨士夫・タンブリングスに参加

 山口冨士夫がセッションをしていた福生で、Electric UZUに1983年に山口冨士夫とタンブリングスを結成する元外道の青木正行、Chicken SchackUに元村八分の青木真一(スピード)が時期を同じくして「ぴあ」に初登場。2店は700m程の距離。

 山口冨士夫は「So What」で、リゾートの後の時期にこう語っています。

 「ちょうどそのころ、外道のリズムセクションだったマサと中野と出会った」
 「ワクワクするような音が聞こえてきて」「思わずウズの中に入っていった」
 「一度だけセッションをした」「外道のライブにも行った」

 そこで、3月3日のElectric UZU「青木正行セッションバンド」に山口冨士夫が参加した可能性があります。その後、青木正行は、山口冨士夫とやったら他とはできないと語り、1987年のタンブリングス解散後は主だった活動はしていないようです。

 青木正行(ベース)は、トゥーマッチの後、1973年に加納秀人(ギター)中野良一(ドラム)と外道を結成。外道は、1974年にはハワイで10万人のフェス、郡山ワンステップロックフェスでも一番受け、ジェフベックとの共演でも勝ったと言われたバンドでした。

 山口冨士夫は、2010年に下北沢で外道(加納秀人)とも共演し、最後に外道の「香り」を一緒に演奏。これが私が最後に見た山口冨士夫のライブでした。外道には、村八分の「逃げろ」に影響を受けたと思われる「逃げるな」という曲もあります。
 
 外道 / 香り
https://www.youtube.com/watch?v=uHfBhJsqrD8

後に山口冨士夫と活動をする外道のメンバー



 3月18日にビートたけしがジャズ喫茶で共に働いた永山則夫の映画「裸の19歳」、3月22日に渋谷ジャンジャンで高橋竹山の津軽三味線を見る。共に貧困の問題があった。3月31日渋谷YAMAHAでカシオペアの無料ライブ。野呂一生は速弾きの極限を追求。


1978年の「ぴあ」にも「山口冨士夫」の名前はみつからなかった
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☆「ぴあ」1978年4月号

 ・4月7日〜9日 Electric UZU ピラミッド(中野良一 青木正行) 
                      UZU Family Band
 ・4月30日 Electric UZU Special day  Magical Power Mako


 Electric UZUに元外道の中野良一、青木正行が結成したピラミッドが出演。外道は1976年に解散後、1979年の加納秀人のソロ『エレクトリック・ウズ』を機に再結成。山口冨士夫が外道を見たのはそのときと思われます。1982年に外道は再び解散。

 
☆「ぴあ」1978年5月号

 ・5月3日 福生Chicken SchackU ROCKERS(スピード、ミラーズ、Mr.カイト)
 ・5月3日、5日 JAPAN ROCK FESTIVAL 日比谷野外音楽堂
     内田裕也with Smiler (大木啓三exダイナマイツ 1983年傷 山口冨士夫)
     近田春夫とハルヲフォン(恒田義見 村八分初代ドラマー)
    デイブ平尾(元ゴールデンカップス ルイズルイス加部)
     陳信輝(元ベベズ、パワーハウス、フードブレイン、スピード・グルー&シンキ)
 ・5月12日 Electric UZU ピラミッド(元外道)
 ・5月24日 屋根裏 ピラミッド 中野良 青木正行
 ・5月26日27日 屋根裏 近田春夫とハルヲフォン
 ・5月30日 日本武道館 ジョー山中 Never give up新しい世界へ


 5月3日と5日に当時は最大規模のJAPAN ROCK FESTIVALが日比谷野外音楽堂であり、内田裕也with Smilerには大木啓三(ダイナマイツのサイドギター、1983年1月1日に山口冨士夫をゲストに傷を結成)が参加。

 ルイズルイス加部と縁の深い横浜の元ゴールデンカップスのリーダーデイブ平尾は自分のライブハウスを経営。陳信輝もライブハウスの経営に乗り出し、これ以後主だった活動は見られない。

トンネル天国 ザ・ダイナマイツ
https://www.youtube.com/watch?v=txyLqyztYXA
ダイナマイツ時代の大木啓三

 5月30日には日本武道館で「人間の証明」がヒットした元フラワートラベリンバンドのジョー山中が単独ライブを行い成功。
 翌1979年5月にジョー山中は、京大西部講堂で再結成した村八分と共演しています。


ジョー山中ライブ。翌年、村八分と共演。




☆「ぴあ」1978年6月号

 ・6月7日 福生 Chicken SchackU スピード(青木真一)
 ・6月3日、10日、18日 Electric UZU Special Guest day 
                   10日は、OZの春日博文がゲストと明記

 6月16日の初台騒ではサタデーナイトに伝説のフリージャズ奏者阿部薫が出演。1970年代後半もフリージャズは盛んだった。阿部薫の死を追うようにジャズ評論家の間章も夭折。山口冨士夫も1992年に山内テツと一度だけフリージャズ的なライブを行う。

 「ぴあ」6月号の表紙はディスコブームに火をつけた「サタデーナイトフィーバー」。ロックも明るいポップスやAORが主流に。高校生、中学生もディスコに行き、新宿歌舞伎町には体育館のようなディスコがいくつもできました。


☆「ぴあ」1978年7月号

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7月1日 福生Chicken SchackU 染谷青(村八分初代ギタリスト)

 ・7月1日 福生Chicken SchackU 染谷青
 ・7月16日 Electric UZU Speed
 ・7月23日 S-KENスタジオ Tokyo Rockers 1978
                   フリクション スピード 

 7月1日に元村八分で山口冨士夫「プライベートカセット」に参加した染谷青が単独ライブ。7月16日には、青木真一のスピードが初めてElectric UZUに出演。7月23日は、後に山口冨士夫に関わるチコヒゲがドラムのフリクションと、スピードが共演。

 7月15日に神奈川県民ホールで、1971年に村八分とPYGで共演し、1975年に音楽活動を再開した萩原健一のファースト全国ツアー。萩原健一+PYGのシングル「戻らない日々」、「ブルージンの子守歌」以降俳優に専念していた。

 7月29日森田童子が聖マリア大聖堂でライブ録音。「ぴあ」では森田童子の新譜の広告がいつも大きかった。平野悠著「ロフト青春記」には、学生運動で挫折した者にとって森田童子は特別な存在だったとある。

森田童子 / みんな夢でありました
https://www.youtube.com/watch?v=uiXDF4jcZXM


山口冨士夫が活動を再開する1983年に新宿ロフトで活動を停止した森田童子



☆「ぴあ」1978年8月号

 ・Electric UZU 「今月はライブをお休みします」の告知

 ・8月6日  S-KENスタジオ フリクション(チコヒゲ) 
 ・8月13日 S-KENスタジオ スピード (青木真一)
 ・8月27日 九段会館 ローリングストーンズ1万人集会 3回フィルムコンサート
 ・8月27日 屋根裏 RCサクセション
 ・8月28日 後楽園球場 矢沢永吉コンサートGoldRush’78 
 ・8月31日 田園コロシアム 沢田研二 ジュリーロックンツアー78

その後山口冨士夫に関わる青木真一(スピード)とチコヒゲ(フリクション)
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 8月27日にまだブレイク前のRCサクセション(1990年に山口冨士夫と共演)が屋根裏でライブ。1971年に山口冨士夫が「世界で一番すごいのはストーンズと村八分だ」と言ったローリングストーンズは1973年の来日中止の後も来日の目途がつかず。

 かつて村八分と「ロックンロールタイトルマッチ」という共演も予定されたキャロル出身の矢沢永吉が後楽園球場でライブ。村八分の唯一のテレビ出演「リブヤング」がキャロルの翌週で、チャー坊はキャロルを意識し村八分のメジャー進出を考えていたようです。


村八分「リブヤング」での「にげろ」「鼻からちょうちん」


 
 村八分と1971年にPYGで共演した沢田研二もまたロック色を強めていき、1980年にPYG時代からの共同制作者井上堯之と別れ、1981年のエキゾチックスではドラムに元村八分の上原ユカリ裕を迎えて、ニューウェーブに突き進んでいきます。


村八分との共演も予定されたキャロル出身の矢沢永吉



☆「ぴあ」1978年11月号 (※ 追加)

1978年11月 屋根裏 スケジュール 豪華ラインナップ
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☆「ぴあ」1978年12月号

   
 ・12月21日 屋根裏 裸のラリーズ
 ・12月24日 沢田研二 Julie in 武道館
 ・12月28日 中野サンプラザ「ウルトラコンサート」ジョニー・ルイス&チャー
             デビューコンサート → 中止
 ・12月29日 Electric UZU Special Guest day
 ・12月31日 浅草ニューイヤーロックフェスティバル 
         内田裕也スマイラー(大木啓三 元ダイナマイツ)
         加納秀人(外道は解散中)

12月28日中野サンプラザ「ウルトラコンサート」ジョニー・ルイス&チャー 
山口冨士夫とのリゾート解散後2年、ルイズルイス加部の活動も本格化
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 パンクに触発されてか、日本でもチャーが歌謡曲路線から脱却し、山口冨士夫のリゾート解散後のルイズルイス加部とジョニー・ルイス&チャーを結成。グループサウンズ、ニューロックの後、フォーク、歌謡曲に押されたロックが再び活動活発に。

 セックスピストルズは、パンクの仮面をつけたプログレファンで、クリストーマスはピンクフロイドのプロデューサー。古い世代にも火をつけ、キングクリムゾンのロバートフリップも活動再開。チャー坊はキングクリムゾンの全LPのファンだった。 

 ※山口冨士夫も初期パンクについて「ピストルズなんかは別だけど」と述べている(「So What」新版P132)

 「So What」で、山口冨士夫はこのころについて
「しばらくバンドはやりたくなかった」
「山奥で音作りをしていた」と言っています。

 1979年春にチャー坊が山口冨士夫に電話で「バンドやろうけ」と村八分の再結成を持ちかけたのも、山口冨士夫が「もう一度やってみようと思った」というのも、1978年の内外のロックの動きの影響があったのではないかと思います。

 次回山口冨士夫と情報誌「シティロード」11回目は、1979年の「ぴあ」を見てみます。

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