2024年06月13日

RIP 追悼 フランソワーズ・アルディ Françoise Hardy 〜 1967年「Des Ronds Dans L'Eau 水の中の環」〜 1971年「Rêve 夢」 〜 悲しいけれど強い「音楽の力」40年以上の心の支え

1960年代のほとんど見たことのないFrançoise Hardyのシングル盤
P1930681.JPG

Françoise Hardy has passed away. She became famous in Japan with hits "Comment Te Dire Adieu" in 1973 and "Ma Jeunesse Fout Le Camp" in 1979.

The Yomiuri Shimbun 13 June 2024 Japanese newspaper
P1930685.JPG

今日の1曲
Françoise Hardy / Comment Te Dire Adieu 1969
Françoise Hardy / Ma Jeunesse Fout Le Camp 1967
Françoise Hardy / Si mi caballero 1971
Francoise Hardy / Des Ronds Dans L'Eau 水の中の環1967
Françoise Hardy / Let It Be Me 1969
Françoise Hardy / Rêve 1971

『ローリングストーン』誌「史上最も偉大な歌手200人」でFrançoise Hardyはフランス人として唯一、162位に選出。
https://www.rollingstone.com/music/music-lists/best-singers-all-time-1234642307/francoise-hardy-1234642907/

 ついにフランソワーズ・アルディさんも80歳で亡くなってしまいました。自分にとっては精神的な鉄人のようなイメージがあり、100歳ぐらいまで生きていかれると思っていたので、フジコ・ヘミングさんのときのように、心に穴が空いたような気持になりました。2004年から腫瘍と戦っていたことは知りませんでした。

 しかし、故人から受け取ったものをもう一度振り返って、前向きにならねばと思います。Françoise Hardyの歌はもの悲しいけれども力強いもので、40年以上、心に穴が空いたときに気持を癒してくれました。フジコ・ヘミングさんのようにフランソワーズ・アルディさんも幼少から父にほとんど会っていなかったということを初めて知りました。

悲しいけれど強い Françoise Hardyは常に心の支えだった
P1930678.JPG

 Françoise Hardyを最初に知ったのは、ラジオで1970年代に聴いた「さよならを教えてComment Te Dire Adieu」です。この1969年の歌が日本でヒットしたのは1973年ですが、一度聴いたら忘れられないメロディー(Serge Gainsbourgとずっと後で知った)と歌詞の韻、哀愁の歌声でした。

Françoise Hardy / Comment Te Dire Adieu 1969 (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=oJCkBhKzdfw

最初に手にした2つのLP 右:「Rêve 夢」収録の2枚組フランス盤
P1930676.JPG

 次にFrançoise Hardyを聴いたのは、1979年のテレビ主題歌によるリバイバルヒット「わたしは森へなんか行かないMa Jeunesse Fout Le Camp」でした。

 貸しレコードでベスト盤を借りることができました。いろいろなことで苦しんだ時期に、Let It Be Me 、Si mi caballero、Des Ronds Dans L'Eauなどは、心に沁みました。

Françoise Hardy / Ma Jeunesse Fout Le Camp 1967 (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=lX6ltbbRBAU

Françoise Hardy / Si mi caballero (1971) (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=-dSV5n5EPQc

Françoise Hardy / Let It Be Me 1969 (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=4luG7m86PI8
New Trollsの1976年のLet It Be Meと比較すると、同じ曲で解釈によってこうも違うものかと感じた。

Francoise Hardy / Des Ronds Dans L'Eau 水の中の環1967 (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=wTpXR6th_xA
1990年に日本で再発された3インチCDのB面に収録されていたので買った。

 そして、池袋西武のDiskportで1979年、Françoise Hardyをたくさん聴いてみたいと思っていた時期に2枚組ベスト盤の新譜を買いました。

 D面のComment Te Dire Adieuに続く最後のRêve夢が、Françoise Hardyの全てを凝縮していると思いました。1975年に日本で独自に発売された2枚組の最後の曲もRêveでした。

Françoise Hardy / Rêve夢 (youtube.com) 1971
https://www.youtube.com/watch?v=DWAIElOl2to
ブラジルの曲のカバーだと今回初めて知った

1960年代に一世を風靡したFrançoise HardyはBob Dylanも魅了した
P1930663.JPG

有名になった1970年代以降のシングル盤は見かけた
P1930670.JPG

 1982年に「Ma Jeunesse Fout Le Camp もう森へなんか行かない / Si mi caballero 」のシングル盤を買いました。
 
 それ以後も、40年以上前に聴いたこれらのFrançoise Hardyの歌は、自分の体の一部になって、癒しを与え続けてくれました。
 振り返ると、それらは1967年から1971年の歌で、Françoise Hardyのベトナム戦争に対する追悼歌だったように思います。

 素晴らしい音楽をありがとうございました。Merci beaucoup. RIP


P1930486.JPG
 

2024年06月08日

黎明期1970年の ”村八分” (裸のラリーズ)日本のロックの誕生 〜 @  ”村八分” 初代ドラマー恒田義見と2代目ドラマー上原ユカリのインタビュー 〜 A ついに発見「裸のラリーズLes Rallizes Dénudés(=村八分+水谷孝)」が出演した1970年7月「ロックイン・富士急ハイランド」とジョー山中 Flower Travellin' Bandの映像 〜 ブログ16周年 「音楽の夢・音楽の力」〜

P1660701.JPG
1970年7月26日の富士急ハイランドでの裸のラリーズLes Rallizes Dénudés(= 村八分+水谷孝)左から山口冨士夫、恒田義見、チャー坊、水谷孝


今日の1曲
ダイナマイツ / トンネル天国 1968年LPヴァージョン
裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés
      / My Conviction (2nd Version) 1969年?
Rolling Stones / Gimme Shelter 1969年
Rolling Stones / Jumpin' Jack Flash (Live) 1970年
村八分 / くたびれて 1970年作曲
村八分 / あっ!!  from 村八分 / くたびれて 1971年
Flower Travellin' Band / Satori Part2 1971年
近田春夫&ハルヲフォンLIVE 1977年
     / 日本のROCKメドレー ドラム:恒田義見
Pegmo / リトルラブ 1982年ドラム:恒田義見
SUGAR BABE / DOWN TOWN LIVE 1976 ドラム:上原ユカリ
沢田研二 / ストリッパー 1981年ドラム:上原ユカリ
村八分 / 夢うつつ(Cover)2023年 ボーカル:恒田義見


 おかげさまで、当ブログも16周年に入りました。ありがとうございます。下手な文章で恐縮ですが、体調に留意しながら続けさせていただきたいと思います。

 今回は希望を込めて、1970年、1971年の黎明期の「村八分」を特集してみました。山口冨士夫などの情熱によって日本のニューロックが誕生した時代のエネルギーから、生きる勇気をもらいました。

1971年4月5日号の平凡パンチの「京都のロック」特集。村八分のとじ込みカラー写真ピンナップが掲載された。京都には世界中からヒッピーが集まり、山口冨士夫も1970年に「京都に行けば何かがある」と京都行きを決意した。
P1660818.JPG


ー 特集@ 初代ドラマー恒田義見+2代目ドラマー上原ユカリのインタビュー

 
 まず、1970年に村八分が結成される時期について語った初代ドラマー恒田義見の貴重なインタビューを発見しました。ほとんどの方が鬼籍に入られた村八分の草創期について、生の声で聞くのは初めてなのでたいへん新鮮で感動しました。

 新しい驚くべき情報もあります。特に、長年謎だった1970年7月の”裸のラリーズ”名義での村八分の富士急ハイランドへの出演の経緯もわかって感動しました。

 インタビューの前に、1970年、1971年までの村八分などの動向を振り返ってみたいと思います。


★★ 1970年、1971年までの村八分などの日本のロックの動向★★

  ー 村八分、山口冨士夫、恒田義見、上原ユカリ、裸のラリーズ、Flower Travellin’ Bandなど


<ニューロック期のミュージシャン 生年> 

1946年 ジョー山中
1947年 細野晴臣
1948年 水谷孝、沢田研二、加部正義、鮎川誠
1949年 山口冨士夫、PANTA(早生まれ)
1950年 チャー坊、萩原健一、近田春夫(早生まれ)
1951年 恒田義見、坂本龍一(早生まれ)
1952年 高橋幸宏
1953年 上原ユカリ、山下達郎

= 1967年 =

・1967年11月  ダイナマイツが「トンネル天国」でデビュー

・1967年11月 京都で水谷孝が裸のラリーズを結成。

= 1968年 =

P1660824.JPG

ダイナマイツ / トンネル天国 1968年LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=8FGJMUxnr78
ボーカル:山口冨士夫


= 1969年 =
 
・1969年 ダイナマイツ出演のライブハウスに、恒田義見が高校の後輩で山口冨士夫の熱心なファンだった高橋幸宏と頻繁に通う。
・1969年 上原ユカリが京都の“ハウス・グラス・ホッパー”でドラマーとして活動。
・5月 チャー坊が渡米。チャー坊は帰国後、裸のラリーズにベースで参加することを水谷孝と約束していたが、オルタモントでRolling Stonesを見て、音楽的志向を変えたと思われる。

1969年6月京都同志社大学 右が水谷孝。
左はマネージャーで、裸のラリーズと共演した現代劇場の小松氏
P1660973.JPG

裸のラリーズ / My Conviction (2nd Version) 1969年?
https://www.youtube.com/watch?v=xRHtqkZMfFo
珍しいガレージGS風のビートの曲。Golden Cupsのようなギターソロ。

・12月31日 ダイナマイツ解散

Rolling Stones / Gimme Shelter (Remastered 2019)
https://www.youtube.com/watch?v=QeglgSWKSIY
山口冨士夫、チャー坊が目標としたRolling Stones

= 1970年 ”村八分”誕生 =

 「山口冨士夫グループ→ななしのごんべ→裸のラリーズ→村八分」とバンド名が変遷 

・1970年初頭? 山口冨士夫、成毛滋、マモルマヌー(Golden Cups)による新バンドの構想ができるが流れる。
・1970年初頭  水谷孝が久保田麻琴とレコーディングを行い、その後「Mizutani '70 STUDIO & LIVE」に収録。
・2月28日 京都会館第2ホールイベント「Too Much」 山口冨士夫がセッションで出演し(メンバー不明)、木村英輝と出会う。木村英輝は山口冨士夫を芸能界で苦労を経験した好青年と感じたという。共演:ヘルプフルソウル、Flower Travellin’ Band         
・3月  東京で、山口冨士夫が帰国したチャー坊と出会い、新バンド結成を決意。
・5月? 東京で、山口冨士夫がドラムス恒田義見をオーディションで京都に誘う。恒田義見は、その前に細野晴臣から「はっぴいえんど」のオーディションも受けていた。

・5月10日  日比谷野外音楽堂「第3回日本ロックフェスティバル」に「山口冨士夫グループ」が出演。メンバー:山口冨士夫、成毛滋、石川恵(ファーラウト)、つのだひろ(ジャックス)。初ステージのチャー坊は踊りだけで参加し、成毛滋に「あんた、いえてへんわ」と言ったとされる。
 5月10日の共演者:フード・ブレイン/稲垣次郎&ソウル・メディア/フラワー・トラベリン・バンド/猪俣猛&サウンド・リミテッド/モップス/ロカビリー・リバイバル・サーカス/ズーニーブー/ゴールデン・カップス

「山口冨士夫グループ」左上から成毛滋、陳信輝(当日、石川恵に交替)、山口冨士夫、つのだひろ(「第3回日本ロックフェスティバル」パンフレットより)
P1930646.JPG

・5月 京都で「ななしのごんべ」として村八分が結成される。メンバー:山口冨士夫、チャー坊、染谷青、青木真一、恒田義見。恒田義見は夜行列車で1人で京都に行く。

村八分 / くたびれて (1972年三田祭ライブより)
https://www.youtube.com/watch?v=Pm9RZ9wdr9k
山口冨士夫とチャー坊が初めて作ったオリジナル曲とされる

・6月30日 京都円山音楽堂で村八分が「山口冨士夫グループ」としてデビュー。

円山音楽堂。村八分(「山口冨士夫グループ」)のデビュー、1973年にFlower Travellin' Bandのラストライブなどが行われた場所。
P1660854.JPG

・夏  京都で、上原ユカリが伊藤銀次と“グラス・ブレイン”を結成。
・7月11日  東京で、木村英輝主催の深大寺自由広場イベント「Too Much」開催。出演:ヘルプフルソウル、Flower Travellin’ Band、ブラインド・バード

・7月26日 「ロックイン・ハイランド」(富士急ハイランド)で、村八分が水谷孝を加えた6名で「裸のラリーズ」名義で出演。共演:Flower Travellin’ Band、モップスなど。

 「ロックイン・ハイランド」は、8月15日から8月22日まで、静岡県の伊豆富士見ランドで開催されるはずだったRolling Stones、Jimi Hendrix、Doors、Janis Joplinなどを呼ぶ一大イベントだった「富士オデッセイ」が中止になったために企画された。「富士オデッセイ」のプロデューサーは、京都で村八分をサポートした木村英輝だった。

ロックイン・ハイランドでのチャー坊(右)。左は村八分のメンバーとすれば、恒田義見か、染谷青か?
P1930632.JPG

・夏〜秋  山口冨士夫「So What」によれば、1つのイベントにチャー坊主導と水谷孝主導の2つの「裸のラリーズ」が出たことがある。(水谷孝は「東京ラリーズ」を名乗った)
・9月13日 京都円山オデッセイに、水谷孝を除く「山口冨士夫グループ」として村八分が出演。共演:Flower Travellin' Band
・秋 水谷は東京に移り、「東京版ラリーズ」を編成。
・10月   Flower Travellin’ Band / Anywhere 発売
・秋ごろ? チャー坊が京都でディスコCatseye等に出演していた上原ユカリを大阪で誘う。


= 1971年 =

・1971年1月?  染谷青が脱退。チャー坊の同級生だった浅田哲がサイドギターで加入し、浅田哲の考案で「村八分」に改名。
・1971年1月?  上原ユカリ加入。恒田義見が脱退して帰京。その後ブラインドバード、小坂忠のフォージョーハーフに一時参加後、近田春夫にレコード店で声をかけられ、ハルヲフォンに加入。その後、テクノポップPEGMOを経て、和太鼓奏者となる。

近田春夫&ハルヲフォンLIVE / 日本のROCKメドレー ドラムス:恒田義見
https://www.youtube.com/watch?v=wpnBhi90zpg
一触即発〜ファンキーモンキーベイビー〜Double Dealing Woman〜港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ〜ネイビーブルー〜タイムマシンにおねがい〜私は風〜You Better Find Out〜Satori Part 2

Pegmo / リトルラブ 1982年 ドラムス:恒田義見
https://www.youtube.com/watch?v=x_alQWvdOUc
Pegmo(ex 四人囃子、村八分、めんたんぴん)「日本の10CC」とも呼ばれたテクノポップ


・3月20日 京大西部講堂「Mojo West」で、「村八分」名義でのステージデビュー。共演:PYG(沢田研二、萩原健一)

平凡パンチで大きく取り上げられた京大西部講堂「Mojo West」
P1660816.JPG   

・4月11日 日比谷野音で「村八分」の東京デビュー 共演:トゥーマッチ
・4月30日 村八分 / 草臥れて 大阪のスタジオで録音。山口冨士夫は「日本のギタリスト」という著書で「草臥れて」を「1番気に入っているプレイ」として挙げている。
・4月 Flower Travellin’ Band / Satori カナダ、日本で発売
・5月25日 Music Life 6月号に山口冨士夫のインタビューを掲載。「世界で一番すごいのはRolling Stonesと村八分だ」と発言。
・6月27日 日比谷野音で村八分主催のコンサート。これを見た一風堂の土屋昌巳は「音楽によって世界が変わると確信した」と述べている。
村八分BOX -LIMITED EDITION Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=G9EqrB0ISaw
1:37まで、1971年の日比谷野音での映像が見られる。

・8月8日〜9日 「精進湖ロックーン」に村八分が参加。ポスターの「参加者」には「その他多数」とあり、水谷孝の裸のラリーズも参加したという情報もある。

P1930635.JPG

・9月〜10月 村八分が高円寺に拠点を移し、ドラムにカントが加入。
      上原ユカリが脱退し、伊藤銀次の“ごまのはえ”に参加。1975年にシュガー・ベイブ『SONGS』、その後ナイアガラ関連のレコーディングに参加、1981年〜1984年に沢田研二の“EXOTICS”に加入後、1986年に一時音楽から引退。

SUGAR BABE / DOWN TOWN (都市センターホール '76) ドラム:上原ユカリ
https://www.youtube.com/watch?v=gdJKSlJDARQ

沢田研二 / ストリッパー 1981年 ドラム:上原ユカリ
https://www.youtube.com/watch?v=kTljhurK_z8

・10月29日 ニューミュージックマガジンに掲載された有名な村八分の写真を風月堂前で撮影。 
・11月6日 村八分が慶應大学三田祭をキャンセル。この日、頭脳警察がはっぴいえんどの演奏時間をジャックしたことで知られる。水谷孝の裸のラリーズ、吉田拓郎が出演。


山口冨士夫の自伝「So What」 amazon書籍 単行本 https://amzn.to/3yM84hR
 P1660509.JPG 
1990年に初めて読んだとき、1970年7月の”裸のラリーズ”名義での村八分の富士急ハイランドへの出演に驚いた。
       

 それでは、恒田義見、上原ユカリの貴重なインタビューを聞いてみたいと思います。

 1970年代に「世界で通用する唯一の日本人ギタリスト」とも評された山口冨士夫がなぜ京都に向かったのか、チャー坊によってどう山口冨士夫や村八分が変化したのか、「日本のロックの誕生」を感じることができます。


【恒田義見】# 1 伝説のバンド村八分結成秘話!山口冨士夫との出会い!ハルヲフォンへの軌跡!
https://www.youtube.com/watch?v=xwCbnPn7Bi8

(以下、ネタバレですので、ご注意ください)

0:20 GSが解散し、日本のニューロックが生まれてきたころ。
 恒田義見の高校の後輩の高橋幸宏の紹介で、先輩の細野晴臣による新しいバンド(ヴァレンタイン・ブルー、はっぴいえんど)のドラムのオーディションが渋谷の寺山修司の天井桟敷館で行われたが不採用となった。
3:20 東京キッドブラザースの団員の紹介で、(京都のバンドで)ドラムスを探している帰京中の山口冨士夫と六本木アマンドで会う。
5:45 「(山口冨士夫は)20歳ですごい貫禄ですね」
「だってスーパーギタリストだもん。・・・当時10円コンサート、ロックコンサートでエディ潘、山口冨士夫っていえばギターの王者みたいなとこがあったじゃん」
6:05 新宿のディスコ「サンダーバード」でRolling StonesのMonaを15分間演奏し、山口冨士夫にドラマーとして加入を誘われる。
7:43 山口冨士夫から「新しいリズムとか新しい感じでやりたいから、ベテランでないほうがいい」と説得される。プロになりたかったため京都に行くことを決意し、フリーゲートで村八分になるメンバーと会う。
10:20 最初は、青木真一はベースが弾けず、チャー坊は踊りだけだった。
10:57 そのころ、Rolling Stones、Jimi Hendrix、Doorsなどが出演する富士オデッセイの話があったが実現せず。
12:00 富士オデッセイに代わる富士急ハイランドでの野外コンサート「ロック・イン・ハイランド」に、村八分が「裸のラリーズLes Rallizes Dénudés」として出演する(1970年7月26日)。
  

【恒田義見】# 2 「その時僕は内田裕也の『あの名言』を初めて聞いたんだ」〜東名高速1回転事件〜奇跡のツアーバスエピソード!
https://www.youtube.com/watch?v=rA5hB4TkjL8

0:40 恒田義見もBeatlesの武道館公演を見た。叔父は東芝のディレクターで、内田裕也を神戸から連れてきて、クリフ・リチャードの曲を日本語で歌わせた人だった。
2:10 1970年秋? 村八分 (「山口冨士夫グループ」) の日比谷野外出演の後、京都円山公園のライブのために、村八分、内田裕也、Flower Travellin' Bandが中型バスで同行した。
4:10 山口冨士夫は石間秀機とツインギターのバンドを作る予定だったが、内田裕也が石間秀機をフラワーズに入れてしまった。東名高速でバス横転事件が起きたが奇跡的に全員無傷で、それをきっかけに内田裕也と山口冨士夫の関係がよくなる。
7:00 その翌日、円山公園でFlower Travellin' BandのSatoriが怒涛のように盛り上がる。その後の出番のチャー坊が「今日はのらんからやめるわ」と村八分のライブを中止したが、逆に観客が怒涛のように盛り上がる。

Flower Travellin' Band / Satori Part2
https://www.youtube.com/watch?v=919X0aIsrIo
世界レベルの実力でありながら、日本ではフォークブームのため商業的に成功せず(Make Upが3万枚)、1973年に解散した。


村八分サウンド分析! ”村八分 / 夢うつつ” をサリハナバンドでリハってみた! - YouTube  2021/10/15公開
https://www.youtube.com/watch?v=TvbYwGhpu0g
4:39〜 演奏「夢うつつ」(ボーカル:恒田義見)
1:20 ”夢うつつ”など村八分の作曲は、山口冨士夫のギターリフから始まった。
3:00 Rolling Stonesが好きだったが、当時オープンGを誰も知らなかったため、Stonesのような音にならなかった。
4:20 山口冨士夫が京都で外人からオープンGを教えてもらってから、いろいろな村八分のギターリフを作るようになった

【恒田義見】# 3 ストーンズ「ミッドナイトランブラー」で「かっちょいー」って言ったのは柴田和志って本当?噂の真相から村八分脱退の理由まで  2022/04/01公開
https://www.youtube.com/watch?v=VrEGorqdazU

3:45 Rolling Stones / Get Yer Ya-Ya's Out! (Live)の「ミッドナイトランブラー」で「かっちょいー」って言ったのはチャー坊だという噂は真実ではなかった。1970年にチャー坊は恒田義見に「おれはSan FranciscoのAltamont (西海岸) には行ったが、Get Yer Ya-Ya's Out!はNew York (東海岸) でのライブだから見ていない。」と話した。
5:10 村八分を脱退。
7:00 小坂忠のバンド「フォージョーハーフ」に参加。

Rolling Stones / Jumpin' Jack Flash (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=yvzpNnjFNk4
Get Yer Ya-Ya's Out! 1970より

 今年に入り、恒田義見のインタビューの続編ともいうべき、村八分2代目ドラマーの上原ユカリとの対談も公開されました。

前記1971年平凡パンチ掲載の西部講堂での村八分のカラーとじ込みピンナップ。左から、木村英輝、チャー坊、山口冨士夫、浅田哲、青木真一、上原ユカリ
P1930640.JPG

 上原ユカリ裕# 1 【村八分出身ドラマー対談前編】伝説のバンド村八分加入から脱退まで (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=bcJuXe81QeY
1:35 上原ユカリは1969年に(おそらく正しくは1970年秋)、恒田義見在籍時の「山口冨士夫グループ」(村八分)を日比谷野音で見てぶっとんだ。
2:10 上原ユカリは裸のラリーズに「2日いたことがある」(いつの時代かは不明。京都にいたから1960年代か?1970年代の福生のころか?)。
2:45 大阪でハコバンをしていたとき、チャー坊が上原ユカリをスカウトに来た。山口冨士夫とならやりたいと加入を決めた。
5:10 まだ村八分が裸のラリーズを名乗っていたころは、山口冨士夫がリーダーシップをとり、Rolling Stones、Mountain、Blind Faithなどを演奏しながら曲をためていた。
5:55 山口冨士夫の本で恒田義見がチャー坊にぶっ飛ばされたというのは事実と違う。
6:30 村八分は初めは東京のメンバーが中心で、山口冨士夫もいいバンドを作ろうとしていた。日本のロックがスタートした時期で、頭脳警察もかっこよかった(上原ユカリ)。
8:08 途中からチャー坊が京都のメンバーでやりたいと言い出した。浅田哲も紹介された。
9:20 恒田義見はロックバンドとして「歌」を求めていた。今ならわかるが、チャー坊の「叫び」のような歌は理解できなかった。
9:49 水谷孝は裸のラリーズをやりたいというのでやめた。
10:00 恒田義見が村八分をやめる2日前にハコバンをしていた銀閣寺Cats Eyeで上原ユカリに会った。
11:10 山口冨士夫がCats Eyeで演奏後にストラトキャスターを丁寧に拭いていて凄いと思った(上原ユカリ)。
11:40 山口冨士夫は朝から1人で赤い335のギターで練習していた。
13:15 上原ユカリはミッチ・ミッチェルのように叩くのが好きだったが、Cats Eyeで山口冨士夫が「ビートを叩け、おかずをいれるな」と指示した。
13:58 あるとき、突然バンド名が「村八分」になると言われた(上原ユカリ)。
14:14 恒田義見は日比谷野音で上原ユカリがドラムになった村八分を見たが、3曲で「乗らないから」と言ってやめた。
15:00 (1971年3月に)西部講堂で村八分が前座でPYGと共演した時、チャー坊に言われて上原ユカリが大口ヒロシのドラムを無断で叩いた。PYGはやじられていた。京都はヒッピーがサンフランシスコから来ていて自由な時代で、野音でトリで村八分が3曲でやめたときも受けていた。
17:40 青木真一は本当に楽器が初めてで、山口冨士夫から1日中ベースを教わっていた。浅田哲も初めてで、SGを買ってきて山口冨士夫から教わっていた。

上原ユカリ裕#2【村八分出身ドラマー対談後編】二人にとっての「チャー坊」と「冨士夫ちゃん」とは (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=RqGSo6aiXpE&t=333s
1:20 上原ユカリも”村八分”としての仕事は数回しかなかった。恒田義見と上原ユカリの間に「こうじ」という人が村八分に短期間在籍した。
2:35 一度、上原ユカリと村八分全員で車に乗って東京を廻った。表参道の喫茶店「けやき」でELECの人との契約のために会い、チャー坊が「300万やな」といきなり言って、レコーディングはボツになった。
3:44 京都ではキーヤン(木村英輝)にお世話になった
3:59 (恒田義見)俺たちのころも、オランダのレーベルが村八分を出したがっているという話があった。
4:15 アルバム(1973年「ライブ」)を出す頃は、(村瀬)茂人さんがドラムだった。村瀬茂人に上原ユカリは千葉で会い、恒田義見は村八分初期の話をするためにクロコダイルのイベントに呼ばれたときに会った。
村八分脱退後、その後のグラムロック風の風貌の村八分に驚いた。カリスマ性・影響力のあるチャー坊に感化されたといえる。
6:13 噂ではSex Pistolsが村八分を聴いて方向を決めたという驚くべき情報 (上原ユカリ) 。(PILのパリのライブ盤でも”Shut Up”が有名だがそれも影響か?)
6:24 チャー坊は京都のフリーゲートで上原ユカリには、Rolling Stones「ミッドナイトランブラー」で「かっちょいー」って言ったのは「俺や」と言っていた。
8:25 山口冨士夫のGroove感はすごかった。山口冨士夫がリーダーシップをとっていた時代はリズムを重視した。ビートはジャストより少し遅らせる。今になって山口冨士夫から学んだことはすごくためになった。他のGSの先輩たちと演奏しているときとは違った。ギターとドラムスが合致したときの気持ちよさがあった。
11:35 京都の街を皆で良く廻ったのは楽しかった。当時の京都は東京とは言葉、リズムが全然違った。もうあのような時代は二度と来ないと思う。チャー坊は衣装にも凝っていた。

 お二人のドラマーの対談を通して感じたのは、当時村八分が他の日本のバンドを圧倒し、今でも評価されている理由が、山口冨士夫のもつ黒人のアフタービートによるGroove感だったということです。それはLed ZeppelinのGrooveに通じるものがあります。山口冨士夫がドラマーを選ぶときにベテランではだめで、あえて若いミュージシャンを選んだ理由がそこにあったのかと思います。ベースの青木真一、サイドギターの浅田哲、ドラムスの村瀬茂人など楽器未経験者を加入させたのも、ビート感覚がまだ固まっていない人の方が山口冨士夫が教えやすかったからではないかと思います。

あっ!! from 『村八分 / くたびれて (2018 remaster)』
https://www.youtube.com/watch?v=O8SuvuaVqfU
amazonCD https://amzn.to/4ebIV0r

 また、1971年からは村八分はチャー坊の歌詞や叫びによる世界観を作るためのバンドに主導権が移ったようです。そのために京都中心のメンバーに替えたと思われます。クイックジャパンで書かれていた、山口冨士夫が、チャー坊が早逝した子供について書いた「あやつり人形」の歌詞を見せられた時に本気になったというのが大きな契機ではないかと思われます。
 チャー坊の歌詞には1960年代の裸のラリーズからの影響も感じられます。チャー坊は、水谷孝が生涯の唯一のライバルと語っていました。

 チャー坊は常に山口冨士夫に対して「トップじゃないとだめだ」と語っていたとのことで、当初は山口冨士夫の「よいバンドを作りたい」という目標が、チャー坊の世界進出の夢に拡大していったのだと思います。そして、山口冨士夫とチャー坊の力関係を調整するためにカントや村瀬茂人のような年上のメンバーを入れたのではないかと思います。
 


〜 A ついに発見「裸のラリーズ(=村八分+水谷孝)」が出演した1970年7月「ロックイン・ハイランド(富士急ハイランド)」の映像


 ジョー山中のインタビューをメインにした「ロックと若者」という貴重な映像を見ていたら、富士急ハイランドで裸のラリーズ(村八分)が出演した写真と同じステージの映像を発見して驚きました。残念ながら、裸のラリーズ(村八分)の出演シーンはありませんでしたが、1970年の日本のニューロックの熱気を感じることができました。


ついに伝説の富士急ハイランド「ロックイン・ハイランド」の映像を発見!
ボーカルの長髪、衣装がチャー坊に似ていたが、残念ながら別のバンド。
P1660633.JPG 

P1660638.JPG

[昭和45年7月] 中日ニュース No.863_2「ロックと若者」 (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=b9lUAppOGI0
冒頭からジョー山中とFlower Travellin' Bandの演奏
曲はLouisiana Blues (10月発売のAnywhereから)
0:39 赤坂の伝説のディスコ「ビブロス」の映像。
1:21 ジョー山中の語り「大自然の下で思い切り演奏し、人間を、愛を、平和を歌えたら素晴らしいと思う」
1:53から、富士急ハイランドのロックイン・ハイランド。「マスコミには知られたものの、観客は100名で失敗」とも言われたが、もう少し集客があったように見える。
1:56と2:13のボーカルが、長髪や長袖シャツ、デニムのズボンからチャー坊かと思ったが、ドラムの配置が異なるので別のバンドだった。
2:35 夜間のFlower Travellin' Bandの映像。Mopsの鈴木ヒロミツも映っている。

ジョー山中(当時23歳)の語り Joe Yamanaka (Flower Travellin' Band)
P1660629.JPG

 ジョー山中のFlower Travellin' Bandは、1971年にカナダに渡り、Satoriを発表しました。山口冨士夫もチャー坊もFlower Travellin' Bandを目標にして世界進出を目指したのだと思います。1972年に東芝の石坂敬一が村八分をイギリスでリリースしようと計画しましたが、石坂敬一が洋楽部門に属していたため実現できませんでした。

富士急ハイランドから11年後の1980年に、山口冨士夫が参加した裸のラリーズLes Rallizes Dénudés 
P1660842.JPG

山口冨士夫をメンバーに迎えた裸のラリーズ、1980年10月に渋谷・屋根裏で炸裂させた歴史的ライブ・パフォーマンスがついに2024年7月に公式リリース
https://rooftop1976.com/news/2024/05/31121000.php

P1930312.JPG

2024年05月15日

RIP 追悼 Michele Bavaro・Alphataurus 〜 1973年Italian Progressive Rockの名盤 Alphataurus 〜 ソロ歌手としての軌跡

P1930009.JPG
Michele Bavaroの全作品


今日の1曲
Alphataurus / Peccato d'orgoglio 1973
Alphataurus / La mente vola 1973
Michele Bavaro / The Long and Winding Road 1988
Michele Bavaro / Caruso 1990
Michele Bavaro / My Way 1990
Alphataurus / Croma 1973
Alphataurus / Dopo l'uragano 1973

 またとても悲しいニュースが入りました。Alfonso Oliva, Guido Wassermanに続いて、Italian Progressive RockのAlphataurusのVocalistだったMichele Bavaroが亡くなりました。ご冥福をお祈りするとともに、その名唱を振り返りたいと思います。

Alphataurus - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Alphataurus

P1930011.JPG
amazon 販売 3面開き/紙ジャケットCD Alphataurus 
https://amzn.to/3QMAr5E

 1973年の名盤Alphataurusは、New TrollsのVittorio De Scalziの全面サポートにより、Magmaレーベルの1番としてリリースされ、現在も名盤として語り継がれています。日本では、今思えば本当に奇跡的に1982年にキングレコードから発売されました。

 Alphataurusは多彩なKeyboardに加えて重厚なHard RockやBlues Rockとの融合が見事でした。さらに、逆説的な爆弾のジャケットと共にベトナム反戦への強烈なメッセージが込められていました。

 それらの重い表現を可能にしたのが、Michele Bavaroの抒情的でありながら、Hardな楽曲にも対応できる強靭な歌唱力だったといえます。Alphataurusは5曲ともすべてが素晴らしい楽曲でした。

Alphataurus / Peccato d'orgoglio (youtube.com) 
https://www.youtube.com/watch?v=w5_i_I-KGUc&list=OLAK5uy_lw8koUUrsJt1VOOKlIxLmUxWuEMYtREcc
A面の1曲目「高慢の罪」は1982年には対訳がなくてわからなかったが、まさにベトナム反戦へのメッセージだと感じられた。

Alphataurus / Dopo l'uragano
https://www.youtube.com/watch?v=bJ8iUuzXRhk&list=OLAK5uy_lw8koUUrsJt1VOOKlIxLmUxWuEMYtREcc&index=2
A面の2曲目。Michele Bavaroの出自が感じられる強烈かつ繊細なBlues Rockの佳曲。

Alphataurus / La mente vola (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=-980ewBsCQw&list=OLAK5uy_lw8koUUrsJt1VOOKlIxLmUxWuEMYtREcc&index=4
B面の1曲目。3:20までのSynthesizerはGerman Electric RockやTubler Bellsからの影響がみられる。一昨年亡くなったAsh Ra TempelのManuel GöttschingもAlphataurusのファンだった。
3:21からのVocalパートは、イタリア屈指の歌曲と言える。

ソロ歌手として名声を得たMichele Bavaro
P1930026.JPG

 Alphataurus解散後、Michele Bavaroはソロ歌手として成功し活躍しました。Michele Bavaroの素晴らしい歌を聴いてみたいと思います。

 1988年の初めてのソロアルバム「Surplace」では、歌曲でありながら10分前後に及ぶメドレー組曲が3曲も含まれ、Italian Progressive Rockに対するこだわりが感じられます。組曲「Souvenir」の冒頭はBeatlesのThe Long and Winding Roadの素晴らしいカバーです。

Michele Bavaro / Souvenir組曲
/ The Long and Winding Road / September Moon / Smoke Gets into Your Eyes / Feeling /... (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=LMXMNyd9nZQ

P1930024.JPG

Michele Bavaro / Ricordi 組曲
/ La più bella del mondo / Potrai fidarti di me / Una ragazza in due / I miei giorni... (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=iVqPKR1Y8w8

 
 1990年の2ndアルバム「Semplicemente... Io」ではLucio DallaのCarusoをカバーし、ROMANIAでの「FESTIVAL INTERNAZIONALE BUCAREST」でのテレビでの貴重な映像が残されています。

MICHELE BAVARO / CARUSO.avi (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=86qoRoJRE2A
Milvaのライブを思い出させる素晴らしい名唱

 2015年には、2009年に再結成したAlphataurusにMichele Bavaroが一時的に加入し、ライブを行いました。Michele BavaroのAlphataurusに対する情熱が感じられました。

左から故Guido Wasserman, Pietro Pellegrini, Michele Bavaro 2015年
P1930023.JPG

 最後に、Michele Bavaroの素晴らしい「My Way」とAlphataurusのライブでは最後に演奏された「Croma」で締めくくりたいと思います。

Michele Bavaro / My Way (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=qegtg6x2nYc

Alphataurus / Croma (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=PWFo6WPAWkY&list=OLAK5uy_lw8koUUrsJt1VOOKlIxLmUxWuEMYtREcc&index=3

 Michele Bavaroさんからは暖かいメッセージをいただきました。
 素晴らしい音楽をありがとうございました。
 Michele Bavaroさんのご冥福をお祈りいたします。RIP

P1920558.JPG

2024年05月04日

追悼RIP フジコ・ヘミングIngrid Fuzjko Hemming @ 〜 フジコさんとの出会い1999年 〜 過去のブログを振り返って 〜 フジコさんありがとうございました

P1920754.JPG
1970年にウイーンの街中に貼られたというフジコさんのポスター。フジコさんの憧れのJuliette Grecoも。しかし、Leonard Bernsteinに認められてやっと実現したリサイタルの1週間前に、貧困から風邪を悪化させ、聴覚を全て失う。

Japan's most famous pianist Ingrid Fuzjko Hemming has passed away at the age of 92. Fuzjko was born in Berlin in 1932. Because she was mixed race, she faced discrimination in Japan during World War II. For that reason, more than anyone else, she wanted an end to the war and peace. She performed a charity concert in support of Ukraine.
In 1970, Leonard Bernstein and Bruno Maderna recognized her and helped organize a solo recital for her in Vienna. However, a week before the recital, she developed a cold and lost her hearing due to poverty, and the concert was a failure. After that, she lived a long unhappy life. She went to see her Russian-Swedish father in Stockholm, but he refused to see her.
In 1999 she became famous in Japan with a TV documentary. On June 7, 2001, she gave a successful recital at Carnegie Hall in New York.
Her bright and positive personality made her popular on TV. She was also passionate about the animal rights movement. In May 2021, when Japan was also in a hopeless state due to the coronavirus, she was the only person on TV to make positive comments. I went to her concert three times and sent her fan letters several times. She also sent me a letter.
Sorry for my poor English.

Ingrid Fuzjko Hemming - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Ingrid_Fuzjko_Hemming

Ingrid Fujiko Hemming / La Campanella (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=xNzzF0M5hB0
フジ子・ヘミング〜ラ・カンパネラ

今日の1曲
Ingrid Fujiko Hemming / La Campanella
Ingrid Fujiko Hemming / Chopin Etude Op.10 No.3
Ingrid Fujiko Hemming / Liszt: Consolation No. 3 In D Flat
Ingrid Fujiko Hemming
     / W.A.Mozart/Piano Concerto No. 21 in C Major, K. 467
Ingrid Fujiko Hemming
     / Traumerai/Kinderszenen7,Op.15/Schumann


P1920801.JPG

 フジコ・ヘミングさんが4月21日に92歳で亡くなられました。

フジコ・ヘミング公式サイト (fuzjko.net) 訃報
https://fuzjko.net/news/20240502

フジ子・ヘミング - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0
フジコさんの苦難の歴史


〜 1999年 フジコさんとの出会い

 1999年にETV特集「フジコ : あるピアニストの軌跡(1999年2月)」が話題になり、直後の再放送でフジコさんを知りました。そのころ人生の1番苦しい時期だったため、フジコさんの数奇で自分よりもはるかに苦難の人生に感銘を受けました。

 シティロードが1994年で廃刊になったことで、1983年から人生の支えだった山口冨士夫さんの情報が途絶えていたので、フジコさんが新たな人生の支えになりました。フジコさんが保護猫を飼っていることにも感銘を受けました。

 フジコさんのお住まいが、カシアス内藤と沢木耕太郎の「一瞬の夏」の舞台になった下北沢の金子ボクシングジムの隣というのも驚きでした。その後、下北沢を通るときは小田急線からフジコさんの家を眺め、また、金子ジムの近くまで散策することもありました。

〜 2000年

 2000年は人生の中で大きな転機となり、以後、フジコさんのCDを聴き、本を読み、コンサートにも3回行き、ファンレターも出しました。
フジコさんは1999年以降、大活躍を続けられ、その姿にいつも勇気づけられてきました。

翔け!フジ子・ヘミング 35年目の世界初挑戦 〜奇蹟のピアニスト独占密着
https://www.youtube.com/watch?v=Pml46Vk2ejo
57:33 2001年のカーネギーホールでのリサイタルの成功

〜 2005年

 私も2005年に念願の目標を達成することができました。そして、フジコさんのショパンの「別れの曲」を聴いて感動し、初めて新宿と地元のピアノ教室に通い、初心者用の楽譜でテーマ部分を練習しました。

Ingrid Fujiko Hemming / Chopin Etude Op.10 No.3
https://www.youtube.com/watch?v=fKuv_Xp7BOc
フジ子・ヘミング 〜 ショパン 「別れの曲」

フジコさんに憧れて練習した「別れの曲」の楽譜
P1920811.JPG

 今回、過去のブログを振り返って、改めてフジコさんに癒され、勇気づけられてきたことを再確認したいと思いました。


【過去のフジコさん関連のブログ】

〜 2008年10月01日ブログ

タイガーマスクT 今日の1曲 <21> フジ子・へミング
http://soleluna.seesaa.net/article/107438358.html
2006年5月の祖母の死がきっかけで体調が悪化。2008年6月4日に遺書代わりとも思って開始した本ブログの21曲目がフジコさんだった。タイガーマスク伊達直人やカシアス内藤などがフジコさんと重なった。このころから体調が回復していった。

〜 2008年11月17日ブログ

癒しの達人再び 今日の1曲 <39> フジ子・ヘミングU
http://soleluna.seesaa.net/article/109787167.html
4度目の戦いが始まるときだったが、養護施設に慰問するフジコさんに勇気づけられた。3度目の戦いまでは絶望的な気持ちだったが、この4度目の挑戦の時は1週間宿泊した毎日が充実し、翌年8月の5度目の挑戦での成功につながった。

〜 2014年04月19日ブログ

癒しの達人 〜 フジコ・ヘミング・コンサート
http://soleluna.seesaa.net/article/395080596.html
山口冨士夫さんが2013年8月に亡くなって2度目の体調が悪化し、2014年1月、2月ごろが地獄のような苦しみのピークだった。ドラムの入った音楽は聴けず、寝床で唯一聴けたのがフジコさんのピアノ曲だった。救いを求めるように相模大野でコンサートを聴いた。Le OrmeのCollageで引用されたDomenico Scarlattiに感動してファンレターを書いた。

Ingrid Fujiko Hemming / Liszt: Consolation No. 3 In D Flat
https://www.youtube.com/watch?v=op0aaD_R-8A
フジコ・ヘミング / リスト / 慰め コンソレーションNo.3

P1920809.JPG
奇蹟のピアニスト~フジコ・ベスト&レア

〜 2016年06月26日ブログ

音楽の夢 〜 フジ子・ヘミング ピアノリサイタル
http://soleluna.seesaa.net/article/439426545.html
2015年に祖母、2016年3月に父が亡くなり、原因不明の体調不調が続いていた。墨田トリュホニーホールでのフジコさんのリサイタルは、ほとんどが美しい知っている名曲ばかりで癒された。最後のアンコールがトロイメライだった。まさに音楽によるセラピーだった。

Ingrid Fujiko Hemming / Traumerai/Kinderszenen7,Op.15/Schumann
https://www.youtube.com/watch?v=4--Y76E3umA&t=134s
フジコ・ヘミング「トロイメライ(子供の情景 作品15 〜 第7曲)/ シューマン」

〜 2017年07月19日ブログ

フジコヘミング・ハンブルク交響楽団コンサート
http://soleluna.seesaa.net/article/451939832.html
昨年からの体調不良がまだ続いていた。ガンなどの検査なども受けたが理由がわからなかった。寒気のため真夏なのにコートを着てコンサート会場に行った。フジコさんのモーツァルト: ピアノ協奏曲第21番:第2楽章は美しかった。

Ingrid Fujiko Hemming / W.A.Mozart/Piano Concerto No. 21 in C Major, K. 467
https://www.youtube.com/watch?v=8tx7ImWWg74&t=578s
フジコ・ヘミング モーツァルト/ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K 467 
18:35から2楽章のPianoパート
 
〜 2021年

 2020年の初頭は、コロナのため3か月ブログを書く気力を失いました。
 2021年もコロナの恐怖は続いていました。しかし、再度の非常事態宣言の際、テレビで唯一フジコさんの「戦争のときとくらべれば大丈夫」という前向きな言葉にとても勇気づけられました。

フジコ・ヘミングからのメッセージと『エオリアンハープ』
https://www.youtube.com/watch?v=JBshzBrsTNI
0:35 コロナウィルスについて「戦争に比べればまだ大丈夫です」

〜 2022年

 2022年は、ウクライナ戦争の連日の新聞テレビ報道で体調が不良になりました。そのようなときにフジコさんの「ウクライナ支援チャリティーコンサート」の告知を新聞で見てたいへん勇気づけられ、壁に新聞を貼っています。

P1920805.JPG


〜 2023年

 フジコさんが昨年2023年11月に転倒して怪我をされ、コンサートをキャンセルされたときは驚きましたが、不屈の精神力で回復されると確信していました。

〜 2024年

 4月に、7月の振り替え公演が1回実施されると知り喜んでいたのですが、それも先週中止になったと知り、心配でお見舞いの手紙を書こうと思っていた矢先だったので、4月21日に亡くなっていたのは大変ショックで、一昨日は心の整理がつきませんでした。

 しかし、萩原健一さんや鮎川誠さんのように、フジコさんがファンに心配をかけないために3月に膵臓癌と診断されたことを公表されなかったということをお聞きし、フジコさんのご遺志に応えるためにも前向きに頑張ろうと思います。

 今まで生きる勇気と癒しをありがとうございました。
 ご冥福を心よりお祈りいたします。RIP

P1920255.JPG


posted by カンカン at 14:41| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | クラシック Classic Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月28日

「音楽の夢」 ドイツ・Cosmic Couriers 約50年ぶりの2つの発掘音源! 〜 @ “Sci Fi Party - Remaster” ついに実現!幻の音源でTangerine DreamがKlaus Schulze、Ash Ra Tempel、Wallensteinと夢の共演 〜 A “Gilles Zeitschiff2” Jürgen DollaseとRoberto Cacciapaglia主導・Melodie重視のCosmic Jokers・OhrとMina PDUとの関係 

Cosmic Jokers / Sci Fi Party- Remaster 2023年版
https://amzn.to/49tVBw7 Tangerine Dream未発表曲の隠しトラック収録
P1920651.JPG
Die Kosmischen Kuriere = Cosmic Couriers


今日の1曲
Cosmic Jokers / Sci Fi Party - Remaster 2023 inc. Tangerine Dream
Cosmic Jokers / Gilles Zeitschiff2 2023
Wallenstein / Your Lunar Friends 1974
Roberto Cacciapaglia / Sonanze 1975
Tangerine Dream / Alpha Centauri 1971


 2022年にKlaus Schulze、Manuel Göttschingが続けて亡くなってしまいましたが、2023年にCosmic Couriersから実に約50年ぶりにCosmic Jokers関連の発掘音源が2つもリリースされました。

 数年前、Cosmic CouriersのEngineerだったDieter DierksとWallensteinのHarald Grosskopfの間で、Cosmic Couriersの未発表音源のマスターテープがみつかったというニュースが入りました。今回のリリースがそれだと思われます。

1974年のCosmic Jokersの5作
P1690937.JPG


〜 @ “Sci Fi Party - Remaster 2023” ついに実現!! 幻の音源でTangerine DreamがKlaus Schulze、Ash Ra Tempel、Wallenstein, Tarotと夢の共演 

 まず、Sci Fi Partyです。これはOhr‐Cosmic Couriersレーベルの1974年の11番で、Best編集版に語りが乗る内容でした。Cosmic Couriersの作品の中でも特に美しいMelodieの部分を集めたもので、音楽の本質はMelodieというメッセージを感じる好盤でした。

Cosmic Jokers / Sci Fi Party 1曲目 Im Reich der Magier
https://www.youtube.com/watch?v=eJMrBjjsm9E&list=OLAK5uy_loUgcB7HvAERqI6Wo7Crizq62Hr4THtNU&index=2
1曲目はCosmic Jokers / Cosmic JokersのA面Galactic JokeからManuel Göttschingのギターが最もかっこいい部分と、Klaus Schulzeの印象的なMelodieのSynthesizerのPartを抽出。Jürgen Dollaseによれば、この曲で実際に主導権をとっていたのはHarald GrosskopfのDrumsとJürgen DollaseのBassのdriveだった。

 1972年のOhrの2枚組Best盤「Kosmische Musik」がドローン中心のDarkな宇宙観の音楽の編集盤だったのと比較すると、2年間でベトナム戦争などの状況が大きく変わったことが感じられます。

 今回、Cosmic Couriers・Dieter Dierks関連で2021年からRemasterが出たのは、Walter Wegmüller / Tarot、Wallenstein / Cosmic CenturyとBlitzkrieg、Cosmic Jokers のCosmic Jokers、Galactic Supermarket、Gilles Zeitschiff、Planeten Sit-in、Sci Fi Partyです。


 ところが、Discogsを見ていたところ、Sci Fi Party‐Remasterについては、今まで情報さえ聞かないTangerine Dreamの幻の音源“Alert!”の隠しトラックがあるとのことでびっくり仰天。Cosmic Couriersにおいて、Tangerine Dreamと、Klaus Schulze、Ash Ra Tempel、Wallenstein, Tarotと夢の共演がついに実現となりました!

 1973年にTangerine Dreamは、Virginと契約して、OhrからOhr‐Cosmic Couriersへの移籍を断り、Edgar Froeseが契約無効の訴訟を起こして勝訴しました。

 1973年の初頭では、Tangerine DreamとAsh Ra Tempel、Klaus Schulzeが写っているOhrの宣伝Poster「Kosmo Rock」(Edgar Froeseの創った言葉とのこと)も存在しました。この時点では、Tangerine DreamもCosmic Couriersに移ることを予定していたと思われます。

P1390463.JPG

P1700088.JPG
P1690775.JPG


 ところが、1974年に発売されたCosmic Couriersの12番のLP Gilles Zeitschiffにおいては、冒頭のGilleのメンバー紹介で、「mit Timothy Leary…Klaus Schulze…Ash Ra Tempel」と、Tangerine Dreamの名が外されていました。

 これに対して、1991年に再発されたSpalaxのGilles Zeitschiffでは「mit Timothy Leary…Klaus Schulze…Tangerine Dream…Ash Ra Tempel」とTangerine Dreamの名が入っています。そこで、1991年版CDは、まだ訴訟継続中の音源だったことがわかります。

 もしTangerine Dreamが敗訴していたら、PhaedraもVirginではなく、Ohr-Cosmic Couriersの黄色いラベルで発売され、Gilles Zeitschiffの付録の大型Posterでも最上段にAsh Ra Tempelではなく、Ohrのドル箱だったTangerine Dreamが印刷されていたと思われます。

P1690794.JPG

 そして、2023年のSci Fi Party‐Remasterで、ついにTangerine DreamのCosmic Couriersへの参加が隠しトラックとして実現されました。入っている箇所は、A面2曲目のWalter Wegmüller / Tarotと3曲目のWallensteinの間です。

 Tangerine Dream "Alert!"については初めて聞きました。
 ほとんど情報がなく、Ash Ra Tempel / Seven UpのようにTimothy Learyとの共演とのことです。

 一体どんな音楽なのか? 

 ネタばれになるので詳しくは書きませんが、サウンドはOhr時代の実験的なもので、今までTangerine Dreamの作品では聴いたことのないようなものです。本作Sci Fi Partyの流れの中で、サプライズとして挿入された箇所も的確だったと思います。

 ドイツロックのCDを買ったのは10年ぶり以上だと思います。久々にドキドキしながら、CD「Sci Fi Party‐Remaster」を聴くことができました。



〜A  “Gilles Zeitschiff2” Roberto Cacciapaglia ・ Jürgen Dollase主導、Melodie重視のCosmic Jokers 〜 ついに明かされたOhrとMinaのPDUとの関係

P1920658.JPG
CD Gilles Zeitschiff2 2023年  amazon
https://amzn.to/43LzjVj

CD Gilles Zeitschiff1(1974) amazon
https://amzn.to/3U8Jss6


 もう一つのサプライズは、Cosmic Couriersの約50年ぶりの完全な新作、Gilles Zeitschiff2です。Gilles ZeitschiffはCosmic Jokersの中でも異色作で、主にTimothy Leary&Ash Ra Tempel / Seven Upの音源をKlaus SchulzeのSynthesizerで繋ぐ内容で、それにGilleのVoiceが重なるというものでした。

 特にA面1曲目「Tim bleibt bei uns」冒頭から始まるKlaus SchulzeのSynthesizerとGilleのVoiceには、宇宙に対する夢があって本当に素晴らしかったです。Klaus Schulze関連作品の中でも「Tim bleibt bei uns」はトップ10に入れたいと思います。

Tim bleibt bei uns
https://www.youtube.com/watch?v=1dbBMLPwO3A&list=OLAK5uy_mFNEAEm7UVS5SMUSO0n9Xmvb_QDG3kJq8
CD版1991年では、冒頭のメンバー紹介で“Klaus Schulze”に続いて、0:30で“Tangerine Dream” “Ash Ra Tempel”との語りが続く。これに対してLP版1974年では、“Tangerine Dream”が抜けて、Klaus Schulzeの次にAsh Ra Tempelが来る。

 Gilles Zeitschiffは、Cosmic Couriersの夢のあるポスターもついていて良き思い出です。

「音楽の夢」Cosmic CouriersのSci Fi PartyとGilles Zeitschiff
P1920702.JPG


Meine kosmische Musik
https://www.youtube.com/watch?v=XCEfhjLg54E&list=OLAK5uy_mFNEAEm7UVS5SMUSO0n9Xmvb_QDG3kJq8&index=13
旧LPのB面の最後の曲。0:59でCD版では“Tangerine Dream und Ash Ra Tempel”と語っている。LP版にはTangerine Dreamが入っていなかったと記憶している。

 そして、2023年に新作Gilles Zeitschiff2が突然リリースされていました。
 全く予期しない事件に気が付いて驚き、さっそく購入しました。

 まずメンバーですが、Gilles Zeitschiff1が、Klaus Schulzeのソロと、Timothy Leary&Ash Ra Tempel / Seven Upが主要な構成で、Walter Wegmüller / TarotとSergius Golowin / Lord Krishna Von Golokaが少しだけ入るものでした。 
 Cosmic Jokersは、Ash Ra TempelとWallensteinの合体が基礎にありましたが、Gilles Zeitschiff1は、Klaus SchulzeとManuel GöttschingのAsh Ra Tempel色の強い作品でした。

 これに対して、Gilles Zeitschiff2のMusic Composerの記載は、トップがイタリア人のRoberto Cacciapaglia で、以下、WallensteinのJürgen Dollase、Dieter Dierks、ゲストとしてWallensteinのHarald Grosskopf、そしてMythosとなっています。
 従って、まったくAsh Ra Tempel、Klaus Schulze色のない作品になっています。

 そして、Gilles Zeitschiff2はDieter DierksのProduceにより、Dierks Studioで作られています。
 7曲で構成されていて、どの曲を誰が作り、誰が何を演奏しているかまでは記載されていないので、想像するしかありません。

 期待を膨らませて聴いてみると、やはり、Beethoven、Bachなどのクラシックを日々弾いていたというJürgen DollaseのMelodie志向が感じられました。

 特に感動したのが、4曲目Leonardo、5曲目Beethovenで聴かれるJürgen DollaseとすぐにわかるPianoです。ここではWallensteinのStories, Songs & Symphoniesで聴かれるフレーズが郷愁を誘いました。このフレーズによって、本作がDieter Dierksのスタジオで1974年ごろに制作されたものだと証明できます。

 そして、本作Gilles Zeitschiff2でもっとも貢献していると思われるのがイタリア人のRoberto Cacciapaglia です。7曲全体に聴かれるSynthesizerの音は1974年当時としては世界最先端の音と言えます。

 Jürgen Dollaseは、WallensteinのCosmic CenturyやStories, Songs & Symphoniesでは、メカニカルなSynthesizerに強くこだわっておらず、Piano、Mellotron、また1977年のNo More LoveではStrings系のSynthesizerが見事でした。

Wallenstein / Your Lunar Friends 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=ohLvYWo8dRM&list=OLAK5uy_nfyB0zKp1N7pYJ4pvOHfQWtmqswK8Mwa0
1:00でWallensteinには珍しいメカニカルなSynthesizerが聴かれる。2:48で「Gilles Zeitschiff2」でも聴かれるピアノのフレーズが美しい。

 そこで、Gilles Zeitschiff2の全体で聴かれるVangelisを思わせるSynthesizerを操っていたのは、Jürgen DollaseではなくRoberto Cacciapaglia だと想像できます。

Roberto Cacciapaglia Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Roberto_Cacciapaglia

 Roberto Cacciapaglia の名前は40年以上前から聞いたことがあり、MinaのPDUがCosmic Couriers、Ohr、Pilzをリリースした時、PDUから1枚だけイタリア人のRoberto Cacciapaglia の作品も出ていたのを不思議に思っていました。

P1690722.JPG
P1690724.JPG
最後段の左から2番目がRoberto Cacciapaglia / Sonanze

 その後、Roberto Cacciapaglia はイタリアでも有名な作曲家になっていたことを知りました。PDUから1975年に出たSonanzeもYoutubeで聴けるようになっていました。
 初めて聴きましたが、素晴らしい作品です。元々、クラシックの教養を持った人がGerman Electric Rockの影響を強く受けてSynthesizerに傾倒していったことがわかります。

Roberto Cacciapaglia / Sonanze [Full Album] 1975
https://www.youtube.com/watch?v=r3kh3UeaYXg&t=505s
 1st〜5th Movementまでが、LPのA面と思われる。1曲目の冒頭はTangerine Dream / Alpha CentauriのB面の世界に近いが、徐々にクラシックオーケストラになる。
 6st〜10th Movementまでが、LPのB面と思われる。クラシックを根底にTangerine Dream、Cosmic Jokers、Vangelisなどの色彩を持ったSynthesizerが素晴らしい。

 Sonanze のLPのジャケットには「Milan 1972 - Cologne 1974」「Recorded in Milan, Quadraphonic mix in Cologne」と記載されています。
 また、Sonanzeの内ジャケットに印刷された楽譜は、まさに1971年のTangerine Dream / Alpha Centauriや1975年のKlaus Schulze / Timewindに記載されたものと似ており、Roberto Cacciapaglia が、輸入盤でOhrのレコードを買って影響を受けたことがわかります。

上:Sonanzeのスコア 下:Alpha Centauriのスコア
P1920701.JPG

Tangerine Dream / Alpha Centauri 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=BAuWKOBWNu4&list=OLAK5uy_noEO6a7IY62GQ8JNxn4DacJln_u2AwF9k
Edgar Froeseが初めてCosmic Music の概念を打ち出した画期的な作品。1971年のSounds誌年間最優秀アルバム。Amon Düül II / Tanz der LemmingeのSpace Rockにも影響を与えたと思われる。

 Minaもまた、Roberto Cacciapaglia と同様に1971年ごろからOhr、PilzのTangerine Dream、Ash Ra Tempel、Popol Vuh、Wallensteinの輸入盤を購入していたことが想像できます。

 2人ともドイツのCosmic Music に魅せられ、Minaは自分のレーベルから発売するにまで至り、Roberto Cacciapaglia はおそらく、OhrのRolf Ulrich Kaiserに自分の作品を売り込み、結果としてMinaのPDUを経由して、Roberto Cacciapaglia の作品はイタリア盤Cosmic Couriersの作品として世に出ることになったのだと思います。

MinaがPDUからリリースした1974年のCosmic Couriersの広告
「伝説のレコード,,,ついにイタリアで発売!」Museo Rosenbach の日本での世界初の再発の際のチラシを思わせる宣伝文
P1920239.JPG
上段:Tangerine Dream、Guru Guru
下段:Wallenstein、Popol Vuh、Ash Ra Tempel

 そして、Gilles Zeitschiff2は、まさにOhrとMinaのPDUを繋いだことを解明する手掛かりとなりました。
 
 想像できるのは、Roberto Cacciapaglia がMilanoで1972年から1974年までに作った音源をもって1974年にOhrに出向いたこと、そして、 KaiserはRoberto Cacciapaglia を同じくクラシック志向のJürgen Dollaseに紹介し、ケルンのDieter Dierksのスタジオで一緒にGilles Zeitschiff2の音源を作ったのではないかと思われます。

 Ohr‐Cosmic Couriersが1975年に倒産しなければ、もしかしたらCosmic Couriersの17番Popol VuhのEinsjäger & Siebenjägerに続く、18番としてGilles Zeitschiff2が1975年に出ていたのかもしれません。ドイツのOhr倒産後もPDUが権利を引き継いだので、Sonanzeがイタリアでリリースされたのだと思われます。

 Gilles Zeitschiff2は、美しいMelodieを多く含んでいて、久々に「音楽の夢」を見させてくれました。

 今後Cosmic Couriersからのリリースが期待できるのは、最近テープが発見されたという1973年2月のParisでの伝説的なTangerine Dream、Ash Ra Tempel、Klaus Schulzeのライブです。またTangerine Dream / Alerts!も可能性はあると思います。


【参考ブログ】 追悼RIP Klaus Schulze

Cosmic Jokersの1973年2月〜5月録音の作品群
http://soleluna.seesaa.net/article/490428522.html

Tangerine Dream / Alpha Centauri、Ash Ra Tempel / 1stなど1971年
http://soleluna.seesaa.net/article/488640389.html

1972年のKlaus Schulze、Ash Ra Tempel、Popol Vuh
http://soleluna.seesaa.net/article/488899441.html

1972年のTarot(Klaus Schulze+Ash Ra Tempel+Wallenstein)
http://soleluna.seesaa.net/article/489803257.html

P1920526.JPG

2024年03月29日

RIP 追悼 八代亜紀 Aki Yashiro sings Enka, Jazz, Pops, Rock, Heavy Metal 〜 1973年なみだ恋 〜 2012年大田区民ホール・アプリコのコンサートに行く 〜 2016年フジロックFUJI ROCK出演 〜 2018年自由が丘文化芸術大使就任 〜 八代亜紀さんありがとう

P1880722.JPG
八代亜紀 〜日本のポップスを唄う〜
amazon https://amzn.to/3PCUjYj

One of Japan's most famous singers, Aki Yashiro, has passed away on December 30, 2023. A grand farewell party was held on March 26th. Although she was successful as a Japanese popular domestic music “Enka” singer, when she was younger she aspired to be a Jazz singer like Julie London. She performed at Japan's biggest rock festival “Fuji Rock” and even performed with heavy metal. I like her emotional voice, like Greg Lake, Dalida, Patty Pravo.

今日の1曲
八代亜紀Aki Yashiro / なみだ恋 1973
八代亜紀Aki Yashiro / 愛は死んでも1971
八代亜紀 / だいじょうぶ 2018
八代亜紀 Aki Yashiro at FUJI ROCK FESTIVAL 2016
      / Funauta 舟唄
八代亜紀 Aki Yashiro&Martin Friedman (Megadeth)
       / Heavy Metal Medley ヘヴィメタ・メドレー
八代亜紀 Aki Yashiro / You'd Be So Nice To Come Home To
八代亜紀 Aki Yashiro / Summertime
八代亜紀 / シクラメンのかほり
八代亜紀 Aki Yashiro
/ Live at Birdland, New York with Helen Merrill
Julie London / Fly Me To The Moon Live 1964 

 一度コンサートに行ったこともある八代亜紀さんが昨年12月30日に亡くなり、先日お別れ会がありました。

八代亜紀 Aki Yashiro  wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BB%A3%E4%BA%9C%E7%B4%80

3月26日のお別れ会の会場
P1910895.JPG


八代亜紀「だいじょうぶ」2018
https://www.youtube.com/watch?v=xbjwg0wqQ9I
熊本地震復興に向けて作られた歌

 八代亜紀さんが全盛期の1973年から1970年代にかけて私はBeatlesやProgressive Rockを主に聴いていましたが、八代亜紀さんの演歌のヒット曲もとても印象深いものでした。八代亜紀さんの声はGreg LakeやDalidaのように情感がありました。

 おそらく、八代亜紀さんは本当は演歌よりも洋楽が好きなのではないかと思っていましたが、後に八代亜紀さんは熊本で若い頃ジャズ歌手を目指していたことがわかりました。

 九州では前川清さんも元は有名なジャズ歌手で、十代の高橋真梨子さんも九州一の女性歌手と評価されていたとサンハウスの菊さんが書かれていました。

 八代亜紀さんは、熊本のキャバレーで3日間、初めて人前でジャズを歌ったのが自分のキャリアの原点と明言されています。その後、すぐに上京されましたが、もしそのまま熊本で歌って九州で有名になっていたら、前野曜子さんや高橋真梨子さんの代わりにペドロ&カプリシャスにスカウトされて「別れの朝」や「五番街のマリー」をヒットさせていたかもしれません。

P1910886.JPG

 2012年に初めて見た八代亜紀さんのコンサートの時、ステージ上を舞うようにリズミカルに歌われる姿がとても感動的でした。この人の本質は演歌ではなく、ジャズやポップスなのだと実感しました。

Julie London / Fly Me To The Moon Live 1964 
https://www.youtube.com/watch?v=WWxObuuy9oA
八代亜紀さんのパフォーマンスのイメージは、まさにこのJulie Londonの動きだった。

自由が丘で歌う八代亜紀さん
P1910243.JPG

 2018年には八代亜紀さんは自由が丘文化芸術大使に就任されました。自由が丘は小学校のときにBeatles、中学校のときにRolling Stones、Gentle Giant / In A Glass Houseなどを買ったソハラレコードがあった思い出の街です。

自由が丘文化芸術大使就任記念 八代亜紀スペシャルライブ 〜自由が丘女神まつり2018〜 | iTSCOMch | イッツコムチャンネル
https://www.itscom.co.jp/ch/program/blog/583474


 改めて、八代亜紀さんの素晴らしい歌を振り返ってみたいと思います。


−Aki Yashiro sings Enka −

 八代亜紀さんはお父さんに勘当されて15歳で上京してから1971年のデビューまで6年もかかっていたとは知りませんでした。1973年のなみだ恋がデビュー曲だと思っていました。売れるまで4回も名前を変えた五木ひろしさんと銀座のクラブなどで苦楽を共にしていたことも知りました。
 
 銀座のクラブでは八代亜紀の歌を聴いてホステスたちが泣いて感動し、1971年に期待されてデビューしたものの売れずに、手売りで回ったそうです。初めから売れていたら、今の自分はなかったと八代亜紀さんは言っています。デビュー後3年間売れなかった安室奈美恵さんを思い出しました。

P1910888.JPG
amazon 熱唱 八代亜紀 全集 ベストコレクション
https://amzn.to/3PK0wSt
昭和演歌の金字塔 CD6枚組 全91曲 別冊歌詞集 (カバーケース)付


八代亜紀Aki Yashiro / 愛は死んでも1971 デビュー曲
https://www.youtube.com/watch?v=TTAe6cv6vBY

八代亜紀 Aki Yashiro / なみだ恋 1973
https://www.youtube.com/watch?v=EoepPNQyjfQ

八代亜紀 Aki Yashiro / なみだ恋 Live
https://www.youtube.com/watch?v=DeOfl8VDvVA&list=RDDeOfl8VDvVA&start_radio=1
素晴らしいファルセットとビブラート


−Aki Yashiro sings Rock、Heavy Metal −

 昔から、八代亜紀さんは本当はカルメンマキさんのようにJanis Joplinのようなロックを歌いたかったのではないかと想像していました。最近になって、その証拠がみつかって喜んでいます。

Aki Yashiro at FUJI ROCK FESTIVAL 2016
P1910893.JPG


八代亜紀 Aki Yashiro at FUJI ROCK FESTIVALフジロック 2016 / Funauta 舟唄
https://www.youtube.com/watch?v=JNa6SuAL3bw
麻生レミ、カルメンマキと並ぶ情念のロックシンガーと言える

八代亜紀 Aki Yashiro&Martin Friedman (Megadeth) / Heavy Metal Medley ヘヴィメタ・メドレー
https://www.youtube.com/watch?v=owFKrOQ10o8
Martin Friedmanが日本に憧れたきっかけは友人の家で聴いた八代亜紀の演歌だった。1:30で切られ役の名優福本清三も登場。

−Aki Yashiro sings Jazz −

 八代亜紀さんが本当はJazz Singerを目指していたのを知ったのは最近でした。BSなどでアメリカ公演などが放映され、その素晴らしさを知りました。

八代亜紀 Aki Yashiro / You'd Be So Nice To Come Home To
https://www.youtube.com/watch?v=ny4BX8IxWmc

八代亜紀 Aki Yashiro / Summertime
https://www.youtube.com/watch?v=DjZN9k9y8Pg

八代亜紀 Aki Yashiro / Live at Birdland, New York ライヴ・イン・ニューヨーク (ダイジェスト)
https://www.youtube.com/watch?v=7CpXX76oNJE
3:07 with Helen Merrill

−Aki Yashiro sings Pops −

八代亜紀Aki Yashiro / シクラメンのかほり
https://www.youtube.com/watch?v=E6Y50p2sYg0&list=OLAK5uy_mP-rzPe7PYt1sezbslnB828QZs821au_M&index=2

 最近は、BSの八代亜紀さんの司会の歌番組や地元紹介の番組が好きでした。
 八代亜紀さんが描かれる動物の絵にもとても癒されました。

Aki Yashiro drew many pictures and won prizes.
八代亜紀さんのお父さんも画家志望だったとのこと
P1880724.JPG

 素晴らしい歌をありがとうございました。
 ボランティアに熱心で、1973年から少年院に慰問に行かれていたことも最近知りました。
 八代亜紀さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。RIP

P1660484.JPG

2024年02月29日

2024年1月 感動の最新ライブ Of New Trolls / Chi Mi Puo' Capire 〜 76歳で2オクターブの声域・Paul McCartney、MinaもファンのNico Di Paloの驚異の“The Voice” 〜 1972年ベトナム戦争とChi Mi Puo' Capire 

P1910187.JPG
Of New Trollsの最新作 / Chi Mi Puo' Capire を再録音

今日の1曲
★Of New Trolls / Chi Mi Puo' Capire - Live 2024
New Trolls / Chi Mi Puo' Capire 1972
New Trolls / Un'ora 1970
New Trolls / C'è troppa guerra 1973 (Color)

 悲しい訃報が続いていますが、Vittorio De Scalziが亡くなった後も、Nico Di PaloとGianni BellenoのOf New Trollsの素晴らしい精力的なライブ活動が続いています。

Of New Trolls - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Of_New_Trolls

2024年1月13日のライブ
P1910202.JPG

 特に最新の2024年1月のChi Mi Puo' Capireのライブは感動しました。Paul McCartneyもファンだという“The Voice”とも呼ばれたNico Di Paloの2オクターブの高音Voiceも76歳で健在です。

★Of New Trolls / Chi Mi Puo' Capire - Live 2024年1月13日
https://www.youtube.com/watch?v=0se7ZiGPROo
1972年の原曲と同じキーで驚異の2オクターブの音域を歌っている。1998年の交通事故のためNico Di PaloはKeyboardとVocalに専念している。
 
 初めて Chi Mi Puo' Capireを聴いた1980年から44年もたちますが、1972年録音のUT収録の原曲以上に深い感銘を受けました。
 たしかに、Maurizio SalviのARP2600 Synthesizerが絡むサビのCの3つ上のAの3オクターブに近い超高音Voiceは、さすがにNicoが24歳のときのようには出ないようです。

 しかし、現在のNico Di Paloの声の方が太くて温かみがあり、年月と人生を重ねた味わいがあります。
 むしろ、バラードであるChi Mi Puo' Capireは、サビの超高音部分がないほうが、歌として説得力があると思いました。
 3オクターブの超高音が出なくても、76歳でCから2つ上のCまで2オクターブも歌えるNico Di Paloは世界でも無二の超人と言えます。

歌詞 New Trolls – Chi Mi Può Capire Lyrics | Genius Lyrics
https://genius.com/New-trolls-chi-mi-puo-capire-lyrics
詞の内容からは、Concerto Grosso Adagioにも通底するベトナム戦争の時代における死と絶望からの希求のようなものを感じる。


 New Trolls / UTは、1980年の8枚中7枚がイタリアだった第2回King European Rock Collectionの中でも目玉の一つでした。

New Trolls / UT Japan re-issue ”European Rock Collection 2”1980
P1910186.JPG

 1979年の第1回European Rock Collection でNew Trolls / Concerto Grosso Adagioは、イタリアにはPFM以上に凄いバンドがあるという衝撃と認識を日本に与えました。

P1910195.JPG

 そして、1980年の第2回European Rock Collection のNew Trolls / UTは「Concerto Grosso以上との評価もある」との触れ込みでリリースされました。

 喜んでUTを買って聴いてみると、全曲捨て曲がない充実したアルバムで、最後にAdagioにも劣らないChi Mi Puo’ Capireというとんでもない名曲が入っていました。
 1978年ごろに買ったNew Trolls / Antologia New Trollsという2枚組LPでもUTの曲が3曲入っていましたが、Chi Mi Puo’ Capireは入っていませんでした。

 また、第2回でUTと同時に発売されたOsanna / PalepoliのA面のMellotronの驚天動地の衝撃は、イタリアにはKing Crimsonも超えるバンドがあるという認識を与えました。
 New TrollsもOsannaもBacalovという巨匠がついていなくても、自分たちだけで傑作を作れるということも驚きでした。

 第2回European Rock Collection におけるUTのChi Mi Puo' CapireとPalepoliのMellotronは、この後、10年近くも続く日本でのItalian Progressive Rockの再発の起爆剤になったと思います。このような長期間のLPの再発シリーズは、日本のみならず、世界でも類を見ないものと言えます。

New Trolls / Chi Mi Puo' Capire 1972
https://www.youtube.com/watch?v=19ztsZ2fEbs
前作に収録のVittorio De Scalzi主導のIn St. Peters Dayに続いて、New Trolls自身でBacalov作曲のAdagioを超えようと挑戦した作品と言える。Nico Di PaloのVocalの音域は、下のC (0:45) から超高音の3つ上のA (2:47) まで、約3オクターブもある。

 もし、Chi Mi Puo’ Capireを1972年にMinaやMilva、あるいはMia Martiniなどが歌ってシングル盤にしていたら、イタリア音楽史上の名曲と評価されたかもしれません。しかし、サビの超高音も含めた原曲の2オクターブ半を超える音域を歌うことはMinaでも不可能だったと思います。やはりNico Di Paloの歌は異次元だったと思います。

 なお、MinaがNew Trollsの1970年のUn'oraを歌う計画もあったとされ、MinaはUn'oraのNico Di PaloのVocalの高音域の箇所を賞賛しています。

New Trolls / Un'ora 1970
https://www.youtube.com/watch?v=1vDwbuCGiKY&list=PLWBIZ261OgKjWq5DkIOOhvONqPBlQagSq&index=9
2:25の最高音のところをMinaが賞賛。

New Trolls / C'è troppa guerra (UT収録)のドイツBremen放送のBeat Clubをも凌駕する1973年の驚異のカラー映像。
P1910183.JPG

 1972年のChi Mi Puo’ Capireの超高音の話になってしまいましたが、Nico Di Paloの超高音Voiceも、1972年のKeith EmersonのHoedownやTrilogyのMoog、CanのDamo Suzukiの1971年のBeat ClubにおけるPaperhouseでの叫びのように、ベトナム戦争への怒りと救いを求める叫びだったのかもしれません。

 UTの最終曲Chi Mi Puo’ Capireの2曲前のB面1曲目には、Led Zeppelinを彷彿させるベトナム戦争を象徴する「戦争 C'è troppa guerra」が配されていました。

New Trolls / 戦争 C'è troppa guerra 1973 (Color)
https://www.youtube.com/watch?v=H09dsrpBkX8
1973年では世界でも類を見ない驚異のカラー映像。New TrollsがLed Zeppelinを超えようとしたものといえる。

New TrollsとLed Zeppelinが共演した伝説の1971年のCantagiroの写真。
Led Zeppelinのライブの際に観客の暴動が起きて中止になった。
P1910208.JPG

P1910189.JPG

2024年02月15日

RIP 追悼Damo Suzuki ダモ鈴木・Canカン 〜 出会いMusic Life 1973年11月号 〜 1976年8月3日Can / Future Daysを買う 〜 1978年PILのJohn LydonがCanからの影響を公言 〜 1990年 衝撃映像・1971年Beat ClubのCan / Paperhouse 〜 1997年Quick Japanロングインタビュー 〜 「音楽の夢・音楽の力」ありがとう・ダモさんとの50年

”CAN SPIELT PAPERHOUSE” Beat Club 7. Aug. 1971
P1900586.JPG
CanとBremen放送のスタッフが、英米を超えるため敗戦国ドイツロックの威信を賭けて制作したと思われるBeat ClubでのCan / Paperhouseの渾身の映像
P1900594.JPG


Can's Damo Suzuki has passed away. However, he has long been a mysterious and legendary figure even for us Japanese people since 1970. I wanted to know the source of his power. In 1997, I read Damo Suzuki's long interview for the first time. When Damo Suzuki was a toddler, his older sister died trying to protect him from a car accident. Later, Damo Suzuki found out about this fact. Therefore, no matter what he did, he always believed that he was protected by supernatural powers from his late sister. And I read that in Germany, in a music magazine popularity poll in 1973, Can took 1st place in the group category and Damo Suzuki took 2nd place in the vocalist category.

Neu! Michael Rotherの追悼文 
Damo impassioned generations of musicians, but most importantly, he was a kind and gentle soul. Rest in peace, Damo. May your spirit keep on inspiring us.


今日の1曲
★Can / Paperhouse (1971) Beat Club Live
Tangerine Dream / Phaedra 1974
Can / Quantum Physics 1974
Can / Future Days 1973
★Can / Bel Air 1973
Kraftwerk / Autobahn 1974
Klaus Schulze / Timewind 1975 
Wallenstein / Song of Wire 1973
Popol Vuh / Einsjäger & Siebenjäger 1975
Faust / Krautrock 1974
Amon Düül II / Surrounded by the Stars 1972
Can / Paperhouse 1971 Tago Mago
★Can / Unfinished 1975
Can / Animal Waves 1977
Sex Pistols / Never Mind The Bollocks 1977
Locanda Delle Fate
       / Forse Le Lucciole Non Si Amano Più 1977
Emerson, Lake & Palmer / Knife-Edge Beat Club 1971
King Crimson / Larks' Tongues in Aspic Beat Club 1972
Popol Vuh / Bettina 1971 Beat-Club
Manuel Göttsching / E2-E4 1984
James Brown / There Was A Time (Live At The Apollo)1967
村八分 / むらさき (aka.恋しや)  1972
裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés / The Last One _1977
★Can / Free concert (Sporthalle Cologne 1972)
天井桟敷「邪宗門」より「1970年8月」1972
NEU! / Für immer 1973
Guru Guru / Oxymoron 1972
Iggy and the Stooges / Down on the street 1970
★Can / Deadlock 1970 Live
Can / Deadlock 1970 Soundtrack
★Can Damo Suzuki ダモ鈴木 / Document film in Tokyo 2008


 Canのダモ鈴木Damo Suzukiさんが、ついに74歳で亡くなりました。

 30代で大腸がんになり、闘病しながら音楽活動を続けられてきたそうです。自分も経済的にも精神的にも厳しい状況ですがダモさんを見習って頑張りたいと思います。

元CANのダモ鈴木が死去 名曲“Spoon”“Vitamin C”や名盤『Future Days』などで歌った即興ボーカリスト | Mikiki
https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/36751

Damo Suzuki, Legendary Can Vocalist, Dies at 74
https://pitchfork.com/news/damo-suzuki-legendary-can-vocalist-dies-at-74/


P1900639.JPG
amazon book「I AM DAMO SUZUKI」2019年の自伝
https://amzn.to/49fRl3P


ダモ鈴木 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A2%E9%88%B4%E6%9C%A8

元Canダモ鈴木、2022年公開ドキュメンタリー映画『Energy』記念でインタビューに応じる
https://amass.jp/162089/

 ダモさんを知ってからちょうど50年になります。日本人として海外で活躍したダモさんの業績を考えると、いったい自分は50年間何をしていたんだろうという感懐がふと浮かびました。Can / Future DaysはRolling Stone誌の選定したProgressive Rockの名盤で8位、また1973年のドイツの雑誌の人気投票ではDamo Suzukiがボーカル部門で2位になっています。

Rolling Stone ”50 Greatest Prog Rock Albums of All Time” 2015
https://www.rollingstone.com/music/music-lists/50-greatest-prog-rock-albums-of-all-time-78793/
日本語版
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/25323
http://prognote.net/progre/magazine/rolling-stone-50-greatest-prog.html

 1990年ごろにVHSビデオで初めて見た1971年のドイツBeat ClubにおけるCan / Paperhouseの映像は、今までに見た音楽映像のトップ5で、人生への影響力を含めればNo.1と言えるものです。人生で1番苦しかったときに、ダモ鈴木さんが動く映像を初めて見てどれほど勇気づけられたかわかりません。レコードでしか知らなかったCanの真の凄さを知るとともに、こんな凄いバンドに日本人がいたということを誇りに思いました。
 
★Can / Paperhouse (1971)  Beat Club Live
https://www.youtube.com/watch?v=LPjF4ZHuIko
1960年代から英米のバンドだけを紹介してきたブレーメンBeat Clubが、1970年10月24日のAmon Düül II、1971年4月24日のPopol Vuhに続いて、「英米のコピーではない」ドイツ・ロックの威信をかけて作ったと思われる1971年8月7日放送の渾身の映像。
5:00以降からラストまで、Tago Magoのレコードとは全く違うアレンジがされており、入念なリハーサルがあったことが伺える。

 1997年に、DamoさんのPaperhouseでの信じられないLiveや、日本で最年少ヒッピーと呼ばれ、世界を回った活動力の源泉が、Damoさんを交通事故から庇って亡くなったお姉さんにあることを知りました。ダモさんの行動力は、やはり1969年にアメリカでヒッピーになった村八分のチャー坊とも比較されます。

 初めて「ダモ鈴木」を知ったのは、生まれて初めて買った音楽雑誌Music Life1973年11月号です。そこには全盛期の終期にあったUKロック、Pantaと頭脳警察、裸のラリーズ、PFM、Faustなども掲載されていて、自分の音楽人生の起点のような本です。
 
 ダモさんとの出会いから50年を振り返ってみたいと思います。


= 1973年 =

ダモさんとCan、Kraftwerkとの出会いは小学生のときMusic Lifeの数行の記事
P1900584.JPG

・1973年11月 
 Music Lifeで「ダモ鈴木」の名を初めて知る。初めて買った音楽の本「ローリングストーンズのすべて」に続いて買った。Music Lifeの発売日の10月25日の直後に購入し、付録も付いた分厚い本に心が躍った。

 Damo Suzukiの記事はKraftwerkの1stの記事の中にあった。「ひょっこり里帰りしたダモ鈴木」と会った記者が、ダモ鈴木から「Kraftwerkって人気があったんだ。もう解散しちゃったけどね」と言ってKraftwerkの1stアルバムを渡されたというもの。変わった名前と、Yoko Ono以外にも日本人が外国で活躍していることが新鮮だった。

 別の記事で「蛇毛鈴木」と書いてあるのも見た。

 
= 1975年 =

・1975年6月30日 
 Tangerine Dream / Phaedraを購入。間章Akira Aidaの解説に感銘。今まででこれほど素晴らしいライナーは体験したことがない。哲学的な序文から、German Rockを概観した上でのTangerine Dreamの位置づけ、直接Edgar Froeseから聞いた話を基にしたTangerine Dreamの記述が素晴らしかった。なお、間章の3部作の著作集の中で、Phaedraの解説文は収録されていない。

Tangerine Dream / Phaedra 1974
https://www.youtube.com/watch?v=EhQpXD2Z9WQ

 間章の解説の中で「カン(Can)」は「グルグル(Guru Guru)」「アモンデュール(Amon Düül II)」と並んでGerman Rockの重要なパイオニアとして位置づけられ、ダモ鈴木への関心が膨らんだ。

P1900632.JPG
P1900637.JPG


・1975年9月30日 
 カンの初めてのLP / Soon Over Babalumaをイギリス盤で買う。Damo Suzukiは不在だが銀色のジャケットが素晴らしかった。1曲目からお経みたいだと言われ、家族の評判はよくなかった。

 少ない小遣いで買ったLPなので必死に聴いて愛着が深まった。 良い部分もたくさんみつけたが(Splashのイントロとフェイドアウトの緊張感。特にB面の2曲目Quantum Physicsが美しい)、Phaedraや10月に購入したAmon Düül IIのメンバーが認める最高作 Wolf CityのSymphonicな完成度に比べると物足りなかった。

Can / Quantum Physics
https://www.youtube.com/watch?v=qsrgus_zA24&list=PL4EsdjBgRt6dzqlINIUCskYrnZLS0NAOu&index=4
Tangerine Dreamを意識してElectronicsへの比重を大きくしたと思われる。5:29以降のIrmin Schmittの所持でしか聞いたことがないSynthesizer ”Alpha77”は比類なき美しさ。Damo Suzukiの抜けた穴を必死に模索していたようだ。

 やはり、CanはDamo SuzukiがいるLPが良いのではないかと感じた。ダモ鈴木が1973年にCanのリハーサル中に突然奇声を上げて飛び出して、そのまま戻らなかったという伝説を知った。ダモ鈴木が「金、金」という他のメンバーに失望したという情報から、純粋な人ではないかと想像した。 


= 1976年 =

1976年8月3日
 Damo Suzuki参加のCan / Future Daysを購入。8月2日購入のWallenstein / Cosmic Centuryで半年ぶりにGerman Rockに再び衝撃を受け、翌3日に衝動的に貯金を叩いて5枚のGerman Rockを買ったうちの1枚。

Wallenstein / Song of Wire 1973
https://www.youtube.com/watch?v=ZhmieWBMqiU&list=OLAK5uy_meImELv2ZWlC-dQ09K3atdkMarhT5a1bE&index=5
6:36は、Galactic SupermarketのA面と並んでChorus Mellotronの世界最高作と言える。

 Future Daysはカットアウトのアメリカ盤で1480円と安かったが、独特の匂いがあった。
 他方、Wallenstein、Popol Vuhのドイツ盤Cosmic CouriersはMetronome制作のジャケットで、夢のような匂いがした。内容的にも、Wallenstein、Popol Vuh / Einsjäger & SiebenjägerはMelodieも美しく言葉で表せない感動があった。

Popol Vuh / Einsjäger & Siebenjäger 1975
https://www.youtube.com/watch?v=KglJfGEMTPg&list=OLAK5uy_kl8jHjlGbjZiYkDvFfHzMnoLbINcfpuoI
1分の美しい序曲とB面の20分の大曲という構成にも心を奪われた。

1983年になって初めて発売されたFuture Daysの国内盤
Canの先見性が畏敬の対象だったことがわかる帯は、強烈な印象だった。
P1900601.JPG

 Kraftwerk / 1、2は、1975年に感動した1973年の3rdアルバムRalf &Florianと異なり、いずれもノイズアルバムで1曲目しかメロディーがなかった。しかし、German Rockが1970年から実験を経てきたことは理解できた。KraftwerkもCanから影響を受けたことを後で知った。

 間章が推奨していたFaustも買う。Tony Conrad With Faust / Outside The Dream Syndicateはドラムの反復だけで、通して聴けなかったが、実験精神に畏敬の念を感じた。1976年12月24日にもう一枚トライして買った国内盤のFaust / W「廃墟と青空」は、1曲目KrautrockのリフにFaust Tapesのように隠されたメロディーがあって素晴らしかった。

Faust / Krautrock 1974
https://www.youtube.com/watch?v=m5-_c2VFxhQ&list=PLs9zwqXsceUhfeaql8tnSLxN5tEWbPiIP
自らKrautrockを名乗った代表曲。

 Canの最高傑作とされるFuture Daysは、タイトル曲から大曲Bel Airの最後までわかりやすいMelodieとリズムに貫かれ、起伏のあるBel Airは20分通して何度も聴けた。German Rockの元祖とされる実力を感じた。

Can / Future Days
https://www.youtube.com/watch?v=eyklWIMPoAA

★Can / Bel Air
https://www.youtube.com/watch?v=ayxRGsTiE4M
20分の楽園Music。全てをクラシックオーケストラにアレンジできるほど、Melodieと構造がしっかりしていると思う。
11:48からIrmin Schmittがクラシックの和声に基づいた美しいSynthesizerを配し、徐々にコード進行を変えていくことで最後まで聞き通せる名盤になったと思われる。

 CanのライバルAmon Düül II が1970年に1枚が即興の2枚組Yetiを出したのに対して、CanがB面とC面が即興の2枚組Tago Magoを出したように、Amon Düül IIの Melodie重視のWolf Cityに対抗して、CanもMelodie重視のFuture Daysを作ったと思われる。

 しかし、1974年〜1975年ごろは、Tangerine Dream / Phaedra、Ricochet、Klaus Schulze / Timewind、Ash Ra Tempel / Echo Wavesなど「Drumsのない」German Electric Synthesizerがしのぎを削っていた時期だったため、1973年のFuture Daysの音は時代に遅れた印象だった。
 Damo Suzukiの歌い方もこのFuture Daysでは的確だったのだが、情熱が感じられなかった。おそらく、Canも、Amon Düül II自身も、1974年から1975年にはTangerine Dreamがトップだったと思っていたのではないか。

Klaus Schulze / Timewind 1975年度 フランスディスク大賞
https://www.youtube.com/watch?v=qBn0Jnf7_3M&t=1s

〜 1975年・1976年当時のCanとGerman Rockを振り返って 〜

 現在はRolling Stone誌のProg名盤でも、8位のCan / Future Daysは23位のTangerine Dream / Phaedraより上位に評価。しかし、1976年当時の日本でのGerman Rockへの評価はTangerine Dreamが断トツで、Klaus Schulzeはかなり離れて次点、Kraftwerkはアメリカではシングルが4位だったが、日本ではまだ「テクノの始祖」という言葉もなく、知る人ぞ知るSynthesizer音楽だった。

Kraftwerk / Autobahn 1974
https://www.youtube.com/watch?v=x-G28iyPtz0&t=819s

 Canは、Tangerine Dreamなどの間章の解説を読んだ人以外は日本でほとんど知られていなかった。東芝からのTago MagoとEge Bamyasiの2枚の発売も知らなかったし、実物を見たこともない。1973年発売の東芝のAmon Düül II / Wolf CityのLPのライナーの広告にもAmon Düül IIは全て載っていたが、Canはなく、すぐに廃盤になって削除されていたようだ。Canは本当に売れなかったのだろう。

 私が音楽人生で一番影響を受けた東芝のハンドブック「Beatles Forever」の作成者で、日本で最初に「Progressive Rock」の名を流行らせた石坂敬一が、思い切ってCanを出したと思われる。最高作Future Daysが出なかったのは、CanがUAからVirginに移籍したからではないだろうか。

全く見たことも噂を聞いたこともないCan / Ege Bamyasiの東芝日本盤
P1900364.JPG

 1974年の時点では、DrumsのないTangerine Dream、KraftwerkなどのSynthesizer音楽が世界の最先端にあった。Pink Floydもそのことを認めていたと思われ、Nick MasonがTangerine Dreamのライブに参加する予定というChris Frankeの談話もあったが流れた。そのため、Drumsが入っているCanは時代遅れの音楽という印象だった。

 Tangerine Dream / Phaedra、Kraftwerk / Autobahnが、1970年のSynthesizer Rhythmの開祖のPopol Vuh / AffenstundeよりもMelodieと普遍性を持たせて成功したのも、やはりMelodieを重視してSymphonicに転向した1972年のAmon Düül II / Wolf Cityからの影響と思われる。

Amon Düül II / Surrounded by the Stars 1972
https://www.youtube.com/watch?v=scWD73Og0kQ&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8
 
 Canの場合、Irmin Schmittがのクラシック演奏家だったり、Holger Czukayもクラシックの知識があり、Michael Karoliはその教え子だったが、英米のロックのみならず、クラシックの伝統にも背を向けていた。しかし、同じUAレーベルのAmon Düül IIが1972年5月のItalian Progressive RockのVilla Pamphili Festivalに出演し、クラシカルなSymphonicの方向に転換した影響で、Future Daysも全ての曲でクラシックをベースにしたMelodieのある音楽になっている。

 しかし、1975年には、元Tangerine DreamのKlaus Schulzeが、Tangerine Dream / Phaedraからの影響で、TimewindでDrumsを完全に放棄。個人的には、Klaus SchulzeのTangerine Dream、Ash Ra Tempel、ソロアルバムPicture MusicにおけるDrumsは、John Coltrane / Love Supreme part3におけるElvin Jonesと並んで世界最高峰と思っている。TimewindのA面は元Drummerだからこそ作れたSynthesizer rhythmの極点といえる。またAsh Ra TempelのManuel Göttschingも1975年にDrumsのないInvenntions For Electric Guitarをリリースしている。

 このように、当時世界最先端のGerman Rockとは、Drumsがない音楽であることが最大の特徴だった。

 他方、Neu!にはKlaus Dinger、CanにはJaki Liebezeit という圧倒的に個性的なDrumsがいたため、Tangerine DreamなどのBerlin School一派とは異なりDrumsのあるElectric Musicにこだわった。Klaus Dingerは「Kraftwerkの2人の作品を尊敬するが、機械的だ」と批判していた。Drumsが残っていたため、Canには古臭さを感じてしまった。 

 そして、DrumsのないSynthesizer Musicがピークを越えて衰退した1976年以降は、再び、Drumsの入ったGerman Electric Rockが注目されるようになった。今日のようにCanやNeu!が評価されるようになるとは当時は想像もつかなかった。

2LP Can / Tago Mago Japan&UK これも見たことのない日本盤
P1900360.JPG

・1976年12月
 Can / Tago Magoのイギリス盤2枚組LPを買う。袋型変形ジャケには夢があって期待したが、1971年の作品でFuture Daysよりもさらに古い音だった。Canの代表作とされるTago Magoだが、2面にわたるMelodieのない即興も通して聴けなかった。

 それだけに、1990年になって1971年のPaperhouseのBeat Clubでのライブを見たときは驚天動地の衝撃だった。
 このような全盛期のCanとDamo SuzukiのライブをJohn Lydonがイギリスで体験したことが、Sex Pistolsのエネルギーに繋がったのだろう。

Can - Tago Mago [ FULL ALBUM ]
https://www.youtube.com/watch?v=Uzm6DG_ezOg
1曲目のPaperhouseの1:50での転換と、7:27のPaperhouseからMashroomへの曲の転換の部分は好きだった。

Tago Mago英国盤の裏側。先端の音だったFarfisa keyboardの広告がある。
John Lydon (Sex Pistols) の最愛聴盤でありSyd Viciousも聴いていた。
P1900362.JPG


 Canの1975年のLandedも「闇の舞踏会」のタイトルで1976年に日本盤が出たが、秋葉原の石丸電気で見たものの買わなかった。


= 1977年 =

 FMで間章か、あるいは渋谷陽一がCan / Landed「闇の舞踏会」からHunters and collectorsを放送した。ProgというよりRockの楽曲として秀逸で、Virgin移籍による情熱が感じられた。

 その後、Landedを聴いた。Vernal Equinoxのテクニックは凄まじいもので、また、UnfinishedはBeatlesのRevolution9のようなミュージック・コンクレートでありながら、随所にClassicをルーツとする美しいフレーズが隠され、ラストもGerman Rockの中では最高レベルの感動があった。Damo Suzukiはこんな凄い人たちと一緒にやっていたのかと感銘を受けた。

★Can / Unfinished
https://www.youtube.com/watch?v=Hmyplk2Pf0I
特に11:00あたりからが美しい。Tangerine Dream / Alpha Centauriのラスト5分を彷彿させる。

 1969年のCan / Monster movieはジャケットが素晴らしかったが、Tago Magoよりさらに音が古くて通して聴けなかった。Soundtracks、Ege Bamyasiは買わなかった。

 1977年にはTangerine Dreamの2枚組Live「Encore」を聴いて、Ricochetと異なり、緊張感のなさに落胆。
 Edgar Froeseの最新インタビューで「今はTangerine DreamがTangerine Dreamをコピーしてしまっている」という言葉を見て、Tangerine Dreamから心が離れた。ベルリンの学生運動のバリケードの中で生まれたTangerine Dreamもまた、ベトナム戦争が終わった1975年に創造者としての使命を終えたと思う。

 1977年のCan / Saw Delightを後に聴いたが、この中のAnimal WavesがCanの最後の輝きと思う。

Can / Animal Waves 1977
https://www.youtube.com/watch?v=GuvlTSRAmlI&list=RDGuvlTSRAmlI&start_radio=1

= 1978年 =

 John Lydonの発言によりCanが世界的に再評価

 Sex Pistolsを解散してPIL(Public Image Limited)を結成したJohn LydonがCanからの影響を公言して驚く。Sex Pistolsのときと人格が変わったように真剣な発言が多かった。
 日本人の在籍するバンドへのRespectを海外の有名なArtistが語ったのを聞いたのは初めてで、Damo Suzukiのことが誇りに思えた。他方でYoko OnoはBeatlesを解散させた人物のように言われていた。

 その影響で、1980年になって初めてSex Pistolsを聴いてみて感動した。Sex PistolsはPunkではなく、Melodieの伴った素晴らしい音楽で、1970年代のあらゆるProgressive Rockの凝縮されたエネルギーの1977年における最後の爆発だと思う。イタリアで1977年のLocanda Delle Fateが最後のItalian Progressive Rockの輝きと呼ばれているのを想起させる。Locanda Delle FateもテクニックだけのProgressive Rockではなく、美しいMelodieを伴った音楽だった。

 1977年にSex Pistolsを聴いていたら、人生が変わっていたかもしれない。
 1974年に「King Crimsonは死んだ」と語って音楽を止めたRobert Frippも、Sex Pistolsを聴いてKing Crimsonを復活させた。

Sex Pistols / Never Mind The Bollocks 1977
https://www.youtube.com/watch?v=LD2i99QPVI0

Locanda Delle Fate / Forse Le Lucciole Non Si Amano Più 1977
https://www.youtube.com/watch?v=U2ncX_2-7rw&list=OLAK5uy_nzzae6s13WA2Zqa6LjmXBFFUT0U030F8I


P1900610.JPG
amazon書籍 John Lydonの自伝
https://amzn.to/4aRO1MT



= 1982年 =

 Tangerine Dreamが初来日したが、興味がなくなっていた。Synthesizerはもはや日常生活のBGMになるほど拡散していた。Tangerine Dreamは、1986年に未発表音源Green Desert (1973年) の発売が気になったが、1988年のTygerを最後に国内盤も発売されなくなっていたようで、その存在は1977年から30年以上忘却の彼方にあった。Edgar Froeseが2009年に伊豆に来日し、広島、長崎をテーマにしたアルバムをリリースした時は嬉しかった。

= 1983年 =

 Canの旧譜が日本で一斉に再発されて驚いた。「1973年、君は生まれていたか?」という特異な帯の文章が象徴するように、当時Tangerine Dreamとは対照的に、Canは音楽史の中で極めて重要なバンドという認識になっていた。今日に至るまでCanに対する高評価は、様々な音楽誌で普通に見られるようになった。

 中野サンプラザでPublic Image Limitedのライブを見る。アンコールでSex Pistolsを1曲だけ、Anarchy in the UKを演奏した。ライブの前後に、原宿の竹下通りで偶然John Lydonジョン・ライドンに会い、サインをもらう。VDGGやPeter Hammillのファンだと聞いていたので、後になって、CanやPeter Hammillの好きなアルバムを質問してみたかったと後悔した。

= 1984年 =

 Manuel GöttschingのE2-E4が発売される。現在は、テクノの始祖としてGerman Electricの世界的再評価のきっかけになったが、LPを家で初めて聴いたときは単調な繰り返しに落胆した。Tangerine Dream以降、最後の頼みだったManuel Göttschingも終わりかと思い、German Rockに対する関心を全く失い、LPもすぐに売却した。

= 1988年 =

 VHSビデオ「ビートクラブ」のシリーズで「黄金のロック伝説Vol.7 Progressive Rock」発売。Beat Clubは世界最高レベルの音楽番組だからこそVHS化されたが、Youtubeのない時代には大事件だった。

 1985年に見た1973年のGenesis / Wacher of the skies以来、動くProgressive Rockを久々に見て、King Crimson / 太陽と戦慄part1、ELP / Knife Edgeに大感動。Neu!のメンバー2人Klaus Dinger、Michael Rotherを擁するKraftwerkの映像にも驚く。

Emerson, Lake & Palmer / Knife-Edge Beat Club 1971
https://www.youtube.com/watch?v=TQQdYokbp4E

King Crimson / Larks' Tongues in Aspic Beat Club 1972
https://www.youtube.com/watch?v=WhudDa3JAyc 


= 1990年ごろ = 

 Beat Club映像・Can / Paperhouseの衝撃

英米ロックの番組だったBeat ClubにGerman Rockで3番目に出演したCan。
敗戦を幼少のころに記憶した世代のIrmin Schmitt、Holger Czukay、Jaki Liebezeitは、英米を超えるGerman Rockを真剣に創ろうとしたという
P1900617.JPG
 
 VHSビデオ「ビートクラブ」シリーズの最大の衝撃は、レンタルで借りたボーナス特典ビデオの「Deep Purple / Highway Star」そして「Can / Paperhouse」だった。

 1976年12月に”Tago Mago”のレコードでPaperhouseを聴いたときは落胆した。1971年のGerman Rockは、1975年のTangerine DreamのSynthesizerよりも明らかに時代遅れの音楽だった。

 しかし、1971年のPaperhouseのライブ映像には、天地が返るほどの衝撃を受けた。
 同じ曲で、これほど違うものなのか? 
 今日に至るまで私が見た音楽映像で最高のものと言える。

★Can / Paperhouse (1971) Beat Club Live
https://www.youtube.com/watch?v=LPjF4ZHuIko
3:55からのMichael Karoliのギターソロもその場で思いついた即興でなく、すべて事前にMelodieが十分に練られ、ラストはIrmin SchmittのKeyboardとDamo Suzukiの歌による、Beethovenからの伝統に基づくSymphonicなProgressive Rockになっている。

 Paperhouseの最後のダモ鈴木の叫びの歌詞の内容が気になった。

 Can / Paperhouseで歌詞を検索すると、
”You just can't give back no more” が公式のTago MagoのPaperhouseの歌詞になっている。

Can / Paperhouse 1971 Tago Magoオリジナル音源
https://www.youtube.com/watch?v=8n4XPN62cDU
 
 しかし、Beat ClubでのPaperhouseの歌詞は、Tago Magoでの歌詞と明らかに食い違っている箇所がある。
 ダモ鈴木は即興音楽家であり、1996年のインタビューで、売るための音楽ではなく「切に」表現する音楽家が好きだと述べている。
 また、Canの歌詞は全てDamo Suzukiが作詞していて、印税を公平にするために全員の名前にしたとのことである。
 そこで、Damo SuzukiがBeat Clubのライブでは、Paperhouseの歌詞を意識的に変えたと思われる。
 
 最後の叫びの歌詞の内容は何なのか? 私は英会話が苦手でよくわからない。

”You just can get back no more” とするYoutubeのコメントを見た。

 長く英語圏で生活していた知人に聴かせたとき、

”You just can get back from war” と聞こえると言われた。

 1971年はベトナム戦争が泥沼化した時代で、Damo Suzukiは反戦ミュージカルHairに1969年〜1970年ごろに3か月ほど出演していた(Donna Summerとも会っていたと思われる)。そのため、Damo Suzukiが、”You just can get back from war”という反戦的なメッセージを伝えようとした可能性もある。

 Beat Clubへのドイツのバンドの出演は、ドイツのミュージシャンは皆注目していたと思われる。Can / PaperhouseのDamo Suzuki、Holger Czukayの半裸のライブは、1972年のAsh Ra Tempel / Schwingungen−Flowers must dieのVocalのJohn.Lなどにも直接の影響を与えたと思われる。 
 
 現在テクノトランスの始祖とされるManuel Göttschingも好きなArtistとしてCan、Popol Vuhを挙げている。ドイツでのトランス、反復Beatの始祖はCanと言える。Canもまた、Damo SuzukiのようにJames Brownから影響を受けていた。Damo Suzukiは日本にいたころ一番聴いていたのがJames Brownだった。Damo Suzukiとの出会いが、他のGerman RockにはないCanのGrooveを生んだと言える。

Popol Vuh / Bettina (1971年4月24日) Beat-Club
https://www.youtube.com/watch?v=W6RUstmzDic
これもPopol VuhとBremen放送が、英米のロックには全くないドイツのロックで挑戦したものといえる。

James Brown / There Was A Time (Live At The Apollo) 1967
https://www.youtube.com/watch?v=01GEJC95gmE

James Brown ‎– Live At The Apollo (1968)
https://www.youtube.com/watch?v=KIJzDvWWQxU&t=1181s
1990年ごろVHSビデオ店で最も推薦されていた作品の一つ。

= 1991年ごろ =

 芝浦のクラブ「Gold」でManuel GöttschingのE2-E4をDance Musicとして大音量で聴いて初めて感動し、イタリア、デトロイトなどで評価されていることが理解できた。Beat ClubのCan / PaperhouseでのDamo Suzukiの映像とともに、1984年から失われていたGerman Rockに対する関心が復活した。 

= 1997年 =

 初めてダモ鈴木のロングインタビューを読む。

目次 1997年「クイックジャパン vol.13 」 ダモ鈴木”Can”インタビュー  
同い年の「チャー坊”村八分”の生と死」を連載中
P1900576.JPG

 クイックジャパンで、1996年6月にケルンで3日にわたって行われたというDamo Suzukiのロングインタビューが掲載される。
 10回以上の長期に及んだ村八分の「チャー坊の生と死」を読んでいたため、幸運にも気づくことができた。

 インタビューによれば、Damo SuzukiがCanのリハーサル中に叫んで出て行ったという話は事実で、Canとの音楽性が食い違うようになり( Soon Over BabalumaはCanの解釈によるラテンロックを志向)、Future Daysで最高のものを作れたのが理由とのこと。その後石畳の職人の学校に2年通ったが、サラリーマンとなった。1973年に音楽雑誌の人気投票で、Canと他のメンバー全員が各部門で1位になり、Damo Suzukiがボーカル部門で2位になった。

 Damo Suzukiが子供の時、彼の姉は彼を交通事故から庇うために亡くなった。だから、彼はどんなことをしても、常に亡くなったお姉さんからスーパーナチュラルな力で守られていると思っていた。ダモ鈴木はずっと神秘的な存在で、そのパワーの源泉が謎だったが、やっとその謎が解けたと思った。

 ダモ鈴木は厚木出身で、米軍の兵隊から日本にないようなレコードを得られた。特に「James Brownなど黒っぽい音」を聴いていた。Golden Cupsが本牧にあったこと、山口冨士夫のダイナマイツが立川基地で演奏していたこと、ユーミンが米軍基地でLPを購入してかまやつひろし等に届けていたことなどを想起させた。

 この回の「チャー坊の生と死」では、村八分の「あっ」で「かたわ」といった差別用語を用いたチャー坊の生い立ちを妹が明らかにしている。チャー坊が幼少時に眼の斜視のためにいじめられ、「ぼくは、かたわものです」という詩を書き、それを母が保管していたという。

 村八分の1972年11月のライブでは、「むらさき」「天まで昇れ」という反復を基調とする特異な2曲でCanとの類似性がみられる。村八分が、東芝から発売されたCan / Tago Magoを買った可能性もある。
 裸のラリーズの水谷孝は、1970年代にAmon Düül、Canを福生の自宅で大音量で聴いていたという。

村八分 / むらさき (aka.恋しや)  1972年
https://www.youtube.com/watch?v=Z3u9QgoITSM

裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés / The Last One _1977
https://www.youtube.com/watch?v=DPZSTeyShPo

 このクイックジャパン連載をきっかけに村八分が再び注目され、2000年の村八分のピークとされるCD「1972年11月23日・ライブ三田祭」とその特典だったVHSビデオを皮切りに、村八分の希少音源が大量に発掘されるようになる。

村八分 / あやつり人形 1972年11月23日
https://www.youtube.com/watch?v=wrHrsF_g0ZU
1977年のSex Pistolsと同格と思われる3:30〜

 クイックジャパンvol.13のチャー坊の記事では、友人の加藤和彦のSadistic Mika Bandを見たことなどの1974年のLondonからのチャー坊の手紙なども掲載されている。ダモ鈴木がチャー坊に関心をもって「ライブ村八分」など村八分の音源を聴くことはなかっただろうか。

 4月30日にDamo Suzukiがダモズ・ネットワークDamo Suzuki's networkで音楽活動を本格的に再開し、 Tokyo on Air West でライブを行う。Mother Skyと書いてあった記憶があるが、Canの曲を1曲だけ演奏したようだ。

 1996年のAmon Düül II、1997年のAsh Ra Tempelを筆頭に、Klaus Dinger(Neu!)、Guru Guru、Cluster、Agitation Free、Faust、Klaus SchulzeなどのGerman Rockの初来日が相次ぐ。
 Damo SuzukiとMani Neumeier (Guru Guru) の共演があった記憶もある。


= 1998年 =

 Can / Can Box発売。2本のVHSビデオが衝撃的だった。  

Can、Led Zeppelinのライブが行われたケルンのスポーツセンター
P1900618.JPG

 ビデオ「Can-Free-Concert」は1972年2月のケルンでの伝説の1万人無料コンサート。Damo SuzukiのエネルギーがCanの起爆剤になっていたことが明確にわかった。

★Can / Free concert (Sporthalle Cologne 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=9FaydRUQ42Q&t=1215s
14:30〜17:30が一番の見どころ。他の誰にもできないCanの最高の瞬間といえる。

 同じ2月に日本では渋谷公会堂で天井桟敷の「邪宗門」公演があり、その実況盤CD(完全収録盤)のラストの「1970年8月」こそ、日本のProgressive Rockの最高作といえる。ドイツと日本が同じような混乱した政治的状況にあったことが感じられる。

天井桟敷「邪宗門」より「1970年8月」1972年
https://www.youtube.com/watch?v=V0Vb-2yMGf8
演者たちの叫びは、Beat Club「Can / Paperhouse」でのDamo Suzukiの最後の叫びを想起させる。

 ビデオ「Can – Documentary」では、全盛期のCanのIrmin Schmittの弁舌、終始無言のDamo Suzukiの自信に満ちた佇まいが印象に残った。

 「Can Book」という初めての評伝本も出版された。

= 2001年 =

 音楽専科復刻シリーズ「Progressive Rock」でDamo SuzukiのGerman Rockのレポートを読む。

P1900580.JPG

 ダモ鈴木Damo Suzukiの3ページにもわたる1973年10月号「ドイツロックレポート」が掲載。ダモ鈴木がいかにGerman Rockに精通していたかがわかって感動。間章の1975年1月のTangerine Dream / Phaedraのライナーもここから影響を受けたと思われる。

 ダモ鈴木のレポートは、冒頭においてドイツ固有の「ドイツロック」と、通常の英米系のロックを分け、後者として(当時Mother Universeがフランスで1972年8月の月間ベストアルバムになった)Wallensteinを「現在受けているバンド」として挙げている。

 続いて「1」としてAmon Düül IIをGerman Rockを体現するバンドとして詳述。
 1stと2nd Yetiを「非常によかった」としつつ、3rdと4thは「いただけなかった」と明らかに否定的に評したのに対し、5thの最新作 Wolf Cityについて「”ドイツロック”を離れ英米的なサウンドに変わりつつあるように思う」と評している。このことから、Amon Düül II自身が最高作と認めるWolf Cityが、CanがFuture DaysでMelodieを重視したSymphonic路線に転化したことへの影響を及ぼしたことが読み取れる。
 Future Daysのタイトル曲と、Bel Airにはいずれも冒頭にBeatlesのPaul McCartneyを思わせる美しいMelodieのバラードが配されている。

 「2」として「シュトックハウゼンの影響が大きいGerman Electric」の「音楽的センスの面で最右翼」としてKraftwerk、Neu!を賞賛。Neu!を「素直な何の抵抗もなく入りこめるElectric Meditation」と述べており、Neu!のFuture Days、特にBel Airの楽園的サウンドへの影響が大きかったと思われる。

 「3」としてCanを詳述。1973年の人気投票で1位であること、2位がTangerine Dream、3位がGuru Guruと紹介。2024年現在、世界的に最高額のコレクターズレコードの1枚であるMonster Movieのオリジナル盤が「アングラで6000円が付いた」とある。

 「4」としてBerlinのTangerine Dreamとその似通った音の「弟バンド」としてAsh Ra Tempelを紹介。

NEU! / Für immer 1973
https://www.youtube.com/watch?v=V85AjBFDmbI
Bel Airに影響を与えたと思われるMeditation Rock。Damo Suzukiは、Kraftwerkでも在籍時のKlaus Dingerがもっともユニークだったと記している。

Guru Guru / Oxymoron 1972 Känguruより
https://www.youtube.com/watch?v=NSkgEAvISL4
Guru Guruの人気を決定づけた名盤。ジャケットのカンガルーの親子が ”Käng Käng?”、”Guru Guru!”と会話しているのは、「Canじゃなくて、Guru Guruだよ!」というライバル関係を表していると、間章がラジオで語っていた。

= 2002年 =

 ジョン・ライドンJohn Lydon自伝を読む。ジョン・ライドンが1970年代前半に好きだったアルバムとしてCan / Tago Mago、次にMiles Davis / Bitches Brewを挙げていた。


= 2008年 =

 2008年のDamo Suzukiの素晴らしい東京での映像が残っていて感激。一度ダモさんのライブに行きたかったが、見ることができてよかった。サポートの演奏も素晴らしい。

Can Damo Suzuki ダモ鈴木 / Document film in Tokyo 2008
https://www.youtube.com/watch?v=Q_E4IxwXK8A&t=6s
闘病中にもかかわらず、声も若い時より張りがあって驚いた。

= 2010年ごろ =

 Youtubeで1970年のCanのライブ、特にDeadlockでの何かを訴えかけるようなDamo Suzukiの歌に感銘を受ける。2ndアルバムSoundtracksの曲を聴いたのは初めてだった。

P1900867.JPG

Can / Soundtracks L:Germany 1970 R:UK 1973
1970年代は2ndアルバムSoundtracksは英国盤の方を店頭でよくみかけた。
P1900608.JPG

★Can / Deadlock (1970) Live
https://www.youtube.com/watch?v=e_51JhbqgjU
Canの中で、LandedのUnfinishedのラストの部分と並んで、最も美しいMelodieの曲だと思う。1996年のロングインタビューで、ダモ鈴木が「切に」音楽をやろうとしているミュージシャンが好きと語っていたのを思い出させる。

Can live | Rockpalast | 1970 (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=7zhdNviS0Vs&t=18s
Rockpalast全編。Deadlockの後の48:13からのダモさんの仕草がいい。

 2021年に実に50年のときを経て、日本で映画『デッドロックDeadlock (1970)』が初公開された。

CANのサウンドが殺戮の荒野に炸裂する『デッドロックDeadlock (1970)』予告編解禁
https://www.barks.jp/news/?id=1000198599

Can / Deadlock 1970 Soundtrack 映画インスト版  
https://www.youtube.com/watch?v=IkS3j6yQk3w

映画『Deadlockデッドロック』劇場予告編
https://www.youtube.com/watch?v=qJiICLV9cPo&t=72s


= 2012年 =

 3枚組CDカン 『ザ・ロスト・テープス』 - Can / The Lost Tapesが発売。
 1970年代前半の正規版と同等、それ以上のレベルの楽曲も含まれ、全盛期のCanがいかに凄かったかを再認識した。

= 2016年 =

 改訂版「ジョン・ライドン自伝」を読む。John LydonがCanのライブを見に行ったとき、Bassの音が重すぎたためにホールの床が抜けたこと、Syd ViciousシドヴィシャスもTago Magoが好きだったことなど、John LydonがCanに傾倒していた事実がさらにわかった。

 John LydonはHawkwindのローディーで、Soft Machineのライブにも行き、Faust / Tapesも買っていた。Punkの中でもMelodieの明確なDown on the streetを目標にしていた。Iggy PopはNeu!のファンで、Michael RotherのライブでHeroにゲスト出演している。

Iggy and the Stooges / Down on the street
https://www.youtube.com/watch?v=85RSPV9Q-3s

 他にもジョン・ライドンがDamo Suzukiに替わってCanに入りたかったという記事も見た。

= 2018年 =

 Damo SuzukiがCanのJaki Liebezeitの追悼コンサートに出演。Neu!のMichael Rotherも出演し、このときに2人で撮った写真がMichael RotherのDamo Suzukiに対する追悼文とともに掲載された。

= 2019年 =

自伝「I Am Damo Suzuki 」出版
https://amzn.to/49fRl3P


アメリカでのダモ鈴木のインタビュー
Damo Suzuki : The Aquarium Drunkard Interview : Aquarium Drunkard
https://aquariumdrunkard.com/2019/10/22/damo-suzuki-the-aquarium-drunkard-interview/


= 2022年 =

元Canダモ鈴木、ドキュメンタリー映画『Energy』公開 予告編
https://www.youtube.com/watch?v=NShW9PZAhpg
生存率10%と宣告されたガンとの長期間の闘病も記録。


1972年幻の国内盤「Can / Ege Bamyasi」JapanのライナーノートLiner noteにおいて
Shakespeareの詞が引用されている。
P1900344.JPG

P1900347.JPG

Canは1972年の日本ではあまりに難解だったので、石坂敬一がTangerine Dream / Alpha Centauri (「このレコードの価値は聴き手の耳と主観に依存する」と帯に記されていた) でイラストを付けたように、音楽の理解のための一助としてシェイクスピアの詩をつけたのではないか。
P1900623.JPG


 ダモ鈴木さんには50年間勇気づけられてきました。 
 素晴らしい音楽をありがとうございました。
 心よりご冥福をお祈りいたします。RIP

P1770786.JPG
 

2024年01月31日

2024年新春 Happy New Year 第3弾 〜 Il Balletto di Bronzo特集・Marco CecioniとGianni Leoneの50年の軌跡 〜 @ 発見1970年のサントラ音源  〜 A 2012年 Rolling Stone ItaliaでItalian Best Album100に選出された Sirio 2222 〜 B 2016年 Marco Cecioniの "Cuma 2016 D.C." 〜 C 2023年Gianni Leoneの新作"Lemures"

画家として活躍するIl Balletto di BronzoのオリジナルメンバーMarco Cecioni
P1890576.JPG


2023年Gianni LeoneのIl Balletto di Bronzo51年ぶりの新作Lemures
https://amzn.to/3SzJaIH
イラスト画で1972年のYS時のメンバーと対比させている。
P1890517.JPG

Gianni Leoneが友情参加したMarco Cecioni、Lino AjelloのIl Balletto di Bronzo / Cuma 2016 D.C.
https://amzn.to/3HPKcev
P1890569.JPG


今日の1曲
Il Balletto di Bronzo
       / Ti risveglierai con me (soundtrack version)1970
Il Balletto di Bronzo
       / Ti risveglierai con me (Sirio 2222 version)1970
Il Balletto di Bronzo
       / Sì Mama mama TV CM Coca Cola 1970
Il Balletto di Bronzo / Meditazione 1970
Il Balletto di Bronzo / Primo incontro 1972
Il Balletto di Bronzo / Missione Sirio 2222 1970
Il Balletto di Bronzo / Incantesimo 1970
Il Balletto di Bronzo / Accidenti 1970
Il Balletto di Bronzo / Eternita' 1970
Led Zeppelin / Babe I'm Gonna Leave You live 1969
Aphrodite's Child / Rain and Tears live 1968
Il Balletto di Bronzo di Lino Ajello & Marco Cecioni
      / Pirati Guest Gianni Leone 2016
Il Balletto di Bronzo di Lino Ajello & Marco Cecioni
      / Bivio Acido Guest Gianni Leone 2016
Osanna + Gianni Leone (=Citta Frontale)
      / Everybody's Gonna See You Die live 2021
Adriano Celentano / L'Ultimo Degli Uccelli 1972
Leo Nero (Gianni Leone)/ Sono stanco anche io 1977
Il Balletto di Bronzo / TRYS 1996年9月6日録音
Il Balletto di Bronzo
      / Introduzione (1971 English version 2011mix)
Il Balletto di Bronzo
       / Lu tua casa comoda (2011 new live recording)
Il Balletto di Bronzo / Lu tua casa comoda 1973
Il Balletto di Bronzo / Dear Prudence 2021
Beatles / Dear Prudence 1968
山口冨士夫 / Dear Prudence 1983
Il Balletto di Bronzo / Lemures 2023



〜 @ 2024年新春 発見1970年のIl Balletto di Bronzoのサントラ音源 〜

L:Il Balletto di Bronzo / Sirio 2222 1970
R : 5 Bambole Per La Luna D'Agosto 1970 → Ti risveglierai con me収録
P1890512.JPG


Il Balletto di Bronzo - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Il_Balletto_di_Bronzo

 2024年に入って、初めてIl Balletto di Bronzoの1970年の1stアルバムSirio 2222のTi risveglierai con meのサントラ・ヴァージョンがあることを知りました。

 それはPiero Umiliani監督の5 Bambole Per La Luna D'Agostoという1970年公開の映画のサントラで、最近再発されたアナログ盤に追加収録されています。これは1970年のTripの出演したTerzo Canale、1971年のNew TrollsのConcerto Grossoに並ぶItalian Progとしては最初期のサントラといえます。

Il Balletto di Bronzo / Ti risveglierai con me (サントラ version)
https://www.youtube.com/watch?v=096VqKsubbc
映画の最後の場面で使われた音源

Il Balletto di Bronzo / Ti Risveglierai Con Me(Sirio 2222 version)
https://www.youtube.com/watch?v=1tSEoL9bsIA

 Il Balletto di BronzoがItalian Rockの先駆的存在として、日本におけるApryl Foolのように映画関係者などからも注目されていたことがわかります。そこで、Il Balletto di Bronzoをもう一度振り返ってみたいと思います。


〜 A Rolling Stone ItaliaのItalia Best Album100に選出されたSirio 2222  〜

1970年Sirio 2222期のIl Balletto di Bronzo
P1890535.JPG


 Rolling Stone Italiaによるイタリアのベストアルバム100枚は、2012年1月30日に音楽雑誌ローリングストーンのイタリア版が発表したイタリアのアルバムのリストです。100人の審査員に過去50年間のイタリアのベスト・レコードについて意見をもらい、アーティスト1人につき1枚のアルバムだけを載せて作成されました。

100 migliori album italiani secondo Rolling Stone - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/I_100_migliori_album_italiani_secondo_Rolling_Stone
  
 シンガーソングライター関連が圧倒的に多くなっていますが、Italian Progとそれに影響を及ぼしたと思われるArtistをピックアップしてみました。

3位  Lucio Battisti / Una donna per amico 1978
9位  Area / Arbeit macht frei 1973
10位 Adriano Celentano con Giulio Libano e la sua orchestra 1960
22位 Luigi Tenco / Luigi Tenco 1962
44位 PFM / Storia di un minute 1972
51位 Le Orme / Uomo di pezza 1972
52位 Alan Sorrenti / Aria 1972
58位 Pooh / Parsifal 1973
59位 Goblin / Profondo rosso  1975
64位 Il Balletto di Bronzo / Sirio 2222 1970
73位 Patty Pravo / Patty Pravo 1968
81位 Mina / Live '78 1978
85位 Biglietto per l'Inferno / Biglietto per l'Inferno 1974
    (イタリアでこのバンドが高く評価されているが、後にVocalが有名な牧師になったことも理由なのだろうか)
92位 Banco del Mutuo Soccorso / Darwin! 1972

 特に目をひいたのは、Il Balletto di BronzoがMinaやBancoよりも上位にランクされ、一般的に知名度の高いYSではなくSirio 2222が選出されていることです。それはSirio 2222が、Italian Rockの先駆的存在とされていることの証と思われます。そこで、もう一度Sirio 2222について振り返ってみたいと思います。


= 音楽の夢・Il Balletto di Bronzo / Sirio 2222  =
  Meditazione 〜 Marco CecioniとGianni Leoneの出会い

A面 Sì Mama mamaの作者はNora Mazzocchi (Gianni Leone) と記載。
B面 MeditazioneのハープシコードはGianni Leoneと思われる
P1890549.JPG


 Il Balletto di Bronzoは、1967年にNapoliで当初Battitori Selvaggiという名で結成されました。以前「Il Balletto di Bronzoの歴史」という1960年代の映像が多いFilmが公開されていました。テレビ番組Per voi giovaniなどの最も有名なイタリアのDJの一人Raffaele Casconeや後のレコード業界の重鎮などがメンバーでした。ギターがRaffaele CasconeからLino Ajelloに交替し、バンド名もIl Balletto di Bronzoに変わりました。

 Il Balletto di BronzoはNATOの基地で演奏していたため、やはり米軍基地のそばで演奏していたGolden Cupsに通じるGroove感が生まれたのだと思います。
 
 Il Balletto di BronzoがCoca ColaのCMに出た貴重映像があります。 

TVのCMに出演したMarco CecioniとLino Ajello
P1890268.JPG

Il Balletto di Bronzo / Sì Mama mama  TV CM Coca Cola
https://www.youtube.com/watch?v=MgiUkOn1sWI

 LP未収のシングルSì Mama mamaはNora Mazzocchi作とあり、これは当時SIAEに登録してなかったGianni LeoneがYSにおいて名前を借りた女性の作曲家の名として有名なので、Gianni Leoneが10代の1970年の時点でIl Balletto di Bronzoに関わっていたことがわかります。

 Sì Mama mamaのB面がMeditazioneで、Sirio 2222の3曲にGianni LeoneがKeyboardで参加しているとの情報があることから、この曲のハープシコードはGianni Leoneと思われます。Marco CesioniとGianni Leoneの関係がここから始まったと言えます。 

 1970年のMeditazioneにおけるハープシコード、ストリングスは、1971年のLe Orme / Collage、New Trolls / Concerto Grossoに先行するものであり、Sirio 2222がRolling Stone Italiaのイタリアベストアルバム100に選出された理由の一つと思われます。

Il Balletto di Bronzo / Meditazione 1970
https://www.youtube.com/watch?v=c358efxhat8&list=OLAK5uy_lvvCBfs9ncNWEDf5TqeP3mrO9jRz4JJwk&index=5
ハープシコードとStringsを使用したこの曲こそIl Balletto di Bronzoのこれからの新機軸だったと思われるが、それはYSで完全に実現された。

Il Balletto di Bronzo / Primo incontro 1972
https://www.youtube.com/watch?v=01XtGOfWMI4
YSでMeditazioneのように再びハープシコードが使用された。

 ハープシコードは、Italiaにおいても1968年に3週間1位になったAphrodite's Child / Rain and Tearsからの影響と思われます。

Aphrodite's Child / Rain and Tears (Live France 1968)
https://www.youtube.com/watch?v=BcbjuQmgr5A

Aphrodite's Child / Rain And Tears (official video) 1968
https://www.youtube.com/watch?v=lyF_0BIW8HA

1972年Il Balletto di Bronzo / YSのメンバー
P1890534.JPG

Il Balletto Di Bronzo / Missione Sirio 2222 1970
https://www.youtube.com/watch?v=zHsluYSdEXc
Italian Rock初の9分越えの曲。Cosmic Soundの映像

Il Balletto di Bronzo / Incantesimo 1970
https://www.youtube.com/watch?v=BKDYEQ-CUTY&list=OLAK5uy_lvvCBfs9ncNWEDf5TqeP3mrO9jRz4JJwk&index=7
YSの核となるHeavy Progの原点ともいえる鋭いItalian Blues Rock

 Sirio 2222以外にもIl Balletto di Bronzoは1970年のSanremo音楽祭出場曲をカバーした貴重音源を残しています。

Il Balletto di Bronzo / Accidenti 1970
https://www.youtube.com/watch?v=uqFpBSWa7q8
Gianni Leoneと思われるハープシコード、最後のPianoの展開はYSを想起させる。途中のギターリフはLed ZeppelinのBabe I'm Gonna Leave You からの影響と思われる。Gianni Dall'Aglioが参加したSuper Gruppoの曲。

Led Zeppelin / Babe I'm Gonna Leave You (live Danmarks 1969)
https://www.youtube.com/watch?v=wO6bRjcyQN8
Luciano RegoliのRRRも2015年の来日公演でこの曲を演奏。2:40からギターリフ。

Il Balletto di Bronzo / Eternita'  Spanish version 1970
https://www.youtube.com/watch?v=7Kx6eYzdPeg
Camaleontiで4位に入賞した名曲をIl Balletto di Bronzoがかっこいいロックにアレンジ。


〜 B 画家として活躍するMarco Cecioni ~
Il Balletto di Bronzo Di Lino Ajello & Marco Cecioni (special guest Gianni Leone)/ Cuma 2016 D.C. 〜

2016年 Lino Ajello & Marco Cecioni+Guest Gianni Leoneによる
Il Balletto di Bronzo / Cuma 2016 D.C.
P1890556.JPG


 Marco CecioniはIl Balletto di Bronzoを脱退した後、Stockholm、Napoliを拠点に画家として活動をしています。Andy Warholから影響を受けたというMarco Cecioniの英文の紹介記事があります。

Marco Cecioni ” A galactic future “ – ArtCecioni
https://www.artcecioni.com/marco-cecioni/

現在も画家として活躍するMarco Cecioni
P1890574.JPG

 2016年に、Marco CecioniはLino Ajelloと共に、Gianni Leoneをゲストに迎えて、Sirio 2222から46年ぶりにIl Balletto di BronzoとしてCuma 2016 D.C.をリリースしました。

 Cuma 2016 D.C.はギターをメインとするRockですが、Gianni LeoneのKeyboardがアクセントを添えた素晴らしい音と映像になっています。Gianni Leoneがやはりかつて在籍したOsanna(Citta Frontale)のライブのサポートをしているのを想起させます。

Il Balletto di Bronzo Di Lino Ajello & Marco Cecioni / BIVIO ACIDO
https://www.youtube.com/watch?v=fcDymMaCcLI
本作中、最も印象的なリフを持つ代表曲。3:15でMarco Cecioniの絵のアトリエが映る。冒頭のGianni LeoneのSynthesizerが効果的。

Il Balletto di Bronzo Di Lino Ajello & Marco Cecioni / Pirati (official video)
https://www.youtube.com/watch?v=BXbrGSgXJgU
海賊をテーマにした力作映像

Il Balletto di Bronzo Di Lino Ajello & Marco Cecioni- Cuma 2016 D.C. - Anteprima
https://www.youtube.com/watch?v=kkGII6i2wy4
CDのダイジェスト・プロモーション映像。Gianni Leoneも登場。

Osanna +Gianni Leone / Everybody's Gonna See You Die Dedicato a DANILO RUSTICI 2021
https://www.youtube.com/watch?v=EEW6gnl6fwI
この曲は、Osannaのデビュー前のGianni Leoneが在籍したCitta Frontale時代から演奏していた曲と思われる。

Lino Ajello、Gianni Leone(中央)、Marco Cecioni
P1890567.JPG


〜 C 2023年 1972年 YSから51年目の新作 Lemures  〜
    
L:Il Balletto di Bronzo Plays Beatles 2021年
R:Il Balletto di Bronzo / Lemures  2023年
P1890546.JPG

= ”音楽の夢” Il Balletto di Bronzoの軌跡 =
 
 ついにGianni Leoneが2023年にYSから実に51年ぶりにIl Balletto di Bronzoとしての新作Lemures をリリースしました。

 Gianni Leoneの新作に至るIl Balletto di Bronzoの軌跡を振り返ってみます。

・1960年代 Gianni Leone、NapoliでJames BrownなどのSoulを演奏。
     幼少期は修道院の先生からピアノを習う。
・1967年 Il Balletto di Bronzoの前身、Battitori SelvaggiがMarco Cecioniらによって結成。
・1969年ごろ Lino Ajelloが参加。Il Balletto di Bronzoに名前を変える。
・1969年 Il Balletto di BronzoがシングルNeve Caldaでデビュー
・1970年ごろ Gianni Leone、Osannaの前身、Citta Frontaleに参加
・1970年 Il Balletto di Bronzo / Sirio 2222リリース。
     Gianni LeoneがSirio 2222とシングル Sì Mama mama に参加後、Il Balletto di Bronzoに正式加入。Marco Cecioni脱退。
・1971年 Il Balletto di Bronzo / YS English version recording 
・1972年 Il Balletto di Bronzo / YS リリース
・1972年 Gianni Leone、Gianchi StingaがAdriano Celentano / Mali Del Secoloなどに参加。

Adriano Celentano / L'Ultimo Degli Uccelli
https://www.youtube.com/watch?v=zCRBKcnLDZA
Mellotronの傑作

Adriano Celentano / Disse (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=z9etr49vZe4&list=OLAK5uy_nG1T2AhqxGPknT-B3_GI7Ut9_QkmNkOFk&index=5
この曲でもMellotronが活躍

・1973年 Il Balletto di Bronzo / La Tua Casa ComodaをGianni Leone、Gianchi Stingaで録音し、シングルリリース後、解散。

 以後、Gianni Leoneはソロ活動。Lino Ajello、Gianchi StingaはMarco Cecioniとともに拠点をStockholmに移して活動。Vito Manzariは後にRomaで家具のデザインを行う。

・1975年12月 日本でIl Balletto di Bronzo / YSの広告(おそらく1974年Polydor Specialのre-issue)が初めて掲載。

The first Il Balletto di Bronzo article in Japan. An advertisement on an imported record store in Tokyo in the December 1975 issue of the magazine "Music Life."
P1890595.JPG

L:最初に買った懐かしいPolydor Special盤。 R:Sirio 2222のSide A
P1890579.JPG

・1977年 Leo Nero / Vero リリース。美しいMelodieを持つ名曲Sono stanco anche ioなどを収録。

Leo Nero / Sono stanco anche io
https://www.youtube.com/watch?v=61SwxETM-40

・1980年 Leo Nero / Monitor リリース

・1982年 Il Balletto di Bronzo / YS 日本で完全復刻再発。World's first LP re-issue in Japan

Adv. of YS in Oct. 1982 on Japanese magazine "Music Life"
P1890590.JPG

 その後、Il Balletto di Bronzoの存在は忘れられたかのように見えました。

・1988年 Il Balletto di Bronzo / Sirio 2222のCDがRCAから再発される。World's first CD re-issue in Italy Meditazioneのハープシコードに驚く。

・1989年 Italiaの音楽誌の創刊号でMinaの特集と共に、Il Balletto di BronzoがItalian Rock Bandとして初めて2pに渡って掲載。

・1990年 Il Balletto di Bronzo / Sirio 2222時代のAccidentiなど未発表音源Il Re Del Castelloがリリース。

・1992年 Il Balletto Di Bronzo / "YS" English Versionsがリリース。冒頭のノイズ音が衝撃的だった。

L:Il Balletto di Bronzo / "YS" English Versions 1992
R:Re-mix "YS" English Versions ”On The Road To Ys” 2011
https://amzn.to/495U5Rs
P1890597.JPG

・1995年 Gianni LeoneがDivaeのメンバーと共にIl Balletto di Bronzoのライブを再開。

・1999年 Il Balletto di Bronzo / Trys リリース。
     1980年以降にリリースされたProgressive Rockの中で印象に残った作品はいくつかしかないが、その中で最も印象的だった作品。

P1890551.JPG

Il Balletto di Bronzo / TRYS Tour
https://www.youtube.com/watch?v=DpmcoNwNELo

Richard Benson presenta il disco nuovo del Balletto di Bronzo (Ottava Nota, 1999)
https://www.youtube.com/watch?v=_5UG0I2J51I
1972年のVilla Pamphili Festivalにも出演したRichard Bensonが新譜Trysを紹介。

・2002年 初来日 Il Balletto di Bronzo / 1st live in Tokyo & Osaka Japan 
・2010年 来日 Osanna with Gianni Leone, Dave Jackson / live at "Club Citta" in Kawasaki Japan
・2011年 来日  Il Balletto di Bronzo / 2nd live at "Club Citta" in Kawasaki Japan

P1890605.JPG

P1890604.JPG

・2011年 Il Balletto Di Bronzo / On The Road To Ys リリース
   1992年のIl Balletto Di Bronzo / "YS" English VersionsとはIntroduzioneの冒頭部分が大きく異なる。 

Il Balletto di Bronzo / Introduzione (1971 English version)
https://www.youtube.com/watch?v=DVnH3xQuiFE&list=OLAK5uy_lbsezhd9eJiahtNGgkCknyPnxyS0rDiRM
1992年にリリースされたものは冒頭に衝動的な重い音が入っていて驚いたが、2011年盤は穏やかなSynthesizerになっている。

Il Balletto di Bronzo / Lu tua casa comoda (2011 new recording)
https://www.youtube.com/watch?v=eW9qcDqma9s&list=OLAK5uy_lbsezhd9eJiahtNGgkCknyPnxyS0rDiRM&index=3
メキシコでの凄いLiveヴァージョン。1973年のオリジナル曲とは違う形に瞬時に再現できるスキルの高さに驚く。

Gianni LeoneとFocusのThijs Van Leer ツアーで。
P1890531.JPG

Il Balletto di Bronzo / La Tua Casa Comoda (1973 Remastered)
https://www.youtube.com/watch?v=NPpo8F4hlkE
1973年のオリジナル音源。

1972年のIl Balletto Di Bronzo ( シングル La Tua Casa Comodaのジャケットと同じ日のフォトセッション)
P1890537.JPG

・2015年 来日 Osanna with Gianni Leone, Corrado Lustici, Jenny Sorrenti, Dave Jackson / live at "Club Citta" in Kawasaki Japan
・2016年 Il Balletto di Bronzo Di Lino Ajello & Marco Cecioni (special guest Gianni Leone)/ Cuma 2016 D.C. リリース

・2018年 Il Balletto di Bronzo / 3rd Live in Japan at "PIT IN", famous Jazz club in Shinjuku Tokyo. 3回目の来日。9月14日、15日 新宿ピットイン。2011年にPeter HammillのLiveを見た場所。

・2021年 Il Balletto di Bronzo / Plays Beatles リリース。山口冨士夫も1983年に演奏したDear Prudence 収録で感動。 

Beatlesを演奏するIl Balletto di Bronzo
P1890543.JPG

Balletto di Bronzo / “Dear Prudence" live (Stazione Birra, 5/10/2022))
https://www.youtube.com/watch?v=-fjJ0JAFGOg

Beatles / Dear Prudence 1968
https://www.youtube.com/watch?v=I4xw_Dx0pIg

・2023年 Il Balletto di Bronzo / Lemures 新作。Gianni LeoneのIl Balletto di Bronzoとしては51年ぶり。Gianni Leoneの実験的精神が衰えていないことに驚嘆。聴いたことのないようなSynthesizerの音色やフレーズが随所に聴かれる意欲作。

Il Balletto di Bronzo / Lemures - Labyrinthus
https://www.youtube.com/watch?v=qQua2ZzVEnE
まさにYSの50年後の続編ともいえる力作。

 Il Balletto di Bronzoの50年以上の歴史を振り返って、Marco CecioniとGianni Leoneは互いに支えあいながら創造力を高めてきたのだと思いました。これからのさらなる活躍に期待したいと思います。


P1890601.JPG

P1640800.JPG




2024年01月23日

RIP 追悼 Artulo Vitale・Arti e Mestieri 美しいMelodieを持つJazz Rock 〜 1974年 In cammino 〜 1975年 Valzer per domani 明日へのワルツ 〜 Hank Mobley / Roll Callの思い出

P1890427.JPG
帯ObiにPFM、Banco、Tai Phong、Areaの広告が見られる日本盤Tilt 1976

Italian Jazz Progressive Rock, Arti e Mestieri's saxophonist Artulo Vitale passed away in January. Arti e Mestieri / Tilt is the 8th Italian Progressive Rock LP released in Japan in 1976, after PFM / Photos Of Ghosts、The World Became The World、Cook Live、Formula3 / La Grande Casa、I Pooh / Alessandra、Banco、Area / Arbeit Macht Frei. In Japan, along with "Il Volo", they were praised as a band that reflected the world's "Crossover Music'' scene at the time. Italian music magazine "Rolling Stone Italia" named "Arti e Mestieri / Tilt" the number one Italian jazz rock album.

1975年のArti e Mestieri, Artulo Vitale
P1890375.JPG


今日の1曲
Arti e Mestieri / Valzer per domani 明日へのワルツ 1975
Arti e Mestieri / Gravità 9.81 1974
Arti e Mestieri / Strips 1974
Arti e Mestieri / Corrosione 1974
Arti e Mestieri / Positivo / Negativo 1974
Arti e Mestieri / In cammino 1974
Chet Baker / Autumn Leaves 1974
Hank Mobley / Roll Call 1960


 Amon Düül IIのChris Karrerさんに続いてArti e MestieriのArtulo Vitaleさんが亡くなりました。ショックですが、もう一度Artulo Vitaleさんの素晴らしい音楽を振り返ってみたいと思います。

 Arti e Mestieri / Tiltは、イタリアの音楽誌Rolling Stone Italiaで、イタリアのJazz Rockのアルバムトップ10で1位に選ばれています。

P1890424.JPG

 1970年代のジャズフュージョン、クロスオーバーは、ともすると冗長なアドリブソロに流れがちで、レコードのどこを聴いても同じような気がしました。しかし、Arti e MestieriのTilt、特にA面は、5曲すべての楽曲に美しいメロディーがあり、その美しい緊張感が途切れなく続く作品でした。それは、前回のブログのAmon Düül II / Wolf CityのA面にも通じる夢と希望がありました。

 そこで、感動的なArti e Mestieri / TiltのA面をもう一度聞いてみたいと思います。

Arti e Mestieri / Tilt全曲
https://www.youtube.com/watch?v=DC-9TgyDdc4
A面の5曲は19:10まで。

Arti e Mestieri / Tilt A面5曲

Gravità 9.81
https://www.youtube.com/watch?v=TIS7ehq8JwQ&list=OLAK5uy_lwG_4vz-Iwnx9Y6yBPvzOF97kayrr3jbw

Strips
https://www.youtube.com/watch?v=tySnNN7da6A&list=OLAK5uy_lwG_4vz-Iwnx9Y6yBPvzOF97kayrr3jbw&index=2

Corrosione
https://www.youtube.com/watch?v=CobsF5XRNTY&list=OLAK5uy_lwG_4vz-Iwnx9Y6yBPvzOF97kayrr3jbw&index=3

Positivo / Negativo
https://www.youtube.com/watch?v=c08w__ar6-g&list=OLAK5uy_lwG_4vz-Iwnx9Y6yBPvzOF97kayrr3jbw&index=4

In cammino
https://www.youtube.com/watch?v=_axQIoeIpjM&list=OLAK5uy_lwG_4vz-Iwnx9Y6yBPvzOF97kayrr3jbw&index=5
Artulo VitaleがArti e Mestieriのために最初に書いた曲

2015年にArtulo Vitaleが再録音したIn cammino
P1890435.JPG

Arti e MestieriのPFMとのツアー告知
P1890386.JPG

 Arti e MestieriのBeppe Crovellaさんの弔文によれば、近年再会したArtulo Vitaleさんとの電話は、ほとんどがかつてのArti e Mestieriに関することだったそうです。そして、苦しい闘病の中で最後までチャットでArti e Mestieriの50周年になる新作への意欲を伝えられていたとのことでした。

P1890409.JPG

 Beppe Crovellaさんは、「あなたの音楽の1音1音に、あなたを私たちに連れ戻してくれる思い出、感情、『un valzer per domani 明日へのワルツ』が存在します」と弔文を結んでいます。

Artulo Vitaleさんが所有していたSingle盤 Valzer per domani 明日へのワルツ
P1890414.JPG

 Artulo Vitaleさんは、Gigi Venegoniさん、Beppe Crovellaさんとの共作のシングル盤Valzer per domani 明日へのワルツと、トランペット奏者Chet Bakerとの共演を亡くなる1週間前のSNSでも投稿されていました。

Arti e Mestieri / Valzer per domani 明日へのワルツ
https://www.youtube.com/watch?v=iIGtJeYqO9Q
Arti+Mestieri / Giro Di Valzer Per DomaniのA面1曲目

Artulo VitaleとChet Baker
P1890378.JPG

 Artulo Vitaleさんは2005年と2015年の2回、Arti e Mestieriとして来日しています。残念ながら私が見たのは2011年のArtulo Vitaleさんがいないときの来日でした。

ARTI & MESTIERI - FIRST LIVE IN JAPAN (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=vu6gPyquiyc

 Artulo Vitaleさんには1度だけメールでHank Mobley / Roll Callを聴いて頂いてたいへん喜んで頂きました。
 In cammino、Valzer per domaniの美しいSaxphoneのメロディーは今も私の心の中に鳴り響いています。
 素晴らしい音楽をありがとうございました。Artulo Vitaleさんのご冥福をお祈りいたします。 RIP

Chet Baker / Autumn Leaves 1974
https://www.youtube.com/watch?v=sgn7VfXH2GY

Hank Mobley / Roll Call (Rudy Van Gelder Edition) 1960
https://www.youtube.com/watch?v=9i8yYv83i3Q

P1890418.JPG

P1890408.JPG

P1640802.JPG

2024年01月17日

RIP 追悼 Chris Karrer クリス・カーレル・Amon Düül II アモン・デュールU 〜 1972年 メンバーが認める最高傑作 Wolf City 「狼の町」・ 反復とドローン中心の難解な音楽だったGerman Rockを、Classicの伝統美に回帰したメロディー主体の音楽に戻すことによって世界的な成功に導いた作品

P1690393.JPG
1975年10月に買ったAmon Düül IIの初めてのLP Wolf City。Beatles / Revolverのように捨て曲のない完璧なLPで、Yes、ELP等と同格に感じた。

Amon Düül II leader Chris Karrer passed away on January 2, 2024.
In May 1972, Amon Düül II appeared as the top international guest at the 100,000-person Villa Pamphili Festival, "Italy's Woodstock''. Amon Düül II, who primarily focused on improvisational music, was influenced by Italian Prog based on classical music traditions and recorded the Symphonic Prog masterpiece "Wolf City" in July. Amon Düül II, the biggest pioneer of German Rocker’s "Wolf City" transformed German Rock from repetitive/drone music lacking melody into a more melody-driven music that sparked worldwide hits and success since 1973 by Tangerine Dream, Kraftwerk, Can, Ash Ra Tempel, Popol Vuh, Wallenstein, Neu! and more. The members of Amon Düül II themselves consider "Wolf City" their best work.

今日の1曲
Amon Düül II / Surrounded by the Stars
Amon Düül II / Green Bubble Raincoated Man
Amon Düül II / Jail-House Frog
Amon Düül II / Wolf City
Amon Düül II / Wie der Wind am Ende einer Straße
Amon Düül II / Deutsch Nepal
Amon Düül II / Sleepwalker's Timeless Bridge
       (以上、Amon Düül II / Wolf Cityより)

Amon Düül II / Phallus Dei 1969
Amon Düül II / Yeti 1970
Amon Düül II / Between The Eyes : Beat Club Live 1970
Amon Düül II / Tanz Der Lemminge 1971
Amon Düül II / Carnival In Babylon 1972
Amon Düül II / Wolf City 1972
Amon Düül II / Live in London 1973
Amon Düül II / Vive La Trance 1973
Amon Düül II / Kanaan Live 1969

Wallenstein / Audiences 1972
Il Paese di Balocchi / Canzone della carità 1972
Popol Vuh / AguirreT 1972


1972年6月UKツアーでのAmon Düül II。5月に「ItalyのWoodstock」10万人のVilla Pamphili Festivalに海外のトップゲストとして出演してItalian Symphonic Progressive Rockの影響を受け、7月からWolf Cityの録音に入る。
(左から3人目がChris Karrer)
P1890009.JPG

 Amon Düül, Amon Düül IIの創始者Chris Karrerさんが1月2日にコロナのために亡くなりました。Tangerine DreamのEdgar Froese、Klaus Schulze、Can、Kraftwerkなどと並ぶ1960年代からのGerman RockのPioneerの歴史を振り返ってみたいと思います。

Amon Düül II アモン・デュールU 日本語Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%ABII

Amon Düül II English Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Amon_D%C3%BC%C3%BCl_II

Amon Düül German Wikipedia
https://de.wikipedia.org/wiki/Amon_D%C3%BC%C3%BCl

Chris Karrer English Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Chris_Karrer

左上から右下の順に発売されたAmon Düül IIの国内盤LP。
Wolf CityはPhallus Deiの次に発売。All LPs in Japan from 1971 to 1974
P1890004.JPG


〜 Chris Carrer・Amon Düül IIとの出会い 〜

 きっかけは、1975年6月31日に買ったTangerine DreamのPhaedraの間章Akira AidaのGerman Rockを体系的にまとめたライナーノートでした。

 その影響で、まず7月31日に渋谷西武のB1にあったCiscoの前身Be-inで、Akira AidaがElectric系として紹介した2つのバンド、Kraftwerk / Ralf &Florian、Neu!75を購入しました。

 そして10月に再びBe-inで、Akira Aidaのライナーの中で、Canと並ぶGerman Rockの創始者であり、Magmaなどと通じるロック共同体として重要と紹介されたAmon Düül IIのWolf City「狼の町」を購入しました。

Amon Düül II / Wolf City「狼の町」を買ったBe-in(Ciscoの前身)が地下1階にあった渋谷西武B館(右側の建物)
P1890036.JPG

 また、同じ10月にPFMの「幻の映像」Photos of Ghostsも購入。1975年3月のFocus / Hamburger Concertoから始まったEuropean Rockのオランダ、ドイツ、イタリアの核となるLPをこの時点で聴くことができました。

 結論としてWolf Cityは、全曲捨て曲のないLPとしてPhotos of Ghosts、Hamburger Concertoと並ぶ傑作であり、強烈な印象を残しました。
 それは、それまでに聴いていたKing Crimson / 1st、Yes / Close to Edge、ELP / Trilogy、Beatles / Revolver、Led Zeppelin /W(A面に比べてB面はクオリティーが下がる)等に匹敵するものでした。

 後に、Renate KnaupもWolf CityはAmon Düül IIのメンバー全員が認める最高傑作であり、それ以降のレコーディングはWolf Cityを超えることを目標としたと述べており、後に1996年に設立したAmon Düül IIレーベルでもWolf Cityのジャケットの絵がロゴマークにされています。

 世界的に見て、Amon Düül IIの評価はYetiがトップとされ、「Rolling Stone誌による Prog50」でも41位にランクされています。German RockでランクインしているのはCan / Future Days、Tangerine Dream / Phaedra、Triumvirat / Illusions on a Double DimpleとAmon Düül II / Yetiの4枚だけです。
http://prognote.net/progre/magazine/rolling-stone-50-greatest-prog.html

 1972年6月に続いて12月、さらに1973年にもLondonでライブを行っていたことからも、Amon Düül IIがイギリスで評価が高かったことがわかります。

1972年12月10日のLondonでのライブの告知
P1890040.JPG

1973年のUKツアーとWolf City、Live in London(1972年12月16日録音)の告知
P1890016.JPG

 Renate Knaupの意見にも従い、Amon Düül IIの頂点がWolf Cityにあることを前提として、Amon Düül IIを振り返ってみたいと思います。

 私は、Wolf CityはGerman Rockの最重要作の10枚の1枚には確実に入る作品と思います。まだ、German Rockを聴いていない人が最初に聴くGerman RockのAlbumとして推奨できます。

 2023年にKlaus Schulzeの追悼でGerman Rockの歴史を振り返りましたが、その際に気づいたことは、Wolf Cityが1972年にGerman Rockで初めてClassicをRockに導入したことです。それは、その前にItalian Progressive RockのWoodstockとされ、10万人を集めたVilla Pamphili FestivalにAmon Düül IIが外国からのトップとして招聘されたことがきっかけと思われます。

 Amon Düül IIは、イタリア音楽史のハイライトとされる1972年のイタリアの波を体験した数少ないドイツ人だったと言えます。

Amon Düül IIは、1972年5月のFestival pop di Villa Pamphiliのポスターの最上段に掲載された
P1690049.JPG


 1960年代から活動したAmon Düül II、Can、Kraftwerk、Tangerine Dream、Guru Guruは,アメリカ、イギリスのロックを模倣しないことから音楽をスタートしました。それと同時に彼らはそのルーツであるドイツのClassic音楽をも拒絶していました。その結果として生まれたGerman Rockの特徴は、反復、ドローン、メロディーを排した現代音楽、Free Jazzに似た攻撃性でした。

 German Rockの先鋒にあったAmon Düül IIは、政治的なAmon Düülよりも音楽的な集団を目指して独立したバンドでしたが、さらにWolf Cityにおいては、Classicの整合的な美を求めるAmon Düül Vとも呼ぶべきバンドに昇華していたと思います。

 厳密には,ドイツではWolf Cityの前に1972年初頭リリースのWallenstein / Blitzkriegが、Classicの影響を顕しMellotronも使用した最初のSymphonic Progressive Rockといえます。Wolf CityにPiano、Mellotron類似のChoir Organが導入されたのもBlitzkriegの影響とも考えられます。しかし、他のGerman Rockへの影響力という点では、1960年代から活動したAmon Düül IIのWolf Cityでの転向が大きかったと言えます。

Wallenstein / Audiences 1972
https://www.youtube.com/watch?v=jTHoKm0jD9o
Amon Düül II / Wolf Cityより先にドイツ初のPianoとMellotronを使用したSymphonic Prog。1971年にDieter Dierks所有の中古のMellotronで録音された。特に6:23以降は、Popol VuhのFlorian Frickeに対して、Moogとドローンの「In Den Gärten Pharaos」からHosianna Mantra(Piano)、Aguirre(Mellotron類似のChoir Organ)に転向する影響を与えたと思われる。その証左として、Florian FrickeがWallensteinのHarald GrosskopfをPopol Vuhのドラマーに誘って断られた経緯がある。

 Wolf City「狼の町」のライナーでは、Amon Düül IIがAmon Düülから分離した経緯についても書かれていました。
 バンド名で「U」がつくこと、そして今は「U」の方がメジャーになっているというのは新鮮な驚きでした。イタリアで、I Trollsが分裂してNew Trollsができたという話以上にインパクトがありました。当ブログのLe Orme UというのもAmon Düül IIの真似です。

 また、Wolf City「狼の町」のライナーでは、Chris Karrerの重要性が詳しく書かれていました。
 まず、ライナーの筆者は1970年5月に、ドイツでAmon Düül IIを見た友人から手紙を受け取りました。それによると、Chris Karrerが非常に美しいMelodieを奏でるのとは反対に、Amon Düül IIの他のメンバーが一つの音の塊を作ろうとしていたとのことでした。
 さらに、当時のMelody Makerなどの音楽雑誌でもChris Karrerのことが詳しく書かれており、Amon Düül IIのPhallus DeiとYeti、その後HawkwindのBassistとなったDave AndersonはChris Karrerの創造性について「彼は常にグループのまとまりを考えている。」と述べ、「Chris Karrerの才能は現代の視覚における芸術」とも述べています。

 そこでもう一度、Amon Düül II / Wolf City「狼の町」の全曲を聴きなおしながら、Chris Karrerの足跡を振り返ってみたいと思います。

1990年代のAmon Düül 2レーベルでは、メンバーが最高作とするWolf Cityのデザインが採用された。
P1690322.JPG


= Amon Düül II / Wolf City「アモン・デュールU / 狼の町」全曲を聴く =

旧LP SideA

A₋1 Surrounded by the Stars「きらめく流星群の徘徊」
https://www.youtube.com/watch?v=scWD73Og0kQ&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8
冒頭からItalian Progの影響と思われる美しいPiano、Chris KarrerのギターとRenate Knaupのメロディーの輪郭がAmon Düül IIの音楽史で初めて示される。1:37からPopol Vuh / AguirreでFlorian Frickeが使用した同じものと思われるMellotronのChoirに似たChior Organ と、Chris KarrerのClassicの素養を示すViolinがSymphonic Progを決定づける。5:26はViolinのProgとしては世界最高峰で、Curved Air、PFM、Quella Vecchia Locandaをも超えると思う。この曲は、PFMを世界的にしたPer Un Amico(Photos of Ghosts)の1曲目River of Lifeにも通じる完璧な構成を持っている。

A₋2 Green Bubble Raincoated Man「奇妙なコートの男」
https://www.youtube.com/watch?v=MOHXuvMj8r0&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8&index=2
続いて、Mellotron Stringsに似たChior OrganをバックにしたAメロから美しいRenate Knaupの歌が始まる。展開部分も美しく、歌ものとして1曲で3曲分ぐらいのクオリティーがある。最後のGerman Rockでは初と思われるMini Moogも斬新で美しい。Amon Düül IIはこの時点で、Can、Tangerine Dreamと並んで「音楽で食べていける(ダモ鈴木談 1973年)」数少ないGerman Rock BandだったためMini Moogも購入できたと思われる 。この曲も当時のEuropean Rock、UK Progの良曲と同格といえる。

A₋3 Jail-House Frog 「ジェイル・ハウス・フロッグ」
https://www.youtube.com/watch?v=g-6PuzqoNYQ&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8&index=3
風の効果音から前曲から途切れることがなく、これもRock Classicの名曲にも劣らない印象的なギターリフ、突然のピアノ、Mellotron Strings
類似の神秘的なChior Organ、最後に再び印象的なSaxのメロディー。全くスキのない4分間。Mellotron類似のChoir OrganはAtem以降のTangerine DreamやKraftwerk / Radio Activityにも影響を与えたと思われる。2015年のライブでも「Green Bubble」「Jail-House Frog」「Deutsch Nepal」が続けて演奏されている。

 ここまでA面全てがMelodieの洪水で、それまでMelodieを拒絶するドローンや反復を繰り返してきたChris KarrerやAmon Düül IIが、貯めてきた美しいMelodieを全て放出したようにも感じられます。Villa Pamphiliで出会ったItalian Progに対して「我々ドイツ人にはこれだけClassicの伝統と素養がある」ということを対抗的に示したようにも思えます。

B₋1 Wolf City「狼の町」
https://www.youtube.com/watch?v=h2iQCEL7-ak&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8&index=4
Amon Düül IIの2枚組の2nd Album「Yeti」で1時間以上に渡って試みたGerman Heavy Rockを、Melodieの輪郭をつけて3分でまとめたような傑作タイトル曲。フェイドアウトのギターまで全くスキがない。

B₋2 Wie der Wind am Ende einer Straße「袋小路を通りぬける風のように」
https://www.youtube.com/watch?v=sYX2OQtmZbU&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8&index=5
2枚組の3rd Album「Tanz Der Lemminge(イタリアではJourney Into A Dream = Viaggio In Un Sognoのタイトル)」で試みたCosmic SoundのSynthesizerから開始。続いて、Green Bubble Raincoated Manで顕れたギターリフと共に1st Album「Phallus Dei」の中近東サウンドが美しいMelodieを伴って展開される。最後に再び、Tanz Der LemmingeのCosmic Soundに戻る。2015年のGuru Guruの来日公演では、この曲の中近東的な部分をMani NeumeierはPopol Vuh / Aguirre、ClusterUとともにSEとして使用していた。

B₋3 Deutsch Nepal 「ドイツ・ネパール」
https://www.youtube.com/watch?v=isyIixbKbmI&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8&index=6
これもYetiのGerman Heavy Rockを、Mellotron類似のChoir OrganのStringsの和声に乗せて3分に凝縮させている。このトーキングボーカルは、同年12月録音のWalter WegmüllerのTarotに影響を与えたと思われる。

B₋4 Sleepwalker's Timeless Bridge 「夢遊病者の限りない橋」
https://www.youtube.com/watch?v=dJLld5bj3AI&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8&index=7
これも冒頭から印象的なリフ。ひたすらUK・USAのRockを否定してきたAmon Düül IIだが、実はBeatlesの影響を受けていたとも思えるAbbey RoadのOctopus Gardenのようなギターの音色が聴かれる。0:45から中近東的になるが、1:24からのSymphonicな展開はItalian Progファンにはたまらないものがある。2:00あたりのChris KarrerのSaxはOsannaを彷彿とさせる。2:49からは全く別曲と言える。最後を締めくくるChior Organは、世界中のMellotronファンに隠れた傑作として知られている。

 改めて、Wolf Cityを聴きなおして、A面、B面通して、全くスキのない傑作だったと再認識しました。


(追記)  Wolf Cityの再発でChris Karrer作曲のアウトテイクを発見。録音時期等は不明ですが、広がりのある新鮮なサウンドなので追記しておきたいと思います。

Amon Düül II / Kindermörderlied
https://www.youtube.com/watch?v=25FSF9CszDE

2015年のライブでも全15曲中、Wolf Cityの7曲から5曲も選曲された。最後から2曲目に配置されたSurrounded by the StarsがAmon Düül II自身の認める代表曲とみて間違いない。Archangels Thunderbirdは2ndアルバムYetiからシングルカットされた曲。Kanaanは1stアルバムPhallus Deiの1曲目。
P1890014.JPG


ライブレポート AMON DÜÜL II @ MILLA, MÜNCHEN, 2015-06-10
https://gerhardemmerkunst.wordpress.com/2015/06/13/amon-duul-ii-milla-munchen-2015-06-10/?fbclid=IwAR0BpItz-YS7OYDso4UBjDdX-GXHR8wy_wktAeV8EYqJ0CxjXEyxLCapFwU
Wolf City時メンバーのDanny Fichelscher, John Weinzierl, Chris Karrer, Renate Knaupが参加

Amon Düül II / Live in MÜNCHEN 2010
https://www.youtube.com/watch?v=y4M5EjZ3gak
Chris KarrerのViolinの映像。

 1996年の東京での唯一の来日公演でも、Surrounded by the Starsが最後から3曲目に演奏されています。


 以下は、2023年のKlaus Schulzeの追悼のブログからの抜粋です。
 Klaus Schulzeを軸とするGerman Rockの歴史を書いたのですが、そこからAmon Düül IIに関する記述を抜粋し、さらにAmon Düül IIの情報を補足して掲載したいと思います。

 特にWolf CityのGerman Rockにおける意義については長文になったので、そのまま再掲載します。

(  以下、ブログ「追悼RIP Klaus Schulze 2023年」からの抜粋   )


追悼RIP Klaus Schulze A 〜1969年
  Tangerine Dream / Journey through a burning brainまで 〜 ライバル Edgar Froeseとの出会い
http://soleluna.seesaa.net/article/487974365.html


=  1968年 =

・9月25日〜29日 Rolf Ulrich Kaiser、ドイツ初の大規模ロックフェスInternationale Essener Songtageを主宰。
 ドイツからはTangerine Dream, Guru Guru, Amon Düülが出演。

映画「Krautrock 2」より - International Essener Songtage 1968
https://www.youtube.com/watch?v=mONF8XDk98o

P1670770.JPG
ポスター 9月26日にTangerine Dream, Guru Guru Groove, Amon Düülが出演


=  1969年 =

・Amon Düül II – Phallus Dei リリース

Amon Düül II / Kanaan
https://www.youtube.com/watch?v=-vdZB86tKUw&t=1s


追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze B 〜 1971年まで 
Tangerine Dream / Alpha CentauriとAsh Ra Tempel / Amboss 〜「音楽の力」Pink Floyd、Led Zeppelinを超えたOhrの12番と13番
http://soleluna.seesaa.net/article/488640389.html

 = 1970年 =

・2月6日〜8日 Berlinで、Tangerine Dream(Edgar Froese、Klaus Schulze)、Amon Düül IIによる公開セッションが行われる。

   クラウス・シュルツのコンサート歴
    (Tangerine Dream、Ash Ra Tempel、ソロ活動含む)
   Klaus Schulze - Concerts (klaus-schulze.com)
   https://klaus-schulze.com/concerts/welcome.htm

・4月 Amon Düül IIが2枚組Yetiをリリース。2015年のRolling Stone誌で「Greatest progressive rock album of all time」の41位に選出される。

L : Archangels Thunderbird single 1971 1st record of Amon Düül II in Japan
R : LP Yeti Red vinyl 1971 1st LP in Japan
P1890008.JPG

・4月 日本人Damo Suzuki (反戦ミュージカルHairドイツ版に出演していた)がMünchenでCanに加入。

・4月10日 Paul McCartney の脱退宣言により、Beatlesが事実上解散。

・4月12日のライブを最後にKlaus SchulzeがTangerine Dreamを脱退。
 → Tangerine Dreamは一旦解散状態になり、Edgar Froeseは単独で活動。

・10月24日 Rock史上のドイツの傑作テレビ番組Beat ClubでAmon Düül IIが演奏。
  英米のバンドが中心の番組であり、German Rock では初出演と思われる。

Amon Düül II - Between The Eyes (1970) Beat Club
https://www.youtube.com/watch?v=ZkSAsYjL54s

 = 1971年 =

・Tangerine Dream / Alpha Centauri リリース
・Amon Düül II / Tanz Der Lemminge リリース
・Ash Ra Tempel / Ash Ra Tempel リリース
・Can / Tago Mago リリース


追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze C 〜 1972年の重圧
Ash Ra Tempel / Flowers Must Die・Klaus Schulze / Irrlicht・Tangerine Dream / Zeit・OMM 2/56027 Kosmische Musik 〜   そしてPopol Vuh / Hosianna Mantra・Aguirreの奇跡
http://soleluna.seesaa.net/article/488899441.html

 = 1972年 =

・Amon Düül II / Carnival In Babylon リリース(1972年初頭)
 このアルバムは6つの短曲構成になったが、Damo Suzukiは「いただけなかった(1973年談)」と評価。
 → 次作Wolf Cityを同じ7曲の短曲構成ながらClassic音楽の伝統に基づく最高傑作に昇華させたのが、5月のItalyのVilla Pamphili FestivalでのSymphonicなItalian Prog体験にあると考えられる。

・Tangerine Dream / Zeit 1月録音 Melodieを完全に消去したドローン
・Wallenstein / Blitzkrieg 1971年録音・1972年初頭リリース 
       ドイツ初のPiano、Mellotronを前面に出したSymphonic Prog
・Guru Guru / Känguru リリース 一般に最高作と評価されている
・Amon Düül II / Wolf City 7月録音 Melodieを重視したドイツClassic音楽への回帰
・Wallenstein / Mother Universe リリース German Rockとして初めて海外で高評価(フランス8月の月間ベストアルバム)を受けた作品

以下、Amon Düül II / Wolf Cityからの影響でドローン・即興からMelodie重視に回帰したと思われるGerman Rockの作品

・Popol Vuh / Hosianna Mantra、・Popol Vuh / Aguirre(1972年12月映画公開)・Walter Wegmüller(Klaus Schulze) / Tarot、・Ash Ra Tempel / Join Inn、・Tangerine Dream / Atem (以上1972年12月録音) 、・Kraftwerk / Ralf&Florian、・Can / Future Days、・Neu! / Für Immer ( Forever )、・Faust / Tapes  (以上1973年リリース)
 

〜 追悼RIP クラウス・シュルツKlaus Schulze D 1972年12月 
〜  「音楽の夢」 ドイツロックの集大成Walter Wegmüller / Tarotの時代 〜 シンセサイザースターSynthesizer Star クラウス・シュルツの誕生 
〜 Amon Düül II / Wolf Cityのクラシック革命とItalian Progとの架橋 
http://soleluna.seesaa.net/article/489803257.html

(以下、Amon Düül II / Wolf Cityに関する部分を抜粋)


@ Italian ProgからのAmon Düül U / Wolf Cityへの影響とクラシック革命 
   = 47年目の発見 = 

・Amon Düül IIのローマVilla Pamphilliフェス出演によるItalian Prog との架橋
・ドイツClassic音楽への回帰
・Tangerine Dream / Zeitの対極にあるメロディーと美的感覚

 Klaus Schulzeは、1969年〜1970年のTangerine Dream時代に何度も共演したAmon Düül Uの動向を常に注目していたと思われます。そこで、Klaus Schulze、Tarotのみならずドイツロック全体に重大な影響を及ぼした1972年リリースのAmon Düül II / Wolf Cityが起こしたクラシックロック革命について、特に考察してみたいと思います。

 1972年5月、Berlinからはメロディーを放棄し重圧を極めたTangerine Dream / Zeit、Klaus Schulze / Irrlichtがリリース。その直後の7月にMünchenではAmon Düül IIが、全く対照的なメロディーを重視したSymphonic Rock 、Wolf Cityを録音しています。

 Wolf Cityは全曲が素晴らしく、Renate Knaupなどメンバー自身が最高作とするもので、1990年代にAmon Düül IIレーベルを設立した時にもWolf Cityのデザインが使用されました。

 1969年にCanとともにドイツロックの先陣を切ったAmon Düül IIは、1970年はTangerine Dreamと同様のPsychedelic Hard Rockでしたが、1971年のTanz der LemmingeでTangerine Dream / Alpha Centauriからの影響と思われるSpace Cosmic Rockに移行、続く1972年のCarnival in Babylonでは小曲主義になりました。

 その後、Amon Düül IIは、1972年5月25日〜27日にイタリアのWoodstockと呼ばれた10万人を超える最大の音楽フェスFestival pop di Villa Pamphiliに招聘され、海外ゲストとしてVDGGと共にポスターの最上段に掲載されました。

P1690122.JPG

 なおVilla Pamphiliのポスターには「Amon Düül」と掲載されていますが、Amon DüülTは1971年に解散しており、出演したのはAmon Düül IIといえます。
 その時点で、Amon Düül IIはイタリアでは唯一3rdアルバムで2枚組の Tanz Der Lemmingeだけが、1971年に「Journey Into A Dream = Viaggio In Un Sogno」というCosmicな音楽内容を的確に言い当てた全く別のタイトルでリリースされていました。

 Villa Pamphiliには、イタリアからは約50組、Banco del Mutuo Soccorso, Osanna, New Trolls、Quella Vecchia Locanda, The Trip, Latte e Miele、Il Paese dei Ballochi、Ritoratto di Dorian Grey(Cherry Five)などが多数出演しました。

 Amon Düül IIは、3日にわたってVilla PamphiliというItalian Progの洪水を体験した極めて少ない外国人であり、出演者・関係者と話をしたり、PFMやNew Trolls / Concerto Grossoなどのレコードも購入あるいは贈与されて入手したと思われます。

Amon Düül IIが、Villa Pamphiliでライブを体験したり、メンバーと会ったり、レコードを入手した可能性があるItalian Progの傑作群。
P1690370.JPG

Banco Del Mutuo Soccorso / La Conquista Della Posizione Eretta 1972
https://www.youtube.com/watch?v=NdwK3gPbrlw&list=PL2Mt3dp76i0PCcCbT879pin0VfNyJK8f6
2ndアルバムDarwin!より。曲の展開や、SynthesizerのサウンドにAmon Düül II / Wolf Cityに近いものを感じる。

New Trolls / Concerto Grosso & St.Peter's Day
https://www.youtube.com/watch?v=hnZubCu3xqM
Villa Pamphiliと同時期の1972年のオーケストラ入りのLive。

OSANNA / L' Uomo (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=cAWQVkLyv3A
カラー映像。Amon Düül IIもVilla Pamphiliでメンバーの衣装を見たと思われる。Wolf Cityの多くの曲の構造にNew TrollsやOsannaからの影響を感じる。Amon Düül IIがイタリアで当時ヒットしていたPFM、New Trolls、Osanna、Le Ormeなどのレコードを買った可能性は高い。

Latte e Miele / Getzemani Album "Passio Secundum Mattheum"1972
https://www.youtube.com/watch?v=hoi70neCugU
カラー映像。Bachのマタイ受難曲からの影響。

Quella Vecchia Locanda / Sogno, Risveglio E... 1972
https://www.youtube.com/watch?v=wH7BZxbdp7A&list=PL769CFC1BC0530D66&index=7
クラシカルなPianoとViolin。Amon Düül IIもWolf CityのSurrounded by the StarsでクラシカルなPianoとViolinを初めて演奏した。

Il Paese di Balocchi / Canzone della carità
https://www.youtube.com/watch?v=7jnIDo9KDqU&list=OLAK5uy_nJOgpykud5vkT3baQHY4R-qZBpMcs3PIk&index=7
Italian Progressive Rockで唯一、Classicストリングスだけの曲。

 Amon Düül IIがVilla PamphiliのItalian Progから得たものは、Vivaldi、Bach、Beethoven等のクラシックの様式美であり、それはリーダーのChris Karrer等が幼少から体得してきたもので、即座に受け入れる素養があったといえます。

 直後の7月からレコーディングに入ったWolf Cityは、Piano、クラシカルなViolin、Mellotron(Choir Organとされる)、明確なギターリフ、メロディーの際立ったVocalなど、それまでのAmon Düül IIとは全く異質です。

 Amon Düül IIは政治的コミューンのAmon Düülから音楽的な表現を追求する集団が「U」として分離したものでしたが、Wolf Cityはさらにクラシックとメロディーの音楽性を極めようとしたAmon Düül 「V」ともいうべき、別次元のアルバムだと思います。

(なお、当ブログの「あしあとU」もAmon Düül IIの影響ですが、Le Ormeの来日を機にUにしただけで特に意味はありません。)

 Wolf Cityは、メロディーとハーモニーの美しさがItalian Progの最高傑作群とも比肩しうるもので、Italiaのバンドの作品として出されても違和感はないと思います。

 特に1曲目のSurrounded by the Starsは、Italian ProgのSymphonic Progの粋を集めたとともに、Cosmic Electric Soundの面においては1971年度の年間ベストアルバムとなった「Cosmic Music」の開祖Tangerine Dream / Alpha Centauriへの回答ともいえる自信作だと思います。


★Amon Düül II / Wolf City 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=7LM75RePolw&t=74s
全曲に渡って印象的なメロディーに貫かれている。それまでのAmon Düül IIとは全く別の音楽。21:09のWie Der Wind am Ende Einer Strasseは、初期Amon Düül IIを聴きやすくした名曲。26:56のDeutsch NepalはTarotのトーキングヴォイスに影響。アルバムのラストを締めるSleepwalker's Timeless Bridgeの最後のMellotronの人気が高い。

★Amon Düül II / Surrounded by the Stars
https://www.youtube.com/watch?v=scWD73Og0kQ&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8
Italian Progの粋を集めた1曲目。冒頭のPianoはBanco、Electric・AcousticギターにOsanna・New Trolls、ViolinはQuella Vecchia Locandaなどからの影響が見られる。Chris KarrerがVilla Pamphilliで、Quella Vecchia Locanda のアメリカ人のViolin、Donald Laxと英語で会話した可能性も想像できる。Wallenstein / Cosmic CenturyのViolinの参加にも影響を与えたとも思われる。強烈なMellotron(Choir Organ)は、この後Popol Vuh / Aguirreで使用された。

A  Amon Düül II / Wolf Cityからのドイツロック(Tarot等)への影響 

 1969年からリリースされたCan、Amon Düül 、Kraftwerk、Tangerine Dream、Guru Guruなどのドイツロックは、英米のロックへのアンチテーゼから始まりました。普遍的な西洋的なメロディーやハーモニーの拒絶、土俗的・攻撃的な反復ビート、中近東音楽、現代音楽への接近・ミュージックコンクレート・過激な電子音・ドローンなどです。

 しかし、その先鋒にあったAmon Düül IIが、1972年にそれまで視野になかったItalian Progの影響で、Wolf Cityでクラシックの様式美をドイツロックに還元し、普遍的なメロディーを許容したことは、重大な革命だったと思います。

 それは、ドイツロック創世期からの盟友でありライバルだったTangerine Dream、Klaus SchulzeなどのBerlin勢、Popol Vuh、Can、Kraftwerkなどにも衝撃を与えたと想像できます。

 以下、Wolf Cityが、Tarotのみならず、ドイツロックへ与えた影響を見ていきたいと思います。


◆a Wolf CityのPopol Vuhへの影響


P1890022.JPG

 Wolf Cityは、まず同じMünchenで交流があったFlorian Frickeに影響を与えたと思います。メロディーの重視、Classical Pianoの使用はHosianna Mantraに影響し、またAguirreのコーラスMellotronの音はWolf Cityの「Choir Organ」 と同じ楽器とされています。そしてFlorian FrickeはAmon Düül II / Wolf CityのメンバーDaniel Fichelscherを1973年からPopol Vuhに迎えました。

Popol Vuh / AguirreT
https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?&q=popol+vuh+aguirre&&mid=B9AD677DA887C3D47AF1B9AD677DA887C3D47AF1&&FORM=VRDGAR
Florian FrickeがWolf CityのSurrounded by the StarsのChoir Organを聴いて影響を受け、同じものを使用したと思われる。Mellotronではないかと言われてきたが、よく聴くとコーラスの響き強くて微妙に音が違う。また、Mellotronは8秒しか音が続かない。

Amon Düül II のMellotronに関する記述
https://www.planetmellotron.com/sama3.htm
「Choir Organ」はMellotronと似た音だが実態は不明だった。Werner HerzogはInterviewで、Florian FrickeがAguirreでChoir Organという特殊な楽器を使用していたと述べているが、その話の内容からするとMellotronではない。

◆b Wolf Cityの「Tarotセッション」(Klaus Schulze、Wallenstein)への影響 

Tarotに封入されたKlaus Schulzeのカード
P1690390.JPG

 Klaus Schulzeは1969年〜1970年のTangerine Dream時代にはAmon Düül IIとともにハードな即興演奏を追求していました。Wolf Cityは、1972年のIrrlichtでメロディーを放棄しようとしたKlaus Schulzeに対して、再びメロディーのある音楽への回帰を促し、その影響の最初の顕れが1972年12月のTarotセッションといえます。

 Tarotでは大半の曲がメロディーを重視しており、即興的な曲でも美しいメロディーが随所に顕れます。特にKlaus SchulzeはJürgen Dollaseとの共同作業・相乗効果によって、Tarot以降、Cosmic Jokersで美しいメロディーのSynthesizerのフレーズを編み出していきます。
 1973年以降も、Klaus Schulzeは、Picture MusicのMental Door、Timewindとメロディー重視に移行し、数々の名盤を制作していきます。

 Jürgen DollaseのWallensteinも、Tarot以降、最高傑作とされる1973年のCosmic Centuryでメロディーの洪水のItalian Progのような状態となります。また、Violinの加入はWolf CityのChris Karrerからの影響と思われます。

 また、TarotにおけるWegmüllerのトーキングヴォイスは、Wolf Cityのタイトル曲、及びDeutsch Nepalからの影響と思われます。

Amon Düül II / Deutsch Nepal
https://www.youtube.com/watch?v=isyIixbKbmI&list=OLAK5uy_l9Y5Hg95UHPT7U3-QrvSY0F9bAhiSd1G8&index=6
Tarotに影響を与えたと思われるトーキングヴォイス 

1972年のWolf City以降、German Rockはそれまで拒絶していたClassicの伝統美を導入することで世界的な成功に至る。Tangerine Dream / Phaedra Can / Future Days Kraftwerk / Autobahn Faust / Tapes Ash Ra Tempel / Inventions For Electric Guitar Klaus Schulze / Timewind
P1890019.JPG
「英米の音楽を拒絶した」と述べていたFaustでさえ、Tapesでは美しいMelodieが聴かれる。


◆c Wolf CityのTangerine Dreamへの影響

 1972年5月リリースのZeitで完全にメロディーを消去したTangerine Dreamは、Wolf Cityの後、Tarotと同じ12月録音のAtemの冒頭で主題のメロディーを明確に打ち出しました。これはBBCのジョン・ピールがAtemを年間最優秀アルバムに選んだことに大きく影響したと思います。以後、Tangerine DreamはPhaedra以降もメロディーを重視し、世界的な評価を獲得します。

Tangerine Dream - Atem (Live-Auftritt im ORF, 1973)
https://www.youtube.com/watch?v=l1qPMPJpRnc
Amon Düül II / Wolf Cityの影響で、MelodieのあるMellotronを使用したことがTangerine Dreamの世界的な評価に繋がった。

◆d Wolf CityのAsh Ra Tempelへの影響

 Manuel Göttschingは1973年のStarring Rosi以降、全曲メロディーを重視し、その後も世界的な評価を受けるNew Age Of Earth、E2-E4といった作品で美しいメロディーを披露します。

Ash Ra Tempel / Starring Rosi 1973
https://www.youtube.com/watch?v=1da0hk623F4&t=1020s
Wolf Cityと同じく全7曲で、すべてが明確なMelodieとリフに基づいている。

◆e Wolf CityのCanへの影響

 Wolf Cityの後、1973年にCanは最高傑作であり、世界的に評価されるFuture Daysを発表します。この作品もそれまでの反復的なビートや即興演奏重視と異なり、タイトル曲やBel Airなどで普遍的なメロディー・ハーモニー、美しいSynthesizerを使用しています。もともとクラシックの音楽教育を受けた人たちで、Wolf Cityの影響によるクラシックへの回帰は自然なことであり、それが世界的な評価に繋がったと思われます。

Can / Future Days
https://www.youtube.com/watch?v=eyklWIMPoAA&list=OLAK5uy_lKRUCRIJphJbhsWfcHMr5joOXIukpXPrg
4曲全てが明確な構造と印象的なMelodie、リフを持つ。Amon Düül IIの「Yeti(2枚目のLPはInprovisation)」から「Wolf City」への変化と、Canの「Tago Mago(2枚組のLPの2面はInprovisation)」から「Future Days」への変化は、German Rock史上においてパラレルに考えられる。

◆f Wolf CityのKraftwerk Neu! Faustへの影響

 Kraftwerkは1st、2ndでは1曲目以外は、Melodieのない電子音の音響ノイズの即興が中心でした。しかしWolf Cityの後、1973年にKraftwerkはRalf & Florianという全曲が美しいメロディーの作品を発表し、1974年には美しいMelodieとリフを持つAutobahnでアメリカで4位になる成功を収めます。後に、Ralf Huetterは、Kraftwerkはクラシック音楽の延長上にあると発言しています。

Kraftwerk / Ralf And Florian 1973
https://www.youtube.com/watch?v=YMdd1B9Q1wg
Wolf Cityに近い6曲構成になり、全てが明確なMelodieを持つ。Wolf City / Surrounded by the Starsのように初めてPianoを使用した。

 Neu!もまた、1stはほとんどがノイズでしたが、1973年のNeu!2のFür Immerにおいて美しいメロディーのつづれ織りを披露し、Neu!75ではメロディーを強化。以降、解散後もメロディーを重視するようになります。

NEU! / Für immer 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=V85AjBFDmbI
Mozartを愛好していたというKlaus Dingerの側面も見られる。これ1曲のためにレコーディングの予算を使い果たしたために、残りは既発の1972年のシングルの回転数を変えてB面を埋めたという名曲。50年近く聴いているが、美しいMelodieとリフが基本にあるため、11分間にわたって飽きがこない。

 「英米の音楽を拒絶する」と宣言していたFaustにおいても、1973年のFaust Tapesにおいては、美しいメロディーが隠されているのが魅力となっています。

Faust Tapes 1973年
https://www.youtube.com/watch?v=8cNoFrYbyW8
1:14、40:36などで、Wolf CityのChris Karrerを思わせる美しいギターのMelodieと歌が聴かれる。3:35のピアノもFaustでは初めて。反復に変化する直前の6:50の美しいSynthesizerが最大の聴きどころ。

 Wolf Cityを1975年10月に初めて聴いて感動してから、47年目になります。
 昔から、Wolf CityはドイツのRevolverとも言うべき、全曲捨て曲がない完全なアルバムの1枚だと思っていました。しかし、なぜAmon Düül IIの中でWolf Cityだけが突出したのか、Renate Knaupがなぜ最高作だと言うのか、その理由が判然としませんでした。Italian Progに似ていると思っていましたが、やはりそのルーツはItalian Progだったと思います。

 「イタリアのWoodstock」Villa Pamphilliフェスを主宰したCiao2001がAmon Düül II、VDGGを外国から招聘した理由は、反体制運動をルーツとする彼らの精神をフェスの支柱とするためだったとも考えられます。当時、Villa Pamphilliフェスはカトリックの保守層からは反対を受けていたことを最近知りました。

 Amon Düül IIやVDGGもVilla Pamphilliの主旨を理解して参加したと思われます。そして、その10万人を超えたVilla Pamphilliフェスのトップとして参加した見返りとして、Amon Düül IIとVDGGは、Italian Progからクラシック音楽の伝統・メロディーの重要性を持ち帰ったといえます。

 イタリアのLe Ormeも1970年のWight島フェスの現地体験からELPスタイルのバンドに変貌し、1971年に初のItalian ProgとされるCollageをリリースしました。Amon Düül IIもVilla Pamphilliの影響でWolf Cityを作ったといえます。それがKrautrockにメロディーという普遍性を与え、1973年以降の世界レベルで名盤とされるドイツロックの傑作群を生み出したと思います。

 同じくVilla Pamphilliに出演したVDGG・Peter Hammillも、それ以降Amon Düül IIと同様にメロディーを重視するようになります。Peter Hammill / The Lie、Gog; Magog (In Bromine Chambers)、VDGG / Pilgrimsなどの傑作群ではメロディーが印象的で、Hammillが英詞をつけたLe OrmeやHammillが賞賛するOsannaなどからの影響も顕れています。

 TarotそしてKlaus Schulzeの音楽的変遷を考える中で、Amon Düül II / Wolf Cityの起こした革命と重要性、その起源がItalian ProgにあったことをWolf Cityを聴いてから47年目にして気づくことができたと思います。


( 以上、ブログ2023年「RIP追悼 Klaus Schulze」からのAmon Düül II / Wolf Cityに関する部分の抜粋 )


Amon Düül II / Wolf City「狼の町」のライナーの東芝音楽工業株式会社「実験的・思考的音楽」の広告。Beatles・Pink Floyd等の宣伝担当だった石坂敬一によるもの
P1210529.JPG
 
 Chris Karrerさんには、以前東芝のAmon Düül II / Wolf CityのライナーのAmon Düül IIの載った広告を見て喜んでいただきました。

 来年でWolf Cityを初めて聴いてから50年になりますが、今でもその感動は続いています。
 素晴らしい音楽をありがとうございました。 RIP

P1630147.JPG

2024年01月08日

2024年新春 Happy New Year 第2弾 〜 音楽の夢・「音楽史のハイライト イタリア 1972年人気投票 Italian Pop Poll 」〜 LP国外部門1位 ELP / Trilogy・LP国内部門1位 Le Orme / Uomo Di Pezzaの時代 〜 注目すべき Italian Progressive RockのBass 〜 現在家具のデザイナーとして活躍するIl Balletto di BronzoのVito Manzari


1972年度人気投票 国内LP部門1位 Le Orme / Uomo Di Pezzaのカセット
P1880652.JPG
P1880632.JPG


今日の1曲
Emerson, Lake, and Palmer / Trilogy LP 1972
      Endless Enigma part1、Fugue、Hoedown
Emerson, Lake, and Palmer
       / Eruption 〜 The Stones of Years 1971
Keith Emerson composing「Endless Enigma] from Trilogy
Le Orme / Uomo Di Pezza LP 1972
バッハ Bach
     / シャコンヌ Chaconne Partita n. 2 in re minore BWV 1004
Le Orme / Sospesi Nell'Incredibile 1973
PFM / Appena un po' 1972
Museo Rosenbach / L'ultimo Uomo 1973
Latte e Miele / Introduzione 1972
Latte Miele 2.0 / Inno 2019
      including The Endless Enigma (ELP cover)
Latte Miele / Opera 21 1976
Led Zeppelin / Stairway to Heaven (5:32) 1971
Deep Purple / Highway Star (2:15) 1972
Pink Floyd / Echoes (18:13) 1971
New Trolls / II Tempo: Adagio (2:10) 1971
Lucio Battisti / I giardini di marzo (1:43) 1972
Mina / La mente torna 1971
PFM / Grazie davvero (5:27) 1972
Formula 3 / Aeternum 1972
PFM / Per Un Amico (4:58) 1972
Osanna / L’uomo (1:21) 1971
I Pooh / La nostra età difficile (3:02) 1972
Banco del Mutuo Soccorso / Metamorfosi (9:36) 1972
The Trip / Analisi 1972
Il Balletto di Bronzo / Terzo Incontro 1972
Vito Manzari / Bass Solo 2014
      Suite per basso dedicated to Jaco intro prima parte
Il Rovescio Della Medaglia / Il Giudizio (2:36) 1971
Mia Martini / Donna Sola 1972

 能登半島の地震のたいへんな状況が日に日に明らかになってきています。
 厳寒の中で救出作業が続いています。私には何もできませんが郵便局に寄付に行こうと思います。

 2024年新春 Happy New Year 第2弾は、「元気の出る1972年人気投票 Italia Pop Poll 」です。イタリアでは、Italian Progressive Rockは当時「Pop Italiano」と呼ばれ、日本における1967年のGSブームのような人気だったことがわかります。

 イタリアは、幼少期からのClassicの素養が世界で一番豊かな国であり、Italian Progressive Rockは、それがBeatles革命やベトナム反戦問題などと化合したために起きた現象と言えます。イタリアの1972年は「音楽史のハイライト」であり、音楽の夢ともいえる時代です。

Progressive Rockの華・Keyboard 人気Best10
国外部門 International Pop Poll
P1880639.JPG
国内部門 Italian Pop Poll
P1880645.JPG


〜 1972年「ELP / Trilogy」のClassicとRockの融合が、Italian Progressive Rockに与えた影響 〜


イタリア1972年度海外LP部門で1位になったELP / Trilogyのカセット
P1880658.JPG
P1880634.JPG

 
 1972年度のイタリアでの人気投票では、前回のブログでも紹介した「ELP / Trilogy」が国外のLP部門で1位、「Le Orme / Uomo Di Pezza」 が国内のLP部門で1位になっています。

 Trilogyは、イタリアで1972年後半にMina、Lucio Battistiと競いながら8週間断続的に1位になっており、イギリスでは2位、アメリカでは5位が最高位なので、イタリアでの評価が1番高かったことがわかります。また、イタリアではELP / Tarkusは2週間1位、Pictures at an Exhibitionは最高位2位、Brain Salad Surgeryは最高位7位にとどまっています。

 そして1位が長期に渡ったTrilogyの特に1曲目のThe Endless EnigmaのClassicの様式美が、Le Orme / Uomo Di Pezza、PFM / Per Un Amico、Latte e Miele / 1st、Museo Rosenbach / Zarathustraなど多数のItalian Progressive Rockの音楽的構造に決定的な影響を与えたと思われます。 

 1972年6月発売のTrilogyの数か月後に発売されたUomo di pezza の1曲目Una Dolcezza Nuovaでは、ELP / Knife Edgeに影響を受けたBachの Chaconne の導入と、ELP / The Endless Enigmaのような長いイントロという2つの試みがされています。
 
 Uomo Di Pezzaの録音は1972年3月22日から4月12日であるため、編曲・ProducerのGian Piero Reverberiは、Una Dolcezza Nuovaの長いイントロについて1971年のELP / Tarkusから影響を受けたと思われます。クラシックの作曲家Dougさんの動画が参考になります。 

Emerson, Lake, and Palmer / The Endless Enigma (Pt. 1) 1972
https://www.youtube.com/watch?v=3O35mcfY7nE
2:30もの長いイントロの構造を持つ。

Keith Emerson composing「Endless Enigma」 from Trilogy
https://www.youtube.com/watch?v=abVhSCzByw8
Keith Emersonが譜面を作成する貴重映像。

ELP / Tarkus : Classical Composer Reacion and Analysis | The Daily Doug (Episode 147)
https://www.youtube.com/watch?v=_FMjCN6jEyY&t=1296s
8:09からEruptionがStart。17:21からThe Stones of YearsVocalに入る。 Una Dolcezza Nuovaの制作にあたり、Gian Piero ReverberiもDougさんのように分析したと思われる。

Le orme / Una Dolcezza Nuova - Uomo di pezza 1972
https://www.youtube.com/watch?v=lneoP0jMm_8&list=PLbIN9DHtOfK-AOkLSgybOfzUsoUmoFMIM&index=1
2:15のイントロを持つ。バッハ Bach / シャコンヌ Chaconneが冒頭から引用され、編曲・ProducerのGian Piero Reverberiと作曲Aldo Tagliapietraによる真剣な推敲がなされたと思われる。

バッハ Bach / シャコンヌ Chaconne Partita n. 2 in re minore BWV 1004
https://www.youtube.com/watch?v=vx4smRlFAnw

PFM / Appena un po' - Per Un Amico 1972
https://www.youtube.com/watch?v=V852GxkYCQY&list=OLAK5uy_nGjLtSDQkUaw0YriIWeS-t6J9pf91B8to
The Endless Enigmaよりもさらに長い2:50のイントロの1曲目。

Latte e Miele / Introduzione 1972
https://www.youtube.com/watch?v=na16-cZlA9M&list=PLn6IUYFGu6PK4rJTWOxac29_myCC8vet1
冒頭の2:19の IntroduzioneもEndless Enigmaの構造に由来していると思われる。

Museo Rosenbach / L'ultimo Uomo 1973
https://www.youtube.com/watch?v=uC9hegZIC2g&list=PLn6IUYFGu6PIcMKtOTDXVOY_SoG082g2O
Vocalまで50秒のイントロ。さらに2:14から2人目のVocalに交替するという構造を持つ。

 2019年の「Latte Miele 2.0 / Paganini Experience」の1曲目 Innoで、ELPへのHomageとしてThe Endless Enigmaが引用されていることからも、TrilogyがItalian Progressive Rockに与えた影響は大きかったと言えます。

Latte Miele 2.0 / Inno (live in Genova Progfest 18/07/2019)
https://www.youtube.com/watch?v=99HPzPGmlTk
1:10からELP / The Endless Enigmaを引用。

 また、クラシックをアレンジしたTrilogyのHoedownは、Latte E Miele / Opera 21 のひな型にもなったと思われます。

ELP / Hoedown (2015 - Remaster)
https://www.youtube.com/watch?v=LWYAIy8WVXk
コープランドの曲をアレンジ。

Latte E Miele / Opera 21 (1976)
https://www.youtube.com/watch?v=V4ym6C-i2uQ
ベートーヴェンの曲をアレンジ。

 さらに、TrilogyのFugueは、1973年にGian Piero ReverberiがLe Orme / Felona e Soronaの冒頭のFugueを生むヒントになったと思われます。

ELP / Fugue
https://www.youtube.com/watch?v=AoY2PBdrrkA

Le Orme / Sospesi Nell'Incredibile
https://www.youtube.com/watch?v=9qfLAI-ey9Y&list=OLAK5uy_ncQQB171G1TCNLVwDJFlvpUBRHnZHpbkU
Felona e Soronaの1曲目。このような思考的な内容のLPが最高位2位までヒットした当時のイタリアの音楽的状況には驚かざるを得ない。


「音楽史のハイライト」イタリア1972年のLPチャート
P1560809.JPG

 
 この時期には、TrilogyのELP以外にも転調部分などClassicからの大きな影響を受けたUK Progの歴史的な最高傑作群が誕生し、1972年の人気投票の各部門に反映されています。

Led Zeppelin / Stairway to Heaven 1971【和訳】
https://www.youtube.com/watch?v=wzTLbMUYtqs
Herbert von Karajanもファンだったという天国への階段。
5:32からが有名な転調部分。

Deep Purple / Highway Star 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=xKwPOy_nEmI
2:15からBachのBass半音下降。

Pink Floyd / Echoes 1971年
https://www.youtube.com/watch?v=53N99Nim6WE
18:13からが転調部分。後にPink Floyd自身が、Echoesを代表曲として認めてタイトルにしたBest盤が発売された。

New Trolls / II Tempo: Adagio (Shadows)  1971年
https://www.youtube.com/watch?v=W21Lq1xdVAI
Bacalovが生み出した2:10は、Beatles、Led Zeppelin、ELP等英米の最高傑作群と同格といえる。

Lucio Battisti / I giardini di marzo 1972
https://www.youtube.com/watch?v=_-QeCCgIyvA
1:43からGian Piero ReverberiのClassicの素養を極めたStringsが広がる最高傑作のひとつ。

P1880581.JPG

Mina / La mente torna 1971
https://www.youtube.com/watch?v=TlPOxql880w
Lucio Battisti曲。1972年にMinaはPFMをTeatro10に招聘している。

PFM / Grazie davvero 1972
https://www.youtube.com/watch?v=bu1J3J7EGno
5:27からが感動の最後のパート。Classicそのものといえる。

Formula 3 / Aeternum - Tema / Caccia / Interludio / Finale 1972
https://www.youtube.com/watch?v=xUWCstR7kh0
ブラジルのリオ音楽祭で大賞を受賞。MozartとMJQの影響を受けたGabriele LorenziのKeyboardが活躍する。

Formula3 / Sognando e Risognando ブラジル盤
P1880680.JPG

 当時、NapoliのBe-inなどItalian Progressive RockのFestivalに多く出演していたMia Martini / Nel mondo, una cosaも国内LP部門の10位に入っています。

Mia Martini / Donna Sola 1972
https://www.youtube.com/watch?v=kGekxsPiqMs&list=OLAK5uy_m9mR97ep6O2HVitkk9Cr80okH7eelcG9g

Mia Martini / Nel mondo, una cosa LP Japan diff.cover
P1880726.JPG


〜 注目すべきItalian Progressive RockのBass 〜


Italia 1972年度 国内Bassist部門 Best10
P1880638.JPG

 
 Italian Progressive RockのKeyboardがKeith Emersonなどと並んで世界でトップクラスであることはよく知られていますが、BassこそClassicの素養が問われる部分であり、Italian Progressive Rockの魅力がそこに凝縮され、人気投票にもそれが反映しています。

1位 Aldo Tagliapietra
Le orme / Una Dolcezza Nuova + Bach Chaconne シャコンヌ
https://www.youtube.com/watch?v=8KRfMbXf5to
1:45のAldoの空間を広げるBassが素晴らしい。

2位 Giorgio Piazza
PFM / Per Un Amico - 03 Per Un Amico
https://www.youtube.com/watch?v=gDWKIgopUSI&list=PLEhKnbYtxwiLsHvi3HDHGcdthdX16qi_Q&index=3
4:58からのGiorgio PiazzaのClassic音楽を総括したBassが素晴らしい。

3位 Lello Brandi
Osanna / L’uomo
https://www.youtube.com/watch?v=pilrnypzWgU
1:21からのVocalに対峙するLello BrandiのBassは、Rock史上最も美しいMelodieの一つと言える。

右下がLello Brandi
P1880720.JPG

4位 Riccardo Fogli
I Pooh / La nostra età difficile
https://www.youtube.com/watch?v=xpOPXxiCdRY&list=PL5AC66036E7783135&index=6
3:02からのRiccardo Fogliの歌い上げるようなBassも音楽史上の傑作といえる。

Riccardo Fogli脱退後のためRed Canzianに写真が替わっている日本盤
P1880675.JPG

5位 Renato D’Angelo
BMS (Banco del Mutuo Soccorso) / Metamorfosi
https://www.youtube.com/watch?v=IDcUm3NRE9s&list=RDIDcUm3NRE9s&start_radio=1
8:30の歌と9:36からが最も有名な箇所。9:54のRenato D’Angeloの地を這うようなBassが素晴らしい。Ash Ra Tempel / AmbossのHartmut Enkeを彷彿とさせる。

P1880646.JPG

6位 Wegg Anderson
The Trip / Analisi - Live Cantagiro 1972
https://www.youtube.com/watch?v=rabLt09aMgM
Bass:Wegg Anderson 2011年のTrip来日時はVocalだけ担当した。

ITALIAN PROGRESSIVE ROCK BAND....Best of....
https://www.youtube.com/watch?v=xapKHZmTN_s
6:30からTrip / AtlantideのLive

8位 Vito Manzari
Il Balletto di Bronzo / Terzo Incontro
https://www.youtube.com/watch?v=hMFXXeSOW5E&list=PLGfb2R92OHuk4oRt4BDawmSDXOcQ7ZE06&index=4
YSは全曲をGianni Leoneの知見とVito ManzariのGroove感に基づくBassラインとリフが統括しているが、特にこの曲ではBassが主役ともいえる。1:15からのVito ManzariとGianchi StingaのDrumsの絡みが素晴らしい。Vito ManzariはJaco Pastoriusのファンでもある。

Il Balletto di Bronzo / YS 全曲
https://www.youtube.com/watch?v=MDQG_kA6ong&t=900s

Vito Manzari / Bass Solo Suite per basso dedicated to Jaco intro prima parte
https://www.youtube.com/watch?v=Z-c34eKWW04
Jacoに捧げる自宅での寛いだ演奏。2014年

Intervista a Vito Manzari
https://www.youtube.com/watch?v=S0EXuHlNarU
Vito Manzariは現在家具・装飾品のデザインをしている。

右がYS録音中のVito Manzari
P1880717.JPG

9位 Stefano Urso
Il Rovescio Della Medaglia / Il Giudizio (youtube.com)
https://www.youtube.com/watch?v=xCuZI9Mi0bI&list=PL72KulmsXfl4ymZzQkRhFtgSCQ2l2i0hN&index=5
ContaminazioneはBacalovが統括しているので、この曲こそRDMの代表曲。2:36からのStefano UrsoのBassのうねりが素晴らしい。リーフレットに「自分=神」と記している。

1番前がStefano Urso
P1880666.JPG

Il Rovescio Della Medaglia のIo Come Ioのメダル。1972年という創造的な時代には、音楽だけでなくジャケットでも普通は考えもつかないアイディアが実行された好例。
P1880672.JPG

「音楽史のハイライト」イタリア1972年の人気投票・全部門
2つ合わせてご覧ください。
P1830972.JPG

P1830973.JPG

2024年元日 初日の出
P1880521.JPG

2024年01月05日

2024年新春 Happy New Year 第1弾 〜 元気の出るELP 〜 Emerson, Lake, and Palmer reactions 〜 + Genesis / Supper’s Ready

P1880583.JPG
Trilogy Japan LP with silver OBI「Memorial of Live in Japan」1972

今日の1曲
Emerson, Lake, and Palmer / Trilogy 1972
Emerson, Lake, and Palmer / The Endless Enigma 1972
Emerson, Lake, and Palmer / Knife Edge 1970
Emerson, Lake, and Palmer / Knife Edge Live 1970
Genesis / Supper’s Ready 1972
バッハBach / フランス組曲 第1曲 Allemande
Triumvirat / Illusions On A Double Dimple 1974
Le Orme /
        Una Dolcezza Nuova、La Porta Chiusa 1972
Wallenstein / Cosmic Century 1973
Le Orme / Collage 1971
Domenico Scarlatti / Sonata in E major, K 380.
        Piano フジコヘミング
Deep Purple / Highway Star 1972
Il Balletto di Bronzo / Meditazione 1970



 遅れてしまいましたが、明けましておめでとうございます。
 本年も下手な文章のブログで恐縮ですが、よろしければお立ち寄りください。

 以前から、曲を聴きながらReaction、感想や分析を行う動画が気になっていました。 Emerson, Lake, and Palmerの大好きな曲へのReactionを見ていて、昔必死で聴いていたころを思い出して元気が出てきました。

 そこで、新年1回目は ELPともう1曲Genesis / Supper’s ReadyのReactionを紹介したいと思います。

 昨年亡くなった頭脳警察のPantaさんが、3年ぐらい前に自分の周囲でELPを再評価しなければという気運があると言われていました。キーボードレスの頭脳警察のPantaさんがELPが好きだったと聞いて嬉しくなりました。Pantaさん、頭脳警察と関係が深かったFlower Travellin' Bandは、日本で唯一 Emerson, Lake, and Palmerと共演したバンドです(Canadaで前座として)。

 今回のReactionは、クラシックの作曲家Dougさんとカップルさんの2組によるものを比較しながら見ていきたいと思います。

昔、友達から借りたLPをオープンリールテープに録音して何度も聴いた。
生涯で最も好きなアルバムの一つ。 
P1880586.JPG


− 1曲目  Emerson, Lake, and Palmer / Trilogy −

 まず、ELPの1972年のTrilogyからタイトル曲のTrilogyです。この曲は、タイトルのとおり、3つのパートに分かれています。まずクラシックの作曲家Dougさん、次にカップルさんです。

★Classical Composer Reacts to Trilogy (Emerson, Lake, & Palmer)
https://www.youtube.com/watch?v=JW_Xei320dk&t=321s
4:41から注目。クラシックの作曲家DougさんはClassic Pianoのところは冷静だが、最高のReactionは5:08。 Part2のRockに切り替わるところで圧倒され、言葉を失う。7:10のPart3への展開でも驚いている。

★EMERSON LAKE & PALMER | FIRST COUPLE REACTION to Trilogy
https://www.youtube.com/watch?v=aNWYfvp9sKs&t=287s
素人のカップルさんは、クラシックの作曲家Dougさんとは逆にPart1のClassic Pianoの3:58から盛り上がり、4:25で「OMG! Chopin!」「(?)Highway Star(?と聞き取れるが、、、バッハのコードを使用した曲なので)」と最高のReaction。そして4:37からのPart2のRock以降ではノリノリで楽しんでいる。

 ELPフォロワーの代表格TriumviratもTrilogyを模倣した素晴らしい作品を残しています。

Triumvirat / Illusions On A Double Dimple 1974
https://www.youtube.com/watch?v=RCoIWItQ0Xs&t=363s
4:19から7:30が聴きどころ。5:40からはTrilogyのPart 2を模倣した世界のELPフォロワーでもLe OrmeやLatte E Mieleと並ぶ最高楽曲の一つと言える。最初の4分をカットすれば、もっと世界に届いたのではないだろうか。

★Triumvirat-"Triangle" exerpt- Illusions on a Double Dimple
https://www.youtube.com/watch?v=iiiWzVkdosU
1番の聴きどころ


− 2 曲目  Emerson, Lake, and Palmer / The Endless Enigma −

 次は、同じくELPの1972年のTrilogyから、1曲目のThe Endless Enigmaです。この曲も3つのパートに分かれ、途中にPianoソロを挟んでいます。

 この曲のReactionについては、クラシックの作曲家Dougさんの40分に近い楽譜を用いた分析に圧倒されます。

★Behind the Score: The Endless Enigma (ELP) | Reaction & Analysis by The Daily Doug
https://www.youtube.com/watch?v=9FJm2Jgousw
楽譜を見ながら詳細に解説。Keith Emersonがいかに凄い知識があったかが初めてよくわかった。

 このThe Endless EnigmaのPianoを挟む3部構造は、ドイツのWallensteinが1973年のCosmic Couriersで踏襲しています。また、The Endless Enigma Part 1の構造は、1972年のGian Piero ReverberiがProduceしたLe Orme / Una Dolcezza Nuovaに影響を与えたと思われます。

WALLENSTEIN / Cosmic Century 1973
https://www.youtube.com/watch?v=X_lgWdc43w8&t=2102s
21:16までがA面の3部作。9:26からの間奏曲Grand Pianoは、The Endless Enigmaの3部構成を模倣したと思われる。

Le Orme / Una Dolcezza Nuova
https://www.youtube.com/watch?v=0cXdBSWXCpk
冒頭でBachのシャコンヌを引用。Gian Piero Reverberiが、長い前奏の後にVocalが入るThe Endless Enigma Part 1の構造を模倣したと思われる。


Japan LP with rare expensive "Flower OBI"
P1880588.JPG


− 3曲目  Emerson, Lake, and Palmer / Knife Edge −

 次は、ELPの1970年のデビューアルバムからKnife Edgeです。この曲は、途中でBachのフランス組曲の第1曲が引用されています。

 このバロック・クラシックの引用は、Le Ormeの1971年のItalian Progressive Rockの最初のLPとされるCollage(Domenico Scarlatti / Sonata in E major, K 380)で踏襲されています。1972年のDeep Purple / Highway StarのオルガンソロでもBachの半音下降のコード進行が引用されています。Keith EmersonはJon Lordを高く評価していました。

 この曲では、カップルさんによるオリジナルLPの音源と1970年のドイツBeat ClubでのライブへのReactionが面白いので、比較してみたいと思います。

OUR FIRST REACTION to Emerson, Lake & Palmer - Knife-Edge | COUPLE REACTION
https://www.youtube.com/watch?v=Swatav2zup4&t=437s
6:50からBachのフランス組曲。 

ELP FIRST TIME COUPLE REACTION to Knife-Edge Live Beat Club1970年11月26日
https://www.youtube.com/watch?v=QeLMiFm3V8E&t=448s
5:14からMoog Synthesizerのライブ映像。1971年のPopol Vuh / Bettinaに先立つ世界初のMoogライブ映像と思われる。6:10からのMoogのパフォーマンスは、Keith Emersonのベトナム戦争への怒りだったと言われている。7:03でフランス組曲を演奏する際に手書きの楽譜を見るのは、Keith Emersonのバッハに対するRespectが感じられる。

Emerson, Lake, and Palmer / Knife-Edge Live 1977 Canada
https://www.youtube.com/watch?v=-PU6cTjVy4I
これはReactionではないが、3:04のフランス組曲でOrchestraが入る貴重なライブ

バッハBach / フランス組曲 第1曲 Allemande
  - Tatiana Nikolayeva (1984) French Suite n°1 BWV 812 in D minor
https://www.youtube.com/watch?v=l26QTcx9_yw
Knife-Edge でのKeith Emersonの解釈に最も近い。

 ワイト島フェスで Emerson, Lake, and Palmerを見たことなどをきっかけにキーボードトリオに変貌したLe Ormeは、ELP / Knife Edgeからの影響で1971年、1972年のアルバムでクラシックを引用しています。

Le Orme | Collage
https://www.youtube.com/watch?v=-Q7hqZy6Bns&list=PL2Mt3dp76i0PpG-9EJPpr6_OAfpYNe9x0&index=1
1:47からDomenico Scarlatti Sonata in E major, K 380.

Domenico Scarlatti's Sonata in E major, K 380. スカルラッティ / ホ長調K380 フジコヘミング
https://www.youtube.com/watch?v=UnxBZvv0s9I
2014年にフジコ・ヘミングさんもこの曲をコンサートで演奏していた。昨年怪我をされコンサートを中止されているのが心配。

Le Orme / La Porta Chiusa
https://www.youtube.com/watch?v=hbzsmskJs-Q
6:11でバッハ / シャコンヌを引用。Gian Piero Reverberiが、Emerson, Lake, and Palmerを超えるために数あるバッハの曲からシャコンヌに厳選したものと想像できる。Una Dolcezza Nuovaでのシャコンヌとの関連づけも凄い。

Le Orme / Una dolcezza nuova + La Porta Chiusa 1972 Live TV
https://www.youtube.com/watch?v=WuZ3gN82WCY
3:55からシャコンヌ

Il Balletto di Bronzo / Meditazione 1970
https://www.youtube.com/watch?v=c358efxhat8
当ブログでも頻出のIl Balletto di Bronzo / Sirio 2222のMeditazioneも画期的な曲。冒頭のStringsと1:24からのGianni Leoneによるバロック・チェンバロは、1971年のNew Trolls / Concerto Grosso、Le Orme / Collageよりも早い。

Deep Purple / Highway Star 1972
https://www.youtube.com/watch?v=Wr9ie2J2690
2:14のBachのBassの半音下降は、ELP / Knife Edgeから着想を得たと思われる。


Genesis / Foxtrot Japan LP Diff.Jacket
P1880599.JPG


− 4曲目 Genesis / Supper’s Ready 1972 −

 
最後にELPではありませんが、これも感動したGenesis / Supper’s Readyを、カップルさんとクラシックの作曲家Dougさんで比較したいと思います。

★OUR FIRST REACTION to Genesis - Supper's Ready
https://www.youtube.com/watch?v=M-P9Rr2ysT8&t=1883s
カップルさんは、29:10から最高のReaction。感動して曲が終わってもしばらく言葉が出ない。

Classical Composer Reacts to Supper's Ready (Genesis) | The Daily Doug
https://www.youtube.com/watch?v=LfO7iplZVIM&t=1693s
クラシックの作曲家Dougさんは理論的で、25:16からのコード進行に感心しきり。27:05で最後のパートをさらに聴きなおしている。


 皆様方のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。


P1720062.JPG
posted by カンカン at 12:37| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月28日

RIP追悼 1周忌 Tony Hill(High Tide)、Ian McDonald(King Crimson)〜 ベトナム戦争の惨状が生んだ1969年の偉大な作品「High Tide / Sea Shanties」からFutilist's Lament と「King Crimson / In The Court Of The Crimson King」〜 1970年のELP、Italian Progressive Rockへの多大な影響

P1880456.JPG
L:LP Japan with rare Flower Obi  Most Expensive record of King Crimson(2000 Euro)
R:Single Japan The Court Of The Crimson King Part 1 / Part2
https://amzn.to/3GYcK50


今日の1曲
High Tide / Futilist's Lament 1969年
King Crimson / Epitaph 1969年
King Crimson / The Court Of The Crimson King 1969年
New Trolls / Annalisa 1970年
I Leoni / Ogni Notte 1970年
Il Balletto di Bronzo / Meditazione 1970年
Emerson, Lake & Palmer / Knife Edge– Live Beat Club1970
Rare Bird / Beautiful Scarlet– Live Beat Club1970年


 2022年12月8日にHigh TideのTony Hillさんが亡くなって1周忌となります。
 また、2022年2月9日にはKing Crimsonのオリジナル・メンバーIan McDonaldさんが亡くなっています。

High Tide From right, Tony Hill, Simon House
P1880452.JPG


 1969年に発売されたHigh Tide / Sea ShantiesはTony Hillが6曲中5曲で作詞作曲を担当しており、Tony Hillの世界観と言ってよいと思います。

 他方、1969年10月10日に発売されたKing Crimson / In The Court Of The Crimson Kingは、5曲の内、Ian McDonaldだけがI Talk To The Wind、The Court Of The Crimson Kingも含めた全曲にクレジットされています。また、Ian McDonaldがKing Crimsonを脱退するとき、Robert Frippが「King Crimsonはあなたのバンドだ」と言った逸話があります。従ってKing Crimson / In The Court Of The Crimson Kingは、作曲面においてIan McDonaldの世界観が反映されたものと言えます。

21st Century Schizoid Man
I Talk To The Wind
Epitaph
https://www.youtube.com/watch?v=vXrpFxHfppI&list=PLXhfRoiJBIiuXOUv_7EJ1i7UKj0aGfy0U&index=3
Moonchild
The Court Of The Crimson King
https://www.youtube.com/watch?v=ukgraQ-xkp4&list=PLXhfRoiJBIiuXOUv_7EJ1i7UKj0aGfy0U&index=5

 King Crimsonの1stは、メンバーがベトナム戦争の惨状をテレビで見た衝撃から作られたと言われています。ジャケットの写真はまさにその表れと言えます。

 他方、High Tide / Sea Shantiesのジャケットに描かれているのは、ベトナム戦争の戦場そのものだと言えます。
 リリースは、In The Court Of The Crimson King の2か月ほど後になります。

L:Sea Shanties original R:Japan Promo only LP
P1880443.JPG
https://amzn.to/3tCdiuA
 
 Mick JaggerもLet It Bleedを作ったとき、ベトナム戦争から重い影響を受けていたと述べています。翌1970年にデビューしたELPのKeith EmersonのMoogやライブでのナイフパフォーマンスもベトナム戦争に対する怒りだったとされています。

 High Tide / Sea Shantiesは商業的に成功せず、ほとんど知られないコレクターズアイテムでしたが、冒頭のFutilist's Lamentは、Led Zeppelin / 1st、Beatles / Abbey Road、Rolling Stones / Let It Bleedなどに匹敵する1969年のRockの偉大な作品だと思います。

High Tide / Futilist's Lament
https://www.youtube.com/watch?v=cpBCXof2qCc&list=PLEMzLROuENR2TrnybowmwRELji6w26THM
3:00からのギターフレーズは、Rock史上最も美しく感動的なものといえる。

 High Tide / Sea Shanties、King Crimson / In The Court Of The Crimson King の最大の功績は、ClassicとProgressive RockとHard Rockを融合させたSymphonic Progressive Rockを確立させたことだと言えます。

 Sea ShantiesのFutilist's Lamentでは、Simon HouseのClassic Violinとの対峙が、Tony HillのGuitarの攻撃性、緊張感と美しさを際立たせていました。

 BeatlesにはEleanor Rigbyなど多くのClassic Violinの曲がありますが、Simon Houseが世界初のProgressive Hard RockにおけるViolinといえます。

 High Tide / Futilist's Lamentは、後のNew Trolls / Concerto Grosso - Adagio、Wallenstein / Cosmic Century、Amon Düül II / Wolf Cityの Surrounded By The Stars、PFM / River Of Life、Curved Air / Vivaldiなどと並ぶViolinのProgressive Rockのトップ10に入る傑作だと思います。

Wallenstein / Rory Blanchford 1973
https://www.youtube.com/watch?v=vpxabHDpxwE&list=OLAK5uy_meImELv2ZWlC-dQ09K3atdkMarhT5a1bE

Amon Düül II / Surrounded by the Stars 1972
https://www.youtube.com/watch?v=scWD73Og0kQ
1:37からMellotronに近いChoir Organ(Popol Vuh / Aguirreでも使用)に続くViolin。1972年にAmon Düül IIがイタリアのWoodstock“Villa Pamphili”にトップゲストとして招聘されたとき、Italian Progressive Rockの影響を受けた結果生まれた。Amon Düül II自身が認める最高傑作。

King Crimson
P1880449.JPG

 他方で、In The Court Of The Crimson King では、Ian McDonaldのMellotronがClassicオーケストラの役割を果たしていました。

 Sea ShantiesとIn The Court Of The Crimson King が持つ攻撃性が、Keith EmersonをNiceからELPに発展させる影響を与えたと思います。
 Rare Bird / Beautiful Scarletとともに、ドイツのBeat ClubでのELPの1970年のライブが象徴的です。

Emerson, Lake & Palmer / Knife-Edge – Live Beat Club 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=TQQdYokbp4E
4:00以降のMoogとパフォーマンスが当時のKeith Emersonの心境を表していたといえる。

Rare Bird / Beautiful Scarlet – Live Beat Club1970年https://www.youtube.com/watch?v=Ff4HTKT_ejM
後にベスト盤のタイトルとなる最重要曲。熱狂的なパフォーマンスのドラマーは後に画家に転身した。

 また、In The Court Of The Crimson King は、PFMが公言するように、Symphonic なItalian Progressive Rockに最大の影響を与えたと言えます。
 High Tide / Sea Shantiesもイタリアで1970年に発売されており、Italian Progressive Rockに影響を与えたと思われます。

 イギリスでは1967年からJimi HendrixのHard Rock、1969年からProgressive Rockが本格化しましたが、イタリアでは、Sanremo音楽祭が世界的な人気だった影響で、レコード会社がラブソングと英米のカバーしか発売させませんでした。

 そのため、1969年ではイタリアのHard Rockは、Formula3とIl Balletto di Bronzoの2枚のシングルしかなく、Gian Piero ReverberiがProduceした1970年のNew Trolls、Le OrmeのシングルがProgressive Rockの源流であり、一般には1971年のLe Orme / CollageがItalian Progressive Rockの発端とされています。

New Trolls / Annalisa 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=6Hvucxkb7qo&list=PLWBIZ261OgKjWq5DkIOOhvONqPBlQagSq&index=8
Hard Rockをベースに、Prog、Classic、歌を融合させるHigh Tide / Futilist's Lamentと同様な構造を持つ。Jimi Hendrixを崇拝し歯でギターを弾いていたNicoが、1967年から望んでいた表現を爆発させたといえる。

Il Balletto di Bronzo / Meditazione 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=c358efxhat8
Classic Stringsから始まり、Hard Rockのギターと融合するEpitaphやHigh Tide / Futilist's Lamentと同じ美意識を持つ。クレジットにはないがGianni Leoneがチェンバロを担当。

I Leoni / Ogni Notte 1970年
https://www.youtube.com/watch?v=eljC2b5DjU0
イタリアの大手Ricordiの中で商業的音楽しか作れなかったEnrico Riccardiが、King Crimson / Epitaphに感銘を受けて作ったものと想像できる。

 Futilist's LamentやEpitaphは、昔何度もヘッドホンで大音量で繰り返し聴きました。素晴らしい音楽をありがとうございました。
 Tony Hillさん、Ian McDonaldさんのご冥福をお祈りいたします。RIP

P1720060.JPG


posted by カンカン at 06:58| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月04日

RIP Guido Wasserman・RIP1周忌Alfonso Oliva 〜 Alphataurus 1973年Magmaレーベル・3面ジャケットの幻の名盤 〜 Dopo l'uraganoの圧倒的なGuitarとCromaのBassの感動的な半音下降

P1860141.JPG

P1860138.JPG
左からMichele Bavaro, Pietro Pellegrini, Alfonso Oliva, Giorgio Santandrea, Guido Wasserman

Bassist Alfonso Oliva and Guitarist Guido Wasserman of Italian Progressive Rock Alphataurus have passed away. The world's first re-issue of LP Alphataurus in Japan in 1983 was miraculous and very memorable...


今日の1曲
Alphataurus / Alphataurus (1973) 全曲
Alphataurus / Dopo l'uragano
Alphataurus / Croma
Il Balletto di Bronzo / Incantesimo 1970
Deep Purple / Highway Star 1972
New Trolls / Adagio 1971
Alphataurus Live in Bloom 2010



 Italian Progressive Rockの1973年の幻の傑作を残したAlphataurusの Guitarist、Guido Wassermanさんが亡くなりました。昨年亡くなったBassist、Alfonso Olivaさんの1周忌とともに追悼の意を表したいと思います。

 Italian Progressive RockのサイトでもBest20の4位にAlphataurusのアルバムが選出されています。
Italian prog - The italian music of the 70's - La musica italiana degli anni '70
http://www.italianprog.com/index.htm

 1983年の日本におけるAlphataurusの世界初の再発は奇跡的でした。
 特にCromaは、New TrollsのConcerto Grosso - Adagioのような旋律の美しさが感動的でした。AlphataurusがNew TrollsのVittorio de Scalziにスカウトされて、ScalziのMagmaからデビューしたことからもAdagioの影響はあると思います。

New Trolls / Adagio
https://www.youtube.com/watch?v=W21Lq1xdVAI&list=OLAK5uy_mGf7cFPp4RiLyAiBwDN0CUhUW445cZp7w


日本盤のラベルのクレジットによって、イタリアMagma盤の謎の作詞担当Testi:Funky = Vittorio de Scalziであることが明らかにされた。
P1860165.JPG
P1860167.JPG
P1860173.JPG

Alphataurus - Alphataurus (1973)全曲 (Full Album)
https://www.youtube.com/watch?v=kc6lqUvofnM&t=645s
1. Le Chamadere (Peccato D'Orgoglio)
2. Dopo ĽUragano 12:20
3. Croma 20:41
4. La Mente Vola 24:08
5. Ombra Muta 29:51

 AlphataurusはIl Balletto di Bronzoからの影響も感じられます。YSのようにPietro Pellegrini のKeyboardによるコード進行と旋律を主体としながら、攻撃的なGuitarのHard Rockとの融合が本アルバムに決定的な存在感を与えています。

 Dopo Ľuraganoは、Il Balletto di Bronzo / Sirio 2222のIncantesimoような重いBluesです。Jimmy Pageを思わせるGuido Wassermanのギターリフと速弾きソロ、Accoustic Guitarなど多重録音による縦横無尽の活躍が圧倒的に素晴らしいです。

Alphataurus / Dopo l'uragano
https://www.youtube.com/watch?v=bJ8iUuzXRhk
1:56からLed Zeppelin / Babe I'm Gonna Leave You、You Shook MeのようなGuido Wassermanのギターが活躍する。

Il Balletto di Bronzo / Incantesimo (1970)
https://www.youtube.com/watch?v=_d3014NxVCU&list=PLn6IUYFGu6PIpJwvNdjP18Wc4AiWboWh8&index=7
BluesとItalian Progressive Hard Rockの最初の接点

Il Balletto di Bronzo / Secondo Incontro(1972)
https://www.youtube.com/watch?v=5KVDMQKVvH8&list=PLGfb2R92OHuk4oRt4BDawmSDXOcQ7ZE06&index=3
Sirio2222をルーツとする初期Il Balletto di BronzoのHard Rock志向のGuitarと、Gianni LeoneのProg志向との対立・融合が最も鮮明な曲。

 CromaはPietro Pellegrini のMini Moogの多重録音が素晴らしいです。
 そして、Cromaは、1980年ごろに初めて聴いたGolden Cupsの銀色のグラスと並んで、Bassの凄さと重要性を初めて認識した曲でした。バッハを元祖とする半音下降のBass Lineを初めて知ることができました。

Alphataurus / Croma
https://www.youtube.com/watch?v=PWFo6WPAWkY
Mini Moogの上昇する旋律に対峙するAlfonso Olivaの1:13からの重いBassの半音下降が感動的だった。

Deep Purple / Highway Star
https://www.youtube.com/watch?v=Wr9ie2J2690
Cromaによって、2:14のBassのBachの半音下降に気づくことができた。

 Guido Wassermanは、2008年のAlphataurus再結成に参加しています。2010年のライブはCDとしてリリースされました。

Alphataurus Live in Bloom 2010
https://www.youtube.com/watch?v=hjqA6m3mu8I
ラストを飾るCromaに続く1:07:22で、一瞬だが1972-1973年ごろのカラー映像が映り、DrumsのGiorgio Santandreaらしき人が動いている。その後、英語字幕付きのPietro Pellegriniのインタビュー。

Alphataurus再結成 Rehearsal
https://www.youtube.com/watch?v=Uc645ONg9rg
Pietro Pellegrini, Giorgio Santandrea, Guido Wassermanが参加。



2016年 左からMichele Bavaro、Pietro Pellegrini, Guido Wasserman
P1860144.JPG

 2016年に一時的にAlphataurusに参加したVocalのMichele Bavaroは、Alfonso Oliva、Guido Wassermanに対して哀悼の意を表しています。後にSingerとして成功したMichele Bavaroが、常に若き日のAlphataurusを大事にしていることにたいへん感銘を受けました。

 Alfonso Olivaさん、Guido Wassermanさんのご冥福をお祈りいたします。

2023年10月25日

RIP 追悼1周忌 Hans Hartmann 〜 音楽の夢・Atlantic期のGuru Guru 〜 1974年の隠れた世界的傑作 Dance Of The Flames 〜 渋谷Ciscoの思い出・レコードの聖地

P1850316.JPG

今日の1曲
Guru Guru / Don't Call Us We'll Call You 1973年
★Guru Guru / Dance Of The Flames 1974年
★Guru Guru / The Girl From Hirschhorn 1974年
Guru Guru / The day of timestop 1974年

 2022年7月17日にGuru GuruのBassistだったHans Hartmannさんが亡くなっていたことがわかりました(March 1942 in St. Gallen, Switzerland 〜 17 July 2022 in Jüterbog, Germany)。

 初期のGuru GuruはCream、Jimi Hendrix Experienceと同じ3人のパワーロックトリオでしたが、フリージャズから転向した点に大きな特色がありました。

 1970年のOhrの混沌としたUFOから始まり、Brainの1972年の傑作Känguruで、Can(シングルSpoonがチャート1位)、Tangerine Dream(年間ベストアルバムZeit)に続いてSounds誌の人気投票で3位になるほどの人気を得ます。

 その後、1973年に当時のRockを代表するメジャーレーベルAtlanticに移籍。Mani のソロも含め、3部作をリリースしました。
 
 まず、1973年のDon't Call Us We'll Call Youは電話機のイラストの明るいジャケットが印象的。

 OhrからCosmic Couriersに移籍したAsh Ra Tempelと異なり、Klaus SchulzeやTangerine DreamのようにCosmic Couriersに移籍せず、「我々はCosmic Rockではなく、Comic Rock」と言ってBrainに移籍してKänguruを出したManiさんの意向が継続して見られます。

 前作「Guru Guru / Guru Guru」ではロックンロールメドレーを演奏しましたが、Don't Call Us We'll Call YouではAfrica音楽からの影響があり、「人を幸せにする音楽を作りたい」というManiさんのPositiveな志向が現れています。

 Don't Call Us We'll Call Youは、Guru Guruでしか作れないような不思議な音楽で、それを支えたのがManiと同じスイスのJazz出身のHans HartmannのBassだったと言えます。

Guru Guru / Don't Call Us We'll Call You (1973)
https://www.youtube.com/watch?v=w-ZY0bpfmgM
7:30 歌詞に「Kanguru」が出てくる。

Guru Guru / Guru Guru Ltd. 1973
https://www.youtube.com/watch?v=c7cDKpRSaAU
acoustic guitarとパーカッションだけの印象的な曲



 そして、1974年4月の隠れた大傑作Dance Of The Flamesは、Guru Guruの最高傑作の一つと言えます。ここでのHans HartmannのBassは、前作と異なり強烈なGrooveを放っており、どんなサウンドにも対応できる実力が伺えます。

 特にタイトル曲は、初期Guru Guruの混沌と、当時最先端だったクロスオーバーなどが混ざった世界的に見ても傑作だと思います。英米でAtlanticから発売されていたら話題になったでしょう。同じくロックトリオのKing Crimson / Redに匹敵するパワーを感じます。

 トレードマークだったブラックユーモアは陰を潜め、Guru Guruによるベトナム戦争に対する総括とも思える作品です。
 3枚のLPを出したEiliffのギタリストだったHouschäng Nejadépourの唯一のGuru Guruへの参加で、Jimi Hendrixを彷彿とさせる Nejadépourの音楽人生の最後ともなる作品です。

★Guru Guru / Dance Of The Flames
https://www.youtube.com/watch?v=ybyISlEJEWs
ヘッドホンでHans HartmannのBassに圧倒される。Houschäng Nejadépourの燃え尽きるようなギター。

P1850322.JPG

King Crimson / Red 1974年
https://www.youtube.com/watch?v=X_pDwv3tpug




 The Girl From Hirschhornは、Acoustic guitarと鳥の声から始まり、Houschäng Nejadépourの広がりのある美しいギターが素晴らしい。

 2016年3月のManiさんの来日公演でのSEは1970年代前半のGerman Rockだけで、Popol VuhのAguirre、KlusterU、Amon Düül2のWolf Cityから中近東風の曲が流されていました。
 The Girl From Hirschhornからは、Popol VuhのHosianna Mantra、Tangerine DreamのPhaedraのSynthesizer Rythmからの影響が感じられます。

★Guru Guru / The Girl From Hirschhorn
https://www.youtube.com/watch?v=H9Wtq8xvRvU

 The day of timestopは速弾きで、1974年当時のProgressive Rock、Al Di Meolaなどの世界の超絶テクニックに挑戦する作品と言えます。

Guru Guru / The day of timestop
https://www.youtube.com/watch?v=3QRjzHT0ad4



 Guru Guruは、Dance Of The Flames で初期の混沌としたHard RockをJazzの超絶技巧で出し尽くしたといえます。
 翌1975年のManiのソロ作品Mani und seine Freundeでは穏やかなユートピア志向の作風になり、1976年に再びBrainに移ったGuru Guruは、メジャーなクロスオーバー路線で大きな人気を得ます。

 1973年〜1974年のAtlantic時代のHans HartmannのBassが、Guru Guruの移行と成功を陰で支えたと言えます。

P1850320.JPG

 Guru GuruのTango Fango、Don't Call Us We'll Call You 、Dance Of The Flamesを買ったのは、1977年か1978年の今はなき渋谷Ciscoでした。音楽が砂漠のようだった時代に希望を見出せたレコードでした。特にDance Of The Flamesを聴いた日に圧倒され、興奮したことは忘れられません。

 1970年代は輸入盤はまだレアな存在で、Ciscoの客もまばらでしたが、2000年ごろ空前のDJブームになり、渋谷が世界一レコードが集まっている街と呼ばれたころには、Ciscoには人があふれかえっていました。

P1850326.JPG

左上のテラスにCiscoがあった。渋谷レコードの聖地と呼ばれた一角
P1850324.JPG

 素晴らしい音楽とGrooveをありがとうございました。
 Hans Hartmannさんのご冥福をお祈りいたします。RIP

P1840978.JPG

2023年10月23日

RIP 追悼 もんたよしのり もんた&ブラザーズ Monta & Brothers 〜 1981年 Desire デザイアー

P1850079.JPG
1971年デビュー曲。JAシーザーと同じ当時先鋭的だったビクターSFシリーズ。ソロ時代があったことは知っていたが、10年近くも下積みがあったとは

Japanese rock singer Yoshinori Monta (1951-2023) has passed away. He was also passionate about playing the Beatles in the 1960s and loved Soul and R&B. His songs and husky voice are amazing. Please listen to his songs and enjoy.

今日の1曲
 もんた&ブラザーズMonta & Brothers
       / ダンシング・オールナイトDancing Allnight 1980年
 もんた&ブラザーズ Monta & Brothers
       / デザイアーDesire 1981年
 もんたよしのり / この足の鎖 ひきちぎりたい 1971年


 谷村新司さんに続いてまた素晴らしいシンガー、もんたよしのりさんが10月18日に亡くなりました。あのころの日本の音楽で彼の曲と歌は本当に素晴らしかったと思います。Beatlesの曲、Riccardo Coccianteの声やJames BrownのGrooveに通じるものがありました。

もんたよしのりさん急逝 高校時代に意図的に声をつぶして手に入れたハスキーボイス― スポニチ Sponichi Annex 芸能
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/10/22/kiji/20231022s00041000593000c.html

もんた&ブラザーズMonta & Brothers / ダンシング・オールナイトDancing Allnight
https://www.youtube.com/watch?v=adu4_yzQjes
オリコン10週1位 年間1位 #1 on the chart for 10 weeks.  No.1 in 1980

もんた&ブラザーズMonta & Brothers / ダンシング・オールナイトDancing Allnight Live
https://www.youtube.com/watch?v=_7cdSOnSDuU

もんた&ブラザーズ Monta & Brothers / デザイアー Desire
https://www.youtube.com/watch?v=tC5BPCrdeUE
1981年 オリコン最高7位

もんた&ブラザーズ Monta & Brothers / デザイアーDesire - Live
https://www.youtube.com/watch?v=PjzxNbaKVg8



もんたよしのり / この足の鎖 ひきちぎりたい 1971年デビュー曲
https://www.youtube.com/watch?v=ojJuuTLm7FU

デビュー曲 もんたよしのり作詞 上京した1970年の東京の時代を感じさせる
P1850076.JPG




 素晴らしい音楽をありがとうございました。RIP

P1840982.JPG

2023年10月17日

追悼 RIP 谷村新司 Shinji Tanimura 〜 1978年 山口百恵 / いい日旅立ち 〜 1978年 アリス / チャンピオンとカシアス内藤 〜 1996年 Milva ミルバ・谷村新司を歌う

P1840942.JPG
1996年 Milva – Fammi Luce - Milva Ha Incontrato Shinji
ミルバ、谷村新司を歌う

On October 8th, Shinji Tanimura, one of Japan's most famous singer-songwriters, passed away. Milva recorded his songs in Italian and released a CD in 1996.

今日の1曲
  山口百恵 / いい日旅立ち1978年
  Milva ミルバ / Il giorno giustoいい日旅立ち 1996年
  谷村新司 / いい日旅立ち 1982年
アリスAlice / チャンピオン Champion 1978年
 James Brown / Get On The Good Foot 1972年
  ロック・キャンディーズ(谷村新司)
        / 春は静かに通りすぎていく1971年     
 Janis Joplin / Summertime 1969年





谷村新司 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%9D%91%E6%96%B0%E5%8F%B8

 夏の24時間テレビにも闘病のため欠席されていた谷村新司さんが10月8日に74歳で亡くなりました。

 初めて谷村新司を知ったのは、ラジオ文化放送『谷村新司のセイ!ヤング』の番組の名物だった天才・秀才・バカシリーズです。とても面白くてファンになりました。特に大受のネタが好きでした。

P1840930.JPG

 谷村新司さんの作品で一番好きな曲は「いい日旅立ち」です。 

山口百恵 / いい日旅立ち
https://www.youtube.com/watch?v=t6B3MDulSRE

谷村新司 / いい日旅立ち
https://www.youtube.com/watch?v=iI6xilNEJmo

イタリアでは、I Love Japanとして発売されたMilvaの谷村新司作品集。
P1840936.JPG

 この曲は、後にミルバがカバーしています。ミルバは1972年に「日本の心を歌う」Milva / Love Feeling In JapanをRecordingしています。このころにRicordi本社でMuseo RosenbachのAlberto MorenoはMilvaに会って、今日本語の歌をレコーディングしていると話したそうです。

 Love Feeling In Japanは演歌が中心でしたが、その後、演歌とニューミュージックの中間的な日本の作品を集めた日本語曲LP第2弾が企画されましたが実現せず。そして、1979年にミルバの主にイタリアのヒット曲を訳した2枚目の日本語曲のLPが発売されました。

 Milvaはおそらく谷村新司の曲を聴いて自分の感性に合うと判断したのでしょう。1996年にイタリア語の詞による「ミルバ谷村新司を歌う」Milva – Fammi Luce - Milva Ha Incontrato Shinjiが発売されました。

Milva ミルバ / Il giorno giustoいい日旅立ち
https://www.youtube.com/watch?v=16bBaBbNbkk




 谷村新司はボクサー、カシアス内藤のファンで、沢木耕太郎を介して出会い、それをきっかけにアリスの最大ヒットで唯一1位になったチャンピオンを作ったそうです。カシアス内藤は山口冨士夫と同じように黒人の父親を持ち、3人は同い年でした。

カシアス内藤氏 谷村さん死去「ありがとうしかない」アリス代表曲『チャンピオン』モデル/芸能/デイリースポーツ online (daily.co.jp)
https://www.daily.co.jp/gossip/2023/10/17/0016926217.shtml

 谷村新司は1968年からロックキャンディーズでプロになり、アリスでも1972年から3年間売れずに下積みを積んだので、カシアス内藤から影響を受けたのだと思います。

ロック・キャンディーズ(谷村新司) / 春は静かに通りすぎていく1971年
https://www.youtube.com/watch?v=G1QL1tuUlF0

カシアス内藤 vs 輪島功一(1972年)凄絶打ち合い
https://www.youtube.com/watch?v=iHn8NTdKeiU

アリスAlice / チャンピオン Champion 1978年12月リリース
https://www.youtube.com/watch?v=DJ3Di182m_Y
谷村新司が、カラオケでこの曲を歌うカシアス内藤に「これ、君の歌だよ」と話した。

 1976年の沢木耕太郎「敗れざる者たち」では、カシアス内藤を第1話に収録。不甲斐ない試合をするカシアス内藤に対する沢木耕太郎の「(矢吹丈のように)その日(燃え尽きる日)は来ない。あいつ(カシアス内藤)にもおれにも」という文で終わっています。
 谷村新司はこの本を読んで、沢木耕太郎にカシアス内藤と会いたいと連絡したと思われます。



1979. 8.22 東洋太平洋ミドル級王座決定戦 カシアス内藤vs朴 鍾八
https://www.youtube.com/watch?v=sfbYV9j8veM

 「敗れざる者たち」を読んだカシアス内藤は、沢木耕太郎に「その日が来たんです」という電話をします。
 1978年10月にカシアス内藤は沢木耕太郎のサポートにより復活。
 1978年12月 アリスAlice / チャンピオン Champion リリース
 1979年8月22日 カシアス内藤は敗北により引退。
 1981年の沢木耕太郎「一瞬の夏」はカシアス内藤の記録でした。第1回新田次郎文学賞受賞




 谷村新司の経歴を見ると、1970年にアメリカでLed Zeppelinや、日本人としては貴重な体験であるJanis Joplinを見て影響を受けたとのこと。

Janis Joplin "Summertime" (Live -1969)
https://www.youtube.com/watch?v=bn5TNqjuHiU

James Brownの1972年の重要作 Get On The Good Foot 
P1840948.JPG

 また、アリスが売れない頃、所属事務所が経営打開のため、1974年の来日の前にJames Brownを初来日をさせて失敗し、多額の債務を抱えたことなどを知りました。3000人の会場に200人しか観客が入らず、谷村新司はJames Brownが「もうだめだ。やめる」と言うのをステージ脇で見たそうです。
 谷村新司はJames Brownからも影響を受けたと思います。

James Brown / Get On The Good Foot 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=4DAfBZbz3tI

 谷村新司さんが生まれたのは大阪の河内長野市で、私も子供の頃に古市にいて河内長野にも何回か行ったので懐かしいです。 
 
 2009年に2回目の海外旅行でオーストラリアに行くときに、羽田空港のロビーで谷村新司さんのすぐ傍に座ったことがありました。緊張して声はかけられませんでした。

 素晴らしい音楽をありがとうございました。
 谷村新司さんのご冥福をお祈りいたします。RIP

P1840527.JPG

2023年10月14日

RIP 追悼 Mo Foster 〜 1970年 傑作Affinityのベーシスト 〜 Rock、Jazz双方に深いルーツ 〜 UK音楽界を代表するセッションミュージシャン 〜 2014年 救ってくれたAffinity / All Along The Watchtower(Bob Dylan Jimi Hendrixカバー)〜 2015年 Linda Hoyle / The FetchのProducer

P1840826.JPG


今日の1曲
 ★Affinity / Affinity LP 1970年 
  Beatles / Let It Be LPヴァージョン 1970年 
  Beatles / Let It Be Singleヴァージョン 1970年 
  ★Affinity / I Wonder If I'll Care As Much 1970年
  Emerson, Lake & Palmer / Knife-Edge 1970年
Led Zeppelin / Whole Lotta Love 1970年
Ekseption / Air 1969年 
  Il Balletto Di Bronzo / Meditazione 1970年 
 Milva / Mon Dieu1970年
 Oscar Peterson / Waltz For Debbie 1962年「Affinity」より      
 ★Affinity Jazz Trio/ My Funny Valentine 1965年
  Affinity / Mercy, Mercy, Mercy Live, BBC 1968年
 ★Linda Hoyle / Cut and Run 2015年
 ★Linda Hoyle / Acknowledgements 2015年
 ★ Affinity / All Along The Watchtower 1970年

 1970年にUK Rockの最高峰の一つといえるアルバムを発表したAffinityのMo Fosterさんが7月3日に亡くなりました。

Michael Ralph "Mo" Foster (22 December 1955 – 3 July 2023)
https://en.wikipedia.org/wiki/Mo_Foster

Affinity時代のMo Foster
P1840831.JPG

 今回初めて知ったのは、Affinityの後にMo Fosterが参加したセッションの凄さです。Jeff Beck, Gil Evans, Phil Collins, Ringo Starr, Joan Armatrading, Gerry Rafferty, Brian May, Scott Walker, Frida of ABBA, Cliff Richard, George Martin, Van Morrison, Dr John, Hank Marvin, Heaven 17 and the London Symphony Orchestraなど、イギリス音楽界を総なめという感じです。

 いかにAffinityというバンドがすごいミュージシャンに支えられていたのかがわかりました。

Affinityアフィニティー (バンド) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC_(%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%89)

 Affinityを初めて聴いたのは1978年でした。イギリス1970年代前半のUK 5大Progressive Rock、Led Zeppelin、Deep Purpleなどの大傑作の時代は消滅し、1978年も音楽は砂漠のような時代が続いていました。

 そのような時代に、Affinityに大きな感銘を受けました。自分の文章力では上手く表現できないので、聴いていただくのが一番だと思います。

Affinity / Affinity ★全7曲
I Am And So Are You から
https://www.youtube.com/watch?v=6SUtBlg-hwM&list=OLAK5uy_nEYW3CQlUtqEkA23bftyZSMsOVOk5p0kQ&index=1



栄光のVertigo 6360シリーズの4番
P1840828.JPG

 むしろ、AffinityこそUKロックの真のトップではないかと思えるほどにサウンドにクオリティを感じました。また7曲全曲メロディーが素晴らしくて捨て曲がないことは、King Crimsonの1stやYes / Close to the Edgeに匹敵するレベルです。
 アレンジも曲ごとに練られており、映画の名シーンを見ているような感覚を覚えました。

  I Am And So Are You、I Wonder If I Care as Muchでは、Led ZeppelinのJohn Paul JonesがブラスとStringsをアレンジしており、そのセンスに驚かされます。当時、世界のトップの位置にあったLed Zeppelinのメンバーが1曲目の冒頭から関与したこともAffinityの凄さの証といえます。また、ベーシストのJohn Paul JonesがアレンジもできたことはLed Zeppelinの音楽的素養の深さを裏付けているといえます。

Led Zeppelin / Whole Lotta Love (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=HQmmM_qwG5k




1970年のロック名盤 | Warm Breeze Music
https://warmbreeze.jp/music/rock70

Songs from the Year 1970 (tsort.info)
http://tsort.info/music/yr1970.htm

 1970年の名盤という記事がありますが、私にとってAffinityのアルバムは、Beatles / Let It BeのLP及びシングル、The Long & Winding Road、Simon & Garfunkel / Bridge Over Troubled Waterのシングル、ELPの1stアルバム、MilvaのMon Dieu、Il Balletto Di BronzoのMeditazioneなどと並ぶ1970年のトップ7に入る作品です。

Beatles / Let It Be LPヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=QDYfEBY9NM5

Beatles / Let It Be Singleヴァージョン
https://www.youtube.com/watch?v=HzvDofigTKQ



 特にAffinityのキーボードは、ELPのオルガン、Il Balletto Di Bronzo / Meditazioneのチェンバロ、Ekseptionと並び、1971年〜1975年のキーボードProgressive Rockの大傑作群の先陣に属するものといえます。

★Affinity / I Wonder If I'll Care As Much
https://www.youtube.com/watch?v=2RF4Z6wdauU&list=OLAK5uy_nEYW3CQlUtqEkA23bftyZSMsOVOk5p0kQ&index=3
UK Rockでは画期的なチェンバロharpsichordが美しいA面のラスト3曲目。John Paul JonesがStringsをアレンジ

Emerson, Lake & Palmer / Knife-Edge 1970
https://www.youtube.com/watch?v=XwIehM-x6kA
Affinityと同年にリリース

Ekseption / Air 1969
https://www.youtube.com/watch?v=KArnMweqGrU
1:20からチェンバロharpsichord 

Il Balletto Di Bronzo / Meditazione 1970
https://www.youtube.com/watch?v=c358efxhat8
チェンバロharpsichord+Stringsのアレンジ。New Trolls / Concerto Grosso、Le Orme / Collageに1年先行する。


 
Milva canta Edith Piaf / Mon Dieu 1970
https://www.youtube.com/watch?v=Nfht1u5iMsA
1970年代に隆盛を極めるItalian Progressive Rock、内省的なItalian Symphonic Popの起点となる曲

P1840829.JPG


 Affinityの1971年当時のテレビドキュメント放送があったので驚きました。Affinityのアルバムは、結果としてセールスは伸びなかったものの、当時AffinityやLinda Hoyleのテレビ番組が多く作られ、放送局、マスコミからはその音楽性が非常に高く評価されていたことがわかります。

AFFINITY - The Band segment on Annie Nightingale Programme.
https://www.youtube.com/watch?v=7wvry4hKspo&t=197s
Annie Nightingaleは1970年からイギリス初の女性DJとしてBBCで活躍

Annie Nightingale wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Annie_Nightingale

「Progressive Night Affinity with Linda Hoyle」という告知。Progressive Rockの先駆者だったことがわかる。 
P1840836.JPG


〜 Affinity、Mo Fosterの音楽性の深いルーツ 〜

左:1965年Rock Band Baskervilles時代のDrums 
中央:同時期のJazzジャズトリオでのDrums
右:1968年Affinity オルガンコンボでのBass
P1840811.JPG

 Affinityがなぜあれほど深い音楽性を持ち、1970年に突出した傑作を作れたのか謎でした。後にたくさんのAffinityの未発表音源が発掘されたことで、その理由が解明されていきました。

 Affinityのルーツは、Vertigoの他のProgressive RockバンドのGraciousやCressida、Black Sabbathと異なり、ルーツにジャズもあることがわかりました。Affinityのバンド名は1962年のOscar Peterson Trioの作品Affinityからとられています。

Oscar Peterson / Waltz For Debbie
https://www.youtube.com/watch?v=0bKhaRwjS9M&list=PLyqAz2idXOaXgme6RNwS3HHP0QjeSTyZa
1962年Oscar Peterson / Affinityより。



 Graciousの1stアルバムでは、Hey Judeのフレーズがそのまま使われたり、Black Sabbathのオジー・オズボーンもBeatlesに憧れていたことを明言しています。Mo Fosterも1965年のRock BandではBeatlesのコピーをしています。



 Affinityを何度聞いても飽きない理由はGroove感だと思います。それはLed Zeppelinが、Deep Purpleなどと異なりJames Brownの黒人ビートから影響を受けて無限のギターリフによってGroove感を創出したのと共通するものがあります。

 そのAffinityの音楽性のルーツは、Mo Fosterの経歴にありました。もともとは、イギリスのShadowsに憧れてBassギターからスタートしました。

 しかし、大学でメンバーが足りないためにDrumsに転向。Mo Fosterは、RockのBaskervillesとJazzジャズトリオの双方で活躍。1965年〜1967年の録音が発掘されています。前乗りのRock、アフタービートのJazzのルーツの双方を持つことが、Affinityの深い音楽性に影響を及ぼしたといえます。

The Baskervilles / Day Tripper (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=s3eU2ZfM-Ao&list=OLAK5uy_k-MPl9s51Xh1Psy55R8kxMHUYcm75yPf0&index=10
Beatlesカバー。Mo FosterのBeat Rockのルーツがわかる。

★Affinity Jazz Trio/ My Funny Valentine (Training Film Version)
https://www.youtube.com/watch?v=HwEDUjK0yXU
Bill Evansのような感銘を受ける純粋なJazzピアノトリオ。

Jazz Trio時代も含む4枚組BOX


 この時代にMo Fosterのバンドは、Cream, Georgie Fame and the Blue Flames, The Who, The Graham Bond Organisation, The Zombies, Jimi Hendrix, The Moody Blues, Pink Floyd, and Steampacket with Rod Stewart, Long John Baldry, Julie Driscoll and Brian AugerといったUKのトップバンドのサポートアクトを務めています。

 これによってMo FosterはRock、Jazz Drumsを基礎としながら多様な音楽性を吸収したことが想像できます。 

 そして、1968年にMo FosterはBass Guitarに戻り、Billie Holidayを尊敬するLinda Hoyle、Jazzトリオ出身のDrummer、Grant Serpell、Lynton Naiff, Mike Joppと合流してAffinityを結成。多数のギグを行いますがLinda Hoyleが声帯を悪化させてしばらく離脱します。

 1968年、1969年の間のAffinityのハモンドオルガンバンドとしての録音が残されており、Groove感を伴ったKeyboard Progressive RockのAffinityへの萌芽が見られます。

Affinity / Mercy, Mercy, Mercy (Live, BBC Maida Vale Studios, London, August 1968)
https://www.youtube.com/watch?v=KJgyekwZLco
James Brownも当時オルガンだけのインストアルバムをSmashからリリースしていた。



 そして、Affinityは、1969年のBeatlesのAbbey RoadやKing Crimsonの1st、Led ZeppelinのGroove Rock、Motown、James BrownのSoulなどの当時のポップミュージックの影響を受けて商業的成功を目指したものと思われます。これらの音楽の統合を可能にしたのが、Rock、Jazzの双方を消化していたMo Fosterの実力だったといえます。

 今回改めて、1960年代のMo Fosterのルーツを探ることで、Affinityのアルバム7曲の魅力の根源がわかった気がします。

P1840827.JPG


〜 2015年 Linda Hoyle / The Fetch のProducer 〜

左:Linda Hoyle 右:Mo Foster
P1840830.JPG

 2015年に1971年のPieces Of Meから55年ぶりにLinda HoyleのソロアルバムThe Fetchがリリースされました。
 これはMo Fosterが半年にわたってLinda Hoyleを説得してProduceしたアルバムです。現代のテクノロジーを駆使した新しいサウンドが、今は音楽セラピー活動もしているLinda Hoyleの暖かいボーカルを包んでいます。

★Linda Hoyle / Cut and Run
https://www.youtube.com/watch?v=Cz7ad-Hx5Cw&list=OLAK5uy_k7aMku8WpYFBjMML5KiOe8_BALnqy51mI&index=2
Mo Foster作曲、Linda Hoyle作詞による情感のある美しい曲。

Linda Hoyle / Acknowledgements
https://www.youtube.com/watch?v=EfFo_GQtgGE&list=OLAK5uy_k7aMku8WpYFBjMML5KiOe8_BALnqy51mI&index=12
最後の曲では、Linda Hoyleが影響を受けたJazz、Blues、James Brown、Jimi Hendrix、SoulなどのArtistに対する謝辞が歌われている。それはMo Fosterにも共通する。

Linda Hoyle 'The Fetch' Album Promo Video
https://www.youtube.com/watch?v=mba0cXCYb9M

Roger Deanがジャケットをデザイン


P1840825.JPG

 Affinityは1970年代末に希望を与えてくれた音楽の一つでした。
 Affinityは2014年に再び私を救ってくれました。私は2013年8月に山口冨士夫さんが亡くなったのがきっかけで体調を崩し、冬に倒れました。治療のため、2014年の春ごろ散歩していたとき、いつも聴いていたのがAffinity / All Along The Watchtowerでした。なぜだかわかりませんでしたが、この10分以上にわたる曲をずっと聴いて歩いていると、徐々に体が回復していくのを感じました。
 その理由はMo Fosterの深い音楽性とGroove感にあったことが今わかりました。

★Affinity / All Along The Watchtower
https://www.youtube.com/watch?v=u29qeOQ_SKM
3:20から4:50まで自由に動き回るMo Fosterのベースは他では聞けない。8:55から9:35がベスト。
Groove感に続く、ラストのオルガンはEpitaphやELPよりも重く、イタリア1970年の I Leoni / Ogni Notte を想起させる。このAffinityのヴァージョンはJimi Hendrixを超えている。

 素晴らしい音楽をありがとうございました。
 Mo Fosterさんのご冥福をお祈りいたします。RIP

P1840834.JPG
posted by カンカン at 15:15| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月07日

RIP フランコ・ミリアッチFranco Migliacci 〜 1959年 グラミー賞 Domenico Modugno / Volare ヴォラーレの作詞家 〜 1959年 Mina / 月影のナポリTintarella di luna 〜 1970年 Symphonic Pops Patty Pravo / Tutt'al Più 〜 1971年 Sanremo音楽祭 1位 2位 〜 1978年 アルプスの少女ハイジのイタリア版 Heidi

P1840250.JPG


Franco Migliacci (28 ottobre 1930 – Roma, 15 settembre 2023)- Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Franco_Migliacci

今日の1曲
  Domenico Modugno / ボラーレVolare 1958年
 Mina / 月影のナポリTintarella di luna 1959年 
  Milva / Quattro vestiti 1965年 
  Gianni Morandi / Chimera 1968年 
  Patty Pravo / La Bambola 1968年 
  Patty Pravo / Tutt'al Più 1970年 
  Nada / Il cuore è uno zingaro 1971年 
  Jose Feliciano / Che Sara '1971年  
  頭脳警察 /ケ・サラChe Sara' 2019年 
 Mia Martini / Credo 1972年
 Heidi Italian OP アルプスの少女 イタリア版1978年


P1840632.JPG

 
 イタリアの作詞家、Franco Migliacciさんが9月15日に92歳で亡くなりました。

 1958年のドメニコ・モドゥーニョDomenico Modugno / ボラーレNel blu dipinto di blu(Volare)は、サンレモフェスティバル優勝にとどまらず、1959年にはグラミー賞のソング・オブ・ザ・イヤーとレコード・オブ・ザ・イヤーの2部門を受賞しました。

 この曲は、Franco MigliacciがDomenico Modugnoと半年もかけて作ったMigliacciの最初のヒット曲。暗い世界から青い世界に羽ばたくという内容で、永六輔作詞の上を向いて歩こう / Sukiyakiに通じるものがあります。

Domenico Modugno / Volare - Nel blu dipinto di blu
https://www.youtube.com/watch?v=t4IjJav7xbg
Ed Sullivan's showでのライブ


1980年までのイタリアヒット曲のチャートインした週の数。Franco Migliacciの担当したDomenico Modugno、Mina、Gianni Morandi、Patty Pravoが並ぶ
P1840655.JPG

 さらにFranco Migliacciは、1961年のミーナMinaが最初に1位になった出世作、月影のナポリTintarella di luna、ミルバMilva / Quattro vestiti(Ennio Morricone作曲)などを作詞。

 イタリアの歴史の一部ともいえるMinaはイタリア初の女性ロックンロールシンガーであり、イタリアンロックの母と呼べるでしょう。MilvaもMina、Ornella Vanoniと並んでイタリア3大歌手と呼ばれました。

Mina / Tintarella di luna (1959)
https://www.youtube.com/watch?v=ti9h_gIwPtA

Milva / Quattro vestiti (1965)
https://www.youtube.com/watch?v=Yzgux7lnRIw

 Franco Migliacciが最も活躍したのは1960年代のGianni Morandiの数え切れないほどのヒット曲でした。1980年までにイタリアで1位になった曲は、Adriano Celentanoの14曲がトップで、2位がGianni MorandiとLucio Battistiの11曲となっています。

 1964年にGianni MorandiはRCA Festival in Japan初来日しています。

P1840640.JPG
P1840645.JPG

 
 数あるGianni Morandiの曲の中でも、1968年のChimeraはItalian Symphonic Popsの名曲です。

Gianni Morandi / Chimera
https://www.youtube.com/watch?v=GEEHtsbfaMk

L:Gianni Morandi / Chimera   R:Patty Pravo / La Bambola
P1840634.JPG

 Franco Migliacciは1960年代にゴーゴーガール、ロック歌手として一斉を風靡したPatty Pravoの最初の1位(6週間)となる大ヒットLa Bambolaも作詞しています。

 また、1970年のTutt'al Piùは、Patty PravoのアイドルからドラマチックなSymphonic路線への転向のきっかけになる名曲です。1971年のNew Trolls / Concerto Grosso、I Pooh / Tanta Voglia di leiなどItalian Progressive Rockへの影響も大きいといえます。

Patty Pravo / La Bambola Canzonissima 1968
https://www.youtube.com/watch?v=crriNqqZnao

Patty Pravo / Tutt'al Più Live Senza Rete
https://www.youtube.com/watch?v=28J7TAPLhX8

 Franco Migliacciは1971年のサンレモ音楽祭では、1位と2位になるという快挙を収めています。

Festival di Sanremo 1971 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=vteSecbSMRg
1位 Nada / Il cuore è uno zingaro
2位 Jose Feliciano / Che Sara'

Nada / II Cuore è Uno Zingaro - Sanremo 1971
https://www.youtube.com/watch?v=FfnifnnbCpM

 ケ・サラChe Sara'は日本でも有名になりました。今年亡くなったPantaさんも頭脳警察でケ・サラChe Sara'を歌っていました。

頭脳警察 /「さようなら世界夫人よ」「ケ・サラChe Sara'」
https://www.youtube.com/watch?v=NaEpvK5j27U
代々木公園[アースデイ東京]2019.4.21 @

 また、イタリア史上最高の女性シンガーとも呼ばれるMia Martiniの1970年代の成功のきっかけとなるCredoもFranco Migliacciが作詞しました。

Mia Martini / Credo 1972年
https://www.youtube.com/watch?v=uU7WlpaYIss

 Franco Migliacciは、アルプスの少女ハイジ、ルパン三世、マジンガーZなどの漫画のイタリア版テーマソングの作詞を手がけています。

P1840659.JPG

Heidi Italian OP アルプスの少女 イタリア版
https://www.youtube.com/watch?v=uLZhtUY8IQo
日本では1974年、イタリアでは1978年から放映

 素晴らしい音楽をありがとうございmした。
 Franco Migliacciさんのご冥福をお祈りいたします。


2023年09月28日

RIP John Marshall ジョン・マーシャル 〜 1975年 奇跡のメドレー Soft Machine / Bundles ~ Land of the Bag Snake・疾走する鮮烈のハイハット・ドイツのTangerine Dreamに対抗するミニマリズム 〜 1971年 幻の名盤 Linda Hoyle + Nucleus / Pieces Of Me

P1840396.JPG

今日の1曲
 ★Soft Machine / Bundles 〜 Land of the Bag Snake 1975年
 Pink Floyd / Shine On You Crazy Diamond 1975年 
 Ash Ra Tempel / Echo Waves 1975年  
 Il Volo / Alcune Scene 1975年
Return To Forever / Medieval Overture 1976年
 Soft Machine / Hazard Profile live on RAI 1974年
 Tangerine Dream / Phaedra 1974年
Tangerine Dream / Rubycon (Part 2) 1975年
 ★Soft Machine / The Tale of Taliesin 1976年
 Soft Machine / Ban-Ban Caliban 1976年 
 Stomu Yamashta / GO 1977年
 Soft Machine / Tale of Taliesin Live
 ★Soft Machine / Nettle Bed 1973年
 Area / LiveーLa mela di Odessa 1975年
 ★Linda Hoyle+Nucleus / Paper Tulips 1971年


Bundles期のSoft Machine
P1840407.JPG

 9月16日にSoft Machineで活躍したJohn Marshallさんが82歳で亡くなりました。

John Marshall
ジョン・マーシャル (ドラマー) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB_(%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BC)


〜 出会い ジャンルを超えた音楽史に残る名盤 1975年=Soft Machine / Bundlesの時代 〜

 
 John Marshallはドラムヒーローの一人でした。
 最初の出会いは1975年リリースのSoft Machine / Bundlesで、1976年秋頃に購入したと思います。

Soft Machine / Bundles タイトル曲 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=dRa_ZHi5TTU&list=PLoIDt_C5y1LuBm0Ga3qBjdY2Oc3utjUoh&index=3
Bundles は、Karl JenkinsのスコアによるAllan Holdsworthのギターと、0:55以降のミニマリズムに重なるAllan Holdsworthの世界最速とされた即興ギターが結合して、世界最高レベルの楽曲になっている。それを支えたのがJohn Marshallのドラムスのテクニック、特にハイハットの疾走感といえる。

 LPを買った動機は、Music Lifeの新譜案内で4つ星の高評価で良いレビューだったこと、そして1975年8月に買ったTangerine Dream / Phaedraの間章のドイツロックに至る解説文の中で、「ソフトマシーン・エコールとピンクフロイドについて考えなければならない」という記述があったことなどがあげられます。



 1975年は、ベトナム戦争終結によりロックの意義が失われ、特に1974年のRobert FrippのKing Crimson / Red発売後の「King Crimsonは死んだ。もうこの形態の音楽をすることはない」という解散宣言が象徴するように、従来からのProgressive Rockが終焉した時代でした。
  
 それに変わって新しい形態のProgressive Rockとして注目されたのが、1973年設立のVirginやTangerine Dream、Kraftwerkに代表されるGerman Electric Rockでした。

 そして、さらに当時大きな新しい希望の音楽として注目されたのがJazzとRockを融合させた「クロスオーバー」と呼ばれたジャンルです。
 そこでは、Jazzの高度な理論・演奏力・即興性に加えて、Rockの魅力的なリフ・メロディー・ダイナミズム・大音量が融合されていました。

 その「クロスオーバー」の源流は、1970年のMiles DavisのSpanish Key、1972年のChick Corea / Return to Foreverでした。RTFには1974年からギターのAl Di Meolaが加わり、Rock色を強めます。

Miles Davis / Spanish Key
https://www.youtube.com/watch?v=ibanLlREjTk
2:20から3:25までヘッドホン大音量で。

 そして「クロスオーバー」の最初の完成形の一つといえるのが、1975年のSoft Machine / Bundlesだと思います。

 1975年の洋楽の名盤を振り返ってみたいと思います。

P1840409.JPG

1975年の洋楽名盤 | 洋楽名盤1000 (music1000.net)
https://music1000.net/yougaku/releases/view/1975

 1971年〜1973年がRock、Progressive Rock、Soulの歴史的名盤の時期です。そこで燃え尽きたように1974年の1年は一度Rockなどが停滞した時期で、世界的に見て、Italia、オランダのいくつかのProgressive Rock、ラムゼイ・ルイス / Sun Goddessなど以外は名盤と呼ばれるものがあまり見当たりません。

 そして、1975年は、数少ないUK勢の中で、Pink Floyd が狂気Dark Side of the Moonから1年以上の間をおいてSyd Barrettに捧げる名盤Wish You Were Here 炎をリリース。アメリカではBruce Springsteen / Born To Runが象徴的です。

Pink Floyd / Shine On You Crazy Diamond (Parts I-IX)
https://www.youtube.com/watch?v=0rY4PMIhflo
1975年のTangerine Dream / Ricochetの国内盤ライナーのChris Frankeの発言によれば、「すごいニュースがある。Nick MasonがTangerine Dreamのライブに参加することになった」と書かれていた。かつてEdgar Froeseは「(1971年に)Alpha Centauriの録音が終わったとき、我々はPink Floydを超えたと思った」と発言していたが、1975年の時点ではPink Floyd自身がTangerine Dreamのミニマリズムが最先端にあったことを認めていたと思われる。



 1975年当時世界最先端にあったGerman Electricでは、Tangerine Dream の最後の輝きともいえるRicochet、フランスでディスク大賞を受賞したKlaus Schulzeの頂点 Timewind、テクノミニマルの源流と評価されるAsh Ra Tempel / Inventions for Electric Guitarなどがリリースされます。

Ash Ra Tempel / Echo Waves
https://www.youtube.com/watch?v=Bear-U79NHo
Pink FloydがEchoesで4人で表現したこと、Tangerine Dreamが3人で作ったミニマルミュージックを1本のギターだけで表現。



 イタリアではMaxophone、「イタリア版クロスオーバー」ともいえるIl Volo / 2nd、Area / Areazioneなどがリリース。AreaはSoft Machineの特に「7」からの影響が顕著です。

Il Volo / Alcune Scene 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=tGiIJiVxbjU
4:30からの疾走感は、RTFやSoft Machineをも越えるものがある。



 このような1975年の状況で、世界的に見てSoft Machine / BundlesがRock +Jazzのクロスオーバーのみならず、ClassicやGerman Electric Musicのミニマリズムまでも取り込もうとした歴史的名盤だったことは明らかだといえます。

 Karl Jenkinsの母がドイツ人だったことからも、Tangerine DreamなどのGerman Electricへの関心が非常に強かったことが伺えます。Bundlesの最後の曲Floating Worldは、ドラムもギターもない完全なミニマルミュージックになっています。

 BundlesからSoft Machineの主導権を握り、主要な曲を作曲したKarl Jenkinsが、その後OBE大英帝国勲章を受けるほどの活躍を見せたこともBundlesの重要性の証左といえます。Bundlesの音楽性のベースには、Jazz,Rock以上にClassicがあったと思います。

カール・ジェンキンス - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9

 そして、Soft Machine / Bundlesは1976年のReturn To Forever / Romantic Warriorに影響を与えたと思います。この1曲目 Medieval Overture の旋律は明らかにクラシックの影響であり、Jazz寄りだったChick CoreaがBundlesのメロディーを重視したKarl Jenkinsから影響を受けたといえます。

Return To Forever / Medieval Overture (Instrumental)
https://www.youtube.com/watch?v=BB4roWRH6Bs&list=OLAK5uy_lSO1908xsMx80rZuQR9bg5q5jFPCPUn34



 BundlesやMedieval Overtureでメロディーを重視した「クロスオーバー」はさらに洗練されて聴きやすい「フュージョン」と呼ばれるようになり、それは現在のスーパーマーケットなどのBGMなどとして広く普及することになります。

 ここまで、1975年の革新的な音楽やKarl Jenkinsの多様な音楽性について振り返りました。
 John Marshallは、Karl JenkinsのNucleusの1970年のデビュー時代からの盟友であり、John Marshallは、Karl Jenkinsが求めていた革新性と理想を完全に再現できるスキルを持ち合わせた奇跡のコンビだったといえます。


〜 Soft Machine / Bundlesを聴く 〜


P1840404.JPG

 1973年から1974年のMusic Lifeでは、たまにSoft Machineの記述がありましたが、そこでは大人のロック、難解なジャズロックというとっつきにくい印象でした。

 しかし、BundlesはSoft Machine史上初めて数字以外のタイトルがつけられ、Music Lifeのレビューも好評でした。 
 そして、おじさんの親しみやすいイラストのジャケットで、おそらく秋葉原の石丸電気で喜んで買ったと思います。

 親しみやすいジャケットに反して、Bundlesの内容は強烈にかっこよく、1977年に買ったGuru Guru の1972年の作品Kanguruにも通じるものがありました。Guru GuruのMani NeumeierもJazz出身のドラマーでした。

 A面の冒頭Hazard Profile Part 1では、鐘の音からJohn Marshallのドラムロールに続いてロックのギターリフによるミニマルミュージック、Karl Jenkinsのオーボエはクラシックそのものです。19分の大曲に、最後に1分の小曲という構成もYesやELPなどを継承するもので、1973年のSoft Machine / 7から2年も構想をかけ、ありとあらゆる音楽を取り込もうとする意欲が伺われます。

Soft Machine / Hazard Profile  Part1〜5(full)
https://www.youtube.com/watch?v=6zSZBAcQ-5M&list=PLoIDt_C5y1LuBm0Ga3qBjdY2Oc3utjUoh
よく聴いた所 8:30〜9:20のPart1のラストパート。11:30〜ピアノ曲からの12:08へのギターへのつなぎ。Mike Oldfield / Ommadawn的な部分。13:35からのミニマルフュージョン。15:30シンセソロ。Caravan / カニングスタンツのラスト風。

 Hazard Profileを47年後に聴き直すと、やはりTangerine DreamのPhaedraの1曲目のタイトル曲のミニマリズムと構成が似ています。Tangerine Dreamの表現をJazzで試みたという感じです。
 ギターソロになるとAllan Holdsworthの世界最速ギターになります。

Tangerine Dream / Phaedra
https://www.youtube.com/watch?v=EhQpXD2Z9WQ
1:20あたりからミニマルミュージックになる。Hazard Profile Part 1でのKarl Jenkinsのオーボエにあたる部分をMellotronが担っている。



 
P1840412.JPG

 1974年にSoft Machineはイタリアの第2回Villa Panphili Festivalに出演し、イタリアRAIでライブが放送されています。Bundlesの1975年発売の前に一部ができあがっていたことがわかります。

Soft Machine / Hazard Profile live on RAI 1974
https://www.youtube.com/watch?v=GbpCytikAEM

Soft Machineが出演したイタリアの第2回Villa Panphili Festival
Il Volo、Ibis、1972年と連続出演したQuella Vecchia Locandaなどが出演
P1840415.JPG


1974年のスイスでのライブDVD Bundles収録



〜 ★B面の衝撃 Bundles 〜 Land of the Bag Snake★ 奇跡のメドレー・疾走する鮮烈のハイハット 〜


B面の衝撃 Bundles 〜 Land of the Bag Snake
P1840403.JPG

 衝撃的だったのがB面冒頭の奇跡のメドレー・タイトル曲Bundles、そしてLand of the Bag Snakeに途切れなく続く切り替わりの部分のかっこよさでした。Beatles / Abbey RoadのB面のメドレーも想起させます。

 そして、John Marshallのドラムのハイハットも今までに聴いたことのない疾走感ある鮮烈なドラムで感動的でした。
 まさにProgressive Rock終焉後の新たなロックヒーローという感じでした。

 1975年当時「ドラムを使用しない」German Electricのミニマリズムは世界最先端の音楽でした。BundlesとJohn Marshallのドラムは、ドイツに対抗しうる革新性をもつ「ドラムを使用するミニマリズム」でした。 

★Soft Machine / Bundles〜Land of the Bag Snakeメドレー 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=EJE_YnIz_wE&t=139s
19:43からBundles。22:59からLand of the Bag Snake(26:35まで)。前者はKarl Jenkins作曲、後者はAllan Holdsworth作曲。Allan Holdsworthの世界最速ギターに続く22:40からの繋ぎの部分が、本アルバムの最大の聴き所。強引ともいえる強力な繋ぎはJames Brownをも想起させる。
Soft Machine / 7のNettle Bedを発展させたBundlesの20:40、21:40のKarl Jenkinsのsynthesizerのミニマリズムの変化は、Tangerine Dream / Rubycon (Pt. 2)の5:30を彷彿させる。
21:43、22:05でJohn Marshallの徐々に扇情的になっていくハイハットが、Karl JenkinsのミニマリズムをTangerine Dreamとは違う形で完成させていく。22:59の曲の繋ぎを成功させたのもJohn Marshallのハイハットの打撃といえる。このような「生きたドラム」はKlaus Schulzeの
Mental Door以外にはあまり聴いたことがない。

Tangerine Dream - Rubycon (Part 2) 1975年
https://www.youtube.com/watch?v=tMHhSJW_ahk
5:30からがTangerine Dreamのミニマリズムの極点といえる。


〜 John Marshall 他の作品を聴く Soft Machine他 〜


 Soft Machine / Bundles以外のJohn Marshallのドラムスの印象的な作品を振り返ってみたいと思います。
 
 まず、Bundlesの後に話題になった1976年のSoftsは、FMで放送されて録音しました。ここで、ついにKarl JenkinsがSoft Machineの主導権を握り、Mike Ratledgeが脱退することになります。

 SoftsもKarl Jenkinsのクラシック志向が強い美しいメロディーに貫かれた名盤でした。特にThe Tale of Taliesinの緩急の変化は見事としか言いようがありません。当時の世界最高峰の音楽といえるでしょう。

★Soft Machine / The Tale of Taliesin 1976年
https://www.youtube.com/watch?v=fbaJ9UZ2Obs&list=OLAK5uy_lW3yJ45I1D1M04v9lVFWHHVUS5T26ThT4
クラシック調の前半から突如3:03で、5:15までKarl JenkinsとJohn Marshallのドラムスによる極限の「ミニマリズム・クロスオーバー」に切り替わる。Tangerine DreamがPink Floydを超えようとしたように、Soft MachineはTangerine Dreamを超えようとした。

Soft Machine / Ban-Ban Caliban 
https://www.youtube.com/watch?v=CFFG4WpWawI&list=OLAK5uy_lW3yJ45I1D1M04v9lVFWHHVUS5T26ThT4&index=3
Tangerine Dream風の冒頭から、4:46の転換でギターソロと疾走するドラムへ。この展開は、1977年のStomu Yamashtaツトムヤマシタ / GoにおけるKlaus SchulzeとAl Di Meolaのコンビの原型といえる。Soft MachineがTangerine Dream(Klaus Schulzeは1stに参加)とReturn To Foreverに影響を及ぼしたといえる。



Stomu Yamashta / GO - Man of Leo ( Al Di Meola )
https://www.youtube.com/watch?v=cuRauNMoGMI

Soft Machine / Tale of Taliesin Live
https://www.youtube.com/watch?v=9gpaMTgBCx0
貴重なライブ映像で、彼らのすごさがわかる。

Soft Machine『7』 レコード店では、Sonyの重ね帯が印象的だった
P1840406.JPG

 Soft Machine『7』- Seven (1973年)も、ジャケットと共に印象深い作品です。やはりミニマルミュージックとJazzを融合した1曲目のNettle BedがJohn Marshallのドラムスと共に鮮烈です。

この曲はイタリアのAreaにも大きな影響を与えたと思います。

★Soft Machine / Nettle Bed
https://www.youtube.com/watch?v=XgYQOiIaTe0&list=PLDDAYQXk_M64EfrL1Vs8zxDd3Wh0Wk61c



Area - Are(A)zione Live (full album) 1975
https://www.youtube.com/watch?v=Kxoao2bJxTk&t=895s
10:43からのLa mela di Odessaのリフは、Nettle Bedの影響と思われる。




イギリス本国でも300枚しかプレスされなかったLinda Hoyle / Pieces of Meの日本独自ジャケット。帯、詳細な解説など日本ではプッシュしていた。
P1840402.JPG

 1971年の幻の名盤Linda Hoyleリンダ・ホイル / 『ピーセズ・オヴ・ミー』Pieces of Me は、Linda HoyleとKarl Jenkinsとの共作であり、当時Karl Jenkinsは「Linda Hoyleとの仕事は自分の理想を実現できるもの」と語っていました。
 Karl Jenkinsの良い楽曲が多く、ここでもJohn Marshallが果たした役割は大きいといえます。 

★Linda Hoyle+Nucleus / Paper Tulips 1971年 [Pieces of Me]
https://www.youtube.com/watch?v=37ZvZGqsXWA&list=PLVvqgURy2L9dicEe1HS0R_de658acjusE&index=2
Karl Jenkinsの研ぎ澄まされた美的感覚とAffinityのLinda Hoyleの歌が見事に融合している。
Arranged By [Orchestra], Conductor – Karl Jenkins
Drums, Percussion – John Marshall
Piano, Electric Piano, Oboe – Karl Jenkins



 先日、ジャズロックを演奏しているという若いキーボードのミュージシャンに、Soft MachineのBundlesを推薦しました。

 John Marshallさんの鮮烈なドラムスは、今も脳裏に深く刻まれています。
ありがとうございました。RIP

P1710563.JPG
posted by カンカン at 18:56| 神奈川 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月19日

RIP Richard Davis リチャード・デイビス 〜 音楽の力 1961年 Eric Dolphy Quintet / Aggression  〜 1996年夏 "Aggression..." “Eric…” と呟いたプラットホームで出会ったMal Waldronのサイン


P1840111.JPG 

In 1996 I was listening to Eric Dolphy / Aggression(Richard Davis on Bass) every day. That year I happened to meet Mal Waldron on a station platform. Mal Waldron muttered "Aggression..." "Eric..."


今日の1曲
 Eric Dolphy / Aggression 1961年7月16日録音
 Eric Dolphy / Last Date 1964年 
 Mal Waldron / Left Alone 1959年  
 Richard Davis / The Philosophy of the Spiritual (1971)
 Ash Ra Tempel / Freakn'Roll 1973年
 Bruce Springsteen / Meeting Across the River
       Richard Davis−Bass 

 
 ジャズベーシストの巨匠Richard Davisリチャード・デイビスさんが 93歳で亡くなりました。

Richard Davis (bassist) - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Davis_(bassist)

 Richard Davisが参加したEric Dolphy – At The Five Spot Volume 2のAggressionは、人生で一番苦しい時期に最も聴いた曲の一つです。
 Eric Dolphy – At The Five Spot は1961年7月16日に録音されています。

<メンバー>
Richard Davis (April 15, 1930 – September 6, 2023) Bass
Eddie Blackwell (October 10, 1929 – October 7, 1992) Drums ー 1960年12月にOrnette Coleman (March 9, 1930 – June 11, 2015)、Eric Dolphy等と「Free Jazz」を録音。
Eric Dolphy(1928年6月20日 - 1964年6月29日) Flute, Bass Clarinet
Mal Waldron(1925年 8月16日 - 2002年 12月2日) Piano
Booker Little Trumpet(1938年4月2日 - 1961年10月5日)− 尿毒症で23歳で夭折し、Eric Dolphyクインテットはこれにより途絶えた。




 Aggressionは、John Coltrane / Love SupremeのPart3、James Brown / Soul Power(1971、Paris)と並んで、Jazz・Soulで最も多く回数を聴いた曲です。

 カセットテープに落として何度も聴いた箇所は、数カ所です。特に以下の@Aの箇所は凄まじい超絶技巧の早弾き(早吹き)です。1961年当時では世界で最先端の音楽といえるものです。

Eric Dolphy / Aggression
https://www.youtube.com/watch?v=Gi_O3XBvMTE&list=OLAK5uy_lVFPIHrcjZNFSoYFC9l-8MdqstAzzls0M
@ 1:35のテーマからBooker Littleのソロ、特に4:40からもの凄いスピードになり、5:20でEric Dolphyに引き継ぐ。Mal Waldronのピアノも伴奏の域を超え、徹頭徹尾緊張感と美しさがあり、Booker Littleのトランペットと双璧をなしている。今までに聴いたMal WaldronのみならずJazz Pianoのベストプレイの一つ。
A Eric Dolphyのソロの6:30から6:52まで、もの凄いスピードで12音階の現代音楽とJazz、Free Jazzを融合させている。
B 11:15からBassソロとDrumsになる。特にDrumsは後にドイツのAsh Ra TempelのJoin InnーFreakn’RollのKlaus Schulzeに影響を与えたと思われる。

L:US 1st Edition 1963   R:Japanese 1st Edition 1964
P1840085.JPG
Eric Dolphy / At The Five Spot Volume 2は、USと日本では数回再版されているが、他国ではほとんど発売されていない。

Eric Dolphy – At The Five SpotのVolume2のライナーより Aggression
P1840115.JPG



Eric Dolphy - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Eric_Dolphy
https://www.youtube.com/watch?v=oMF5PTDcqPc&t=245s

 Eric Dolphyに関心を持ったのは、Tangerine Dream / Phaedra、Klaus Schulze / Timewind、FaustWのライナーを書いていた間章の影響です。
晶文社から出たロングセラー「エリック・ドルフィー」の評伝は間章が翻訳し、間章自身の印象的なエッセイも付されていました。




 Eric Dolphyについては、有名なLast Dateを1980年代前半に買い、次に1990年代に何かの偶然でLPを入手したのがEric Dolphy – At The Five SpotのVolume1ではなく2の方でした。

Eric Dolphy / Last Date
https://www.youtube.com/watch?v=y6LLe5h
28:50からYou Don't Know What Love Is
最後の曲Miss Annが終わった後に、「音楽が終わるとそれは空中に去り、二度とつかまえることはできない」という有名な語り。




Mal Waldron's meaningful sign. "あなたの友達” means "Your Friend" 
”丸" is pronounced ”Mal”
P1840109.JPG


〜 1996年夏 "Aggression..." “Eric…” と呟いたプラットホームで出会ったMal Waldronのサイン 〜


 平成8年、その年も失意の苦しい夏を過ごしていました。
 毎日、Aggressionをヘッドホンの最大ボリュームで聴いていた時期でした。
 この頃、渋谷にあったJazz喫茶でもAggressionをリクエストしました。

 日曜日にいつも乗車するプラットホームのベンチに黒人の男性が座っていました。このような郊外の駅で黒人の人を見るのは初めてでした。
 スーツだったかは忘れましたが、落ち着いた感じの人でした。

 顔を見ると、いつも聴いているAggressionのピアノを弾いているMal Waldronでした!
 Left Aloneが特に日本で人気があり、Mal Waldronが親日家で何度も来日していることは知っていました。だから、ここにいてもおかしくないという状況は把握できました。

 とても緊張しました。
このようなケースでどう英語で話を切り出したらいいかわからないので、
 私が男性の前で、ピアノの鍵盤を弾く手ぶりを見せたところ、
Mal Waldronは静かにうなずきました。

 そこで、私はこれだけは言いたいと思い、片言の英語で必死に「私は毎日Eric Dolphy Five SpotのAggressionを聴いています」と興奮気味に話しました。
 Mal Waldronは「Aggression…」とつぶやきました。
 そして「Eric…」とつぶやきました。
 そして「あなたは英語を話せますか?」と私に問いかけました。
 しかし、私は会話をうまくつなげませんでした。

 そして、慌ててサインをもらいたいと思い、持っていた本の遊び紙のページを差し出しました。
 Mal Waldronは慣れた感じで、丁寧にサインをしてくれました。
 そこには「あなたの友達 Mal Waldron 丸」と書かれていました。
 ユーモアのあるサインをもらったおかげで、英語はできませんでしたがとても幸せな気持ちになれました。

 私は急行が来たので、おそらく「Thank you」「Goodbye」としか言えなかったと思いますが、挨拶をして別れました。
 Mal Waldronもにこやかな感じでしたが、手をふったり、ハグしたりするようなことはありませんでした。

 Mal Waldronは「Left Alone」のBillie Holiday、自分より若いEric Dolphy、Booker Littleといった夭折した人たちや、1950年代、1960年代の公民権運動の最中のJazzが最も重かった時代の記憶を背負っているのだと実感しました。

 Mal Waldronはベンチに座っていて、誰かが来るのを待っているのではないかと思います。
 電車の車窓から1990年代という時代にいるMal Waldronをずっと見ていました

 もし、英語が話せたら、もっとMal WaldronとJazzの話ができたと思います。今思うと残念です。

「私は毎日Eric DolphyのAggressionを聴いています」と伝え、
 Mal Waldronが「Aggression…」「Eric…」と応え、
「あなたの友達 Mal Waldron 丸」と書いてくれたあの光景だけは、いまも目に焼き付いています。

Mal Waldronからサインをもらったホームのベンチ(新しい木造に変わった)
The platform where I met Mal Waldron
P1840127.JPG

マル・ウォルドロンはあなたの友達: 空気人的身辺雑記 (airegin.net)
http://www.airegin.net/blog/2006/05/a_a_a_a.html
1976年のサイン

Mal Waldron / Left Alone1959年
https://www.youtube.com/watch?v=xUoQCaCeevM




〜 Eric Dolphy / AggressionのKlaus SchulzeとAsh Ra Tempelへの影響 〜


  1964年にBeatlesが出現するまでは、Jazzは世界で最先端の音楽とされてきました。Eric DolphyはハードバップにFree Jazzを融合し、最先端のJazzのさらに最先端にいました。

 間章の評論がFree JazzからGerman Rockに移行したことからも、Eric DolphyなどのFree JazzはGerman Rockに大きな影響を与えたと思います。 

 特にTangerine Dream、Ash Ra TempelのKlaus Schulzeは、当初は兄からの影響でJazz Drummerを目指していたので、Schulzeが16歳のとき、1963年に発売されたEric Dolphy −At The Five Spot Volume 2、特にAggressionの多大な影響を受けたと思います。

ブログ あしあと〜 追悼RIP クラウス・シュルツ Klaus Schulze A 1969年 Tangerine Dream / Journey through a burning brainまで
http://soleluna.seesaa.net/article/487974365.html

 まず、最初にKlaus Schulzeが主体になって作った1971年のAsh Ra Tempelの1stアルバムのA面の動、B面の静の1曲ずつの大曲という組み合わせは、B面にLike Someone In Loveというフルートの穏やかな曲を配したEric Dolphy−At The Five Spot Volume 2の構成と同じです。

 このような動と静の大曲1曲ずつの構成は、私の知る範囲では、アメリカでは1963年のEric Dolphy−At The Five Spot 2、ドイツではTangerine Dream、Amon Düül、Canではなく、1971年のAsh Ra Tempelの1stが初めてではないかと思います。

 さらに、1972年12月録音、1973年リリースのAsh Ra Tempel / Join InnもA面の動、B面の静の大曲で、A面は1stよりもJazzに近づき、Freak 'N' Roll でのKlaus SchulzeのDrumsとHartmut EnkeのBassは、AggressionでのEddie Blackwell とRichard Davisのコンビネーションから影響を受けていると思います。

Ash Ra Tempel - Freak 'N' Roll
https://www.youtube.com/watch?v=zMZRu3uYJqw
3:45と8:45のベースソロとKlaus SchulzeのDrumsにAggressionの影響を感じる
Klaus Schulzeのシンセサイザーが効果的に被せられている。




 1971年にRichard Davisは、The Philosophy of the Spiritualというクラシック音楽への造詣を伺わせる素晴らしいアルバムを発表しています。

Richard Davis / The Philosophy of the Spiritual (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=dqN0W5ol8Os&list=RDEMc5qzi-9zJDu1XBsIbrrO_w&start_radio=1
美しいピアノから始まる名盤。

 Richard Davisは、数々のセッションに参加しています。中でも有名なのは、Bruce Springsteen / Born to Runの中のMeeting Across the Riverです。

Bruce Springsteen / Meeting Across the River
https://www.youtube.com/watch?v=c6OAtvjSf1Y

Bruce Springsteen / Born to Run
https://www.youtube.com/watch?v=Wu4_zVxmufY




 ありがとうございました。Richard Davisさんのご冥福をお祈りいたします。RIP

 そして、Five Spot-Agressionで共演されたEddie Blackwell、Eric Dolphy、Mal Waldron、Booker Littleの皆様のご冥福もお祈りいたします。

P1560127.JPG

2023年09月09日

RIP 追悼1周忌 Ramsey Lewisラムゼイ・ルイス 〜 Sun Goddess 1974年 時代を超越したJazz Funkの最高楽曲・FM東京の思い出 〜 Earth, Wind & Fireのモーリス・ホワイト Maurice Whiteの師匠


P1830916.JPG

In the late 1970s, Ramsey Lewis / Sun Goddess was famous in Japan because it was the theme song for an FM radio show that started at 6pm on weekdays. Also, in Japan around 1980, Earth, Wind & Fire was successful as one of the most cutting-edge bands.


今日の1曲
Ramsey Lewis/Sun Goddess 1974年
Earth, Wind & Fire / Getaway 1976年
Earth, Wind & Fire / Fantasy 1977年
Earth, Wind & Fire / Let’ Groove 1981年
Manuel Göttsching /E2-E4 1981年



 9月12日はRamsey Lewisの1周忌となります。
 Earth, Wind & Fireの演奏によるRamsey Lewis/Sun Goddessは、その美しさにおいてJazz Funkの最高楽曲であり、また私にとって生涯で理屈抜きに最もかっこいい曲の一つです。

Ramsey Lewis/Sun Goddess
https://www.youtube.com/watch?v=XPmlJd6WZMo



 「Sun Goddess」は、1970年代、当時のFM東京(現・TOKYO FM)における平日午後6時〜午後6時10分の番組『丸井ミュージック&モア〜夜とよぶには早すぎて〜』のテーマ曲として、たびたび聞いていました。

【FM東京】 1978年2月21日(火) 丸井:ミュージックアンドモア「夜と呼ぶには早すぎて」
https://www.youtube.com/watch?v=bZsGmv8jl4w
この時代は女性ナレーターも個性的で音楽の一部をなしていた。

 小遣いが少なく、レコードも高かった時代には、FMラジオはいい音楽に出会う術でした。特に1975年でProgressive Rockが終わり、1977年からレコード店が砂漠のようになった頃、FMからの新しい音楽、Jazz、Soul、フュージョンなどは救いの一つでした。

ブログの記述:「夜と呼ぶには早すぎて」: SPEAK LIKE A CHILD (way-nifty.com)
http://shingongen.way-nifty.com/speak_like_a_child/2012/01/post-2bfe.html

シリア ポールDJ FM東京・「ダイヤトーン ポップスベストテン」オープニング
https://www.youtube.com/watch?v=5DVNDHYfRCY
当時は他にもFM東京の印象的な番組が多数。土曜日に必ず聴いていた洋楽ベストテン

 1970年代の当時は曲のタイトルもアーティストもわからず、やっとSun Goddessとわかったのは15年ぐらい前、Youtubeのおかげでした。

 その後、今までRamsey Lewis/Sun Goddessは、Maurice WhiteとEarth, Wind & Fireにサポートされた1発屋ではないかというような大変失礼な認識だっったため、今回反省しております。

 Ramsey Lewis (May 27, 1935 – September 12, 2022)は、McCoy Tyner(1938年生)、Herbie Hancock(1940年)などと同世代のジャズピアニストで、1960年代はトップ8に入る実力者でした。 

 そしてMaurice White(1941年12月19日 - 2016年2月4日)は、シカゴのブルース音楽Chessレコードのドラマーでしたが、1966年にRamsey Lewisトリオに参加。Ramsey LewisはMaurice Whiteの師匠だったことを初めて知りました。幼少期に父親不在で祖母に育てられたというMaurice WhiteがRamsey Lewisを慕ったことは想像できます。

 そこで、今回Ramsey Lewisの音楽を初期から初めて聴いてみると、1960年代当時としては世界最先端だったといえる研ぎ澄まされた美しいサウンドです。



 1970年代末に世界最先端だったMaurice WhiteとEarth, Wind & Fireの音楽のルーツがここにあったといえます。Maurice Whiteの音楽はChessレコードのEtta JamesなどのBluce、James BrownのFunkの黒人のビートを土台にしながらも、Ramsey Lewisから学んだ洗練された白人音楽のコード進行・ラテン音楽のリズムの影響によって、世界的にヒットする普遍性を持ち得たといえます。

Ramsey Lewis and his Gentle-men of Swing
https://www.youtube.com/watch?v=K1C8SGRDeKw
1956年のデビュー作品。1曲目からクラシックのビゼーのCarmenのアレンジ。

Ramsey Lewis/Wade In The Water (1966)
https://www.youtube.com/watch?v=skCYAnFcQu8
Maurice White初参加の作品と思われる。

Ramsey Lewis/Summer Samba (1966)
https://www.youtube.com/watch?v=eabuXooFxT0&list=PL6F6vWh2hbRZcV2P3wzJQ6xtLT5z9J6Uq
Maurice White参加のラテンジャズの作品。

 Ramsey Lewisの作品はジャズ、クラシック、ラテン、ポップスなどの要素を持ちどれも素晴らしいです。ドラマーのMaurice WhiteがEarth, Wind & Fireであれほどのヒット曲が書けたのはRamsey Lewisからの影響だとわかりました。

 1960年代のアコースティックアルバムの後、Ramsey Lewisは1970年代に新しいElectric音楽の方向性に向かいたいと考え、Earth, Wind & Fireに所属していたMaurice Whiteと再会し、Sun Goddessの制作に入りました。

 Maurice Whiteは、タイトル曲Sun GoddessのComposer, Lyricist, Producerです。そしてEW&Fのメンバーが演奏し、フィリップベイリーがボーカルを担当しました。

 Sun Goddessは、Earth, Wind & Fireの名義で出せば代表作となり得るほど楽曲です。
 その楽曲をMaurice WhiteがRamsey Lewisに提供した理由が、師匠への恩返しだったことが今回やっとわかりました

 『太陽の女神』(Sun Goddess)は、1974年にコロムビア・レコードからリリースされ、ビルボードトップソウルアルバムチャートで1位、ビルボードトップポップアルバムチャートで12位に達し、RIAAによって米国でもゴールド認定されました。

 Sun Goddessは1974年10月2日にリリースされたので、来年で50周年になります。時代をあまりにも先取りした素晴らしいサウンドといえます。

Ramsey Lewis Quartet / Sun Goddess 1980 Live
https://www.youtube.com/watch?v=AfVYSruxFG0
アコースティックにアレンジされたモントルージャズでのライブ。

 1974年のRamsey Lewis/Sun Goddessは、1975年以降のEarth, Wind & Fireの成功の幕開けといえます。そこで、Maurice Whiteを偲んで、もう一度Earth, Wind & Fireの楽曲を振り返ってみたいと思います。




Earth, Wind & Fire / Getaway
https://www.youtube.com/watch?v=xN_3nib4r3Y&list=PLrUa96NnJ_QPPZFkGyukCcZZ49RdIZqja&index=5
1976年

Earth, Wind & Fire / Fantasy 宇宙のファンタジー
https://www.youtube.com/watch?v=r58GQYFZeLE
1977年.特に日本で大ヒット

Earth, Wind & Fire / Let's Groove
https://www.youtube.com/watch?v=8D4hcrkI2xU
1981年

Earth, Wind & Fire / Fall In Love With Me
https://www.youtube.com/watch?v=Sm7d50z-sjs
1982年


L:Earth, Wind & Fireサウンドの完成形:Let's Groove 1981年
R : Manuel Göttsching/E2-E4 1981年録音。ギターリフにSun Goddessからの影響が見られる。
P1830919.JPG

 James BrownがCanやKraftwerkに影響を与え、逆にKraftwerkがHiphopに影響を与えたように、Ramsey LewisのSun Goddessのギターリフが影響を与えたと思えるのが、Manuel GöttschingのE2-E4です。Manuel Göttschingはサンタナのファンで、Discoにもよく通っていたので、その影響は強いと思います。そして、E2-E4は逆にデトロイトのTechnoに影響を及ぼします。 

Manuel Göttsching /E2-E4 (1981/Full album)
https://www.youtube.com/watch?v=Vq-kovIr2BE
1981年録音 1984年発表
冒頭のリフからSun Goddessの影響を感じる。39:00 Glorious Fightからがピーク




 Ramsey Lewisが亡くなった2日後に、Earth, Wind & FireによるSun Goddessの追悼演奏が行われました。

Earth Wind and Fire Live 2022 / Sun Goddess ⬘ dedicated to Ramsey Lewis 🡄 Sep 14 ⬘ Sugar Land, TX
https://www.youtube.com/watch?v=XnGf3ToSMew

 Ramsey Lewisのお弟子さんのMaurice Whiteさんは2016年に亡くなっています。
 Ramsey Lewisさん、そして改めてMaurice Whiteさんのご冥福をお祈りします。RIP

P1830331.JPG

2023年07月23日

追悼 RIP ・PANTA 〜 山口冨士夫と情報誌「シティロード」R 特別編U 〜 PANTAさんとの50年・出会いMusic Life 1973年11月号・裸のラリーズとともに 〜 1968年PANTAの山口冨士夫とのブルースバンド計画 〜 1970年代「東の頭脳警察・西の村八分」 〜 1980年代「シティロード」とPANTA・山口冨士夫の苦悩の時代 〜 頭脳警察初体験・2010年ジョー山中支援コンサート・カニ坂フェスでハイタッチ・加藤登紀子さんと笑顔で 〜 PANTAさんありがとう

 P1820442.JPG
 頭脳警察 Toshiとの大学の大教室でのリハーサル(1970年〜1972年頃)


今日の1曲
ダイナマイツ The Dynamites/トンネル天国 1968年
オックス / スワンの涙 1968年
Tangerine Dream / Journey through a burning brain1969年
ミュージカル HAIR JAPAN 題名のない音楽会 1969年
Flower Travellin' Band / Satori Part II 1970年録音
村八分 / あっ 1971年4月録音
頭脳警察 / 銃をとれ 1971年8月Live
頭脳警察 / 頭脳警察 1   1972年1月Live
頭脳警察 / それでも私は 1972年5月
村八分 / あやつり人形 1972年11月Live
頭脳警察 / 詩人の末路 1973年3月
村八分 / 馬の骨 1973年5月Live
裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés
      / 造花の原野 OZ Days Live 1973年
山口冨士夫 / からかわないで 1974年
頭脳警察 / あばよ東京 1974年
PANTA / 屋根の上の猫 1976年
Panta & HAL / つれなのふりや1979年Live
Panta & HAL / 臨時ニュース 1980年Live
裸のラリーズ Les Rallizes Denudes feat 山口冨士夫
      / 造花の原野 1980年Live
頭脳警察 / さようなら世界夫人よ 1981年再発
PANTA / 悲しみよようこそ 1981年
PANTA / レーザーショック 1982年
山口冨士夫 / Ride On! 1983年5月
PANTA / 浚渫(SALVAGE) 1983年9月
山口冨士夫 Tumblings Live 1983-1984
PANTA / 16人格 1984年
シーナ&ロケッツ / ギャザード山口冨士夫参加 1986年
PANTA / クリスタルナハト1987年
RCサクセション / Covers 山口冨士夫参加 1988年
Teardrops / らくガキ 1989年
頭脳警察 / 7 1990年11月
頭脳警察 / 歓喜の歌 1991年5月
山口冨士夫 / Atmosphere 1992年
山口冨士夫 / 捨てきれっこないさ 2011年6月9日Live
頭脳警察 / さようなら世界夫人よ 2019年4月21日Live
頭脳警察+加藤登紀子 / Che Sara 2019年Live
Jose Feliciano / Che sara ( Sanremo 1971年)
ピーナッツバター (PANTAの1969年の幻のGS)
          / スワンの涙(OX cover) 2021年

 ついに頭脳警察のPANTAさんが7月7日に亡くなりました。
 山口冨士夫さんのときと同様に新聞でも写真付きで報じられました。
 頭脳警察、PANTAさんを初めて知ったのが50年前のMusic Life1973年11月号。半世紀もの間、影響を受けてきました。

ロックバンド「頭脳警察」PANTAさん死去、73歳…過激な歌詞でアルバム中止も 読売新聞オンライン
https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20230707-OYT1T50188/

PANTA from "Zunou Keisatsu" (means "Brain Police" in English) died of lung cancer on July 7, 2023. In the early 1970s, "Zunou Keisatsu" was Japan's most radical anti-war political rock band. The band name "Brain Police" comes from "Who are the Brain Police?" by Frank Zappa. Due to the influence of Tyrannosaurus Rex, they often performed live with only two people, guitar and percussion. Since 2010, I have been to PANTA concerts four times. I gave him a high five. PANTA saw me dancing and smiled. PANTA performed last concert on June 14, 2023, hiding his lung cancer. Japan's biggest newspaper, Yomiuri Shimbun reported PANTA's obituary.

頭脳警察1974年までの作品。1stは発禁。30年後にCD化。2ndは発売後回収。
P1820625.JPG

 今年1月に鮎川誠さんが亡くなって2月のシーナ&ロケッツと頭脳警察の初めての共演ライブが流れたとき、PANTAさんはとても悲しんでいました。
 鮎川誠さんはガンであることを最後まで隠していましたが、PANTAさんも肺がんであることを最後まで隠していました。ファンに対して心配をさせたくなかったからだと思います。

 しらけ世代の私には政治的信条もありませんでしたが、今まで人生の目的を失ったとき、PANTAさんは、山口冨士夫さんのように「自分も頑張ろう」と思わせてくれる道標のような存在でした。

 ここ数年のPANTAさんは日々精力的に、自分よりもずっと若い人たちも含めた全国での音楽活動を中心に、社会運動にも参加、映画批評・書評などで発言し、改めて常人とは違うパワーと能力のある方なのだなと驚いていました。


PANTAX'S WORLD | PANTA・頭脳警察オフィシャルサイト (brain-police.com) LP PANTA / 走れ熱いなら
https://www.brain-police.com/disco/%e8%b5%b0%e3%82%8c%e7%86%b1%e3%81%84%e3%81%aa%e3%82%89/

 頭脳警察が日本で最初の反体制ロックバンドであったことから、そのイメージに縛られたPANTAさんは、その後の音楽活動で厳しい批判を受けた時期がありました。

 PANTAさんの言葉で印象に残っているのは、しなければならないと思うことではなく、自分が本当にやりたいことだけやると決めたことによって、精神的な苦しみから解放されたという内容のことでした。

 また、1985年ごろ週刊誌の「団塊の世代」特集で、PANTAさんは「自分の歌に影響を受けた人たちに対して責任を感じた時期があった。」と発言していました。

 十代の頃に反体制的な歌を書いた尾崎豊さんも、20歳を過ぎて、自分の歌が世の中に与えた影響について責任を感じ、新たな創作に苦しみました。PANTAさんや岡林信康さんは、そういった責任と重圧を最初に背負った人達だといえます。

頭脳警察、村八分時代の楽屋での山口冨士夫、PANTA(1971年〜1972年頃)
P1820439.JPG

 1970年代前半に「東の頭脳警察、西の村八分」と呼ばれた頭脳警察、村八分の解散後、PANTAさん、山口冨士夫さんは1980年代に苦闘の時代を迎えます。

 当時のPANTAさんの活躍と苦闘の軌跡は「シティロード」の誌上に表れていました。他方、山口冨士夫さんの活躍と苦悩も「シティロード」の告知によって知ったライブで直接体験しました。

 1979年に山口冨士夫は、村八分の再結成に失敗。1980年に参加した裸のラリーズは高評価を受けたものの、1981年3月に脱退後、ギターを燃やして完全に音楽を放棄してしまいます。
 他方、PANTAは、1979年に高評価を受けたPANTA&HALの解散後、1981年、1982年のラブソングのスイート路線に対して、ファンクラブによる不買運動まで起きます。頭脳警察時代からのファンやシティロードからの支持と期待が熱かった分だけ、批判も厳しいものになりました。

 1983年に山口冨士夫は復活し、それに呼応するようにPANTAも硬派ロック路線で復活。
 1984年の新年には、山口冨士夫とPANTAはニューイヤーロックフェスティバルで、10年ぶりに共演。

 しかし、山口冨士夫は1984年に再び不調となり失踪。
 PANTAも1984年の「16人格」録音中に倒れる。

 その後、1989年に山口冨士夫はTeardropsとしてメジャーデビュー。
 PANTAも1987年に集大成とされるクリスタルナハトを発表後、1990年に頭脳警察を再結成します。
 
 1980年代当時、PANTAさんと山口冨士夫さんは「シティロード」の誌面を通してお互いを意識して、励まされていたと思います。そして、その二人の繋がりによって、当時の苦しかった自分も支えられていたことに今回気づきました。

 そこで、今年1月の鮎川誠さんの追悼の時と同様に、PANTAさんの追悼も「山口冨士夫と情報誌「シティロード」R 特別編U」とさせていただきました。
 PANTA・頭脳警察と山口冨士夫・村八分の関連を軸に、PANTAさんの軌跡を振り返っていきたいと思います。


〜 PANTA・頭脳警察の略歴 Wikipediaより 〜 

1969年
「モージョ」に短期間参加。グループ・サウンズの「ピーナツバター」結成。
グループ・サウンズとロックの過渡期的なバンド「スパルタクス・ブント」結成に参加。
1970年 - 1975年 「頭脳警察」として活動。
1975年 - 1977年 ソロ活動。
1977年 - 1981年 「PANTA & HAL」として活動。
1981年 - 1990年 ソロ活動。
1990年 - 1991年 1年限定で「頭脳警察」再結成。
1991年 - ソロ活動。
2001年 -「頭脳警察」再々結成。
2021年 - 18歳で結成した「ピーナッツバター」を52年ぶりに再結成。


〜 PANTA・頭脳警察と山口冨士夫・村八分を対比したロック史 〜

◆ → PANTA、頭脳警察の活動
◇ → 山口冨士夫、村八分の活動
※ → 個人的な思い出

◇1949年8月10日 山口冨士夫生
◆1950年2月5日 パンタ(PANTA、本名:中村治雄)生

PANTAの自伝「歴史から飛び出せ」広告1989年 JICC出版
山口冨士夫の自伝「So What」1990年 JICC出版
P1820605.JPG





1967年

◇11月 山口冨士夫がダイナマイツ / トンネル天国でデビュー
◇11月 裸のラリーズ、京都で結成

1968年

◆◇ PANTAが17-18歳の無名の頃、新宿ACBでダイナマイツの楽屋を訪ね、山口冨士夫にブルースバンドの結成の話をもちかけた。「でも冨士夫は、ものすごく真摯に対応してくれて」「そういう志だったら鈴木ヒロミツがいいよって言ってくれたんです。」
 その後、PANTAは頭脳警察、山口冨士夫は村八分を結成。「本当に不思議な因縁だと思ってるんです」(「証言!日本のロック70's」より)

 後年、キャロルの矢沢永吉が頭脳警察の楽屋を訪れ、PANTAの前で「日本のロックはこれではいけないと思うんです」と延々と語った。PANTAは「あっ、こんな熱い男がいるんだ、これはすごいぞ」と思い、かつて山口冨士夫の前にいた自分の記憶が脳裏をかすめたという。(「証言!日本のロック70's」より)



ザ゙・ダイナマイツ The Dynamites/トンネル天国 Tunnel Tengoku (Album Version)(1968年)
https://www.youtube.com/watch?v=8FGJMUxnr78

1969年

◆PANTA 後期GSモージョに参加。アイドル系GSピーナッツバターのOXの弟バンドとしてのデビュー計画が頓挫。元GSヴァンドッグスの千葉正隆、Toshiとキーボードトリオ、スパルタクス・ブントを結成し、政治活動家千葉正隆の影響を受けて政治デモに参加。
オックス / スワンの涙
https://www.youtube.com/watch?v=UIuh8c4reuQ
PANTAはGSピーナッツバターとして2021年にカバーしてリリースした。

◆12月 PANTA、Toshiと頭脳警察を結成。「さようなら世界夫人よ」を作る。
◆12月 PANTA、反戦ミュージカルヘアー(主演:加橋かつみ ex The Tigers)を見て感銘を受ける。
HAIR 1969 JAPAN (『題名のない音楽会』より)
https://www.youtube.com/watch?v=lAsg_g389ko

◇12月31日 山口冨士夫のダイナマイツが解散

※ ドイツでは、 Amon Düül 、Tangerine Dream、Can、Kraftwerkなどが、政治運動の中から誕生する。

Tangerine Dream / Journey through a burning brain 1969
https://www.youtube.com/watch?v=7s5pzEcCWUA
8:00からヘッドホン・フルボリュームで。世界で最も学生運動が激しかったBerlinの象徴的なバンド。

1970年

◆4月1日 PANTAが頭脳警察でライブ活動を開始。共演Flower Travellin’ Band
◇5月 山口冨士夫がチャー坊と出会い、新バンド結成を決意。
◆6月 頭脳警察が日比谷野音の政治集会に出席し、反体制バンドの方向性を固める。
PANTA「そんな集会だって聞いてなかった」 Toshi「あれは怖かったねえ。俺も震えていた」 
◆◇7月25〜31日 頭脳警察、村八分(水谷孝を加え、裸のラリーズ名義)初共演。<ロック・イン・ハイランド:富士急ハイランド>

◆◇ 反体制の象徴として「東の頭脳警察、西の村八分」と称される。
2001年7月刊行「ロック画報」特集「頭脳警察と村八分 もっとも危険なロック」
P1820622.JPG



1971年

◇4月 村八分、大阪で後にCD化され名盤とされる「草臥れて」を録音。

村八分 / あっ 1971年4月録音
https://www.youtube.com/watch?v=O8SuvuaVqfU

村八分の作品群。最後の「ライブ村八分」以外は20年以上を経てCD化。
P1820626.JPG

◇4月11日 村八分、日比谷野音に初出演。東京でのデビュー。
 一風堂の土屋正巳は、6月27日の村八分のライブを見たときに「『本当に世の中が変わる』と確信した。」と述べている。

村八分BOX -LIMITED EDITION Trailer
https://www.youtube.com/watch?v=G9EqrB0ISaw
1971年野音、1972年京都円山音楽堂、慶応三田祭などの映像

◆◇7月31日、8月1日 琵琶湖のフェスで、村八分と頭脳警察が共演
◆◇8月8日、9日 精進湖のフェスで、村八分と頭脳警察が共演

◆8月12日〜14日 頭脳警察、三里塚の幻野祭フェスに出演。
「世界革命戦争宣言」「銃をとれ」等、過激な歌詞の曲を歌い、会場を盛り上げた。他に加藤登紀子、早朝のため話題にならなかったが天井桟敷も出演した。フリージャズの阿部薫も出演。

頭脳警察 / 銃をとれ Live
https://www.youtube.com/watch?v=cbfDei_yuYI
三里塚でのPANTAとToshiによるライブ映像

◆◇11月6日 慶応義塾大学三田祭
 はっぴいえんどの演奏時間に頭脳警察がステージを占拠しまう。この件について2018年に、PANTAははっぴいえんどの細野晴臣と和解した。
 村八分は出演をキャンセルし、遠藤賢司によれば「山口冨士夫氏の責任であり、主催者には責任はない」との掲示がされた。
 裸のラリーズも出演(京都以外の大学では初めてと思われる。)

1972年
 
◆◇1月8日 「All Japan Rock & Roll Festival」京都公演で、頭脳警察、村八分が共演予定。村八分が出演をキャンセル。
◆◇1月10日 東京都立体育館で「All Japan Rock & Roll Festival」が開催され、頭脳警察と村八分が共演。村八分は山口冨士夫、チャー坊、カントの3名によるアコースティックライブ。

◆3月5日 頭脳警察1stが発売禁止になる。1月8日、10日のライヴ音源から構成。

頭脳警察 / 頭脳警察 1 (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=u_MEMt7zumw&t=794s
1975年に通販された限定盤は入手困難で、2001年、2002年にCD化され公となる。



◆5月 頭脳警察2nd発売。直後に回収され、3曲が放送禁止になる。
「さようなら世界夫人よ」にフルートで参加した吉田美奈子は、その後山下達郎とFunkで共演。
頭脳警察 / さようなら世界夫人よ
https://www.youtube.com/watch?v=Ao6Yyz6nEYo
頭脳警察 / それでも私は
https://www.youtube.com/watch?v=H9sjp107kXA

◆◇11月23日 慶応義塾大学三田祭で、頭脳警察、村八分が共演。
 頭脳警察の出演の後に村八分がトリを務め「ライブ三田祭」としてCD化
村八分 / あやつり人形 (from 三田祭 1972)
https://www.youtube.com/watch?v=wrHrsF_g0ZU



◆12月 「頭脳警察3」発売。
 ギタリスト石間秀樹(Flower Travellin' Band)が参加。
 1970年ごろ、PANTAは年上の石間に対して「なぜ日本のバンドがロックを英語で使うのか」と激論した。石間は「PANTA、それは違う。公用語で世界に伝えないと意味がないじゃない?」と反論した。その後、PANTAはFlower Travellin' Bandがカナダで1971年に発売したSatoriを聴いて「これが石間君がやりたかったことか」と涙が出るほど感激したという。(「証言!日本のロック70's」より)

Flower Travellin' Band / Satori Part II
https://www.youtube.com/watch?v=919X0aIsrIo

1973年

◇2月4日 村八分がフジテレビ「リブヤング」でテレビ初出演
◆3月 頭脳警察4th「誕生」発売。馬飼野康二(1972年11月の西城秀樹が編曲デビュー)がストリングスを編曲した叙情的作品。4th、5thではToshiが脱退。
頭脳警察 / 詩人の末路
https://www.youtube.com/watch?v=3uPwFeLSQQA&list=OLAK5uy_nWQsWjRLky0YBK-baUX5-g1uz8vSs3ttU&index=3

◇5月5日 村八分が京大西部講堂で「ライブ村八分」を録音し、解散。
村八分 / 馬の骨
https://www.youtube.com/watch?v=kmNLNF54Cm8
◇6月 「ライブ村八分」発売。



◆7月 頭脳警察5th「仮面劇のヒーローを告訴しろ」発売
◆9月22日 頭脳警察、日比谷野音「エレクトリックピュアランド」で裸のラリーズと共演。
裸のラリーズ Les Rallizes Dénudés / 造花の原野 OZ Days Live
https://www.youtube.com/watch?v=T_tTrJpgnHQ

◆Music Life 1973年11月号「エレクトリックピュアランド」レポート 
写真は裸のラリーズ ( Photo:Les Rallizes Dénudés Sep.22, 1973 Tokyo)
P1820330.JPG 
※ 頭脳警察、PANTA、裸のラリーズとの最初の出会い。
 小学生の時、初めて買った音楽の本で、隅から隅まで必死に読んだ。たった4ページしかなかった「日本のフォークとロック」のコーナーに荒井由実1st、コスモスファクトリー1st、頭脳警察、裸のラリーズ、沢田研二、内田裕也、キャロルなどの情報が凝縮されていた。
 この記事の「アウトサイダーの代名詞で会った頭脳警察も、裸のラリーズの中に入るとインサイダーに組み入れられてしまう」「あの昔に感じられたエネルギーの炸裂が消えていったような気がする」という文章を読んで、この時点で頭脳警察が全盛期を過ぎた存在になっていたことが感じられた。
 後にPANTAは、裸のラリーズの水谷孝について「彼は同志社だからね」と発言していた。PANTAの出身校は関東の左翼運動の拠点だった関東学院大学で、同志社大学は関西における学生運動の拠点だった。1990年11月12日の再結成頭脳警察の同志社大学でのライブで、PANTAは「いつか行きたいと思っていた」「借りを返したい」と述べ、世界革命戦争宣言を20年ぶりに再現している。

裸のラリーズ収録のOZ DAYSライブ


◆10月20日 聖ロック祭 頭脳警察と四人囃子が合体した頭脳囃子



1974年

◇山口冨士夫初のソロアルバム「ひまつぶし」発売。
山口冨士夫 / からかわないで
https://www.youtube.com/watch?v=_WIihQ2vlQ8



◆◇8月4日 頭脳警察と山口冨士夫のZoonが日比谷野音で共演。同時期に郡山で開催されていた一大イヴェント「ワンステップ・フェスティバル」への出演予定をキャンセルし、その対抗的なイベントとして企画された。
P1820458.JPG

◆11月 頭脳警察6th「悪たれ小僧」発売
※ Music Lifeで頭脳警察「悪たれ小僧」の広告を見る。
頭脳警察 / あばよ東京
https://www.youtube.com/watch?v=reeQP1ZqUUg&list=OLAK5uy_kIowOOSUlJKsrbOtY9pHrf6NpQ3UPlSQU&index=9

1975年 

◆NHKラジオ「若いこだま」 ゲスト:森田童子 聞き手:PANTA
https://www.youtube.com/watch?v=VRGoKeDnZdE
◆頭脳警察の1stが600枚限定で予約通信販売。
 PANTA自身がバンド活動の区切りとして渋谷の郵便局から発送した。
◆12月31日<頭脳警察解散コンサート:渋谷屋根裏>
 以後、PANTAはソロ活動へ。



1976年

◆1月 PANTA初のソロアルバム「PANTAX World」発売。
PANTA / 屋根の上の猫
https://www.youtube.com/watch?v=gaStPap83Rg&list=OLAK5uy_mYBi2WqWHVaNwDH2MgVycTVkI6Ld-PrXE&index=1



◇山口冨士夫は、元Golden Cupsのルイズルイス加部とリゾートを結成。



1977年

◆1月 PANTA / 走れ熱いなら 発売

※ 1977年から1979年まで情報誌「ぴあ」を買う。PANTA関連のLPの広告を見る。PANTAのソロアルバム「PANTAX World」「走れ熱いなら」、 PANTA&HALの「マラッカ」「TKO」など。特に「走れ熱いなら」という言葉が印象に残り、影響を受けた。
  1979年から「シティロード」を買う。

1978年

◆この年、1972年以来初めてPANTAの新作がなく、「マラッカ」に向けて準備していたと思われる。
◇山口冨士夫は、福生を中心にアマチュア、ヒッピーたちと音楽活動をしていたとされる。

1979年

◆1月 PANTA&HAL / マラッカ発売。フュージョン、ニュー・ウェイヴをも取り込む。
PANTAホームページより
「70年代ロックの最高傑作といわれる『マラッカ』を発表。
当時の若者向け情報誌の人気投票では1位を獲得。斬新な音楽性と、近代未来都市…東京をリアルに描出したコンセプチァルな詩の世界との融合は、音楽ファンのみならず幅広い層からの支持を得る。PANTA&HAL は3枚のアルバムを残し、惜しまれながら81年解散、再びソロ活動へ。」

Panta & HAL / つれなのふりや ライブ映像
https://www.youtube.com/watch?v=ZAzOGY91sbI
レゲエの曲。キーボードからはProgressive Rockの影響を感じられる。

◇5月6日 村八分が再結成され、京大西部講堂のジョー山中グループコンサートに飛び入りで参加。
◆5月19日 日比谷野音 PANTA & HALコンサート
 アルバム『マラッカ』を完全再現。頭脳警察時代以上の観客数で成功。
◇6月7日 村八分が大阪でテレビ「11pm」に出演
◇7月15日 村八分、京大西部講堂でライブ。その後、解散。

1980年

◆1月 PANTA&HAL「1980X」発売  
PANTA&HAL / 臨時ニュース
https://www.youtube.com/watch?v=eW26mSscl-c
希少なライブ映像

◆シティロード3月号 読者人気投票で1979年の年間ベストアルバムの1位に「PANTA&HAL / マラッカ」が選出。

◇8月14日 山口冨士夫が裸のラリーズに参加し初ライブ。1981年3月まで渋谷屋根裏を中心にライブを行う。
裸のラリーズ Les Rallizes Denudes feat 山口冨士夫 / 造花の原野
https://www.youtube.com/watch?v=F8599vgG758&t=173s
 
◆8月16日 PANTA&HAL カルメンマキ&LAFFとライブ 
LAFFはヒットが出ず、1981年にヘヴィメタルバンド『カルメン・マキ&5X』へと発展解消。

※10月3日 シーナ&ロケッツを海老名文化会館で見る。2023年2月の頭脳警察とシーナ&ロケッツの初共演は、鮎川誠の急逝により中止となった。

◆シティロード10月号 PANTA&HALライブ発売。
評「迷いの中からスピードは生まれない」
P1820560.JPG
頭脳警察が日比谷野音で脚光を浴びた時代、山下達郎のシュガーベイブは、野音で批判の対象とされていた。「Ride On Time」では、頭脳警察2ndにフルートで参加した吉田美奈子が詞を提供。PANTAのライブ盤については、「PANTA&HAL / マラッカ」がサウンド志向だったため、ライブでの再現が難しかったものと思われる。

1981年 

◆シティロード3月号 読者人気投票で1980年のベストアルバムの5位に「PANTA&HAL / 1980X 」が選出。
 1979年以前の「マイベストアルバム」国内盤部門で、PANTA&HAL / マラッカが1位、頭脳警察2ndが3位、PANTA / パンタックス・ワールドが8位。
 「シティロード」でPANTAが圧倒的な支持を得る。
P1820637.JPG

◇3月 山口冨士夫が裸のラリーズを脱退。ギターを燃やして音楽活動を停止。
 「オレはもう、ダメ、だった」「オレは音楽をやめる」(自伝So Whatより)
 山口冨士夫は、裸のラリーズにいたことを「誇りに思う」とも述べている。
◇「シティロード」1981年3月号 
3月23日 屋根裏「未定」と記載 裸のラリーズ(山口冨士夫)の最後のライブ
P1150092.JPG  

◇山口冨士夫は、翌1982年11月まで音楽活動から離れ、海の近くで生活していた。

◆シティロード9月号 頭脳警察2ndが再発。話題になる。
P1820543.JPG

※ 近所の貸しレコードで、再発された「頭脳警察2nd」をサンハウス「有頂天」、Flower Travellin’ Band / Make Up、Mops、Happenings Fourなどと共に借り、初めて頭脳警察、日本のニューロックを聴くことができた。
 頭脳警察2ndは、冒頭の「銃をとれ」がインパクトがあったが、全体として叙情的な曲が印象に残った。
 
頭脳警察 / 銃をとれ
https://www.youtube.com/watch?v=cbfDei_yuYI

頭脳警察 / さようなら世界夫人よ
https://www.youtube.com/watch?v=Ao6Yyz6nEYo
吉田美奈子がフルートで参加。

頭脳警察 / それでも私は
https://www.youtube.com/watch?v=H9sjp107kXA



※ 中古レコード店では、頭脳警察の3,4,5,6をよく見かけ、日本のニューロックの中では、セールスが高かったことが伺えた。頭脳警察の1stは発禁とされ、幻となっていることを知る。
  歌謡曲専門のえとせとらレコードで、ジャックス1st、ライブ村八分、幻野祭ライブが、価格をつけられずに壁に飾られていた。幻野祭に頭脳警察が出演していたことを知る。
 ネット情報がない時代、山口冨士夫ともセッション経験のある加橋かつみのLP「1971花」が、荒井由実のプロ初の曲を収録とのことで、今の相場の10倍以上の35000円の値がついていた。

◆シティロード10月号 PANTA問題作「Kiss」発売。
スイート路線第1弾で、頭脳警察2nd再発直後だったこともあって批判を受け、ファンクラブで不買運動まで起きる。
P1820541.JPG    
PANTAのホームページより 
「81年8月にリリースされたソロ・アルバム。作詞を他者に依頼して、アレンジは矢野誠に任せて、パンタ自身は作曲と歌に集中したポップ・ソング集。“スウィート路線論争”を巻き起こした問題作。 本来ならティーンエイジャーの時に歌っているべきポップ・ソングをー頭脳警察のラディカルなパブリック・イメージのためにーパンタは30歳を越えてから歌わなければならなかった、というところに誤解の種があった。」

PANTA / 悲しみよようこそ
https://www.youtube.com/watch?v=nQKEJQc2weU&list=PLuQa0oIst6BvdJx8jikqF_yH91l-O3Uo2&index=1
大瀧詠一のロング・ヴァケーションに通じるサウンドと歌。PANTAも大瀧詠一もルーツは同じ1960年代ポップスであることがわかる。

1982年

◆シティロード3月号 読者人気投票で1981年のイキイキミュージシャン部門でPANTAが5位。(1位はRCサクセション、2位はルースターズ)
 ベストアルバムの12位に「PANTA / Kiss」、17位に再発された頭脳警察2ndが選出。
P1820642.JPG

◆シティロード8月号 PANTA「唇にスパーク」発売。「違和感あり」の評。
P1820548.JPG
1970年4月の頭脳警察の初ライブで共演したFlower Travellin' Bandのジョー山中はレゲエに転向していた。
PANTAのスイート路線3部作は、批判を受けてこの2作目で中止となる。

PANTA / レーザーショック CMトヨタ・初代ビスタ/2代目カムリ
https://www.youtube.com/watch?v=YWAfsFxqhDo
CMにも使用された。



◇シティロード11月号 
 11月22日に山口冨士夫が音楽活動を再開。村八分の青木真一が結成したフールズのライブに「元裸のラリーズ」の山口冨士夫がゲストとして出演することが、山口冨士夫に許可なくシティロードに告知されたのがきっかけ。  

1983年
 
◇シティロード1月号
1月1日 山口冨士夫がダイナマイツの大木啓造とのキズでライブ。
P1120213.JPG

ライブハウス欄の冒頭に、鮎川誠を含むサンハウス再結成可能性のニュースと共に「あの村八分の山口冨士夫が活動再開」と掲載。
P1110494.JPG

◆シティロード3月号 読者人気投票で1982年のベストアルバムの27位に「PANTA / 唇にスパーク」が選出。

◇「シティロード」4月号 ライブハウス情報に「あの山口冨士夫が本格的に始動」の記事が登場
山口冨士夫が、村八分、外道、トゥーマッチのニューロック出身者で本格的にライブ活動開始。シティロードのプッシュが始まる。
P1130190.JPG



◇5月 山口冨士夫が4曲入りEP「Ride On!」発売。
山口冨士夫 / ロックミー
https://www.youtube.com/watch?v=bJOrUp-Py8I&list=RDbJOrUp-Py8I&start_radio=1

◆シティロード9月号 PANTA / 浚渫(SALVAGE)発売。スイート路線から硬派ロック路線に戻る。山口冨士夫の復活が、早期に戻る影響を及ぼしたと思われる。「ライブアクトを重視したノリ志向なので、パンタの世界とピッタリあっている」と評。
P1820578.JPG
PANTAのホームページより 
「久しぶりのロック・アルバム。敢えてコンセプトを掲げるとすれば「軽薄短小の時代のどん底に沈殿しているものを“サルベージ”する」ということになる。新たに結成した4人編成のパンタ・バンドと共にストレートにロックをプレイしたアルバム。「重厚長大な」タッチの、ハードロック・ナンバーが中心になっている。」

◇12月23日 山口冨士夫が法政大学に出演し、復活以降の最高のライブとなる。
※ 今までに見たコンサートの中でも最も印象に残るライブの一つだった。翌24日、裸のラリーズが出演し、客席前列に山口冨士夫がいたのも忘れ難い。

1984年

◆◇1月1日 ニューイヤーロックフェス1983〜1984にPANTA、山口冨士夫出演
ニュー・イヤー・ロック・フェスティバル 1983-1984
https://www.youtube.com/watch?v=pSJgaff_R4g
1:03 山口冨士夫  2:50 Panta

◆◇「シティロード」1月号 ついに山口冨士夫、PANTAの名前が並ぶ。
日比谷野音の「頭脳警察 Zoon」コンサート以来10年ぶりの共演。PANTAが1月1日のトリを務める。主催者の内田裕也も頭脳警察2ndの「コミック雑誌なんかいらない」をカバーしており、PANTA-頭脳警察が日本のロックの中で重要な位置を占めていたことがわかる。
P1820539.JPG

NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL  PANTA自己紹介 (nywrf.net)
http://www.nywrf.net/php/stage.php?stage_id=st11042&nyrf_no=nyrf11

P1820597.JPG

◆◇シティロード3月号「1983年読者選出ベスト10」結果
P1820533.JPG
国内イキイキミュージシャン部門
           11位PANTA
           23位山口冨士夫
ベストアルバム[国内盤] 17位PANTA/ 浚渫
           25位山口冨士夫 / Ride On!

◆8月 PANTA / 16人格発売。PANTAは録音中に倒れる。
P1820570.JPG  
PANTAのホームページより
「84年8月にリリースされたコンセプト・アルバム。フローラ・リータ・シュライバーによる“16人格の少女”シビル・イザベル・ドーセットの内的冒険の記録「失われた私」(ハヤカワ文庫)にインスパイアされたもの。コンセプトはハードだが、サウンドはフレキシブルで、まるで16に分裂するシビルの人格を象徴するかのような多様な変容を遂げる。たとえばザ・フーのロック・オペラを連想させるような、劇的な展開は聴き手に眩暈を感じさせる。 パンタ自身もレコーディング中に病気になってしまったという恐ろしいアルバム。

◆11月 PANTA、頭脳警察時代に三田祭に出演した慶應大学で12年ぶりにライブ。

◇山口冨士夫 1984年 山口冨士夫バンドから、タンブリング・ダウン、タンブリング・ダイス、タンブリングスとバンド名を変えながらライブを行う。
山口冨士夫 Tumblings Live trailer 1983-1984
https://www.youtube.com/watch?v=SHDqto3pjRc
◇山口冨士夫 12月24日のシーナ&ロケッツとの共演ライブの日に欠席。
       25日は裸のラリーズが出演。

◆1984年〜1985年ごろ?
 週刊誌の「団塊の世代特集」で、PANTAが自分の歌を聴いた人に対して責任を感じた時期があったと発言。

1985年

◆4月 PANTA / 反逆の軌跡 (Don’t Forget Yesterday)発売
PANTAホームページより 
「アルバム・タイトルは「マジョリティーに反逆し続けてきたパンタの軌跡」ではなく、「“マジョリティーに反逆し続けてきたパンタ”というパブリック・イメージに反逆するパンタ自身のセルフ・イメージ(あるいは本音)の軌跡」と解釈するべきかもしれない。

◇ 1985年の1年間は、山口冨士夫の活動なし

1986年

◇ 2月山口冨士夫、鮎川誠のライブにゲスト出演し、その後、シーナ&ロケッツ / ギャザードの録音に参加。
   → 2023年2月にPANTAとシーナ&ロケッツの共演が予定されたが、鮎川誠が逝去
◆1986年はPANTAの新譜なし。「クリスタルナハト」の準備をしていたと思われる。

1987年

◆7月 PANTA、問題作「クリスタルナハト」を発売。
頭脳警察から始まるPANTAの音楽活動前期の集大成とされる。
P1820646.JPG
PANTAホームページより
「コンセプト・アルバム。クリスタルナハトーナチスによるユダヤ人虐殺が始まった38年11月8日の夜ーという美しい響きを持つ言葉の裏に隠された残虐な現代史を黙示録的なスケールで描いた意欲作であり、“構想10年”の大作だ。重厚なハード・ロック・サウンドと過激な抒情性をハイテンションで融合した劇的な展開には、エモーショナルなパワーが溢れる。 パンタが頭脳警察から語り続けてきた壮大な物語の第1章の完結編にふさわしいアルバムだ。」



◇山口冨士夫、Teardropsを結成。

1988年

◇山口冨士夫、RCサクセションの「Covers」に参加。

1989年

◆ PANTA著の自伝「歴史から飛び出せ」が発刊
◇ 山口冨士夫がTeardropsで東芝からメジャーデビュー
◆12月 頭脳警察7の録音開始

GSブーム以来のバンドブームが起こる。

1990年 

◆頭脳警察が1年限定で再結成
 4月29日 ライブの告知 2時間で売り切れ
 6月15日 新宿パワーステーションで1回目のライブ。

◆4月 三宅裕司の「いかすバンド天国」で、PANTAが審査員になる。
※ 厳しい審査で定評があったPANTAが、「プロ目指すのをやめたほうがいいんじゃない?」と批判したバンドに対して、「さっきは、ああいったけれど」とフォローしていたのが、PANTAの人柄が感じられて印象に残った。 
※ また、別のインタビューでPANTAが、趣味のバイクについて自分は排気ガスを出して走ってしまっているという自省的なことを話していたのも記憶に残っている。 

◇8月1日 山口冨士夫の自伝「So What」が発刊。
  頭脳警察についての山口冨士夫による記述はなし
  頭脳警察、村八分時代の山口冨士夫とPANTAが一緒に写った写真を掲載
  遠藤賢司による1971年の慶應三田祭の「頭脳警察、はっぴいえんど こなかった山口冨士夫」という記述あり。
◆◇8月 白夜書房「日本のロック体系」発刊
  頭脳警察、村八分などの記述も詳しく、PANTA・山口冨士夫の自伝や、この本から日本のニューロックに関する本格的な研究が始まったと思える。

◆11月12日 頭脳警察、同志社大学で「世界革命戦争宣言」を演奏。10月3日新宿ロフトでも演奏。
頭脳警察 / 世界革命戦争宣言〜銃を取れ!  同志社大学1990年11月12日
https://www.youtube.com/watch?v=mQO60U3z1ig
今まで見た頭脳警察の映像の中で、最も1970年〜1972年の雰囲気を感じさせる。

頭脳警察 / 赤軍兵士の詩〜暗闇の人生
https://www.youtube.com/watch?v=LyLhJXQ5gu4
西の学生運動の拠点だった同志社大学でライブをしたかったとPANTAがコメントしている。 

1991年 

◆2月27日 頭脳警察、渋谷公会堂のライブで解散。
◇山口冨士夫のTeardrops活動停止。
◇裸のラリーズ、ミュージックマガジン11月号に水谷孝のロングインタビューを掲載。「敗北したからと言ってそれがなんだ。われわれはスジを通すために戦い続けるであろう」
※ このころ、自分も人生で最も苦しい時の一つだったので、PANTA、山口冨士夫、裸のラリーズの動向が励みになっていた。 

◆11月21日 頭脳警察7発売
◆「頭脳警察1990-1991」刊行 左:クリスタルナハト
P1820652.JPG




1992年

◇山口冨士夫がAtmosphereを発売。
※4月12日 ルイズルイス加部、テンプターズの大口広司、Flower Travellin' Band篠原信彦を擁する山口冨士夫の「Atmosphere」ライブを川崎クラブチッタで見ることができた。

1993年

◆頭脳警察ベスト盤発売 曲目
銃をとれ
コミック雑誌なんかいらない
さようなら世界夫人よ
ふざけるんじゃねえよ
歴史から飛びだせ
嵐が待っている
詩人の末路
間違いだらけの歌
戦慄のプレリュード
夜明けまで離さない
悪たれ小僧
万物流転(LIVE Ver.)
Quiet Riot
煽動
飛翔<ひらめく旗の下で>
歓喜の歌



1994年

◆◇10月 「日本ロック紀GS編」刊行
頭脳警察全ディスコグラフィー GSアダムスの武部秀明、GSブルーシャルム馬飼野康司との関連などがわかる。
GSモージョへの参加。GSヴァンドッグスの千葉正隆とのスパルタクス・ブントなども。

2001年

◆6月 30年間、ほぼ入手不可能だった頭脳警察1stがCD化
◆6月9日 頭脳警察が再々結成し、野音で10年ぶりにライブ
◆◇7月「ロック画報」刊行 特集「頭脳警察と村八分 もっとも危険なロック」

2002年

◆3月 「J・Aシーザーの世界」刊行。
天井桟敷の劇中音楽をJAシーザーと担当したギターの森岳史が、日本のロックについて「よく見に行ったよ、頭脳警察とか」と発言。
また、天井桟敷も1971年の頭脳警察が出演した三里塚幻野祭に参加したとも証言。

2005年

◇山口冨士夫著「村八分」刊行

2009年

◆◇4月「証言!日本のロック」刊行
※ PANTA・頭脳警察と、Flower Travellin' Band、山口冨士夫、キャロルなどとの関係が最も興味深かった。

2010年

◆8月12日クロコダイル「Get Well ジョー山中支援」ライブに頭脳警察出演
P1820449.JPG
頭脳警察は、1曲目にあしたのジョー。他に悪たれ小僧、ふざけるんじゃねえ、そして、銃をとれ、さようなら世界夫人よなどを演奏した。TOSHIは、パーカッションではなく、ドラムスを演奏。
※ このライブで初めて頭脳警察のライブを見ることができた。PANTAが「このメンバーの中では自分が1番年下」といって最初に出てきて「あしたのジョー」を歌ったのが印象的だった。

頭脳警察 / あしたのジョー
https://www.youtube.com/watch?v=7yYGj7tHIuY

8月12日のラインアップ
● 頭脳警察 M: PANTA(vo,g) TOSHI(ds) 菊地琢己(g) FUKUSHIN(b)
● GOLDEN CUPS Member: エディ藩(g,vo) ルイズルイス加部(b,vo) マモル・マヌー(ds,vo) ミッキー吉野(k,vo) 樋口晶之(ds)  
●萩原健一(vo)バンド 
●ジョーの3人の子供によるラップ
● FLOWER TRAVELLIN' BAND + 中村裕介(vo)
 Member: 石間秀機(sitarla) 小林ジュン(b) 和田ジョージ(ds) 篠原信彦 (k) Special Guest: ムッシュかまやつ(vo)

◆「頭脳警察 Episode Zero―悪たれ小僧の前奏曲」が刊行
※ 十代のことや厳しかったモージョでの活動、幻のバンド、スパルタクス・ブントの千葉正隆との出会い、などについて、詳しく書かれている。千葉正隆は1960年代から政治活動をしていたが、PANTAは関東学院大学に入学して初めて真剣に政治運動に目覚めた。ピーナッツバターは、第2のOXのようなアイドルバンドだったが計画はとん挫した。その仲間の一人が亡くなったことが、その後のPANTAの音楽人生にに強い影響を与えた。

2011年

◇6月9日 山口冨士夫 / 捨てきれっこないさ 下北沢
https://www.youtube.com/watch?v=RrLYbBxEzEY
※山口冨士夫を最後に見たコンサートになった。私自身が少し映像に写っていることもあり感慨深い。

◆9月19日 PANTA+久保田麻琴(ex裸のラリーズ) / さようなら世界婦人よ live
https://www.youtube.com/watch?v=0akwbl_49Fo
ヘルマンヘッセの詞で、1969年頭脳警察で19歳の時に作った歌とのこと。

2013年

◇8月14日 山口冨士夫逝去。1か月前に福生駅前で米兵の喧嘩を仲裁しようとして押し倒され、頭部に傷害を受けたことが原因。

2016年

 2014年8月に、山口冨士夫を偲んで初めて福生カニ坂ロックフェスティバルに行く。
 2016年8月には特別ゲストとしてPANTAさんが登場した。

◆8月 福生カニ坂ロックフェスティバル 
P1820454.JPG
※ PANTAさんとハイタッチできた。スペンサー・デイビス・グループのギミ・サム・ラビンでスタート。2曲目は「銃をとれ」

2017年

◆8月 福生カニ坂ロックフェス 2年続けてPANTAさんが出演
P1820452.JPG
NHK「72時間」でも放映された。PANTAは、頭脳警察の1st、2ndが発禁になった経緯を語り、「銃をとれ」「さようなら世界婦人よ」「悪たれ小僧」「コミック雑誌なんかいらない」、Spencer Davis Group の Gimme Some Lovin'を演奏。 

2019年

◆4月21日 頭脳警察、代々木公園で世界環境問題アースデイコンサート出演。 
私のダンスを見て笑うPANTAさんと加藤登紀子さん
P1820451.JPG
※(ブログより)加藤登紀子さんのライブは残念ながら終わっていて、頭脳警察のPantaとのトークショーになっていました。1971年の幻野祭のライブに頭脳警察だけでなく加藤登紀子さんも出演していたことを初めて知りました。NHKや紅白などで見てきたイメージと違って、加藤登紀子は危険な発言を連発し、7歳年下のPantaがそれを穏便にフォローしていくという絶妙の会話で、笑わせてくれました。76歳の女性が過激なことを言うと、とてもいい塩梅で刺激があって、とても前向きな元気の力をもらうことができました。

頭脳警察 / さようなら世界夫人よ  アースデイ2019
https://www.youtube.com/watch?v=b7BDAIoPMBk

頭脳警察 / 「万物流転」「時代はサーカスの象に乗って」「コミック雑誌なんか要らない」「銃をとれ! 」[アースデイ東京]2019.4.21 @代々木公園
https://www.youtube.com/watch?v=Jz9I65knufQ

Che sara / おおたか静流×加藤登紀子×頭脳警察×いとうせいこう×自由の森学園 有志ほか「アースデイ東京2019:フィナーレ」https://www.youtube.com/watch?v=b151qEU1-zw

Jose Feliciano / Che sara ( Sanremo '71).
https://www.youtube.com/watch?v=OpJawDFqoAI

2020年

◆ 志村けんさんがコロナで亡くなった時、志村さんが頭脳警察などの日本のロックにも造詣が深かったことを知る。

◆ 2020 年11 月30 日、コロナ禍の中で息すら潜める東京。渋谷duo EXCANGE にて行われた「夕刊フジ・ロック」頭脳警察ライブ。


2021年

◆PANTA、幻のGSピーナッツバターのCDを新録音して発売
  オックスのスワンの涙も収録。
ピーナッツバター / 気取り屋マリア
https://www.youtube.com/watch?v=CDYFrCx5FxM

◆PANTA、Golden Cupsのミッキー吉野と夕刊で、日本のロック史について対談を掲載。

2023年
PANTA、Youtubeで過去を語る。
◆PANTA(頭脳警察)【Part of 1/3】 | ありそうでなかったシーナ&ザ・ロケッツとの共演が決定 | アニマルズから受けた影響 | 日本がこんな大変な時に騒がないでどうするの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=47_zJQxVfdg
◆PANTA(頭脳警察)【Part of 2/3】 | マーク・ボランの影響で誕生した極楽鳥と万物流転 | 訳詞と翻訳の微妙なニュアンスの違い | 新選組の末裔? - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SCUgR_hHpwk
◆PANTA(頭脳警察)【Part of 3/3】 | THE ROOSTERZラストアルバムに詞を提供 | スウィート路線と不買運動 | ロックンロールの未来について - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AaH5Xp8TOYk



◆1月 鮎川誠さんの逝去により、頭脳警察とシーナ&ロケッツの共演が中止になる。
◆6月14日 頭脳警察、最後のライブ。ミッキー吉野さんと共演

頭脳警察 PANTA withミッキー吉野「さようなら世界夫人よ」
https://www.youtube.com/watch?v=sI5IkLM-DIc
@夕刊フジ・ロック 5th Anniversary "Thanks" 2023.6.14 渋谷 duo MUSIC EXCHANGE

◆7月7日 PANTAさん逝去

 PANTAさんには、1度だけ、自分が若い悩んでいた時期に頭脳警察を知ることができて感謝していますというメールをお送りしたことがありました。

頭脳警察 / それでも私は ライブ
https://www.youtube.com/watch?v=oCxWSA6pkhs


今までありがとうございました。
PANTAさんのご冥福をお祈りいたします。RIP


P1690641.JPG


2023年07月09日

追悼RIP 1周忌 Massimo Morante 〜 Goblin・Cherry Five 〜 1978年 バンドとしての頂点 Il Bagarozzo Mark 〜 2011年初来日・ライブ中に握手

P1820278.JPG
"1st Italian Progressive Rock Festival" in Club Citta Kawasaki 2011.
4.5 Nov. Goblin's first live performance in Japan. The second day was with movie footage.
6.7 Nov. Osanna with Orchestra (Milano Calibro 9), PFM with Orchestra.

今日の1曲
Cherry Five / Picture of Dorian Gray recorded in 1974
Goblin / Profondo Rosso 1975
Goblin / Roller 1976
Goblin / Suspiria 1977
Goblin / Il Bagarozzo Mark 1978  


Goblin co-founder Massimo Morante has died, age 70 (nme.com)
https://www.nme.com/news/music/goblin-co-founder-massimo-morante-has-died-age-70-3254704
2022年6月23日逝去

ゴブリンの創設者 ギタリストのマッシモ・モランテ死去 - amass
https://amass.jp/158662/

Massimo Morante - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Massimo_Morante

Members of Goblin at the Japan tour in 2011
P1820281.JPG


 GoblinのMassimo Moranteさんが亡くなって1年が経ちました。
 2011年11月にはItalian Progressive RockフェスティバルでのGoblinの初来日で、2日間続けて公演を見ました。

 初日に「みなさんが小さい時にゴブリンは日本でヒットしましたが、今回初めて来日できました」と言っていたClaudio Simonettiさんが、2日目のアンコールのときに、客席に降りてきてハイタッチしました。続けてMassimo Moranteさんも客席に降りてきて握手もできました。通路のそばにいた私は幸運でした。

 今まで、海外からのアーティストで握手したのはMassimo Moranteさんだけだと思います。

 故人を偲び、日本でのGoblin、Cherry Fiveを振り返ってみたいと思います。

In Japan, when the movie Suspiria became a hit in 1977, the theme song Suspiria became famous because it was played frequently in TV commercials. For commercial reasons, the movie Profondo Rosso, released after Suspiria in Japan, was titled Suspiria 2.

Suspiria Japan LP 1977 CD 1987
Profondo Rosso Japan LP 1st and 2nd edition 1977
P1820255.JPG


− 1970年代のゴブリンの日本でのディスコグラフィー
          1970’s Goblin Discography in Japan −

1977年 いずれも東芝
 EOS-80445 Goblin / 「サスペリアSuspiria」 
 EOS-80951 Goblin / 「赤い深淵 Profondo Rosso」 
 EOS-81107 Goblin / 「サスペリア2 Suspiria2」
            (= Profondo Rosso re-issue)
1979年
 Goblin / Roller King Seven Seas – GXF-2056
       “European Rock Collection 2 1800”
 Goblin / Zombie King SML
1983年
 Goblin / Il Fantastico Viaggio Del "Bagarozzo" Mark King Nexus
1986年 
 Cherry Five / Cherry Five King Nexus


− 1970年代のゴブリンのイタリアでのディスコグラフィー
         1970’s Goblin LP Discography in Italy −

1975年
 Goblin / Profondo Rosso
 Cherry Five / Cherry Five
1976年
 Goblin / Roller 
1977年
 Goblin / Suspiria
1978年
 Goblin / Il Fantastico Viaggio Del "Bagarozzo" Mark
 Goblin / Zombie




 1973年11月にPFMの幻の映像Photos of Ghostsが日本で発売されてMusic Lifeで月間ベストアルバムとされ、1975年10月に購入。1976年1月にはBancoのManticoreデビュー盤「イタリアの輝き」を買いました。ELPが認めたPFM、Bancoのイタリアのロックの素晴らしさには完全に魅了されました。

 1977年に日本で映画「サスペリア」がヒットした際に、テーマ曲サスペリアがテレビCMで頻繁に流れて有名になりました。

Goblin "Suspiria" [Live in Italian TV 1977]
https://www.youtube.com/watch?v=LegptRrPR_s
冒頭のテーマは日本では有名だが、2:40からのロックバンドとしての本領を見せる演奏がかっこいい。

 そして興業的な理由で「サスペリア」の後に公開された1975年の映画「Profondo Rosso」は、「サスペリア2」のタイトルにされました。
 そのタイトル曲Profondo Rossoはイタリアではヒットチャートで1位になる大ヒットでしたが、日本ではSuspiriaのようにヒットしませんでした。

 1977年のGoblinは、PFM、Formula3、I Pooh、Bancoに続いて日本では5番目のItalian Progressive Rock BandのLPでしたが(あるいはAreaか、Arti e Mestieri)、SuspiriaのときはGoblinのことは特にバンドとしては意識しませんでした。

P1820261.JPG

 Goblinを初めて意識したのは1979年の“European Rock Collection 2“です。8枚中7枚がItalian Progressive Rockという回で、1800円という安さから全てのLPを買いました。

 特に第1回“European Rock Collection “でConcerto Grosso、Milano Calibro 9が驚異的だったNew Trolls、OsannaのUT、Palepoliが、Bacalovの関与なしでも素晴らしいことが、Italian Progressive Rockの底知れぬ凄さを象徴していました。

 その中でGoblin / Rollerが、サントラではないロックバンドの傑作として紹介されました。1曲目のタイトル曲は、FocusのようなMassimo Moranteのメロディアスなギターと、Claudio SimonettiのPFMなどにはないパイプオルガンを前面に出した名曲でした。
  
GOBLIN / Roller
https://www.youtube.com/watch?v=X_hHhhE4suU

 1979年か1980年にスペースフュージョンという深夜のラジオ番組で、初めてProfondo Rossoを聴きました。北玲子のナレーションが重なるエンディングの部分が、今でも記憶に残っています。この曲でもGoblinはパイプオルガンがメインなのだと感じました。

 そして、本当にGoblinが凄いと思ったのが日本では1983年に発売されたIl Fantastico Viaggio Del Bagarozzo Markの1曲目です。これがGoblinのバンドとしての頂点だと思います。

 Massimo Moranteのギターも素晴らしいですが特に際立つのがBassとDrumsを軸とするGrooveで、Il Volo / Come una ZanzaraやEtna、Il Baricentro、Areaなどに比肩し、青山純−伊藤コンビの頃の山下達郎の全盛期をも彷彿とさせるものです。

Goblin / Il Bagarozzo Mark
https://www.youtube.com/watch?v=OixgAal9IR0&list=OLAK5uy_krODsOIZKkkpH0hpxZNgpe3-gr8ZtFKUU&index=2
1:00からかっこいい。イタリア屈指のベース、ドラムのグルーブが凄い。クラブで大音量で踊ってみたい。来日ライブで1番見たかったが演奏しなかった。




 Italian Progressive Rockは1975年でほぼ終焉し、1977年のLocanda Delle Fateが最後の輝きと言われてきました。

 しかし、Goblinはサントラという仕事によって安定した活動ができたために、1976年のRollerや1978年のMarkといった本当にやりたかった理想的なItalian Progressive Rockの傑作を残すことができたのだと思います。

Cherry Five 下段左はCinevox盤 1976 右はNexus盤 1986
P1820263.JPG

 1986年に日本で初めて幻のGoblinの前身バンドCherry Fiveが再発されました。1974年に録音されたCherry Fiveは、Ibis / Sun SupremeのようにPFMの成功に触発された英語圏を意識したYesのようなサウンドになっています。

 Cherry Fiveのさらに前身で、RRRのLuciano RegoliがvocalだったIl Ritratto Di Drian Grayは、レコード未発表のバンドの中ではイタリアでは伝説的に高く評価されています。

 Cherry FiveのLPでは、1曲目もめまぐるしく展開する力作ですが、特に2曲目のPicture of Dorian Grayが素晴らしく、伝説のIl Ritratto Di Drian Gray時代からのオリジナル曲かと想像しました。

 また、傑作Rustichelli&Bordini / Opera PrimaのCarlo BordiniがDrumsで参加していることで、Italian Progressive Rockの人脈の奥深さを知りました。

Cherry Five / Picture of Dorian Gray
https://www.youtube.com/watch?v=vL6pxGK-4bA&list=PLn6IUYFGu6PJkIb95pTpVNrvQxOttkzZ7

Cherry Five - Cherry Five 全曲 1974年録音
https://www.youtube.com/watch?v=bKaLKkwfHH8
Mellotronの使用もイギリス的。

Cherry Five / Country Graveyard - Live at FIM 2015
https://www.youtube.com/watch?v=o-pfbndECEM
Cherry Five再結成のライブ。Massimo Moranteが弾いたギターのイントロが力強い。Lead Vocals – Tony Tartarini、Carlo Bordini: drums、Gianluca De Rossi: keyboards




〜 Cherry FiveからGoblinへの経緯 〜

 1975年にDario Argento監督は、Profondo Rossoのサントラの選考について難航していました。Pink Floydからはニューアルバム「Wish You Were Here」の録音中だったために丁重に断られましたが、Cherry Fiveの音源を聴いてこの新人バンドに依頼することにしました。

 1974年に、イタリアではMike OldfieldのHergest RidgeとエクソシストのサントラTubler Bellsとが同時にLPチャートのベスト10とベスト20に入るほど人気がありました。そこで、Dario Argento監督は、Goblinに対してTubler Bellsのような曲を依頼し、Profondo Rossoの印象的なイントロが1日でできました。

 そして、Profondo RossoのシングルとLPは、いずれもイタリアチャートの1位になりました。チャートでは、シングルはVan McCoyの日本でも有名なHastleを間に挟み、LPはProfondo Rossoのサントラを断ったPink Floydの「Wish You Were Here」にGoblinが挟まれており、当時の人気の高さがわかります。

シングルチャート1位 BaglioniはBacalovの編曲
P1820296.JPG
LPチャート1位 イタリアはシンガーソングライターの時代へ
P1820299.JPG

GOBLIN "PROFONDO ROSSO" (DEEP RED) Live on Italian tv
https://www.youtube.com/watch?v=1IwY_D3pnOs
日本ではそれほど話題になっていない曲なので、イタリアで1位だったと初めて知った時は驚いた。Drumsは、Il Ritratto Di Drian Gray、Reale Academia di Musicaに在籍したWalter Maitino.

Goblin / Chi Parte II
https://www.youtube.com/watch?v=DdCrkr-mz48
映画だけでなくテレビの主題曲も担当。


〜 2011年来日公演 〜

1st Italian Progressive Rock Festival in Japan 2011
P1820275.JPG


 そして、2011年にGoblinは初来日を果たしました。オーケストラ付きのPFMとOsannaのMilano Calibro 9が目玉でしたが、Goblinも初日と映画の映像付きの2日目の2回登場しました。

Goblin Live in Japan 4 Nov. 2011
P1820270.JPG
Goblin Live in Japan with the movies 5 Nov. 2011
P1820268.JPG

 2日目は映画の映像を同時に流し、ラストのProfondo Rossoの最後のオルガンのコーダで大盛り上がり。アンコールに応えた後に、Claudio Simonettiが会場でハイタッチし、Massimo Moranteと握手できました。

 Massimo Moranteはお客さんに囲まれてサインまでしていました。ついにステージから「Massimoはどこだ?」の声がかかりました。
 映画の怖い映像と陽気な人柄のギャップに感動しました。

 その後もClaudio SimonettiのGoblinは何度も来日しています。
 Massimo Moranteと2人が揃ったGoblinを見れたのは幸運でした。

 Massimo Moranteさんのご冥福をお祈りします。
 ありがとうございました。

P1700418.JPG

2023年05月25日

追悼RIP Tina Turner 〜 1985年 What's Love Got To Do With It  〜 1988年 音楽の力 Mick Jagger & Tina Turner Live in Japan 〜 James Brownと並ぶ最高のパフォーマー

P1800693.JPG
What's Love Got To Do With It 1985年

今日の1曲
 Tina Turner / What's Love Got To Do With It 1985
 Tina Turner & Mick Jagger / Brown Sugar
        Live in Japan 1988
 Tina Turner
      / Jumping Jack Flash / It's Only Rock'n'Roll 1982
 Ike and Tina Turner / River Deep Mountain High 1968
 Ike & Tina Turner live on Italian TV (1971)
 James Brown live on Italian TV (1971)
 Elisa / Teach me again feat. Tina Turner 2006
 Beyoncé / Deja Vu (MTV Video Version) 2009
 Tina Turner & Beyoncé / Proud Mary

P1800687.JPG

 Tina Turnerさんが亡くなりました。James Brownと並ぶ史上最高のパフォーマーの一人と言えます。

米歌手ティナ・ターナーさん死去 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6464335

【ティナ・ターナーさん死去】「ロックンロールの女王」83歳
https://www.youtube.com/watch?v=oV56dUibJRk

Tina Turner&Mick Jagger Live at Tokyo Dome 1988 
(First historic Rolling Stones performance in Japan)
P1800684.JPG

Tina Turner wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC

 Tina Turnerは、1985年のWhat's Love Got To Do With Itの大ヒットまでは、日本でほとんど知られてなかったと思います。

 1970年12月に赤坂の日本初のDiscoとされるムゲンMugenで、Tina Turnerの初来日ライブが行われたことは伝説になっています。12回もライブをしたそうですが、全盛期のTina Turnerを見た人は驚いたと思います。

 1985年はMTVが流行り出したころで、What's Love Got To Do With Itはよくテレビやラジオで流れていました。

Tina Turner / What's Love Got To Do With It (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=oGpFcHTxjZs

1988年Mick Jagger来日チケット。
残念ながらTina Turnerが出なかった3月22日。。。
P1800696.JPG

 私が初めてTina Turnerを凄いと思ったのは、1988年3月のMick Jaggerの初来日公演です。Rolling Stonesの1973年の来日中止以来、初めてRolling Stonesが日本に来るという大事件でした。自分の人生にとっても大きなチャレンジをする転機と原動力になった思い出のコンサートでした。
 
 Mick Jaggerの3月の東京Dome公演で、2日目の23日にTina Turnerがゲスト出演したのを知ったのは、NHKでの来日公演の映像です。残念ながら、私は22日の初日だったのでTina Turnerは見れませんでした。

 NHKの放映で、Mick Jaggerのコンサートで一番盛り上がったのはTina Turnerが一緒に出た場面だと思いました。やはりRolling Stonesの他のメンバーがいないと物足りない部分もあったのが、Tina Turnerの登場で一挙にテンションが上がったのです。
 Mick Jaggerも自分だけでは足りないと感じた部分を埋めてくれるのはTina Turnerしかいないと思ったのでしょう。

Mick Jagger + Tina Turner / It's Only Rock'n'Roll 1988 Japan
https://www.youtube.com/watch?v=YaKl2ec4J_w
Mick JaggerのパフォーマンスのJames Brownと並ぶ師匠が、4歳年上のTina Turnerだったことがわかる映像

Tina Turner & Mick Jagger / Brown Sugar 1988 Japan
https://www.youtube.com/watch?v=O1xsZ2iE3Zc
Tina Turnerのための曲と思えるほど素晴らしいパフォーマンス。2:47でMick Jaggerが師匠に降参しているようにも見える

Tina Turner & Mick Jagger Tokyo 23, Apr. 1988
P1800748.JPG

P1800721.JPG

 Tina Turnerの単独のライブでもRolling Stonesの曲がじつにかっこよく、本家にも匹敵するテンションのRolling Stonesのカバーは、今まで見た中ではこれだけだと思います。

Tina Turner / Jumping Jack Flash / It's Only Rock'n'Roll 1982
https://www.youtube.com/watch?v=li7dpWbvuIk

 James Brownと同様にTina Turnerの凄さは、映像がなければわからなかったと思います。Youtubeによって昔の映像が発掘されることによって、Tina Turnerの凄さはどんどん解明されていきました。

 映像はみつかりませんでしたが、1960年代にJames BrownとTina Turnerが共演した時は、ステージを飛び回るようなすごいパフォーマンスをしたそうです。

Tina TurnerとJames Brown
P1800700.JPG

 Janis JoplinもTina Turnerが最高のパフォーマーだと語っています。

Janis Joplin on Tina Turner - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I4ffK82k9zo

 Ike & Tina Turnerの全盛期のカラー映像もみつかりました。

River Deep Mountain High - Ike and Tina Turner | The Midnight Special
https://www.youtube.com/watch?v=OCFYBLoAs2U

Ike & Tina Turner - She Came in Through the Bathroom Window - Get Back - Proud Mary, 1971
https://www.youtube.com/watch?v=yx0hY2NJNVA

 イタリアでは、1971年2月にJames Brownよりも先にTeatro10に招聘されています。MinaがTina TurnerやJames Brownの凄さに気づいていたことがわかります。
 Minaは1972年にはItalian Progressive RockのPFM、DeliriumをTeatro10に招聘し、1973年からはGerman Electric Rockを自身のレーベルPDUから発売します。

Ike & Tina Turner live on italian TV (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=LRKAqxoxAZg
Roma Teatro10 1971年2月

James Brown live on Italian TV (1971)
https://www.youtube.com/watch?v=JQ4ztL7dBKE
Roma Teatro10 1971年5月

Tina Turner & David Bowie / Let's Dance
https://www.youtube.com/watch?v=sDX3dH0twFo

 Tina Turnerは、イタリアでElisaとのバラードのデュエット曲で1位になっています。

Elisa - "Teach me again" feat. Tina Turner (official video - 2006)
https://www.youtube.com/watch?v=YSgGcy16H0w

P1800689.JPG

 Tina Turnerの後継者といえるほど影響を受けたのはBeyoncéではないかと思います。Déjà vuの映像は特に素晴らしいと思います。

Beyoncé - Deja Vu (MTV Video Version) ft. Jay-Z
https://www.youtube.com/watch?v=RQ9BWndKEgs

Beyoncé & Tina Turner - Proud Mary
https://www.youtube.com/watch?v=c4CTO1Z7qLY


 Mick JaggerはJames Brownを崇拝してJames Brownの自伝映画を2本も作りました。

 そして、Mick JaggerはTina Turnerの踊りも本人の前でTina Turnerが思わず「ミックったら」と笑ってしまうほど必死に真似て練習したそうです。私はMick Jaggerを通してJames Brownだけでなく、Tina Turnerも見ていたのではないかと思いました。

「I’m so saddened by the passing of my wonderful friend Tina Turner.
She was truly an enormously talented performer and singer. She was inspiring, warm, funny and generous. She helped me so much when I was young and I will never forget her.
素晴らしい友人ティナ・ターナーが亡くなってとても悲しいです。
彼女は本当に才能のあるパフォーマーと歌手でした。 彼女は刺激的で、温かく、面白くて寛大でした。 若い頃、彼女は私をとても助けてくれたし、彼女のことは一生忘れません。」
(Mick Jaggerさんの追悼文)

 Tina Turnerさんのご冥福をお祈りいたします。RIP

P1680399.JPG

2023年05月11日

追悼 RIP 高見ノッポさん Mr. Noppo 〜 NHK教育テレビ「できるかな」 〜 Fred Astaireに憧れた元日劇ダンサー・ありがとうノッポさん

P1800312.JPG
ノッポさんとゴンタ
Mr. Noppo(means "Mr.Tall Man" 1934〜2023) is a famous TV personality who has appeared in children's program ”Dekirukana(Can it be done?)” for 24 years on NHK, Japan's national broadcast. Originally, he was a dancer who admired Fred Astaire.


今日の1曲
 NHK「できるかな Dekirukana」テーマソング 1970‐1990 
 Fred Astaire / Singing In the Rain 
 Fred Astaire's solo performances
 James Brown / Out Of Sight live TAMI show 1964
 Michael Jackson / Billie Jean "Moon Walk"
       ‐ Live Motown 25 1983  
 Michael Jackson / Wanna Be Startin' Somethin'
       - Live Yokohama Japan 1987 

ノッポさんがダンサーとして憧れ、目標としたFred Astaire
P1800306.JPG


 子どもたちに夢と楽しみを与え続けた「ノッポさん」こと高見のっぽさんが、昨年9月に心不全で亡くなられていたことが、明らかになりました。88歳でした。高見さんは、NHKの人気番組「できるかな」で、緑色のチューリップハットをかぶり、言葉を発さずに様々な工作を作り上げる姿が印象的でした。また、「グラスホッパー物語」や「風の子ども」などの作詞や歌唱、児童書の執筆など、多方面で活躍されました。高見さんは、子どもたちに寄り添い、創造力や想像力を育む番組を作ることに情熱を注がれました。その功績は高く評価され、2007年にはNHKの放送文化賞を受賞されました。

「できるかな」の「ノッポさん」高見のっぽさん死去 高見さん意向で半年以上ふせ、誕生日に発表 (msn.com)
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%81%AA-%E3%81%AE-%E3%83%8E%E3%83%83%E3%83%9D%E3%81%95%E3%82%93-%E9%AB%98%E8%A6%8B%E3%81%AE%E3%81%A3%E3%81%BD%E3%81%95%E3%82%93%E6%AD%BB%E5%8E%BB-%E9%AB%98%E8%A6%8B%E3%81%95%E3%82%93%E6%84%8F%E5%90%91%E3%81%A7%E5%8D%8A%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%81%B5%E3%81%9B-%E8%AA%95%E7%94%9F%E6%97%A5%E3%81%AB%E7%99%BA%E8%A1%A8/ar-AA1aYn2m?ocid=msedgntp&cvid=87b2f52f6d0d4b58a046565fc368f630&ei=19

高見のっぽ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E8%A6%8B%E3%81%AE%E3%81%A3%E3%81%BD


 まず、懐かしいノッポさんの映像を見てみましょう。

P1800460.JPG


NHK「できるかな Dekirukana」ノッポさん Mr. Noppo、ゴン太(1983年2月)
https://www.youtube.com/watch?v=2p51e0N0iuI
ノッポさんの工作はすべてリズムに乗っていた! 
ノッポさんを通してFred Astaireを見ていたことが初めてわかった。
All Mr. Noppo's work activity were on the rhythm he learned from Fred Astaire.

 子供の時だけでなく、大人になってからも苦しかったときにノッポさんに癒されていた記憶があります。
 なぜ、ノッポさんに魅了されたのか? なぜ20年もの長寿番組になったのか?
 今回、ノッポさんの経歴を知って、初めて多くのことがわかりました。

P1800455.JPG

P1800449.JPG


 ノッポさんは、映画や舞台で活躍した伝説的なダンサー、Fred Astaireを尊敬してダンサーとして芸歴をスタートさせ、1960年代まで日本のエンターテインメントの最高峰にあった日劇に出演するまでになりました。しかし、4年間ほぼ失職状態になり、自殺を考えたこともあるそうです。それだけ真剣にダンサーになることを考えていたのだと思います。

 ノッポさんは、Fred Astaireのように優雅で洗練されたダンスを目指し、日々練習に励んだと思われます。その才能と努力は、NHKからダンサーとして注目され、仕事を任されたことが契機となり、「できるかな」に抜擢されたことによって報われました。そして、ノッポさんは20年以上にわたって、多くの人々に感動と喜びを与えました。

Fred Astaire / Singing In the Rain
https://www.youtube.com/watch?v=yrw1O1CAtV4

TOP5 Fred Astaire's solo performances (フレッドアステアTOP5)
https://www.youtube.com/watch?v=t8RZ47-0y2A

Top 10 Iconic Fred Astaire Dance Scenes
https://www.youtube.com/watch?v=IQFamAFNALE&t=203s


Michael JacksonとJames Brown  Michael JacksonとFred Astaire
P1800310.JPG

 ノッポさんの表現は、Michael Jacksonと重なるものといえます。
 Michael JacksonもまたFred Astaireからの多大な影響を受けました。

 Michael Jacksonの表現は、子供の頃の最大のヒーローであり、プロになるきっかけを作ってくれたJames Brownのリズム・Grooveと、尊敬し憧れたFred Astaireの洗練されたダンス・振り付けを融合させた他に例を見ないものでした。

 1流のアーティストが1とすれば、James BrownとFred Astaireはいずれも2の力を持った超1流の人であり、それがMichael Jacksonを2+2=4、さらに5,6,7となるような史上最高のパフォーマーにしたのだと思います。

Michael Jackson / Billie Jean Live Motown 25 1983
https://www.youtube.com/watch?v=UlVIzCQfVfI
有名なMoon Walkを世界に知らしめた映像。直前に振り付けを決めたと言われる。Fred Astaireのパフォーマンスを1983年のビートに乗せている。

James Brown performs and dances to "Out of Sight" on the TAMI Show (Live)1964
https://www.youtube.com/watch?v=zieXmNwHGYA
1:35〜1:48 バレエ以外の、Pop Musicでは世界初と思われるJames Brownのスピン・ターン。 

Michael Jackson / Wanna Be Startin' Somethin' - Live Yokohama 1987
https://www.youtube.com/watch?v=NSO0QzDCTvI
2:18〜2:22 James Brownのスピン・ターンにFred Astaireの華麗なフットワークを掛け合わせ、それをさらに高速にした。
Michael Jacksonの絶頂期のDanceパフォーマンス。

Michael Jacksonマイケル・ジャクソンとJames Brown-感動の絆
https://www.youtube.com/watch?v=QcjIME9e184
6:00〜 Michael Jacksonが恩師James Brownと再会し感極まってなくシーン。

 Michael Jacksonに対して、ノッポさんの表現は、Fred Astaireに対する憧れと尊敬に、子供に対する夢と尊敬を掛け合わせたものでした。

 Fred Astaire × James Brown = Michael Jackson
 Fred Astaire × Children's Dream 子供への夢と尊敬= Mr.Noppo ノッポさん 

若かりし頃のノッポさん
P1800302.JPG

 ノッポさんは「自分が5歳の時が1番賢くて鋭かった。だから子供も人として1人前として接する」と語っています。そして、親は子に対して「これをしなさい」でなく、「していただきたい」と言うべきで、ノッポさんの父親はそう扱ってくれたとも語っています。 

あの頃小さかった人たちへ 高見のっぽさんからメッセージ(2015年12月8日)
https://www.youtube.com/watch?v=rg-kyHMGbWQ
自分は5歳の時が1番賢くて鋭かった。だから子供も人として1人前として扱うと語っている。

 ノッポさんは、テレビのブラウン管の向こう側で見ている子供たちを1人前の大人と考えていた。そして、Fred Astaireという超一流のアーティストから学んだ表現で伝えようとした。そのことが「全く話さない」キャラクターによる番組が20年以上に渡って続いた理由だとわかりました。

 私たちはMichael Jacksonを通してJames BrownとFred Astaireを見ていたように、ノッポさんを通してFred Astaireを見ていたことになります。

できるかな(最終回)(1990年3月)
https://www.youtube.com/watch?v=CVS4bSlgR1c
ノッポさんが初めて「しゃべった」伝説の最終回。

 ノッポさんは自らの意向で死去について半年以上ふせ、誕生日に発表することにしました。これによって最後まで、私たちには笑顔のノッポさんの記憶が永遠に残ることになります。

 今年亡くなった鮎川誠さんが、ファンのために自らの余命が半年しかないことを隠して最後までライブを行っていたことに通じるものがあります。

辛かった頃、ノッポさんの演技によって心を癒されました。
高見ノッポさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
ありがとうございました。RIP

P1800030.JPG

2023年04月11日

RIP 追悼1周忌 Sergio Poggi : Flora Fauna Cemento 〜 音楽の夢 Numero Uno黎明期〜 1970年 Il Ponte (Bridge over Troubled Water) 〜 1974年 Il Voloへの架け橋 〜 1983年Mike Oldfield / Tubler BellsのItalo Disco化・Italian Houseの先駆者

P1700368.JPG
音楽の夢 Numero Uno 1972年Flora Fauna Cemento / Mondo Blu

今日の1曲
 Flora Fauna Cemento / Il Ponte 1970 
 I Dik Dik / Il Primo Giorno Di Primavera 1969 
 Lucio Battisti / Let the sunshine in 1971
 Flora Fauna Cemento / Un papavero 1971
 Tutti Insieme / 5 Drummers with Sergio Poggi
   PFM、Formula3、Dik Dik、Lucio Battisti 1971
 Flora Fauna Cemento / Mondo Blu 1972
 Gianni Dall'aglio / Ogni sera così 1972 
 Ciro Dammicco / Le Rose Blu (Soleado)1972 
 Flora Fauna E Cemento / La Nostra Piccola Canzone 1973 
 Il Volo / Come Una Zanzara 1974
 Genova & Steffan / Piano...Piano... 1975
 Il Volo / Essere 1975
 Keyboards Affair / Tubular Bells 1983
 Carrara / My Melody 1985
 Sueño Latino / Sueño Latino Paradise Mix 1989
 Manuel Göttsching - E2-E4 - 1981/1984
 Black Box / Strike It Up 1991


1996年にSergio Poggiが設立したBillo Musicのダンスコンピレーション
P1790531.JPG


 2022年の3月の末に、元Flora Fauna Cementoのドラマー、Sergio Poggiさんの突然の訃報が入って1年になります。

 45年前、Numero UnoのFlora Fauna E Cementoは憧れでした。今のようにインターネットがない時代に、PFM、Formula3、Il Voloを生んだ海の向こうのNumero Unoレーベルというのは、とてつもない夢と存在感がありました。

 そしてFlora Fauna Cementoだけは名前だけはわかっているが実態が全くわかりませんでした。
 それだけにそのLP「Rock」は夢にまで出てくるような存在でした。

 亡くなる直前にはSergio Poggiは、PFMのオリジナルBassist、Giorgio Piazzaともライブをしていたので、Numero UnoやProgressive Rockへの思いは大きかったのではないかと思います。

 今はネットで、Flora Fauna CementoやNumero Unoの情報もわかります。

Flora Fauna Cemento - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Flora_Fauna_Cemento

Catalogo Numero Uno - Wikipedia
https://it.wikipedia.org/wiki/Catalogo_Numero_Uno
当時のNumero Unoの隆盛を感じさせる膨大なDiscography

 Flora Fauna Cementoは、Lucio Battisti、MogolのNumero Unoが1970年の最初期にFormula3に次いで売り出そうとしたバンドの一つで、Formula3、PFMに次ぐNumero UnoのロックバンドのLPがFlora Fauna Cemento / Rockでした。Verde Stadioneなどのグループはシングルのリリースにとどまっています。

Verde Stadione / 1969/1972 - FULL DISCOGRAFIA
https://www.youtube.com/watch?v=oZWLVJEWrxM&t=603s
デビュー曲はクラシックのアレンジ

 Sergio Poggiは、1970年から1974年までFlora Fauna Cementoのドラマーでした。
 最後の経歴は「Italian promoter and producer. General manager of Billo Music S.a.s. since 1996.」とされていました。

 Flora Fauna Cementoの1番の特徴は、女性ボーカルが2人もいるロックバンドということでした。1970年当時は画期的なことであり、イタリアで他にはCircus2000だけだと思います。また、日本でも1968年の麻生レミのFlowersと1971年のカルメンマキ&クリエイションだけでした。

 そして、核となっていたのはMario Lavezziでした。Mario Lavezziはイタリアで最も人気のあったCamaleontiをGabriele Lorenziとともに脱退し、Gabriele LorenziはFormula3を結成しました。この2人は1974年にIl Voloの結成で再会することになります。

 Mario Lavezziは1969年にI Dik DikのIl Primo Giorno Di Primaveraを作曲して1位になり、これがMogol / Lucio Battistiのプロデュースだったことから、Numero Unoと繋がったのだと思います。 

I Dik Dik / Il Primo Giorno Di Primavera 
https://www.youtube.com/watch?v=0kKZtSiUo-A
イタリアで最大の作詞家の一人Cristiano Minellonoの最初の成功作でもある。

 このヒットの後、Flora Fauna Cementoの女性ボーカルをメインにするという構想は、Lucio BattistiとMogolによるものか、Mario Lavezziによるものかはわかりません。

 
〜 Flora Fauna Cemento、Sergio Poggiの活動を振り返る 〜

 それでは、Flora Fauna Cementoの軌跡とSergio Poggiの活躍を振り返ってみたいと思います。 

=1970年=

P1790483.JPG

 1970年にFlora Fauna Cementoは、SuperstarとIl Ponte (Bridge over Troubled Water) という世界的なヒット曲のカバーでデビュー。両方A面ともいえる内容で、Numero Unoでも期待の新人だったと思われます。

 デビューシングルでは、あのSoleadoの作曲者でMellotronの大傑作を作ったCiro Dammiccoがハモンドオルガンを担当し、この後脱退します。キーボードレスにすることがFlora Fauna Cementoの構想か、Lucio Battistiによるのか、その点は謎です。

Flora Fauna Cemento / Il Ponte (Bridge over Troubled Water)
https://www.youtube.com/watch?v=c1PplYDtah0
力の入ったストリングスが素晴らしい。

Flora Fauna Cemento / Superstar
https://www.youtube.com/watch?v=l_dlgGb2L1A
こちらも力作。冒頭のハモンドオルガンは、Ciro Dammicco。

Numero Unoのシングル盤カタログより

 ZN 50001 Formula3 / Questo Folle Sentimento 1969年9月
      Numero Unoレーベルの第1弾シングル
 ZN 50030 Flora Fauna Cemento / Il ponte / Superstar
 ZN 50035 Formula3 / Io Ritorno Solo / Nananano  1970年10月

 Formula3 / Nanananoでは、Mario LavezziがFlora Fauna Cementoより先に曲を提供。Mario Lavezzi作曲 / Mogol作詞のコンビは、後の1974年のIl Voloの1stアルバムに繋がります。 

 
=1971年=

1971年 Un papavero  1972年 Mondo Blu
P1790497.JPG

 1971年9月23日に、Lucio Battistiの作ったテレビ特番Tutti InsiemeでFlora Fauna Cementoは、Formula3、PFM、Dik Dik、Mia Martini等と共演します。

 Tutti Insiemeでは、全員でベトナム反戦ミュージカル「Hair」のLet the sunshine inを冒頭で歌い、Flora Fauna CementoはLucio Battisti / Mogol作の第2弾シングルUn papaveroを演奏しています。

Lucio Battisti / Let the sunshine in Tutti Insieme
https://www.youtube.com/watch?v=Th8EACjVdY4

Flora Fauna Cemento / Un papavero Tutti Insieme
https://www.youtube.com/watch?v=GXCUSa7DTwQ
1971年5月発売 B面はMario Lavezzi‐Mogol作によるIn America

Flora, Fauna E Cemento / In America
https://www.youtube.com/watch?v=PA87BTdhErE

 Tutti Insiemeでは、Sergio Poggiを含む5人によるドラム合戦の珍しい映像もあります。途中で、PFMとFormula3のドラムが相手のドラムに交替します。

L:Sergio Poggi R : Franz Di Cioccio(PFM)
P1790511.JPG

Tutti Insieme /5 Drummers  
https://www.youtube.com/watch?v=neSt-PdEPeI&t=1s
左から、Sergio Poggi(Flora Fauna Cemento)、Franz Di Cioccio(PFM)、Tony Cico(Formula3)、Sergio Panno (Dik Dik) 、Lucio Battisti

 Tutti Insiemeの最後に、全員でProud Maryを歌いますが、最前列にFlora Fauna CementoのMario Lavezziと女性ボーカルが踊りに出てきたことから、Flora Fauna Cementoがリズムやダンスに特に関心があったことがわかります。

Tutti Insieme / Finale‐Proud Mary
https://www.youtube.com/watch?v=bh-lh6MpAcQ
Mario Lavezziのダンス・リズム感が、Il Voloに強烈なGroove感を与えていたことがわかる。

 Tutti insiemeでは、Mia Martiniの最初のテレビ出演も放送されています。

Mia Martini / Padre davvero in Tutti insieme - 1971
https://www.youtube.com/watch?v=gfLS2T_CaYs


=1972=

P1790479.JPG

 1972年5月にFlora Fauna Cementoの第3弾シングルで最大のヒットMondo Bluを発売。Lucio Battisti / Mogol作で16位にまでチャートイン。プロデュースはMario Lavezziになっています。 

Flora Fauna Cemento / Mondo Blu
https://www.youtube.com/watch?v=0BUuJXEEPqE
Osanna、New Trolls、I Poohが出演した番組と同じ舞台セット

 B面のFuori piove Riscaldami tuは、Mario Lavezzi‐Salerno作のロックンロール。Alberto Salernoは、Ciro Dammiccoの傑作アルバムMittenteでも4曲作詞を担当しています。

 1972年はItalian Progressive Rockが爆発し、PFMが1位になり、Formula3など多くのバンドが大曲主義のProgressive Rockを発売しました。

 これに対して、Mario LavezziのプロデュースしたFlora Fauna Cementoは、イタリアでは「Pop Italiano」と呼ばれて主流だったProgressive Rockとは異なるPop Rockの方向性を打ち出していた数少ないバンドでした。

 1972年には、1972年からLucio BattistiのNumero Unoのアルバムに参加し、1974年にIl VoloのメンバーとなるGianni Dall’Aglioのソロ作Sera-MattinaとシングルOgni sera cosìが発売。Loveレーベルの第1弾であり、Detto MarianoがLucio BattistiのNumero Unoに対抗して作った傑作と言えます。

 Gianni Dall’Aglio自身もSera-Mattinaを「Progressive Rock」と紹介しており、1970年にFlora Fauna Cementoのオルガン奏者だったCiro DammiccoのLP「Mittente」など、1972年当時はソロシンガーの作品でさえもItalian Progressive Rockからの影響が大きかったことがわかります。 

Gianni dall'aglio / Ogni sera così (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=MQKiATqMVkE
重い内容の感動的な曲。ベトナム戦争の深刻な状況を感じさせる。RibelliやIl VoloのDrummerと同じ人の作品とは思えない。

Ciro Dammicco / Le Rose Blu (Soleado)1972
https://www.youtube.com/watch?v=CcwyzLpEFJc
世界的なヒットとなった哀しみのソレアードSoleadoの原曲。

Ciro Dammicco / Mittente EMI-Q64 17818
https://www.youtube.com/watch?v=RiXhZ-HTjYo
ほとんどが良曲。隠れた大傑作LPであることは、EMIが特殊ジャケットで発売したことからもわかる。全曲がCiro Dammiccoの作曲。

=1973年=

Flora Fauna Cementoの最初のLP「Rock」のデザインは、Lucio Battisti、PFM、Banco、Museo Rosenbach等を手掛けたCesare Montalbetti
https://it.wikipedia.org/wiki/Cesare_Montalbetti
P1790488.JPG

 1972年のシングルのヒットによって、Flora Fauna Cementoは1973年にLP「Rock」の発売に至ります。そのA面の1曲目は、Sergio Poggi作曲によるシングル曲La Nostra Piccola Canzoneでした。

Flora Fauna E Cemento / La Nostra Piccola Canzone 1973
https://www.youtube.com/watch?v=JYcxukJJHfQ
1973年4月発売Sergio Poggi / Mogol曲 B面はMario Lavezzi作曲Mogol作詞

 45年前にNumero Unoの謎であり、憧れでもあったFlora Fauna Cemento / Rockを今は聴くことができるようになりました。

Flora Fauna Cemento / ROCK (Numero Uno, ZSLN 55653 ) - FULL ALBUM
https://www.youtube.com/watch?v=D821sfwhpxU

P1790490.JPG




=1974年=

 1974年にNumero Unoに大きな変動が起こります。
 PFMに続いて、Il Voloが世界進出に向けてデビューします。Il Voloは、Lucio Battisti、Mogolが作ったイタリア初のハードロックバンドFormula3をさらに拡大するFormula6の構想から発展したものでした。

 そのために、Mario LavezziはFlora Fauna Cementoから引き抜かれる形になりましたが、その後もMario LavezziはFlora Fauna Cementoのプロデュースは続けました。

 Progressive Rockではなくリズムを強調したFlora Fauna CementoのPopな音楽性は、Il Voloに大きく寄与したと思われます。圧倒的なリズムを展開したIl Voloの1stの最重要曲Come Una Zanzaraは、Mario Lavezzi作曲・Mogol作詞のコンビでした。

 また、Il Voloは大曲主義ではなく、小曲の中にProgressive Rockのテクニックやエッセンスを凝縮させる新しい音楽でしたが、Flora Fauna CementoのPop Rockからの影響も大きいと思われます。それはBruno Lauziがカバーし、Black Blowing Flowers – Human Glowによる再録もされたMario Lavezzi作曲のIl Canto Della Preistoria (Molecole)にも表れています。

 Il Voloが結成されなければ、Il VoloのCome Una Zanzaraなどの曲は、Flora Fauna Cementoの曲として全く違うPop songになる予定だったと思われます。

Il Volo / Come Una Zanzara  Registered by "Il Volo Official"
https://www.youtube.com/watch?v=YniqpL2pHsE&list=OLAK5uy_kc7BOLiTmJo8Mj6bcU6EzJNuTTzaAnkj4&index=1
1曲目がMario Lavezzi / Mogol作のCome Una Zanzara。ボーカルが入る2:25までのアレンジがどのように作られたのか、特にVince TemperaのElectric Pianoがどこから影響を受けているのか興味深い。今、”Il Volo”は世界的な名声を得ているが、1974年のIl Voloも世界でトップの音楽だったと言える。



 Flora Fauna CementoからMario Lavezziが脱退したのに続いて、Sergio Poggiも脱退します。
 1974年以降、Flora Fauna Cementoには、後にスターになるGianna Nanniniやダンスミュージックで成功するStefano Pulgaがキーボードで参加するなど変動が激しくなります。


=1975年=

 Sergio PoggiはFlora Fauna Cementoを脱退後、Genova & SteffanのPiano...Piano...の作曲を担当し、21位になるヒット。Valerio Negrini作詞、Red Canzianのプロデュースで、Sergio PoggiがI Poohとも交友関係があったことが伺えます。

Genova & Steffan / Piano...Piano...
https://www.youtube.com/watch?v=VKtQla7Ohg0
BeatlesのLong and Winding RoadやI Poohの影響を受けたItalian Symphonic Progressive Rockといえる。

 1975年に、Il Voloは最後の2ndアルバムを出して解散。2ndアルバムの7曲のうち4曲がAlberto Radius, Mario Lavezziの共作でした。

A1. Gente In Amore
A2. Medio Oriente 249000 Tutto Compreso
A3. Canto Di Lavoro
B2. Svegliandomi Con Te Alle Sei Del Mattino

 そして、最重要曲で唯一のボーカル曲のA4. Essereが、Mario Lavezzi-Mogol作でした。7曲のうち5曲がMario Lavezziの作曲であり、Numero UnoにおけるFlora Fauna Cementoは、Il Voloへの架け橋としての役割を果たしたと思います。

Il Volo / Essere (1975) Registered by "Il Volo Official"
https://www.youtube.com/watch?v=jACij27k4Pc&list=OLAK5uy_nfYy4rK4xu1LKXNakPczSXu6AFN8Bu9go&index=4
Mario Lavezziの楽曲に、当時のイタリアの最高のミュージシャンたちがアレンジを加えた1975年の世界でも稀有の名曲。2:10以降のインストの部分もMario Lavezziがメロディーを作ったのだろうか。

 Mario Lavezzi、Sergio Poggi脱退後のFlora Fauna Cementoは、LP DisamoreをCBSから発売。シングルカットされたVisionario NoはProgressive なPopsの名曲でした。

Flora fauna e cemento / Visionario no
https://www.youtube.com/watch?v=0TGMLlxmxtE


〜 1983年Sergio PoggiによるMike Oldfield / Tubler BellsのItalo Disco化
  〜 1996年 Italian House Music ‐ Billo Musicの設立 〜


 Sergio Poggiは1975年以降、ミュージシャンとしての活動が途絶えましたが、音楽業界では活躍していたようです。

P1790495.JPG

 そして1983年に突如、Sergio PoggiはMike Oldfield / Tubler BellsをItalo Disco化した感動的なヒット曲Keyboards Affair / Tubular BellsをProduceします。
 
 そこには、Sergio Poggiも本当は1970年代にKeyboardの入ったItalian Progressive Rockをやりたかったのではないかといった思いも感じられます。

 1970年にCiro DammiccoがFlora Fauna Cementoから脱退せず、グループがProgressive Rockの方向に進んでいたら、1972年ごろにItalian Progressive Rockの傑作アルバムができていたかもしれません。
 
 Italian Progressive RockとDance Musicの融合したItalo Discoは、Manuel GöttschingのE2‐E4を世界的に広めたSueno LatinoやBlack Boxの世界的なヒットStrike It Upに繋がりますが、Sergio PoggiのKeyboards Affairはその先駆者と言えます。

Keyboards Affair / Tubular Bells (Extended Version HQ Audio) 1983
https://www.youtube.com/watch?v=vdKFMbD4NQ4
Sergio Poggiプロデュース 2:00 感動的で美しいフレーズ

Carrara / My Melody 1985
https://www.youtube.com/watch?v=t7lCEznc68E
Sergio Poggi作曲の美しいElectric Dance Music


P1790530.JPG

Sueño Latino / Sueño Latino Paradise Mix) 1989
https://www.youtube.com/watch?v=DXhqDeTSEl4
Italo Houseの世界的なヒット

Manuel Göttsching - E2-E4 - 1981/1984
https://www.youtube.com/watch?v=ys0HyevZpQg&t=2378s
Sueño Latinoの原曲

Black Box / Strike It Up (Official Video) 1991
https://www.youtube.com/watch?v=Xo3kp5BLF6Q
日本のFMでのダンスチャートでも長く1位だった名曲。

 そして、Sergio Poggiは1996年にBillo Music s.a.s.を設立して、そのGeneral Managerとなります。ちょうど設立当初の日本のAvexのように最先端のダンスミュージックのコンピレーションCDを2007年までに50枚以上リリースしました。
 
 それらのDance Musicにおける活動からは、Sergio Poggiが1970年代に先鋭的なミュージシャン、Drummerだったことが伺えます。

Billo Music | Homepage
http://www.billomusic.com/

Sergio Poggi - General Manager - Billomusic s.a.s. | LinkedIn
https://it.linkedin.com/in/sergio-poggi-772b0026


亡くなる直前まで、PFMのGiorgio Piazzaとライブ活動をしていた。
P1790526.JPG

 Sergio Poggiさんからは一度メールをいただき、誠実な人柄に感銘を受けました。いつか私の作ったDance Musicを聴いていただきたかったのですが、急逝されたときはショックでした。

 Numero UnoのFlora Fauna Cementoは憧れでした。
 Sergio Poggiさんのご冥福をお祈り申し上げます。RIP

P1790465.JPG

2023年04月05日

RIP 追悼 Ray Shulman 〜 Gentle Giant ジェントル ジャイアント   〜 「音楽の力」 1973年 In A Glass House ガラスの家・自由が丘 ソハラレコード 〜 1975年 Free Hand

P1790392.JPG
日本ではVertigo Labelとして発売されたIn A Glass House
他の盤では透明フィルムの写真が2重に重なっているが、このデザインは日本だけ。


今日の1曲
 Gentle Giant / The Runaway 1973
 Gentle Giant / Way of Life 1973
 Gentle Giant / On Reflection 1975
 Gentle Giant / Free Hand 1975



ジェントル・ジャイアントの創設メンバー ベーシストのレイ・シャルマン死去 - amass
https://amass.jp/165680/

 Gentle GiantのRay Shulmanさんが亡くなりました。Gentle Giantも私のヒーローでした。思い出を振り返ってみたいと思います。
 
 Gentle Giant / ガラスの家 In A Glass Houseを買ったのは1975年12月、自由が丘の東急ビル4階にあったソハラレコードでした。後に近田春夫さんの文で、都内でもロックのレコードが充実していたレコード店だったと知りました。ソハラだから見つけられたのだと思います。

 ソハラレコードは落ち着いた雰囲気の店で、Progressive Rockのコーナーは、横並びの棚だったと思います。そこで、ガラスの家をみつけました。

ソハラレコードが4階にあった自由が丘のランドマークとなる東急ビル
P1790387.JPG

 以前、雑誌Music LifeでThe Power And The Gloryの輸入盤が賞賛されていたため、Gentle Giantに憧れていました。

 そしてIn A Glass Houseの帯の裏に(on the back of ObI) 「PFMが最も影響を受けたグループ」という記述がありました。1975年10月にPFMの「幻の映像」Photos of Ghostsを買って感動していた頃なので、迷いなくIn A Glass Houseを買う決意をしました。

 もっとも、後にPFMのFranz Di Cioccioは、Gentle Giantは同時期のバンドなので影響は受けておらず、Ekseption、King Crimsonからは影響を受けたと語っています。

 しかし、イタリアでは日本と異なり、Gentle Giant、Genesisは当時人気が高く、多くのItalian Progressive RockのバンドがGentle Giantからの影響を表明しています。

イタリアでは人気があったGentle Giant LP Hit Chart in Italy
Three Friendsは最高5位でイタリアの人気歌手に並ぶ
P1790400.JPG

 日本盤In A Glass Houseには解説や歌詞のカードがなく、帯の裏側に細かい字で解説が書かれている簡素なものでした。当時、イタリアと異なりGentle Giantは日本では商業的に成功しておらず、幻のバンドのような存在でした。

 しかし、In A Glass Houseは感動的なレコードで、特にA面3曲は組曲のようにすべてが良かったです。当時はTangerine Dreamの影響でほとんどGerman Rockを買っていましたが、In A Glass Houseは冒頭のサウンドコラージュなども含め、素晴らしいものでした。

 In A Glass Houseは、ELP / Trilogy、Yes / Close To The Edge 危機、Deep Purple / Machine Head、Led Zeppelin Wなど当時の傑作群に匹敵するもので、テクニック以上にメロディーを重視した名盤だと思います。


イギリスオリジナル盤の特殊ジャケットはGentle Giantの自信の表れといえる
右側のスリーブ袋に左の透明フィルムの写真が重なる
P1790394.JPG

 ProgarchivesでもIn A Glass Houseは高得点であり、今でも買ってよかったと思う1枚です。

GENTLE GIANT discography and reviews (progarchives.com)
https://www.progarchives.com/artist.asp?id=118
Gentle Giantの中では最高点。


Progressive Rock Top Albums / all subgenres - 1 - all years - all countries (progarchives.com)
https://www.progarchives.com/top-prog-albums.asp?salbumtypes=1
全世界のProgressive RockでもIn A Glass Houseは26位の人気。

Gentle Giant / The Runaway
https://www.youtube.com/watch?v=tcX2DqdDxI0&list=PLJfwklRIOOp3uToYh9SVQ1UTM8eoEM_3D&index=1
冒頭のコラージュから、0:50でリフに入る部分はRock史上に残るかっこよさといえる。

Gentle Giant / Way of Life
https://www.youtube.com/watch?v=UlcZQX5oDiY&list=PLJfwklRIOOp3uToYh9SVQ1UTM8eoEM_3D&index=3
1番好きだった曲。特に2:00からの展開が見事で、3:30のホーンが感動的。後のイタリアの名盤Maxophoneにも影響を与えたのではないか。




=In A Glass House全曲=


Gentle Giant / In A Glass House全曲
https://www.youtube.com/watch?v=0dNpM59fJOA

Gentle Giant / Index
https://www.youtube.com/watch?v=6f38BCiXU9I
最後の20秒のIndexは、全曲が良曲である自信の表れだったといえる。

Side A
The Runaway 7:15
An Inmates Lullaby 4:39
Way Of Life 8:04
Side B
Experience 7:50
A Reunion 2:11
In A Glass House 7:49
Index      0:20 



Gentle Giant / Free Hand Side A 1975年
P1790395.JPG

 次に買ったGentle GiantのLPはFree Handのイギリス盤でした。
 これもA面のOn ReflectionとFree Handが素晴らしく、買ってよかったと思えた作品でした。

Gentle Giant / On Reflection (2021 Steven Wilson Remix)
https://www.youtube.com/watch?v=CAzl57WI4Us&list=OLAK5uy_l3My7PwHIzkIj4xiZAculTYBDl1JhOVEg&index=2
圧倒的なコーラス。ラストで5:00からインストになり、Free Handに繋ぐ展開が素晴らしい。

Gentle Giant / Free Hand
https://www.youtube.com/watch?v=piI_LmNo2x8
この曲もIn A Glass HouseのRunawayやWay Of Lifeのように全編にわたって良いメロディーと緊張感が持続する。A面の1曲目に持ってきた方が、もっと多くに人に届いたのではないか。



 Gentle GiantのIn A Glass HouseとFree Handの力強いリフとメロディーは、精神的に不安定だったころの自分を支えてくれた「音楽の力」だったと思います。

 素晴らしい音楽をありがとうございました。
 Ray Shulmanさんのご冥福をお祈りいたします。RIP

P1790401.JPG
posted by カンカン at 08:26| 神奈川 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリスのロック British Rock & Pops  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月03日

RIP 追悼 坂本龍一 Ryūichi Sakamoto 〜 1979年Yellow Magic Orchestra YMO / Technopolis 〜 1983年 Merry Christmas Mr.Lawrence 〜 シャンソン喫茶銀巴里・大貫妙子 / 黒のクレール

P1790160.JPG
YMO / Solid State Survivor  Yellow color record 1979


今日の1曲
  Yellow Magic Orchestra YMO / Technopolis 1979
  Taeko Ohnuki (大貫妙子) / 黒のクレール 1981
        Arranged by Ryūichi Sakamoto
  Ryūichi Sakamoto / Merry Christmas Mr.Lawrence 1983
  Ryūichi Sakamoto / The Sheltering Sky 1990
 NEU! / Isi 1975
  Merry Christmas Mr. Lawrence / Ryūichi Sakamoto
       - From Ryūichi Sakamoto: Playing the Piano 2022


坂本龍一さん死去 戦場のメリークリスマス、ラストエンペラー… 映画音楽でも世界的評価 (msn.com)
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E4%B8%80%E3%81%95%E3%82%93%E6%AD%BB%E5%8E%BB-%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9-%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%BC-%E6%98%A0%E7%94%BB%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%A7%E3%82%82%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%9A%84%E8%A9%95%E4%BE%A1/ar-AA19nmgJ

Ryuichi Sakamoto, a godfather of electronic pop, has died
https://www.npr.org/2023/04/02/959184720/ryuichi-sakamoto-a-godfather-of-electronic-pop-has-died

Disparition de Ryūichi Sakamoto, compositeur oscarisé de la B.O. du "Dernier Empereur"
https://www.radiofrance.fr/francemusique/disparition-de-ryuichi-sakamoto-compositeur-oscarise-de-la-b-o-du-dernier-empereur-5316823

Pionnier des musiques électroniques, le Japonais Ryuichi Sakamoto est mort à 71 ans
https://www.leparisien.fr/culture-loisirs/musique/pionnier-des-musiques-electroniques-le-japonais-ryuichi-sakamoto-est-mort-a-71-ans-02-04-2023-M3D4ST34FNAMPEJHLYK6CXW7XY.php

 ガンで長い闘病生活を送っていた坂本龍一さんがついに亡くなってしまいました。同じYMOの高橋幸宏さん、YMOと共同作業をしたシーナ&ロケッツの鮎川誠さんの訃報に続いてとても悲しいですが、感謝を込めて思い出を振り返ってみたいと思います。

坂本龍一Ryūichi Sakamoto - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E4%B8%80

・初めて坂本龍一の名前を見たのは1978年ごろ「ぴあ」での「坂本龍一個展」という告示でした。絵画ではなく、音楽で「個展」というのは初めてで、とてもインパクトがありました。現代音楽だと思いました。

・初めてYMOがヒットしたのは1979年の「テクノポリス」でした。テレビ、ラジオでいつも流れていて、Kraftwerkの影響だとすぐにわかりました。

Yellow Magic Orchestra YMO / Technopolis 1979
https://www.youtube.com/watch?v=R67_PbOrGT0
今見ても斬新。バブル崩壊前の日本の経済と技術を象徴するような映像。

 1976年までは国内盤のレコード店は天国でしたが、Progressive Rockが消滅し、1977年以降は国内盤のレコード棚は買いたいものが全くなくなり、砂漠のように見えました。

 YMOが出て、1975年に日本でKraftwerkのAutobahnが出た頃のような気持ちで、久々に国内盤のレコード店に行った記憶として1979年の西武池袋店のレコード売り場のYMOの光景が残っています。

 西武池袋店はレコード店が3か所ありました。デパートのレコード売り場以外に、Diskportという輸入盤の店(Françoise Hardyの2枚組ベスト盤を購入)、10階に美術館に併設したアールヴィヴァンという現代音楽の店(Klaus Schulze / Xを購入)がありました。坂本龍一は、Françoise HardyもKlaus Schulzeも聴いていたと思います。 


LP Taeko Ohnuki / Cliché 1981
Single Taeko Ohnuki / 「黒のクレール」1981
P1790151.JPG
Ryūichi Sakamoto arranged his favorite singer Taeko Onuki's Cliché, which was influenced by European pop.

・1981年の大貫妙子の「クリシェ」は、当時隆盛だった貸しレコード店で借りたLPで最も感動したものの一つでした。

 坂本龍一はA面4曲のアレンジを担当し、「Jean Musyに負けたくない」というYMOでは見せなかった真剣な発言を初めて読み、大貫妙子をたいへん高く評価していることも含め、とても感銘を受けました。

 坂本龍一のヒーローがドビュッシーで、シャンソン喫茶銀巴里でバイトをしたことからもフレンチポップに関心を持っていたと思われます。

Taeko Ohnuki (大貫妙子) / 黒のクレール (1981)
Arranged by Ryūichi Sakamoto
https://www.youtube.com/watch?v=7LXnuH4QUUM 
Keyboards, Drums: Ryūichi Sakamoto 
Guitar: Kenji Ohmura (YMO tour 1980 ) 
Bass: Haruomi Hosono (YMO)

 LPのもう一つの名曲、風の道はフランス人Jean Musyのアレンジでした。
 風の道の最初の録音は、坂本龍一がアレンジしたラジの歌によるものでした。

Taeko Onuki & Ryuichi Sakamoto / 風の道 Kaze no Michi
https://www.youtube.com/watch?v=5dMVRtz2TcU
2010年再録。「坂本龍一 音楽の歴史」でも坂本龍一、大貫妙子にとって重要な曲だったことが記されている。

大貫妙子 / 風の道 (1981)
https://www.youtube.com/watch?v=GhtJ97u_tLY
坂本龍一が意識したJean Musyのアレンジ

Rajie / 風の道 (1979)
https://www.youtube.com/watch?v=Gdf7U18EK0o
Lyrics, Music: Taeko Ohnuki
Arrangement: Ryuichi Sakamoto

1982年9月21日「坂本龍一のサウンドストリート」ゲスト大貫妙子
https://www.youtube.com/watch?v=hE65oimctL4
アルバム「クリシェ」の紹介。29:04から、坂本龍一がアレンジしたラジの「風の道」と、フランスでアレンジ再録されたヴァージョンと「どっちがいいですか」と大貫妙子に質問している。

”Merry Christmas Mr.Lawrence” ”Furyo" 1983
Takeshi Kitano Nagisa Oshima Ryūichi Sakamoto
P1790166.JPG

・1983年5月に「戦場のメリークリスマス」が公開され、デヴィッド・ボウイDavid Bowie、坂本龍一、ビートたけしの出演に驚きました。
 有名な外国の俳優が、最近の映画音楽で「戦場のメリークリスマス」のテーマソングが1番印象に残ったと言っていました。日本の映画音楽を外国人が絶賛しているのを聞いたのはゴジラ以来でした。

 「音楽の正体」というテレビ番組で、「戦場のメリークリスマス」が日本の音階を使いながら、最も印象的な部分で西洋音階に変わると解明していました。

Ryūichi Sakamoto / Merry Christmas Mr.Lawrence
https://www.youtube.com/watch?v=Pd28ZfD2V2E
日本の音階が1:03で一瞬、西洋音階に変わる。坂本龍一は日本の音楽に影響を受けたドビュッシーから影響を受けたことによって、結果として日本の音楽の影響を受けた。

YMO 1983 TV ‘David Bowie来日特番
https://www.youtube.com/watch?v=Kcr7XGAavqU
David Bowie 1983 visit to Japan special TV program with YMO, Takeshi Kitano
Ryūichi Sakamoto played Merry Christmas Mr.Lawrence

シャンソン喫茶銀巴里と1950年代末の美輪明宏。左が坂本龍一が弾いたと思われるグランドピアノ(1982年にもステージ左側にグランドピアノがあった)
P1790164.JPG
Ryūichi Sakamoto had a part-time job as an accompanist at a famous small French pop live house "Gin-Paris" in Ginza, Tokyo when he was a music College Student. Akihiro Miwa, one of the most respected singers in Japan, sang at "Gin-Paris".

・私は1982年末にシャンソン喫茶銀巴里でウェイターをしたのですが、坂本龍一は1970年代初期の学生の頃に銀巴里でピアノのバイトをしていました。

 テレビ朝日の1997年1月10日「驚きももの木20世紀 / 銀巴里の逝った日 日本初のシャンソン喫茶“銀巴里” 美輪明宏歌う“メケメケ”秘話」というテレビ番組で、バンマスだったドラムの行野さんの坂本龍一に関する回想がありました。行野さんはジャズ出身でした。

 「おれは演奏には自信があった。あるとき新しく来たピアノが『これからは16ビートだ』と言って弾き始めた。おれは、、、(ドラムスティックを持つ手が止まる映像)、その音についていくことができなかった。。。そいつの名前、坂本っていったよ」

美輪明宏 / ヨイトマケの唄
https://www.youtube.com/watch?v=NQMUspZWTiU

坂本龍一も見たであろう美輪明宏の銀巴里での後ろ姿。ヨイトマケの唄の初演のころは客が最後にほぼ全員泣いていて行野さんも震えたと回想している。
P1790161.JPG

・坂本龍一のYMO以前の1970年代のフォーク、ロックなどと交流を持ち始めた最初期の活動については、平野悠著「ライブハウス「ロフト」青春記」が興味深いです。坂本龍一はロフトの1号店「烏山ロフト」の常連でした。

amazon定本ライブハウス「ロフト」青春記 2020
https://amzn.to/3Gd31YR

 1975年にまだ音大生だった坂本龍一は、友部正人と飲み屋で意気投合して全国ツアーを行い、それが山下達郎、細野晴臣などとのJ POPの世界に入るきっかけになりました。

友部正人Masato Tomobe / ひとり部屋に居てAlone in my room  1975年Live Piano:Ryūichi Sakamoto
https://www.youtube.com/watch?v=6VM_qAOTHq8
坂本龍一の最初のプロとしての音楽活動。

Ryūichi Sakamoto、Masato Tomobe 1975年 
P1790155.JPG
Ryūichi Sakamoto's first professional work was an accompaniment for Masato Tomobe. Tomobe is a social singer-songwriter who was strongly influenced by Bob Dylan.

土屋昌巳が「一番伝えたかった」“教授”じゃない坂本龍一の姿 「立場が逆転した日」の記憶
https://news.yahoo.co.jp/articles/5c190a4bcf92f0727c4edfb30c78404d84b7ce45?page=1
坂本龍一の最初のバンド活動についての回想。

・坂本龍一は東京芸術大の作曲科出身ですが、作曲科では現代音楽を追求し、わかりやすいメロディーが入った音楽は認められないそうです。

 坂本龍一は、自分が音大で学んだクラシックの理論を、山下達郎や細野晴臣がポップスの領域で普通に使っていることに感銘を受けたそうです。そのため、坂本龍一は、クラシック音楽がポップミュージックより優位というような枠に縛られなかったのだと思います。
 
 坂本龍一は「300人の現代音楽作曲家の中で評価される音楽ではなく、多くに届く音楽を」という考え方で創作していたそうです。美しいメロディーの代表例がサントラのシェルタリング スカイ (The Sheltering Sky)だと思います。

Ryūichi Sakamoto / The Sheltering Sky 1990
https://www.youtube.com/watch?v=T0DwElN8NqA
Piano version 坂本龍一はメロディーが美しい曲をたくさん作った。

Ryūichi Sakamoto / シェルタリング スカイ (The Sheltering Sky) サントラ テーマ曲
https://www.youtube.com/watch?v=Vgf2bgzp4oM
Strings version

辻井伸行 /「シェルタリング・スカイ」作曲 坂本龍一
NobuyukiTsujii / The Sheltering Sky / Ryūichi Sakamoto
https://www.youtube.com/watch?v=19NOGJLxXT0

 また、Energy Flowはインストゥルメンタルのシングルとしては初めて1位を記録し、180万枚を売り上げ1999年度年間4位(オリコン)となりました。

Ryūichi Sakamoto / Energy Flow
https://www.youtube.com/watch?v=btyhpyJTyXg
"Energy Flow" became the first Japanese instrumental single to reach number one, selling 1.8 million copies and reaching number four in 1999.

 また坂本龍一は、Progressive Rockについては、ELPなどのクラシックをアレンジしたものではなく、German Rockに関心があり、Can、Neu!などの輸入盤を通じて電子音楽に関心を持っていったことを最近知りました。

 2023年2月に刊行された「坂本龍一 音楽の歴史」は、年度ごとの詳細な活動が400ページにわたって記録されています。
 坂本龍一の最初の著述は1976年の「音楽全書」への寄稿で、そこではNeu!、Can、Tangerine Dream、KraftwerkなどのGerman Rock、Fripp & Eno、Curved AirなどのProgressive RockをJohn ColtraneやJohn Cageなどと比較して書かれています。また、坂本龍一は間章とも親交があり、阿部薫との真夜中のフリージャズのセッションを何度も行っていました。

NEU! - Isi 1975
https://www.youtube.com/watch?v=oO7w90YG3Rg
YMO / Technopolisに通じるメロディアスなElectric Music


「坂本龍一 音楽の歴史」  https://amzn.to/3N7gOE5
P1800891.JPG


坂本龍一さん訃報に震災被災地から悼む声 「キズナワールド」は今も<岩手県>
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E4%B8%80%E3%81%95%E3%82%93%E8%A8%83%E5%A0%B1%E3%81%AB%E9%9C%87%E7%81%BD%E8%A2%AB%E7%81%BD%E5%9C%B0%E3%81%8B%E3%82%89%E6%82%BC%E3%82%80%E5%A3%B0-%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89-%E3%81%AF%E4%BB%8A%E3%82%82-%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C/ar-AA19rRcU?ocid=msedgntp&cvid=2aa2ae880a564101a7d99731cc5ddf73&ei=10

 私の父も直腸がんの手術を受けましたが、ガンが転移して2年間で6度も手術をされたというのは、本当に筆舌に尽くし難いたいへんなことだったと思います。

 しかし、坂本龍一さんは最後まで被災地のための「東北ユースオーケストラ」などの音楽活動、創作活動を諦めませんでした。
 素晴らしい音楽と勇気をありがとうございました。RIP

 最後に、坂本龍一さんの2022年の戦場のクリスマスの演奏を聴きたいと思います。

Merry Christmas Mr. Lawrence / Ryūichi Sakamoto - From Ryūichi Sakamoto: Playing the Piano 2022 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=z9tECKZ60zk

P1780502.JPG